南総里見八犬伝(010)

南總里見八犬傳卷之五第九回
東都 曲亭主人 編次
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「戲言けげんを信しんじて八房やつふさ敵將てきせうの首級しゆきうを献たてまつる」「里見よしさね」「杉倉氏元」「里見よし成」「伏姫」「八ふさ」

盟誓ちかひを破やぶりて景連兩城かげつらりやうぜうを圍かこむ
戲言けげんを信うけて八房首級やつふさしゆきうを獻たてまつる

 卻說安西景連かくてあんさいかげつらは、義實よしさねの使者なりける、金碗大輔かなまりだいすけを欺あざむき留とゞめて、しのびしのびに軍兵ぐんびやうを部てわけしつ、俄にはかに里見の兩城りやうぜうへ、犇々ひし〳〵と推寄おしよせたり。その一隊ひとそなへは二千餘騎、景連みづからこれを將いて、瀧田たきたの城の四門しもんを圍かこみ、晝夜ちうやをわかずこれを改せむ。又またその一隊ひとそなへは一千餘騎、蕪戶訥平等かぶととつへいらを大將にて、堀內貞行ほりうちさだゆきが籠こもりたる、東條とうでふの城を圍かこませ、「兩城一時いちじに攻潰せめつぶさん」、といやがうへにぞ攻登せめのぼる。その縡ことの爲體ていたらく、稻麻とうまの風に戰そよぐ如ごとく、勢ひをさ〳〵破竹はちくに似たり。このとき里見の兩城りやうぜうは、兵粮甚乏ひやうろうはなはだともしきに、民荒年たみくわうねんの役えきに勞つかれて、催促に從はず、只呆たゞあきれたるのみなれ共、恩義の爲に命いのちを輕かろんじ、寄手よせてを屑ものゝかすともせざる、勇士猛卒ゆうしもうそつなきにあらねば、をさ〳〵防戰ふせぎたゝかふものから、主客しゆかくの勢ひ異ことにして、はや兵粮に竭つきしかば、食しよくせざる事七日に及べり。士卒はほと〳〵堪たへかねて、夜な〳〵、塀へいを踰こえて潛出しのびいで、射殺いころされたる敵の死骸しがいの、腰兵粮こしひやうろうを撈取さぐりとりて、僅はつかに餓うへに充みつるもあり、或あるは馬を殺し、死人の肉を食くらふもあり。義實よしさねいたくこれを患うれひて、杉倉木曾介氏元等すぎくらきそのすけうぢもとら、もろ〳〵の士卒しそつを聚合つどへ、さて宣のたまふやう、「景連は表裏ひやうりの武士ぶし、盟ちかひを破り義に違たがふ、奸詐かんそは今さらいふにしも及ばねど、さのみおそるゝ敵にはあらず。彼かれ兩郡の衆ひとを將いて、わが兩城を攻擊せめうてば、われも二郡の衆ひとをもて、彼かれが二郡の衆ひとに備ふ。よしや十二分に勝得かちえずとも、午角ごかくの軍いくさはしつべきに、わが德足たらで五穀登ごゝくみのらず、內に倉廩空さうりんむなしうして、外ほかには仇あたの大軍あり。甲乙こうおついまだわかたずして、ちから既に究きわまれり。縱百樊噲たとひひやくはんくわいありといふとも、餓うへては敵を擊うつによしなし。只たゞ義實が心ひとつ、身ひとつの故ゆゑをもて、この城中にありとある、士卒を殺すに忍びがたし。今宵衆皆烏夜こよひみな〳〵やみに乘まかして、西の城戶きとより走り去れ。辛からくも命を全まつたうせん。その時城しろに火を放かけて、且まづはや妻子さいしを刺殺さしころし、義實は死すべきなり。二郞太郞じろたらうもとく落おちよ。その術てだては箇樣々々かやう〳〵」、と精細つばらかに示し給へば、衆皆みな〳〵これを聞きゝあへず、「御諚ごじやうでは候へども、その祿ろくを受うけて妻子やからを養ひ、難なんに臨のぞみて筍且かりそめにも、脫まぬかるゝことは要えうせず。只顯身たゞうつせみの息の內に、寄手よせての陣へ夜擊ようちして、名ある敵と刺さしちがへ、君恩くんおんを泉下せんかに報ほうぜん。この餘の事は露つゆばかりも、願ねがはしからず候」、と辭ことばひとしく回答いらへまうすを、義實はなほ叮嚀ねんごろに、說諭とききとし給へども、承引うけひく氣色けしきなかりけり。
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南総里見八犬伝(009)

南總里見八犬傳卷之四第八回
東都 曲亭主人 編次
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「真野まのの松原まつはらに訥平とつへい大輔だいすけを遂おふ」「金まり大すけ」「かぶ戸とつ平」

行者ぎやうじやの岩窟いはむろに翁伏姬おきなふせひめを相さうす
瀧田たきたの近邨きんそんに狸雛狗たぬきいぬのこを養やしなふ

 金碗かなまり八郞孝吉たかよしが、猛にはかに自殺したりける、志こゝろざしをしらざるものは、「渠かれ死なでもの事なるに、功ありて賞を辭し、可惜あたら命を亡うしなひし、こは全く玉梓たまつさに、罵のゝしられしを愧はぢたるならん」、と難ずるものもありとなん。それにはあらでいにしへの、賢かしこき人の言ことの葉はに、男子寡欲なんしくわよくなれば、百害を退しりぞけ、婦人に妬ねたみなければ、百拙ひやくせつを掩おほふといへり。況まいて道德仁義をや。されば義實よしさねの德、孤こならずして、鄰國りんこくの武士景慕けいぼしつ、好よしみを通じ婚緣こんいんを、募もとむるも又多かりける。そが中に、上總國椎津かつさのくにしひつの城主、萬里谷入道靜蓮まりやのにうどうじやうれんが息女そくぢよ、五十子いさらごと呼做よびなせるは、賢けんにして妍かほよきよし、義實仄ほのかに傳へ聞きゝて、すなはちこれを娶めとりつゝ、一女一男いちぢよいちなんを產うまし給ふ。その第一女は嘉吉かきつ二年、夏の季すゑに生れ給ふ。時、三伏さんぶくの時節を表ひやうして、伏姬ふせひめとぞ名なつけらる。二郞じらうはその次つぐの、年のをはりに擧まうけ給ひつ、二郞太郞じろたらうとぞ稱せらる。後のちに父の箕裘ききうを嗣つぎて安房守義成あはのかみよしなりといふ。稻村いなむらに在城して、武威ぶゐます〳〵隆さかんなりき。しかるに伏姬は、襁褓むつきの中うちより儔たぐひなく、彼竹節かのたけのよの中うちより生れし、少女をとめもかくやと思ふばかりに、肌膚はだへは玉たまのごとく徹とほりて、產毛うぶげはながく項うなぢにかゝれり。三十二相さうひとつとしてく缺かけたる處なかりしかば、おん父母ちゝはゝの慈愛いつくしみ、尋常よのつねにいやまして、册かしつきの女房にようぼうを、此彼夥俸これかれあまたつけ給ふ。さりけれども伏姬は、夜よとなく、日となくむつかりて、はや三歲になり給へど、物を得えいはず、笑えみもせず、うち嗄なき給ふのみなれば、父母ちゝはゝ心くるしくおぼして、三年以來醫療みとせこのかたいりやうを盡し、高僧驗者げんざの加持祈禱かぢきとう、これ彼かれとものし給へども、絕たえて驗しるしはなかりけり。
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南総里見八犬伝(008)

南總里見八犬傳卷之四第七回
東都 曲亭主人 編次
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「一子いつしを遺のこして孝吉たかよし大義たいぎに死しす」「杉倉氏元」「金まり八郎」「里見よしさね」「百姓一作」「上総の大介」「玉つさ怨霊」

景連奸計信時かげつらかんけいのぶときを賣うる
孝吉節義義實たかよしせつぎよしさねに辭ぢす

 杉倉木曾介氏元すぎくらきそのすけうぢもとが使者、蜑崎十郞輝武あまさきじうらうてるたけ、東條とうでふよりはせ參りて、麻呂信時まろののぶときが首級しゆきうを進まゐらせたりければ、義實よしさねは大床子おほせうじのほとりに出いでて、件くだんの使者をちかく召めさせ、合戰かつせんの爲體ていたらくを、みづから問とはせ給ひしかば、蜑崎十郞まうすやう、「兵粮乏ひやうろうともしくまします事、氏元豫かねてこゝろにかゝれば、百姓們ひやくせうばらを催促さいそくして、運送うんそうせばやと思ふ程に、安西景連あんさいかげつら、麻呂信時、はや定包さだかねにかたらはれて、海陸かいりくの通路を塞ふさぎ、小荷駄を取らん、とわれを俟まつ。縡ことの難義なんぎに及びしかば、氏元ます〳〵憂悶うれひもだへて、いたづらに日を過すぐしたり。しかるに景連、一夕竊あるよひそかに、家隸某甲いへのこなにがしをもて、氏元にいはするやう、『山下定包は、逆賊ぎやくぞく也。よしや蘇秦張儀そしんちゃうぎをもて、百遍千遍相譚もゝたびちたびかたらふとも、承引うけひくべうは思はざりしに、信時にそゝのかされて、渠かれが爲に途みちを塞ふたぎ、良將勇士を苦くるしめしは、われながら淺猿あさまし、と後悔臍こうくわいほぞを噬かむものから、信時只管ひたすら鏃やじりを磨とぎて、說とけども思ひかへさねば、是これも亦靴またくつを隔へだてて、癬かゆきを掻かくに異ことならず。猜つら〳〵事の情ぜうを量はかるに、信時は匹夫ひつふの勇士、利の爲に義を忘れて、貪むさぼれども飽あくことなし。景連舊好きうこうを思ふ故ゆゑに、一旦いつたん合體するといへども、もし悞あやまちを改あらためずは、狂人を追ふ不狂人、走るは共にひとしかるべし。所詮しよせん合體の念おもひを飜ひるがへし、まづ信時を擊果うちはたして、兵粮ひやうろう運送の路を開き、里見殿さとみとのに力を勠あはして、賊首ぞくしゆ定包を討滅うちほろぼし、大義を舒のべんと思ふのみ。曩さきにはたま〳〵來臨らいりんせられし、里見ぬしを要えうとゞめず、あるじ態ぶりの禮儀いやなかりしは、彼かの信時が拒こばめるゆゑなり。願ふは和殿わどの、城を出いでて、短兵急たんへいきうに攻せめかゝれ。信時は野猪武者ゐのしゝむしや也、敵を見て思慮もなく、一陣に進んず。そのとき景連後陣ごぢんより、さし挾はさみてこれを擊うたば、信時を手取てとりにせん事、掌たなそこを返す如ごとけん。狐疑こぎして大事だいじを悞あやまち給ふな。をさ〳〵回答いらへを俟まつ』といへり。しかれども氏元は、敵の謀はかりことにもや、と思ひしかば、佻々かろかろしく從はず、使者の往返度わうへんたびかさなりて、僞いつはりならず聞えにければ、さは信時を擊うたんとて、安西に諜てふじ合せ、降ふりみ降ふらずみ五月雨さみだれの、黑白あやめもわかぬ暗夜くらきよに、二百餘騎を引率いんぞつし、枚ばいを銜ふくみ、鑣くつわを鉗つぐめ、麻呂信時が屯たむろせる、濱荻はまをぎの柵さくの前後ぜんごより、犇々ひしひしと推おしよせて、鬨ときを咄どつとつくり掛かけ、無二無三むにむざんに突ついて入いる。敵よすべしとはおもひかけなき、麻呂の一陣劇騷あはてさわぎて、繋つなげる馬に鞭むちを當あて、弦つるなき弓に箭やをとり添そえ、紊立みだれたつたる癖くせなれば、只活路たゞにげみちを求もとむるのみ、防戰ふせぎたゝかはんとするものなし。そのとき信時聲を激はげまし、『憑たのもしげなきもの共どもかな。敵は正まさしく小勢こぜい也。推包おしつゝんで擊うちとらずや。落おとされて前原まへはらなる、安西に笑わらはれな。擊うてよ進め』、と烈はげしく令げぢして、眞先まつさきに馬乘出のりいだし、鎗やりりう〳〵とうち揮ふりて、逼入こみいる寄手よせてを突倒つきたふす。その勢ひは正まさに是これ、群むらがる羊ひつじの中うちに入いる、猛虎まうこの暴あるゝに異ことならず。士卒はこれに勵はげまされ、將後陣はたごぢんなる安西が、援來たすけきなんと思ひけん、逃にげんとしたる踵きびすを旋めぐらし、唬叫わめきさけびて戰へば、こゝろならずも躬方みかたの先鋒せんぢん、面外とのかたへ追おひかへされ、路みちのぬかりに足も得えたゝず、辷すべり跌つまつき引ひきかねたり。當下そのとき杉倉氏元は、眼まなこを瞪いからし、聲をふり立たて、『一旦破りし一二の柵さくを、追おひかへさるゝことやはある。名を惜をしみ、恥はぢをしるものは、われに續け』、といひあへず、白旄採さいはいとつて腰に插さし、鐙あぶみを鳴らし、馬を進めて、烏夜やみに晃きらめく長刀なぎなたを、水車みづくるまの如く揮廻ふりまはして、信時に擊うつて懸かゝれば、笧かゞりの火光ひかりに佶きつと見て、『汝なは氏元欤か。よき敵也。其處そこな退のきそ』、と呼びかけて、鎗やりを捻ひねつて磤はたと突つけば、發石はつしと受うけてはねかへし、引ひけばつけ入いり、すゝめば開き、一上一下いちじやういちげと手を盡す。大將かくのごとくなれば、躬方みかたも敵も遊兵ゆうへいなく、相助あいたすくるに暇いとまなければ、氏元と信時は、人を雜まじへず戰ふ程に、信時焦燥いらつて突つき出いだす、鎗やりの尖頭ほさきを氏元は、左手ゆんでへ丁ちやうと拂除はらひのけ、おつと唬おめいて、向上みあぐる所を、長刀なぎなたの柄ゑを拿延とりのべて、內兜うちかぶとへ突入つきいれて、むかふざまに衝落つきおとせば、さしもの信時灸所きうしよの痛手いたでに、得堪えたヘず鎗やりを手にもちながら、馬より摚だうと滾落まろびおつる、音に臣等わくらは見かへりて、飛とぶがごとくに走はせよせて、その頸取くびとつて候」、と言葉せわしく聞えあぐれば、義實つく〳〵とうち聞きゝて、「氏元がその夜の軍功、賞するに堪たへたれども、計略足はかりことたらざりけり。景連猛にはかに心裏反うらかへりて、信時を擊うたする事、その故ゆゑなくはあるべからず。夫兩雄それりゃうゆうは竝立ならびたゝず。信時景連相與あひともに、われを擊うつとも早とみに捷かたずは、必變かならずへんを生ずべし。然さるを氏元ゆくりなく、安西にそゝのかされて、信時を擊うちとりしは、躬方みかたの爲に利はなくて、景連が爲になりなん。彼かの安西は何なにとかしつる」、と問とはせ給へば蜑崎あまさき十郞、「さン候景連は、その夜よさり躬方みかたの爲ために、征箭一條そやひとすぢも射出いいださず、いつの程にか前原まへはらなる、柵さくを退しりぞきて候」、と答こたへまうせば、義實は、扇あふぎをもつて膝ひぎを鼓うち、「しかれば既に景連が、奸計かんけいは著あらはれたり。わが瀧田を攻せめしとき、勝敗測はかりかたしといへども、定包さだかねは天神地祇あまつかみくにつかみも憎にくませ給ひて、人のゆるさぬ逆賊なり、一旦その利あるに似たるも、始終全しじうまつたからじとは、景連は思ひけん。定包竟つひに滅亡めつぼうし、義實その地を有たもつに及びて、信時は安西が翼たすけになるべきものならず。只大たゞおほばやりに勇めるのみ、與ともに無謀むぼうの軍いくさをせば、脆もろく負まけなんことをおそれて、陽うへには義實と合體して、氏元に信時を擊うたせ、景連はその虛に乘じやうじて、平館ひらたてを攻落せめおとし、朝夷郡あさひなこふりを合あはせ領れうして、牛角ごがくの勢ひを張らんとす。鼓うちし扇あふぎは外はづるゝとも、わが推量は違たがはじ」、とその脾肝はいかんを指さすくごとく、いと精細つばらかに宣のたまふ折、氏元が再度の注進ちうしん、某乙なにがしをとこはせ參りつ、「信時既に擊うたれしかば、殘兵頻ざんへいしきりに紊みだれ騷さわぎて、逃にぐるを直ひたと追捨おひすてて、氏元は軍兵ぐんびやうを、纏まとめて軈やがて東條へ、歸陣して候ひしに、豈あにおもはんや景連は、はや前原まへはらを退しりぞきて、平館ひらたての城を乘取のつとり、麻呂まろが采地朝夷れうぶんあさひな一郡、みなおのが物とせり。狗骨いぬほねをりて、鷹たかに捉とらせし、氏元は勞して功なし。おん勢せいをさし向むけ給はゞ、先鋒せんぢんを奉うけたまはりて、朝夷一郡いへばさらなり、景連が根城ねしろを屠ほふりて、この憤いきどはりを散はらすべし。このよしまうし給へ」とて、孝吉貞行等に書簡を寄せたり。金碗かなまりも堀內も、こゝに至りてその君の、聰察叡智そうさつゑいちに感伏かんふくし、「はやく景連を討うち給へ」、と頻りに勸すゝめ奉れば、義實頭かうべをうち掉ふりて、「否いな安西は討うつべからず。われ定包さだかねを滅ほろぼせしは、ひとり榮利ゑのりを思ふにあらず、民の塗炭とたんを救すくはん爲也。さは衆人もろひとのちからによりて、長狹平郡ながさへぐりの主ぬしとなる、こよなき己おのが幸さいはひならずや。景連梟雄けうゆうたりといふ共、定包が類たぐひにあらず。その底意そこゐはとまれかくまれ、志をわれに寄せ、木曾介氏元が、信時を擊うつに及びて、渠かれいちはやく平館なる、城を拔ぬきしを媢ねたしとて、軍いくさを起し、地を爭ひ、蠻觸ばんしよくの境さかひに迷ひて、人を殺し民を損そこなふ、そはわがせざる所也。景連奸計行おこなはれて、平館を取るといへども、なほ嗛あきたらで攻來せめくるならば、一時いちじに雌雄しゆうを決すべし。さもなくは境さかひを戍まもりて、こゝより手出しすべからず。僉みなこの旨むねをこゝろ得よ」、と叮嚀ねんころに喩さとし給へば、孝吉貞行は、さらにもいはず、左右に侍る近習輩きんじゆのともがら、蜑崎等もろ共に、感佩かんはいせざるものもなく、「いにしへの聖賢せいけんも、此このうへややはある」、と只顧稱贊ひたすらせうさんしたりける。かくて義實は、手づから氏元に書を給はりて、渠かれを賞ほめ、渠かれを喩さとして、安西を討うつことを禁とゞめ、「人の物を取らんとて、わが手許たなもとを忘るゝな。鄙語ことわざにいふ、飽あくことしらぬ、鷹たかは爪つめの裂さくるかし。籠城ろうぜうの外ほか、他事あだしこと、あるべからず」、と警いましめて、蜑崎十郞等を還かへし給ひつ。
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南総里見八犬伝(007)

南總里見八犬傳卷之三第六回
東都 曲亭主人 編次
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賞罰せうばつを締あきらかにして義実よしさね玉梓たまつさ等らを誅戮ちうりくす」「玉つさ」「定かねが首級」「戸五郎が首級」「どん平が首級」

倉廩さうりんを開ひらきて義實よしさね二郡にぐんを賑にぎはす
君命くんめいを奉うけたまはりて孝吉三賊たかよしさんぞくを誅ちうす

 卻說瀧田かくてたきたの軍民等ぐんみんらは、まづ鈍平等どんへいらを擊うたんとて、二にの城戶陜きどせまし、と詰寄つめよせて、鬩ときを咄どつと揚あげしかば、思ひがけなく塀の內より、鎗やりの穗頭ほさきに串つらぬきたる、生頸なまくびを高く揚あげ、「衆人もろひとわれを何なにとかする。われはや非を悔くひ、逆ぎやくを去さり、志こゝろざしを寄手よせてにかよはし、逆賊定包さだかねを誅伐ちうばつせり。誘いざもろ共に城を開きて、里見殿さとみどのを迎入むかへいれずや。同士擊どしうちすな」、と呼よばゝらして、城戶きどを颯さつと推おしひらかせ、岩熊鈍平いはくまどんへい、妻立戶五郞つまだてとごらう、鎧戰袍華よろひひたたれはなやかに、軍兵夥ぐんびやうあまた前後に立たゝして、兩人床几せうきに尻しりを掛かけ、軍團把ぐんばいとつてさし招けば、軍民等は呆あきれ惑心まどひて、件くだんの頸くびを向上みあぐるに、こは紛まがふべうもあらぬ、定包が首級しゆきうなり。「原來さては鈍平戶五郞等、脫のがるべき途みちなきを知りて、はや定包を擊うちたるならん。憎し」、と思へど今更に、同士擊どしうちするによしなければ、已やむことを得ずその令げぢに隨ひ、城樓やぐらに降參こうさんの幡はたを建たてて、正門おほてのもんを推おしひらき、鈍平戶五郞等を先に立たゝして、軈やがて寄手よせてを迎むかふれば、里見の先鋒金碗せんぢんかなまり八郞、縡ことの仔細しさいをうち聞きゝて、定包が首級を受うけとり、軍法なれば鈍平等が、腰刀こしかたなさへ取とりおかして、大將に報知奉つげたてまつれば、義實よしさねは諸軍を進めて、はやその處へ近つき給へば、鈍平等は阿容々々おめおめと、沙石いさごに頭かうべを掘埋ほりうづめて、これを迎奉むかへたてまつり、城兵等ぜうひゃうらは二行にぎやうについゐて、僉萬歲みなばんぜいと唱となへけり。且しばらくして後陣ごぢんなる、貞行も來にければ、前駈後從ぜんくごしようの隊伍たいごを整へ、大將徐しづかに城に入いりて、隈くまなく巡歷じゆんれきし給へば、神餘じんよがゐまぞかりし時より、只管驕奢ひたすらけうしやに耽ふけりしかば、奇麗壯觀きれいさうくわん玉を敷しき、金こかねを延のべずといふことなし。加以これのみならず、定包又さだかねまた民を絞しぼりて、飽あくまで貪貯むさぼりたくはへたる、米穀べいこく財寶倉廩くらに充みちて、沛公はいこう[コウソ]が阿房あばうに入いりしとき、幕下ばくか[頼朝ヨリトモ]が泰衡やすひらを討うちし日も、かくやとおもふばかり也。さりけれども義實は、一毫いちごうも犯おかすことなく、倉廩くらをひらきて兩郡なる、百姓等に頒與わかちあたへ給へば、貞行等これを諫いさめて、「定包誅伏ちうふくしたれども、なほ平館ひらたて、館山たてやまには、麻呂安西まろあんさいの强敵ごうてきあり。幸さいはひにこの城を獲えて、軍用乏ともしからずなりしを、一毫いちごうも貯たくはへ給はず、百姓ばらに賜たまはする、賢慮けんりよつや〳〵こゝろ得かたし」、と眉まゆうち顰ひそめてまうすにぞ、義實聞きゝてうち點頭うなつき、「しか思ふは眼前の、理ことわりに似たれども、民はこれ國の基もとなり。長狹平郡ながさへぐりの百姓等、年來としころ惡政に苦くるしみて、今逆ぎやくを去さり、順じゆんに歸きせしは、飢寒きかんを脫のがれん爲ならずや。然さるをわれ又貪むさぼりて、彼窮民かのきうみんを賑にぎはさずは、そは定包等に異ならず。倉廩くらに餘粟あまんのあわありとも、民みな叛そむきはなれなば、孰たれとゝもに城を守り、孰たれとゝもに敵を禦ふせがん。民はこれ國の基もと也。民の富とめるはわが富む也。德政空むなしからざりせば、事あるときに軍用は、求もとめずも集あつまるべし。惜むことかは」、と宣のたまへば、貞行等は更にもいはず、感淚坐そゞろに禁とゞめかねて、おんまへを退出まかでけり。
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南総里見八犬伝(006)

南總里見八犬傳卷之三 第五回
東都 曲亭主人 編次
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「瀧田たきたの城しろ攻せめに貞行さだゆき等ら妻立つまたて戸五郎とごらうを追おふ」「金まり八郎」「里見よしさね」「堀内貞行」「妻立戸五郎」

良將策りやうせうはかりごとを退しりぞけて衆兵仁しゆへいじんを知しる
靈鴿書いへはとしよを傳つたへて逆賊頭ぎやくぞくかうべを贈おくる

 山下柵左衞門尉定包やましたさくざゑもんのぜうさだかねは、麻呂安西まろあんさいへ遺つかはしたる、その使者瀧田たきたへ立たちかへりて、「彼輩かのともがらは忽卒あからさまに、歸降きごうのよしをいはざれども、いたく怕害おそれて候ひし。遠からずしてもろともに、みづから詣來まうきて罪を勸解わび、麾下きかに屬しよくせんこと疑ひなし。その爲體ていたらくは箇樣々々かやう〳〵、如此々々しか〴〵に候ひき」、となきことまである如く、辭ことばを飾り、首尾精細しゆびつばらかに、飽あくまで媚こびて吿つげしかば、定包ます〳〵こゝろ傲おごり、夜よをもて日に續遊興つぐゆうきやうに、士卒しそつの怨うらみをかへりみず、或あるは玉梓たまつさと輦てくるまを共にして、後園おくにはの花に戲たはむれ、或あるは夥あまたの美女を聚あつめて、高樓たかどのに月を翫もてあそび、きのふは酒池しゆちに牛飮ぎういんし、けふは肉林にくりんに飽餐ほうさんす。一人いちにんかくの如くなれば、老黨ろうどうも又淫酒いんしゆに耽ふけりて、貪むさぼれども飽あくことなく、費ついやせども盡つくるをしらず。王莽わうまうが宇內くにのうちを制する日、祿山ろくさんが唐祚たうのまつりを傾かたむくるとき、天日私てんじつわたくしに照らすに似たれど、逆臣はながく命めいをうけず。定包が滅ほろびんこと、必かならず久しからじとて、こゝろあるは目を側そはだて、爪彈つまはぢきをするもの多かりけり。
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南総里見八犬伝(009)

南總里見八犬傳卷之四第八回
東都 曲亭主人 編次
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行者ぎやうじやの岩窟いはむろに翁伏姬おきなふせひめを相さうす
瀧田たきたの近邨きんそんに狸雛狗たぬきいぬのこを養やしなふ


 金碗かなまり八郞孝吉たかよしが、猛にはかに自殺したりける、志こゝろざしをしらざるものは、「渠かれ死なでもの事なるに、功ありて賞を辭し、可惜あたら命を亡うしなひし、こは全く玉梓たまつさに、罵のゝしられしを愧はぢたるならん」、と難ずるものもありとなん。それにはあらでいにしへの、賢かしこき人の言ことの葉はに、男子寡欲なんしくわよくなれば、百害を退しりぞけ、婦人に妬ねたみなければ、百拙ひやくせつを掩おほふといへり。況まいて道德仁義をや。されば義實よしさねの德、孤こならずして、鄰國りんこくの武士景慕けいぼしつ、好よしみを通じ婚緣こんいんを、募もとむるも又多かりける。そが中に、上總國椎津かつさのくにしひつの城主、萬里谷入道靜蓮まりやのにうどうじやうれんが息女そくぢよ、五十子いさらごと呼做よびなせるは、賢けんにして妍かほよきよし、義實仄ほのかに傳へ聞きゝて、すなはちこれを娶めとりつゝ、一女一男いちぢよいちなんを產うまし給ふ。その第一女は嘉吉かきつ二年、夏の季すゑに生れ給ふ。時、三伏さんぶくの時節を表ひやうして、伏姬ふせひめとぞ名なつけらる。二郞じらうはその次つぐの、年のをはりに擧まうけ給ひつ、二郞太郞じろたらうとぞ稱せらる。後のちに父の箕裘ききうを嗣つぎて安房守義成あはのかみよしなりといふ。稻村いなむらに在城して、武威ぶゐます〳〵隆さかんなりき。しかるに伏姬は、襁褓むつきの中うちより儔たぐひなく、彼竹節かのたけのよの中うちより生れし、少女をとめもかくやと思ふばかりに、肌膚はだへは玉たまのごとく徹とほりて、產毛うぶげはながく項うなぢにかゝれり。三十二相さうひとつとしてく缺かけたる處なかりしかば、おん父母ちゝはゝの慈愛いつくしみ、尋常よのつねにいやまして、册かしつきの女房にようぼうを、此彼夥俸これかれあまたつけ給ふ。さりけれども伏姬は、夜よとなく、日となくむつかりて、はや三歲になり給へど、物を得えいはず、笑えみもせず、うち嗄なき給ふのみなれば、父母ちゝはゝ心くるしくおぼして、三年以來醫療みとせこのかたいりやうを盡し、高僧驗者げんざの加持祈禱かぢきとう、これ彼かれとものし給へども、絕たえて驗しるしはなかりけり。
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南総里見八犬伝(012)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十一回・序など
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳 第二輯 巻一
【見返】
文化丁丑孟春刊行
曲亭馬琴著 柳川重信畫
有圖八犬傳第弐輯
山青堂藏刻

【序】書き下し

八犬士傳第二輯自序[玄同]

稗官新奇之談。嘗作者ノ胸臆ニ含畜ス。初種々ノ因果ヲ攷索シテ。一モ獲ルコト無スハ。則茫乎トシテ心之適スル所ヲ知ラズ。譬ハ扁舟ヲ泛テ以蒼海ヲ濟ル如シ。既ニシテ意ヲ得ルトキ。則栩々然トシテ獨自ラ樂ム。人之未視ザル所ヲ見。人之未知ラザル所ヲ識ル。而シテ治亂得失。敢載セザルコト莫ク。世態情致。敢冩サザルコト莫シ。排纂稍久シテ。卒ニ册ヲ成ス。猶彼ノ舶人。漂泊數千里。一海嶋ニ至テ。不死之人ニ邂逅シ。仙ヲ學ヒ貨ヲ得テ。歸リ來テ之ヲ人間ニ告ルカゴトキ也。然トモ乗槎桃源ノ故事ノ如キ。衆人之ヲ信セズ。當時以浪説ト為。唯好事ノ者之ヲ喜フ。敢其虚實ヲ問ハズ。傳テ數百年ニ迨スハ。則文人詩客之ヲ風詠ス。後人亦復吟哦シテ而シテ疑ズ。嗚乎書ハ也者寔ニ信ス可ズ。而シテ信與不信ト之有リ。國史ノ筆ヲ絶シ自リ。小説野乗出ツ。啻五車而己ナラズ。屋下ニ屋ヲ加フ。今ニ當テ最モ盛也ト爲。而シテ其言詼諧。甘キコト飴蜜ノ如シ。是ヲ以讀者終日ニシテ而足ラズ。燭ヲ秉テ猶飽コト無シ。然トモ於其好ム者ニ益アルコト幾ント稀ナリ矣。又夫ノ煙草能人ヲ醉シムレトモ。竟ニ飲食藥餌ニ充ルコト無キ者與以異ナルコト無シ也。嗚呼書ハ也者寔ニ信ス可ズ。而シテ信ト不信與之有リ。信言美ナラズ。以後學ヲ警ム可シ。美言信ナラズ。以婦幼ヲ娯シム可シ。儻シ正史ニ由テ以稗史ヲ評スレハ。乃圓器方底而己。俗子ト雖固ニ其合難ヲ知ル。苟モ史與合ザル者。誰カ能ク之ヲ信セン。既ニ已ニ信セズ。猶且之ヲ讀ム。好ト雖亦何ソ咎ン。予カ毎歳著ス所ノ小説。皆此意ヲ以ス。頃コロ八犬士傳嗣次ス。刻成ルニ及テ。書賈復タ序辭ヲ於其編ニ乞フ。因テ此事ヲ述テ以責ヲ塞クト云フ。

文化十三年丙子仲秋閏月望。毫ヲ於著作堂ノ南牕木樨花蔭

簑笠陳人觧識

[震坎解][乾坤一草亭]

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読書ざんまいよせい(067)

◎滝沢馬琴・内田魯庵抄訳南総里見八犬伝(002)

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一 番作と蟇六

 伏姫ふせひめが富山に神去かんさり給ひてから十何年になる。武州大塚(今の小石川の大塚)に犬塚番作いぬづかばんさくといふ浪士があつた。もとは大塚の里を知行ちぎやうして大塚を名乘つた管領くわんれい持氏もちうぢの家人けにんであつたが、結城ゆふきの亂に加はつて暫らく踪跡を晦くらました間に犬塚と姓を改め、持氏の子の成氏なりうぢが再び管領となつてから放浪中に娶めとつた妻を伴つれて何年振かで舊采地へ戻つて来た。

 然るに番作父子が忠義の爲めに家を明けた不在中、留守居した姉の亀篠かめざさは物竪い父や弟には似ない淫奔女いたづらもので、生なさぬ仲の義理の母と、二人ふたり棲で誰憚たれはゞかる者も無いので勝手氣儘に男狂ひをし、擧句あげくの果はては母が病氣で人ひと手での足りないのを托かこつけに破落戸ならずものの蟇六を引摺込ひきずりこみ、母が眼を瞑つぶつたのを好い幸ひにズル〳〵ベッタリの夫婦となつた。成氏が管領家くわんれいけとなつて舊臣を召出されると聞くと蟇ひき六は俄に大塚姓を名乘って、番作の所在不明を奇貨として先代の忠義を申立てゝ相續を願出た。近所合壁爪彈きんじよがつぺきつまはぢきせぬ者はない破落戸ならずものが先代の忠義の餘徳で村長むらおさを命ぜられ、八町四反を宛行あておこなはれ帯刀も許されて、成上り者の大きな顏をして威張返つてゐた。
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読書ざんまいよせい(065)

◎滝沢馬琴・内田魯庵抄訳南総里見八犬伝(001)

南總里見八犬傳(解題的梗概を含む)

滝澤(曲亭)馬琴・内田魯庵抄訳

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【テキスト中に現れる記号について】
:おどり字
(例)〳〵はおどり字濁点付きは〴〵と表記
以下は、上記注釈は省略する
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       小   引

一 八犬傳は全部を完成するに二十八年を費やしてをる。總冊百六巻。一篇の物語として此の如く長きは東西共に比倫を絶する。西欧小説中の最大長篇として推される猷豪ユーゴーの『哀史』も杜翁の『戰争與平和』も八犬傳に比べてはその雄を称する事は出來ない。随つて讀者としても全部を卒業するのは決して容易でないので、所謂八犬傳の愛讀者が暗そらんするは大抵、信乃濱路の情史乎、芳流閣上の争闘乎、房八の悲劇乎、荒芽山の活劇乎、部分的の物語に限られてをる。能く全部を通串してその半ばにだも達したものは甚だ少まれである。明治の文学史に高名な博士中の博士ともいふべき某氏は、曾て八犬傳を八分通り通讀したのを誇りとして、八犬傳を全部卒業したものは恐らく一人も有るまいと、能く八分通りを讀破したのを以て讀書心旺盛を示すものとして暗に自負する處があった。八犬傳は特別の忍耐力を要するほどソンナ怠屈なものでは無いが、何しろ長いには大抵な者は根負けがしてしまふ。殊に馬琴時代とは思想上文章上の鑑質的態度や興味を根本から異にする今日の中年以下の讀者に取つては、八犬傳も大般若経も餘り大差は無いので、これが全部の通讀を望むのは草鞋脚半掛けの五十三次の行脚を強要するよりも困難である。八犬傳を覆印するに方つて編纂者が先づ解題的梗慨を添へんとする旨趣は此埋由からである。

一 が、編纂者から此依嘱を受けた時は梗慨を書く如きは何でも無いと思ってゐた。但し梗概を書くのは如何に名著でも餘り氣の利いた役目でも無いと思って躊躇もしたが.同時に又自分等に丁度相應した仕事だとも思って幾度か依違した後に應諾した。が、率いざ着手して見ると屡〻案外な困難に逢着して梗慨を書くといふのは容易ならざる難事であるのを知つた。何しろ百六冊といふ大部の長物語を僅か三百枚や五百枚に切詰めて大體の輪郭を分明ならしめるといふはレンズを透かして縮写するやうなソンナ手輕なものでは無い。それに就いての困難咄は兎角に手前味噌や自画自讃に流れ勝ちだから之を措くが、梗概といふのも矢張創作の一つで、一口にいふと、自分のやうな創作の才の貧しいものがする仕事でない事を痛切に悟った。その才の短い為めの当然の結果として覆刻本の各冊毎にその一冊分の物語の全部の慨略を記述する豫定であったのが、豫定より多少頁を伸ばしても猶二分の一しか祖述出來無かつた。それでも何度か削ったり省いたりしてヤツトこさと之までに縮めて纏めたので、今更に自分の省筆の才の短いのを恥入つた。この比例を以てすると結局許された頁では全部の半分の梗慨しか書けないわけであるが、發行期日が迫ってゐるから第一冊目は是非無いとして何とかして最後の第三冊目までには、全部を纏めるツモリである。

一 馬琴の描寫が極めて細密に渉つて煩瑣を極めてるとは誰も云ふ處であるが、實際に當つて見ると豫想以上に煩冗を極めてゐる。発端を掻摘ままうとするには微細の點までも呑込んで置かねばならないが、三度も四度も反覆しなければ解らぬ個處は相應に多い。その精究の結果、馬琴ほどの細心の作家でも時としては矛盾したり撞着したり、時間が曖昧で、往〻多少相違したり、随分好い加減な與太を飛ばした個處が少からず有る。且脚色にも同じ構想を反覆したり無理な細工をしたり、且又強て自家獨特の因果律に萬事をあてはめようとする牽強があまり餘り煩はし過ぎるに堪へない。馬琴は自分の幼年から青年時代へ掛けての愛讀書で、その代表作は大抵通讀し、一度は馬琴論を書いて見ようと思ふ豫ての腹案もあったのが其後いつとなく興味が去つて了つたが、偶然この最大作の梗概を祖述するに方あたつて、馬琴の著作の態度や慣用の作意が以前よりも一層明瞭に解つて再び馬琴諭の興味を沸湧して來た。馬琴の評傳といふやうな大袈裟なものはイツとも解らぬが將來に期するとして、八犬傳總括評乃至八犬傳偏痴氣論といふやうなものは若し頁が許されるなら第三冊目の梗概終結後に載せたいと思ふ。
十二月十五日
魯庵生識
八犬傳物語

 一 金碗八郎孝吉

 今から五百年前、其處此處そここゝで戰ひの絶間なかつた時代の咄。房州は白濱から小湊こみなとへ行く長狹ながさの白箸河しらはしかはの滸ほとりで釣つりをする主従らしい三人の武家があつた。こゝらで餘り見掛けない人品骨柄こつがらで、中にも中央の床几しやうぎに腰を卸して竿を垂れる一番年少としわかなのは武門の棟梁の氣品を備へた天晴貴人あつぱれきじんの御曹子おんざうしと見受けた。

『今日けふで三日みつか、落武者おちむしやにもせよ源氏の嫡流たる里見の冠者が鯉こひ一匹ぴき釣つれぬといふは、能よく〳〵武運に見放されたと見える。』

 と思はず溜息を吐ついたのを微笑に紛まぎらして、

『敗軍の將は鯉まで對手あひてにせぬと見えて、何遍なんペん釣っても小鰕こえびか雑魚ざこばかりぢや。』

『殿、止めさせ給へ』と老職らしい年老としふけたのが、『弓矢ゆみや持つ武將を釣師扱つりしあつかひして鯉を釣って來いといふさへ心得ぬに、此國で捕とれるか捕とれぬか解わからぬものを三日みつかと限るといふは奇怪千萬な。君を迎へまつる誠意の無い安西あんさいの腹が看みえ透すきます哩わい、ノウ堀内氏ほりうちうぢ!』

『如何いかにも杉倉殿すぎくらどのの云はれる通り。』

 と今一人いまひとりのがムシヤクシヤと、

『不信ふしんの安西、麻呂まろらを頼んでイツまでおはすとも詮が無い。杉倉氏、上總かづさへお伴とも仕らうぢやござらぬか。』

『兩人とも逸はやまるまい。』

 と御曹子は左右を顧みて兩人の短慮を嗜たしなめ、

『石橋山に敗れて安房に渡った右幕下うぱくかの武運にあやかるツモリは無いが、結城を落ちる抑そも々〳〵から一ひと先づ安房に落ちついて徐おもむろに再擧を図る決心であった。安西、麻呂の頼むに足らぬ心の底は看みえ透いてるが、上總へ落て誰を頼まうとする。所詮は時と勢ひを喪うしなつた義實、誰を頼むといふ確しかとした寄邊よるべが無いから暫らく界隈を放浪さすらつて安西、麻呂のせんやうを見る外は無い。』

 と静かに沈吟しあんしつゝ、

『鯉を釣るのは國を釣るのぢや。弓矢持ゆみやもつ手に竿さをを握にぎるも亦風流!』

 と莞爾につこと笑って武門の棟梁の襟度きんどを示しつ、再び綸いとを垂れる折しも、

『里見さとみえて〳〵白帆走しらほはしらせ風もよし、安房あはの水門みなとに寄る船は、浪なみに砕けず潮しほにも朽ちず、人もこそ引け、我も引かなん。』

 と鈍だみたる聲にて節ふし面白く繰返し〳〵歌ひ來れる乞兒かたゐがあつた。面おもては崩くづれ膿血うみちは流ながれて臭氣堪へ難きに、主従三人は鼻を掩うて疾く去ゆけかしと思ふを憚りもなく近づいて、

『殿は何を釣らうとお思召す?』

 と義實の顏を覗込みつゝ、

『最前さいぜんから見てをれば何がかゝつても直ぐ棄てゝしまはれるが、何を釣らうとお思召すのか?えッ、鯉を?はゝゝゝゝツ、安房には鯉はゐません哩わい。』

 と呵から々〳〵と笑つた。

『何なに、安房には鯉はゐないと申すか。』

 と杉倉氏元うじもとと堀内貞行さだゆきは屹きつとなつて双方一度に詰寄つた。

『安房には鯉はをりませぬ。』

 と乞兒かたゐは怯をめず臆せず平然として

『俗に鯉は十郡からの大國で無いと生じないと申しますが、強あながち然さうとも定きまりませぬ。風土に由るので國の大小に由よらない。奥羽は五十四郡の大國であるが、矢張鯉がをりませぬ。例へば里見の御曹司が上野かうづけに人となつても上野を知ろし召す事が出來なくて、この房州に流遇さすらつて膝を容れるの室が無いやうなもので厶ござる。』

 と知る乎か知らぬ乎 恐れ氣げも無く傍若無人にいひ放つたので、飛ぶ鳥にも氣を置く主従三人、思はず呆れて顏を見合はした。

『汝は一體何者ぢや?』

 と暫らくして義實は乞兒かたゐを屹きつと睨まへた。

 乞兒かたゐはハツと飛退とびすさつて大地に手を突き、

『さてはそれがしの推量に違たがはず里見の御曹司おんざうしにおはしましたか。君を試ためし奉つた無禮はお許し下されて言上したい事もあれば、率いざこなたへ成らせ給へ。』

 と先さきへ立ちつつ、人の往來ゆききする路傍を離れた只とある山蔭へ主従を案内し、上座に義實を据ゑて遥か後うしろへ後退あとずさりして、改めて恭うや〳〵しく大地に額突ぬかづいた。

『それがしは 當國瀧田たきたの城主神餘長狹介光弘じんよながさのすけみつひろの家の子金碗八郎孝吉かなまりはちろうたかよしと申すものゝ成れの果でムござります。君にも聞こし召されんが神餘じんよの家は――』

 云うん々〳〵斯かく々〳〵と、義實主従も安房に渡ると直ぐ薄うす々〳〵小耳こみみに入れた神餘の家の動亂どうらんの一伍一什いちぶしじふを事詳ことつまびらかに言上した。

 神餘は安西あんさい、麻呂まろと列ならんで安房四郡を分領した東條の末であつた長狹介光弘ながさのすけみつひろの代となつて東條瀧田たきたを併あはして安房半國を領し、安西、麻呂を下風かふうに立たして威勢並ぶものも無かつたので、光弘は心驕おごつて日夜酒色に沈湎ちんめんした。嬖臣へいしん山下柵左衞門定包さくざえもんさだかね微賤よリ歷上へあがつた君の御恩ごおんを思はず傍若無人に振舞ひ、君の眼を竊ぬすんで嬖妾玉梓へいそうたまずさと私通し、忠臣を遠ざけ侫人を手馴てなづけ、内外心を併はして思ふまゝ國政を掻亂し、民の怨府となつて家運日に傾き、數代連綿たる神餘の家も累卵よリも危くなつた。

 金碗かなまりはもと神餘じんよの支わかれで代々老職の筆頭であつた孝吉は早く父母に別れマダ年少であつたので光弘の近習きんじゆに召れてゐたが、光弘が淫楽に耽つて奸臣時を得顏えがほに跋扈ばつこし君家の内外日に非なるを視るに忍びず、屡々しば〳〵苦諌したが容いれられないので、暫らく時を俟つの決心で一時退身した。斯くて五年の歳月を往方ゆくへ定めぬ旅路に暮して久方振ひさかたぶりに故郷の土を踏んだ時は光弘不慮ふりょに狂死わうしして奸臣定包さだかね國をも婢妾ひせうをも竊ぬすんで瀧田たきたの城主としての威福を擅ほしいままにしてゐた。

 豫かねて期ごしたる事ではあるが、今更に胸の潰つぶれる思ひ。段々聞くと定包の好智に長たけたる豫かねて己おのれの横暴を憎んで機會を覘うものがあると聞くや、狩倉かりくらを勸すすめて領内に触れさして刺客を釣り、其日の狩倉には姦計を用ひて君の乘馬を中途に斃れさして己おのれの乘馬を換かへ馬うまとして薦すゝめ、刺客の眼めを欺いて己れの身代りに君を射留いとめさせ、意外の珍事に驚いたやうな顏をして直ちに刺客を搦からめ捕とらして首を刎はね、即座に君の仇を報たやうな忠臣顏をした。加之のみならず陰謀の張本人たる口を拭いて世子せいしの無いのを奇貨とし、一國一日も君無かるべからずと、暫らく國政を預あづかるといふ名目でマンマと領主となつて玉梓たまづさを嫡室とし其他の婢妾をまで竊んだ。

 これから後、孝吉は身に漆うるしして乞兒かたゐに姿を更かへ、日毎に瀧田を徘徊して容子ようすを探り、或る時人目を避けて彼地此地あちらこちらを放浪さすらつてるうちに不斗ふと耳に入つたのは里見冠者さとみのくわんじや義實が結城ゆふきの戰ひを遁れて安房へ渡つて來られたといふ噂であつた。所詮痩やせ浪人の赤手せきしゆで敵を覘うかゞうよりはこの名門の君きみを仰いで義兵を揚げるに如しくは無いと、里見の御曹子の行衞を尋ねるうちに 、自箸河しらはしがはの畔ほとりで邂逅であつた主従三人の武家は人品骨柄世の常ならず見受けたので、乞兒婆かたゐすがたの恐れ氣げもなく近づいて鯉に事寄せ口占くちうらを引いて見たので、

『貴いお方かたとは一ひと目めで見奉つたが、』

 と金碗かなまりは感概に堪へないやうな顏をして、

『正しく里見の君におはしましたのは、先君亡靈の導き給ふところ…………』

 と逐ちく一言上して逆賊討伐の義兵の旗揚げを勸めた。

 孤忠を憫あはれむ義心と、不忠不義に憤いきどほる侠骨けうこつと、天涯の孤客の鬱勃うつぼつたる雄心とで、義實は金碗の熱辯に耳を傾け、杉倉、堀内、金碗と環座くわんざして旗上けの謀議を凝らした。

 その晩金碗は義實主従を嚮導みちしるべして小湊へ行き、計はかりごとを用ひて土民百五十名を糾合し、兵は神速しんそくを貴ぶ、即時に瀧田の支城東條へ押寄せ、敵の備へなきに乘じて一擧にして陥おとしいれた。降兵數百人、軍馬、兵器、糧餉りやうしやう山の如く捕獲して、勢ひに乘じて一氣に城を抜くべく瀧田へ押寄せた。沿道風ふうを望んで集る野武士豪族千餘騎、軍容大いに振った。

 が、瀧田は肯繁さすがに要害で。一時に容易に落つる氣色けしきなく、智略に秀づる義實も、老功手だれの杉倉、堀内も、瞻勇無双の金碗も攻め倦あぐんで策の施ほどこしやうも無かつたが、不斗ふと案じつきて反間苦肉はんかんくにくの羽檄うげきを飛ばして城内の人心を動揺せしめた。奇策は誤またず、城内俄かに浮足となり、定包眤近じつきんの幕僚までが不安となつて終に陰謀を企て、突然定包の帳中てうちうに切込んで首を擧げ、これを幣物へいもつとして開城して義實の軍門に降つた。逆徒の一味は此の如くして亡びて、義實は目出度く瀧田へ入城して安房半國の領主となつた。
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南総里見八犬伝(005)

南総里見八犬伝巻之二第四回
東都 曲亭主人 編次
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「白箸河しらはしがはに釣つりして義実よしざね義士ぎしにあふ」「里見よしさね」「堀内貞行」「杉倉氏元」\「金碗かなまり孝吉たかよし夜よる里人さとひとをあつむ」「金まり八郎」

小湊こみなとに義實義よしさねぎを聚あつむ
笆內かきのうちに孝吉讐たかよしあたを逐おふ。

 卻說義實主從かくてよしさねしゆうじゆうは、此こゝの池、彼川かしこのかはと、淵ふちをたづね、瀨せに立たちて、途みちより途みちに日を消くらせば、白濱しらはまの旅宿りよしゆくへかへらず、ゆき〳〵て長狹郡ながさのこふり、自箸河しらはしかはに涉獵あさるほどに、はや三日にぞなりにける。日數ひかずもけふを限りと思へば、こゝろ頻しきりに焦燥いらだつのみ、獲えものは殊ことにありながら、小鯽こふなに等しき鯉こひだにも、鈎はりにかゝるは絕たえてなし。千劒振神ちはやふるかみの代よに、彥火々出見尊ひこほほでみのみことこそ、失うせにし鈎はりを索もとめつゝ、海龍宮わたつみに遊び給ひけれ。又浦嶋うらしまの子は堅魚釣かつをつり、鯛釣たひつりかねて七日まで、家にも來こずてあさりけん、例ためしに今も引く絲の、紊みだれ苦しき主從は、思はずも面おもてをあはして、齊一嗟嘆ひとしくさたんしたりけり。
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