南総里見八犬伝(006)

南總里見八犬傳卷之三 第五回
東都 曲亭主人 編次
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「瀧田たきたの城しろ攻せめに貞行さだゆき等ら妻立つまたて戸五郎とごらうを追おふ」「金まり八郎」「里見よしさね」「堀内貞行」「妻立戸五郎」

良將策りやうせうはかりごとを退しりぞけて衆兵仁しゆへいじんを知しる
靈鴿書いへはとしよを傳つたへて逆賊頭ぎやくぞくかうべを贈おくる

 山下柵左衞門尉定包やましたさくざゑもんのぜうさだかねは、麻呂安西まろあんさいへ遺つかはしたる、その使者瀧田たきたへ立たちかへりて、「彼輩かのともがらは忽卒あからさまに、歸降きごうのよしをいはざれども、いたく怕害おそれて候ひし。遠からずしてもろともに、みづから詣來まうきて罪を勸解わび、麾下きかに屬しよくせんこと疑ひなし。その爲體ていたらくは箇樣々々かやう〳〵、如此々々しか〴〵に候ひき」、となきことまである如く、辭ことばを飾り、首尾精細しゆびつばらかに、飽あくまで媚こびて吿つげしかば、定包ます〳〵こゝろ傲おごり、夜よをもて日に續遊興つぐゆうきやうに、士卒しそつの怨うらみをかへりみず、或あるは玉梓たまつさと輦てくるまを共にして、後園おくにはの花に戲たはむれ、或あるは夥あまたの美女を聚あつめて、高樓たかどのに月を翫もてあそび、きのふは酒池しゆちに牛飮ぎういんし、けふは肉林にくりんに飽餐ほうさんす。一人いちにんかくの如くなれば、老黨ろうどうも又淫酒いんしゆに耽ふけりて、貪むさぼれども飽あくことなく、費ついやせども盡つくるをしらず。王莽わうまうが宇內くにのうちを制する日、祿山ろくさんが唐祚たうのまつりを傾かたむくるとき、天日私てんじつわたくしに照らすに似たれど、逆臣はながく命めいをうけず。定包が滅ほろびんこと、必かならず久しからじとて、こゝろあるは目を側そはだて、爪彈つまはぢきをするもの多かりけり。

 浩處かゝるところに、城外城中ぜうぐわいぜうちう悤劇ものさわがしく、「敵軍間まちかく寄よせたり」とて、罵のゝしること大かたならず。定包は後堂おくざしきに、酒宴さかもりしてゐたりしが、これを聞きゝて些すこしも騷さわがず、「そは何なにほどの事やはある。憖なまじいに虎とらの髯ひげを引く、安西麻呂等らにあらざりせば、民を劫おびやかして物を奪ふ、山賊等さんぞくらにぞあらんずらん。そが爲體ていたらくを見て來よ」とて、やがて斥候ものみを遺つかはしければ、且しばらくして立たちかへり、「敵は安西麻呂等にあらず、又山賊にも候はず。誰たかとはしらず千騎あまり、整々せい〳〵として稻麻とうまのごとく、陣列隊伍ぢんれつたいご法に稱かなひて、中軍ちうぐんには一トながれの、白旗しらはたを推立おしたてたるが、尋常よのつねの敵にはあらず。こゝを去ること二十餘町ちやう、人霎時馬しばしにんばの足を休やすめて、推蒐おしかけんず光景ありさま也。悔あなどりがたく候」、と吻いきつきあへず報知つげしかば、定包聞さだかねきゝて眉まゆを顰ひそめ、「白きは源家げんじの服色きぬのいろなり。安房上總あはかづさにして白旗しらはたを、用もちふるものありとはおぼえず。是これも又人を惑まどはす、敵の謀はかりごとにぞあらんずらん。そはとまれかくもあれ、敵はかならず長途ちやうどに疲勞つかれて、この曉に寄よせんとすらん。逸いつをもて勞ろうを擊うたば、勝かたずといふことあるべきやは。とく追ひ拂へ」、と令げぢを傳へて、岩熊鈍平いわくまどんへい、錆塚幾內さびつかいくないといふ、腹心ふくしんの老黨ろうだうに、五百の軍兵ぐんびやうを授さづけしかば、兩人欣然きんぜんと命めいを受うけ、遽いそがはしく衆兵しゆへいを率ひきいて、前門おもてもんより馬乘出のりいだし、勇いさみにいさみて馳去はせさりけり。

 さても岩熊錆塚は、萬夫無當ばんふぶたうの力士りきしにて、武藝ぶげいも衆ひとにましたるに、こゝろざま奸佞かんねいなれば、なす事每ことごとに定包が意に稱かなはずといふことなく、一二いちにの老黨と重用ちやうようせられて、よろづ傍若無人ぼうじやくぶじんなれども、人僉みな氣を屈のみ、恨うらみを隱して、下風かふうに屬つかざるものなかりき。かゝれば山下定包は、日來ひごろより、彼かの兩人を、憑たのもしく思ひつゝ、この日も討手うつての大將に、擇出えらみいだして遺つかはしたれば、「今はや寄手よせての奴原やつばらを、蹴散けちらさんこと疑ひなし。さのみ騷さわぐことかは」とて、只兵等たゞつわものらに四門しもんを護まもらせ、わが身は又奧に入りて、婢をんなばらを召よびつどへ、歌舞艷曲かぶえんきよくに興きやうを催もよほし、酒宴酣たけなはなりし比ころ、正廳おもてのかたさわがしく、「よからず〳〵」、と叫びしかば、定包は管絃いとたけの、手をとゞめさせ、耳を側そはだて、「異ことなるものゝ聲こはざまかな。男童をのわらはども見て來こよ」、といふに左右に侍りたる、兩個ふたりの小扈從こゞせうもろともに、立たちあがらん、とする程もあらせず、思ひがけなく庭門にはくちより、嚮さきに討手うつてに向むけられたる、軍兵等ぐんびやうら五六十人、數个所すかしよの深痍ふかでを負おふたりける、大將岩熊鈍平いわくまどんへいを、楯たてのうへに括くゝり乘のせ、舁かきつゝやがて孫廂まごひさしの、ほとりまで推參すいさんして、異口同音いくどうおんに「御注進ごちうしん、々々々」、と喚よばゝりつ、手負ておひを撲地はたと扛かきおろして、二帶ふたかはに立たちわかれ、阿容々々おめ〳〵として蹲踞かしこまる。仂武者はむしやなれども二个所にかしよ三个所さんかしよ、痍てを負おはざるもなかりしかば、玉梓たまつさは劇惑あはてまどひて、婢をんなばらに扶たすけられ、屏風びやうぶの背うしろに隱れけり。現縡げにことの爲體ていたらく、敗軍と見てしかば、定包は呆果あきれはてて、「これは什麼何事そもなにことぞ」、と問とはれて先にすゝみたる、老軍等頭ふるつわものらかうべを掻かき、「申上るも面おもぶせなる、大將の軍配ぐんばいに、躬方みかたの進退一致せず。敵は聞きゝしにいやませる、勇將なり猛卒まうそつなり、しかも大軍なりしかば、擊うてども射いれども物ともせず。一陣に進すゝめる猛將もうせう、鏁くさりの上に大荒目おほあらめの鎧よろひを重かさねて、長一丈ながさいちぢやうあまりなる、鎗やりりう〳〵とうち揮ふりつゝ、馬の平頸ひらくびに引添ひきそえて、眼まなこを睜みはり、大音楊だいおんあげ、『群賊天罰脫ぐんぞくてんばつまぬかれず、白刃頭はくじんかうべに臨むを曉さとらで、虎威こゐを犯すは愚おろかなり。しらずや里見義實朝臣さとみよしさねあそん、こゝに遊歷ゆうれきし給ひしを、州民推くにたみおして主君と仰ぎ、逆ぎやくを擊冤うちうらみに報むくふ、そが事の手はじめに、東條とうでふの城を降くだして、萎毛酷六しへたげこくろくを誅戮ちうりくし、更に瀧田の城を拔き、賊主定包ぞくしゆさだかねを誅ちうせんとて、孝吉たかよし先陣をうけ給はり、おん鄕導みちしるべつかまつれり。來きたれるこの隊ての賊將を、錆塚岩熊さびづかいはくまと見るは僻目ひがめ欤か。きのふまでは古主こしゆうに仕つかへて、共に神餘じんよの祿を給たうべし、金碗かなまり八郞を忘れはせじ。われは彼古主かのこしゆうの爲に、漢かんを佐たすけて秦楚しんそを討うちたる、張子房ちやうしばうが御注孤忠こちうに做ならひて、里見の君に扈從こせうしつ、義兵を勸すゝめ奉り、敢刃あへてやいばに衅ちぬらずして、一城を拔き、二郡を略し、既にその巢に近つきたり。非を悔くいて兜かぶとを脫ぬぎ、御方みかたに參るものは生いきん。憖なまじい防ぎ戰たゝかはば、天に向むかつて唾つばきはき、淵ふちに臨のぞみて水を打如うつごとく、勞して功なきのみならず、その咎とがその身に被かゝりなん。いで試こゝろみよ』、と喚よばゝりて、馬に拍かくいれ鎗閃やりひらめかして、縱橫無礙じゆうわうむげに擊靡うちなびけ、はや一陣を突崩つきくづして、大將錆塚と鎗を合あはし、人まぜもせず戰ひしが、孝吉大喝一聲たいかついつせいして、幾內いくないが鎗卷やりまきおとし、胸前望むなさかのぞみて丁ちやうと突つく。衝つかれて馬より摚だうと落おつれば、雜兵等走ざふひやうらはせよりて、押おさへて頸くびを取とつてげり。錆塚竟つひに擊うたれしかば、則すなはちこゝに侍はべるなる、岩熊鈍平大きに怒いかりて、四尺六寸の大刀拔翳たちぬきかざし、金碗を擊うたんとて、眞一文字まいちもんじに馳はせよすれば、二陣に進む里見の老黨ろうだう、掘內藏人貞行ほりうちくらんどさだゆきと名吿なのりつゝ、紺絲こんいとの甲よろひに、鍬形打くわかたうつたる冑かぶとの緖をを縮しめ、連錢芦毛れんぜんあしげの、く太逞たくましき馬にうち跨のりて、備前長刀びぜんなぎなたの鏢しのぎさがりに、菖蒲形せうぶかたなるを挾わきはさみ、『渠奴しやつをば吾㑪わなみに擊うたし給へ』、と金碗に會釋ゑしやくして、馬を躍おどらせ衝つと出いでて、鈍平を遮留さへぎりとゞめ、丁々ちやう〳〵はつしと戰ふたる、刀尖きつさきより火を散ちらし、一上一下手煉いちじよういちげしゆれんの大刀風たちかぜ、劣おとらず勝まさず見え候ひしが、何なにとかしけん岩熊は、馬の平頸ひらくび斬裂きりさかれ、主ぬしもろ共に轉輾ふしまろべば、貞行長刀なぎなたとり延のべて、內うち兜かぶとを磤はたと突つく。あはや鈍平、擊うたれぬベく見えたる處ところを、某等それがしら肩に引被ひきかけ、辛からうじて逃走にげはしれば、敵の大將里見義實、三才駒さんさいこまに雲珠鞍置うずくらおかして、華はなやかに鎧よろふたる、威風凛然四下いふうりんぜんあたりを拂はらふて、馬上ばせうゆたけく麾ざいうち揮ふり、『かゝれ〳〵』、と令げぢに從ふ、勢潮いきほひうしほの涌わくごとく、咄どつと唬おめいて攻せめ立たつれは、躬方みかたはます〳〵辟易へきゑきして、兜かぶとを脫ぬぎ、弓を伏ふせ、大おほかたならず降參こうさんして、卻かへつてこなたを射る程に、纔はつかに殘る六十餘騎、深痍淺痍ふかてあさてを負おはぬもなく、やうやく必死を脫まぬかれて、逃にげかへり候」、と吿つぐれば鈍平面おもなげに、ものいはんとはしつれども、小鬂こびんの外はづれを劈つんざかれ、背そびらを馬に敷しかれしかば、頭かうベだも擡得もたげえず、日影ひかげまつ間まの冬の蜂はち、痛手いたでにさすがはり橈たゆみ、かよふは蚘むしの息ばかり、物の益やくには立たゝざりけり。

 定包さだかねは聞きゝあへず、眉まゆうち顰ひそめ、大息おほいきつき、「里見は結城ゆふきの方人かたうど也。彼城沒落かのしろもつらくしつるとき、擊うたれにけり、と聞きゝたるに、この處へ漂泊ひやうはくして、大軍を起おこせし事、とにもかくにもこゝろ得がたし。實に東條落城して、酷六擊こくろくうたれたらんには、城兵ぜうひやうこゝへかへり參りて、吿つげずといふことあるべからず。又彼金碗孝吉かのかなまりたかよしは、神餘譜代じんよふだい近臣なれども、逐電ちくてんしたる癖者くせもの也。身の措おくところなきまゝに、潛しのびかへりて彼此をちこちなる、愚民ぐみんを惑まどはし、野武士を集め、さま〳〵なる流言りうげんして、英氣ゑいきを折くぢく詭いつはりの計はかりごとにぞあらんずらん。しからば寄隊よせての摠大將さうたいせうは、眞まことの里見によもあらじ。とは思へども豫よが爲に、腹心股肱ふくしんこゝうの勇臣たる、畿內いくないは墓はかなく擊うたれ、鈍平深痍ふかてを負おひし事、時運じうんによるとはいひながら、侮りがたき敵にぞある。いよゝ四門しもんを堅かたく守らせ、東條へ人を走らして、そが消息せうそこを問とはせんには、虛實きよじつはやがてしるべき也」、といふ言葉いまだ訖をはらず、小扈從等ここせうら走り來て、東條の落武者等おちむしやら、逃にげかへりたるよしを吿つぐれば、定包聞きゝて「是これも亦また、虛說きよせつにはあらざりけり。われその縡ことの趣おもむきを、みづから聞きかんず。物どもを、庭門にはくちより參らせよ。とく〳〵」、といそがし立たつれば、こゝろ得果えはてて走去はせさりけり。

 且しばらくして東條なる、酷六に從ふて、落おちつゝ辛からく脫まぬかれたる、雜兵等ざふひやうら三四人ン、十王頭じうわうかしらの肱當臑當こてすねあて、腹卷ばかりいかめしけれど、餓鬼がきのごとく疲勞果つかれはてて、膝ひざに手を掛け引く足の、一步は高く、一步は低ひきく、庭門にはくちよりよろめき入るを、定包近く召よびよせて、「やをれ物ども、東條を攻せめられなば、落城せざる先にこそ、注進ちうしんは得えせずして、敵はやこなたへ寄せたる後のちに、阿容々々おめ〳〵として參ること、六日の菖蒲あやめ、十日の菊、その詮絕せんたえてあるべきやは。かへす〴〵も越度をちどなれ」、と睨著にらまへつくれば、おそる〳〵、四人齊一よたりひとしくまうすやう、「怒らせ給ふをなか〳〵に、理わりなしとは思ひ奉らねど、縡只呼吸ことたゞこきうの間あはひに起りて、落城して候へば、吿つげ奉たてまつる隙ひま候はず。その故ゆゑは如此々々しか〴〵なり。箇樣々々かやう〳〵に候」、と小湊こみなとなる村民等むらおさらが、金碗かなまり八郞を縛來いましめきて、深夜よぶかに城戶きどを開ひらかせたる、計策はかりことの爲體ていたらく、透すきもあらせず敵の大軍、どよ〳〵と迫こみい入りて、矢庭やにはに城を落おとせし事、萎毛酷六しへたげこくろくは妻子やからを將いて、笆かきの內うちより落ゆく處を、金碗八郞に追蒐おひかけられて、妻子やからは谷へ滾落まろびおち、皮骨ひこつ碎けて死せし事、萎毛は金碗に、擊うたれたる縡ことの趣おもむき、委細つばらかにに演訖のべおはり、「某等それがしらこの事を、片時へんじもはやく吿つげ奉らん、と思はざるに候はねど、城兵過半降參ぜうひやうくわはんこうさんして、敵はます〳〵勢付せいつきぬ。街道かいどうを走るときは、追擊おひうたれんこと疑ひなし、と思へば徑こみちに遶めぐり入いり、山越やまこえをして候へば、敵より後のちに來つるとて、おん咎とがめを蒙かうむること、是非ぜひに及ず候」、と勸解わぶれば定包さだかね齒を切くひしばり、「原來さては金碗八郞が、結城ゆふきの落人おちうどを引入れて、縡ことみな彼奴かやつが計りし也。いでやみづから馬乘出して、まづ金碗奴めを生拘いけどらずは、熱たゝしき腸はらを冷いるよしあらんや。とく出陣の准備ようゐをせよ」、と跳楊おどりあがつて敦圉いきまけば、老軍等ふるつはものらは「よしなや」、と呟つぶやきあへず東條の落武者おちむしやに目を注くはして、痍負ておい岩熊鈍平いはくまどんへいを擡起もたげおこし、僉みなもろ共に退出まかでしを、定包はなほしらずして、勢猛いきほひたけく罵のゝしりつゝ、と見れば四邊あたりに人をらず、いふがひなければ、つく〳〵、と思ひかへせば「愸なまじいに、擊うつて出いでんは究きわめて危あやうし。要えうこそあれ」、とひとり點頭うなつき、老黨近習ろうだうきんじゆを召よびよして、籠城ろうぜうの准備是彼ようゐこれかれと、おちもなく說示ときしめし、「義實大軍なりといふとも、原是もとこれ烏合うがふの集あつまりり勢ぜい。けふより十日を俟またずして、兵粮竭ひやうろうつきて退しりぞきなん。そのとき急に追擊おいうたば、金碗等はいふもさらなり、大將義實を擒とりこにせんこと、袋の物を取るより易やすけん。しかはあれど、麻呂安西等、義實に一致して、もろ共ともに寄よせ來きたらば、こはゆゝしき大事だいじなり。顧おもふに麻呂小五郞まろのこゞろうは、匹夫ひつふの勇士謀はかるに足らず。こゝろ憎きは安西のみ。思慮あるよしを豫かねて聞きけり。さりともわれ今利をもて誘引いざなひ、箇樣々々かやう〳〵にこしらへて、東條をとり復かへさば、義實一旦逃走いつたんにげはしるとも、何處へか還かへるべき。進退そこに究きわまりて、雜人們ざうにんばらが手にこそ死しなめ。敵この處へよせざる間はしに、件くだんの使者を出いだし遺やりなん。誰か今豫が爲に、館山平館たてやまひらたてへ使つかひすべき」、と思ひ入いりて問とひしかば、妻立戶五郞つまたでとごろうと呼よばるゝもの、聲に應じて進み出いで、「願ふは某それがしうけ給はらん」、といへは定包大きに歡よろこび、「汝なんぢは畿內いくない純平等に劣おとらず、豫がこゝろをしれるもの也。ゆかんと乞ふを許さゞらんや。館山平館へはせ行ゆきて、景連等かげつららにいふべきは、『定包古主さだかねこしゆうの遺蹟いせきを收おさめて、新あらたに二郡を領れうせしに、結城の落人おちうど里見義實、當國へ漂泊して、愚民ぐみんを惑まどはし、野武者のぶしを集め、不意に起おこつて東條の城を乘取のつとり、勢ひに乘まかしつゝ、既に瀧田へ推おしよせたり。兎烹うさぎにられて弧患きつねうれふ。これその禍わざはひ遠からず、等類に及べばなり。定包不肖ふせうに候ヘども、正まさしく神餘じんよの遣領いれうを受うくれば、舊好きうこうはその家にあり。兩君いかでか鄰郡りんぐんの兵役ひやうやくを救すくはずして、共に弊ついえを受うけ給はんや。速すみやかに出陣して、東條を攻せめおとし、敵の後うしろを襲ひ給はゞ、義實三面六臂さんめんりつひなりとも、三方に敵を受うけて、防戰かなふべうもあらず、鏖みなころしにせられん事、絕たえて疑ひなきもの也。義實輒たやすく誅伏ちうぶくせば、是これ兩君の賜たまものなり。定包は平郡へぐり一郡、瀧田一城にて事足ことたりなん。誰たれにもましませ東條を、攻せめおとし給ふ人に、長狹郡ながさこふりを進まゐらせん』、と叮嚀ねんごろに演のべよかし」、といへば戶五郞面おもてを瞻みあげ、「御諚ごでふでは候へども、よしや里見は滅ぶとも、長狹郡ながさこふりを人に取らせて、みづから所領を削けづり給はゞ、外よその援たすけを憑たのむもよしなし。賢慮けんりよをめぐらし給はずは、御後悔ごこうくわいもや候はん」、と老黨ろうだうもろ共諫ともいさむれば、定包聞きゝあへずうち微笑ほゝえみ、「汝等なんぢらもしか思ふ欤か。こは豫が計略はかりごとになん。鷸蚌持いつぽうぢして漁者ぎよしやに獲えらる。長狹一都を餌ゑばにして、安西麻呂等に東條をとり復かへさせ、更に里見をうち滅ほろぼさば、景連信時利に迷まよひて、確執くわくしつに及ぶべし。件くだんの兩將彼地かのちを爭ひ、合戰しば〳〵なるときは、一方は傷きずつけられ、一方は必擊かならずうたれん。われは則すなはちその虛きよに乘りて、安房あは朝夷あさひなの二郡を取らん。當國こゝに平均し、居ゐながらにして四郡を握にぎらば、愉こゝろよきことならずや」、と誇㒵ほこりがに說喩ときさとせば、戶五郞只管感佩ひたすらかんはいして、定包が書簡しよかんを乞こひとり、身輕みかろく鎧よろふて駿馬しゆんめに鞭むちうち、館山を投さして馳去はせさりけり。

 さる程に里見の大軍、詰旦未明あけのあさまだきより、瀧田たきたの城をとり卷まきて、息も吻つかせず攻せむれども、要害えうがい固もとより堅固けんごなる、神餘數代すだいの名城なれば、一朝いつちやうにして落おつべうもあらず。晝夜ちうやをわかず攻せむること、既に三日に及べども、城兵ぜうひやうは擊うつて出いでず、寄手よせてもさすがに疲勞つかれしかば、只遠攻たゞとほせめにぞしたりける。浩處かゝるところに武者一騎、暮くれかゝる日ともろともに、西の城戶きどより入いらんとて、構端ほりばたさして馬をよすれば、堀內貞行佶きつと見て、「渠奴しやつは必定ひつぢやう城より出いでて、麻呂安西に援たすけを乞ひ、今立たちかへるとおぼえたり。彼生拘あれいけどれ」、と喚よばゝれば、早雄はやりをの若武者等わかむしやら、「うけ給はる」。と應いらへあへず、犇々ひしひしと追蒐おつかけたり。城中よりもこれを見て、「妻立つまたでを擊うたすな」とて、西城戶にしのきどを推開おしひらけば、戶五郞は衝つと馬を入れて、そが侭まゝ橋を引ひきしかば、寄手よせては狩場かりばの偸立鳥ぬきたちとりを、追失おひうしなひしこゝちしつ、つけ入いる事もかなはねば、いたく焦燥いらちてひらおしに、攻破せめやぶらんと鬩ひしめけば、義實これを召よびかへさせて、貞行等に宣のたまふやう、「怒いかりに乘まかして事をなせば、後悔せずといふことなし。件くだんの武者むしやを生拘いけとりて、緣由ことのよしを鞠問きくもんし、さてそが首かうべを刎はねたりとも、安西麻呂等相譚かたらはれて、わが後うしろを襲おそはんには、城はいよ〳〵落おつべからず。諸方しよはうの攻口合期せめくちがつこして、後うしろに備そなへ、前を擊うち、常山長蛇じやうさんちやうじやの勢いきほひを、張るには絕たえてますことあらじ」、と叮嚀ねんごろに說諭ときさとし、「麻呂安西等を禦ふせげ」とて、軈やがて五百の軍兵ぐんひやうを引ひきわけて、掘內貞行を後陣ごぢんに備そなへさせ、更に東條へ人を遺つかはして、杉倉氏元すぎくらうぢもとに云云しかしかのよしを吿つげ、「籠城由斷ろうぜうゆだんすべからず」とて、よくそのこゝろを得させ給ひつ、金碗孝吉もろともに、義實みづから墎しろを遮めぐりて、短兵急たんへいきうに攻せめ給ふ。かゝりし程に定包さだかねは、妻立戶五郞つまたてとごらうが恙つゝがなく還かへれるよしを聞きゝしかば、遽いそがはしく召入よびいれて、その消息せうそこを尋たづぬれば、戶五郞流るゝ汗推拭おしぬぐひ、「さン候景連信時、一議に及ばず、領諾れうだくして候ひき。又彼かの里見主從しゆうじゆうは、そのはじめ館山なる、安西に身を寄よせたりしを、大かたならず威おどされて、逃吠にげぼえしたる白徒しれもの也。いかにして日ならずも、大軍を起しけん、こゝろ得かたき事也とて、景連も信時も、媢ねたしと思ひ候へば、東條を改せめんこと、疑ひなく候」、と報知つぐれば定包ます〳〵歡よろこび、戶五郞を勞ねぎらひて、物夥被あまたかつげさせ、「ます〳〵寄手よせてを禦ふせげ」とて、をさ〳〵館山平館より、援來たすけきつるを俟まちてをり。

 かくて日來經ひごろふる隨まゝに、寄手よせては既に兵粮竭ひやうろうつきて、三日の貯祿たくはへなくなりしかば、貞行孝吉これを患うれひて、義實にまうすやう、「既に出陣まし〳〵て、七八日を經へたれ共、いまだ東條より兵粮をまゐらせず。思ふに杉倉氏元は、老功の兵つわものなれども、彼處かしこも新あらたに獲えたる城也。民催促たみさいそくに從はで、物とゝのはずや候はん。時は今麥秋むぎあきにて、彼臠あれみそなはせ、遠山畑とほやまはたなる、麥はや熟じゆくして候かし。刈かりとらせ候ばや」、といへば義實頭かうべを揮ふり、「否いなわが瀧田を攻せむる事は、民の塗炭とたんを救すくはん爲也。然さるを今その農のうを奪ひ、その生麥なまむぎを掠かすめとりて、兵粮となすときは、人を食くらふて身を肥こやす、虎狼とらおほかみに等しからずや。加以長狹これのみならずながさの農民、催促に從はで、彼處かしこに兵粮ひやうろうとゝのはずは、是これわが德の至らぬところ、速すみやかに退陣たいぢんして、德を脩おさめ民を撫なで、時を待まちて瀧田を攻せめん。さはあらずや」、と宣のたまへば、貞行霎時頭しばしかうべを傾かたふけ、「仁心じんしんふかくましませば、おん身を責せめてかくまでに、民を憐あはれみ給ふこそ、よに有ありかたき事に候へ。さはれ今このまゝに、こゝを退しりぞき給はんには、かならず城より擊うつて出いで、難義なんぎに及び候はん。今宵篝火こよひかゞりひの數かずをまして、はや攻せめかゝるごとく思はせ、眞夜中過すぎて後陣ごぢんより、軍兵ぐんびやうを退しりぞかせ、樹立隙こたちひまなき處々ところ〴〵に、伏兵ふせゞいを殘し置おき、君中軍きみちうぐんにをはしまし、某それがし殿しんがりつかまつらば、縱たとひ城より追携おひすがりて、啖留くひとめんとすればとて、なでふ事欤か候べき」、といふを孝吉聞たかよしきゝあへず、「杉倉氏うぢの計策はかりごと、可ならざるにあらざれども、さでは只たゞ身を衞まもり、敵を禦ふせぐの外ほかなきのみ。もし愚按ぐあんによるときは、三四百の壯士等ますらをらに、計略はかりこと說授ときさづけ、麻呂安西等が籏はたをもたし、或あるは指物笠印さしものかさしるしまで、皆その模樣もやうに打扮いでたゝして、黃昏過たそがれすぐる比及ころおひに、我本陣わがほんぢんの西北いぬゐを過よぎりて、城に入いらまくするときに、こなたより犇々ひしひしと、遮留さへぎりとゞめて追ひつかへしつ、同士擊どしうちをしたらんには、城中よりこれを見て、『すは館山平館より、援たすけの兵來つわものきたれるぞ。彼擊あれうたすな』、と城戶椎おしひらきて、かの援兵ゑんへいに力を勠あはし、城へ入れんとせでやは止やまん。そのとき件くだんの軍兵ぐんひやうを、先に立たゝして我三軍わがさんぐん、思ひの隨まゝにつけ入られば、一擧いつきよして城を落さん。斯かうではいかゞ候べき」、といと正首まめやかに謀はかりまうせば、義實つく〴〵とうち聞きゝて、「貞行が策はかりことは、危あやうからざれども我われに益ゑきなく、孝吉が策はかりことは、巧たくみなれども、甚危はなはだあやうし。おもふにいにしへの聖王賢將せいわうけんせう、仁義じんぎの軍いくさを起おこすものから、詭いつはりをもて捷かつことをはからず。唐山晉もろこししんの文公ぶんこうは、詭計たばかりを用もちひずして、五伯ごはの一いちと稱せられ、よく周室しうしつを佐たすけたり。孫吳そんごが兵法へいはう、詭道いつはりのみちを旨むねとす。こは戰國の習俗ならひ也。策はかりことよしといふとも、詭いつはりをもて敵を滅ほろぼし、その土地をたもつときは、何なにをもて民を敎をしえん。汝達なんたちの策はかりこと、從ひかたきはこの故ゆゑなり。定包富饒ふにようの地を有たもち、要害えうがいの城に籠こもり、且かつ三年の糧かてありとも、防禦ぼうぎよの術尋常てだてよのつねなれば、落しがたしといふにしもあらねど、一時いちじに城を乘取のりとらば、罪なき民を多く殺さん。曩さきにしば〳〵いひつるごとく、定包に從ふもの、皆兇惡けうあくの人のみならんや。權に壓おされ、威におそれ、一旦いつたん城に籠るとも、その樂たのしみを共にせず、竟つひに憂うれひを共にして、命を其處そこに隕おとしなば、いと痛いたましき事になん。秦しんの降卒ごうそつ八萬人ンを坑あなにせし、項羽こううが兇暴けうばういへばさら也、秦の蒙恬もうてん、漢の霍光くわくくわうがごとき、智勇の將は竟つひに後のちなし。人を殺すの多き故ゆゑ也。願ふ所は定包さだかねのみ、只渠一人たゞかれひとりを誅ちうせば足りなん。この餘のうへは謨はかるに堪たへず」、と叮嚀ねんころに說諭ときさとし給へば、貞行も孝吉も、只たゞ「噫あ」とばかり感伏かんふくして、又いふよしもなかりけり。

 しばらくして件くだんの兩人、思はずも嘆息たんそくし、「賢慮凡智けんりよぼんちの外ほかに出いでて、昔の聖王賢將せいわうけんせうも、このうへや候べき。しかはあれど、時既ときすでに澆季ぎやうきに及びて、利に聚つどふもの甚衆はなはだおほく、德によるもの究きわめて寡すくなし。君が兼愛けんあい淺からで、敵城てきぜうに籠こもれる民まで、助たすけまほしく思召おぼしめせども、勢ひ兩ふたつながら全まつたからず。兵粮ひやうろう既に竭つきながら、詭いつはりの計はかりこともて、城を乘取のりとることを要えうせず、又詭計たばかりて、退しりぞくことを肯うけがひ給はず、徒いたづらに日を送り給はゞ、凡躬方およそみかたの千餘人、饑渴きかつに得堪えたへず、離はなれ叛そむかん。さるときは又誰だれと共に、大事だいじを興おこし給ふべき。宋襄そうじやうの仁じん、徵生びせいが信まことは、日來ひごろ笑わらはせ給ふならずや。猶且なほかつ賢慮をめぐらし給はゞ、しかるべからん」、とまうすにぞ、義實莞尒につことうち笑えみて、「兵粮乏しくなりぬるよしは、豫も又これを患うれひざらんや。物を思へば空のみ欤か、彼此をちこちとなく瞻望ながむれば、東南たつみのかたなる豆畑まめはたに、鴿夥求食いへはとあまたあさるあり。彼何處かれいづこより聚つどふと見れば、瀧田の城より旦あしたに來て、夕ゆふべになれば還かへるかし。鳩はとは源家げんけの氏うぢの神、八幡宮はちまんぐうの使者とぞいふなる。これによりて不意ゆくりなく、些ちとの術てだてを獲えたりしかば、則すなはち神に祈りつゝ、壯佼わかうどどもにこゝろ得さして、竊ひそかに羅あみして件くだんの鳩、五六十を捕とらへたり。かくて數通すつうの檄文げきぶんを書寫かきしたゝめ、件くだんの鳩の足に結びて、放さばかならず城へ還らん。さるときは人怪あやしみて、鳩をとらへてその書を見つべし。よしや捕とらふることなく共、結目解むすびめとけて落おつるもあらん。城中にあるとあるもの、この檄文を披閱ひらきみて、逆ぎやくを去さり、順じゆんに歸きす、こゝろ起おこらば變へんを生じて、城は攻せめずも必かならず破れん。縡こともし成らば國の仇あた、賊主ぞくしゆ定包をのみ誅ちうして、民の望のぞみを果すべし。城兵豫ぜうひやうかねて定包に、從ふこゝろなきものも、こなたへ參らばなか〳〵に、誅ちうせられん、と怪あやぶみて、仇あたの爲に城を守る欤か、是これも又不便ふびんなり。誠まことに小兒しようにの智ちにひとしく、果敢はかなき謀はかりことに似たれども、曩さきに此方こなたへ寄よするとき、待崎まつさきのほとりなる、白籏しらはたの神に祈れば、山やま鳩はとの祥瑞せうずいあり。今又こゝに鴿いへはとの祐たすけあらばと祈るのみ。成なるならざるは神にまかして、如此しかして見よ」、と仰おふすれば、貞行孝吉ます〳〵甘かんじて、「微妙謀いみじくはからせ給ひにけり。今定包が罪を數へて、城中へ示さんには、これにますべき術てだてはなし。軍民ぐんみん一トたびその書を閱けみせば、憤發ふんはつして亂を生じ、賊首ぞくしゆの頭かうべを獻たてまつらん。速すみやかに行ひ給へ」、と辭齊一應ことばひとしくいらへまうしつ、金碗孝吉奉うけたまはりて、草案したかきを綴つゞる程に、はしり書かきする士卒を聚合つどへて、數す十通つうを寫させ給ふに、立地たちところに寫し畢をはりしかば、その日はいまだ暮くれざりけり。かくて義實主從しゆう〴〵は、香かふを燒たき、神酒みきを沃そゝぎて、白籏しらはたの祠やしろを遙拜ようはいし、豫かねて捕とらへおかせ給ひし、數す十羽はの鳩はとの足に、彼檄文かのげきぶんを結著むすびつけて、そがまゝに放はなち給へば、案に違たがはず翩々ひら〳〵と、飛揚とびあがりつゝうちつれ立たちて、みな城中へかへりけり。堅かたくも結ばぬ狀でふなれば、鳩は城中へ入るとやがて、おのづから結目むすびめのとけざるはなかりしに、殊更ことさら不思議なりけるは、此度軍役こだみぐんやくに驅入かりいれられし、平郡へぐりの莊客們ひやくせうばらが小屋のほとりへ、處ところも違たがへず落おとせしかば、「こは什麼何そもなにぞ」と疑惑うたがひまどひて、衆皆みなみな手に〳〵拾ひらひとりて、遽いそがわしく押開おしひらけば、

流水不附干高りうすいはたかきにつかず。良民不從乎逆りやうみんはぎやくにしたがはず。若夫佐桀討堯もしそれけつをたすけてけうをうてば。猶水而附高也なほみづにしてたかきにつくがごとし。謂之悖於天これをてんにもとるといふ。雖欲久ひさしからんとほつすといへども。勢不可得いきほひうべからず。抑賊主定包者そもそもぞくしゆさだかねは。奸詐以仆主かんそもってしゆうをたふし。蠹毒以虐民とゞくもつてたみをしへたぐ。雖云王莽祿山わうもうろくさんといふといへども。又何加焉またなんぞくはえん。恭以吾主源朝臣うやうやしくおもんみればわがしゆみなもとのあそん。南渡日なんとのひ。未幾いまだいくばくもあらず。見推干衆而討逆しゆうにおされてぎやくをうち。拔民於塗炭中たみをとたんのうちにぬく。德如成湯とくせいとうのごとく。澤似周武たくしうぶににたり。於是乎こゝにおいてか。取東條とうでふをとり。略二郡にぐんをりやくし。將破其巢也まさにそのすをやぶらんとす。可憐汝衆人あはれむべしなんぢしゆうじん。隕命於賊巢めいをぞくさうにおとさんことを。因以喩示干此よつてもつてこゝにゆじす。奚不速歸順なんぞすみやかにじゆんにきせざる。奚不功以償罪なんぞこうもつてつみをあがなはざる。區々取惑くくとしてまどひをとらば。雖悔曁焉哉くゆといへどもおよばんや。天鑒不誤てんかんあやまたず。王事無盬わうじもろいことなし。恭奉臺命以喩示うやうやしくたいめいをうけたまはつてもつてゆじす
嘉吉元年辛酉夏五月かきつぐわんわんかのとのとりのなつさつき     金碗八郞孝吉等かなまりはちらうたかよしら 奉うけたまはる。

 とぞ書かいたりける。軍民等これを見て、僉歡みなよろこびていへりけるは、「彼御曹司かのおんざうしは仁君なり。曾刃かつてやいばに釁ちぬらずして、東條とうでふの城を落し、今又こゝに吾們われわれを、憐あはれみ給ふことかくの如し。御名みなをば聞きゝつ、慕したはしく、思ひ奉らざるにあらねども、うたてや城に駈入かりいれられて、十重廿重とへはたへに圍かこまれては、參るべきよしもなく、塀へいを踰こえ、城溝ほりを越こえ、彼處かしこへ參り得たりとも、今さら赦ゆるさせ給はじ、と思ひし故ゆゑに默止もだしたり。所詮寄手しよせんよせてに內應ないつうせんとて、隙ひまを窺うかゞひ日を過すぐさば、縡竟ことつひに發覺あらはれて、彼處かしこへは得參えまゐらず、鏖みなころしにせられなん。速すみやかに思ひ起して、本城ほんぜうへ火を放はなち、煙けふりを揚あげて寄手よせてを誘引いざなひ、縡ことの紛まぎれに亂れ入いりて、人啖馬ひとくひうまを擊殺うちころし、そが素頭すかうべを見參げんざんの牽出物ひきでものに進まゐらせなば、一ッには年來としころの冤うらみを其處そこに返すべく、一ッには里見の君の御感ぎよかんも八やしほにまさせ給はん。さは」とて竊ひそかに聚合つどひつゝ、衆議しゆぎはや一決いつけつする物から、或あるひは又阽あやぶみて、「第一の出頭人きりものなる、錆塚幾內さびつかいくないは討死うちしにしたれど、彼岩熊鈍平かのいはくまごんへいは、手痍てきず、大かた平愈へいゆして、二の城戶きどを護まもるなる。先君(神餘光弘じんよみつひろ)さかりなりしとき、渠かれは馬奴うまかひなるものなれども、こゝろ悍たけく、膂力ちから强かり。定包さだかね二郡を押領おふれうせし後のち、漸々しだい〳〵に重用ちやうようせられて、民の膏あぶらを絞しぼりとる、奸智かんちは主しゆうに異ことならず。又彼妻立戶五郞かのつまたてとごらうは、摠角あげまきの比ころよりして、定包に使つかはれて、隨一の近習きんじゆたり。武術才藝さいげい人に勝すぐれて、今なほ主しゆうのほとりを去らず。まづこの二人ふたりを擊うちとらずは、本城に亂れ入るとも、彼等は固もとよりその黨多かり。忽地遮留たちまちさへきりとゞめられて、ほゐ遂とげかたき事ありなん。この議はいかに」、と密語さゝやけば、皆「有理もつとも」、と應いらへつゝ、「さらば件くだんの兩人を擊うちとめて、その翼たすけを除のぞき去さり、思ひの隨まゝなる働きせよ」とて、その部てわけをぞしたりける。

 その次の日妻立戶五郞は、彼檄文かのげきぶんを拾ひらひとりて、讀よみも訖をはらずうち驚き、悤忙あはてふためき二の城戶きどなる、岩熊鈍平が本處ほんしよへ赴おももき、「箇樣々々かやう〳〵の事こそあれ。速すみやかに聞えあげて、莊客們ひやくせうばらを搦捕からめとり、その禍わざはひを未發みはつに避さけずは、ゆゝしき大事に及ぶベし。これ見給へ」、と懷ふところより、一通をとり出いだし、推おしひらきて閣さしおけば、鈍平はよくも見ず、「われも亦またこれとおなじき檄文を拾ひらひ得えて、驚き思ふ所也。迺すなはちこゝに」、と、とう出でつゝ、合あはして見るにその文言もんごん、一點違つゆたがふことなかりしかば、戶五郞思はず大息おほいきつき、「寄手よせての間諜事成かんてふことなりて、躬方みかたに野心やしんのものあらば、この城ながく保たもちがたし。こは忽ゆるかせにすべうもあらず。誘いざ給へ、もろ共に、吿つげ奉らん」、といひあへず、立たゝんとする袂たもとを引ひきとめ、「妻立生且うぢしばらく俟まちね、こゝろ得えさする事あり」、と理わりなく禁とゞめて、傍かたへに推居おしすえ、四下あたりを見るに人はなけれど、喙ついばむ小鳥に異ならず、しば〳〵左右を見かへりて、扇あふぎを口に推當おしあてて、耳邊みゝのほとりに頤おとがひさし著つけ、「われこの密書を得たりしより、彼此をちこちにこゝろを著つくるに、只管寄手ひたすらよせてを渴望かつぼうし、この城を獻たてまつらん、と思はざるものは只たゞ、斯かういふわれと和殿わどののみ。さるにより、われと和殿を擊うちとりて、衆人もろびと事を起さんとて、衆議しゆぎはや一決いつけつしたりとぞ、嚮さきにある人密語さゝやきぬ。大厦たいかの覆くつがへらんとするときに、一木いちぼくいかでかこれを拄さゝへん。憖なまじいに義を立たてて、雜人ざふにんばらの手に死なば、いと朽くちをしき事ならずや。速すみやかに思ひ決さだめて、定包さだかねを刺殺さしころし、城中ぜうちうの民もろ共に、里見ぬしに降參せば、衆人もろひとの怨うらみを釋ときて、死を脫まぬかるゝのみならず、勸賞けんせう思ひのまゝにして、榮さかえを子孫に傳つたへなん。和殿わどのの胸中きやうちういかにぞや」、と問とはれて戶五郞呆果あきれはて、「こは何事なにごとぞ物にや狂くるふ。和殿が神餘じんよに任つかへしときは、僅はつかに馬の口取くちとりなりしを、吾君わがきみおもく用ひ給ひて、光弘みつひろぬしの老黨ろうだうたりし、錆塚萎毛さびつかしへだげもろ共に、大事だいじを任まかし給ふならずや。吾儕わなみは國主こくしゆ(定包)の私卒わかたうたり。神餘が老黨ろうだうでをはせしときより、不便ふびんのものにせさせ給ひき。恩を擔になふて恩をおもはず、これに報ふに仇あだをもてせば、何なにによりてか人といはれん。命を惜をしむは勇もなく、主しゆうに叛そむかば大逆だいぎやくなり。今一言いちごんかへして見よ、その席を去さらせじ」、と敦圉いきまきながら小膝突立こひざつきたて、刀かたなの鞆つかに手をかくれば、些ちつとも騷さわがず冷笑あざわらひ、「忠義も主しゆうによるものぞ。嗚呼をこなることをいふものかな。今定包を誅ちうするは、故主こしゆうの仇あたを報ふ也。そを弑逆しいぎやくといふべからず。しらずや定包ふかく謀はかりで、豫かねて己おのれを恨むといふ、朴平ぼくへい、无垢三等むくざうらが手を借かりて、主君を擊うたせし縡ことの趣おもむき、口外するは今はじめて。しかもその日は朝曇あさぐもり、夏なほ寒き落羽おちばが岡おか、鷹たかに追おはるゝ鳥ならで、光弘の乘のり給ひし、鶬毛ひばりげの馬斃たふれしとき、定包はわが白馬しろうまを、軈やがて主君に獻たてまつり、おん乘替のりかえを俟またんとて、その身は其處そこより引ひきさがりき。斯かくてぞ朴平無垢三は、彼白馬かのしろうまを遙はるかに視みて、定包來つ、と思ひしかば、矢比やころ近くなるまゝに、よつ引𢐕ひきひやうと發はなつ箭やに、光弘朝臣あそんは胸を射さして、馬より摚だうと落給ふ。その前さきの日に定包は、吾儕わなみを竊ひそかに招きよせ、『如此々々しか〳〵の密謀みつぼうあり。汝なんぢわれに荷擔かたらはれて、翌狩倉あすかりくらの朝立あさたちに、國主こくしゆの乘馬じやうめに毒を餌かへ。事成るときは重く用ひん。こは只當座たゞたうざの賞錢ほうび』とて、物夥ものあまたとらせたり。よにあるまじき事と思へど、彼は老臣、われは奴隸しもべ、勢ひ敵てきすべうもあらず。否いなといはゞ殺されなん。命に換かゆるものなし、と一議に及およばず承引うけひきて、その日馬をば斃たふしたり。かゝれば二郡兩城は、われ定包にとらせし也。この德この誼ぎに報むくはんとて、今老黨ろうだうの後しりにをらせ、よしや大事を任まかするとも、絕たえて恩とはいふべからず。これらの事をしるものは、萎毛錆塚しへたげさびづか兩人なれ共、渠等かれらは泉下せんかの人とぞなりぬ。今では和殿わどののみなるべし。加旃しかのみならず妻立生うぢ、和殿は月ごろ日來ひころより、夫人おくかたに懸想けさうして、曁およばぬ戀に物を思ふ、とわれ豫かねてより猜すいしたり。しからばはやく思ひかへして、人啖馬ひとくひうまを擊うつときは、賞にかえても玉梓たまつさを、妻にせんこと易やすかりなん。かくても吾儕わなみに與くみせずや」、と飽あくまで說とかれて戶五郞は、動く心ともろ共に、叉こまぬきたる手を釋ときて、忽地小膝たちまちこひざを礑はたと鼓うち、「いはるゝ所寔まことにしか也。逆賊に從ひし、身の汚穢けがれを洗あらはんには、小理せうりを捐すてて大義たいぎを伸のぶる、和殿の議にこそ從ふべけれ。速すみやかにし給へ」、と大かたならず諾うけひしかば、鈍平大きに歡よろこびて、「しからばとせん」、「斯かうせん」とて、迭かたみに耳をとりかはし、遽いそがはしげに相譚かたらひけり。

 このとき山下定包やましたさだかねは、宿酒しゆくしゆいまだ醒さめずとて、後堂おくざしきを出いでざれ共、女めの童わらはのみ左右に果はべらせ、翠簾みすを半捲揚なかばまきあげたる、もたれ柱はしらに身を倚よせて、慰なぐさめかねし徒然つれつれに、尺八さくはちの笛吹ふえふきすさみ、更に餘念はなかりけり。浩處かゝるところに岩熊鈍平いはくまどんへいは、妻立戶五郞を先に立たゝして、「事あり〳〵」、と叫さけびつゝ、間每まごとの障子開放せうじあけはなち、主しゆうのほとりへ來る程に、こゝろを得たる夥兵數くみこす十人ン、身み輕かろく鎧よろふて、器械引提うちものひきさげ、些後すこしおくれて次つぎの房まなる、いろ〳〵の花鳥畫くわちやうゑがきたる、腰障子こしせうじの陰かげに躱かくれて、おの〳〵奧を闕窺かいまみをり。定包は鈍平等が、忙あはたゝしく來るを見て、尺八さくはちの音ねをとゞめ、「こは何事なにことぞ」、と問とはせもあへず、兩人齊一ひとしく聲をふり立たて、「積惡せきあくの家餘殃よわうあり。城中の民みな叛そむきて、寄手よせてを引入れ候へば、落城踵きびすを旋めぐらすべからず。おん腹はらをめされ候へ。吾儕われわれ介錯仕かいしやくつかまつらん」、といひも訖をはらず、先に進みし戶五郞は、刀を晃きらりと引拔ひきぬきて、跳掛おどりかゝつて斬著きりつくるを、「推參すいさんすな」、と尺八の笛もて丁ちやうと受留うけとゞむれば、笛は中よりはすに斬きられて、頭さきは遙はるかに飛散とびちつたり。戶五郞は思はずも、一の大刀たちを擊損うちそんじ、主しゆうと思へば心憶おくして、武者戰むしやぶるひして進み得ず。定包瞋いかれる眼尻引立まなしりひきたて、「原來汝等謀叛さてはなんぢらむほんを企くはだてよ豫を、擊うたんとて來つるよな。嗚乎をこがましや」、と敦圉いきまきたかく、立たゝんとすれば戶五郞鈍平、透間すきまもなく擊刃うつやいはの下を、くゞり脫ぬけ、受うけながし、切口尖きりくちとがれる尺八を、手鎗てやりの穗頭ほさきと閃ひらめかせども、身に寸鐵すんてつを帶おびざれば、飛とびしさって打笛竹うつふえたけの、銑鋧しゆりけんに戶五郞は、右の腕かひなをうち脫ぬかれ、忽地たちまち「苦あつ」と叫びあへず、刃やいばを撲地はたと落しつゝ、尻居しりゐに摚だうと倒たふれしかば、定包さだかね「得たり」、と走掛はしりかゝつて、件くだんの刃やいばを取とらんとすれば、後うしろに閃ひらめく鈍平が刀尖きつさきさがりに擊大刀うつたちに、腢かたさきより七九兪しちくのあたりを、したゝかに斬著きりつけられて、刃やいばを奪ふに暇いとまなく、又擊うちかくる鈍平が刀の鍔元つばもとうち落し、そが侭まゝに引組ひきくんで、上になり下になり、且しばらく挑いどみ爭ふものから、定包は深痍ふかでを負おひぬ、勢ひ既に衰おとろへて、竟つひに膝下しつかに組布くみしかれ、頻しきりに人を呼立よびたつれば、鈍平は頸くびをかゝん、と腰を撈さぐれば中刀わきさしさへ、振落ふりおとして後方あとべにあり、「いかにせまし」、と心劇こゝろあはてて、思はず見かへる雌手めての方かたに、倒れし妻立戶五郞が、打うちかけられたる笛竹を、「これ究竟くつけう」と拔ぬきとりつ、反はねかへさんとする定包が吭のんどをぐさとつらぬきぬ。戶五郞は竹を拔ぬかれて、忽地たちまちに人氣ひとけつき、岸破がばと起おきつゝこれを見て、落せし刃やいばを拾ひらひとりて、岩熊に遞與わたせしかば、鈍平は定包が、頸くびかき切きりてぞ立たちあがる。されば夥あまたの兵士つわものは、鈍平等に荷擔かたらはれて、次の間ままで來にけれど、なほその勝負せうぶを測はかりかねて、佻々かろかろしくこれを扶たすけず、既にして定包が擊うたるゝを見て遽いそがはしく、障子紙門せうじふすまをうち敲たゝきて、鬩ときの聲をぞ揚あげたりける。

鈍平どんへい戸五郎とごらう便室こざしきに定包さだかねを撃うつ」「岩熊どん平」「妻立戸五郎」「山下定かね」

 さる程に主しゆうの左右に侍りたる、女めの童等わらはらはおそれ迷まどひて、庭門にはくちより走り去さり、これ彼かれに吿つげにければ、縡果ことはつる比ころ近臣等、遠侍とほさむらひより來きつるもあれど、彼兵士等かのつわものらに抑留よくりうせられ、多くはこのとき擊うたれにけり。況まいて物の數ならぬ、女房等にようぼうらは只たゞ泣叫ぶを、鈍平令げぢして玉梓たまつさもろ共、一人ひとりも漏もらさず生拘いけどらせ、おの〳〵金銀財寶を、思ひのまゝに掠奪かすめとりて正廳おもてのかたへ走去はせさりぬ。現げに天の人を罰する、時ありて輕重悞けいじうあやまつことなし。定包奸智かんちを逞たくましうして、主しゆうを傷賊そこなひ、所領しよれうを奪ひ、浮雲ふうんの富をなすといへ共、百日を出いでずして、又その家臣に殺されたり。加以これのみならず、そが首かうべを取とらるゝとき、件くだんの岩熊鈍平等は、はからずも刃やいばを用もてせず、切口尖とがりし笛竹は、是竹鎗これたけやりの刑に似たり。又彼かの妻立戶五郞は、定包が恩顧おんこのもの也。其そも笛竹の銑劍しゆりけんに、擊うたれて一旦息絕いつたんいきたえしは、惡人なりとも主しゆうを擊つ、冥罰めうばつならん、おそるべし。就中なかについて鈍平は、その罪比たぐヘんものもあらず。神餘じんよが馬奴うまかひたりしとき、逆謀ぎやくぼうとしりつゝも、定包が爲に、主しゆうの乘馬じやうめを毒殺し、又定包に仕つかへては、ます〳〵その惡を佐たすけて、刻剥こくはくをさ〳〵民を苦くるしめ、惡報その身に係るに及びて、脫まぬかれんとて又主しゆうを擊つ。縱たとひ善人に與くみすといふとも、かくのごとくにして後榮のちさかへんや。むかし後漢ごかんの光武帝くわうぶていは、子密しみつをもて不義侯ふぎこうとせり。夫それ不義にして、封爵はうしやくを受うけんより、不義ならずして、匹夫ひつふに終るこそよけれ。作者間常つね〳〵、歷史軍記を讀む每ごとに、かゝる條くだりに至いたりては、一大息いちだいそくをせざることなし。よりて今亦自注またじちうを附ふして、もて童蒙わらはべに示すのみ。山下定包さだかねが事は、軍書舊記ぐんしよきうきに傳でんあり。詳つまびらかならずといへども、主しゆうの神餘を害そこなひし、癖者くせものなるよしはたがはず。今なほ彼處かしこに古蹟こせきあり。くた〳〵しければよくも記しるさず。又後々のちのちの卷まきにていはなん。

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