南總里見八犬傳卷之三第六回
東都 曲亭主人 編次
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賞罰を締にして義実玉梓等を誅戮す」「玉つさ」「定かねが首級」「戸五郎が首級」「どん平が首級」
倉廩を開きて義實二郡を賑す
君命を奉りて孝吉三賊を誅す
卻說瀧田の軍民等は、まづ鈍平等を擊んとて、二の城戶陜し、と詰寄せて、鬩を咄と揚しかば、思ひがけなく塀の內より、鎗の穗頭に串きたる、生頸を高く揚、「衆人われを何とかする。われはや非を悔、逆を去、志を寄手にかよはし、逆賊定包を誅伐せり。誘もろ共に城を開きて、里見殿を迎入れずや。同士擊すな」、と呼らして、城戶を颯と推ひらかせ、岩熊鈍平、妻立戶五郞、鎧戰袍華やかに、軍兵夥前後に立して、兩人床几に尻を掛、軍團把てさし招けば、軍民等は呆れ惑心ひて、件の頸を向上るに、こは紛ふべうもあらぬ、定包が首級なり。「原來鈍平戶五郞等、脫るべき途なきを知りて、はや定包を擊たるならん。憎し」、と思へど今更に、同士擊するによしなければ、已ことを得ずその令に隨ひ、城樓に降參の幡を建て、正門を推ひらき、鈍平戶五郞等を先に立して、軈て寄手を迎れば、里見の先鋒金碗八郞、縡の仔細をうち聞て、定包が首級を受とり、軍法なれば鈍平等が、腰刀さへ取おかして、大將に報知奉れば、義實は諸軍を進めて、はやその處へ近つき給へば、鈍平等は阿容々々と、沙石に頭を掘埋めて、これを迎奉り、城兵等は二行についゐて、僉萬歲と唱けり。且して後陣なる、貞行も來にければ、前駈後從の隊伍を整へ、大將徐に城に入て、隈なく巡歷し給へば、神餘がゐまぞかりし時より、只管驕奢に耽りしかば、奇麗壯觀玉を敷、金を延ずといふことなし。加以、定包又民を絞て、飽まで貪貯たる、米穀財寶倉廩に充て、沛公[コウソ]が阿房に入りしとき、幕下[頼朝ヨリトモ]が泰衡を討し日も、かくやとおもふばかり也。さりけれども義實は、一毫も犯すことなく、倉廩をひらきて兩郡なる、百姓等に頒與給へば、貞行等これを諫て、「定包誅伏したれども、なほ平館、館山には、麻呂安西の强敵あり。幸にこの城を獲て、軍用乏しからずなりしを、一毫も貯給はず、百姓ばらに賜する、賢慮つや〳〵こゝろ得かたし」、と眉うち顰てまうすにぞ、義實聞てうち點頭、「しか思ふは眼前の、理に似たれども、民はこれ國の基なり。長狹平郡の百姓等、年來惡政に苦みて、今逆を去、順に歸せしは、飢寒を脫ん爲ならずや。然るをわれ又貪りて、彼窮民を賑ずは、そは定包等に異ならず。倉廩に餘粟ありとも、民みな叛きはなれなば、孰とゝもに城を守り、孰とゝもに敵を禦ん。民はこれ國の基也。民の富るはわが富む也。德政空しからざりせば、事あるときに軍用は、求ずも集るべし。惜むことかは」、と宣へば、貞行等は更にもいはず、感淚坐に禁かねて、おんまへを退出けり。
卻說次の日義實は、正廳に出まして、首實檢ことをはり、降人鈍平戶五郞等を召よせつゝ主を擊たることの趣、金碗八郞して問し給へば、兩人齊一まうすやう、「定包は主を仆し、土地を奪る逆賊なれども、某等討ことかなはず、假にその手に屬たるは、竊に時運をまちし故也。しかればきのふ賢君の、御敎書を給はりて、桀を去、湯に歸く、見參の牽出物に、彼首級を齎したり」、とほこりかに陳すれば、金碗八郞冷笑ひ、「辭巧にまうせども、そは甚しき虛言なり。抑汝等兩人は、定包が惡を佐て、州民を虐たる、縡既に隱れなし。さるにより軍民等、まづ汝等を擊んとて、その徒を聚る程に、汝等是を傳聞て、身の咎を脫ん爲に、さて定包を擊しならずや。孝吉仰を承りて、城中の民に問、その趣をはやしれり。かゝりけれども陳ずるや」、といはれて兩人驚とせし、中に鈍平眼を睜り、「そは戶五郞が事なるべし。渠は總角の比よりして、定包に仕しかば、第一の出頭也。しかるに戶五郞しのび〳〵に、美女玉梓に思ひを運し、密事を果ん爲のみ、某に荷擔して、初大刀を擊て候ひし。某底意を猜せしかば、身の潔白を明んとて、彼玉梓を生拘らせ、押寵置て候へば、召せ給はゞ分明ならん。これらによりて此彼の、淸濁を察し給へ」、といはせもあへず戶五郞は、眄かへして聲をふり立、「八郞ぬし、此奴が辭を、實事とな聞給ひそ。某いかで玉梓に、情ありて主を擊、おん躬方をつかまつらん。鈍平は當初、神餘が馬の口附也。落羽が岡の狩倉に、定包に相譚れて、主の乘馬に毒を餌ひ、光弘ぬしを亡ひつ。定包二郡を奪ふに及びて、第一の出頭なれば、民の怨も大かたならず、その咎を脫ん爲に、二代の主を擊たるなり。欺れ給ふな」、と苦き隨に非をあげて、人を陷しつ、罪をます、爭ひ果しなかりしかば、八郞呵々とうち笑ひ、「問にはおちで語るに落る、汝等が奸惡は、生をかえ、世をかゆるとも、頸を續べきよしなきもの也。定包逆賊也といふ共、戶五郞はその家臣として、脫るゝ途のなきまゝに、これを擊こと人にあらず。鈍平は又當初、定包が爲に主を傷ひ、その蔭に立ながら、縡逼て亦これを擊、惡逆こゝに極れり。吾君民の父母として、仁慈を旨とし給ふ共、もし汝等を赦し給はゞ、賞罰遂に行れず、忠孝ながく廢れなん。今汝等がまうすを待ず、隱慝露顯したれども、その口づからいはせんとて、法場に牽出せり。罪藉既に定りぬ。律に于て赦しがたし。彼縛よ」、と喚れば、雜兵等走りかゝりて、鈍平戶五郞を撲地と蹴倒し、押て索を懸しかば、件の二人は劇騷ぎて、屠處の羊と恨みつ賠話つ、只諄々とかき口說ば、金碗怒れる聲を激し、「汝に出て汝に返る、惡逆の天罰は、八劊の刑たるべし。とく〳〵」、といそがせば、雜兵等はうけ給はり、立じと悶掻罪人を、外面へ牽もてゆき、時を移さずその頸ふたつを、綠竹の𥭾に貫き、實檢に備る程に、金碗ふたゝび令を傳て、「彼玉梓を牽け」といふ。
無慙なるかな玉梓は、姿の花も心から、夜半の嵐に吹萎れ、天羅脫れず縛の、索に牽るゝ姬瓜や、何となる子の音に騷ぐ、雀色時ならねども、見るめは暗き孫廂、推すえられつ、豫て知る、孝吉に愧ひて、霎時も頭を擡得ず。金碗は「面をあげよ」、と呼かけて小膝をすゝめ、「玉梓汝は前國主の、側室也とはしらざるものなし。寵に誇りて主君を蕩し、政道にさへ手をかけて、忠臣を傷賊たる、その罪これひとつ也。身は只綾羅に纏はして、玉を炊き桂を燒、富貴歡樂極りなけれど、なほ嗛らで、定包と密通せり。その罪これ二ッ也。これらは人の吿るを待ず、孝吉がしることになん。かくて山下定包が逆謀既に縡成て、兩郡を奪ひし日より、汝はその婦妻となりて、愧る色なく、憚ることなく、城陷るまで得死ざりしは、造惡の業報なり。生ては縲絏に繋れ、死しては祀らざる鬼とならん。天罪國罰思ひしるや」、と聲高やかに叱すれば、玉梓やうやく頭を擡、「いはるゝ所こゝろ得がたし。女はよろづあは〳〵しくて、三界に家なきもの、夫の家を家とすなれば、百年の苦も樂も、他人によるといはずや。況てわらはは先君の正室には侍らず。光弘なくなり給ひては、よるべなき身を生憎に、山下ぬしに思れて、深窻に册れ、再寢の夢を結びあへず、囚れとなりし事、過世の因果にあらんずらん。又給事のはじめより、私にまつりごちて、忠臣を傷たる、山下ぬしに情由ありし、といふは傍の妬媢にて、實あるべき事には侍らず。譬ば神餘の老黨若黨、く祿高職重きも、大かたならず二君に仕て、露ばかりも、恥とせず。おん身が如きは憖に、主君を凌ぎて逐電し、更に里見に隨て、瀧田の城を落し給へど、兎の毛ばかりも先君のおん爲にはなるよしなし。しかれば各榮利の爲に、彼に仕、これに從ふ。男子すらかくの如し。女子のうへには筑摩の鍋を、かさぬるも世におほかり。然るを何ぞや玉梓ひとり、なき事さへに罪をおはして、飽まで憎ませ給はする、いと承がたき誣言や」、と眼尻かへして怨ずれば、八郞席を撲地と鼓、「そは過言なり舌長し。既に汝が奸曲は、推量の說ならず、十目の視る所、十指の指す所也。しかるをなほ承伏せず、みづから許して喩を引、外面如菩薩、內心夜叉、顏と心はうらうへなる、汝は錦の嚢に包る、毒石に異ならず。さる逞しき女子ならずは、いかでか城を傾くべき。しらずや酷六鈍平等は、神餘譜代の老黨なれども、利の爲に義を忘れ、逆に隨ひ惡をませし、冥罰遂に脫れず、皆八劊にせられたり。又孝吉はこれと異なり。灰を呑、漆して、姿を變て故君の仇を、狙擊んと思ふのみ。單身にしてその事得遂ず、五指のかはる〳〵に彈んより、一拳にますことなければ、里見の君に隨從して、袒肩の躬方を集め、今定包を族滅して、志を致したり。かくてもわがなす所、兎の毛ばかりも先君に、益あることなしといふや。豚を抱きて臭きを忘るゝ、婦女子の愚癡とはいふ物から、みづから許してなか〳〵に、人を咎るはいかにぞや。覺期せよ」、と敦圉ば、玉梓道理に責られて、思はずも嘆息し、「寔に妾罪ありなん。しかりとも、里見殿は仁君也。東條にても、こゝにても、賞を重くし罰を輕くし、敵城の士卒といふとも、參るものは殺し給はず、用ひ給ふと聞侍り。よしやその罪あらばあれ、婦女子は物の數にも侍らじ。願ふはわらはを赦させ給ひて、故鄕へ還し給はらば、こよなかるべき幸ならん。男女と差かはれども、むかしは共に神餘の家に、仕給ひし八郞ぬし。舊好はかゝる時、執なしして給ひね」、と莞然と咲つゝ向上たる、顏はさながら海棠の、雨を帶たる風情にて、匂ひこぼるゝ黑髮は、肩に掛るも妖嬌に、春柳の絲垂て、人を招くに彷彿たり
義實は上坐に、近臣夥侍らして、この件の裁斷を、うち聞てをはせしが、「玉なすごとき玉梓が、さばかりの疵ありぬとも、非を悔て助命を乞ふ、これも亦不便也。赦さばや」、とおぼせしかば、「孝吉々々」と間近く召させて、「玉梓その罪輕きにあらねど、女子なれば助るとも、賞罰の方立ざるにはあらじ。この旨よろしく計へかし」、と叮嚀に仰れば、金碗八郞貌を更め、「御諚では候へども、定包に亞ぐ逆賊は、件の淫婦玉梓也。渠は夥の忠臣を、追失ひたるのみならず、光弘の落命も、玉梓をさ〳〵傍に在て、定包と心を合せ、竊に計るにあらざりせば、縡一朝になるべうも候はず。これらのよしを察し給はで、賊婦を赦し給ひなば、君も又その色に愛て、依估のおん沙汰ありなンど、人の批評は咻からん。されば姐妃は朝歌に殺され、大眞は馬塊に縊る。これらは傾國の美女なるのみ、玉梓が類にあらず。さりとても國亂れ、その城敗るゝ日に至ては、遂に斧鉞を脫れず。赦し給ふことかは」、と辭儼しく諫れば、義實しば〳〵うち點頭、「われあやまちぬ、悞ぬ。とく牽出して、首を刎よ」、と聲ふり立て仰すれほ、玉梓これを聞あへず、花の顏朱を沃ぎ、瓠核のごとき齒を切て、主從を佶とにらまへ、「怨しきかな金碗八郞、赦んといふ主命を、拒て吾儕を斬ならば、汝も又遠からず、刃の錆となるのみならず、その家ながく斷絕せん。又義實もいふがひなし。赦せといひし、舌も得引ず、孝吉に說破られて、人の命を弄ぶ、聞しには似ぬ愚將也。殺さば殺せ。兒孫まで、畜生道に導きて、この世からなる煩惱の、犬となさん」、と罵れば、「物ないはせそ、牽立よ」、と金碗が令を受、雜兵四五人ン立かゝりて、罵り狂ふ玉梓を、外面へ牽出し、軈て首を刎たりける。かゝりし程に八郞は、更に仰を承りて、賊主定包玉梓等、鈍平戶五郞が頸もろ共に、瀧田の城下に殺梟たり。現積惡の報ふ所、斯あるべきことながら、今更にめさましとて、觀るもの日每に堵の如し。
「氏元勇を奮て麻呂の信時を撃」「杉倉氏元」「麻呂信時」
さる程に、その曉かたに、杉倉木曾介氏元が使者として、蜑崎十郞輝武といふもの、汗馬に鞭を鳴らしつゝ、東條よりはせ參りて、氏元が擊取たる、麻呂小五郞信時が首級を獻り、合戰の爲體を、巨細に聞えあげたりける。その圖はこゝに載るといへども、事ながければ卷をかへて、第七條のはじめにとかん。又玉梓が惡念は、良將義士に憑ことかなはず、その子その子に夤緣て、一旦不思議のいで來る事、その禍は後竟に、福の端となる、この段までは迥なり。閱者彼賊婦が怨言に、こゝろをとめて見なし給ひね。
南總里見八犬傳卷之三終


