南総里見八犬伝(007)

南總里見八犬傳卷之三第六回
東都 曲亭主人 編次
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賞罰せうばつあきらかにして義実よしさね玉梓たまつさ誅戮ちうりくす」「玉つさ」「定かねが首級」「戸五郎が首級」「どん平が首級」

倉廩さうりんひらきて義實よしさね二郡にぐんにぎは
君命くんめいうけたまはりて孝吉三賊たかよしさんぞくちう

 卻說瀧田かくてたきた軍民等ぐんみんらは、まづ鈍平等どんへいらうたんとて、城戶陜きどせまし、と詰寄つめよせて、ときどつあげしかば、思ひがけなく塀の內より、やり穗頭ほさきつらぬきたる、生頸なまくびを高くあげ、「衆人もろひとわれをなにとかする。われはや非をくひぎやくさりこゝろざし寄手よせてにかよはし、逆賊定包さだかね誅伐ちうばつせり。いざもろ共に城を開きて、里見殿さとみどの迎入むかへいれずや。同士擊どしうちすな」、とよばゝらして、城戶きどさつおしひらかせ、岩熊鈍平いはくまどんへい妻立戶五郞つまだてとごらう鎧戰袍華よろひひたたれはなやかに、軍兵夥ぐんびやうあまた前後にたゝして、兩人床几せうきしりかけ軍團把ぐんばいとつてさし招けば、軍民等はあき惑心まどひて、くだんくび向上みあぐるに、こはまがふべうもあらぬ、定包が首級しゆきうなり。「原來さては鈍平戶五郞等、のがるべきみちなきを知りて、はや定包をうちたるならん。憎し」、と思へど今更に、同士擊どしうちするによしなければ、やむことを得ずそのげぢに隨ひ、城樓やぐら降參こうさんはたたてて、正門おほてのもんおしひらき、鈍平戶五郞等を先にたゝして、やが寄手よせてむかふれば、里見の先鋒金碗せんぢんかなまり八郞、こと仔細しさいをうちきゝて、定包が首級をうけとり、軍法なれば鈍平等が、腰刀こしかたなさへとりおかして、大將に報知奉つげたてまつれば、義實よしさねは諸軍を進めて、はやその處へ近つき給へば、鈍平等は阿容々々おめおめと、沙石いさごかうべ掘埋ほりうづめて、これを迎奉むかへたてまつり、城兵等ぜうひゃうら二行にぎやうについゐて、僉萬歲みなばんぜいとなへけり。しばらくして後陣ごぢんなる、貞行も來にければ、前駈後從ぜんくごしよう隊伍たいごを整へ、大將しづかに城にいりて、くまなく巡歷じゆんれきし給へば、神餘じんよがゐまぞかりし時より、只管驕奢ひたすらけうしやふけりしかば、奇麗壯觀きれいさうくわん玉をしきこかねのべずといふことなし。加以これのみならず定包又さだかねまた民をしぼりて、あくまで貪貯むさぼりたくはへたる、米穀べいこく財寶倉廩くらみちて、沛公はいこうコウソ]が阿あばうりしとき、幕下ばくか[頼朝ヨリトモ]が泰衡やすひらうちし日も、かくやとおもふばかり也。さりけれども義實は、一毫いちごうおかすことなく、倉廩くらをひらきて兩郡なる、百姓等に頒與わかちあたへ給へば、貞行等これをいさめて、「定包誅ちうふくしたれども、なほ平館ひらたて館山たてやまには、麻呂安西まろあんさい强敵ごうてきあり。さいはひにこの城をて、軍用乏ともしからずなりしを、一毫いちごうたくはへ給はず、百姓ばらにたまはする、賢慮けんりよつや〳〵こゝろ得かたし」、とまゆうちひそめてまうすにぞ、義實きゝてうち點頭うなつき、「しか思ふは眼前の、ことわりに似たれども、民はこれ國のもとなり。長狹平郡ながさへぐりの百姓等、年來としころ惡政にくるしみて、今ぎやくさりじゆんせしは、飢寒きかんのがれん爲ならずや。るをわれ又むさぼりて、彼窮民かのきうみんにぎはさずは、そは定包等に異ならず。倉廩くら餘粟あまんのあわありとも、民みなそむきはなれなば、たれとゝもに城を守り、たれとゝもに敵をふせがん。民はこれ國のもと也。民のとめるはわが富む也。德政むなしからざりせば、事あるときに軍用は、もとめずもあつまるべし。惜むことかは」、とのたまへば、貞行等は更にもいはず、感淚そゞろとゞめかねて、おんまへを退出まかでけり。

 卻說次かくてつぐの日義實よしさねは、正廳まんところいでまして、首實檢くびじつけんことをはり、降人こうにん鈍平戶五郞等をめしよせつゝしゆううちたることのおもむき金碗かなまり八郞してとはし給へば、兩人齊一ひとしくまうすやう、「定包はしゆうたふし、土地をうばへる逆賊なれども、某等討それがしらうつことかなはず、かりにその手につきたるは、ひそかに時運をまちしゆゑ也。しかればきのふ賢君けんくんの、御敎書みげうしよを給はりて、けつさりとうおもむく、見參げんざん牽出物ひきでものに、彼首級かのしゆきうもたらしたり」、とほこりかにちんすれば、金碗八郞冷笑あざわらひ、「辭巧ことばたくみにまうせども、そははなはだしき虛言そらごとなり。抑汝等そもそもなんぢら兩人は、定包が惡をたすけて、州民くにたみしへたげたる、こと既に隱れなし。さるにより軍民等、まづ汝等なんぢらうたんとて、そのともがらあつむる程に、汝等これを傳つたへきゝて、身のとがのがれん爲に、さて定包をうちしならずや。孝吉おふせを承りて、城中の民にとひ、そのおもむきをはやしれり。かゝりけれどもちんずるや」、といはれて兩人ぎよつとせし、中に鈍平まなこみはり、「そは戶五郞が事なるべし。かれ總角あげまきころよりして、定包につかへしかば、第一の出頭きりもの也。しかるに戶五郞しのび〳〵に、美女玉梓たまつさに思ひをはこばし、密事みそかことはたさん爲のみ、それがし荷擔かたんして、初大刀しよたちうちて候ひし。某底意それがしそこゐすいせしかば、身の潔白けつはくあかさんとて、かの玉梓を生拘いけどらせ、押寵置おしこめおきて候へば、めさせ給はゞ分明ふんめうならん。これらによりてこれかれの、淸濁せいだくを察し給へ」、といはせもあへず戶五郞は、にらまへかへして聲をふりたて、「八郞ぬし、此奴こやつことばを、實事まこととな聞給ひそ。それがしいかで玉梓に、こゝろありてしゆううち、おん躬方みかたをつかまつらん。鈍平は當初そのはじめ神餘じんよが馬の口附くちつき也。落羽おちばが岡の狩倉かりくらに、定包さだかね相譚かたらはれて、しゆう乘馬じゃうめに毒をひ、光弘ぬしをうしなひつ。定包二郡を奪ふに及びて、第一の出頭きりものなれば、民のうらみも大かたならず、そのとがのがれん爲に、二代のしゆううちたるなり。あざむかれ給ふな」、とくるしまゝに非をあげて、人をおとしつ、罪をます、爭ひ果しなかりしかば、八郞とうち笑ひ、「とふにはおちで語るにおつる、汝等なんぢら奸惡かんあくは、せいをかえ、世をかゆるとも、くびつぐべきよしなきもの也。定包逆賊也といふ共、戶五郞はその家臣として、のがるゝみちのなきまゝに、これをうつこと人にあらず。鈍平は又當初そのはじめ、定包が爲に主をそこなひ、そのかげたちながら、縡逼ことせまつまたこれをうつ惡逆あくぎやくこゝにきわまれり。吾君わがきみ民の父母ふぼとして、仁慈じんぢむねとし給ふ共、もし汝等をゆるし給はゞ、賞罰つひおこなはれず、忠孝ながくすたれなん。今汝等がまうすをまたず、隱慝露顯いんどくろけんしたれども、そのくちづからいはせんとて、法場おきてのには牽出ひきいだせり。罪藉ざいせき既にさだまりぬ。りつおいゆるしがたし。彼縛あれいましめよ」、とよばゝれば、雜兵等ざふひやうら走りかゝりて、鈍平戶五郞を撲地はた蹴倒けたふし、おさへなはかけしかば、くだん二人ふたり劇騷あはてさわぎて、屠處としよひつじと恨みつ賠話わびつ、只諄々たゞぐとぐととかき口くどけば、金碗いかれる聲をはげまし、「汝にいでて汝に返る、惡逆の天罰てんばつは、八劊やつざきの刑たるべし。とく〳〵」、といそがせば、雜兵等ざふひやうらはうけ給はり、たゝじと悶掻罪人もがくざいにんを、とのかたひきもてゆき、時を移さずそのくびふたつを、綠竹あをだけ𥭾くしに貫き、實檢じつけんそなふる程に、金碗ふたゝびげぢつたへて、「かの玉梓をけ」といふ。

 無慙むざんなるかな玉梓は、姿の花も心から、夜半よはの嵐に吹萎ふきしをれ、天羅脫てんらのがれずいましめの、なわひかるゝ姬瓜ひめうりや、なにとなる子のおとさわぐ、雀色時すゞめいろときならねども、見るめは暗き孫廂まごひさしおしすえられつ、かねて知る、孝吉にはぢらひて、霎時しばしかうべ擡得もたげえず。金碗は「おもてをあげよ」、とよびかけて小膝こひざをすゝめ、「玉梓汝たまつさなんぢ前國主せんこくしゆの、側室そばめ也とはしらざるものなし。ちやうに誇りて主君をとらかし、政道せいとうにさへ手をかけて、忠臣を傷賊そこなひたる、その罪これひとつ也。身は只綾羅たゞれうらまとはして、玉をかしかつらたき富貴歡樂極ふうきくわんらくきわまりなけれど、なほあきたらで、定包さだかねと密通せり。その罪これ二ッ也。これらは人のつぐるをまたず、孝吉がしることになん。かくて山下定包が逆謀ぎやくぼう既に縡成ことなりて、兩郡を奪ひし日より、汝はその婦妻ふさいとなりて、はづる色なく、はゞかることなく、城おちいるまで得死えしなざりしは、造惡ぞうあく業報ごうほうなり。いきては縲絏いましめのなわつながれ、死してはまつらざる鬼とならん。天罪國罰てんばつこくばつ思ひしるや」、と聲高やかにしつすれば、玉梓やうやくかうべもたげ、「いはるゝ所こゝろ得がたし。女はよろづあは〳〵しくて、三界に家なきもの、をとこの家を家とすなれば、百年もゝとせの苦も樂も、他人あだしひとによるといはずや。まいてわらはは先君の正室ほんさいには侍らず。光弘みつひろなくなり給ひては、よるべなき身を生憎あやにくに、山下ぬしにおもはれて、ふかきまどかしつかれ、再寢またねの夢を結びあへず、とらはれとなりし事、過世すくせ因果いんぐわにあらんずらん。又給事みやつかへのはじめより、わたくしにまつりごちて、忠臣ちうしんそこなひたる、山下ぬしに情由わけありし、といふはかたへ妬媢そねみにて、まことあるべき事には侍らず。たとひば神餘の老黨若黨ろうだうわかたう、く祿高職つかさ重きも、大かたならず二君じくんつかへて、露ばかりも、恥とせず。おん身が如きはなまじいに、主君をしのぎて逐電ちくてんし、更に里見にしたがふて、瀧田の城を落し給へど、ばかりも先君のおん爲にはなるよしなし。しかれば各榮利おのおのゑのりの爲に、かれつかへ、これに從ふ。男子をのこすらかくの如し。女子をなこのうへには筑摩つくまなべを、かさぬるも世におほかり。るをなにぞや玉梓ひとり、なき事さへに罪をおはして、あくまで憎ませ給はする、いとうけがたき誣言しひごとや」、と眼尻まなしりかへしてゑんずれば、八郞せき撲地はたうち、「そは過言くわごんなり舌長し。既に汝が奸曲かんきよくは、推量の說ならず、十目しうもくる所、十指しうしゆびさす所也。しかるをなほ承伏ぜうぶくせず、みづから許してたとへひく外面げめん如菩薩によぼさつ內心夜叉ないしんやしや、顏と心はうらうへなる、汝はにしきふくろつゝめる、毒石どくせきことならず。さるたくましき女子をなこならずは、いかでか城をかたむくべき。しらずや酷六鈍平等こくろくどんへいらは、神餘譜代じんよふだい老黨ろうだうなれども、利の爲に義を忘れ、逆に隨ひ惡をませし、冥罰遂めうばつつひまぬかれず、皆八劊やつさきにせられたり。又孝吉はこれと異なり。灰をのみうるしして、姿をかえ故君こくんあたを、狙擊ねらひうたんと思ふのみ。單身みひとつにしてその事得遂えとげず、五指ごしのかはる〳〵にはぢかんより、一拳いつけんにますことなければ、里見さとみの君に隨從ずいじゆうして、袒肩だんけん躬方みかたを集め、今定包さだかね族滅ぞくめつして、志を致したり。かくてもわがなす所、兎の毛ばかりも先君に、益あることなしといふや。ゐのこいだきてくさきを忘るゝ、婦女子をなこ愚癡ぐちとはいふ物から、みづから許してなか〳〵に、人をとがむるはいかにぞや。覺かくごせよ」、と敦圉いきまけば、玉梓道理にせめられて、思はずも嘆息し、「まことわらは罪ありなん。しかりとも、里見殿は仁君じんくん也。東條とうでふにても、こゝにても、賞を重くしばつかろくし、敵城の士卒といふとも、參るものは殺し給はず、用ひ給ふと聞侍きゝはべり。よしやその罪あらばあれ、婦女子をなこは物の數にも侍らじ。願ふはわらはをゆるさせ給ひて、故鄕こけうかへし給はらば、こよなかるべきさいはひならん。男女をとこをんなしなかはれども、むかしは共に神餘の家に、つかへ給ひし八郞ぬし。舊好ふるきよしみはかゝる時、とりなしして給ひね」、と莞然につこえみつゝ向上みあげたる、顏はさながら海棠かいだうの、雨をおびたる風情ふぜいにて、匂ひこぼるゝ黑髮くろかみは、肩に掛るも妖嬌たほやかに、春柳はるのやなぎの絲たれて、人を招くに彷彿さもにたり

 義實よしさね上坐かみくらに、近臣あまた侍らして、このくだり裁斷さいだんを、うちきゝてをはせしが、「玉なすごとき玉梓が、さばかりのきずありぬとも、非をくひ助命ぢよめいを乞ふ、これも亦不便またふびん也。ゆるさばや」、とおぼせしかば、「孝吉々々」と間近くさせて、「玉梓その罪かろきにあらねど、女子をなこなればたすくるとも、賞罰の方立みちたゝざるにはあらじ。このむねよろしくはからへかし」、と叮嚀ねんころおふすれば、金碗八郞かたちあらため、「御諚ごでうでは候へども、定包さだかねぐ逆賊は、くだん淫婦たをやめ玉梓也。かれあまたの忠臣を、追失おひうしなひたるのみならず、光弘の落命も、玉梓をさ〳〵かたへありて、定包と心をあはせ、ひそかに計るにあらざりせば、縡一朝こといつちやうになるべうも候はず。これらのよしを察し給はで、賊婦ぞくふゆるし給ひなば、君も又その色にめでて、依估えこのおん沙汰さたありなど、人の批評はかまびすからん。されば姐妃だつき朝歌ちやうかに殺され、大眞だいしん馬塊ばくわいくびらる。これらは傾國の美女なるのみ、玉梓がたぐひにあらず。さりとても國亂れ、その城やぶるゝ日にいたりては、つひ斧鉞ふゑつまぬかれず。ゆるし給ふことかは」、と辭儼ことばたゞしくいさむれば、義實しば〳〵うち點頭うなつき、「われあやまちぬ、あやまちぬ。とく牽出ひきいだして、かうべはねよ」、と聲ふりたておふすれほ、玉梓これをきゝあへず、花の顏朱かほばせしゆそゝぎ、瓠核ひさごのごとき齒をくひしばりて、主從しゆうじゆうきつとにらまへ、「うらめしきかな金碗八郞、ゆるさんといふ主命しゆうめいを、こばみ吾儕わなみきるならば、なんぢも又遠からず、やいばさびとなるのみならず、その家ながく斷絕だんぜつせん。又義實もいふがひなし。ゆるせといひし、舌も得えひかず、孝吉に說破ときやぶられて、人の命をもてあそぶ、きゝしには似ぬ愚將ぐせう也。殺さば殺せ。兒孫うまごまで、畜生道ちくせうどうに導きて、この世からなる煩惱ぼんなうの、犬となさん」、とのゝしれば、「物ないはせそ、ひきたてよ」、と金碗がげぢうけ雜兵ざふひやう四五人たちかゝりて、罵り狂ふ玉梓を、外面とのかたへ牽ひきいだし、やがかうべはねたりける。かゝりし程に八郞は、更におふせうけたまはりて、賊主定包玉梓等、鈍平戶五郞がくびもろ共に、瀧田の城下に殺梟きりかけたり。現積惡げにせきあくの報ふ所、かうあるべきことながら、今更にめさましとて、るもの日每ひごとの如し。


氏元うぢもとゆうふるつ麻呂まろ信時のぶときうつ」「杉倉氏元」「麻呂信時」

 さる程に、そのあけかたに、杉倉木曾介氏元すぎくらきそのすけうぢもとが使者として、蜑崎あまさき十郞輝武てるたけといふもの、汗馬かんばむちを鳴らしつゝ、東條とうでふよりはせ參りて、氏元が擊取うちとりたる、麻呂小五郞信時まろのこゞらうのぶとき首級しゆきうたてまつり、合戰かつせん爲體ていたらくを、巨細つばらきこえあげたりける。その圖はこゝにのするといへども、事ながければまきをかへて、第七條だいしちでふのはじめにとかん。又玉梓が惡念は、良將義士りやうせうぎしつくことかなはず、その子その子に夤緣まつはりて、一旦いつたん不思議のいで來る事、そのわざはひ後竟のちつひに、さいはひはしとなる、この段までははるかなり。閱者彼賊婦みるものかのぞくふ怨言ゑんげんに、こゝろをとめて見なし給ひね。

南總里見八犬傳卷之三終

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