中井正一「土曜日」巻頭言(07)

◎集団は新たな言葉の姿を求めている ー九三六年十月二十日

 人間が四つの足から二本で立ち上ることを覚えるには数万年を要したのである。
 人間が言葉を覚えるにもまた数万年の歴史が絶えざる努力を要したのである。
「言う言葉」から「書く言葉」をもつようになるにも人問はどんなに苦労をしたことか。
 かくして、人間は、生きることを合理化し、動物としては、この宇宙的星辰の中に、唯一の、星の秩序を読み取ることのできる存在として生きつづけてきたのである。
 この存在の中に、存在のみずからの働きの中に、合理的なものを見出すことのできること、みずからの生活を合理化できること、これが、この数千万年を辿りきた人間の誇りである。
 人間が滅びることが、敢えて誇りとなるほどの、地球上の不思議な事実である。
 このことが「文化」ということなのである。人類は地殻の上において孤独であるのみではない。この無限である時間と、空間の上において、孤独である。
 この獲きたった合理的な営みを、わずかな人間たちの暴力の中に、争いの中に、破波に堕すには余りにも歩みきたった生活は苦しかったはずである。
 常に新しい文化を、新しいみずからの生活の合理を発見してゆくこと、これが生きているということにほかならない。
 言葉が、「書く言葉」から「印刷する言葉」を発見したとき、人々はそのもつ効果に驚きはしたが、それをみずからのものとしたとはいえない。
 その発見は、数百万人の人間が、数百万人の人間と、ともに話し合い、唄い合うことができることの発見であった。
 しかし、人々は、話し合いはしなかった。一般の新聞も今は一方的な説教と、売り出し的な叫びをあげるばかりで、人々の耳でもロでもない「真空管の言葉」もまたそうである。ますますそうである。
 今人々は集団において、建啞的である。
 この『土曜日』は、今新しく、すべての読者が執筆者となることで、先ず数千人の人々の耳となり、数千人の人々の口となることで新たな言葉の姿を求めている。
 数千の人々が数千の人々と話し合うことのできる、新たな話し声を発見しつつある。人間の発見しなければならないのは、機械と装置ではない。人間の新たな秩序への行動である。
 この『土曜日』の数千の人々の話し声は、やがて数万人の、数百万人の、数千万人の、お互いの話し声となることがどうしてないといえよう。何故ならわれわれは、集団的な言葉を獲つつある聾啞者であったからである。

編者より】
 〚土曜日』の多彩な執筆陣に、小説家加賀耿二がいた。治安維持法で検挙され、保釈された加賀(石川県)出身の小説家と言えば?(戦後、彼は日本共産党の代議士となって活躍する。)図は、1936年7月4日・創刊号に載った彼の小説である。

数千の人々が数千の人々と話し合うことのできる、新たな話し声を発見しつつある。(が、)人間の発見しなければならないのは、機械と装置ではない。人間の新たな秩序への行動である。

 昨今の、AI や SNS だけで容易に扇動される、世情を見ていると、戦前の話とは到底思われない。

図の二次使用は著作権もあるのでご遠慮ください。

正岡子規スケッチ帖(014)

八月四日

①翠菊 エゾキク
伊予松山ニテハ江戸菊
又ハ「タイメンギク」トイフ
又「タイミンギク」(大明菊カ)トモイフ
仙台辺ニテハ朝鮮菊トイフトゾ

②同日夕刻
石竹《セキチク》

中井正一「土曜日」巻頭言(06)

◎ポーズに気づいた瞬間に行動は空虚になる ー九三六年九月十九日

 みっちりしたボー卜の練習をしているとき、漕いでいる者がフト岸を気にし出したとき、敏感な舵手にはそれがわかるものである。
 自分のフォームを人が見ていると思い、また見せようと思った瞬間、一本一本水に切り込んでいる櫂先から、スーッと力がさめるように消えてゆくものである。
見てくれ<傍点>のこころ、これでどうだのこころ、こうしているんだよ、のよの字<傍点>。それは切っても切っても流れる水のように、こころの底に溢みくる湿気である。
見てくれ<傍点>のこころはそれがどんなにかすかであっても、マネキン人形のもつ硬さをもっている。それは単なるポーズである。行動はこわばり、止まり、やがて他のものに転換してゆく。とんでもないものに移りゆく。
 このベルトに一端を喰われたら、どんなにもがいても、あせっても、あばれても、それはユックリその道を辿って、マネキンがそうであるように、喰い込まれ、きざまれて、売り物になってゆく。レッテルの貼られた何物かが、その腕から下げられる。
この見てくれの自分のポーズの下をかい潜って、身を翻して、行動みずからの真実の中に拶入することは、チョトやソットの困難ではない。
 自分が未だつかんでいない真実を主張して議論が前のめりになっているとき、周囲の見透しのないのに、見ろ<傍点>と身構えて見るとき、いつもポーズは変装して、こころの底で道化ている。
 ポーズはそれが悪意であるときよりも善意であるときにしのび込んでくる悪戯者である。何故なら賞められる<傍点>ということの中に糜爛剤を落してゆく奴なんだから。
 そしてポーズをなくするということにこだわれば、またニヒリズムのポーズとして、彼はくっついてくるのである。それは人間を行動より奪い取る一つの思想の真空である。
 見ること<傍点>にだけ終始するものは、この見られる<傍点>ことを、気にすることは永遠に断ち切ることができない。嬰児のごとく、卒直に欠乏に泣き欠乏に手をさしのべる行動<傍点>こそが、はじめて嬰児のごとく自然の前に險を閉じ、自然をも万人をもまた彼の前に無限の愛をもって眼を閉じしむるのである。
 われわれの機構の中に何が欠乏しているか、それに卒直に手をさしのばすことは、ポーズに手渡すには余りに厳かな必要である。
『土曜日』はあらゆるポーズを脱るる半日である。

編者注】
 写真は、「土曜日」第34号(昭和12年・1937年6月5日号)に掲載された、淀川長治氏の投稿。この号はさしずめ、映画「失われた地平線」(Wikipedia)特集号のようだ。反ファシズムの「牙城」ともいうべき「土曜日」は、このように多彩な執筆陣を備えていた。淀川長治氏なども、その気骨ある一人である。

 画像の二次利用はご遠慮ください、

日本人と漢詩(114)

◎木村蒹葭堂、伊藤若冲と売茶翁

 今回は、中村真一郎の本の頁数を少し飛ばして…
 京都の福田美術館が、伊藤若冲の画を海外から買い戻したと、2024年11月10日号の、赤旗日曜版に記事があった。2025年1月まで展示しているとのことなので、機会があれば観に行きたいものだ。
 蒹葭堂(1736‐1802)と若冲(1716~1800)は、ほぼ同時代なので、交流があったように思うが、蒹葭堂の交遊録には、若冲の名前は出てこない。間接的には、若冲が師と仰いだ、売茶翁(高遊外)や、同輩・僧大典などは、蒹葭堂開館当時に知っていたので、彼らを通じて若冲の評判は聞いていたかもしれない。このうち大典は、前回紹介した宇野明霞に儒学を学んだとある。
 売茶翁は、肥前(佐賀県)の人。各地で、禅僧として修行するも、「釈氏の世に処《お》る、命の正邪は心也。迹には非ざる也。(人の評価は、ただ行跡にとどまることなく、内なる命が大事である)」として、茶を売ることで飢えをしのぐようになった。それも、「茶銭は黄金百|鎰《いつ》一鎰は二十両ーより半文銭まではくれ次第、ただのみも勝手、たゞよりはまけまうさず」と貼紙がしてあったという。表裏千家の茶道とは違った、洒脱というか、自由なお茶の楽しみ方を目指したようだ。お茶の後は、若干の歌舞音曲と楽しい談笑が待っている、江戸時代中期、生産力もあがり、人々の需要層も量的に、質的にも高まってきたようだ。
 若冲と売茶翁との交流は、NHKの2021年正月TVドラマ「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり Wikipedia」 にあったとおりである。
 その売茶翁の詩から
錢筒二題ス
隨處開茶店 ー鍾是ー錢 随処二茶店ヲ開ク、ー鍾《シヨウ》(一杯の意)、コレー銭。
生涯唯箇裏 飢飽任天然 生涯タダコノ裏《ウチ》、飢飽天然二任《マカ》ス

煎茶日々起松風 醒覺人間仙路通 煎茶日々、松風ヲ起ス。醒覚ス、人間《ジンカン》仙路通ズルヿ《コト》ヲ。
要識盧仝眞妙旨 傾愛先入箇錢筒 盧仝《ロドウ》(中唐の詩人。隠棲して仕官しなかった)真妙ノ旨ヲ識ラント要セバ、囊ヲ傾ケテ先ヅ箇《コ》ノ銭筒二入レヨ。

参考】
中村真一郎「木村蒹葭堂のサロン」(新潮社)

中井正一「土曜日」巻頭言(05)

◎どんな小さな土の一塊でもよい、掌に取って砕こう 1936年9月5日

 ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』の中に忘れられない一つのシーンがある。ミーチャが検事の訊問の後、疲れの後に夢見る場面がある。何処か荒涼たる曠野を旅行しているらしい。霙の中を馬車は走っている。妙に寒い感じである。
 直ぐ近くに小さな村があって、何軒かの真黒な百姓家が見えている。百姓家の大半は焼払われて、ただ焼残った柱だけが突立っていた。村に入ろうとすると道の両側に大勢の女達が並んでいる。みんな瘠せさらばっって妙に赤ちゃけた顔をしている。
 一人の女が手に泣き叫ぶ赤ん坊を抱いている。彼女の乳房はもう乾上って一滴の乳も出ない。赤ん坊は寒さのために土色になった。小さな露出しの掌を差伸ばしながら声を限りにないていた。
 ここで、ミーチャは印象的な問を繰返し出すのである。そして、「いいや、いいや」……「聞かせて呉れ、何故焼出された母親達がああして立っているんだ。何故人間は貧乏なんだ。何故餓鬼は不幸なんだ。何故真裸な野っ原があるんだ。何故あの女達は抱合わないんだ。何故接吻しないんだ。何故喜びの歌を歌わないんだ。何故黒い不幸の為に斯んなに黒くなったのだ。何故餓鬼に乳を飲ませないんだ?」
 彼は心の中で斯ういう事を感じた。自分は愚かな気違じみた訊き方をしている。けれども自分は何してもこういう訊き方をしたいのだ。何うしても訊かねばならないのだ。彼はまた斯うも感じた。今まで一度も経験した事のない感激の中に泣き出したい様な気持にさえなった。そしてもうこれからは決して餓鬼が泣かない様に、萎びて黒くなった餓鬼の母親が泣かない様にしてやりたい。そして此の瞬間からしてもう誰の目にも、涙のなくなる様にしてやりたい。何んな障害があろうとも一分の猶予もなく……。
 ドストエフスキーのこんな場面とその感じは、夢よりももっと痛切な現実である。感じだけに立止まればそれは夢である。しかし、人間がみんなでこの不幸の状態に自らを導いたのだと気付いたとき、この不幸を耕す鋤を腕に感じた時、そこに招くが如き新しい光がさし来り、刺す様な現実として醒め来るのである。どんな小さな土の一塊でもよい、掌に取って砕けばよい。その行動は、この感じと夢が、どんなに困難であるかということと、命を賭ける値ある悦びであるかということを知らしめるであろう。

編者注】
 かろうじて残っていたFacebook ノートより。戦前の良質なドストエフスキー受容がそこにはあると思う。

 この八月に、学生時代の芝居仲間の、F君が亡くなった。能登への地方巡業(「ドサ回り」と称していた)の時、酒を飲み夜遅くまで騒いでいた時、F君がぬっと現れ、「夜は寝るもんや!」と言われたことを今でも鮮明に覚えている。彼のK高校在学中、彼なりに「激動の時」を経験し、大学入学後は学部は違ったが、芝居でも、役づくりに真剣で、彼の生真面目なところが魅力的だった。卒業後、久しぶりに「政治的」な話をしたところ「学生時代のあの頃と変わらんな!」と返してきた。
 自分では、変わったつもりであり、その言葉に一時的には厶ッとしたが、今考えれば褒め言葉だったかもしれない。ありがとう、F君!「これからは決して餓鬼が泣かない様に、萎びて黒くなった餓鬼の母親が泣かない様にしてやりたい。そして此の瞬間からしてもう誰の目にも、涙のなくなる様にしてやりたい。何んな障害があろうとも一分の猶予もなく」という自分の心にあるミーチャの思いは変わらないのだよ!

読書ざんまいよせい(050)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(018)
「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」から(続き)

編者より】
 チェーホフの最晩年の三作、「谷間」「僧正」「いいなづけ」は、どれをとっても、珠玉の作品である。
 ただ、前二作は、「いいなづけ」が「希望」の兆しが垣間見られたが、作品は、少しニュアンスが違う。「谷間」では、ロシアの田舎でも、「資本主義的な蓄積」がその開始時期も過ぎ、生産資本として成り立ってゆく時代の人物群像である。その代表である商人ツィブーキン家の次男の嫁、アクシーニアは、本格的な工場経営に乗り出す。その上で、長男の嫁リーバの幼子を、やや悪意を持って死なせてしまう。チェーホフは、その子を毛布にくるんで家路をたどるリーバの描写が物悲しく描いている。「僧正」では、幼い頃に別れた母親が、聖職者になった僧正ピョートルの礼拝の時も、名乗りをあげられない。その時は、ピョートルが、死の床にあった最期の時間に手を握りしめた一瞬であった。二作品で、チェーホフは、未来への展望は、一切語らない。チェーホフ的な「ペーソス」の極地であろうか?
 筆致や人物造形はまったく違うが、バルザックの、前者は、貴族階級の没落をテーマとした「農民」に、後者は、聖職者としての出世が思うようにいかなかった僧侶の寂しい晩年まで描いた「ツールの司祭」にシチュエーションが似ていることが興味深く感じた。

ーーここからーー

 彼は己れの卑劣さの高みから世界を見おろした。

 ――君の許嫁は美人だなあ!
 ――いやなに、僕の眼にはどんな女も同じことさ。

 彼は二十万円の富籤をつづけざまに二度抽き当てることを夢想していた。二十万ではどうも少ないような気がするので。

 Nは退職した四等官。田舎に住んで、齢は六十六である。教養があり、自由主義で、読書も好きなら議論も好きだ。彼は客の口から、新任の予審判事のZが片足にはスリッパを片足には長靴を穿いていることや、何とかいう婦人と内縁関係を結んでいることを聞き込む。Nは二六時ちゅうZのことを気にして、あの男は片足だけスリッパを穿いて、他人《ひと》の細君と関係しているそうですな、とのべつに彼の噂話をしている。そのことばかり喋っているうちに、挙句の果には奥さんの寝間へでかけて行くようにさえなる(八年この方なかったことである)。興奮しながら相変らずZの噂をしている。とうとう中気が出て、手足が利かなくなってしまう。みんな興奮の結果である。医者が来る。すると彼をつかまえてZの話をする。医者はZを知っていて、今ではZは両足とも長靴を穿いているし(足がよくなったので)、例の婦人とも結婚したと話す。

 あの世へ行ってから、この世の生活を振り返って「あれは美しい夢だった……」と思いたいものだ。

 地主のNが、家令Zの子供たち――大学生と十七になる娘――を眺めながらこう思う。「あのZの奴は俺の金を贓《くす》ねている。贓ねた金で贅沢な暮しをしている。この学生も娘もそれ位のことは知ってる筈だ。もしまだ知らずにいるのなら、自分たちがちゃんとした風をしていられるのは何故かということを、是非とも知って置くべきだ。」

 彼女は「妥協」という言葉が好きで、よくそれを使う。「私にはとても妥協は出来ませんわ。」……「平行六面体をした板」……。

 世襲名誉公民のオジャブーシキンは、自分の先祖が当然伯爵に叙せられるだけの権利のあったことを、人に納得させようといつも懸命である。

 ――この途にかけちゃ、あの男は犬を食った(通暁しているの意)ものですよ。
 ――まあ、まあ、そんなこと仰しゃっちゃ駄目よ。家のママとても好き嫌いがひどいの。
 ――私、これで三度目の良人《おっと》なのよ。……一番はじめのはイヴァン・マカールィチって名でしたの。……二番目はピョートル……ピョートル……忘れちゃったわ。

 作家グヴォーズヂコフは、自分が大そう有名で、わが名を知らぬ者はないと思っている。S市にやって来て、或る士官と出逢う。士官は彼の手を長いこと握りしめて、さも感激したように彼の顔に見入っている。Gは嬉しくなって、こちらも熱烈に手を握り返す。……やがて士官がこう訊ねる、「あなたの管絃楽団《オーケストラ》は如何ですか? たしかあなたは楽長をしておられましたね?」

 朝。――Nの口髭が紙で巻いてある。

 そこで彼は、自分がどこへ行っても――どんなところへ行っても、停車場の食堂へ行ってさえ尊敬され崇拝されてるような気がしたので、従っていつも微笑を浮べながら食事をした。

 鶏が歌っている。だが彼にはもはや、鶏が歌っているのではなくて、泣いているように聞える。

 一家団欒の席で、大学に行っている息子がJ・J・ルソオを朗読するのを聴きながら、家長のNが心に思う、「だが何と言っても、J・J・ルソオは頸っ玉に金牌をぶら下げちゃいなかったんだ。ところが俺にはこの通りあるわい。」

 Nが、大学に行っている自分の継子を連れて散々に飲み歩いた挙句、淫売宿へ行く。翌る朝、大学生は休暇が終ったので出発する。Nは送って行く。大学生が継父の不品行を咎めてお説教をやり出したので、口論になる。Nがいう、「俺は父親としてお前を呪うぞ。」「僕だってお父さんを呪います。」

 医者なら来て貰う。代診だと呼んで来る。

 N・N・Vは決して誰の意見にも賛成したことがない。――「左様、この天井が白いというのはまあいいとしてもですな、一たい白という色は、現在知られているところではスペクトルの七つの色から成るものです。そこでこの天井の場合でも、七つの色のうちの一つが明るすぎるか暗すぎるかして、きっかり白になってはいないという事も大いにあり得るわけです。私としては、この天井は白いという前に、ちょっと考えて見たいですな。」

 彼はまるで聖像みたいな身振りをする。

 ――君は恋をしていますね。
 ――ええ、まあ幾分。

 何事がもちあがっても彼は言う、「こりゃみんな坊主のせいだ。」

 Fyrzikov.

 Nの夢。外国旅行から帰って来る。ヴェルジボロヴォの税関で、抗弁これ努めたにも拘わらず、妻君に税をかけられる。

 その自由主義者が、上着なしで食事をして、やがて寝室に引き取ったとき、私は彼の背中にズボン吊を認めた。そこで私には、この自由主義を説く俗物が、済度すべからざる町人であることがはっきり分った。

 不信心者で宗教侮蔑者を以て任じているZが、こっそりとお寺の本堂で聖像を拝んでいるところを誰かに見つかった。あとでみんなからさんざん冷やかされた。

 ある劇団の座長に四本煙突の巡洋艦という綽名がついている。もう四度も煙突をくぐった(身代限りをした)ので。

 彼は馬鹿ではない。長いこと熱心に勉強をしたし、大学にもはいっていた。だが書くものを見るとひどい間違いがある。

 ナーヂン伯爵夫人の養女は段々と倹約《しまり》屋になって行った。ひどく内気で、「いいえ」とか「はい」とかしか言えない。手はいつもぶるぶる顫えている。或るとき、やもめ暮らしの県会議長から縁談があって、彼のところへ嫁に行った。やっぱり「はい」と「いいえ」で、良人にびくびくするばかりで、少しも愛情が湧かなかった。或るとき良人がとても大きな咳をしたので、彼女は動顛して、死んでしまった。

 彼女が恋人に甘えて、「ねえ、鳶さん!」

 Perepentiev《ペレペンチェフ》君。

 戯曲。――あなた何か滑稽なことを仰しゃいな。だってもう二十年も一緒に暮らしてるのに、しょっちゅう真面目なお話ばかりなんですもの。あたし真面目なお話は厭々ですわ。

 料理女が法螺を吹く、「ワタチ女《チョ》学校へ行ったのよ(彼女は巻煙草をくわえている)……地球がまんまるな訳だって知ってるわよ。」

 「河船艀舟錨捜索引揚会社」。この会社の代表者が、何かの紀念祭には必ず現われて、N気取りのテーブル・スピーチをやる。そしてきっと食事をして行く。

 超神秘主義。

 僕が金持になったら、ひとつ後宮《ハレム》をこしらえて、裸のよく肥った女どもを入れとくね。尻っぺたを緑色の絵具でべたべた塗り立ててね。

 内気な青年がお客に来て、その晩は泊ることになった。不意に八十ほどの聾の婆さんが灌腸器を持ってはいって来て、彼に灌腸をかけた。彼はそれがこの家のしきたりかと思ったので、大人しくしていた。翌る朝になって、それは婆さんの間違いだと分った。

 姓。Verstak《ヴェルスターク》*.
*長い腰掛。

 人間(百姓)は愚かであればあるほど、その言うことが馬にわかる。

「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」(終了)

日本人と漢詩(113)

◎木村蒹葭堂と宇野明霞


 前回までの「脱線」を修正し、「木村蒹葭堂のサロン」に沿って、取り上げられた漢詩人を紹介してゆく。木村蒹葭堂を取り巻く人達は、その豊富さを誇る。重複しているのを厭わずに言うと、第一に、小説、漢詩、俳句、絵画などを得意とした、文人のグループ。第二に、その周辺にいた、コレクター、第三に、懐徳堂をはじめとする儒学者、さらには、第四に、名前も知られない市井の人々。また、師弟関係の「系統樹」をたどると、その頃の日本、部分的には、世界と繋がっていたと言えるのではまいか。
 まず、蒹葭堂と直接の師弟関係はないが、漢詩人の結社「混沌詩社」の指導者、片山北海の師匠筋にあたる、主には儒学者たる宇野明霞から。
 中村真一郎は、「明霞は詩才に乏しい」と断言するが、それでも数首、彼の詩を引く。このあたり、中村の守備範囲の広さがうかがえる。比較的佳作とする詩から、三首ほど。

咏秋海棠
海棠秋睡熟 含露倚籬根
曉風吹不覺 初日滿前園
(海棠、秋、睡り熟シ、露ヲ含ミテ、籬根二倚《ヨ》ル。暁風吹キテ覚エズ、初日、前園二満ツ)
「朝起きてみると、前庭のシュウカイドウのピンクの花が、朝日に照らされて咲いている。」のような意味か?

偶作
靜窓驚遠梦 忽爾還千里
也知客夜中 幾處鄕心起
(静窓、遠夢二驚キ、忽爾トシテ千里還ル。マタ知ル、客夜ノウチ、幾処、郷心起ルヲ)
「これなどは、天才的とは言えないが、小さな成功を見せていて、好意が持てる。」と中村は書く。

謝ー壑禪師見贈庭花
竹院春深少往還 庭花折贈市塵間
數枝紅白看無厭 也得浮生幾日閑
(竹院、春深ク、往還少ク、庭花、折り贈ラル、市塵ノ間。数枝ノ紅白、看ルニ厭フナク、マタ得ル、浮生、幾日ノ閑)

必ずしも、順風満帆でなかった、己の人生もようやく落ち着いたところに落ち着いたという感慨であろうか?

図は、宇野明霞の七絶の筆跡、繊細なタッチで、どこか物悲しく感じる。

中井正一「土曜日」巻頭言(04)

◎星を越えて、人間の秩序は、その深さを加える 一九三六年八月一日

 星が数字を知っているかぎり、人の世が誤差のみを辿ることはできない。
 分秒を違えずに、日触の時間があらかじめわかることは、何でもないことのようだが、不思議なことではないか。別に人間の理論に天体が従ったわけではない。悠久の古えより、物質が辿る秩序を、人間がさぐりあてたのである。
 誰にも命令を受けない物質が、みずからの本源のカと力の組み合いの中に、ゆれながら、ふるえながら、みずからの位置を辿っているのである。そして、その地上に生きる者にまでわかるほどの秩序が、そこに沈んでいるのである。
 数千万年を土の中にうずもれている物質が、自ら自らの結晶の秩序を忘れないのはどうだ。顕微鏡の下に 一分の謬りのすきをも見せないこの細かな感覚はどうだ。人間がダイヤモンドに驚異を感じたのは、今人々 が見ている様な憎むぺき感情のもとに於いてではない。強靱なこの秩序に対する畏れよりしてである。恥し いのは人間である。
 互に組合うぺき秩序より、ひそかに脱落し辿るぺきさながらの位置より、みじめにも遁走し、更に敢えて 人々の友愛と知惹をかきみだし、人々の明日への希望を打砕いているのは誰であるか。外でもない、自分逹自らである。
 星を見れば恥じ、水を見れば恥じ、花を見れば恥じ、石を見れば恥じなければならない物が人間である。
 しかし、重大なことが残っている。
 星がいかに怜悧でも、結晶がどんなに巧緻でも、人間のこの激しい秩序への動揺は、知らないのではないかということである。
 人間にとって、人間の中に棲む自然と秩序は老いている。若い人間がそのふるえている手を取らなくてはならない。手を借さなくてはならない。
 人間の尊厳とは星のそれではなく、花のそれでもなく凡ての謬りを機みとして、新しい真実の中に、自らを押し上げ、試み、切展いて行く行動の中にある。 この重い動きと強靱な秩序への見透しの中に人間の厳かさがあるのである。
 星を越えて、秩序はその深さを加える。
 星が大きいとて、この闘いに比すれば愚直である。星が数字を知っているとて、この闘いに比すれば静謐である。人間の滅ぴることは、この闘い故に、悠久の徴しとなるのである。
 憩いと想いはこの尊厳と悠久の帰り棲む場所である。

『土曜日』第十三号

編者注】図は、『土曜日』から「藤井大丸」の広告。叔母は、少々「しぶちん」だったので、デパートに連れてもらった時は、よく京都駅前の藤井大丸にでかけた。河原町の高島屋などは、値が張るのが、一つ、西洞院五条から河原町までより、京都駅前までのほうが、歩いて近かった(もちろん、西洞院通りを走る、明治以来の路面電車には乗せてもらえなく、四停留所分くらい歩かされ、子どもの身にとっては辛かった。)が二つ。藤井大丸の食堂で、オムライスだったかな?食べさせてもらった時、叔母曰く「ようけ歩いたから、お腹へって、おいしんやで!」。それ以来、オムライスは私のソウルフードになった。付け加えると、広告にあるように、蒸し暑い夏の京都で、冷房完備をうたった店舗だったせいかもしれない。幼少時の想い出の一つである。

正岡子規スケッチ帖(013)

①八月二日
日日草《ニチニチサウ》
②八月三日
瞿麦《くばく》 なでしこ
花売リノ爺ハ之《これ》ヲ
とこなつトイㇷ