読書ざんまいよせい(046)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(015)
付き]「犬を連れた奥さん」への短い感想

 双璧のもう一つの傑作「犬を連れた奥さん」は、最初、「狆《ちん》を連れた奥さん」とのタイトルだったそうだ。一言で言えば「不倫」がテーマである。物語そのものは。「犬を連れた奥さん」(青空文庫)をご覧いただく他ないが、印象に残ったシーンを一つ。彼女と別れてから、ある劇場で偶然再会する。その時の彼女の言葉、「Здравствуйте(ズドラーストヴィチェ) こんにちわ」に、当方は、とんと縁がないし、ありたいとも思わないが、しびれるほど感激した。

手帖(続き)

 窓ごしに、舁《かつ》がれてゆく亡者を見ながら、「お前は死んで、お墓へ運ばれて行く。ところで俺は、朝飯をやりに行くとするか。」

 チェック人 Vshichka《フシーチカ》.

 四十歳の男が二十二の女を娶った。彼女は最近の作家のものしか読まず、緑色のリボンをかけて、黄色い枕に埋《うず》まって寝る。自分の趣味に自信たっぷりで、自分の意見をまるで法律のように述べたてる。美人で、馬鹿じゃなく、おとなしい女だが、彼は離婚する。

 喉がかわく時には大海をも一飲みにする気でいる――これが信仰。いざ飲むとなるとせいぜいコップに二杯だ――これが科学。

 笑劇につかう人名。――Filjdekosov《フィルデコーソフ》.Popryguniev《ポプルイグーニエフ》*.
*「瓦斯糸」、「お跳ね」(男性)の意。

 以前には、主義主張あり、世の尊敬をかち得ることを好む立派な人物は、将軍や僧侶になったものだ。ところが今日では、作家や教授になる。……

 歴史によって神聖化されないものなんか、一つだってありはしない。

 Zevulia《ゼヴリーア》*夫人。
*Zev(あくび)から作る。

 いい子供でも泣く顔は見っともない。同様に、下手な詩の中に、作者の人間としてのよさを発見することがある。

 もし女にちやほやされたいなら、すべからく奇人であれ。夏でも冬でもフェルトの長靴を穿いている男を私は知っているが、その男は女に騒がれた。

 ヤルタに着いて見たら、どこもここも満員だった。イタリヤ・ホテルへ行って見たが、ひと部屋も明いていない。「僕の三十五号室は?」「ふさがっております。」何とかいう奥さんである。「御婦人と御同室ではいけますまいか。あちら様は一こう構わないと仰しゃいますが」とホテルの人が言う。そこでその部屋に落ちつく。会話。夕暮。韃靼人のガイドがはいって来る。私は耳も頭もがんがんして来る。私は椅子にかけたなりで、何にも見えず何にも聞こえない。……

 令嬢がぐちをこぼす。――「兄さんったら可哀相にサラリイがとても少ないのよ。――たった七千なんですって!」

 彼女がいう、「今じゃもう、一つことしか眼につかないわ。あんたの口の大きいこと! 大きな口! 何てまあ大きな口!」

 馬は有害無益な動物です。馬のために余計な地面まで耕します。馬は人間に筋肉労働の習慣を失くさせます。それのみか屡々贅沢品にもなります。馬は人間を惰弱にします。将来は馬なんぞ一匹もいなくなるがいいです!

 N君は声楽家である。誰に会っても口を利かない、喉はすっかりくるんである――声を大事にするのである。ところが誰一人ついぞ彼が歌うのを聞いた人はない。

 何事についても断乎として、「それが一体何になります! 何にもならんですよ!」

 夏でも冬でもフェルトの長靴を穿いている。それをこう説明する。――「頭が軽くなるんです。熱のため血が足の方へ下りますからね――考えがはっきりしますよ。」

 婦人が冗談にフョードル・イヴァーノヴィチと呼ばれる。

 笑劇。――Nが結婚の用意に、広告に出ていた軟膏を頭の禿に擦りこんだ。すると意外千万、頭に豚の剛毛が生えて来た。
 ――御主人は何をしておられますか?
 ――蓖麻子《ヒマシ》油《ゆ》をいただいてますわ。

 お嬢さんの手紙。――「すると私たちの家、堪らないほどあなたのお宅と近くなるわ。」

 Nはずっと前からZに恋している。ZはXに嫁ぐ。結婚後二年ほどしてZはNを訪れる。彼女は泣いて、何か話がある様子だ。てっきり夫の不平を言い出すのだとNは思って待ち構える。ところがZは、Kを恋していることを打ち明けに来たのだった。

 Nはモスクヴァの有名な弁護士。ZはNと同郷のタガンログ生れ。彼はモスクヴァに出て来ると、この名士に会いに行く。彼は大喜びで迎えられる。しかし彼は、その昔Nと一緒に通った中学を思い出し、Nの制服姿を思い出し、羨望のために心が平らかでない。そして、なあんだ住居《アパート》だって大して上等じゃないし、Nという人間にしてもお喋りで感服できんな、などと考える。やがて彼は、自分の抱いた羨望の念と自分の品性の下劣さのためすっかり白けた気持になって、Nの家を辞去する。自分がこれほど下劣な人間だろうとは、彼はその時まで夢にも思わなかった。

 戯曲の題――『蝙蝠』。

 老人に出来ないことは悉く、禁止されるか又は危険視されるのだ。

 彼はひどく老い込んでから、若い女と結婚した。すると彼女はみるみる衰えて、彼とともに弱って行った。

 一生涯、資本主義だの何百万だのと書いていた。そのくせ金のあった例しはなかった。

 奥さんが美男のお巡りさんに恋した。

 Nは非常に腕のいい、得がたいほどの仕立屋だった。ところが色んな詰らぬことのために害《そこ》なわれて、すっかり駄目になってしまった。ポケットの無い外套を作ったり、とても高い襟を付けたりした。

 笑劇。――荷物運送兼火災保険会社の代理人。

 上演できる脚本なら誰にだって書ける。

 田舎の領地。冬。病気のNが家に引籠っている。ある晩、何の前触れもなしに停車場から、Zという見知らぬ若い少女が橇を乗りつける。彼女は自己紹介をして、Nの看病にやって来たのだと述べる。Nは当惑する。薄気味が悪くなって断る。するとZは、とにかく今晩は泊めて貰いますという。一日たち二日たつが、彼女は出て行かない。彼女はとても我慢のならぬ性格の持主で、折角の閑居をめちゃめちゃにしてしまう。

 レストランの特別室。金持のZがナプキンを頸玉に結んで、鱘魚《ちょうざめ》をフォークでつつきながら呟く、「この世の名残に一口やるか。」――それがずっと以前から毎日のことである。

 ストリンドベリイや一般に文学に関するL・L・トルストイ*の考え方は、ルフマーノヴァ女史**にそっくりだ。
*リョフ・トルストイの息子。
**三流所の女流作家。

 デドロフ*は談たまたま副知事や知事のことに及ぶと、『ロシヤ文学百人集』に収められた『副知事の来着』を持ち出しなどして、浪漫主義者になってしまう。
*三流所の小説家。

 戯曲『生活の豆』。

 馬医者A、種馬階級の出身。

 ――うちのお父さんはスタニスラフ二等勲章*までみんな持ってましたわ。
*その下にはスタニスラフ三等勲章しかない。

 Konculijatsyja《コンスリャツイヤ》*.
*Konculitatsyja《コンスリタツイヤ》(立会診断)の言い誤り。「領事」に似て来る。

 陽《ひ》は輝いているけれど、私の胸のなかは暗い。

 S町でZという弁護士と知合いになった。美しきニカといった型の男である。……子供が沢山いるが、どの子に対しても教え導くような態度で接して、柔和で優しく、決して荒い言葉を使わない。間もなく私は、彼にはもう一つ別の家庭のあることを知った。やがて彼は娘の結婚式に私を招んで呉れた。彼はお祈りをして、ひれ伏さんばかりに頭を垂れてこう言う、「私にはまだ宗教心が残っているのです。私は信者なんです。」彼のいる席で教育問題や婦人問題が話題になると、彼は何の話か分りませんといった風な無邪気な顔をする。法廷で弁論をする時には哀願するような顔になる。

 ――お母さん、お客様の所へ出ないで頂戴な。あんまり肥ってらっしゃるんですもの。

 恋愛ですと? 恋をしたですと? とんと覚えがありませんわい! 私《わし》は八等官ですて。

 まだ母親の胎《はら》から出て来ない嬰児のように物を知らぬ男。

 Nのスパイ熱は、子供の時からよぼよぼ爺さんになるまで変らなかった。

 ――賢い言葉を使うことだな、万事はそれに尽きるですよ。――哲学……赤道……といった工合にね(戯曲に使うこと)。

 星たちはもうとっくの昔に消えてしまった。しかし俗衆には相変らず光って見える。

 学者になるかならない内から、もう名声を望むようになった。

 後見役《プロンプター》をしていた男が、厭気がさしてやめた。それから十五年ほど劇場へ足踏みもしなかった。やがて芝居見物に行って、感動のあまり涙を流し、侘しい気持になった。家に帰って、芝居は如何でしたかと妻君に訊かれると、彼はこう答えた、「虫が好かんね!」

 小間使のナージャが、油虫・南京虫の駆除夫に恋した。

 或る五等官が死んだ後で、彼が一ルーブルの日当で劇場の犬の声色方に傭われていたことが分った。貧乏だったのだ。

 君はちゃんとした、身装《みなり》の立派な子供たちを持たなくちゃならぬ。君の子供達もやはり立派な住居《すまい》と子供たちを持たなくちゃならぬ。そのまた子供たちも、やはり子供たちと立派な住居を持たなくちゃならぬ。一たい何のためにだって? ――誰が知るもんか。

 Perkaturin《ペルトトウーリン》.

 彼は毎日わざと嘔気をつける。――健康のためにいいという親友の忠告にしたがって。

 さる官吏が風変りな生活をはじめた。別荘にひどく高い煙突をつけ、緑色のズボンをはき、青いチョッキを着込み、犬の毛を染め、真夜中に正餐をとる。一週間すると降参してしまった。 成功は早くもこの男をぺろりと一舐めした。

 「Nは金に困ってるよ。」「何だって? 聞えなかったよ。」「Nが金に困ってるって言ったんだよ。」「一体そりゃ何のことかね? 僕にゃ分らないなあ。第一NってどのNだい?」「Zを妻君にしているあのNさ。」「成程、それがどうしたね?」「あの男を援助してやらなくちゃなるまいって言うんだよ。」「え? あの男って誰のことかね? なぜ援助してやるんだね? そりゃまたどういう意味かね?」等々。

 旅館の主人が差出した勘定書の中に、「南京虫十五銭」という項目。その説明。

 屋根を打つ雨の音を聴きながら、おまけに自分の家には厄介な退屈な人間はいないのだと意識しながら、家に引籠って居るのは何という愉しさだろう。

 Nはいつも、ヴォトカを五杯もひっかけた後ですら、必ずヴァレリアン・ドロップス(興奮剤)を嚥む。

 彼は女中と事実上の夫婦になっている。彼女はおそるおそる、彼を「殿様」とあがめる。

 私はある田荘を借りて避暑した。持主は大そう肥った老婦人だった。彼女は離れに住んで、私は母家に住んでいた。彼女は夫に死別し、子供達にも皆死なれて、一人ぽっちで、ひどく肥満していた。領地は借金の始末に売りに出ていて、備えつけの家具調度の類は古めかしい、趣きの深いものだった。彼女はしょっちゅう、自分に宛てられた亡夫や息子の古手紙を読んでいた。それでいて彼女は楽天家だった。私の家の者が病気になると、彼女は微笑みながら「ねえ貴方、神様のお助けがありますわよ」と慰めるのだった。

 NとZとは女学校の仲好しで、二人とも十七八の年頃である。不意にNは、Zが彼女の父親N氏のために身重になったことを知る。

 牧師チャマが参られた。……チン聖《チェイ》な。……神よ、チュク福《ブク》あれ。……

 女権拡張についてのお談義のなんと空疎な響きを立てることよ!

 もしも犬が名文を書いたら、彼等は犬をさえ認め兼ねない。

 喀血。――なあに膿腫《おでき》が破れたのさ。……何でもないさ、まあもう一杯やんなさい。

 インテリゲンツィヤは無用の長物だ。何故というに、お茶をがぶがぶ飲んで、やたらに喋り立てて、部屋じゅう濛々たる煙草の煙、林立する空瓶……。

 まだ娘の頃にユダヤ人の医者と駈落をして、女の児を生んだ。今では自分の過去が厭わしい、赤毛の娘が厭わしい。しかし父親は相変らず彼女も娘も愛していて、丸々と肥ったきれいな顔をして窓の下を歩いている。

 楊枝を使って、またそれを楊枝入れに差した。

 夫婦ともよく眠れないので、つい話に身がはいってしまった。文芸が衰えたという話から、雑誌を出したらさぞよかろうという話になる。二人ともこの思いつきに夢中になった。やがて横になって、暫く言葉がとだえた。「ボボルィキンに書いて貰うかね?」と彼が訊いた。「無論ですわ、書いて貰いなさいよ。」朝の五時に彼は車庫へ勤めに出る。彼女は雪の中を門まで送って行って、彼の出たあとを閉める。「ええと、ポターペンコにも書いて貰うかね?」と、木戸の外から彼が訊く。

 アレクセイは父親が貴族に列せられたと知ると、さっそく署名をアレクシイに改めた。

 教師曰く、「『人畜の犠牲を伴える列車の顛覆』というのはいけません。『その結果として人畜の犠牲を生じたる列車の顛覆』としなくてはいけません。」……「参集したる客に基づき」……

 戯曲の題『金色の雨』。

 われわれ無常の人間の物差しは一つとして、非有や人間以外のものを測る用には立たぬ。 愛国者曰く、「ですがね、わがロシヤのマカロニはイタリヤのより上等ですよ! 論より証拠ですて! いつぞやニースで鱘魚《ちょうざめ》料理を出された時にゃ、思わず泣きたくなったですよ!」そしてこの愛国者は、自分が胃の腑だけの愛国者であることに気がつかなかった。

 不平家曰く、「一たい七面鳥は食べ物でしょうか? 一たい筋子《イクラ》は食べ物でしょうか?」

 大そう聡明な、学問のあるお嬢さん。彼女が海水浴をしているとき、その狭い骨盤や、痩せ細った貧弱な腿を見て、彼は彼女が嫌いになった。

 時計。錠前屋のエゴールの時計は、まるでわざとのように意地悪く遅れたり進んだりする。いま十二時を指したかと思うと忽ち八時を指す。中に悪魔でも棲んでいそうな意地の悪さである。錠前屋は原因をつかもうと思って、あるとき時計を聖水に漬けて見た。……

 昔の小説の主人公(ペチョーリン、オネーギン)は二十歳だった。だが今日では三十から三十五歳よりも若い主人公は使えない。やがて女主人公の方もそうなるだろう。

 Nの父親は有名な人だった。彼も立派な人間なのだが、何をやっても皆がこう言う、「相当だね、だがお父さんにはまだまだ。」或るとき彼は芸術の夕べに出演して朗読をやった。ほかの連中はみんな好評だったが、彼だけはこう言われた、「相当だね、だがお父さんにはまだまだ。」家に帰って床に就くと、彼は父親の肖像を睨みつけて拳骨を振り廻した。

 われわれは子孫を幸福にするため生活の改善に腐心する。しかし子孫は相変らずこう言うに違いない、「昔は今よりよかったなあ。今の暮らしは昔より悪くなったよ。」

 わが座右銘。――私はなんにも要らない。

 今日では、きちんとした勤勉な人が自分や自分の仕事を批判的な眼で眺めると、世間からやれ愚痴っぽい男だとか、のらくら者だとか、厭世家だとか言われる。ところがぶらぶらしているいかさま師が仕事をしなけりゃならんと叫ぶと、世間の人は喝采する。

 女が男の真似をして破壊をすると、人々はこれを自然と見、よく理解する。女が男の真似をして創造を企てたり試みたりすると、人々はこれを不自然と見、怪しからんと言う。

 僕は結婚すると婆さんになりました。

読書ざんまいよせい(042)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(014)
付き]レフ・トルストイ「可愛い女」あとがき

 チェーホフの小説の中で、少し「成熟」した女性を描いた作品の双璧は、「犬を連れた奥さん」(青空文庫)と「可愛い女」(青空文庫)だろう。もっとも、こうしたシチュエーションは、幸か不幸か、わが人生において経験したことはないが…
 「可愛い女」は、それぞれ相手によって、自らの信条・趣味を簡単に取り替える女性。チェーホフがこの主人公を肯定的にみているのか、否定的に批判しているのかは、難しいところである。
 トルストイは、この小説を絶賛した。以下、レフ・トルストイ「可愛い女」あとがき(工藤精一郎訳)からの抜粋。


 作者は、明らかに、彼の考察によれば(しかしそれは心情によるものではない)みじめな存在である「可愛いさ、つまり芝居小屋をもつクーキンの心労を分けあったり、材木商の利害に頭を悩ましたり、獣医の考えをそのまま自分の考えとして、家畜の結核とのたたかいを人生のもっとも重大なことと考えてみたり、果ては、大きすぎる学帽をかふった中学生の勉強の問題や世話にすっかり呑みつくされてしまつたりする女を、嘲笑しようと思ったのである。
 彼は、バラム〈旧約聖書「民数記」に登場する詩人〉のように、呪うつもりであったが、詩の神がそれを彼に禁じ、祝福することを命じた、だから彼は祝福し、無意識にこのやさしい女を実にすばらしい光でつつんでやった。だからこの女は、自分も幸福になり、運命によって結びつけられた者を幸福にしてやるために、女があらねばならぬ姿の手本として、永遠にのこることになったのである。

 彼は、バラム〈旧約聖書「民数記」に登場する詩人〉のように、呪うつもりであったが、詩の神がそれを彼に禁じ、祝福することを命じた、だから彼は祝福し、無意識にこのやさしい女を実にすばらしい光でつつんでやった。だからこの女は、自分も幸福になり、運命によって結びつけられた者を幸福にしてやるために、女があらねばならぬ姿の手本として、永遠にのこることになったのである。
 この物語は、それが無意識のうちに生まれたために、このように美しいのである。
 私は師団の査閲が行われる練兵場で自転車の稽古をしたことがあった。練兵場の向う隅で一人の婦人がやはり自転車の稽古をしていた。私は、その婦人の邪魔にならないようにと考えて、婦人の方を見まもりはじめた。そして、そちらに注意をうばわれていると、かえってしだいにそちらへ近づいて行った、そして、婦人が危いと気がついて、急いで遠ざかろうとしたのに、私はぶつかって、婦人を転がしてしまった。つまり、望んでいたこととまるで反対のことをしてしまったわけだが、これもひとえに婦人にあまりに注意を向けすぎためである。
 チェーホフの場合も、これと同じことが、丁度逆に作用しと。彼は可愛い女を転がそうと思って、詩人の注意に集中しすぎて、逆に彼女を抱き上げてしまったのである。

手帖(続き)

 だがそうした細かしいいきさつは、殆んどわれわれの耳には舞い込まなかった。(Lolo)

 Sの論理。――私は他宗寛容には賛成ですが、他宗許容には反対です。厳格な意味で正教的でないものは、許容するわけには行きません。

 聖ピオニヤ及びエピマーハ、三月十一日。聖プープリヤ、三月十三日。

 詩や小説戯曲の類いは、現に入用なものを含むわけではなくて、希求されるものを含むのである。しかもそれは大衆を遥かに抜くものではなくて、たかだか大衆の最良分子が希求するものを表現するにとどまる。

 頗る用心ぶかい小紳士。賀状までも書留にして、配達証明つきで出す。

 ロシヤは曠大なる平原にして、猛漢ひとり飄々乎として疾走す。

 Platonida《プラートニダ》 Ivanovna《イヴァーノヴナ》.

 もしも君の政治思想さえ堅実ならば、以て理想的市民たるに充分である。同様のことが自由主義者についても言い得る。即ちもしその思想が堅実味を欠くならば、他の点はすべて顧慮される余地はないのだ。

 人間の眼は、失敗のときにはじめて開くものだ。

 Ziuzikov《ジュージコフ》*君。
*飲んだくれの意。

 五等官、尊敬すべき人物。ところが不意に、その彼がひそかに女郎屋を経営していることが暴露する。

 Nが非常にすぐれた戯曲を書いた。ところが誰ひとり褒めて呉れない、喜んで呉れない。そして口々に言う、「今度の御作を拝見しましょう。」

 稍々身分の高い人々は正面玄関から通った。稍々身分の低い人々は裏口からはいった。

 私の町に、キシミーシ(乾葡萄)という苗字の紳士がいましたがね。自分じゃキーシミシと言っていましたけど、なあに本当はキシミーシだと言うことは皆んなちゃんと知っていましたよ。

 彼女(ちょっと考えて)何て厭らしいんでしょう……。せめてイジューム(乾葡萄)とでも言うんならまだしも、キシミーシだなんて。

 姓。――Blagovospitannyj《ブラゴースピタヌイ》*.
*躾のよい。

 最も尊敬するIv.Iv.よ。*
*手紙の前書きに、余計な「最も」をつけた代りに相手の名イヴァン イヴァーノヴィチを略称した。

 幸運に恵まれた、何でもとんとん拍子に成功する人間は、時として何と鼻持のならぬことだ!

 NがZと関係しているという噂が人の口にのぼりだすと、どうしてもNとZの仲を結びつけずには措かないような空気が、次第次第に醸成されて行くものだ。

 まだ蝗がいた時分、私は蝗撲滅論を書いて一世を狂喜させ、名声と富とを擅《ほしいま》まにしたものです。ところが蝗がもう久しく跡を絶って、世間に忘れられてしまった今日、私は民衆の間に埋もれて、忘れられた無用の人間になってしまいました。

 快活に浮き浮きした調子で、「では御紹介しましょう、こちらはイヴァン・イヴァーヌィチ・イズゴーエフ君、家内の恋人です。」

 その荘園には到るところに立札が立っている。――「無用の者入るべからず」「花を踏むべからず」等々。

 領地には立派な図書館があって、主人の自慢の種になっているが、全く利用されてはいない。出して呉れるコーヒーは水っぽくって、とても飲めたものじゃない。庭は不趣味な造りで、一輪の花もない。――総べてこうしたことを、何かトルストイ的だと心得ている。

 イプセンを研究しようとスエーデン語を習った。そのために非常な時間と労力を費した。ところが急に、イプセンは大した作家でないことが分った。さて折角のスエーデン語をどうしたものかと途方に暮れた。*
*このスエーデン語というのはどういう意味だか分らない。勿論イプセンの書いたのはノールウェイ語である。

 Nは南京虫の駆除を商売にして、それで生計を立てている。文芸作品に対するときも、自分の職業的観点からする。……もし『コサック』に南京虫のことが書いてなければ、つまり『コサック』は駄作である。

 人間が信ずるもの、即ち存在す。

 聡明な少女。――「私、心にもない真似なんか出来ないわ……」「私、嘘なんか一ぺんもつかないわ……」「私ちゃんと主義があるのよ……」二六時ちゅう私、私、私……。

 Nが女優(あるいは歌姫)をしている妻に腹を立てて、彼女の芸を貶した劇評をこっそりと新聞に出す。

 或る貴族の自慢。――「私のこの邸はドミートリ・ドンスコイ時代*の造営でしてな。」
*十四世紀。

 ――あの治安判事さんったら、あたしの犬をひどい呼び方をしましたのよ、「こら、畜生っ!」だなんて。

 雪が降った。けれど、地面が血に染んでいるので積らなかった。

 彼は遺産を残らず慈善事業に寄附したので、親類や子供たちの手には何一つ渡らなかった。彼等が大嫌いだったのである。

 大そう惚れっぽい男。お嬢さんと知合いになるが早いか、もう山羊になってしまう。

 貴族 Drekoliev《ドレコーリェフ》*.
*棒材。

 俺の記念碑の除幕式に侍従連中が参列するのかと思うと、ぞっとするなあ。

 合理主義者ではあったが、罪深い男だったので、教会の鐘の鳴るのが好きだった。

 父親は有名な将軍、邸には数々の名画、高価な家具調度。父親が死んだ。娘たちは教育はあるのだが、自堕落な身装《みなり》をして、碌に本も読まず、馬を乗廻して、退屈がっている。

 正直な人たちだから、必要のないかぎり嘘はつかぬ。

 金持の商人が、うちの便所にシャワーを付けたいと思う。

 朝はやくからオクローシカ*を食べた。
*クヴァスで作る肉入りスープ。

 「この護符《おまもり》を失くすと死にますよ」とお祖母さんが言いました。ところが急に見えなくなったので、長いこと苦に病みました、死ぬかと思ってびくびくしました。ところがあなた、どうでしょう、奇蹟があらわれたんです――その護符が見つかって、私は生き存えることになったんです。

 誰もかもが、私の芝居を観て即座に何か教わろう、何かしら利益を汲みとろうと思って、劇場へ押しかけます。しかしお断りして置きますがね、私にはそんなやくざ者のお相手をしている暇はないのです。

 すべて新しいもの、利益《ため》になるものを、民衆は憎悪し軽蔑する。コレラが流行したとき、民衆は医者を目の敵にして打ち殺した。その一方、民衆はヴォトカを愛飲する。民衆の愛憎を標準にして、その愛し或いは憎むものの価値を判断することが出来る。

参考】
・特集「ユリイカ」 特集・チェーホフ 1988年6月号
・文芸読本「チェーホフ」 1989年8月

日本人と漢詩(112)

◎三上於菟吉とチェーホフと李群玉

 またもや、脱線!三上於菟吉は、「雪之丞変化」が代表作の大正から昭和にかけての大衆小説作家。彼に、こんな「チェーホフ論」があったのは、意外である。その中で、一首、晩唐・李群玉の詩を引く。

水蝶嚴峰倶不知 水蝶《すいちょう》 厳峰《げんぽう》 倶《とも》に知らず
露紅凝艷散千枝 露紅《ろこう》 艶《つや》を凝《こら》し 千枝《せんし》に散ず
山深春晚無人賞 山深く春晩《しゅんばん》人 賞《め》ずるなし
卽是杜鵑催落時 即ち是れ 杜鵑《とけん》催落《さいらく》の時

 水面をとぶ蝶々と険しい山は互いに気づいていない。露のような赤い花は艶っぽく美しく、千の枝に散りばめられている。山奥の春の美しさを理解する者は誰もいない。ホトトギスでさえ、それを終わらせるよう促しさえずっている。

くらいの意味か?起句の、「水蝶嚴峰倶不知」が、なんとも言えずよい。

 比較的マイナーな詩人を引用するところから、三上於菟吉は結構な素養があったのだろう。険しい山を平原の向こうに見える丘陵に変え、鳥の種類を違ったものにするという条件つきで、チェーホフの小説に出てきそうなシチュエーションではある。
 「小論」全体も、チェーホフの深読みになっており、昨今の評論家を抜きん出てなかなか秀逸である。たとえば、当方の好きな小説「いいなずけ」を論じて、

彼女の智慧を啓くものが首都の大学に、彼女を待つことを囁やく。生活の暁に立つて未知に戦のくナーヂヤは、智慧にあこがれて、病青年の啓示のままに許婚者を捨てて――一切の田舎町の平和と愛を、古いしつとりとした邸宅や、教会堂や、祖母や、母親をも捨てて大都会の渦の中へ飛び込むために家出をする。やがて病める者は死に、彼女の智慧は大学でも、さう急には啓いてくれないのがわかる。けれどもチエホフは、それを青年やうら若い処女の軽はずみとして責めはしない。チエホフは彼女の未来を見捨てない。これが若し他の作家でもあれば、青春者の「都会病」や「智識熱」の方を責めて、彼等に捨て去られるために荒廃する田舎町や、田舎人の生活を歎くだらう。さうした感傷性に堕ちないところにチエホフの面目がある。

が一例だろう。

 ライセンス的には、フリーなので、その全文を掲げる。

三上於菟吉・チエホフ小論

自叙伝――気禀の高かさ――アンドレーフとの比較――ゾラのナチユラリズム挽歌――真人――ビヨルネや及びドストエフスキーの憎悪心――チエホフの強さ――彼のニイチエ観――未来への信仰――トルストイの堂々ぶりと彼――インテリゲンチヤの克服――智慧――憎みは愛に死は生に――真理への先導――基督者チエホフ――チエホフの世界征服

 私の手許にあるチヤツトオ・ウインダス版「チエホフ書簡集」は千八百九拾余通といふ豊富な量をおさめてゐる露西亜原本から、百六十余通を摘訳したものに過ぎないが、しかし英訳者コンスタンズ・ガーネツトの巧妙な按排は分量の貧しさを優に補つて、チエホフ研究者のために少なからぬ便宜を与へてゐる。その書簡編の二九五頁、チホノフ氏に寄せた一節にかうある。
 ――僕はタガンログに一八六〇年に生れた。一八七九乍タガンログ高等学校を卒へ、一八八四年モスクワ大学医科を得業した。プウシユキン賞を受けたのは一八八八年だつた。一八九〇年に樺太へ旅行した。往きはシベリヤ通過、帰りは海路。一八九一年ヨーロツパ巡歴を試みて素ばらしい葡萄酒を飲み蠣を食つた。一八九二年にはV・A・チホノフの名付日の集りで鯨飲した。(これはこの書簡がチホノフ家の集りのすぐあとで、チホノフその人に宛てたものなので、チエホフ一流の気軽なユーモアを弄したのだ)――物を書きはじめたのは一八七九年、作品の集は「いろいろな話」「暮明の中に」「物語集」「気六かしき人々」それから長篇「決闘」だ。僕は又穏当なやり口でではあるが戯曲方面へも罪を作つた。独逸語には随分以前翻訳されたけれども、西欧には幾分除外例もある。チエツクやセルビアも亦僕を閑却せなんだ。フランスも無頓着ではない。恋の不可思議さをば十三歳で会得した。学校でも、医者どもの中でも、文学者の中でもみんなと親密につき合つた。僕は独身ものだ。(まだ此の時は有名なクニツペル夫人と結婚してはゐなかつた。――於菟吉)僕は恩給がほしい。僕は医業に自ら当つた。夏分にはときどき死体解剖もしたが此の二三年はしない。文学者ではトルストイ、医者ではザハアリンが好きだ。だが、みんなノンセンスだ。君のいいやうに書いて置いてくれ給へ。抒情詩的に事実を捏ち上げない限りは。――

 一八九二年二月廿二日モスクワで書かれたこの書簡の一節は、何といふ明るさと、正直さで彼自身の過去を語つてゐることだらう。この明るさと正直さとこそは、チエホフの最大特徴で、そして同時に彼を他の多くの文学者から隔絶させ、何の見せかけや、気取りや、声高くひびくひろめ屋の喇叭をも用ひずに、しかも小さいぺン先から流れた文字で、世界億兆に彼の魂を伝へた原動力だ。世にいくばくの良いもの、すぐれたもの、すばらしいものがあらうとも、最も良い、最もすぐれた、最もすばらしいものは「純」だ。みがきのかゝつた「素直さ」だ。智慧のプリズムを通した温い「明るさ」だ。これを同時代の作家アンドレーフ氏に比較して見給へ。同じ短かい自伝を書くにしても、アンドレーフはいつもの業々しい気取方や、見せかけや、ひろめ屋の喇叭を忘れはせぬ。(十数年前早稲田文学に昇曙夢氏が訳された「露西亜文学者自伝」を思ひ出されたし)こんな傾向の作家が常用する――大作家すらも折々慣用する思念、表現両方面のコケ嚇的手段は、なる程一時公衆を驚倒させ、魅惑させるに充分だ。彼等をして静かで、素直で、愛しはするが媚びはせぬ作家を忘れさせるに充分だ。けれども公衆が酣酔と、眩惑とから恢復した時、それは二日酔の青年が、ゆふべの悪酒の盃を思ひ出した刹那に感じるやうないまはしい後味を覚えさせるに過ぎぬ――此の場合もしいつまでも悪い陶酔が忘れられずに、もつともつと囚はれたがり、溺れたがつてゐるものがあるとすれば、それは救はれないヂレツタンチズムに堕した、憐れむべく古めかしい世紀末児の亜流に過ぎないと言はれても仕方がない、だが、正しい鑑賞力の持主たちや、芸術品から生活の尽きざる源を汲むことをよろこぶ人たちは、たとひ一度は腐つた美や、怪奇な幻影に惑はされたとしてもすぐに自分に帰つて、自分が真に求めてゐるものは、鬼面し、粉飾した作品からは到底与へられないことに気がつき、純粋で気高い――しかし、温かく素直な魂から生れたほんものの芸術を探さうとする。同時に芸術といふものが、傾向や趣味に生命点をおかず、永遠な人間性の発露に於いて「不朽」を主張する理由があるのを理解する。そしてかくの如き人々が、つまり人間らしい心で、不朽な芸術品を絶えず求める人達が、ごく手近なところにアントン・P・チエホフを持つことのいかに幸福であることよ!
 事実われわれの知る限りに於いて、チエホフ程はつきりした目で、人生を直観し得た人間は見当らぬ。されど彼自身「自分は製作に当つて殆んど無意識に筆を進めるが」しかし「文学は能ふだけ実在そのまゝに描く術である。何よりも肝心なのは絶対の真実と正直とだ」と公言して、此手段によつてのみ隠された「真珠」を此の世界に掘り出して見せることが出来ると語つてゐる。この言葉は時代はづれのナチユラリストの慣用句に似てゐると思ふものもあるかも知れない。だが、ナチユラリズムは、チエホフ以前にすでにあのゾラにさへ――ルゴン・マツカールの大作家にさへ見捨られてゐた。一八八八年彼は宣言した――「疑ひなく新らしい哲学が新らしい文学を生むのだ。ナチユラリズムはもう古い月界に居を占めた」そして三四年して、「未来は……諸理論から脱却してもつと打ち解けて人生を受け容れることを承認する者、又は者達に属するであらう。私はより広い、より複雑な描写を、人道へのより大きな門戸を信じるものである――そして私に仮すに時を持つてすれば、私自身がそれをする。彼等が叙するところを私がしてのけて見せる」と付け足した。この言葉の中には豪雄無双ないつものゾラがのぞいてゐて私達を微笑せしめるが、兎に角ゾラをしてさへもう前期のものだと叫ばせたナチユラリズムは、チエホフの胸からは過ぎ去つてゐた。チエホフこそは「諸理論から脱却してもつと打ち解けて人生を受け容れた」人間だつた。そして、そのやうに自由に、しかし正しく人生を受け容れることの可能力を持つた人間が此の世界に幾人あり得たか? 此の複雑な人生の、神を信ずる者を、不信者を、耶蘇を、悪魔を、醜くき実在を、華大なる夢想を、恋を、貪欲を「都の生活を、百姓の一生を――さうしたすべての現象を真正面から直視して、何物にも捉へられずにその現象全体を認識し、しかも弱々しい悲哀にも、荒々しい憤怒にも我々を忘れずに、新らしい生の信仰――より誠実で、より自由で、あらゆる点でより精神的な世界の到来に対する信仰を抱きつづける可能力を持つ魂がさうザラにあるものではない。この魂を抱き得る人間こそ自由主義者《リベラリズム》と呼ばれる事をすら厭ふほんものの人間――古来の宗教家や、神学者が夢想したやうな「神の創り給うた」人と呼ばれるに値する第一級の人物だ。玲瓏として曇りのない、そして絶えず一脈の温味を湛へてゐる胸は、人生の欺きや、偽りと憎みとを静かに乗り超えて、憤るべきもの憎むべきものの依つて生ずる人間生活の汚濁を、彼はみづからの手で澄まさせてやり拭ひ取つてやらうとする――チエホフの「真珠を掘り出す」といふ言葉には、此の意味が含まれてゐはすまいか? この博くやさしい気持こそ、チエホフをして徐々としかも確実に――この英吉利人の言ひふるした言葉を私はあまり好まぬ。随分プホザイクで金儲専門の商業に似てゐるが――文学世界を征服させつつある魅力の源泉だ。一切の荒々しさや、悪どさや、猛々しさは畢竟するにその持主の叡智の不足か、もしくは気禀の狭浅を示してゐる。私は折々憤怒し易く、憎悪し易い性質の天才をも尊敬する。たとへばゲーテを一生憎み通した同じフランクフオルト生れのビヨルネの「巴里からの書簡」またはその中で、ツルゲーネフを小酷くやつつけてあるドストエフスキーの「悪霊」をも、どうして重んぜずにゐられるだらう。だが、怒りに燃えた場合のビヨルネや、猜疑に昂奮した場合のドストエフスキーは、われわれを――小さく、貧しく、恒に此の人生に面していぢけてゐるわれわれを抱いてもくれず、富ましてもくれず、また希望に充たさせてもくれない。寧ろ偉大な人格の憤怒の姿は、却つてわわわれをいぢけさせ、貧しくさせ、せせこましい排他的気分にさへ誘つてしまふことがある。私はドストエフスキーを、偉いなる人間であるとは信じてゐるが、しかもその作品が全部人間の未来に約束されてゐると感じることが出来ないのを悲しむ。それに引かへて、チエホフの全製作は、十が十まで、五が五まで、それがいかに小さい分量のものでも、五枚しかないものでも、測るべからざる人間の深さと、美しさとを、われわれに暗示せぬものはない。ある人達はチエホフの静かさを弱さと誤解し、量の少なさを質の貧しさと誤認し、正確な、たぐひない美しさを、デコデコでないから、悪どくないからの故を以つて無魅惑なりとしてゐる。禍ひなる哉! 強い弱いで言へば彼なぞこそ無比の強人である。無比の強人であればこそ、彼はひとりであることすら歎きもせず、怖れもしなかつた。彼は次兄ニコラーイ――絵描きになりつつあつたニコラーイに若き時語つてゐる。「あなたは始終公衆が自分を理解しないと言つて私に訴へる。ゲーテやニユートンは訴へなかつたではないか。キリストだけは訴へたが、しかし自分を理解しないからと言つてではなく、信条を理解しないのを歎いたのだ。公衆はあなたを十分理解しますよ。もしあなたが、あなた自身を理解しないのなら、それは彼等のあやまりではない」この毅然としてしかも物静かな覚悟は、寧ろ東洋的なものを含んでゐる。私はよく曠野に旅して、雑木の中に朗らかな花を見せた花木を眺めると晩唐李群玉の詩を思ひ出す――それは、水蝶厳峰倶不知、露紅凝艶散千枝、山深春晩無人賞、即是杜鵑催落時といふのであつたが、この詩から東洋風高人の姿を充分に彷彿させることが出来、此の種の心意気を真人の至極境として尊敬するのである。さればこそ、チエホフは一切の強調された主張に対しては静かに微笑した。「私は汽車や汽船の中で、ニイチエのやうな哲学者と出逢ひ、そして一夜を語り明かしたいものだと思ふ。だが、あの人の哲学は永持ちのしないものらしいです。あれは納得の行くものといふより、華やかな見ものだ」といふ意味の言葉を、アヴイロフ夫人に対して語つてゐる。チエホフの穏かな唇は決して嘲笑は浮べない――しかし、やさしく微笑む。恐らく彼が若し昂奮した天才と――ニイチエに限らず――出逢つたなら、とつくりと相手の熱烈な言葉に耳を傾けたあとで、「お疲れにならぬやうに――その立派なお考へが御自分の胸の劫火の火炉の中で、おのづと焼け亡びてしまはないやうに――」と心の中に無限のいたはしみを以つて撫でさすつたであらう! そして天才ならぬ凡人の労役と、生苦とに悩やむものに対しては――「ああ、さぞ辛いでせうね、人生は苦しいものです――だが、私達の此の苦しみ、それは決して無効なものではない。私達が汗水を流して植えた一本の木は――椎木の林はあの禿山を豊かに飾るでせう」とやはり無限のいたはしみを以つて慰さめ励ましたであらう! この慰さめや励ましは、出鱈目の世辞ではない――成程チエホフの人生観は、悲しむべく苦しむべき此の現実世界に生きた彼である故に、いたずらに明るいものではなかつた。多くの批評家が言ふやうに、憂鬱暗憺たる一面を持つてゐた。しかし絶望の深淵に自らを陥れて、浮む瀬もない暗黒にのみ生きるには彼の智恵はあまりに澄み切つてゐた――チエホフをかなり早く日本に紹介した、前田晁氏も引用してゐるが、彼は晩年ヤルタで、クープリンに逢つた時、「此処は以前石と薊とで蔽はれた荒地であつたのですが、僕が来てから開墾して、こんな美しくしました。もう二三百年も経ちましたら、世界中がみんな花の咲き乱れた花ぞのになりませう」と語つたといふ、前田氏は、これは字義通りに取るべきではなく、絶望的な人生に対する一種のアイロニイであると言つてゐるが、私はさうとは考へぬ。その期間が二百年であるか二千年であるかは知らぬ――しかし、早晩人間生活が改善せらるべきものであり、自分達の労苦はその未来に対する捨石であるといふ観念は、新芸術の天才達の胸の祭壇を照らす光明であらねばならなかつた。――チエホフは決して絶望の極、血を吐いて死んだ人間ではない。彼は日本では多少ナチユラリストに謬まられてゐる形である。日本ナチユラリストは、殊更人生は暗黒であるといふ例証を芸術に求めて、絶望に昂奮してみたいといふロマンチシズムに囚はれてゐた――で、チエホフも一種の絶望家の如く謬り伝へられた場合もある。これ等の謬見は機会ある毎に打破されねばならぬ。人類の歴史を通じて偉いなる、又は正しき、または良き気禀を抱いた人物は、たとひ自殺者、もしくは不慮の死を遂げたものと雖も、人類の未来に絶望はしなかつた。それは狂熱した信仰家でなくとも、ソクラテスのやうな不幸な被殺者にしろ、牢番のすゝめた毒盃を微笑を以つて傾けた刹那、彼自身――即ち人類の勝利を未来に於いて信じたればこそ、安んじて死を迎へたのであらう。肉は死ぬ――だが魂は死なぬ。これは単なる迷信、または「言葉」ではない。それは精神に於いて人は人へと生き、自分は永久に延長されるからだ。ここに個人が一般人類の福祉に寄与せんとする意志の根がある。ツルゲーネフは「ルウヂン」の中にルウヂンに対して「真理」とは何だ! つまらん妄想だ。口惜しいと思ふなら出して見て貰ひたい――と放言する偏熱狂的《モノマニヤツク》な実際主義者を描いてゐるが、たとへばへーゲリズムなどが流行した後では、こんな人間の存在も多少は諷刺的意義を有するであらう。しかし、人間の精神は近代に於いてもやはりかうした暴言を許さない。神聖性は完全に偶像からは奪ひ去られたけれども、神聖なるものは新しい力で、われわれの内奥に目ざめて来た。この信念を抱き得ずして何が文学であらう! 否、生活であらう! 若しチエホフがトルストイのやうな気禀の人物であつたら、人類の未来への希望と信念とを「叔父ワーニヤ」の中で村医者の口から語らせたりなぞはせずに、堂々たる論文または宣言にして全世界に頒布したであらう。けれども彼は、彼の純朴性からあらゆる誇大な、強迫的なものを嫌つた。彼はトルストイの小説をば好いたが、堂々好みに対しては少なからずおぞ毛を振つてゐた。彼は書いてゐる――「トルストイは人間から不朽性を拒非した。だが神よ! その中にパーソナルなものがどれ程あつたか! をととひ私は彼の「死後」を読んだ。だがそれは、私が軽蔑する「ある知事の妻の手紙」よりももつと馬鹿げた、もつと咽喉の窒るやうなものだつた。世界偉人の哲学なるものに、悪魔よ取憑け! 大聖者たちはみんな将軍のやうに専制的で、将軍のやうに粗野で、無智だ。それといふのも罰を受けないといふ特権があるからだ。ヂオゲネスは民衆の顔へ唾を吐きかけた。それに対して後腹が病めぬといふことを知つてゐればこそだ。トルストイが医者達を悪者同然に誹謗して、大問題に対する無智を表白したのも、ヂオゲネス同様禁錮もされねば新聞で叩かれる憂ひもないのを知りぬいてゐるせいだ……」チエホフは「無智」なもの――従つて「粗野」であるもの専制的であるものをば、トルストイの衷に見出してさへ、眉をひそめないではゐられなかつた。チエホフはたゞ「絶対の真実」と正直さとで、彼の見た人生の現実の姿を描き――現実に潜められた「真珠」を掘り出して見せようとした。人間の痴かしさを叱りつけずに、その痴かしさを民衆ともども自分も乗り超さうと努めた。ツルゲーネフは露西亜インテリゲンチヤの典型を描いては見せたが、その病所が、いかにすれば救はれるかを訓へはしなかつたやうに見える――自分も彼等と共に苦しんでその病所を乗り越へやうとまではしなかつたやうに見える。しかしチエホフはそれをした。彼はたとへば「わが妻」の中で饑饉に悩む百姓達の救済に焦心しながら、しかもインテリゲンチヤの特徴に縛られて、徒らにその救済の方法や、結果の善悪について思ひ煩らつて実行に移ることの出来ない学者を主人公にしてゐるが、主人公にはあまりに無考へに見える美しく若き妻のナターリヤは、衷心良人の不実行で、不尊にのみ溺れてゐる性癖に愛憎をつかして、独逸種の医者リベルを相談相手に、どしどし実際的救済に突進するのである。そしてたうとう妻の人間らしい熱情が、良人を打負かすまでの夫婦の苦悶を物凄いまでに正確な筆致で彫み上げてゐる此の一篇は、人間を去勢し、無力にする智識はほんたうの智慧ではなく、ほんたうの智慧は各個の人間そのもののうちに隠れてゐること――その智慧をめいめい素朴に生かし抜くことに依つて幸福が恵まれ得るであらうことを語るのである。この智慧がひらめき輝く時、憎みは赦しとかはり、死は生と変容する。よく世の中で、誰れそれは「愛の詩人」だとか、「愛の使徒」だとか言ふが、それはいかなる恋愛詩人、もしくは狂熱宗教家《フアナティツク》よりも、本質的にチエホフに当てはまる言葉だ。で、有名な長篇代表作「決闘」の主要人物科学者コオレンは、うぢ虫のやうに憎んだラエフスキーをたうとういたはる――憎悪のあまり決闘までした弱小な軽蔑すべき生ものにも、人間らしい力が潜んでゐることを発見して、ピストルを曽つて握つた手で握手をする。チエホフが作中人物の中に、人間の進歩と進歩ヘの不断の努力を見出す時、その筆に何とも言はれない歓喜の力が宿る。現世の穢れと擾れとに精神的に死滅しつつあつた人物が、ある機縁と冒険とから「人間」に復活する時――その死中に活を求め得た作中人物、たとへばラエフスキーのやうな男と一緒に、作者自身もホーツと深い吐息をする。そして作中人物と一緒にかう呟やく――「それはボートを後へ押し戻す……ボートは二歩進んで一歩戻る。しかし船頭は頑固だ。どんな高波にも怖れない。ボートはだんだん進んでゆく。もうボートは見えなくなつた。が、半時間の後には船頭は明らかに、汽船の灯を見るだらう。一時間の後には船の梯を上るだらう。人生でもその通りだ……真理の探求に当つて人間は二歩進めば一歩後戻りをする。だが真理への渇望と頑固な意志とは、一歩一歩前進させるのだ。誰が知らう。恐らく彼等は最後には真の真理に到達するのだ。」それ故チエホフの愛する若く美しい男女たちは、不起の病に悩んでゐても、なほ且つ曙の光を讃め、折々すべての旧習の平和を捨てて、ただひとり新生活へと突進する、「許婚」のアレキサンドル・チモフエイツチは、肺病みの美術書生で、明日をも知れない病弱の身を、静かで単調な田舎に棲む大叔母の家に養ひに行くのであるが、その大叔母の孫娘に当るナーヂヤといふ娘の、今にも同じ町の青年と結婚せんばかりになつてゐる「許婚処女」の感じ易い耳に、彼女の智慧を啓くものが首都の大学に、彼女を待つことを囁やく。生活の暁に立つて未知に戦のくナーヂヤは、智慧にあこがれて、病青年の啓示のままに許婚者を捨てて――一切の田舎町の平和と愛を、古いしつとりとした邸宅や、教会堂や、祖母や、母親をも捨てて大都会の渦の中へ飛び込むために家出をする。やがて病める者は死に、彼女の智慧は大学でも、さう急には啓いてくれないのがわかる。けれどもチエホフは、それを青年やうら若い処女の軽はずみとして責めはしない。チエホフは彼女の未来を見捨てない。これが若し他の作家でもあれば、青春者の「都会病」や「智識熱」の方を責めて、彼等に捨て去られるために荒廃する田舎町や、田舎人の生活を歎くだらう。さうした感傷性に堕ちないところにチエホフの面目がある。彼は、長篇「匿名話」の中では頗る貴族的教養を有する若い大家の、偽の愛を信じて、良人を捨てて愛人の懐ろに投じたヂナイダのために、熱烈な真理と真実とを愛する一青年と共に、大官の「恋の欺満」をあばき、甘たるく豊かな、しかし偽りに充ちた恋の巣を捨てて、遠い旅に上らせてしまふ。旅に上つて彼女は死ぬ――しかしチエホフも、作中の青年も彼女の死を寧ろ、偽りの甘楽の長命よりも優ると信じてゐるのである。そして最も見逃せないのは「許婚」の病画学生も「匿名話」の青年も、ともに女主人公達に恋してゐるわけではないことだ。彼等は、彼女等のために恋をささやかずに、真理をささやく。彼等は彼女等に「恋」の情熱の代りに「真理」の情熱を注ぎ込んでやる。新生活へ突き遣る――チエホフは真の愛はむしろ、残酷に真理を知らしめてやることだと考へてゐるやうに見える。此処に、人としてのチエホフの底の知れない勇気が蔵されてゐる。そして、われわれがいつも彼の作品から、未来への希望と生活の鼓舞とを頒けて貰ひ、人生への愛を深かめさせて貰へる原因も亦、同時に此処に存してをらねばならぬ。私は敢へて言ふ――私はチエホフの衷にクリスチヤニテイの真の閃光を見る――人間の歎きを頒けることを知つて、しかも死をも怖れなかつた最高の慈悲者、最高の真理者の新らしい変容を見る。耶蘇も若々しい哲学者達に依つては、ガラリヤの柔順すぎ、弱すぎる牧者――羊しか飼へない牧者として嘲られた。チエホフも早急な批評家に依つては、彼の静かさと微笑と歎息とのために、その真面目をあやまり解かされるかも知れない。だが彼等の衷なる力は遂にすべてに克つ、チエホフの神の如き芸術は、遂に世界を征服しつくすであらう!
 この小感想の筆者は更らに、数十種の主要作について、個々の評論を試みたかつた。だが、今はこの漠とした覚え書だけに止めて置く。そのうちに早稲田文学社の好意は、より綿密な記述の自由を、筆者のために与へてくれるであらう。

 チエホフ小論 三上於菟吉著「早稲田文学」(大正13年3月号)を底本として電子書籍化。漢字は通用字体に改めた。書肆風々齋
Wikipedia 三上於菟吉
青空文庫 三上於菟吉

読書ざんまいよせい(040)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(013)

 松田道雄先生は、「文芸読本 チェーホフ・桜の園』」で書いている。

 私はチェーホフが好きです。その理由を書くことは鑑賞の一部になるかと思います。およそ自由な市民がものを読んでたのしむという場合、そのたのしみが最大であるのは、好きな人間の書いたものを読むときです。
 嫌いな人間の書いたものは読まないというのは、自由な市民の誇るべき特権です。
 人間と作品とをつねに結びつける市民の素朴な鑑賞法は、市民の生活自身のなかで養成された生活の知慧の一部分というべきものでしょう。信用できない生き方をしている人間のつくるものは信用できるためしがないということを日々思い知らされているからです。
 作家の生活を自分の生活のなかでうけとめるということで市民は好きな作家と嫌いな作家をよりわけるのです。…

 では、松田大先輩の顰《ひそみ》に倣《なら》って、「文芸読本」中の、福田恆存、小林秀雄、中村雄二郎各氏の文章は読まないでおこう(笑)。

 閑話休題、チェーホフの比較的長い中編小説に「三年」(1895年発表)という比較的知られていない作品がある。発表当時もあまり評判は芳しくなかったが、読んでみると味わいのある良品である。
 商人の父(暴力的なのは、チェーホフの実父の面影があるという。)と病気の姉を持つ、ラープチェフは、ユーリアに恋心を抱き、だしぬけにプロポーズする。この間、彼女の忘れた傘がちょっとした小道具である。最初は彼女は躊躇するが、彼と所帯を持つ。子どもの死もあり、心はだんだん離れていったが、また、古い傘を見たユーリアは、ラープチェフの元に帰ってゆく。この間、「三年」の月日だった。小説の最後のラープチェフの思い。
『もう少し生きのびて、それを見ることにしよう。』
が印象的である。そして他のチェーホフの作品の多くが、男女の生きて、亡くなってを問わず別れを描くが、ともかくにも元の鞘に収まるのも珍しく感じる。

 実は、「チェーホフの手帖」は、1890年、彼の一大転機となったサハリン(樺太)行の翌年、1881年、編集者スヴォーリンが同行したヨーロッパ旅行の記述から現存する。しかもその合間には、「三年」のプロットが書き込まれているので、構想から発表までの年月をとって「三年」と名付けたのかと勝手な想像をしてみている。
 手帖の最初に

一ページ
このノートはA・P・チェーホフの所有である。
ペテルブルグ、M《エム》・イタリヤンスカヤ、ーハ番地、スヴォーリン方。
二ページ

2 イワンにはソフィヤが気に入らない、リンゴ臭いから。

6ウイ—ン着。Stadt Frankfurut〔チェーホフが止まったホテルの名〕。
寒い。

三ページ

2 くイワンは女性を敬わない、なぜなら気短かで、女性をありのままに見るからだ。>女性のことを書くなら、いやでも恋のことを書かねばならぬ。
3 く一般の福祉に奉仕しようという願望は、必ず魂の要求であり、個人的幸福の条件でなければならない。もしその願望がそこから起るのではなくて、理論的な、あるいはその他の配慮から起るなら、それはまやかしである。>
以上、池田健太郎訳

 前置きが長くなったが…

 毎日、昼飯が済むと良人は、坊主になってしまうぞと言って妻を威かす。妻は泣く。

 Mordokhvostov《モルドフヴォーストフ》*君。
*鼻面と尻尾。

 夫婦が十八年も一緒に暮らして喧嘩ばかりしている。とうとう夫は、ほかに女が出来たと根も葉もない打明け話を妻に聞かせて、夫婦わかれになる。夫は非常に満足だ。町じゅうの人は憤慨している。

 何の役にも立たぬもの、忘れられた面白くもない写真の貼ってあるアルバムが、隅っこの椅子の上に載っている。もう二十年もそうして転がっているが、誰ひとり思いきって棄てる気になれない。

 四十年前のこと、Xという稀に見る非常に立派な人間が五人の人の命を救った次第を、Nが話して聞かせる。一同がその話を至極冷淡に聴いているのが、このXの功績がもう忘れられて一向に人々の興味を惹かないのが、Nには不思議でならない。

 一同は極上のキャヴィヤにがつがつとかぶりついて、瞬く間に平らげてしまった。

 荘重な演説の最中に小さな息子に向って、「ズボン《まえ》のボタンをおかけ。」

 あなたがその人間に、彼がどんな体たらくなのかを見せてやるとき、はじめて彼は向上するのです。

 鳩羽色の御面相。

 ある地主が、鳩やカナリヤや鶏の羽色を変えて見ようと、胡椒の実や、マンガン酸加里や、そのほか色んな愚にもつかぬ餌を与える。――これが彼の唯一の仕事で、客の顔さえ見ればその自慢ばなしをする。

 有名な声楽家を傭って、結婚式の席上で使徒行伝を誦ませる。彼は誦み上げて、見事な出来栄えだったが、お金(二千)は払って貰えなかった。

 笑劇。――わたしの知人のKrivomordyj《クリヴォモルディ》(顔まがり)君は、名前こそ変てこですが、ちゃんとした男です。Krivonogij《クリヴォノーギイ》(足まがり)でもKrivorukij《クリヴォルーキイ》(手まがり)でもなくって、実に「顔まがり《クリヴォモルディ》」っていうんですが、ちゃんと結婚して、奥さんに可愛がられていましたっけ。

 Nは毎日牛乳を飲んでいた。そのたびにコップへ蠅を入れて、従僕を呼んで詰問するのだった、「これは何ちゅうことか?」まるで人身御供みたいな顔をして。これをしないでは一日も生きて居られなかった。

 陰気な女だ、蒸風呂の臭いがする。

 Nが妻の不貞を嗅ぎつけた。彼は憤慨する、煩悶する。けれど逡巡決せず、胸におさめて黙っている。彼は何も言わずに、とど相手のZからお金を借り入れる。そして相変らず自分は潔白だと思っている。

 弓形パンで飲むお茶を切上げるときには、私は「食いたくない!」と言う。ところが読みかけた詩や小説を中途で投出すときには、「これじゃない、これじゃない!」と言う。

 公証人が高利で金を貸す。遺産は残らずモスクヴァ大学へ寄附いたしますんで、とそんな弁解をしながら。

 その寺男はなんと自由主義者だった。曰く、「今じゃ私達の仲間が、まさかと思うような割目から、ぞろぞろ這い出して来まさあ。」

 地主のNは、モロカン教を奉ずる隣村の地主一家としょっちゅう喧嘩をして、訴訟沙汰をもちあげたり、悪罵を放ったり、呪ったりしている。ところが、やがて彼等がよそへ移住して行ってしまうと、彼は空虚を感じて、みるみる老い衰えて行く。

 Mordukhanov《モルドゥカーノフ》君。

 N夫婦の家に妻君の弟が引取られている。若いくせにめそめそした男で、人の物を盗んだり、嘘をついたり、狂言自殺を図ったりする。N夫婦は途方に暮れる。へたに家を追出して自殺をされちゃ堪らないし、またいくら追出したくっても、どんな風にやったらいいのか分らない。彼が手形偽造の罪で収監される。N夫婦は自分達が悪かったのだと思って、涙に暮れる、懊悩する。悲嘆のあまり妻が死ぬと、夫も間もなくその後を追った。そこで財産はすっかり弟の物になったが、彼は放蕩に使い果たして、またもや懲役に行った。

 仮にだよ、僕が嫁に行くとしたら、まあ二日もすれば逃げ出しちまうだろうよ。ところが女というやつは、すぐさま夫の家に居ついちまうんだ。まるでその家で生まれたような工合にね。

 いよいよ君も九等官(Tituliarnyj《チトウリヤルヌイ》 Sovetnik《ソヴエトニク》*)になったね。だが一たい誰に忠告しようと言うんだね? 誰ひとり君の忠告なんか聴く奴がないように願いたいもんだ。
*Sovetnikは顧問乃至忠告者の意。

 トルジョーク*。町会が開かれる。議題は、町の資産増加の件。……決議に曰く、ローマ法王にトルジョークへ移転方を招請すること。すなわち法王の居市と奠《さだ》めること。
*モスクヴァ西北の小工業都市。

 へぼ詩人の歌にこんな句があった。――彼は蝗のごとく逢引に飛びゆけり。

参考】
・チェーホフ全集10 中央公論社
・チェーホフ全集14 中央公論社
・文芸読本「チェーホフ」 河出書房新社
・ 沼野充義「チェーホフ 七分の絶望と三分の希望」講談社

読書ざんまいよせい(039)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(012)


 小説家黒井千次は、こう書く。

 く彼はひどく老い込んでから、若い女と結婚した。すると彼女はみるみる衰へて、彼とともに弱って行った。>
 老い込んだ男が若い嫁をもらって若返るのではなく、衰弱していく老いた夫を見て若い妻がひとりますます艶つぼくなるのでもなく、彼女が夫とともに弱っていくというのはいささか残酷な話だ。この関係を更に煮つめればこんなところにまで来る。
 く持主が死んだら、どうして樹がかうも見事に繁るもんですか?>
 「年々歳々花相似、歳々年々人不同」という詩句があったけれど、チェーホフにはこの人と自然の関わりの間に所有被所有の関係をさしはさみ、樹の側から名指しで人を笑っているようなところがある。おそらく彼は、さわさわと揺れる繁茂した木の葉となって、死んだ持主を笑っているのだろう。けれどその笑いの中には、もしかしたら当の持主の名はアントン・パーヴロヴィチ・チェーホフというのかもしれないぞ、という苦い恐れもにじんでいるように思われるのだ。
 しかし、こうやって「手帖」をめくりめくり楽しんでいたのではきりがない。かって読んだ折には特に目にとまらなかったのだが、今度通読してぼくが最も気に入った一行を最後に引用しておこう。
 <四十五歳の女と関係して、やがて怪談を書きだした。>

 実に老練な小説家らしいチェーホフと一体となった「観察」である。その他、黒井千次は「手帖」から次のような箇所を引用する。

く神経病や神経病患者の数が殖えたのぢやない。神経病に眼の肥えた医者が殖えたのだ。>
<商工業的医学>
く青年が文学界にはいって来ないといふのは、その最も優れた分子が今日では鉄道や工場や産業機関で働いてゐるからである。青年は悉く工業界に身を投じてしまった。それで今や工業の進歩はめざましいものがある。>
くXは日曜になると、スーハレフ広場へ古本を漁りに行く。「可愛いナーヂャへ。作者より」といふ献詞のついた父親の著書をみつける。>
く夫が友人たちをクリミヤの別荘へ招待する。あとで妻は、夫には黙つて勘定書をそのお客さんたちに出して、間代と食事代を受けとる。>
くボターポフは兄と親交を結んで、それが妹への恋のもとになる。妻と離別をする。やがて息子が、兎小屋のプランを送って来る。>
くNはずっと前からZに恋してゐる。ZはXに嫁ぐ。結婚後二年ほどしてZはNを訪れる。彼女は泣いて、何か話がある様子だ。てっきり夫の不平を言ひ出すのだとNは思って待ち構へる。ところがZは、Xを恋してゐることを打ち明けに来たのだった。>

 では、チェーホフの手帖から

 拙劣きわまる芸で、あらゆる役を片っ端から殺しつづけた女優――一生涯、死ぬまでそうだった。人気はないし、その演技は見物に怖毛をふるわせ、いい役を台無しにするのだったが、それでも七十の歳まで女優をしていた。

 自分が悪いと感じる人間だけが悪人であり、従って後悔もできる。

 補祭長は「疑い惑う人々」を呪う。ところが当のその連中はというと、唱歌隊席に立って、自らへの呪詛を歌っているのだ。
      ――スキターレツ

 彼はこんなことを夢想した――妻が足腰たたずに寝込んでいる。彼は後生のために、妻の看病をする。……

 マダムGnusik《グヌーシク》*.
*鼻声。

 油虫がいなくなった。この家に火事が出るぞ!『天一坊《ルジェミートリ》と役者たち』、『ツルゲーネフと猛虎群』――こうした論文を書くことは可能だし、また書かれることだろう。

 題。――『レモンの皮』

 チララ、チララ、兵隊チララ。

 俺はお前の、本腹《ほんばら》の夫《おっと》だぞ!

 海水浴をしていたら、波が、大洋の波がぶつかったので流産。――ヴェスヴィウスが噴火したので流産。

 海と私、ほかには誰ひとりいない。――そんな気がする。

 Trepykhanov《トレプイハーノフ》*君。
*「息をはずませる」

 教育。――彼のところでは、三歳《みっつ》になる赤ん坊が黒いフロックを着て、長靴をはいて、チョッキを着ている。

 誇らしげに、「僕の出身はユーリエフ大学じゃありません、ドルパート大学ですよ!」*
*ドルパート(エストニヤ)はロシヤ名をユーリエフと言う。

 その鬚は魚の尻尾に似ていた。

 ユダヤ人Tsypchik《ツイプチク》*.
*「雛《ひよ》っこ」の意。

 笑うとき、まるで冷たい水の中にすっぽり漬かるような声を出すお嬢さん。

 ママ、稲光りは何で出来てるの?

 領地は厭な臭いがしている、厭な感じがしている。木々は兎にかく植えてはあるが、変てこな工合である。遥か彼方の隅の方では、番人の女房が一日じゅうお客様用の敷布《シーツ》などを洗濯している。――その姿は誰にも見えない。世間はこうした旦那がたに、来る日も来る日も自分たちの権利や、自分たちの高貴さについて喋らせて置くのだ。……

 彼女は犬を極上のキャヴィヤで養っていた。

 われわれの自尊心や自負心はヨーロッパ的だ。しかし発達程度や行動はアジヤ的だ。

 黒犬――まるでオーヴァシューズを穿いているような。

 ロシヤ人の抱いている唯一つの希望は、二十万ルーブルの籤を抽き当てることだ。

 厭らしい女だが、子供はなかなか立派に躾けた。

 人間というものは誰でも、何かしら秘《かく》しているものだ。

 Nの小説の題――『ハーモニイの力』。

 ああ、独身《ひとりもの》男や鰥夫《やもめ》男を知事に任命したらどんなにいいだろう!

 あるモスクヴァの女優が、生れてこのかた七面鳥を見たことがなかった。

 老人の言うことを聞いていると、愚言にあらずんば悪口である。「ママ、ペーチャはお祈りを上げなかったよ。」そこで寝ているペーチャを起こす。彼は泣き泣きお祈りを上げる。それから横になると、いいつけ口をした奴を拳で威かす。

 その人物が男か女かということは、医者でなければとても分るまいと彼は思った。

 一人は正教の坊主になった。もう一人は聖霊否定派の坊主になった。三人目は哲学者になった。本能的にそうなったのである。腰も伸ばさずに朝から晩まできちんと働くのが、みんなてんでに厭だったので。

「一つ胎《はら》の」という言葉が妙に好きな男。――一つ胎の私の兄さん、一つ胎の私の妻、一つ胎の婿、等々。

 ドクトルNは私生児で、父親の膝下に暮したことがなく、父親のことを碌に知らなかった。幼な友達のZが案じ顔でこう告げる、「ねえ君、親父さんが淋しがっておられるぜ。病気なんだ。一目でいいから君に会えまいかと言われるのだが。」父親は『スヰス亭』という食堂を営んでいる。魚のフライをまず手づかみにして、それからフォークで扱う。ヴォトカはぷうんと下等な臭いがする。Nは出掛けて行って、店の様子を眺め、夕食を食べてみた。白髪まじりのこの肥った百姓親爺め、よくもこんなやくざな飯を商売にしやがってと腹が立っただけで、ほかにはこれという感想もなかった。ところが或るとき、夜の十二時にその家の前を通りかかって、ふっと窓を見ると、父親が背中を丸めて帳簿をつけている。その姿が自分にそっくりだった、自分の身振りに生写しだった。……

 鼠色の去勢馬みたいに無能な男。

 つい悪ふざけが過ぎて、そのお嬢さんに蓖麻子《ヒマシ》油を飲ませた。それでお嬢さんはお嫁に行かなかった。

 Nは一生、有名な歌手や役者や文士に罵倒の手紙を書いて出した。――「恥知らずめ、よくものめのめと……」云々。署名はしないで。

 彼(葬儀屋の松明《たいまつ》担ぎ)が三角帽をかぶって、金モールのついたフロックに側条入りのズボンを穿いて現われたとき、彼女は彼を恋してしまった。

 輝くばかりに明るい楽天的な性格。まるで、めそめそした連中をやっつけるために生きているような男。でっぷりして、健康で、大食である。みんな彼を愛しているが、実はそれもめそめそした連中が怖いからに過ぎない。底を割っていえば彼はつまらぬ男である、人間の屑である。ただもう食って大声で笑うだけの男である。やがて彼が死ぬ段になって一同は、彼が何一つしなかったことにやっと気がつく。彼という人間を見違えていたことに気がつく。

 建物の検分が済むと、賄賂を取った委員連中は昼食に舌鼓を打った。それはまるで、喪われた彼等の名誉を追善する会食のようなものだった。

 嘘をつく人は穢ならしい。

 夜中の三時に彼は起される。停車場へ勤めに出るのだ。毎日毎日こうやって、もう十四年になる。

 奥さんが愚痴をこぼす。「あの子に土曜日ごとに下着を更えなさいと書いてやります。すると返事に、なぜ土曜にするんですか、月曜じゃいけませんかと言って来ます。まあいいわ、では月曜にねと言ってやります。するとまた、なぜ月曜がいいのですか、火曜じゃいけませんかと言って来ます。正直ないい子ですけど、世話の焼けるったらありゃしない。」

 賢者は学ぶことを好み、愚者は教うることを好む。(諺)

 平僧も掌院も僧正も、その説教の相酷似せること驚くばかりだ。

 人はよく、万民同胞だとか、民利だとか、勤労だとかいう問題について若いころ論争したことを思い出すものだが、本当は論争なんかやったことはついぞなく、ただ大学時代に酔態を演じたのに過ぎない。また、「学士章を着けている連中は社会の面汚しだ、曾て人間の権利のために、信教や良心の自由のために闘争した面目いまいずこにありや」などと書く。だが彼等は、一度だって闘争なんかしたことはないのだ。

 領地管理人。ブキションといった型の男で、一度も主人に会ったことがない。だから、幻想に生きている。主人は定めし非常に賢い、人物のよくできた、高尚な人だろうと想像して、自分の子供達もそんな風に教育した。ところが、やがて主人がやって来たのを見ると、くだらない、了簡の狭い男だった。そこで眼も当てられぬ幻滅。

参考】
・ユリイカ「特集チェーホフ」1978年6月号 黒井千次「手帖の作家」
写真は、1885年の若きチェーホフ

読書ざんまいよせい(037)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(011)

編者注】神西清が訳した「チェーホフの手帖」は、実は、まだ作品に使われていない題材に限られており、その一部分にすぎない。その他、小説や戯曲に使われたメモは、中央公論社「チェーホフ全集」に池田健太郎訳で収録されている。今後、チェーホフの小説を扱う投稿の中で、「部分引用」の形で、紹介する機会もあろう。

 劇団の座頭《ざがしら》兼舞台監督が、寝床の中で新作の脚本を読む。三四頁読むと愛想が尽きて、床《ゆか》に叩きつけ、蝋燭を消して毛布にくるまる。暫くすると思い直して、また脚本を拾って読みはじめる。やがてまた、だらだらした無能な作品に腹が立って、また床に叩きつけ、また蝋燭を消す。暫くするとまた読みだす。……やがて上演したら、散々の不評だった。

 Nは気むずかしい陰気な重苦しい男だが、それでいてこんなことを言う、「私は冗談が好きですよ。いつも冗談ばかり言っています。」

 妻は小説を書く。それが夫の気にくわない。だが気持のこまやかな男なので、それが言い出せず、死ぬまでそれで悩み通す。

 女優の運命。――はじめは、ケルチ(クリミヤの町)の裕福な良家の娘、生の倦怠、何か満ち足りない心境。――舞台に立つ、慈善事業、燃えるような恋、やがて情人達。――最後に、毒を仰いで自殺を図る、未遂。それからケルチ、肥った伯父の家での生活、孤独の愉しさ。女優には酒も結婚も妊娠も禁物だということを、彼女はしみじみと悟る。演劇が芸術になるのはまだまだ未来のことだ。今のところは未来のための闘いのみ。

 (憤然と訓戒口調で)「なぜ俺に、お前の女房の手紙を読ません?親類ではないか。」

 神よ、願わくは我をして、自《みず》ら知らずまた解さぬことを非難し或いは語らしめ給うな。

 なぜみんな弱者だの陰気者だの不道徳漢ばっかり描くんでしょうな? そう言って、強者や健康者や面白い人間だけを描けと忠告する時、人は暗に自分自身を指しているのである。

 戯曲のために。――何ということなしに嘘ばかりついている男。

 補祭 Katakombov*《カタコムボフ》.
*地下の納骨所。

 文芸批評家N・N。尤もらしい、自信たっぷりの、非常にリベラルな男だ。彼が詩の話をする。彼はすぐに相手の説を認める、なるほど仰しゃる通りでと言う。――天分の少しもない男だなと云うことが、私にはすぐ分った(私は彼のものは読んだことがない)。誰かが、アイ・ペトリ(クリミヤの山)へ行こうと言い出す。雨が降りそうだからと私は反対したが、やっぱり出掛けることになる。泥濘《ぬかるみ》の道、雨が降り出す。批評家は私の隣に腰かけている。私は彼の無能さを感じる。連中は彼にお世辞を使って、僧正のように持ち上げる。帰り途は晴れたので、私は徒歩で帰った。何と人々は好んで自己偽瞞をやりたがることだろう。何と彼等は予言者や占者が好きなのだろう、まったく何という衆愚どもだ! まだそのほかに、一行のなかには中年の勅任官がいた。彼が沈黙を守っていたのは、自分を正しいと考えて、その批評家を軽蔑していたからであり、また同じく天分がないからでもある。利口な人達と同席しているので、微笑《わら》うまいとするお嬢さん。

 Alexej《アレクセイ》 Ivanych《イヴァヌチ》Prokhladiteljnyj《プロクラディチェリヌイ》氏(冷やす)、或いはDushespasiteljnyj《ドウシェスパシチェルジニー》氏(魂を救う)。お嬢さん曰く、「あの人の所へ嫁ってもいいけど、Prokhladiteljnaja《プロフラジチェルナハ》夫人なんて厭な名ね。」

 動物園長の夢。先ず最初にモルモットが動物園に寄附される。次に駝鳥、次に禿鷹、次に羊、それからまたもや駝鳥。寄附が際限なく続くので、動物園は満員になる。――余りの怖ろしさに園長は目をさます、汗びっしょりになって。……

 馬を車に附けるのは鈍《のろ》いが、馬車を走らせるとなると速い、そんなところがこの国民の性質の中にある――と、曾《かつ》てビスマルクが言った。

 役者というものは金があると、手紙を出さずに電報を打つ。

 昆虫界では芋虫から蝶々が出る。人間界では反対に、蝶々さんから芋虫が出る。

 飼犬は食物を呉れて可愛がって呉れる主人たちにはなつかないで、打《ぶ》ってばかりいる赤の他人の料理女になついた。

 ソフィーは、吹抜け風で愛犬が風邪を引きはしまいかと心配だった。

 この辺の地味はすばらしく上等です。ためしに梶棒《かじぼう》を植えて御覧なさい、一年たったら馬車が生えますよ。

 非常に考えの進んだ、自由思想の持主であるXとZとが結婚した。ある晩、仲よく話をしているうちに、口論をはじめて、やがて掴み合いになった。翌る朝、お互いに恥かしく、狐につままれたような気持がする。あれは何か例外的な神経作用だったのだろうと考える。次の晩もまた口論と掴み合い。それが毎晩つづいた挙句に、自分達も別に教養がある訳ではなく、世間並みの野蛮人なのだということにやっと気がついた。

 戯曲。客を避けるために、下戸のZが大酒家のふりをする。

 子供が出来ると、私たちは妥協癖や町人根性などという持ち前の弱点を、そっくり「これも子供のため」とかこつける。

 ――伯爵様、わたくしはモルデグンヂヤ*へ参ります。
*「しゃっ面の国」ほどの意。

 Varvara《ヴァルバーラ》 Nedotiopina*《ネドチョーピナ》嬢。
*「できそこない」ほどの意。

 技師または医師Zが、編輯長をしている伯父を訪問する。面白くなって、度々訪ねて行くうちに寄稿をする様になり、だんだん自分の仕事を投げやりにする。ある夜更け編輯局を出てから、ふと思い出して、頭を抱える――万事休す! 白髪がふえる。それからと云うものこれが習慣になって、すっかり白髪頭になり、皺だらけになる。そして尊敬すべき、しかし名も無い出版屋になった。

 三等官の老人が、子供たちに見ならって、自分も自由主義者になる。

 新聞『輪形パン』。

 サーカスの道化役――これは才物である。彼と話をしている案内人は、フロックを着てはいるが凡俗である。嘲りの薄笑いを浮べた案内人。

 ノヴォズィブコフ*から出て来た伯母さん。
*欧露の町の名。「新しい揺籃」ほどの意。

 あの男は脳軟化症にかかったので、脳味噌が耳へ漏って来たんですよ。

 なに、文士だと? よし五十銭で文士にしてやる。それでもなりたいか?

 正誤表。――Perevodchik《ベレヴォツチク》(訳者)はPodriadchik《ポドリアツチク》(請負師)の誤植。

 四十になるみっともない無能な女優が、晩飯に鷓鴣《しゃこ》を食べた。私は鷓鴣が可哀そうでならなかった。この女優よりもこの鷓鴣の方が、生涯どれだけ才能あり怜悧であり潔白であったか知れないと、今さらに思い偲んだ。

 医者は私にこう語るのを常とした、「もし君のからださえ保《も》つなら、思う存分に飲みたまえ。」(ゴルブーノフ*)
*十九世紀後半の俳優兼民話作者。

 Karl《カルル》 Kremertartarlau《クレメルタルラウ》君。

 野原の遠景、白樺が一本。その画の下の題銘に曰く、孤独。

 客たちは帰った。彼等はカルタをしていた。帰った後の乱雑さ――一ぱいにこもった煙草のけむり、ちらばった紙きれ、皿小鉢。しかし肝腎なのは、黎明と回想。

 馬鹿者に褒められるより、その手に掛って討死した方がましだ。

 持主が死んだら、どうして樹がこうも見事に繁るもんですか?

 登場人物が図書室を備えている。だがいつも他家《よそ》へお客に行っている。さっぱり閲覧者がないのである。

 人生はいかにも宏大無辺なものに見えはするが、人間はやっぱり五銭銅貨の上にちょこなんと坐ってるのさ。

 ゾロトノーシャ*だって? そんな町はない! あるもんか!
*欧露の町の名。「金を含有する」の意。

 彼は笑うとき、歯と上下の歯茎を見せる。

 彼は心を擾さぬ文学が好きだった。即ちシラー、ホメロス等々。

 女教師Nが、夕方家に帰る途中で、知合いの女から思いがけない話をきく。それは、Xが彼女を恋していて、結婚を申込もうと思っている、というのである。不器量で、結婚のことなどついぞ考えたこともなかったNは、帰宅してから、怖ろしさのあまり長いこと顫えている。それから、その晩は一睡もせずに、泣き明かす。やがて明けがた近くになると、Xを慕うようになる。ところがその日のお午《ひる》ごろ、あの話はただの当て推量で、Xの求婚の相手は彼女ではなく、Yであることを知る。

 四十五歳の女と関係して、やがて怪談を書きだした。

 私は印度へ行った夢を見ました。するとその地方の領主とか王侯とかいう人から、象を贈られました。しかも二匹も贈られたんです。その象にすっかり悩まされて、とうとう眼がさめました。

 八十爺さんが六十爺さんを相手に話している、「よくも恥かしくないね、お若いの!」

 教会で「今日ぞ吾等が救いの|はじめ《グラヴィーズナ》」を合唱している時、彼は家で魚の頭《グラヴィーズナ》のスープを煮ていた。ヨハネ斬首の日には、首に因む丸いものは一さい口に入れなかったが、家の子供たちを打ちのめした。*
*「斬る」と「打つ」は同じ語根sekを有する。

 記者が紙上に嘘を書いたが、本当を書いた様な気がしていた。

 孤独が怖ければ、結婚をするな。

 御本人は金持だが、お母さんは養老院にいる。

 お嫁さんを貰って、家具を入れて、書き卓《つくえ》を買って、文房具を揃えた。ところが何一つ書くことがなかった。

 ファウスト曰く、「なんでも用に立つ事は知ることが出来ず、知っている事は用に立たぬ。*」
*この句は鴎外の訳による。

 嘘をついても人々は信じる。ただ権威を以て語れ。

 やがて墓の中にひとり横たわるように、実際の俺は一人ぼっちで生きている。

 ドイツ人が言う、「主よ、われら蕎麦菓子《グレシネヴィキ》*を憐れみたまえ。」
*Greshniki(罪人)を言い違えた。

 「ああ、私の大事な吹出物《おでき》さん」と許嫁《いいなずけ》がうっとりした声で言った。相手はちょっと考えていたが、やがて腹を立てて――破談になった。

 瓶はフニアジ・ヤノス*の瓶だが、中には桜ん坊か何かの酢漬けがはいっている。
*鉱泉水の名。

読書ざんまいよせい(035)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(010)

 Nは毎日Xの家へ行く。色んな話をしているうちに、心から彼に共鳴してしまう。と急にXが、居心地のいい自分の家を出て他所《よそ》に移る。Nは彼の母親に、どうして移ったのかと尋ねる。「貴方が毎日いらっしゃるからですよ」と母親が答える。

 いとも詩的な婚礼だったのに、やがて――何という馬鹿ども、何という餓鬼ども!

 愛。それは昔は大きかった何かの器官が退化した遺物か、それとも将来何か大きな器官に発達すべきものの細胞か、そのどっちかである。現在のところそれは、満足な働きをせず、ひどく期待はずれな結果をしか与えない。

 大そう知識のある男が、一生のあいだ催眠術だの降神術だのと嘘をつきとおす。人もそれを真に受ける。――いい男なのだが。

 一幕目で立派な紳士のXが、Nから百ルーブル借りる。そして四幕を通じて返さない。

 お祖母さんには息子が六人と娘が三人あるんです。ところでお祖母さんが誰を一番可愛がっているかというと、いま監獄にはいっている飲んだくれの出来損いなんです。

 神父 Ierohiromandrit《イエロヒロマンドリート》*
*Ierei(司祭)+Arhimandrit(掌院)

 工場の支配人のNは、若くて財産もあり妻子もある、幸福な男だったが、『X水源の研究』という論文を書いて大いに好評を博した。或る学会の会員として招かれたので、職務を抛ってペテルブルグへ出て、妻君を離別し、身代限りをし、とうとう死んでしまった。

 ――(アルバムを見ながら)この醜面《しやつつら》は一たい誰です?
 ――それ、叔父さんですわ。

 ああ、戦慄すべきは骸骨ではなくて、私がもはや骸骨に恐怖を感じないという事実だ。

 良家の少年が、我儘で悪戯っ児で強情で、家内じゅうの頭痛の種だった。父は官吏でピアノを弾く男だが、息子に愛想がつきて、庭の奥へ連れて行って殴りつけた。そのときはいい気持だったが、やがて厭な気持がして来た。息子は士官になったが、何事にも嫌悪を感ぜずにはいられなかった。

 Nが長いあいだZの愛を求めている。彼女は非常に信心ぶかい娘。彼が結婚を申込んだとき、彼女はいつか彼から贈られた乾枯びた花を、祈祷書のなかに挿んだ。

 Z――町へ行くんなら、序でにこの手紙を郵便函へ抛り込んで呉れ。
 N――(頓狂に) 何処へですって? 何処に郵便函があるんだか知りませんね。
 Z――それから薬種屋へ行って、ナフタリンを買っといで。
 N――(頓狂に) 忘れますね。そのナフタリンていうなあ。

 海上の暴風。法律家の眼には犯罪と映じるに相違ない。

 Xが友人の領地にお客に行った。素晴らしい領地だが、従僕たちはXを冷遇した。友人は彼を大人物扱いにして呉れるが、居心地の悪いこと夥しい。コチコチの寝床で、寝間着も出してないが、請求するのは何となくてれくさかった。

 私の姓はKúritsyn《クーリツィン》じゃありません。Kuritsyn《クリーツィン》ですよ。*
*それぞれ「牝鶏」と「喫煙」の派生語。

 稽古。
 妻 『パリアッチ』の節《ふし》はどうでしたかしら。ミーシャ、ちょっと口笛でやって見てよ。
 夫 舞台じゃ口笛は禁物だ。舞台は――お寺だよ。

 コレラが怖くって死にました。

 追善供養に釘を持ち出すが如し。(不似合いの譬え。)

 千年の後、ほかの遊星の上で、地球について交わされる会話。――「ねえお前、あの白い樹をおぼえてるかい……。」(白樺)

 Anakhthema《アナフテマ》!*
*Anathema《アナテマ》(呪詛の語)の発音違い。

 Zigzakovskij《ジグザコーフスキー》,Oslitsyn《オステリツィン》,Svinchutka《スヴィンチュトカ》,Derbalygin《ヂェルバリジン》.*
*「ジグザグ」「牝驢馬」「小豚」「法螺吹き」

 お金を持った女。ところ嫌わずに蔵《しま》い込んである。頸筋にも脚の間にも。……

 ク・ク・ク・ハ・ハ・ハ!

 こうした一切の手続け。*
*但し原語には、英語のProcedure《プロセデュア》を勘違いしてPrecedure《プㇾセデュア》と言ったほどの可笑味がある。

 総べてこういうこと(解雇の件)は、大気の現象ぐらいの気持でやりなさい。

 医師会議のときの会話。第一の医師がいう、「どんな病気でも塩で癒ります。」第二の医師(これは軍医)がいう、「どんな病気でも塩を断てば癒ります。」第一の医者は自分の妻を例に挙げる。第二の医者は娘を例に挙げる。

 母親は思想のしっかりした婦人。父親も同じ。二人とも講義を受持っている。学校、博物館、等々。夫婦はお金をためる。ところが子供達は凡くら揃いで、金をどしどし使う、相場をやる。……

 Nは十七の年にドイツ人に嫁いだ。夫に従ってベルリンへ行って住んだ。四十歳で後家になった時には、ロシヤ語もドイツ語も碌に話せなくなっていた。

 その夫婦は客好きだった。客がいないと夫婦喧嘩がはじまるから。

 そりゃアブサードな話ですな! そりゃアナクロニズムですな!

 「窓を閉めなさい! 汗を掻いてるじゃありませんか! 外套を着なさい! オーヴァシューズを穿きなさい!」

 時間が足りなくて困るようになりたかったら、何んにもせずにいて見たまえ。

 俺もさんざ向う見ずをやって来たが、そろそろ娑婆ともお別れらしいぞ。

 夏の朝、日曜日、馬車の音がきこえる。あれは弥撒《ミサ》に出かけたのだ。

 彼女は生れて初めて手に接吻された。すると彼女は堪らなくなって、夫への愛が冷め、「脱線して」しまった。

 何と妙《たえ》なる名よ。聖母の涙、駒鳥、鴉の眼*。……
*いずれも花の名。

 肩章をつけた林務官、生れてこのかた森を見たこともない。

 その紳士はマントン(南仏)の近くに別荘を持っている。それは、トゥーラ県の領地を売った金で買い入れたのだ。その彼が、所用でハリコフにやって来たとき骨牌《カルタ》で負けて、この別荘を人手に渡すのを私は目にした。それから鉄道に勤めて、やがて死んだ。

 晩餐のとき美人を見て、噎《む》せてしまった。やがて別の美人を見て、またもや噎せてしまった。そんな工合で晩餐ができなかった。美人が大勢いたので。

 大学を出たての医者が、レストランの監督をする。「医師監督御料理。」彼はナルザン鉱水の成分を筆記する。学生達の信任を得て、店は繁昌する。

 あの人は食べたのではない、味わったのだ。

 女優の夫。妻の祝儀興行のとき、得意満面でボックスに納まって、ちょいちょい起ち上ってはお辞儀をした。

 O・D伯爵家の昼餐。肥って、さも大儀そうな従僕たち、不味いカツレツ。金はあり余っていながら、何か出口のない袋小路の感じ、家風《しきたり》に縛られて動きのとれない感じ。

 郡医が言う、「医者でなくて、誰がこの天気の悪いのに出歩くものですか。」――これが自慢で、人の顔さえ見れば愚痴をこぼし、自分の勤めほど面倒な職業はこの世にあるまいと鼻高々である。酒は飲まず、屡々医学雑誌にそっと投稿するが、載った例しはない。

 Nの夫は陪席検事を振り出しに、地方裁判所の判事を経て、やがて控訴院判事になった、平均点の上でも下でもない、面白味のない男である。彼女は夫を熱愛する。息を引取るその時まで愛しつづける。夫の不行跡が耳にはいると、優しいいじらしい手紙を書く。臨終のときも、いじらしい愛の表情を浮べて死ぬ。彼女は明かに夫を愛していたのではなくて、もっと高尚で立派な、存在しない誰かしら他の人を愛していて、この愛を夫に注いだのである。やがて彼女が死んだあとで、その家には彼女の足音がきこえた。

 彼等は禁酒会員だけれど、ときどき小さなグラスで一杯だけやる。

 真実は最後の勝利者だと人は言う。だがこれは真実ではない。

 賢者は言う、「これは嘘だ。だがこの嘘がないと民衆は生きて行けないし、またこの嘘は歴史的に神聖化されているのだから、いま直ちにこれを撲滅するのは危険だ。まあ幾分の修正を施すぐらいのところで、当分は放って置く方がいい。」天才は言う、「これは嘘だ。だから存在してはならぬ。」

 M.I.Kladovaia《エム・イー・クラッドヴァイア》夫人*。
*お蔵、物置き。

 口髭を生やした中学生が、気取って片足だけ軽くびっこをひく。

 年功だけの無能な作家が、まるで高僧みたいな威厳をつくっている。

 X町のN氏とZ夫人は、ともに聡明で教育のある自由主義的な人で、ともに隣人の福祉のために働いている。しかし二人は殆んど未知の間がらで、口を開けばきっと互いに他を嘲笑して、愚昧で粗野な大向うを喜ばせるのだった。

 彼はまるで誰かの髪をひっ掴むような手附きをして、こう言った、「どっこい、こうなったらもう逃がさんぞ。」

 Nは田舎へ行ったことがないので、田舎では冬になると通行はすべてスキイに限られているものと思っている。「ひとつスキイの快味を満喫して見たいものですなあ!」

 N夫人は操を売っている。誰の顔を見てもこう言う、「他《ほか》のみなさんと異《ちが》ってるから、貴方が好きだわ。」

 インテリ婦人、いやもっと正確にいえばインテリ社会に属する婦人は、虚言癖をもって秀でている。

 Nは或る病気の研究、その病原菌の研究に一生のあいだ苦闘した。彼はこの闘いに生涯を捧げ、あらん限りの力を尽した。ようやく死期が迫ったころ突然、この病気は決して伝染するものではなく、ちっとも危険ではないことが分った。

読書ざんまいよせい(009)

◎アントン・チェーホフ「いいなずけ」と「作家の手帳」(訳者はしがき)

 赤旗4月19日「金曜名作館」に、「アントン・チェーホフ没後120年」と称し、特に、彼の最後の小説「いいなずけ」が取り上げられていた。(画像左)
 晩年の彼のテーマ「古い時代からの人それぞれの決別」に連なるものだが、どうもそれだけではなさそうだ。「新しい生活」に決心だけではなく、実際踏み出した女性の物語である。それと、その女性への指南役として、自らをモデルとした人物を配している点である。
 小説の結末はこうである。
「 ナージャは祖母の泣き声を耳にしながら、長いあいだ部屋を歩きまわっていたが、やがて電報を取り上げて読んだ。きのうの朝サラトフでアレクサンドル・チモフェーイチ、つまりサーシャが結核のために亡くなったという知らせだった。
 祖母と母親のニーナ・イワーノヴナは追善供養の手配に教会に出かけたが、ナージャはまだ長らく部屋のなかを歩きながら考えていた。ナージャはありありと意識した──自分の人生はサーシャが望んだようにその方向を転じたんだと。自分がここではひとりぼっちで、必要とされない赤の他人であるとも意識した。また、自分にとってもここの一切が不必要なものとなり、一切の自分の過去もわが身からもぎ取られ、めらめらと燃えあがり、その灰までもが風に吹き飛ばされるようにかき消えてしまったことをありありと感じた。ナージャはサーシャの部屋に入って、しばらくたたずんでいた。
 《さよなら、いとしいサーシャ!》──ナージャは心のなかでサーシャに別れを告げた。するとナージャの前に、新しい広々としたはてしない生活が開けてきた。それはまだおぼろげで謎だらけだが、ナージャの心をつかんで、おいでおいでと差し招いていた。 ナージャは二階の自分の部屋に行って荷物をまとめると、その翌朝、家の者に別れを告げ、元気に意気揚々とこの町をあとにした。もう戻ることはないと考えながら。」(浦雅春訳)
 読者は、ヒロインの行く末をかれこれ予測し、「革命家」という意見が多かったとある。小説の書かれた、1903年のロシアといえば、それまでの一定の停滞を経て、「革命」の高揚期、しかし反面では昏迷をも内に含んだ転換期の入り口にも当たる。その中では、ヒロインはどんな革命家の道をたどったのだろうか?「社会革命党(エスエル)」に代表されるザヴィンコフのようなテロリストだろうか?また、やがては、スターリンやプーチンにもつながる独裁者の登場を助ける役割を果たすだけなのか、それとももっと新しい別の基盤のある「革命家」なのだろうか?まさか、前二者であるはずはないし、当たり前だが、チェーホフは何も語ることなく、1904年に世を去った。そして今はとりわけ大事なのは、チェーホフが語ったかもしれないメッセージに思いを馳せようではないか!

 続編として、神西清訳の「チェーホフの手帖」を少しずつ、テキスト化するのを目論んでいる。とりあえずは、訳者の神西清の「はしがき」から

はしがき
 これは作家チェーホフの私録である。その成り立ちについて簡単に左に記す。チェーホフの死後、妻オリガ・クニッペル=チェーホヴァの手もとに、一冊の手帖が保存してあった。それはチェーホフが、折りにふれての感想や、将来の作品のための腹案や、スケッチや心覚えの類を、丹念に書きとめて置いたものである。なかには読書の折りなどに彼の心を打ったと思われる、他の作家からの抜き書きなども見受けられる。この手帖は一八九二年に始まって一九〇四年に終っている。つまり彼がサガレンの旅から帰還の後、なか一年を置いて『隣人』や『六号病室』などを書いた年を起点にして、『桜の園』の上演によって祝祷された彼の最後の年に及んでいるのである。してみるとこの手記の年代は、作家としての彼の円熟期に当っており、忘れがたい幾多の名作をその背景にもっているわけである。
 この手帖とは別に、チェーホフの遺した手稿の束のなかから、特に『題材・断想・覚書・断片』と表に記した紙包みが発見された。このばらばらの紙片に書き込まれてあるものも、内容からいえば手帖と同じ性質のものである。年代的にもまず同じ時期のものと推測される。
 これらの私録をチェーホフがどんなに大切に扱っていたかは、彼がわざわざノオトブックを用意してその大部分を浄書していたことからも察しのつくことである。何かの作品に織り込まれて使用ずみになった分は、彼の手で抹殺してある。尤もそれが作品の中に形を変えて導き入れられている場合には、生かしてこの本にも収めてある筈である。こうした編纂者の配慮のおかげで、私たちはチェーホフの制作過程の一斑にも接し得るわけである。例えば『三人姉妹』の台詞の草案などがその例である。
 しかしこの私録がチェーホフの死後に持つ意義は、勿論そんななところにとどまっているのではない。この貴重な私録は、チェーホフの発想の秘密を私たちに解体して見せている。その断ち切られた一片ごとに、チェーホフの智慧が異様な光を放っているのである。
『日記』はー八九六年から一九〇三年にわたっている。言いかえると、彼が『わが生活』を書き『かもめ』を発表した年から、『許婚』や『桜の園』を書いた年までである。原本には『日記よリ』となっていて、或いは誰かの手で抄出されたものではないかと疑わせるが、文章の姿にまでその手が及んでいようとは考えられない。彼の手紙がひどく饒舌なのと裏返しに、彼の日記は恐ろしく簡潔なスタイルをもっている。この内外両面の対照は興味ぶかいことである。この日記の性格は彼の手帖に酷似している。
 この手帖と日記のほかになおーニの文献的な資料を添えて、私は四年前にやはり『チェーホフの手帖』と題した本を上梓したことがある。書肆は芝書店であった。今度その本の中から純粋にチェーホフの私録だけを取り出して刊行するに際しては、ほとんど改訳にちかい斧鉞《ふえつ》を加えたことを申し添えたい。稀覯《きこう》の原本を貸与された伊藤職雄氏、 訳者の疑問を解きつつ懇切な助言を惜しまれなかったM・グリゴーリエフ氏の御好意に深い感謝を捧げる。
ー九三八年秋
神 西 清
(元本は、画像右)

参考】
・馬のような名字 チェーホフ傑作選 (河出文庫) 浦雅春 (訳)
・チェーホフの手帖(新潮文庫) 神西清訳