大阪きづがわ医療福祉生協設立総代会での挨拶


 本日、6月24日、大阪きづがわ医療福祉生協の第1回総代会があり、頼まれて挨拶をしました。それに、若干の加筆したのが以下の文章です。
 別に、話を大きくする意図はありませんが、今の時代が、未来に微かな希望の光りが見えているとはいえ、それにもまして、暗雲も立ちこめるといった混沌の時代であります。また、100年、200年に一度というべき激動の時代が始まるのではとも思っています。
 ここで、時間軸を200年くらい遡ってみると、この総代会の会場の周辺は、大坂商人の町家が立ち並ぶ殷賑の地、経済・文化の発信地であったことが知られています。その中では、今はもう会場横に記念碑としか残っていない、木村蒹葭堂という「あきんど」が作り上げた、一大サロンは特筆すべき歴史的伝統です。詳細は、今秋に企画されている大阪市西区の史跡ツアーにゆずるとして、木村蒹葭堂から私たちが学ぶことは、単なるサロンにとどまることなく、見事なまでに、人と人とのつながり、ネットワークを作り上げた先人がいるということです。私も、その知のネットワークの一端に参加するべく、さきほど隣の中央図書館で図書館カードを登録してきました(写真)。
 こうした歴史的伝統を破壊し、人びとのつながりを断ち切ろうとしている為政者をいだいている所に、現在の大阪の大きな病弊があると思います。
 さて、3月11日以降、医療生協も震災被災地の人びととのさまざまなネットワークを作って来ました。私も、「最後のご奉公」として、何らかの形で支援活動に参加したいと意を新たにしているところです。この総代会の場にふさわしい表現ではないかもしれませんが、今から100年、200年経てば、私たちは歴史の闇に消え去るでしょう。木村蒹葭堂がそうであったように、形あるものはやがて潰えることにもなるでしょう。しかし、人と人との確固としたつながりは、やがて歴史的伝統として受け継がれることでしょう。混沌とした今だからこそ、歴史を一歩でも二歩でも前に進めるべく、ともにがんばりましょう。