読書ざんまいよせい(039)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(012)


 小説家黒井千次は、こう書く。

 く彼はひどく老い込んでから、若い女と結婚した。すると彼女はみるみる衰へて、彼とともに弱って行った。>
 老い込んだ男が若い嫁をもらって若返るのではなく、衰弱していく老いた夫を見て若い妻がひとりますます艶つぼくなるのでもなく、彼女が夫とともに弱っていくというのはいささか残酷な話だ。この関係を更に煮つめればこんなところにまで来る。
 く持主が死んだら、どうして樹がかうも見事に繁るもんですか?>
 「年々歳々花相似、歳々年々人不同」という詩句があったけれど、チェーホフにはこの人と自然の関わりの間に所有被所有の関係をさしはさみ、樹の側から名指しで人を笑っているようなところがある。おそらく彼は、さわさわと揺れる繁茂した木の葉となって、死んだ持主を笑っているのだろう。けれどその笑いの中には、もしかしたら当の持主の名はアントン・パーヴロヴィチ・チェーホフというのかもしれないぞ、という苦い恐れもにじんでいるように思われるのだ。
 しかし、こうやって「手帖」をめくりめくり楽しんでいたのではきりがない。かって読んだ折には特に目にとまらなかったのだが、今度通読してぼくが最も気に入った一行を最後に引用しておこう。
 <四十五歳の女と関係して、やがて怪談を書きだした。>

 実に老練な小説家らしいチェーホフと一体となった「観察」である。その他、黒井千次は「手帖」から次のような箇所を引用する。

く神経病や神経病患者の数が殖えたのぢやない。神経病に眼の肥えた医者が殖えたのだ。>
<商工業的医学>
く青年が文学界にはいって来ないといふのは、その最も優れた分子が今日では鉄道や工場や産業機関で働いてゐるからである。青年は悉く工業界に身を投じてしまった。それで今や工業の進歩はめざましいものがある。>
くXは日曜になると、スーハレフ広場へ古本を漁りに行く。「可愛いナーヂャへ。作者より」といふ献詞のついた父親の著書をみつける。>
く夫が友人たちをクリミヤの別荘へ招待する。あとで妻は、夫には黙つて勘定書をそのお客さんたちに出して、間代と食事代を受けとる。>
くボターポフは兄と親交を結んで、それが妹への恋のもとになる。妻と離別をする。やがて息子が、兎小屋のプランを送って来る。>
くNはずっと前からZに恋してゐる。ZはXに嫁ぐ。結婚後二年ほどしてZはNを訪れる。彼女は泣いて、何か話がある様子だ。てっきり夫の不平を言ひ出すのだとNは思って待ち構へる。ところがZは、Xを恋してゐることを打ち明けに来たのだった。>

 では、チェーホフの手帖から

 拙劣きわまる芸で、あらゆる役を片っ端から殺しつづけた女優――一生涯、死ぬまでそうだった。人気はないし、その演技は見物に怖毛をふるわせ、いい役を台無しにするのだったが、それでも七十の歳まで女優をしていた。

 自分が悪いと感じる人間だけが悪人であり、従って後悔もできる。

 補祭長は「疑い惑う人々」を呪う。ところが当のその連中はというと、唱歌隊席に立って、自らへの呪詛を歌っているのだ。
      ――スキターレツ

 彼はこんなことを夢想した――妻が足腰たたずに寝込んでいる。彼は後生のために、妻の看病をする。……

 マダムGnusik《グヌーシク》*.
*鼻声。

 油虫がいなくなった。この家に火事が出るぞ!『天一坊《ルジェミートリ》と役者たち』、『ツルゲーネフと猛虎群』――こうした論文を書くことは可能だし、また書かれることだろう。

 題。――『レモンの皮』

 チララ、チララ、兵隊チララ。

 俺はお前の、本腹《ほんばら》の夫《おっと》だぞ!

 海水浴をしていたら、波が、大洋の波がぶつかったので流産。――ヴェスヴィウスが噴火したので流産。

 海と私、ほかには誰ひとりいない。――そんな気がする。

 Trepykhanov《トレプイハーノフ》*君。
*「息をはずませる」

 教育。――彼のところでは、三歳《みっつ》になる赤ん坊が黒いフロックを着て、長靴をはいて、チョッキを着ている。

 誇らしげに、「僕の出身はユーリエフ大学じゃありません、ドルパート大学ですよ!」*
*ドルパート(エストニヤ)はロシヤ名をユーリエフと言う。

 その鬚は魚の尻尾に似ていた。

 ユダヤ人Tsypchik《ツイプチク》*.
*「雛《ひよ》っこ」の意。

 笑うとき、まるで冷たい水の中にすっぽり漬かるような声を出すお嬢さん。

 ママ、稲光りは何で出来てるの?

 領地は厭な臭いがしている、厭な感じがしている。木々は兎にかく植えてはあるが、変てこな工合である。遥か彼方の隅の方では、番人の女房が一日じゅうお客様用の敷布《シーツ》などを洗濯している。――その姿は誰にも見えない。世間はこうした旦那がたに、来る日も来る日も自分たちの権利や、自分たちの高貴さについて喋らせて置くのだ。……

 彼女は犬を極上のキャヴィヤで養っていた。

 われわれの自尊心や自負心はヨーロッパ的だ。しかし発達程度や行動はアジヤ的だ。

 黒犬――まるでオーヴァシューズを穿いているような。

 ロシヤ人の抱いている唯一つの希望は、二十万ルーブルの籤を抽き当てることだ。

 厭らしい女だが、子供はなかなか立派に躾けた。

 人間というものは誰でも、何かしら秘《かく》しているものだ。

 Nの小説の題――『ハーモニイの力』。

 ああ、独身《ひとりもの》男や鰥夫《やもめ》男を知事に任命したらどんなにいいだろう!

 あるモスクヴァの女優が、生れてこのかた七面鳥を見たことがなかった。

 老人の言うことを聞いていると、愚言にあらずんば悪口である。「ママ、ペーチャはお祈りを上げなかったよ。」そこで寝ているペーチャを起こす。彼は泣き泣きお祈りを上げる。それから横になると、いいつけ口をした奴を拳で威かす。

 その人物が男か女かということは、医者でなければとても分るまいと彼は思った。

 一人は正教の坊主になった。もう一人は聖霊否定派の坊主になった。三人目は哲学者になった。本能的にそうなったのである。腰も伸ばさずに朝から晩まできちんと働くのが、みんなてんでに厭だったので。

「一つ胎《はら》の」という言葉が妙に好きな男。――一つ胎の私の兄さん、一つ胎の私の妻、一つ胎の婿、等々。

 ドクトルNは私生児で、父親の膝下に暮したことがなく、父親のことを碌に知らなかった。幼な友達のZが案じ顔でこう告げる、「ねえ君、親父さんが淋しがっておられるぜ。病気なんだ。一目でいいから君に会えまいかと言われるのだが。」父親は『スヰス亭』という食堂を営んでいる。魚のフライをまず手づかみにして、それからフォークで扱う。ヴォトカはぷうんと下等な臭いがする。Nは出掛けて行って、店の様子を眺め、夕食を食べてみた。白髪まじりのこの肥った百姓親爺め、よくもこんなやくざな飯を商売にしやがってと腹が立っただけで、ほかにはこれという感想もなかった。ところが或るとき、夜の十二時にその家の前を通りかかって、ふっと窓を見ると、父親が背中を丸めて帳簿をつけている。その姿が自分にそっくりだった、自分の身振りに生写しだった。……

 鼠色の去勢馬みたいに無能な男。

 つい悪ふざけが過ぎて、そのお嬢さんに蓖麻子《ヒマシ》油を飲ませた。それでお嬢さんはお嫁に行かなかった。

 Nは一生、有名な歌手や役者や文士に罵倒の手紙を書いて出した。――「恥知らずめ、よくものめのめと……」云々。署名はしないで。

 彼(葬儀屋の松明《たいまつ》担ぎ)が三角帽をかぶって、金モールのついたフロックに側条入りのズボンを穿いて現われたとき、彼女は彼を恋してしまった。

 輝くばかりに明るい楽天的な性格。まるで、めそめそした連中をやっつけるために生きているような男。でっぷりして、健康で、大食である。みんな彼を愛しているが、実はそれもめそめそした連中が怖いからに過ぎない。底を割っていえば彼はつまらぬ男である、人間の屑である。ただもう食って大声で笑うだけの男である。やがて彼が死ぬ段になって一同は、彼が何一つしなかったことにやっと気がつく。彼という人間を見違えていたことに気がつく。

 建物の検分が済むと、賄賂を取った委員連中は昼食に舌鼓を打った。それはまるで、喪われた彼等の名誉を追善する会食のようなものだった。

 嘘をつく人は穢ならしい。

 夜中の三時に彼は起される。停車場へ勤めに出るのだ。毎日毎日こうやって、もう十四年になる。

 奥さんが愚痴をこぼす。「あの子に土曜日ごとに下着を更えなさいと書いてやります。すると返事に、なぜ土曜にするんですか、月曜じゃいけませんかと言って来ます。まあいいわ、では月曜にねと言ってやります。するとまた、なぜ月曜がいいのですか、火曜じゃいけませんかと言って来ます。正直ないい子ですけど、世話の焼けるったらありゃしない。」

 賢者は学ぶことを好み、愚者は教うることを好む。(諺)

 平僧も掌院も僧正も、その説教の相酷似せること驚くばかりだ。

 人はよく、万民同胞だとか、民利だとか、勤労だとかいう問題について若いころ論争したことを思い出すものだが、本当は論争なんかやったことはついぞなく、ただ大学時代に酔態を演じたのに過ぎない。また、「学士章を着けている連中は社会の面汚しだ、曾て人間の権利のために、信教や良心の自由のために闘争した面目いまいずこにありや」などと書く。だが彼等は、一度だって闘争なんかしたことはないのだ。

 領地管理人。ブキションといった型の男で、一度も主人に会ったことがない。だから、幻想に生きている。主人は定めし非常に賢い、人物のよくできた、高尚な人だろうと想像して、自分の子供達もそんな風に教育した。ところが、やがて主人がやって来たのを見ると、くだらない、了簡の狭い男だった。そこで眼も当てられぬ幻滅。

参考】
・ユリイカ「特集チェーホフ」1978年6月号 黒井千次「手帖の作家」
写真は、1885年の若きチェーホフ

正岡子規スケッチ帖(006)

編者注】タイトルを変更して…

七月二十六日曇 李《すもも》 此《この》李ハ不折《ふせつ》留守宅ヨリ贈ラル 其《その》庭園中ノモノナリ
七月二十七日曇 越瓜 シロウリ 胡瓜 キウリ

参考】岩波文庫「正岡子規スケッチ帖」

読書ざんまいよせい(038)

◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳

     美姫インペリア

 コンスタンスの宗門会に赴かれるためボルドオの大司教は、供廻りにトゥレーヌ生れの眉目うるわしい雛僧を加えられたが、その若僧の言動の世にも雅びなさまと申したら、ラ・ソルデ*(1)と総督との間に成した愛の結晶との取沙汰まで専らなくらいであった。ボルドオの大司教がトゥールの町を過ぎられた折、トゥールの大司教には進んでこの雛僧を御提供遊ばされたが、大司教たちがお互にかくお稚児をやりとりめされたのは、衆道の神学的むず痒さが如何に烈しいものか、身に沁みて覚えがござったからであろう。この雛僧もかくてはるばる宗門会に参り合い、学徳世にすぐれた大司教どのの館に宿を取られた。フィリップ・ド・マラというこの雛僧は、師の君に見習って行を慎しみ、いとも殊勝に法燈につかえようと発心いたしたが、神秘な宗門会につどった多くの沙門のうち、なかには随分と身をもち崩しながらも、徳行高い僧都にも劣らず、いな、それ以上に、免罪符にあれ、金貨にあれ、僧禄にあれ、たんまりと稼いでおる御仁を、尠からず彼は眼の毒にいたしておった。
 夜としいえばとかく悟道の遮げになるものだが、さてそのある晩のこと、悪魔めがフィリップの耳元に囁き申した。《聖母《エクレジ》寺の豊かな乳房を、僧の誰もが吸っても涸れぬのは、神の存在を立証する何よりの御奇蹟じゃ。されば和僧もいっそ後生楽な暮しをした方が栄耀では御座らぬか。》と教外口伝を受けた折角の好意を、無にするほどの新発意でも彼はなかったので、呆れるくらい素寒貧だったゆえ、金を払わずに済むことなら、旨い御馳走を鱈腹にたべ、独逸の炙肉やソースに食傷するまでに満喫いたそうと、早速《さそく》に思い立ったのであった。大司教を見習い奉り日頃もっぱら克欲に是れつとめてはいたものの、老法師が最早でけぬから戒も犯さず、聖《ひじり》として通っていたに引換え、貧者に冷やかな艶っぽい遊女どもが、はなやかにわんさとのさばっているのを、若い身空の彼は見るにつけて、堪え難い煩悩熱に苦しんだ揚句は、ふさぎの虫にとっつかれるのが屡々でごあった。そもそもコンスタンスにかかる遊び女があまた屯したのは、宗門会の高僧衆の悟道の一助たらんとするに他ならず、意気なこれら鵲《かささぎ》どもは、枢機官、法印、法務僧、法王使、別当、僧正なんどをはじめ、公侯伯などのお歴々をまで、とんと乞食坊主をでもあしらうように、剣突をくらわしめされておったのである。フィリップはこれら生菩薩に、どう言い寄ってよいやら、その手立てを存ぜぬ儘に、いたくもどかしがっておった。毎夜のお祈りの済んだ後で、しさいらしく恋の経文を押し揉んで彼は、ああ言われたらこうも答えようと、いろいろさまざまの場合を予想して、女人衆との問答の独り稽古に励んでいたが、そのくせ翌日の晩祷の折に、装い美美しい姫御前の一人が、太刀佩いた小姓衆に轎脇《かごわき》を守られて、傲然と渡ってゆくのに出逢うと、蠅を捕えようとする犬そこのけに大口をあけたまんま、彼の身心を燃やすあでやかな芳顔を、ぽかんと見送ってしまうのを常といたした。
 宗門会のお歴々の庇護を受けて暮している、これら甘ったれの牝猫どもの上つ方の分際《きわ》と、阿闍梨や律師や法眼の面々が、慇懃を通ずる光栄に浴しておるのは、ひとえに贈物の功徳のお蔭であって、但し贈物と申しても、聖舎利や免罪符などのたぐいではなく、専ら宝石や黄金の功力《くりき》を以てしてじゃと、猊下の祐筆でペリゴール出の御仁が、歯切れのよい調子で、フィリップに開眼してのけられたもので、うぶで世間知らずの彼は、それからというもの、写字の酬いとして大司教から恵まれた鳥目を、他日上人衆の寵姫を一目拝み、その余は神様におまかせする際の元手にいたそうと、せっせとお銭《あし》を藁床の下に蓄え出した。彼は頭の天頂《てっぺん》から爪先まで底抜けの態で、夜会服を纏った牝山羊が、貴婦人に似ている程度には、どうやら殿御らしくもあったが、無性の欲望に鬩《せめ》がれて、夜分、コンスタンスの町々を彷徨し、いのちなど屁とも思わず、衛兵の戟先で串刺しにされる危険を冒してまで、遊君の許に出入する高僧衆の姿をのぞき見して歩いていた。ありようは彼の見たものといえば、館にすぐ点された蝋燭の明りに輝く戸や窓であり、耳にしたものといえば行い澄した僧官やその他の、歌舞音曲のざんざめき、杯盤狼藉のどんちき騒ぎ、酒池肉林の大法会、真言秘密の和讃《ハレルヤ》の色読なんどでごあった。ああら不思議や、そこでは膳部までが御奇蹟を現じて、祭式はすなわち脂ぎったおいしい鍋料理、朝の勤行は豚の脛肉、夜の勤行は腹一杯の生臭物、唱える頌歌は舌ったるい砂糖漬といった塩梅に、物みなあらたかに変性いたしおった矣。ひとしきりかく酒盛が果てるや、これら勇ましい和尚たちも、欣求菩薩でひっそりかんと静まり返り、小姓は階段の上で骰子遊びに夢中になり、鼻息荒い騾馬どもは街頭で大喧嘩、ものなべて上々吉の首尾と相成って、夜もふけて行くのが常でごあった。なれどまた信仰や宗旨もそこになお厳として残ってはおった。だからして善人フス*(2) が火刑せられたのじゃ。が、その訳はというにこの御仁は、招かれずして皿に手を出したからで、借問す、しからば何故フス殿は余人に先立って、異端の新教徒《ユグノー》になられたので御座ろう?
 さるほどに優しい小坊主フィリップは、懈怠の咎から折檻されて、屡々打擲まで受けたが、悪魔がその度毎に雛僧を力づけて、早晩姫御前の許で上人となる番が、彼にも来るものと思い込ませておった。情欲おさえ難いこの雛僧は秋口の牡鹿のように胆太くなって、或晩のこと、コンスタンス第一等の美館へ忍び込んで行った。その館の階段には、いつも侍や家令や下僕や小姓が手に松明をかざし、銘々の主人、王侯僧都の御帰りを待ちあぐんでいるさまを、何度も見て、この館の姫君こそ、必ずや素晴しい天下一の傾城に違いないと考えめされたからである。
 いましがたこの館を立去ったババリヤ侯の文使いと、勘違いされたものか、武装いかめしい見張りの者にも、見咎められずに罷り通ったフィリップ・ド・マラは、さかりのついた猟犬よろしく、素早く階段を駆け上り、えならぬ香料の匂いに惹かれて、とある部屋に入ったが、そこでは丁度この館の女あるじが侍女にかしずかれて、お召替のまっ最中だったので、捕吏に出会った偸盗のように、彼は茫然と其場に立竦んでしまった。寵姫は下着も頭巾もつけぬ、いともあじゃらなていたらくで、腰元や侍女は甲斐甲斐しく沓を脱がせるやら、衣裳を剥ぐやらしておった。うるわしくさわやかな玉の肌、あまりにもあらわなそのあですがたに、敏捷な雛僧もただただ「ああ!」と艶っぽい嘆声を洩らすばかり。
『坊は何しに参ったのじゃ?』と寵姫には訊ねられた。
『魂を御身に捧げんとて。』と眼で美女をむさぼりながら答えた。
『では明日来てたもれ。』雛僧を思いきり嬲ろうとしてか、彼女はそう言った。
顔いっぱい真赧になったフィリップは、優しく答えた。
『必ず参上仕りましょう。』
 寵姫は狂女のように笑い出した。うじうじしてフィリップはぼんやり突っ立っているほどに、次第に心くつろいで、えもいわれぬ恋情に燃えたキューピッドの眼で、じっと彼女を眺め、象牙のように滑らかな背に垂れかかった美しい髪や、波形に縮れた無数の捲毛のひまにちらつく、白いすべすべ光るやわ肌など、飽くこともなく歎賞しつづけた。雪の額に戴いた紅玉は、可笑し涙にうるんだ寵姫の黒い瞳よりも、輝きは褪せていたし、聖櫃のように金泥を塗った反り長の上沓は、ふしだらに身をくねらせたはずみに投げ飛ばされて、白鳥の嘴より小さな足があらわに露出《むきだ》されていた。ひどくこの晩の彼女は機嫌がよかった。そうでもなかったらこの小坊主ごとき、その師たる一の僧正への斟酌もいたさず、情容赦もなく窓から外へと、抛り出されていたに違いはあるまい。
『この御坊の眼の美しいこと!』と侍女の一人が言った。
『どこからやって参ったのじゃやら。』と他の侍女も申した。
『可哀想に、母者人がさぞかし探してござるじゃろう。正道に立戻らせて進ぜましょう。』と奥方には仰せられた。
 悩ましいこの女体が、やがて臥せにゆく金襴の寝床に眼を走らせ、雛僧は五感もいまだ慥かだっただけに、この上ない法悦から胴ぶるいをいたした。恋ごころと甘い悟りに満ちた若僧の眼の色から、寵姫は浮気心を目ざませられて、半ば笑いながら、半ば惚れこみながら、重ねて明日を約して引取らせた。彼女のその追いやりかたに遭っては、法王ジャン*(3)でさえこれに従いめされたであろう。況んや宗門会の決定で法王の職を解かれ、殻を失った蝸牛同然の今日この頃のジャン猊下の身であってみれば、猶更のことである。
『これはしたりマダム、またしても自性清浄の誓願が、色界への欲念にと化けましたぞえ。』と腰元の一人が云ったので、雹のように旺んな大笑いが起った。水も滴る水精よりもあじな上臈を、ちらり見ただけで茫となったフィリップは、まるで冠頂鴉のように、頭を板壁や腰張に打ちつけ打ちつけ出て行った。館の門の上に獣物の像が刻んであるのを横目にして、大司教の許に戻って参ったものの、心はすっかりもろもろの悪魔の眷属に巣くわれ、五臓六腑は妖しくすれからされてしまっていた。早速に己が部屋で一晩中フィリップは金勘定に夜を明かしたが、どう数え直してもただの四枚しかなく、そしてそれが尊き臍繰りの全部だったので、彼はこの世で身一つに持ち合せているものすべてを彼女に捧げて、その歓心を得ようと、深く心に期したのであった。
 フィリップがそわそわして溜息ばかりついているのを見てとったやさしい大司教には、いたく御心配遊ばされて、どうしたのじゃと訊ねられた。
『ああ、和尚様、あんな軽いやさしい手弱女が、どうしてこんなに重く私の胸にのしかかるものか、われとわが身に呆れておる次第なので。』
『してそれはいずくの女人衆じゃ?』と阿闍梨は世の衆生のためにと誦しておられた祈祷書を下において向き直られた。
『ああ、さだめし和尚様からはきついお叱りを受けることで御座いましょうが、実は私、どう踏んでみても上人様級の思いものを、拝んで参ったのでございます。が、かの女人を善心に立返らすようとのお許しを、よしんば和尚様から頂きましたにしても、黄金|一緡《ひとさし》あまりも足らぬもので、いかんともするすべなく、かく打嘆いているのでございます。』
大司教は鼻の上の抑揚音符《やまがた》をしかめられたきり、何とも仰せられなかった。畏った雛僧は、目上の長老にかく懺悔に及んでしまったことを、肌身の下では慄え上っていた。が、すぐと聖《ひじり》は申された。
『さればさだめし高価な女子衆じゃな?』
『左様で、沢山の司教帽をかすめ、多くの笏杖を噛ったげにござりまする。』
『どうじゃフィリップ、その女人を思い切るなら、慈善箱より金貨三十枚取らせようではないか。』
『とんでもございませぬ、和尚様、それでは私がえらく損をいたしまする。』彼は心中かたく期していた饗応に夢中になっていたので、そう答えた。
『おおフィリップ、其方もかの上人衆と同じく、悪魔に誘われて神に叛こうとするのか。』とボルドオの大司教には嘆息せられた。
いたく悲しまれた大司教は、己が下僕を救うべく、童貞男の守り神、聖ガチアンにお祈りを上げ、フィリップを跪かせて、聖フィリップに御加護を願うよう戒告めされた。しかし悪魔にとりつかれていた雛僧は、明日という日に、かの生弁天が彼に大慈大悲の済度をおさずけ下さった際、わが身がとちらぬようにと、声低く祈り出した。熱心げに唱えるその祈誓を聞かれて、お人好しの大司教には、こう叫ばれた。『そうじゃ、フィリップ。勇気を持て。神様は必ずやお前のお祈りを、お聞き届けなされて下さるぞ。』

 その翌日、大司教は宗門会に参られて、宗門の使徒たちの放縦な振舞いを難ぜられている折から、フィリップ・ド・マラは粒々辛苦の結晶たるその蓄財を散じて、香料やら沐浴やら蒸風呂やらその他の下らぬものに費消し、めかしこんであっぱれ色男を気取ったので、どこぞの上臈衆の御稚児衆とも見えたくらいであった。彼は心の女王の棲家を今一度たしかめるべく、町へ出掛けて通りがかりの人に、誰方様のお屋敷かと尋ねると、その人は彼の鼻先であざ笑って、
『美姫インペリア*(4)の名を知らぬとは、さてさて貴殿は何処から参じた疥癬かきどのじゃ。』
 名を聞いた許りで、如何に怖ろしい罠に、われから陥ったかを悟ったフィリップは、悪魔のために大事なお宝をあだに費したことを思い、わだわだと身慄いいたした。
世にも稀な容体振った気儘女インペリアの美しさは、そも生菩薩の来迎にも劣らず、上人衆を手玉にとり、荒くれ武者を誑かし、世の暴君を尻の下に敷くに、かねて妙を得ていた麗人でごあった。それに何ごとにもあれ、寵姫の御用ならと、お声懸りを待ち構えている腕自慢の隊長、射手、貴族の面々を、私兵としてあまた彼女は配下に擁していたので、鶴の一声、ちょっとでも気に逆らう者をあの世に送りこめたし、一度優しくほほえんでみせれば、忽ち怖ろしい血の雨が、俄かに降ったくらいである。だから仏蘭西王の隊長ボオドリクール殿などは、坊主どもにあてつけて、今日はばらして欲しい御仁は御座らぬかと、毎度彼女に訊ねておった。インペリアが婉然とその笑みを与えていた権勢並びない上つ方の高僧衆を除けば、爾余の衆生は彼女の恋の口説手管に乗ぜられて、てもなくその意の儘に牛耳られ、いかな有徳な、また冷厳な御人であろうと、鳥黐に捕えられたていたらくに、なんなく絡められてしまうのでごあった。さればこそ彼女は正真正銘の上臈の奥方や大公妃もただならず、世間から敬し愛され、奥方《マダム》とまで呼ばれる有様であったので、さる権だかいまことの上臈が御憤慨あそばされて、シギスモンド皇帝*(5)に直訴に及ばれたるところ、御仁慈な帝にはかく勅諚あらせられた。
『御辺たち善女は浄い婦徳の天晴れな習わしをあくまで守られるがよく、またマダム・インペリアは女神ヴィーナスのあでな仕来りをこれまた守るがよい。』
 帝のあまりにも柔和なこのキリスト教的な勅答に、なんと怪しからなくも善女たちには、柳眉を逆立てられたということである。
 フィリップは前夜の無賃《ろは》の眼保養を思い出し、所詮あれで全部だったかと危惧いたして、心浮かぬまま飲み食いもせずに、町をぶらついて時の来るのを待ったが、インペリアほど御しがたからぬ女人なら、いくらでも上に跨がれそうな、それはそれは伊達な男振りでござった。
 無明の夜となった。トゥレーヌ生れの美僧は増上慢に胸ふくらかし、欲望で鎧われ、いきづまるほどの嘆声で鞭打たれて、まこと宗門会の女王の館に鰻のようにすべり込んだ。女王と申したは、彼女の前に、宗門のあらゆる碩学、権威、大徳がひれ伏していたからじゃが、館の執事はこの小坊主を不審がって、外に追い出そうとしたのを腰元が見つけて、階段の上から、これアンベエル殿、奥方の大切なお稚児で御座るぞと注意をいたした。
 身の冥加と果報に上気したフィリップは、婚礼の晩のように真赧になって足も躓きがちに螺旋階段を昇った。腰元は彼の手をとって、一間へ案内すると、既に奥方は力くらべの相手を待ちかね顔に、なまめいた薄衣裳でわくわく控えてござった。傍らの金繍の毳だった卓布の上には、素晴しく結構な酒盛の支度が豪勢に並べられてあった。酒の瓶、凝った盃、ヒポクラスの酒壺、サイプラス酒の甕、薬味の容器、孔雀の丸焼、緑色の掛け汁、小豚の塩漬など、もしもフィリップがインペリアにかほど目がくらんでいなかったら、さだめしたんまりと彼の眼を喜ばせたに違いはあるまい。雛僧の眼がすっかりおのれに吸いついているのを見たインペリアは、法燈の御連中の無常迅速な敬虔振りには慣れきっていたのに、今度ばかりは大満悦であった。そのゆえはこの雛僧に昨夜から彼女は夢中となり、今日も一日彼のことが、心臓のなかを駈け廻っていたからである。窓も鎖された。奥方は羅馬帝国の皇太子をでも迎えるように、身支度を整え、よろずよそおいも済んでいた。さればインペリアの聖なる美しさに宣福されたフィリップは、皇帝も藩侯も、いな法王に選出された枢機官とても、今宵いまその頭陀袋の中に、悪魔(鐚銭)と愛執をのみひそませた一介のこの沙弥には及ぶまいと、われと思い定めた程だった。彼は大公を気取って、いとも慇懃雅びやかに奥方に会釈した。奥方はじっと彼に炎の眼を注いで、
『もっと妾のそばへのう。昨日以来変ったかどうか、とくと見たいほどに。』
『いかさまずんと変って御座ろう。』
『はてさてどこが変られたのじゃ。』
『されば昨日は片思い、今宵は相愛の仲じゃほどに、貧しい素寒貧より、一躍して王者を凌ぐ富裕な身の上となり申した。』
『まこと御身は変られたのう。若い雛僧から老獪な悪魔に、一躍にしてなられてじゃ。』と快活に彼女も言った。
二人は赤々とした火の前に寄り添ったが、その温かみは満身に法悦を漲りわたらせた。すぐにも御馳走にくらいつくことも出来たが、彼と彼女は眼で鳩のように見交すより他の考えはなく、皿にお箸をつけるどころではなかった。嬉しそうに二人が楽々と腰を落着けたと思った途端に、奥方の門先を大声でがなりながら叩く只ならぬ物音がいたした。
『奥方さま、邪魔者が入りました。』と息せききってはせつけて来た腰元が言った。
 清興を遮られたことをいきどおる暴君のような権柄な調子で、奥方は何事じゃと叫ばれた。
『コワレの司教がお目にかかりたいそうにございます。』
『あんな奴は悪魔に攫われたがよい。』とインペリアは云って、婉然と雛僧の方を見た。
『隙間から明りが見えたと申し、是が非にもとお取次を願っておりまする。』
『今宵はちと熱気味じゃと伝えてたもれ。正真まったくの話じゃ。妾はこの雛僧にぞっこんと熱を上げ、心身ともにあつあつじゃもの。』
 そう云って身体じゅう沸立っているフィリップの手を、恭々しく握りしめたとき、コワレの司教が、息弾ませながら怒り立ったでっぷり姿を現わした。後に続いた家隷が、ラインでとれたばかりの鱒を、坊主料理で調じて金の皿に盛り、ついでさまざまの薬味箱だの、くさぐさの珍肴、さては彼の僧院の浄い尼さんが作ったジャムだの、醸し酒だのを、運び入れた。
『は、はあ、悪魔に攫わそうとお切匙なされずとも、どうせ悪魔の許に赴く筈のこの身でござるわ。』と司教は野太い声で言った。
『あなたのお腹も何時かは見事な剣の鞘となり申そう。』と柳眉をひそめながら奥方には答えたが、今迄の美しく楽しげな容子もどこへやら、人を慄え上らせるほどそれは邪悪な相と変った。
『してこの合唱隊の小童《こわっぱ》は、奉納物でござるか!』と幅広い赭ら顔を優しいフィリップの方に向けて、司教は不遜げに申した。
『猊下、やつがれはマダムの懺悔聴聞に参り合いました。』
『はてさて、其方は宗法を存ぜぬのか。上臈衆の夜半の懺悔は、司教にのみ遺された権利じゃぞ。……早々と退散いたせ、並の坊主の仲間へ戻りおろう。二度と此処へ来るな。さもなくば破門をいたすぞ。』
『戻るには及ばぬぞや。』とインペリアは吼えるように叫んだ。恋に燃える艶姿より、憤怒に燃える形相の方が、遥かに美しく濃艶なくらいだった。彼女の裡には恋と怒がともどもに宿っておったからである。
『フィリップ、帰ってはならぬ。ここはそなたの家も同然じゃ。』
そう云われてフィリップは、奥方から真底愛されていることを悟った。
『ジョザアファトの谷における最後の審判の折は、神の御前にて人は上下平等であると、祈祷書にも福音書にも申しては御座らぬか?』と彼女は司教に向って申した。
『それはバイブルをまぜっかえした悪魔の作りごとで、たださように書かれてあるだけじゃ。』早く食卓に就こうとあせっていた巨大愚鈍のコワレ司教はさよう答えた。
『ならば下界に於ける御辺らの女神である妾の前では、何とぞ四海平等に振舞ってほしいものじゃ。さもなくばいつの日か、御身の頭と肩の間を、やんわり人に絞めさせましょうぞ。法王の剃髪《さかやき》にもたくらぶべき妾の神通力ある剃髪にかけて、そのことは誓いまするぞ。』そうは言ったものの鱒や薬味や珍肴を、夕餉の品数に加えたく思って、彼女は抜かりなく附け加えた。
『まあそれより坐って、ちくと一献いかがじゃ。』
 こすい紅鶸インペリアは、かかる羽目に陥ったことは毎々なので、いとしい情人に目はじきをして、葡萄酒が即決を下してくれるゆえ、こんな独逸坊主なぞすぐ盛り潰そうほどに気にかけるには当らぬ旨を知らせた。腰元は司教を食卓につなぎつけ、しかと縛めたが、フィリップは待望久しかった果報が、煙と消えたのにむしゃくしゃして、しぜん口も噤みがちになり、この世の坊主の数よりも多い悪魔の眷属に、この司教めを引渡してやりたいと内心では思っておった。食事もはや半ばに及んだが、インペリアにしか飢えていなかったフィリップは、卓上にも手をつけず、物も云わず奥方にひしと寄り添って、ピリオドもコンマもアクセントも綴りも字体も字づらもなくとも、上臈衆にのみは通ずるあの楽しい心言葉を語り聞かせていた。亡き母が彼を縫いこんでくれた坊主肌の上っ張りを、後生大事にいたしていた色好みの肥大漢コワレは、嫋やかな手でマダムがお酌するヒポクラスの酒を、陶然としてあおり続けておったが、そろそろ曖気《おくび》も出かかった頃おい、俄かに通りの方で騎馬行列の騒がしい物音が聞えた。幾頭もの馬や、「ほう、ほう」という侍童の掛け声で、恋路を急ぐ貴人の着御ということが解った。げにその通り、インペリアの下人には、玄関払いをくらわしかねたラグーザ枢機官が、間もなく彼女の部屋に姿を現わした。悲しい羽目に陥った奥方と雛僧とは、昨日からの癩病やみのように恥じ入って、ちいさくなってしまわれた。この枢機官を追い出そうと計るのは、悪魔を誘惑するも同じい難事だったし、それに丁度、法王の三人の候補者が宗門のためと称して辞退した後で、この枢機官が法王になるかも解らなかった時であった。ラグーザ枢機官はこすからい伊太利人で、髯むじゃらの大の詭弁家、かねて宗門会の一方の旗頭であったが、この場の一から十までを、彼の悟性の最も弱い働きでもって、すぐと察して、その腹の虫をいやすには如何にすべきかなんど、長く思案に及ぶまでもなかった。彼は坊主の食い気に駆られて着到いたしたが、おのれが飽食せんが為には、なんと非道にも、坊主二人を刺殺し、真正の十字架の切れ端をも、売却しかねまじい性分でごあった。それで彼は《ちょっと》と云って、フィリップを小脇へ呼んだ。可哀想にフィリップは悪魔の手がいよいよわが身に及んだことを観念して、生きた心地もおりなかったが、立上っていとも険相の枢機官に、《なに御用で?》と訊ねた。ラグーザは彼の腕をむずと掴んで階段の方へ連れて行き、フィリップの白眼をきっと見ながら、ずけずけと申した。
『やいやい、見れば不憫な若僧のようだが、お前の臓腑が何匁あったかをお前の親方に、告げ知らせるのは、いたわしくてならぬわい。貴様を眠らせて気晴しを遂げたがために、晩年になって仏心を起し、菩提を弔う仕儀に到るのは真平じゃい。されば其方は寺領の主となって余命を永らうるか、はたまた今夜、この館の姫の主となって、明日という日に息の根を絶たれるか、二つに一つを選ぶがよいぞ。』
 不憫なフィリップは絶望しながら言った。
『猊下の御執心がさめた後ならば、また戻って来て差支えありませんでしょうか。』
 怒る気勢も挫けた枢機官は、けれど厳かにこう言った。
『さあ選べ。絞り首か寺領か。』
『ああ、そんならいっそ大きな寺領にして下され。』とフィリップはこすからく答えた。
 と聞くや枢機官は部屋に戻り、インキ壺をとり寄せ、フランスの法王使節にあてた指令書を、特許状の端に書きなぐった。寺領という文字を書きかけた時、フィリップは口をはさんだ。『猊下、コワレの司教は、兵隊が入り浸る町の居酒屋の数ほども、あまたの寺領を持っておりますし、神様の思召しも浅からぬ御仁ですから、私のように易々と、追い立てる訳にも参りますまい。立派な寺領を頂戴する御礼に、素晴しい智恵をお貸し申しましょう。いま巴里では凄じいくらいコレラが蔓延して、住民いたく難渋に及んでいることは御存じでございましょう。ですから猊下の古馴染のボルドオの大司教が、コレラでころりと御陀仏の引導を渡しての帰り途だと、あの司教に御披露なされませ。すればコワレ殿は大風の前の藁屑のように、大急ぎで退散いたすに相違ござりませぬ。』『ほ、ほう、お前の入智恵は寺領一つでは惜しいくらいじゃ。よし、これ、ここに黄金百枚ある。昨日カルタで勝って手に入れたテュルプネイ僧院を、其方へ棚牡丹《たなぼた》式につかわすゆえ、そこへ赴く路用にいたせ。』
 こうした言葉の遣り取りを聞き、またフィリップがこちらの望む、愛の真髄の籠ったむずがゆい眼差を、彼女に投げもせずにのめのめ退散するのを見て、牝獅子のインペリアは若僧の卑劣さを見破り、海豚のように頬を膨らませた。己れの執心に一命を捧げることも出来ずに、恋人をあざむくような男を赦すことは、信仰篤い女人でもなかったので、彼女にはなおと不可能であった。されば蝮蛇の眼差でフィリップを蔑み見たインペリアの眼には、雛僧の死がありあり彫まれてあったが、それは枢機官をいたく喜ばせるものであった。呉れてやった寺領もすぐまた元に戻るわいと、好色な伊太利人は看て取ったからである。しかしフィリップは嵐の迫ったのにも毫も気にかけず、人に夕方追っ払われる濡犬そっくり、耳を垂れ、口を噤んだまま、すごすご逃げ出して行ったので、奥方は腹の底からの溜息を洩らされた。人間という性の悪いものの本体を、そのちょっとでも掴めたら、早速に火あぶりにでもしてやりたいくらいに彼女は思った。というのは彼女を領じていた体内の火が、あたまに上りきって、インペリアの周囲一帯に、焔の火箭となってむらむら燃え上っていたからである。それも御道理様で、坊主にだまされたのは、これが彼女には最初のことだった。そのさまを見てとった枢機官は、もうこれからはこっちの天下とばかり北叟笑んでおったとは、なんと狡い御仁では御座らぬか。いや、それも尤もじゃ、赤帽かぶった枢機官どのじゃもの。
ラグーザ枢機官はコワレに申した。
『これはこれは御僧、おぬしと同席は近頃光栄至極でござる。ましてや奥方に、ても似つかわしからぬあの小坊主を、首尾よく追い出したれば、なおさらのことじゃ。と申す訳は美しくあでやかなわが牝鹿どのに、かやつ近づこうものなら、平僧の分際でいて、立ち処に無慙な死神を呼び出す仕儀にいたるは必定じゃからのう。』
『ほう、それはまた何故でござる?』
『さればさ、彼奴はボルドオの大司教の書記めじゃが、その大司教どのには今朝がた怖ろしい疫病に取りつかれたからじゃ。』
司教はチーズでもまるごと嚥下しようとする時のような大口を開けた。
『へえ、どうして猊下にはそれを御存じで?』
『さればさ、儂はいましがた、かの和尚に末期の聖餐礼を執行して、慰めて参ったばかりのところなのじゃ。今時分は大方、あの聖も紫の雲にのって、天国へ急いでおることじゃろう。』とコワレの手を握りながら枢機官には申された。
 コワレの司教は肥満した御仁が如何に身軽いかを実演いたしてみせられた。何故なら便腹の御仁は神のお恵みに依り起居も難渋であろうと、その代りには風船のような弾性ある内部の管を授けられているからで、さればコワレもわだわだと汗ばみながら、一跳びうしろにとびしざって、飼葉と一緒に羽根でも口に入った牛のように、烈しく鼻鳴らすとともに、さっと蒼ざめて、奥方に別れの言葉さえ告げずに、階段をころがり落ちて行った。やがて表の扉もしまり、司教が街なかをころげ去ってゆく様子に、ラグーザどのは腹をかかえて面白がっておられたが、
『なんと身共は法王の位に適うはもとより、御身が今宵の情人としてもふさわしくは御座らぬか喃。』と言った。
 しかしインペリアがいたく懸念げなのを見た枢機官は、彼女の傍らに寄って両手であやなし、枢機官式にゆすぶり、ちょうらかそうとした。そもそも枢機官といったれば、兵隊はおろか他の何人にも増して、釣鐘打ちの上手、ゆすぶりの名人でごあるが、そのいわれは根が閑人で、人性を損うまいとする天晴れ殊勝なる心掛によるものでもござろうか。
『まあ滅相もない。気が違われたか枢機官どの、御身は妾を殺そうとなされるのか。ここな意地わるの極道坊主め、御身にとって大事なは、ただ快楽をむさぼることのみじゃ。妾の美しい一物なぞ、その小道具なのでござろう。妾を御身の快楽の犠牲に供し、あとで妾を聖者の列に加えようと思召さるるか。ああ、御身はコレラに罹り、妾にもそれを移そうとめさる。能無し御坊、廻れ右して早く立去られるがよい。ゆめ妾に触れてたもるな。』と彼女は身を退けながら云ったが、猶も枢機官が迫って来るのを見て、『さもなくばこの短刀でぐさりと一つ御見舞申しまするぞえ。』
 そういって素早く彼女は腰袋から小さな短剣を取出した。これなん、時に応じ機に乗じ、彼女が巧みに使いわけしておった代物である。
『したがわが小さな天国よ、いとしの姫御よ、儂がコワレの老牛を追い払う算段にいたした調略を、何故にそなたはさとらぬのじゃ。』と笑いながら枢機官は云った。
『されば妾がいとしいとなら、即刻その実証を見せてたもれ。さ、すぐに立帰って欲しいのじゃ。御身が病気に罹ったとしたら、妾の死ぬることも、さだめし平気なので御座ろう。いまわの折の饗宴を、あの一瞬の歓楽を、どんなに御身が常日頃より大事がっているかは、御身の人柄を知る妾にはよくと解るのじゃ。あとは野となれ山となれと、御身が酔った砌り、ぬかしおったは妾の耳底にこびり残っておる。妾とても愛するのはこの身ばかり、妾の財宝、妾の健康ばかりじゃ。さればお帰りめされ、もし疫病に五臓も凍りついておらなんだなら、明日妾に会いにおじゃれ。今日のみは御身と雖も真平じゃ。』と彼女は微笑を含みながら言った。
『インペリア、わが浄きインペリア、わしをなぶらんでくれい。』と枢機官は跪いて叫んだ。
『これはしたり、浄いあらたかなものを、どうして妾がなぶりましょう。』
『おお、この性わる遊女め、儂は御身を破門するぞ。明日こそはのう。』
『まあ、枢機官さまには枢機官の分別を失われたと見ゆる。』
『インペリア、悪魔の穢らわしい阿魔め、あ、ああ、さりながら美しい生菩薩、わがいとしの姫御前。』『体面をお考えめされ。跪くのはお止め下され。さてもあさましい。』
『のう、インペリア、臨終の際の特赦状をそちに授けようではないか。儂の財宝残らずを取らそう。いや、もっと大事なもの、わしの持っている本物の十字架の切れ端を、そなたにとらすとしよう、如何じゃ。』
『たとえ天地の財宝悉くを以てしても、今宵の妾の心は購えませぬ。』と彼女はにっこと笑いながら言った。
『万一、妾にこの我儘がなかったなら、それこそ御主イエス・キリストの聖礼拝受の資格のない罪人の、その最後の者となりはてましょう。』
『この館に火をかけるぞ。妖女め、儂をすっかり惑わしおったな。そなたを火あぶりにしてくれよう。……じゃがのう。インペリア、いとしのお人、儂はそなたに天国で極上の場席を予約して進ぜよう。どうじゃ。なに、いやか。じゃ死ね、魔法使の妖女め。くたばりおろう。』
『おお、そんなら妾はそなたをとり殺しまするぞ。』
 枢機官はたけだけしい忿怒のあまり、口から泡を出された。
『さては気が狂われましたか、早くお立退きめされ。さぞお疲れじゃろうに。』
『儂は法王になるのじゃ。この恨みは存分に晴らすぞ。』
『ではもう妾に従われぬほぞを固められてか。』
『今宵そなたの気に入るには、一体どうすればよいのじゃ。』
『さればお戻り下され。』
 彼女は鶺鴒のように軽く身を飜して部屋に駈け込み、なかから錠をさしたので、枢機官は怒り猛られたが詮方なく、遂に退散にと及ばれた。
 インペリアは一人ぼっちで炉の前に腰を卸したが、もうお稚児の僧もいないので、忿怒のあまり金の小鎖を打ちちぎって、こう叫んだ。
『悪魔の二重三重の角にかけて申すが、あの雛僧の為に枢機官どのと妾は大悶着を起し、思い切りあの人を懐柔でもしておかぬと、明日が日は毒殺の憂目を見ねばならぬ羽目に立到った。ええい、眼の前であの小僧が生きながら皮を剥がれるのでも見ねば、到底に死にきれぬわ。ああ――と彼女は今度こそ本当の涙を流しながら云った。――ああ、妾はまことに不幸な目に陥ってじゃ。時折おこぼれほどの果報にありつく報いに、後生の怖ろしさは別として、犬のような稼業をせねばならぬとはのう。』
 一くさりインペリアの愁嘆の場が済んだ時分、巧みに身を今迄かくしていた雛僧の赤い顔が、そっと彼女のうしろからさしのぞいて、ヴェネチアの大鏡に映っているのを彼女は見かけた。
『おお、このコンスタンスの浄い恋の町に、坊主沙門はあまたあれど、おぬしほど申し分のない道心、美しい可愛い沙弥、雛僧、新発意は他にないぞや。さあ、こちらへ来やれ。やさしい騎士、可愛い息子、妾のお腹、わが歓喜のパラダイスよ。御身の眼をのみたい。御身の肉むらを食いたい。恋責めに御身を殺してみたい。おお、わが栄えある青春の永遠の神よ、さあこちらへ参りや。しがない僧都から、御身を王に、皇帝に、法王に、万人の中でのいっち果報者にしてくれましょうぞ。ここな部屋うちのすべてを、火に血に投じても苦しゅうはない。妾は御身のものじゃ、その証拠をとくと示し参らそう。御身はすぐに枢機官となるのじゃ。御身の帽子を枢機官帽のように赤くするためなら、妾の心臓の血悉くを注いで進ぜよう。』
 慄える手で嬉しげに彼女は太っちょのコワレ司教の持参いたした金の杯に、ギリシャの酒をなみなみと注いで、跪いてフィリップに捧げた。法王のスリッパーより彼女のスリッパーを、公侯のお歴々が珍重ただならぬそのインペリア姫が、跪いたのである。しかしフィリップは恋ほしやの目で、黙って彼女を見つめるばかり。インペリアはついに喜悦に身ぶるいしながら申した。
『さあ、和子、何も云わずともよい、先ずは夜食をまいらしょう。』

 (1)ラ・ソルデはブウルゲイユ(シノンより四里の在所)のバター作りの女で、浮気で別嬪で陽気な田舎小町。
 (2)ジャン・フス(一三六九―一四一五)ボヘミアの宗教改革家、コンスタンスの宗教会議にて異端者として火刑に処せらる。
 (3)ジャン法王(ジャン二三代)(一三六〇―一四一九)一四一〇年法王となり一四一五年に廃黜さる。
 (4)インペリア(一四五五―一五一一)ローマの遊君、ミューズ・ルネッサンスと称せらる。その美貌と才気を以て当時に冠たり。
 (5)シギスモンド皇帝(一三六八―一四三七)一三八七年ハンガリヤ王、一四一一年より三七年までドイツ皇帝。

「美姫インペリア LABELLEIMPÉRIA」 の訳者による解説

 「巴里評論」に発表された。但しその前年十一月、「カリカテュール」誌にアルフレ・クウドルウなる筆名で、バルザックは「大司教」という本篇のエスキスとも見るべきコントを発表している。訳出して新樹社版「風流滑稽譚拾遺」にのせたから参照せられたい。バルザックはインペリア物を他に二編書いている。「節婦インペリア」(Ⅲ)「慈婦インペリア」(拾遺)がそれである。インペリアは実在人物で、ジョアシヤン・デュ・ベレエ、フィリップ・ベロアルド、アレチノ、バンデルロ、ヴェルヴィルなど十六世紀文人がそれぞれ取上げているが、ミューズ・ルネッサンスと称せられた。バルザックが本篇のヒントを得たのはヴェルヴィルの「立身の途」(第七章)からであろう。但しコンスタンスの宗門会(一四一四―一四一八年)の折は、まだインペリアは生れてなかったが、宗門会に集まった外国人は十万名、娼婦遊女で上玉の部類に属するもの千五百名が同地の風儀を紊したという。なお巴里のコレラ流行は一四一六、七年で、人口は十分の一に減じたとのことである。またこの作品は脚色上演されたことがある。

読書ざんまいよせい(037)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(011)

編者注】神西清が訳した「チェーホフの手帖」は、実は、まだ作品に使われていない題材に限られており、その一部分にすぎない。その他、小説や戯曲に使われたメモは、中央公論社「チェーホフ全集」に池田健太郎訳で収録されている。今後、チェーホフの小説を扱う投稿の中で、「部分引用」の形で、紹介する機会もあろう。

 劇団の座頭《ざがしら》兼舞台監督が、寝床の中で新作の脚本を読む。三四頁読むと愛想が尽きて、床《ゆか》に叩きつけ、蝋燭を消して毛布にくるまる。暫くすると思い直して、また脚本を拾って読みはじめる。やがてまた、だらだらした無能な作品に腹が立って、また床に叩きつけ、また蝋燭を消す。暫くするとまた読みだす。……やがて上演したら、散々の不評だった。

 Nは気むずかしい陰気な重苦しい男だが、それでいてこんなことを言う、「私は冗談が好きですよ。いつも冗談ばかり言っています。」

 妻は小説を書く。それが夫の気にくわない。だが気持のこまやかな男なので、それが言い出せず、死ぬまでそれで悩み通す。

 女優の運命。――はじめは、ケルチ(クリミヤの町)の裕福な良家の娘、生の倦怠、何か満ち足りない心境。――舞台に立つ、慈善事業、燃えるような恋、やがて情人達。――最後に、毒を仰いで自殺を図る、未遂。それからケルチ、肥った伯父の家での生活、孤独の愉しさ。女優には酒も結婚も妊娠も禁物だということを、彼女はしみじみと悟る。演劇が芸術になるのはまだまだ未来のことだ。今のところは未来のための闘いのみ。

 (憤然と訓戒口調で)「なぜ俺に、お前の女房の手紙を読ません?親類ではないか。」

 神よ、願わくは我をして、自《みず》ら知らずまた解さぬことを非難し或いは語らしめ給うな。

 なぜみんな弱者だの陰気者だの不道徳漢ばっかり描くんでしょうな? そう言って、強者や健康者や面白い人間だけを描けと忠告する時、人は暗に自分自身を指しているのである。

 戯曲のために。――何ということなしに嘘ばかりついている男。

 補祭 Katakombov*《カタコムボフ》.
*地下の納骨所。

 文芸批評家N・N。尤もらしい、自信たっぷりの、非常にリベラルな男だ。彼が詩の話をする。彼はすぐに相手の説を認める、なるほど仰しゃる通りでと言う。――天分の少しもない男だなと云うことが、私にはすぐ分った(私は彼のものは読んだことがない)。誰かが、アイ・ペトリ(クリミヤの山)へ行こうと言い出す。雨が降りそうだからと私は反対したが、やっぱり出掛けることになる。泥濘《ぬかるみ》の道、雨が降り出す。批評家は私の隣に腰かけている。私は彼の無能さを感じる。連中は彼にお世辞を使って、僧正のように持ち上げる。帰り途は晴れたので、私は徒歩で帰った。何と人々は好んで自己偽瞞をやりたがることだろう。何と彼等は予言者や占者が好きなのだろう、まったく何という衆愚どもだ! まだそのほかに、一行のなかには中年の勅任官がいた。彼が沈黙を守っていたのは、自分を正しいと考えて、その批評家を軽蔑していたからであり、また同じく天分がないからでもある。利口な人達と同席しているので、微笑《わら》うまいとするお嬢さん。

 Alexej《アレクセイ》 Ivanych《イヴァヌチ》Prokhladiteljnyj《プロクラディチェリヌイ》氏(冷やす)、或いはDushespasiteljnyj《ドウシェスパシチェルジニー》氏(魂を救う)。お嬢さん曰く、「あの人の所へ嫁ってもいいけど、Prokhladiteljnaja《プロフラジチェルナハ》夫人なんて厭な名ね。」

 動物園長の夢。先ず最初にモルモットが動物園に寄附される。次に駝鳥、次に禿鷹、次に羊、それからまたもや駝鳥。寄附が際限なく続くので、動物園は満員になる。――余りの怖ろしさに園長は目をさます、汗びっしょりになって。……

 馬を車に附けるのは鈍《のろ》いが、馬車を走らせるとなると速い、そんなところがこの国民の性質の中にある――と、曾《かつ》てビスマルクが言った。

 役者というものは金があると、手紙を出さずに電報を打つ。

 昆虫界では芋虫から蝶々が出る。人間界では反対に、蝶々さんから芋虫が出る。

 飼犬は食物を呉れて可愛がって呉れる主人たちにはなつかないで、打《ぶ》ってばかりいる赤の他人の料理女になついた。

 ソフィーは、吹抜け風で愛犬が風邪を引きはしまいかと心配だった。

 この辺の地味はすばらしく上等です。ためしに梶棒《かじぼう》を植えて御覧なさい、一年たったら馬車が生えますよ。

 非常に考えの進んだ、自由思想の持主であるXとZとが結婚した。ある晩、仲よく話をしているうちに、口論をはじめて、やがて掴み合いになった。翌る朝、お互いに恥かしく、狐につままれたような気持がする。あれは何か例外的な神経作用だったのだろうと考える。次の晩もまた口論と掴み合い。それが毎晩つづいた挙句に、自分達も別に教養がある訳ではなく、世間並みの野蛮人なのだということにやっと気がついた。

 戯曲。客を避けるために、下戸のZが大酒家のふりをする。

 子供が出来ると、私たちは妥協癖や町人根性などという持ち前の弱点を、そっくり「これも子供のため」とかこつける。

 ――伯爵様、わたくしはモルデグンヂヤ*へ参ります。
*「しゃっ面の国」ほどの意。

 Varvara《ヴァルバーラ》 Nedotiopina*《ネドチョーピナ》嬢。
*「できそこない」ほどの意。

 技師または医師Zが、編輯長をしている伯父を訪問する。面白くなって、度々訪ねて行くうちに寄稿をする様になり、だんだん自分の仕事を投げやりにする。ある夜更け編輯局を出てから、ふと思い出して、頭を抱える――万事休す! 白髪がふえる。それからと云うものこれが習慣になって、すっかり白髪頭になり、皺だらけになる。そして尊敬すべき、しかし名も無い出版屋になった。

 三等官の老人が、子供たちに見ならって、自分も自由主義者になる。

 新聞『輪形パン』。

 サーカスの道化役――これは才物である。彼と話をしている案内人は、フロックを着てはいるが凡俗である。嘲りの薄笑いを浮べた案内人。

 ノヴォズィブコフ*から出て来た伯母さん。
*欧露の町の名。「新しい揺籃」ほどの意。

 あの男は脳軟化症にかかったので、脳味噌が耳へ漏って来たんですよ。

 なに、文士だと? よし五十銭で文士にしてやる。それでもなりたいか?

 正誤表。――Perevodchik《ベレヴォツチク》(訳者)はPodriadchik《ポドリアツチク》(請負師)の誤植。

 四十になるみっともない無能な女優が、晩飯に鷓鴣《しゃこ》を食べた。私は鷓鴣が可哀そうでならなかった。この女優よりもこの鷓鴣の方が、生涯どれだけ才能あり怜悧であり潔白であったか知れないと、今さらに思い偲んだ。

 医者は私にこう語るのを常とした、「もし君のからださえ保《も》つなら、思う存分に飲みたまえ。」(ゴルブーノフ*)
*十九世紀後半の俳優兼民話作者。

 Karl《カルル》 Kremertartarlau《クレメルタルラウ》君。

 野原の遠景、白樺が一本。その画の下の題銘に曰く、孤独。

 客たちは帰った。彼等はカルタをしていた。帰った後の乱雑さ――一ぱいにこもった煙草のけむり、ちらばった紙きれ、皿小鉢。しかし肝腎なのは、黎明と回想。

 馬鹿者に褒められるより、その手に掛って討死した方がましだ。

 持主が死んだら、どうして樹がこうも見事に繁るもんですか?

 登場人物が図書室を備えている。だがいつも他家《よそ》へお客に行っている。さっぱり閲覧者がないのである。

 人生はいかにも宏大無辺なものに見えはするが、人間はやっぱり五銭銅貨の上にちょこなんと坐ってるのさ。

 ゾロトノーシャ*だって? そんな町はない! あるもんか!
*欧露の町の名。「金を含有する」の意。

 彼は笑うとき、歯と上下の歯茎を見せる。

 彼は心を擾さぬ文学が好きだった。即ちシラー、ホメロス等々。

 女教師Nが、夕方家に帰る途中で、知合いの女から思いがけない話をきく。それは、Xが彼女を恋していて、結婚を申込もうと思っている、というのである。不器量で、結婚のことなどついぞ考えたこともなかったNは、帰宅してから、怖ろしさのあまり長いこと顫えている。それから、その晩は一睡もせずに、泣き明かす。やがて明けがた近くになると、Xを慕うようになる。ところがその日のお午《ひる》ごろ、あの話はただの当て推量で、Xの求婚の相手は彼女ではなく、Yであることを知る。

 四十五歳の女と関係して、やがて怪談を書きだした。

 私は印度へ行った夢を見ました。するとその地方の領主とか王侯とかいう人から、象を贈られました。しかも二匹も贈られたんです。その象にすっかり悩まされて、とうとう眼がさめました。

 八十爺さんが六十爺さんを相手に話している、「よくも恥かしくないね、お若いの!」

 教会で「今日ぞ吾等が救いの|はじめ《グラヴィーズナ》」を合唱している時、彼は家で魚の頭《グラヴィーズナ》のスープを煮ていた。ヨハネ斬首の日には、首に因む丸いものは一さい口に入れなかったが、家の子供たちを打ちのめした。*
*「斬る」と「打つ」は同じ語根sekを有する。

 記者が紙上に嘘を書いたが、本当を書いた様な気がしていた。

 孤独が怖ければ、結婚をするな。

 御本人は金持だが、お母さんは養老院にいる。

 お嫁さんを貰って、家具を入れて、書き卓《つくえ》を買って、文房具を揃えた。ところが何一つ書くことがなかった。

 ファウスト曰く、「なんでも用に立つ事は知ることが出来ず、知っている事は用に立たぬ。*」
*この句は鴎外の訳による。

 嘘をついても人々は信じる。ただ権威を以て語れ。

 やがて墓の中にひとり横たわるように、実際の俺は一人ぼっちで生きている。

 ドイツ人が言う、「主よ、われら蕎麦菓子《グレシネヴィキ》*を憐れみたまえ。」
*Greshniki(罪人)を言い違えた。

 「ああ、私の大事な吹出物《おでき》さん」と許嫁《いいなずけ》がうっとりした声で言った。相手はちょっと考えていたが、やがて腹を立てて――破談になった。

 瓶はフニアジ・ヤノス*の瓶だが、中には桜ん坊か何かの酢漬けがはいっている。
*鉱泉水の名。

読書ざんまいよせい(036)

◎エーリヒ・ケストナー「終戦日記一九四五」(岩波文庫)


 ナチスに批判的で、戦時中執筆禁止だったドイツの児童文学作家ケストナーの、1945年2月7日から8月2日までの書きとどめた日記、時には、今から振り返るとナチス幹部とそれを支えた民衆の滑稽さはあるが、根底にはそれに対する怒りと悲しみを表明する。
 「戦後」の記述だが、ある女優がヒトラーと向かい合って、お互い、手を斜めに挙げるハイル・ヒトラーの敬礼と、握手で手を差し伸べる動作を繰り返したなど、チャップリンの映画のようである。
 「ドイツ人には国民になる素質がない」という彼の言葉は、私たちにとっても十分に重い。
 被害だけではなく、今もなお続く、加害の歴史も含めて、「1945年を銘記せよ!」

読書ざんまいよせい(035)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(010)

 Nは毎日Xの家へ行く。色んな話をしているうちに、心から彼に共鳴してしまう。と急にXが、居心地のいい自分の家を出て他所《よそ》に移る。Nは彼の母親に、どうして移ったのかと尋ねる。「貴方が毎日いらっしゃるからですよ」と母親が答える。

 いとも詩的な婚礼だったのに、やがて――何という馬鹿ども、何という餓鬼ども!

 愛。それは昔は大きかった何かの器官が退化した遺物か、それとも将来何か大きな器官に発達すべきものの細胞か、そのどっちかである。現在のところそれは、満足な働きをせず、ひどく期待はずれな結果をしか与えない。

 大そう知識のある男が、一生のあいだ催眠術だの降神術だのと嘘をつきとおす。人もそれを真に受ける。――いい男なのだが。

 一幕目で立派な紳士のXが、Nから百ルーブル借りる。そして四幕を通じて返さない。

 お祖母さんには息子が六人と娘が三人あるんです。ところでお祖母さんが誰を一番可愛がっているかというと、いま監獄にはいっている飲んだくれの出来損いなんです。

 神父 Ierohiromandrit《イエロヒロマンドリート》*
*Ierei(司祭)+Arhimandrit(掌院)

 工場の支配人のNは、若くて財産もあり妻子もある、幸福な男だったが、『X水源の研究』という論文を書いて大いに好評を博した。或る学会の会員として招かれたので、職務を抛ってペテルブルグへ出て、妻君を離別し、身代限りをし、とうとう死んでしまった。

 ――(アルバムを見ながら)この醜面《しやつつら》は一たい誰です?
 ――それ、叔父さんですわ。

 ああ、戦慄すべきは骸骨ではなくて、私がもはや骸骨に恐怖を感じないという事実だ。

 良家の少年が、我儘で悪戯っ児で強情で、家内じゅうの頭痛の種だった。父は官吏でピアノを弾く男だが、息子に愛想がつきて、庭の奥へ連れて行って殴りつけた。そのときはいい気持だったが、やがて厭な気持がして来た。息子は士官になったが、何事にも嫌悪を感ぜずにはいられなかった。

 Nが長いあいだZの愛を求めている。彼女は非常に信心ぶかい娘。彼が結婚を申込んだとき、彼女はいつか彼から贈られた乾枯びた花を、祈祷書のなかに挿んだ。

 Z――町へ行くんなら、序でにこの手紙を郵便函へ抛り込んで呉れ。
 N――(頓狂に) 何処へですって? 何処に郵便函があるんだか知りませんね。
 Z――それから薬種屋へ行って、ナフタリンを買っといで。
 N――(頓狂に) 忘れますね。そのナフタリンていうなあ。

 海上の暴風。法律家の眼には犯罪と映じるに相違ない。

 Xが友人の領地にお客に行った。素晴らしい領地だが、従僕たちはXを冷遇した。友人は彼を大人物扱いにして呉れるが、居心地の悪いこと夥しい。コチコチの寝床で、寝間着も出してないが、請求するのは何となくてれくさかった。

 私の姓はKúritsyn《クーリツィン》じゃありません。Kuritsyn《クリーツィン》ですよ。*
*それぞれ「牝鶏」と「喫煙」の派生語。

 稽古。
 妻 『パリアッチ』の節《ふし》はどうでしたかしら。ミーシャ、ちょっと口笛でやって見てよ。
 夫 舞台じゃ口笛は禁物だ。舞台は――お寺だよ。

 コレラが怖くって死にました。

 追善供養に釘を持ち出すが如し。(不似合いの譬え。)

 千年の後、ほかの遊星の上で、地球について交わされる会話。――「ねえお前、あの白い樹をおぼえてるかい……。」(白樺)

 Anakhthema《アナフテマ》!*
*Anathema《アナテマ》(呪詛の語)の発音違い。

 Zigzakovskij《ジグザコーフスキー》,Oslitsyn《オステリツィン》,Svinchutka《スヴィンチュトカ》,Derbalygin《ヂェルバリジン》.*
*「ジグザグ」「牝驢馬」「小豚」「法螺吹き」

 お金を持った女。ところ嫌わずに蔵《しま》い込んである。頸筋にも脚の間にも。……

 ク・ク・ク・ハ・ハ・ハ!

 こうした一切の手続け。*
*但し原語には、英語のProcedure《プロセデュア》を勘違いしてPrecedure《プㇾセデュア》と言ったほどの可笑味がある。

 総べてこういうこと(解雇の件)は、大気の現象ぐらいの気持でやりなさい。

 医師会議のときの会話。第一の医師がいう、「どんな病気でも塩で癒ります。」第二の医師(これは軍医)がいう、「どんな病気でも塩を断てば癒ります。」第一の医者は自分の妻を例に挙げる。第二の医者は娘を例に挙げる。

 母親は思想のしっかりした婦人。父親も同じ。二人とも講義を受持っている。学校、博物館、等々。夫婦はお金をためる。ところが子供達は凡くら揃いで、金をどしどし使う、相場をやる。……

 Nは十七の年にドイツ人に嫁いだ。夫に従ってベルリンへ行って住んだ。四十歳で後家になった時には、ロシヤ語もドイツ語も碌に話せなくなっていた。

 その夫婦は客好きだった。客がいないと夫婦喧嘩がはじまるから。

 そりゃアブサードな話ですな! そりゃアナクロニズムですな!

 「窓を閉めなさい! 汗を掻いてるじゃありませんか! 外套を着なさい! オーヴァシューズを穿きなさい!」

 時間が足りなくて困るようになりたかったら、何んにもせずにいて見たまえ。

 俺もさんざ向う見ずをやって来たが、そろそろ娑婆ともお別れらしいぞ。

 夏の朝、日曜日、馬車の音がきこえる。あれは弥撒《ミサ》に出かけたのだ。

 彼女は生れて初めて手に接吻された。すると彼女は堪らなくなって、夫への愛が冷め、「脱線して」しまった。

 何と妙《たえ》なる名よ。聖母の涙、駒鳥、鴉の眼*。……
*いずれも花の名。

 肩章をつけた林務官、生れてこのかた森を見たこともない。

 その紳士はマントン(南仏)の近くに別荘を持っている。それは、トゥーラ県の領地を売った金で買い入れたのだ。その彼が、所用でハリコフにやって来たとき骨牌《カルタ》で負けて、この別荘を人手に渡すのを私は目にした。それから鉄道に勤めて、やがて死んだ。

 晩餐のとき美人を見て、噎《む》せてしまった。やがて別の美人を見て、またもや噎せてしまった。そんな工合で晩餐ができなかった。美人が大勢いたので。

 大学を出たての医者が、レストランの監督をする。「医師監督御料理。」彼はナルザン鉱水の成分を筆記する。学生達の信任を得て、店は繁昌する。

 あの人は食べたのではない、味わったのだ。

 女優の夫。妻の祝儀興行のとき、得意満面でボックスに納まって、ちょいちょい起ち上ってはお辞儀をした。

 O・D伯爵家の昼餐。肥って、さも大儀そうな従僕たち、不味いカツレツ。金はあり余っていながら、何か出口のない袋小路の感じ、家風《しきたり》に縛られて動きのとれない感じ。

 郡医が言う、「医者でなくて、誰がこの天気の悪いのに出歩くものですか。」――これが自慢で、人の顔さえ見れば愚痴をこぼし、自分の勤めほど面倒な職業はこの世にあるまいと鼻高々である。酒は飲まず、屡々医学雑誌にそっと投稿するが、載った例しはない。

 Nの夫は陪席検事を振り出しに、地方裁判所の判事を経て、やがて控訴院判事になった、平均点の上でも下でもない、面白味のない男である。彼女は夫を熱愛する。息を引取るその時まで愛しつづける。夫の不行跡が耳にはいると、優しいいじらしい手紙を書く。臨終のときも、いじらしい愛の表情を浮べて死ぬ。彼女は明かに夫を愛していたのではなくて、もっと高尚で立派な、存在しない誰かしら他の人を愛していて、この愛を夫に注いだのである。やがて彼女が死んだあとで、その家には彼女の足音がきこえた。

 彼等は禁酒会員だけれど、ときどき小さなグラスで一杯だけやる。

 真実は最後の勝利者だと人は言う。だがこれは真実ではない。

 賢者は言う、「これは嘘だ。だがこの嘘がないと民衆は生きて行けないし、またこの嘘は歴史的に神聖化されているのだから、いま直ちにこれを撲滅するのは危険だ。まあ幾分の修正を施すぐらいのところで、当分は放って置く方がいい。」天才は言う、「これは嘘だ。だから存在してはならぬ。」

 M.I.Kladovaia《エム・イー・クラッドヴァイア》夫人*。
*お蔵、物置き。

 口髭を生やした中学生が、気取って片足だけ軽くびっこをひく。

 年功だけの無能な作家が、まるで高僧みたいな威厳をつくっている。

 X町のN氏とZ夫人は、ともに聡明で教育のある自由主義的な人で、ともに隣人の福祉のために働いている。しかし二人は殆んど未知の間がらで、口を開けばきっと互いに他を嘲笑して、愚昧で粗野な大向うを喜ばせるのだった。

 彼はまるで誰かの髪をひっ掴むような手附きをして、こう言った、「どっこい、こうなったらもう逃がさんぞ。」

 Nは田舎へ行ったことがないので、田舎では冬になると通行はすべてスキイに限られているものと思っている。「ひとつスキイの快味を満喫して見たいものですなあ!」

 N夫人は操を売っている。誰の顔を見てもこう言う、「他《ほか》のみなさんと異《ちが》ってるから、貴方が好きだわ。」

 インテリ婦人、いやもっと正確にいえばインテリ社会に属する婦人は、虚言癖をもって秀でている。

 Nは或る病気の研究、その病原菌の研究に一生のあいだ苦闘した。彼はこの闘いに生涯を捧げ、あらん限りの力を尽した。ようやく死期が迫ったころ突然、この病気は決して伝染するものではなく、ちっとも危険ではないことが分った。

読書ざんまいよせい(034)

◎トロツキー・青野季吉訳「自己暴露」

第二章 私達の鄰人と私の最初の學校

 ヤノウカから一ヴエルスト足ずの所に、デムボウスキイ家の財產があつた。父はその土地を借りてそれへ澤山の營業關係を結びつけた。地主のテオドシア・アントノヴナは嘗ては、知事夫人であつた老ポーランド婦人であつた。彼女は最初の金持ちの夫が死んだ後、彼女よりも二十歲も年下の彼女の支配人のカシミール・アントノヴヰツチと結婚した。テオドシア・アントノヴナは彼女の第二の夫とは永く 一緖にゐなかつたのだが、彼はその後も財產を管理してゐた。カシミール・アントノヴヰツチは背の高い、髭を蓄へた、騷々しい、愉快なポーランド人であつた。彼はよく大きな橢円形のテープルで、私達と茶を飮みながら、騷がしく馬鹿氣た話を幾囘も幾囘も話して、獨特の言葉をくり返しながら、指をポキ/\折つて語調を强めた。
 カシミール・アントノヴヰツチは、蜂がその臭ひを嫌ひだつたので厩や牛小舍から臭ひの來ないだけの距離の所に、蜜蜂の巢をもつてゐた。この蜂は果樹や、白アカシアや、冬葡萄や、蕎麥から筮を造つた。——要するに、蜂は潤澤そのものゝ眞中にゐたのだ。カシミール・アントノヴヰツチはいつも、綺麗な金色の蜜のいつぱいになつた蜂窩の一片を入れて、ナフキンで葢をした二つの皿を私達の所へ屈けてくれた。
 或日イブン・ワシリエヴヰツチと私は、子を取るための鳩をカシミール・アントノヴヰツチから貰ふために出かけた。大きなガランとした家の隅の部屋で、カシミール・アントノヴヰツチは私達に茶やバタや蜜や凝乳などをじめ/\した臭ひのする大きな皿に乘せて出した。私は坐つてコツブのお茶を飮みながら、のろ/\した會話を聞いてゐた。『晚くならないの。』と私はイヴン・ワシリエウヰツチにさゝやいた。『大丈夫少し待つておいで、私達は鳩が鳩小舍に這入るまで待たなくちやならないんだよ。まだ、そこに居るだらう。』私は退屈になつて來た。最後に私達は、穀物小舍の上の鳩小舍の中へ、提燈をつけて登つて行つた。『さあ御覽よ。』とカシミール・アントノヴヰツチが私に叫んだ。鳩小舍は四方に垂木がついてゐて、長くて暗かつた。それは廿日鼠や、蜜蜂や、蜘蛛の巢や鳥の强い臭ひがした。誰かゞ提燈を差出した。『ゐる/\ !捕へなさい!』とカシミール・アントノヴヰツチがさゝやいた。地獄のやうな騷動が起つて、鳩小舍は羽の旋風でいつぱいになつた。一瞬間、私は世界の終りが來て、吾々は何もかも無くしてしまつたやうな氣がした。段々と私は意識を取返して、ひそく聲で云つてゐるのが聞こえた。『こゝにもゐる!こつち/\ーーさう/\、袋にお入れなさい。』イブン・ワシリエヴヰツチは袋を一つだけ持つて行つてゐた。そして歸道の間中、私達は背中で、鳩小舍の中での騷ぎを續けてゐた。私達は鳩小舍を鍛冶場の上に造つた。私はその後、鳩に水をやつたり、小麥や、稷や、パン屑をやるために、一日に十度もそこへ登つて行つた。一週間の後、私は巢の中に卵が二つあるのを發見した。然し私達がこの重大な出來ごとを詳細に觀賞するまへに、鳩は一度に一|番《つがひ》づゝ元の古巢へ歸り始めた。羽を切られた三番がやつと後へ殘つた。そしてこれらも亦その羽が伸びると、私達が彼等のために造つてやつた巢と餌箱のある美しい小舍を後に、飛去つてしまつた。かうして鳩を育てようとした私達の冒險は終つたのである。
 父はT夫人と云ふ强い性格の四十がらみの未亡人から、エリザヴェートグラード近くの土地を少し借りた。彼女の處にいつも侍《はべ》つてゐるのも同じく 一人者になつた牧師で、彼は|かるた<傍點>や音樂その他樣樣なものゝ、愛好者であつた。T夫人はこの牧師と一緖に、私達との契約の條件を見るために、ヤノウカへやつて來た。私達は、居間とそれに績く部屋を彼等に割當てゝ、夕食には、鷄肉のフライやシエリイ酒や、櫻のプデインが料理として出された。食事が終つた後、私は客間に殘つてゐて、牧師がT夫人の側に坐つて、彼女の耳に何事かを笑ひながらさゝやいたのを見た。彼は上衣の前をめくつて、縞ズボンのポケットから、組合せ文字のついた銀の煙草入れを出して、紙卷煙草に火をつけ、まるく煙の輪を吹いた。それから彼は女主人がゐない間に、彼女は小說の中に對話だけを讀むのだと私達に話した。皆は上品に笑つたけれども、批評することは差控へたと言ふのは、私達は彼がそれを彼女に吿げる許りでなく、それに尾に鰭をつけかねないことを知つてゐたからである。
 父はカシミール・アントノヴヰツチと組合で、T夫人から土地を借り始めた。アントノヴヰツチの妻が恰度その頃死んだので、彼に急激な變化が起つた。彼の髥からは灰色の毛が消え、彼は糊の固いカラーをはめ、ネクタイにはネクタイビンを差して、婦人の寫眞をポケツトに入れて步いてゐた。他の凡ての人のやうに、カシミール・アントノヴヰツチも私の叔父のグレゴリイのことを笑つたが、彼が彼の凡ゆる秘密を打開けたのは、グレゴリイにであつた。彼は封筒から寫眞を取出して叔父に見せた。『見て下さい。私はこの美人に云つたのです「御婦人よ、あなたの唇はキツスをするために出來てゐるのです」とね。』と彼は有頂天で殆ど失神しさうな有様で、グレゴリイ叔父さんに叫んだのだ。カシミール・アントノヴヰツチはその美人と結婚した。が結婚生活の一年牛許りを終つた時に、突然に死んでしまつた。Tの領地の廣場で、牝牛が彼を角で突いて、突殺してしまつたのだ。
 F兄弟は、私達の所から約ハヴエルストの所に、數千エーカーの土地を所有してゐた。彼等の家は宮殿のやうであつて、澤山の客室や、撞球室や、その他樣々なもので贅澤に設備せられてゐた。Fの二人兄弟レウとイヴンは、この凡てを彼等の父親テイモシイから相續したのである。そして段々とその相續財産をすり減してゐた。この財產の管理は用人の手中にあつて、二重記入簿記であるにも拘らず、帳簿は缺損を示してゐた。
『グヰツド・レオンテイエヴヰツチは、もし土造の家に住んでゐたなら、私よりもずつと金持ちですよ。』とこの兄の方がよく私の父のことを云つた。そして私達がこのことを父に繰返すと、父は非常に喜んだ。弟のイヴンは、或時、彼等の銃をかついだ二人の臘師と、ー團の白い狼獵用犬を背後に從へて、ヤノウカを馬で乘拔けたことがあつた。こんなことはヤノウカでは嘗て見られないことであつた。『奴さんたちは閒もなく金をみんなすつてしまふだらうがなあ。』と父は不贊成らしく云つた。非運の前兆は、ケールソン縣のかうした諸家族の上にあつた。彼等は凡て非常な速力で下り坂を突進した。そして或者は世襲の貴族に屬し、或者は勤勞の代償として土地を赋與せられた政府の官吏に或者はポーランド人に、或者はドイツ人に、また或者は一八八一年以前に土地を買ふことの出來たユダヤ人に屬する等々、その種千差萬別であるにも拘らず、このことだけは眞理であつた。これらの草土地時代の發見者の多くは、その道に於ける優れた、成巧的な巧妙な自然の掠奪者であつたのだ。
 然しながら私は彼等の凡てが『八十年代』の初めに死んだので、その中の誰をも知らなかつた。彼等の多くは、はした金でゝはあるが、巧妙な機敏さで活動を始め、たとひそれが住々犯罪的なものであつたとしても、彼等は恐るべき財產を造つた。これらの人々の第二代目は、フランスの知識や、自分の家の撞球室や、彼等の信用に對する凡ゆる惡德によつて、新參の貴族になつた。『八十年代』の農業恐慌は大西洋の彼方との競爭を捲起し、彼等を無慈悲に打ちのめした。彼等は枯れた木の葉のやうに沒落した。第三の時代は半ば腐つた無賴漢、人でなし、骨ぬき、早熟の役立たずの一組を、生み出した。
 貴族の敗滅の最高峰はゲルトパノフの一家によつて達せられた。一大村落及びー全郡は彼等の名で呼ばれてゐた。その全地方が一時、彼等に屬してゐたのだ。それだのに年取つた相續人に現在殘されてゐるもわは僅かに千エーカーの土地であるのだ。しかもそれすら二重にも三重にも抵當に這入つてゐた。私の父はこの土地を借てゐたのだが、地代は銀行へ利子に這入つてしまつた。ゲルトパノフは年中歎願書と、農民に宛てた苦情と命令の手紙を書いて暮してゐた。彼は私達所を訪問する時にはいつも煙草と砂糖の塊りを袖の中に隱すのであつた。そして彼の細君も同じことをした。彼女は涎を流しながら、農奴と、グランドピアノと、絹と、香水との彼女の若い時の話しをいつも物語つた。彼等の二人の息子は殆ど無敎育で育つてゐた。弟のヴイクトールは私の家の鍛冶場の弟子であつた。
 ヤノウカから凡そ六ヴエルストの所に、ユダヤ人の地主の一家が住んでゐた。彼等の名はM……スキイと云ふのであつた。彼等は奇妙な、狂つた運命にあつた。彼等の父親のモイセイ・カーリトノヴヰツチは六十歲であつたが、貴族的方面の敎育を受けてゐたことによつて有名であつた。彼はフランス語を流暢に話し、ピアノを彈き、文學を談じた。音樂會でピアノを彈くには彼の左手は弱かつたが右手は大丈夫なのだと彼は云つてゐた。彼の伸び放題にした指の爪が、私の家の古いスピネットの鍵盤を打つと、カスタネットのやうな騷がしい音を立てた。彼は、オジンスキイのポーランド舞踏曲から始めて、いつの閒にかリツツの狂想曲に移り、それから急に『處女の祈り』に落込んだ。彼の會話もそれと同樣に出鱈目であつた。彼はいつも彈奏の最中にそれを止して、立ち上つて、鏡の方へ行つた。そこで誰も側にゐる者がないと、彼は髭をさつぱりさせると云ふ考へから、彼の火のついた卷煙草で口の兩側の髭を燒いた。彼は絕えず煙草を吸つた。そして彼は煙草を吸ふことが嫌いでもあるやうに、それを歎いた。彼は彼の物凄い年取つた細君に、十五年の閒口をきかなかつた。彼の息子のダビツドは三十五歲だつた。彼はいつも顏の半面を白い繃帶で蔽ひ、その上から赤いピク/\動く眼を覗かせてゐた。ダビツドは自殺未遂者であつた。彼は軍隊にゐた時、勤務中の士官を侮辱した。士官は彼を毆つた。ダビツドは士官の頰に平手打ちを食はして兵舍の中へ走り込み、自分の銃で自殺しようとした。彈は彼の頰をかすつた。さうしたわけで彼は今でも、始終白い繃帶をくつゝけてゐるのだ。この罪を犯した兵士は嚴重な軍法會議でやつゝけられたが、然しM……スキイ家の戶主は、その當時まだ生きてゐた――金持ちで、勢力家で、無敎育で、專制家の老カーリトンであつた。彼は全地方を起たせて、孫に責任のないことを明言せしめた。要するに恐らくこの事件は全然嘘ではなかつたのだ。その時以來、ダビッドは彈に擊たれた頰と、氣狂ひの證明書とをもつて暮して來たのだ。
 私が始めて彼等を知つた時、旣にM……スキイの一家は下り坂にあつた。私の幼年時の閒、モイセイ・カーリトノヴヰツチは立派な輓馬に輓かれた四輪馬車に乘つて、よく私達の所を訪問してゐた。私がまだごく少さな、恐らく四つか五つの時に、私は長兄と一緖に^M……スキイ家を訪ねたことがあつた。彼等は大きな、手の行屈いた庭園を持つてゐたが、そこではー―-實際に!―-孔雀が逍遙してゐた。私はそこで生れて始めて、氣まぐれな頭に冠をかぶり可愛いゝ小さな鏡を尻尾につけ、足に拍車をつけたこの不思議な鳥を見たのであつた。孔雀はもの後ゐなくなつた。そしてそれと同時に色色なことが起つた。その庭園の垣はこな/”\に毀され、家畜が果樹や草花を折つてしまつた。此頃ではモイセイ・カーリトノヴヰツチは肥料馬に引かれた荷馬車に乘つてヤノウカへやつて來る。その息子は財產を盛返さうと努力してゐる。然しそれは百姓としてゞあつて、紳士としてゞはない。
『私達は數頭の年とつた馬を買つて、ブロンスタインがやつたやうに、朝のうちそれを乘廻して見たいものだ!』
『あの人達は成功しないよ。』と私の父が云つた。ダビッドはエリザヴエートグラードの市場へ『年取つた小馬』を買ひにやられた。彼は市場の巾を步き廻り、騎兵であつた眼をもつて馬な鑑定し、そしてトロイカを選んだ。彼は夜おそく歸つて來た。家は輕い夏物を着たお客さんでいつぱいだつた。アブラムは手にランプを持つて、馬を見るために玄關《ポーチ》に出て行つた。婦人の一團や學生や若^建が彼に續いた。タビツドは突然彼が得意な境遇にあることを感じた。そして各々の馬のいゝ所を讃美し、特に一頭の馬を讃めて若い貴婦人に似てゐると云つた。アルバムは頣鬚を搔きながら云つた。『馬はみな上等だ。』この騒ぎは小野宴で終つた。ダビツドは美しい若い貴姉人のスリツパーを脫がせ、それにビールを滿して唇へ持つて行つた。
『あなたはそれを飮まうとしてゐるのではないでせうね?』とその少女は、驚愣か、それとも嬉しさかで、顏を赤らめて叫んだ。
『若し私が自殺を恐れないならば……』スリツパーの中味を喉に流し込みながら、吾等の英雄は答へた。
『お前の功名を手放しで自慢するものではないよ。』といつも無口な彼の母が不意に応酬した。彼女は隅の大きな、氣力のない女で、家庭上の凡ゆる車荷が彼女の上にかゝつてゐるのだ。
『あれは冬小麥ですか?』アブラム・M……スキイは彼の拔目なさを示す爲に、或時私の父に訊ねた。
『春小麥でないことは確かです。』
『ニコポール小麥ではないですか?』
『あれは冬小麥だと云ひませう。』
『私もあれが冬小麥であることは知つてますが、然しその種類は何になんです、ニコポールですか、ギル力ですか』
『どれがどうなんだか、私はニコポール冬小麥なんて云ふのは聞いたことがありませんよ。誰か持つてゐる人があるかも知れませんが、私はそんなものを持つたことはありませんよ、私のはサンドーミル小麥なんです。』と私の父は答へた。
 この息子の努力は何等酬ひられるところがなかった。一年後に、私の父は再び彼等から土地を借りた。

読書ざんまいよせい(033)

◎アレクサンドル ゲルツェン「誰の罪」

 まずは、ゲルツェン「ロシアにおける革命思想の発達について」(金子幸彦訳)の訳者の解説から。

 ベリンスキイはその論文『一八四五年のロシヤ文学』(ー八四六)のなかでゲルツェンの小説『誰の罪か?』の特質について語っている。
 「目的とか内容の空しさとかを意に介せずに、ときには無から作品を生み出すところのたかい芸術性というものを示している作品があるが、ゲルツェンのこの小説はこのような作品には属さない。しかしまたこれはつぎのような作品ーーすなわち空想力に欠けた作家が、あたかも論文のなかにおけるように、一定の道徳的問題についてのおのれの思想と見解とを発展させ、性格も動きもまったくないような作品ともちがう。『誰の罪か?」の作者は知力を詩にみちびき、思想をいきいきとした人物に変え、自己の観察の果実をー劇的な動きにみちた行動へ移す不思議な能力をもっている。全巻をとおして現実のなんという驚嘆すべき正確さが見られることであろう。すベては見事に調和している。ーーーつの余分なものもなく、一つの欠けたものもない。文体のおどろくべき独創性、そしてなんとゆたかな知力、ユーモア、機知、愛情、感情が見られることであろう。」

 「誰の罪か?」の日本語訳は、今のところ、大正11年(1922年)の梅田寛訳しか刊行されていないようだ。そこで、利用規約などを参照すると、著作権フリーの文章を「翻訳・公開」するのは、OK のようなので、今回、「機械翻訳」による訳文作成を試みた。とりあえずは、作品の「梗概」などから…これも、ロシア語版Wikipediaおよび Wikiquote に掲載されているので、ライセンス的にはパスである。
 「機械翻訳」なので、日本語的に意味が通じないところの「瑕疵」はあると思われるが、最小限に止め、基本はそのまま掲載する。なお、梅田寛訳を参照したところもあるが、逐一注記しない。
 以上、したがって訳文の二次利用は可能であるが、訳文の正誤までは、当方の責任外である。

 「誰の罪か?」の新訳が現れることを心から期待しつつ…

「梗概」

作者 Gertsen, Alexander Ivanovich
原語 ロシア語
執筆年代 1841-1846
初版発行1846年
出版社 Otechestvennye Zapiski

 「誰が悪いのか』(原題:Who’s to Blame?)は、アレクサンドル・イヴァノヴィチ・ヘルツェンによる二部構成の小説で、1841年から1846年にかけて書かれ、1846年に雑誌に発表された。ロシア初の社会・心理小説の一つであり、ロシアリアリズムの最初の作品の一つである。

プロット

 村に住む地主のアレクセイ・アブラモヴィッチ・ネグロフは、息子のミーシャのために新しい教師を雇う。ドミトリー・ヤコヴレヴィチ・クルシフェルスキーである。
 ネグロフ一家は、読書やその他の知的探求に馴染みがなく、家庭経営に積極的に参加することもなく、取るに足らない仕事に没頭し、大食と睡眠にふけっていた。無作法で無愛想だ。しかし、ネグロフの隠し子であるルバにとっては、このような生き方はまったく異質なものだった。そのため彼女は、同じくネグロフ家の生き方を受け入れられない教養ある青年クルシフェルスキーに近づく。二人は恋に落ちる。ドミートリ・ヤコヴレヴィチはあえて手紙で自分の気持ちを打ち明ける。クルツィフェルスキーの気持ちを察した家庭教師のエリザ・アウグストヴナが彼を助け、恋人たちのデートの約束を取り付ける。元来臆病なクルツィフェルスキーは、手紙を渡すためだけに夜のデートに出かけることにした。恐ろしくなった青年は、目の前にいたのがルボンカではなく、ネグロフの妻グラフィラ・ルボヴナであることを知り、手紙を忘れて逃げ出す。困惑したグラフィラ・ルヴォヴナもまた、イライザ・アヴグストヴナに騙された罪のない犠牲者となっていた。腹立たしく思った女性は、夫に手紙を渡した。アレクセイ・アブラモヴィッチは、この手紙が非常に好都合に発見されたことに気づき、隠し子という重荷を取り除くために、先生をリュボンカと結婚させることにする。結婚に先立つこのようなばかげた状況にもかかわらず、クルツィフェルスキフの家庭生活は幸せで、夫婦は互いに愛し合っていた。この愛の結実がヤーシャ少年であった。二人は家族ぐるみで仲良く暮らし、唯一の友人はクルポフ医師だった。
 この頃、ネグロヴィー県の中心地であるネルン市に、それまで長い間不在だった裕福な地主ウラジーミル・ベルトフが外国からやってきた。彼は貴族選挙に参加するつもりであった[6]。彼の努力にもかかわらず、NNの住民はベルトフを仲間に受け入れず、ベルトフにとって選挙は時間の無駄であった。ある民事事件のためにNNに留まることを余儀なくされたベルトフは、自分の居場所を見つけようとしたこの試みも失敗に終わったことに絶望する。彼はほとんど完全に孤立し、NNでの唯一の友人はクルポフ医師だけだった。彼はベルトフをクルシフェルスキー家に紹介する。ベルトフとクルツィフェルスキー一家は、新しい出会いをとても喜ぶ。ベルトフは自分の考えやアイデアを分かち合う相手を得、クルツィフェルスキーは彼の中に、自分たちの内面を豊かにすることのできる、高度に発達した人物を見出す。かつてネグロフ家でリューバとドミトリが理解し合ったように、彼らは言葉半分、目半分で理解し合う。リューバとベルトフの一致は、大きなもの、愛へと発展していく。気持ちを隠しきれなくなったベルトフは、クルシフェルスカヤに告白する。そして一気に3人の人生を破壊する。リュボフ・アレクサンドロヴナは夫から離れられず、ベルトフも愛しているが、夫を愛している。クルツィフェルスキーは、自分がもはや以前ほど愛されていないことに気づく。ベルトフは、最も親しい人の人生を台無しにしてしまったという思いに苛まれ、彼のそばにはいられない。街中に噂が広まる。クルシフェルスキーは酔いつぶれている。クルポフ医師は起きたことに罪悪感を覚える。ベルトフは、自分もクルチェフスキーに劣らず苦しんでいること、自分の感情をコントロールできないこと、リュボフ・アレクサンドロヴナは夫より身近な人を見つけたが、以前のように幸せになることはないだろうと断言する。他に出口がないと考えたベルトフは、クルポフと同意して旅立つことにした。彼は再び祖国を去る。
 リュボフ・アレクサンドロヴナは枯れていく。クルーツィフェルスキーは酒を飲んでいる。別れは幸福と心の平安をもたらさなかった。未来は悲しく暗い。

登場人物

 アレクセイ・アブラモヴィッチ・ネグロフは退役した騎兵少将。「太った、がっしりした男。裕福な地主。1812年の戦争に参加。引退してモスクワに定住し、その後、怠惰から村に移り住む。村では農奴の娘ドゥーニャと結ばれ、リューバをもうけた。村での生活も退屈になり、彼はモスクワに戻り、結婚を決意するまで、再び怠惰な娯楽に耽った。ドゥーニャとその娘は不名誉なことになり、精神病院に送られた。結婚後、ネグロフはミーシャとリサという子供をもうけた。世俗的な生活に飽き、すっかり怠惰になった夫婦は、ついに村に移り住んだ。

 ドミトリー・ヤコヴレヴィチ・クルシフェルスキー – モスクワ大学物理数学科卒業。地区医師ヤコフ・イヴァノヴィチとドイツ人女性マルガリータ・カルロヴナの息子。ヤーコフ・イヴァノヴィチの診療所は悲惨な状態で、一家は貧しかった。一家には5人の子供がいたが、3人は猩紅熱で死に、長女はどこかの下士官と駆け落ちし、ミーチャだけが残された。ミーチャは病弱だったが、母親の努力で生き延びた。ある慈善家が地元の体育館を訪れ、そこでミーチャに目を留め、モスクワ大学で学ばせたいと申し出たのだ。大学の物理学科と数学科を卒業したドミートリ・ヤコヴレヴィチは、就職先を見つけることができず、状況はますます悪くなっていった。そんな矢先、ネグロフの寛大な申し出があった。

 グラフィラ・ルボヴナ・ネグロヴナは、アレクセイ・アブラモヴィッチ・ネグロヴの妻だった。浪費家の伯爵と商人の娘である彼女は、マヴラ・イリニシナ伯爵夫人に育てられた。伯爵夫人は姪に対して非常に厳格で厳しかった。結婚が彼女の運命を好転させた。

 セミョン・イヴァノヴィチ・クルポフ医師は医学委員会の検査官である。クルポフは『クルポフ博士』の中で、万病説を展開する。

 リューバは、アレクセイ・アブラモヴィッチ・ネグロフと農奴の娘ドゥーニャの隠し子である。ネグロフの結婚後、彼女はルドメンスカヤに追放されたが、グラフィラ・ルボヴナの取り成しのおかげで紳士の家に戻され、貴婦人として育てられた。

 ウラジーミル・ペトロヴィチ・ベルトフは裕福な地主で、元公務員であった。ベルトフの母ソフィは農奴だった。女主人は、利益を上げるために、農奴の娘数人を家庭教師にすることにした。その中には、後にウラジーミルの母となる女性も含まれていた。教育を受けたソフィーは、近所の地主に売られた。その地主の若い甥は、放蕩三昧の生活を送っていたが、ソフィーに目をつけたが、驚いたことに拒絶された。哀れな少女は仕方なく、地主にタダにしてくれるよう懇願し、サンクトペテルブルクに逃れた。しかし、ベルトフが流した噂が彼女の評判を落とし、どこにも居場所を与えられなかった。窮地に追い込まれたソフィーは、ベルトフに怒りの手紙を出すことにした。その手紙に心を打たれたベルトフは、自分のしたことを深く悔い改め、その結果、二人の関係は結婚に至った。やがてベルトフは2歳の息子を残して亡くなった。教育の重荷はすべて、母親と家庭教師のスイス・ヨーゼフの肩にのしかかった。成長したウラジーミルは、モスクワ大学法学部に入学した。同大学を卒業後、サンクトペテルブルクに奉公に出た。ロシア官界の堅苦しい雰囲気に馴染めず、半年後に退官。医学や美術に携わろうとしたが、こうした活動もすぐに冷めてしまった。恋愛に失敗したベルトフは、異国の地へ赴く。

創作の歴史
作者の紹介によれば、この小説は1841年に亡命先のノヴゴロドで書き始められ、最初の部分もそこで書かれた。モスクワに到着後、ゲルツェンは書き上げた作品を友人たちに見せたが、彼らは気に入らなかった。この原稿はベリンスキーに高く評価された。

編者注】画像は、ベリンスキーの肖像(Wikipedia から)