読書ざんまいよせい(034)

◎トロツキー・青野季吉訳「自己暴露」

第二章 私達の鄰人と私の最初の學校

 ヤノウカから一ヴエルスト足ずの所に、デムボウスキイ家の財產があつた。父はその土地を借りてそれへ澤山の營業關係を結びつけた。地主のテオドシア・アントノヴナは嘗ては、知事夫人であつた老ポーランド婦人であつた。彼女は最初の金持ちの夫が死んだ後、彼女よりも二十歲も年下の彼女の支配人のカシミール・アントノヴヰツチと結婚した。テオドシア・アントノヴナは彼女の第二の夫とは永く 一緖にゐなかつたのだが、彼はその後も財產を管理してゐた。カシミール・アントノヴヰツチは背の高い、髭を蓄へた、騷々しい、愉快なポーランド人であつた。彼はよく大きな橢円形のテープルで、私達と茶を飮みながら、騷がしく馬鹿氣た話を幾囘も幾囘も話して、獨特の言葉をくり返しながら、指をポキ/\折つて語調を强めた。
 カシミール・アントノヴヰツチは、蜂がその臭ひを嫌ひだつたので厩や牛小舍から臭ひの來ないだけの距離の所に、蜜蜂の巢をもつてゐた。この蜂は果樹や、白アカシアや、冬葡萄や、蕎麥から筮を造つた。——要するに、蜂は潤澤そのものゝ眞中にゐたのだ。カシミール・アントノヴヰツチはいつも、綺麗な金色の蜜のいつぱいになつた蜂窩の一片を入れて、ナフキンで葢をした二つの皿を私達の所へ屈けてくれた。
 或日イブン・ワシリエヴヰツチと私は、子を取るための鳩をカシミール・アントノヴヰツチから貰ふために出かけた。大きなガランとした家の隅の部屋で、カシミール・アントノヴヰツチは私達に茶やバタや蜜や凝乳などをじめ/\した臭ひのする大きな皿に乘せて出した。私は坐つてコツブのお茶を飮みながら、のろ/\した會話を聞いてゐた。『晚くならないの。』と私はイヴン・ワシリエウヰツチにさゝやいた。『大丈夫少し待つておいで、私達は鳩が鳩小舍に這入るまで待たなくちやならないんだよ。まだ、そこに居るだらう。』私は退屈になつて來た。最後に私達は、穀物小舍の上の鳩小舍の中へ、提燈をつけて登つて行つた。『さあ御覽よ。』とカシミール・アントノヴヰツチが私に叫んだ。鳩小舍は四方に垂木がついてゐて、長くて暗かつた。それは廿日鼠や、蜜蜂や、蜘蛛の巢や鳥の强い臭ひがした。誰かゞ提燈を差出した。『ゐる/\ !捕へなさい!』とカシミール・アントノヴヰツチがさゝやいた。地獄のやうな騷動が起つて、鳩小舍は羽の旋風でいつぱいになつた。一瞬間、私は世界の終りが來て、吾々は何もかも無くしてしまつたやうな氣がした。段々と私は意識を取返して、ひそく聲で云つてゐるのが聞こえた。『こゝにもゐる!こつち/\ーーさう/\、袋にお入れなさい。』イブン・ワシリエヴヰツチは袋を一つだけ持つて行つてゐた。そして歸道の間中、私達は背中で、鳩小舍の中での騷ぎを續けてゐた。私達は鳩小舍を鍛冶場の上に造つた。私はその後、鳩に水をやつたり、小麥や、稷や、パン屑をやるために、一日に十度もそこへ登つて行つた。一週間の後、私は巢の中に卵が二つあるのを發見した。然し私達がこの重大な出來ごとを詳細に觀賞するまへに、鳩は一度に一|番《つがひ》づゝ元の古巢へ歸り始めた。羽を切られた三番がやつと後へ殘つた。そしてこれらも亦その羽が伸びると、私達が彼等のために造つてやつた巢と餌箱のある美しい小舍を後に、飛去つてしまつた。かうして鳩を育てようとした私達の冒險は終つたのである。
 父はT夫人と云ふ强い性格の四十がらみの未亡人から、エリザヴェートグラード近くの土地を少し借りた。彼女の處にいつも侍《はべ》つてゐるのも同じく 一人者になつた牧師で、彼は|かるた<傍點>や音樂その他樣樣なものゝ、愛好者であつた。T夫人はこの牧師と一緖に、私達との契約の條件を見るために、ヤノウカへやつて來た。私達は、居間とそれに績く部屋を彼等に割當てゝ、夕食には、鷄肉のフライやシエリイ酒や、櫻のプデインが料理として出された。食事が終つた後、私は客間に殘つてゐて、牧師がT夫人の側に坐つて、彼女の耳に何事かを笑ひながらさゝやいたのを見た。彼は上衣の前をめくつて、縞ズボンのポケットから、組合せ文字のついた銀の煙草入れを出して、紙卷煙草に火をつけ、まるく煙の輪を吹いた。それから彼は女主人がゐない間に、彼女は小說の中に對話だけを讀むのだと私達に話した。皆は上品に笑つたけれども、批評することは差控へたと言ふのは、私達は彼がそれを彼女に吿げる許りでなく、それに尾に鰭をつけかねないことを知つてゐたからである。
 父はカシミール・アントノヴヰツチと組合で、T夫人から土地を借り始めた。アントノヴヰツチの妻が恰度その頃死んだので、彼に急激な變化が起つた。彼の髥からは灰色の毛が消え、彼は糊の固いカラーをはめ、ネクタイにはネクタイビンを差して、婦人の寫眞をポケツトに入れて步いてゐた。他の凡ての人のやうに、カシミール・アントノヴヰツチも私の叔父のグレゴリイのことを笑つたが、彼が彼の凡ゆる秘密を打開けたのは、グレゴリイにであつた。彼は封筒から寫眞を取出して叔父に見せた。『見て下さい。私はこの美人に云つたのです「御婦人よ、あなたの唇はキツスをするために出來てゐるのです」とね。』と彼は有頂天で殆ど失神しさうな有様で、グレゴリイ叔父さんに叫んだのだ。カシミール・アントノヴヰツチはその美人と結婚した。が結婚生活の一年牛許りを終つた時に、突然に死んでしまつた。Tの領地の廣場で、牝牛が彼を角で突いて、突殺してしまつたのだ。
 F兄弟は、私達の所から約ハヴエルストの所に、數千エーカーの土地を所有してゐた。彼等の家は宮殿のやうであつて、澤山の客室や、撞球室や、その他樣々なもので贅澤に設備せられてゐた。Fの二人兄弟レウとイヴンは、この凡てを彼等の父親テイモシイから相續したのである。そして段々とその相續財産をすり減してゐた。この財產の管理は用人の手中にあつて、二重記入簿記であるにも拘らず、帳簿は缺損を示してゐた。
『グヰツド・レオンテイエヴヰツチは、もし土造の家に住んでゐたなら、私よりもずつと金持ちですよ。』とこの兄の方がよく私の父のことを云つた。そして私達がこのことを父に繰返すと、父は非常に喜んだ。弟のイヴンは、或時、彼等の銃をかついだ二人の臘師と、ー團の白い狼獵用犬を背後に從へて、ヤノウカを馬で乘拔けたことがあつた。こんなことはヤノウカでは嘗て見られないことであつた。『奴さんたちは閒もなく金をみんなすつてしまふだらうがなあ。』と父は不贊成らしく云つた。非運の前兆は、ケールソン縣のかうした諸家族の上にあつた。彼等は凡て非常な速力で下り坂を突進した。そして或者は世襲の貴族に屬し、或者は勤勞の代償として土地を赋與せられた政府の官吏に或者はポーランド人に、或者はドイツ人に、また或者は一八八一年以前に土地を買ふことの出來たユダヤ人に屬する等々、その種千差萬別であるにも拘らず、このことだけは眞理であつた。これらの草土地時代の發見者の多くは、その道に於ける優れた、成巧的な巧妙な自然の掠奪者であつたのだ。
 然しながら私は彼等の凡てが『八十年代』の初めに死んだので、その中の誰をも知らなかつた。彼等の多くは、はした金でゝはあるが、巧妙な機敏さで活動を始め、たとひそれが住々犯罪的なものであつたとしても、彼等は恐るべき財產を造つた。これらの人々の第二代目は、フランスの知識や、自分の家の撞球室や、彼等の信用に對する凡ゆる惡德によつて、新參の貴族になつた。『八十年代』の農業恐慌は大西洋の彼方との競爭を捲起し、彼等を無慈悲に打ちのめした。彼等は枯れた木の葉のやうに沒落した。第三の時代は半ば腐つた無賴漢、人でなし、骨ぬき、早熟の役立たずの一組を、生み出した。
 貴族の敗滅の最高峰はゲルトパノフの一家によつて達せられた。一大村落及びー全郡は彼等の名で呼ばれてゐた。その全地方が一時、彼等に屬してゐたのだ。それだのに年取つた相續人に現在殘されてゐるもわは僅かに千エーカーの土地であるのだ。しかもそれすら二重にも三重にも抵當に這入つてゐた。私の父はこの土地を借てゐたのだが、地代は銀行へ利子に這入つてしまつた。ゲルトパノフは年中歎願書と、農民に宛てた苦情と命令の手紙を書いて暮してゐた。彼は私達所を訪問する時にはいつも煙草と砂糖の塊りを袖の中に隱すのであつた。そして彼の細君も同じことをした。彼女は涎を流しながら、農奴と、グランドピアノと、絹と、香水との彼女の若い時の話しをいつも物語つた。彼等の二人の息子は殆ど無敎育で育つてゐた。弟のヴイクトールは私の家の鍛冶場の弟子であつた。
 ヤノウカから凡そ六ヴエルストの所に、ユダヤ人の地主の一家が住んでゐた。彼等の名はM……スキイと云ふのであつた。彼等は奇妙な、狂つた運命にあつた。彼等の父親のモイセイ・カーリトノヴヰツチは六十歲であつたが、貴族的方面の敎育を受けてゐたことによつて有名であつた。彼はフランス語を流暢に話し、ピアノを彈き、文學を談じた。音樂會でピアノを彈くには彼の左手は弱かつたが右手は大丈夫なのだと彼は云つてゐた。彼の伸び放題にした指の爪が、私の家の古いスピネットの鍵盤を打つと、カスタネットのやうな騷がしい音を立てた。彼は、オジンスキイのポーランド舞踏曲から始めて、いつの閒にかリツツの狂想曲に移り、それから急に『處女の祈り』に落込んだ。彼の會話もそれと同樣に出鱈目であつた。彼はいつも彈奏の最中にそれを止して、立ち上つて、鏡の方へ行つた。そこで誰も側にゐる者がないと、彼は髭をさつぱりさせると云ふ考へから、彼の火のついた卷煙草で口の兩側の髭を燒いた。彼は絕えず煙草を吸つた。そして彼は煙草を吸ふことが嫌いでもあるやうに、それを歎いた。彼は彼の物凄い年取つた細君に、十五年の閒口をきかなかつた。彼の息子のダビツドは三十五歲だつた。彼はいつも顏の半面を白い繃帶で蔽ひ、その上から赤いピク/\動く眼を覗かせてゐた。ダビツドは自殺未遂者であつた。彼は軍隊にゐた時、勤務中の士官を侮辱した。士官は彼を毆つた。ダビツドは士官の頰に平手打ちを食はして兵舍の中へ走り込み、自分の銃で自殺しようとした。彈は彼の頰をかすつた。さうしたわけで彼は今でも、始終白い繃帶をくつゝけてゐるのだ。この罪を犯した兵士は嚴重な軍法會議でやつゝけられたが、然しM……スキイ家の戶主は、その當時まだ生きてゐた――金持ちで、勢力家で、無敎育で、專制家の老カーリトンであつた。彼は全地方を起たせて、孫に責任のないことを明言せしめた。要するに恐らくこの事件は全然嘘ではなかつたのだ。その時以來、ダビッドは彈に擊たれた頰と、氣狂ひの證明書とをもつて暮して來たのだ。
 私が始めて彼等を知つた時、旣にM……スキイの一家は下り坂にあつた。私の幼年時の閒、モイセイ・カーリトノヴヰツチは立派な輓馬に輓かれた四輪馬車に乘つて、よく私達の所を訪問してゐた。私がまだごく少さな、恐らく四つか五つの時に、私は長兄と一緖に^M……スキイ家を訪ねたことがあつた。彼等は大きな、手の行屈いた庭園を持つてゐたが、そこではー―-實際に!―-孔雀が逍遙してゐた。私はそこで生れて始めて、氣まぐれな頭に冠をかぶり可愛いゝ小さな鏡を尻尾につけ、足に拍車をつけたこの不思議な鳥を見たのであつた。孔雀はもの後ゐなくなつた。そしてそれと同時に色色なことが起つた。その庭園の垣はこな/”\に毀され、家畜が果樹や草花を折つてしまつた。此頃ではモイセイ・カーリトノヴヰツチは肥料馬に引かれた荷馬車に乘つてヤノウカへやつて來る。その息子は財產を盛返さうと努力してゐる。然しそれは百姓としてゞあつて、紳士としてゞはない。
『私達は數頭の年とつた馬を買つて、ブロンスタインがやつたやうに、朝のうちそれを乘廻して見たいものだ!』
『あの人達は成功しないよ。』と私の父が云つた。ダビッドはエリザヴエートグラードの市場へ『年取つた小馬』を買ひにやられた。彼は市場の巾を步き廻り、騎兵であつた眼をもつて馬な鑑定し、そしてトロイカを選んだ。彼は夜おそく歸つて來た。家は輕い夏物を着たお客さんでいつぱいだつた。アブラムは手にランプを持つて、馬を見るために玄關《ポーチ》に出て行つた。婦人の一團や學生や若^建が彼に續いた。タビツドは突然彼が得意な境遇にあることを感じた。そして各々の馬のいゝ所を讃美し、特に一頭の馬を讃めて若い貴婦人に似てゐると云つた。アルバムは頣鬚を搔きながら云つた。『馬はみな上等だ。』この騒ぎは小野宴で終つた。ダビツドは美しい若い貴姉人のスリツパーを脫がせ、それにビールを滿して唇へ持つて行つた。
『あなたはそれを飮まうとしてゐるのではないでせうね?』とその少女は、驚愣か、それとも嬉しさかで、顏を赤らめて叫んだ。
『若し私が自殺を恐れないならば……』スリツパーの中味を喉に流し込みながら、吾等の英雄は答へた。
『お前の功名を手放しで自慢するものではないよ。』といつも無口な彼の母が不意に応酬した。彼女は隅の大きな、氣力のない女で、家庭上の凡ゆる車荷が彼女の上にかゝつてゐるのだ。
『あれは冬小麥ですか?』アブラム・M……スキイは彼の拔目なさを示す爲に、或時私の父に訊ねた。
『春小麥でないことは確かです。』
『ニコポール小麥ではないですか?』
『あれは冬小麥だと云ひませう。』
『私もあれが冬小麥であることは知つてますが、然しその種類は何になんです、ニコポールですか、ギル力ですか』
『どれがどうなんだか、私はニコポール冬小麥なんて云ふのは聞いたことがありませんよ。誰か持つてゐる人があるかも知れませんが、私はそんなものを持つたことはありませんよ、私のはサンドーミル小麥なんです。』と私の父は答へた。
 この息子の努力は何等酬ひられるところがなかった。一年後に、私の父は再び彼等から土地を借りた。

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