南総里見八犬伝(018)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十七回
東都 曲亭主人 編次
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「思ひくまの人はなか〳〵なきものをあはれに犬のぬしをしりぬる」「犬塚しの」「龜笹」「はま路」

妬忌ときたくましうして蟇六螟蛉ひきろくひとのこをやしなふ
孝心こうしんかたうして信乃曝布しのたきはらひ

 卻說犬塚番作かくていぬつかばんさくは、年來としごろの志願稍遂やゝとげて、男子既をのこゞすで出生しゆつせうし、母も子もいとすくよかに、產室撤うぶやおさむるころにぞなりぬ。「さてちごの名をなにとかよばん」、と女房手束にようばうたつかかたらへば、手束はしばら沈吟うちあんじ、「よに子育こそだてのなきものは、男兒をのこゞなればとし、の子には男名をとこなつけて、やしなひたつればつゝがなしとて、如此しかする人もまれにははべり。我夫婦わがふうふさちなくて、男兒三人擧をのこゞみたりまうけしかど、みな殤子みづこにてなくなりたるに、このたびも又男兒をのこゞなれば、一しほ心よはくなりて、想像おもひやりのみせられはべり。この子が十五にならんころまで、女子をなごにしてはぐゝまば、つゝがあらじと思ひ侍り。その心してなつけ給へ」、といへば番作うちほゝみ、「死生めいあり、名のとがならんや。ものいみ多き僻事ひがこと、いとうけがたき筋なれども、おん身が心やりにもならば、に從ふもわろきにあらず。古語に長きをしのといふ。和名妙わめうせう長竿ちやうかんを、しのめとよませし、則是すなはちこれなり。今も穗の長きすゝきを、しのすゝきといふぞかし。しげきすゝきとするは非ならん。わが子の命長かれ、とことほぎのこゝろもて、その名を信乃しのよぶべき。昔われ美濃路みのぢにて、不思議におん身と名吿なのりあひ、信濃路しなのぢにして夫婦となりぬ。しのとしなのとその聲近し。越鳥ゑつちやう南枝なんしすくひ、胡馬こば北風ほくふういばふといへり。たれかそのはじめを忘れん。わが子もし發迹なりいでて、受領じゆれふする事さへあらば、信濃の守護しゆごにもなれかし、と亦祝またことほぎのこゝろにかなへり。この名は甚麼いかに」、とまめたちて、とへ手束たつかきゝあへず、「そはいとめでたき名にはべり。富人とむひと五十日百日いかもゝか、と產室うぶややしなひのよろこびに、さけもり遊ぶ日も多かり。せめてこの子が名ひらきに、かまどの神に神酒獻みきたてまつり、手習子てらこ綿わた弟子をしえこに、ものくはせ給はずや」、といふに番作うち點頭うなづき、「われもかくこそ思ふなれ。とく〳〵」といそがせば、手束はちか媼等うばらやとひて、赤小豆飯あづきいひ芝雜魚しばざこしるなますといそがしく、目つらをつかみ料理して、里の總角等あげまきら召聚會よびつどへもりならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳にくわうぜんはしとりあぐる髻鬟等うなゐらが、顏は隱るゝ親碗おやわんに、子の久後ゆくすゑことぶきの饗應もてなしにみなあきたりて、ひざにこぼれし粒飯つぶいひを、ひらひもあへず、身を起し、よろこびをのべかへるもあり、人より先に草屨わらくつを、穿はか穿はかせじ、とかしましく、𥉉あはて〚目+條〛てかへるも多かりけり。
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南総里見八犬伝(017)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十六回
東都 曲亭主人 編次
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山院さんいん宿しゆくして番作ばんさく手束たつかうたがふ」「菴主蚊牛」「たつか」「大塚番作」

白刃はくじんもと鸞鳳良緣らんほうりやうえんむす
天女てんによやしろ夫妻一子ふさいいつしいの

 卻說大塚番作かくておほつかばんさくは、淺痍あさでなれども一晝夜いちちうやあまたみちを來にければ、疲勞つかれとともにそのきず痛みて、通宵よもすがらいもねられず、まくらにかよふ松の聲、溪澗たにかはの音さわがしく、ぬるとはなしに目睡まどろみけん、紙門隔ふすまこしにうちかたらふ、聲するに驚覺おどろきさめ、枕をそばたて熟聽つら〳〵きけば、およつけたる男の聲也。「されば菴主あんしゆはかへりけん。渠何事かれなにことをいふにかあらん」、と耳をすまして聞く程に、忽地女子たちまちをなこ泣聲なきこゑして、「そはきゝわきなし、むじんなり。衆生濟度しゆぜうさいどは佛のをしえ、よしそれまでにおよばずとも、心をけが破戒はかいの罪、法ころもはぢやいばもて、ころさんとはなさけなし」、といふはまさしく宿貸やどかして、われをとゞめし女をなこなり。「原來菴主さてはあんしゆは破戒の惡僧あくそうかはよ少女をとめを妻にして、彼奴かやつゑば旅人りよじんをとゞめ、ひそかに殺して物をとる、山賊さんぞくきわまれり。たま〳〵君父くんふうらみかへし、恥をきよめ、危難をのがれて、こゝまで來つるに阿容々々おめ〳〵と、われ山賊の手にしなんや。さきにすれば人をせいす。こなたよりうついでみなころしにすべけれ」、と思ひさだめてちつとさわがず、ひそかおきて帶引締ひきしめ、刀を腰に、かゝぐりかゝぐり、紙門ふすまのほとりへしのびよりて、開闔たてつけ間準ひずみより、ことやう闕窺かいまみるに、その年四十あまりの惡僧、手に一挺いつてう菜刀なかたなをふりあげて、女子をなこむかひておどしつすかしつ、いふことさだかに聞えね共、われをうたんず面魂つらたましひ女子をなこはこれをとゞめあへず、かみふりみだしてよゝとなく。害心既に顯然げんぜんたる、爲體ていたらくに番作は、いさゝかも疑はず、紙門ふすまちやうひらきて、庖湢くりやのかたへ跳出おどりいで、「山賊われを殺さん。われまづなんぢを殺すべし」、とのゝしりあへずとびかゝれば、惡僧おはきにうち驚き、もつたるやいばひらめかして、きらんとするこぶしの下を、くゞぬけつゝ足をとばして、腰眼ゐのめのあたりをはたる。蹴られて前へひよろ〳〵と、五六步いつあしむあし走りいだして、やうやくに踏駐ふみとゞまり、ふりかへつてつきかくるを、右へ流し、左へ、すべらし、數回あまたゝびかけ、なやまして、疲勞つかるゝ處をつけ入りて、つひやいはをうち落せば、惡僧いよ〳〵こゝろあはてて、にげんとすれば、番作は、莱刀なかたな手ばやくとりあげて、「賊僧天罰思ひしれ」、とのゝしる聲ともろともに、あびせかけたる刃の電光いなつま脊條せすぢをふかくつんざいたり。灸所きうしよ痛痍いたでに、霎時しばし得堪えたへず、惡僧は「あつ」と叫びて、たふるゝ胸膈むなさき、とゞめの刀尖きつさきさしつらぬきて引拔ひきぬく莱刀、血をふりたらして、刃をぬぐひ、𥉉惑あはてまどひにげも得ず、伏沈ふししづみたる女子をなこむかひて、まなこいからし聲をふりたて、「なんぢ甲夜よひいひめぐみて、一碗いちわんの恩あるに似たり。又賊僧がかへり來て、われを殺さんとするをとゞめし、こは側隱そくいんの心なれども、この賊僧が妻となりて、これまでいくその人を殺せし、これまたしるべからず。さればのがれぬ天のせめすみやか首伏はくでうして、やいばうけよ。いかにぞや」、ととはれてはつかかうべあげ、「その疑ひは情由わけしらぬ、おん身が心のまよひにこそ。わらははもとよりるものならず」、といはせもあへず冷笑あざわらひ、「淺くもことを左右によせて、時を移して小賊等こぬすびとらが、かへるをまちてをとこのために、うらみかへさんと思ふなんぢ胸中きやうちう、われかばかりの倆伎たくみのらんや。つげずはこれもていはせん」、と打晃うちひらめか菜刀なかたなの光と共にとび退しりぞき、「やよまち給へ、いふことあり」、といへ共ゆるさいかり刀尖きつさき何處いづこまでもと夤緣つけまはす、刃頭はさきたてもなよ竹の、雪にをれなん風情ふぜいにて、右手めてのばし、左手ゆんでつき片膝立かたひざたてて身をらし、うしろざまに迯遶にげめぐるを、番作はなほのがさじ、とうてばひらき、拂へば沈み、たゝんとすればいだゞきの上にひらめく氷のやいばのがれかた手をふところへ、さし入るゝひまもなく、きら*んと進む目前まなさきへ、とりいだす一通つきつけて、「これ見て疑ひはらし給へ。きゝわきなや」、と兩の手に、引延ひきのばしたる命毛いのちげの、ふでに示せしその身の素姓すせう、番作とくすかし見て、思はず刃をとり直し、「こゝろ得かたき書狀しよでう名印ないん梵妻賊婦ぼんさいぞくふ艷書欤ゑんじよか、と思ふには似ず勇士の遺書かきおき。やうこそあらめ、その情由わけ語れ」、と身をひらかし、刃を席薦たゝみ突立つきたてて、膝折敷ひざをりしき目守まもりてをり。
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南総里見八犬伝(016)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十五回
東都 曲亭主人 編次
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うらみむくひて番作ばんさく君父くんふ首級くびをかくす」「大塚番作」「にしごり頓二」「牡蛎崎小二郎」

金蓮寺きんれんじ番作讐ばんさくあた
拈華庵ねんげあん手束客たつかたびゝととゞ

前卷既に說訖ときをはる、伏姬富山ふせひめとやまりにしころは、十六さいのときにして、長祿元年ちやうろくぐわんねんの秋なるべし。又金碗入道かなまりにうどうヽ大坊ちゆだいぼうは、嘉吉元年かきつぐわんねんの秋、父孝吉ちゝたかよしが自殺せしとき、既に五歲になりければ、長祿二年富山にて、伏姬自殺のうれひかゝり、にはか出家入道しゆつけにうどうして、雲水うんすいまかしつゝ、斗藪行脚とそうあんぎや首途かどいでせし、このとき廿二歲になりぬ。伏姬は年はつかに、十七にて身まかりたまへば、ヽ大坊はかの姬より、その年才とし五ッの兄なりけり。かくて長祿は三年にして、寬正くわんせうにあらたまり、又六年にして、文正ぶんせうと改元せらる。さはれ元年のみにして、又應仁おふにんと改めらる。これもはづかに二年にして、文明ぶんめいと改元ありけり。應仁の內亂治りて、戎馬じうばひつめあとはらひ、名のみなりけるはなみやこは、もと春邊はるべたちかへり、稍長閑やゝのどやかになりぬるも、このころの事なれば、(文明五年春三月、宗全病そうぜんやみみまかり。五月に至りて勝元も亦病またやみみまかりにき。こゝにおいてそのの合戰、征せずしてやみにけり。これを應仁の兵亂ひやうらんといふ)この年號のみ長久とこしなへに、十八年まで續きけり。こゝに年序ねんじよかゞなふれば、伏姬の事ありて、ヽ大が行脚あんぎや啓行かしまたちせし、前卷長祿二年より、今文明の季年すゑいたりて、無慮すべて二十餘年に及べり。このあはひ犬塚信乃いめづかしのが、未生みせう已前いぜんの事をのぶ。この卷亦復またまた嘉吉におこりて、文明のころに至れり。

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南総里見八犬伝(015)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十四回
東都 曲亭主人 編次
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使女つかひめ急訟はやうちよるみづわたす」「堀内貞行」

のりものとばして使女溪澗つかひめたにかはわたす
しやくならしてヽ大記總ちゆだいずゞたまたづぬ

 かたはらに侍りたる、貞行等さだゆきら伏姬ふせひめの自殺をとゞめあへなくも、插頭かざしの花をちらせしごとく、遺感いかんやるかたなかりけり。そがなか孝德たかのりは、男子をのこにもます姬君ひめきみ末期まつごの一句にはげまされて、身をおくところなかりけん、亡骸なきからのほとりにおちたる、血刀ちかたなを手はやく取て、ふたゝび腹を切らんとす。そのとき義實よしさね聲をふりたて、「やをれ大輔狼狽だいすけうろたへたる。その身に大罪だいざいありながら、君命くんめいまたずして、自害せんとは奇怪きくわいなり。伏姬一旦甦生そせいしたれば、つみ一等いつとうなだむるとも、この山に入るものは、かうベはねんとおきてしものを、法度はつとまげておのがまに〳〵、腹切ることをゆるさんや。觀念せよ」、と進みよりて、やいば引提ひきさげ立給へば、「願ふところ」、と孝德は、なほりて合掌がつせうし、うなぢのばす程もなく、上にきらめく刃の稻妻いなつまちやううつたる大刀風たちかぜに、思ひかけなく孝德が髻弗もとゞりふつ載捨きりすて給へば、「これは」、と見かへる罪人つみひとも、いさめかねたる貞行も、驚き思ふ仁君じんくんの、恩義にいとゞかしこまる。義實は氷なす、やいばをやをら𩋡さやおさめて、たゝえる淚をふり拂ひ、「見よや藏人くらんど、わが手つから、罪人つみひとを刑罰せり。法度はつとは君の制する所、君又これを破るといふ、古人こじん金言宜きんげんむべなるかな。われもし民ともろともに、けふこの山に登りなば、大輔だいすけとがなかるべし。かうべかえたるもとゞりは、かれ亡父ぼうふへ寸志なり。かれをさなき時よりして、名を大輔と喚做よびなせしは、大國輔佐たいこくほさの臣たれ、とその久後ゆくすゑしゆくせしに、わが官職つかさもやうやく進みて、治部大輔ぢぶのたいふ大輔だいすけと、その國訓よみこゑことなれ共、文字もんじはかはらぬ主從同名しゆう〴〵どうめい、かゝるゆゑにやしゆうのうへに、あるべきたゝりを身にうけけん、可惜あたらしき壯佼わかうどが、よに埋木うもれきとならん事、かへす〳〵も不便ふびん也。親八郞は大功あり。大輔も忠なきにあらず。その親といひ、その子といひ、勳功くんこうあれども賞をず、その死に臨み、その罪に、陷るに及びては、主尙しゆうすら救ふによしなき事、わが子にまして哀傷あいしやうの淚はこゝにとゞめかたし。やよ大輔よ、孝德よ。わがこのこゝろをよくも知らば、亡親なきおやの爲、ひめが爲に、いのちをたもち、身を愛し、ほとけにつかへ苦行くぎやうして、高僧知識の名をあげよ。こゝろ得たりや」、と叮嚀ねんころに、さとし給へば孝德たかのりは、かたじけなさにはふりおつる、淚にむせび地にふして、いらへかねつゝ聲をむ。ことわりなれば貞行は、はなうちかみて進みいで、「今にはじめぬ君の仁心じんしん、姬うへの御最期ごさいごには、かごとがましき事もなく、家臣のうへをかくまでに、聞えさせ給ふ事、大輔和殿わとのが身にとりては、一郡いちぐんの守護、萬貫まんぐわんの、祿ろくにもまして滿足ならん」、といはれてやうやくかうべもたげ、「某寔それがしまこと不肖ふせうなれども、如是畜生によぜちくせうだも菩ぼだいれり。今より日本廻國につほんくわいこくして、灵山灵社れいさんれいしやを巡禮し、伏姬君ふせひめきみ後世ごせとふらひ、わが君御父子ごふしの武運を祈らん。姬うへの落命も、又それがし祝髮しゆくはつも、みな八房の犬ゆゑなれば、犬といふ字を二ッにき、犬にも及ばぬ大輔が、大の一字をそがまゝに、ヽ大ちゆだい法名仕ほうめうつかまつらん」、と申上れば義實朝臣よしさねあそん、「あはれいしくも申シたり。くだんの犬は全身みのうちに、黑白八こくびやくやつ斑毛ぶちあれば、八房と名つけしが、今さら思へば八房の、二字は則一戶八方すなはちひとりのしかばねはつはうに至るの義なり。加旃しかのみならず伏姬が自殺の今果いまは痍口きずくちより、一道の白氣はくきたなびき仁義八行じんぎはつこう文字顯もんじあらはれたる、百八の珠閃たまひらめのぼり、文もじなき珠は地におちて、その餘のやつ光明ひかりをはなち、八方へ散亂さんらんして、つひに跡なくなりし事、其所以そのゆゑなくはあるベからず。後々のちのちに至りなば、思ひあはする事もやあらん。菩提ぼだい首途かどで餞別はなむけには、たゞこの珠數ずゞにますものあらじ。努祕藏ゆめひさうせよ入道にうどう」、とさとしてやがたびければ、孝德は手にうけて、再三ふたゝびみたびうちいたゞき、「こはありかたき君のたまもの、今より諸國を編歷へんれきして、飛去とびさりたるやつたまおちたる所をたづねもとめ、はじめのごとくつなぎとめんに、一百八いつひやくはちかず滿みたずは、又當國たうごくたちかへりて、見參げんざんり候はじ。年をるとも音耗おとづれなくは、たびよりたびに野ざらしの、からうへたる犬の腹を、こやしにけりと思召おぼしめされよ。これまこと今生こんぜうのおんわかれに候べし」、と思ひきつてぞ申ける。
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南総里見八犬伝(014)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十三回
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯だいにしゆう巻之二

【本文】
南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯(だいにしゆう巻之二
東都 曲亭主人編次


妙經めうきやう功徳くどく煩惱ぼんなう雲霧うんむひらく」「金まり大すけ」「玉つさ」「神変大菩薩」

尺素ふみのこし因果いんぐわみづからうつたふ
雲霧うんむはらつ妖孽あやしみはじめてやむ

 伏姬ふせひめは思ひかけなく、奇しきわらべ說諭ときさとされて、無明むめう眠覺ねむりさめながら、夢かとぞおもふあととめぬ、人の言葉のあやしきに、なほ疑ひははれなき、淚の雨に敷妙しきたへの、そでは物かははらわたを、しぼるばかりにむせかへり、なげしづませ給ひけり。しかはあれども心操こゝろばえ、人なみ〳〵にたちまさる、日來雄ひころをしき姬うへなれば、うちさわぐ胸をおししづめ、顏にかゝれる黑髮くろかみを、かきあげて目をぬぐひ、「うたてやな前世さきつよに、造りし罪は秤成はかりなす、おもさかろさはしらねども、つひにこの身にむくて、かくまで物を思はする、人のうらみのしうねさよ。遮莫さもあらばあれ親のうへに、かゝるたゝりおひにき、ときゝてはのちのそののちの世まで、捺落ならくの底に沈むとも、くやしと思ふべうもあらず。たゞはづかしく悲しきは、親の爲、又人の爲に、きたなき心もたなくに、なにたねなる畜生ちくせうの、その氣をうけやつの子を、身に宿やどしなばいかにせん。そもこの山に入りにし日より、つるの林のしげきをわき、わしたかねの高きをあふぐ、一念不退讀經いちねんふたいどきやうほかは、よに他事あだしごとなきものから、佛もこゝに救ひ給はず、神さへ助け給はずて、有身みこもれる事じつならば、よしや臥房ふしどを共にせずとも、それいひとか證据あかしはなし。わがうへのみかは親のはぢこゝのつの世をかゆるとも、つひきよむる時しあらで、只畜生たゞちくせうの妻といはれん。いきての恥辱、死してのうらみ、たとふるに物あるべしや。かうとは兎の毛の末におく、つゆばかりだもしらずして、さきに瀧田にをりしとき、犬を殺してもろともに、得死えしなざるこそくやしけれ。しすべきをりはありながら、しにおくれしも業因欤ごういんか。されば善巧方便ぜんこうほうべんとて、ときおかせ給ふなる、佛のふみにもありがたき、因果いんぐわといふもあまりあり。よしやこの子のうまるゝゆゑに、親同胞おやはらからさちありて、家のさかえをませばとて、こよなき恥にやはかえん。悲しきかな」、と聲たてて、かたへの人にものいふごとく、思ひこつてはなか〳〵に、さかしき心も亂れつゝ、忍ぶにたへ繁薄しのすゝき尾花をばなが下にふし給ふ。

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南総里見八犬伝(013)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十二回
東都 曲亭主人 編
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草花さうくわをたづねて伏姫ふせひめ神童かんわらはにあふ」「伏姫」

富山とやまほら畜生菩提心ちくせうぼだいしんおこ
流水ながれさかのぼり神童未來果じんどうみらいくわ

 濁世煩惱色欲界ぢよくせぼんなうしきよくかいたれ五塵ごぢん火宅くわたくのがれん。祇園精舍ぎおんせうしやかねこゑは、諸行无常しよぎやうむじゃうひゞきあれども、あくまで色を好むものは、後朝きぬぎぬの別れををしむがゆゑに、たゞこれをしもあたとし憎にくめり。沙羅雙樹さらそうじゆの花の色は、盛者必衰しやうじゃひつすいことわりをあらはせども、いたづらめづるものは、風雨ふううすぎなんことをねたむがゆゑに、ひとへ延年ゑんねんの春をちぎれり。くわんずれば夢の世、觀ぜざるもまた夢の世に、いづれまぼろしならざりける。思ひうちにあるものは、龍華りうげ三會さんゑふといへども、凡夫出離ぼんぶしゆつり直路ちよくろをしらず。さめて復またさとるものは、虎穴龍潭こけつりうたんりといへども、瑜伽成就ゆかじやうじゆの快けらく多かり。かくまでに世を思ひすてて、富山とやまの奧にふたとせの、春とし秋を送るかな。
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南総里見八犬伝(011)

南總里見八犬傳卷之五第十回
東都 曲亭主人 編次
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一言いちごんまことまもつ伏姫ふせひめ深山しんさん畜生ちくせうともなはる」「金まり大すけ」「伏姫」「やつふさ」

きんおかして孝德一婦人たかのりいつふじんうしな
はらさき伏姬八犬子ふせひめはつけんしはしらす

 義實よしさね夫人五十子おくかたいさらこは、八房やつふさ爲體ていたらくを、人のつぐるに驚きて、もすそかゝげいそがはしく、伏姬のをはします、子舍こざしきへはや來給ひしが、と見れば處陜ところせきまでに、侍女們をんなばら戶口とぐちにをり、治部殿ぢぶどの[義實をいう]もをはしませば、ひめにはつゝがなきものから、親子が中に犬をおきて、問答もんどう最中もなか也。ことはつるまでとて、竊聞たちぎゝしつゝ潸然さめさめと、うちなきてゐましけり。とはしらずして侍女們をんなばらは、いでてゆく犬におそれて、おもはず左右へひらきしかば、交加ゆきかひみちやゝあきて、かくはつべうもあらざれば、走りりつゝ姬うへの、ほとりへ撲地はた伏沈ふししづみ、聲ををしまず泣給へば、義實ははぢらひて、うち見たるのみ物のたまはず。伏姬ふせひめは母のそびらを、なでおろし、又なでおろし、「緣由ことのよしを聞きこしめせし。おん心こゝちはいかにぞや」、となぐさめられて、母うへは、かうべもたげて淚をぬぐひ、「きかずはいかでなげきをせん。なう伏姬、よにも怜悧さかしくましませば、殿との御諚ごでふ表裏うらうへなく、賞罰せうばつの道なほかれとて、名をけがし、身をすて給ふ。そは父うへに孝行なり共、ぜうもとり、そげなば、たれかはこれを譽侍ほめはべる。凡生およそいきとしいけるもの、二親ふたおやならぬもあらざるに、母が歎きをおもはずや。さりとては心つよし。幼稚をさなきときの多病なる、母の苦勞をやうやくに、昔かたりになすまでに、生育おひたち給へば又さらに、見增みま標緻きりやうは、月も花も、及ばぬものをいかなれば、われからその身をにゑにして、くやしとだにもおぼさぬは、あやにまつはるものの、しうねき所爲わざに侍るべし。やよさめ給へ、さめ給へ。年來としころ念ずる神の加護かご、佛の利益りやくもなき世」と、さとしつなきつ、いとせめて、くり返し給ふ母の慈悲ぢひに、伏姬はたへかねし、淚をそで推包おしつゝみ、「しかのたまへば不孝の罪、おもきが上になほ重し。親のなげきもかへりみず、なきのちまでも名をけがす、それかなしまぬに侍らねど、命運めいうんの致す所、まことのがれぬ業因ごういんと、思ひさだめて侍るなる。これみそなはせ」、と左手ゆんでかけたる、珠數ずゞさや〳〵と右手めてに取り、「わらはが幼稚をさなかりしとき、役行者えんのぎやうしや化現けげんとやらん、あやしきおきながとらせしとて、たまはりしより身を放さぬ、この水晶すいせう念珠ねんじゆには、かずとりの玉に文字もじありて、仁義禮智忠信孝悌じんぎれいちちうしんこうていよまれたる。この文字もんじゑれるにあらず、又うるししてかけるにはべらず、自然しぜんせうあらはれけん、年來日來としころひごろ手にふれたれども、磨滅すれうすることなかりしに、景連かげつらが滅びしとき、ゆくりなく見侍れば、仁義の八字はあとなくなりて、ことなる文字もんじになり侍り。このころよりぞ八房が、わらはに懸想けさうし侍るになん。これはた一ッの不思議なる。過世すくせさだま業報欤ごうほうか、と欺くはきのふけふのみならず、そのたでしなばや、と思ひしはいくそたび、手にはやいばをとりながら、いなこの世にして惡業あくごうを、ほろぼずは、のちの世に、うかむよすがはいつまでも、あらしの山にちる花の、みのなるはてを、神と親とに、まかせんものを、とあぢきなき、浮世の秋にあひ侍り。これらのよしをかしこくも、さとり給はゞおんうらみも、忽地散たちまちはれてなか〳〵に、思ひたえさせ給はなん。さてもあまり七年なゝとせの、おん慈愛いつくしみあだにせる、子は子にあらず前世さきのよの、怨敵おんてきならめ、と思食おぼしめして、今目前まのあたりに恩義をたち御勘當ごかんだうなし給はらば、身ひとつにうく恥辱はぢは又、うまん世の爲也、とはかなく賴む彌陀西方みださいほう、佛の御手みて絲薄いとすゝき尾花をばなもとに身をばおくとも、つひ惡業消滅あくごうせうめつせば、うしろやすく果侍はてはべらん。只願たゞねがはしきはこの事のみ。これ見て許させ給ひね」、とさしよせ給ふ珠數ずゞの上に、玉なす淚かずそひて、いづれ百八|煩ぼんなうの、迷ひはとけ母君はゝぎみは、うたがはしげに顏うち熟視まもり、「さまでよしある事ならば、はじめより如此々々しか〳〵、と親にはなどてつげ給はぬ。什麼そもその珠數ずゞあらはれしは、いかなる文字ぞ」、と問給へば、義實「これへ」、ととりよして、うち返し〳〵、つく〴〵と見て嘆息たんそくし、「五十子いさらこ思ひたえ給へ。仁義禮智の文字もんじきえて、あらはれたるは如是畜生によぜちくせう發菩提心ほつぼだいしんの八字なり。これによりて又思ふに、八行五常はつこうごじやうは人にあり、菩提心は一切衆生いつさいしゆせう人畜にんちくともにあらざるなし。かゝれば姬が業因ごういんも、今畜生ちくせうみちびかれて、菩提の道へわけ入らば、のちの世さこそやすからめ。まこと貧賤榮辱ひんせんゑいちよくは、人おの〳〵そのくわあり。姬が三五の春のころより、鄰國りんこくの武士はさら也、彼此をちこち大小名だいせうめうあるひは身の爲、子の爲に、婚緣こんえん募來もとめこしたる、幾人いくたりといふ事をしらねど、われは一切承引つやつやうけひかず。今茲ことし金碗大輔かなまりだいすげを、東條とうでふの城主にして、伏姬をめあはせて、功ありながら賞を辭し、自殺したる、孝たかよしに、むくはばや、と思ひつゝ、言過失ことあやまちて畜生に、愛女あいぢよを許すも、ごうなりいんなり。五十子いさらこは義實を、うらめしとのみ思ひ給はん。たゞこの珠數ずゞの文字を見て、みづからさとり給ひね」、と叮嚀ねんごろに慰めて、ときあかし給へども、はれぬは袖の雨催あまもよひ、聲くもらして泣給ふ。
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南総里見八犬伝(010)

南總里見八犬傳卷之五第九回
東都 曲亭主人 編次
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戲言けげんしんじて八房やつふさ敵將てきせう首級しゆきうたてまつる」「里見よしさね」「杉倉氏元」「里見よし成」「伏姫」「八ふさ」

盟誓ちかひやぶり景連兩城かげつらりやうぜうかこ
戲言けげんうけ八房首級やつふさしゆきうたてまつ

 卻說安西景連かくてあんさいかげつらは、義實よしさねの使者なりける、金碗大輔かなまりだいすけあざむとゞめて、しのびしのびに軍兵ぐんびやうてわけしつ、にはかに里見の兩城りやうぜうへ、犇々ひし〳〵推寄おしよせたり。その一ひとそなへは二千餘騎、景連みづからこれをて、瀧田たきたの城の四門しもんかこみ、晝夜ちうやをわかずこれをむ。またその一隊ひとそなへは一千餘騎、蕪戶訥平等かぶととつへいらを大將にて、堀內貞行ほりうちさだゆきこもりたる、東條とうでふの城をかこませ、「兩城一時いちじ攻潰せめつぶさん」、といやがうへにぞ攻登せめのぼる。そのこと爲體ていたらく稻麻とうまの風にそよごとく、勢ひをさ〳〵破竹はちくに似たり。このとき里見の兩城りやうぜうは、兵粮甚乏ひやうろうはなはだともしきに、民荒年たみくわうねんえきつかれて、催促に從はず、只呆たゞあきれたるのみなれ共、恩義の爲にいのちかろんじ、寄手よせてものゝかすともせざる、勇士猛卒ゆうしもうそつなきにあらねば、をさ〳〵防戰ふせぎたゝかふものから、主客しゆかくの勢ひことにして、はや兵粮につきしかば、しよくせざる事七日に及べり。士卒はほと〳〵たへかねて、夜な〳〵、へいこえ潛出しのびいで射殺いころされたる敵の死骸しがいの、腰兵粮こしひやうろう撈取さぐりとりて、はつかうへみつるもあり、あるは馬を殺し、死人の肉をくらふもあり。義實よしさねいたくこれをうれひて、杉倉木曾介氏元等すぎくらきそのすけうぢもとら、もろ〳〵の士卒しそつ聚合つどへ、さてのたまふやう、「景連は表裏ひやうり武士ぶしちかひを破り義にたがふ、奸詐かんそは今さらいふにしも及ばねど、さのみおそるゝ敵にはあらず。かれ兩郡のひとて、わが兩城を攻擊せめうてば、われも二郡のひとをもて、かれが二郡のひとに備ふ。よしや十二分に勝得かちえずとも、午角ごかくいくさはしつべきに、わが德らで五穀登ごゝくみのらず、內に倉廩空さうりんむなしうして、ほかにはあたの大軍あり。甲乙こうおついまだわかたずして、ちから既にきわまれり。縱百樊噲たとひひやくはんくわいありといふとも、うへては敵をうつによしなし。たゞ義實が心ひとつ、身ひとつのゆゑをもて、この城中にありとある、士卒を殺すに忍びがたし。今宵衆皆烏夜こよひみな〳〵やみまかして、西の城戶きとより走り去れ。からくも命をまつたうせん。その時しろに火をかけて、まづはや妻子さいし刺殺さしころし、義實は死すべきなり。二郞太郞じろたらうもとくおちよ。そのてだて箇樣々々かやう〳〵」、と精細つばらかに示し給へば、衆皆みな〳〵これをきゝあへず、「御諚ごじやうでは候へども、その祿ろくうけ妻子やからを養ひ、なんのぞみ筍且かりそめにも、まぬかるゝことはえうせず。只顯身たゞうつせみの息の內に、寄手よせての陣へ夜擊ようちして、名ある敵とさしちがへ、君恩くんおん泉下せんかほうぜん。この餘の事はつゆばかりも、ねがはしからず候」、とことばひとしく回答いらへまうすを、義實はなほ叮嚀ねんごろに、說諭とききとし給へども、承引うけひく氣色けしきなかりけり。
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南総里見八犬伝(009)

南總里見八犬傳卷之四第八回
東都 曲亭主人 編次
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真野まの松原まつはら訥平とつへい大輔だいすけふ」「金まり大すけ」「かぶ戸とつ平」

行者ぎやうじや岩窟いはむろ翁伏姬おきなふせひめさう
瀧田たきた近邨きんそん狸雛狗たぬきいぬのこやしな

 金碗かなまり八郞孝吉たかよしが、にはかに自殺したりける、こゝろざしをしらざるものは、「かれ死なでもの事なるに、功ありて賞を辭し、可惜あたら命をうしなひし、こは全く玉梓たまつさに、のゝしられしをはぢたるならん」、と難ずるものもありとなん。それにはあらでいにしへの、かしこき人のことに、男子寡欲なんしくわよくなれば、百害を退しりぞけ、婦人にねたみなければ、百拙ひやくせつおほふといへり。まいて道德仁義をや。されば義實よしさねの德、ならずして、鄰國りんこくの武士景慕けいぼしつ、よしみを通じ婚緣こんいんを、もとむるも又多かりける。そが中に、上總國椎津かつさのくにしひつの城主、萬里谷入道靜蓮まりやのにうどうじやうれん息女そくぢよ五十子いさらご呼做よびなせるは、けんにしてかほよきよし、義實仄ほのかに傳へきゝて、すなはちこれをめとりつゝ、一女一男いちぢよいちなんうまし給ふ。その第一女は嘉吉かきつ二年、夏のすゑに生れ給ふ。時、三伏さんぶくの時節をひやうして、伏姬ふせひめとぞなつけらる。二郞じらうはそのつぐの、年のをはりにまうけ給ひつ、二郞太郞じろたらうとぞ稱せらる。のちに父の箕裘ききうつぎ安房守義成あはのかみよしなりといふ。稻村いなむらに在城して、武威ぶゐます〳〵さかんなりき。しかるに伏姬は、襁褓むつきうちよりたぐひなく、彼竹節かのたけのようちより生れし、少女をとめもかくやと思ふばかりに、肌膚はだへたまのごとくとほりて、產毛うぶげはながくうなぢにかゝれり。三十二さうひとつとしてくかけたる處なかりしかば、おん父母ちゝはゝ慈愛いつくしみ尋常よのつねにいやまして、かしつきの女房にようぼうを、此彼夥俸これかれあまたつけ給ふ。さりけれども伏姬は、となく、日となくむつかりて、はや三歲になり給へど、物をいはず、えみもせず、うちなき給ふのみなれば、父母ちゝはゝ心くるしくおぼして、三年以來醫療みとせこのかたいりやうを盡し、高僧驗者げんざ加持祈禱かぢきとう、これかれとものし給へども、たえしるしはなかりけり。
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南総里見八犬伝(008)

南總里見八犬傳卷之四第七回
東都 曲亭主人 編次
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一子いつしのこして孝吉たかよし大義たいぎす」「杉倉氏元」「金まり八郎」「里見よしさね」「百姓一作」「上総の大介」「玉つさ怨霊」

景連奸計信時かげつらかんけいのぶとき
孝吉節義義實たかよしせつぎよしさね

 杉倉木曾介氏元すぎくらきそのすけうぢもとが使者、蜑崎十郞輝武あまさきじうらうてるたけ東條とうでふよりはせ參りて、麻呂信時まろののぶとき首級しゆきうまゐらせたりければ、義實よしさね大床子おほせうじのほとりにいでて、くだんの使者をちかくめさせ、合戰かつせん爲體ていたらくを、みづからとはせ給ひしかば、蜑崎十郞まうすやう、「兵粮乏ひやうろうともしくまします事、氏元かねてこゝろにかゝれば、百姓們ひやくせうばら催促さいそくして、運送うんそうせばやと思ふ程に、安西景連あんさいかげつら、麻呂信時、はや定包さだかねにかたらはれて、海陸かいりくの通路をふさぎ、小荷駄を取らん、とわれをまつこと難義なんぎに及びしかば、氏元ます〳〵憂悶うれひもだへて、いたづらに日をすぐしたり。しかるに景連、一夕竊あるよひそかに、家隸某甲いへのこなにがしをもて、氏元にいはするやう、『山下定包は、逆賊ぎやくぞく也。よしや蘇秦張儀そしんちゃうぎをもて、百遍千遍相譚もゝたびちたびかたらふとも、承引うけひくべうは思はざりしに、信時にそゝのかされて、かれが爲にみちふたぎ、良將勇士をくるしめしは、われながら淺猿あさまし、と後悔臍こうくわいほぞかむものから、信時只管ひたすらやじりとぎて、とけども思ひかへさねば、これ亦靴またくつへだてて、かゆきくにことならず。つら〳〵事のぜうはかるに、信時は匹夫ひつふの勇士、利の爲に義を忘れて、むさぼれどもあくことなし。景連舊好きうこうを思ふゆゑに、一旦いつたん合體するといへども、もしあやまちあらためずは、狂人を追ふ不狂人、走るは共にひとしかるべし。所詮しよせん合體のおもひをひるがへし、まづ信時を擊果うちはたして、兵粮ひやうろう運送の路を開き、里見殿さとみとのに力をあはして、賊首ぞくしゆ定包を討滅うちほろぼし、大義をのべんと思ふのみ。さきにはたま〳〵來臨らいりんせられし、里見ぬしをえうとゞめず、あるじぶり禮儀いやなかりしは、かの信時がこばめるゆゑなり。願ふは和殿わどの、城をいでて、短兵急たんへいきうせめかゝれ。信時は野猪武者ゐのしゝむしや也、敵を見て思慮もなく、一陣に進んず。そのとき景連後陣ごぢんより、さしはさみてこれをうたば、信時を手取てとりにせん事、たなそこを返すごとけん。狐疑こぎして大事だいじあやまち給ふな。をさ〳〵回いらへまつ』といへり。しかれども氏元は、敵のはかりことにもや、と思ひしかば、佻々かろかろしく從はず、使者の往返度わうへんたびかさなりて、いつはりならず聞えにければ、さは信時をうたんとて、安西にてふじ合せ、ふりふらずみ五月雨さみだれの、黑白あやめもわかぬ暗夜くらきよに、二百餘騎を引いんぞつし、ばいふくみ、くつわつぐめ、麻呂信時がたむろせる、濱荻はまをぎさく前後ぜんごより、犇々ひしひしおしよせて、ときどつとつくりかけ無二無三むにむざんついる。敵よすべしとはおもひかけなき、麻呂の一陣劇騷あはてさわぎて、つなげる馬にむちあてつるなき弓にをとりそえ紊立みだれたつたるくせなれば、只活路たゞにげみちもとむるのみ、防戰ふせぎたゝかはんとするものなし。そのとき信時聲をはげまし、『たのもしげなきものどもかな。敵はまさしく小勢こぜい也。推包おしつゝんうちとらずや。おとされて前原まへはらなる、安西にわらはれな。うてよ進め』、とはげしくげぢして、眞先まつさきに馬乘出のりいだし、やりりう〳〵とうちふりて、逼入こみい寄手よせて突倒つきたふす。その勢ひはまさこれむらがひつじうちる、猛虎まうこるゝにことならず。士卒はこれにはげまされ、將後陣はたごぢんなる安西が、援來たすけきなんと思ひけん、にげんとしたるきびすめぐらし、唬叫わめきさけびて戰へば、こゝろならずも躬方みかた先鋒せんぢん面外とのかたおひかへされ、みちのぬかりに足もたゝず、すべつまつひきかねたり。當下そのとき杉倉氏元は、まなこいからし、聲をふりたて、『一旦破りし一二のさくを、おひかへさるゝことやはある。名ををしみ、はぢをしるものは、われに續け』、といひあへず、白旄採さいはいとつて腰にさしあぶみを鳴らし、馬を進めて、烏夜やみきらめ長刀なぎなたを、水車みづくるまの如く揮廻ふりまはして、信時にうつかゝれば、かゞりの火ひかりきつと見て、『は氏元。よき敵也。其處そこ退のきそ』、と呼びかけて、やりひねつはたつけば、發石はつしうけてはねかへし、ひけばつけり、すゝめば開き、一上一下いちじやういちげと手を盡す。大將かくのごとくなれば、躬方みかたも敵も遊兵ゆうへいなく、相助あいたすくるにいとまなければ、氏元と信時は、人をまじへず戰ふ程に、信時焦燥いらつつきいだす、やり尖頭ほさきを氏元は、左手ゆんでちやう拂除はらひのけ、おつとおめいて、向上みあぐる所を、長刀なぎなた拿延とりのべて、內兜うちかぶと突入つきいれて、むかふざまに衝落つきおとせば、さしもの信時灸所きうしよ痛手いたでに、得堪えたヘやりを手にもちながら、馬よりだう滾落まろびおつる、音に臣等わくらは見かへりて、とぶがごとくにはせよせて、その頸取くびとつて候」、と言葉せわしく聞えあぐれば、義實つく〳〵とうちきゝて、「氏元がその夜の軍功、賞するにたへたれども、計略足はかりことたらざりけり。景連にはか心裏反うらかへりて、信時をうたする事、そのゆゑなくはあるべからず。夫兩雄それりゃうゆう竝立ならびたゝず。信時景連相與あひともに、われをうつともとみかたずは、必變かならずへんを生ずべし。るを氏元ゆくりなく、安西にそゝのかされて、信時をうちとりしは、躬方みかたの爲に利はなくて、景連が爲になりなん。かの安西はなにとかしつる」、ととはせ給へば蜑崎あまさき十郞、「さ候景連は、そのさり躬方みかたために、征箭一條そやひとすぢ射出いいださず、いつの程にか前原まへはらなる、さく退しりぞきて候」、とこたへまうせば、義實は、あふぎをもつてひぎうち、「しかれば既に景連が、奸計かんけいあらはれたり。わが瀧田をせめしとき、勝敗測はかりかたしといへども、定包さだかね天神地祇あまつかみくにつかみ憎にくませ給ひて、人のゆるさぬ逆賊なり、一旦その利あるに似たるも、始終全しじうまつたからじとは、景連は思ひけん。定包つひ滅亡めつぼうし、義實その地をたもつに及びて、信時は安西がたすけになるべきものならず。只大たゞおほばやりに勇めるのみ、ともに無むぼういくさをせば、もろまけなんことをおそれて、うへには義實と合體して、氏元に信時をうたせ、景連はその虛にじやうじて、平館ひらたて攻落せめおとし、朝夷郡あさひなこふりあはれうして、牛角ごがくの勢ひを張らんとす。うちあふぎはづるゝとも、わが推量はたがはじ」、とその脾肝はいかんすくごとく、いと精細つばらかのたまふ折、氏元が再度の注進ちうしん某乙なにがしをとこはせ參りつ、「信時既にうたれしかば、殘兵頻ざんへいしきりみださわぎて、にぐるをひた追捨おひすてて、氏元は軍兵ぐんびやうを、まとめてやがて東條へ、歸陣して候ひしに、あにおもはんや景連は、はや前原まへはら退しりぞきて、平館ひらたての城を乘取のつとり、麻呂まろ采地朝夷れうぶんあさひな一郡、みなおのが物とせり。狗骨いぬほねをりて、たかとらせし、氏元は勞して功なし。おんせいをさしむけ給はゞ、先せんぢんうけたまはりて、朝夷一郡いへばさらなり、景連が根城ねしろほふりて、このいきどはりはらすべし。このよしまうし給へ」とて、孝吉貞行等に書簡を寄せたり。金碗かなまりも堀內も、こゝに至りてその君の、聰察叡智そうさつゑいち感伏かんふくし、「はやく景連をうち給へ」、と頻りにすゝめ奉れば、義實かうべをうちふりて、「いな安西はうつべからず。われ定包さだかねほろぼせしは、ひとり榮利ゑのりを思ふにあらず、民の塗炭とたんすくはん爲也。さは衆人もろひとのちからによりて、長狹平郡ながさへぐりぬしとなる、こよなきおのさいはひならずや。景連梟雄けうゆうたりといふ共、定包がたぐひにあらず。その底意そこゐはとまれかくまれ、志をわれに寄せ、木曾介氏元が、信時をうつに及びて、かれいちはやく平館なる、城をぬきしをねたしとて、いくさを起し、地を爭ひ、蠻觸ばんしよくさかひに迷ひて、人を殺し民をそこなふ、そはわがせざる所也。景連奸計おこなはれて、平館を取るといへども、なほあきたらで攻來せめくるならば、一時いちじ雌雄しゆうを決すべし。さもなくはさかひまもりて、こゝより手出しすべからず。みなこのむねをこゝろ得よ」、と叮嚀ねんころさとし給へば、孝吉貞行は、さらにもいはず、左右に侍る近習輩きんじゆのともがら、蜑崎等もろ共に、感佩かんはいせざるものもなく、「いにしへの聖賢せいけんも、このうへややはある」、と只顧稱贊ひたすらせうさんしたりける。かくて義實は、手づから氏元に書を給はりて、かれほめかれさとして、安西をうつことをとゞめ、「人の物を取らんとて、わが手許たなもとを忘るゝな。鄙語ことわざにいふ、あくことしらぬ、たかつめさくるかし。籠城ろうぜうほか他事あだしこと、あるべからず」、といましめて、蜑崎十郞等をかへし給ひつ。
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