南総里見八犬伝(021)

南總里見八犬傳第二輯卷之五第二十回
東都 曲亭主人 編次
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一雙いつそう玉兒義ぎよくじぎむす
三尺さんしやく童子どうじこゝろさしのぶ

七歳しちさい小児せうに客路たびぢはゝうしなふ」「犬川衞二が妻」「荘之助」

 信乃しのは庭に人ありて、呼禁よびとゞむるその聲を、聞くといへどもちつと擬議ぎきせず、はやつきたてん、とやいばあぐるに、筋縮すぢつま腕癱麻かひなしびれて、死をすみやかにすることかなはず。「こはくちをし」、といくたびか、しなん〳〵、とするほどに、眞先まつさきに進むものは、是則これすなはち別人ならず、さきにも來つる糠助ぬかすけなり。「吐あなや」とばかり、騷ぐものから、白刃しらはにやおそれけん、うしろのかたへ立遶たちめぐりて、矢庭やにはに信乃を抱禁いだきとむれば、前なるは蟇六龜篠ひきろくかめさゝ、左右よりかひなとりて、いさゝかうごかせず、「まづこのやいばはなてよ」、といへども信乃は手をゆるめず、「おんおもてみしれども、名吿なのりもあはざる伯母君御夫婦、なにとして來ませしぞや」、といはれて龜篠酸鼻なみだぐみ、「心つよき親に似て、そなたもさはいふにやあらん。黃童わらはべなれどもさかしげ也。みづからよくわきまへ給へ。わらははもとより女子をなこの身として、おとゝが所帶をうばへるにあらず。父もおとゝ討死うちしにせし、と風の便りに聞えしころ、せめては親のあとたてん、と思ふばかりに蟇六どのを、むことりつゝさいはひに、庄園せうゑんを給はりて、村長むらおささへになり登りし、夫にとがはなきぞとよ。しかるにおとゝ存命ながらへて、故鄕こけうにかへれど、足蹙あしなへたり。つとめたへざる身を見かへらで、吾儕わなみ夫婦をいといたう、憎みてぜつせし事は、おのが心のひがみにこそ。强顏つれなおとゝと思へども、腐欄くさりてもおよびはきられず。此度こだみ御敎書破卻みきやうしよはきやく越度おちど、いかで親子をすくはん、と心を盡す甲斐かひもなく、番作ははや自殺して、そなたも共にと、衝箚つきつめしは、をさなこゝろに似げなき短慮。しぬるに及ばず。この末を、且聞まづきゝてよ」、といさむれば、蟇六瞼ひきろくまぶたをしばたゝき、「番作が生いきのうちに、わが本來の赤心まこゝろを、しらせざりしは殘念也。せめてその子を養ひとりて、女兒濱路むすめはまぢめあはせなば、先祖の血絡ちすぢ斷絕せず、世にも人にも憎にくまれし、わが身はうしろやすかりなん。やをれ信乃よく聞けかし。御敎書の事、大かたならぬ、越度をちど也とはいひながら、原畜生もとちくせう所爲わざにして、犬はさら也そのぬしたる、番作が命をおとせば、一切つや〳〵後難あるべからず。たとひその子どもらに、おんとがめありといふとも、われまたよろしく申ときなん。さきに糠助が走り來て、|如此々しか〳〵つげしかば、もとより義絕の親族たりとも、自殺のへんきゝながら、なほ讐敵あたかたきの思ひをせんや、と來て見たればこそはからずも、汝が必死をとゞめたれ。はやくやいばをおさめよ」、と言葉をつくせば、糠ぬかすけ共侶もろともいさめけり。
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南総里見八犬伝(020)

南總里見八犬傳第二輯卷之五第十九回
東都 曲亭主人 編次
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龜篠奸計糠助かめさゝかんけいぬかすけすか
番作遠謀孤兒ばんさくゑんぼうみなしごたく


番作ばんさく遺訓いくんしてよるその村雨むらさめ太刀たちゆづる」「しの」「犬塚番作」「帶雨南离楚知春北入燕」「つるき大刀さやかに出る月のまへに/雲きれて行むら雨の空 玄同」

 卻說莊客糠助かくてひやくせうぬかすけは、なまじい信乃しのたすけて、犬を蟇六ひきろく背門せどに追入れ、計りし事は齟齬くひちがひて、犬を失ふのみならず、咎餘とばしりわが身に係らん、と思へばはやくにげかへりて、妻孥やから緣由ことのよしつげ、「もし庄官せうくわんより人來てとはば、らずと答へよ」、といひあへず、奧まりたる處に隱れて、衣引被きぬひきかつぎふして見つ、おきても心安からで、「いかに〳〵」と思ふ程に、果して蟇六ひきろくが小こもの來て、「糠助ぬかすけぬし宿所にありや。我內政わがうちがたよばせ給ふに、とく〳〵」といそがすを、しばしは「在らず」とあざむく物から、使つかひくしの齒をく如く、ふたゝたびに及びしかば、今はのがるゝ路もなし。「さはれ內うちがたよりとかいへば、そのことならじ」、と思へども、思ひかねつゝいでかぬるを、女房にいさめられ、小厮使こものづかひ引立ひきたてられて、やむことを得ず使とゝもに、蟇六が宿所へゆきけり。

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南総里見八犬伝(019)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十八回
東都 曲亭主人 編次
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ふて紀二郎きじらう糠助ぬかすけ屋棟やねいどむ」「犬塚番作」「しの」「ぬか助」

簸川原ひのかはら紀二郞きじらういのちおと
村長宅むらおさやしき與四郞疵よしらうきずかうふ

 應仁おふにんは二年にして、文明ぶんめいと改元せらる。文明二年、信乃しの十一歲、母なくなりて三年みとせ以來このかた、父につかへてます〳〵孝なり。さらぬだに番作ばんさくは、行步ぎやうぶ不自由なるものゝ、はやく鰥夫やもをとなりしより、年々とし〳〵に氣力おとろへ、齡五十よはひいそぢ滿みたずして、齒はぬけかうべ白くなりつ、病煩やみわづらふ日の多かるに、なほ手習子等てらこら集合つどへては、いとかしがましとて手本をとらせず。「さはれ年來としころ衆人もろひとの、扶助たすけによりて親子三人みたりうへこゝへずありけるに、その子孫こうまごをしえずして、たゞわが餘命をむさぼらば、人はたこれをよしといはんや。かゝればさとに利をのこして、彼等が恩義にむくはんには」、とかねてより思ひしかば、やまひひまあるをりをりに、水旱すいかん准備てあて荒年くわうねん夫食ぶしき、すべて農家日用の事をのみのべしるして、是を一卷ひとまきとし、里老等さとのおきならに贈りしかば、みなこれを見て嘆賞し、「犬塚生いぬつかうぢ手迹美事しゆせきみごとに、武藝ぶけいをよくすと思ひしに、農業蠶養こがひのうへまでも、人のしらざる所を得たり。この書は不益ふゑきたまものなり。寫し傳へて祕藏ひざうせよ。まこと可惜士あたらさむらひを、埋木もれきにすることよ」、といはざるものはなかりけり。
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南総里見八犬伝(018)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十七回
東都 曲亭主人 編次
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「思ひくまの人はなか〳〵なきものをあはれに犬のぬしをしりぬる」「犬塚しの」「龜笹」「はま路」

妬忌ときたくましうして蟇六螟蛉ひきろくひとのこをやしなふ
孝心こうしんかたうして信乃曝布しのたきはらひ

 卻說犬塚番作かくていぬつかばんさくは、年來としごろの志願稍遂やゝとげて、男子既をのこゞすで出生しゆつせうし、母も子もいとすくよかに、產室撤うぶやおさむるころにぞなりぬ。「さてちごの名をなにとかよばん」、と女房手束にようばうたつかかたらへば、手束はしばら沈吟うちあんじ、「よに子育こそだてのなきものは、男兒をのこゞなればとし、の子には男名をとこなつけて、やしなひたつればつゝがなしとて、如此しかする人もまれにははべり。我夫婦わがふうふさちなくて、男兒三人擧をのこゞみたりまうけしかど、みな殤子みづこにてなくなりたるに、このたびも又男兒をのこゞなれば、一しほ心よはくなりて、想像おもひやりのみせられはべり。この子が十五にならんころまで、女子をなごにしてはぐゝまば、つゝがあらじと思ひ侍り。その心してなつけ給へ」、といへば番作うちほゝみ、「死生めいあり、名のとがならんや。ものいみ多き僻事ひがこと、いとうけがたき筋なれども、おん身が心やりにもならば、に從ふもわろきにあらず。古語に長きをしのといふ。和名妙わめうせう長竿ちやうかんを、しのめとよませし、則是すなはちこれなり。今も穗の長きすゝきを、しのすゝきといふぞかし。しげきすゝきとするは非ならん。わが子の命長かれ、とことほぎのこゝろもて、その名を信乃しのよぶべき。昔われ美濃路みのぢにて、不思議におん身と名吿なのりあひ、信濃路しなのぢにして夫婦となりぬ。しのとしなのとその聲近し。越鳥ゑつちやう南枝なんしすくひ、胡馬こば北風ほくふういばふといへり。たれかそのはじめを忘れん。わが子もし發迹なりいでて、受領じゆれふする事さへあらば、信濃の守護しゆごにもなれかし、と亦祝またことほぎのこゝろにかなへり。この名は甚麼いかに」、とまめたちて、とへ手束たつかきゝあへず、「そはいとめでたき名にはべり。富人とむひと五十日百日いかもゝか、と產室うぶややしなひのよろこびに、さけもり遊ぶ日も多かり。せめてこの子が名ひらきに、かまどの神に神酒獻みきたてまつり、手習子てらこ綿わた弟子をしえこに、ものくはせ給はずや」、といふに番作うち點頭うなづき、「われもかくこそ思ふなれ。とく〳〵」といそがせば、手束はちか媼等うばらやとひて、赤小豆飯あづきいひ芝雜魚しばざこしるなますといそがしく、目つらをつかみ料理して、里の總角等あげまきら召聚會よびつどへもりならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳にくわうぜんはしとりあぐる髻鬟等うなゐらが、顏は隱るゝ親碗おやわんに、子の久後ゆくすゑことぶきの饗應もてなしにみなあきたりて、ひざにこぼれし粒飯つぶいひを、ひらひもあへず、身を起し、よろこびをのべかへるもあり、人より先に草屨わらくつを、穿はか穿はかせじ、とかしましく、𥉉あはて〚目+條〛てかへるも多かりけり。
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南総里見八犬伝(017)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十六回
東都 曲亭主人 編次
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山院さんいん宿しゆくして番作ばんさく手束たつかうたがふ」「菴主蚊牛」「たつか」「大塚番作」

白刃はくじんもと鸞鳳良緣らんほうりやうえんむす
天女てんによやしろ夫妻一子ふさいいつしいの

 卻說大塚番作かくておほつかばんさくは、淺痍あさでなれども一晝夜いちちうやあまたみちを來にければ、疲勞つかれとともにそのきず痛みて、通宵よもすがらいもねられず、まくらにかよふ松の聲、溪澗たにかはの音さわがしく、ぬるとはなしに目睡まどろみけん、紙門隔ふすまこしにうちかたらふ、聲するに驚覺おどろきさめ、枕をそばたて熟聽つら〳〵きけば、およつけたる男の聲也。「されば菴主あんしゆはかへりけん。渠何事かれなにことをいふにかあらん」、と耳をすまして聞く程に、忽地女子たちまちをなこ泣聲なきこゑして、「そはきゝわきなし、むじんなり。衆生濟度しゆぜうさいどは佛のをしえ、よしそれまでにおよばずとも、心をけが破戒はかいの罪、法ころもはぢやいばもて、ころさんとはなさけなし」、といふはまさしく宿貸やどかして、われをとゞめし女をなこなり。「原來菴主さてはあんしゆは破戒の惡僧あくそうかはよ少女をとめを妻にして、彼奴かやつゑば旅人りよじんをとゞめ、ひそかに殺して物をとる、山賊さんぞくきわまれり。たま〳〵君父くんふうらみかへし、恥をきよめ、危難をのがれて、こゝまで來つるに阿容々々おめ〳〵と、われ山賊の手にしなんや。さきにすれば人をせいす。こなたよりうついでみなころしにすべけれ」、と思ひさだめてちつとさわがず、ひそかおきて帶引締ひきしめ、刀を腰に、かゝぐりかゝぐり、紙門ふすまのほとりへしのびよりて、開闔たてつけ間準ひずみより、ことやう闕窺かいまみるに、その年四十あまりの惡僧、手に一挺いつてう菜刀なかたなをふりあげて、女子をなこむかひておどしつすかしつ、いふことさだかに聞えね共、われをうたんず面魂つらたましひ女子をなこはこれをとゞめあへず、かみふりみだしてよゝとなく。害心既に顯然げんぜんたる、爲體ていたらくに番作は、いさゝかも疑はず、紙門ふすまちやうひらきて、庖湢くりやのかたへ跳出おどりいで、「山賊われを殺さん。われまづなんぢを殺すべし」、とのゝしりあへずとびかゝれば、惡僧おはきにうち驚き、もつたるやいばひらめかして、きらんとするこぶしの下を、くゞぬけつゝ足をとばして、腰眼ゐのめのあたりをはたる。蹴られて前へひよろ〳〵と、五六步いつあしむあし走りいだして、やうやくに踏駐ふみとゞまり、ふりかへつてつきかくるを、右へ流し、左へ、すべらし、數回あまたゝびかけ、なやまして、疲勞つかるゝ處をつけ入りて、つひやいはをうち落せば、惡僧いよ〳〵こゝろあはてて、にげんとすれば、番作は、莱刀なかたな手ばやくとりあげて、「賊僧天罰思ひしれ」、とのゝしる聲ともろともに、あびせかけたる刃の電光いなつま脊條せすぢをふかくつんざいたり。灸所きうしよ痛痍いたでに、霎時しばし得堪えたへず、惡僧は「あつ」と叫びて、たふるゝ胸膈むなさき、とゞめの刀尖きつさきさしつらぬきて引拔ひきぬく莱刀、血をふりたらして、刃をぬぐひ、𥉉あはて〚目+條〛まどひにげも得ず、伏沈ふししづみたる女子をなこむかひて、まなこいからし聲をふりたて、「なんぢ甲夜よひいひめぐみて、一碗いちわんの恩あるに似たり。又賊僧がかへり來て、われを殺さんとするをとゞめし、こは側隱そくいんの心なれども、この賊僧が妻となりて、これまでいくその人を殺せし、これまたしるべからず。さればのがれぬ天のせめすみやか首伏はくでうして、やいばうけよ。いかにぞや」、ととはれてはつかかうべあげ、「その疑ひは情由わけしらぬ、おん身が心のまよひにこそ。わらははもとよりるものならず」、といはせもあへず冷笑あざわらひ、「淺くもことを左右によせて、時を移して小賊等こぬすびとらが、かへるをまちてをとこのために、うらみかへさんと思ふなんぢ胸中きやうちう、われかばかりの倆伎たくみのらんや。つげずはこれもていはせん」、と打晃うちひらめか菜刀なかたなの光と共にとび退しりぞき、「やよまち給へ、いふことあり」、といへ共ゆるさいかり刀尖きつさき何處いづこまでもと夤緣つけまはす、刃頭はさきたてもなよ竹の、雪にをれなん風情ふぜいにて、右手めてのばし、左手ゆんでつき片膝立かたひざたてて身をらし、うしろざまに迯遶にげめぐるを、番作はなほのがさじ、とうてばひらき、拂へば沈み、たゝんとすればいだゞきの上にひらめく氷のやいばのがれかた手をふところへ、さし入るゝひまもなく、きら*んと進む目前まなさきへ、とりいだす一通つきつけて、「これ見て疑ひはらし給へ。きゝわきなや」、と兩の手に、引延ひきのばしたる命毛いのちげの、ふでに示せしその身の素姓すせう、番作とくすかし見て、思はず刃をとり直し、「こゝろ得かたき書狀しよでう名印ないん梵妻賊婦ぼんさいぞくふ艷書欤ゑんじよか、と思ふには似ず勇士の遺書かきおき。やうこそあらめ、その情由わけ語れ」、と身をひらかし、刃を席薦たゝみ突立つきたてて、膝折敷ひざをりしき目守まもりてをり。
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南総里見八犬伝(016)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十五回
東都 曲亭主人 編次
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うらみむくひて番作ばんさく君父くんふ首級くびをかくす」「大塚番作」「にしごり頓二」「牡蛎崎小二郎」

金蓮寺きんれんじ番作讐ばんさくあた
拈華庵ねんげあん手束客たつかたびゝととゞ

前卷既に說訖ときをはる、伏姬富山ふせひめとやまりにしころは、十六さいのときにして、長祿元年ちやうろくぐわんねんの秋なるべし。又金碗入道かなまりにうどうヽ大坊ちゆだいぼうは、嘉吉元年かきつぐわんねんの秋、父孝吉ちゝたかよしが自殺せしとき、既に五歲になりければ、長祿二年富山にて、伏姬自殺のうれひかゝり、にはか出家入道しゆつけにうどうして、雲水うんすいまかしつゝ、斗藪行脚とそうあんぎや首途かどいでせし、このとき廿二歲になりぬ。伏姬は年はつかに、十七にて身まかりたまへば、ヽ大坊はかの姬より、その年才とし五ッの兄なりけり。かくて長祿は三年にして、寬正くわんせうにあらたまり、又六年にして、文正ぶんせうと改元せらる。さはれ元年のみにして、又應仁おふにんと改めらる。これもはづかに二年にして、文明ぶんめいと改元ありけり。應仁の內亂治りて、戎馬じうばひつめあとはらひ、名のみなりけるはなみやこは、もと春邊はるべたちかへり、稍長閑やゝのどやかになりぬるも、このころの事なれば、(文明五年春三月、宗全病そうぜんやみみまかり。五月に至りて勝元も亦病またやみみまかりにき。こゝにおいてそのの合戰、征せずしてやみにけり。これを應仁の兵亂ひやうらんといふ)この年號のみ長久とこしなへに、十八年まで續きけり。こゝに年序ねんじよかゞなふれば、伏姬の事ありて、ヽ大が行脚あんぎや啓行かしまたちせし、前卷長祿二年より、今文明の季年すゑいたりて、無慮すべて二十餘年に及べり。このあはひ犬塚信乃いめづかしのが、未生みせう已前いぜんの事をのぶ。この卷亦復またまた嘉吉におこりて、文明のころに至れり。

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南総里見八犬伝(015)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十四回
東都 曲亭主人 編次
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使女つかひめ急訟はやうちよるみづわたす」「堀内貞行」

のりものとばして使女溪澗つかひめたにかはわたす
しやくならしてヽ大記總ちゆだいずゞたまたづぬ

 かたはらに侍りたる、貞行等さだゆきら伏姬ふせひめの自殺をとゞめあへなくも、插頭かざしの花をちらせしごとく、遺感いかんやるかたなかりけり。そがなか孝德たかのりは、男子をのこにもます姬君ひめきみ末期まつごの一句にはげまされて、身をおくところなかりけん、亡骸なきからのほとりにおちたる、血刀ちかたなを手はやく取て、ふたゝび腹を切らんとす。そのとき義實よしさね聲をふりたて、「やをれ大輔狼狽だいすけうろたへたる。その身に大罪だいざいありながら、君命くんめいまたずして、自害せんとは奇怪きくわいなり。伏姬一旦甦生そせいしたれば、つみ一等いつとうなだむるとも、この山に入るものは、かうベはねんとおきてしものを、法度はつとまげておのがまに〳〵、腹切ることをゆるさんや。觀念せよ」、と進みよりて、やいば引提ひきさげ立給へば、「願ふところ」、と孝德は、なほりて合掌がつせうし、うなぢのばす程もなく、上にきらめく刃の稻妻いなつまちやううつたる大刀風たちかぜに、思ひかけなく孝德が髻弗もとゞりふつ載捨きりすて給へば、「これは」、と見かへる罪人つみひとも、いさめかねたる貞行も、驚き思ふ仁君じんくんの、恩義にいとゞかしこまる。義實は氷なす、やいばをやをら𩋡さやおさめて、たゝえる淚をふり拂ひ、「見よや藏人くらんど、わが手つから、罪人つみひとを刑罰せり。法度はつとは君の制する所、君又これを破るといふ、古人こじん金言宜きんげんむべなるかな。われもし民ともろともに、けふこの山に登りなば、大輔だいすけとがなかるべし。かうべかえたるもとゞりは、かれ亡父ぼうふへ寸志なり。かれをさなき時よりして、名を大輔と喚做よびなせしは、大國輔佐たいこくほさの臣たれ、とその久後ゆくすゑしゆくせしに、わが官職つかさもやうやく進みて、治部大輔ぢぶのたいふ大輔だいすけと、その國訓よみこゑことなれ共、文字もんじはかはらぬ主從同名しゆう〴〵どうめい、かゝるゆゑにやしゆうのうへに、あるべきたゝりを身にうけけん、可惜あたらしき壯佼わかうどが、よに埋木うもれきとならん事、かへす〳〵も不便ふびん也。親八郞は大功あり。大輔も忠なきにあらず。その親といひ、その子といひ、勳功くんこうあれども賞をず、その死に臨み、その罪に、陷るに及びては、主尙しゆうすら救ふによしなき事、わが子にまして哀傷あいしやうの淚はこゝにとゞめかたし。やよ大輔よ、孝德よ。わがこのこゝろをよくも知らば、亡親なきおやの爲、ひめが爲に、いのちをたもち、身を愛し、ほとけにつかへ苦行くぎやうして、高僧知識の名をあげよ。こゝろ得たりや」、と叮嚀ねんころに、さとし給へば孝德たかのりは、かたじけなさにはふりおつる、淚にむせび地にふして、いらへかねつゝ聲をむ。ことわりなれば貞行は、はなうちかみて進みいで、「今にはじめぬ君の仁心じんしん、姬うへの御最期ごさいごには、かごとがましき事もなく、家臣のうへをかくまでに、聞えさせ給ふ事、大輔和殿わとのが身にとりては、一郡いちぐんの守護、萬貫まんぐわんの、祿ろくにもまして滿足ならん」、といはれてやうやくかうべもたげ、「某寔それがしまこと不肖ふせうなれども、如是畜生によぜちくせうだも菩ぼだいれり。今より日本廻國につほんくわいこくして、灵山灵社れいさんれいしやを巡禮し、伏姬君ふせひめきみ後世ごせとふらひ、わが君御父子ごふしの武運を祈らん。姬うへの落命も、又それがし祝髮しゆくはつも、みな八房の犬ゆゑなれば、犬といふ字を二ッにき、犬にも及ばぬ大輔が、大の一字をそがまゝに、ヽ大ちゆだい法名仕ほうめうつかまつらん」、と申上れば義實朝臣よしさねあそん、「あはれいしくも申シたり。くだんの犬は全身みのうちに、黑白八こくびやくやつ斑毛ぶちあれば、八房と名つけしが、今さら思へば八房の、二字は則一戶八方すなはちひとりのしかばねはつはうに至るの義なり。加旃しかのみならず伏姬が自殺の今果いまは痍口きずくちより、一道の白氣はくきたなびき仁義八行じんぎはつこう文字顯もんじあらはれたる、百八の珠閃たまひらめのぼり、文もじなき珠は地におちて、その餘のやつ光明ひかりをはなち、八方へ散亂さんらんして、つひに跡なくなりし事、其所以そのゆゑなくはあるベからず。後々のちのちに至りなば、思ひあはする事もやあらん。菩提ぼだい首途かどで餞別はなむけには、たゞこの珠數ずゞにますものあらじ。努祕藏ゆめひさうせよ入道にうどう」、とさとしてやがたびければ、孝德は手にうけて、再三ふたゝびみたびうちいたゞき、「こはありかたき君のたまもの、今より諸國を編歷へんれきして、飛去とびさりたるやつたまおちたる所をたづねもとめ、はじめのごとくつなぎとめんに、一百八いつひやくはちかず滿みたずは、又當國たうごくたちかへりて、見參げんざんり候はじ。年をるとも音耗おとづれなくは、たびよりたびに野ざらしの、からうへたる犬の腹を、こやしにけりと思召おぼしめされよ。これまこと今生こんぜうのおんわかれに候べし」、と思ひきつてぞ申ける。
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南総里見八犬伝(014)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十三回
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯だいにしゆう巻之二

【本文】
南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯(だいにしゆう巻之二
東都 曲亭主人編次


妙經めうきやう功徳くどく煩惱ぼんなう雲霧うんむひらく」「金まり大すけ」「玉つさ」「神変大菩薩」

尺素ふみのこし因果いんぐわみづからうつたふ
雲霧うんむはらつ妖孽あやしみはじめてやむ

 伏姬ふせひめは思ひかけなく、奇しきわらべ說諭ときさとされて、無明むめう眠覺ねむりさめながら、夢かとぞおもふあととめぬ、人の言葉のあやしきに、なほ疑ひははれなき、淚の雨に敷妙しきたへの、そでは物かははらわたを、しぼるばかりにむせかへり、なげしづませ給ひけり。しかはあれども心操こゝろばえ、人なみ〳〵にたちまさる、日來雄ひころをしき姬うへなれば、うちさわぐ胸をおししづめ、顏にかゝれる黑髮くろかみを、かきあげて目をぬぐひ、「うたてやな前世さきつよに、造りし罪は秤成はかりなす、おもさかろさはしらねども、つひにこの身にむくて、かくまで物を思はする、人のうらみのしうねさよ。遮莫さもあらばあれ親のうへに、かゝるたゝりおひにき、ときゝてはのちのそののちの世まで、捺落ならくの底に沈むとも、くやしと思ふべうもあらず。たゞはづかしく悲しきは、親の爲、又人の爲に、きたなき心もたなくに、なにたねなる畜生ちくせうの、その氣をうけやつの子を、身に宿やどしなばいかにせん。そもこの山に入りにし日より、つるの林のしげきをわき、わしたかねの高きをあふぐ、一念不退讀經いちねんふたいどきやうほかは、よに他事あだしごとなきものから、佛もこゝに救ひ給はず、神さへ助け給はずて、有身みこもれる事じつならば、よしや臥房ふしどを共にせずとも、それいひとか證据あかしはなし。わがうへのみかは親のはぢこゝのつの世をかゆるとも、つひきよむる時しあらで、只畜生たゞちくせうの妻といはれん。いきての恥辱、死してのうらみ、たとふるに物あるべしや。かうとは兎の毛の末におく、つゆばかりだもしらずして、さきに瀧田にをりしとき、犬を殺してもろともに、得死えしなざるこそくやしけれ。しすべきをりはありながら、しにおくれしも業因欤ごういんか。されば善巧方便ぜんこうほうべんとて、ときおかせ給ふなる、佛のふみにもありがたき、因果いんぐわといふもあまりあり。よしやこの子のうまるゝゆゑに、親同胞おやはらからさちありて、家のさかえをませばとて、こよなき恥にやはかえん。悲しきかな」、と聲たてて、かたへの人にものいふごとく、思ひこつてはなか〳〵に、さかしき心も亂れつゝ、忍ぶにたへ繁薄しのすゝき尾花をばなが下にふし給ふ。

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南総里見八犬伝(013)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十二回
東都 曲亭主人 編
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草花さうくわをたづねて伏姫ふせひめ神童かんわらはにあふ」「伏姫」

富山とやまほら畜生菩提心ちくせうぼだいしんおこ
流水ながれさかのぼり神童未來果じんどうみらいくわ

 濁世煩惱色欲界ぢよくせぼんなうしきよくかいたれ五塵ごぢん火宅くわたくのがれん。祇園精舍ぎおんせうしやかねこゑは、諸行无常しよぎやうむじゃうひゞきあれども、あくまで色を好むものは、後朝きぬぎぬの別れををしむがゆゑに、たゞこれをしもあたとし憎にくめり。沙羅雙樹さらそうじゆの花の色は、盛者必衰しやうじゃひつすいことわりをあらはせども、いたづらめづるものは、風雨ふううすぎなんことをねたむがゆゑに、ひとへ延年ゑんねんの春をちぎれり。くわんずれば夢の世、觀ぜざるもまた夢の世に、いづれまぼろしならざりける。思ひうちにあるものは、龍華りうげ三會さんゑふといへども、凡夫出離ぼんぶしゆつり直路ちよくろをしらず。さめて復またさとるものは、虎穴龍潭こけつりうたんりといへども、瑜伽成就ゆかじやうじゆの快けらく多かり。かくまでに世を思ひすてて、富山とやまの奧にふたとせの、春とし秋を送るかな。
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南総里見八犬伝(011)

南總里見八犬傳卷之五第十回
東都 曲亭主人 編次
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一言いちごんまことまもつ伏姫ふせひめ深山しんさん畜生ちくせうともなはる」「金まり大すけ」「伏姫」「やつふさ」

きんおかして孝德一婦人たかのりいつふじんうしな
はらさき伏姬八犬子ふせひめはつけんしはしらす

 義實よしさね夫人五十子おくかたいさらこは、八房やつふさ爲體ていたらくを、人のつぐるに驚きて、もすそかゝげいそがはしく、伏姬のをはします、子舍こざしきへはや來給ひしが、と見れば處陜ところせきまでに、侍女們をんなばら戶口とぐちにをり、治部殿ぢぶどの[義實をいう]もをはしませば、ひめにはつゝがなきものから、親子が中に犬をおきて、問答もんどう最中もなか也。ことはつるまでとて、竊聞たちぎゝしつゝ潸然さめさめと、うちなきてゐましけり。とはしらずして侍女們をんなばらは、いでてゆく犬におそれて、おもはず左右へひらきしかば、交加ゆきかひみちやゝあきて、かくはつべうもあらざれば、走りりつゝ姬うへの、ほとりへ撲地はた伏沈ふししづみ、聲ををしまず泣給へば、義實ははぢらひて、うち見たるのみ物のたまはず。伏姬ふせひめは母のそびらを、なでおろし、又なでおろし、「緣由ことのよしを聞きこしめせし。おん心こゝちはいかにぞや」、となぐさめられて、母うへは、かうべもたげて淚をぬぐひ、「きかずはいかでなげきをせん。なう伏姬、よにも怜悧さかしくましませば、殿との御諚ごでふ表裏うらうへなく、賞罰せうばつの道なほかれとて、名をけがし、身をすて給ふ。そは父うへに孝行なり共、ぜうもとり、そげなば、たれかはこれを譽侍ほめはべる。凡生およそいきとしいけるもの、二親ふたおやならぬもあらざるに、母が歎きをおもはずや。さりとては心つよし。幼稚をさなきときの多病なる、母の苦勞をやうやくに、昔かたりになすまでに、生育おひたち給へば又さらに、見增みま標緻きりやうは、月も花も、及ばぬものをいかなれば、われからその身をにゑにして、くやしとだにもおぼさぬは、あやにまつはるものの、しうねき所爲わざに侍るべし。やよさめ給へ、さめ給へ。年來としころ念ずる神の加護かご、佛の利益りやくもなき世」と、さとしつなきつ、いとせめて、くり返し給ふ母の慈悲ぢひに、伏姬はたへかねし、淚をそで推包おしつゝみ、「しかのたまへば不孝の罪、おもきが上になほ重し。親のなげきもかへりみず、なきのちまでも名をけがす、それかなしまぬに侍らねど、命運めいうんの致す所、まことのがれぬ業因ごういんと、思ひさだめて侍るなる。これみそなはせ」、と左手ゆんでかけたる、珠數ずゞさや〳〵と右手めてに取り、「わらはが幼稚をさなかりしとき、役行者えんのぎやうしや化現けげんとやらん、あやしきおきながとらせしとて、たまはりしより身を放さぬ、この水晶すいせう念珠ねんじゆには、かずとりの玉に文字もじありて、仁義禮智忠信孝悌じんぎれいちちうしんこうていよまれたる。この文字もんじゑれるにあらず、又うるししてかけるにはべらず、自然しぜんせうあらはれけん、年來日來としころひごろ手にふれたれども、磨滅すれうすることなかりしに、景連かげつらが滅びしとき、ゆくりなく見侍れば、仁義の八字はあとなくなりて、ことなる文字もんじになり侍り。このころよりぞ八房が、わらはに懸想けさうし侍るになん。これはた一ッの不思議なる。過世すくせさだま業報欤ごうほうか、と欺くはきのふけふのみならず、そのたでしなばや、と思ひしはいくそたび、手にはやいばをとりながら、いなこの世にして惡業あくごうを、ほろぼずは、のちの世に、うかむよすがはいつまでも、あらしの山にちる花の、みのなるはてを、神と親とに、まかせんものを、とあぢきなき、浮世の秋にあひ侍り。これらのよしをかしこくも、さとり給はゞおんうらみも、忽地散たちまちはれてなか〳〵に、思ひたえさせ給はなん。さてもあまり七年なゝとせの、おん慈愛いつくしみあだにせる、子は子にあらず前世さきのよの、怨敵おんてきならめ、と思食おぼしめして、今目前まのあたりに恩義をたち御勘當ごかんだうなし給はらば、身ひとつにうく恥辱はぢは又、うまん世の爲也、とはかなく賴む彌陀西方みださいほう、佛の御手みて絲薄いとすゝき尾花をばなもとに身をばおくとも、つひ惡業消滅あくごうせうめつせば、うしろやすく果侍はてはべらん。只願たゞねがはしきはこの事のみ。これ見て許させ給ひね」、とさしよせ給ふ珠數ずゞの上に、玉なす淚かずそひて、いづれ百八|煩ぼんなうの、迷ひはとけ母君はゝぎみは、うたがはしげに顏うち熟視まもり、「さまでよしある事ならば、はじめより如此々々しか〳〵、と親にはなどてつげ給はぬ。什麼そもその珠數ずゞあらはれしは、いかなる文字ぞ」、と問給へば、義實「これへ」、ととりよして、うち返し〳〵、つく〴〵と見て嘆息たんそくし、「五十子いさらこ思ひたえ給へ。仁義禮智の文字もんじきえて、あらはれたるは如是畜生によぜちくせう發菩提心ほつぼだいしんの八字なり。これによりて又思ふに、八行五常はつこうごじやうは人にあり、菩提心は一切衆生いつさいしゆせう人畜にんちくともにあらざるなし。かゝれば姬が業因ごういんも、今畜生ちくせうみちびかれて、菩提の道へわけ入らば、のちの世さこそやすからめ。まこと貧賤榮辱ひんせんゑいちよくは、人おの〳〵そのくわあり。姬が三五の春のころより、鄰國りんこくの武士はさら也、彼此をちこち大小名だいせうめうあるひは身の爲、子の爲に、婚緣こんえん募來もとめこしたる、幾人いくたりといふ事をしらねど、われは一切承引つやつやうけひかず。今茲ことし金碗大輔かなまりだいすげを、東條とうでふの城主にして、伏姬をめあはせて、功ありながら賞を辭し、自殺したる、孝たかよしに、むくはばや、と思ひつゝ、言過失ことあやまちて畜生に、愛女あいぢよを許すも、ごうなりいんなり。五十子いさらこは義實を、うらめしとのみ思ひ給はん。たゞこの珠數ずゞの文字を見て、みづからさとり給ひね」、と叮嚀ねんごろに慰めて、ときあかし給へども、はれぬは袖の雨催あまもよひ、聲くもらして泣給ふ。
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