南総里見八犬伝(020)

南總里見八犬傳第二輯卷之五第十九回
東都 曲亭主人 編次
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龜篠奸計糠助かめさゝかんけいぬかすけを賺すかす
番作遠謀孤兒ばんさくゑんぼうみなしごを托たくす


「番作ばんさく遺訓いくんして夜よるその子こに村雨むらさめの太刀たちを授ゆづる」「しの」「犬塚番作」「帶雨南离楚知春北入燕」「つるき大刀さやかに出る月のまへに/雲きれて行むら雨の空 玄同」

 卻說莊客糠助かくてひやくせうぬかすけは、憖なまじいに信乃しのを副たすけて、犬を蟇六ひきろくが背門せどに追入れ、計りし事は齟齬くひちがひて、犬を失ふのみならず、咎餘とばしりわが身に係らん欤か、と思へばはやく逃にげかへりて、妻孥やからに緣由ことのよしを吿つげ、「もし庄官せうくわんより人來て問とはば、在あらずと答へよ」、といひあへず、奧まりたる處に隱れて、衣引被きぬひきかつぎて臥ふして見つ、起おきても心安からで、「いかに〳〵」と思ふ程に、果して蟇六ひきろくが小厮こもの來て、「糠助ぬかすけぬし宿所にありや。我內政わがうちがたの呼よばせ給ふに、とく〳〵」といそがすを、しばしは「在らず」と欺あざむく物から、使つかひは櫛くしの齒を挽ひく如く、再ふたゝび三みたびに及びしかば、今は脫のがるゝ路もなし。「さはれ內政うちがたよりとかいへば、そのことならじ」、と思へども、思ひかねつゝ出いでかぬるを、女房に諫いさめられ、小厮使こものづかひに引立ひきたてられて、已やむことを得ず使とゝもに、蟇六が宿所へゆきけり。

 當下龜篠そのときかめさゝは、子舍こざしきに、糠助を呼人よびいれて、生平つねにはあらぬ莞にこやかに、ほとり近く招きつゝ、まづその安否を訊とひしかば、糠助は些すこしおちゐて、いと蒼あをみたる顏の色、稍淺葱やゝあさぎにぞ復かへりける。且しばらくして龜篠は、傍かたへなる人を遠ざけて、貌かたちを改め聲を低うし、「俄頃にはかにそなたを招くこと、定めてこゝろに覺おぼえあるべし。いかなれば蒙稚わらべを副たすけて、番作が猘犬やまいぬを、村長むらをさの宅地やしきへ追入れ、人を食はませんと謀はかりしぞ。そなたと信乃が棒ばうを曳ひき、背門せどより迯にげて還かへりしを、小厮等こものらに見られしかば、陳ちんするに辭ことばなかるべし。加旃彼犬しかのみならずかのいぬは、この子舍こざしきへ走り入り、是これ見給へ」、と敗やぶれたる、一通の書狀を出いだして、推おしひらきつゝつき著つけて、「かゝる珍ちん事じをしいだしたり。鐮倉の成氏朝臣なりうぢあそん、許我こがへ落おちさせ給ひし後のち、この地の陣代ぢんだい大石ぬしも、兩管領りやくうくわんれいに從ひて、身は鐮倉にをはすれば、兵粮ひやうらうの事などは、わが良人つまに命ぜらる。これらはそなたのよく知るところ、改めていふにあらねども、此度こだみ又鐮倉より、許我の城しろ攻ぜめあるべしとて、こゝへも兵粮ひやうらう催促せられ、管領家くわんれいけの御敎書みぎやうしよに、陣代ぢんだいの下知狀くだしぶみを添そえ給はり、けふしも飛脚到著ひきやくとうちやくせり。これによりてわが良人つまは、この子舍こざしきの塵ちりを掃はらはし、御書拜見ごしよはいけんの折もをり、件くだんの犬が走り入り、四足しそくにかけてかくの如く、ばらりずんと踏裂ふみさいたり。脫のがすべきものならねば、犬には遂つひに鎗やりつけて、數个所すかしよの庇きずを負おはせたれども、猛たけくしてなほ死なず、板屏いたへいの下すそ突破りて、外面とのかたへ迯にげたるが、途みちにて斃たふれしよしを聞きかねば、主ぬしの家にやかへりつらん。御敎書破卻は謀反むほんに等ひとし。畜生法度ちくせうはつとをしらずといふとも、そのぬしは罪科とが脫のがれかたし。いはんや犬を追入れたる、そなたと信乃はいかなるべき。百遍大赦もゝたびたいしやの時にあふとも、助たすかりがたき命ならずや。固もとより覺期かくごありての所爲欤わざか。番作は年來としころより、中わろければ子に分付いひつけて、まさな事ごとをすればとて、そなたは何等なにらの怨うらみありて、身の滅亡めつぼうを見かへらず、よしなし人びとに荷擔かたんして、長をさを倒たふさんとするやらん。憎き人かな」、と怨ゑんずれば、糠助ぬかすけは駭おどろき怕おそれて、冷つめたき汗を流すのみ、今更にいふ所をしらず。且しばらくして頭かうべを擡もたげ、「ゆくりなき越度をちどによりて、おのが命を召めされん事、脫まぬかるべうも候はず。件くだんの犬の事に就つきては、長をさわろかれとて、追入れたるに候はず。然さりとても如此々々しか〳〵、と陳じて免ゆるさるべきにあらねば、大慈大悲だいじだいひを仰ぐのみ。願ふは令政捉撕かみざまとりもちて、吾儕わなみばかりは救ひ給へ。助け給へ」、といふ聲も、枯野かれのの蟲の鳴音なくねより、心細こゝろほそげに口說くどきけり。

 龜篠聞かめさゝきゝて嘆息し、「人の頭かみたるものばかり、よにこゝろ憂きものはなし。好よきも歹わろきも公おほやけの道もてすれば郤なか〳〵に、憎むは人の私わたくしにて、人を惠めば職つとめに缺かけ、職つとめを立たつれば邪慳じやけんに似たり。縡こと一トすぢにするならば、そなたはさらなり番作親子を、犇々ひし〳〵と揇捕からめとり、鐮倉へ牽ひくべけれども、可愛かわいや親の偏僻かたゐぢにて、言一言ことひとこともかけさせぬ、信乃は現在わらはが甥おひ*なり。憎しと思へど番作は、蔓延はしをりからむ弟おとゝなり。そを一朝いちちやうに罪なはし、快愉こゝろよしとするときは、人たるものゝこゝろにあらず。いと痛いたましく悲しくて、怒いかれる夫の袂たもとに携すがり、泣なきつゝ勸解わびてけふ一チ日の、追捕ついほの沙汰さたをとゞめたり。とばかりにしてその罪を、貲あがなはずは脫まぬかれがたし。いかで救すくはん方みちもがな、と人しらぬ胸を苦しめ、いと淺はかなる女子をなごの智惠ちゑには、及およばぬ事をかへす〳〵、念じて僅はつかに便りを得たり。番作が祕藏ひさうせる、村雨むらさめといふ一刀ひとこしは、持氏もちうぢ朝臣あそんのおん佩刀はかせにて、春王君しゆんわうぎみへ讓ゆづらせ給ひし、源家數代げんけすだいの重寶ちやうほうなれば、管領家くわんれいけもよく知食しろしめし、得まほしと思召おぼしめすよし、豫かねてその聞えあり。今彼寶刀かのみたちを鐮倉へ獻たてまつり、件くだんの罪科とがを勸解わび奉らば、そなたのうへに恙つゝがなく、番作親子も赦ゆるされなん。それ將弟はたおとゝが我がを折をりて、蟇六ひきろくどのに手を卑さげずは、誰たれか又この願望ねきごとを、鐮倉へ申上べき。かくまで思ふわらはが誠まことを、なほ僻ひが心こゝろに疑ひて、自滅をとらばせんすべなし。そなたも覺期かくごし給へかし。これらのよしを吿つげんとて、かくは竊ひそかに招きし」、と眞まことしやかに說示ときしめせば、糠助魂たましひわれにかへりて、思はず太き息を吻つき、「言ことうけ給はり候ひぬ。飮食のみくひには他人集あつまり、憂苦うきことには親族聚つどふ、世常言よのことわざはこれあるかな。年來としごろは庇ひを摺すらせ給へど、姉ならず弟おとゝならずは、何人なにひとかこの危窮ききうを救すくはん。君を思ふも身を思ふ、糠助かくて候へは、舌したの根のあらん限り、富婁那ふるなとやらんが辨べんをもて、犬塚いぬつかぬしのこゝろを和やわらげ、縡ことよくとゝのへ候ひなん。そのときには第一番に、僕やつがれを赦ゆるさせ給へ。善は急げといふことあり。はや退まからん」、と立たちあがれば、龜篠かめさゝ「霎時しばし」と引ひきとゞめ、「いふまでにはあらねども、成なるもならぬもけふ一ト日ぞや。長僉議ながせんぎに時を移して、夜よあけて後悔し給ふな」、といへば頻しきりにうち點頭うなつき、「其處そこは勿論女才ちちろんぢよさいなし。こゝろ得て候」、と應いらへもあへず隔亮からかみを、逆手さかてにとりて遽いそがはしく、引開ひきあけんとして推外おしはづし、倒たふれかゝるを見かへらず、迯にぐるがごとく外面とのかたへ、身を橫にして出いでしかば、龜篠「吐嗟あなや」と身を起して、倒たふるゝ隔亮からかみを受うけとゞめ、「さても麁忽そこつの人かな」、と呟つぶやきながら立著たてつくれば、次の間に竊聞たちきゝせる、蟇六ひきろくは杉戶すぎとを開きて、夫婦目と目を注あはしつゝ、莞尒につこと笑えみて、「龜篠欤か」、「わが伕せはことよく聞給ふや。思ふにまして首尾しゆびよし」、といふ聲に目や覺さましけん、臺子だいすのあなたに茶を挽ひきかけて、睡臥ねふりこけたる額藏がくぞうが、又挽ひきいだす臼うすの音に、驚おどろかさるゝあるじ夫婦は、夕立雨ゆふたつあめの雷かみなりに、旅人いそぐ心地こゝちして、密語さゝやきあへずもろ共に、納戶なんどのかたへ隱かくれけり。

 さる程に糠助ぬかすけは、踏む足更さらに地につかず、𥉉あわて〚目+條〛忙ふためきそがまゝに、犬塚いぬつかが宿所に赴おもむき、件くだんの縡ことのはじめより、龜篠がいひつる事を、おちもなくあるじに吿つげ、「童わらべの智惠に誘引いざなはれて、鈍おぞくも事を惹出ひきいだせし、僕やつがれを大人氣おとなけなしとて、叱しかり給はゞ勸解わびもせめ。只勸解たゞわびたりとて免ゆるされかたきは、御敎書みぎやうしよの破損はそんなり。さはれ彼鄙語かのことわざに、地獄にもしる人あれ、といふは寔まことにこの事にて、腹きたなしとのみ思ひし、おん身が姉御前あねごぜの菩薩心ぼさつしん、侄おひ可愛かわいしと思ふ誠まことが、則親之聚憂苦すなはちしんのなきよりにて、吾儕わなみもよき日にあひしなり。我がづよきも事にぞよる。寶は身のさし替かえなり。村長むらをさに手を卑さげたりとて、聊いさゝかも恥にあらず。姉に降くだるは是これ順也。おん身が子とて多くもなし。何事なにごとも子を見かへりて、この一議には折をれ給へ。うけ引ひき給へ」、と手を合あはし、辭ことばを盡して勸すゝむれども、番作騷ばんさくさわぐ氣色けしきなく、つく〴〵と聞果きゝはてて、「御敎書みきやうしよの事實じつならば、驚き思ふも理ことわり也。和殿わどのその一通を、認みとめてかくはいはるゝや」、と問とはれて糠助頭かうべを掻かき、「いなおん身にもしられし如く、吾儕わなみは固もとより無筆むひつなり。御敎書とこそ聞きゝつるが」、といへば番作冷笑あざわらひ、「さればとよ、人の心はさま〳〵にて、測りかたきものぞかし。笑えみの中うちに刃やいばを隱すは、今戰國せんこくの習俗ならひ也。親族也とて心放ゆるさば、臍ほぞを噬かむの悔くひありなん。年來としころは讐敵あたかたきのおもひをしつる姉姉夫あねむこが、猛にはかに弟おとゝをいと惜をしみ、侄おひを愛するはこゝろ得かたし。又その事實じつにして、雨むらさめの刀を出いだし、罪を贖あがなはんと謀はかるとも、赦ゆるされずは、無益むやくの所行わざ也。大刀たちだに出いださば恙つゝがなしとは、何人なにびとが定めしぞや。管領家くわんれいけの沙汰さたならずは、下しもより上かみを計る也。かゝればそれも憑たのみかたし。もし果して謀はかる如く、ゆるさるゝ事もあらば、鐮倉へ牽ひかれて後のちに、大刀たちを進まゐらするとも遲きにあらず。和殿わどののうへはいかばかり、心くるしく思へども、女め々ゝしく子ゆゑに騷屑とりみだして、不覺をとらば武士の暇疵はぢなり。その議には從ひかたし」、といはれて糠助膝ぬかすけひざうち敲たゝき、「いな〳〵それは偏僻かたゐぢなり。疑ふてけふを過すぐさば、後悔其處そこに立たちがたし。親子といへば三人みたりが命、只一口たゞひとふりの大刀たちを出いだして、救はるゝものならば、半晌はんときたりとも速きがよし。縲絏なはめの恥に妻子を泣なかし、彼此人をちこちびとに指をさゝれ、辛からくして助たすかりては、可惜あたら武士に疵きずが著つく。思ひかへしてうけ引ひき給へ。應おふといふ一聲ひとこゑを、聞かでは宿所へ還かへられず。掌合たなそこあはして拜むは見えずや。心つよし」、とかき口說くどき、縡こと果はつべうもあらざれば、番作ほと〳〵もてあまし、「わが子一人ひとりがうへならば、八劊やつざきにせらるゝとも、人の異見ゐけんを何なんでふきくべき。かくても曉さとらぬ和殿わどのが周章しうせう、只今覺さますに由よしなければ、よく考かむがへて、返答せん。日くれて再び來給へ」、といふに糠助外を見かへり、「背せ門どの柳に緯日よこひが落おつれば、今はや暮るゝに程もなし。夜食過やしよくすぐして又來きなん。もの識しる人は人を謀はかりて、身を得えはからぬ事多かり。あまりに人を疑ふて、糠助さへに殺し給ふな。且退まづまからん」、と片膝かたひざを、立たててやうやく身を起す、足の痿痺しびりを捺さすりあへず、膝步降ゐざりをりたる沓脫くつぬぎの、人の草履ざうりを片足穿かたしはき、片足かたしは穿はかぬ洗走馬はだせうま、憂うきは重荷おもにと夕凍解ゆふいてとけに、趁跛曳ちんはひきつゝかへり去ゆく。

 三月やよひの天そらも冴さえかへる、秩父ちゝぶおろしの夕風ゆふかぜに、「衣きぬめさせん」、と親を思ふ、信乃しのは一室ひとまに手習てならひの机をやがて片かたつけて、花田色はなだいろなる太織ふとおりの、臋中でんちう羽織はをり背うしろより、推おしひろげて父が肩に掛かけ、出居いでゐのかたに掛かけて置おく、行燈あんとうにはや點ともす燈ひの、八隅隈やすみくまなく照てらさねども、庭より明あかき夕月夜ゆふつくよ、まだ息絕いきたえぬ與四郞よしらうを、おぼつかなげにさし覗のぞき、雨戶あまと一枚繰くりかけて、父がほとりに火桶ひをけをよせ、「風がかはりて猛にはかに寒し。日が長ければはやく過すぐせし、夜食の雜炊ざふすい多くもまゐらず、物ほしうなり給はずや」、と問とへば番作頭かうべを掉ふり、「身を動かさでをるものを、三みたびの外ほかに何をか食くふべき。宵越よひごしの雜炊は、せんすべのなきもの也。餘りあらば復またたうべよ。冷ひえなばわろし、溫めよ」、といひつゝ火桶引ひきよせて、はや埋火うつみひを掻起かきおこせば、「いなあまりとては候はず。與四郞にも與あたへしかど、物食ものくふべくも候はず。よしなや犬を救すくはんとて、かゝる難義に及ぶこと、皆是吾儕みなこれわなみが所爲わざ也、と悔くひて詮せんなきことながら、今糠助ぬかすけがいひつるよしも、大人うしの答も彼處かしこにて、詳つばらに聞きゝて候ひき。御敎書みぎやうしよの事實じつならば、禍わざはひ既に遠からじ。固より大人うしははじめより、知召しろしめしたる事ならねば、そはいく遍たびもいひときて、吾身わがみひとつをともかくも、罪なはれん事勿論もちろんなり。覺期究かくごきはめてをりながら、おん行步あしもとも不自由にて、病やむを生平つねなるわが大人うしに、翌あすより誰たれか仕つかふべき。日に〳〵便びんなく朽くちをしく、いとゞ病負やみまけ給はなん。これを思へば不孝の罪、來世こゝのつのよをかゆるとも、贖あがなふに時なかるべし。そもいかなれば父祖三世さんせ、忠義は人に儁すぐれても、實みさへ花さへ埋木うもれきの、浮世に疎うとく月も日も、こゝに照てらさせ給はぬにや。親を思へば惜をしからぬ、露つゆの命いのちもさすがにて、いとをしくこそ候へ」、といひかけて鼻はなをうちかめば、番作は灰かき坦ならす、火箸ひはしを立たてて嘆息し、「禍福くわふく時あり、天なり命めいなり。憾うらむべからず、悲かなしむべからず。やをれ信乃、わが糠助に論さとせしよしを、汝なんぢはよくも聞きかざるや。御敎書みぎやうしよの事は鈍おぞくも謀はかる、彼人々かのひと〳〵の寓言そらごとなり。かばかりの伎倆たくみもて、小兒せうにをば欺あざむくとも、いかでか番作を欺き得ん。こは蟇六ひきろくが姉に誨をしえて、糠助を賺すかしつゝ、寶刀みたちを掠略かすめとらん爲のみ。いと淺あさはかなる所行わざならずや。抑そも〳〵この二十年はたとせ年來このかた、渠かれさま〳〵に心を盡して、村雨むらさめのおん佩刀はかせを、奪うばひとらんとしつること、幾遍いくたびといふをしらず。或あるひは人をかたらひて、利に誘いざなひつゝ、價貴あたひたつとく、彼一刀かのひとこしを買かはんといはせ、或あるひは更闌こうたけ人定しづまりて、牆かきを踰鎖こえとざしを窺うかゞひ、盜ぬすみとらんとせし夜よもあり。渠百計かれひやくけいを施せば、われ又百もゝの備そなへあり。この故ゆゑにその惡念あくねん、今に至いたりて果すによしなく、いと朽くちをしく思ふなるべし。爾しか*るにけふはからずも、渠かれわが犬に傷きずつけて、その鬱胸うつきやうを遣はらすものから、こゝに惡念復また起り、御敎書みぎやうしよ破卻に假托かこつけて、寶刀みたちをとらんず奸計わるたくみは、鏡に寫して照みるごとし。抑年來そも〳〵としころ蟇六が、望のぞみを寶刀みたちに被かくること、われそのこゝろを猜すいしたり。渠かれわが父の遺跡いせきと稱して、莊官せうくわんにはなりたれども、相傳さうでんの家譜舊錄かふきうろくなし。われもし件くだんの大刀たちをもて、家督かとくを爭はゞ難義なんぎに及およばん。これ一ッ。成氏朝臣沒落なりうぢあそんぼつらくのゝち、この地は既に鐮倉なる、兩管領りやうくわんれいの處分によれり。渠かれは則すなはち管領の、敵方家臣の遺跡にして、舊功舊恩あるものならず。新あらたに微忠びちうを顯あらはさずは、莊園せうゑん永く保ちがたけん。渠かれがおそるゝ二ッ也。よりて村雨の一刀ひとこしを、鐮倉へ進上しんせうし、公私の鬼胎まがつみを祓除はらひのぞきて、心を安くせん爲也。われ既に姉の爲に、その莊園を爭はず。いかでか一口ひとふりの大刀たちを惜をしまん。しかはあれども件くだんの寶刀みたちは、幼君ようくんのおん像見かたみ、亡父の遺命いめい重ければ、この身と共に滅ほろぶとも、姉夫あねむこには贈おくりかたし。又その初はじめ村雨を、成氏朝臣へ進まゐらせざりしは、姉をおもふのゆゑのみならず。春王しゆんわう安王やすわう永壽王ゑいじゆわう、みな持氏もちうぢのおん子なれ共、わが父は春王安王、兩公達りやうきんたちの傅かしつきたり。この兩公達擊うたれ給はゞ、寶刀みたちを君父くんふの像見かたみとして、おん菩提ぼだいを弔とひ奉れ、と親の遺訓を承うけたるのみ、永壽王へ進まゐらせよ、といはれし事はなきぞとよ。われはこの義に仗よるものから、汝なんぢが人となるのちに、件くだんの寶刀みたちを督殿かむどの(左兵衞督成氏さひやうゑのかみなりうぢなり)に、獻たてまつらせて身を立たてさせん、と思ひにければ年あまた、賊ぞくを禦ふせぎて祕ひめおきつ。今宵汝こよひなんぢに讓るべし。見よや」とばかり硯筥すゞりはこなる、刀子こかたなを撈さぐりとり、梁うつばりに釣つりし大竹の、筒つゝを目めかけて丁ちやうと打うてば、釣索弗つりなはふつと打斷うちきつて、筒はそがまゝ磤はたと落おち、兩段ふたつに割れてあらはれ出いづるは、是これ村雨むらさめの寶刀みたち也。番作は遽いそがはしく、錦にしきの嚢ふくろの紐解ひもときかけて、恭うやうやしく額に推おしあて、霎時しばし念じて拔ぬき放はなせば、信乃は間近く居なほりて、鍔根つばもとより刀尖きつさきまで、瞬またゝきもせずうち熟視まもる。煌々くわう〳〵たるかな七星しちせいの文もん、照耀てりかゞやきて三尺さんじやくの氷寒し。露結び、霜凝こりて、半輪はんりんの月かと疑ひ、邪じゃを退しりぞけ、妖ようを治めて、千載せんざいの寶と稱す。唐山もろこしの太阿龍泉たいありうせん、我邦わがくにの拔丸蒔鳩ぬけまるまきはと、小烏鬼丸をがらすおにまるなンどいふとも、是これにはまさじと見えたりける。且しばらくして番作は、刃やいばをやをら𩋡さや〚革+室〛に納め、「信乃この寶刀みたちの奇特きどくをしるや。殺氣を含ふくみて拔放せば、刀尖きつさきより露霤したゝり、讐あたを砍きり、刃やいばに衅ちぬれば、その水ます〳〵濆ほとばしりて、拳こぶしに隨ひ散落さんらくす。譬たとひば彼村雨かのむらさめの、樹杪こすゑを風の拂ふが如し。よりて村雨と名つけらる。これを汝にとらせんに、そのざまにては相應ふさはしからず。髻もとゞりを短くし、今よりして犬塚信乃戍孝もりたかと名吿なのれかし。かねては二八の春をまちて、をとこにせんと思ひしかども、われ宿病しゆくびやうに苦くるしめられ、ながく存命ながらへかたきをしれり。けふ死しなずは翌死あすしなん。よしや霎時しばしは死なでをるとも、今茲ことしの寒暑は心もとなし。只恨たゞうらむ、汝僅はつかに十一歲、孤みなしことならんことを」、といひかけて又嘆息す。親の顏をうち瞻まもり、「こは何事なにことを宣のたまふやらん。縱たとひ多病にましますとも、おん年五十いそぢに滿みち給はず。なんでふさる事候べき。尒しかるをけふよ翌あすよとて、よからぬ祥さがを急いそがせ給ふは、御敎書みきゃうしよの事實じつにして、搦捕からめとらるゝ事あらば、おん身捕とり兵てを引ひきうけて、吾儕わなみを救ひ給はんとの、おん底意したこゝろに候はずや。勿體もつたいなし」、といはせも果はてず、呵々かや〳〵とうち笑ひ、「御敎書の事詐欺たばかりなれば、搦捕からめとらるゝ咎とがもなし。然さりながらわが姉の、詐欺たばかりにもあれ糠助ぬかすけに、汝が事を懇切ねんころに、いひ來こされしこそ幸さいはひなれ。死期しご遠からぬ親が瘦腹やせはら、今面まのあたりにかき切きりて、汝を姉に托たのまんず」、といふにいよ〳〵呆あきれ果はて、「おん言葉とも覺おぼえぬものかな。身親みちかけれども彼かの人々は、大かたならぬ冤家あたなるに、故ゆゑなくおん身を喪うしなひて、冤家あたにその子を寄よさし給ふは、こゝろ得かたく候」、と詰なじれば、父はうち點頭うなつき、「その疑ひは理ことわり也。これぞ則すなはちわが遠謀ゑんぼう、村雨の大刀たちも奪うばゝれず、今より姉の手を借りて、汝なんぢを人と成なさんのみ。とてもかくても存命ながらへかたき、親が自殺は子を肥こやす、苦肉くにくの一計なりとしらずや。わが姉夫婦は利に耽ふけり、恩義をしらぬ性さがなれども、今番作が自殺を聞かば、里人さとひといよゝ長をさを憎みて、集合つどひてその非を訴ふることもやあらん、と阽あやぶむべし。しからんには眞實まめやかに、汝を家に養やしなひとり、實意を示して里人等が、憤いきどほりを解とくなるべし。又この刀寶みたちは姉夫婦が、いかばかりに賺すかすとも、『素より親の遺命いめいあり。人と成なる後許我のちこがへ參りて、督殿かむとのにこそ獻たてまつらめ。この事のみは承引うけひきかたし』、と固く阻こばみて常住坐臥じやうぢうざぐわに、その盜難を禦ふせげかし。寶刀全みたちまつたく蟇六ひきが手に入るにあらずといへども、亦またその家にあるときは、奪ふに易やすしと心放ゆるして、縡急こときうには逼せまるべからず。これを防ぐは汝が智にあり。憖なまじいに寶刀みたちを隱さば、奪うばゝんとする心弛ゆるまず、防ぐといふ共竟つひに略とられん。便是黃叔度すなはちこれくわうしゆくどが、琴を鼓ならして群賊くんぞくを、退しりぞけしといふ謀はかりごとにおなじ。寡兵戍くわへいまもるに堪たへずして、よく敵を疑うたがはせ、危あやうけれども還かへりて安く、九死きうしを出いでて一生いつせうを得んことは、寔まことに大智だいちの德なれば、機に臨み變に應じ、防ふせがばなどか禦ふせがざらん。念じてこれを忘わするべからず。又わが姉夫婦、漸やうやくに、志こゝろさしを改めて、實まことに汝を憐あはれまば、汝も亦誠心またまこゝろもて、仕つかへて養育の恩義に報むくへよ。又その害心已やまずして、遂つひに禦ふせぐに術すべなくは、寶刀みたちを抱いだきて速く去れ。五年七年養やしなはるゝとも、汝は大塚おほつか氏うぢの嫡孫ちやくそんたり。蟇六ひきろくが職祿は、汝が祖父おほぢの賜たまものなり。その祿をもて人となるとも、伯母夫をばむこの恩にはあらず。縱報たとひむくはで去ればとて、それを不義とはいふべからず。これらの理義もおもふべし。謀はかる所かくのごとし。長くもあらぬ餘命を貪むさほり、この期ごを過すぐして後竟のちつひに、病やまひの床ゆかに息絕いきたえなば、伯母も汝を養はず、寶刀みたちも人の手に落おちて、謀はかりし事は畫餠ぐわべいとならん。このおん佩刀はかせは君父くんふの像見かたみ、首陽しゆように蕨わらびを採とらずといへども、二君じくんに仕つかへぬ番作が、最さい期ごにこれを借かり奉りて、奇特きどくを見せん」、と村雨の、寶刀みたちを再びとりあげて、拔放ぬきはなさんとする程に、信乃は𥉉あはて〚目+條〛て拳こぶしに携すがり、「後々のち〳〵まで謀はからせ給ふ、豫かねて覺期かくごのおん自害は、飽あくまで吾儕わなみを思召おぼしめす、おん慈いつくしみをわきまへしらで、禁とゞめ奉るには候はず。よしや難治なんぢの病者いたつきなり共、おのが心の及およばん程、良藥良醫に手を竭つくさせて、看みとり册かしつき奉り、遂つひに屆とゞかぬものならば、うち歎なげきても侍るべし。これは正まさしく見定めたる事とてなきに腹切はらきり給はゞ、人只たゞ狂死とまうさまし。今宵こよひに限ることかは」、といはせも果はてず聲を激はげまし、「虛うつけきことをいふものかな。死すべき時に死しなざれば、死するにもます恥多かり。嘉吉かきつのむかし結城ゆふきにて、得死えしなざりしは君父くんふの爲、蹇あしなへとなりしより、筑摩つくまに三年みとせの僑居たびすまゐ、母の今果いまはにあはざりしは、生いける甲斐かひなき恨うらみなり。それよりして廿年はたとせあまり、なす事もなく偸食とうしよくの民となりつゝ露命ろめいを貪むさぼり、今又子孫しそんのうへを思はで、いつまでか存命ながらふべき。千曳ちびきの石は轉まろばすとも、わが心は轉まろはすべからず。禁とゞむるは不孝也。今にもあれ糠助ぬかすけが來ることあらば妨さまたげせん。其處退そこのかずや」、と敦圉いきまきて、左手ゆんでを伸のばして揉ねぢかへせば、髻斷離もとゞりちぎれ、髮かみさへ紊みだれて、轉輾ふしまろびつゝ携すがりたる、右の拳こぶしを些ちつとも放さず、「おん叱しかりを蒙かうむるとも、この事のみは御みこゝろに、悖もとりて禁とゞめ侍るかし。ゆるさせ給へ」、と涴著しがみつき、刃やいばをとらんと喘逼あせれども、小腕こうでに及およばぬ必死の勢ひ、「放せ〳〵」、と怒いかりの高聲たかごゑ、子はなほ夤緣まつはる一生懸命いつせうけんめい、果はてしなければ番作は、わが子を楚しかと推伏おしふせて、背そびらに尻しりをうちかくる。病衰やみおとろへても勇士の働き、「こは何なにとせん哀かなしや」、と信乃は悶もだへていく遍たびか、反はねかへさんとしつれども、恩義の壓おしに愛著あいぢやくの、枷かせも鐵輪かなわも推居おしすえられて、又せんすべはなかりけり。その隙ひまに番作は、襟えりかきわきて袿衣うへのきぬ、推袒おしはだぬぎて刃やいばを引拔き、右の袂たもとを卷まきそえて、氷なす刀尖きつさきを、腹へぐさと突立つきたてて、こゝろ靜しづかに引遶ひきめぐらせば、さと濆ほとはしる鮮血ちしほの下に、布しかるゝその子は血の淚、親は刃やいばをとり直し、さすがに弱る右の手に、左の拳こぶしもちそえて、吭ふえのあたりを刺さゝんとて、突外つきはづしつゝやうやくに、咽喉のんどを劈つんざき俯うつふしに、仆たふるゝ親と身を起す、信乃も半身韓紅からくれなゐ、そがまゝ父の亡骸なきからに、抱いだき著つきつゝよゝと泣なく、その形勢ありさまは秋寒き、風にはふれし蔦つたもみぢ、更さらに枯木こぼくに寄る如し。


「自殺じさつを决きわめて信乃しの與四郎よしらうを砍きる」「番作」「しの」「亀さゝ」「ひき六」

 浩處かゝるところに糠助ぬかすけは、番作が回答聞いらへきかんとて、暮くれて又來る門庭にはくちに、近つく隨まゝに信乃が泣聲なきこゑ、「縡ことこそあらめ」、と拔足ぬきあしして、且外面まづとのかたより窺うかゞへば、思ひかけなきあるじが自殺に、駭おどろきおそれて舌を卷き、毛骨みのけいよ立齒根たちはのねは合あはず、戰出ふるひいだして留とゞまらぬ、膝ひざを押おさへて裡面うちへは得入えいらず、立たちかへらんと思へども、生平つねにはあらで足重く、誰たれは留とめねどわが腰を、引ひきすえらるゝ心地こゝちしつ、辛からうじて庭門にはくちのあなたへ出いでて息をつき、「先まづはや縡ことの趣おもむきを、長をさに吿つげん」、と裾端折すそはしをりて、飛とぶが似ごとくに走去はせさりけり。

 信乃は淚の曝布たきの絲、くる人ありともしらずして、哽むせかへりつゝ哭なげきしが、さてあるべきにあらざれば、われから心をとり直して、やうやくに頭かうべを擡もたげ、「朽くちをしやわが年の、今四ッ五ッますならば、刃やいばの下に折敷をりしかれて、親をば死しなし奉らじ。聲を限りに泣なけばとて、又夜よとゝもに口說くどけばとて、絕たえてその甲斐かひなき親の、おん爲になるべうもあらず。御遺言ごゆいげんの趣は、耳に留とゞまり腸はらわたに、染渡しみわたりつゝ露ばかりも、背そむくべうは思はねども、錦にしきの嚢ふくろに毒石どくせきを、裹つゝめる如き伯母伯母夫をばをばむこに、養やしなはれん事望のぞましからず。加以謀それのみならずはかられて、寶刀みたちを奪ひとられなば、この身の不覺、なき親へ、申とくべき辭ことばばあらじ。戰場には、父子共侶ふしもろともに、討死うちしにするもの往ま々ゝ多かり。憑たのもしからぬ伯母をよすがに、后すゑおぼつかなき世を渡らば、還かへりて父祖の名をくださん。親ありてこそ憂うきにも堪たへにき。今けふよりして誰たが爲に、百折千磨ひやくせつせんまの艱苦かんくを忍しのばん。御遺言ごゆいげんには稱かなはずとも、行步あしもとよわき家尊かぞの大人うし、追著おひつきておん手を引ひき、櫬出しでの山路やまぢをもろ共に、踰こえて母御はゝごにあひ侍らん。嗚呼ああ尒しかなり」、とひとりごち、僅はつかに父が手を放せし、村雨むらさめの大刀たちとり擧あげて、燈ひにさしよせてうち返し、打うちかへし見て、「奇なるかな。水もて洗ひ流せし如く、燒刃やきばに鮮血ちしほを染そめざりけり。親には似ざる信乃が自殺も、このおん佩刀はかせをもてせん事、いと有ありがたし」、と推戴おしいたゞく、折から檐下のきばに藁菰敷わらこもしきて、臥ふしたる犬は深痍ふかでの苦痛、堪たへずや長吠ながほえする聲に、信乃は佶きつと見かへりて、「阿あ、與四郞よしらうはまだ死しなざりけり。彼犬かのいめを獲えてわれ生れ、彼かの犬ゆゑに父を喪うしなふ。そのはじめを聞きゝ、終をはりを思へば、愛すべく又憎むべし。然さりとてもこの畜生ちくせうを、拾すておかん事不便ふびんなり。よに生いきかたきその鎗痍やりきず、通宵よもすがら苦痛をせんより、速すみやかにわが手にかゝれ。畜生が死を促うながすに、かゝる寶刀みたちを穢けがしなば、いとも恐かしこきわざなれども、鮮血ちしほに染そまざる刃やいばの奇特きどく、亦是誰またこれたれが爲に惜をしまん。いでや苦痛を助けて得させん。聞くやいかに」、と問とひかけて、大刀たちを引提ひさげて緣頬えんかはより、閃ひらりと下をりてふり揚あぐる、刃やいばにおそれず與四郞は、やゝ前足を突立つきたてて、項うなぢを伸のばして「こゝを切れ」、といはぬばかりの健氣けなけさに、大刀振たちふりあげし拳こぶしもよわり、「われには年もひとつまして、年來としころ親の養かひたて給ひ、馴なれも狎著なつきし現身うつそみの、いぬをばいかで砍きるべき」、と思ひおもはず躊躇たゆたひしが、「さるにてもこの物ばかり、霎時しばしはかくてをるとても、翌あすを得えまたで息絕いきたえずは、又伯母夫をばむこの手に死しなん。心よわしや。如是畜生によぜちくせう、發菩提心ほつぼだいしん」、と念じつゝ、閃ひらめかす刃やいばの下に、犬の頭かうべは撲地はたと落おち、さと濆ほとはしる鮮血ちしほの勢ひ、五尺の紅絹もみを掛かけたるごとく、激然げきぜんとしてその聲あり。聳然そうぜんとして立沖たちのぼる、中うちに晃きらめく物こそあれ、と左手ゆんでを伸のばして受留うけとむれば、鮮血ちしほの勢ひ衰おとろへて、遂つひに再び濆ほとばしらず。

 信乃は霤したゝる刃の水氣すいきを、袖に拭ぬぐふて遽いそがはしく、𩋡さや〚革+室〛に納めて腰に帶おび、彼砍口かのきりくちより出いでたる物を、濃血拊除のりなでのぞきてつら〳〵見るに、是これなん一顆ひとつの白玉しらたま也。その大おほきさ豆に倍して、紐融ひもとほしの孔あなさへあり。緖締をじめなどいふものならずは、必かならずこれ記總ずゞたまなり。思ひかけなき物にしあれば、こゝろに深く訝いぶかりて、いと明あかかりける月の光りに、さし翳かざしつゝ復また見れば、玉の中うちに一丁ひとつの文字あり、方是まさにこれ孝の字也。現刀げにかたなして鐫ゑれるにあらず、又漆うるしもて書かけるにあらず、造化自然の工たくみに似たれば、小膝こひざを拍うつて感嘆し、「呼あゝ奇なるかなこの白玉。妙めうなりけりこの文字もんじ。われそのよしをしらずといへども、倩つら〳〵思ひ合あはすれば、わが母一子いつしを祈いのりつゝ、瀧たきの川かはよりかへるさに、途みちにこの犬を見て、愛めでて見過みすぐしかたくやありけん、將いて又家路にいそぎ給ふに、現うつゝに神女しんによを目擊し、一顆ひとつの玉を授さづけらるゝを、愆あやまちて受外うけはづし、玉は犬のほとりに輾まろぶを、とらんとて索たづね給ふに、遂に又あることなし。この比ころよりして有身みこもり給ひて、次つぐの年秋のはじめに、吾儕わなみを擧まうけ給ひしとぞ、母の吿つけさせ給ふにてしりぬ。そのゝち家母いろはの長き病著いたつき、佛に神に祝ひつゝ、驗しるしなけれはもしその玉の失うせたる故ゆゑに|年々病とし〳〵やみて、遂に危窮きゝうに至らせ給ふ欤か、いかで索たづねて件くだんの玉を、再び獲えなば母の病著いたつき、順快おこたり給ふ事もや、と望のぞみをこゝに被かけたれども、見もせずそれとしら玉の、求めて出いづべきよしなければ、家母いろははその冬身まかり給ひ、それより三年みとせのこの秋今宵こよひ、家尊かぞの自殺に吾儕わなみさへ、冥土めいどの侶ともと手にかけて、斫るきりにし犬の瘡口きずくちより、不思議に出いづる玉匣たまくしけ、二親ふたおやながら喪うしなひつ、われも覺期かくごの今果いまはに及びて、わが名を表かたとる孝の一字、(信乃が實名なのりは戍孝もりたかなり)定かに見ゆる玉ありとも、六日の菖蒲あやめ十日の菊也。何なににすべき」、とうち腹たてゝ、庭へ發石はつしと投棄なげすつれば、玉はそがまゝ反かへりて、懷ふところへ飛入とびいつたり。怪しと思へど掻撈かゝぐりとりて、又擲なげうてば飛とびかへり、とび返ること三みたびに及べば、呆あきれ果はてて手を叉こまぬき、霎時按しばしあんじてうち點頭うなつき、「この玉寔まことに灵れうあるもの欤か。家母いろはが落し給ひしとき、犬が呑のみたればこそ、十二个年かねんの今に至いたりて、齒牙堅固はなみけんごに、毛の光澤枯つやうせず、その血氣さへ衰おとろへざりしは、腹にこの玉あればなるべし。かゝれば是これ二ッなき、世の重寶ちやうほうにぞあらんずらん。縱隋侯趙璧たとひずいこうちやうへきたりとも、わが命すら惜をしからぬに、寶に惑まよひて死を止とゞまらんや。貴人あてひとの亡骸なきからには、珠を含ふくまし奉る、例ためしはあれど是これも又、寶を瘞うづめて無益むゑきの所爲わざ也。寶刀みたちも玉もわがなき後のちに、人とらば取れ。いざさらば、大人うしに追おひつき奉らん。時移りぬ」、と呟つぶやきて、舊の處にかへりつゝ、父の死骸しがいに推竝おしならび、既に最期かくごの坐ざを占しめて、寶刀みたちを三みたびうち戴いたゞき、まづ諸膚もろはだを推袒おしぬぎつ。と見ればわが左の腕かひなに、大きやかなる痣あざいで來て、形狀牡丹かたちぼたんの花に似たり。「こは什麼そもいかに」、と肱ひぢを曲かゞめて、つら〳〵見つゝ推拭おしぬぐふに、手習てならひの墨すみなどの、苟かりそめに塗つきしにあらず、その色黑き痣なれば、思はず腕かひなをうち搞たゝき、「きのふまでもけふまでも、われにこの痣あることなし。嚮さきには玉が飛とびかへりて、懷ふところに入いりしとき、左の腕かひなへ磤はたと中あたりて、些痛すこしいたみをおぼえしか、それ將痣著はたあざつくべうもあらず。國の傾かたむかんとするときに、くさ〳〵の妖孽あやしみあり。人の死しなんとするときに、又妖怪あやしみを見ることあり、と親のをしえも、漢籍からふみにも、豫かねて見つるは是これなりき。皆是みなこれおのが惑まよひにこそ。死しては土になるものを、痣あざも黑子ほくろも厭いとはんや」、と勇氣撓たゆまぬ稀世きせいの神童じんどう、智惠も言語ことばも古人に愧はぢず。甘羅かんら、孔融こうゆう、幼悟ようごの才さえ、今又こゝにこの子あり。自殺の覺期かくごぞいとをしき。

 春の夜よなれば短くて、はや初夜吿しよやつぐる寺々てら〳〵の鐘も無常の音すなり。信乃は額ひたひの亂髮みだれがみを、かき揚あげて寶刀みたちを手に把とり、「嗚乎ああわれながら後おくれにけり。考妣尊靈一蓮托生こうひそんれいいちれんたくせう、南無阿彌陀佛なむあみだぶつ」、と唱となへつゝ、刃やいばを晃きらりと引拔ひきぬきて、腹を切らんとする程に、忽地たちまち庭の樹蔭こかげより、「やをれ信乃等まて、まち給へ」、といともせわしく呼びかけて、男女なんによ三人ン立たちあらはれ、飛とぶが似ごとくに緣頬えんがはより、齊一ひとしく走り入いりにけり。

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第十九回)

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