南總里見八犬傳第二輯卷之五第十九回
東都 曲亭主人 編次
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龜篠奸計糠助を賺す
番作遠謀孤兒を托す
「番作遺訓して夜その子に村雨の太刀を授」「しの」「犬塚番作」「帶雨南离楚知春北入燕」「つるき大刀さやかに出る月のまへに/雲きれて行むら雨の空 玄同」
卻說莊客糠助は、憖に信乃を副けて、犬を蟇六が背門に追入れ、計りし事は齟齬ひて、犬を失ふのみならず、咎餘わが身に係らん欤、と思へばはやく逃かへりて、妻孥に緣由を吿、「もし庄官より人來て問ば、在らずと答へよ」、といひあへず、奧まりたる處に隱れて、衣引被て臥て見つ、起ても心安からで、「いかに〳〵」と思ふ程に、果して蟇六が小厮來て、「糠助ぬし宿所にありや。我內政の呼せ給ふに、とく〳〵」といそがすを、しばしは「在らず」と欺く物から、使は櫛の齒を挽く如く、再び三たびに及びしかば、今は脫るゝ路もなし。「さはれ內政よりとかいへば、そのことならじ」、と思へども、思ひかねつゝ出かぬるを、女房に諫られ、小厮使に引立られて、已ことを得ず使とゝもに、蟇六が宿所へゆきけり。
當下龜篠は、子舍に、糠助を呼人れて、生平にはあらぬ莞やかに、ほとり近く招きつゝ、まづその安否を訊しかば、糠助は些おちゐて、いと蒼みたる顏の色、稍淺葱にぞ復りける。且して龜篠は、傍なる人を遠ざけて、貌を改め聲を低うし、「俄頃にそなたを招くこと、定めてこゝろに覺あるべし。いかなれば蒙稚を副て、番作が猘犬を、村長の宅地へ追入れ、人を食せんと謀りしぞ。そなたと信乃が棒を曳、背門より迯て還りしを、小厮等に見られしかば、陳するに辭なかるべし。加旃彼犬は、この子舍へ走り入り、是見給へ」、と敗れたる、一通の書狀を出して、推ひらきつゝつき著て、「かゝる珍事をしいだしたり。鐮倉の成氏朝臣、許我へ落させ給ひし後、この地の陣代大石ぬしも、兩管領に從ひて、身は鐮倉にをはすれば、兵粮の事などは、わが良人に命ぜらる。これらはそなたのよく知るところ、改めていふにあらねども、此度又鐮倉より、許我の城攻あるべしとて、こゝへも兵粮催促せられ、管領家の御敎書に、陣代の下知狀を添給はり、けふしも飛脚到著せり。これによりてわが良人は、この子舍の塵を掃し、御書拜見の折もをり、件の犬が走り入り、四足にかけてかくの如く、ばらりずんと踏裂たり。脫すべきものならねば、犬には遂に鎗つけて、數个所の庇を負せたれども、猛してなほ死なず、板屏の下突破りて、外面へ迯たるが、途にて斃れしよしを聞ねば、主の家にやかへりつらん。御敎書破卻は謀反に等し。畜生法度をしらずといふとも、そのぬしは罪科脫れかたし。いはんや犬を追入れたる、そなたと信乃はいかなるべき。百遍大赦の時にあふとも、助りがたき命ならずや。固より覺期ありての所爲欤。番作は年來より、中わろければ子に分付て、まさな事をすればとて、そなたは何等の怨ありて、身の滅亡を見かへらず、よしなし人に荷擔して、長を倒さんとするやらん。憎き人かな」、と怨ずれば、糠助は駭き怕れて、冷き汗を流すのみ、今更にいふ所をしらず。且して頭を擡、「ゆくりなき越度によりて、おのが命を召れん事、脫るべうも候はず。件の犬の事に就ては、長わろかれとて、追入れたるに候はず。然とても如此々々、と陳じて免さるべきにあらねば、大慈大悲を仰ぐのみ。願ふは令政捉撕て、吾儕ばかりは救ひ給へ。助け給へ」、といふ聲も、枯野の蟲の鳴音より、心細げに口說けり。
龜篠聞て嘆息し、「人の頭たるものばかり、よにこゝろ憂きものはなし。好も歹きも公の道もてすれば郤に、憎むは人の私にて、人を惠めば職に缺、職を立れば邪慳に似たり。縡一トすぢにするならば、そなたはさらなり番作親子を、犇々と揇捕、鐮倉へ牽べけれども、可愛や親の偏僻にて、言一言もかけさせぬ、信乃は現在わらはが甥なり。憎しと思へど番作は、蔓延む弟なり。そを一朝に罪なはし、快愉とするときは、人たるものゝこゝろにあらず。いと痛しく悲しくて、怒れる夫の袂に携り、泣つゝ勸解てけふ一チ日の、追捕の沙汰をとゞめたり。とばかりにしてその罪を、貲ずは脫れがたし。いかで救ん方もがな、と人しらぬ胸を苦しめ、いと淺はかなる女子の智惠には、及ぬ事をかへす〳〵、念じて僅に便りを得たり。番作が祕藏せる、村雨といふ一刀は、持氏朝臣のおん佩刀にて、春王君へ讓せ給ひし、源家數代の重寶なれば、管領家もよく知食、得まほしと思召よし、豫てその聞えあり。今彼寶刀を鐮倉へ獻り、件の罪科を勸解奉らば、そなたのうへに恙なく、番作親子も赦されなん。それ將弟が我を折て、蟇六どのに手を卑ずは、誰か又この願望を、鐮倉へ申上べき。かくまで思ふわらはが誠を、なほ僻心に疑ひて、自滅をとらばせんすべなし。そなたも覺期し給へかし。これらのよしを吿んとて、かくは竊に招きし」、と眞しやかに說示せば、糠助魂われにかへりて、思はず太き息を吻き、「言うけ給はり候ひぬ。飮食には他人集り、憂苦には親族聚ふ、世常言はこれあるかな。年來は庇を摺せ給へど、姉ならず弟ならずは、何人かこの危窮を救ん。君を思ふも身を思ふ、糠助かくて候へは、舌の根のあらん限り、富婁那とやらんが辨をもて、犬塚ぬしのこゝろを和げ、縡よくとゝのへ候ひなん。そのときには第一番に、僕を赦させ給へ。善は急げといふことあり。はや退らん」、と立あがれば、龜篠「霎時」と引とゞめ、「いふまでにはあらねども、成もならぬもけふ一ト日ぞや。長僉議に時を移して、夜あけて後悔し給ふな」、といへば頻にうち點頭、「其處は勿論女才なし。こゝろ得て候」、と應もあへず隔亮を、逆手にとりて遽しく、引開んとして推外し、倒れかゝるを見かへらず、迯るがごとく外面へ、身を橫にして出しかば、龜篠「吐嗟」と身を起して、倒るゝ隔亮を受とゞめ、「さても麁忽の人かな」、と呟きながら立著れば、次の間に竊聞せる、蟇六は杉戶を開きて、夫婦目と目を注しつゝ、莞尒と笑て、「龜篠欤」、「わが伕はことよく聞給ふや。思ふにまして首尾よし」、といふ聲に目や覺しけん、臺子のあなたに茶を挽かけて、睡臥たる額藏が、又挽いだす臼の音に、驚さるゝあるじ夫婦は、夕立雨の雷に、旅人いそぐ心地して、密語あへずもろ共に、納戶のかたへ隱れけり。
さる程に糠助は、踏む足更に地につかず、𥉉〚目+條〛忙きそがまゝに、犬塚が宿所に赴き、件の縡のはじめより、龜篠がいひつる事を、おちもなくあるじに吿、「童の智惠に誘引れて、鈍くも事を惹出せし、僕を大人氣なしとて、叱り給はゞ勸解もせめ。只勸解たりとて免されかたきは、御敎書の破損なり。さはれ彼鄙語に、地獄にもしる人あれ、といふは寔にこの事にて、腹きたなしとのみ思ひし、おん身が姉御前の菩薩心、侄可愛しと思ふ誠が、則親之聚憂苦にて、吾儕もよき日にあひしなり。我づよきも事にぞよる。寶は身のさし替なり。村長に手を卑たりとて、聊も恥にあらず。姉に降るは是順也。おん身が子とて多くもなし。何事も子を見かへりて、この一議には折給へ。うけ引給へ」、と手を合し、辭を盡して勸れども、番作騷ぐ氣色なく、つく〴〵と聞果て、「御敎書の事實ならば、驚き思ふも理り也。和殿その一通を、認てかくはいはるゝや」、と問れて糠助頭を掻き、「いなおん身にもしられし如く、吾儕は固より無筆なり。御敎書とこそ聞つるが」、といへば番作冷笑ひ、「さればとよ、人の心はさま〳〵にて、測りかたきものぞかし。笑の中に刃を隱すは、今戰國の習俗也。親族也とて心放さば、臍を噬の悔ありなん。年來は讐敵のおもひをしつる姉姉夫が、猛に弟をいと惜み、侄を愛するはこゝろ得かたし。又その事實にして、雨の刀を出し、罪を贖んと謀るとも、赦されずは、無益の所行也。大刀だに出さば恙なしとは、何人が定めしぞや。管領家の沙汰ならずは、下より上を計る也。かゝればそれも憑みかたし。もし果して謀る如く、ゆるさるゝ事もあらば、鐮倉へ牽れて後に、大刀を進らするとも遲きにあらず。和殿のうへはいかばかり、心くるしく思へども、女々しく子ゆゑに騷屑して、不覺をとらば武士の暇疵なり。その議には從ひかたし」、といはれて糠助膝うち敲き、「いな〳〵それは偏僻なり。疑ふてけふを過さば、後悔其處に立がたし。親子といへば三人が命、只一口の大刀を出して、救はるゝものならば、半晌たりとも速きがよし。縲絏の恥に妻子を泣し、彼此人に指をさゝれ、辛して助りては、可惜武士に疵が著。思ひかへしてうけ引給へ。應といふ一聲を、聞かでは宿所へ還られず。掌合して拜むは見えずや。心つよし」、とかき口說、縡果べうもあらざれば、番作ほと〳〵もてあまし、「わが子一人がうへならば、八劊にせらるゝとも、人の異見を何でふきくべき。かくても曉らぬ和殿が周章、只今覺すに由なければ、よく考て、返答せん。日くれて再び來給へ」、といふに糠助外を見かへり、「背門の柳に緯日が落れば、今はや暮るゝに程もなし。夜食過して又來なん。もの識る人は人を謀りて、身を得はからぬ事多かり。あまりに人を疑ふて、糠助さへに殺し給ふな。且退らん」、と片膝を、立てやうやく身を起す、足の痿痺を捺あへず、膝步降たる沓脫の、人の草履を片足穿き、片足は穿ぬ洗走馬、憂は重荷と夕凍解に、趁跛曳つゝかへり去。
三月の天も冴かへる、秩父おろしの夕風に、「衣めさせん」、と親を思ふ、信乃は一室に手習の机をやがて片つけて、花田色なる太織の、臋中羽織背より、推ひろげて父が肩に掛、出居のかたに掛て置、行燈にはや點す燈の、八隅隈なく照さねども、庭より明き夕月夜、まだ息絕ぬ與四郞を、おぼつかなげにさし覗き、雨戶一枚繰かけて、父がほとりに火桶をよせ、「風がかはりて猛に寒し。日が長ければはやく過せし、夜食の雜炊多くもまゐらず、物ほしうなり給はずや」、と問ば番作頭を掉、「身を動かさでをるものを、三たびの外に何をか食べき。宵越の雜炊は、せんすべのなきもの也。餘りあらば復たうべよ。冷なばわろし、溫めよ」、といひつゝ火桶引よせて、はや埋火を掻起せば、「いなあまりとては候はず。與四郞にも與しかど、物食べくも候はず。よしなや犬を救んとて、かゝる難義に及ぶこと、皆是吾儕が所爲也、と悔て詮なきことながら、今糠助がいひつるよしも、大人の答も彼處にて、詳に聞て候ひき。御敎書の事實ならば、禍既に遠からじ。固より大人ははじめより、知召たる事ならねば、そはいく遍もいひときて、吾身ひとつをともかくも、罪なはれん事勿論なり。覺期究めてをりながら、おん行步も不自由にて、病を生平なるわが大人に、翌より誰か仕ふべき。日に〳〵便なく朽をしく、いとゞ病負給はなん。これを思へば不孝の罪、來世をかゆるとも、贖ふに時なかるべし。そもいかなれば父祖三世、忠義は人に儁れても、實さへ花さへ埋木の、浮世に疎く月も日も、こゝに照させ給はぬにや。親を思へば惜からぬ、露の命もさすがにて、いとをしくこそ候へ」、といひかけて鼻をうちかめば、番作は灰かき坦す、火箸を立て嘆息し、「禍福時あり、天なり命なり。憾べからず、悲むべからず。やをれ信乃、わが糠助に論せしよしを、汝はよくも聞ざるや。御敎書の事は鈍くも謀る、彼人々の寓言なり。かばかりの伎倆もて、小兒をば欺くとも、いかでか番作を欺き得ん。こは蟇六が姉に誨て、糠助を賺しつゝ、寶刀を掠略ん爲のみ。いと淺はかなる所行ならずや。抑この二十年年來、渠さま〳〵に心を盡して、村雨のおん佩刀を、奪ひとらんとしつること、幾遍といふをしらず。或は人をかたらひて、利に誘つゝ、價貴く、彼一刀を買んといはせ、或は更闌人定りて、牆を踰鎖を窺ひ、盜とらんとせし夜もあり。渠百計を施せば、われ又百の備あり。この故にその惡念、今に至て果すによしなく、いと朽をしく思ふなるべし。爾るにけふはからずも、渠わが犬に傷けて、その鬱胸を遣すものから、こゝに惡念復起り、御敎書破卻に假托て、寶刀をとらんず奸計は、鏡に寫して照るごとし。抑年來蟇六が、望を寶刀に被ること、われそのこゝろを猜たり。渠わが父の遺跡と稱して、莊官にはなりたれども、相傳の家譜舊錄なし。われもし件の大刀をもて、家督を爭はゞ難義に及ん。これ一ッ。成氏朝臣沒落のゝち、この地は既に鐮倉なる、兩管領の處分によれり。渠は則管領の、敵方家臣の遺跡にして、舊功舊恩あるものならず。新に微忠を顯さずは、莊園永く保ちがたけん。渠がおそるゝ二ッ也。よりて村雨の一刀を、鐮倉へ進上し、公私の鬼胎を祓除きて、心を安くせん爲也。われ既に姉の爲に、その莊園を爭はず。いかでか一口の大刀を惜ん。しかはあれども件の寶刀は、幼君のおん像見、亡父の遺命重ければ、この身と共に滅ぶとも、姉夫には贈かたし。又その初村雨を、成氏朝臣へ進らせざりしは、姉をおもふのゆゑのみならず。春王安王永壽王、みな持氏のおん子なれ共、わが父は春王安王、兩公達の傅たり。この兩公達擊れ給はゞ、寶刀を君父の像見として、おん菩提を弔奉れ、と親の遺訓を承たるのみ、永壽王へ進らせよ、といはれし事はなきぞとよ。われはこの義に仗ものから、汝が人となるのちに、件の寶刀を督殿(左兵衞督成氏なり)に、獻せて身を立させん、と思ひにければ年あまた、賊を禦ぎて祕おきつ。今宵汝に讓るべし。見よや」とばかり硯筥なる、刀子を撈りとり、梁に釣し大竹の、筒を目かけて丁と打ば、釣索弗と打斷て、筒はそがまゝ磤と落、兩段に割れてあらはれ出るは、是村雨の寶刀也。番作は遽しく、錦の嚢の紐解かけて、恭く額に推あて、霎時念じて拔放せば、信乃は間近く居なほりて、鍔根より刀尖まで、瞬もせずうち熟視る。煌々たるかな七星の文、照耀て三尺の氷寒し。露結び、霜凝て、半輪の月かと疑ひ、邪を退け、妖を治めて、千載の寶と稱す。唐山の太阿龍泉、我邦の拔丸蒔鳩、小烏鬼丸なンどいふとも、是にはまさじと見えたりける。且して番作は、刃をやをら𩋡〚革+室〛に納め、「信乃この寶刀の奇特をしるや。殺氣を含て拔放せば、刀尖より露霤り、讐を砍、刃に衅れば、その水ます〳〵濆りて、拳に隨ひ散落す。譬ば彼村雨の、樹杪を風の拂ふが如し。よりて村雨と名つけらる。これを汝にとらせんに、そのざまにては相應からず。髻を短くし、今よりして犬塚信乃戍孝と名吿れかし。かねては二八の春をまちて、をとこにせんと思ひしかども、われ宿病に苦められ、ながく存命かたきをしれり。けふ死ずは翌死ん。よしや霎時は死なでをるとも、今茲の寒暑は心もとなし。只恨む、汝僅に十一歲、孤とならんことを」、といひかけて又嘆息す。親の顏をうち瞻り、「こは何事を宣ふやらん。縱多病にましますとも、おん年五十に滿給はず。なんでふさる事候べき。尒るをけふよ翌よとて、よからぬ祥を急せ給ふは、御敎書の事實にして、搦捕るゝ事あらば、おん身捕兵を引うけて、吾儕を救ひ給はんとの、おん底意に候はずや。勿體なし」、といはせも果ず、呵々とうち笑ひ、「御敎書の事詐欺なれば、搦捕るゝ咎もなし。然ながらわが姉の、詐欺にもあれ糠助に、汝が事を懇切に、いひ來されしこそ幸なれ。死期遠からぬ親が瘦腹、今面たりにかき切て、汝を姉に托んず」、といふにいよ〳〵呆れ果、「おん言葉とも覺ぬものかな。身親けれども彼人々は、大かたならぬ冤家なるに、故なくおん身を喪ひて、冤家にその子を寄し給ふは、こゝろ得かたく候」、と詰れば、父はうち點頭、「その疑ひは理り也。これぞ則わが遠謀、村雨の大刀も奪れず、今より姉の手を借りて、汝を人と成さんのみ。とてもかくても存命かたき、親が自殺は子を肥す、苦肉の一計なりとしらずや。わが姉夫婦は利に耽り、恩義をしらぬ性なれども、今番作が自殺を聞かば、里人いよゝ長を憎みて、集合てその非を訴ふることもやあらん、と阽むべし。しからんには眞實やかに、汝を家に養とり、實意を示して里人等が、憤を解なるべし。又この刀寶は姉夫婦が、いかばかりに賺すとも、『素より親の遺命あり。人と成る後許我へ參りて、督殿にこそ獻らめ。この事のみは承引かたし』、と固く阻みて常住坐臥に、その盜難を禦げかし。寶刀全く蟇六が手に入るにあらずといへども、亦その家にあるときは、奪ふに易しと心放して、縡急には逼るべからず。これを防ぐは汝が智にあり。憖に寶刀を隱さば、奪んとする心弛ず、防ぐといふ共竟に略れん。便是黃叔度が、琴を鼓して群賊を、退けしといふ謀におなじ。寡兵戍るに堪ずして、よく敵を疑せ、危けれども還て安く、九死を出て一生を得んことは、寔に大智の德なれば、機に臨み變に應じ、防がばなどか禦ざらん。念じてこれを忘るべからず。又わが姉夫婦、漸に、志を改めて、實に汝を憐まば、汝も亦誠心もて、仕て養育の恩義に報へよ。又その害心已ずして、遂に禦ぐに術なくは、寶刀を抱きて速く去れ。五年七年養るゝとも、汝は大塚氏の嫡孫たり。蟇六が職祿は、汝が祖父の賜ものなり。その祿をもて人となるとも、伯母夫の恩にはあらず。縱報はで去ればとて、それを不義とはいふべからず。これらの理義もおもふべし。謀る所かくのごとし。長くもあらぬ餘命を貪り、この期を過して後竟に、病の床に息絕なば、伯母も汝を養はず、寶刀も人の手に落て、謀りし事は畫餠とならん。このおん佩刀は君父の像見、首陽に蕨を採ずといへども、二君に仕ぬ番作が、最期にこれを借奉りて、奇特を見せん」、と村雨の、寶刀を再びとりあげて、拔放さんとする程に、信乃は𥉉〚目+條〛て拳に携り、「後々まで謀せ給ふ、豫て覺期のおん自害は、飽まで吾儕を思召す、おん慈みをわきまへしらで、禁め奉るには候はず。よしや難治の病者なり共、おのが心の及ん程、良藥良醫に手を竭させて、看とり册き奉り、遂に屆ぬものならば、うち歎きても侍るべし。これは正しく見定めたる事とてなきに腹切給はゞ、人只狂死とまうさまし。今宵に限ることかは」、といはせも果ず聲を激し、「虛けきことをいふものかな。死すべき時に死ざれば、死するにもます恥多かり。嘉吉のむかし結城にて、得死ざりしは君父の爲、蹇となりしより、筑摩に三年の僑居、母の今果にあはざりしは、生る甲斐なき恨みなり。それよりして廿年あまり、なす事もなく偸食の民となりつゝ露命を貪り、今又子孫のうへを思はで、いつまでか存命べき。千曳の石は轉すとも、わが心は轉すべからず。禁るは不孝也。今にもあれ糠助が來ることあらば妨せん。其處退ずや」、と敦圉て、左手を伸して揉かへせば、髻斷離れ、髮さへ紊れて、轉輾つゝ携たる、右の拳を些も放さず、「おん叱りを蒙るとも、この事のみは御こゝろに、悖りて禁め侍るかし。ゆるさせ給へ」、と涴著、刃をとらんと喘逼れども、小腕に及ぬ必死の勢ひ、「放せ〳〵」、と怒の高聲、子はなほ夤緣る一生懸命、果しなければ番作は、わが子を楚と推伏て、背に尻をうちかくる。病衰ても勇士の働き、「こは何とせん哀しや」、と信乃は悶ていく遍か、反かへさんとしつれども、恩義の壓に愛著の、枷も鐵輪も推居られて、又せんすべはなかりけり。その隙に番作は、襟かきわきて袿衣、推袒ぎて刃を引拔き、右の袂を卷そえて、氷なす刀尖を、腹へぐさと突立て、こゝろ靜に引遶せば、さと濆る鮮血の下に、布るゝその子は血の淚、親は刃をとり直し、さすがに弱る右の手に、左の拳もちそえて、吭のあたりを刺んとて、突外しつゝやうやくに、咽喉を劈き俯に、仆るゝ親と身を起す、信乃も半身韓紅、そがまゝ父の亡骸に、抱き著つゝよゝと泣、その形勢は秋寒き、風にはふれし蔦もみぢ、更に枯木に寄る如し。
「自殺を决て信乃與四郎を砍る」「番作」「しの」「亀さゝ」「ひき六」
浩處に糠助は、番作が回答聞んとて、暮て又來る門庭に、近つく隨に信乃が泣聲、「縡こそあらめ」、と拔足して、且外面より窺へば、思ひかけなきあるじが自殺に、駭きおそれて舌を卷き、毛骨いよ立齒根は合ず、戰出して留らぬ、膝を押て裡面へは得入らず、立かへらんと思へども、生平にはあらで足重く、誰は留ねどわが腰を、引すえらるゝ心地しつ、辛じて庭門のあなたへ出て息をつき、「先はや縡の趣を、長に吿ん」、と裾端折て、飛が似に走去けり。
信乃は淚の曝布の絲、くる人ありともしらずして、哽かへりつゝ哭きしが、さてあるべきにあらざれば、われから心をとり直して、やうやくに頭を擡、「朽をしやわが年の、今四ッ五ッますならば、刃の下に折敷れて、親をば死し奉らじ。聲を限りに泣ばとて、又夜とゝもに口說ばとて、絕てその甲斐なき親の、おん爲になるべうもあらず。御遺言の趣は、耳に留り腸に、染渡りつゝ露ばかりも、背くべうは思はねども、錦の嚢に毒石を、裹る如き伯母伯母夫に、養れん事望しからず。加以謀られて、寶刀を奪ひとられなば、この身の不覺、なき親へ、申とくべき辭ばあらじ。戰場には、父子共侶に、討死するもの往々多かり。憑しからぬ伯母をよすがに、后おぼつかなき世を渡らば、還て父祖の名をくださん。親ありてこそ憂にも堪にき。今よりして誰が爲に、百折千磨の艱苦を忍ん。御遺言には稱ずとも、行步よわき家尊の大人、追著ておん手を引、櫬出の山路をもろ共に、踰て母御にあひ侍らん。嗚呼尒なり」、とひとりごち、僅に父が手を放せし、村雨の大刀とり擧て、燈にさしよせてうち返し、打かへし見て、「奇なるかな。水もて洗ひ流せし如く、燒刃に鮮血を染ざりけり。親には似ざる信乃が自殺も、このおん佩刀をもてせん事、いと有がたし」、と推戴く、折から檐下に藁菰敷て、臥たる犬は深痍の苦痛、堪ずや長吠する聲に、信乃は佶と見かへりて、「阿、與四郞はまだ死ざりけり。彼犬を獲てわれ生れ、彼犬ゆゑに父を喪ふ。そのはじめを聞、終を思へば、愛すべく又憎むべし。然とてもこの畜生を、拾おかん事不便なり。よに生かたきその鎗痍、通宵苦痛をせんより、速にわが手にかゝれ。畜生が死を促すに、かゝる寶刀を穢しなば、いとも恐きわざなれども、鮮血に染ざる刃の奇特、亦是誰が爲に惜ん。いでや苦痛を助けて得させん。聞くやいかに」、と問かけて、大刀を引提て緣頬より、閃りと下りてふり揚る、刃におそれず與四郞は、やゝ前足を突立て、項を伸して「こゝを切れ」、といはぬばかりの健氣さに、大刀振あげし拳もよわり、「われには年もひとつまして、年來親の養たて給ひ、馴も狎著し現身の、いぬをばいかで砍るべき」、と思ひおもはず躊躇しが、「さるにてもこの物ばかり、霎時はかくてをるとても、翌を得またで息絕ずは、又伯母夫の手に死ん。心よわしや。如是畜生、發菩提心」、と念じつゝ、閃す刃の下に、犬の頭は撲地と落、さと濆る鮮血の勢ひ、五尺の紅絹を掛たるごとく、激然としてその聲あり。聳然として立沖る、中に晃く物こそあれ、と左手を伸して受留れば、鮮血の勢ひ衰へて、遂に再び濆らず。
信乃は霤る刃の水氣を、袖に拭ふて遽しく、𩋡〚革+室〛に納めて腰に帶、彼砍口より出たる物を、濃血拊除てつら〳〵見るに、是なん一顆の白玉也。その大さ豆に倍して、紐融の孔さへあり。緖締などいふものならずは、必これ記總なり。思ひかけなき物にしあれば、こゝろに深く訝りて、いと明かりける月の光りに、さし翳つゝ復見れば、玉の中に一丁の文字あり、方是孝の字也。現刀して鐫れるにあらず、又漆もて書るにあらず、造化自然の工に似たれば、小膝を拍て感嘆し、「呼奇なるかなこの白玉。妙なりけりこの文字。われそのよしをしらずといへども、倩思ひ合すれば、わが母一子を祈つゝ、瀧の川よりかへるさに、途にこの犬を見て、愛て見過しかたくやありけん、將て又家路にいそぎ給ふに、現に神女を目擊し、一顆の玉を授らるゝを、愆て受外し、玉は犬のほとりに輾ぶを、とらんとて索給ふに、遂に又あることなし。この比よりして有身給ひて、次の年秋のはじめに、吾儕を擧給ひしとぞ、母の吿させ給ふにてしりぬ。そのゝち家母の長き病著、佛に神に祝ひつゝ、驗なけれはもしその玉の失たる故に|年々病て、遂に危窮に至らせ給ふ欤、いかで索て件の玉を、再び獲なば母の病著、順快給ふ事もや、と望をこゝに被たれども、見もせずそれとしら玉の、求めて出べきよしなければ、家母はその冬身まかり給ひ、それより三年のこの秋今宵、家尊の自殺に吾儕さへ、冥土の侶と手にかけて、斫るにし犬の瘡口より、不思議に出る玉匣、二親ながら喪ひつ、われも覺期の今果に及びて、わが名を表る孝の一字、(信乃が實名は戍孝なり)定かに見ゆる玉ありとも、六日の菖蒲十日の菊也。何にすべき」、とうち腹たてゝ、庭へ發石と投棄れば、玉はそがまゝ反かへりて、懷へ飛入たり。怪しと思へど掻撈とりて、又擲てば飛かへり、とび返ること三たびに及べば、呆れ果て手を叉き、霎時按じてうち點頭、「この玉寔に灵あるもの欤。家母が落し給ひしとき、犬が呑たればこそ、十二个年の今に至て、齒牙堅固に、毛の光澤枯せず、その血氣さへ衰ざりしは、腹にこの玉あればなるべし。かゝれば是二ッなき、世の重寶にぞあらんずらん。縱隋侯趙璧たりとも、わが命すら惜からぬに、寶に惑ひて死を止まらんや。貴人の亡骸には、珠を含し奉る、例はあれど是も又、寶を瘞て無益の所爲也。寶刀も玉もわがなき後に、人とらば取れ。いざさらば、大人に追つき奉らん。時移りぬ」、と呟きて、舊の處にかへりつゝ、父の死骸に推竝び、既に最期の坐を占て、寶刀を三たびうち戴き、まづ諸膚を推袒つ。と見ればわが左の腕に、大きやかなる痣いで來て、形狀牡丹の花に似たり。「こは什麼いかに」、と肱を曲て、つら〳〵見つゝ推拭ふに、手習の墨などの、苟に塗しにあらず、その色黑き痣なれば、思はず腕をうち搞き、「きのふまでもけふまでも、われにこの痣あることなし。嚮には玉が飛かへりて、懷に入りしとき、左の腕へ磤と中りて、些痛をおぼえしか、それ將痣著べうもあらず。國の傾んとするときに、くさ〳〵の妖孽あり。人の死んとするときに、又妖怪を見ることあり、と親のをしえも、漢籍にも、豫て見つるは是なりき。皆是おのが惑ひにこそ。死しては土になるものを、痣も黑子も厭んや」、と勇氣撓ぬ稀世の神童、智惠も言語も古人に愧ず。甘羅、孔融、幼悟の才、今又こゝにこの子あり。自殺の覺期ぞいとをしき。
春の夜なれば短くて、はや初夜吿る寺々の鐘も無常の音すなり。信乃は額の亂髮を、かき揚て寶刀を手に把り、「嗚乎われながら後れにけり。考妣尊靈一蓮托生、南無阿彌陀佛」、と唱つゝ、刃を晃りと引拔て、腹を切らんとする程に、忽地庭の樹蔭より、「やをれ信乃等、まち給へ」、といともせわしく呼びかけて、男女三人立あらはれ、飛が似に緣頬より、齊一走り入にけり。


