南総里見八犬伝(020)

南總里見八犬傳第二輯卷之五第十九回
東都 曲亭主人 編次
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龜篠奸計糠助かめさゝかんけいぬかすけすか
番作遠謀孤兒ばんさくゑんぼうみなしごたく


番作ばんさく遺訓いくんしてよるその村雨むらさめ太刀たちゆづる」「しの」「犬塚番作」「帶雨南离楚知春北入燕」「つるき大刀さやかに出る月のまへに/雲きれて行むら雨の空 玄同」

 卻說莊客糠助かくてひやくせうぬかすけは、なまじい信乃しのたすけて、犬を蟇六ひきろく背門せどに追入れ、計りし事は齟齬くひちがひて、犬を失ふのみならず、咎餘とばしりわが身に係らん、と思へばはやくにげかへりて、妻孥やから緣由ことのよしつげ、「もし庄官せうくわんより人來てとはば、らずと答へよ」、といひあへず、奧まりたる處に隱れて、衣引被きぬひきかつぎふして見つ、おきても心安からで、「いかに〳〵」と思ふ程に、果して蟇六ひきろくが小こもの來て、「糠助ぬかすけぬし宿所にありや。我內政わがうちがたよばせ給ふに、とく〳〵」といそがすを、しばしは「在らず」とあざむく物から、使つかひくしの齒をく如く、ふたゝたびに及びしかば、今はのがるゝ路もなし。「さはれ內うちがたよりとかいへば、そのことならじ」、と思へども、思ひかねつゝいでかぬるを、女房にいさめられ、小厮使こものづかひ引立ひきたてられて、やむことを得ず使とゝもに、蟇六が宿所へゆきけり。

 當下龜篠そのときかめさゝは、子舍こざしきに、糠助を呼人よびいれて、生平つねにはあらぬにこやかに、ほとり近く招きつゝ、まづその安否をとひしかば、糠助はすこしおちゐて、いとあをみたる顏の色、稍淺葱やゝあさぎにぞかへりける。しばらくして龜篠は、かたへなる人を遠ざけて、かたちを改め聲を低うし、「俄頃にはかにそなたを招くこと、定めてこゝろにおぼえあるべし。いかなれば蒙稚わらべたすけて、番作が猘犬やまいぬを、村長むらをさ宅地やしきへ追入れ、人をはませんとはかりしぞ。そなたと信乃がばうひき背門せどよりにげかへりしを、小厮等こものらに見られしかば、ちんするにことばなかるべし。加旃彼犬しかのみならずかのいぬは、この子舍こざしきへ走り入り、これ見給へ」、とやぶれたる、一通の書狀をいだして、おしひらきつゝつきつけて、「かゝるちんをしいだしたり。鐮倉の成氏朝臣なりうぢあそん許我こがおちさせ給ひしのち、この地の陣代ぢんだい大石ぬしも、兩管領りやくうくわんれいに從ひて、身は鐮倉にをはすれば、兵粮ひやうらうの事などは、わが良人つまに命ぜらる。これらはそなたのよく知るところ、改めていふにあらねども、此度こだみ又鐮倉より、許我のしろぜめあるべしとて、こゝへも兵粮ひやうらう催促せられ、管領家くわんれいけ御敎書みぎやうしよに、陣代ぢんだい下知狀くだしぶみそえ給はり、けふしも飛脚到著ひきやくとうちやくせり。これによりてわが良人つまは、この子舍こざしきちりはらはし、御書拜見ごしよはいけんの折もをり、くだんの犬が走り入り、四足しそくにかけてかくの如く、ばらりずんと踏裂ふみさいたり。のがすべきものならねば、犬にはつひやりつけて、數个所すかしよきずおはせたれども、たけくしてなほ死なず、板屏いたへいすそ突破りて、外面とのかたにげたるが、みちにてたふれしよしをきかねば、ぬしの家にやかへりつらん。御敎書破卻は謀反むほんひとし。畜生法度ちくせうはつとをしらずといふとも、そのぬしは罪科とがのがれかたし。いはんや犬を追入れたる、そなたと信乃はいかなるべき。百遍大赦もゝたびたいしやの時にあふとも、たすかりがたき命ならずや。もとより覺期かくごありての所爲欤わざか。番作は年來としころより、中わろければ子に分付いひつけて、まさなごとをすればとて、そなたは何等なにらうらみありて、身の滅亡めつぼうを見かへらず、よしなしびと荷擔かたんして、をさたふさんとするやらん。憎き人かな」、とゑんずれば、糠助ぬかすけおどろおそれて、つめたき汗を流すのみ、今更にいふ所をしらず。しばらくしてかうべもたげ、「ゆくりなき越度をちどによりて、おのが命をめされん事、まぬかるべうも候はず。くだんの犬の事につきては、をさわろかれとて、追入れたるに候はず。さりとても如此々々しか〳〵、と陳じてゆるさるべきにあらねば、大慈大悲だいじだいひを仰ぐのみ。願ふは令政捉撕かみざまとりもちて、吾儕わなみばかりは救ひ給へ。助け給へ」、といふ聲も、枯野かれのの蟲の鳴音なくねより、心細こゝろほそげに口說くどきけり。

 龜篠聞かめさゝきゝて嘆息し、「人のかみたるものばかり、よにこゝろ憂きものはなし。よきわろきもおほやけの道もてすればなか〳〵に、憎むは人のわたくしにて、人を惠めばつとめかけつとめたつれば邪慳じやけんに似たり。こと一トすぢにするならば、そなたはさらなり番作親子を、犇々ひし〳〵揇捕からめとり、鐮倉へひくべけれども、可愛かわいや親の偏僻かたゐぢにて、言一言ことひとこともかけさせぬ、信乃は現在わらはがおひ*なり。憎しと思へど番作は、蔓延はしをりからおとゝなり。そを一朝いちちやうに罪なはし、快愉こゝろよしとするときは、人たるものゝこゝろにあらず。いといたましく悲しくて、いかれる夫のたもとすがり、なきつゝ勸解わびてけふ一日の、追捕ついほ沙汰さたをとゞめたり。とばかりにしてその罪を、あがなはずはまぬかれがたし。いかですくはみちもがな、と人しらぬ胸を苦しめ、いと淺はかなる女子をなご智惠ちゑには、およばぬ事をかへす〳〵、念じてはつかに便りを得たり。番作が祕藏ひさうせる、村雨むらさめといふ一刀ひとこしは、持氏もちうぢ朝臣あそんのおん佩刀はかせにて、春王君しゆんわうぎみゆづらせ給ひし、源家數代げんけすだい重寶ちやうほうなれば、管領家くわんれいけもよく知食しろしめし、得まほしと思召おぼしめすよし、かねてその聞えあり。今彼寶刀かのみたちを鐮倉へたてまつり、くだん罪科とが勸解わび奉らば、そなたのうへにつゝがなく、番作親子もゆるされなん。それ將弟はたおとゝをりて、蟇六ひきろくどのに手をさげずは、たれか又この願望ねきごとを、鐮倉へ申上べき。かくまで思ふわらはがまことを、なほひがこゝろに疑ひて、自滅をとらばせんすべなし。そなたも覺期かくごし給へかし。これらのよしをつげんとて、かくはひそかに招きし」、とまことしやかに說示ときしめせば、糠助たましひわれにかへりて、思はず太き息をき、「ことうけ給はり候ひぬ。飮食のみくひには他人あつまり、憂苦うきことには親族つどふ、世常言よのことわざはこれあるかな。年來としごろすらせ給へど、姉ならずおとゝならずは、何人なにひとかこの危窮ききうすくはん。君を思ふも身を思ふ、糠助かくて候へは、したの根のあらん限り、富婁那ふるなとやらんがべんをもて、犬塚いぬつかぬしのこゝろをやわらげ、ことよくとゝのへ候ひなん。そのときには第一番に、やつがれゆるさせ給へ。善は急げといふことあり。はや退まからん」、とたちあがれば、龜篠かめさゝ霎時しばし」とひきとゞめ、「いふまでにはあらねども、なるもならぬもけふ一ト日ぞや。長僉議ながせんぎに時を移して、あけて後悔し給ふな」、といへばしきりにうち點頭うなつき、「其處そこ勿論女才ちちろんぢよさいなし。こゝろ得て候」、といらへもあへず隔亮からかみを、逆手さかてにとりていそがはしく、引開ひきあけんとして推外おしはづし、たふれかゝるを見かへらず、にぐるがごとく外面とのかたへ、身を橫にしていでしかば、龜篠「吐嗟あなや」と身を起して、たふるゝ隔亮からかみうけとゞめ、「さても麁忽そこつの人かな」、とつぶやきながら立著たてつくれば、次の間に竊聞たちきゝせる、蟇六ひきろく杉戶すぎとを開きて、夫婦目と目をあはしつゝ、莞尒につこえみて、「龜篠」、「わがはことよく聞給ふや。思ふにまして首尾しゆびよし」、といふ聲に目やさましけん、臺子だいすのあなたに茶をひきかけて、睡臥ねふりこけたる額藏がくぞうが、又ひきいだすうすの音に、おどろかさるゝあるじ夫婦は、夕立雨ゆふたつあめかみなりに、旅人いそぐ心地こゝちして、密語さゝやきあへずもろ共に、納戶なんどのかたへかくれけり。

 さる程に糠助ぬかすけは、踏む足さらに地につかず、𥉉あわて〚目+條〛ふためきそがまゝに、犬塚いぬつかが宿所におもむき、くだんことのはじめより、龜篠がいひつる事を、おちもなくあるじにつげ、「わらべの智惠に誘引いざなはれて、おぞくも事を惹出ひきいだせし、やつがれ大人氣おとなけなしとて、しかり給はゞ勸解わびもせめ。只勸解たゞわびたりとてゆるされかたきは、御敎書みぎやうしよ破損はそんなり。さはれ彼鄙語かのことわざに、地獄にもしる人あれ、といふはまことにこの事にて、腹きたなしとのみ思ひし、おん身が姉御前あねごぜ菩薩心ぼさつしんおひ可愛かわいしと思ふまことが、則親之聚憂苦すなはちしんのなきよりにて、吾儕わなみもよき日にあひしなり。づよきも事にぞよる。寶は身のさしかえなり。村長むらをさに手をさげたりとて、いさゝかも恥にあらず。姉にくだるはこれ順也。おん身が子とて多くもなし。何事なにごとも子を見かへりて、この一議にはをれ給へ。うけひき給へ」、と手をあはし、ことばを盡してすゝむれども、番作騷ばんさくさわ氣色けしきなく、つく〴〵と聞きゝはてて、「御敎書みきやうしよの事じつならば、驚き思ふもことわり也。和殿わどのその一通を、みとめてかくはいはるゝや」、ととはれて糠助頭かうべき、「いなおん身にもしられし如く、吾儕わなみもとより無筆むひつなり。御敎書とこそきゝつるが」、といへば番作冷笑あざわらひ、「さればとよ、人の心はさま〳〵にて、測りかたきものぞかし。えみうちやいばを隱すは、今戰國せんこく習俗ならひ也。親族也とて心放ゆるさば、ほぞかむくひありなん。年來としころ讐敵あたかたきのおもひをしつる姉姉あねむこが、にはかおとゝをいとをしみ、おひを愛するはこゝろ得かたし。又その事じつにして、むらさめの刀をいだし、罪をあがなはんとはかるとも、ゆるされずは、無益むやく所行わざ也。大刀たちだにいださばつゝがなしとは、何人なにびとが定めしぞや。管領家くわんれいけ沙汰さたならずは、しもよりかみを計る也。かゝればそれもたのみかたし。もし果してはかる如く、ゆるさるゝ事もあらば、鐮倉へひかれてのちに、大刀たちまゐらするとも遲きにあらず。和殿わどののうへはいかばかり、心くるしく思へども、しく子ゆゑに騷屑とりみだして、不覺をとらば武士の暇疵はぢなり。その議には從ひかたし」、といはれて糠助膝ぬかすけひざうちたゝき、「いな〳〵それは偏僻かたゐぢなり。疑ふてけふをすぐさば、後悔其處そこたちがたし。親子といへば三みたりが命、只一たゞひとふりの大たちいだして、救はるゝものならば、半晌はんときたりとも速きがよし。縲絏なはめの恥に妻子をなかし、彼此人をちこちびとに指をさゝれ、からくしてたすかりては、可惜あたら武士にきずつく。思ひかへしてうけひき給へ。おふといふ一聲ひとこゑを、聞かでは宿所へかへられず。掌合たなそこあはして拜むは見えずや。心つよし」、とかき口說くどきことはつべうもあらざれば、番作ほと〳〵もてあまし、「わが子一人ひとりがうへならば、八劊やつざきにせらるゝとも、人の異見ゐけんなんでふきくべき。かくてもさとらぬ和殿わどの周章しうせう、只今さますによしなければ、よくかむがへて、返答せん。日くれて再び來給へ」、といふに糠助外を見かへり、「の柳に緯日よこひおつれば、今はや暮るゝに程もなし。夜食過やしよくすぐして又なん。ものる人は人をはかりて、身をはからぬ事多かり。あまりに人を疑ふて、糠助さへに殺し給ふな。且退まづまからん」、と片膝かたひざを、たててやうやく身を起す、足の痿痺しびりさすりあへず、膝步降ゐざりをりたる沓脫くつぬぎの、人の草履ざうり片足穿かたしはき、片足かたし穿はか洗走馬はだせうまうき重荷おもに夕凍解ゆふいてとけに、趁跛曳ちんはひきつゝかへりゆく

 三月やよひそらさえかへる、秩父ちゝぶおろしの夕風ゆふかぜに、「きぬめさせん」、と親を思ふ、信乃しの一室ひとま手習てならひの机をやがてかたつけて、花田色はなだいろなる太織ふとおりの、臋中でんちう羽織はをりうしろより、おしひろげて父が肩にかけ出居いでゐのかたにかけおく行燈あんとうにはやともの、八隅隈やすみくまなくてらさねども、庭よりあか夕月夜ゆふつくよ、まだ息絕いきたえ與四郞よしらうを、おぼつかなげにさしのぞき、雨戶あまと一枚繰くりかけて、父がほとりに火桶ひをけをよせ、「風がかはりてにはかに寒し。日が長ければはやくすぐせし、夜食の雜炊ざふすい多くもまゐらず、物ほしうなり給はずや」、ととへば番作かうべふり、「身を動かさでをるものを、たびのほかに何をかくふべき。宵越よひごしの雜炊は、せんすべのなきもの也。餘りあらばまたたうべよ。ひえなばわろし、溫めよ」、といひつゝ火桶ひきよせて、はや埋火うつみひ掻起かきおこせば、「いなあまりとては候はず。與四郞にもあたへしかど、物食ものくふべくも候はず。よしなや犬をすくはんとて、かゝる難義に及ぶこと、皆是吾儕みなこれわなみ所爲わざ也、とくひせんなきことながら、今糠助ぬかすけがいひつるよしも、大人うしの答も彼處かしこにて、つばらきゝて候ひき。御敎書みぎやうしよの事じつならば、わざはひ既に遠からじ。固より大人うしははじめより、知召しろしめしたる事ならねば、そはいくたびもいひときて、吾身わがみひとつをともかくも、罪なはれん事勿論もちろんなり。覺期究かくごきはめてをりながら、おん行步あしもとも不自由にて、やむ生平つねなるわが大人うしに、あすよりたれつかふべき。日に〳〵便びんなくくちをしく、いとゞ病負やみまけ給はなん。これを思へば不孝の罪、來世こゝのつのよをかゆるとも、あがなふに時なかるべし。そもいかなれば父祖三世さんせ、忠義は人にすぐれても、さへ花さへ埋木うもれきの、浮世にうとく月も日も、こゝにてらさせ給はぬにや。親を思へばをしからぬ、つゆいのちもさすがにて、いとをしくこそ候へ」、といひかけてはなをうちかめば、番作は灰かきならす、火箸ひはしたてて嘆息し、「禍福くわふく時あり、天なりめいなり。うらむべからず、かなしむべからず。やをれ信乃、わが糠助にさとせしよしを、なんぢはよくもきかざるや。御敎書みぎやうしよの事はおぞくもはかる、彼人々かのひと〳〵寓言そらごとなり。かばかりの伎倆たくみもて、小兒せうにをばあざむくとも、いかでか番作を欺き得ん。こは蟇六ひきろくが姉にをしえて、糠助をすかしつゝ、寶刀みたち掠略かすめとらん爲のみ。いとあさはかなる所行わざならずや。そも〳〵この二十年はたとせ年來このかたかれさま〳〵に心を盡して、村雨むらさめのおん佩刀はかせを、うばひとらんとしつること、幾遍いくたびといふをしらず。あるひは人をかたらひて、利にいざなひつゝ、價貴あたひたつとく、彼一刀かのひとこしかはんといはせ、あるひ更闌こうたけしづまりて、かき踰鎖こえとざしうかゞひ、ぬすみとらんとせしもあり。渠百計かれひやくけいを施せば、われ又もゝそなへあり。このゆゑにその惡あくねん、今にいたりて果すによしなく、いとくちをしく思ふなるべし。しか*るにけふはからずも、かれわが犬にきずつけて、その鬱胸うつきやうはらすものから、こゝに惡念また起り、御敎書みぎやうしよ破卻に假托かこつけて、寶刀みたちをとらんず奸計わるたくみは、鏡に寫してるごとし。抑年來そも〳〵としころ蟇六が、のぞみ寶刀みたちかくること、われそのこゝろをすいしたり。かれわが父の遺跡いせきと稱して、莊官せうくわんにはなりたれども、相傳さうでん家譜舊錄かふきうろくなし。われもしくだん大刀たちをもて、家督かとくを爭はゞ難義なんぎおよばん。これ一ッ。成氏朝臣沒落なりうぢあそんぼつらくのゝち、この地は既に鐮倉なる、兩管領りやうくわんれいの處分によれり。かれすなはち管領の、敵方家臣の遺跡にして、舊功舊恩あるものならず。あらた微忠びちうあらはさずは、莊園せうゑん永く保ちがたけん。かれがおそるゝ二ッ也。よりて村雨の一刀ひとこしを、鐮倉へ進上しんせうし、公私の鬼胎まがつみ祓除はらひのぞきて、心を安くせん爲也。われ既に姉の爲に、その莊園を爭はず。いかでか一口ひとふり大刀たちをしまん。しかはあれどもくだん寶刀みたちは、幼君ようくんのおん像見かたみ、亡父の遺命いめい重ければ、この身と共にほろぶとも、姉夫あねむこにはおくりかたし。又そのはじめ村雨を、成氏朝臣へまゐらせざりしは、姉をおもふのゆゑのみならず。春王しゆんわう安王やすわう永壽王ゑいじゆわう、みな持氏もちうぢのおん子なれ共、わが父は春王安王、兩公達りやうきんたちかしつきたり。この兩公達うたれ給はゞ、寶刀みたちを君くんふ像見かたみとして、おん菩提ぼだいとひ奉れ、と親の遺訓をうけたるのみ、永壽王へまゐらせよ、といはれし事はなきぞとよ。われはこの義によるものから、なんぢが人となるのちに、くだん寶刀みたち督殿かむどの左兵衞督成氏さひやうゑのかみなりうぢなり)に、たてまつらせて身をたてさせん、と思ひにければ年あまた、ぞくふせぎてひめおきつ。今宵汝こよひなんぢに讓るべし。見よや」とばかり硯筥すゞりはこなる、刀子こかたなさぐりとり、うつばりつりし大竹の、つゝかけてちやううてば、釣索弗つりなはふつ打斷うちきつて、筒はそがまゝはたおち兩段ふたつに割れてあらはれいづるは、これ村雨むらさめ寶刀みたち也。番作はいそがはしく、にしきふくろの紐ひもときかけて、うやうやしく額におしあて、霎時しばし念じてぬきはなせば、信乃は間近く居なほりて、鍔根つばもとより刀尖きつさきまで、またゝきもせずうち熟視まもる。煌々くわう〳〵たるかな七星しちせいもん照耀てりかゞやき三尺さんじやくの氷寒し。露結び、霜こりて、半輪はんりんの月かと疑ひ、じゃ退しりぞけ、ようを治めて、千載せんざいの寶と稱す。唐山もろこし太阿龍泉たいありうせん我邦わがくに拔丸蒔鳩ぬけまるまきはと小烏鬼丸をがらすおにまるどいふとも、これにはまさじと見えたりける。しばらくして番作は、やいばをやをら𩋡さや〚革+室〛に納め、「信乃この寶刀みたち奇特きどくをしるや。殺氣をふくみて拔放せば、刀尖きつさきより露したゝり、あたきりやいばちぬれば、その水ます〳〵ほとばしりて、こぶしに隨ひ散落さんらくす。たとひ彼村雨かのむらさめの、樹杪こすゑを風の拂ふが如し。よりて村雨と名つけらる。これを汝にとらせんに、そのざまにては相應ふさはしからず。もとゞりを短くし、今よりして犬塚信乃戍孝もりたか名吿なのれかし。かねては二八の春をまちて、をとこにせんと思ひしかども、われ宿病しゆくびやうくるしめられ、ながく存命ながらへかたきをしれり。けふしなずは翌死あすしなん。よしや霎時しばしは死なでをるとも、今ことしの寒暑は心もとなし。只恨たゞうらむ、汝はつかに十一歲、みなしことならんことを」、といひかけて又嘆息す。親の顏をうちまもり、「こは何事なにことのたまふやらん。たとひ多病にましますとも、おん年五十いそぢ滿みち給はず。なんでふさる事候べき。しかるをけふよあすよとて、よからぬさがいそがせ給ふは、御敎書みきゃうしよの事じつにして、搦捕からめとらるゝ事あらば、おん身とりひきうけて、吾儕わなみを救ひ給はんとの、おん底意したこゝろに候はずや。勿體もつたいなし」、といはせもはてず、呵々かや〳〵とうち笑ひ、「御敎書の事詐欺たばかりなれば、搦捕からめとらるゝとがもなし。さりながらわが姉の、詐欺たばかりにもあれ糠助ぬかすけに、汝が事を懇切ねんころに、いひされしこそさいはひなれ。死期しご遠からぬ親が瘦腹やせはら、今まのあたりにかききりて、汝を姉にたのまんず」、といふにいよ〳〵あきはて、「おん言葉ともおぼえぬものかな。身親みちかけれどもかの人々は、大かたならぬ冤家あたなるに、ゆゑなくおん身をうしなひて、冤家あたにその子をよさし給ふは、こゝろ得かたく候」、となじれば、父はうち點頭うなつき、「その疑ひはことわり也。これぞすなはちわが遠謀ゑんぼう、村雨の大刀たちうばゝれず、今より姉の手を借りて、なんぢを人とさんのみ。とてもかくても存命ながらへかたき、親が自殺は子をこやす、苦肉くにくの一計なりとしらずや。わが姉夫婦は利にふけり、恩義をしらぬさがなれども、今番作が自殺を聞かば、里人さとひといよゝをさを憎みて、集合つどひてその非を訴ふることもやあらん、とあやぶむべし。しからんには眞實まめやかに、汝を家にやしなひとり、實意を示して里人等が、いきどほりとくなるべし。又この刀寶みたちは姉夫婦が、いかばかりにすかすとも、『素より親の遺命いめいあり。人と後許我のちこがへ參りて、督殿かむとのにこそたてまつらめ。この事のみは承うけひきかたし』、と固くこばみて常住坐臥じやうぢうざぐわに、その盜難をふせげかし。寶刀全みたちまつた蟇六ひきが手に入るにあらずといへども、またその家にあるときは、奪ふにやすしと心ゆるして、縡急こときうにはせまるべからず。これを防ぐは汝が智にあり。なまじいに寶みたちを隱さば、うばゝんとする心ゆるまず、防ぐといふ共つひとられん。便是黃叔度すなはちこれくわうしゆくどが、琴をならして群賊くんぞくを、退しりぞけしといふはかりごとにおなじ。寡兵戍くわへいまもるにたへずして、よく敵をうたがはせ、あやうけれどもかへりて安く、九死きうしいでて一いつせうを得んことは、まこと大智だいちの德なれば、機に臨み變に應じ、ふせがばなどかふせがざらん。念じてこれをわするべからず。又わが姉夫婦、やうやくに、こゝろさしを改めて、まことに汝をあはれまば、汝も亦誠心またまこゝろもて、つかへて養育の恩義にむくへよ。又その害心やまずして、つひふせぐにすべなくは、寶刀みたちいだきて速く去れ。五年七年やしなはるゝとも、汝は大塚おほつかうぢ嫡孫ちやくそんたり。蟇六ひきろくが職祿は、汝が祖父おほぢたまものなり。その祿をもて人となるとも、伯母夫をばむこの恩にはあらず。縱報たとひむくはで去ればとて、それを不義とはいふべからず。これらの理義もおもふべし。はかる所かくのごとし。長くもあらぬ餘命をむさほり、このすぐして後竟のちつひに、やまひゆか息絕いきたえなば、伯母も汝を養はず、寶刀みたちも人の手におちて、はかりし事は畫餠ぐわべいとならん。このおん佩刀はかせ君父くんふ像見かたみ首陽しゆようわらびとらずといへども、二じくんつかへぬ番作が、さいにこれをかり奉りて、奇特きどくを見せん」、と村雨の、寶刀みたちを再びとりあげて、拔放ぬきはなさんとする程に、信乃は𥉉あはて〚目+條〛てこぶしすがり、「後々のち〳〵まではからせ給ふ、かね覺期かくごのおん自害は、あくまで吾儕わなみ思召おぼしめす、おんいつくしみをわきまへしらで、とゞめ奉るには候はず。よしや難治なんぢ病者いたつきなり共、おのが心のおよばん程、良藥良醫に手をつくさせて、とりかしつき奉り、つひとゞかぬものならば、うちなげきても侍るべし。これはまさしく見定めたる事とてなきに腹切はらきり給はゞ、人たゞ狂死とまうさまし。今宵こよひに限ることかは」、といはせもはてず聲をはげまし、「うつけきことをいふものかな。死すべき時にしなざれば、死するにもます恥多かり。嘉吉かきつのむかし結城ゆふきにて、得死えしなざりしは君父くんふの爲、あしなへとなりしより、筑摩つくま三年みとせ僑居たびすまゐ、母の今果いまはにあはざりしは、いけ甲斐かひなきうらみなり。それよりして廿年はたとせあまり、なす事もなく偸食とうしよくの民となりつゝ露命ろめいむさぼり、今又子孫しそんのうへを思はで、いつまでか存命ながらふべき。千曳ちびきの石はまろばすとも、わが心はまろはすべからず。とゞむるは不孝也。今にもあれ糠助ぬかすけが來ることあらばさまたげせん。其處退そこのかずや」、と敦圉いきまきて、左手ゆんでのばしてねぢかへせば、髻斷離もとゞりちぎれ、かみさへみだれて、轉輾ふしまろびつゝすがりたる、右のこぶしちつとも放さず、「おんしかりをかうむるとも、この事のみはこゝろに、もとりてとゞめ侍るかし。ゆるさせ給へ」、と涴著しがみつきやいばをとらんと喘逼あせれども、小腕こうでおよばぬ必死の勢ひ、「放せ〳〵」、といかり高聲たかごゑ、子はなほ夤緣まつは一生懸命いつせうけんめいはてしなければ番作は、わが子をしか推伏おしふせて、そびらしりをうちかくる。病衰やみおとろへても勇士の働き、「こはなにとせんかなしや」、と信乃はもだへていくたびか、はねかへさんとしつれども、恩義のおし愛著あいぢやくの、かせ鐵輪かなわ推居おしすえられて、又せんすべはなかりけり。そのひまに番作は、えりかきわきて袿衣うへのきぬ推袒おしはだぬぎてやいばを引拔き、右のたもとまきそえて、氷なす刀きつさきを、腹へぐさと突立つきたてて、こゝろしづか引遶ひきめぐらせば、さとほとはし鮮血ちしほの下に、しかるゝその子は血の淚、親はやいばをとり直し、さすがに弱る右の手に、左のこぶしもちそえて、ふえのあたりをさゝんとて、突外つきはづしつゝやうやくに、咽喉のんどつんざうつふしに、たふるゝ親と身を起す、信乃も半身韓紅からくれなゐ、そがまゝ父の亡骸なきからに、いだつきつゝよゝとなく、その形ありさまは秋寒き、風にはふれしつたもみぢ、さら枯木こぼくに寄る如し。


自殺じさつきわめ信乃しの與四郎よしらうる」「番作」「しの」「亀さゝ」「ひき六」

 浩處かゝるところ糠助ぬかすけは、番作が回答聞いらへきかんとて、くれて又來る門庭にはくちに、近つくまゝに信乃が泣聲なきこゑ、「ことこそあらめ」、と拔足ぬきあしして、且外面まづとのかたよりうかゞへば、思ひかけなきあるじが自殺に、おどろきおそれて舌を卷き、毛骨みのけいよ立齒根たちはのねあはず、戰出ふるひいだしてとゞまらぬ、ひざおさへ裡面うちへは得えいらず、たちかへらんと思へども、生平つねにはあらで足重く、たれとめねどわが腰を、ひきすえらるゝ心地こゝちしつ、からうじて庭門にはくちのあなたへいでて息をつき、「まづはやことおもむきを、をさつげん」、と裾端折すそはしをりて、とぶごとく走去はせさりけり。

 信乃は淚の曝布たきの絲、くる人ありともしらずして、むせかへりつゝなげきしが、さてあるべきにあらざれば、われから心をとり直して、やうやくにかうべもたげ、「くちをしやわが年の、今四ッ五ッますならば、やいばの下に折敷をりしかれて、親をばしなし奉らじ。聲を限りになけばとて、又とゝもに口說くどけばとて、たえてその甲斐かひなき親の、おん爲になるべうもあらず。御遺言ごゆいげんの趣は、耳にとゞまはらわたに、染渡しみわたりつゝ露ばかりも、そむくべうは思はねども、にしきふくろ毒石どくせきを、つゝめる如き伯母伯母夫をばをばむこに、やしなはれん事のぞましからず。加以謀それのみならずはかられて、寶刀みたちを奪ひとられなば、この身の不覺、なき親へ、申とくべきことばばあらじ。戰場には、父子共侶ふしもろともに、討死うちしにするもの多かり。たのもしからぬ伯母をよすがに、すゑおぼつかなき世を渡らば、かへりて父祖の名をくださん。親ありてこそうきにもたへにき。けふよりしてが爲に、百折千磨ひやくせつせんま艱苦かんくしのばん。御遺言ごゆいげんにはかなはずとも、行步あしもとよわき家尊かぞ大人うし追著おひつきておん手をひき櫬出しで山路やまぢをもろ共に、こえ母御はゝごにあひ侍らん。嗚呼ああしかなり」、とひとりごち、はつかに父が手を放せし、村雨むらさめ大刀たちとりあげて、にさしよせてうち返し、うちかへし見て、「奇なるかな。水もて洗ひ流せし如く、燒刃やきば鮮血ちしほそめざりけり。親には似ざる信乃が自殺も、このおん佩刀はかせをもてせん事、いとありがたし」、と推戴おしいたゞく、折から檐下のきば藁菰敷わらこもしきて、ふしたる犬は深痍ふかでの苦痛、たへずや長吠ながほえする聲に、信乃はきつと見かへりて、「與四郞よしらうはまだしなざりけり。彼犬かのいめてわれ生れ、かの犬ゆゑに父をうしなふ。そのはじめをきゝをはりを思へば、愛すべく又憎むべし。さりとてもこの畜生ちくせうを、すておかん事不便ふびんなり。よにいきかたきその鎗痍やりきず通宵よもすがら苦痛をせんより、すみやかにわが手にかゝれ。畜生が死をうながすに、かゝる寶刀みたちけがしなば、いともかしこきわざなれども、鮮血ちしほそまざるやいば奇特きどく亦是誰またこれたれが爲にをしまん。いでや苦痛を助けて得させん。聞くやいかに」、ととひかけて、大刀たち引提ひさげ緣頬えんかはより、ひらりとりてふりあぐる、やいばにおそれず與四郞は、やゝ前足を突立つきたてて、うなぢのばして「こゝを切れ」、といはぬばかりの健氣けなけさに、大刀振たちふりあげしこぶしもよわり、「われには年もひとつまして、年來としころ親のかひたて給ひ、なれ狎著なつき現身うつそみの、いぬをばいかでるべき」、と思ひおもはず躊躇たゆたひしが、「さるにてもこの物ばかり、霎時しばしはかくてをるとても、あすまたで息絕いきたえずは、又伯母夫をばむこの手にしなん。心よわしや。如是畜生によぜちくせう發菩提心ほつぼだいしん」、と念じつゝ、ひらめかやいばの下に、犬のかうべ撲地はたおち、さとほとはし鮮血ちしほの勢ひ、五尺の紅絹もみかけたるごとく、激然げきぜんとしてその聲あり。聳然そうぜんとして立沖たちのぼる、うちきらめく物こそあれ、と左手ゆんでのばして受留うけとむれば、鮮血ちしほの勢ひおとろへて、つひに再びほとばしらず。

 信乃はしたゝる刃の水氣すいきを、袖にぬぐふていそがはしく、𩋡さや〚革+室〛に納めて腰におび彼砍口かのきりくちよりいでたる物を、濃血拊除のりなでのぞきてつら〳〵見るに、これなん一顆ひとつ白玉しらたま也。そのおほきさ豆に倍して、紐融ひもとほしあなさへあり。緖締をじめなどいふものならずは、かならずこれ記總ずゞたまなり。思ひかけなき物にしあれば、こゝろに深くいぶかりて、いとあかかりける月の光りに、さしかざしつゝまた見れば、玉のうち一丁ひとつの文字あり、方是まさにこれ孝の字也。現げにかたなしてれるにあらず、又うるしもてかけるにあらず、造化自然のたくみに似たれば、小膝こひざうつて感嘆し、「あゝ奇なるかなこの白玉。めうなりけりこの文字もんじ。われそのよしをしらずといへども、つら〳〵思ひあはすれば、わが母一子いつしいのりつゝ、たきかはよりかへるさに、みちにこの犬を見て、めで見過みすぐしかたくやありけん、て又家路にいそぎ給ふに、うつゝ神女しんによを目擊し、一顆ひとつの玉をさづけらるゝを、あやまち受外うけはづし、玉は犬のほとりにまろぶを、とらんとてたづね給ふに、遂に又あることなし。このころよりして有身みこもり給ひて、つぐの年秋のはじめに、吾儕わなみまうけ給ひしとぞ、母のつけさせ給ふにてしりぬ。そのゝち家母いろはの長き病著いたつき、佛に神に祝ひつゝ、しるしなけれはもしその玉のうせたるゆゑに|年々病とし〳〵やみて、遂に危窮きゝうに至らせ給ふ、いかでたづねくだんの玉を、再びなば母の病著いたつき順快おこたり給ふ事もや、とのぞみをこゝにかけたれども、見もせずそれとしら玉の、求めていづべきよしなければ、家母いろははその冬身まかり給ひ、それより三年みとせのこの秋今宵こよひ家尊かぞの自殺に吾儕わなみさへ、冥土めいどともと手にかけて、斫るきりにし犬の瘡口きずくちより、不思議にいづ玉匣たまくしけ二親ふたおやながらうしなひつ、われも覺期かくご今果いまはに及びて、わが名をかたとる孝の一字、(信乃が實名なのり戍孝もりたかなり)定かに見ゆる玉ありとも、六日の菖蒲あやめ十日の菊也。なににすべき」、とうち腹たてゝ、庭へ發石はつし投棄なげすつれば、玉はそがまゝ反かへりて、ふところ飛入とびいつたり。怪しと思へど掻撈かゝぐりとりて、又なげうてばとびかへり、とび返ることたびに及べば、あきはてて手をこまぬき、霎時按しばしあんじてうち點頭うなつき、「この玉まことれうあるもの家母いろはが落し給ひしとき、犬がのみたればこそ、十二个年かねんの今にいたりて、齒牙堅固はなみけんごに、毛の光澤枯つやうせず、その血氣さへおとろへざりしは、腹にこの玉あればなるべし。かゝればこれ二ッなき、世の重寶ちやうほうにぞあらんずらん。縱隋侯趙璧たとひずいこうちやうへきたりとも、わが命すらをしからぬに、寶にまよひて死をとゞまらんや。貴人あてひと亡骸なきからには、珠をふくまし奉る、ためしはあれどこれも又、寶をうづめ無益むゑき所爲わざ也。寶刀みたちも玉もわがなきのちに、人とらば取れ。いざさらば、大人うしおひつき奉らん。時移りぬ」、とつぶやきて、舊の處にかへりつゝ、父の死骸しがい推竝おしならび、既に最期かくごしめて、寶刀みたちたびうちいたゞき、まづ諸膚もろはだ推袒おしぬぎつ。と見ればわが左のかひなに、大きやかなるあざいで來て、形狀牡丹かたちぼたんの花に似たり。「こは什麼そもいかに」、とひぢかゞめて、つら〳〵見つゝ推拭おしぬぐふに、手習てならひすみなどの、かりそめつきしにあらず、その色黑き痣なれば、思はずかひなをうちたゝき、「きのふまでもけふまでも、われにこの痣あることなし。さきには玉がとびかへりて、ふところりしとき、左のかひなはたあたりて、些痛すこしいたみをおぼえしか、それ將痣著はたあざつくべうもあらず。國のかたむかんとするときに、くさ〳〵の妖孽あやしみあり。人のしなんとするときに、又妖怪あやしみを見ることあり、と親のをしえも、漢籍からふみにも、かねて見つるはこれなりき。皆是みなこれおのがまよひにこそ。死しては土になるものを、あざ黑子ほくろいとはんや」、と勇氣たゆま稀世きせい神童じんどう、智惠も言語ことばも古人にはぢず。甘羅かんら孔融こうゆう幼悟ようごさえ、今又こゝにこの子あり。自殺の覺期かくごぞいとをしき。

 春のなれば短くて、はや初夜吿しよやつぐ寺々てら〳〵の鐘も無常の音すなり。信乃はひたひ亂髮みだれがみを、かきあげ寶刀みたちを手にり、「嗚乎ああわれながらおくれにけり。考妣尊靈一蓮托生こうひそんれいいちれんたくせう南無阿彌陀佛なむあみだぶつ」、ととなへつゝ、やいばきらりと引拔ひきぬきて、腹を切らんとする程に、忽地たちまち庭の樹蔭こかげより、「やをれ信乃まて、まち給へ」、といともせわしく呼びかけて、男女なんによたちあらはれ、とぶごとく緣頬えんがはより、齊一ひとしく走りいりにけり。

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第十九回)

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