人生は台詞、全てこの世は舞台(008)

◎ 福田善之「真田風雲録」

 芝居の舞台は、関ヶ原から、大坂冬・夏の陣。芝居が書かれたのは、1962年、時に日本は、「安保闘争」を経て、その「挫折」がかまびすしく言われた時代。この二つの時代を「パラレルワールド」として照応するように作られている。
 芝居は、ミュージカル仕立て、真田十勇士の行進曲「真田隊マーチ」(福田善之作詞、林光作曲)が、芝居を引っ張るように流れてゆく。

〽わッわッわ ずんぱぱッ
織田信長のうたいけり
人間わずか五十年
夢まぼろしのごとくなり
かどうだか 知つちやいないけど
やりてえことをやりてえなわッ
てンで カッコよく 死にてえな ぱッ
んぱ んぱ んぱ ずんぱぱッ

〽わッわッわッ ずんぱぱッ
異国のひじりのたまいぬ
見よや野の百合ゆり空の鳥
明日あしたは明日の風が
かどうだか 知っちやいないけど
生きてる気分になりてえな わッ
てンで イキがって 生きてえな ぱッ
んぱ んぱ んぱ ずんぱぱッ


Youtube での音声動画

 他人の心を読み取る事のできる猿飛佐助は、他の個性あふれる真田十勇士の一人として、活躍するが…

佐助 殿様、私に見えるのは文字じゃない、ことばじゃない。眼を凝らせばやっと見えるなにかぶわぶわと形の定まらないもの、その暗い色あいとひずみの具合調だけなんですよ……その読みかたは、自分の心からおしはかるしかないんですよ、結局。
幸村 はあ。
佐助 私は読み切れない心を探しているんですよ、待ちくらしてんです。その照りかえしでだらしない私の心にぽつりと一つ、判断のつかない黒点が生まれ、それがじわじわひろがる……それが私を変える、お日さまの方に向けてくれる、とくら、つまり社会化する――ってんですか?(照れて)ヘヘ、えヘヘありませんか、そういうものが、このたかぶった城のなかに…ねえだろうな、やっぱり。

佐助 (いつのまにかちやんと坐っていた)はい。……そうですね、まず道犬。あの男には感心する、おもて裏がない。私や殿様とのさまとは大ちがい。(笑って)……本当に味方をいわば純粋に団結させ、そのことによって力が増し味方がふえてくることを信じています。つまり、やがてかならず形勢は逆転し勝利は頭上にかがやくと……ただ、キメ手をもっていない。結局は、条件闘争とうそうにおちつかざるを得ないと思ってはいるんです……だいぶ殿様に当たりましたけど、あれも誠実だからで。
幸村 (笑って)しかし、いい気持ちのもんじゃないぞ、敵よばわりは。
佐助 はげしい言葉というものはさ、いっているうちに、自分で自分の言葉に刺激されて、ついついどんどん誇張しちやうもんでしょ。つまり敵を利する行為こういだ、敵と同じだ、敵だ――とついなって行くとね、いいすぎたと思ってもカッときてるから歯止めがきかない、で、ありがちなことは、そこでかえって、いやこいつほんとに敵かもしれない、徳川の手先、いや間者かも――なんてほんとに思っちゃう。思いこんじやう。言葉のあやまりを心が正当化しちゃうんです……行勒のまちがいを心は一般に認めたがりません。そこで心がまちかいにふみこんでしまう。道犬さん、話のはじめは殿とののこと敵だなんて思っていなかった、が終わりごろは半分ぐらいそう思うにいたりました。人がいいんです。(ほほえんで)そんな単純なものではない、というでしょうな、本人に聞かせたら。しかし.、 単純さは美徳なんです。
幸村 佐助、もちろん読めてるだろうが、おれはやはりいまいらいらしてるんだ。’
佐助 ええ。
幸村 やっぱりおれは不愉快ふゆかいだよ、不愉快になれることはいいことだ,しあわせだと思う……いまのおれはお前かなんてもみんなわかってしまうからおこることもできないお前が、やっぱり不愉快なんだ……お前も、(となにやらいいかけると)
佐助 ああ!そこで、不幸なやつだな、なんていわないこと……(幸村、突然とつぜん佐助になぐりかかる、佐助 、消えた)いいでしょあたしや役に立つんだから役に立つことだけで人につながることを殿は認めてくれる人だから、 私はつながってんだから……

お霧 (笑って)好きな人が行けば。
千姫  あら。(コロコロ笑う)
お霧  私ねえ……、その人の行くところへ行くのよ、どこでも、結局……だから自由じゃないのよね、でも自由だから困るの、つらいのよ。いったい自由ってなんなのよ。もうずいぶん長くずうつと、その人のことだけ思ってるの、あたし子どものときから、十二のときから。もう十四年。
千姫(愉しげにハミングしていた。大坂ことばで)やあ、ものすごいわあ。
お霧 せやろものすごいうそ、ちょっとおっきくいったのそんなことできるもんじやないわよ人間て、その人のことだけなんて。ううん、ほかの人は知らない、あたしは……だからその人はあたしがきらい。
千姫 あほくさ、でもだいたいはいちばん好きなんでしょうその人が……ならいいじやないね……うちのおつきの人たちかて、よういうてるわ、てもさめても夢うつつ、一生忘れられへん……で、すぐ忘れちゃうわよ……絶対の愛なんて……絶対とか純粋じゅんすいとかって、要するに記憶力の問題じゃない?都合の悪いことは忘れちゃう人が、つまり純粋なのよ、ね。だからあたしも秀頼さまに純粋、ヘヘ。
お霧 男って絶対をほしがるじやないのさ。
千姫 黙ってりやいいのよ。そういうもんよ。
お霧 (急にうつむいて口を押さえる)
千姫 どうしたの?お霧さん……(わかって)赤ちゃん?

天守閣の屋根の上に佐助がねころがっていたのがこのときわかる。

 結論めく書くと、この芝居には、二つのポイントがあるような気がする。一つは、幸村は決して「かっこよく」死ななかった。死ななかったこそ、「英雄」とならなかったのだし、第二、第三の幸村が出現する余地があるのだ。二つ目は、「男」の意地や理屈で動いていた世の中が、お霧こと霧隠才蔵(実は女性だった!)と千姫との会話に見られるように、別の地平が、わずかでもかいまみられたことだ。千姫は、実にあっけらかんとしているのが、「救い」で小気味良く感じられる。
 芝居は芝居、現実の歴史を「オルタナティブ」に変えるものではないが、少なくとも、その可能性を提示することが、「芝居」の醍醐味のひとつであろう。人生の些末時にも、こうしたことが生かされるかもしれない、また、大きく言えば、現実の政治の世界にも、「オルタナティブ」な道筋を提案し、しかも、それを現実化しようと努力している政治勢力に、一票を託するのも、この芝居上演から半世紀以上経った今、「効用」の一つであろう。

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