読書ざんまいよせい(057)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(06)

    第六章 社會黨の運動

〇日く 一切生產機關の公有、日く富財の公平なる分配、日く階級制度の廢絕、日く協同的社會の組織、之が實行や洵に一大社會的革命也。然らば則ち社會黨は革命黨なる乎、其運動は革命的運動なる乎。曰く然り。
〇然れども怯懦の貴族よ、小心の富豪よ、輕躁の有司よ、乞ふ恐るゝ勿れ。今の社會黨は漫に爆彈を公等の馬車に投ぜんとするの者に非ざる也、敢て鮮血を公等邸第に蹀《ふ》まんとする者に非ざる也、但だ公等と俱に與に大革命の德澤に沐浴せんと欲するのみ、恩惠に光被せんと欲するのみ。
〇思へ古今何の時か革命なからん、世界何の邦か革命なからん、社會の歷史は革命の記錄也、人類の進步は革命の功果也。試みに思へ、當年の英國、クロムエルの起つに會はず、當年の米國獨立を宣するを得ず、佛國の民、共和の制を建つる能はず、日耳曼《ゼルマン》諸州聯合の業成らず、伊太利統ーせらるゝを見ず、日本維新の中興なかりしとせば、世界人類は今や果して何の狀を為すべぎ乎、現時の文明は果して何の處にか見るべき乎。革命を恐怖する者よ、現時公等が謳歌せる文明と進步とは、實に過去幾多の大革命が公等に賚賜《らいし》せる所に非ずや。
〇社會の狀態が常に代謝して已まざるは、猶ほ生物の組織の進化して已まざるが如し。而して其進化や代謝や若しーたび休せるの時は、其生物や社會や卽ち絕滅あるのみ。永久の生命は必ず暗喑裡に進化す、決して常住を許さヾる也、社會の狀態は必ず冥々の間に代謝す、決して不變を許さゞる也。而して這の喑冥なる進化代謝の過程《プロセッス》に於て、每に明白に其大段落を割し、新紀元を宣言する者、則ち革命に非ずや。之を譬ふるに歷史は一連の珠敷に似たり、平時の進化代謝は其小珠也、革命は其數取りの大珠也、進化代謝の連續なると同時に革命の連續たる也。
〇ラッサルは日く『革命は新時代の產婆也』と。此語未だし也、予は將に日はんとす、革命は產婆に非ずして、分娩其物也と、何となれば是れ偶然の出來事に非ずして、實に進化的過程の必然の結果なれば也。而して舊時代老いて新時代を生み、新時代の長ずるや、更に他の新時代を生む、皆な革命に依らざるは無し。何ぞ彼の子々孫々の迭《かたみ》に分娩して百世窮極する所なきと異ならんや。
〇但だ分娩に難易あるが如く、革命にも亦難易なきを得ず。分娩が時に母體を切開するの要あるが如く、革命も時に暴動を現ずるの已むなきに至るあり。而も是れ決して希ふ可きのことに非ざるや論なし。
〇故に母體の組織發達の如何を診し、之が健康を保ちて以て其分娩を容易ならしめんと期するは、產科醫及び產婆の職務也、社會の組織狀態の如何を察し、進化の大勢を利導して以て平和の革命を成さんと希ふは、革命家の識慮也。而して今の社會黨や實に這個社會的產婆產科醫を以て、 自ら任とする者に非ずや。
〇夫れ然り、革命は天也、人力に非ざる也。利導す可き也、製造す可きに非ざる也。其來るや人之を如何ともするなく、其去るや人之を如何ともするなし。而して吾人人類が其進步發達を休止せざるを希ふの間は、之を恐怖し嫌忌すと雖も決して之を避く可らず、唯だ之を利導し助成し、以て其成功の容易に且つ平和ならんことを期すべきのみ。社會黨の事業や、唯だ如此きを要す、曷んぞ漫に殺人叛亂を以て、平地に波を揚げて快する者ならんや。

読書ざんまいよせい(050)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(04)

     第四章 社會主義の主張

〇現時の生產交換の方法、卽ち所謂資本家制度は今や其進化發育の極點に達せり。夫れ勢ひ極まれぱ變ず、花瓣は一日散亂せざることを得ず、卵殻は一日破壊せざることを得ず、唯だ散亂す、故に新果あり、唯だ破壊す、故に雛兒あり。社會產業の組織豈に獨り此理法を免るるを得んや。
〇而して之が進化の理法を說明し、共必然の歸趣を指示して、以て人類社會の向上を促す者、實に我科學的社會主義の主張ならずんばあらず。然らば則ち社會主義は吾人に向って、果して何の新果と雛兒を將ち來さんとする乎。何の新時代を指示して、以て私有資本の舊組織に代へんとする乎。
〇敎授イリーは社會主義の主張を剖拆して、四個の耍件《エレメント》を包有すと為す、言頗る當を得たり。所謂四個の要件《エレメント》とは何ぞや。
〇其一は、物質的生産機關、卽ち土地資本の公有是れ也。
〇方今社會百害の源が、實に社會的生產機關を揚げて個人の所有と為せるに在るは、前章旣に之を言へり。夫れ唯だ個人の所有に委す、是故に之が所有者は徒手遊食して以て社會生產の大部を掠奪し、多數人類は爲めに益々匱乏《きばふ》堕落に至れる者、實に吾人の永く忍ぶ能はざる所也。而して之が救治や、決して區々小策の能する所に非ずして必ずや根底の矛盾を排除して、以て產業組織全體の調和を得せしめざる可らず、生產機關の公有豈に已むを得んや。
〇夫れ土地や、人類未だ生ぜざるの時よりして之れ有り、獨り地主の製作する所に非ざる也。資本や、社會協同の勞働の結果也、獨り資本家の生產する所に非ざる也、其の在るや唯だ社會人類全體の爲めに在り、個人若くば少數の階級の爲めに存するに非ざる也。故に地主資本家獨り之を專有するの權元より有るの理なしと雖も、 而も之を使用して、社會其惠に浴するの間は猶ほ恕す可し。若し夫れ彼等が一に之を以て社會全體の富財を掠奪し、其幸福を犧牲とし、其進步向上を沮礙《そがい》するの具に供するに及びては、社會が直ちに之を彼等の手より掠奪して、マルクスの所謂『是等掠奪者より掠奪す』るの至當なるは、言を俟たざる所也。
〇故に近世社會主義は、社會人民全體をして、土地資本を公有せしむるを主張す、社會人民全體をして之より生ずる利益に與からしむるを主張す、而して更に從來經濟的意義に於ける地代及び利息の廢滅を主張す。
〇之れを以て甚だ奇異の感を為すこと勿れ、見よ現時に於ても諸種の事業の旣に公共の所有たる者勘しとせざるに非ずや。郵便電信は、米國を除くの外は、文明諸國皆な國有たり、鐵道も亦|日耳曼《ゼルマン》、墺地利《オーストリー》、丁抹《デンマルク》の諸國之を國有と爲し、森林、鑛山、耕地の一部、煙草、酒精の販資の事業等、國有と為す者多きに非ずや。但だ今の所謂國有なる者や、往々にして中央政府の所有を意味して、未だ完全なる社會的公有の域に達する能はざる者ありと雖も、而も個人若くば少败階級の私利の壟斷《ろうだん》を脫せるに至っては卽ち一なるに非ずや。
〇然り社會主義の主張や、決して中央集權を希ふ者に非ず、其機關と事業との性質如何に從って、或は一國の有と爲す可く、或は郡縣町村の有と爲す可し。現時の公有產業にして、水道、電燈、瓦斯、街鐵等が都市の所有に屬せるが如き、卽ち是れ也。耍は個人の手より移して、一般公共の利益に供するに在り。
〇現時の經濟學者は皆な日ふ、彼の初めより獨占的性質を帶ぶるの事業は、之を國有若くぱ市有と爲すべし、然らざる者は卽ち個人の競爭に委して以て其進步を圖るに如かずと。然れども產業
制度の進步は、從來獨占的性質を帶びざる各種の事業をして、亦盡く獨占の事業と化せるに非ずや。彼の米國に見よ、製鐵も獨占となれるに非ずや、石油も獨占となれるに非ずや、石炭も紡績も、皆大會社、大ツラストの獨占として、他の競爭を許さゞるに至れるに非ずや。個人競爭の極は卽ち資本の集中合同也、炎本の集中合同の極は卽ち各種の事業をして、盡く獨占の事業たらしめずんば已まず。經濟的自由競爭より生ずる進步は過去の夢也、今や間題は、此等獨占の事業をして依然小數階級に私せしむべきか、將た社會公共の所有に移して其統一を期すべきか、二者其一を擇ぶに在り。是れ社會進歩の大勢にして必然の結果ならずんばあらず。而して社會主義の第一義は唯だ之を是れ指示せんと欲するのみ。
〇要件《エレメント》の第二は、生產の公共的經營《コンモンマネーヂメント》是れ也。
〇生產機關たる土地資本、旣に社會の公有に歸すと雖も、其事業の經营に至りては適ほ個人の手中に在る者多し、例せば鐵道の如き、街鐵の如き、社會之を公有して而して其經营は卽ち私設の會社に托し、酒精の如き、鹽の如き、煙草の如き、政府專占の事業となれる者にして其生產若くば交換の一部は、依然個人の事業として存し、或は公有の耕地にして、私人に委して耕耘《かううん》せしむる等の類是れ也。而して是等私人若くば私設會社の經營の目的や、常に彼等自身が市場の利益を趁《お》ふに在り、彼等の利益一たび休せん乎、其產業は卽ち廢棄せらる、是れ資本家制度の下に在て免る可らざるの狀態也。故に眞に社會の產業をして個人の利益の爲めにせずして、社會全體の消費に供し、市場の交換の爲めにせずして、社會全體の需用を滿足せしめんと欲せば、其經營や、決して私人の手に委す可らずして、必ずや公共の管理に待たざる可らず。社會は卽ち獨り生產機關を公有するに止まらずして、公選せる代表者をして之を經營せしめざる可らず、而して是等の經營や、必ず社會全體に對して其責に任ぜしめざる可らず。
〇或は曰はん、事業の經營や、唯私有として始めて能く其効果を揚ぐることを得んのみ、旣に自家の私有に非ずとせば、誰か其職に忠なる者あらんやと。然れども見よ、今の三井家の主人は其事業の經營に於て、果して幾何の勤勞に服せる乎、岩崎氏の主人は其事業の管理に於て、果して幾何の技倆を現ぜる乎。生產機關の膨大し、事業の發達し、生產の增加すること高度なるに及んでや、其運用は到底個人の抜量の能く堪ふる所に非ずして、遂に多數協同の手腕を要するに至るべし、況んや凡庸遊惰の資本家をや。現時諸種の大規模の產業に於て、其實際の經營管理は一として其所有者たる資本家に依て成さるゝ者なくして、却て所有者たらざる社員若くば雇人の技能に依て、能く共効果を奏しつ、あるに非ずや。社會主義は、卽ち是等世製の所有者に代ふるに、社會公選の代表者を以てし、放逸の資本家に代ふるに、責任あるの公使を以てし、私人の使役せる雇人若くば社員に代ふるに、公共の任命せる職員を以てせんと欲するのみ、而して其產業の進步は獨り所有者の利益たる者に非ずして、社會全體皆直ちに共惠に浴するを得べしとせば、予は未だ各人が今日に比して其職に忠ならざる所以を發見することを得ざる也。
〇社會が如此にして一切の生產機關を公有し、一切の産業を管理するに至らば,社會人民全體は卽ち其株主にして亦實に其勞働者也。社會は其適する所の職業を彼等に與へ、彼等は其勞働を以て社會に奉ず。而して其生産や旣に市場交換の爲めに在らずして、社會全體の消費に在り、生産益々多くして、社會の需要は益せらるゝを得、又物價の低落を憂へざる也、又生産の過多を憂へざる也、而して勞働者の失業の問題亦全く解決せらるゝを得ん也。若し眞に生產の消費に過ぐるあらん乎、唯だ勞働時間の短縮にして足れり、豈に又一人の其所を得ざる有らんや。
〇否な啻に失業の人なきのみならず、一面に於ては、萬人皆勞働に服せざる可らざることを意味す。公共的生産の下に在ては、利息なく地代なし、徒手逸居して以て他の勞働の結果を掠奪するの手段なければ也。フイフテ曰へる有り、『勞働せざる者は、卽ち衣食の權利なし』と。是れ眞理也、正義也、社會主義は眞理正義の實現せられんことを要求す。
〇要件《エレメント》の第三は、社會的收入の分配是れ也。
〇公共的生產の收入や、必ず社會公共の領有に歸すべくして、個人の擅まに占斷するを許さゞるは論なし、而して社會の公選せる代表者若くぱ職員は、先づ其の收入の一部を以て、生產機關の保持、擴張、改良及び備荒の資に充つるの外、他は總て社會全體に分配して其消費に供すべし。而して此等分配や之を生產する者特り之に與かるのみならず、老幼其他勞働の能力無き者と雖も、固より之を要求するの權利有る可し。何となれば其富や旣に社會の領有たり、其人や實に社會を組織する所の一員たれば也。此點に於て社會主義の主張は完全なる相互保險也、社會主義制度の下に在ては、吾人萬人は其生れてより死に至るまで、獨り疾病、災禍、老亠我に對するのみならず、敎育、娛樂其他一切の需用を滿足すべき保險を有する也。但だ勞働の能力あって而も其義務に服するを嫌ふが如きは嚴に制裁を加ふべきのみ、否な社會の組織改善し生活の苦痛減少するに從つて、是等不德の徒亦自ら其迹を絕つに至るべきは、予の信じて疑はざる所也。
〇於是て吾人は重大なる問題に逢着す。何ぞや、日く、其分配の公正《ヂヤスチス》てふこと是れ也。然り公正の分配、是れ實に社會主義の唱道せらるる所以の最大の動機也、社會主義要件中の要件也、產業組織が進化發達する所以の主要の目的也。然らば卽ち如何の方法標準が果して共公正を得べしとする乎。
〇分配の標準に關して、社會主義者の企圖古今一ならずと雖も、凡そ四種に別つ可し。一は其分配する所の物件、最と質と兩つながら必ず均一ならんことを要する者、バボーフ此說を持せり。次は技能成績の短長に比例して、報酬に等差あらしめんとする者、サン・シモンの主張せし所也。次は唯だ各人の必要に準じて給與する者、ルヰ・ブラン之を以て理想と爲せり。而して近時の社會主義者中、各人の分配額は其質に於てせずして其價格に於て平等ならしめんと唱道する者多し。
〇夫れ各個の人、心身兩ながら皆な異ならざるはあらず、從って生活の必要を異にし嗜好を異にす、强て其平等ならんことを求むるは、却って公正を缺くの甚しき者、分配の量と質との均一なる可らざるや論なし。
〇技能の長短に應じて貫に等差ある、稍や公正に近きに似たり。而も如此くなれば勞働の能力なき者は卽ち饌ゑざる可らず、是れ豈に社會的道德の本旨ならんや。且つや技能の長短は必しも消費の多少に伴はず、例せば甲の成績は能く乙に二倍すと雖も、而も甲の食餌の暈は必しも乙に二倍せざるに非ずや。啻に是のみならず、社會主義制度の下に在てや、其生産は多く社會的生產也、協同的生產也、甚だ個人特種の技能に待つある者に非ず。而して偶ま個人特種の技能に待つ有るも、是等技能や、亦實に社會全體の感化、敎育、薰陶、啓發の賜に非ざるはなし。旣に社會に負ふ所多き者、亦多く力を社會の爲めに効すは當然の責務のみ、何ぞ特に物質財富の多きを貪る可きの理あらんや。
〇社會の生產分配の目的が、眞に社會萬民生活の需用を滿足せしめ、其進歩を促すに在りとせば、吾人は卽ち其必要に應じて分配するを以て、最終の理想と爲さゞる可らず。爰に一個の家庭ありとせよ、而して父母たる者若し其子女を遇するに、此子は才能あり、美衣美食を與ふ可し、彼子ほ庸劣なり、悪衣惡食にして可なりといふ者あらば、吾人の良心は果して之に忍ぶ可き乎。夫れ一家の兒女、長幼强弱皆な各々異りと雖も、而も其衣食分配の標準が、決して技能成績の如何にあらずして、必ず其必要に應ずべきは、人問道德の命ずる所にあらずや。社會主義の主張は、社會を以て一大家庭と爲すに在らざる可らず、社會は其父母たらざる可らず、各人は皆な同胞たらざる可らず。而して父母の其兒女に向って分配する所、先づ其尤も急なる者、例せば食餌、衣服、住居及び敎育の資より始めて、漸次に其急ならざる者に及ぶ。其量と質とは固より大に異なるなきを得ずと雖も、而も各々十分に其生を遂ぐる所以に至りては、卽ちーなるに非ずや。
〇若し夫れ分配の價格を平等するの說や、自ら必要に應ずるの分配と其結果を同じくす可し。何となれば、此分配や決して物品の同一を意味する者に非ざるが故に、各人共價格の範圍に於て、自由に自家の必要と嗜好を整せしむるの物件を求め得可ければ也。但だ其價格の制定極めて困難なりと為すのみ。
〇耍件《エレメント》の第四は、社會の收入の大半を以て個人の私有に歸すること是れ也。
〇世人多くは日く、財産の私有は、個人の自由を保持し智徳を向上するが爲に極めて必要の事と為す、而も社會主義は之を禁絕せんとするに非ずやと。財產私有の必要なるは洵に然り、然れども社會主義が之を禁絕せんとすといふに至りては誣妄《ぶぼう》の甚しき也。否な乏を禁絶するは却っつて現時の產業組織に非ずや。見よ、今の產業組織の下に在ては、社會の財爲は常に一部の地主資本家の手に集中し、社會全體をして決して其自由を保持し智德を向上するに延るべき財沛の所右を許さヾるに至れるに非ずや。而して彼等多數は漸次に無一物となり、其日暮しとなり、所謂『賃銀奴隸』の境涯に堕落しつゝあるに非ずや。
〇社會主義の制度は卽ち之に反す。社會的歲入の大半を以て各人に分配して以て之を私有せしむ。故に公共生産の發達し社會的收入の增加するに從って、個人の私有亦益々富厚にして、各其所好に從って消費し若くば貯蓄するを得、又其匱乏《きばふ》の爲めに他人に依頼することを要せず、他人の爲めに制せらるゝの憂ひなし。如此にして社會主義は實に財涯私有の制を擴張して、以て薦人の自由を保障し、其向上を促進せんことを欲する也。
〇但だ知らざる可らず、社會主義は私有の財產を堆加すと雖も、 此財產や實に各人の消費に充つるの財産にして、決して土地資本、卽ち生產機關を意味する者に非ざることを。生產の機關が必ず公有たるべくして、其生產の結果が必ずーたび社會の收入たるべきは、固より前に言へるが如し。
〇論者又日く、夫れ私有の財產富厚なるに至れば、節儉なる者は之を貯蓄し、資本本として使用する者あるに至らん、果して如此なれば直ちに瓷本家の階級を生じて,貧富の懸隔する舊の如くならんと。然れども產業の方法起模益々尨大なるに從って、唯だ共同的經營に待つ可くして、決して個人の支持に堪へざるに至るべきは、現時の狀勢旣に之を證せり。若し然らざるも、一切の生產機關旣に公有となり、重要の産業が絶て社會公共の手に管理さるゝの時に於ては、一個人は又其私有の財產を資本として投ずるの機會有ること無けん。假に些細の私業を企圖して、之に放資する者有りとするも、曷《いづくん》ぞぜ能く社會公共の大產業と兢爭兩立することを得んや。眞に是れ鐵牛角上の蚊のみ、以て全體の組織を損傷するに足らざる也。
〇更に知らざる可らず、吾人は社會的收入の『大半』を私有すべしと云ふ、其全部と云ふ者に非ざることを。社會生產の目的や、一に吾人需用の滿足に在りと雖も、而も吾人需用の滿足は、必しも之を私有することを要せざる者多し。現時に在ても、學校、公園、道路、音樂會、圖書館、博物館の如き、共有の財產として、各人の必要と曙好を滿足せしめんが為に、自由に之を使用することを許せり。將來經濟組織益々統一し、社會的道德益々發達することを得ば、社會的收入を公共的に使用し、以て公共の利益、進步、快樂を圖るの風亦愈々盛んなる可きが故に、諸種の收入財産の共有として存ずる者、今日に比して更に著大の增加を見ん也。
〇イリーの所謂社會主義の四個の要件は上の如し。予は之に依て略ぼ其主張の在る所を窺ふを得たるを信ず。然り社會主義は實に此等要件の實現を以て、社會產業の歷史的進化に於ける必然の歸趣と為す者也。
〇故にミルは定義して日く、『社會主義の特質とする所は、生産の機關と方法を以て社會人員全體の共有と為すに在り。從って其生産物の分配も、亦公共の事業として、其社會の規定する所に準じて行はれざる可らず』と。
〇カーカツプは『エンサイクロペヂヤ・ブリタニカ』に記して日く、『現時私人の資本家が賃銀勞働者を役して經營せる所の工業は、將來に於ては聨合《アソシエート》若くば共同《コオペレート》の事業として、卽ち萬人共有の生産機關に依て行はれざる可らず。社會主義に於ける骨髓《ずゐ》のプリンシブルとして承認さる可きは、其理論に見るも其歷史に徵するも一に是に外ならず』と。
〇マルクスの女婿にして佛國マルクス派の首領たるパウル・ラフワルギユは日く、『社會主義は如何なる改良家《レフオーマー》の企畫《システム》にもあらず。唯だ現在の組織が旣に重大なる經濟的進化の運に迫れることを信じ、而して此進化の結果や、卽ち資本私有の制は變じて勞働者團體の共同的所有之に代るべきことを信ずる人々の敎義《ドクトライン》也。故に社會主義の特質は、其歴史的發見の點に在り』と。
〇エンゲルは更に日く『社會が生產機關を掌握するや、商品の生產は卽ち迹を絕つ可し、而して生産者は又生產物の爲めに制御せらるゝことなけん、社會的生產の無政府は一掃して、之に代る者は卽ち規律統一ある組織ならん、個人的生存爭鬪は消滅せん。如此にして人は初めて禽獸の域を脫して、眞個に其人たる所以の意義を全くすることを得可し』と。
〇然り、果して如此くならば、資本家は卽ち癈滅せらる可し、勞働者は賃銀の桎梏《しつこく》を脫す可し、各人は社會の爲めに應分の勞働を供給して、社會は各人の爲めに必要の衣食を生産す。分配あつて商業なし、統計あって投機なし、協同あって爭闘《さうげい》なし、豈に又生產過多あらんや、豈に又恐慌の襲來あらんや。人は決して富の爲めに支配せらるゝことなくして、能く富を支配することを得可き也。於是て現時產業組織の矛盾より生ずる百害は爲めに掃淸せられて、能く自然の調和を全くすることを得べき也。
   杖底唯雲。囊中唯月。不勞關市之譏。
   石笥藏書。池塘洗墨。豈供山澤之稅。

[編者注]典拠は、「酔古堂剣掃」巻八より。「酔古堂剣掃」は、Wikipedia によると。「明朝末の陸紹珩(字は湘客)が古今の名言嘉句を抜粋し、収録編纂した編著(アンソロジー)である。」本国で廃れたが、本邦では、幕末から大正にかけて、版本がある程度に普及した。秋水は「社会主義神髄」執筆時に傍らに置いていたのだろうか?意味は。「杖の先にあるのは雲だけで、かばんの中には月の光ばかり。市場や関所では、余分な税金がかかることもない。石の書庫に書物を蔵し、池のほとりで筆や硯の墨を洗う。これも、Tax Free であるのは、ありがたい。」
写真は、「高知新聞」1931年5月頃の連載記事「幸徳秋水 大逆事件の同志 岡林寅松と語る」の第2回記事から。上山慧「神戸平民俱楽部と大逆事件」(風詠社)から

読書ざんまいよせい(049)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(03)

     第三章  產業制度の進化

〇近世社會主義の祖師カルル・マルクスは、吾人の爲めに能く人類社會の組織せらる、所以の眞相を道破せり。日く『有史以來何の時、何の處とを問はずして、一切社會の組織せらるゝ所以の者は、必ずや經濟的生産及び交換の方法、之が根底たらざるは無し。而して共時代《エポツク》の政治的及び靈能的《インテレクチユアル》歷史の如きは、唯だ此根底の上に建てる者にして、亦實に此根底よりして始めて解釋することを得べき也』と。
〇然り、人の生れて地に落つ、先づ食はざるを得ず、衣《き》ざるを得ず、雨露風雪を防がざるを得ず。夫の美術や、宗敎や、學術や、唯此最初の耍求の滿足せらるゝ有りて、而して後ち始めて發展することを得べきのみ、故に其人民がーたび生產交換の方法を異にするに至るや、共社會の組織、歷史の發展、亦從って其狀態を異にせざるを得ず。
〇見よ、太初の人類たる、縱鼻横目、吾人の人類たるに於て、果して幾何の差異ありしとするぞ。而も彼等の血族相集り部落相結びて、共產の社會を成すや、其衣食や唯其社會全带の爲めに生産し、社會全體の需用に充つるのみ。又個人あるを知らざりし也、階級あるを知らざりし也、況んや地主なるものをや、賓本家なるものをや。レウイス・モルガンは算して日く、人類社會有って以來、殆ど十萬年、而して其九萬五千年は實に共產制度の時代なりきと。吾人人類は娥に此九萬五千年間地球上に點々散布せる血族的部落的の小共產制度の時代に於て更に蠢爾《しゆんじ》たる野獸の域を脫却し、弓矢を製し、舟楫《しうしふ》を製し、牧畜を解し、股業を習ふの進化變遷を經ることを得たりしなりき。
〇夫れ文明の進步は、石の地上に落るが如し、落る益々低くして、速度益々加はる。古代人口の漸く增殖し、團聚漸く繁榮し、衣食の需用亦漸く多大に、交換の方法從って複雜なるに從って、是等共產の制度は亦漸く傾覆の運に向へり。而して彼等が其曾て生擒し屠殺せる敵人を宥して、之を生產的に使役するや、卽ち奴隸の一階級を生じて、更に人類社會の歴史に於て、全く一大段落を劃し來れる也。
〇嗚呼奴隸の制度、今や吾人の口にするだも愧づる所なりと雖も、而も當時に在てや、 特《ひと》り全社會產業の基礎たるのみならず、彼の埃及、アツシリアの智識や、希臘の藝術や、 維馬の法理や、其千載の歷史を照耀するを得たる者、實に是等愛々たる億萬奴隸が林漓《りんり》の膏血《かうけつ》なりしと知らずや。然り常時の文明を致せる者は、是等產業の制なりき。而して當時の文明を覆へせるも、亦實に是等產業の制なりき。花を催すの雨は是れ花を散ずるの雨たらざるを得ぎりき。
〇見よ、是等奴隸の膏血と其天然の富源も、亦一日涸渴に至らざることを得ず。而して縦馬末年の莫大なる淫逸驕奢の資、遂に之に依て辨ずるに足らざるに及んで、四方の攻伐は次げり、領土の擴張は次げり、貢租の誅求は次げり、而して外正に叛くの時は、內旣に潰ゆるの日なりしに非ずや。
〇於是乎羅馬に通ずるの大道は、荆棘《けいきよく》の叢となれり、天下|瓜分《くわぶん》して產業全く萎靡す。次で起る者は卽ち農奴《サーフ》の耕織ならざるを得ざりき、之を保護する者は卽ち封建の制度ならさるを得ざりき。然れども代謝は少時も休せず。経濟的生活の遷移すること一日なれば、社會の組織亦進化する一日ならざるを得ず。而して自由農工は生ず、城市の繁榮は次ぐ、農奴《サーフ》の解決は來る、交通の發達し、市場の擴大し、殖產の增加する、愈々急速を加ふ。而して地方的封建の藩籬は、遂に國民的及び世界的貿易カ大潮流を抗制するに堪へずして、自ら七花入裂し去れる也。
〇故にフリードリヒ・エンゲルも亦日く『一切社會的變化、政治的革命を以て、其究竟の原因が、人間の頭脳に出ると為すこと勿れ、一定不變の正義眞理の講究に出ると為すこと勿れ、夫れ唯だ生產交換の方法の變化如何と見よ。然り之を哲學に求むる勿れ、唯だ各時代の經濟に見よ、若し夫れ現在の社會組織が非理たり、不正たり、昨日の正義が今日の非理となり、去年の正義が今年の罪惡となれるを見ぱ、卽ち其生產交換の方法漸く喑遷默移し去って、當初に適應せる社會粗織が旣に其用に堪へざるに至れんこと知らん也』と。
〇然り世界の歷史は產業方法の歷史のみ、社會の進化と革命は一に產業方法の變易のみ。誰か道ふ、今の產業制度は常住也と、誰か道ふ、今の地主資本家は永劫也と。
〇然らば則ち現時社會の產業方法、マルクス以來所謂資本家制度として知られたる特種の產業方法は、果して何の處より來リ、 何の處に去らんとする乎。
〇蓋し中世紀に在てや、今の所謂資本家なく、今の所謂大地主なし。而して其社會を支持する所以の産業は、常に一般勞働者の手に在りき。地方に在ては卽ち自由民若くば農奴《サーフ》の耕作なりき。城市に在ては卽ち獨立工人の手工なりき。而して彼等が勞働の機關たる土地や、農具や、仕事場や、器具や、皆な各個人單価の使用に適する者なりしが故に、彼等は各個に之を所用して、自由に各自の生產を為したりき。
〇而して此等散漫にして小規模なる產業機關を集中し、擴大して、以て現代產業の有力なる槓杆と變ずるは、是れ產業歷史に於ける自然の大潮流なりき、所謂商工資本家の天職なりき。彼れ夫れ米國の發見や、喜望峰の廻航や、東印度の貿易や、支那の市場や、世運の進步は、產業の方法
を鞭撻して、 地方的より國民的に、 国民的より世界的に促進せずんば止まざりし也。而して第十五世紀以來如何に是等の產業方法が、慚次に諸種の歷史的段階を通過して、以て所謂『近世工業』に達するに至れるかは、マルクスが其大著『資本』に細說せし所也。
〇然れども一般の生產機關が猶ほ個人的方法の域中に彷徨して、未だ多數勞働者の協力を要すべき社會的方法を採用すること能はざるの間は、彼等資本家が直ちに是等生產機關を變じて、以て偉大なる產業的勢力を顯現するは到底不可能の事なりき。而も時節は到來せり、 蒸氣器械のーたび發明せらるゝや、歷史は急轉直下の勢を以て、其『產業的革命』を成功せり。
〇絲車は卽ち紡績器械となれり、手織機は織物器械となれり、個人の仕事場は數百人乃至數千人を包容するの工場とたり、個人的勞働は變じて社會的勞働となり、個人的生産物は變じて社會的生産物となる。見よ昔は個人各自に能く之を生產せる者、今やー綫の絲、一尺の布と雖も、總て是れ多數の勞働者が協力の結果に非ざるは無く、又一人の『是れ予の作る所、予一個の生產物也』と一言ひ得る莫し。
〇但だ吾人は知らざる可らず、產業的革命の功果や、彼が如く其れ顯著なりしと雖も、而も其初めに當つてや、彼等商工資本家は必しも其革命たる所以を承認する者に非ざりき。彼等の之を利導し助成する、單に其商品の增加發達を希ふに過ぎざりき、其商品の増加發達の爲めに、資本の集中、生產機關の膨大を希ふに過ぎざりき。唯だ此目的を達するに急なる、卽ち個人的生產打壞の事に任じ、更に個人的生産を保護する所以の封建制度顛覆の事に任じて、不知不識の間に其歷史的使命を了せるのみ。
〇夫れ唯だ生產の增加を希ふのみ、之が交換の如何を問はざる也、夫れ唯だ資本の輩を希ふのみ、之が領有の如何を問はざる也。是を以て其生産は卽ち協同的となれるも、其交換は依然として個人的なるを免れざりき、製造工場の組織は旣に新天地を現ぜるも、其領有は繪ほ舊世界の樣式を脫する能はざりき。於是乎矛盾は生ぜざることを得ず。
〇生產の酒ほ個人的なるの時に於ては、共生產物の所有に關する問題は、決して起來すること無りき。各個の生產や、皆な自家の技倆を以てせり、自家の原料を以てせり、自家の器具を以てせり、而して彼れ及び彼の家族の勞働を以てせり。而して生產する所の結果が何人に质す可き乎、言を俟たずして明かなるに非ずや。
〇故に昔時生產機關を所有する者は、皆な其生產物を領有せり、而して是れ實に彼等自身が勞働の結果なるが爲めなりき。而して今の生產機關所有者も、亦其生産物を領有す。然れども見よ、其生産物や決して彼耆身の勞働の結果に非ずして、實に他人の生産する所に非ずや。然り今の勞働や協同的也、今の生産や社會的也、又一個の是れ予の生產物也と言ひ得るなし。而も是等の生產や、其生産者に依て社會的に共有せらるゝこと無くして、舊に依て唯だ個人の爲めに領有せらる、唯だ所謂地主資本家てふ個人の爲めに領有せらる。是れ豈に一大矛盾に非ずや。
〇然り大矛盾也。而して予は信ず、現時社會の一切の害惡は實に這個の矛盾に胚胎し來れることを。
〇其第一は卽ち階級の爭鬪也。『近世工業』の二たび隆興するや、瞬息の間世間萬邦を席捲して、到る處個人的小產業の壓倒し去らるゝ者、 紛々落葉の如くなりしは、 元より怪しむに足らず。而して從來個人的生產者や、全く其利を失はざる可らず、其業を失はざる可らず。彼等は卽ち其個人的小器械を棄てて、社會的生產に從はんが爲めに、大工場に向って趨らざる可らず、然れども其生產物や卽ち資本家てふ個人の領有に歸せるが故に、彼等の得る所は、僅に一日の生命を支ふるの賃銀のみ。加ふるに封建の制破壊せられて土地の兼併盛んなるに至るや、地方小農競うて都會に出で、賃銀に衣食せんことを求むるは、是れ自然の勢にして、而して工業の發達熾んなる丈け、夫れ丈け自由獨立の勞働者は慚く迹を絕ちて、所謂賃銀勞働者なる者、日に多きを致せり。於是乎社會は、一面に於て生產機關を専有して、盡く其生產を領有するの資本家てふ一階級を生ずると同時に、他面に於て、彼の勞働力の外何物をも有することなき勞働者の一階級を生じて、兩者の間判然鴻溝《こうこう》を劃するに至る。社會的生産と資本家的領有との間に生ぜる一大矛盾は、如此にして先づ共一端を、地主資本家と賃銀勞働者との衝突に現ぜる也。
〇啻に之のみに非ざる也、個人的領有の結果は卽ち所謂自由競爭ならざるを得ず、自由競爭の結果は、卽ち經濟界の無政府《アナーキー》ならざるを得ず。昔時個人的生産の時に於てや、其生產は主として自家の消費に供し、餘あれば則ち地方の小市場に輸するのみ。故に其商品の需用の豫知す可らずして、一般競爭の法則に支配せらるる、固より之れ無きに非ずと雖も、而も其範囲極めて狹隘にして、未だ其太甚なるに至らざりき。今や然らず、其作る所は決して生産者彼等自身の消費に充るが爲めに非らずして、盡く是れ個人の商品として交換の利を競ふに在り。夫れ唯だ個人の競爭に一任す、生產カの增加し發達し、市場の擴大するに從って、競爭益々激烈に、世界の經濟社會は全く無政府の狀態に陷り、優勝劣敗、弱肉强食、具さに其慘を極めり。如此にして社會的生產と資本家的領有の間に生ぜる一大矛盾は、更に組織的なる工場生產と無政府なる一般市場との衝突となって顯現せる者に非ずや。
〇然り矛盾の極は衝突也、衝突の極は卽ち破裂に非ずや。今の責本家的產業の方法や、其根源に於て旣に一大矛盾を以て其運行を始めたり、而して矛盾の發展する所、一は卽ち階級の衝突となり、他は卽ち市場の衝突となる。而して是等兩個の方面に於ける衝突や、互に巴字の如く相|趁《お》ひ、旋風の如く相追ふの間、其勢力漸次に激烈を致して、遂に現時の產業制度全體の大衝突大破裂に至らずんぱ已まざらんとするを見る也。何を以てか之を言ふ。
〇經濟的自由競爭及び階級戰爭の久しきに彌るや、其結果は必ず多數劣敗者の其產を失ふ也、賃銀勞働者の增加也、資本集中の强大也、生產器械の改良を加ふる也。彼の器械の改良が年々勞働の需用を省減して已まざると同時に、勞働の供給が日々共增加を來すや、卽ち多數勞働者の過剰は生ぜざることを得ず。エンゲルの所謂『工業的豫備兵《インダストリアル・レザーヴ・アーミ―》』なる者是れ也。
〇工業的豫備兵の現出や、近世工業の下に在て極めて哀しむべきの特徴なりとす。彼等は經濟市場の好況なるの時に於ては、辛うじて其職に就くを得ると雖も、ー朝貿易の萎靡するに遇へば、數萬乃至十數萬の多數勞働者は、恰も塵芥を捨るが如く、工場外に放擲せられて、道途に凍餒《とうだい》せざるを得ず、是れ實に現時歐米諸國の常態也。而して我國の如き共慘狀未だ如此きに至らずと云ふと雖も、而も社會の經濟が資本家的自由競爭に一任する以上は、到底兔る可らざるの趨勢にして、餘す所は唯だ時日の問題のみ。
〇而して多數勞働者彼等自身の競爭は之に伴ふて激す。次で一般賃銀低落の勢ひは成る。一般賃銀の低落は、卽ち勞働者をして其生命を支へんが爲めに、長時間過度の勞働に從はざるを得ざらしむ、而して資本家の掠奪は實に此際に於て逞しくせらる。
〇マルクスは蓋し謂らく、『交換は決して價格を生ずる者に非ず、價格は決して市場に於て創造せらるゝ者に非ず。而も資本家が其の資本を運轉するの間に於て、自ら其額を增加することを得るは何ぞや。他なし、彼等は實に價格を創造し得る所の臍く可き力を有する商品を購買するを得れば也。此の商品とは何ぞや、人間の勞働力是れ也。夫れ此力の所有者は共生活の必要の爲めに、之を低廉に資却せざることを得ず、而して此の力が一日に創贱するの價格や、必ず共所有者がー日の生活を支持するの費用として受くる貨銀の價格よりも、遙に多し。例せば一日六|志《シリング》の富を創造し得るの勞働力は、一日三志を以て購買せらる。其差額を名けて剩餘價格《サープラス・ヴアリユー》と云ふ。彼等資本家が共資本を增加することを得るは、唯だ此剩餘價格を勞働者より掠奪して、其手中に椎紡するが爲めのみ』と。
〇然り『剩餘價格』の掠奪は、査本を地加せしめて已まず、資本の增加は更に器械の改良を促して已まず、改良の器械は、再び轉じて剰餘價格掠奪の武器となる。而して轉々するの間に於て、社會の生產カは層々膨脹して底止する所を知らず。而も內國市場の膏血は旣に彼等資本家の絞取し盡す所となって、社會多數の購買カは到底之に應ずるに足らず。於是乎彼等資本家は百方生産力疏通の途を求むるや急也、日く、新市場を拓開せよ、日く、領土を擴張せよ、外國の貨物を掃蕩せよ、大帝國を建設せよと。然れども世界の市場も亦限りなきことを得ず、現時生產的洪水が無限の氾濫は、 竟に壅蔽《ようへい》し得る所に非ざるの勢を示せリ。
〇而して來る者は卽ち資本の過多也、資本家は之を投ずるの事業なきに苦しむ、生產の過多也、商品は之を輸するの市場なきに苦しむ、勞働供給の過多也、工業的豫備兵は之を雇使するの工場なきに苦しむ。今の文明諸國、荀くも近世工業を採用するの地、皆な此ヂレンマに陷り、若くば陷りつゝあらざる者なきに非ずや。於是乎『生產過多』の叫聲は到處に反響す。
〇思へ資本家は銳意して、資本の集中、生產の増加を努めたり、而して今や彼等は却って生産の過多なるに苦しむ。器械の改艮は人力の需用を省減せしめたり、而も多數の勞働者は却って衣食の匱乏に苦しめり。社會多數の人類は、多額の衣服を作れるが爲めに、却て赤裸々ならざるを得ず。是れ何等の奇現象ぞや。現時產業制度の矛盾衝突は、於是て更に大踏潤步し來れる者に非ずや。
〇嗚呼『生產過多』の叫聲、是れ實に破裂の將に至らんとするを粋むるの信號に非ずや。果然破裂は其端を恐慌の紐出に發せり。
〇恐慌の禍も亦慘なる哉、貿易は篓糜を極むる也、物價は俄然として暴落する也、貨物は停滞して動かざる也、信用は全く地を掃ふ也、工場は頻々として閉鎖せらるゝ也、多數の商工の破產は破産に次ぎ、多數勞働者の失業は失業に次ぎ、穀肉庫中に充ちて、而して餓孚《がふ》却って途に横ふ。如此き者數旬、數月、 甚しきは瘡痍數年に彌って癒えざるに至る、フーリエーの所謂『充溢の危機』なる者卽ち是れ也。而して此等恐慌や、其起るや決して偶然に非ず、 其去るや亦偶然に非ず。彼ー千八百二十五年の大恐慌以來、殆ど每十年、期を定めて以て共禍を被らざるなき見ば、如何に現時經濟組織の根底が、深く馴致する所ありしかを知るに足らん。
〇而して恐慌の至る每に、少數なる大資本家の能く此危機に堪ふるを得る者、常に多數の小資本家の破產零落に乘じて、併呑の慾を逞しくするは、自然の勢ひ也。加ふるに大資本家彼等自身も亦相互の競爭の危險と、恐慌の襲來を憂慮して措かざるの極、漸次に領有交換に於ける個人的方法の範圍を讓步して、社會的方法を採用し、以て矛盾衝突を緩和せんと試みたりき。株式會社の組織は之が爲めなりき、同業者大同盟《コンピネーシオン》の起るは之が爲めなりき。而して是等手段も亦彼等の運命を永くするに足らざるを見るや、彼等は卽ち現時のツラストなる牙城を築きて、以て最後の惡戰を開始せり。如此にして自由競爭の根底に立てるの資本家制度は、其進化發達の極、却って自ら自由競爭を一掃し去りて、世界各國の產業は殆どツラストの獨占統一に歸せずんば已まざらんとす。
〇然れどもツラストが猶ほ資本家階級の爲めに領有せらるゝの間は、現時の矛盾衝突をして、決して最後の解決を得せしめざるのみならず、却って一段を激進せしむるの具たらずんばあらず。何となれば今や彼等の事業は、唯だ生產の額を制限するに在れば也。價格を騰昂せしむるに在れば也、而して其獨占の暴威を利して、法外の剰條價格を掠奪するに在れば也、社會全體の窮困|匱乏《きぼう》を増大するに在れば也。於是乎社會人類の多數は唯だツラストを所有する少數階級の爲めに、其貪慾の犧牲に供せらるゝに至れり。資本家對勞働者の階級戰爭は、其進化發達の極、遂に變じてツラスト對社會全體の衝突となり了れる也。
〇而して社會全體は何時迄か這個《しゃこ》の狀態に堪ふるを得る乎、何時迄か資本家てふ階級の存在を是認せんとする乎。彼の宠大なるツラストは、獨り無責任なる不規律なる個人的資本家の手に支配されざる可らざる乎、社會は之を公有して統一あり組織あり調和あり責任あるの產業と為すことを得可らざる乎。從來唯だ資本の集中と生產の増加とを以て天職使命となせるの資本家てふ一階級は、此に至つて旣に其天職使命を了せるに非ずや、共存在の理由を失へるに非ずや。今や彼等は單に財富分配の妨礙物として存するのみに非ずや、獨り勞働者のみならず、實に社會全體と生產機關との間に於ける障壁として存するのみに非ずや。
〇然り今や工場に於ける協同的、社會的生建組織の發達は遂に一般社會の無政府的自由競爭と兩立せざるの點に迄達せる也、小數資本家階級の存在を歸可せざるの點に迄達せる也、換言すれば矛盾衝突は其極度に達せる也。一面に於ては資本家的個人領有の制度が、最早是等の生產カを支配するの能力なきを示すと同時に、他面に於て是等生產力夫れ自身も亦其無限膨大の力の威壓を以て、現時制度の矛盾を排除し盡さんとせる也、私有資本の域を逸脫し去らんとせる也、其社會的性質を實際に承認されんことを要求命令しつ、ある也、是れ豈に一大轉變の運に向へる者に非ずや、一大破裂の時に濒せる者に非ずや。是れ實に世界產業歷史の進化發逹する所以の大勢にして、資本家階級億萬の黄金も又之を如何ともする莫き也。
〇新時代は於是て來る。
    聖賢不白之衷。托之日月。
    天地不平之氣。托之風宙。
[編者注]典拠は、「小窗幽記」からか?「賢者たちが示さなかった心は、太陽と月に託された。 不正から生じる天地の怒りは、風と雷に表現されている。」(Deepl からの訳文)

読書ざんまいよせい(048)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(02)

     第二章 貧困の原由

〇醫藥を投ずる者は、先づ其病源如何と診するを要す。借問す方今生產の資財乏しきに非ず、 市場の貨物斟きに非らずして、而も吾人人類の多數は、何が爲めに爾く衣食の匱乏《きぼう》を感ずる乎。
〇他なし之が分配の公を失せるが爲めのみ。其世界に普遍せられずして、一部に堆積せらるゝが爲めのみ、其萬人に均分せられずして、少數階級に壟斷《ろうだん》さるゝが爲めのみ。
〇英米兩國の若き、共產業の進步と隆昌とは、古來類例なき所にして、世界萬邦の俱に感嘆垂涎《かんたんすいぜん》する所也、而も彼等が富の分配の情狀に至っては、却て酸鼻を値する者あり。
〇トーマス・シアマンほ算して日く、米國の富の七割は、實に其人口の一分四厘の少敷の占有する所たり、而して他の一割二分の富は、僅に九分二厘の人口の爲めに占有せられ、殘餘の人口卽ちハ割九分四厘の多數生民は、僅に一割八分の富を保つに過ぎずと。博士スバ—ルが英國の富の分配を算するに日く、英人二百萬の多數は僅に八億の財產を有するに過ぎざるに、一面に於て十二萬五千人の少數は、却て七十九億の巨額を占有す、且つ總人口の四分の三以上は全く無資產也と。而して基等兩國の窮民公費の救助を仰ぐ者、.實に數百萬人の多きに及べり。
〇是れ豈に驚く可きの偏重に非ずや、然れども唯に英米のみならんや、獨逸も然り、佛図も然り、伊國も然り、澳國も然り、彼等各々其大小高低の度と率とを異にすと雖も、而も現時の財富のー部に集中するは、世界萬邦俱に其趨勢を同じくせる所也。而して我日本に於ても亦然らざることを得ず。
〇我國に於てや、凡そ何等の物と事とを問はずして、未だ精確の統計の信據す可きなきは遺憾の至也。然れども近時我國財富の分配が益々一部に偏重し、貧富益々懸隔するは爭ふ可らざるの事實也。見よ、土地は益々兼併せらるゝに非ずや、資本は益々合同せらるゝに非ずや。彼の資本、資本を吸ひ、息錢、息錢を生むや、國家人民全體の資產の額は甚だ培加を見ざるに拘らず、大資本家、大地主なる少數階級の資產は日に其膨脹を致すこと、恰も雪塊の一廻轉する每に、自ら其の面積を增大し來るに似たらずや。
〇試みに思へ、若し近世物質的文明が、其精緻の器、巧妙の術に依り、年々產出する所の巨額の財富をして、多數人民公平に分配して、以て日用の消費に供するを得たりとせよ、何ぞ衣食の匱乏を嘆ずる今日の如きを耍せんや、而も分配の公を失する如此《かくのごと》く甚しく、其一部に堆積し、少數階級に壟斷せらるゝ、如此く甚し。怪しむ無き也、世界の多數が常に飢凍の域に滾轉することや。
〇於是乎《ここにおいてか》、別に一問は提起せられざるを得ず、何ぞや。
〇蓋し社會の財富や、決して天より降下するに非ず、地より噴出するに非ず、一粒の米、一片の金と雖も總て是れ人間勞働の結果に非ざるは無し。夫れ唯だ勞働の結果也、其結果や當然勞働者卽ち之が産出者の所有に歸す可きの理に非ずや。而も多數の勞働者よ、何故に汝は汝の產出せる財富を自由に所有し、若くば消費すること能はざる乎。古詩に日く『滿身綺羅者《みきらにみつるもの》、是匪養蠶人《これやうさんのひとにあらず》』と、 何故に養蠶の人は却て綺羅を纏ふこと能はざる乎。[編者注:北宋・張兪の詩「蚕婦」の後半、訳は「体いっぱいに高価な絹織物の衣装をつけている者は、養蚕の仕事に従事する人たちではなかったからです。」、元の五言絶句の原文および読み下し文は、昨日入城市  昨日 城の市に入り 帰来涙満巾  帰り来たれば 涙 巾に満つ 遍身羅綺者  遍身 羅綺の者 不是養蚕人  是れ養蚕の人ならず]
〇他なし、彼等は一切の生產機關を有せざれば也。換言すれば卽ち資本を有せざれば也、土地を有せざれば也。資本なき者は勞働すること能はざる也、土地なき者は勞働すること能はざる也。勞働せざれば卽ち餓死せざる可らず。彼等は其餓死を免るゝに急なる丈《だ》け、夫れ丈け、生產機關を求むるに急ならざるを得ず。其生產機關を求むるに急なる丈け、夫れ丈け一切の利益幸福を擧げて之が犧牲に供せざることを得ず。而して彼等は實に資本所有者、土地所有者の足下に拜跪して、資本と土地との使用の許可を乞はざる可からず。而して此使用の許可を得るの報酬として、其生產の大部を資本家、地主の倉庫に献納せざるを得ず。而して彼等が終歲、若くば生涯、營々たる勞役の功果は、憐れむ可し、唯だ其不幸なる生命を支ふるに過ぎざるのみ。然り現時の小農及び小作人は實に如此き狀態に在り、現時の職工は實に如此きの狀態に在り、 土地と資本とを有するなくして、賃銀に衣食し、給料に衣食する者、皆な實に如此きの狀態に在り。
〇試みに思へ、若し世界の土地と資本とをして、多數人類が自由に其生產の用に供するを得たりとせよ。彼等が多額の金利を徴せられ、法外の地料を掠められ、若くば低廉の賃銀を以て雇役さる、の要なくして、其勞働の結果たる簣は直ちに彼等の所有として、自由に消費することを得たりとせよ。分配公を失して、貧富の懸隔する、何ぞ今日の如く甚しきに至らんや。而も彼等は唯だ勞働の力を有するのみ。土地と資本との兩者に至っては、全く少數階級の專有に歸して、其生產の大部を納むるに非ざるよりは、決して使用するを許されざる也。怪しむなき也、世界の多數が常に飢凍の域に滾轉することや。
〇於是乎、更に一問は提起せられざるを得ず、何ぞや。
〇夫れ土地や資本や、一切の生產機關は、人類全體を生活せしむる所以の要件也、之を壟斷し占有するは、卽ち人類全體の生活をが左右し、死命を制する所以也、彼地主資本家なる者果して何の德あり、何の權利あり、何の必要あって、之を壟断し、專有し、增大して、以て多數人類の平和と進步と幸福とを蹂躙するや。
〇他なし、僥倖のみ、猾智のみ、貪慾のみ。彼等地主資本家や、時に或は勞働に從ひ生產を扶くるなきに非ざる可し、勤勉なることなきに非ざる可し、節儉なることなきに非ざる可し。然れども彼等が勤勉なる努働者、節儉なる生產者としての所得や知るべきのみ。而して彼等が地主資本家として擁する所の財富や、決して勤勉と節約とに依て律可き所の者に非ざる也。彼等の或者は卽ち父祖の譲與也、或者は卽ち投機の勝利也。或者は卽ち利息の堆積也。然り今の富厚を重ぬる者、三者必ず其一に居らざるはなし。而して其富變じて資本となり、株券を買ひ、土地を併すや、彼等は一擧手一投足の勞なくして、飽暖《はうだん》[編者注:暖衣飽食の略、典拠は、「孟子」と「荀子」]逸楽以て多數人類勞働の結果を掠奪す。而して其掠奪せる富は、更に轉じて資本となり、再び多額の富を掠奪するの武器となる。如此にして轉々窮る所を知らずして、而して少數者の富益々富を加へ、多數者の貧益々貧に陷るに至れる也。故にプルードンは叫んで日く、『財產は强奪の果也、資本家は盜賊也』と。然り道義的眼光より之を見る、彼等は實に自ら其盜賊たるを知らずして盜賊たる也。又何の德あり、何の權利あり、何の必要あと、 何故に養獄の人は却て綺羅を纏ふこと能はざる乎。
〇他なし、彼等は一切の生產機關を有せざれば也。換言すれば卽ち資本を有せざれば也、土地を有せざれば也。資本なき者は勞働すること能はざる也、土地なき者は勞働すること能はざる也。勞働せざれば卽ち觥死せざる可らず。彼等は其餓死を免るゝに急なる丈《だ》け、夫れ丈け、生產機關を求むるに急ならざるを得ず。其生產機關を求むるに急なる丈け、夫れ丈けー切の利益幸福を擧げて之が犧牲に供せざることを得ず。而して彼等は實に資本所有者、土地所有者の足下に拜跪して、資本と土地との使用の許可を乞はざる可からず。而して此使用の許可を得るの報酬として、其生產の大部を資本家、地主の倉庫に袱納せざるを得ず。而して彼等が終歲、若くば生涯、營々たる勞役の功果は、憐れむ可し、唯だ其不幸なる生命を支ふるに過ぎざるのみ。然り現時の小農及び小作人は實に如此き狀態に在り、現時の職工は實に如此きの狀態に在り、 土地と資本とを有するなくして、賃銀に衣食し、給料に衣食する者、皆な實に如此きの狀態に在り。
〇試みに思へ、若し世界の土地と資本とをして、多數人類が自由に其生產の用に供するを得たりとせよ。彼等が多額の金利を徴せられ、法外の地料を掠められ、若くば低廉の賃銀を以て雇役さるゝの要なくして、其勞働の結果たる簣は直ちに彼等の所有として、自由に消費することを得たりとせよ。分配公を失して、貧富の懸隔する、何ぞ今日の如く甚しきに至らんや。而も彼等は唯だ勞働の力を有するのみ。土地と資本との兩者に至っては、全く少數階級の專有に歸して、其生產の大部を納むるに非ざるよりは、決して使用するを許されざる也。怪しむなき也、世界の多數が常に伽凍の域に滾轉することや。
〇於是乎、更に一間は養せられざるを得ず、何ぞや。
〇夫れ土地や資本や、一切の生產機關は、人類全體を生活せしむる所以の要件也、之を壟斷し占有するは、卽ち人類全體の生活を左右し、死命を制する所以也、彼地主資本家なる者果して何の德あり、何の權利あり、何の必要あって、之を壟斷し、專有し、增大して、以て多數人類の平和と進步と幸福とを蹂蹂躙するや。
〇他なし、僥倖のみ、猾智のみ、貪慾のみ。彼等地主資本家や、時に或は勞働に從ひ生產を扶くるなきに非ざる可し、勤勉なることなきに非ざる可し、節儉なることなきに非ざる可し。然れども彼等が勤勉なる努働者、節儉なる生產者としての所得や知るべきのみ。而して彼等が地主資本家として擁する所の財富や、決して勤勉と節約とに依て得可き所の者に非ざる也。彼等の或者は卽ち父祖の譲與也、或者は卽ち投機の勝利也。或者は卽ち利息の堆積也。然り今の富厚を重ぬる者、三者必ず其一に居らざるはなし。而して其富變じて資本となり、株券を買ひ、土地を併すや、彼等は一擧手一投足の勞なくして、飽暖《はうだん》[編者注:暖衣飽食の略、典拠は「孟子」滕文公上]逸樂以て多數人類勞働の結果を掠奪す。而して其掠奪せる富は、更に轉じて資本となり、再び多額の富を掠奪するの武器となる。如此にして轉々窮る所を知らずして、而して少數者の富益々富を加へ、多數者の貧益々貧に陷るに至れる也。故にプルードンは叫んで日く、『財產は强奪の果也、資本家は盜賊也』と。然り道義的眼光より之を見る、彼等は實に自ら其盜賊たるを知らずして盜賊たる也。又何の德あり、何の權利あり、何の必要ある者ならんや。而も吾人は是等道義的盜賊を放養して、以て其專恣掠奪に任せるに非ずや。怪しむなき也。多數人類が常に飢凍の域に滾轉せることや。
〇於是乎吾人は現時社會の病源に於て、略ぼ知る所あるを信ず。何ぞや、日く、多數人類の飢凍は、富の分配の不公に在り、富の分配の不公は、生産物をして生産者の手に歸せしめざるに在り、生産物をして生産者の手に歸せしめざるは、地主資本家なる少數階級の掠奪する所となれば也、地主資本家の掠奪する所となるは、土地や資本や一切生產機關をして初めより地主資本家の手中に占有せしむれば也。
〇果して然らば之が治療の術亦實に知るに難からざる也。予は卽ち斷言せんとす、今の社會間題解決の方法は、唯だー切の生產機關を、地主資本家の手より奪ふて、之を社會人民の公有に移す有るのみと。
〇然り、『一切の生產機關を地主資本家の手より奪ふて、之を社食人民の公有となす』者、換言すれば、地主資本家なる徒手游食の階級を廢滅するは、是れ實に『近世社會主義』一名『科學的社會主義』の骨髄とする所に非ずや。
〇於是乎世間社會主義を熟知せざるの士、啞然失笑して日はんとす、何等の囈語《げいご》ぞ、何等の妄想ぞ、思へ社會の生產は一に地主資本家の左右する所に非ずや、其分配は一に地主資本家の指揮する所に非ずや、農工商經濟は總て彼等に依て維持せられ、多數人類は總て彼等の手に養はる。曷《いづく》んぞ能く之を廢滅することを得んや、假に之を能くせしむるも、若し彼等.微《な》りせば社會は暗黑ならんのみ。而も漫《みだり》に之が廢滅を言ふ、社會主義なるもの、抑も何等の妄想囈語ぞやと。
〇嗚呼囈語乎妄想乎、社會は永劫に地主資本家の存在を是認す可き乎、是認せざる可らざる乎。吾人は此等の言を爲すの人に向って、先づ人類社會の組織し進化する所以に就て、一番の討査を請はざる可らず。
爭之難平也。天折地絶。亦無自屈之期。
報之不已也。鬼哭神愁。奚有相安之日。
[編者注]典拠は『小窓幽記』(明末・文学者陳継儒)「争いの決着は難しい。 空は割れ、地は裂け。 自虐している暇はない。まだ報告は終わらない。 鬼霊は泣き、神々は悲しんで安穏な日々は来ない。」くらいの意味か?飛鳥井雅道氏は、「幸徳秋水」(中公新書)の中で、ロジア・ナロードニキの著書の秋水訳書の題名に「神愁鬼哭」とあるのは、宮崎夢柳の「虚無党実伝記・鬼啾啾《きしゅうしゅう》」からのイメージと書くが、それは違うだろう。以上の案件のご教示を待つ。

読書ざんまいよせい(047)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(01)
3月から、「大逆事件」について、学び始めました。それに関連して、神戸での事件関係者に関する講座にも通っています。幸徳秋水の主要著作も、現代語訳もむくめて電子化されたテキストも多々ありますが、案外、フリーテキストされていない作品も目に付きます。そのなかから、「社会主義神髄」をテキスト化してみました。また、章の最後に、漢詩ないし漢文の引用での締めくくりがあるので、できるだけその典拠も書いてみたいと思っています。

“Let the ruling classes trem-
ble at a Communistic revolu-
tion. The proletarians have
nothing to lose but their chains.
They have a world to win.
Working men of all countries
unite !”
【編者注】「支配階級をして共産主義革命の前に戰慄せしめよ。プロレタリヤは、自分の鎖よりほかに失ふべき何ものももたない。そして彼らは、獲得すべき全世界をもつてゐる。
 萬國のプロレタリヤ團結せよ!」
(幸徳秋水・堺利彦訳「共産党宣言」末尾より・青空文庫

自 序

『社會主義とは何ぞ』是れ我が國人の競ふて知らんと欲する所なるに似たり、而して又實に知らざる可らざる所に屬す。予は我國に於ける社會主義者の一人として、之れを知らしむるの責任あるを感ずるが故に、此の書を作れり。
近時社會主義に關する著譯の公行する者、大抵非社會主我者の手に成り往々獨斷に流れ正鵠を失す、其然らざるも或は僅に其一部を論じ、或は單に一方面を描くに過ぎず。而して浩瀚の者は却つて煩冗《はんじやう》に過ぎ、短簡なる者、 亦要領を得難きの憾み有り。是を以て予は本書に於て、勉めて枝葉を去り、細節に拘せず、一見明白に其大綱を了會し耍義に誘徹せしめんことを期せり。世間未だ社會主義の何たろを知らざるの士之に依て、所謂『烏眼觀《バーヅアイ・ヴユー》』を做すことを得ぱ、幸ひ甚し。蓋し著述の推きは徒に紙吸を多からしむるに在らずして、冥に次序の體を得せしむるに在り、材料を豐にするに在らずして繁簡の中を得せしむるに在り。本書固より闘々の小册なりと雖も、而も稿を代ふること十數囘、時を費す半年の久しきに及びて遂に意に滿つる能はず、慚悦何ぞ堪へん。但だ予の不才之な奈何ともするなくして、而して江湖の社會主義を知らんとする者、益々急なるを見て、忍んで剞劂《きけつ》に付するを爲せり。故に本書說く所に關し、反對の意見若くば疑間を以て質さるゝの人あらば、予は喜んで更に之が答辯說明の責に任ずべし。
本書執筆の際、參照に資せしは、
  MARX, K & ENGELS, F. Manifesto of the Communist Party.
  MARX, K, Capital: A Critical Analysis of Capitalist Production.
  ENGELS, F. Socialism, Utopian and Scientific.
  KIRKUP, T. An Inquiry into Socialism.
  ELY, R. Socialism and Social Reform.
  BLISS, W. A Handbook of Socialism.
  MORRIS, W. & BAX, E. B. Socialism : its Growth and Outcome.
  BLISS, W. The Encyclopedia of Social Reforms.
等の數種也。初學少年の爲めに特に之を言ふ。
    明治三十六年六月
                著 者

      第一章 緖  論

〇クロムウエルと言ふこと勿れ、ワシントンと言ふこと勿れ、ロベスピエールと言ふこと勿かれ、若し予に質すに古今最大の革命家を以てする者あらば、予は實にゼームス・ワット其人を推さずんばあらず。彼れ夫れーたび其精緻の頭腦を鼓して、造化の祕機を捉來し、之を人間の眼前に展開するや、世界萬邦物質的生活の狀態は、俄然として爲めに一變を致せるに非ずや。嗚呼彼所謂殖產的革命の功果や眞に偉なる哉。
〇蓋し今の紡績や、織布や、鑄鐵や、印刷や、共他百般工技の器、鐵道や、汽船や、 其他白般交通の具、之を望めば恰も魅應の如く、之に就けぱ恰も山撤の如く然り。而して此等の機器の常に自在に胴使せられ、無礙に運轉せらるるもの、唯だ慧々然たる蒸氣ー吹の力に由れることを思ふ、其術何ぞ爾く巧にして其能何ぞ爾く大なるや。若し十八世紀中葉の人類を地下に起して以て今日を觀せしめば、應に呀然として駭絕驚倒すべきや必せり。況んや之に次ぐに定氣發明の奇と其應用の妙、刻々に新なるを以てするに至って、人智の窮極する所、眞に測る可らざる者有り、予は萬物の靈長の語、於是て始めて驗有るを覺ふ。
〇然れども此等機器の發明及び共改善に由て打成せる、所綱殖焼的革命の貴尙すべき所以の功果は、獨り英技の巧且つ妙なるに在らずして、實に共殖產の饒多に、其交換の利便なるに在らざる可かず。
〇蓋し近時生產カ發達の程度及比率は、其產業の種類の異なるに從って差あるが故に詳密精確の統計を得難しと雖も、而も機械が人力に代れるが爲めに、槪して著大の增加を來せるや論なし。敎授イリーは日く、或種の產業は爲めに十倍せり、或種の產業は爲めに二十倍せり、更紗の生産の如きは、優に百倍し、書籍版行の如きは優に千倍せりと。ロバート・オーエンは早く前世紀の初に於て公言して日く、五十年前六十萬人の勞働を要せるの財富は、今や僅に二千五百人の力を以て生產し得べしと。而して爾後今日に至る迄百年間、更に幾層の進步ありしや、疑ふ可らず。某學士は亦日く、近時の器械は一家五口の戶々に供するに、各々昔時六十人の奴隸の生產せしと同額の資財を以てするを得べしと。由处觀之《これによつてこれをみるに》、最近百餘年間に於て、世界の生産力が少くも平均十數倍の增加を為せるは、何人も之を斷言するに躊躇せじ。
〇而して是等僥多の財富が、世界各地に運輸され交換さるゝや、亦其自在と敏活とを極む。蜘網の如き鐵道航路は、以て坤輿《こんよ》を縮小すること幾千里、神經系統の如き電線は、以て萬邦を束ねてー體と為す。濠洲に屠れる羊肉は直に英人の食膳に上る可く、米國にて作れる棉花は遍く亜細亜人の體軀を纏ふ。緩急の相依り、有無の相通ずる、有史以來實に今日より盛なるは莫し。
〇嗚呼是れ實に所謂近世文明の特質也、美華也、光蟬也。吾人生れて這個《しゃこ》文明の民たるを得て、是等空前の偉觀壯觀を仰ぐ者、竊かに自ら慶し、且つ誇るに足る有るに似たり。
〇然れども、吾人は近世文明の民たるに於て、眞に自ら慶す可き乎、眞に自ら誇る可き乎。否、是れ疑問也、然り大疑問也。
〇試みに一考せよ、近時機器の助けあるが爲めに、吾人生産の力が十借、百倍、時としては千借せることは、卽ち之れ有り。然らぱ則ち世界多數の勞働者は、殖産的革命の以前に比して、大に其勞働の時と量とを減じ得可きの理也。而も事實は之に反す、彼等は依然として永く十二一時間乃至十四五時間苛酷の勞働に服せざる可らざるは何ぞや。奇なる哉。
〇又一考せよ、近時千百借せる饒多の財富は、運輸交通の機關の助けあるが爲めに、世界の一隅より一隅に至る迄、自在敏活に分配貿易せらるゝことは、亦眞に之れ有り。然らば則ち世界多數の人類は、衣食大に餘り有りて、洋々太平を謳歌し得可きの理也。而も事實は之に反す、彼のロ糟糠だにも飽かずして、父母は飢凍し、兄弟妻子離散する者、日に益々多きを加ふるは何ぞや、奇なる哉。
〇人力の必要は省減せり、而も勞働の必要は減少せざる也。財富の生産は堪加せり、而も人類の衣食は増加せざる也。旣に勞働の苛酷に堪へず、更に衣食の匱乏に苦しむ。故を以て學校の設くる多くして、人は敎育を受くるの自由を有せざる也、交通の機關便にして、人は旅行の自由を有せざる也、醫治の術進步して、人は療養の自由を有せざる也、多數政治の制ありて、人は参政の自由を有せざる也、文藝美術發達して人は娛樂の自由を有せざる也。而して所謂近世文明の特質や、美華や、光輝や、如此にして多數人類の幸福、平和、進步に於て、果して幾何の價値有りとする乎。
〇言ふこと勿れ人は麵麴のみにして生きずと。衣食なくして何の自由あることを得る耶、何の進步あることを得る耶、何の道德あることを得る耶、何の學藝あることを得る叫。晋敬仲云へる有リ、倉廩實而知禮節《さうりんみちてしかしてれいせつをしる》と、所詮人生の第一義は卽ち衣食問題也。而も近世文明の民たる多數人類は、實に衣食の匱泛の爲めに遑々たるに非ずや。
〇言ふこと勿れ、勞働は衣食を生ずと。見よ彼の勞働せる人の子を、彼や生れて八九歲の幼時より共老衰病死に至る迄、營々として牛馬の如く驅られ、兀々《ごつ/\》として蟻蜂の如く勞す、節儉にして勤勉なる、凡そ彼等に過ぐるは莫し。而して租稅滯納の爲めに公賣の處分に遭ふ者、年々數萬を以て算せらるゝ也。而して彼の衣食常に餘りある者は、常に勞働するの人に非ずして、却て徒手逸樂遊悟の人に非ずや。
〇然れども其勞働の痛苦や、猶ほ可也、若し夫れ勞働す可き地位職業すら之を求めて寛に得ること能はざるに至ては、人生の慘事實に之より甚しきは莫し。彼や壯健の體軀を有す、彼や明敏の頭腦を有す、彼や有爲の技能を有す、而して其カ能く衣食の生產に任じて餘り有る者にして、唯だ其職業を得ざるが爲めに、終生窮途に泣き溝壑《こうがく》に滾轉《こんてん》する者、 世間果して幾萬人ぞ。
〇好し高利に衣食せよ、株券に衣食せよ、地代に衣笈せよ、租稅に衣食せよ、今の所謂文明社會に處して然る能はざる者は、則ち長時間の勞働也、苦痛也、窮乏也、無職業也、俄死也。觥死に甘んぜずんば、則ち男子は强窃盜たり、女子は醜業婦たらんのみ、墮落あるのみ、罪悪あるのみ。
〇然り今の文明や、一面に於て燦爛たる美華と光輝とを發すると同時に、一面に於て暗黑なる窮乏と罪惡とを有す。燦爛の天に〓[皇+羽]翔《こうしゅう》する者は千萬人中僅に一人のみ、暗黒の域に滾轉する者は世界人類の大多數也。是れ豈に吾人人類の自ら誇るに足る者ならん哉。
〇烏呼世界人類の苦痛や飢凍や、日は一日より急に、月は一月より激也、人類の多數は唯だ其生活の自由と衣食の平等とを求むるが爲めに、一切の平和、幸福、進步を犧牲に供せずんば已まざらんとす。人生なる者は竟に如此き者耶、 如此くならざる可らざる耶、 耶蘇の所謂祖先の罪耶、浮屠《ふと》の所謂娑婆の常耶。咄々豈に是れ眞理《トルース》ならんや、正義《ヂヤスチース》ならんや、人道《匕ユーマニチー》ならんや。
〇嗚呼彼の偉大なる殖產的革命の功果は、竟に人道、正義、眞理に合す可らざる乎。所謂近世文明の世界は、遂に人道、正義、眞理を現す可らざる乎。是れ個の問題や二十世紀の陌頭《はくとう》に立てるスヒンクスの謎語也。之を解決する者は生きん、否らずんば死せん、世界人類の運命は懸けて此一謎語に在り。
〇誰か能く之を解決する者ぞ、宗敎乎、否、敎育乎、否、法律乎、重備乎、否、否、否。
〇夫れ宗敎や以て未來の樂園を想像せしむ、未だ吾人の爲めに現在の苦痛を除き去らざる也。敎育や以て多大の智識を與ふ、未だ吾人の爲めに一日の衣食を産出せざる也。法律や能く人を責罰す、人を樂ましむるの具に非ざる也。応備や能く人を屠殺す、人を活かしむるの器に非ざる也。嗚呼、噫、誰か能く之を解決する者ぞ。
以貨財害子孫。不必操戈入室。
以學術殺後世。有如按劎伏兵。
【編者注】漢文の典拠不明、「貨財を以って子孫を害す。必らずしも戈を操り室に入る要なし。學術を以って後世を殺す、剣を按ずるの伏兵あるがごとし。」と読み下しできるだろう。『金銭の力で孫子まで害をすのに、部屋に入る必要はない、弁論で後世まで抹殺するのは剣をもった伏兵がいるようだ。』くらいの意味だろう。ご教示を待つ。)