中井正一「土曜日」巻頭言(02)

編者注】今回から、若干の例外を除いて、掲載順とし、新字新かなを基本とします。図は、復刻版『土曜日』表紙です。

◎生きて今ここにいることを手離すまい ー九三六年七月十七日(『土曜日第2号)

 日々の営みが不自由になり、単調となってくると、考えること、楽しむことすらもが一つのコースを繰り返し繰り返し巡りはじめてくる。誰にも秘された夢までが、活字のように同じものにさえなってくる。そして、脳の髄までも一つの時代の考え方を考え、腸の底まで一つの時代の喜びを喜ぶようになる。そして、それでいいのだと落ち着き、みんなも一緒だと安心してくるのである。
 それで一人前になったと老人からほめられ、しっかり者だと友達から愛され、自分にも一種の成長し、苦労したという自信ができてくるのである。いいかえれば、その時代の誰でもが考える生き方を掘りあててきたのである。
 いわゆる中庸の道を知ったのである。あたりさわりのないイージーな道を心得てきたのである。貫禄がついてきたのである。
 しかし、このことはよく考えると、大きな危険を孕んでいる。そのことは換言すれば、自分の生まれて、今、ここに生きていること、その未来の正しさへの批判を放棄してくることである。その生活の中の歪みと、その虚しさに慄然とした関心を日々の忙しさに棄て込むことである。そしてやがては、友愛への寂しい利己的な限界を自分にいい聞かせ、精神の明晰な探究を誤魔化すことをいいふくめ、生活への怯惰を合理化する術を憶えることである。そして、それは自分には無意識に、自分たちの明日の幸福を見失うとともにむしろ明日の不幸にみずからを手渡しすることなのである。
 しかし、もちろんそれらのことは鎬をけずる生活の闘いからしかたなくそうなってきたことではあろう。といって、だから、しかたがないとはいえまい。生活とは、その落ち着きの上に今一歩の鎬ぎを、今一歩の切り込んだ批判をもってこそ、今、ここに、生きていることを手離さない生活といえるのである。その意味で、生活は厳かさをもっているのである。
 人々は、今、すべてのものを所有したがっている。そして、そうすることをもって、自分の今、ここに生きていることを、惜しみなく手離している。人々の不安とはこのことである。一等大切なものを落した予感である。
 時間が無限であっても、空間がどんなに涯なくても、今、ここに、自分たちが生きていることより大いなる現なることはなく、それを正しい批判の前に置くことほど、切実なることはないのである。
 『土曜日』はそれらのことをもう一度ふりかえる週末である。

 ここで、中井正一の残念な文章をひとつ。

遂に敵はルソンに迫りきたった。
実に蒙古軍船舳纑相含んで襲いきたったときの概が、今、まさに胸にたぎる。
かかるとき、特攻隊の壮烈すでに日本男子尋常の平常心となりきたった。
われわれの日々の生活そのものを壮烈なるものにしようではないか。
戦わんかな、時いたる。
左右を顧み、まあ明日からといわず、今日、ただ今より、自分たちの生活を壮烈なるものと
しよう。
 B29の爆音はこの耳ではっきり昼と夜、聞いているのである。はっきりと自分たちが戦士なのである。
 愚痴など、頭をー振り振って振り落とそう。そしてその愚痴の対象を身をもって補い正そう。
「自分だけでは」とか「まあこれくらいなら」といわずに、一隅のことから明るくするに億劫になるまい。
 一人一人が戦士であること、男も女も、それをひそかに感ずること、容易ならざる歴史をつくり出すことが、この自分に背負わされていることを、今日、しみじみと自分に言い聞かせよ。
 身辺は直ちに壮烈なものとなる。
 眩しいほど明るくなる。
 莞爾として死ねる爽やかなものとなる。
 戦わんかな、時いたる。
(ー九四五年一月十日)

 「土曜日」は、約一年の短い期間で、その幕を閉じた。「治安維持法」違反で、「土曜日」関係者が、収監されたからだ。中井は、その後保釈されたが、こうした文を読んでいると、当局の監視と強要は、わたしたちの想像以上に厳しかったようだ。どれも、中井正一の「本心」とは、考えられない文章が「橋頭保」に載っているが、到底読むに堪えないので、紹介はこの一編にとどめることとする。少なくとも、中井の「土曜日」創刊号と第2号の、理性に裏打ちされた明晰さと、包容力あふれた温もりは、戦時中の文には微塵も感じられない。こうした個人の内面まで踏みにじる、特高警察をはじめとする絶対性天皇制の野蛮さにあらためて満腔の怒りをもつとともに、今から思えば中井の「醜悪」な文章も、ことによると、「こんなことを繰り返してはならない」とする後世へのメッセージなのかもしれない。
 明日は、総選挙の日、日本が、二度とこんな日々を経験しないように、また明日への希望へと続く第一歩になるように、心から願っている。
 先日の期日前投票で、注文したいところは山程あるが、小選挙区では、日本共産党の候補者に、比例代表区では「日本共産党」と書いた。「イシバ知るモラルは弛み民怒り燃え出《いず》る秋になるかも」だったらいいのだが…

底本】
中井正一全集 4 「文化と集団の論理」 美術出版社

中井正一「土曜日」巻頭言(01)

 10年以上前に、中井正一の「土曜日」巻頭言の数編をアップしたことがありましたが、サーバーのHDD不調のため、今では閲覧できません。そこで改めて、「土曜日」復刻版から、OCR で復元できたものを、土曜日毎に掲載してゆきます。とりあえずは、Facebook にかろうじて残っていた、創刊号(1936年7月4日)巻頭言から…(この項は新字新かなです。)
 中井正一の経歴などは、Wikipedia 中井正一 を参照してください。また、青空文庫にも、彼の作品があります。

◎花は鉄路の盛り土の上にも咲く

 しぶく波頭と高い日の下に、一杯の自分の力を感じた冒険者の様に、かって人々は生きた事があった。今は冷いベトンの地下室で、単調なエンジンの音を聴きながら、黙々と与えられた部署に、終日を暮す生活が人々の生活となって来た。
 営みが巨大な機構の中に組入られて、それが何だか人間から離れて来た様である。明日への希望は失われ、本当の智慧が傷つけられまじめな夢がきえてしまった。しかし、人々はそれでよいとは誰も思っていないのである。何かが欠けていることは知っている。
 しかし、何が欠けているさだかには判っていないのである。人々が歪められた営みから解放された時間、我々が憩う瞬間、何を望み、何を知り、何を夢みてよいかさえも忘れられんとしているのである。それは自分に一等親しい自分の面影が想出せない淋しさである。
 美しいせせらぎ、可愛いい花、小さなめだかが走っている小川の上を覆うて、灰色の鉄道の線路が一直線に横切った時、ラスキンは凡ての人間の過去の親しいものが斜めに断切られてしまったかのように戦慄したのである。しかしテニソンはそのとき、芸術は自然の如く、その花をもって、鉄道の盛土を覆い得ると答えたのである。
 この鉄路の上に咲く花は、千鈞の力を必要としたのではない。日々の絶間なき必要を守ったのである。我我の生きて此処に今居ることをしっかり手離さないこと、その批判を放棄しないことに於いて、始めて、凡ての灰色の路線を、花をもって埋めることが出来るのである。
 『土曜日』は人々が自分達の中に何が失われているかを想出す午後であり、まじめな夢が瞼に描かれ、本当の智慧がお互に語合われ、明日のスケジュールが計画される夕である。はばかるところなき涙が涙ぐまれ、隔てなき微笑みが微笑まるる夜である。 土曜日

昭和十一年(1936年)七月四日(創刊号)