◎菅原道真
以前も一度だけ菅原道真(845-903)を取り上げたが、本邦屈指の漢詩人、道真公の話題はこれにとどまらない。ここでは、初期の漢詩を中心に…まずは、詩人道真の11歳時のデビュー作。師の島田忠臣が感心したと云う。
月夜見梅花 月夜に梅の花を見る
月耀如晴雪 月の耀《かがや》くは晴れたる雪の如し (げつようせいせつのごとく)
梅花似照星 梅花は照れる星に似たり (ばいかしょうせいににたり)
可憐金鏡轉 憐れぶべし 金鏡の転《かいろ》きて (あわれむべしきんきょうてんじて)
庭上玉房馨 庭上に玉房の香れるを (ていじょうにぎょくぼうのかおれるを)
語釈、訳文は、古典・詩歌鑑賞(ときどき京都のことも)を参考ののこと。
この頃から、道真は天性の詩情が備わっていたようだ。作曲家モーツァルトのほうがもっと早熟だが、どこかモーツァルトを彷彿させるものがある。
もう一首、恋する年齢に達して、その思慕の情を表現したもの、白文は省略する。
翫梅華 梅華を翫す
梅樹 花開きて 白き繒《かとり》を剪《き》る 純白の薄絹のごとき 咲き満ちる梅の花よ
春情 勾引されて 相仍《あいよ》ること得たり 春情に導かれて 私はあなたに寄ろうとする
狂風第一《ていいち》 吹きて狼藉ならませば すると 狂った春風がいきなり吹いてきて 見る間に花を散らす
叱々忩々《そうそう》 意《こころ》 勝《た》へざらまし ああ それをただ見ているだけの耐えがたさよ
下記参考図書によると、恋心の対象は、藤原基経の妹にして先代文徳天皇の女御であった明子であったという。
大岡信や加藤周一などは、菅原道真を、文学的対象や視野を格段に拡げたと評価する一方、その後はこうした文学的継承がなされなかったとも言うが、そうした詩が書かれるのは、詩人がもう少し成熟したのちである。。
写真は、北野天満宮境内での、どこか道真公の幼き日の面影のある稚児像と梅の花(Wikipedia)
参考】 ・高瀬千図 道真(上)花の時 NHK出版