南總里見八犬傳第二輯卷之四第十七回
東都 曲亭主人 編次
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「思ひくまの人はなか〳〵なきものをあはれに犬のぬしをしりぬる」「犬塚しの」「龜笹」「はま路」
妬忌を逞して蟇六螟蛉をやしなふ
孝心を固して信乃曝布に禊す
卻說犬塚番作は、年來の志願稍遂て、男子既に出生し、母も子もいとすくよかに、產室撤るころにぞなりぬ。「さて兒の名を何とか呼ん」、と女房手束に譚へば、手束は且く沈吟じ、「よに子育のなきものは、男兒なれば女の子とし、女の子には男名つけて、やしなひ育れば恙なしとて、如此する人も稀には侍り。我夫婦に幸なくて、男兒三人擧しかど、みな殤子にてなくなりたるに、この度も又男兒なれば、一トしほ心よはくなりて、想像のみせられはべり。この子が十五にならん比まで、女子にして孚ば、恙あらじと思ひ侍り。その心して名け給へ」、といへば番作うちほゝ笑み、「死生命あり、名の咎ならんや。齋多き俗の僻事、いと信がたき筋なれども、おん身が心やりにもならば、俗に從ふもわろきにあらず。古語に長きをしのといふ。和名妙に長竿を、しのめと訓せし、則是なり。今も穗の長き芒を、しのすゝきといふぞかし。繁きすゝきとするは非ならん。わが子の命長かれ、と祝のこゝろもて、その名を信乃と喚べき欤。昔われ美濃路にて、不思議におん身と名吿あひ、信濃路にして夫婦となりぬ。しのとしなのとその聲近し。越鳥は南枝に巢ひ、胡馬は北風に嘶といへり。孰かその原を忘れん。わが子もし發迹て、受領する事さへあらば、信濃の守護にもなれかし、と亦祝ぎのこゝろに稱へり。この名は甚麼」、と實たちて、問ば手束は聞あへず、「そはいとめでたき名にはべり。富人は五十日百日、と產室やしなひの賀に、酒もり遊ぶ日も多かり。せめてこの子が名ひらきに、竈の神に神酒獻り、手習子と綿の弟子に、もの食せ給はずや」、といふに番作うち點頭、「われもかくこそ思ふなれ。とく〳〵」といそがせば、手束は鄰き媼等を傭ひて、赤小豆飯に芝雜魚の羹よ膾といそがしく、目つらを掴み料理して、里の總角等を召聚會、盛ならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳、箸とりあぐる髻鬟等が、顏は隱るゝ親碗に、子の久後を壽きの饗應にみな嗛りて、膝にこぼれし粒飯を、拾ひもあへず、身を起し、歡びを述て還るもあり、人より先に草屨を、穿ん穿せじ、と囂しく、𥉉〚目+條〛てかへるも多かりけり。
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