読書ざんまいよせい(067)

◎滝沢馬琴・内田魯庵抄訳南総里見八犬伝(002)

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一 番作と蟇六

 伏姫ふせひめが富山に神去かんさり給ひてから十何年になる。武州大塚(今の小石川の大塚)に犬塚番作いぬづかばんさくといふ浪士があつた。もとは大塚の里を知行ちぎやうして大塚を名乘つた管領くわんれい持氏もちうぢ家人けにんであつたが、結城ゆふきの亂に加はつて暫らく踪跡をくらました間に犬塚と姓を改め、持氏の子の成氏なりうぢが再び管領となつてから放浪中にめとつた妻をれて何年振かで舊采地へ戻つて来た。

 然るに番作父子が忠義の爲めに家を明けた不在中、留守居した姉の亀篠かめざさは物竪い父や弟には似ない淫奔女いたづらもので、さぬ仲の義理の母と、二人ふたり棲で誰憚たれはゞかる者も無いので勝手氣儘に男狂ひをし、擧句あげくはては母が病氣でひとの足りないのをかこつけに破落戸ならずものの蟇六を引摺込ひきずりこみ、母が眼をつぶつたのを好い幸ひにズル〳〵ベッタリの夫婦となつた。成氏が管領家くわんれいけとなつて舊臣を召出されると聞くとひき六は俄に大塚姓を名乘って、番作の所在不明を奇貨として先代の忠義を申立てゝ相續を願出た。近所合壁爪彈きんじよがつぺきつまはぢきせぬ者はない破落戸ならずものが先代の忠義の餘徳で村長むらおさを命ぜられ、八町四反を宛行あておこなはれ帯刀も許されて、成上り者の大きな顏をして威張返つてゐた。

 そんな事とは知らずに歸つた番作は、代々忠義できこえた大塚の家名が、姉の不身持から泥を塗られたのを憤つたが、姉と爭つて血で血を洗ふは益〻家名をはづかしめる物笑ものわらひだと、思慮あるだけに奇麗サツパリと忘れてしまつて、浪々の生活を楽んでゐた。が、さらぬだに前から姉の氣隨きずひ不身持ふみもちにが〳〵しく思つたのが愈〻面白くなくなつて十何年間唯の一遍も姉の家へ足踏みしなかつた。ひき六夫婦も何となく弟の家のしきゐが高くなつて、番作の妻が産をした時も長のわづらひの後身まかつた時も顏を出さなかつた。眼と鼻の間で摺れ違つても互ひに顏をそむけて赤の他人よりもつめたくなつてゐた。

 番作の子の信乃しのたび〳〵男の子をくした母の迷ひから、無事に生立おひたつやうにと、俗説に従つて女の子にして育てた。が、赤い衣服きものに不似合ひなあら〳〵しい遊びばかりして、力もあり武藝も好き、其上に一を聞いて十を知る利口者りこうもので、氣質きだても柔しい親孝行であつたから近所のものとなつてゐた。石女うまずめ亀篠かめざさはこれがいま〳〵しくて、信乃しのに負けない子をと物色して漸く玉のやうな女の子をしとねの上から貰つて、蝶よ花よと大切に育ててせめてもの心りとした。

 信乃しのが遊びの友とする飼犬かひいぬらうといふがあつた。番作の妻が子供がしさに瀧の川の辨才天に願掛けして日參につさんした或る日の歸途かへりみち、マダ生れたばかりのいぬの子がクン〳〵鼻を鳴らしてまつはりつくのが振棄てかねて拾つて来たのが與四郎である。信乃は辨才天の授かり子でそのあくる年に産の紐を解いたのであるから、人畜じんちくの区別はあつても與四郎も亦信乃同樣に大切に育て、られた。段々大きくなると毛並つや々しく骨組もたくましく、敏捷で力が強いたぐひ稀れな逸物であつたから一村の群犬は威伏されて、ひきかた飼犬かひいぬも何匹取換とりかへても與四郎に噛伏かみふせられるので、蟇六はごふえてたまらなかつた。結局犬は斷念して、猫は貴人の膝にものぼる犬より貴いものだといふ勝手な理窟をつけて雉子猫きじねこを貰ひ、らうと名をけて家内中が寵愛し、番作と與四郎をの仇に罵つてごふやしてゐた。

 然るにこの秘藏ひざうの紀二郎猫も戀にうかれてトチくるつて屋根からコロ〳〵とオツつたところを與四郎犬にワングリられてしまつたので、蟇六は脳天のうてんから湯氣ゆげを立たして眞赤まつかになつて小厮こものを番作へどなり込ました。が、番作は鼻のさきで應接あしらつて對手あひてにならぬので、切歯はぎしりして口惜くやしがり、一家の小厮こものを集めて評定して秘計を廻らし、到頭與四郎犬をおびき寄せて小厮眷属こものけんぞくオットリ圍んで竹槍で迫廻して半死半生にしてしまつた。其上に與四郎が奥座敷へ飛込んで管領家の御教書みけうしよ泥足どろあしで破いたとこしらへごとして、かね目星めぼしをつけてる番作所持の故主春王こしゆはるわう遺品かたみたる足利家の重寶村雨丸むらさめまるを、御教書破却みけうしよはきやく御詫おわびに管領家へ献上しろといふ難題を持込んで来た。

 蟇六の奸策はいてる。この村雨丸を巻上まきあげておのれの榮達の道具としようとたくらんだ蟇六の蔭謀は、昨日きのふ今日けふでなく、或時は人をそゝのかして買取らうと云ひ、或時は忍び込まして竊み出させようとした。が、蟇六の手に乘る番作でなかつたから、うにも策のほどこしやうが無かつたのをたぞろ此機會に持出したのである。あまつさへ亀篠かめざさはこの難題の使者つかい糠助ぬかすけに、良人が直ぐにも訴へ出ると云つたのを今日一日やつと待つて貰つたので、しんり、弟なればこそ甥なればこそ縄目のき目を見せたくないと苦勞する姉の心も察して呉れと、猫撫聲で云傳ことづてをいはした。

 やがて信乃を枕邊まくらぺに呼びはりに吊した村雨の寶刀を示し、祖父匠作の忠死から村雨の由来を云つて聞かし、

おまへが成人したらおまへの手から直接ぢか滸我こが殿どのへ献上しろ、かまへて蟇六に竊まれるな、俺が今自殺したら里人怒つて蟇六を訴へるかも計られないのを蟇六も恐れるから直ぐ寶刀にも手を出すまいし、里人さとびといかりをなだめる爲めに實意を示しておまへを引取るのは必定ひつぢやうである。第一、イツかは寶刀を手に入れようとするには、おまへを引取つて手許てもとに寄せつけて置くのが上分別と思ふに違ひない。蟇六の職禄は祖父匠作のたまものだから、匠作の嫡孫たるおまへが大塚家に寄食するのは、蟇六の恩をるわけで無いから大手を振つて伯母のところへ行きなさい。御教書みけうしよ破却がウソであるのは知れてるが、ドウセ長くは無い命、汝を托するイヽ死期しにどきが目附かつたのだ。俺は今死んで行く…………』

 と思ひも掛けない父が突然の覚悟に信乃は呆氣あつけに取られて凝視みつめてゐると、豪膽な父が従容しやうようと筆でもるやうに刀をつかんたので、アツと聲を擧げて刀を持つかひなすがりつくと、病衰やみおとろへても勇士の力、『狼狙うろたへる』と爭ふ信乃を叱して膝に組敷き、『水をほとばしらす村雨むらさめ奇特きどくを見ろ』と云ひざま早速さそくに刀を取直して見事に腹を掻切つてしまつた。

 信乃は死骸に取附いて聲を限りにむせび泣いた。暫らくしてきつと思返して、ヤワカ父に遅れじと同じ村雨の寶刀を手ににぎつた時、縁端近く與四郎が苦痛にわめくを聞くと、俄に縁を飛下りて犬のそばに立ち、『おまへ不便ふびんだが、イツまで苦しまして置いては猶ほ不便だから、と思ひにいきを引取らしてやる、俺もあとから一緒に行く』と云ひざまヤツと聲掛けて水もたまらずくびおとした。

 其途端、さつとほとばしる血潮の中にきらめくものあるを受留めれば紐通ひもとほしの穴ある小さな白い玉で、つたのでもうるしで書いたでも無い「孝」といふ字が鮮かに讀まれた。不斗思廻ふとおもひめぐらせば亡き母が與四郎を拾つた辨才天へ日參の或る日の歸るさい、こうしほどの大きさある犬に腰掛け給ふ神女が何度からか現れて、手に持つ數多の玉の一つを授けて忽ちドコへか消えてしまはれたが、コロ〳〵と地上を轉がつた玉が、拾はうとすると見えなくなつた。雛狗こいぬの與四郎が呑んでしまつたらしいと亡き母がたび〳〵午睡ひるねときはなされたが、與四郎の傷口から飛出したのが其時の玉らしいと幼時の憶出おもひでなつかしみてうへころがした。が、死んで行く身にコンナ玉が何惜なにをしからうと棄てると再び跳ね返つて懐ろに飛込んで来るので、煩ささうにまた掴み出して棄てると復た跳ね返つて来て玉に靈ある如く、何遍なんべん棄てゝも返るので、其儘ふところへ入れて部屋へ戻つて来て、率ざとばかりに双肌もろはだを脱ぐと、こは如何いかに、不思議や左のかひなに今までにない牡丹の花の形をした黒痣くろあざが出来てゐた。このまへ玉がふところへ飛込んだ時、左のかひなあたつて些少すこしの痛みを覚えたが、コンナ事で俄に痣が出来ようとも思はれない。不思議な事と思つたが、死んで行く身に要の無い穿議せんぎと、父を手本に肌押廣げて腹を切らうとした瞬間、ドヤドヤとちん入した三人みたり、背後からは糠助が抱留だきとめ、前からは亀篠と蟇六とが左右から兩腕を押へて先づ刀を捥取もぎとつた。

『お前はまア飛んだ事を。』

 亀篠かめざさはワザとらしいオロ〳〵聲で、

『番作が生害しやうがいしたと糠助が飛んで来て知らせたから、喫驚びつくりして駈附かけつけて来りやお前までが…………』

 空涙そらなみだきつゝ、

『番作も片意地過かたいぢすぎる。ドコまてあたしたちを憎まれ者にしたいのだらう。弟と思ひ甥と思へばこそ何卒どうかして無事に収めたいと心配して、女の淺いこゝろからかうもしたらばと糠助阿爺おぢに頼んであたしの心持を相談さしによこしたのに、面當つらあてがましく腹まで切るツてのはアンマリたてぎる。』

 かきかたはらから蟇六は眞實らしいうるみ聲で、

『早まつた、早まつた、早まつた事してれた。日頃は義絶してゐてもつながる縁のわしたちが親子おやこ不利益ふためなんで計らう。かれと思つてた事があだとなつたはうらめしい。其方そなたも共に突詰つきつめたのは無理もないが、モウ心配さツしやるナ。御教書破却みけうしよはきやく越度おちどおもいが、云はゞ畜生のたこと。飼主の番作が切腹したからはう子までにお咎めは無い。假令よし有つたにしてもこの伯父が宜いやうに申釋もうしときをしてやる。』

信乃しのもう心配しやるナ。』

 亀篠かめざさはその尾にいて、

『伯父さまがアヽして心配して下さる。さツう短氣はやめて、これからは伯母が引取つて世話します。蟇六どの、濱路とはイヽ釣合つりあひ、成人せいじんしたら妻合めあはして大塚の家名を相續させませう。』

うとも〳〵。』

 と蟇六は合槌打あひづちうつて信乃をなだめつすかしつして、

『さツ、う短慮はめにして、何よりも死人樣ほとけさま跡始末あとしまつちや。糠助どのも手傳はツしやい。』

 と口と心は反對うらはらに、信乃の機嫌を取り〴〵に先へ立つて世話を焼いた。臨終いまはきはの父の先見がヒシ〳〵と當つて、狐狸きつねたぬきが何をするかと片腹かたはら痛くてならなかつたが、かくも父の遺言通りに中蔭のいみが果てゝから亀篠許かめざさがりに引取られる事になつた。

 其日は故人ほとけが世話になつた里人さとびとを招いて佛事を營み、心ばかりの酒飯を饗應もてなして置いて扨て蟇六が改まつて云ふには、番作と亀篠と繋がる縁の自分との間に打解うちとけ難い誤解があつて、疎遠に暮したを本意ほいなく思つてゐたが、番作が早まつて世を縮めたので今更誤解をく由も無い、この上は信乃を引取つて成人の後養ひ娘の濱路と妻合めあはして大塚の家名を相續させるツモリと眞實らしく披露した。里人は甚六が意外の申出に狐につままれる心地こゝちして各々顏を見合はしたが、それでこそ亡人ほとけも満足してこゝろよく極樂に浮ばれやうと口々に云ひそやして、きらはれものの蟇六が俄に信望を盛返もりかへして男を上げ、里人さとびとが好意で番作にいた番作田ばんさくだをも信乃が成人するまで保管あづかるといふ名目でヌク〳〵に入れてしまつた。
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読書ざんまいよせい(065)

◎滝沢馬琴・内田魯庵抄訳南総里見八犬伝(001)

南總里見八犬傳(解題的梗概を含む)

滝澤(曲亭)馬琴・内田魯庵抄訳

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【テキスト中に現れる記号について】
:おどり字
(例)〳〵はおどり字濁点付きは〴〵と表記
以下は、上記注釈は省略する
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       小   引

一 八犬傳は全部を完成するに二十八年を費やしてをる。總冊百六巻。一篇の物語として此の如く長きは東西共に比倫を絶する。西欧小説中の最大長篇として推される猷豪ユーゴーの『哀史』も杜翁の『戰争與平和』も八犬傳に比べてはその雄を称する事は出來ない。随つて讀者としても全部を卒業するのは決して容易でないので、所謂八犬傳の愛讀者がそらんするは大抵、信乃濱路の情史乎、芳流閣上の争闘乎、房八の悲劇乎、荒芽山の活劇乎、部分的の物語に限られてをる。能く全部を通串してその半ばにだも達したものは甚だれである。明治の文学史に高名な博士中の博士ともいふべき某氏は、曾て八犬傳を八分通り通讀したのを誇りとして、八犬傳を全部卒業したものは恐らく一人も有るまいと、能く八分通りを讀破したのを以て讀書心旺盛を示すものとして暗に自負する處があった。八犬傳は特別の忍耐力を要するほどソンナ怠屈なものでは無いが、何しろ長いには大抵な者は根負けがしてしまふ。殊に馬琴時代とは思想上文章上の鑑質的態度や興味を根本から異にする今日の中年以下の讀者に取つては、八犬傳も大般若経も餘り大差は無いので、これが全部の通讀を望むのは草鞋脚半掛けの五十三次の行脚を強要するよりも困難である。八犬傳を覆印するに方つて編纂者が先づ解題的梗慨を添へんとする旨趣は此埋由からである。

一 が、編纂者から此依嘱を受けた時は梗慨を書く如きは何でも無いと思ってゐた。但し梗概を書くのは如何に名著でも餘り氣の利いた役目でも無いと思って躊躇もしたが.同時に又自分等に丁度相應した仕事だとも思って幾度か依違した後に應諾した。が、ざ着手して見ると屡〻案外な困難に逢着して梗慨を書くといふのは容易ならざる難事であるのを知つた。何しろ百六冊といふ大部の長物語を僅か三百枚や五百枚に切詰めて大體の輪郭を分明ならしめるといふはレンズを透かして縮写するやうなソンナ手輕なものでは無い。それに就いての困難咄は兎角に手前味噌や自画自讃に流れ勝ちだから之を措くが、梗概といふのも矢張創作の一つで、一口にいふと、自分のやうな創作の才の貧しいものがする仕事でない事を痛切に悟った。その才の短い為めの当然の結果として覆刻本の各冊毎にその一冊分の物語の全部の慨略を記述する豫定であったのが、豫定より多少頁を伸ばしても猶二分の一しか祖述出來無かつた。それでも何度か削ったり省いたりしてヤツトこさと之までに縮めて纏めたので、今更に自分の省筆の才の短いのを恥入つた。この比例を以てすると結局許された頁では全部の半分の梗慨しか書けないわけであるが、發行期日が迫ってゐるから第一冊目は是非無いとして何とかして最後の第三冊目までには、全部を纏めるツモリである。

一 馬琴の描寫が極めて細密に渉つて煩瑣を極めてるとは誰も云ふ處であるが、實際に當つて見ると豫想以上に煩冗を極めてゐる。発端を掻摘ままうとするには微細の點までも呑込んで置かねばならないが、三度も四度も反覆しなければ解らぬ個處は相應に多い。その精究の結果、馬琴ほどの細心の作家でも時としては矛盾したり撞着したり、時間が曖昧で、往〻多少相違したり、随分好い加減な與太を飛ばした個處が少からず有る。且脚色にも同じ構想を反覆したり無理な細工をしたり、且又強て自家獨特の因果律に萬事をあてはめようとする牽強があまり餘り煩はし過ぎるに堪へない。馬琴は自分の幼年から青年時代へ掛けての愛讀書で、その代表作は大抵通讀し、一度は馬琴論を書いて見ようと思ふ豫ての腹案もあったのが其後いつとなく興味が去つて了つたが、偶然この最大作の梗概を祖述するにあたつて、馬琴の著作の態度や慣用の作意が以前よりも一層明瞭に解つて再び馬琴諭の興味を沸湧して來た。馬琴の評傳といふやうな大袈裟なものはイツとも解らぬが將來に期するとして、八犬傳總括評乃至八犬傳偏痴氣論といふやうなものは若し頁が許されるなら第三冊目の梗概終結後に載せたいと思ふ。
十二月十五日
魯庵生識
八犬傳物語

 一 金碗八郎孝吉

 今から五百年前、其處此處そここゝで戰ひの絶間なかつた時代の咄。房州は白濱から小湊こみなとへ行く長狹ながさ白箸河しらはしかはほとりつりをする主従らしい三人の武家があつた。こゝらで餘り見掛けない人品骨柄こつがらで、中にも中央の床几しやうぎに腰を卸して竿を垂れる一番年少としわかなのは武門の棟梁の氣品を備へた天晴貴人あつぱれきじん御曹子おんざうしと見受けた。

今日けふ三日みつか落武者おちむしやにもせよ源氏の嫡流たる里見の冠者がこひぴきれぬといふは、く〳〵武運に見放されたと見える。』

 と思はず溜息をいたのを微笑にまぎらして、

『敗軍の將は鯉まで對手あひてにせぬと見えて、何遍なんペん釣っても小鰕こえび雑魚ざこばかりぢや。』

『殿、止めさせ給へ』と老職らしい年老としふけたのが、『弓矢ゆみや持つ武將を釣師扱つりしあつかひして鯉を釣って來いといふさへ心得ぬに、此國でれるかれぬかわからぬものを三日みつかと限るといふは奇怪千萬な。君を迎へまつる誠意の無い安西あんさいの腹がきますわい、ノウ堀内氏ほりうちうぢ!』

如何いかにも杉倉殿すぎくらどのの云はれる通り。』

 と今一人いまひとりのがムシヤクシヤと、

不信ふしんの安西、麻呂まろらを頼んでイツまでおはすとも詮が無い。杉倉氏、上總かづさへおとも仕らうぢやござらぬか。』

『兩人ともはやまるまい。』

 と御曹子は左右を顧みて兩人の短慮を嗜たしなめ、

『石橋山に敗れて安房に渡った右幕下うぱくかの武運にあやかるツモリは無いが、結城を落ちるそも〳〵からと先づ安房に落ちついておもむろに再擧を図る決心であった。安西、麻呂の頼むに足らぬ心の底はえ透いてるが、上總へ落て誰を頼まうとする。所詮は時と勢ひをうしなつた義實、誰を頼むといふしかとした寄邊よるべが無いから暫らく界隈を放浪さすらつて安西、麻呂のせんやうを見る外は無い。』

 と静かに沈吟しあんしつゝ、

『鯉を釣るのは國を釣るのぢや。弓矢持ゆみやもつ手に竿さをにぎるも亦風流!』

 と莞爾につこと笑って武門の棟梁の襟度きんどを示しつ、再びいとを垂れる折しも、

里見さとみえて〳〵白帆走しらほはしらせ風もよし、安房あは水門みなとに寄る船は、なみに砕けずしほにも朽ちず、人もこそ引け、我も引かなん。』

 とみたる聲にてふし面白く繰返し〳〵歌ひ來れる乞兒かたゐがあつた。おもてくづ膿血うみちながれて臭氣堪へ難きに、主従三人は鼻を掩うて疾くけかしと思ふを憚りもなく近づいて、

『殿は何を釣らうとお思召す?』

 と義實の顏を覗込みつゝ、

最前さいぜんから見てをれば何がかゝつても直ぐ棄てゝしまはれるが、何を釣らうとお思召すのか?えッ、鯉を?はゝゝゝゝツ、安房には鯉はゐませんわい。』

 とから〳〵と笑つた。

なに、安房には鯉はゐないと申すか。』

 と杉倉氏元うじもとと堀内貞行さだゆききつとなつて双方一度に詰寄つた。

『安房には鯉はをりませぬ。』

 と乞兒かたゐめず臆せず平然として

『俗に鯉は十郡からの大國で無いと生じないと申しますが、あながうともきまりませぬ。風土に由るので國の大小にらない。奥羽は五十四郡の大國であるが、矢張鯉がをりませぬ。例へば里見の御曹司が上野かうづけに人となつても上野を知ろし召す事が出來なくて、この房州に流遇さすらつて膝を容れるの室が無いやうなものでござる。』

 と知る知らぬ乎 恐れも無く傍若無人にいひ放つたので、飛ぶ鳥にも氣を置く主従三人、思はず呆れて顏を見合はした。

『汝は一體何者ぢや?』

 と暫らくして義實は乞兒かたゐきつと睨まへた。

乞兒かたゐはハツと飛退とびすさつて大地に手を突き、

『さてはそれがしの推量にたがはず里見の御曹司おんざうしにおはしましたか。君をためし奉つた無禮はお許し下されて言上したい事もあれば、ざこなたへ成らせ給へ。』

 とさきへ立ちつつ、人の往來ゆききする路傍を離れたある山蔭へ主従を案内し、上座に義實を据ゑて遥かうしろ後退あとずさりして、改めてうや〳〵しく大地に額突ぬかづいた。

『それがしは 當國瀧田たきたの城主神餘長狹介光弘じんよながさのすけみつひろの家の子金碗八郎孝吉かなまりはちろうたかよしと申すものゝ成れの果でござります。君にも聞こし召されんが神餘じんよの家は――』

うん〳〵かく〳〵と、義實主従も安房に渡ると直ぐうす〳〵小耳こみみに入れた神餘の家の動亂どうらん一伍一什いちぶしじふ事詳ことつまびらかに言上した。

 神餘は安西あんさい麻呂まろならんで安房四郡を分領した東條の末であつた長狹介光弘ながさのすけみつひろの代となつて東條瀧田たきたはして安房半國を領し、安西、麻呂を下風かふうに立たして威勢並ぶものも無かつたので、光弘は心おごつて日夜酒色に沈湎ちんめんした。嬖臣へいしん山下柵左衞門定包さくざえもんさだかね微賤よリ歷上へあがつた君の御恩ごおんを思はず傍若無人に振舞ひ、君の眼をぬすんで嬖妾玉梓へいそうたまずさと私通し、忠臣を遠ざけ侫人を手馴てなづけ、内外心を併はして思ふまゝ國政を掻亂し、民の怨府となつて家運日に傾き、數代連綿たる神餘の家も累卵よリも危くなつた。

金碗かなまりはもと神餘じんよの支わかれで代々老職の筆頭であつた孝吉は早く父母に別れマダ年少であつたので光弘の近習きんじゆに召れてゐたが、光弘が淫楽に耽つて奸臣時を得顏えがほ跋扈ばつこし君家の内外日に非なるを視るに忍びず、屡々しば〳〵苦諌したがれられないので、暫らく時を俟つの決心で一時退身した。斯くて五年の歳月を往方ゆくへ定めぬ旅路に暮して久方振ひさかたぶりに故郷の土を踏んだ時は光弘不慮ふりょ狂死わうしして奸臣定包さだかね國をも婢妾ひせうをもぬすんで瀧田たきたの城主としての威福をほしいままにしてゐた。

かねしたる事ではあるが、今更に胸のつぶれる思ひ。段々聞くと定包の好智にけたるかねおのれの横暴を憎んで機會を覘うものがあると聞くや、狩倉かりくらすすめて領内に触れさして刺客を釣り、其日の狩倉には姦計を用ひて君の乘馬を中途に斃れさしておのれの乘馬をうまとしてすゝめ、刺客のを欺いて己れの身代りに君を射留いとめさせ、意外の珍事に驚いたやうな顏をして直ちに刺客をかららして首をね、即座に君の仇を報たやうな忠臣顏をした。加之のみならず陰謀の張本人たる口を拭いて世子せいしの無いのを奇貨とし、一國一日も君無かるべからずと、暫らく國政をあづかるといふ名目でマンマと領主となつて玉梓たまづさを嫡室とし其他の婢妾をまで竊んだ。

 これから後、孝吉は身にうるしして乞兒かたゐに姿をへ、日毎に瀧田を徘徊して容子ようすを探り、或る時人目を避けて彼地此地あちらこちら放浪さすらつてるうちに不斗ふと耳に入つたのは里見冠者さとみのくわんじや義實が結城ゆふきの戰ひを遁れて安房へ渡つて來られたといふ噂であつた。所詮やせ浪人の赤手せきしゆで敵をうかゞうよりはこの名門のきみを仰いで義兵を揚げるにくは無いと、里見の御曹子の行衞を尋ねるうちに 、自箸河しらはしがはほとり邂逅であつた主従三人の武家は人品骨柄世の常ならず見受けたので、乞兒婆かたゐすがたの恐れもなく近づいて鯉に事寄せ口占くちうらを引いて見たので、

『貴いおかたとはで見奉つたが、』

 と金碗かなまりは感概に堪へないやうな顏をして、

『正しく里見の君におはしましたのは、先君亡靈の導き給ふところ…………』

 とちく一言上して逆賊討伐の義兵の旗揚げを勸めた。

 孤忠をあはれむ義心と、不忠不義にいきどほ侠骨けうこつと、天涯の孤客の鬱勃うつぼつたる雄心とで、義實は金碗の熱辯に耳を傾け、杉倉、堀内、金碗と環座くわんざして旗上けの謀議を凝らした。

 その晩金碗は義實主従を嚮導みちしるべして小湊へ行き、はかりごとを用ひて土民百五十名を糾合し、兵は神速しんそくを貴ぶ、即時に瀧田の支城東條へ押寄せ、敵の備へなきに乘じて一擧にしておとしいれた。降兵數百人、軍馬、兵器、糧餉りやうしやう山の如く捕獲して、勢ひに乘じて一氣に城を抜くべく瀧田へ押寄せた。沿道ふうを望んで集る野武士豪族千餘騎、軍容大いに振った。

 が、瀧田は肯繁さすがに要害で。一時に容易に落つる氣色けしきなく、智略に秀づる義實も、老功手だれの杉倉、堀内も、瞻勇無双の金碗も攻めあぐんで策のほどこしやうも無かつたが、不斗ふと案じつきて反間苦肉はんかんくにく羽檄うげきを飛ばして城内の人心を動揺せしめた。奇策は誤またず、城内俄かに浮足となり、定包眤近じつきんの幕僚までが不安となつて終に陰謀を企て、突然定包の帳中てうちうに切込んで首を擧げ、これを幣物へいもつとして開城して義實の軍門に降つた。逆徒の一味は此の如くして亡びて、義實は目出度く瀧田へ入城して安房半國の領主となつた。
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