読書ざんまいよせい(065)

◎滝沢馬琴・内田魯庵抄訳南総里見八犬伝(001)

南總里見八犬傳(解題的梗概を含む)

滝澤(曲亭)馬琴・内田魯庵抄訳

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【テキスト中に現れる記号について】
:おどり字
(例)〳〵はおどり字濁点付きは〴〵と表記
以下は、上記注釈は省略する
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       小   引

一 八犬傳は全部を完成するに二十八年を費やしてをる。總冊百六巻。一篇の物語として此の如く長きは東西共に比倫を絶する。西欧小説中の最大長篇として推される猷豪ユーゴーの『哀史』も杜翁の『戰争與平和』も八犬傳に比べてはその雄を称する事は出來ない。随つて讀者としても全部を卒業するのは決して容易でないので、所謂八犬傳の愛讀者がそらんするは大抵、信乃濱路の情史乎、芳流閣上の争闘乎、房八の悲劇乎、荒芽山の活劇乎、部分的の物語に限られてをる。能く全部を通串してその半ばにだも達したものは甚だれである。明治の文学史に高名な博士中の博士ともいふべき某氏は、曾て八犬傳を八分通り通讀したのを誇りとして、八犬傳を全部卒業したものは恐らく一人も有るまいと、能く八分通りを讀破したのを以て讀書心旺盛を示すものとして暗に自負する處があった。八犬傳は特別の忍耐力を要するほどソンナ怠屈なものでは無いが、何しろ長いには大抵な者は根負けがしてしまふ。殊に馬琴時代とは思想上文章上の鑑質的態度や興味を根本から異にする今日の中年以下の讀者に取つては、八犬傳も大般若経も餘り大差は無いので、これが全部の通讀を望むのは草鞋脚半掛けの五十三次の行脚を強要するよりも困難である。八犬傳を覆印するに方つて編纂者が先づ解題的梗慨を添へんとする旨趣は此埋由からである。

一 が、編纂者から此依嘱を受けた時は梗慨を書く如きは何でも無いと思ってゐた。但し梗概を書くのは如何に名著でも餘り氣の利いた役目でも無いと思って躊躇もしたが.同時に又自分等に丁度相應した仕事だとも思って幾度か依違した後に應諾した。が、ざ着手して見ると屡〻案外な困難に逢着して梗慨を書くといふのは容易ならざる難事であるのを知つた。何しろ百六冊といふ大部の長物語を僅か三百枚や五百枚に切詰めて大體の輪郭を分明ならしめるといふはレンズを透かして縮写するやうなソンナ手輕なものでは無い。それに就いての困難咄は兎角に手前味噌や自画自讃に流れ勝ちだから之を措くが、梗概といふのも矢張創作の一つで、一口にいふと、自分のやうな創作の才の貧しいものがする仕事でない事を痛切に悟った。その才の短い為めの当然の結果として覆刻本の各冊毎にその一冊分の物語の全部の慨略を記述する豫定であったのが、豫定より多少頁を伸ばしても猶二分の一しか祖述出來無かつた。それでも何度か削ったり省いたりしてヤツトこさと之までに縮めて纏めたので、今更に自分の省筆の才の短いのを恥入つた。この比例を以てすると結局許された頁では全部の半分の梗慨しか書けないわけであるが、發行期日が迫ってゐるから第一冊目は是非無いとして何とかして最後の第三冊目までには、全部を纏めるツモリである。

一 馬琴の描寫が極めて細密に渉つて煩瑣を極めてるとは誰も云ふ處であるが、實際に當つて見ると豫想以上に煩冗を極めてゐる。発端を掻摘ままうとするには微細の點までも呑込んで置かねばならないが、三度も四度も反覆しなければ解らぬ個處は相應に多い。その精究の結果、馬琴ほどの細心の作家でも時としては矛盾したり撞着したり、時間が曖昧で、往〻多少相違したり、随分好い加減な與太を飛ばした個處が少からず有る。且脚色にも同じ構想を反覆したり無理な細工をしたり、且又強て自家獨特の因果律に萬事をあてはめようとする牽強があまり餘り煩はし過ぎるに堪へない。馬琴は自分の幼年から青年時代へ掛けての愛讀書で、その代表作は大抵通讀し、一度は馬琴論を書いて見ようと思ふ豫ての腹案もあったのが其後いつとなく興味が去つて了つたが、偶然この最大作の梗概を祖述するにあたつて、馬琴の著作の態度や慣用の作意が以前よりも一層明瞭に解つて再び馬琴諭の興味を沸湧して來た。馬琴の評傳といふやうな大袈裟なものはイツとも解らぬが將來に期するとして、八犬傳總括評乃至八犬傳偏痴氣論といふやうなものは若し頁が許されるなら第三冊目の梗概終結後に載せたいと思ふ。
十二月十五日
魯庵生識
八犬傳物語

 一 金碗八郎孝吉

 今から五百年前、其處此處そここゝで戰ひの絶間なかつた時代の咄。房州は白濱から小湊こみなとへ行く長狹ながさ白箸河しらはしかはほとりつりをする主従らしい三人の武家があつた。こゝらで餘り見掛けない人品骨柄こつがらで、中にも中央の床几しやうぎに腰を卸して竿を垂れる一番年少としわかなのは武門の棟梁の氣品を備へた天晴貴人あつぱれきじん御曹子おんざうしと見受けた。

今日けふ三日みつか落武者おちむしやにもせよ源氏の嫡流たる里見の冠者がこひぴきれぬといふは、く〳〵武運に見放されたと見える。』

 と思はず溜息をいたのを微笑にまぎらして、

『敗軍の將は鯉まで對手あひてにせぬと見えて、何遍なんペん釣っても小鰕こえび雑魚ざこばかりぢや。』

『殿、止めさせ給へ』と老職らしい年老としふけたのが、『弓矢ゆみや持つ武將を釣師扱つりしあつかひして鯉を釣って來いといふさへ心得ぬに、此國でれるかれぬかわからぬものを三日みつかと限るといふは奇怪千萬な。君を迎へまつる誠意の無い安西あんさいの腹がきますわい、ノウ堀内氏ほりうちうぢ!』

如何いかにも杉倉殿すぎくらどのの云はれる通り。』

 と今一人いまひとりのがムシヤクシヤと、

不信ふしんの安西、麻呂まろらを頼んでイツまでおはすとも詮が無い。杉倉氏、上總かづさへおとも仕らうぢやござらぬか。』

『兩人ともはやまるまい。』

 と御曹子は左右を顧みて兩人の短慮を嗜たしなめ、

『石橋山に敗れて安房に渡った右幕下うぱくかの武運にあやかるツモリは無いが、結城を落ちるそも〳〵からと先づ安房に落ちついておもむろに再擧を図る決心であった。安西、麻呂の頼むに足らぬ心の底はえ透いてるが、上總へ落て誰を頼まうとする。所詮は時と勢ひをうしなつた義實、誰を頼むといふしかとした寄邊よるべが無いから暫らく界隈を放浪さすらつて安西、麻呂のせんやうを見る外は無い。』

 と静かに沈吟しあんしつゝ、

『鯉を釣るのは國を釣るのぢや。弓矢持ゆみやもつ手に竿さをにぎるも亦風流!』

 と莞爾につこと笑って武門の棟梁の襟度きんどを示しつ、再びいとを垂れる折しも、

里見さとみえて〳〵白帆走しらほはしらせ風もよし、安房あは水門みなとに寄る船は、なみに砕けずしほにも朽ちず、人もこそ引け、我も引かなん。』

 とみたる聲にてふし面白く繰返し〳〵歌ひ來れる乞兒かたゐがあつた。おもてくづ膿血うみちながれて臭氣堪へ難きに、主従三人は鼻を掩うて疾くけかしと思ふを憚りもなく近づいて、

『殿は何を釣らうとお思召す?』

 と義實の顏を覗込みつゝ、

最前さいぜんから見てをれば何がかゝつても直ぐ棄てゝしまはれるが、何を釣らうとお思召すのか?えッ、鯉を?はゝゝゝゝツ、安房には鯉はゐませんわい。』

 とから〳〵と笑つた。

なに、安房には鯉はゐないと申すか。』

 と杉倉氏元うじもとと堀内貞行さだゆききつとなつて双方一度に詰寄つた。

『安房には鯉はをりませぬ。』

 と乞兒かたゐめず臆せず平然として

『俗に鯉は十郡からの大國で無いと生じないと申しますが、あながうともきまりませぬ。風土に由るので國の大小にらない。奥羽は五十四郡の大國であるが、矢張鯉がをりませぬ。例へば里見の御曹司が上野かうづけに人となつても上野を知ろし召す事が出來なくて、この房州に流遇さすらつて膝を容れるの室が無いやうなものでござる。』

 と知る知らぬ乎 恐れも無く傍若無人にいひ放つたので、飛ぶ鳥にも氣を置く主従三人、思はず呆れて顏を見合はした。

『汝は一體何者ぢや?』

 と暫らくして義實は乞兒かたゐきつと睨まへた。

乞兒かたゐはハツと飛退とびすさつて大地に手を突き、

『さてはそれがしの推量にたがはず里見の御曹司おんざうしにおはしましたか。君をためし奉つた無禮はお許し下されて言上したい事もあれば、ざこなたへ成らせ給へ。』

 とさきへ立ちつつ、人の往來ゆききする路傍を離れたある山蔭へ主従を案内し、上座に義實を据ゑて遥かうしろ後退あとずさりして、改めてうや〳〵しく大地に額突ぬかづいた。

『それがしは 當國瀧田たきたの城主神餘長狹介光弘じんよながさのすけみつひろの家の子金碗八郎孝吉かなまりはちろうたかよしと申すものゝ成れの果でござります。君にも聞こし召されんが神餘じんよの家は――』

うん〳〵かく〳〵と、義實主従も安房に渡ると直ぐうす〳〵小耳こみみに入れた神餘の家の動亂どうらん一伍一什いちぶしじふ事詳ことつまびらかに言上した。

 神餘は安西あんさい麻呂まろならんで安房四郡を分領した東條の末であつた長狹介光弘ながさのすけみつひろの代となつて東條瀧田たきたはして安房半國を領し、安西、麻呂を下風かふうに立たして威勢並ぶものも無かつたので、光弘は心おごつて日夜酒色に沈湎ちんめんした。嬖臣へいしん山下柵左衞門定包さくざえもんさだかね微賤よリ歷上へあがつた君の御恩ごおんを思はず傍若無人に振舞ひ、君の眼をぬすんで嬖妾玉梓へいそうたまずさと私通し、忠臣を遠ざけ侫人を手馴てなづけ、内外心を併はして思ふまゝ國政を掻亂し、民の怨府となつて家運日に傾き、數代連綿たる神餘の家も累卵よリも危くなつた。

金碗かなまりはもと神餘じんよの支わかれで代々老職の筆頭であつた孝吉は早く父母に別れマダ年少であつたので光弘の近習きんじゆに召れてゐたが、光弘が淫楽に耽つて奸臣時を得顏えがほ跋扈ばつこし君家の内外日に非なるを視るに忍びず、屡々しば〳〵苦諌したがれられないので、暫らく時を俟つの決心で一時退身した。斯くて五年の歳月を往方ゆくへ定めぬ旅路に暮して久方振ひさかたぶりに故郷の土を踏んだ時は光弘不慮ふりょ狂死わうしして奸臣定包さだかね國をも婢妾ひせうをもぬすんで瀧田たきたの城主としての威福をほしいままにしてゐた。

かねしたる事ではあるが、今更に胸のつぶれる思ひ。段々聞くと定包の好智にけたるかねおのれの横暴を憎んで機會を覘うものがあると聞くや、狩倉かりくらすすめて領内に触れさして刺客を釣り、其日の狩倉には姦計を用ひて君の乘馬を中途に斃れさしておのれの乘馬をうまとしてすゝめ、刺客のを欺いて己れの身代りに君を射留いとめさせ、意外の珍事に驚いたやうな顏をして直ちに刺客をかららして首をね、即座に君の仇を報たやうな忠臣顏をした。加之のみならず陰謀の張本人たる口を拭いて世子せいしの無いのを奇貨とし、一國一日も君無かるべからずと、暫らく國政をあづかるといふ名目でマンマと領主となつて玉梓たまづさを嫡室とし其他の婢妾をまで竊んだ。

 これから後、孝吉は身にうるしして乞兒かたゐに姿をへ、日毎に瀧田を徘徊して容子ようすを探り、或る時人目を避けて彼地此地あちらこちら放浪さすらつてるうちに不斗ふと耳に入つたのは里見冠者さとみのくわんじや義實が結城ゆふきの戰ひを遁れて安房へ渡つて來られたといふ噂であつた。所詮やせ浪人の赤手せきしゆで敵をうかゞうよりはこの名門のきみを仰いで義兵を揚げるにくは無いと、里見の御曹子の行衞を尋ねるうちに 、自箸河しらはしがはほとり邂逅であつた主従三人の武家は人品骨柄世の常ならず見受けたので、乞兒婆かたゐすがたの恐れもなく近づいて鯉に事寄せ口占くちうらを引いて見たので、

『貴いおかたとはで見奉つたが、』

 と金碗かなまりは感概に堪へないやうな顏をして、

『正しく里見の君におはしましたのは、先君亡靈の導き給ふところ…………』

 とちく一言上して逆賊討伐の義兵の旗揚げを勸めた。

 孤忠をあはれむ義心と、不忠不義にいきどほ侠骨けうこつと、天涯の孤客の鬱勃うつぼつたる雄心とで、義實は金碗の熱辯に耳を傾け、杉倉、堀内、金碗と環座くわんざして旗上けの謀議を凝らした。

 その晩金碗は義實主従を嚮導みちしるべして小湊へ行き、はかりごとを用ひて土民百五十名を糾合し、兵は神速しんそくを貴ぶ、即時に瀧田の支城東條へ押寄せ、敵の備へなきに乘じて一擧にしておとしいれた。降兵數百人、軍馬、兵器、糧餉りやうしやう山の如く捕獲して、勢ひに乘じて一氣に城を抜くべく瀧田へ押寄せた。沿道ふうを望んで集る野武士豪族千餘騎、軍容大いに振った。

 が、瀧田は肯繁さすがに要害で。一時に容易に落つる氣色けしきなく、智略に秀づる義實も、老功手だれの杉倉、堀内も、瞻勇無双の金碗も攻めあぐんで策のほどこしやうも無かつたが、不斗ふと案じつきて反間苦肉はんかんくにく羽檄うげきを飛ばして城内の人心を動揺せしめた。奇策は誤またず、城内俄かに浮足となり、定包眤近じつきんの幕僚までが不安となつて終に陰謀を企て、突然定包の帳中てうちうに切込んで首を擧げ、これを幣物へいもつとして開城して義實の軍門に降つた。逆徒の一味は此の如くして亡びて、義實は目出度く瀧田へ入城して安房半國の領主となつた。

 二 妖婦玉梓の最期

 こゝに神餘じんよの滅亡の禍源ともいふべき光弘の嬖妾玉梓、今は逆賊定包の妻も亦裏切者の手に捕へられて牢舎に繋がれて居たが、裏切者の處分が済んでから義實の面前へ牽出ひきだされた。君の嚴命かしこみて縁端えんばなから『玉梓たまづさおもてを擧げい!』とハッタと睨んだ。

 さすが妖婦の玉梓も、昔しは仝じ君側くんそくの忠義の勇士に恥ぢらひて、暫らくおもてを伏せてゐたが、呼ばれて恐る〳〵顏を擧げ、眼眸めもとこびふくませて、流眄ながしめに金碗を見た。

 金碗は威丈高にキット睨めつけつゝ、

『玉梓、なんぢは………』

と一々罪状を數へ上げて、

『逆賊定包と謀つて人手を借りて君の命を縮めて國を奪つた悪逆は八裂やつざきにしても足らざる大罪である。』

 と斷罪した。玉梓はこれを聞くと怨めしげに金碗を見つゝ、

『女は三界に家なく、うきぐさの岸を定めず風に漂うて流れるは世に珍らしくないためしでござります。それを女の薄命と哀れに見そなはさないで、身に覺えのない悪逆の名を着せられるのはアンマリ酷たらしい。定包ぬしにかしづいたのは女の弱い心から故主こしゆうの仇とも知らずに心ならずも靡いたので、故主のいます時から定包ぬしと情事わけがあつたの、定包ぬしと相談して故主の命を縮めたのといふは、有られもない世の時にて身に覺えのない濡衣ぬれぎぬ。此上は身を墨染すみぞめころもに更へて故主の後世ごせを弔ひたければ、金碗殿以前むかし好誼よしみを思はれて命乞ひして故郷へ還し給はれ。』

 と涙片手かたて割口説わりくどいた。

 義實もそぞろに不便ふびんを催されて助命の沙汰に及ぼうとした。毒婦にせよ妖婦にせよ、かずにも足らぬ女一人をまで憎むにも及ぶまいと仰せられたが、金碗かなまり八郎はイツカナかず、玉梓の淫虐いんぎやくと積悪は十目の視るところ、逆賊を助けて故主の國を奪つた罪跡は明白で、きみ若しこの毒婦をゆるし給ふなら君も亦玉梓たまづさいろに迷はされて依辜えこの沙汰したまふといふそしりを如何にすべき。斯くては御政道も立たず君の御威光にもさはるべしと助命の不可を滔々と述べ立てた。

 この上は最早是非に及ばず、く〳〵玉梓のくびを刎ねよと義實は命ぜられた。玉梓これを聞くと忽ちに花のかんばせに朱をそそぎ、匏核ひさごの如き歯をひしばつて義實主従をハッタと睨み、金碗おのれはくも主の助命の沙汰を拒みたるよな、斬るといふなら斬るがよし、おのれも遠からずやいばの錆として血統をやさせん。義實も義實である、一旦助命の心になりながら金碗づれに言瞞いひくるめられて人の命を弄ぶといふは言ひ甲斐の無い愚將である、殺さば殺せ、孫子にまでたゝつて畜生道に堕して呉れんと半狂亂に罵りわめいた。物な言はせそく〳〵斬れと、金碗かなまりの指図を受けて雑兵五六人、玉梓のあばれ狂ふを取つて押へて陣屋の外へ出して一刀に首を刎ねた。元兇一味くびを授けて長狹ながさ平郡へぐりの二郡は全く鎮定した。

 三 金碗八郎の死

 瀧田の攻圍中、安西、麻呂は定包さだかね加勢の兵を出した。が、老猾な安西景連あんさいかげつらは里見の軍容が振ふのを見て、俄に變心して密使みつしを東條の杉倉氏元うぢもとに通じ、氏元をして麻呂の軍勢を奇襲せしめて、その虚を突いて信時のぶときの居城の平館ひらだてを一擧に攻落し 、ゴタクサ紛れに麻呂の所領を併合した。景連の黠詐不信きつさふしんは言語に斷えてるが、義實は快く景連の幣使を迎へて安房四郡を兩分して各々相犯さゞる交驩こうくわんを固めた。

 斯くて戰雲漸く収まつたので、文月ふみづきの或る夜、義實は里見の家例の點茶てんちやの會を催ほして功臣をねきらひ、それぞれ功をろくして感状を賜はつた。金碗八郎は神餘じんよの名門であり、定包誅伐の勲功第一であるから長狹半郡を與へて東條の城主とする感状を與へた。

 金碗は深く君恩に感激したが、それがしは初めより利禄に心なし、君の御威光に由つて故主の仇を報じたのが何よりの恩澤にて、此上の恩賞は望む所で無いと固く辭して受けなかつた。が、義實の再三の懇諭と杉倉、堀内らの口添へに餘儀なく感状を戴いて暫らく感涙に咽んでゐたが、なに思ひけん俄かに佩刀をキラリと抜いてはらへ突立てた。一同アナヤと驚いたが、義實はつか〳〵と進んで金碗の臂を楊げ、く傷口を檢めて、勇士が一念籠めて突刺した刃先きつさき深く迚も助かるべき傷に非ざるを見て太い息を吐いた。

『何故の生害ぞ。孝吉仔細を云へ!』

『君にも知ろし召す通り、故主は定包の陰謀で非業の狂死を遂げましたが、征矢そやを放つた當の下手人はもとそれがしの家人けにん。』

 と孝吉は苦痛を堪へ〳〵、

『それがしが些か弓馬槍劍 を仕込みましたのが仇となつて思はざるの主殺し。それがし斯くと知つて、手は下さずとも下人げにんに武術を仕込んで大罪を犯さしたそれがしの罪も輕からず と、其時からの覺悟の決心、生き甲斐の無い命を今日までも生延いきのびたのは故主の仇を報じたいばつかり。君の御威光をもて逆賊を亡ぼした以上、此上餘命を食らうとは思ひませぬ、それがしの命は故主にお預けしてあるので、過分の恩賞を賜はつて栄華の餘生を楽んでは故主に對する申譯が立ちませぬ。所詮は今日がながのおいとまを賜はつて故主の跡を追ふの時と、君臣御遊興の御前ごぜんけがす非礼は存じてをりますが、思ひせまつてのこの生害…………』

 と苦しい息をはずませつゝ、ざとばかりにやいばを右手に引繞らさうとすると、

『暫らく待て、死出の旅路の餞別ほなむけを取らさう!』

 と義實は氏元に向つて、

『最前の老人を。』

 と仰せられた。氏元は心得て縁端えんばたへ立出で、

一作いつさく參れ!』

 と聲高く呼んだ。

 聲に應じて後園おくにはの枝析戸の蔭から周章あたふた飛んで來たのは六十路むそぢあまりの老人、五才ばかりの男の子の手をいて縁側近くうづくまり、

『八郎どの、孝吉どの。』

 と涙に湿うるむむ聲を震はしつゝ伸上つて、

『八郎どの、上總の一作が娘に産ましたお前様の子をれて來やした。風の便りに此度はイカイ手柄をさツしやつて御出世と聞いて、これまで丹精して大きくしたのを見せて褒められうと思つたに、なさけない事をさツしやつた。』

 とこぶしで涙を払ひつゝオロ〳〵聲で幼兒おさなごに、

『坊のお父様だ。うく顏を見て覺えて置きや。』

 と孝吉たかよしを指さし示しつゝむせび泣いた。

一作いつさくといふはもと金碗に奉公した仲間ちうげんであつた。孝吉は神餘じんよを浪人してから一作をたよつて暫らく厄介になつてるうちに、不斗ふとした縁で娘と契つて生ましたのがこの幼兒おさなご。面目無くて生れぬさきに手紙を残して旅路に上り、棄てたでも無く忘れたても無く國事に忙がしくて憶出おもひだす暇も無かつた。が、孝吉の功名は上總にも聞えて一作が幼兒を伴れて合ひに來たのを氏元から義實の耳に達して義實は興がりたまひ、今日唐突だしぬけに親子の對面をさせようと最前さいぜん奥庭の析戸のそとに忍ばして置いたのだ。孝吉は今の今までも君の戯れのソンナ陰謀が有らうとは思はなかつたので、最後の臨終いまはに未見の我が子を突出されて悲喜哀歓が一時に胸に迫つて來た。

『孝吉、汝の子は義實養ひ取らせるぞ。忠義の遺子かたみが残つたのは義實も満足。義實名付け親となつて金碗大輔孝徳かなまりだいすけたかのりと名乘らせ、成人のあかつきには東條の城主として長狹半郡を宛行あておこなつて汝の功労に報ゆるぞ。』

 と義實は孝吉の耳端みゝばた近く仰せられた。

 孝吉はかたじけなさに涙をうかべて君と我が子とを等分にみつめて何度も點頭うなづいた。いつまで苦痛をさせるでも無いと、義實はうしろに立つてみずから介錯かいしやくし玉ひ、思残す事もなくガツクリと落入つた。其時七日の月は西に入り、陰々として心火閃めき、朦朧と立てる女の姿が大輔の身にそうて煙の如くに消え失せたのが義實一人ひとりだけに見えた。

 四 猛犬八房

去程さるほどに義實は功成つて室を迎へ、続いて一女一男を儲けた。初子うゐごの伏姫は襁褓むつきの頃頻りに夜泣よなきして三歳まで物も言はなかつたので、洲崎の役行者えんのぎやうじや石窟いはむろに祈願したが、或る日の參詣の歸るさ異相のおきなに會つて仁義八行の八字を數へ玉に彫つた水晶の念珠を授けられて、それからは其功徳くどくにや夜泣も止んですこやかに育つた。この子生れながらの麗質で、十一二歳になつた頃は竹取の姫の如く輝くばかりに照り渡つた。

 其頃長狹郡の富山の麓に技平わざへいと呼ぶ百姓があつた。その家の飼犬をすの一つ子を産んだのを、技平は二なき物と可愛がつてゐたが、七日ばかり経つた或る夜狼が垣を破つて犬小屋を襲ひ、くだん母犬おやいねを噛殺してしまつた。不思義に子犬は災難を免れたので技平わざへいは益〻不便ふびんが増して面倒を見たが、獨身者で晝は稼ぎに出るから子犬の面倒を見るものが無いのを怨めしく思つたが、三日とち四日と過ぎても犬は饑えたる氣色けしきく、日に増し段々と肥ゆるを不思議に思って旦暮あけくれに心をくばつてゐると、

 或る朝である、不斗一匹の狸が犬小屋から飛出して富山の方へ還つて行くのを見て、さてはこの狸が犬の子を育むのであらうと驚いて、其日の黄昏たそがれ窃かに背戸せどに隠れて狸の來るのを待つてゐた。そのうちに小犬は乳が欲しくなり、母の狸が戀しくなったと見えてクン〳〵鼻を鳴らしてゐた時しも、燐火おにぴ人魂ひとだまか瀧田のはうからフワ〳〵とひらめいて來て犬小屋の近くへ落ちたかと思ふ途端、今朝見た狸が急いで富山の方から飛んで來て、犬小屋の中に駈込むと忽ち小犬の乳を吸ふ音がチユウ〳〵と高く聞えた。それから以來氣を付けてゐると、毎晩必ず瀧田の方から光物ひかりものが飛んで來て、犬小屋近く落ちると同時に狸が來ては小犬をはぐむので、物怪もののけらしくて恐ろしく、人にも語らで秘してゐた。其中に四五十日を歷て犬は愈〻大きくなつてひとひが出來るやうになろと、狸はいつとなく來なくなつた。

 が、誰からとなく此噂は近所界隈に廣がつて評判となり、ワザ〳〵遠方から狸にはぐまれた犬を見に來るものも多かつた。里見の老臣堀内蔵人貞行ほりうちくらんどさだゆき輪番りんばんの東條の城代じやうだいてゝ瀧田へ歸る途中、此里を過ぎて不斗評判を聞き、技平わざへいの小屋へ見届けに立寄って、前代未聞の珍事なればと歸つてからありの儘を義實ヘ言上した。

 里見の家では伏姫が兎角に夜泣して止まなかつたので、それから以來魔除けの犬を飼つてゐたが、今だにせる逸物も無いので、内々名犬を物色してゐたから、貞行のはなしを聞くと早速くだんの犬を召寄せた。骨太ほねふと限差まなざしするどく脊丈せたけは世の常の犬に倍して一見稀代の逸物であるのを見て義實は斜めならず賞美し、技平わざへいにはかずけものを取らせて後園おくにはつないだ。首尾八所しゆびやところぶちがあるので八房やつふさと呼び、義實初め伏姫もたなきものと寵愛し、八房々々と呼べば尾を振つて走り出て、朝な夕なに睦び戯れてゐた。

 それから何年か経つた。或る年、里見の領内は荒作で瀧田は困弊を極めたので、前年安西あんさいの采地が不作で五千俵を用立てたのを縁として、其時二十歳はたちになつた金碗かなまりの遺子の大輔孝徳だいすけたかのりを使者として金穀の調達を安西へ頼みにつかはした。

 然るに安西景連かげつらは前年の恩を思はず、この窮乏を奇貨として瀧田を攻める陰謀を企て、大輔を抑留して俄かに軍馬を調とゝのへて出兵の準備をした。大輔が氣附いた時は既に遅く、景連自ら二千騎を率ゐて瀧田へ押寄せ、一方稗將の蕪戸訥平かぶととつぺいに一千騎を率ゐさして堀内貞行の籠れる東條を圍ませ、一時に兩城を陥れようとした。智勇にけた義實も不意を襲はれて愕然とした。猛將勇卒が雲の如くであつてもえては戰ふ事が出來なかつた。毎晩士卒が垣を忍び出しては敵の死骸しがい腰兵糧こしひやうらうさぐり、斃れた馬を殺したり死人の肉を喰ったりして辛うじて饑を凌いでゐた。が、これも長くは続かないで、義實も愈〻全軍討つて出て最後の血戰を試みる外は無いと決心した。

 愈〻今夜と覺悟をめた晝間、義實は庭を徜徉そぞろあるきして愛犬八房やつふさの尾を振つて來る頭を撫で、肉が落ちて骨が高くなり眼が凹みて鼻が乾けるを見、

『汝も餓えてるか、不便ふびんに思ふぞ。義實運つたなく愈〻今夜最後の血戰と覺悟したが、く聞け、汝十年の恩を知るなら敵將安西景連の首を啖切くひきつて來い。世の欲しいものを恩賞に取らせるぞ。』

 と仰せられた。

 八房はしうおもてを仰いで合點をするやうな顏をするに、汝は何が欲しい?魚肉か、官職か、領地か、それとも伏姫かナとおほすると、八房は忽ち尾を振つてしうの面おもてまたゝきもせずに見上げた。義實はホヽと微笑しつゝ、

『伏姫は汝を愛するから汝も伏姫を欲しいだらう。景連の首を取つて來い、汝を女婿むことして伏姫を取らせるぞ。』

 と重ねてのたまへば八房は前脚を析つて拝する如く悲しげな聲を擧げて高く吠えた。

 其晩、愈〻今夜は最後の決戰と、奥方おくがた息女嫡男を初め老臣一統を召して、洒の代りの水杯みずさかづきを酌んで湿しめやかな訣別わかれ酒盛さかもりをした。

 雑兵達も思ひ〳〵くに此處彼處ここかしこに集まつて別れのさかづきを酌み乾かして夜をかし、やがて、丑満うしみつとなり遠寺の鐘の音が冴えて死出しでいくさ門出かどでを告げる時、外面とのもの方に俄にけたゝましい犬の聲が聞えた。八房やつふさである、何事ぞと兩三人、紙燭しそくを照らして縁端えんばたに出て見れば、生々なま〳〵しい人の首を縁端えんばたに載せて八房は踏石ふみいし蹲踞つくばつてゐた。主従男女打驚き、餓えたる犬であるから戰場から首を拾つて來たのだらうと騒ぐうち、義實は左見右見とみかうみして氏元に向ひ、

氏元うぢもと、景連に似てをるでは無い乎。』

 と仰せられるに、氏元は首を取つてためつすがめつしたが、暫らくして思はずあつと聲を擧げた。

『正しく敵將景連!』

 八房、出來でかした、出來でかしたと満座は俄にどよめいで、驚き勇んで躍り立つた。

 そのうちに物見ものみの兵士は飛んで來て、敵陣事ありと見えて俄かに動き初めましたと注進した。それツと號令して神速に兵を二分し、總軍討つて出て左右から挟撃した。らぬだに大將の寝首を掻かれて色を失つてるところを不意に突撃されたのだから、安西勢は足並を亂して全軍總崩れとなつて忽ち降伏した。東條を圍んだ安西の別軍もゝ此敗報が傳はつたからおのづからつひえ、主將の蕪戸訥平かぶととつぺいは卑怯にも風を喰つて逃出してしまつた。

 成敗おのづから天意があつて、権變吉詐けんぺいきつさむねとする景連かげつらは貪婪飽く無くして却つて家を亡ぼし、仁義を重んずる義實は窮地に陥つても不思議に危機を脱した。安房朝夷あさひなの兩郡の民は景連亡ぶと聞くと直ちにたちの兩城に押寄せて守將を亡ぼし、逃げて歸つた訥平とつぺいらの首級を擧げて義實に献じ、安西の所領は求めずして義實の手に歸し、室町將軍からも安房平定の功を賞されて安房の國主に封ぜられ、治部少輔ぢぶのせういふに補任された。

 五 伏姫八房に負はれて富山に入る

 さるにても城を枕に一族決死を覺悟したのが禍福忽ちところを更へ、安房四郡を併合して威勢朝日の昇る如くなつたのも畢竟は八房やつふさの殊勲であるから、犬養いぬかひの職を置きて従僕數多あまたかしずかせ、出入前後を露払つゆばらひさせて殊寵内外のを聳えさした。が、八房は少しも喜ばず、かうべを垂れ尾を伏せてくらはず睡らず、景連の首を啖へて來た縁端えんぱたを少しも離れないで、義實の顏を見ると前脚を縁端へ掛けて尾を振り鼻を鳴らして請求もとむるものがあるやうな氣色をした。

 初めは犬の心が計りかねて怪訝けげんに堪へなかつたが、不斗ふと思ひ当ると俄に興が冷めた。よしない戯れを云つたもの哉と今更悔むが、若しかしたらと思ふと急に八房がいとはしくなり、犬養に仰せて遠く牽かせて棄てさせようとした。すると八房は俄かに怒り狂うて犬養の手に合はず、鎖を引斷ひきちきつて押へるものをくらひ倒し、縁におどり上つて奥殿深おくでんふか闖入ちんにふした。犬とは云へこうしに等しい狂犬がたけり狂ふのだから、侍女こしもとどもはアレヨ〳〵と聲を揚げて彼方あつちへ逃げ、此方こちらへ走るばかり。八房は益〻暴れ狂うて障子襖を押倒し、飛ぶが如くに姫の御座所へ闖入して、折から書案ふづくゑもたれて讀書しておはす姫を見るなりもすその上にハタとした。眼はけはしく、耳は逆立つて面魂尋常つらだましひたゞならず、姫はアナヤと机を脇へやつて起上らうとしたが、長き袂に前脚まへあし突入つきいれられて進退自由ならず、侍女こしもとどもはこの為躰ていたらくに愈〻騒いだが、八房が眼をいからしきばあらはしてうな険相けんさうの物凄さに遠くの方から疊を叩いて叱ツ〳〵と追ふばかりで近づく事が出來なかつた。

 義實は斯くと聞いて手槍引提てやりひつさげ戸口に立ち、ハッタと八房を睨んで石突いしづきをもて追出さうとしたが、八房は少しも恐れず、眼を怒らし牙を張って義實に噛みつかうとした。義實は勃然として、

おのれ畜生の分際として…………』

 と手槍をしごいてと突きに刺さうとすると、

『父上、暫らく…………』

 と伏姫は身を楯にして犬を保護かばつた。

『父上、八房に何の罪があります? 功あつて賞されない八房には君を怨みまつる不満は有つても罪は有りませぬ。』

 と、姫ははふり落つる涙を拂ひつゝ、

綸言りんげんあせの如しとやら、縦令苟且かりそめの御戯れにせよ、國主が一旦御約束になつたものを反古に遊ばしては一國の御政道が立ちませぬ。景連の首の御褒美はわらはであつたのを、妾の代りに山海の珍味を山ほど下されたからとて八房が喜びませぬのは道理、口賢くちがしこくはありますが、賞罰正しからざれば信を民にうしなつて國ほろぶと申します。瀧田の城を救つた大功にわらはを八房に賜はつて人君の御徳を示したまへ。』

 と男々しくも道理を説いて、身を八房に殉ずる覺悟を色にあらはして許可ゆるしを請うた。

 義寅はカラリと槍を棄てゝ、

『わるかつた、わるかつた。よしない戯れを云つて姫にも面目無い。だが、自ら非を飾るでは無いが、それも前世の宿業しゆくごふ。助命する理由の無い玉梓たまづさを助命すると云つて再びひるがへした為め、罪も無い姫に崇つて憂い目を見せるのは人の親として申譯が無い。許してくれ、勘辨してくれ。』

 と湧返わきかへる胸の思ひを疊みつゝ數度あまたたび嗟嘆した。伏姫の幼き析、異形ゐぎやうおきなが姫を相して物怪もののけいてると云つたはこれで、八房を突刺したところで姫の宿業しゆくごふの一生の魔障を拂ふ事は出來まいと思返して、世に勝れたる才貌の花ならばにほこぼれる生涯を畜生道におとす親の無慈悲をおもはぬではないが、何事も前世の約束と斷念あきらめて親恥かしき傑氣けなげな姫の決心を許す事にした。

 姫はう立派に覺悟した。幼き析から片時かたときも離さぬ異形ゐぎやうの翁に授けられた珠數の仁義八行の文字がイツの間にか如是にょぜ畜生ほつ菩提心と變つたのも亦、所詮のがれぬ宿命の豫兆しらせであらうと父にも母にも示し、生中なまなかに時を遅らすは末練を増すばかりであるから、今宵こよひ即時においとまを賜はりてやかたを出て、八房に伴はれ何處いづこへなりとも八房の心に任して參るべしと、直ちに家出いへでの支度をした。

 美々しい行列供揃ともぞろひで、國司こくし大臣にもとつぐべき身がたま簪綾錦かんざしあやにしき脱ぎ棄てゝ白小袖のみを打襲うちかさね魔障を護る念珠を衣領えりに掛け、料紙一具法華経一部の外には何も持たず、見送りの従者ずさをもおことわりして縁端えんばなに出られた。最前から縁近く蹲踞つくばひて姫の出給ふを待ち受ける八房を見るときつとして、

『八房、くうけたまはれ、父の御定の重ければ汝に伴うて生涯をともにすべきが、人畜異類境界さかひを決して忘れるよ。』

 と用意の懐劍をガチヤツと鳴らした。

 犬は心を得たるが如く、愁然としておもてを伏せたが、忽ち首を擧げて姫の顏を見、長吠ながほえをして恰も誓ふ如き氣色けしきであつた。姫は静かに點頭うなづき給ひつゝ庭へりられ、

『さツ何處どこへでも伴れて行きやれ!』

 と仰せられ、母君初め女房達の別れを惜んでヨヽと泣くのを振りもぎつて、八房のあとに従ひ析戸、中間、西の門を過ぎて、瀧田の城を離れると八房の薦めるまゝに脊に乘り給へば、八房は飛鳥の如く走つて宿しゆくを過ぎ川を越え、生れた故郷の犬懸いぬがけの里から富山とやまへと分躋わけのぼつた。山又山の奥へ〳〵と狹霧さぎりめる奥山指して霞の中へ消えてしまつた。

 六 伏姫の最期

 それからとせあまりになる。富山は伏姫のかくといふので義實は固く入山を禁じ、木樵山賤きこりやまがつと雖ども登山を許されず、禁を犯すものは死刑に處すと嚴重に触れさした。春と過き秋と暮れても落葉おちば踏む人の足は途絶とだえ、全山ぜんざんげきとして伏姫の讀経どきやうの聲がする外はしはぶき一つだに聞えなかつた。

 この寂莫じやくまくたる無人境に不思議や今日はドコからとなく笛の音が聞えた。析から花を摘みに徜徉そゞろあるきし玉ふ姫は絶えて久しき笛の人眷ひとなつかしき思ひをして、嚠喨たる響きをあてに道を辿ると里のわらべが牛の脊に乘つて笛を吹き〳〵道を分けて來た。

其方そちは何いずれから參つた?』

『この山の麓の醫師くすしのお師匠さんの命令いひつけで薬を採りに參りました。』

醫師くすしのお師匠さん?』と姫は聞咎めて暫らく沈吟しあんされたが、『お師匠さんが醫師くすしなら其方そちも少しは病を辨えてをらうが、妾此頃わらはこのごろ胸むかつきて堪え難く、身内みうち月々つき/〃\おもくなる心地するは何の病であらう?』『それは醫師くすしに尋ねるまでも無い俗に悪阻つはりと申す女の病で、妊娠されたのだ』

氣疎けうとい事を申す、』と姫はほゝと笑つて、『わらはには良人をつとが無い、良人をつとが無くて妊娠する事があらうか。』

『姫君に良人をつとが無いとは申されますまい。』とわらべは笑つて、『父君から許された八房は良人をつとでなくて何である!』

うとましい事を申す』と姫はさすがに鼻白みて、『其方そちのやうなわらべに云うて聞かすでも無いが、わらは父君の御諚をかしこみて非類と共に幾春いくはるあきを過ごしてるが御経の功徳に由つて身は穢されず清浄である。いかで妊娠みもごる事があらうや?』

『姫君はマダ一を知つて二を知ろし召されない。物には物類相感といふ自然の理法があつて………」

 とわらべ似氣にげ無い高辯かうべんにて、陰陽交おんようまじはらずとも孕む事ある數多あまたの例を擧げ、縦令八房に色欲が無くて姫は清浄におはしますとも、八房が既に姫の御経讀誦おんきやうどくじゆを聞くをよろこび、姫も亦八房の他意無きをあはれみ給ふならば兩々愛念の感通じて身重になり給ふは不思議で無いと告げ、つら〳〵姫の相を見るに妊娠みもごれるは八子にて、形を作らずして生れて更に餘人のはらを借りて再生すとなぞのやうな事をいつた。わらべの口からは迚も聞かれまじき三界看透みとほしの博辯はくべんに伏姫は惘然として暫らく聞惚れてゐたが、そのうちに秋の日ざしの短かきに長物語してお師匠の待詫び給はんと、わらべは別れを告げて何度いづことも無く消え失せてしまつた。

 正しく神の示現じげんと恐ろしくもなり叉今更に胸の潰れる思ひをした。身は幸ひに御経の功力で穢されなくても、非類の犬の情念に感じて八子をはらむとは何事であらう。人の通はぬ石室いはむろに誰見るものも無く暮しても、非類の愛に感通して八子をはら身重みおもとなつては何面目なにめんぼくに生きてゐられう。所詮人界に棄てられた身、八房にいひ聞かして共に身を果てる外は無いと、涙に掻暮れながらトボ〳〵と石室いはむろに戻つて、残り少なの料紙の皺を伸ばして、常人たゞびとと思はれないしきわらぺに邂逅であつて受けた示現じけんのあらましを書残して、今日にも八房と共に因果の一生を葬むるの覺悟を定めた。

不斗ふと見れば頸に掛けた守りの珠數の數へ玉の文字が、山入やまいりをした門出かどでの前に如是畜生發菩提心と變つたのがたイツのにか初めの仁義禮智忠信孝悌と變つてゐた。そのとき〴〵宿業しゆくごふ示現じげんする珠數の奇特きどく凡智ぼんちの計るべからざる所と、輕々しくは身を決し兼ねてさまうさま思ひ煩ってゐた。

 丁度その時、伏姫の石室いはむろと川を隔てゝ相對あひたいした彼岸むかひがしにドコからとなく現れた一個ひとり壮漢さうかんがあつた。かりの支度の甲斐々々しく右手めて鳥銃てつぽう引提げて流れる水を渡らうとしつゝ此方こなたきつと睨んでゐた。これなんさきの日安西へ使ひして抑留された後往向ゆくへを失した金碗かなまり大輔孝徳たかのりであつた。ぬる日大輔だいすけが安西の異心に氣が付いて、一刻も早く瀧田へ知らせようと守り嚴しい旅館をと忍び出した時はう既に遅かつた。敵將燕戸訥平に逃ぐるを追はれて苦戰をし、重圍に落ちて討死すべかりしを漸く危地を脱して瀧田へ戻つて來た時は、城は早や十重二十重とへはたへに圍まれて蟻のもぐり込む隙すきも無かつた。其中に敵將首を授けてかこみはおのづから解けたが、使命を果さなかつた身の阿容おめ〳〵々と、面下つらさげて君の見參に入らう、さりとて自裁して君にお詫びをする機をも失したので、時節を待つて手柄を立てゝ歸參する外は無いと、上總の外祖一作の親族を頼つて暫らく身を寄せて時の來るを待つてゐた。

 そのうちに里見の姫君が飼犬八房かひいぬやつぶさ魅入みいられて富山の奥へ伴はれ、安危存亡さだかならぬのを母君御案じあつての物思ひが重なつて長の病床いたつきに臥し給ふの噂が耳に入つた。大輔聞いて打驚き、君如何いかに失言し玉ふとも貴人の息女が非類に伴はれて人里ひとざと離れた奥山に暮し玉ふといふは古今に曾て聞かざる珍事、八房に靈きて神通じんつう自在を得てをるにせよ、大輔身命をげうつて八房をと撃ちにし、姫を救ひ參らしてお家を安んじ奉らうと、窃に身支度みじたくをして用意の鳥銃を携へ、數日前から禁斷の山へ忍び込み、彼方此方あなたこなたと草を分け木を潜り谷を渡りそばを傳うて八房の棲窟すみかを尋ね、丁度この時不斗ふとこの川畔に立った時、微かに姫の讀経の聲が聞えたので、耳側立みゝそばだてゝきつ對岸むかひぎしにらんだ。

 里見のお家では伏姫の母君の御病おんわづらひ日に重らせられた。これまでも姫の安否が心許こゝろもとなく、洲崎の代參にかこつけて度々近侍きんじを富山へ登らせたが、この急流に隔てられて狹霧さぎりの中から對岸むかひぎしを眺めるばかりで、姫の消息たよりを聞く由も無かつたから、母君の胸の思ひは晴れる時なく、醫師祈祷くすしきたうの手を尽しても病は段々重るばかりで今は早や頼み少なくなつた。いきあるうちに唯と目ひめ顏見かほみて死にたいといふが最後の望みで、衰へ果てた病の床でわりなく義實に願ひきこえた。義實も亦おもふ親心で、口にこそ出さね姫を思出さぬ日は一日も無かつたから、病める奥方の願ひが無くとも心利きたるものを富山へ派して姫の容子を探らせ、對面は協はずとも姫のつヽがなき便りを聞かして最後の安心を与へたいと思つた。

 が、禁斷を触れた山へ國主が禁を破つて人を登らせるといふも後目痛うしろめだかつた。加之のみならず富山の奥は魔障に閉ざされ、川から先きは狹霧さぎりが常に立むる魔境と聞いてやせまじくやせまじと思案につかれて仮睡まどろませられると、身はいつか富山の奥のたに川のこなたの岸に佇立たたずまれてるところへ異相のおきな現はれて、此川の右手めて樵道そまみちあり、千茅生茂ちがやおひしげれども枝を析掛け草をこがねて栞とすれば御おん嚮導みちしるべ仕らざるも道に迷はせ給ふ事なからんと云ふかと思ふと忽ち眼がめた。不思議な夢を見るもの哉と思はれる間もなく、東條から堀内蔵人ほりうちくらんど參上と聞かれて愈〻不思議に思はれた。招きもせざるに俄かの出仕は何事ぞと急ぎ召して問はせ給へば、昨夜あやしの翁が見えて、奥方御病篤く殿は姫君のお迎へに御自身富山へ御登山遊ばすについてお伴を仰せ付かるとの俄かのお召しと承はつて、即刻馬を飛ばして唯今着到と申上げた。

 義實は奇怪におばして段々とくはしく尋ねたまふに、東條に見えたのも義實の夢に現れたのも同じ翁で、正しく役行者えんのぎやうじや示現じげんと覺ゆれば神慮に戻るはかしこしと、即時に堀内に仰せて馬廻うままはりの支度を整へさした。富山の麓の大山寺を參詣するといふ触れ出しで、主従ニ人の外僅に十數人の瀬子せこを伴れて行つたが、登山の途中から馬も瀬子も麓へ還してしまつてたゞの主従二人ふたりきりとなつて、夢の翁が示した通りの道のしをりあてにして荊棘いばらを分けつゝ羊腸路つゞらをりを登つて行くと、道はいつしか魔の川の川上かはかみまはつて對岸むかひぎしに來てゐた。

對岸むかひぎしには金碗大輔孝徳、こちら岸には父義實が既にうしろに近づきつゝありとも知らずに伏姫は、眞情籠まごころこめて懇々と人に物言ふ如く八房を諭して、死出しでの覺悟をさした。八房は首肯うなづくものゝ如く愁然と首を垂れて姫の前に伏した。やがて姫は暫らくほとけを念じた後、常よりも一層澄んだ聲で御経を讀誦どくじゆし終ると、八房はと身を起して涙を泛べて伏姫を見返り〳〵石窟いはむろを出て、川へ向つて踉々よろ〳〵と二三歩遊んたかと思ふと銃聲一發、のどを打たれて煙の中にバタツと仆れた。アツト聲擧げる間なくあまれる弾は飛んで來て、伏姫も亦下貫したぬかれてバタリと仆れた。

 見事に手答へがまつたので金碗大輔は人の恐ろしがるほどでも無い思ひの外の浅瀬を徒渉かちわたりして岸へ上りつ、八房の遺骸むくろあらためて見てなほも銃の台尻で滅多無性にたたきつけた。モウ大丈夫と伏姫をさがしに石窟いはむろへ二三歩進むと、思はず尻持突いてアツと聲を擧げた。周章あわてゝ血に染みた姫を抱起し、

『姫君!。姫君!』

 と耳に口當て聲を限りに叫んだが、眼も口も竪く閉ぢて氷の如く冷たくなつて居給ふので、餘りの事に涙も出ず、暫らくは藻脱けの殻からのやうに呆然ぼうぜんとしてゐたが、やがて覺悟がきまりけん、恭々うや〳〵しくひめ遺骸むくろ額突ぬかづいて、あふれる涙を振払ひ〳〵、

『大輔の無調法ぷてうはふは切腹してお詫びがかなふとは思ひませぬが、御申譯に冥土めいどのおともを仕ります。』

 と襟を廣げてアワヤ刃を突立てようとしたその途端、弦音高く矢が飛んで來てやいばを握る右手めて張肱はりひぢ微削かすつたので、思はず刃を取落した。其時、木蔭こかげから現れたは熊の皮の行縢むかばきに豹の尻鞘の里見義實、

『大輔、久し振だつたノウ。』

 と先づ大輔に聲を掛けられた後、姫の亡骸むくろを憂はしげに見給ひつゝ、堀内に仰せられて傍らに落ちたる念珠と遺書を取上げさせられて讀みたまひ、

『大輔、姫はそちに打たれないでも自ら死ぬ覺悟かくごであつたのは遺書かきおきで明白である。そちたま過失そさうであつたのも見届けてをる。だが、それはそれとして、大輔汝は今までドコにゐやつた?』

 と尋ね給ふに大輔は安西の陰謀にたばかられた以來の一伍一什いちぷしじふを言上して、この思はざる不覺の御詫びに何かな手柄てがらを立てゝ歸參を願はうと思ふ矢先き、姫君八房に伴はれて富山に入らせ給ひ、母君御案じありて長き御病床いたつきに就き給ふと承り、八房を殺して姫を救ひ參らせんと思つた事がいすかはし、忠義の為めにした事が却つて不忠になったこの仕合せ、神にも佛にも見放されたかとはらわたちぎるばかりの血の涙。

『堀内殿、縄掛け給へ!御法通ごはふどりりの御成敗ごせいばい…………』

 と眼をつぶつてうしろへ手を廻した。

『待て大輔、姫の非業ひごふは汝の罪ばかりでも無い。』

 と仰せられてじつと姫の遺骸をみつめられてゐたが、やがて手づからかゝへ起されて魔障を守りの念珠を姫の頸へ掛け、暫らく祈念を凝らしておはすと、不思議や姫は微かに眼を開いて忽ち息を吹返された。

『氣が付いたか。』

『姫君、お氣が付きましたか。』

 と義實と堀内が左右より打寄ると、姫は見るなり手を振放ち、双袖もろそで顏へ押當てゝ潜然さめ〴〵と泣かれた。

『恥かしい事は無いぞ、主従三人だ。八房は不便ふびんであるが、これは是非が無い』と義實は柔しく慰められて、

『母が危篤でそちに會ひたがつてる。さツ、瀧田へ歸らう…………』

 姫は涙を拭はれつゝ、身は八房と諸侶もろともに水の藻屑となる覺悟であつたので、蘇生よみがへつたからとて再び瀧田の風に當らうとは思はない。母君には申譯は無いが、やかたをおいとま申した日を命日として此儘富山に埋めて下さいと、涙ながらも理義明白に、死なねばならぬ事の由を訴へられた。

 義實は姫が傑氣けなげな覺悟に數度あまたたび嘆息されつゝ、

『伏姫も大輔もよく承はれ、大輔の父孝吉たかよしは里見家再興の第一勲功者。厚く功を賞すべきを故主に殉じて切腹した。義實不愍ふびんに思つて、遺子大輔成人の暁は姫を妻合めあはせて東條の城主とし長狹半郡を宛行あておこなはんと、臨終いまはの際に約束した。大輔も今年は二十歳はたちとなつたので、此約束を實行して冥土の孝吉に酬はんとしたのが皆咀齬くひちがつて悪夢となつたのは、それもこれも皆玉梓の怨靈の崇るところ、宿業しゆくごふなれば凡夫の力如何ともし難いのは是非も無いが、鐘愛しようあいの姫も、姫より増して不便に思ふ大輔も喪ふ義實の遺感察して呉れ…………』

 と有繋さすが智勇の名將も顏をそむけて涙を拭ひたまうた。

 伏姫も亦拭うても拭うてもはふり落つる涙を払ひもあへず、

『金碗どのゝ事は今初めて承はるが、親の許し給うたをつとに背いて八房に伴はれたのは此上こよなき不義。八房はをつとにしてをつとに非ずとは云へ、非類と同棲して通感して子を宿しては父君の前も恥かし、金碗殿にも面目めんぼく無い。所詮免れぬ業報ながら身の潔白のあかしを立て、父なくて宿れる腹の疑ひを晴らしませう。』

 とそばなる護身刀まもりがたなを素早く取つて人々がアナヤと驚くひまもなく、忽ち腹へ突立てゝ眞一文字に掻切かつきつた。

 怪むべし、一朶の白氣、傷口きずぐちよりひらめき出でて頸に掛けたる珠數を包んで虚空こくうへ昇ると見えたが、珠數忽ち中空なかぞらでプツとちぎれ、小玉こだまを聯ねた一連は地上へカラリと落ちて來たが、八つの珠は光を放つて散亂し、飛繞とびめぐ入亂いりみだれて赫約たるさまは流星の聚まる如く、主従三人は我にもあらで茫然と打仰ぐうち、山おろしの風さつと音して八つの靈光ひかりは八方へ散りせてしまつた。

 其時、大輔はおくれはせじと再び刀を取上げて切腹せんとしかゝると、

狼狽うろたへるな、大輔』と義實は制し給うて、『身が成敗して呉れる。』

 と大輔のうしろに立つて御佩刀おんはかせき、ヤツト聲掛け給ふと思ふと大輔のもとどりはフツと切れて前へ落ちた。

『大輔、汝は罪あつて罪なし、この髻は亡父へのが寸志である。』

 と刃を鞘にカチリと収め、

可惜行末あたらゆくすゑある壮佼わかうどを世の埋木とするは不便であるが、亡父の為め姫の為め菩提を弔つて佛に仕へ、名僧智識の名を擧げよ』と仰せられた。

 君の情のかたじけなさに大輔ははふり落つる涙に暫しおもてを得上げず、地に鰭伏ひれふしてむせび泣いた。

 斯くて金碗大輔は姫君の御運の拙きも「犬」、菩提の道に入り給ふも「犬」、煩悩の犬は佛果ぶつくわを得て里見のお家を護る護國の「犬」となるのであるから、其身も「犬」の一字を割いて「ちゆだい」と法名仕らんと、姫の御遺物かたみとして地上に落ちた小玉の珠數を出家の餞別に賜はつて、虚空に散つた八つの數へ玉の行衞を捜す斗撤とすう行脚に、四十九日の御忌を石窟いはむろに通夜してのち何處いづこともなく飄然と去つた。

編者注】
・底本:日本名著全集 江戸文芸之部 南總里見八犬伝 上 発行所:日本名著全集刊行会 昭和2年2月5日発行
 入力と校正:松本修治 2003年11月30日公開(現在は、アクセスできない)
・2025年10月28日
 UTF化した。ルビは、ruby タグを用いた。
 Wikipedia 内田魯庵
 内田魯庵「八犬伝談余」(青空文庫)

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