南総里見八犬伝(025)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十四回
東都 曲亭主人 編次
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岩波文庫「南総里見八犬伝」(二)から
【挿絵説明】「苦肉くにくの計はかりこと蟇六ひきろく神宮河かにはかはに沒ぼつす」「左母二郞」「土太郞」「ひき六」「信乃」

軍木媒ぬるでなかたちして莊官せうくわんに說とく
蟇六僞ひきろくいつはりて神宮かにはに漁すなとりす

 卻說かくて陣代簸上宮六ぢんだいひかみきうろくは、曩さきに莊官蟇六が女兒濱路むすめはまぢを眷憐みそめてより、戀々れん〳〵の慾火禁よくくわとゞめかたくて、寤さめても寐ねても忘わすられず、「媒妁なかたちもがな」、と思ふ氣色けしきの、坐そゞろに顯あらはれたりければ、媚こびて勢利せいりを旨むねとする、そが屬役軍木五倍二したつかさぬるでごばいじ、傍かたへに人なき折を見て、宮六にいふやう、「人思ひあれば色に出づ。色に出いづれば人もしるなり。某屬者それがしちかころ、尊公そんこうの氣色けしきによりて、既にその意を察したり。そは必かならず蟇六が女兒むすめなる、濱路とやらんが事なるべし。槐門貴族くわいもんきぞくの姬ひめ上うへならば、及びかたき事もあるべし。尊公そんこう配下の一莊官いつせうくわん、そが女兒むすめのうへならば、なでふ御みこゝろを勞し給ふに及およばん。もし娶めとり給はんとならば、某媒妁それがしなかたち仕らん。一トたび言ことを傳へなば、蟇六歡よろこびて承引うけひくべし。尊意如何そんゐいかに」、と密語さゝやけば、宮六莞然につことうち笑ゑみて、「寔まことに和殿わとのの察知さつちの如し。さばれ濱路は、蟇六が一女ひとりむすめなり。且壻かつむこがねもありと聞けば、輙たやすくは承引うけひくべからず。われこの故ゆゑに思へ共、思ひかねつゝ思はずに、和殿に怪しめられし也」、といへば五倍二小膝こひざを進め、「それは尊公遠慮に過すぎたり。蟇六は配下の莊官、倒たふさんとも起おこさんとも、公の御みこゝろひとつにあらん。尒しからば壻むこがねありといふとも、忽地たちまちに變へん改かいして、こだみの婚緣こんえんを結ぶべし。渠かれもし遲々ちゝして迷ひを取らば、是これ自滅を招くなり。某それがしこれらの利害によりて、說かば必かならず從はん。御みこゝろやすく思ひたまへ」、と誇㒵ほこりかに肯うけがふにぞ、宮六斜なゝめならず歡よろこびて、次の日種々くさ〳〵の聘物おくりものを、七八人ンの奴隸しもべに舁かゝして、軍木五倍二を媒妁なかたちとし、私ひそかに蟇六ひきろくが宿所に遺つかはしけり。

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南総里見八犬伝(024)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十三回
東都 曲亭主人 編次

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【挿絵説明】「糠助ぬかすけが懺悔さんげ物語ものかたり窮客きうするたびゝと稚兒をさなこを抱いだきて身みを投なげんとす」
岩波文庫「南総里見八犬伝」(二)から

犬塚いぬつか義遺託ぎゐたくを諾うけひく
網乾あぼし謾歌曲そゞろにかきよくを賣うる

 犬塚信乃戍孝いぬつかしのもりたかは、伯母夫大塚蟇六をばむこおほつかひきろくが家いへに移居うつりすまひしより、嫌忌けんきの中うちに日を彌わたり、年を送れば、里人さとひとなどには、親しくも物いはず。只たゞ彼百姓糠助かのひやくせうぬかすけのみ、舊馴染ふるきなじみと、伯母も許して、信乃が故ゆゑに疑はず。その性愚直さがぐちよくなればなり。現げにこの老人おきなは、信乃が爲に、言葉敵ことばかたきになるものならねど、愚おろかなる隨僞まゝいつはらず、よろづに實意まごゝろあるものなれば、信乃はその木訥ぼくとつの、仁じんにちかきを愛しつゝ、その門邊かどべを過よぎる日は、立たちながら安否あんひを問ひ、初はじめにかはらず交參まじらひけり。かゝりし程に、糠助が女房にようばうは、去歲こぞの秋身まかりつ。長き病著いたつきなりけるに、究きはめて寒家まづしきくらしにあなれば、果はては藥價くすりのしろ續かず。このとき信乃は糠助に、圓金一兩こばんいちりやうを贈與おくりあたへて、藥料やくりやうの資たすけにしたり。しかれども、蟇六龜篠等ひきろくかめさゝらはこれをしらず。されば信乃が今にして、これらの貯祿たくはへあるよしは、父番作ばんさくが遺のこせる也。番作貧まづしかりしかど、身まかりし後のちに見れば、鎧櫃よろひびつの底に、圓金こばん十兩あり。「この金かね三ッが一ッもて、わが葬ほうむりの事に充みてよ。その他たは竊ひそかに腰に纏つけて、身の爲又また友の爲に、肝要かんえうの事あらば、用ひよ」、と書遺かきのこしたり。亦是後またこれのちの後のちまでを、慮おもひはかりし親の恩、戴いたゞく金かねも湯と沸わかん、淚と共に袖に藏かくして、龜篠等にはこれを吿つげず、「貯祿たくはへありや」、と問とはれしとき、その金かね三兩を出いだして、棺槨墓碑くわんくわくぼひの料としつ。又父の三十五日を弔とひける宵よに、復また一兩を伯母に遞與わたして、法筵酒食はうえんしゆしよくの料とせり。蟇六も龜篠も、これらの金には我がを折をりて、「なほ有りや」、と問とひしとき、「是これのみ也」と答こたへしかば、「さならん」、と思ひつゝ、その後のちは問とはざりけり。「かくてこの七八年、伯母夫婦と同居すなれば、彼番作田かのばんさくたは名のみにて、わが爲にはえならず。われには舊衣ふるきをのみ被きせて、不自由ならずといふ事なけれど、美味美服を樂ねがはざれば、親の遣財いざいを減らすことなし。しかれども彼かの糠助は、わが犬、與四郞よしらうが事に就つきて、憂うれひを倶ともにせし日もありけり。その艱難かんなんを救はずは、我只彼われたゞかれに負そむく也」、とこゝろひとつに思ひとりて、竊ひそかに金を贈おくりしかば、糠助夫婦は、感淚かんるいを禁とゞめあへず、只管ひたすら信乃を伏拜ふしおがみて、その信義を賞嘆し、藥劑くすりを求もとめて用ひしかども、定業じやうごうなればにや、その妻はなくなりにき。
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南総里見八犬伝(023)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十二回
東都 曲亭主人 編次
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濱路竊はまぢひそかに親族しんぞくを悼いたむ
糠助病ぬかすけやみて其子そのこを思おもふ

【挿絵説明】「豐嶋としまの一族いちぞく管領家くわんれいけの三將さんせうと池袋いけふくろに戰たゝかふ」「煉馬平左衞門倍盛」「植杉刑部」「千葉ノ介より胤」
岩波文庫「南総里見八犬伝」(二)より

 再說大塚蟇六さてもおほつかひきろくは、信乃しのを迎むかへとりてより、女房にようばう龜篠共侶かめさゝもろともに、いと愛々あい〳〵しく管待もてなすものから、只外聞たゞぐわいぶんを飾るのみ、こゝろに刃やいばを磨とぐ事多かり。そをいかにぞと尋たづぬれば、蟇六既に里人等さとひとらを欺あざむきて、番作田ばんさくたを橫領わうれうし、これはしも信乃が爲に、一毫いちがうも用ひざれども、いまだ村雨むらさめの大刀たちを得えとらず。「これを手に入れて後のち、彼少年かのせうねんを結果おしかたつけん。さるときは寶刀みたちによりて、わが身いよ〳〵發跡なりいづべく、又濱路には佳壻招よきむことりて、わが身ます〳〵老樂おいらくなるべし。しかはあれども、顧おもふに信乃が面魂つらたましひ、凡庸よのつねの童わらべならぬに、早はやりて事を爲損しそんぜば、毛を吹ふきて疵きずを求め、果はては原價もとねにしかたからん。只眞成たゞまめやかに款待もてなして、由斷ゆだんさするにますことなし」、と腹裡はらのうちに深念しあんしつ、龜篠にのみ機密を吿つげて、斯謀かうはかるにぞありける。かゝれば信乃が危あやうきこと、石の下に生成うみなす雞卵たまご、薪たきゝに巢籠すこもる雛禽ひなとりに異ことならねども、親の先見遺訓せんけんいくんあり、加くはうるに才器勇悍さいきゆうかん、牛若うしわかをも欺あざむくべく、正行まさつらにも劣おとらざる、稀有けうの少年なりければ、その情ぜうをよく知りて、片晌かたときも心を放ゆるさず、舊宅もとのいへにありし日より、伯母をばの宿所に移りし日より、件くだんの寶刀みたちは腰に離さず、坐をるときは傍かたへにとり措おき、臥ふすときは枕まくらによせて、護まもる事等閑なほざりならねば、偸兒ぬすひとの隙ひまあることなし。主客しゆかくの勢いきほひかくの如くにして、一トとせあまり送りつゝ、奸智かんちに長たけたる蟇六なれども、「憖なまじいに手をかけて、見咎みとがめられなば年來としごろ日ごろ、心盡こゝろつくしも泡あはと消きえて、わがうへならん」、と危あやぶ*む程に、偸ぬすむこゝろの稍懈やゝおこたりて、今茲ことし又思ふやう、「村雨むらさめの大刀たち、手に落いるとも、信乃が安穩あんおんでこゝにをらば、それを管領家くわんれいけへ進まゐらするに由よしなし。よしや彼寶刀かのみたち、今わが有ものにならずとも、主ぬしも物もこゝにあり。わが物にあらずとも、わが家いへにあるなれば、終つひにはわが有ものとなるべし。只管ひたすらこゝろ早はやればこそ、その謀施はかりことほどこしかたく、よろづ不便ふべんにして、なか〳〵に危あやうし。女兒むすめ濱路は尙稚なほをさなきに、今よりして十年待とゝせまつとも、そのことの遲きにあらず。遠く謀はかれば長く利あり。短慮たんりよは功をなしかたし」、と漸やうやくに思ひかへしつ、龜篠かめさゝにも、そのこゝろを得させて、且しばらく盜ぬすむの手を藏おさめ、只たゞをり〳〵額藏がくざうに、信乃が意中ゐちうを撈さぐらすれども、これ將はた便りを得たるにもあらず。されば亦また、額藏は、件くだんの事を、主夫婦あるじふうふに問とはるゝ每ごとに、陽うヘには信乃を譏そしれども、害になるべき事をばいはず、その問とはれし事、答こたへしよしを、竊ひそかに吿つげざることのなければ、信乃はます〳〵由斷ゆだんせず、これも陽うへには伯母をばを慕ひて、小厮こものにひとしく使つかはれけり。
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南総里見八犬伝(018)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十七回
東都 曲亭主人 編次
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「思ひくまの人はなか〳〵なきものをあはれに犬のぬしをしりぬる」「犬塚しの」「龜笹」「はま路」

妬忌ときを逞たくましうして蟇六螟蛉ひきろくひとのこをやしなふ
孝心こうしんを固かたうして信乃曝布しのたきに禊はらひす

 卻說犬塚番作かくていぬつかばんさくは、年來としごろの志願稍遂やゝとげて、男子既をのこゞすでに出生しゆつせうし、母も子もいとすくよかに、產室撤うぶやおさむるころにぞなりぬ。「さて兒ちごの名を何なにとか呼よばん」、と女房手束にようばうたつかに譚かたらへば、手束は且しばらく沈吟うちあんじ、「よに子育こそだてのなきものは、男兒をのこゞなれば女めの子ことし、女めの子には男名をとこなつけて、やしなひ育たつれば恙つゝがなしとて、如此しかする人も稀まれには侍はべり。我夫婦わがふうふに幸さちなくて、男兒三人擧をのこゞみたりまうけしかど、みな殤子みづこにてなくなりたるに、この度たびも又男兒をのこゞなれば、一トしほ心よはくなりて、想像おもひやりのみせられはべり。この子が十五にならん比ころまで、女子をなごにして孚はぐゝまば、恙つゝがあらじと思ひ侍り。その心して名なつけ給へ」、といへば番作うちほゝ笑えみ、「死生命めいあり、名の咎とがならんや。齋ものいみ多き俗よの僻事ひがこと、いと信うけがたき筋なれども、おん身が心やりにもならば、俗よに從ふもわろきにあらず。古語に長きをしのといふ。和名妙わめうせうに長竿ちやうかんを、しのめと訓よませし、則是すなはちこれなり。今も穗の長き芒すゝきを、しのすゝきといふぞかし。繁しげきすゝきとするは非ならん。わが子の命長かれ、と祝ことほぎのこゝろもて、その名を信乃しのと喚よぶべき欤か。昔われ美濃路みのぢにて、不思議におん身と名吿なのりあひ、信濃路しなのぢにして夫婦となりぬ。しのとしなのとその聲近し。越鳥ゑつちやうは南枝なんしに巢すくひ、胡馬こばは北風ほくふうに嘶いばふといへり。孰たれかその原はじめを忘れん。わが子もし發迹なりいでて、受領じゆれふする事さへあらば、信濃の守護しゆごにもなれかし、と亦祝またことほぎのこゝろに稱かなへり。この名は甚麼いかに」、と實まめたちて、問とへば手束たつかは聞きゝあへず、「そはいとめでたき名にはべり。富人とむひとは五十日百日いかもゝか、と產室うぶややしなひの賀よろこびに、酒さけもり遊ぶ日も多かり。せめてこの子が名ひらきに、竈かまどの神に神酒獻みきたてまつり、手習子てらこと綿わたの弟子をしえこに、もの食くはせ給はずや」、といふに番作うち點頭うなづき、「われもかくこそ思ふなれ。とく〳〵」といそがせば、手束は鄰ちかき媼等うばらを傭やとひて、赤小豆飯あづきいひに芝雜魚しばざこの羹しるよ膾なますといそがしく、目つらを掴つかみ料理して、里の總角等あげまきらを召聚會よびつどへ、盛もりならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳にくわうぜん、箸はしとりあぐる髻鬟等うなゐらが、顏は隱るゝ親碗おやわんに、子の久後ゆくすゑを壽ことぶきの饗應もてなしにみな嗛あきたりて、膝ひざにこぼれし粒飯つぶいひを、拾ひらひもあへず、身を起し、歡よろこびを述のべて還かへるもあり、人より先に草屨わらくつを、穿はかん穿はかせじ、と囂かしましく、𥉉あはて〚目+條〛てかへるも多かりけり。
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南総里見八犬伝(017)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十六回
東都 曲亭主人 編次
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「山院さんいんに宿しゆくして番作ばんさく手束たつかを疑うたがふ」「菴主蚊牛」「たつか」「大塚番作」

白刃はくじんの下もとに鸞鳳良緣らんほうりやうえんを結むすぶ
天女てんによの廟やしろに夫妻一子ふさいいつしを祈いのる

 卻說大塚番作かくておほつかばんさくは、淺痍あさでなれども一晝夜いちちうや、夥あまたの程みちを來にければ、疲勞つかれとともにその痍きず痛みて、通宵よもすがらいもねられず、枕まくらにかよふ松の聲、溪澗たにかはの音さわがしく、ぬるとはなしに目睡まどろみけん、紙門隔ふすまこしにうち譚かたらふ、聲するに驚覺おどろきさめ、枕を欹そばたてて熟聽つら〳〵きけば、老およつけたる男の聲也。「されば菴主あんしゆはかへりけん。渠何事かれなにことをいふにかあらん」、と耳を澄すまして聞く程に、忽地女子たちまちをなこの泣聲なきこゑして、「そは聞きゝわきなし、むじんなり。衆生濟度しゆぜうさいどは佛のをしえ、よしそれまでに及およばずとも、心を穢けがす破戒はかいの罪、法衣ころもに愧はぢず刃やいばもて、殺ころさんとは情なさけなし」、といふは正まさしく宿貸やどかして、吾われをとゞめし女子をなこなり。「原來菴主さてはあんしゆは破戒の惡僧あくそう、妍かはよき少女をとめを妻にして、彼奴かやつを餌ゑばに旅人りよじんをとゞめ、竊ひそかに殺して物をとる、山賊さんぞくに究きわまれり。たま〳〵君父くんふの怨うらみを復かへし、恥を雪きよめ、危難を脫のがれて、こゝまで來つるに阿容々々おめ〳〵と、われ山賊の手に死しなんや。先さきにすれば人を征せいす。こなたより擊うつて出いで、鏖みなころしにすべけれ」、と思ひ決さだめて些ちつとも騷さわがず、竊ひそかに起おきて帶引締ひきしめ、刀を腰に、かゝぐりかゝぐり、紙門ふすまのほとりへ潛しのびよりて、開闔たてつけの間準ひずみより、縡ことの容やうを闕窺かいまみるに、その年四十あまりの惡僧、手に一挺いつてうの菜刀なかたなをふり揚あげて、女子をなこに對むかひて威おどしつ賺すかしつ、いふこと定さだかに聞えね共、われを擊うたんず面魂つらたましひ、女子をなこはこれを禁とゞめあへず、髮かみふり紊みだしてよゝと泣なく。害心既に顯然げんぜんたる、爲體ていたらくに番作は、聊いさゝかも疑はず、紙門ふすまを丁ちやうと蹴けひらきて、庖湢くりやのかたへ跳出おどりいで、「山賊われを殺さん欤か。われまづ汝なんぢを殺すべし」、と罵のゝしりあへず飛とびかゝれば、惡僧大おはきにうち驚き、拿もつたる刃やいばを閃ひらめかして、斬きらんとする拳こぶしの下を、潛くゞり脫ぬけつゝ足を飛とばして、腰眼ゐのめのあたりを磤はたと蹴ける。蹴られて前へひよろ〳〵と、五六步いつあしむあし走り出いだして、やうやくに踏駐ふみとゞまり、ふりかへつて突つきかくるを、右へ流し、左へ、辷すべらし、數回あまたゝびかけ、惱なやまして、疲勞つかるゝ處をつけ入りて、竟つひに刃やいはをうち落せば、惡僧いよ〳〵こゝろ慌あはてて、迯にげんとすれば、番作は、莱刀なかたな手ばやくとり揚あげて、「賊僧天罰思ひしれ」、と罵のゝしる聲ともろ共ともに、あびせかけたる刃の電光いなつま、脊條せすぢをふかく劈つんざいたり。灸所きうしよの痛痍いたでに、霎時しばしも得堪えたへず、惡僧は「苦あつ」と叫びて、仆たふるゝ胸膈むなさき、とゞめの刀尖きつさき、刺さしつらぬきて引拔ひきぬく莱刀、血を揮ふりたらして、刃を拭ぬぐひ、𥉉あはて〚目+條〛惑まどひて迯にげも得ず、伏沈ふししづみたる女子をなこに對むかひて、眼まなこを瞪いからし聲をふり立たて、「汝なんぢは甲夜よひに飯いひを惠めぐみて、一碗いちわんの恩あるに似たり。又賊僧がかへり來て、われを殺さんとするを禁とゞめし、こは側隱そくいんの心なれども、この賊僧が妻となりて、是これまでいくその人を殺せし、是これも亦またしるべからず。されば脫のがれぬ天の誅せめ、速すみやかに首伏はくでうして、刃やいばを受うけよ。いかにぞや」、と問とはれて僅はつかに頭かうべを擧あげ、「その疑ひは情由わけしらぬ、おん身が心の惑まよひにこそ。わらはは固もとより然さるものならず」、といはせもあへず冷笑あざわらひ、「淺くも言ことを左右によせて、時を移して小賊等こぬすびとらが、かへるをまちて夫をとこのために、怨うらみを復かへさんと思ふ汝なんぢが胸中きやうちう、われかばかりの倆伎たくみに乘のらんや。吿つげずはこれもていはせん」、と打晃うちひらめかす菜刀なかたなの光と共に飛とび退しりぞき、「やよ俟まち給へ、いふことあり」、といへ共聽ゆるさぬ怒いかりの刀尖きつさき、何處いづこまでもと夤緣つけまはす、刃頭はさきに盾たてもなよ竹の、雪に折をれなん風情ふぜいにて、右手めてを伸のばし、左手ゆんでを衝つき、片膝立かたひざたてて身を反そらし、後うしろざまに迯遶にげめぐるを、番作はなほ逃のがさじ、と擊うてばひらき、拂へば沈み、立たゝんとすれば頂いだゞきの上に閃ひらめく氷の刃やいば、脫のがれかた手を懷ふところへ、さし入るゝ間ひまもなく、斬きら*んと進む目前まなさきへ、とり出いだす一通つきつけて、「これ見て疑ひ散はらし給へ。聞きゝわきなや」、と兩の手に、引延ひきのばしたる命毛いのちげの、筆ふでに示せしその身の素姓すせう、番作得とくと透すかし見て、思はず刃をとり直し、「こゝろ得かたき書狀しよでうの名印ないん。梵妻賊婦ぼんさいぞくふが艷書欤ゑんじよか、と思ふには似ず勇士の遺書かきおき。やうこそあらめ、その情由わけ語れ」、と身をひらかし、刃を席薦たゝみに突立つきたてて、膝折敷ひざをりしきて目守まもりてをり。
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南総里見八犬伝(016)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十五回
東都 曲亭主人 編次
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「怨うらみを報むくひて番作ばんさく君父くんふの首級くびをかくす」「大塚番作」「にしごり頓二」「牡蛎崎小二郎」

金蓮寺きんれんじに番作讐ばんさくあたを擊うつ
拈華庵ねんげあんに手束客たつかたびゝとを留とゞむ

前卷既に說訖ときをはる、伏姬富山ふせひめとやまへ入いりにし比ころは、十六歲さいのときにして、長祿元年ちやうろくぐわんねんの秋なるべし。又金碗入道かなまりにうどうヽ大坊ちゆだいぼうは、嘉吉元年かきつぐわんねんの秋、父孝吉ちゝたかよしが自殺せしとき、既に五歲になりければ、長祿二年富山にて、伏姬自殺の憂うれひに係かゝり、猛にはかに出家入道しゆつけにうどうして、躬みを雲水うんすいに任まかしつゝ、斗藪行脚とそうあんぎやの首途かどいでせし、このとき廿二歲になりぬ。伏姬は年はつかに、十七にて身まかりたまへば、ヽ大坊はかの姬より、その年才とし五ッの兄なりけり。かくて長祿は三年にして、寬正くわんせうにあらたまり、又六年にして、文正ぶんせうと改元せらる。さはれ元年のみにして、又應仁おふにんと改めらる。これも僅はづかに二年にして、文明ぶんめいと改元ありけり。應仁の內亂治りて、戎馬じうばの蹄ひつめ、址あとを掃はらひ、名のみなりける華はなの洛みやこは、舊もとの春邊はるべに立たちかへり、稍長閑やゝのどやかになりぬるも、この比ころの事なれば、(文明五年春三月、宗全病そうぜんやみて卒みまかり。五月に至りて勝元も亦病またやみて卒みまかりにき。こゝにおいてその徒との合戰、征せずして寢やみにけり。是これを應仁の兵亂ひやうらんといふ)この年號のみ長久とこしなへに、十八年まで續きけり。こゝに年序ねんじよを僂かゞなふれば、伏姬の事ありて、ヽ大が行脚あんぎやの啓行かしまたちせし、前卷長祿二年より、今文明の季年すゑに至いたりて、無慮すべて二十餘年に及べり。この間あはひに犬塚信乃いめづかしのが、未生みせう已前いぜんの事を述のぶ。この卷亦復またまた嘉吉に起おこりて、文明の比ころに至れり。

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南総里見八犬伝(015)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十四回
東都 曲亭主人 編次
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「使女つかひめの急訟はやうち夜よる水みづを渉わたす」「堀内貞行」

轎のりものを飛とばして使女溪澗つかひめたにかはを涉わたす
錫しやくを鳴ならしてヽ大記總ちゆだいずゞたまを索たづぬ

 かたはらに侍りたる、貞行等さだゆきらは伏姬ふせひめの自殺を禁とゞめあへなくも、插頭かざしの花を散ちらせしごとく、遺感いかんやるかたなかりけり。そが中なかに孝德たかのりは、男子をのこにもます姬君ひめきみの末期まつごの一句に激はげまされて、身を措おくところなかりけん、亡骸なきからのほとりにおちたる、血刀ちかたなを手はやく取て、ふたゝび腹を切らんとす。そのとき義實よしさね聲をふり立たて、「やをれ大輔狼狽だいすけうろたへたる欤か。その身に大罪だいざいありながら、君命くんめいを俟またずして、自害せんとは奇怪きくわいなり。伏姬一旦甦生そせいしたれば、罪つみ一等いつとうを宥なだむるとも、この山に入るものは、頭かうベを刎はねんと掟おきてしものを、法度はつとを枉まげておのがまに〳〵、腹切ることを聽ゆるさんや。觀念せよ」、と進みよりて、刃やいばを引提ひきさげ立給へば、「願ふところ」、と孝德は、居ゐなほりて合掌がつせうし、項うなぢを延のばす程もなく、上に晃きらめく刃の稻妻いなつま、丁ちやうと打うつたる大刀風たちかぜに、思ひかけなく孝德が髻弗もとゞりふつと載捨きりすて給へば、「是これは」、と見かへる罪人つみひとも、諫いさめかねたる貞行も、驚き思ふ仁君じんくんの、恩義にいとゞ畏かしこまる。義實は氷なす、刃やいばをやをら𩋡さやに納おさめて、泛たゝえる淚をふり拂ひ、「見よや藏人くらんど、わが手つから、罪人つみひとを刑罰せり。法度はつとは君の制する所、君又これを破るといふ、古人こじんの金言宜きんげんむべなるかな。われもし民ともろ共ともに、けふこの山に登りなば、大輔だいすけに咎とがなかるべし。頭かうべに代かえたる髻もとゞりは、渠かれが亡父ぼうふへ寸志なり。渠かれが穉をさなき時よりして、名を大輔と喚做よびなせしは、大國輔佐たいこくほさの臣たれ、とその久後ゆくすゑを祝しゆくせしに、わが官職つかさもやうやく進みて、治部大輔ぢぶのたいふと大輔だいすけと、その國訓よみこゑは異ことなれ共、文字もんじはかはらぬ主從同名しゆう〴〵どうめい、かゝる故ゆゑにや主しゆうのうへに、あるべき崇たゝりを身に受うけけん、可惜あたらしき壯佼わかうどが、よに埋木うもれきとならん事、かへす〳〵も不便ふびん也。親八郞は大功あり。大輔も忠なきにあらず。その親といひ、その子といひ、勳功くんこうあれども賞を獲えず、その死に臨み、その罪に、陷るに及びては、主尙しゆうすら救ふによしなき事、わが子にまして哀傷あいしやうの淚はこゝに禁とゞめかたし。やよ大輔よ、孝德よ。わが此このこゝろをよくも知らば、亡親なきおやの爲、姬ひめが爲に、命いのちをたもち、身を愛し、佛ほとけにつかへ苦行くぎやうして、高僧知識の名を揚あげよ。こゝろ得たりや」、と叮嚀ねんころに、諭さとし給へば孝德たかのりは、辱かたじけなさにはふり落おつる、淚に哽むせび地に伏ふして、應いらへかねつゝ聲を咽のむ。理ことわりなれば貞行は、鼻はなうちかみて進み出いで、「今にはじめぬ君の仁心じんしん、姬うへの御最期ごさいごには、喞かごとがましき事もなく、家臣のうへをかくまでに、聞えさせ給ふ事、大輔和殿わとのが身にとりては、一郡いちぐんの守護、萬貫まんぐわんの、祿ろくにもまして滿足ならん」、といはれてやうやく頭かうべを擡もたげ、「某寔それがしまことに不肖ふせうなれども、如是畜生によぜちくせうだも菩提ぼだいに入いれり。今より日本廻國につほんくわいこくして、灵山灵社れいさんれいしやを巡禮し、伏姬君ふせひめきみの後世ごせを弔とふらひ、わが君御父子ごふしの武運を祈らん。姬うへの落命も、又某それがしが祝髮しゆくはつも、みな八房の犬ゆゑなれば、犬といふ字を二ッに釐さき、犬にも及ばぬ大輔が、大の一字をそがまゝに、ヽ大ちゆだいと法名仕ほうめうつかまつらん」、と申上れば義實朝臣よしさねあそん、「遖あはれいしくも申シたり。件くだんの犬は全身みのうちに、黑白八こくびやくやつの斑毛ぶちあれば、八房と名つけしが、今さら思へば八房の、二字は則一戶八方すなはちひとりのしかばねはつはうに至るの義なり。加旃しかのみならず伏姬が自殺の今果いまはに痍口きずくちより、一道の白氣はくきたな引びき、仁義八行じんぎはつこうの文字顯もんじあらはれたる、百八の珠閃たまひらめき沖のぼり、文字もじなき珠は地に墮おちて、その餘の八やつは光明ひかりをはなち、八方へ散亂さんらんして、遂つひに跡なくなりし事、其所以そのゆゑなくはあるベからず。後々のちのちに至りなば、思ひあはする事もやあらん。菩提ぼだいの首途かどでの餞別はなむけには、只たゞこの珠數ずゞにますものあらじ。努祕藏ゆめひさうせよ入道にうどう」、と諭さとして軈やがて賜たびければ、孝德は手に受うけて、再三ふたゝびみたびうち戴いたゞき、「こは有ありかたき君の賜たまもの、今より諸國を編歷へんれきして、飛去とびさりたる八やつの珠たまの落おちたる所を索たづねもとめ、はじめのごとく繋つなぎとめんに、一百八いつひやくはちの數かずに滿みたずは、又當國たうごくへ立たちかへりて、見參げんざんに入いり候はじ。年を歷ふるとも音耗おとづれなくは、旅たびより行たびに野ざらしの、骸からは餓うへたる犬の腹を、肥こやしにけりと思召おぼしめされよ。是これぞ寔まことに今生こんぜうのおん別わかれに候べし」、と思ひ切きつてぞ申ける。
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南総里見八犬伝(014)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十三回
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯だいにしゆう巻之二

【本文】
南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯(だいにしゆう巻之二
東都 曲亭主人編次


「妙經めうきやうの功徳くどく煩惱ぼんなうの雲霧うんむを披ひらく」「金まり大すけ」「玉つさ」「神変大菩薩」

尺素ふみを遺のこして因果いんぐわみづから訟うつたふ
雲霧うんむを拂はらつて妖孽あやしみはじめて休やむ

 伏姬ふせひめは思ひかけなく、奇しき童わらべに說諭ときさとされて、無明むめうの眠覺ねむりさめながら、夢かとぞおもふ跡あととめぬ、人の言葉のあやしきに、なほ疑ひははれ間まなき、淚の雨に敷妙しきたへの、袖そでは物かは腸はらわたを、絞しぼるばかりに哽むせかへり、歎なげき沈しづませ給ひけり。しかはあれども心操こゝろばえ、人なみ〳〵に立たちまさる、日來雄ひころを々ゝしき姬うへなれば、うち騷さわぐ胸をおし鎭しづめ、顏にかゝれる黑髮くろかみを、掻かきあげて目を拭ぬぐひ、「うたてやな前世さきつよに、造りし罪は秤成はかりなす、おもさ輕かろさはしらねども、遂つひにこの身に報むくひ來きて、かくまで物を思はする、人のうらみのしうねさよ。遮莫さもあらばあれ親のうへに、かゝる崇たゝりを負おひにき、と聞きゝては後のちのその後のちの世まで、捺落ならくの底に沈むとも、悔くやしと思ふべうもあらず。只たゞはづかしく悲しきは、親の爲、又人の爲に、蓬きたなき心もたなくに、何なにを種たねなる畜生ちくせうの、その氣を受うけて八やつの子を、身に宿やどしなばいかにせん。そもこの山に入りにし日より、鶴つるの林のしげきをわき、鷲わしの嶺たかねの高きを仰あふぐ、一念不退讀經いちねんふたいどきやうの外ほかは、よに他事あだしごとなきものから、佛もこゝに救ひ給はず、神さへ助け給はずて、有身みこもれる事實じつならば、よしや臥房ふしどを共にせずとも、それいひ解とかん證据あかしはなし。わがうへのみかは親の恥はぢ、九こゝのつの世を換かゆるとも、竟つひに雪きよむる時しあらで、只畜生たゞちくせうの妻といはれん。生いきての恥辱、死してのうらみ、喩たとふるに物あるべしや。斯かうとは兎の毛の末におく、露つゆばかりだもしらずして、曩さきに瀧田にをりしとき、犬を殺してもろともに、得死えしなざるこそ悔くやしけれ。死しすべき折をりはありながら、死しにおくれしも業因欤ごういんか。されば善巧方便ぜんこうほうべんとて、說ときおかせ給ふなる、佛の書ふみにも有ありがたき、因果いんぐわといふもあまりあり。よしやこの子の生うまるゝ故ゆゑに、親同胞おやはらからに幸さちありて、家の榮さかえをませばとて、こよなき恥にやはかえん。悲しきかな」、と聲立たてて、傍かたへの人にものいふごとく、思ひ凝こつてはなか〳〵に、賢さかしき心も亂れつゝ、忍ぶに堪たへぬ繁薄しのすゝき、尾花をばなが下にふし給ふ。

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南総里見八犬伝(013)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十二回
東都 曲亭主人 編
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「草花さうくわをたづねて伏姫ふせひめ神童かんわらはにあふ」「伏姫」

富山とやまの洞ほらに畜生菩提心ちくせうぼだいしんを發おこす
流水ながれに泝さかのぼりて神童未來果じんどうみらいくわを說とく

 濁世煩惱色欲界ぢよくせぼんなうしきよくかい、誰たれか五塵ごぢんの火宅くわたくを脫のがれん。祇園精舍ぎおんせうしやの鐘かねの聲こゑは、諸行无常しよぎやうむじゃうの響ひゞきあれども、飽あくまで色を好むものは、後朝きぬぎぬの別れを惜をしむが故ゆゑに、只たゞこれをしも讐あたとし憎にくめり。沙羅雙樹さらそうじゆの花の色は、盛者必衰しやうじゃひつすいの理ことわりを顯あらはせども、徒いたづらに香かを愛めづるものは、風雨ふううの過すぎなんことを妬ねたむが故ゆゑに、偏ひとへに延年ゑんねんの春を契ちぎれり。觀くわんずれば夢の世、觀ぜざるも亦また夢の世に、孰いづれか幻まぼろしならざりける。思ひ內うちにあるものは、龍華りうげの三會さんゑに値あふといへども、凡夫出離ぼんぶしゆつりの直路ちよくろをしらず。覺さめて復悟またさとるものは、虎穴龍潭こけつりうたんに在ありといへども、瑜伽成就ゆかじやうじゆの快樂けらく多かり。斯かくまでに世を思ひ捨すてて、富山とやまの奧に二ふたとせの、春とし秋を送るかな。
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南総里見八犬伝(009)

南總里見八犬傳卷之四第八回
東都 曲亭主人 編次
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「真野まのの松原まつはらに訥平とつへい大輔だいすけを遂おふ」「金まり大すけ」「かぶ戸とつ平」

行者ぎやうじやの岩窟いはむろに翁伏姬おきなふせひめを相さうす
瀧田たきたの近邨きんそんに狸雛狗たぬきいぬのこを養やしなふ

 金碗かなまり八郞孝吉たかよしが、猛にはかに自殺したりける、志こゝろざしをしらざるものは、「渠かれ死なでもの事なるに、功ありて賞を辭し、可惜あたら命を亡うしなひし、こは全く玉梓たまつさに、罵のゝしられしを愧はぢたるならん」、と難ずるものもありとなん。それにはあらでいにしへの、賢かしこき人の言ことの葉はに、男子寡欲なんしくわよくなれば、百害を退しりぞけ、婦人に妬ねたみなければ、百拙ひやくせつを掩おほふといへり。況まいて道德仁義をや。されば義實よしさねの德、孤こならずして、鄰國りんこくの武士景慕けいぼしつ、好よしみを通じ婚緣こんいんを、募もとむるも又多かりける。そが中に、上總國椎津かつさのくにしひつの城主、萬里谷入道靜蓮まりやのにうどうじやうれんが息女そくぢよ、五十子いさらごと呼做よびなせるは、賢けんにして妍かほよきよし、義實仄ほのかに傳へ聞きゝて、すなはちこれを娶めとりつゝ、一女一男いちぢよいちなんを產うまし給ふ。その第一女は嘉吉かきつ二年、夏の季すゑに生れ給ふ。時、三伏さんぶくの時節を表ひやうして、伏姬ふせひめとぞ名なつけらる。二郞じらうはその次つぐの、年のをはりに擧まうけ給ひつ、二郞太郞じろたらうとぞ稱せらる。後のちに父の箕裘ききうを嗣つぎて安房守義成あはのかみよしなりといふ。稻村いなむらに在城して、武威ぶゐます〳〵隆さかんなりき。しかるに伏姬は、襁褓むつきの中うちより儔たぐひなく、彼竹節かのたけのよの中うちより生れし、少女をとめもかくやと思ふばかりに、肌膚はだへは玉たまのごとく徹とほりて、產毛うぶげはながく項うなぢにかゝれり。三十二相さうひとつとしてく缺かけたる處なかりしかば、おん父母ちゝはゝの慈愛いつくしみ、尋常よのつねにいやまして、册かしつきの女房にようぼうを、此彼夥俸これかれあまたつけ給ふ。さりけれども伏姬は、夜よとなく、日となくむつかりて、はや三歲になり給へど、物を得えいはず、笑えみもせず、うち嗄なき給ふのみなれば、父母ちゝはゝ心くるしくおぼして、三年以來醫療みとせこのかたいりやうを盡し、高僧驗者げんざの加持祈禱かぢきとう、これ彼かれとものし給へども、絕たえて驗しるしはなかりけり。
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