南総里見八犬伝(002)

南總里見八犬傳卷之一第一回
東都 曲亭主人 編次
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「義実よしさね三浦みうらに白龍はくりうを見みる」「里見よしさね」「杉倉木曽之介氏元」「堀内蔵人貞行」

季基すゑもと訓をしえを遺のこして節せつに死しす
白龍はくりう雲くもを挾さしばさみて南みなみに歸おもむく

 京都きやうとの將軍せうぐん、鐮倉かまくらの副將ふくせう、武威ぶゐ衰おとろへて偏執へんしうし、世は戰國せんこくとなりし比ころ、難なんを東海とうかいの濱ほとりに避さけて、土地とちを闢ひらき、基業もとゐを興おこし、子孫十世しそんじゅっせに及ぶまで、房總あわかづさの國主こくしゆたる、里見治部さとみぢぶの大夫たいふ義實朝臣よしざねあそんの、事蹟じせきをつら〳〵考かんがふるに、淸和せいわの皇別みすゑ、源氏げんじの嫡流ちやくりう、鎭守府ちんじゆふ將軍せうぐん八幡太郞はちまんたろう、義家朝臣よしいへあそん、十一世じういつせ、里見さとみ治部ぢぶの少輔せういう源季基みなもとのすゑもとぬしの嫡男ちやくなん也。時に鐮倉の持氏卿もちうぢけう、自立じりうの志頻こゝろざししきりにして、執權憲實しつけんのりさねの諫いさめを用ひず、忽地たちまち嫡庶ちやくしよの義ぎをわすれて、室町將軍むろまちせうぐん義敎公よしのりこうと、確執くわくしつに及びしかば、京軍きやうぐん猛にはかによせ來きたりて、憲實に力を勠あはし、且かつ戰ひ且進かつすゝんで、持氏父子ふしを、鐮倉なる、報國寺ほうこくじに押籠おしこめつゝ、詰腹つめはらを切きらせけり。是これはこれ、後花園天皇ごはなぞのてんわうの永享ゑいきやう十一年、二月十日のことになん。かくて持氏の嫡男義成よしなりは、父とゝもに自害じがいして、屍かばねを鐮倉に留とゞむといへども、二男じなん春王はるわう、三男さんなん安王やすわうとまうせし公達きんだちは、辛からく敵軍の圍かこみを脫のがれて、下總しもふさへ落おち給ふを、結城氏朝迎ゆふきのうぢともむかへとりて、主君しゆくんと仰あほぎ奉たてまつり、京都の武命ぶめいに從はず、管領くわんれい(淸方持朝きよかたもちとも)の大軍たいぐんをも屑ものゝかすとせず。されば義に仗よつて死をだも辭ぢせざる、里見季基さとみすゑもとを首はじめとして、凡およそ持氏恩顧おんこの武士ぶし、招まねかざれどもはせ集あつまりて、結城ゆふきの城しろを守りしかば、大軍に圍かこまれながら、一トたびも不覺ふかくを取らず、永享十一年の春の比ころより、嘉吉元年かきつぐわんねんの四月まで、籠城三年ろうぜうみとせに及ぶものから、外ほかに援たすけの兵つわものなければ、糧かても矢種やだねも竭果つきはてつ、「今ははや脫のがるゝ途みちなし。只たゞもろともに死ねや」とて、結城の一族いちぞく、里見の主しゆう從じゆう、城戶推きどおしひらきて血戰けつせんし、込入こみいる敵をうち靡なびけて、衆皆みなみな討死うちしにする程ほどに、その城竟つひに陷おちいりて、兩公達ふたりのきんだちは生拘いけどられ、美濃みのの垂井たるゐにて害がいせらる。俗よにいふ結城合戰ゆふきかつせんとはこれ也。

 かゝりし程に、季基すゑもとの嫡男ちやくなん、里見治部大夫義實さとみぢぶのたいふよしさねぬし、このときは又太郞またたらう御曹司おんぞうしと呼よばれつゝ、年なほ廿はたちに滿みたざれ共、武勇智略ぶゆうちりやくは父祖ふそにもまして、その才文道さえふみのみちにも長たけたり。三年みとせ以來このかた父と共に、籠城ろうぜうの艱苦かんくを厭いとはず、この日も諸軍しよぐんに先さきたちて、敵十四五騎斬ききつて落おとし、なほよき敵と引組ひきくんで、討死うちしにせんとて進みしを、父の季基遙はるかに見て、遽いそがはしく呼びとゞめ、「やをれ義實、勇士ゆうしは元かうベを喪うしなふことを忘れず。けふを限りと思ふこと、理ことわりあるに似たれども、父子ふしもろ共ともに討死うちしにせば、先祖せんそへ不孝これに過すぎず。京鐮倉を敵とし受うけて、貳ふたごゝろを存ぞんずることなく、勢竭いきほひつき、力窮ちからきわまり、落城らくぜうのけふに至りて、父は節義せつぎの爲ために死し、子は又また親の爲に脫のがれて、一命いちめいをたもつとも、何なにかは羞はづる事ことあらん。速すみやかに殺脫きりぬけて、時節じせつを俟まちて家いへを興おこせ。とく〳〵落おちよ」、といそがせば、義實は聞きゝあへず、鞍坪くらつぼに頭かうべを低さげ、「うけ給はり候ひぬ。しかはあれど、親の必死を外よそに見て、阿容々々おめ〳〵と脫のがるゝことは、三才の小兒せうにも要えうせじ。況弓箭いはんやゆみやの家に生れて、某それがしこゝに十九歲さい、文武ぶんぶの道にわけ入りて、順逆邪正じゆんぎやくじやせう、古人こじんの得失とくしつ、大槪おほかたはこれをしれり。只冥土黃泉ただめいどくわうせんのおん供ともとこそ思ひ奉れ。死しすべき處ところに得死えしなずして、笑ひを招まねき、名を汚けがし、先祖せんそを辱はづかしめ奉らんことは、願ねがはしからず候」、と答こたふる辭勇ことばいさましき、㒵かほつく〳〵とうちまもる、父は頻しきりに嘆息たんそくし、「義實微妙いみじく申たり。さりながら、圓頂黑衣ゑんちやうこくえに容さまを更かえ、出家沙門しゆつけしやもんになれといはゞ、親の敎をしえに悖もとりもせめ、時節を俟まちて家を興おこせ、といふを推辭いなむは不孝也。しらずや足利持氏あしかゞもちうぢぬしは、譜代相傳ふだいさうでんの主君にあらず。抑そもそもわが祖は一族たる、新田義貞朝臣につたよしさだあそんに從ひて、元弘建武げんこうけんむに戰功せんこうあり。しかりしより新田の餘類よるい、南朝なんちやうの忠臣ちうしんたれども、明德めいとく三年の冬のはじめに、南帝入洛なんていじゆらくまし〳〵て、憑たのむ樹下このもと雨漏もりしより、こゝろならずも鐮倉なる、足利家の招きに隨したがひ給ひし、亡父ぼうふは(里見大炊介元義おおゐのすけもとよし)滿兼主みつかねぬし(持氏の父)に出仕しゆつしし、われは持氏ぬしにつかへて、今幼若ようくんの爲に死す。志こゝろざしは致いたしたり。これらの理義りぎを辨わきまへずは、只たゞ死するをのみ武士といはんや。學問がくもんも又そのかひなし。かくまでいふを用ひずは、親とな思ひそ、子にあらず」、と辭ことばせわしく敦圉いきまき給へば、義實道理どおりに責せめられて、思はす馬の鬣たてかみへ、落おとす淚なみだは道芝みちしばに、結ぶがごとき本もとの露つゆ、末すゑの雫しづくと親と子が、後おくれ先さきたつ生死いきしにの、海よりあらき鯨波ときの聲、こなたへ進む敵軍を、季基すゑもと佶きつと見かヘりて、「時移りてはかなはじ」、と思ふことさへ豫かねてより、こゝろ得えさせし譜代ふだいの老黨ろうだう、杉倉木曾介氏元すぎくらきそのすけうぢもと、堀內藏人貞行等ほりうちくらんどさだゆきらに、注目めくはせをしてければ、兩人齊一りやうにんひとしく身を起し、「俺們われわれおん供つかまつらん誘いざ給へ」、といひあへず、木曾介は義實よしさねの馬の鑣くつわづらを牽ひきめぐらし、藏人はその馬の、尻しりを拍うつて逐走おひはしらせ、西を投さしてぞ落てゆく。むかし彼かの楠公くすのきが、櫻井さくらゐの驛うまやぢより、その子正行まさつらを返したる、こゝろはおなじ忠魂ちうこん義膽ぎたん、斯かうありけんと想像おもひやり、殘のこり留とゞまる兵士等つわものらは、愀然しうぜんとして列居なみゐたり。季基は落おちてゆく、わが子を霎時目送しばしみおくりつ、「今はしも心やすし。さらば最期さいごをいそがん」とて、鑣たづなかい繰くり、馬騎うまのりかへして、十騎きに足らぬ殘兵ざんへいを、鶴翼くわくよくに備そなへつゝ、群むらがり來きつる大軍へ、會釋ゑしやくもなく突ついて入いる。勇將ゆうせうの下しもに弱卒じやくそつなければ、主しゆうも家隸けらいも二騎き三騎、敵を擊うたざるものはなく、願ふ所は義實を、後うしろやすく落おとさん、と思ふ外ほか又他事たじなければ、目にあまる大軍を、一足ひとあしも進すゝませず、躬方みかたの死骸しがいを踏踰ふみこえて、引組ひきくんでは刺さしちがへ、おなじ枕まくらに臥ふすほどに、大將たいせう季基はいふもさらなり、八騎の從卒一人じゆうそつひとりも殘らず、僉亂軍みならんぐんの中うちに擊うたれて、鮮血ちしほは野逕やけいの草葉くさばを染そめ、躯むくろは彼此をちこちに算さんを紊みだして、馬蹄ばでいの塵ちりに埋うづむといへども、その名は朽くちず、華洛みやこまで、立たちのぼりたる丈夫ますらをの、最いともはげしき最期さいご也。

 さる程に、里見冠者義實さとみのくわんじやよしさねは、杉倉堀內に導みちびかれて、十町ちやうあまり落延おちのぴつ、「さるにても嚴君ちゝきみは、いかになり果はて給ひけん。おぼつかなし」、といくそたび、馬の足掻あがきを駐とゞめつゝ、見かへる方かたは鬨ときの聲、矢叫やさけぴの音囂こゑかしましく、はや落城らくぜうとおぼしくて、猛火みやうくわの光天てんを焦こがせば、「吐嗟あなや」とばかり叫さけびあへず、そがまゝ靮たづなひきしぼりて、騎のりかへさんとしたりしかば、兩個ふたりの老黨ろうだう左右より、轡くつわに携すがりて動うごかせず、「こは物體もったいなし。今更いまさらに、ものにや狂ひ給ふらん。大殿おほとのの敎訓を、何なにとか聞召きこしめしたるぞ。今落おとさるゝ城に還かへりて、可惜あたらおん身を喪うしなひ給はゞ、古歌こかにも詠よめる夏蟲なつむしの、火むしよりなほ果敢はかなき所爲わざなり。夫大信それたいしんは信ならず、大孝たいこうは孝なき如ごとし、と古人こじんの金言きんげん日來ひごろより、口順くちすさみ給ふには似げなし。凡およそ貴たかきも賤いやしきも、忠孝ちうこうの道は一條ひとすぢなるに、迷ひ給ふはいかにぞや。こなたへ來ませ」、と牽駒ひくこまの、こゝろも狂ふ孝こう子しの哀傷あいしやう、頻しきりに焦燥いらだつ聲もはげしく、「放はなせ貞行、禁とむるな氏元。伱達なんたちが諫言かんげんは、親の御みこゝろなるべけれど、今これをしも忍しのびなば、われ人の子といはれんや。放せ〳〵」、と鞭むちを揚あげて、打うてどあふれど玉匣たまくしげ、ふたり等ひとしき忠臣ちうしんの、拳こぶしは金石きんせき、些ちつとも緩ゆるめず、鞭うたるゝ隨まゝに牽ひいてゆく、馬壇うまで、鞍懸くらかけ、柳坂やなぎさか、けふりは後あとに遠離とほざかる、火退林ひのきばやしのほとりにて、勝誇かちほこつたる鐮倉勢ぜい、二十騎あまり追蒐來おつかけきつ、「遖武者態あつはれむしやぶり、逸足にげあしはやし。緋威ひおどしの鎧よろひ着て、五枚冑ごまいかぶとの鍬形くわがたの、間あはひに輝かゞやく白銀しろかねもて、中黑なかぐろの紋挫もんうつたるを、大將たいせうと見るは僻目欤ひがめか。蓬きたなし返せ」、と呼よぴかけたり。義實は些ちつとも擬議ぎきせず、「あながまや雜兵ざふひやうばら。敵をおそれて走るにあらねば、返すに難かたきことあらんや」とて、馬をきりゝと立たてなほし、大刀たち拔翳ぬきかざして進み給ふ。大將を擊うたせじとて、杉倉堀內推竝おしならんで、敵かたきの矢面やおもてに立塞たちふさがり、鎗やりを捻ひねつて突崩つきくづす。義實は亦老黨またろうたうを、擊うたせじとて馬を馳はせよせ、前後ぜんごを爭ふ主從しゆうじゆう三騎、大勢たいせいの眞中まんなかへ、十文字じうもんじに蒐通かけとほつて、軈やがて巴字はのじにとつて返し、鶴翼くわくよくに連つらなつて、更に魚鱗ぎよりんにうち遶めぐり、西に當り、東に靡なびけ、北を擊うつては、南に走はしらせ、馬の足を立たてさせず。三略さんりやくの傳でん、八陣はちゞんの法はう、共に知しつたる道なれば、目今たゞいま前にあるかとすれば、忽然こつぜんとして後しりへにあり、奮擊突戰ふんげきとつせん祕術ひじゆつを竭つくす、千變萬化せんぺんばんくわの大刀風たちかぜに、さしもの大勢亂騷たいせいみだれさわぎて、むら〳〵はつと引退ひきしりぞく。敵退しりぞけば杉倉等らは、主しゆうを諫いさめて徐々しづしづと、落おつるを更さらに跟つけて來る、端武者はむしやは遠箭とほやに射いて落おとし、追ひつかへしつ林原しもとはら、三里さんりが程を送られて、終つひには落おつる夕日の迹あとに、十六日の月圓まどかなり。

 こゝより追來おひくる敵なければ、主從しゆうじゆう不思議ふしぎに虎口こゝうを脫のがれて、その夜よは白屋くさのやに宿やどりを投もとめ、旦立あさだちの置土產おきみやげに、馬物具うまものゝぐをあるじにとらせて、姿を窶やつし、笠かさをふかくし、東西とうさいすべて敵地なれども、聊志いさゝかこゝろざすかたなきにあらねば、相摸路さがみぢへ走りつゝ、第三日だいみつかにして三浦みうらなる、矢取やとりの入江に着つき給ふ。固もとより裹つゝむ糧かてもなく、盤纏乏ろようともしき落人おちうどと、なりも果はてたる主從は、いといたう餓疲うへつかれて、松が根に尻をかけ、遙はるかに後おくれし堀內藏人貞行ほりうちくらんどさだゆきを俟着まちつげて、安房あはの州くにへ渡さんとて、轍わだちの鮒ふなの息吻いきつきあへず、見わたす方かたは目も迥はるに、入江に續く靑海原あをうなはら、波しづかにして白鴎はくおう眠ねふる、比ころは卯月うづきの夏霞なつがすみ、挽遺ひきのこしたる鋸山のこぎりやま、彼あれかとばかり指ゆぴさせば、こゝにも鑿のみもて穿うがちなし、刀かたなして削けづるがごとき、靑壁峙せいへきそはたちて見るめ危あやうき、長汀曲浦ちやうていきよくほの旅の路みち、心を碎くだくならひなるに、雨を含ふくめる漁村ぎよそんの柳やなぎ、夕ゆふベを送る遠寺ゑんじの鐘かね、いとゞ哀あはれを催もよはすものから、かくてあるべき身にしあらねば、頻しきりに津わたりをいそげども、舩一艘ふねいつそうもなかりけり。

 當下そのとき杉倉木曾介氏元すぎくらきそのすけうぢもとは、苫屋とまやの門かどに乾魚ひをとり納いるゝ、白水郞あまが子どもをさし招き、「喃髫髦等なううなゐらにもの問とはん。前面むかひへわたす舟はなきや。熟なれぬ浦曲うらわに流浪さそらひて、いとゞしく餓うへたるに、われはともあれこの君へ、物あらば進まゐらしね」、と他事たじなくいへば、そが中に、年十四五なる惡太郞あくたらう、赤熊しやぐまに似たる額髮ひたゐがみ、潮風しほかぜに吹黑ふきくろまれし、顏に垂たるゝを掻かきも揚あげず、揉ねぢ斷きるごとき靑涕あをはなを、啜すヽり籠こめつゝすゝみ出いで、「癡しれたることをいふ人かな。打うちつゞく合戰かつせんに、舩ふねは過半借おほかたかりとられて、漁獵すなどるだにも物足らぬに、誰たれかは前面むかひへ人をわたさん。されば又この浦に、汲くむ鹽しほよりもからき世は、わが腹はらひとつ肥こやしかぬるに、馴なれもえしらぬ人の飢うへを、救すくふべき糧かてはなし。堪たへがたきまで脾撓ひだゆくは、これを食くらへ」、とあざみ誇ほこつて、塊つちくれを掻取かいとりつゝ、投なげかけんとする程に、氏元はやく身をひらけば、塊つちくれは衝つと飛越とぴこえて、松が根に尻をかけたる、義實よしざねの胸前むなさきへ、閃ひらめき來くれば自若じじやくとして、左のかたへ身を反そらし、右手めてにぞこれを受うけ給ふ。現憎げににくむべき爲體ていたらくに、氏元は霎時しばしも得堪えたへず、眼まなこを睜みはり、聲をふり立たて、「こは嗚乎をこなる癖者くせものかな。旅なればこそ汝等なんぢらに、一碗いちわんの飯いひを乞こひもすれ、糧かてなくはなしといふとも、辭ことばに物は沒いるまじきに、無禮なめげなる所行わざも限りあり。いでその頤砍おとがいきりさきて、思ひしらせん」、と敦圉いきまきつゝ、刀の鞆つかに手を掛かけて、走り擊うたんとしたりしかば、義實急に召禁よぴとゞめ、「木曾介大人氣おとなげなし。麒驥ききも老おいては駑馬どばに劣おとり、鸞鳳らんほうも窮きうすれば、蟻蜋ぎらうの爲に苦くるしめらる。昨きのふはきのふ、今けふはけふ、よるべなき身を忘れし欤か。彼等かれらは敵手あいてに足らぬもの也。つら〳〵ものを案あんするに、土つちはこれ國の基もと也。われ今安房あはへ渡るに及びて、天その國を給ふの兆きざし欤か。彼を無禮なめげ也と見るときは、憎むに堪たへたり。これを吉祥よきさがとするときは、歡よろこぶべき事ならずや。晉しんの文公ぶんこうが五鹿ごろく(曹國そうのくにの地名也)の故事ふること、よく今日こんにちのことに似たり。賀がすべし〳〵、とみづから祝しゆくして、塊つちくれを三度戴みたぴいたゞき、そがまゝ懷ふところへ挾おさめ給へば、氏元もやゝ曉さとりて、刀の鞆つかに掛かけし手と、共に怒りを解ときおさめ、そのゆくすゑは憑たのもしき、主君を壽ことぷき奉れば、白水郞あまが子どもは掌てを拍うちて、いよ〳〵あざみ笑ひけり。

 時に磯山いそやま、雲叢立むらだちて、海面俄頃うみつらにはかに晦くろみわたり、磁石ぢしやくに塵ちりの吸すはるゝごとく、潮水頻うしほしきりに逆さか上のぼり、風颯さとおとす程こそあれ、雨は彼鞆岡かのともおかの篠しのより繁しげく降ふりそゝぎ、電光いなひかりまなくして、雷かみさへおどろ〳〵しく、落おちかゝるべく鳴撲なりはためけば、侲僮わらはべどもは劇騷あわてさわぎて、苫屋々々とまやとまやに走入はしりいり、裡うちより鎖とざして、敲たゝけども開あけず。

 かくてぞ義實主從は、笠かさやどりせんよしのなければ、入江の松の下蔭したかげに、笠かさを翳かざして立たち給ふ。さる程に、風雨ます〳〵烈はげしくて、或あるひは晦くらく、或あるひは明あかく、よせては碎くだけ、碎けては、立たちかへる浪なみを包つゝみて、廻翔まひさがる雲の中うちに、物こそあれ、と見る目𧡲めまばゆく、忽然こつぜんとして白龍はくりう顯あらはれ、光を放ち、波をまき立たて、南を投さしてぞ飛去とびさりける。且しばらくして、雨霽はれ、雲おさまり、日は沒いりながら影はなほ、海に殘りて波をいろとり、梢こずゑを傳つたふ松の雫しづく、吹拂ふきはらふ風に散る玉は、沙石いさごの中うちに輾沒まろぴいる。山は遠とほうして、翠みどりふかく、巖いはほは靑あをうして、いまだ乾かはかず。瞻望ながめに倦あかぬ絕景佳境ぜつけいかきやうも、身の憂うきときはこゝろ止とまらず。氏元は義實の、衣きぬの濕吹氣しぶきを拂ひなどして、後おくれたる貞行を、今か〳〵と俟まつ程に、義實海面うみつらを指ゆぴさして、「向さきに雨いと烈しくて、立騷たちさわぎたる浪の間あはひに、叢雲頻むらくもしきりに廻翔まひさがり、彼岩あのいはのほとりより、白龍はくりうの升のぼりしを、木曾介は見ざりし歟か」、と問とはれて直ひたと足を跪つまだて、「龍たつとは認め候はねど、あやしき物の股もゝかとおぼしく、輝てりかゞやくこと鱗うろこのごときを、僅はつかに見て候」、といへば義實よしざねうち點頭うなづき、「さればこそその事なれ。われはその尾と足のみ見たり。全身を見ざりしこと、憾うらむべく惜をしむべし。夫龍それたつは神物かみつもの也。變化固へんくわもとより彊きわまりなし。古人いにしへのひといへることあり。龍たつは立夏りつかの節せつを俟まちて、分界ぷんかいして雨を行やる。これを名なづけて分龍ぶんりうといふ。今は則すなはちその時也。夫龍それたつの灵れいたるや、昭々せうせうとして迩ちかく顯あらはれ、隱々いんいんとして深く潛ひそむ。龍たつは誠まことに鱗蟲うろくずの長おさ也。かゝる故ゆゑに、周公易しうこうゑきを繋つなぐとき、龍たつを聖人せいじんに比たくらべたり。しかりといへども、龍たつは欲よくあり、聖人の無欲むよくに及しかず。こゝをもて、人或あるひはこれを豢かひ、或あるひは御のり、あるひは屠ほふる。今はその術傳つたふるものなし。又佛說ぷつせつに龍王經りうわうきやうあり。大凡おほよそ雨を禱いのるもの、必かならずまづこれを誦よむ。又法華經ほけきやうの提婆品だいばぼんに、八歲はつさいの龍女りうによ、成佛ぜうぶつの說あり。善巧ぜんこう方便ほうぺん也といふとも、禱いのりて驗しるしを得うるものあり。この故ゆゑに、龍たつを名つけて雨工うこうといふ。亦またこれを雨師うしといふ。その形狀かたちを辨べんするときは、角つのは鹿しかに似て、頭かうべは駝うまに似たり。眼まなこは鬼に似て、項うなぢは蛇へみに似たり。腹はらは蜃みづちに似て、鱗うろこは魚うをに似たり。その爪つめは鷹たかの似ごとく、掌たなそこは虎とらの似ごとく、その耳は牛に似たり。これを三停九似さんちやうきうじといふ。又その含珠たまは頷ほうにあり。司聽きくときは角つのを以もつてす。喉のんどの下した、長徑尺わたりいつしやく、こゝを逆鱗げきりんと名づけたり。物あつてこれに中あたれば、怒いからずといふことなし。故ゆゑに天子てんしの怒いかり給ふを、逆鱗とまうす也。雄龍をたつの鳴なくときは、上に風ふき、雌龍めたつの鳴なくときは下に風ふく。その聲竹筒ふえを吹ふくごとく、その吟ぎんずるとき、金鉢こがねのはちを戞するが如し。彼かれは敢衆行あへてつれたちゆかず、又群處むらがりをることなし。合がつするときは體たいをなし、散さんするときは章せうをなす。雲氣うんきに乘じやうじ、陰陽いんように養やしなはれ、或あるは明あきらかに、或あるは幽かすかなり。大おほきなるときは宇宙うちうに徜徉せうようし、小ちひさなるときは、拳石けんせきの中うちにも隱かくる。春分しゆんぷんには天に登り、秋分しうぷんには淵ふちに入いり、夏を迎むかふれば、雲を凌しのぎて鱗うろこを奮ふるふ。これその時を樂たのしむ也。冬としなれば泥どろに淪しづみ、潛ひそまり蟠わだかまつて、敢あへて出いでず。これその害を避さくる也。龍たつは尤すぐれて種類多し。飛龍ひりやうあり、應龍おうりうあり、蛟龍こうりうあり、先龍せんりうあり、黃龍くわうりやうあり、靑龍せいりやうあり、赤龍しやくりうあり、白龍あり、元龍げんりやうあり、黑龍こくりやうあり。白龍はくりう物を吐はくときは、地に入いりて金こかねとなり、紫龍しりう涎よだれを垂たるゝときは、その色透とほりて玉の如し。紫稍花しせうくわは龍たつの精せい也。蠻貊鬻ばんはくひさいで藥くすりに入いるる。鱗うろこあるは蛟龍みづちなり。翼つばさあるは應龍おうりやう也。角つのあるを虌龍きんりうといひ、又叫龍きうりやうともこれをいふ。角つのなきを𡖟だ〚多+它〛龍りやうといひ、又これを螭龍りりやうといふ。又蒼龍さうりうは七宿しちしゆく也。班龍はんりうは九色くしきなり。目百里めにひやくりの外ほかを見る、これを名なづけて驪龍りりやうといひ、優樂自在ゆうらくじざいなるものを、福龍ふくりやうと名なつけたり。自在じざいを得ざるは薄福龍はくふくりやう、害をなすはこれ惡龍あくりやう、人を殺すは毒龍どくりやう也。又苦くるしみて雨を行やる、是則垂龍これすなはちすいりう也。又病龍やむたつのふらせし雨は、その水必かならず腥なまぐさし。いまだ、升せう天てんせざるもの、易ゑきに所謂蟠龍いはゆるはんりう也。蜂龍は長四丈たけよぢやう、その色靑黑あをくくろうして、赤帶あかきよこすぢ錦文にしきのあやの如し。火龍くわりやうは高たかさ七尺しやくあり。その色は眞紅しんくにして、火焔炬くわえんたきひを衆あつむる如し。又癡龍ちりやうあり。懶龍だりやうあり。龍たつの性さがは淫いんにして、交まじはらざる所なし。牛と交まじはれは、麒麟きりんを生み、豕ゐのこに合へば象ざうを生み、馬と交まじはれば龍馬りうめを生む。又九ツの子を生む說あり。第一子だいゝちのこを蒲牢ほろうといふ。鳴なくことを好むもの也。鐘かねの龍頭りうづはこれを象かたとる。第二子だいにのこを囚牛しうぎうといふ。音なりものを好むもの也。琴鼓ことつゞみの飾かざりにこれを付つく。第三子だいさんのこを蚩物せんぶつといふ。呑のむことを好むもの也。盃盞飮器はいさんいんきに、これを畫ゑがく。第四子だいしのこを嘲風ちやうふうといふ。險けはしきを好むもの也。堂塔樓閣だうだふろうかくの瓦かはら、これを象かたとる。第五子だいごのこを匝批こうせいといふ。殺ころすことを好むもの也。大刀たちの飾かざりにこれを付つく。第六子だいろくのこを屭ふきといふ。こは文ふみを好むとなん。いにしへの龍篆りうてん、印材いんざいの杻つまみ、文章星ぶんせうせいの下に畫ゑがく、飛龍ひりやうの如き、みな是これ也。第七子だいしちのこを狴犴ひかんといふ。訟うつたへを好むもの也。第八子だいはちのこを竣猊しゆんげいといふ。竣猊しゆんげいはら乃獅子すなはちしし也。坐ざすることを好むものとぞ。倚子曲彔いすきよくろくに象かたどることあり。第九子だいくのこを霸下はかといふ。重おもきを負おふを好このむもの也。鼎かなへの足、火爐ひはちの下あし、凡およそ物の枕とするもの、鬼面きめんのごときは則すなはちこれなり。これらの外ほかに又また子あり。憲章けんせうは囚とらはれを好み、饕餮とうてつは水を好み、蟋蝪しつとうは腥なまくさきを好み、蠻蟾ばんせんは風雨ふううを好み、螭虎りこは文釆あやのいろとりを好み、金猊きんげいは烟けふりを好み、椒圖しゆくとは口を閉とづるを好み、虭蛥とうせつは險けはしきに立たつを好み、鰲魚ごうぎよは火を好み、金吾きんぎよは睡ねふらざるものとぞ。皆みなこれ龍たつの種類しゆるいなり。大おほいなるかな龍たつの德とく。易ゑきにとつては乾けんの道みち也。物にとっては神聖ひじりなり。その種類の多おほきこと、人に上智せうちと下愚かぐとあり、天子匹夫てんしひつふの如くなる欤か。龍たつは威德いとくをもて、百獸もゝのけものを伏ふくするもの也。天子も亦また威德をもて、百宦ひやくはんを率ひきゐ給ふ。故ゆゑに天子に袞龍こんりやうの御衣ぎよゐあり。天子のおん顏かほを、龍顏りうがんと稱たゝへ、又おん形體かたちを龍體りうたいと唱となへ、怒いからせ給ふを逆鱗げきりんといふ。みな是龍これたつに象かたとる也。その德枚擧かぞへあぐべからず。今や白龍はくりう南に去さる。白きは源氏げんじの服色ふくしよく也。南は則すなはちら房總あはかづさ々々は皇國みくにの盡處はて也。われその尾をを見て頭かうべを見ず。僅はつかに彼地かのちを領れうせんのみ。汝なんぢは龍たつの股もゝを見たり。是これわが股肱こゝうの臣たるべし。さは思はずや」、と正首まめやかに、和漢わかんの書しよを引ひき、古實こじつを述のべ、わがゆくすゑの事さへに、思量おもひはかりし俊才叡智しゆんさいえいちに、氏元ふかく感佩かんはいし、「武辯ぶべんの家に生れても、匹夫ひつふの勇ゆうに誇るは多く、兵書兵法ひやうしよひやうほうに通つうずるすら、今の時には稀まれなるに、なほうらわかきおん年にて、人も見ぬ書をいつのまに、讀よみつくし給ひけん。さもなくておのづから、物に博ひろくは天の作なせる、君は寔まことに良將りやうせうなり。今こそまうせ結城ゆふきにて、得死えしなざりける氏元が、はじめの憾うらみとうらうへなる、命めでたくけふにあふ、歡よろこびこれにますものなし。斯かうゆくすゑの憑たのもしきに、日は暮果くれはてて候とも、要えうなき入江に明あかさんや。安房あはへおん供つかまつらん。と思へども舩ふねはなし。天そらは晴はれても甲夜闇よひやみに、月待まちわぶる途みちの便ぴんなさ、こゝろ頻しきりに焦燥いらたつのみ。せんすべなきは水行ふなぢ也。とは思はでや、後おくれたる、堀內貞行が今までも、まゐらざること甚不審はなはたいぶかし。富貴ふうきには他人も合つどひ、まづしき時は妻子やからも離はなる。人の誠まことに經つねなければ、渠かれはや途みちより迯にげたりけんおぼつかなく候」、といひつゝ眉根まゆねうちよすれば、義實よしさね莞尒につことうち笑えみて、「さな疑ひそ木曾介。老黨若黨ろうだうわかたう多かる中にて、彼かれと汝なんぢは人なみならぬ、志こゝろざしあればこそ、家尊大人擇かぞのうしえらませ給ひて、吾儕わなみに屬つけさせ給ふならずや。われも亦また貞行が人となりはよく知りつ。難に臨のぞみて主しゆうを棄すて、迯にげかくるゝものにあらず。今霎時しばしこゝにて俟またん。月も出いづべき比ころなるに」、と物に障さわらぬ言ことの葉も、心の底もいと廣き、海より出いづる十八日の、月おもしろき浦波うらなみや、金こかねを集め玉たまを敷しく、龍宮城たつのみやこもかくやらんとて、主從しゆうじゆう額ひたゐに手を翳かざし、思はずも木蔭こかげをはなれて、波打際なみうちきわへ寄より給ふ。

 浩處かゝるところに快舩一艘はやふねいつそう、水崎みさきのかたより漕出こぎいでたり。「こなたへもや」、と見る程に、はやきこと矢の如く、間あはひちかくなるまゝに、舩ふねの中うちより聲たかく、

〽契ちぎりあれば、卯うの葉葺ふきける、濱屋はまやにも、龍たつの宮媛みやひめかよひてしかな

と、口實くちすさむ一首の古歌こか(仲正家集なかまさかしゆう)を、水主かこは何なにとも聞きゝしらでや、そがまゝに漕着こぎつけしかば、件くだんの人は纜ともつなを、砂いさこの中うちへ投なけかけて、その身も閃ひらりと登のほり立たつを、と見れば堀內貞行ほりうちさだゆき。「こは〳〵いかに」、とこなたの主從、縡問㒵こととひがほに先に立たちて、舊もとの樹下このもとに坐ざを占しむれば、貞行は松の下葉したはを、掻かきよせて小膝こひざを著つき、「向さきに相模路さがみぢへ入いりしより、渡海不便とかいふぺんに候よしを、仄ほのかに聞きゝて候へば、捷徑ちかみちより先へ走はしりて、是首ここ彼首かしこなる苫屋とまやにて、津わたりを求もとむれども舩ふねを出いださず。ゆき〳〵て水崎みさきに赴おもむき、漁舟すなとりふねを借得かりえたれども、餓うへさせ給ふ事もやとて、飯いひを炊かしかせ候程ほどに、雷雨らいう烈しくなりしかば、思はず彼處かしこに日を消くらし、かくの如く遲參ちさんせり。はじめよりこれらのよしを、申上候はねば、いぶかしくおぼし召めしけん」、といふを義實聞きゝあへず、「さればこそいはざる事歟か。われはさらなり木曾介も、こゝらに舩ふねのありなしは、一切つやつや思ひかけざりき。もし藏人くらんどなかりせば、今宵こよひいかでか安房あはへわたさん。寔まことにこよなき才學さいかくなれ」、と只管嘆賞ひたすらたんせうし給へば、氏元は額ひたゐを拊なで、「人の才さえの長き短き、かくまで差別けぢめあるもの歟か。やよ藏人ぬし、かゝる時には疑念ぎねんも發おこりぬ。おのが心の淺瀨あさせにまよへば、深き思慮ある和殿わどのを狹さみして、今までわろくいひつる也」、と咲えみつゝ吿つぐれば、貞行は、腹を抱かゝへてうち笑ふ。現二鞘げにふたさやの隔へだてなき、兵士つわものの交まじはりは、かくこそあれ、と義實も、共に笑坪えつぼに入いり給ふ。かくて又義實は、藏人貞行にうち對むかひ、「われは前面むかひへ渡りかねて、こゝに汝なんぢを待まつほどに、塊つちくれの賜たまものあり。又白龍はくりうの祥瑞せうずいあり。これらは舩ふねにて譚かたらはん」、と宣のたまふ聲を聞きゝとりてや、水主かこは手を抗あげ、さし招き、「月もよし、風もよし。とく〳〵舩ふねに乘給へ」、と促うながす隨まゝに主從三人みたり、乘れば搖揚ゆらめく棚たななし小舟をふね、水主かこは纜ともづな手繰たぐりよせて、取とりなほす棹さをのうたかたの、安房を望さしてぞ漕去こぎさりぬ。

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