中井正一「土曜日」巻頭言(18)

◎なげやりな気持ちが人間を空虚にする 一九三七年九月二十日


 世情が騒然としているとき、ゆるがせにできないことは、魂が浮きあがって、足埸を失いかけてはいないかと靜かにみずからに問いかけてみることだ。
 ある浪曼派の有名な文学者が出征したとき、その友のМ氏は彼のことを書いていて、「彼は電報片手に闇の道を歩いてゆきながら、頻りに、これで助かった、うまく締めくくりがついたと繰り返していった。それほど最近彼は破綻と行きづまりのどん底に落ちこんでいた」(日本浪曼派』九月号)といっている。
 どんなことをし、どんなことをいっていたにもせよ、すべての行動が、こんなやけ半分の気分でおこなわれているのでは、それは、どうかと思われる。
 この世の騒がしさは、批判とか、悩みとかを越えて、厳粛な事実である。一人一人の具体的な爽かな対策が必要である。それがもたらす不幸を最少にし、それがもたらす積極的なるものを最大にするために、健康に、敏速に努力すべきである。
 そのためには正しい見透しと、正しい知識と、ゆるがない信念とが必要である。魂の静けさが必要である。
 それがいくら困難でも、無理でも、この静けさは獲得しなければならない必要なものである。努力と訓練のみがそれを得ることを許すのである。
 今自分は何をなすべきか、そして、何をなしたら、内からの、モ—ターがうなり出したような安心な、世の騒がしさを蓋うだけの力強い気持ちがもてるか、それを具体的に探し求めなければならない。人々のかかる場合の任務は多い。戦争に行ったつもりですれば、いくらでもできるはずだ。ただぼんやり悩んだり、雑談したりしていることが一等人間を空虚にする。
 事実が、真剣な、厳粛なものであるかぎり、放語的なものに終わる批判はむしろ危険である。それは自分のみならず、人々をも単なる空虚な、なげやりな人間に導く危険がある。
 スピノザはいった「平和とは、争いがないことをのみいうのではない。それは、強い魂の持ち主が味わう徳である」。

中井正一「土曜日」巻頭言(17)

◎平凡な人間の声、 人民の声の中に真実はある 一九三七年七月二十日

 爽やかな感じというものは、温るま湯にじっとつかっているような感じではない。
 身にさらさらと、何物かを払うがごとく、あたってくる衝激に、軽い心持ちで応えている感じである。何か常に新しいものがたえず身辺を流れ洗っている感じである。
 それは失いたくない感じである。
 物事をなすにあたって、グループをつくることがあるとき、人々は、お互いに感情を害せずお互に褒めあい、闘わない温い集りを目的とすることがある。
 しかし、それでは、お互いに批判したり、自分自身を、いけなかったと反省したりする余地がなくなってしまう怖れがある。
 のみならず、それでは、自尊心を失った、阿諛追従の傾向のもののみが集る傾きをつくりあげるのである。
 こんなことは下は小さな集まりから、上は国家的重大問題にも共通におこなわれる危険な傾向である。
 爽やかさとは、自分を、指摘されたる誤りの中で、裸かのまま検分することである。自分が、自分よりも、もっと真実を愛したことを示すことである。ほんとうの誇りの中に立つことである。つまらぬ誇りなんかは、さらりさらりと西の海に棄てることである。つまらぬ仲間ぼめの中に昂奮しないことである。
 今、社会は、物価とか、信用とかの問題を越えて、物そのものが不足してきたことを示してきた。
 人間のどんなグループの集まりも、政治のどの党派もこの物そのものの不足という、行きすぎのとがめ、現象自体の批判を、眼前に見ている。
 この行きすぎのとがめが何から来るか、これを一日も早く考えるべきである。
 人民が一日一日生きている姿は、それで立派に一つの批判である。この苦しさが、棄てようもない、立派な大きな批判である。
 何人も爽やかにこの批判の前に立つべきである。
 この現象自身の示す、行きすぎのとがめは、この批判は、「断」の一字ではなかなか解決しないし、そんな考え方がユートピアの考え方なのである。
 平凡な人間の声、愚民と考えられている人民の声の中に、真実はみちている。
 一片の机上の計画の実験を数億の血と汗と胃でいきなり実験する前に、その数億の人間の声に深く問いただす心こそ、爽やかな日本人らしい、すがすがしい清明の心持ちではあるまいか。

中井正一「土曜日」巻頭言(15)

◎誤りをふみしめて『土曜日』は一年を歩んできた ー九三七年七月五日

 七月は再び来た。
 多くの幸いではない条件の下に、独立と自由を確保しながら、『土曜日』が生き残れるか否か、これを、私たちはこの現実に問いただしたかった。
 そして『土曜日』は、一年をここに歩みきたったのである。鉄路の上に咲ぐ花は、千均のカを必要としたのではない。日々の絶間なき必要を守ったのである。われわれの生きて此処に今いることをしっかり手離さないこと、その批判を放棄しないことにおいて、はじめて、すべての灰色の路線を花をもって埋めることができるのである、と一年前に私たちはいった。
 そうして、花は今、鉄路の盛り土の上に咲いたのである。
 この現実を前にして、過去を顧るとき、それが決して容易な道でなかったことを知るのである。それを常に破滅の前に置くほどの、激しい批判の火花を貫き、多くの誤りを越えて、辿りきたのを知るのである。
 真実は誤りの中にのみ輝き出ずるもので、頭の中に夢のごとく描かるるものでないことを、この一年が私たちに明瞭に示した。
 否定を媒介として、その過程において自分みずからを対象とすること、それがあるべき最後の真実であることを学んだ。
 真実のほか、つくものがないこと、そのことが率直にわかること、それがほんとうの安心である。
 それは草がもっている安心である。
 それは木の葉がもっている安心である。
 私たちの社会は、今一葉の木の葉の辿る秩序よりも恥しい。自分たちの弱さも、また、そうだ。
 木の葉のすなおさほど強くない。
 真実へのすなおな張りなくして、この木の葉にまともに人々は面しうるか。
 この新聞はこれを読むすべての人々が書く新聞である。すべての読者は直ちに執筆者となって、この新聞に参加した人たちである。この新聞が三銭であることにかかずらうことなく、自分たちが売り物でも買物でもないことを示した人たちである。私達の一年の歩みは、鉄路の盛り土にも咲く花のすなおさとそのもつ厳しい強さを、お互いの批判の涯に、やっととらえた自然な喜びを示すものである。
 私たちはこの喜びを包みかくすすべはないのである。

中井正一「土曜日」巻頭言(14)

◎人間は人間を馬鹿にしてはならない  一九三七年四月五日

 人間はよく自分にいいきかせておいても、つい着物がぞんざいだとか、住居が粗末だとか、軽蔑の心持ちを抱いたりするものである。その段はかぎりないもので、自分よりちよっと粗末でも、その心持ちを抱くし、自分が粗末だと、何となく卑下したり、逆に反抗的な気持ちになったりするものである。
 相当な教養をもった人でも、この心持ちは拭いきれない名残りを心の底に引いているものである。ある場合は、似而非教養の場合は、そればかりに終始することすらある。知識も学問もさらに趣味すら、その場合は、人絹かどうかを試すような、ミテクレになってしまうものである。その場合は教養自体が犬競争の犬のように、ただ他を抜こう抜こうと汗みずくになって、やりきれないシノギをけずることになるのである。
 人間が完全であることは、本来の目的を離れてしまったこんなヒステリー性から脱がれて、自由な野の菫のように生まな人間の香りと健康を自ら親しく味わうことであるはずである。
 かかる、嫉妬に似たアセリ気味な競争から、自分を自由にすること、この自由の闘いは、目にすぐ見える闘いではないが、人々が人々の魂の深部で、決して目を覆うてはならない決定的な闘争である。
 闘いそのものをも、見せるための闘い、ミテクレの闘いと転化する誘惑は充分に自分自身もっているのである。その波瀾葛藤を截断して、まっしぐらに、人間そのものに、顔を洗って、対いあうことは、ちよつとやソットの闘いではない。今にも放しそうになる權を、なおも一本一本引いて後、やっとめぐりあえるものである。
 かかる深部の闘いに遠く、また近く、つながりをもつ魂の蹈きの石が、この日常の着物や住居や食物の見得坊の中にもひそんでいるのである。今それらのものはお金で買われているかぎり、お金の多寡が決定するかのようである。そして威張ったり、テラッたり、ヒガンだりしているのである。
 この威張りや、テライやヒガミがあるかぎり、人間が人間自身を馬鹿にしているのである。現実のあらゆる矛盾は、おおらかな、爽かな、人間の誇りを、人間が今新しく建設すべき、たわめられたるバネであり、撥条である。矛盾の批判を手放さないこと、心の隅から隅まで、ミテクレに行すぎる誘惑の批判をゆるめないこと、人間が人間を侮辱の中にまかせないこと。このことが、すぐれたる人々こそ今一等大切である。

中井正一「土曜日」巻頭言(13)

◎手を挙げよう、どんな小さな手でもいい  ー九三七年三月二十日


 ものごとは、理屈通りにはゆかぬという人々がいる。
 しかし、ものごとのほうが、これ見よがしに一歩もゆるがせにせずに、正しくその法則を護り、寸厘も、間違わない。
 人間が間違った意見をもっていれば、その間違っていることを現象の上に示してくれる。理屈通りにゆかぬのでなくて、ものごとの正しさに理屈が副っていなかったのである。
 ギリシャ以来、人々がものを考えはじめたのは、この自然の中に、美しい秩序が厳然とあることへ の驚きから出発したのである。
 美しい秩序が水の中にも、石の中にも、星の中にもあること、また人間の体の中にも、その系図の中にも、また人との関係の中にもあることを発見したとき、人間はただの石や水とは、異なったところのものになった。その秩序の中にいて、その秩序を保持する責任をもつ、この宇宙の唯一つの存在となったのである。
 この広漠たる宇宙の中で、人間はそのみずからの秩序を守る責任をもつ唯一つの存在である。
 新たな秩序を生み出すことすらできる自由をもつ唯一つの存在である。
 しかし、この自由は、秩序を自分で打ち砕く自由をも許しているのである。この自由のゆえに人間は、その機構を人間が見守らないと、自分で自分の秩序を投げすてる危険をも許すのである。
 今、人間は、その危険の前に立っている。
 人々は、自分がその危険を感じていながら、その理由がわからないことがある。それを、拒否すべきことを知りながら、否定の理由がハッキリわからないことがある。拒否すべき現実がハッキリしながら、否定すべき理論がハッキリしないことがある。それは、否定のない拒否である。それは往々にして、いらいらした、断乎として、といったようなやりきれない心持ち、いわば、信念となってくる。
 この信念の中には、過去に一度理由をもったが、今は他のものとなった宗教的な、または封建的な、商業的な、産業的ないろいろの残滓物がゴッチャになって、チラチラとフラッシュのように陰顕する不安定なものとなる。
 このイライラしさが暴力に手を貸すとき、人類の秩序は一瞬において破滅に面するのである。
 どんな小さな手でもいい。
 その軌道が危険であることを知らすためにさし挙げられなければならない。

中井正一「土曜日」巻頭言(11)

◎正月の気分は遠い追憶に似ている  一九三七年一月五日

 一九三七年が全世界に一様に来ることは何でもないようだが、人間全体に一様の親しい感じがするものである。「元旦や昨日の鬼が礼に来る」といったように、年のはじめは対立感情がフトなくなる日である。
 一体お祭りとか騒動は人を結びつけるものである。東京震災のとき『ロンドン・タイムズ』は、「かかる災害にあって、人間は文明のヴェールがいかに薄いかを知る。日本は今やS・O・Sをかかげるべきである。全世界は直ちにこれを救いにいかねばならない」と書いた。米国からは食糧や毛布や靴や義援金を積んで軍艦が全速力をもってやってきた。
 そこには何の私心もありえようがないほどの咄嗟のことであった。これがあたりまえの人の心であり、これでさえあれば何の悲しみも怖れも、この三七年度にはないわけである。
 文明のヴェールはいつでも人間にとって薄いのだし、全世界の人間は、ただでさえ、そう楽に生きてはいないのである。東京震災のあの瞬間に全世界にあたえたショックのような気持ちが永くつづいてくれさえしたら、わが世は永遠の正月気分なのである。課長も社員も、やあおめでとうといったような正月気分でいられたらどんなにいいかと思わぬ人はあるまい。
 しかし、救いにきたその軍艦が東京震災くらいいつでも再現できることを、気づきはじめると、わが世の春も酔もさめる感じがする。
 文化というとむつかしいようだが、この正月気分のように、人間が瞬間ホッと本然の自分にたち帰った気持ちと行動を、いろいろ分析し守り育てることなのである。
 その本然の姿とは、それに帰ろう、それに帰ろうとしている人間の失った故郷である。歴史の幾千年もの過去は、その本然の姿の中に生きていたのに、いろいろの機構が、人間をそこから引き離し、追い出し、追放したのである。
 これに反して、人間ができたとか、しっかりしてきたということ、この素直な心を曲げて歪められた世界観で塗り固め、一つの疎外された世界観でガッチリ凝り固まる。そのことは口にはいわないが、実に淋しい影を人間に与えた。
 正月とかお祭りとか騒動、または物想うとき憩うとき、この凝り固まった殻を破って、それを溢れて、遠い遠い想い出と懐郷の気分が、平和と自由と協力の懐しさが込みあげてくるのである。抑えた真実がその姿を包みきれないのである。
 今年も、週末の何れの日をも、この真実を解放する憩いと想いとしようでないか。

編者注】図は、「土曜日」1937年1月号表紙

中井正一「土曜日」巻頭言(10)

◎真理は見ることよりも、支えることを求めている 一九三六年十二月五日

 ある人たちはあるいは世の中はもっと悪くなるかもしれないという。そのいろいろの理由をあげ、その必然を説いてくれる。
 そして若い人たちが無邪気に真理とし、欠乏を欠乏として主張するとき、そんなことは今の時勢では通らないし、無駄な努力だという。
 そして、いつかよい日が向こうから歩いてくるかのようにわずかな行動をも止め、また他の行動を批判し嘲笑する。
 世の中がもっと悪くなることを知っていることが、あたかも歴史の全部の知識であるかのごとく、弁証法の全部であるかのごとくである。果たしてそうであろうか。
 地図に描いた線のように、図式的に一つの点から他の点に歴史がその道を辿るものだろうか。辿るといって横から見ていていいはずのものだろうか。
 そうではない。
 一つの動きから他の動きに移るわずかな移動の、その動きのモトはなんであるか。それをもう一度考えなおさなければならない。
 生活の真実が、あらゆる無理な暴力に抵抗する。その抵抗の真実が、歴史のあらゆる動きのモトではないのか。
 世の中が悪くなれば、その無理な暴力にさらに抵抗する自然な力が、歴史そのものを動かしているのであって、善くするも、悪くするも、日常の小さな人々の正しさを支える主張の上にかかっているのである。
 人々の小さな欠乏が、その欠乏を自覚して正しくその主張を高めることによって、歴史と生活が、その方向を正しく変えてくるのである。
 真理は平常の小さな事の中にかくれているのであって、大げさなポーズや、知ったかぶりな図式の中にあるわけではない。
 どんな大きな声で演説してみても、旗と行列を何年繰り返してみても、何の英雄も一番簡単な肉の値段を一銭でも下げることはでぎなかったではないか。否、数字はその反対を黙って物語っている。
 真理と勝利は常に日常の生活の味方である。自分たちの小さな生活の周囲の、どんな小さな正しい批判も、どんなささやかなる行動も、それは歴史を一端より一端に移動せしめる巨大なる動きのモトとなりうるのである。
 歴史は横から見られるよりも、その中に入つて、それを支えることを求めている。男も女も諸君の一つ一つの小さな手が、手近な生活の批判と行動を手離さないことを、真理は今や切に求めている。

中井正一「土曜日」巻頭言(09)

◎秩序が万人のものとなる闘いそれが人間である ー九三六年十一月二十日

 ある哲学者は、自分の存在を、自分で否定できること、例えば自殺することができること、これが人間が存在それみずからよりも優れた自由をもっている証拠だという。
 それが、石やら、星やら、動物よりも、人間がすぐれている証拠だといおうとする。
 そのことはとんでもない間違いである。
 自分が自分で死ぬことは、人間の闘いとったみずからの秩序に、暴力を奮って、それを破壊して土とか、水とかの秩序に還すことである。
 それは決して、人間の誇りではない。
 人間の誇りは、死を賭して、破滅をも賭して、人間の秩序が万人のものとなる創造への厳かな闘いを挑むことの中にあるのである。ダダ的な単なる破滅への戯れ、似而非抑的な無への落着、「地の涯」的な虚無への感激、フランコ的な存在そのものへの火遊び、ただそれだけでは秩序へのいたずらなる暴力である。
 しかし、また行動のないただ秩序の認識、図式的な歴史の推移の見透しと見極めだけでは、それがいかに賢明であっても、それがいかに的確であっても、ただそれだけでは秩序のいたすらなる無力である。
 秩序の正しい認識の下に、しかも欠乏に差し出す嬰児の学のような、直截な無邪気をもって、命を賭けた秩序が万人のものとなる創造への闘い、この闘いの中に、一個の人問の意味のすべてが含まれているのである。
 新たなヒューマニズムは、命をかけていることの感じの中に在るのでもなく、また単なる合理の誇りでもない。
 合理が万人のものとなることに向かって、自由に向かって、存在そのものをかけている關い、この存在みずからの賭けられた存在、命をかけた命、この中にヒューマニズムの意味があるのである。
 しかもこの合理に向かって存在をかける闘いは、幾万年の人間の闘いの勝利を教えてくれた方法である。
 合理が万人のものとなることが、弓矢と武器を獲ることよりも、もっと近道であり、困雄でもある、最も急を要する大切なことであることを知らせてくれたのも、この闘いの幾万年の教訓である。
 私たちは週末の一日をこの幾十万年の人間の誇りを顧ることに皆そうではないか。

中井正一「土曜日」巻頭言(08)

◎人間の最後への勝利への信頼が必要である ー九三六年十一月五日

 水がすき間があれば常に低いところに降りるように、自然は噓をついたことはない。
 人間はこの噓のない自然の現象に副って、みずからを処してゆ.くほかはないのである。そして、自然と闘い、人間みずからの生活を合理化してゆくこと、それが生きてゆくということである。生活みずからにも人間は噓はつけないのである。噓をついたところで、足下から、それははげてゆくのである。
 何故なら自然と人間との戦いは切実であって、噓を許さないし、噓をつけば人間は直ぐみずからを傷つけずにいないのである。
 噓はすぐ傷となってあらわれる。
 小さい傷なら、噓は噓をもって覆える。しかし、そのことによつて傷はそのロをより大きく開く。
 覆うべくもない傷口となって万人の前に横たわるのである。
 噓に対して闘うものは、言葉でなくして、最後は生活の事実である。
 万人の生活があらゆる噓を噓として示し、生活みずからの矛盾として現われた場合、真実はたとい何人の言葉をも、雄弁をも借りなかったとしても、みずから万人のものとなるのである。
 そのとき、人間はまともに自然に向かう戦いに参加することができるのである。そして、実に数百万年を勝ってきた人間の勝利の戦列に加わることができるのである。
 人間のなした過失が二千年つづいたといって、嘘を二千年いわれつづけたといって、地球を支えるアトラスのように、すべてを支えてきた人間たちは希望を失いはしない。
 人間の祖先の親しむべき人たちは数万年をどしやぶりの雨の中に、数十万年を氷河の中にみずからの生活を守りつづけてきたのである。そしてそれを正しく守りつづけたからこそ、ここに存在したのである。
 今ここに人間がいることは、希望を失い、自棄に堕ちるには余りにも切実であり、真実への闘いの結果なのである。
 結晶がその噓のない秩序を宇宙の前に誇るように、人間はその秩序を宇宙の前に築きあげつつあるのである。

編者注】
 嘘・虚偽が、特に「政治」や「ビジネス」の世界で、まかり通る世の中なれど、長いスパンでみると、「真実」が優ると信じる他ないのだろう。「噓に対して闘うものは、言葉でなくして、最後は生活の事実である。万人の生活があらゆる噓を噓として示し、生活みずからの矛盾として現われた場合、真実はたとい何人の言葉をも、雄弁をも借りなかったとしても、みずから万人のものとなるのである。」
 先日、医療生協の地域でのまとめ役だった、S さんが亡くなった。嘘のない人柄は誰からも好かれていた。十年以上まえになるだろうか、母の日を前に、カーネーションのギフト券を、「お母さんへのプレゼントに使いよし。」と進呈したことがあった。彼は、そのままその券を、母親に手渡したそうだ。「花を買ってから、それを渡すもんや!」と思ったが、彼らしい率直さの現れだったかもしれない。最晩年は、幾たびかは、意にそぐわないことも多かったと推測するが 彼の誠実な人生を思い、心から悼む。

 図は、「土曜日」の3度目の表紙。

中井正一「土曜日」巻頭言(06)

◎ポーズに気づいた瞬間に行動は空虚になる ー九三六年九月十九日

 みっちりしたボー卜の練習をしているとき、漕いでいる者がフト岸を気にし出したとき、敏感な舵手にはそれがわかるものである。
 自分のフォームを人が見ていると思い、また見せようと思った瞬間、一本一本水に切り込んでいる櫂先から、スーッと力がさめるように消えてゆくものである。
見てくれ<傍点>のこころ、これでどうだのこころ、こうしているんだよ、のよの字<傍点>。それは切っても切っても流れる水のように、こころの底に溢みくる湿気である。
見てくれ<傍点>のこころはそれがどんなにかすかであっても、マネキン人形のもつ硬さをもっている。それは単なるポーズである。行動はこわばり、止まり、やがて他のものに転換してゆく。とんでもないものに移りゆく。
 このベルトに一端を喰われたら、どんなにもがいても、あせっても、あばれても、それはユックリその道を辿って、マネキンがそうであるように、喰い込まれ、きざまれて、売り物になってゆく。レッテルの貼られた何物かが、その腕から下げられる。
この見てくれの自分のポーズの下をかい潜って、身を翻して、行動みずからの真実の中に拶入することは、チョトやソットの困難ではない。
 自分が未だつかんでいない真実を主張して議論が前のめりになっているとき、周囲の見透しのないのに、見ろ<傍点>と身構えて見るとき、いつもポーズは変装して、こころの底で道化ている。
 ポーズはそれが悪意であるときよりも善意であるときにしのび込んでくる悪戯者である。何故なら賞められる<傍点>ということの中に糜爛剤を落してゆく奴なんだから。
 そしてポーズをなくするということにこだわれば、またニヒリズムのポーズとして、彼はくっついてくるのである。それは人間を行動より奪い取る一つの思想の真空である。
 見ること<傍点>にだけ終始するものは、この見られる<傍点>ことを、気にすることは永遠に断ち切ることができない。嬰児のごとく、卒直に欠乏に泣き欠乏に手をさしのべる行動<傍点>こそが、はじめて嬰児のごとく自然の前に險を閉じ、自然をも万人をもまた彼の前に無限の愛をもって眼を閉じしむるのである。
 われわれの機構の中に何が欠乏しているか、それに卒直に手をさしのばすことは、ポーズに手渡すには余りに厳かな必要である。
『土曜日』はあらゆるポーズを脱るる半日である。

編者注】
 写真は、「土曜日」第34号(昭和12年・1937年6月5日号)に掲載された、淀川長治氏の投稿。この号はさしずめ、映画「失われた地平線」(Wikipedia)特集号のようだ。反ファシズムの「牙城」ともいうべき「土曜日」は、このように多彩な執筆陣を備えていた。淀川長治氏なども、その気骨ある一人である。

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