読書ざんまいよせい(043)

◎蒼ざめたる馬(007)
ロープシン作、青野季吉訳

 アルベール・カミュは、コロナ禍の最中で讀んだ「ペスト」と「蒼ざめたる馬」に題材をとった戲曲「正義の人びと」くらいしか知らなかった。今回、岩波新書で、彼の生涯や作品の紹介を讀んで、少し興味を持った。その中で、「正義の人びと」に触れたところから、部分引用。

 戯曲は、一九〇五年のロシア第一次革命のさなか、セルゲイ大公暗殺を実行したロシアのテロリストたちを扱っている。
 一九〇五年のロシアに、自分の時代について語るのに等価の倫理を見出したのである。冷戦のさなかに、政治とモラル、正義と自由、目的と手段の問題に、抒情性と古典性を兼ね備えた演劇による答えを提示することが彼の狙いであった。「心優しき殺人者たち」ではテロの状況が忠実に再現されているが、『正義の人びと』では、いくつかのロシアを想起させる特徴を消し、歴史的モデルに自分自身の体験の記憶を注ぎ込んで、時代を超えた普遍性をもたせようとした。

 『正義の人びと』では、カミュは『誤解』のような古典劇の様式に戻り、舞台として極度に切り詰められた隠れ家の枠組みを作った。外界から切り離された登場人物たちは、つねに閉所空間にいる。大公暗殺とカリャーエフの処刑という二つの事件は、古典劇の規範に従って、舞台の外で起こる。こうした過去の美学的手法を用いて、彼はテロリズムというきわめて今日的な主題に挑んだのだ。

 セルゲイ大公殺害の任務を引き受けたカリャーエフは、同志のドーラに向かって自分の信念を語る。「だれも二度と殺人を犯さない世界を建設するために、ぼくたちは殺すのだ。大地がついには潔白な人びとで満ちあふれるためにこそ、ぼくたちは犯罪者となることを受け入れるのだ」。本来は相反するものである殺人と潔白が、ここでは関係づけられる。ロシアの民衆の潔白を実現するためにこそ、テロリストたちはみずから殺人者であることを受け入れる。しかし、『戒厳令』のディエゴはすでに、独裁者ペストのやり方は殺人をなくすと称して殺人を犯すことだと批判していた。民衆の潔白のために殺人を犯すテロリスト自身は、果たして潔白なのだろうか。この困難な問題をめぐって戯曲は展開される。
 潔白のためには殺人も必要であることを覚悟していたカリャーエフであるが、大公の馬車に子どもたちが同乗していることを知ったとき、爆弾を投げるのをためらう。ここから、カミュが創造した虚構の人物であるステパンと、カリャーエフの論戦が始まる。ステパンは、革命を実現するためにはどんな手段も許されるのであり、そこに「限界はない」と主張するが、それに対してカリャーエフはこう言う。「君のことばの裏には、やはり専制政治が顔をのぞかせている」。この「専制政治」は、『正義の人びと』執筆時の冷戦時代には左翼全体主義の巨大な国家の姿をとってあらわれていた。
 ステパンも正義を主張するが、正義の上にさらに潔白を要求する点において、カリャーエフはステパンとは異なる。「人間は正義だけで生きているのではない」、人間に必要なのは「正義と潔白」だと彼は言う。自分の身の潔白を守るため、カリャーエフは大公の甥と姪の命を助ける。そしてテロの犠牲者から奪うことになる命に対して自分の命を代償として差し出すことを覚悟する。それは、殺人が引き起こすニヒリズムに陥らないためにカミュが提示することができた唯一の解決法なのである。
 『正義の人びと』のドーラも同様に愛の権利を主張するが、彼女はロシアの圧政と闘う革命家であり、同志カリャーエフを愛しながらも、正義への愛を優先することを義務と考える。
 第三幕において、カミュの戯曲のなかでもっとも悲痛な愛の場面が二人のテロリストのあいだで展開される。ドーラはカリャーエフに、鎖につながれた人民の悲惨を忘れて自分を愛してくれるか、とたずねる。…人間たちはもはや愛するすべを知らない」。カリャーエフは、正義の集団的情熱に身を捧げている。しかし、愛を求めるドーラは、絶望的にこう問いかける。

「でも、だめね、あたしたちには永遠の冬なんだから。あたしたちは、この世界の人間じゃない、正義に生きてる人間なのよ。夏の暑さなんか、あたしたちには縁がないのよ。ああ!憐れな正義の人びとだわ!
 『結婚』で謳歌された夏は、この「永遠の冬」からはあまりにも遠い。ドーラにとっては、死こそが、カリャーエフとふたたび結ばれる唯一の避難所なのだ。幕切れ直前に、彼女の最後のせりふが痛切に響きわたる。「ヤネク!寒い夜に、そして同じ絞首刑で!これで何もかもずっと楽になるわ」。
 この作品は正義についての思想劇であると同時に、カミュにとってはまれな愛のドラマでもある。…『正義の人びと』では、…女優と劇作家の不可能な情熱恋愛が、政治的イデオロギーの議論の背後に忍び込んで、この戯曲の方向を定めたのだ。困難な愛の叫びが、反抗的抒情性とともに高まり、作品のあちこちから聞こえてくる。」

 今は、こんな学生時代と同様な命を賭けた「情熱」は持ち得ないが、カミュの出自たるアルジェ植民地の体験を持ち続けた彼の生きざまだけは伝わってきた。
 カミュの戯曲「正義の人びと」の典拠の一つになったのが、ロープシン「蒼ざめたる馬」であるが、こちらは、登場人物はすべて架空名となっている。また、ロシア的抒情か?、カミュは「政治的な緊張」に主体を置いているのに対して、いささかメロドラマ調が辛気臭くなっている。このあたりは、ザヴィンコフとカミュの気質の違いか、強いて言えば、ロシアとフランスの国民性が現れているのかもしれない。

四月十三日。

 エルナは私に云つた。
「あなたに合ふばつかりに生きてゐるやうに思へてよ。わたしあなたを夢に見ましたわ。わたしのお禱りはみんなあなたの爲めよ。」
「エルナ、お前は仕事を忘れてゐる。」
「わたしは一緖に死にましやうね.。…..ほんとにわたし、あなたとかうして居ると、小娘のやうな、赤ん坊のやうな氣がします。…..わたしはあなたに差上けるものは何んにも無いの······わわたしの愛だけ。受けて下さいね……」
 そして彼女は泣き出した。
「泣くな、エルナ。」
「わたしは嬉しくつて泣いてるのよ。······でもモウ止みましたわ。それ、泣かないでしやうね。わたしあなたにお話しゝ度いことがあるの。ハインリヒが……」
「彼がどうしたって!」
「まあ、そんな冷淡になさらないでね······ハインリヒが昨日わたしに、わたしを愛してるって、 言ったの。」
「え?」
「でもわたしはあの人を愛さなくつてよ。お存じでしやう。 わたしの愛するのはあなたけなのどう?嫉妬《やけ》て?どう?」彼女は私の耳にさゝやいた。
「嫉妬《やけ》る?馬鹿々々しい!」
「嫉妬《や》いちやいけなくつてよ。わたしあの人のことなんかちつとも思つてやしませんから。でも あの人はほんとうに可哀相。わたしそりお氣の毒に思ふの。しかしあの人の言ぶことをかな けりあならないとは思はないの。何だかあなたに裏切りでもするやうに思ったんですもの……」 「僕を裏切るつて!しかし、エルナ。」
「わたしはあなたをそんなに深く愛してるんです。それでもあの人はまた可哀相でならないの。わたしはあの人にお友達になりますつて云ひましたわ。お氣にかゝつて?」
「そんなことはないさ。エルナ。 僕は氣にしやしない。嫉妬もしない。」
 彼女は目を落した。惱んでゐた。
「あ、あなたはたどもうおかまひ無しなのねえ。」
「エルナ」と私は云った。「ある女達は、忠實な人の妻であったり、熱烈な戀人であったり、誠の深い友達であつたりする。しかし彼等は、優れたタイプの女ー生れながらの女王である女ーと較べものにはならんよ。 そう云ふ優れた女は、誰にも彼女の心を與へやしない。彼女の愛は、選ばれた一人に與へるすばらしい賜物なんだ。」
 エルナはオド/”\した眼をして聽いてゐた。それから彼女は云つた。
「あなたはまったくわたしを愛してるやしないのねえ。」
 私は接吻で彼女に答へた。彼女は私の頭を押付けて、囁いた。
「一緖に死にましやうね、え?」
「多分、そうだらう。」
  彼女は私の腕の中で眠りに落ちた。

四月十五日。

 ハインリヒの馬車に乘って出掛けた。
「どんな氣持だね?」私は彼に聞いた。
 彼は頭を振つた。
「あんまりいお役目ちやないね。」と彼は云つた。雨の中を、一日中で、馬車を驅るなんて。」
「全くだ。」と私は彼に云つた。それも、戀《こひ》に落ちてる時は、よけい不愉快だ。」
「何を知つてるんだい?」彼は素早《すばや》く私の方へ振返つた。
「何を知ってるつて?何にも知らない。知り度くもないさ。
「君は何でも嬉戲《ちやうだん》にしてしまふ。 ショーヂ。」
「そんな事ないよ。」
 私達は公園を通つた。キラ/\する雫《しづく》が、溢れた枝から、私達へふりかゝつた。芝生にはところ/”\に淺、<ママ>い綠の新しい草があつた。
「ジョーヂ!」
「え?」
「ジョーヂ。 爆發物の準備には、偶然の出來事が起る危險はないかね?」
「勿論、あるよ。偶然な出來事は、折々、起るよ。」
「すると、エルナは燒死んで仕舞ふね?」
「あるだらう。」
「ジョーヂ!」
「何?」
「何故、あの女にその仕事を委せておくんだ!」
「彼女《あれ》は黑人《くらうと》だ。」
「あ、あの女が!」
「そうだ。」
「誰かほかの人に能きないのか?」
「え?」
「出來ないこともなからう。しかし君はなぜそんなに氣にするんだい?」
「氣にしやあしない。たと知りたいんだ。」
 歸り路に、彼はまた私の方へ向いた。
「ジョーヂ。」と彼は云つた。
「もうぢきやる〈「やる」に傍點〉か?」
「うむ。」
「何時《いつ》?」
「二三週閒の中に。」
「誰かつれて來て、エルナの代りをさせることは、どうしても出來んか?」
「どうしても出來ん。」
 彼は靑い服の中で戰慄《おのの》いた。しかし何にも云はなかつた。
「誰かほかの人に能きないのか?」
「え?」
「出來ないこともなからう。しかし君はなぜそんなに氣にするんだい?」
「氣にしやあしない。たと知りたいんだ。」
 歸り路に、彼はまた私の方へ向いた。
「ジョーヂ。」と彼は云つた。
「もうぢきやる〈「やる」に傍點〉か?」
「うむ。」
「何時《いつ》?」
「二三週閒の中に。」
「誰かつれて來て、エルナの代りをさせることは、どうしても出來んか?」
「どうしても出來ん。」
 彼は靑い服の中で戰慄《おのの》いた。しかし何にも云はなかつた。
「いゝ日だ。ハインリヒ。くよ/\するな。 はしやげよ!」
「僕はいゝ氣持なんだ。」
「取立て誰かの事を氣にするな。そうするともつと幸福《しあはせ》になるよ。きっと。」
「分つとる。君が云はなくつてもいいよ。 さよなら。」
 彼は靜かに馬車を願って行つた。こんどは私が、長い閒、彼を見送つてゐた。

四月十六日

 私は自問する。私はまだエレーナを愛してゐるか?たゞ一つの影を、彼女に對する以前の愛を、 愛してゐるのではないか?ヴァニアの言つた事は正しいのではないか、私は誰も愛しない、愛す ることが出來ないのだと云ふことが?が、何故人は愛さなければならんのだ、要するに。
 ハインリヒはエルナを愛してゐる。 一生、 彼女だけを愛して行くだろう。しかし彼の愛は、 彼を幸福にはしない。私の愛は全く歡びなのに、彼のは反對に、彼を悲慘《みじめ》なものにする。
 私はまた退屈な旅館の、退屈な私の部屋に坐つてゐる。多數の人々が、私と同じ屋根の下に生きてる。私は彼等とアカの他人だ。私はこの町の石壁の中で、アカの他人だ。私は、何處でも、アカの他人だ。エルナは、自身のことは何にも考へないで、彼女の全存在を私に與へてゐる。が、私は彼女のことを氣にかけない。彼女の愛に報ゆるー何で?友情で?もしくは恐らく、友情と云ふ僞りの口實で?エレーナのことを思つてゐて、エルナに接吻する、何と云ふ馬鹿なことだ、 それでも、私のしてゐることは、それだ。しかし要するに、それが何だ!

読書ざんまいよせい(007)

◎蒼ざめたる馬(003)
ロープシン作、青野季吉訳

  三月十七日。

 私が何故この仕事を始めたか、私は知らない。然し他の者がそれに入つて來た理由は知つてる。ハインリヒはそれが私の義務だと信じてゐる。フエドルは妻が殺されたので私と付い た。 エルナは生きてゐるのは恥だと云ふ。ヴァニアは… ヴァニア自らに語らせやう。
 最近彼が私の者となつて、一緖に郊外で終日した。 私は彼と旅舍で談合する約束があつた。
 彼は、下層階級の人の着けるやうな長靴に靑服でやつて來た。彼は鰓髯を直して髮を圓く刈込んでゐた。彼は言つた。
「時に、君はこれまでキリストのことを考へたことがあるか?」
「誰のこと?」
「キリストのことさ、神人キリストのことさ。君はこれまで、何を信じなければならんか、どうして生きなければならんか、君自身に尋ねたことがあるかね?宿屋や、馭者溜りで僕はよく聖書を讀むんだ。そして僕は、人閒にはた二つの道しか開けてゐない、實際二つ切りだといふ結論に達したんだ。一つは、ての事は許す可きだと信することだね。いゝかね、例外無しに凡てのことがだだよ。もしどんな考へにも冒し進んで慄《おじ》けない心を持つてゐれば、その道によつてドストイエフスキーのスメルヂヤコフのやうな人物が作られるだ。 要するその態度にも論理はある、と云ふのは、神が存在せず、キリストが一個の人閒に過ぎない以上は、そこにはまた愛もない、卽ち君を抑へる何物も無いからね。モウ一つはキリストに導いて行くキリストの道だ。人閒の心に 愛があるなら―本統の深い愛だよ―彼は殺すことが出[來 1字補]ると思ふか出來ないと思ふか?」
 私は答へた。「出來るさ、どんな場合でも」
「いや、どんな場合にも出來ない。 殺すことは大きな罪だ。「同胞の爲にその生命を棄つるより 「大いなる愛は無し」さ。 そして彼は、生命より以上の―彼の心靈も投け出さなければならないんだ。彼は彼自身の十字架に上らなければならんし、愛によつて―愛だけによつてが促されないからには、どんな決心もしてはならないんだ。他の動機なら彼をスメルヂヤコフ*に戾して仕舞ふんだ。僕の生命を取つて見給へ。何の爲めに僕は生きてゐるか?僕の最後の時が、僕が全生命をその爲に生きなければならなかつたものを證據立てる爲めなんだ、全く。僕は神に祈る。神樣、愛の爲めに君を死なせて下さいと。が、人殺しをする爲めにお禱りをする者があるか?人は殺すであらう、然しそれに就いて禱りはしない…僕は知つてゐる、僕は心の中に十分に愛を持つてゐないんだ。 僕の十字架は僕には重過ぎて擔へないんだ。」
「笑ふな。」と彼はすぐ後で言つた。「何にも笑ふことは無い。僕は神と神の言葉のことを話してるんだ。僕が譫語《たわごと》を言つてると君は思つてるんだらう。實際君は僕が譫語を云つてると思つてるかい?え?」
私は返事をしなかつた。
「默示錄の約翰」を覺えてゐるだらう。「この時に人々死を求ん爲《なせ》ども能はず。死んことを願へど死は遁去《のがれさる》べし。」と云つてゐる。死を願ふ時に、死が君から去るほど恐ろしいことがあらうか?君もまた死を求めるだらう。 我々皆も。どうして僕等は血を流すか?法律を破るか?君は法律を認めない。血は君には水と同じだ。然し覺えてる給へ、いつか君は僕の言葉を思出すだら う。君はその結末を追ひ求めてゐるが、それはやつて來ないだらう。 死は君から遁去るだらう。 僕はキリストを信ずる、實際信ずる。然し僕は彼と共に居ないのだ。 僕は彼に値しない。 僕は泥と血で穢されてるのだ。それでもなほ慈悲深い神は來て下さるだらう。」
 私はぢつと彼の眼を凝視めて答へた。
「それなら、 何故殺すか?君は勝手に僕から離れていゝんだよ。」
 彼の顏はすつかり靑ざめた。
「どうして君はそんなことを言ふんだ?僕の靈は惱んでゐる。然し僕は出來ない…… 僕は愛する。」
「譫語だ。ヴァニア。もうそんなことを考へるな。」
 彼は答へなかつた。
 私は彼を離れて、街へ出るとすぐ、すつかり忘れて仕舞つた。

[編集者注]
* ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の登場人物、小説では、父親を殺害。

  三月十九日。

 エルナは泣いて淚の中から云つた。
「あなたはもうわたしを愛してゐない。」
 彼女は私の肱掛椅子に坐つて、手で顏を蔽ふてゐた。彼女の手がそんなに大いことを、前に氣が付かなかつたのは不思議だ。
私は彼女を深く凝視して言つた。
「聲を立てるな、エルナ」
 彼女は眼を上げて私を見た。彼女の赤いと落込んだ下唇が彼女を醜くした。私は窓の方へ向いた。 彼女は肱掛椅子から立つて、おづ/\私の袖を引いた。
「ごめんなさいよ」彼女は言つた。「もう聲を立てませんから」
 彼女は時々泣聲を立てる。 最初に眼が赤くなつて、それから頬が膨れ出して、おしまひにはかすかな涙が頬の上にけて来る。何といふかな涙だ!
 私は彼女を膝に引寄せた。
「エルナ」私は彼女に言つた。「僕がおまへを愛すると此迄云つたことがあつたかい?」
「いゝえ」
「僕はおまへを欺いたかい?他の女も僕は愛すると云はなかつたかい?」
彼女は答へなかつた。たゞ全身を震はした。
「どうだね。」
「え、そう仰つたわ。」
「だからね、おまへに飽きが来たら、僕はおまへに言つて仕舞ふよ。決してお前に祕したりなんかしない。僕を信するだらうね?」
「え、信じます。」
「む、それでいゝ。さあもう泣くのは止せ。 おまへより外には無いんだよ。」
 私は彼女にキスした。 彼女は次のやうに云つて、樂しさうな顔をした。
「どんなにわたしはあなたを愛してるでしやう!」
 然し私は彼女の大きな手を忘れることは出来なかつた。

  三月廿一日。

 私は英語は一言も知らない。旅館や、料理屋や、町で、片言混りの露亞西語をつかふ。それか 時々いやなことが起つて來る。
 昨夜私は芝居に行つた。赭い、汗つほい顏をした嚴丈な男が側に掛けてゐた。彼が鼻を鳴して深い呼吸し、幕の開いてる間半眠りをしてゐた。幕合に私の方を向いて訊ねた。
「あなたは何國《どこ》の方《かた》ですか?」
 私は返事をしなかつた。
「お分りになりませんか?」と彼は再び訊た。「あなたのお國を知り度いんです」
 私は彼を見ないで答へた。
「私は英國皇帝の一臣民です。」
これで彼は満足しないらしかつた。
「誰の臣民だと仰るんですか?」と彼は重ねて訊ねた。
「英國人ですよ。」
「あゝ英國人…あなたが?それならあなたは世界で一番悪い國民にしてるんですね。 彼奴等《あいつら》は日本人に加勢して對島海峡で我國の旗艦を沈めた。彼奴等のすることはそんなもので。それでゐてあなたは知らん顏で、露西亞へ旅行に來てゐる。 止しにして貰ひ度い!」
 人々が私達に目を向けた。
「私にものを仰ることをやめて戴きましやう。」と私は低い聲で言つた。
「あなたを巡査に渡します。 私のすることはそれだ。」彼は聲を張り上げて言ひ續けた。「お覧なさい此の男を!あれはきつと日本の間だ。それでなけりあ、何かの詐欺師だ。英国人だつて、本統に!巡査がなぜ尾けないんだらう」
 私はポケットの中の拳銃を觸つた。
「お默んなさい。」と私は命じた。
「默れつて!いや、二人で警察へ行かう。そこへ行けばも何《なに》彼《か》も分るんだ。間諜は我国では許されないんだ。神聖な露西亞萬歳だ!」
 私は立ち上つて、彼の闘い血の灑いた眼を眞直に見詰めた。
「三度君に警告する、默んなさい!」
 彼は肩をすくめて一言も言はないで坐つて仕舞つた。
 私は劇場を出た。

  三月廿四日。

 ハインリヒは丁度二十二になる。學生の時には會合でよく饒舌つた。その時分は眼鏡をかけて長い髪をしてゐた。今は、彼もヴアニアのやうに粗野になつた。痩せていつも顏を剃るつてゐない。彼の馬も痩せて、馬具はボロ/\で、橇は古物だ。彼は最下層階級のありふれた橇屋だ。
 ある日彼は私とエルナをに乗せて來た。町の門を出る時に、彼はくるりと後を向いて言つた。
「このあいだ僕は坊主と喧嘩したよ。そいつがラウンド・スクエヤの番地を云つて、十五コペ ーキの橇代を拂はうと云つたんだ。僕は所を知らないから、橇をくる/\後を挽いて廻つたんだ。とう/\ 奴《やつ》怒り出して仕舞つて、毒付き出すんだ。『泥棒め、貴様は道を知らないんだな、巡査に引渡すぞ!』 それから續けて云ふんだ。『馭者といふものは自分の燕麥《からすむぎ》の嚢のやうに町をちゃんと知つて居らにやならんもんだぞ。貴様はきつと騙つて鑑札を取つたんだな。一ルーブル位の賄賂を つかつて、試驗なしに通して貰つたんだろう。』僕はそいつを取るのに面倒したよ。『どうぞ旦那様お赦し下さい』と僕は云つた。『キリスト様の爲めにお赦し下さい!』 彼の言ふことは實際だ。僕は試験を受けやしないんだ。 宿無しのカルプジヤが僕の代りに受けてくれて、僕は手間賃に五十コベーキ拂《はら》つたんだからね」
 エルナは聞いてるなかつたが、彼は非常に油が乗つて續けた。
「すぐ二三日前も藝當をやつたよ。或お爺さんの夫婦を乗せたんだ。いゝ階級の禮儀正しい人らしかつたが、かなりの老夫婦だつた。丁度ロング・スツリートを駆けて行つた時に、電車が停留所に止つたんだ。それを餘り気にも留めないで、僕は軋道を駆けぬけた。すると橇の中の老夫婦は飛び上つて、激しく僕の首筋を蹴飛した。『惡者奴!』と彼は呼んだ。『貴様は私達が轢死させるつもりか?氣狂のやうに驅立てゝどうするんだ、畜生!』
「『旦那様何も驚きなさることはありません。』と私は言った。『横切つたつて何でもないことでございます。電車の出る迄にはまだ少時《しばらく》あります。その時女が佛蘭西語で彼に云ふのが聞えた。ジアン、そんなにお怒りなさるなよ。お體に大層さわりますよ。馭者もやはり人間ですから』 彼女 は實際、馭者もやはり人間だと云つたんだ。すると彼は露西亞語で答へた。『それはそうだらうが、此奴は獸《けだもの》だよ』『おゝ、ジアン、』と彼女は云つた。『そんなことを仰つては恥《はぢ》になります。それから彼が僕の肩を軽く叩くのを感じた。『濟《す》まなかったな。』と彼は言った。『氣に掛けなさんな。』そして彼は二十コペーキのチツプを呉れた。……彼等は多分自由黨なんだらう。……おい右だ 婆《ばあ》さん孃《ぢやう》さん!」
 ハインリヒは惨めなよろ/\の馬に鞭を當てた。 エルナはそつと私に寄り添った。
「エルナ・ヤコヴレヴナさん。此の土地はいかゞですね?仕事に慣れましたか?」
ハインリヒは寧ろ辱かしそうにしてこの問ひを發した。 エルナは嫌やらしい風で答へた。 「すつかり満足してますわ。 そりあ仕事にももう慣れましたわ」
 私の右手には黑い亡靈のやうな櫟樹があり、左手には野原《のはら》の白い衣があつた。町は前に展がつてゐた。會堂は日光に輝いてゐた。
 ハインリヒは口を噤み、橇の軋る音の外は、通りは深い沈默の中にあつた。ハインリヒは私達を町へ返した。橇から下りる時に私は、彼の手に五十コベーキをおいた。彼は霜を被った帽子を脱いで、長い間私を見つてゐた。
 エルナは低語いた。
「今夜、あなたのところへ行ってもよくつて?」

注記】画像は、古本市場で出品の「蒼ざめたる馬」奥付き。なお本文、訳文の著作権は消失している。
参考】川崎浃訳「蒼ざめた馬」(岩波書店 同時代ライブラリー)

読書ざんまいよせい(005)

◎蒼ざめたる馬(002)
ロープシン作、青野季吉訳

第一編

「……一匹の蒼ざめたる馬を見たり、之に乗る者の名は死と云ふ……」……黙示錄六ノ八、
「兄弟を憎む者は暗に居り、暗に行きて其往くところを知らず、その目を暗に曇らさるればなり」……約翰第一書二ノ十一、

  三月六日。

 私は昨夜 N に着いた。このまへ見た時と同じだ。 食堂の上には十字架が閃き、橇はバリ/\する雪の上を辷つてキィ/\音を立てる。 朝は霜深く 窓硝子には氷の華が出来て僧院の鐘は聖餐を告げてる。私はこの町を愛する。私はこゝで生れたのだ。
 私は英國皇帝の赤い印章とランスダウン卿の署名のある旅行免狀を有つてゐる。この旅行免狀は、私―英國臣民、ジョージ・オブラインエン―が土其古及び露西亜に旅行することを証明してゐる。 私は露西亞官憲からは、「観光客」として録されてゐる。
 この旅館は私を退屈させる。 青銅の大廣間廻りも、金ピカの鏡も、絨緞も、知りぬいてゐる。 私の部屋にはボロボロの安樂椅子があり、窓掛けは埃だらけだ。 私は三キログラムのダイナマイトを机下に置いてある。 それは外國から携へて来たのだ。ダイナマイトが藥種屋の店先へ行つたやうな匂ひがする。夜、私は頭痛がした。
 私は今、散歩に出掛けてゐる。並樹道は暗く、淡雪が降つてゐる。 遠い所で大時計が鳴る。全く私ひとりだ。私の前には、町と懶惰な住民の安らかな生活が横たはつてゐる。 私の心の中で、 箴言が響く。
「而して、われ汝に暁の星を與へん。」*

[編集者注〕
*ヨハネ黙示録2-28

  三月八日

 エルナは青い眼と重そうに編んだ髪を有つてゐる。彼女は私にすがり着いて哀願した。
「些とはわたしを愛して?」
 五六個月前には、彼女は女王のやうに身を委せて、私からは何物も求めず、 何の望みも持つてゐなかつた。今は、乞食のやうに君に愛を希ひ求める。 私は雪で蔽はれた廣庭を窻ごに眺めながら、彼女に言つた。
「真つ白な雪だねえ」
 彼女は首垂れて返事をしなかつた。
 私はまた言つた。
「昨日街へ出て、モツト綺麗な雪を見たよ。全く薔薇色だつた。そして、赤楊樹の影が靑かつたよ」
 私は彼女の眼の中に讀んだ。
「何故わたしも一しよに連れてつて下さらなかつたの?」
「ね」私は再び始めた。「おまへは露西亞の田舎へ入つたことがあるかね?」 
 彼女は答へた。「いいえ」
「そうか。春先になつて、野原には下萌えがして、森の中には待雪草が持つやうになつても、山峡にはまだ雪があるんだ。そりや妙だよ。白い雪に白い花だ。見たことがある?無い?珍らしい光景だつてことは想像が付くだらう?」
 彼はささやいた。「いいえ」
 そして私は、エレーナのことを考へてゐた。

  三月九日

 知事は衛兵と刑事の二重の警護の下に、昔からの家に住んでゐる。
 私達は五人の小さい仲間だ。フエドルとヴアニアとハインリヒとは橇屋に化けてゐる。彼等は 知事の動靜をうかゞつて私に知らせる。 エルナな藥品には手慣れてゐる。彼女は爆弾を製へる。
 私は室内に坐つて町の圖取りを調べてみる。私達の仕事をする道路の圖引きする。 私の彼の生活や日々の習慣を建て直して見る。思考の中で、私は彼の家の招待會に出席する。 私は彼と相携へて門の後の花園を散歩する。夜、彼に隠れて、彼が床に入る時に、彼と一緒にお歸りをする。
 今日、私は彼を瞥見した。私は通りで彼を待ち受けて、長い間凍てた人選を行つたりきたりしてみた。暗くなつて、寒さが烈しかつた。私はもう望を棄てやうとしてゐた時不意に、隅つこにゐた巡査監督が手袋を振つた。巡査共が緊張し、刑事が諸方へ走つた。死のやうな沈黙が街路に滿ち渡つた。
 一臺の馬車が疾走し去つた。馬は黒かつた。馭者は赤髯であつた。戸の曲つた把手、黄い輪止めが私の目に止つた。馬車の後に一臺の橇がぴつたり喰付いてゐた。
 目の前を余り迅く行き過ぎたので、彼の顔を見当てることが出来なかつた。彼も私を認めなかつた。彼によつては私は街路の一部分に過ぎなかつた。私は静かに踊りかけた。幸福に感じた。

  三月十日。

 彼のことを考へる時に、私は嫌悪又は忿怒を意識し無い。同時に、彼に対して何等のも感じ無い。一個人としては彼は私と無関係だ。然し私は彼の死ぬこ欲する。力は下らないものを打壊さんとする。私は言葉に信頼し無い。私は、私自身が奴隷であることを欲しないし、他の誰かが奴隷であることも欲しない。
 何故殺してはならないか?人殺しが何故に、成場合には是認され、他の場合又は非認される 人々は理由を見出す、然し私は、何故人は殺すことをしてはならぬかを知ら無い。これこれの名に於いて殺すことが正しいと考へられ、他の何かの名に於いて殺すことが誤つてゐるとは何故であるか、私は了解が出来ない。
 私は始めてに行つた時のことを記憶してゐる。刈り取られた畑は赤く、到るところに蜘蛛の巣がかかゝつて、森は靜かであつた。私は雨に叩かれた路の傍の森の端に立つてゐた。赤緑樹は、囁きを立て、黄葉が舞つてゐた。私は待つてゐた。 突然、草の中に掻きすやうな動きが起つた。小さい灰色の塊のやうな野兎が、茂みから飛出して來て、用心深く後足で蹲踞んだ。彼は邊はりを見廻した。私は震えなから銃を上げた。遠い森の中に反響が起り、青い煙が赤緑樹の中にボーと登つた。血で濡れた黑ずんだ草の上にいた野は悶え苦しみ、赤兒のやうに鼻を鳴して欷歔《すゝりな》いた。私は可哀そうに思つた。 二發目を放つた。悲鳴が止んだ。
 家に還へると私は、彼が存在してゐなかつたかのやうに、また彼からその最も大切なもの―生命―を奪つたことがなかつたかのやうに、彼のことはすつかり忘れて仕舞つた。そして 私は、私の享樂のために彼を殺したといふ事が、私にどんな感情も起さないのに、彼の悲む呼びを聞いた時に苦しく感じたのは何故であるかと、自ら訊いた。

  三月十三日

 エレーナは結婚してこに住んでゐる―彼女について私の知つてるのはそれだけだ。毎朝、 閑散な時に、私は彼女の家を見る爲めに並樹路を彷徨く。白い絨毛のやうに柔かだ。雪が足の下で音を立てる。 時計の鈍い音を聞く。十時だ。ベンチに腰を下して、氣長に時を數へる。私は自らいふ。
「昨日は彼女にはなかつたが、今日は食べるだらう」
 一年前に私は始めて彼女を見た。その春、私はNを還りがゝつて、朝大公園へ行つた。大地は濕つて、高い樹と細いボブラは、通りを詰めた沈默の中に、ほんやり立つてゐた。小鳥さへ啼かなかつた。たゞ小川の低いさやきがあつただけだつた。太陽がぶつぶつと流れる水の上に 輝いてゐた。君はその昔に聞入つてゐた。私が眼を上けた時に反對の側に一人の女を見た。彼女は私に氣が付かなかつた。私は、私が同じものに耳を傾けてゐたのだといふことを知つた。 その女はエレーナであつた。

  三月十四日

 私は私の室に坐つてゐる。上の部屋で誰かピヤノを弾いてゐる。かすかに聞くことが出来る。 足は柔かい絨氈の中に消えてゐる。
 私は革命家の不安な生活とその寂しさに慣れてゐる。私は私の未來のことを考へない、また知り度くも無い。私は過去を忘れやうとする。私は家もない、名も無い、家族も無い。 私は自分にいふ。
  黒い大きな眠りが
  私の生命の上に落つ、
  眠れ すべての望、
  眠れ すべての欲、
 希望は決して死な無い。何の希望?「曉の星」を得ることか?私はよく知つてゐる。私は昨日殺した、今日も殺そうと思ふ、明日も殺すことを續けて行くであらう。「而してして第三の天使は、河の上、泉の上に、その場を注き出し、それらは血となれり。」*汝は水で血を消すことは出來ない。火でそれを焼き盡すことは出來ない。墓に行くすべての道は血であらう。
  私はもう何もしない。
  私は記憶を減する
  美いことも悪いことも
  おゝ、哀れな歴史!
 キリストの復活を信じ、ラザロの復活を信する者は幸だ。社會主義を信じ、地上に来る可き天國を信ずる者は幸だ。こんな古臭い話は私には馬鹿々々しいだけだ。分配される十五エーカーの土地は私を誘惑し無い。私は自身に云つた、奴隷であることを欲しないと。 これが私の自由か?實際みぢめな自由だ!何故私はそれを追つてゐるのか?何の名に於いて、私は殺す爲めに出て行くのか?たゞ血の、一層多くの血の爲めにか?
  私は赤子だ
  白い片手は
  墓穴の洞に、
  沈默…沈默…**
 戸にノックがある。 エルナに違ひない。

[編集者注〕
*ヨハネ黙示録16-4
**ヴェルレーヌ「叡智」
フランス語原文は
Un grand sommeil noir
Tombe sur ma vie
Dormez, tout espoir,
Dormez, tout envie.

Je ne vois plus rien,
Je perds la mémoire
Du mal et du bien,
O, la triste historie !

Je suis un berceau,
Qu’une main bakance
Au crex d’un caveau
Silence, silence…

注記】本文および訳文の著作権は消失している。

読書ざんまいよせい(003)

◎ロープシン「蒼ざめたる馬」(青野季吉訳)

はじめに】
 OCRがいくら進歩しても、元の画像が一定程度以上劣化しては、テキストとして復元できない。特にスキャン型のソフトに付随するOCRでは、全く認識しないと言っても間違いではない。例えば、国立国会図書館にある公開ライブラリにある画像は、何回かの画像処理が施されているらしく、テキスト化は無理とあきらめていたが、手間はかかるが、iPad のアプリでなんとかテキスト化ができることが分った。前回、トロツキーの著作を重訳した青野季吉を紹介したが、同じ訳者の、ロープシン「蒼ざめたる馬」を、国会図書館のライブラリーからテキストとして公開する。手始めに青野季吉の「解題」から。以下、本文公開は遅々たる歩みになると思うが、根気よくお待ちいただきたい。

自由・文化叢書
第二篇
蒼ざめたる馬
ロープシン作
青野季吉譯
冬夏社
THE FREEDOM AND CIVILIZATION SERIES

解題

 ロープシンが、ケレンスキー内閣當時の内務大臣であつた、サヴヱチニコフの名である事は可成りに知られてゐる。「蒼い馬」はこの革命黨員の自傳的告白であつて、露西亞の西に逃れてゐて、戰時通信文を寄稿するジヤナリストであつた頃からロープシンは光彩ある人として注目されてゐた。「蒼い馬」は彼が文壇に出た最初の作であつて、同時に近代 露西文學中の傑作である。 メレデユコフスキーのこう批評した事もロープシンが内務大臣である程有名である。「近代の文學中これ程露西亞人の生活及び魂をよく描出したものは無い」。露西亞の傑作に現れてゐる中心が常にユートピア・フリーランドを渇望し。時に は全くの空想である事を追求するやうな人間、並に生活であつて一九一八年の露西亞革命はこの精神的生活からの産物である事は極めて自然な合理的な解決とされてゐる。ロープシンが自個の生活の告白として描いた「蒼い馬」の人間もその通り「ユートピア・フリーンド」にしてゐる、リアリスチックアイデアリストである。ローブシンが「二つの途」と云つてゐる言葉並に革命黨員が古い虚無主義者のやうなローマンチックな因襲的な氣持よりも、アイデアリスチックな氣持で働いてゐる生活は露西亞にしか見られい型の人々で、ドストエフスキーの主人公とよく似た性情を持つてゐる。革命は人を殺し乍ら、神を信ずる事を論じ、政治的實際運動に従ふと共に、それと等しい熱情を以つて宗教信仰の問題を考へてゐる。こうした露西亜人らしい最もい型の人間が「蒼い馬」には最も心 理的に描寫されてゐる、 それと共にこの露西亞人の持つてゐる問題は吾々にも在り、近代生活の何にも潜んでゐる問題であるに於て、「蒼い馬」は直ちに版を重ねていゝ價値 をもつてゐる。そうしてそうい型の人間の最も純な人々によって成立つてゐる革命黨員 と共に生活した實際記録であるだけに力強く「文學以上」であるといつてもいゝ。 ロープシンはその後に「what never happened」を書いたがそれも「蒼い馬」と同様の人々な一九〇五年のモスクワ騒動を背景として描いてゐる。本篇の姉妹篇として續刊するであらう。

【参考】
Wikipedia ボリス・サヴィンコフ 筆名 ロープシン

 この、ボリス・サヴィンコフに降り掛かった同じような悲劇が、今日《こんにち》のロシアでも起こってしまった、痛ましいい限りである