◎巖窟王(上 001)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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明治38年発行の芙蓉堂版の黒岩涙香「史外史伝 巌窟王」第1巻の梶田半古による木版口絵
2003年 12月 28日 初配布
2004年 10月 11日 34~61章追加
2025年 5月11日 文字コードを Unicode に変更など
ゼファー生(mitsu@nishinari.or.jp)
【はじめに】
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)衣嚢《かくし》
~, ~゛: 踊り字
複数文字の繰り返しを意味する。
(例)おの~=おのおの。こと~゛く=ことごとく。
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巖窟王 : 目次
アレクサンドル・デュマ (Alexandre Dumas, 1802-1870) 著、黒岩涙香 (1862-1920) 譯、史外史傳 巖窟王 — モンテ・クリスト伯 — (Le Comte de Monte-Cristo, 1844-45)。
出版社:愛翆書房。上卷:昭和二十三年十一月十日印刷,十一月十五日發行,定價百八十圓。下卷:昭和二十四年三月十日印刷,三月十五日發行,定價二百圓。
史外史傳 巖窟王
アレクサンドル・デュマ 著
黒岩涙香 譯
目次
-目次
-前置
-上卷 主要人物
-一 團友太郎と段倉
-二 お露は情婦ではありません許婚です
-三 父と子、類は友
-四 お露と次郎
-五 次郎は青くなつた
-六 幾等でも奧の手を
-七 筆と紙、筆と紙
-八 婚禮の饗宴
-九 何時までの分れ
-一〇 蛭峰檢事補と米良田禮子
-一一 宛名は誰れ
-一二 危い處、危い處
-一三 人間の日 照らぬ所
-一四 梁谷法師
-一五 國王陛下へ宛て
-一六 出世と云ふ一語
-一七 國王の御前
-一八 青天の霹靂
-一九 天運か天道か
-二〇 顏中に黒い頬髭
-二一 其顏を此窓から
-二二 一種の優形紳士
-二三 百日間
-二四 監獄巡視
-二五 二人の囚人
-二六 例の五百萬圓
-二七 此外の處分なし
-二八 卅四號、廿七號
-二九 怨に相當の復讐
-三〇 自殺、自殺
-三一 例の物音
-三二 誰だ、誰だ
-三三 穴の向ふと此方とで
-三四 其穴から頭を
-三五 己は伊國の法師梁谷だ
-三六 何の樣な時節
-三七 教師と弟子
-三八 誰を怨めば好いでせう
-三九 脱獄の再擧
-四〇 藥を、藥を
-四一 恩を返す道
-四二 金貨にて凡そ二……
-四三 扨て其大金
-四四 一枚の白紙
-四五 天の口、天の手
-四六 第三囘の發病
-四七 恐ろしい新思案
-四八 袋の中
-四九 監獄の墓地
-五〇 一天墨の如く
-五一 チブレン島
-五二 我姿を鏡に寫した
-五三 時が來た
-五四 モンテ、クリスト島
-五五 巖窟
-五六 巖窟の祕密
-五七 一廉の紳士と爲つて
-五八 戀しい消息
-五九 印度邊の豪族
-六〇 竒癖の人
-六一 贈り物
-六二 暮内法師
-六三 赤い皮の財布
-六四 不正直のお蔭
-六五 野西子爵
-六六 嬉しいだらう
-六七 尋常の法師では
-六八 イヽエ即金で
-六九 其代りにお願が
-七〇 其れ程能く見破る事が
-七一 森江商會
-七二 無論金件です
-七三 一艘の帆前船
-七四 漏水が初まりました
-七五 海の雇人
-七六 船乘新八
-七七 神さへ見捨てた
-七八 一通の手紙を差出した
-七九 此の短銃を何う成さる
-八〇 一挺は私が用ひます
-八一 不思議
-八二 天の意
-八三 嗚呼無人島
-八四 此島に大變な豪い人が
-八五 昔話の境遇
-八六 心の誓ひ
-八七 不老不死の靈液
-八八 望遠鏡
-八九 鬼小僧
-九〇 猿の樣に身輕く傳ふて
-九一 正直者か
-九二 初めて怪物の顏を
-九三 明朝の九時を以て
-九四 巖窟島伯爵
-九五 意の如くする積です
-九六 辛い修業
-九七 立派な彿國語
-九八 何處に隱れて了つたか
-九九 山賊の陷穽
-一〇〇 捕はれて居るのは何處
-一〇一 土牢と云ふ言葉に
-一〇二 サンサバシヤンの山洞
-一〇三 伯爵の巴里乘込
-一〇四 五月廿一日
-一〇五 森江大尉は此人です
-一〇六 三個の碧精
-一〇七 人を驚かす人
-一〇八 金の捨て所
-一〇九 嗚呼何の樣な對面
-一一〇 戀か恨か
-一一一 子爵夫人露子
-一一二 窓から誰か
-一一三 田舍の別莊
-一一四 古い祕密が
-一一五 此梯子は人殺しの
-一一六 コルシカ人の仇討
-一一七 其箱を深く埋め
-一一八 美しい男の子
-一一九 衣嚢《かくし》に小犬
-一二〇 血の雨
-一二一 神の言葉
-一二二 鼻でも切つて
-一二三 其樣な僅な金高
-一二四 美しい栃色
-一二五 大手腕
-一二六 其んな恐しい毒藥が
-一二七 世界の人
-一二八 神の法律
-一二九 一種の宣告
-一三〇 鞆繪
-一三一 此財布が忘れられやうか
-一三二 柳田卿とは誰
巖窟王 : 前置
世に英雄は多いけれど拿翁《なぽれおん》の樣な其の出世の花々しい英雄は又と無い。爾《さう》して其亡び方の異樣に物凄い英雄も亦と無い。
彼は實に、第十九世紀の首途《かどで》に花を飾つた人である、第十九世紀と云ふ大舞臺に大活劇の幕を開いたのが彼だ。
彼は千七百六十九年に、殆《ほとん》ど人の振返つて見さへせぬ、地中海の小島に生れて、三十の歳には早や全 彿國《ふらんす》を足下に踏まえる大將で有つた、十九世紀の幕の開いた千八百〇一年には、既に議政官の長と爲つて、國王の無い國に國王と同じ身分に爲つて居た。
猛りに猛つた民權論の眞盛りに、革命の眞只中に出て直ぐに其の民權論を蹂躙し、殆ど全國民の生殺與奪の權を一手に握るとは何たる怪物だらう、彼が其國の歴史に例の無い「皇帝」と云ふ尊號を得たのが、彼の卅六歳の年、即ち千八百〇四年で、民權も革命も總て彼の前にお辭宜《じぎ》した、此時に當つてや彼は佛國の皇帝たるのみね無く、全歐洲の王である、殆ど人間の閻魔大王とも爲つて居た。日耳曼《ぜるまん》も、西班《すぺいん》も、阿蘭陀《おらんだ》も、墺太利《おうすとりい》も、皆彼の配下に立ち、北方の強と云ふ可き露西亞《ろしあ》までも彼の鼻息の下《もと》に慴伏《せふふく》して居た。海を隔てた英國《いぎりす》より外には彼の意の儘に成らぬは無かつた、歴史家が此時の彼を指して「空前の大野心の空前の大成功」と云つたのは無理は無い、實に空前のみならず絶後の大成功である。
自分の兄弟三人を、サツサと諸國の王に取立て、尚ほ不足する所は手下の軍人で補つた、亂暴は亂暴であるが「國王製造者」と云ふ無類の異名を得たのは千古の竒觀と云ふ可しだ、全く隨意に國王を製造して居たのだ、大抵の國で野心家の野心と云へば、小さいのは獵官ぐらゐ、大きいとても總理大臣と云ふには過ぎぬ、此人逹に比ぶれば、何たる懸隔、雲泥などゝ云ふ言葉では追着かぬ、兵隊を議場に入れ喇叭の聲で議員の怒聲を埋めて置いて、一蹶して國家の長と爲り、再蹶して皇帝と爲り、三蹶して皇帝の上の皇帝と爲つた。
爾《さう》して其の四蹶目が面白い、自分の生れたコルシカ島から遠くも無いエルバ島へ、皇帝と云ふ尊號を持つたまゝ流されて蜑戸《あま》の焚く火の侘寢《わびね》に夢を照される人とは爲つた。
けれど四蹶には終らぬ、五蹶してエルバ島を脱するや備への嚴重なグレノブルの關所を單身で越えんとして番兵の前に立ち「防禦の武噐の無き皇帝を、汝射殺すて功名するは今ぞ」と告げた、膽力天地を呑むとは此事だらう、番兵が彼の膝に、彼の足に、縋《すが》り附いたも宜《うべ》である、佛國全土の民は箪食《たんし》、壺漿《こしやう》せぬばかりに歡迎したのも宜《うべ》である、新王 路易《るい》十八世が一夜の中に夜逃げしたのも亦 宜《うべ》である。
是れと云ふのも畢竟は、天が此の逞しい俳優をして大詰の一幕ウヲーターローの敗軍から、英國の軍艦で、セントヘレナの孤島に流さるゝ英雄の末路を演じさせ「私慾より上に脱せざる人には永久の成功無し」と云ふ大なる教訓を遺《のこ》さんが爲で有つたのであらう、彼は多くの英雄豪傑と同じく、偶然の人間では無い、天意の道具に使はれた特製の圖面である。
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茲《こゝ》に説き出す巖窟王の實談は、此の拿翁《なぽれおん》の話では無い、全く別の人、別の事柄であるけれど、拿翁《なぽれおん》と少からぬ關係がある、此話の始まるのが、丁度 拿翁《なぽれおん》がエルバ島を脱した千八百十五年二月廿九日の事で、此實談の主人公が、其島へ立寄つて拿翁《なぽれおん》に聲を掛けられて來た時からの話である。
而も此人や彼と同じく、亦偶然の人間では無く、天の意を圖解する天の道具かと怪しまれるのだ、拿翁《なぽれおん》が歴史の表面に活動する間に、此人は暗黒なる裏面に人間界の鬼の樣に働いて居た、爾《さう》して其一身の波瀾、其の閲歴と事功との光怪、殆ど拿翁《なぽれおん》と對す可き程の者で而も人物の天性、醇の醇なることに至つては、彼れ翁輩《をうばい》と比す可きで無い、唯翁は野心的に進み、此人は人情的に進んだ丈《だ》けに、翁は知られ、此人は隱れ、翁は輝き、此人は曇り、從つて舞臺も演劇も全く違つて居る、彼の人は雷の如く陽氣にして此人は地震の如く沈痛である。
唯だ發端の話頭《わとう》、聊《いさゝ》か翁がエルバ島を脱する時の事件と關聯する所が有つて、彼を知らねば之を解するの不便なるが爲めに、愈々《いよ~》話に入らうとする前に斯くは記して置くのである。
史外史傳「巖窟王」其の巖窟とてもエルバや、コルシカと同じ地中海の一島で又遠くは離れて居ぬ、舞臺とは、西洋から指して東洋と云ふ土耳古《とるこ》邊《へん》より伊國《いたりや》を經て佛國の中心歸して居る、或人は之れを「神侠傳」と云ひ或人は「復讐竒談」と云ひ、譯者は之を「巖窟王」と云ふ、孰《いづ》れの名も此人の一端を寫したに過ぎぬ、全體を讀終れば適當な概念が自ら讀者の胸に浮ぶであらう。
譯 者 識
巖窟王 : 上卷 主要人物
團《だん》友太郎《ともたらう》(エドモン・ダンテス)
數竒の運命とたゝかひぬく本篇の主人公。後の巖窟島伯爵(モンテ・クリスト伯)。
お露《つゆ》(メルセデス)
友太郎の許嫁、友太郎の入獄中次郎の妻となる。
次郎《じらう》(フエルナン)
スペイン村の漁師、後西班牙戰爭の功あつて野西子爵(モルセール子爵)となる。
野西《のにし》武之助《たけのすけ》(アルベール・ド・モルセール)
次郎とお露の間に生れた息子、若き子爵。
段倉《だんぐら》 喜平次《きへいじ》(ダングラール)
森江氏持船巴丸(フアラオン丸)の會計主任。後次郎と共に西班牙戰爭で巨利を博し大銀行家となり男爵を贖ふ。
蛭峰《ひるみね》重輔《しげすけ》(ヴイルフオール)
野々内彈正の息子で若き檢事補。父とは反對に熱心な王黨の支持者、後の檢事總長。
梁谷《はりや》法師(フアリヤ法師)
友太郎が獄中にて會える博學多才なイタリヤの司祭。友太郎生涯の恩師であり又恩人。
森江《もりえ》良造《りやうざう》(モレル)
マルセーユの船主、友太郎の主人にして又恩人。
森江《もりえ》眞太郎《しんたらう》(マクシミリヤン・モレル)
森江氏の長男で陸軍々人。
野々内《ののうち》彈正《だんじやう》(ノワルテイエ)
蛭峰の實父にてナポレオン黨の有力な鬪士。
粕場《かすば》毛太郎次《けたらうじ》(カドルツス)
友太郎の友人にてマルセーユの仕立屋、後に旅籠屋の主人。
巖窟王 : 一 團友太郎と段倉
拿翁《なぽれおん》がエルバの島に流されて早十ヶ月ほどを經た千八百十五年二月廿四日である、地中海の東岸から丁度そのエルバ島の附近を經て彿國《ふらんす》の港、馬耳塞《まるせーゆ》へ巴丸と云ふ帆前船が入つて來た。
是は此の土地で餘ほどの信用ある森江商店の主人森江氏の持船であるので、波止場に居合す人々が、立つてその近寄る状《さま》を見てゐると、既に港の口を入つてゐるのに何故か岸の傍《そば》へ來るのが遲い、何か船中に間違があつたに違ひないとの心配が言はず語らず人々の胸に滿ちた。
けれど船其ものに故障が出來たとは見受けられぬ、船は無事に前、中、後、三本の柱に帆を上げ、舳《みよし》には水先案内の傍に年十九か廿歳《はたち》ばかりの勇ましい一少年が立つて、殆ど船長かと見ゆる程の熟練を以て介々しく水夫等を差圖してゐる、それだのに何と無く尋常《たゞ》ならぬ所がある。
陸にゐた人々の中、一人は、最早氣遣はしさうに、空しく待つてはゐられぬと云ふ風で手早く岸の小船に飛び乘り、自分で漕いでその傍《かたはら》まで漕付けた、是れは此の巴丸の持主森江氏である、漕付けて上に居る彼の少年に聲を掛け、「マア團君か、何うしたんだ、船中總體が、何だか陰氣に鬱《ふさ》ぎ込んでゐる樣に見えるが — 」團と呼ばれた彼の少年は主人への敬禮に帽子を脱ぎ「オゝ森江さんですか誠に不幸な事が出來ました、船長 呉《くれ》氏が伊國《いたりや》沖で死なれました」船主森江は「シテ積荷は、積み荷は」團少年「それだけは御安心です、荷物は仔細ありませんけれど傷ましい呉船長は — 」森江「誤つて海にでも落ちたのか」團「イイエ急な腦膜炎で死なれました」いひつゝも少年は水夫を顧みて帆の事から錨の事にまで差圖を與ふるは、船長の死んだ爲め自分自身が差圖の役だけは勤めて居ねばならぬ爲であらう、差圖が濟むと又持主の方に向ひ「伊國《いたりや》の港を出るとき船長は港係の長官と長い間熱心に何かお話でしたが、其からといふものは甚く心配の御容子で、間もなく今申す腦膜炎と爲り、三日三夜苦しみ通して終《つひ》に最期を遂げられました。其 亡骸《なきがら》はギグリヨ島の影へ式《かた》の通り水葬しまして、勳章と劍だけを奧さんへ屆ける爲め吾々が持つて來ました、ホンに十年間も英國との戰爭に從事した人だと云ふに惜い事を致しました」森江氏は慰めて「嘆くな友太郎、誰だつて一度は死なねばならぬエゝ年取つた者が死なねば若い者が出世出來ぬ」言葉の中には暗に船長に取立てて遣るとの意が見えて居る。に尤も無理は無い所であるあ。
斯《かゝ》る中ににも此少年團友太郎が水夫を指揮する樣を見るに、規律が能く立つて宛《あたか》も自分の指を使ふ樣に自在である、森江氏「先《まづ》荷物に障《さは》りが無ければ」團友太郎「ハイ荷物の事は何うか荷物取締の段倉君からお聞下さい、今度の一航海は餘ほど儲かつたと云ふ事ですから」云ひつゝ船舷《ふなべり》に繩を卸せば森江氏は水夫も及ばぬほど巧に之を攀ぢ、直に甲板に上つて來た、そして團少年が猶も急がしく指圖してゐる間に茲《こゝ》へ出て來た荷物係の段倉といふ男に對《むか》つた。
段倉は團友太郎より年が五六歳も上であらうか眼《まなこ》に油斷の爲らぬ光のあるは何だかゴロ猫の樣に見え、何から何まで團とは大違ひである。團が水夫等に敬はれ愛せられてゐるのと同じ割合に段倉は憎まれ嫌はれてゐる、けれど主人の信用を得てゐることは團と似寄つたものと見える、森江氏「聞けば段倉君、呉船長が死んだ相だが」段倉は目下へ向つて非常に嚴しいと共に上に向つては非常に鄭重だ、先《まづ》聲から柔げて掛かり「ハイ何うも早お氣の毒に堪へません、森江商店の樣な大信用ある商社の船を管《あづか》るにはアノ樣な老練な方でなければ」と早團少年が船長に取立てられはせぬかと、主人の顏色を讀取つて嫉ましさに豫防してゐる、豫防と見せずに豫防するのが段倉の段倉たる所である、森江氏「ナニ船を管《あづか》ることは、友太郎は、慣れたものではないか」といひゝ團少年の方を見返れば、段倉は目に又も羨ましさの光を現はし「ハイ自分では一廉《ひとかど》出來る積でゐる樣です、少年と云ふ者は兎角自信に強い者で、船長が亡くなられると直に、誰にも相談せずに、自分が指圖役になつた所などは感心な者ですよ」何だか言葉の中に毒がある、其毒を甘い蜜の樣に聞かせるのだ、森江「勿論友太郎は船長の手助けに乘つてゐるのだから、船長の跡を取敢ず引受けるのがその義務といふもの、誰にも相談する必要はないのぢや」段倉「ハイそれは爾《さう》でせうとも、けれど其のお蔭で、エルバ島の所で船を一日後らせて了ひました」
エルバ島とは耳に着く言葉である、不斷なら何でもないが、時が時だけ耳に着くのだ、今に此島から天地も覆へる程の風雲が起りはせぬかと誰も氣にしてゐる所である、果して森江氏が耳を聳《そばだ》てた、「エ、彼のエルバ島で船を一日、何處か船體に損所でも出來て」段倉は得たりと「ナニ損所が出來ますものか、唯自分で上陸して見たいといふ詰らぬ望みの外には何の原因もないのです」是は船主としては聞捨難い所である、船の指圖を引受けた者が自分の慰みに一日の航路を後らせる法は無い、森江氏は友太郎の方に向ひ「團君、團君」と呼び立てた。
團少年は指圖の最中である、振向いて「少しお待ち下さい」といつた儘水先案内に力を合はせ水夫に錨を卸させてゐる、段倉は最《も》う主人の顏色を見て「我事成れり」と思つた樣子で荷倉の方へ引込んだ、其後へ、暫くして團少年は來た「何か御用事ですか」森江氏「用事とて、實はエルバ島へ一日船を着けてゐた仔細を聞き度いのだ」團少年は澱みもせずに「ハイ呉船長の遺言を果す爲でした、船長が死に際に、何だか小包物を私へ渡し、之をエルバ島にゐるベルトラン將軍に渡して呉れといはれました」呉船長は拿翁《なぽれおん》の下《もと》に戰つた人であるから、無論其黨派である、ベルトラン將軍とも何か氣脈を通じてゐたに違ひ無い、斯かる人を船長に雇ふて置く森江氏とても實は心を拿翁《なぽれおん》の方へ寄せてゐる人だから、此の返事を聞いて忽ち顏が晴渡つた樣である「シテ將軍に逢つたのか」友太郎「逢つて手渡し致しました」森江氏は邊《あた》りを見廻はしズツと聲を潛めて「皇帝には拜謁せなんだのか」皇帝とは無論 拿翁《なぽれおん》の事である、友太郎「ハイ私が將軍と逢つてゐる其 室《へや》へ突々《づか~》と皇帝がお出に成まして」森江氏「其ぢやお前は、皇帝と直々《ぢき~》にお話もしたのだな」