中井正一「土曜日」巻頭言(18)

◎なげやりな気持ちが人間を空虚にする 一九三七年九月二十日


 世情が騒然としているとき、ゆるがせにできないことは、魂が浮きあがって、足埸を失いかけてはいないかと靜かにみずからに問いかけてみることだ。
 ある浪曼派の有名な文学者が出征したとき、その友のМ氏は彼のことを書いていて、「彼は電報片手に闇の道を歩いてゆきながら、頻りに、これで助かった、うまく締めくくりがついたと繰り返していった。それほど最近彼は破綻と行きづまりのどん底に落ちこんでいた」(日本浪曼派』九月号)といっている。
 どんなことをし、どんなことをいっていたにもせよ、すべての行動が、こんなやけ半分の気分でおこなわれているのでは、それは、どうかと思われる。
 この世の騒がしさは、批判とか、悩みとかを越えて、厳粛な事実である。一人一人の具体的な爽かな対策が必要である。それがもたらす不幸を最少にし、それがもたらす積極的なるものを最大にするために、健康に、敏速に努力すべきである。
 そのためには正しい見透しと、正しい知識と、ゆるがない信念とが必要である。魂の静けさが必要である。
 それがいくら困難でも、無理でも、この静けさは獲得しなければならない必要なものである。努力と訓練のみがそれを得ることを許すのである。
 今自分は何をなすべきか、そして、何をなしたら、内からの、モ—ターがうなり出したような安心な、世の騒がしさを蓋うだけの力強い気持ちがもてるか、それを具体的に探し求めなければならない。人々のかかる場合の任務は多い。戦争に行ったつもりですれば、いくらでもできるはずだ。ただぼんやり悩んだり、雑談したりしていることが一等人間を空虚にする。
 事実が、真剣な、厳粛なものであるかぎり、放語的なものに終わる批判はむしろ危険である。それは自分のみならず、人々をも単なる空虚な、なげやりな人間に導く危険がある。
 スピノザはいった「平和とは、争いがないことをのみいうのではない。それは、強い魂の持ち主が味わう徳である」。

読書ざんまいよせい(057)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(06)

    第六章 社會黨の運動

〇日く 一切生產機關の公有、日く富財の公平なる分配、日く階級制度の廢絕、日く協同的社會の組織、之が實行や洵に一大社會的革命也。然らば則ち社會黨は革命黨なる乎、其運動は革命的運動なる乎。曰く然り。
〇然れども怯懦の貴族よ、小心の富豪よ、輕躁の有司よ、乞ふ恐るゝ勿れ。今の社會黨は漫に爆彈を公等の馬車に投ぜんとするの者に非ざる也、敢て鮮血を公等邸第に蹀《ふ》まんとする者に非ざる也、但だ公等と俱に與に大革命の德澤に沐浴せんと欲するのみ、恩惠に光被せんと欲するのみ。
〇思へ古今何の時か革命なからん、世界何の邦か革命なからん、社會の歷史は革命の記錄也、人類の進步は革命の功果也。試みに思へ、當年の英國、クロムエルの起つに會はず、當年の米國獨立を宣するを得ず、佛國の民、共和の制を建つる能はず、日耳曼《ゼルマン》諸州聯合の業成らず、伊太利統ーせらるゝを見ず、日本維新の中興なかりしとせば、世界人類は今や果して何の狀を為すべぎ乎、現時の文明は果して何の處にか見るべき乎。革命を恐怖する者よ、現時公等が謳歌せる文明と進步とは、實に過去幾多の大革命が公等に賚賜《らいし》せる所に非ずや。
〇社會の狀態が常に代謝して已まざるは、猶ほ生物の組織の進化して已まざるが如し。而して其進化や代謝や若しーたび休せるの時は、其生物や社會や卽ち絕滅あるのみ。永久の生命は必ず暗喑裡に進化す、決して常住を許さヾる也、社會の狀態は必ず冥々の間に代謝す、決して不變を許さゞる也。而して這の喑冥なる進化代謝の過程《プロセッス》に於て、每に明白に其大段落を割し、新紀元を宣言する者、則ち革命に非ずや。之を譬ふるに歷史は一連の珠敷に似たり、平時の進化代謝は其小珠也、革命は其數取りの大珠也、進化代謝の連續なると同時に革命の連續たる也。
〇ラッサルは日く『革命は新時代の產婆也』と。此語未だし也、予は將に日はんとす、革命は產婆に非ずして、分娩其物也と、何となれば是れ偶然の出來事に非ずして、實に進化的過程の必然の結果なれば也。而して舊時代老いて新時代を生み、新時代の長ずるや、更に他の新時代を生む、皆な革命に依らざるは無し。何ぞ彼の子々孫々の迭《かたみ》に分娩して百世窮極する所なきと異ならんや。
〇但だ分娩に難易あるが如く、革命にも亦難易なきを得ず。分娩が時に母體を切開するの要あるが如く、革命も時に暴動を現ずるの已むなきに至るあり。而も是れ決して希ふ可きのことに非ざるや論なし。
〇故に母體の組織發達の如何を診し、之が健康を保ちて以て其分娩を容易ならしめんと期するは、產科醫及び產婆の職務也、社會の組織狀態の如何を察し、進化の大勢を利導して以て平和の革命を成さんと希ふは、革命家の識慮也。而して今の社會黨や實に這個社會的產婆產科醫を以て、 自ら任とする者に非ずや。
〇夫れ然り、革命は天也、人力に非ざる也。利導す可き也、製造す可きに非ざる也。其來るや人之を如何ともするなく、其去るや人之を如何ともするなし。而して吾人人類が其進步發達を休止せざるを希ふの間は、之を恐怖し嫌忌すと雖も決して之を避く可らず、唯だ之を利導し助成し、以て其成功の容易に且つ平和ならんことを期すべきのみ。社會黨の事業や、唯だ如此きを要す、曷んぞ漫に殺人叛亂を以て、平地に波を揚げて快する者ならんや。

読書ざんまいよせい(056)

◎巖窟王(上 001)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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2003年 12月 28日 初配布
2004年 10月 11日 34~61章追加
2025年 5月11日 文字コードを Unicode に変更など
ゼファー生(mitsu@nishinari.or.jp)

【はじめに】
このファイルは、ソースが存在しているサイトの、html や、テキストそのままを、ルビなど「青空文庫形式」にできるだけ近づけて改編し、また、Unicode 化したものです。
【リソースサイト】
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【著作権表示】
私訳のテキスト
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著作権が切れたテキスト
(中略)著作権が切れたテキストは、自由に配布していただいてかまいません。ただし誤植チェックに関してはまだ不十分です
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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)衣嚢《かくし》

~, ~゛: 踊り字
複数文字の繰り返しを意味する。
(例)おの~=おのおの。こと~゛く=ことごとく。

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巖窟王 : 目次

アレクサンドル・デュマ (Alexandre Dumas, 1802-1870) 著、黒岩涙香 (1862-1920) 譯、史外史傳 巖窟王 — モンテ・クリスト伯 — (Le Comte de Monte-Cristo, 1844-45)。
出版社:愛翆書房。上卷:昭和二十三年十一月十日印刷,十一月十五日發行,定價百八十圓。下卷:昭和二十四年三月十日印刷,三月十五日發行,定價二百圓。
史外史傳 巖窟王
アレクサンドル・デュマ 著
黒岩涙香 譯
目次

-目次
-前置
-上卷 主要人物
-一 團友太郎と段倉
-二 お露は情婦ではありません許婚です
-三 父と子、類は友
-四 お露と次郎
-五 次郎は青くなつた
-六 幾等でも奧の手を
-七 筆と紙、筆と紙
-八 婚禮の饗宴
-九 何時までの分れ
-一〇 蛭峰檢事補と米良田禮子
-一一 宛名は誰れ
-一二 危い處、危い處
-一三 人間の日 照らぬ所
-一四 梁谷法師
-一五 國王陛下へ宛て
-一六 出世と云ふ一語
-一七 國王の御前
-一八 青天の霹靂
-一九 天運か天道か
-二〇 顏中に黒い頬髭
-二一 其顏を此窓から
-二二 一種の優形紳士
-二三 百日間
-二四 監獄巡視
-二五 二人の囚人
-二六 例の五百萬圓
-二七 此外の處分なし
-二八 卅四號、廿七號
-二九 怨に相當の復讐
-三〇 自殺、自殺
-三一 例の物音
-三二 誰だ、誰だ
-三三 穴の向ふと此方とで
-三四 其穴から頭を
-三五 己は伊國の法師梁谷だ
-三六 何の樣な時節
-三七 教師と弟子
-三八 誰を怨めば好いでせう
-三九 脱獄の再擧
-四〇 藥を、藥を
-四一 恩を返す道
-四二 金貨にて凡そ二……
-四三 扨て其大金
-四四 一枚の白紙
-四五 天の口、天の手
-四六 第三囘の發病
-四七 恐ろしい新思案
-四八 袋の中
-四九 監獄の墓地
-五〇 一天墨の如く
-五一 チブレン島
-五二 我姿を鏡に寫した
-五三 時が來た
-五四 モンテ、クリスト島
-五五 巖窟
-五六 巖窟の祕密
-五七 一廉の紳士と爲つて
-五八 戀しい消息
-五九 印度邊の豪族
-六〇 竒癖の人
-六一 贈り物
-六二 暮内法師
-六三 赤い皮の財布
-六四 不正直のお蔭
-六五 野西子爵
-六六 嬉しいだらう
-六七 尋常の法師では
-六八 イヽエ即金で
-六九 其代りにお願が
-七〇 其れ程能く見破る事が
-七一 森江商會
-七二 無論金件です
-七三 一艘の帆前船
-七四 漏水が初まりました
-七五 海の雇人
-七六 船乘新八
-七七 神さへ見捨てた
-七八 一通の手紙を差出した
-七九 此の短銃を何う成さる
-八〇 一挺は私が用ひます
-八一 不思議
-八二 天の意
-八三 嗚呼無人島
-八四 此島に大變な豪い人が
-八五 昔話の境遇
-八六 心の誓ひ
-八七 不老不死の靈液
-八八 望遠鏡
-八九 鬼小僧
-九〇 猿の樣に身輕く傳ふて
-九一 正直者か
-九二 初めて怪物の顏を
-九三 明朝の九時を以て
-九四 巖窟島伯爵
-九五 意の如くする積です
-九六 辛い修業
-九七 立派な彿國語
-九八 何處に隱れて了つたか
-九九 山賊の陷穽
-一〇〇 捕はれて居るのは何處
-一〇一 土牢と云ふ言葉に
-一〇二 サンサバシヤンの山洞
-一〇三 伯爵の巴里乘込
-一〇四 五月廿一日
-一〇五 森江大尉は此人です
-一〇六 三個の碧精
-一〇七 人を驚かす人
-一〇八 金の捨て所
-一〇九 嗚呼何の樣な對面
-一一〇 戀か恨か
-一一一 子爵夫人露子
-一一二 窓から誰か
-一一三 田舍の別莊
-一一四 古い祕密が
-一一五 此梯子は人殺しの
-一一六 コルシカ人の仇討
-一一七 其箱を深く埋め
-一一八 美しい男の子
-一一九 衣嚢《かくし》に小犬
-一二〇 血の雨
-一二一 神の言葉
-一二二 鼻でも切つて
-一二三 其樣な僅な金高
-一二四 美しい栃色
-一二五 大手腕
-一二六 其んな恐しい毒藥が
-一二七 世界の人
-一二八 神の法律
-一二九 一種の宣告
-一三〇 鞆繪
-一三一 此財布が忘れられやうか
-一三二 柳田卿とは誰

巖窟王 : 前置

世に英雄は多いけれど拿翁《なぽれおん》の樣な其の出世の花々しい英雄は又と無い。爾《さう》して其亡び方の異樣に物凄い英雄も亦と無い。

彼は實に、第十九世紀の首途《かどで》に花を飾つた人である、第十九世紀と云ふ大舞臺に大活劇の幕を開いたのが彼だ。

彼は千七百六十九年に、殆《ほとん》ど人の振返つて見さへせぬ、地中海の小島に生れて、三十の歳には早や全 彿國《ふらんす》を足下に踏まえる大將で有つた、十九世紀の幕の開いた千八百〇一年には、既に議政官の長と爲つて、國王の無い國に國王と同じ身分に爲つて居た。

猛りに猛つた民權論の眞盛りに、革命の眞只中に出て直ぐに其の民權論を蹂躙し、殆ど全國民の生殺與奪の權を一手に握るとは何たる怪物だらう、彼が其國の歴史に例の無い「皇帝」と云ふ尊號を得たのが、彼の卅六歳の年、即ち千八百〇四年で、民權も革命も總て彼の前にお辭宜《じぎ》した、此時に當つてや彼は佛國の皇帝たるのみね無く、全歐洲の王である、殆ど人間の閻魔大王とも爲つて居た。日耳曼《ぜるまん》も、西班《すぺいん》も、阿蘭陀《おらんだ》も、墺太利《おうすとりい》も、皆彼の配下に立ち、北方の強と云ふ可き露西亞《ろしあ》までも彼の鼻息の下《もと》に慴伏《せふふく》して居た。海を隔てた英國《いぎりす》より外には彼の意の儘に成らぬは無かつた、歴史家が此時の彼を指して「空前の大野心の空前の大成功」と云つたのは無理は無い、實に空前のみならず絶後の大成功である。

自分の兄弟三人を、サツサと諸國の王に取立て、尚ほ不足する所は手下の軍人で補つた、亂暴は亂暴であるが「國王製造者」と云ふ無類の異名を得たのは千古の竒觀と云ふ可しだ、全く隨意に國王を製造して居たのだ、大抵の國で野心家の野心と云へば、小さいのは獵官ぐらゐ、大きいとても總理大臣と云ふには過ぎぬ、此人逹に比ぶれば、何たる懸隔、雲泥などゝ云ふ言葉では追着かぬ、兵隊を議場に入れ喇叭の聲で議員の怒聲を埋めて置いて、一蹶して國家の長と爲り、再蹶して皇帝と爲り、三蹶して皇帝の上の皇帝と爲つた。

爾《さう》して其の四蹶目が面白い、自分の生れたコルシカ島から遠くも無いエルバ島へ、皇帝と云ふ尊號を持つたまゝ流されて蜑戸《あま》の焚く火の侘寢《わびね》に夢を照される人とは爲つた。

けれど四蹶には終らぬ、五蹶してエルバ島を脱するや備への嚴重なグレノブルの關所を單身で越えんとして番兵の前に立ち「防禦の武噐の無き皇帝を、汝射殺すて功名するは今ぞ」と告げた、膽力天地を呑むとは此事だらう、番兵が彼の膝に、彼の足に、縋《すが》り附いたも宜《うべ》である、佛國全土の民は箪食《たんし》、壺漿《こしやう》せぬばかりに歡迎したのも宜《うべ》である、新王 路易《るい》十八世が一夜の中に夜逃げしたのも亦 宜《うべ》である。

是れと云ふのも畢竟は、天が此の逞しい俳優をして大詰の一幕ウヲーターローの敗軍から、英國の軍艦で、セントヘレナの孤島に流さるゝ英雄の末路を演じさせ「私慾より上に脱せざる人には永久の成功無し」と云ふ大なる教訓を遺《のこ》さんが爲で有つたのであらう、彼は多くの英雄豪傑と同じく、偶然の人間では無い、天意の道具に使はれた特製の圖面である。

-    -    -    -    -    -    -

茲《こゝ》に説き出す巖窟王の實談は、此の拿翁《なぽれおん》の話では無い、全く別の人、別の事柄であるけれど、拿翁《なぽれおん》と少からぬ關係がある、此話の始まるのが、丁度 拿翁《なぽれおん》がエルバ島を脱した千八百十五年二月廿九日の事で、此實談の主人公が、其島へ立寄つて拿翁《なぽれおん》に聲を掛けられて來た時からの話である。

而も此人や彼と同じく、亦偶然の人間では無く、天の意を圖解する天の道具かと怪しまれるのだ、拿翁《なぽれおん》が歴史の表面に活動する間に、此人は暗黒なる裏面に人間界の鬼の樣に働いて居た、爾《さう》して其一身の波瀾、其の閲歴と事功との光怪、殆ど拿翁《なぽれおん》と對す可き程の者で而も人物の天性、醇の醇なることに至つては、彼れ翁輩《をうばい》と比す可きで無い、唯翁は野心的に進み、此人は人情的に進んだ丈《だ》けに、翁は知られ、此人は隱れ、翁は輝き、此人は曇り、從つて舞臺も演劇も全く違つて居る、彼の人は雷の如く陽氣にして此人は地震の如く沈痛である。

唯だ發端の話頭《わとう》、聊《いさゝ》か翁がエルバ島を脱する時の事件と關聯する所が有つて、彼を知らねば之を解するの不便なるが爲めに、愈々《いよ~》話に入らうとする前に斯くは記して置くのである。

史外史傳「巖窟王」其の巖窟とてもエルバや、コルシカと同じ地中海の一島で又遠くは離れて居ぬ、舞臺とは、西洋から指して東洋と云ふ土耳古《とるこ》邊《へん》より伊國《いたりや》を經て佛國の中心歸して居る、或人は之れを「神侠傳」と云ひ或人は「復讐竒談」と云ひ、譯者は之を「巖窟王」と云ふ、孰《いづ》れの名も此人の一端を寫したに過ぎぬ、全體を讀終れば適當な概念が自ら讀者の胸に浮ぶであらう。

譯 者 識

巖窟王 : 上卷 主要人物

團《だん》友太郎《ともたらう》(エドモン・ダンテス)
數竒の運命とたゝかひぬく本篇の主人公。後の巖窟島伯爵(モンテ・クリスト伯)。
お露《つゆ》(メルセデス)
友太郎の許嫁、友太郎の入獄中次郎の妻となる。
次郎《じらう》(フエルナン)
スペイン村の漁師、後西班牙戰爭の功あつて野西子爵(モルセール子爵)となる。
野西《のにし》武之助《たけのすけ》(アルベール・ド・モルセール)
次郎とお露の間に生れた息子、若き子爵。
段倉《だんぐら》 喜平次《きへいじ》(ダングラール)
森江氏持船巴丸(フアラオン丸)の會計主任。後次郎と共に西班牙戰爭で巨利を博し大銀行家となり男爵を贖ふ。
蛭峰《ひるみね》重輔《しげすけ》(ヴイルフオール)
野々内彈正の息子で若き檢事補。父とは反對に熱心な王黨の支持者、後の檢事總長。
梁谷《はりや》法師(フアリヤ法師)
友太郎が獄中にて會える博學多才なイタリヤの司祭。友太郎生涯の恩師であり又恩人。
森江《もりえ》良造《りやうざう》(モレル)
マルセーユの船主、友太郎の主人にして又恩人。
森江《もりえ》眞太郎《しんたらう》(マクシミリヤン・モレル)
森江氏の長男で陸軍々人。
野々内《ののうち》彈正《だんじやう》(ノワルテイエ)
蛭峰の實父にてナポレオン黨の有力な鬪士。
粕場《かすば》毛太郎次《けたらうじ》(カドルツス)
友太郎の友人にてマルセーユの仕立屋、後に旅籠屋の主人。

巖窟王 : 一 團友太郎と段倉

拿翁《なぽれおん》がエルバの島に流されて早十ヶ月ほどを經た千八百十五年二月廿四日である、地中海の東岸から丁度そのエルバ島の附近を經て彿國《ふらんす》の港、馬耳塞《まるせーゆ》へ巴丸と云ふ帆前船が入つて來た。

是は此の土地で餘ほどの信用ある森江商店の主人森江氏の持船であるので、波止場に居合す人々が、立つてその近寄る状《さま》を見てゐると、既に港の口を入つてゐるのに何故か岸の傍《そば》へ來るのが遲い、何か船中に間違があつたに違ひないとの心配が言はず語らず人々の胸に滿ちた。

けれど船其ものに故障が出來たとは見受けられぬ、船は無事に前、中、後、三本の柱に帆を上げ、舳《みよし》には水先案内の傍に年十九か廿歳《はたち》ばかりの勇ましい一少年が立つて、殆ど船長かと見ゆる程の熟練を以て介々しく水夫等を差圖してゐる、それだのに何と無く尋常《たゞ》ならぬ所がある。

陸にゐた人々の中、一人は、最早氣遣はしさうに、空しく待つてはゐられぬと云ふ風で手早く岸の小船に飛び乘り、自分で漕いでその傍《かたはら》まで漕付けた、是れは此の巴丸の持主森江氏である、漕付けて上に居る彼の少年に聲を掛け、「マア團君か、何うしたんだ、船中總體が、何だか陰氣に鬱《ふさ》ぎ込んでゐる樣に見えるが — 」團と呼ばれた彼の少年は主人への敬禮に帽子を脱ぎ「オゝ森江さんですか誠に不幸な事が出來ました、船長 呉《くれ》氏が伊國《いたりや》沖で死なれました」船主森江は「シテ積荷は、積み荷は」團少年「それだけは御安心です、荷物は仔細ありませんけれど傷ましい呉船長は — 」森江「誤つて海にでも落ちたのか」團「イイエ急な腦膜炎で死なれました」いひつゝも少年は水夫を顧みて帆の事から錨の事にまで差圖を與ふるは、船長の死んだ爲め自分自身が差圖の役だけは勤めて居ねばならぬ爲であらう、差圖が濟むと又持主の方に向ひ「伊國《いたりや》の港を出るとき船長は港係の長官と長い間熱心に何かお話でしたが、其からといふものは甚く心配の御容子で、間もなく今申す腦膜炎と爲り、三日三夜苦しみ通して終《つひ》に最期を遂げられました。其 亡骸《なきがら》はギグリヨ島の影へ式《かた》の通り水葬しまして、勳章と劍だけを奧さんへ屆ける爲め吾々が持つて來ました、ホンに十年間も英國との戰爭に從事した人だと云ふに惜い事を致しました」森江氏は慰めて「嘆くな友太郎、誰だつて一度は死なねばならぬエゝ年取つた者が死なねば若い者が出世出來ぬ」言葉の中には暗に船長に取立てて遣るとの意が見えて居る。に尤も無理は無い所であるあ。

斯《かゝ》る中ににも此少年團友太郎が水夫を指揮する樣を見るに、規律が能く立つて宛《あたか》も自分の指を使ふ樣に自在である、森江氏「先《まづ》荷物に障《さは》りが無ければ」團友太郎「ハイ荷物の事は何うか荷物取締の段倉君からお聞下さい、今度の一航海は餘ほど儲かつたと云ふ事ですから」云ひつゝ船舷《ふなべり》に繩を卸せば森江氏は水夫も及ばぬほど巧に之を攀ぢ、直に甲板に上つて來た、そして團少年が猶も急がしく指圖してゐる間に茲《こゝ》へ出て來た荷物係の段倉といふ男に對《むか》つた。

段倉は團友太郎より年が五六歳も上であらうか眼《まなこ》に油斷の爲らぬ光のあるは何だかゴロ猫の樣に見え、何から何まで團とは大違ひである。團が水夫等に敬はれ愛せられてゐるのと同じ割合に段倉は憎まれ嫌はれてゐる、けれど主人の信用を得てゐることは團と似寄つたものと見える、森江氏「聞けば段倉君、呉船長が死んだ相だが」段倉は目下へ向つて非常に嚴しいと共に上に向つては非常に鄭重だ、先《まづ》聲から柔げて掛かり「ハイ何うも早お氣の毒に堪へません、森江商店の樣な大信用ある商社の船を管《あづか》るにはアノ樣な老練な方でなければ」と早團少年が船長に取立てられはせぬかと、主人の顏色を讀取つて嫉ましさに豫防してゐる、豫防と見せずに豫防するのが段倉の段倉たる所である、森江氏「ナニ船を管《あづか》ることは、友太郎は、慣れたものではないか」といひゝ團少年の方を見返れば、段倉は目に又も羨ましさの光を現はし「ハイ自分では一廉《ひとかど》出來る積でゐる樣です、少年と云ふ者は兎角自信に強い者で、船長が亡くなられると直に、誰にも相談せずに、自分が指圖役になつた所などは感心な者ですよ」何だか言葉の中に毒がある、其毒を甘い蜜の樣に聞かせるのだ、森江「勿論友太郎は船長の手助けに乘つてゐるのだから、船長の跡を取敢ず引受けるのがその義務といふもの、誰にも相談する必要はないのぢや」段倉「ハイそれは爾《さう》でせうとも、けれど其のお蔭で、エルバ島の所で船を一日後らせて了ひました」

エルバ島とは耳に着く言葉である、不斷なら何でもないが、時が時だけ耳に着くのだ、今に此島から天地も覆へる程の風雲が起りはせぬかと誰も氣にしてゐる所である、果して森江氏が耳を聳《そばだ》てた、「エ、彼のエルバ島で船を一日、何處か船體に損所でも出來て」段倉は得たりと「ナニ損所が出來ますものか、唯自分で上陸して見たいといふ詰らぬ望みの外には何の原因もないのです」是は船主としては聞捨難い所である、船の指圖を引受けた者が自分の慰みに一日の航路を後らせる法は無い、森江氏は友太郎の方に向ひ「團君、團君」と呼び立てた。

團少年は指圖の最中である、振向いて「少しお待ち下さい」といつた儘水先案内に力を合はせ水夫に錨を卸させてゐる、段倉は最《も》う主人の顏色を見て「我事成れり」と思つた樣子で荷倉の方へ引込んだ、其後へ、暫くして團少年は來た「何か御用事ですか」森江氏「用事とて、實はエルバ島へ一日船を着けてゐた仔細を聞き度いのだ」團少年は澱みもせずに「ハイ呉船長の遺言を果す爲でした、船長が死に際に、何だか小包物を私へ渡し、之をエルバ島にゐるベルトラン將軍に渡して呉れといはれました」呉船長は拿翁《なぽれおん》の下《もと》に戰つた人であるから、無論其黨派である、ベルトラン將軍とも何か氣脈を通じてゐたに違ひ無い、斯かる人を船長に雇ふて置く森江氏とても實は心を拿翁《なぽれおん》の方へ寄せてゐる人だから、此の返事を聞いて忽ち顏が晴渡つた樣である「シテ將軍に逢つたのか」友太郎「逢つて手渡し致しました」森江氏は邊《あた》りを見廻はしズツと聲を潛めて「皇帝には拜謁せなんだのか」皇帝とは無論 拿翁《なぽれおん》の事である、友太郎「ハイ私が將軍と逢つてゐる其 室《へや》へ突々《づか~》と皇帝がお出に成まして」森江氏「其ぢやお前は、皇帝と直々《ぢき~》にお話もしたのだな」

読書ざんまいよせい(055)

◎噫無情(001)


ヸクトル、ユーゴー 著
黒岩涙香 譯

噫無情 : 目次
タイトル:噫無情 (Les Misérables, 1862)
著者:ヸクトル、マリー、ユーゴー (Victor Hugo, 1802-1885)
譯者:黒岩涙香 (1862-1920)
底本:縮刷涙香集第二編縮刷『噫無情』
出版:扶桑堂
履歴:大正四年九月十五日印刷,大正四年九月十八日發行,大正七年七月十七日廿二版(實價金壱圓六拾錢)

目次
* 小引
* 一 一人の旅人《りよじん》
* 二 其家を窺《のぞ》き初めた
* 三 高僧と前科者
* 四 銀の皿、銀の燭臺
* 五 神の心と云ふ者だ
* 六 寢臺《ねだい》の上に起直り
* 七 社會の罪
* 八 恍として見惚《みと》れた
* 九 恐る可き分岐點
* 十 愚と云はふか、不幸と云はふか
* 十一 甚《ひど》いなア、甚《ひど》いなア
* 十二 華子
* 十三 小雪
* 十四 斑井《まだらゐ》の父老《ふらう》
* 十五 蛇兵太《じやびやうた》
* 十六 星部《ほしべ》父老《ふらう》
* 十七 死でも此御恩は
* 十八 夫がなくて兒供が
* 十九 責道具
* 二十 畜生道に落ちた
* 二十一 警察署
* 二十二 市長と華子
* 二十三 運命の網
* 二十四 本統の戎瓦戎《ぢやん、ばるぢやん》が
* 二十五 不思議な次第
* 二十六 難場の中の難場
* 二十七 永久の火
* 二十八 天國の惡魔、地獄の天人
* 二十九 運命の手
* 三十 聞けば兒守歌である
* 三十一 重懲役終身に
* 三十二 合議室
* 三十三 傍聽席 一
* 三十四 傍聽席 二
* 三十五 傍聽席 三
* 三十六 傍聽席 四
* 三十七 傍聽席 五
* 三十八 市長の就縛 一
* 三十九 市長の就縛 二
* 四十 市長の就縛 三
* 四十一 入獄と逃亡 一
* 四十二 入獄と逃亡 二
* 四十三 むかし話
* 四十四 再度の捕縛、再度の入獄
* 四十五 獄中の苦役
* 四十六 老囚人の最後
* 四十七 X節《クリスマス》の夜 一
* 四十八 X節《クリスマス》の夜 二
* 四十九 X節《クリスマス》の夜 三
* 五十 X節《クリスマス》の夜 四
* 五十一 X節《クリスマス》の夜 五
* 五十二 X節《クリスマス》の夜 六
* 五十三 X節《クリスマス》の夜 七
* 五十四 客と亭主 一
* 五十五 客と亭主 二
* 五十六 客と亭主 三
* 五十七 抑《そ》も此老人は何者
* 五十八 隱れ家 一
* 五十九 隱れ家 二
* 六十 隱れ家 三
* 六十一 隱れ家 四
* 六十二 落人《おちうど》 一
* 六十三 落人《おちうど》 二
* 六十四 何物の屋敷 一
* 六十五 何物の屋敷 二
* 六十六 尼寺 一
* 六十七 尼院 二
* 六十八 尼院 三
* 六十九 尼院 四
* 七十 本田圓《ほんだまるし》
* 七十一 父と子
* 七十二 本田守安 一
* 七十三 本田守安 二
* 七十四 ABC《アーベーセー》の友
* 七十五 第一、第二の仕事
* 七十六 異樣な先客
* 七十七 青年の富
* 七十八 公園の邂逅《めぐりあひ》
* 七十九 白翁《はくおう》と黒姫《くろひめ》
* 八十 白翁と黒姫 二
* 八十一 白翁と黒姫 三
* 八十二 白翁と黒姫 四
* 八十三 神聖な役目
* 八十四 四國兼帶の人 一
* 八十五 四國兼帶の人 二
* 八十六 四國兼帶の人 三
* 八十七 四國兼帶の人 四
* 八十八 四國兼帶の人 五
* 八十九 四國兼帶の人 六
* 九十 四國兼帶の人 七
* 九十一 四國兼帶の人 八
* 九十二 四國兼帶の人 九
* 九十三 陷穽《おとしあな》 一
* 九十四 陷穽《おとしあな》 二
* 九十五 陷穽《おとしあな》 三
* 九十六 陷穽《おとしあな》 四
* 九十七 陷穽《おとしあな》 五
* 九十八 陷穽《おとしあな》 六
* 九十九 陷穽《おとしあな》 七
* 百 陷穽《おとしあな》 八
* 百一 陷穽《おとしあな》 九
* 百二 町の子
* 百三 十七八の娘
* 百四 私しと一緒
* 百五 愛 一
* 百六 愛 二
* 百七 愛 三
* 百八 庭の人影 一
* 百九 庭の人影 二
* 百十 庭の人影 三
* 百十一 愛の天國
* 百十二 無慘
* 百十三 千八百三十二年
* 百十四 容子ありげ
* 百十五 疣子と手鳴田
* 百十六 家は空《から》である
* 百十七 死場所が出來た
* 百十八 一揆軍 一
* 百十九 一揆軍 二
* 百二十 軍中雜記 一
* 百二十 軍中雜記 一
* 百二十 軍中雜記 一
* 百二十一 軍中雜記 二
* 百二十一 軍中雜記 二
* 百二十一 軍中雜記 二
* 百二十一 軍中雜記 二
* 百二十一 軍中雜記 二
* 百二十二 軍中雜記 三
* 百二十二 軍中雜記 三
* 百二十二 軍中雜記 三
* 百二十二 軍中雜記 三
* 百二十二 軍中雜記 三
* 百二十三 軍中雜記 四
* 百二十四 軍中雜記 五
* 百二十五 軍中雜記 六
* 百二十六 軍中雜記 七
* 百二十七 軍中雜記 八
* 百二十七 軍中雜記 八
* 百二十八 軍中雜記 九
* 百二十八 軍中雜記 九
* 百二十八 軍中雜記 九
* 百二十八 軍中雜記 九
* 百二十八 軍中雜記 九
* 百二十九 蛇兵太の最後
* 百三十 守安の最後
* 百三十一 エンジラの最後
* 百三十二 堡壘の最後
* 百三十三 哀れ戎瓦戎 一
* 百三十四 哀れ戎瓦戎 二
* 百三十五 哀れ戎瓦戎 三
* 百三十六 哀れ戎瓦戎 四
* 百三十七 哀れ戎瓦戎 五
* 百三十八 哀れ戎瓦戎 六
* 百三十九 哀れ戎瓦戎 七
* 百四十 哀れ戎瓦戎 八
* 百四十一 哀れ戎瓦戎 九
* 百四十二 哀れ戎瓦戎 十
* 百四十三 哀れ戎瓦戎 十一
* 百四十四 哀れ戎瓦戎 十二
* 百四十五 哀れ戎瓦戎 十三
* 百四十六 哀れ戎瓦戎 十四
* 百四十七 哀れ戎瓦戎 十五
* 百四十八 最後 一
* 百四十九 最後 二
* 百五十 最後 三
* 百五十一 最後 四
* 百五十二 大團圓

噫無情 : 小引

■「噫無情」と題し茲に譯出する小説は、ヸクトル、マリー、ユーゴー先生の傑作『レ、ミゼラブル』なり
■著者ユーゴー先生は多くの人の知れる如く、佛國の多恨多涙の文學者にして又慷慨なる政治家なり、詩、小説、戯曲、論文等に世界的の傑作多し、先生千八百二年に生れ八十四歳の壽を以て千八百八十五年(明治十八年)に死せり
■『レ、ミゼラブル』は先生が國王ル井、ナポレオンの千八百五十年の非常政策の爲に國外に放逐せられ白耳義に流竄せる時に成りしと云へば、即ち五十歳以上の時の作なり、最も成熟せし著作と云ふ可し(先生が初めて文學者として世に著はれしは其十四歳の時に在り)
■「ミゼラブル」ちは、英國にては視るに忍びざる不幸の状態を指すの語なり、佛語にては多く『身の置所も無き人』と云ふ意味に用ゐらる、即ち社會より窘害せられて喪家の犬の如くなる状態に恰當する者の如し、我國の文學者が一般に『哀史』と云ふは孰れの意に取りたるやを知らずと雖も先生が之を作りたる頃の境遇より察すれば前の意よりも後の意に用ひたる者なるが如くに察せらる
■余先頃、ヂュマのモント、クリストーを巌窟王と題せしに或人は巌窟王の音が原音に似たりとて甚だ嘆稱せられたり、余は爾まで深く考へたるに非ざりしを、勿怪の幸ひと云ふ可し、今『レ、ミゼラブル』を『噫無情』と題し、又音の似通ひたりと云ふ人あり、然れども之も爾うまで考へしには非ず、唯だ社會の無上より、一個人が如何に苦めらるゝやを知らしめんとするが原著者の意なりと信じたれば、他に適切なる文字の得難さに斯くは命名したるなり
■原書はユーゴー先生の生存中に幾版をも重ねたれば先生親から幾度も訂せし者と見ゆ、英譯にも數種あり、余の有せる分のみにても四種に及ぶ、猶ほ耳に聞きて未だ手にせざる分も無きに非ず、是等を比較するに、或者は高僧ミリールの傳を初に置き、或る者はヂャン、ヷルヂャンを初めに置きたるが如き最も著るしき相違なり、思ふにミリールは先生が理想とせし人なる可ければ卷首に之を掲ぐるが當然なる可きも、晩年に及び讀者に與ふる感覺の如何に從ひて次章に移したるならんか、余は(新聞紙に掲ぐるには)後者の順序が面白かるべきを信じ、其れに從ふ事としたり
■譯述の體裁は余が今まで譯したる諸書と同く、余が原書を讀て余の自ら感じ得たるが儘を、余の意に從ひて述べ行く者なれば、飜譯と云はんよりも人に聞きたる話をば我が知れる話として人に話すが如き者なり、若し此を讀みて原書に引合せ、以て原書を解讀する力を得んと欲する人あらば失望す可し、斯かる人に對しては、余は切に社友山縣五十雄君の英文研究録を推薦す(内外出版會社の出版にて一册定價二十錢、英米の有名なる作者の詩歌及び短詩を親切に飜譯し註釋したる者なり)
■若し原書を句毎に譯述すれば五百回にも達す可し、少くとも三百回より以下なる能はず、然れども余は成る可く一般の讀者が初めの部分を記憶に存し得る程度を限りとし百五十回乃至二百回以内に譯し終らんことを期す
■ユゴー先生が此書に如何の意を寓したるやは余不肖にして能く知らざるなり、之を學[※;1文字不明。兄?]諸氏に質すに、社會組織の不完全にして一個人が心ならざる境遇に擠陷さるゝを慨したるなりと云ふ人多し、多分は然るなる可し、先生の自ら附記したる小序左の如し
△法律と習慣とを名として、社會の呵責が此文明の眞中に人工の地獄を作り、人の天賦の宿命をば人爲の不運を以て妨ぐることの有る限りは
△現世の三大問題、即ち勞働世界の組織不完全なるに因する男子の墮落、饑渇に因する女子の滅倫、養育の不足の爲の兒童の衰殘、を救ふの方法未だ解釋せられざる限りは
△心の饑渇の爲に衰死する者社會の或部分に存する限りは
△以上を約言して廣き見解に從ひ、世界が貧苦と無學とを作り出す限りは
則ち此種の書は必要無きこと能ばざる也
蓋しル井、ナポレオンが非常政策を發する前、佛國には社會主義の勃興あり、暗に政府及び朝廷を驚かしめたり、先生は是れより先き、文勲を以て貴族に列せられたるも深かく社會黨の運動に同情を寄せ、王黨を脱して共和黨に入り大に畫策する所ありたれば、社會下層の無智と貧困とを制度習慣の罪と爲し、其の如何に凄慘なるやを示さんと欲したる者ならんか、先生が流竄の禍を買ひたるも畢竟は斯る政治上の意見の爲なり、若し我が日本に『レ、ミゼラブル』の一書を飜譯する必要ありとせば、必ずや人力を以て社會に地獄を作り、男子は勞働の爲に健康を損し、女子は饑渇の爲に徳操を失し、到る處に無智と貧苦との災害を存する今の時にこそ在るなれ、唯だ余がユーゴー其人に非ざるを悲しむ可しとす
譯 者 識

噫無情 : 一 一人の旅人《りよじん》
縮刷 噫無情《ジーミゼラブル》(前篇)
佛國 ユーゴー先生 著
日本 黒岩涙香 譯
彿国《ふらんす》の東南端プロボンと云ふ一州にダイン(Digne)と稱する小都會がある
別に名高い土地では無いが、千八百十五年三月一日、彼の怪雄 拿翁《なぽれおん》がエルバの孤島を脱出《ぬけだ》してカン(Canes)の港に上陸し、巴里《ぱりー》の都を指して上つたとき、二日目に一泊した所である、彼れが檄文を印刷したのも茲《こゝ》、彼れの忠臣ベルトラン將軍が彼より先に幾度《いくたび》か忍び來て國情を偵察したのも茲《こゝ》である
此外に此小都會の多少人に知られて居るのは徳望限り無き高僧 彌里耳《みりいる》先生が過る十年來土地の教會を管して居る一事である

*   *   *   *   *

今は其れより七ヶ月の後、同じ年の十月の初《はじめ》、或日の夕方、重い足を引摺つて漸く此地に歩み着た一人の旅人は、日に焦た黒い顏を、古びた破帽子に半ば隱し、確には分らぬが年頃四十六七と察せらる、靴も着物も其 筒袴《づぼん》もボロ/\に破れて居るは云ふに及ばず、埃《ほこ》りに塗《まみ》れた其の風體の怪さに、見る人は憐れみよりも恐れを催し、路を避ける程で有つたが、彼れは全く疲れ果て居ると見え、町の入口で、汗を拭き/\井戸の水を汲上げて呑み、又一二丁行きて町中の井戸で水を呑んだ、抑《そもそ》も彼れは何所《どこ》から來た、何所へ行く、何者である、來たのは多分、七ヶ月前に拿翁《なぽれおん》の來た南海の道からで有らう、行くのは市廳《しちやう》の方である、頓《やが》て彼れは市廳に着た、爾《さう》して最《も》う役人の退《ひ》けて了ッた其の中に歩み入つたが、當直の人にでも逢たのか凡《およ》そ半時間ほどにして又出て來た、是れで分ッた、彼れは何所かの牢で苦役を務め、出獄して他の土地へ行く刑餘の人である、途々神妙に役所へ立寄り、黄色い鑑札に認《みとめ》を印《しるし》て貰はねば再び牢屋へ引戻さるゝのだ、法律の上から『油斷のならぬ人間』と認められて居る奴である
市廳を出てから、彼れは又町を徘徊《さまよ》ふた時々人の家を窺《のぞ》き込む樣にするは、最早や空腹に堪へ兼ねて、食と宿りとを求め度いのであらう、其うちに土地で名高いコルバスと云ふ旅店の前に行た、入口から直《すぐ》に見通した料理場に、燃揚るほど炭の火が起ッて、其上に掛けた平鍋には兎の丸焼や雉の揚出が轉がッて脂のたぎる音が旨さうに聞え、得ならぬ匂が腸《はらわた》まで染透るほどに薫ッて居る、勿論彼れは此前を通り切れぬ、油揚に釣れる狐の状《さま》で踉々《よろ/\》と中に入ッた、
中には主人《あるじ》自ら忙しく料理の庖丁を操《とつ》て居たが、客の來た物音と知り、顏も揚げずに『好く入ッしやい、御用向はと』[誤:御用向は』と]問ふた、疲れた空腹の、埃《ほこり》だらけの旅人は答へた『夕餉と寢床《ねどこ》とを』主人『其れはお易い御用です』と云ひつゝ初めて顏を上げ、客の風體を見て案外に感じたが、忽ち澁々の聲と變ッて『エー、お拂ひさへ戴けば』と云足した、客は財布を出し掛けて、[『]金は持つて居るよ』主人『其れなら宜しい』と無愛想よりも稍《や》や當惑けである
客はがッかりと安心した體《てい》で、背《せな》に負つて居た行李《かうり》と懷中《ふところ》の財布と手に持た杖とを傍《かたへ》に置いた、其間に主人《あるじ》は帳場に在つた新聞紙の白い欄外を裂取て、鉛筆で走り書に何か書認《かきしたゝ》め、目配《めくばせ》を以て傍《そば》に居た小僧を呼び、二言三言其の耳に囁て今の紙切を手渡すと、小僧は心得た風で戸外《おもて》の方《かた》へ走り去た
十月の初《はじめ》だから夜に入ると聊《いさゝ》か寒い、殊に茲《こゝ》はアルプス山の西の裳野《すその》に當り、四時絶間無き頂邊《てうへん》の雪から冷切た風が吹下すので、外の土地とは違ふ、先刻まで汗を絞て居た旅人も早や火の氣が戀しく成たと見え、火鉢の方に手を延べて、少しも主人《あるじ》の仕た事に氣が附かず、唯だ空腹に攻られて『何うか食ふ物だけは急いで貰ひ度い』主人『少々お待ち下さい、唯今』と云ふ所へ小僧は又急いで歸り、返辭と見える紙切を主人に渡した、主人は之を讀んで眉を顰《ひそ》め、暫し思案に餘る體《てい》で、其紙切と客の横姿《よこすがた》とを彼是れ見較べる樣にして居たが、爾《さう》とも知らぬ客の方は、空腹の上に猶《ま》だ氣に掛る事でも有るのか、少しも心の引立たぬ景状《ありさま》で、首《かうべ》を垂れて考へ込んで居る、遂に主人は決心が着たと見え、突々《つか/\》と客の傍《そば》に寄り『何《ど》うも貴方《あなた》をお泊め申す譯に行きません』全く打て變たと云ふ者だ、客は半分顏を揚げ『エ、何だと、騙《かた》られるとでも思ふのか、では先拂に仕やう、金は持て居ると斷ッたのに』主人『イヽエ、室《へや》の空た所が有りませんゆゑ』客は未だ失望せぬ、最《い》と靜《しづか》に『室《へや》が無ければ馬屋で好い』主人『馬屋は馬が一ぱいです』客『では何の樣な隅ッこでも構はぬ、藁さへ有れば敷て寢るから、先《ま》ア兎も角も食事を濟ませてからの相談にしやう』主人『食事もお生憎樣です』客は初めて驚ろいた『其樣な事は無い、私しは日の出ぬ前から歩き通して、腹が空て死にさうだ、十二里も歩いて來たのだ、代は拂ふから食はせて貰はねば』主人『喰る物が無いのです』客は聲を立てゝ笑ッた、全く當の外れた笑ひである、爾《さう》して料理場に向き『喰る物が無いとな、彼の澤山あるのは何だ』主人『あれは總てお誂へです』客『誰の』主人『先客の』客『先客は何人ある』主人『ハイ、アノ、十――二――人』客『十二人、フム、二十人だッて食ひ切れぬ』云ひつゝ客は坐り直して更《あらた》めて腰を据ゑ『茲《こゝ》は宿屋だらう、此方《こつち》は腹の空た旅人だから、食事をするのだ』
主人《あるじ》は店口で高聲などするを好まぬ、客の耳に口を寄せ『今の中に立去て下さい』全くの拒絶である、放逐である、客は振向て何事かを言返さんとしたが、主人が其の暇を與へぬ、猶も其耳に細語《さゝや》いて『無言《だまつ》てお去り成さい、貴方《あなた》の名も知て居ます、云ひませうか、貴方《あなた》は戎《ぢやん》、瓦戎《ばるぢやん》』戎《ぢやん》、瓦戎《ばるぢやん》と云ふ奇妙な名に、客はギクリと驚いた

読書ざんまいよせい(054)

◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳

悪魔の後嗣
 むかしサン゠ピエール・オ・ブー近くの寺通りに、豪勢な屋敷を構えていた巴里ノートル・ダム寺院の司教会員たる一老僧があった。もとこの長老は、鞘のない短刀のように裸一つで、はるばる巴里に出て来た一介の司祭であったが、円顱の美僧でいちえん欠くるところなく、旺盛潤沢な体躯にも恵まれ、いざという時には、何ら憔悴するところなく男数人前の役割を果すことが出来たので、専ら女人衆の懺悔聴聞に精を出して、鬱々としている女子にはやさしい赦罪符を与え、病める善女にはおのが鎮痛剤の一片を親しくとらせるという風に、あらゆる女人に、あらたかな密祷を施して参られたので、彼の情篤い善根や、口の堅いという陰徳や、その他、沙門としてのかずかずの功力がものを云って、遂には宮廷社会へ御修法に招かれるほどの高僧になった。が、宗門当局や良人などに嫉まれぬよう、またこうした儲けもあれば楽しくもある御加持に、神護の箔をつけられるよう、デケルド元帥夫人からヴィクトル聖人の御遺骨を拝戴に及び、その冥護でいろいろの奇蹟を示顕するのじゃという触れ込みを利かせたため、談たまたま彼のことに及ぶと、人はみなこう穿鑿屋に言ったものである。
『あの御坊はなんでも、もろもろの煩いを、立ちどころに根絶するあらたかな御聖骨をお持ちなのじゃそうな。』こと御聖骨に関するとなると、とやかく口も出せないので相手もそのまま黙ってしまう。しかし槍一筋の業前にかけては、この和尚は無双の剛の者でがなあろうという蔭口が、その緇衣の蔭ではもっぱらであった。
 こうして長老はありがたい自前の灌水器で、金をどんどん灌ぎ出し聖水を名酒に変性させて、さながら王者のような豪奢な暮しをしておったし、それにどこの公証役場に行っても、遺言状や、お裾分け帳の――誤ってこれをCodicileと書く人があるが、もともとは遺産の尻尾という意味のCaudaから出た言葉なのである――其他云々《エトセトラ》というなかに、ちゃっかり長老の名も並んで記されてあったほどで、だから後には『円顱《おつむ》がすこし寒い気がするが、頭巾がわりに僧正帽でも冠ろうかな。』と長老が冗談まじりに云いさえしたら、たちまち大僧正にでもなれたに違いなかった。かく万事が万事、思いの儘の御身分でありながら、なおも一介の司教会員で甘んじていた訳は、女人懺悔聴聞役としての結構な役得の方が、いっちお望みだったからである。
 しかしある日のこと、この頑健な長老も、己が腰骨の衰えを、かこたねばならなくなり申した。年も六十八歳になっておったし、まったく女人済度で身の精根をすりへらして来たからで、今更のように過ぎ来し方の善根功徳を振返って、身体の汗で十万エキュ近くも溜め込んだことを思い、使徒としての勤行もここらあたりで御免蒙ろうと、以後は如才なく上流の御婦人方の懺悔ばかり聴聞することにいたした。若い名僧智識は躍起となって、彼に張り合おうとめされたが、しかし宮廷のあいだでは、身分ある上臈衆の魂の浄めにかけては、このサン゠ピエール・オ・ブーの司教会員にしくはないとの折紙づきだったもので、如何とも能わなかった次第である。
 時の歩みで長老もいつしか九十あまりの美しい老僧となり、頭は雪を戴いたように白く、手こそ慄えたが、体躯は塔のように四角く岩乗で、もとは咳払いもせずに痰を吐いていたのが、今では痰も吐けずに咳ばかり出るといった塩梅で、さしも仁愛のために、身軽く持ち上げていたお臀も、遂には床榻からさえたたなくなってしまわれた。言葉数は寡くなったかわりに、よく啖い、よく飲み、さながらノートル・ダムの生仏といった概があった。
 こうして長老が梃子でも動かなくなったのを見て、また多情仏心の昔の行状に鑑みて、――これは漸く近頃になって、例の蒙昧な素町人どもの間で、専らの取沙汰となっていた。――乃至押黙ったその蟄居ぶりを見て、彼の回春の溌剌さを看取して、まった瑞々しいその老齢を眺めて、その他いいつくせぬほどの数々の事由からして、わが聖く尊き宗門を傷つけ、鬼面人を喝せんとするの徒輩は、――実は本物の長老はもうとっくに死んで、ここ五十年以上というもの、悪魔の奴があの和尚の身体に巣くっておるのだなどと、蔭口を叩くものすらあった。またこの行い澄した懺悔僧から、望みの儘の御加持を受けた御婦人方のなかにも、――悪魔の高い熱気でも借りぬことには、あのような魔性の蒸溜液のお布施など、そうふんだんに出来るものではないゆえ、きっとあの長老には、魔性が憑いていたに違いないなどと、むかしを思い出し顔に囁くものもあった。
 しかし悪魔がこうして女人衆のために、すっかり牛耳られ骨抜きにされて、今はもうよしんば二十歳の王妃のお召しに預っても、応じられなくなったさまを見るにつけ、お目出度い衆をはじめ、物の道理の分った連中、何事にも一理窟こねだす町人共、禿頭に虱をみつける穿鑿屋などは、ひどく訝しんで、悪魔が緇衣をまとって高僧智識の面々と、ノートル・ダム教会に勤行して、図図しく抹香の匂いを嗅いだり、聖水をおし戴いたりなんどの所行に、ただただ驚嘆の眼を睜るのであった。
 こうした異端の邪説に対して、――いや、悪魔が一念発起して、改悛したがっているのだと唱えるものもあれば、裕福な長老の風態《なり》を悪魔がしているのは、きっと猊下の後嗣たる三人の甥たちをからかって、後の烏がさきになるまで生き残って、彼等を便々と待たせて面白がっているのだなどと、言い出すものさえあった。この後嗣たちというのは、金持の伯父さんの跡式を空頼みして、毎日のように伯父さんが目を開けているかどうかを見に参ったが、何時も長老は怪龍《パジリツク》の眼玉のように炯々たる眼を鋭くぎょろつかせていたので、――伯父さんを深く慕えばこそ、安堵の胸を撫で下しておった。(もちろんこれは口先だけの話だが。)
 長老が悪魔に違いないという説を、頻りに言い張る一老女の話によると、ある晩のこと聴懺悔僧のところで、御馳走になった長老が、提灯も松明も持たずに、二人の甥〈代訴人と軍人〉に送られて出たところ、クリストフ上人の彫像を建てるために積み重ねてあった石材に、長老はひょんなはずみに躓かされ、目から火を出して転んでしまわれた。叫び声をあげた甥たちが、老女の許から借りて来た松明の光で照らしてみると、長老はまるで九柱戯のようにしゃんと突立ち、熊鷹のようにぴんぴんして、――なあに、頂いた般若湯の霊験で、何の障りもなかったわい、儂の骨組は根が岩乗じゃから、なんのこれしきとばかり、平然とうそぶいておったという。お陀仏したと思いきや、かかる石仕掛にもめげるところがなかったので、甥たちはこの分では伯父の寿命も、なかなかに先きがあると驚いて、日頃から岩乗と感心していたのも、尤も千万と思ったそうである。――しかし長老は度重なるこうした道すがらの石攻めを用心しだして、ひどく石を怖れ出し、はるか最悪の場合を予想して、家にばかり閉じ籠っているのだと、まことしやかに言い触らす手合もあった。
 こうした蔭口や噂話を綜合するに、悪魔かどうかは判らないが、この老司教会員は屋敷に籠りきりになって、ちっとやそっとでは極楽往生もせずに、三人の甥と、坐骨神経痛と、腰の病と、その他、人生のくさぐさの煩いを持ち合せておったことが、いっぱしお解りになったであろう。
 さて三人の甥っ子のうち、一人は女人腹から生れたとは思えぬほどの性悪な武弁で、殻を破って生れ出た時から、もう歯を生やし剛毛を逆立てていたというから、さぞかし母の胎内を痛めたことに違いあるまい。物を啖うことといったら、現在と未来の二つの動詞の「時」の両股かけて詰め込むし、素性の悪い女を囲って、あたまの物まで面倒をみていたし、屡々御用をつとめる例のものといえば、その持久力といい精力といい作法の心得といい、こればかりはまこと伯父の名を恥かしめぬものがごあった。戦場に出でては、敵に一太刀も蒙らぬさきに、彼は相手を浴びせ倒して、決して容赦はしなかった。――尤もこれは戦いに於て決着すべき唯一の問題であることは、未来永劫渝らぬ真理であろう。――だが、こうした蛮勇を除けば、何一つの取得もなかったので、どうやら槍騎兵の隊長となり、ブルゴオニュ公の御愛顧も浅くなかった。公は戦場以外の方面で、部下が何をしでかそうと、極めて暢気なお方であられたからである。この悪魔の甥は牝豚鶴太《コシユグリグ》隊長といったが、力が強い上にいたって根性が悪かったので、彼に散々と懐ろをいためられた借金取りや、高利貸や、素町人などは、悪猿《モンサージユ》と呼んでいた。生れつき背中には傴僂の隆肉《こぶ》が盛り上っていたが、うっかりその上にでも乗って、あたりを睥睨したいような思い入れでもして見せたが最後、立ち所にぶん擲られるものと、覚悟しなくてはなるまい。
 もう一人の甥は法律をかじっていたが、伯父さんのお蔭でどうやら一人前の代訴人になり、長老がもと懺悔を承って、お加持を施して廻った御婦人方の御用を、もっぱら引受けて、裁判所でこそこそ暗躍をしておったが、兄貴の隊長と同じく牝豚鶴次《コシユグリグ》という名であったが、それをもじって人呼んで盗鶴《ピルグリユ》と云っていた。
 盗鶴は脆弱な体躯で、蒼白い顔色に貂のような面つきをし、氷のように冷たい小便をするに違いない冷血漢に見えたが、しかし隊長よりは一厘ほどましな人間で、伯父に対しても一勺ほど余計に愛情を持っていたが、ここ二年ばかりというもの、その心底にも少々罅が入って、一滴一滴と感謝の念も薄らいで行き、たまたま懐ろ寒い雨催いの折なぞは、伯父さんの股引の中に足を突込んで、沢山な遺産の果汁を搾る日の来るのを、あらかじめ思い描くことなどもあった。
 二人の甥は遺産の分け前が軽すぎると、頻りにこぼしていた。というのは法律通り、額面通り、権利通り、正確に、必然に、現実に、全額の三分の一を、長老のもう一人の妹の伜で、ナンテール近くの田舎にくすぶって羊飼をやっている、あまり伯父からも可愛がられていない従兄にも、分けてやらねばならなかったからである。
 この羊飼は平々凡々の田吾作で、今度ふたりの従兄によばれて都に上り、伯父の家に居候していたが、莫迦で頓馬で抜作の薄野呂ときているので、多分伯父も愛想をつかして、遺言状からも名を削るだろうとの魂胆から、わざわざ従兄たちは呼び寄せたのであった。
 そんなわけでこのシコン(萵苣《ちさ》)という羊飼は、かれこれ一月あまり、年老いた伯父さんと一緒に暮していたが、羊を見張っているより、和尚さんに附添っていた方が、得もゆくし、気晴しにもなるというので、長老のまめまめしい犬となり、下僕となり、老いの杖ともなって、長老が屁をすると、「桑原くわばら」と唱え、嚔をすると、「南無阿弥陀なんまいだ」と云い、曖気《げっぷ》をすると、「寿限無じゅげむ」と呟くのであったが、長老はシコンに空模様を見せにやったり、猫を探しに行かせたりしていた。シコンは老僧の咳唾を顔一面に浴びながら、おとなしくその長談義に耳をすましたり、阿房律儀に応答したり、黙ってお相手をしたりして伯父をこの世で一番傑れた生仏と、心底から信じきっているもののように敬いあがめて、まるで子犬を舐める親犬のように、嘗めんばかりに老人にはんべっていたので、長老はパンのどっち側にバターがついているか、親しく手にとって見る必要もないくらい、シコンにまめまめしくかしずかれていた。しかし不思議なくらいシコンを邪慳にして、骰子のようにきりきり舞いをさせ、事毎にシコンの名をがなり立て、二人の甥に向っては、うっそり者のシコンの莫迦さ加減に腹が立って、死期を早めそうだなどと、常始終こぼしておった。
 こうした愚痴をしょっちゅう耳にしていたシコンは、なんとかして長老のお気に入るように尽そうと、頻りに無い脳味噌を絞っていた。このシコンのお臀といったら、南瓜を二つ並べ立てたようだったし、肩幅も広く、手足も太く、敏捷というにはあまりに縁遠いところから、軽やかな西風《ゼフィールス》の神というよりは、鈍重な森林の神といった趣があった。が、可哀想に、この単純な羊飼には、どう身の変えようも、智恵づきようもなかった。伯父の遺産でも入ったら、すこしは痩せるだろうと、先ずそれまではでかい図体をして、むくむく肥っていたのであった。
 ある晩のこと、長老がシコンに悪魔のことや、神様が堕獄者に対して課したもう無間地獄の責苦や苦患のこと、あの世での阿鼻叫喚のさまなどを話してきかせると、竈の口のような大きな目玉を睜って、シコンはこれを聞いていたが、伯父のいうことを少しも真に受けようとしないので、『なんだ、シコン、お前は神様を信じないのか?』と長老には訊ねた。『とんでもねえ、おらは大の門徒であんすよ。』『だろう、――そんならこの世で功徳を積んだ人のために、天国というものがあるように、悪人ばらのために、地獄があるのも当然じゃろう。』『はあ、そりゃそうでがすが、いったい悪魔なんどというもんは、余計者じゃねえでがしょうか。仮にこのお屋形に悪党がいて、ごたごたにぶっちらかすとしたら、あんたさまは其奴を追い出すでがしょうが?』『きまっているさ、シコン。』『ほれ御覧なせえ、伯父御。えら骨折っておつくりにならっしゃったこの世界を、片っぱしから打ち壊して歩く悪魔なんて野郎を、黙って放っておくほど、神様はぼけちゃいめえと思いやすがねえ。だから神様が本当にござらっしゃるなら、悪魔なんて金輪際おりっこはねえと信じていやすだ。お前さまも大船に乗っかった気でいなさるがいいだ。まったく悪魔のつらが見てえ。奴の爪牙《つめ》なんぞ、わしは屁とも思いましねえだよ。』『なるほど、お前のようにそう信じていられたら、わしは毎日十度も懺悔を聞いて廻った若い日の過ちを、苦にするにも当らぬのう。』『いいや、そうでねえでがす。せっせと今も懺悔なさるがいいだ。天国へ昇らっしゃってから、きっといい報いがありますだに。』『そうかのう!』『ほんとでがすとも、長老さま。』『じゃシコン、お前は悪魔を否定して怖くないのじゃな?』『悪魔だなんて麦束ほどにも気にかけましねえだ。』『そんなことを抜かしおると、いつか非道い目に遭わされるぞ。』『大丈夫でさあ。神様があっしを悪魔からお護り下せえますだ。――お偉い学者衆が考えて御座らっしゃるより、神様はもっと賢くて物の判ったお方にちげえねえと、わしは思っとりますだに。』
 ちょうどその時、二人の甥たちが入って来たが、長老の優しげな声音を耳にして、――伯父はシコンをそう憎んでもいず、口癖のように彼のことをこぼしていたのは、シコンに対して抱いている愛情を隠すための芸当だったと悟って、喫驚して互に顔を見合せた。
 二人は伯父が上機嫌なのを見て、『遺言をお書きになる時、この家は誰にお譲りになるお心算です?』『シコンにな。』『ではサン・ドニ街の地所は?』『やはりシコンにじゃ。』『ヴィルパリジスの領地は?』『それもシコンにくれてやろう。』『へえ、じゃみんなシコンのものになるのですかい?』と持前の野太い声で隊長は云った。
 伯父は薄笑いを泛べて言った。『いや、初めからそういう心算でもなかったが、ただお前方三人のうちで、一番賢いものに遺産をみんな譲るように、正式に遺言状を拵えておいたからじゃ。さきゆきの短いこの儂には、なんだかお前方三人のさきゆきが、ありあり判るような気がするのじゃよ。』
 そう云って、ねぐらに嫖客《かも》を連れ込む夜鷹のようなこすからい薄目を使って、じっと老獪な長老にはシコンの方を凝視めされた。爛々たるその眼光の炎が、羊飼を灼いたかと思うと、その瞬間からシコンは頭も耳も何もかも忽ち晴れ晴れといたして、さながら婚礼の翌る日の花嫁御のように、世事を解して来たのである。
 代訴人と隊長には、伯父の言葉がまるで福音書の謎の予言のようにしか思えなかったが、挨拶もそこそこにしてその場を切上げて行った。途轍もない伯父の意嚮を計りかねて、すっかり二人は困惑の態であった。『シコンの奴をどう思うね?』と盗鶴は悪猿に云った。『畜生、しゃつ、俺はイェリュザレム街に待ち伏せして、素っ首を地面に叩き落してくれる!
 さぞ後生大事に手前の首を拾い上げることだろうぜ。』と語気も荒く隊長は言い放った。『はっはっは、兄貴のばらしかたじゃ、すぐと尻が割れて、コシュグリユの仕業に違いないと感附かれるにきまってる。――俺だったら彼奴を御馳走に招いて、鱈腹くらわせてから、御殿で流行っている遊戯だといって、袋に入って、誰が一ばん早く走れるか競走しようと、奴さんをうまく袋のなかに縫いくるめて、泳げや泳げとばかり、セーヌ河に叩き込んでやる。……』『なかなか趣向がかってるな。』『なあに、細工は流々さ。彼奴を悪魔の手に引渡して、遺産は二人で山分けという寸法はどうだい。』と代訴人は云った。『いいとも。俺達二人は一心同体だ。お前は絹のように、やんわりと運ぶが、俺は鋼のように強引にやるんだ。剣だって決して罠には後れはとらんぞ。なあ弟。』と剣客は腕を撫して言った。『もちろんだ、仲好く共同しなくっちゃ……したが彼奴を片附けるに、さしあたりどうするかだ。剣で行くか罠でやるかだが……』『なにを大袈裟な。――まるで王様をやっつけるみたいに云う……たかが薄野呂の羊飼風情を眠らせるに、えらく業々しい。――よし、こうしよう。どちらでも先に彼奴をやっつけた方が、遺産から二万フラン多く頂戴することにしよう。俺は誓って彼奴に言いきかしてやる。「首を拾えよ」とな。』『じゃ俺はシコンに「泳げや泳げ」と罵ってみせるよ。』そう代訴人は言って、胴着の綻びのように高笑いをした。そして二人は袂を分って、隊長は愛妾のところへ、代訴人は情婦である餝《かざり》職の女房の許へと、それぞれ晩餐をしたために行った。
 聞いて喫驚したのは、誰あろうシコンである。――天主堂でお祈りの最中ささやきあう時のような低い声音で、二人の従兄は寺町をぶらぶら行きながら密談したのであったが、なんと当のシコンの耳に、その怖ろしい己が殺人計画が、筒抜けに聞えて来たのである。声が上って来たのか、それとも耳が下って行ったのかと、シコンはひどく訝んだ。『長老様、お聞きになりやしたか?』『う、うん。炉で粗朶がはぜている音じゃな。』『ほ、ほう。地獄耳だの悪魔だのって、わしにはさっぱり縁がねえが、おらの守り神のサン・ミカエル様の御冥加でもあろうかい。免に角その仰せどおりに従いますべえ。』『そうじゃ、シコン、しっかりいたせよ。水にはまったり、首を切られたりせぬように、くれぐれも用心いたしたがよいぞ。どうやら荒れ模様じゃな。街の破落戸《ごろつき》に輪をかけた性悪ものが、どこぞその辺に沢山とおるからのう。』と長老には呟かれた。
 意外な伯父の言葉に、シコンは驚いて思わず顔を見たが、例の通りの快活な顔つきと、生々した眼と、弓のような足をした伯父の所体には、常日頃と変った様子はすこしも見えなかった。しかし差迫ったいのちの危険を、何とかシコンは善処せねばならず、長老の傍でぽかんとしたり、爪を切ってやったりは、何時でも出来ると考えて、悦楽のクライマックスに向って小走りに急ぐ女人のように、彼は急ぎ足で町へ出て行った。
 往々にして羊飼たちに閃くことのある天来の卜見に就いて、何の臆断もなし得なかった二人の従兄は、常々シコンを阿呆《うつけ》扱いにしていたので、憚るところなく彼の前で、幾度かおのれらが私行上の秘密を洩らしたことがあった。それで或晩のこと、長老の御機嫌を取結ぼうとして盗鶴は伯父に向って、餝屋の金銀細工師の女房をものにして、王者の豊額を飾るにふさわしいほど、金銀を鏤め、鏤刻を彫んだ、由緒深い一対の角細工を、燦然と莫迦亭主の額際に、寝取られ男の看板として取りつけてやった経緯《いきさつ》を、面白可笑しく話したことがあった。相手の女房というのは、裾貧乏の蓮葉女で、いたって密会度胸がよく、亭主の跫音が階段でしても、なおも平気で抱きついているし、莓を啖うように好きなものが好きで、いつも浮気沙汰しかあたまにはなく、溌剌とした跳ねっ返りやで、香水のように粋筋で、心咎めのせぬ貞女さながらに快活そのものであった。ずっと良人を凄腕で操って来たので、人の好い亭主は、まるで己が喉仏よろしく、女房殿を大事にしておった。それにもうここ五年も、天晴れ世帯のやりくりや、邪恋の道行を巧みに捌いて来ていたので、世間からは堅い御新造と云われ、良人からも信用を博して、家の鍵も財布もなにもかも、預かるほどの声望を持ったじゃじゃ馬になっていた。『それで何時その優しい笛をしらべるのだね?』と長老は代訴人に訊ねた。『毎晩ですよ。夜通し泊りこみのことさえあります。』『へえ、どうやってだい?』と驚いて長老には訊ねられた。『納戸に大きな衣裳長持がありまして、そこへ入り込むのです。お人好しの亭主は、毎晩仲間の羅紗屋の主婦さんのところへ張りに出掛けて、飯を御馳走になって来るのですが、帰ってくると早々に女房のやつは、頭痛がするとかなんとか云って、亭主を一人で寝かせて、長持のおいてある納戸へ、頭痛なおしにいそいそとやって来るという寸法です。翌朝、餝屋が仕事場に入った隙に、こっちはこっそり納戸からずらかるのですが、家の入口が橋の方と通りの方からと二つあるので、亭主のいない方から、訴訟事件の用で来たとつくろって、何時でも勝手に入り込めるのです。なに、その訴訟といったって、うまく仲に入って操っていますから、金輪際おわりっこありません。まるで間男としてのお手当金を頂いているみたいです。なにしろ裁判ときた日には、馬を厩舎に飼っておくのも同じで、いろいろと細かい無駄銭がかかって来るのを、そいつをのこらず亭主莫迦が、払っていてくれるのですよ。総じて寝取られ亭主と言えば、ヴィーナスの天然庭園を、共に手を貸し耕やかし、鋤き、灌ぎ、植え附けしてくれる間男を、みな有難がっているものですが、御多分に洩れずあの二本棒も、私に非常に感謝して、私がいなくては何一つ出来ない有様です。……』
 代訴人のこうした遣り口が、ありありとシコンの記憶に浮んだ。身に迫る危難の闇から、きらめいた一道の光芒に接して、シコンはにわかに明敏となり、わが身を護る本能から、たちどころに慧智が湧いて出たのである。どんな動物にも、きめられた生命の苧玉《おだま》を完うするだけの才覚は、ひとしく備わっているものである。
 シコンは急ぎ足でカランドル街に行き、羅紗屋の主婦《かみ》さんと差向いちゅうの餝職に逢おうとした。戸を叩いて、小さな鉄格子の間から、お上の御用でこっそり来た者だとシコンは佯わって入り、ちょうど食卓に就いていた陽気な餝職を、羅紗屋の一隅に招いて、これにいきなり告げた。『お宅で知り合いの男が間男をして、あなたを嬲っているとしたら、両手両足を縛されて引渡されたそいつを、川の中へ投げこんでやる気はありませんか?』『勿論のことだ。――したがそんな法螺を吹いて、この俺を担ぐ気なら、うんと痛い目をみるが承知か?』『結構ですとも。あたしはあなたの味方だから申すのですよ。あなたがここで羅紗屋のお主婦さんと楽しい差向いの隙に、お宅ではあの三百代言の鶴公と、いつもお上さんが、乳繰り合っているんですぜ。早く帰って細工場の鞴《ふいご》を御覧なさい、火事ぼうぼうでさあ。あなたのお帰りと同時に、あのここな丹田の煤払いの不埒者は、早速に衣裳長持に、どろんをきめこむ寸法になっているのです。どうです、ひとつ私がその長持を買い取ることにしようじゃありませんか。――車を持って橋の上で、万事あなたのお指図を、お待ちしていますぜ。』
 餝職はマントや帽子を手に取るや、羅紗屋に挨拶もせず、目の色かえてそこを飛び出して、毒を呑んだ鼠が巣に走り帰るように、まっしぐらに家に帰って、割れるように戸を叩き、つかつかと入って、いきなり二階に馳け上ると、二人前の御馳走が座に並べられ、隣りで長持の締まる音が聞え、何くわぬさまで不義の部屋から女房が戻って来た。『おい、どうして二人前ならべたんだ!』と彼は妻に叫んだ。『なに仰有ってるの。あたしとあなたの分じゃありませんか。』『嘘も好い加減にしろ。俺達は三人の筈だ。』『あら。羅紗屋さんも御一緒なの?』とわるびれもせず女房は言ってのけて、階段の方を振り返った。『いや、俺は長持の中においでの御仁のことを云っているんだ!』『まあ、長持ってどの長持?
 あなた気は確かなの?
 どこにそんな長持があるの?
 長持の中にひとを入れるだなんて!
 あたしがそんなことをする女と、思っていらっしゃるの?
 いつから人間の長持なんて出来たの?
 長持と人をごっちゃにするなんて、あんたったら、どうかしていらっしゃるんじゃない?
 相伴のお相手といったって、羅紗屋のコルネイユさんしか、あたし存じませんし、長持といったって、うちのおんぼろ着物を入れとく長持しか、他にないじゃありませんか?』『うん、だがなあ、お前がうちの代訴人の奴に跨られている、お前の長持に彼奴が隠れている、そう云ってわざわざこの俺に、告口に来た性悪《しょうわる》がいたんでなあ――』『まあ、このあたしがですって?
 あんな横車押しの三百代言となんか、胸糞わるくって堪らないじゃないの。――』『いや、解った、解った。お前が貞節そのもののことは、俺だって、ちゃんと承知している。あんなぼろ長持のことで、可愛いお前と口喧嘩しても、今更始まらないじゃないか。――見たばかりで気色の悪いあの長持を、ここへおいとくのもいまいましいから、早速にそのおせっかいな家具屋の野郎に、綺麗さっぱり売り払うことにしよう。そのかわりには、子供さえ忍び込めぬような小綺麗な長持を、二つ買うことにした。そうすればこれからは、お前の貞淑なのをやっかんで、告口したり、けちをつけたりした野郎も、ぐうの音も出まいさ。』『まあ嬉しい!
 あたしだって、あんな長持に、なんの未練なんかあるものですか。それにちょうど幸い、着物もみんな洗濯に出してあって、いまのところ何も入っていませんわ。明日の朝早くあの悪戯長持を、運び出させることにしましょう。ねえ、それよりか御飯を召上りません?』『沢山だ!』と亭主は答えた。『あの長持を片附けぬうちは、ろくろく飯も咽喉に通らん位だよ。』『まあ、長持を外に運び出すより、あなたの頭から追い出す方が、余計に手間がかかりそうね。』『なんだって?
 よし、――おうい!』と餝職は大声で鍛冶屋や徒弟たちを呼び集めた。『みんなやって来い!』
 忽ちに徒弟たちが集まって来た。長持を運び出せと親方は手短かに命じたので、恋の家具は俄かに納戸から運び出されたが、なかに忍んだ代訴人は、いきなり足が宙に浮いたために、普段あまり覚えもないことゆえ、ちょっと身体がよろめいて、バタリ音を立てた。『さあさあ、早くして。――あれ、何の音でもありゃあしないよ。台木がちょっと揺らいだだけさ。』と女房は口早に徒弟たちに言った。『いや、お前、あれは棹《シュヴィル》がぶつかったのだよ。』
 そう言って餝職は四の五の言わせず長持を階段からすべり下させながら、『おい、車の支度はどうだ!』と叫んだ。
 シコンは口笛を吹きながら騾馬を引っ張って来ていた。徒弟たちは力を協せて、荷車の上に代言箱を担ぎ上げた。『ひい、ひい、ひい。』と代訴人は悲鳴をあげた。『親方、長持が口を利いてますぜ。』と徒弟の一人が言った。『篦棒め、どこの言葉でだ?』と餝職は言いながら、徒弟の二つの泣きどころのあいだあたりを、したたか足で蹴飛ばしたが、そこが硝子細工でなかったことは、まこと不幸中の幸いであった。長持がどこの言葉を喋ったのか、石段の上に倒れたので、徒弟には究めつづける余裕もなかった。
 シコンは餝職と一緒に、川端に大荷物を運び出したが、物言う長持がいくら泣こうと喚こうと頓着なく、いくつか大石を長持に結びつけ、セーヌ河めがけてどんぶりこ、餝職は投げ込んだ。家鴨が水くぐりをするように、長持が沈み出した時、「泳げや泳げ……」とシコンはあらわな嘲りの口調で叫んだ。
 それからシコンは河岸通りを伝って、ノートル・ダム寺院の傍らのポール・サン・ランドリ街に行き、とある立派な家の門を手荒く叩いて、『おい、開けてくれ!
 国王の御用だ!』と喚いた。それを聞いて門口に馳せつけて来た老人は、当時名代の高利貸、ヴェルソリに他ならなかった。『何の御用で?』と彼は訊ねた。『今晩お宅へ押入りが這入る気配があるので、よく用心するよう、奉行所から注意に参ったのです。勿論、お上としても、ぬかりなく警吏たちの手配はしておきますが、曲者というのが、いつぞや貴老に偸盗を働いたあの兇暴な傴僂《あくざる》で、ひとの生命《いのち》なんか屁とも思わぬ奴ですから、くれぐれも邸の内外は厳しくお堅めになっていて下さい。』
 そう云ってシコンは、踵を廻らしてマルムウゼ街の方へ走り去った。コシュグリュ隊長がラ・パクレットを相手に、晩酌をきこしめしている場に、赴こうと思ってである。
 ラ・パクレットというのは、数ある娼婦のなかでも飛切りの上玉で、同じ朋輩の蔭口では、当代きっての凄腕の白首だそうで、生々したその眼は、匕首のように人を刺し、艶笑たっぷりの彼女の物腰に接しては、天国じゅうが春情《さかり》を萌そうし、取得といったら、横紙破りのところしかない厚顔無恥なしたたか女だった。
 マルムウゼ街に行く途中、シコンは相手の女の家を知らぬことと、うまくその家を探し当てても、恋の鳩どもが翼交して寝てしまったあとかも知れないという懸念から、ひどく気掛りだったが、上天の御使の有難いお導きか、万事シコンの思う壺にはまった。というのはマルムウゼ街に入ってみると、窓々に沢山明りが見えていて、寝帽子を冠ったあたまが、それぞれ戸外に突き出ていた。娼婦や女中や女房や亭主や娘子など、いずれも起きぬけのところらしく、松明の明りで刑場に牽かれてゆく盗人を眺めてでもいるように、顔を向きあわしていた。まさかり槍を片手に持って、慌てて戸口に顔を出した男に、シコンは聞いた。『もし旦那、なんの騒ぎで?』『なあに、なんでもありませんや。アルマニヤック党の手兵が町に押寄せて来たのかと思ったら、あれは悪猿がパクレットを引叩いているのでさあ。』とお人好しは答えた。『どこで騒いでいるんです?』『あすこに見えるあの家ですよ。標柱の上部に蚊母鳥が美しく彫ってある家でさあ。あれ、あの叫びは下男や下女どもですよ。』
 なるほど「人殺し!」「助けて!」「誰か来てくれ!」「大変だ!」というような叫びが聞えたかと思うと、家のなかで烈しい打擲の音がし、悪猿の太い声音《こわね》で、「この地獄め、くたばってしまえ!」「まだ泣きやがるのか、こいつ!」「なに、金が欲しいと、へん、これでもくらえだ!」などという悪態とともに、「あーん、あんあん、人殺し、いたい、助けて!
 死ぬよう!」というラ・パクレットの呻き声が、しばし聞えていたが、やがて剣の音がちゃりんとして、ついで妖婦の華車な身体が倒れる鈍い物音がして、それから深い深い沈黙が続いた。――あちこちの燈火も次々に消え、下女や下男や客人たちも、どやどや各自の部屋に戻り始めた。シコンは折よくそれらの人たちにまぎれて、屋敷に入り込んで二階に上ってみると、酒壜は壊れ、壁掛は裂かれ、床にはナプキンや皿小鉢が散乱していて、弥次馬どももみな立竦んで、一歩も近寄ろうとはしない。一念凝った男のように勇敢なシコンは、パクレットの立派な寝室の扉を押し破って入ると、女は髪はざんばらになり、胸許もあらわに、血に塗れた絨毯の上に、ぐったり倒れていた。その傍らに悪猿が茫然として、最前からの讃歌の続きを、どう唱えつづけたものやらと、術なさそうに見えたが、低い声音で、『おい、可愛いの。死んだ真似なんぞ止せよ。こっちへ来い。仲直りしたいんだろう。この悪性女め、おい、死んでるのか、生きてるのか、血みどろの眺めなんて、偶にはちょっとおつだぜ。よし抱いて寝て可愛がってつかわそう。』
 そう言いながらコシュグリュは、女を抱き上げて、寝床に抛り出したが、まるで首吊りの屍骸の如く、硬ばってどさりと落ちたので、ギョッとして、いちはやく高飛びの肚をきめたが、なおも図々しく立去る前に、『おお、可哀想なパクレットさまよだ。お前のようなやさしい色女を、どうしてこの俺の手にかけられようか。――とはいうもののお陀仏か。可愛らしい乳房が、だらりとそんなに下るとこなんて、ついぞ生前はお目にかかれなかったな。まるで頭陀袋のなかの金貨みたいだぜ。』
 その言葉に、パクレットは薄く片目を開けて、首をそっと伸ばして、白いむっちりした己が胸許を眺めた。と、いきなり起き上って、隊長の頬にピシャリと平手打ちをくらわせて、ピンピン生き返ったところを見せた。『死んだ仏の悪口を叩くなんて、覚えてらっしゃい!』と微笑しながら云った。『あんたったら、まあなぜ、殺されはぐるような目に遭ったんだね?』とシコンは訊ねた。『なぜ<傍点>もこう<傍点>もありゃしない。明日は執達吏が来て、ここの家のものをのこらず差押えようという矢先に、この人ったら持ってるものは気位ばかりの一文なしときてるの。それであたしがいい鴨を掴えて、うまく金を絞り、このお手詰りを切り抜けようと言ったら、このひと滅茶苦茶に怒り出したのよ。』『おい、パクレット、好い加減にしろ!』『へえ、それんばかりのことで、おっぱじまったんですかい。』とシコンは云った。この時初めて隊長は、シコンの存在に気づいた。『コシュグリュさん。あたしは豪勢な金蔓を握って来たんですがね。……』とシコンは言った。『へえ、で、それはどこにあるんだ?』隊長は喫驚して訊ねた。『ちょっくら耳をおかしなすって、内緒話で。……いいですかい、三万エキュばかりの金が、梨の木の下で、夜分ひとの来るのを待っているとしたら、誰だって勿体ながって拾うでしょうが?』『おい、シコン、俺をからかいに来たんだったら、犬のように叩っ殺すがいいか。――したが、この俺様の為に三万エキュの金を拝ましてくれるというなら、川ぶちで三人ほど素町人を手にかけるような荒仕事であろうと、喜んで俺はお礼に貴様の好きなところを舐め廻ってやるぜ。』『なんの女っ子ひとり殺すがものはありませんや。まあ聞いて下せえ。伯父さんの家のすぐ近くの|中の島《シテ》に住んでいる高利貸のところの女中と、わしはかねて好い仲なんでして、へ、へ、へ、で、ちょうど昨晩のこと、歯が痛んで堪らないもんで彼女は、天窗《てんまど》に顔を出して風に吹かれていたところが、その高利貸の先生が天使さましか御存じあるめえと、屋敷の梨の木の根元に、千両箱を埋めているところを、見るともなしに見てしまったもので、恋の口説の合の手に、あっしにべらべら喋ったんでがす。なんでも慥かな筋の話だと、今朝方高利貸は田舎の方へ、旅立って行ったそうな。で、物は相談です、私にもたんまり分け前をくれるんなら、そこの塀に攀じ登れるよう、この肩を踏台にお貸し申そうじゃありませんか。梨の木は塀のすぐ傍ですから、造作なく飛び移れるっていう寸法でさあ。どうです、これでもわしを馬鹿で間抜けだと仰有れますかい?』『なるほど、でかしたぞシコン、お前なかなかの利口者だ。いや、天晴れな男前だ。今後もしお前に、眠らせたい奴でもあったら、何時でも俺にそう言って来てくれ。よしんば俺の友だちであろうと、きっとそいつをばらして進ぜるから。なあ、シコン、お前は俺にとって従兄どころじゃない。兄弟だ、兄弟分以上だ!
 さあ、パクレット、――(悪猿はラ・パクレットに向って)早く御馳走の支度をやり直せ。血なぞさっさと拭いてしまえ。お前の血は俺のもの。いましがたの百倍もの血(腎水)を、いざといえばこの俺の身体から償って返してやらあ。一番いい精血を引き出すさ。俺らの怖《おじ》け鳥を猛《たけ》らせようぜ。ほら、スカートがまくれてるぞ。おい、笑えよ、笑ってみせるんだ!
 いいか、腕によりをかけておいしいシチウをつくるんだぞ!
 さっきしかけた食前の晩祷に、またかかるんだから。なあ、明日になったら、お前を女王様よか豪勢にしてやるぜ。何はさて措いても、ここな従兄どんに大散財せにゃならんのだ。その代り明日という日には、しこたまぽんぽへお金が転がり込んでくるからな。さあ、いざや攻めなん、ハム公をだ!』
「|主が爾曹と共にあらんことを《ドミニス・ヴォビスコム》」と司祭が唱える暇もないくらいのうちに、この愛鳩の巣は、いましがた笑いから泪に移ったように、たちまち今度は、泪から笑いへと早変りしてしまった。淫佚の嵐が猛り狂っているこうした淫猥な屋形うちでは、色恋にはえてして抜身がつきものであるが、何分にも高襟の上臈方とは別天地のこととて、とんと御納得にも参りますまい。
 コシュグリュ隊長は授業を終った生徒百人ほどの陽気さで、さかんにシコンに酒を振舞ったので、田舎者流に遠慮なくきこしめした羊飼は、したたか酔った風を装い、くだくだと迷弁を弄し始めた。――いえば、明日になったら巴里を買い取ろうだの、十万エキュばかり王様に貸してやるだの、黄金のなかで黄金《うんち》を垂れようだのと、あじゃらな法螺を吹き立てたので、悪猿はとんだ内緒事でも、素破抜かれてはと危ぶみ、且つはシコンの頭がはぐれだしたものと考え屋外に誘い出した。――いよいよ山分けという時には、シコンの土手ッ腹に風穴を開けて、こんなに鱈腹とシュレーヌの豪酒を腹中におさめ得たのは、どこぞに海綿でも入っているせいではないか、調べてやろうとの殊勝な魂胆もあった。二人は冥茫その極に達した神学上の論議に、口角泡を飛ばせながら、高利貸が金を埋めた庭の塀際まで、忍び足で辿りついた。
 コシュグリュはシコンの幅広の肩を足場にして、城砦攻略はお手の物の武弁よろしく、ひらり梨の木に飛び移ったが、かねて待ち伏せていたヴェルソリが、隊長の頸筋に三太刀ほど続けざまにしたたか浴びせかけたので、悪猿の首は宙にと飛んだが、「|首を拾えよ<傍点>」と叫んだシコンの晴れやかな声音を、空中で耳にしたのに違いはあるまい。
 こうして寛厚なシコンは、日頃の善根の功徳を受けたのであったが、長老の屋敷に急ぎ戻るのが賢明と思って、サン゠ピエール・オ・ブー街に勇み足で帰り、従兄弟という言葉はどんな意味か、もう知る必要もなく、生れたての赤ん坊のように、すぐすやすやと寝入ってしまった。――神のお恵みで遺産もここに、秩序立って単一化したからである。
 翌朝、羊飼の常として、シコンは日と共に起き出し、伯父の部屋に行って、白い痰を吐いたか、咳が出たか、熟睡出来たかと、お伺いを立てようとすると、――長老はノートル・ダムの最高守護神であるサン・モーリスの朝祷の鐘の音を聞かれ、今日はその祭日なので、例の信心深いところから、寺院に勤行に行き、司教会員たちと一緒に、巴里大司教の許へ朝の御斎《おとき》をよばれに廻ったと、老女中のビュイレットがシコンに言うので、『こんな寒い朝っぱらからお出掛けになったりして、風邪を引くか、僂麻質斯に罹るかほかはねえのに、なんだって酔興に出て行かっしゃったか。早くおっ死にたいのかしらん。戻って来て温まれるよう、お部屋にどんどん火を起しておこう。』
 そう呟いてシコンは、長老のいつもの居間に入ってみると、驚いたことに、伯父がもうちゃんとそこに端坐していた。『おや、あのビュイレットの気違い婆め、とんだ嘘を吐かしやがる。――こんな時刻に内陣の僧座で厳修をなさるほど、無鉄砲な伯父さんじゃないと思っていましただよ。』
 しかし長老は一言も返事をしなかった。およそ世の碩老が霊感によって、超自然界の精霊と、時おり神変不可思議の交媒を心内で行う通力を有していることは、内に慧敏を秘めたシコンも、冥想家の慣いとして、さすがに弁えていたので、伯父の霊怪な沈想を尊重いたして、その傍らをそっと離れて、交感の終るのをしばし恭しく待っているうち、ふと長老の足許に眼をやると、スリッパーを突き通すほどの勢いで足の爪が長く伸びているので、よくよく見てみると、足の肉が真赤で、ズボン下も赤く染まるくらい、布地を越して燄々としているので、「おや、死んでいるのかな?」とシコンは思った。
 と、ちょうどその時、部屋の戸が開いて、鼻を凍らかした当の伯父が、またひとり勤行から戻って来たので、シコンは思わず叫んだ。『おや、伯父さん……こりゃ妙だ!
 いまのいままで火の傍に坐っていたと思ったら、……もう戸口から戻って来るなんて、どうもはあ、訳がわかんねえなあ。伯父さんがこの世に二人あるわけはなしと……』『なんだ、シコン、同時に二たところにおられたら、随分ひとも重宝だろうと、儂はずっと前には望んだこともあるが、人間業じゃかなわんことさ。あんまり話がうますぎる。――お前なにか見間違えしたのだろう。わしはここに一人しかおらんよ。』
 そう言われて、シコンは椅子の方を振り向くと、もうそこには伯父の影もかたちもないので、全くの話、驚いて傍へ近寄ってみると、床の上に僅かばかりの灰がちんまり残っていて、そこから硫黄の匂いが強く彼の鼻を衝いた。『ああ、悪魔がわしを助けてくれたのだ!
 御恩になった悪魔のために、神様にお祈りを唱えて上げよう。』とシコンは息勢《いきせい
》張って言った。
 そしてシコンは長老に、悪魔が、或いはもしかするとやさしい神様が、性悪の従兄たちをまんまと片附ける手助けをしてくれた顛末を、ありのままに物語った。伯父は物のよく分った方だったし、それに悪魔の好いところも、時おりは認めていただけに、シコンの話に感服して、ともどもに喜んでくれた。かつまたこの高僧は、善のなかにも悪があるように、悪のなかにも善があることを、かねて気づいていたので、未来や来世のことなぞ、そう気にせぬがよろしいとまで、放言めされたこともあったくらいである。ただしこの由々しい邪説に対しては、幾多の宗教会議が催され、糾弾を受けたとのことではあるが。――
 さてシコン家が巨万の富を擅にするようになった経緯は以上の通りで、最近、シコン家が先祖代々の財貨の一部を投じて、サン・ミカエル橋の構築に寄進いたしたが、その橋に悪魔が天使の足下に麗々しい顔をして彫られてある因縁は、正史にも記されたこの奇譚を、実に記念してなのである。

悪魔の後嗣
 L’HÉRITIERDUDIABLE
 アルマニヤック党云々とあるから、この物語は時代を十四世紀末、乃至は十五世紀初頭と考うべきであろう。場所は巴里である。悪魔が実在視されているのは「コント・ドロラティク」のなかでは本篇一つで、あとは「妖魔伝」でも「婬魔伝」でも、悪魔は非実在として描かれている。篇中出て来るヴェルソリは実在人物である。なお姦夫を箪笥長持に入れて川に投げ込むという趣向は、各国各時代の物語にあり、ファブリオや東洋のコントにもある。姦夫として坊主が川に投げ込まれる話がとりわけ多い。

中井正一「土曜日」巻頭言(17)

◎平凡な人間の声、 人民の声の中に真実はある 一九三七年七月二十日

 爽やかな感じというものは、温るま湯にじっとつかっているような感じではない。
 身にさらさらと、何物かを払うがごとく、あたってくる衝激に、軽い心持ちで応えている感じである。何か常に新しいものがたえず身辺を流れ洗っている感じである。
 それは失いたくない感じである。
 物事をなすにあたって、グループをつくることがあるとき、人々は、お互いに感情を害せずお互に褒めあい、闘わない温い集りを目的とすることがある。
 しかし、それでは、お互いに批判したり、自分自身を、いけなかったと反省したりする余地がなくなってしまう怖れがある。
 のみならず、それでは、自尊心を失った、阿諛追従の傾向のもののみが集る傾きをつくりあげるのである。
 こんなことは下は小さな集まりから、上は国家的重大問題にも共通におこなわれる危険な傾向である。
 爽やかさとは、自分を、指摘されたる誤りの中で、裸かのまま検分することである。自分が、自分よりも、もっと真実を愛したことを示すことである。ほんとうの誇りの中に立つことである。つまらぬ誇りなんかは、さらりさらりと西の海に棄てることである。つまらぬ仲間ぼめの中に昂奮しないことである。
 今、社会は、物価とか、信用とかの問題を越えて、物そのものが不足してきたことを示してきた。
 人間のどんなグループの集まりも、政治のどの党派もこの物そのものの不足という、行きすぎのとがめ、現象自体の批判を、眼前に見ている。
 この行きすぎのとがめが何から来るか、これを一日も早く考えるべきである。
 人民が一日一日生きている姿は、それで立派に一つの批判である。この苦しさが、棄てようもない、立派な大きな批判である。
 何人も爽やかにこの批判の前に立つべきである。
 この現象自身の示す、行きすぎのとがめは、この批判は、「断」の一字ではなかなか解決しないし、そんな考え方がユートピアの考え方なのである。
 平凡な人間の声、愚民と考えられている人民の声の中に、真実はみちている。
 一片の机上の計画の実験を数億の血と汗と胃でいきなり実験する前に、その数億の人間の声に深く問いただす心こそ、爽やかな日本人らしい、すがすがしい清明の心持ちではあるまいか。

読書ざんまいよせい(053)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(05)

     第五章 社會主義の効果

〇說て此に至らば、一團の疑惑は雲の如く、油然として直ちに衆人の心頭を衝て起る者あらん、何ぞや。
〇日く、古來人間の氣力奮揚し、智能練磨し、人格向上することを得る所以は、實に生存の競爭あるが爲めに非ずや。若し萬人衣食の慮る可きなく、富貴の進取すべきなく、賢愚强弱皆な平等の生活に安んぜざる可らずと爲さば、何物か又吾人の競爭を鼓舞せんや。競爭なきの社會には卽ち勤勉なけん、勤勉なきの社會には、卽ち活動進步なけん、活動進步なきの社會は、卽ち停滯、堕落、腐敗あるのみ。社會主義實行の効果は、唯だ如此きに止まらざる乎と。
〇獨り庸衆の、這個の杞憂を抱けるのみならず、碩學スペンサーの如きすら亦日く、『社會主義の制度は總て奴隸制度也』と。ベンジヤミン・キツドも亦大著『ソシアル・エヴオルーシヨン』中に論じて謂らく『個人の生存競爭は、啻に社會あって以來のみならず、實に生物あって以來、常に進步の源たる者也、而も社會主義の目的は全く之を禁絕するに在り』と。而して今の地主資本家に阿媚して自ら利する者あらんとするの徒、亦此種の言說を誇張し、以て社會主義の大勢に抗する唯一の武器と為すもの ゝ如し。
〇夫れ社會主義の為す所にして、果して個人の自由を奪ひ社會の進步を休せしむる彼等の言の如くならん乎、其唾棄すべきや論なし。然れども是れ誤謬也、謬誤にあらずんぱ卽ち讒誣《ざんぶ》也。
〇思へ所謂生存競爭が社會進化の大動機たるは、豈に彼等の言を待て後ち知らんや。而も古來社會の組織が漸次其狀態を異にするに至るや、之を刺擊し活動せしむる所以の競爭其物も從つて其性質方法を異にせざることを得ず。腕力の競爭が智術の競爭となれるを見よ、個人の競爭が團體・の競爭となれるを見よ、武器の競爭が辯說の競爭となれるを見よ、掠奪の競爭が貿易の競爭となれるを見よ、侵略の競爭が外交の競爭となれるを見よ、生存競爭の性質方法が、常に社會の進化に伴ふて進化せるの迹を見る可らずや。
〇而して見よ、現時の經濟自由競爭が殖產的革命の前後に於て、世界商工の發達に與って大に力ありしことは、予も亦之を疑はず、然れども此等競爭を必耍とせし時代は旣に過ぎ去れり。今や自由競爭は果して何事を意味すとする乎、唯だ少數階級の暴橫に非ずや、多數人類の痛苦に非ずや、貧富の懸隔に非ずや、不斷の恐慌に非ずや、財界の無政府に非ずや。是れ實に社會の進化に益なきのみならず、却って其堕落を長ずる者に非ずや、如此にして吾人は猶ほ共保存を希ふの理由ある乎。
〇太初蠻野の時に於てや、暴力の鬪爭は社會進化の爲めに共唯一の動機たりき、而も今日に於ては直ちに一個の罪悪に非ずや、若し競爭は進步に必耍なるが故に、暴力も之を禁ずるを得ずと言はヾ、誰か其無法を笑はざらんや。今の自由競爭を以て必要となすの愚は實に之に類せずや。
〇且つや眞個の競爭を試む、必ずや先づ競爭者をして平等の地位に立たしめざる可らず、其出發點を同じくせしめざる可らず。而も今の競爭や如何、一は生れながらにして富貴也、衣食足り敎育足り、加ふるに父祖の讓與せる地位と信用と資產とを以てす、他は貧賤の子也、凍餒《とうだい》窮苦の中に長じ、敎育なく資產なく、地位なく信用なし、有る所は唯だ赤條々の五尺軀のみ。而して此兩者を直ちに競爭場裡に投じて長短を較せしむ。而して其勝敗の決を見て喝采して日く、是優勝劣敗也と、是れ豈に殘酷なる虐待に非ずや、何ぞ競爭たるに在らんや。
〇然り今の自由競爭や、決して眞個公平の競爭に非ざる也、今の禍福や決して勤惰の應報に非ざる也、今の成敗や決して智愚の結果に非ざる也。運命のみ、偶然のみ、富籤を引くと一般のみ。
〇否な所謂自由競爭の不公なるのみならず、此等不公の競爭すらも、今や殆ど之を試むるの餘地なきに至らんとす。見よ、世界產業の大部は旣に偶然を僥倖せる資本家の獨占となれるに非ずや、世界土地の大部は、旣に運命の恩籠ある大地主の兼併に歸せるに非ずや、而して資本を有せざる者及び土地を有せざる者は、唯だ彼等の奴隸たるの外なきに至れるに非ずや。然り自由競爭の名は美也、而も事實に於て經濟的競爭は竟に其迹を絶たずんば已まず。豈に特に社會主義の之を廢絕することを待たんや。
〇於是乎生存競爭の性質方法は、更に一段の進化を經ざることを得ず。社會主義は實に這個進化の理法を信じて、社會全體をして此理法に從はしめんと欲す。然り現時卑陋の競爭を變じて高尙の競爭たらしめんと欲す、不公の競爭を變じて正義の競爭たらしめんと欲す。換言すれば卽ち衣食の競爭を去て、智德の競爭を現ぜんと欲する也。
〇試みに思へ、人生の進步向上にして、單に激烈なる衣食の競爭の結果なりとせん乎、古來高材逸足の士は必ず社會最下府の窮民中に出づべきの理也。而も事實は之に反す、人物が多く富貴の家に生ぜざると同時に、極貧者の中に出づること亦甚だ稀なるに非ずや。他なし富貴の階級や、常に侫娼阿諛《ねいびあゆ》の爲めに圍繞せられて、志驕り氣餒ゑ、徒らに快樂の奴となり、窮乏の民や終生衣食の爲めに遑々として、唯だ飢凍に免る、に急なれば也。
〇然り高尙なる品性と偉大の事業とは、決して社會貧富の兩極端に在らずして、常に中間の一階級より生ずる者也。彼れ夫れ資財ありと雖も未だ彼等を厲敗せしむるに足らず、勤勞を要すと雖も、未だ彼等を困倦《こんけん》せしむるに至らず、猶ほ其智能を磨くの餘裕有り、心氣を奮ふの機會多ければ也。見よ封建の時に於て武士の一階級が其品性の尤も高尙に、氣カの尤も旺盛に、道義の能く維持せられたる所以の者は、實に彼等が衣食の爲めに其心を勞するなくして、一に名譽、 道德、眞理、技能の爲めに勤勉競爭するの餘裕機會を有せしが爲めに非ずや。若し彼等にして初めより衣食のために競爭せざる可らざらん乎、直ちに當時の『素町人根性』に隨落し去らんのみ、豈に所謂『日本武士道』の光榮を擔ふことを得んや。
〇基督は富人を嚴責するに、其天國に入り難きを以てし、貧しき者は幸福なりと日へり。然れども知らざる可らザ、當時の猶太の貧民は、漁農を務め、エ獎を勵み、以て獨立の生を營めるの中等民族にして、決して今日多數の賃銀的奴隸と同視すべきに非ざることを。而して社會を擧げて是等中等民族と為さんとするは、是れ社會主義の目的とする所に非ずや。
〇爰に人あり、雇主の叱陀を恐るゝが爲めに非ず、財貨の報酬を望むに非ず、唯だ工作を愛するが爲めに建築に從事すとせよ、唯だ神來に乘じて其大筆を揮洒《こんしや》すとせよ。彼等の藝術は如何に其眞を得、善を得、美なるを得べきぞや。其他幽奧なる哲理の探討や、精緻なる科學の硏究や、如此にして始めて大に其光修を放つべきに非ずや。
〇更に一面より見る、現時社會の陵落と罪惡の大半は實に衣食の匮乏に因す、金錢の競爭に因す。家庭の平和も之が爲めに害せられ、婦人の節操も之が爲めに汚され、士人の名讐も之が爲めに損せられ、而して一國一社會の風敎、道德之が爲めに壞敗せらる。見よ現時我國監獄の囚徒七萬人、而して其罪狀の七割は實に財貨に關する者也といふに非ずや。古人言ひ得て佳し、『金が敵の世の中』なりと。若し世に金銭の競爭なかりせば、社會人心は如何に純潔なる可りしぞ、少くも今の罪惡は其大半を掃蕩す可きに非ずや。而して能く吾人の爲めに、金銭てふ怨敵を滅絶し、衣食競爭の蠻域を脫せしむる者は社會主義に非ずや。ウィリアム・モリスは日く『人が財貨の爲めに心を勞するなきに至るも、技費 萬有、戀愛等は、人生に與ふるに趣味と活動とを以てす可し』と。是等の趣味と活動は、吾人の爲めに更に正義高尙なる自由競爭を開始して、以て社會の進化を促進するを得ん也。
〇言ふこと勿れ、衣食の慮る可きなくんば、人は勤勉することなけんと。人の勤勉を促す者、豈に唯だ財貨のみならんや、人間の性情は未だ如此く汚下ならざる也。見よ彼の深山大海の探險や、學術上の發明や、文學美術の大作や、共他各々好む所に從ひ適する所に向って其技能を試むるに當つてや、心中獨り自ら愉悅に堪へざるもの無くんばあらず。况んや之に加ふるに多大の名譽光榮の酬ゆるありとせば誰か欣然として共勤勞に服せざる者らんや。少年の學生が孜々として學ぶ者は、決して衣食の爲めにするに非ざる也、兵士の奮躍して死に趨くは、決して衣食の爲めにするに非ざる也。
〇現時勞働者の大抵勤勞を厭ふて、動もすれば安逸を貪るの狀あるは、予も亦之を認む、然れども是れ豈に彼等の罪ならんや。夫れ演劇を觀、角觝《かくてい》を樂む者と雖も、其長きに及べば卽ち倦怠を感ず。况んや悪衣惡食にして、一日十數時間の勤勞に服す、以て少壯より老衰に至る、何の希望なく、何の變化なく、何の娛樂なし。而して其事業や必しも共好む所に非ざる也、唯だ衣食の爲めに驅らるゝのみ。而して彼等が勤勞の功果や、共大部は卽ち他人の爲めに掠奪せられて彼等は僅に其生命を支ふるに過ぎざるに非ずや。之を如何ぞ疲勞厭倦せざることを得んや。然り今の勞働者が衣食の爲めに驅らるゝや、牛馬の如し、彼等の心身は旣に共鞭笞に堪へざるに至れり。彼等が懶惰を以て其樂園と爲すに至れる者、一に現時社會組織の弊害之を致せるのみ。
〇夫れ人は其勤勞の長きに堪へざるが如く、亦逸豫の長きに堪へず。試みに今日の勞働者に向つて、汝の衣食は給せらるべし、汝是より勤勞を要せずと言はヾ、彼等は初め喜んで其情眠を貪らん。而も如此き者數日ならしめよ、十數日ならしめよ、數月ならしめよ、彼等は漸く其徒然無為に飽きて、必ずや多少の事業を求むるに至るや明らか也。
〇故に社會主義制度の下に處して、衣食あり、休息あり、娛樂あり、而して後ち其好む所、適する所に從って、一日三四時乃至四五時、其强健の心身を勞して社會に奉ずるが如きは、却って是
れ一種の滿足あらんぱあらず。苟くも人心ある者誰か敢て避躱《ひたい》せんや。『勞働の神聖』てふ語は、於是て初めて意義あることを得ん也。
〇若し夫れ社會主義を以て個人の自由を沒却すといふに至っては、妄之より甚しきは莫し。予は先づ此言を為すの人に向って反問せん。現時果して所謂個人の自由なる者ありやと。
〇宗敎の自由は之れ有らん、政治の自由は之れ有らん、而も宗敎の自由や、政治の自由や、凍餒《とうだい》の人に在ては、一個の空名に過ぎざるに非ずや。所詮經濟の自由は總ての自由の要件也、衣食の自由は總ての自由の樞軸也、而して今果して之れ有る乎。
〇米國勞働者同盟第十三囘大會に於けるヘンリー・ロイドの演說の一節は、答へ得て痛切也、日く『米國獨立の宣言や、昨日は自治(セルフ・ガバーンメント)を意味せりき、今日は卽ち自業(セルフ・エンブロイメント)を意味す。眞個の自治は卽ち自業ならざる可らず。……而も今や勞働者が其爲す可き所を爲し得ず、其耍する所を與へられざるは、滔々皆な然らざるなし。勞働者は勞働の八時間ならんことを欲す、而も彼等は十時間、十四時間、十八時間の勞働に服せざる可らず。彼等は其子女を學校に選らんと欲す、而も却て之を工場に送らざる可らず。彼等は其妻の家庭を治めんことを欲す。而も却て之を機器車輪の下に投ぜざるを得ず。彼等は病で靜養を欲するの時、猶ほ勞働せざることを得ず、勞働を欲するの時却て解雇の爲めに失業せざることを得ず。彼等は職業を乞ふて得ざる也、彼等は公平の分配を得ざる也。彼等は他人の私慾若くば野望の爲めに、彼等自身の、彼等の妻の、彼等の子女の、四肢體軀、健康、生命すらも犧牲に供せざることを得ず』と。豈に獨り工場の勞働者のみならんや、今の世に處して生產機關を有せざる者は、其生活の不安にして苦痛なる、皆な然らざるなし、而も彼等は呼で日く自由競爭也、自由契約也と。是れ强制の競爭のみ、是れ壓抑の契約のみ、何の自由か之れ有らん。
〇社會主義の主張する所は、實に這個の强制を位せしめんとするに在り、這個の庶抑を免れしめんとするに在り。一八九一年エルフルト大會に於ける獨逸社會民主黨の宣言書の一節は日く『這個社會的革命は、特に勞働者の解放《エマンシペーシヨン》のみならず、實に現時社會制度の下に苦惱せる人類全體の解放を意味す』と。思へ社會主義一たび實行せられて、天下の雇主の爲めに驅使せらるゝの被雇者なく、權威に席抑せらるゝの學者なく、金錢に束縛さる、の天才なく、財貨の爲めに結婚するの婦人なく、貧窮の爲めに就學せざるの兒童なきに至らば、個人的品性の向上せられ、其技能の修練せられ、其自由の伸張せらる、は果して如何ぞや。
〇ミルは日く『共產主義に於ける檢束は、多數人類に取て、現時の狀態に比して、明かに自由なる者あらん』と。彼の所謂共産主義は卽ち今の社會主義を意味する者也。
〇然り宗敎革命は吾人の爲めに信仰の桎梏《しつこく》を撤したりき、佛國革命は吾人の爲めに政治の束縛を免れしめき。而して更に吾人の爲めに衣食の桎梏、 經濟の束縛を脫せしむる者は、果して何の革命ぞや。エンゲルは卽ち社會主義を稱して日く、『是れ人間が必要《ネセンシチー》の王國《キングドム》より一躍、自由の王國に上進する者也』と。
〇夫れ唯だ『自由の王國』也。是を以て社會主義は國家の保護干渉に賴る者に非ざる也。少數階級の慈善恩惠に待つ者に非ざる也。其國家や人類全體の國家也、其政治や人類全體の政治也。社會主義は一面に於て實に民主主義《デモクラシー》たる也、自治の制たる也。
〇今の國家や唯だ資本を代表す、唯だ土地を代表す、唯だ武器を代表す。今の國家は唯だ之を所有せる地主、資本家、貴族、軍人の利益の爲めに存するのみ。人類全僚の平和、進步、幸福の爲めに存するに非ざる也。若し國家の職分をして如此きに止まらしめば、社會主義は實に現時の所謂『國家』の權力を減殺するを以て、其第一着の事業と為さざる可らず。然り封建の時に於ては人類、人類を支配したりき、今の經濟側度の下に於ては、財貨、人類を支配せり、社會主義の社會に在ては、實に人類をして財貨を支配せしめんと要す、人類全體をして萬物の主たらしめんと要す。豈に奴隸の制ならんや、豈に個人を沒却する者ならんや。否人生は此如にして初めて其眞價を發揚す可きに非ずや。
〇社會主義は、現時國家の權力を承認せざるのみならず、更に極力軍備と戰爭とを排斥す。夫れ軍備と戰爭とは、今の所謂『國家』が資本家制度を支持する所以の堅城鐡壁とする所にして、多數人類は之が爲めに多大の犧牲を誅求《ちうきう》せらる。今や世界の諸强國は軍備の爲めに、實に二百七十億弗の國債を起し、而して單に之が利息のみにして、常に三百萬人以上の勞働を要すといふに非ずや。加之幾十萬の壮丁は常に兵役に服し、殺人の抜を習ふて無用の勞苦を曾めざる可らず。獨逸の如き、壯丁の多數は皆な兵士として徴集せられ、田野に礬する者は、半白の老人若くば婦女のみなりといふ。嗚呼是れ何等の悲慘ぞや。況んや一朝戰爭の破裂に會ふや、幾億の財帑を糜《ついや》し、幾千の人命を損して、國家社會の瘡痍永く癒ることを得ず、贏《あま》す所は唯だ少數軍人の功名と、投機師の利益のみ。人類の災厄罪過豈に之に過ぐる者あらんや。
〇若し世界萬邦、地主資本家の階級存するなく、貿易市場の競爭なく、財富の生産饒多にして、其分配公平なるを得、人々各其生を樂しむに至らば、誰が爲めにか軍備を擴張し、誰が爲めにか戰爭を為すの要あらんや。是等悲慘なる災厄罪過は爲めに一掃せられて、四海兄弟の理想は於是乎始めて實現せらる、を得可き也。社會主義は一面に於て民主主義たると同時に、他面に於て偉大なる世界平和の主義を意味す。
〇故に予は玆に再言す。社會主義を以て競爭を廢止する者となすこと勿れ、社會主義は衣食の競爭を廢止す、而も是れ更に高尙なる智德の競爭を開始せしわんが爲めのみ。勤勉活動を沮礙《そがい》すと云ふこと勿れ、社會主義の除去せんとするは、勤勉活動にあらずして人生の苦惱悲慘のみ。個人を沒却すといふこと勿れ、社會主義は却って萬人の爲めに經濟の桂梏を脫却して、十分に其個性を發展せしめんと欲するに非ずや。奴隷制度なりと云ふこと勿れ、社會主義の國家は階級的國家に非ずして、平等の社會也、 專制的國家に非ずして博愛の社會也、人民全體の協同の組織を為して、以て地方より國家に及び、以て國家より世界に及び、四海平和の惠福を享受せんとする者に非ずや。
〇果して能く如此しとせぱ、誰か又社會主義的制度の下に在て、人間品性の向上、道德の作興、學藝の發達、社會の進步が今日に比して更に幾曆倍なるを疑ふ者ぞ。
   議事者。 身在事外。 宜悉利害之情。
   任事者。 身居事中。 當忘利害之慮。
[編者注:典拠は、菜根譚 前集百七十四項 読み下し、事(こと)を議(ぎ)する者(もの)は、身(み)を事の外(そと)に在(あ)りて、宜(よろ)しく利害(りがい)の情(じょう)を悉(つく)すべし。事に任(にん)ずる者は、身を事の中に居(あ)りて、当(まさ)に利害の慮(おもんぱかり)りを忘(わす)るべし。(物事は始まるまでは多面的に考え付くし、いざ実行する段になれば、あれこれ考えずにひたすら行動しなさい。)]

読書ざんまいよせい(052)

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(01)

     

 「シベリヤはどうしてかう寒いのかね?」
 「神様の思召しでさ」と、がたくり馬車の馭者が答へる。
 もう五月といへば、ロシャでは靑葉の森に夜鶯《うぐいす》が喉をかぎりに歌ひ、 南の方なら夙《とう》にアカシャやライラックの花も匂ってゐように、ここチュメーン*からトムスクへの道筋では、土膚は褐色《かちいろ》に黑ずみ、 森といふ森は裸かで、 湖沼には氷がどんよりと光り、 岸や谷あひにはまだ斑《まだ》ら雪さへ殘ってゐる。…
 その代りにといふのもをかしいが、これほどに夥しい野禽の群を見るのも、 生れて初めてのことだ。眼をずらせて行くも、野づらを渉り步き、水溜りや道傍の溝を泳ぎまはり、また危く馬車の屋根をかすめんばかりに、白樺の林へと物憂げに飛んでゆく野鴨の群。あたりの靜寂を不意に破ってひびく聞覺えのあるきれいな啼聲に、おどろいて眼を上げると、丁度頭のうへを渡ってゆく一番ひの鶴。それを見ると、ふつと淋しい氣持になる。野雁も飛んで行く。雪のやうに眞白な白鳥も、 列を作つて飛んで行く。……方々でぼと<傍点>鴫《しぎ》の低いつぶやきが聞え、鷗の哀しげな啼聲もする。
 天幕馬車を二臺と、 それから男女の百姓の一隊を追ひ越す。これは移住民だ。
 「どこの縣から來たね?」
 「ク—ルスクでさ。」
 一人だけ風體の違つた男が、仲間に遲れてよたよたと蹤いて行く。顎をきれいに剃り上げ口髭はもう白く、百姓外套の背中には何やら得體の知れないだん袋が附いてゐる。風呂敷にくるんだ胡弓を二丁、兩腋に抱へてゐる。ー體何者なのか、この胡弓はどうしたものかは、訊かないまでも自然とわかる。やくざで怠け者で病身で、人一倍の寒がりで、洒好きで、そのうへ小心者のこの男は、親父の代から兄貴の代までずつと餘計者扱ひにされたから、 のらくらと生き存ヘて來たのだ。親父の財產も分けては貰へず、嫁も取っては貰へずに。……そんな事はしてやるまでもない男なので、野良へ出れば風邪をひくし、酒にかけては目がないし、祿なことは言ひ觸らさないし、 取柄といったら胡弓を弾くことと、子供たちを集めて煖爐《ペチカ》の上でわいわい騷ぐ位なものだ。その代り胡弓と來たら居酒屋でも、婚禮の席でも野原でも、所きらはず弾き步いたが、それが中々の見聿な音色だった。だが今その兄貴が、家も牛も有りつたけの家財道具も手放して一家を引き連れ遠いシベリヤを指して行く。やくざ者も一緖について行くのは、ほかに食ふ當てもないからだ。二丁の胡弓も後生大事に抱へて行く。……やがて目指す土地に着けば、シベリヤの寒さにー堪りもなくやられる。肺病になって、誰一人氣づかぬほどそっと靜かに死んで行く。その昔鄕里の村の人々の心を、浮き立たせたり沈ませたりした胡弓の方は、二束三文に賣り飛ばされて、渡り者の書記か、それとも流刑囚かの手に渡る。それから渡り者の子供たちが、絃《いと》を切ったり柱《ぢ》を折ったり、 胴に水を入れたりして遊ぶ。……引返した方がよささうだ、小父さん。
 力マ河を遡る船の上でも、移住民の群を見掛けた。中でも思ひ出されるのは、亜麻色の鬚をした年の頃四十ほどの百姓だ。甲板のベンチに腰掛けて、足もとには家財道具《がらくた》を詰め込んだ袋が並べてある。その袋の上に、鑑縷を着た子供たちが轉がつて、 荒涼としたカマ河の岸から吹きつける身を切るやうな寒風に縮み上つてゐる。百姓の顏には、「もう諦めましただ」と書いてある。眼には皮肉な色が浮んでゐる。だがそれは、われとわが内心に浴びせる嘲笑なのだ。謂はば、無殘至極な裏切りやうをして吳れた、過去半生に對する嘲笑なのだ。
 「これより惡くなりつこねえさ」と彼は言って、 上唇だけで笑ふ。
 誰一人とり合ふ者もなく、また別に問ひかける者はなくても、一分ほどすると彼はふたたび繰り返す。――
 「これより惡くなりつこはねえさ。」
 「惡くなるとも」と別のベンチから、 人參色の髮をした眼のするどい土百姓が應じる。これは移住民ではない。――「惡くなるとも。」
 いましがた追拔いた百姓たちは、默りこくつてゐる。天幕馬車について、よろよろする足を引き摺りながら、どの顏を見ても鹿爪らしく何か一心に考へ込んでゐる風だ。……私はそ辻を見て心に思ふ、――「よくない生活と見たら潔くそれを振り切つて、生れ故鄕も生れた古巢も棄てて行けるのは、非凡な人間だけなのだ、英雄だけなのだ。……」
 間もなく、今度は流刑囚の列に追ひついた。手械《てかせ》の音を立てながら,三四十人ほどの囚徒が道を行く。兩側には銃を擔った兵士が附添ひ、後から馬車が二臺ついて行く。囚徒の中の一人はどうやらアルメニヤの司祭を思はせる。もう一人の鷲鼻で額のひろい大男の方は、どこかの藥種屋の勘定臺の向ふに坐つてゐたやうな氣がするし、三番目の消耗した蒼白い深刻面は、まるで斷食の坊主にそっくりだ。とても一人一人の顏を覗いてゐるひまはない。囚徒も兵士もみなぐったりしてゐる。道は惡いし、步く氣力もないのだ。……泊りの村まではまだ十露里もある。村に着けば直ぐ飯にありつけるし、磚茶《せんちや》も飮める。それからごろりと横になるのだが、待ち兼ねてゐた南京蟲が直ぐさま身體一面にべ つたりと貼りつく。疲れ切って睡くて堪らない人間にとって、これはとても敵はぬ執念の鬼だ。
 日が暮れると地面は凍てついて泥濘が切り立つた起伏を作る。馬車は躍リ跳ね、色んな聲を立てておめき鳴る。寒い。人の住む家も見えず、人つ子一人通らない。……ひそともせぬ闇はただ黑々と、物音ひとつしない。聞えるのは車が凍土を嚙む音と、 たまに卷煙草を吸ひつける火の色に夢を破られて、 道傍に飛び立つ二三羽の野鴨の羽音ばかり。……
 川に出る。渡舟を見附けて越さなければならぬ。河岸には人影もない。
 「向ふ岸へ行つとる。瘡《かさ》つかきめが」と馭者が言ふ、「旦那、 ひとつ吼えて見るかね。」
 痛くて泣くのも悲しくて泣くのも、助けを呼ぶのもただ人を呼ぶのも、 この土地では引括めて吼えるといふ。從ってシベリヤで吼えるのは熊だけではなく、雀や鼠も吼えるのである。「引懸つて吼えくさる」と、鼠のことを言ふ。
 で、吼えはじめた。かなりの川だし、それに眞暗なので向ふ岸は見えない。……じめじめした川風で先づ足が冷え、つづいて全身が冷えて來る。……聲を合はせて半時間吼え、 一時間吼えたが、 渡舟はやって來ない。水にも、 空ーぱいの星屑にも,墓のやうに眞音な靜寂にも,やがて飽き飽きしてしまふ。退屈まぎれに親爺と話し込んで、 十六のとき嫁を貰ったこと、子供は十人あったがその中死んだのは唯の三人に過ぎぬ こ と、 父親もお袋もまだ健在《まめ》なことなど を知る。 父親もお袋も 「キルジャキイ」――つまり分離宗徒《ラスコーニキ》で、煙草は喫ます、一生涯イシムの町のほかには町を見たこともないが、自分はまだ若いから少々身體を甘やかさせて貰つて煙草をやる、とも言った。この眞暗な荒涼たる川にも、 鱘魚《てふざめ》やネルマ鮭や、ひげ<傍点>や魣《かます》が棲んでゐるが、漁る人も漁る手立てもないといふ話もした。
 だがやっと、水を切る音が正しく間を置いて聞えはじめ、 川面に何やら不細工な黑い物があらはれた。それが渡舟だつた。恰好はまづ小形な傳馬船に似て、橈子が五人ほど乘つてゐる。橈身のびろい二本の長い橈は、蟹の蝥《はさみ》そつくりである。
 舟を岸につけると、 橈子たちは先づ手始めに喧嘩をはじめた。さも憎らしげに罵り合つてはゐるが、別段これといふ理由もない所を見れば、 まだ寢呆けてゐるのに相違ない。彼等の飛び切り上等の悪口を聽いてゐると、 母親のあるのは私の馭者や馬や橈子たちだけではなくて、水にも渡舟にも橈にもどうやら母親*があるらしい樣子である。橈子たちが吐き散らした罵詈雜言のなかで、最も物柔かで無邪氣なのは、「瘡でも出來《でか》せ」乃至「その口に瘡さ搔け」といふのであった。ここで瘡*とは一體どんな瘡を指すのか、 訊いては見たが分らず仕舞だつた。何しろ私は毛皮の半外套に長靴をはいて、帽子眞深といふ服裝《いでたち》だから、暗闇ではこれが「旦那」とは分らぬらしい。で橈子の一人が、私に向って嗄聲で呶鳴りつけた。――
「これさ、そこの瘡つかき!ぽかんと口を開いてゐずと、馬でもはづせよう。」
 渡舟に乘る。渡船夫たちは罵り喚きながら橈を取る。これは土着の百姓.ではない。無賴な生活のため社會に擯斥されてここへ送られて來た、まぎれもない追放囚である。だが登錄先の村でも、 やはり彼等は暮らせないのだ。第一退屈だし、耕作の術《すべ》はもともと知らないか、さもなければ忘れてゐるし、他所の地面は可愛くもないし――そんな譯でここへ出て、渡舟場稼ぎをしてゐるのである。どれもこれも、瘦せこけ.て荒み切つた顏附をしてゐる。それにその表情といつたらどうだ! この人達はここまで來る道々、手錠で二人づつ繫ぎ合はされて囚人舟に乘せられたり、列を組んで街道を步かされたり、百姓小屋に泊って南京蟲に所嫌はず刺されたりする間に、骨の牘まで麻痺してしまったのだ。 今では夜晝なしに冷たい水の中を動き廻つて、眼に入るものといへば荒涼とした川岸の眺めばかりだ。しまひには身も心も凍り果てて、生きる目當ては唯一つ酒と女、女と酒。……もはやこの世の人ではなくて、獸なのだ。それのみならず、馭者の親爺に言はせると、あの世へ行っても碌なことはないらしい。罪の報いで地獄へ落ちるといふ。

*チュメーン シベリヤ鐵道(一八九一――一九〇三年)の敷設される前、迫放囚はこの町を通過するのを例とした。一八二三年から九八年までの間に、この町は九十萬人餘に上る囚人とその家族の暗鬱な行列を見送つたと言はれる。
*母親云々 ロシヤ特有の罵言に、相手の推親を引合ひに出して罵る極めて烈しいのである。撓子たちは當の喧嘩相手のみならず、水や舟などの無生物にまで、この罵言で當り散らしたのであらう。
*瘡 家畜の肺や胃腸を冒し、人間にまで感染するシペリヤ脾脫疽(Anthrax)を指すものであらう。