読書ざんまいよせい(057)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(06)

    第六章 社會黨の運動

〇日く 一切生產機關の公有、日く富財の公平なる分配、日く階級制度の廢絕、日く協同的社會の組織、之が實行や洵に一大社會的革命也。然らば則ち社會黨は革命黨なる乎、其運動は革命的運動なる乎。曰く然り。
〇然れども怯懦の貴族よ、小心の富豪よ、輕躁の有司よ、乞ふ恐るゝ勿れ。今の社會黨は漫に爆彈を公等の馬車に投ぜんとするの者に非ざる也、敢て鮮血を公等邸第に蹀《ふ》まんとする者に非ざる也、但だ公等と俱に與に大革命の德澤に沐浴せんと欲するのみ、恩惠に光被せんと欲するのみ。
〇思へ古今何の時か革命なからん、世界何の邦か革命なからん、社會の歷史は革命の記錄也、人類の進步は革命の功果也。試みに思へ、當年の英國、クロムエルの起つに會はず、當年の米國獨立を宣するを得ず、佛國の民、共和の制を建つる能はず、日耳曼《ゼルマン》諸州聯合の業成らず、伊太利統ーせらるゝを見ず、日本維新の中興なかりしとせば、世界人類は今や果して何の狀を為すべぎ乎、現時の文明は果して何の處にか見るべき乎。革命を恐怖する者よ、現時公等が謳歌せる文明と進步とは、實に過去幾多の大革命が公等に賚賜《らいし》せる所に非ずや。
〇社會の狀態が常に代謝して已まざるは、猶ほ生物の組織の進化して已まざるが如し。而して其進化や代謝や若しーたび休せるの時は、其生物や社會や卽ち絕滅あるのみ。永久の生命は必ず暗喑裡に進化す、決して常住を許さヾる也、社會の狀態は必ず冥々の間に代謝す、決して不變を許さゞる也。而して這の喑冥なる進化代謝の過程《プロセッス》に於て、每に明白に其大段落を割し、新紀元を宣言する者、則ち革命に非ずや。之を譬ふるに歷史は一連の珠敷に似たり、平時の進化代謝は其小珠也、革命は其數取りの大珠也、進化代謝の連續なると同時に革命の連續たる也。
〇ラッサルは日く『革命は新時代の產婆也』と。此語未だし也、予は將に日はんとす、革命は產婆に非ずして、分娩其物也と、何となれば是れ偶然の出來事に非ずして、實に進化的過程の必然の結果なれば也。而して舊時代老いて新時代を生み、新時代の長ずるや、更に他の新時代を生む、皆な革命に依らざるは無し。何ぞ彼の子々孫々の迭《かたみ》に分娩して百世窮極する所なきと異ならんや。
〇但だ分娩に難易あるが如く、革命にも亦難易なきを得ず。分娩が時に母體を切開するの要あるが如く、革命も時に暴動を現ずるの已むなきに至るあり。而も是れ決して希ふ可きのことに非ざるや論なし。
〇故に母體の組織發達の如何を診し、之が健康を保ちて以て其分娩を容易ならしめんと期するは、產科醫及び產婆の職務也、社會の組織狀態の如何を察し、進化の大勢を利導して以て平和の革命を成さんと希ふは、革命家の識慮也。而して今の社會黨や實に這個社會的產婆產科醫を以て、 自ら任とする者に非ずや。
〇夫れ然り、革命は天也、人力に非ざる也。利導す可き也、製造す可きに非ざる也。其來るや人之を如何ともするなく、其去るや人之を如何ともするなし。而して吾人人類が其進步發達を休止せざるを希ふの間は、之を恐怖し嫌忌すと雖も決して之を避く可らず、唯だ之を利導し助成し、以て其成功の容易に且つ平和ならんことを期すべきのみ。社會黨の事業や、唯だ如此きを要す、曷んぞ漫に殺人叛亂を以て、平地に波を揚げて快する者ならんや。

読書ざんまいよせい(054)

◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳

悪魔の後嗣
 むかしサン゠ピエール・オ・ブー近くの寺通りに、豪勢な屋敷を構えていた巴里ノートル・ダム寺院の司教会員たる一老僧があった。もとこの長老は、鞘のない短刀のように裸一つで、はるばる巴里に出て来た一介の司祭であったが、円顱の美僧でいちえん欠くるところなく、旺盛潤沢な体躯にも恵まれ、いざという時には、何ら憔悴するところなく男数人前の役割を果すことが出来たので、専ら女人衆の懺悔聴聞に精を出して、鬱々としている女子にはやさしい赦罪符を与え、病める善女にはおのが鎮痛剤の一片を親しくとらせるという風に、あらゆる女人に、あらたかな密祷を施して参られたので、彼の情篤い善根や、口の堅いという陰徳や、その他、沙門としてのかずかずの功力がものを云って、遂には宮廷社会へ御修法に招かれるほどの高僧になった。が、宗門当局や良人などに嫉まれぬよう、またこうした儲けもあれば楽しくもある御加持に、神護の箔をつけられるよう、デケルド元帥夫人からヴィクトル聖人の御遺骨を拝戴に及び、その冥護でいろいろの奇蹟を示顕するのじゃという触れ込みを利かせたため、談たまたま彼のことに及ぶと、人はみなこう穿鑿屋に言ったものである。
『あの御坊はなんでも、もろもろの煩いを、立ちどころに根絶するあらたかな御聖骨をお持ちなのじゃそうな。』こと御聖骨に関するとなると、とやかく口も出せないので相手もそのまま黙ってしまう。しかし槍一筋の業前にかけては、この和尚は無双の剛の者でがなあろうという蔭口が、その緇衣の蔭ではもっぱらであった。
 こうして長老はありがたい自前の灌水器で、金をどんどん灌ぎ出し聖水を名酒に変性させて、さながら王者のような豪奢な暮しをしておったし、それにどこの公証役場に行っても、遺言状や、お裾分け帳の――誤ってこれをCodicileと書く人があるが、もともとは遺産の尻尾という意味のCaudaから出た言葉なのである――其他云々《エトセトラ》というなかに、ちゃっかり長老の名も並んで記されてあったほどで、だから後には『円顱《おつむ》がすこし寒い気がするが、頭巾がわりに僧正帽でも冠ろうかな。』と長老が冗談まじりに云いさえしたら、たちまち大僧正にでもなれたに違いなかった。かく万事が万事、思いの儘の御身分でありながら、なおも一介の司教会員で甘んじていた訳は、女人懺悔聴聞役としての結構な役得の方が、いっちお望みだったからである。
 しかしある日のこと、この頑健な長老も、己が腰骨の衰えを、かこたねばならなくなり申した。年も六十八歳になっておったし、まったく女人済度で身の精根をすりへらして来たからで、今更のように過ぎ来し方の善根功徳を振返って、身体の汗で十万エキュ近くも溜め込んだことを思い、使徒としての勤行もここらあたりで御免蒙ろうと、以後は如才なく上流の御婦人方の懺悔ばかり聴聞することにいたした。若い名僧智識は躍起となって、彼に張り合おうとめされたが、しかし宮廷のあいだでは、身分ある上臈衆の魂の浄めにかけては、このサン゠ピエール・オ・ブーの司教会員にしくはないとの折紙づきだったもので、如何とも能わなかった次第である。
 時の歩みで長老もいつしか九十あまりの美しい老僧となり、頭は雪を戴いたように白く、手こそ慄えたが、体躯は塔のように四角く岩乗で、もとは咳払いもせずに痰を吐いていたのが、今では痰も吐けずに咳ばかり出るといった塩梅で、さしも仁愛のために、身軽く持ち上げていたお臀も、遂には床榻からさえたたなくなってしまわれた。言葉数は寡くなったかわりに、よく啖い、よく飲み、さながらノートル・ダムの生仏といった概があった。
 こうして長老が梃子でも動かなくなったのを見て、また多情仏心の昔の行状に鑑みて、――これは漸く近頃になって、例の蒙昧な素町人どもの間で、専らの取沙汰となっていた。――乃至押黙ったその蟄居ぶりを見て、彼の回春の溌剌さを看取して、まった瑞々しいその老齢を眺めて、その他いいつくせぬほどの数々の事由からして、わが聖く尊き宗門を傷つけ、鬼面人を喝せんとするの徒輩は、――実は本物の長老はもうとっくに死んで、ここ五十年以上というもの、悪魔の奴があの和尚の身体に巣くっておるのだなどと、蔭口を叩くものすらあった。またこの行い澄した懺悔僧から、望みの儘の御加持を受けた御婦人方のなかにも、――悪魔の高い熱気でも借りぬことには、あのような魔性の蒸溜液のお布施など、そうふんだんに出来るものではないゆえ、きっとあの長老には、魔性が憑いていたに違いないなどと、むかしを思い出し顔に囁くものもあった。
 しかし悪魔がこうして女人衆のために、すっかり牛耳られ骨抜きにされて、今はもうよしんば二十歳の王妃のお召しに預っても、応じられなくなったさまを見るにつけ、お目出度い衆をはじめ、物の道理の分った連中、何事にも一理窟こねだす町人共、禿頭に虱をみつける穿鑿屋などは、ひどく訝しんで、悪魔が緇衣をまとって高僧智識の面々と、ノートル・ダム教会に勤行して、図図しく抹香の匂いを嗅いだり、聖水をおし戴いたりなんどの所行に、ただただ驚嘆の眼を睜るのであった。
 こうした異端の邪説に対して、――いや、悪魔が一念発起して、改悛したがっているのだと唱えるものもあれば、裕福な長老の風態《なり》を悪魔がしているのは、きっと猊下の後嗣たる三人の甥たちをからかって、後の烏がさきになるまで生き残って、彼等を便々と待たせて面白がっているのだなどと、言い出すものさえあった。この後嗣たちというのは、金持の伯父さんの跡式を空頼みして、毎日のように伯父さんが目を開けているかどうかを見に参ったが、何時も長老は怪龍《パジリツク》の眼玉のように炯々たる眼を鋭くぎょろつかせていたので、――伯父さんを深く慕えばこそ、安堵の胸を撫で下しておった。(もちろんこれは口先だけの話だが。)
 長老が悪魔に違いないという説を、頻りに言い張る一老女の話によると、ある晩のこと聴懺悔僧のところで、御馳走になった長老が、提灯も松明も持たずに、二人の甥〈代訴人と軍人〉に送られて出たところ、クリストフ上人の彫像を建てるために積み重ねてあった石材に、長老はひょんなはずみに躓かされ、目から火を出して転んでしまわれた。叫び声をあげた甥たちが、老女の許から借りて来た松明の光で照らしてみると、長老はまるで九柱戯のようにしゃんと突立ち、熊鷹のようにぴんぴんして、――なあに、頂いた般若湯の霊験で、何の障りもなかったわい、儂の骨組は根が岩乗じゃから、なんのこれしきとばかり、平然とうそぶいておったという。お陀仏したと思いきや、かかる石仕掛にもめげるところがなかったので、甥たちはこの分では伯父の寿命も、なかなかに先きがあると驚いて、日頃から岩乗と感心していたのも、尤も千万と思ったそうである。――しかし長老は度重なるこうした道すがらの石攻めを用心しだして、ひどく石を怖れ出し、はるか最悪の場合を予想して、家にばかり閉じ籠っているのだと、まことしやかに言い触らす手合もあった。
 こうした蔭口や噂話を綜合するに、悪魔かどうかは判らないが、この老司教会員は屋敷に籠りきりになって、ちっとやそっとでは極楽往生もせずに、三人の甥と、坐骨神経痛と、腰の病と、その他、人生のくさぐさの煩いを持ち合せておったことが、いっぱしお解りになったであろう。
 さて三人の甥っ子のうち、一人は女人腹から生れたとは思えぬほどの性悪な武弁で、殻を破って生れ出た時から、もう歯を生やし剛毛を逆立てていたというから、さぞかし母の胎内を痛めたことに違いあるまい。物を啖うことといったら、現在と未来の二つの動詞の「時」の両股かけて詰め込むし、素性の悪い女を囲って、あたまの物まで面倒をみていたし、屡々御用をつとめる例のものといえば、その持久力といい精力といい作法の心得といい、こればかりはまこと伯父の名を恥かしめぬものがごあった。戦場に出でては、敵に一太刀も蒙らぬさきに、彼は相手を浴びせ倒して、決して容赦はしなかった。――尤もこれは戦いに於て決着すべき唯一の問題であることは、未来永劫渝らぬ真理であろう。――だが、こうした蛮勇を除けば、何一つの取得もなかったので、どうやら槍騎兵の隊長となり、ブルゴオニュ公の御愛顧も浅くなかった。公は戦場以外の方面で、部下が何をしでかそうと、極めて暢気なお方であられたからである。この悪魔の甥は牝豚鶴太《コシユグリグ》隊長といったが、力が強い上にいたって根性が悪かったので、彼に散々と懐ろをいためられた借金取りや、高利貸や、素町人などは、悪猿《モンサージユ》と呼んでいた。生れつき背中には傴僂の隆肉《こぶ》が盛り上っていたが、うっかりその上にでも乗って、あたりを睥睨したいような思い入れでもして見せたが最後、立ち所にぶん擲られるものと、覚悟しなくてはなるまい。
 もう一人の甥は法律をかじっていたが、伯父さんのお蔭でどうやら一人前の代訴人になり、長老がもと懺悔を承って、お加持を施して廻った御婦人方の御用を、もっぱら引受けて、裁判所でこそこそ暗躍をしておったが、兄貴の隊長と同じく牝豚鶴次《コシユグリグ》という名であったが、それをもじって人呼んで盗鶴《ピルグリユ》と云っていた。
 盗鶴は脆弱な体躯で、蒼白い顔色に貂のような面つきをし、氷のように冷たい小便をするに違いない冷血漢に見えたが、しかし隊長よりは一厘ほどましな人間で、伯父に対しても一勺ほど余計に愛情を持っていたが、ここ二年ばかりというもの、その心底にも少々罅が入って、一滴一滴と感謝の念も薄らいで行き、たまたま懐ろ寒い雨催いの折なぞは、伯父さんの股引の中に足を突込んで、沢山な遺産の果汁を搾る日の来るのを、あらかじめ思い描くことなどもあった。
 二人の甥は遺産の分け前が軽すぎると、頻りにこぼしていた。というのは法律通り、額面通り、権利通り、正確に、必然に、現実に、全額の三分の一を、長老のもう一人の妹の伜で、ナンテール近くの田舎にくすぶって羊飼をやっている、あまり伯父からも可愛がられていない従兄にも、分けてやらねばならなかったからである。
 この羊飼は平々凡々の田吾作で、今度ふたりの従兄によばれて都に上り、伯父の家に居候していたが、莫迦で頓馬で抜作の薄野呂ときているので、多分伯父も愛想をつかして、遺言状からも名を削るだろうとの魂胆から、わざわざ従兄たちは呼び寄せたのであった。
 そんなわけでこのシコン(萵苣《ちさ》)という羊飼は、かれこれ一月あまり、年老いた伯父さんと一緒に暮していたが、羊を見張っているより、和尚さんに附添っていた方が、得もゆくし、気晴しにもなるというので、長老のまめまめしい犬となり、下僕となり、老いの杖ともなって、長老が屁をすると、「桑原くわばら」と唱え、嚔をすると、「南無阿弥陀なんまいだ」と云い、曖気《げっぷ》をすると、「寿限無じゅげむ」と呟くのであったが、長老はシコンに空模様を見せにやったり、猫を探しに行かせたりしていた。シコンは老僧の咳唾を顔一面に浴びながら、おとなしくその長談義に耳をすましたり、阿房律儀に応答したり、黙ってお相手をしたりして伯父をこの世で一番傑れた生仏と、心底から信じきっているもののように敬いあがめて、まるで子犬を舐める親犬のように、嘗めんばかりに老人にはんべっていたので、長老はパンのどっち側にバターがついているか、親しく手にとって見る必要もないくらい、シコンにまめまめしくかしずかれていた。しかし不思議なくらいシコンを邪慳にして、骰子のようにきりきり舞いをさせ、事毎にシコンの名をがなり立て、二人の甥に向っては、うっそり者のシコンの莫迦さ加減に腹が立って、死期を早めそうだなどと、常始終こぼしておった。
 こうした愚痴をしょっちゅう耳にしていたシコンは、なんとかして長老のお気に入るように尽そうと、頻りに無い脳味噌を絞っていた。このシコンのお臀といったら、南瓜を二つ並べ立てたようだったし、肩幅も広く、手足も太く、敏捷というにはあまりに縁遠いところから、軽やかな西風《ゼフィールス》の神というよりは、鈍重な森林の神といった趣があった。が、可哀想に、この単純な羊飼には、どう身の変えようも、智恵づきようもなかった。伯父の遺産でも入ったら、すこしは痩せるだろうと、先ずそれまではでかい図体をして、むくむく肥っていたのであった。
 ある晩のこと、長老がシコンに悪魔のことや、神様が堕獄者に対して課したもう無間地獄の責苦や苦患のこと、あの世での阿鼻叫喚のさまなどを話してきかせると、竈の口のような大きな目玉を睜って、シコンはこれを聞いていたが、伯父のいうことを少しも真に受けようとしないので、『なんだ、シコン、お前は神様を信じないのか?』と長老には訊ねた。『とんでもねえ、おらは大の門徒であんすよ。』『だろう、――そんならこの世で功徳を積んだ人のために、天国というものがあるように、悪人ばらのために、地獄があるのも当然じゃろう。』『はあ、そりゃそうでがすが、いったい悪魔なんどというもんは、余計者じゃねえでがしょうか。仮にこのお屋形に悪党がいて、ごたごたにぶっちらかすとしたら、あんたさまは其奴を追い出すでがしょうが?』『きまっているさ、シコン。』『ほれ御覧なせえ、伯父御。えら骨折っておつくりにならっしゃったこの世界を、片っぱしから打ち壊して歩く悪魔なんて野郎を、黙って放っておくほど、神様はぼけちゃいめえと思いやすがねえ。だから神様が本当にござらっしゃるなら、悪魔なんて金輪際おりっこはねえと信じていやすだ。お前さまも大船に乗っかった気でいなさるがいいだ。まったく悪魔のつらが見てえ。奴の爪牙《つめ》なんぞ、わしは屁とも思いましねえだよ。』『なるほど、お前のようにそう信じていられたら、わしは毎日十度も懺悔を聞いて廻った若い日の過ちを、苦にするにも当らぬのう。』『いいや、そうでねえでがす。せっせと今も懺悔なさるがいいだ。天国へ昇らっしゃってから、きっといい報いがありますだに。』『そうかのう!』『ほんとでがすとも、長老さま。』『じゃシコン、お前は悪魔を否定して怖くないのじゃな?』『悪魔だなんて麦束ほどにも気にかけましねえだ。』『そんなことを抜かしおると、いつか非道い目に遭わされるぞ。』『大丈夫でさあ。神様があっしを悪魔からお護り下せえますだ。――お偉い学者衆が考えて御座らっしゃるより、神様はもっと賢くて物の判ったお方にちげえねえと、わしは思っとりますだに。』
 ちょうどその時、二人の甥たちが入って来たが、長老の優しげな声音を耳にして、――伯父はシコンをそう憎んでもいず、口癖のように彼のことをこぼしていたのは、シコンに対して抱いている愛情を隠すための芸当だったと悟って、喫驚して互に顔を見合せた。
 二人は伯父が上機嫌なのを見て、『遺言をお書きになる時、この家は誰にお譲りになるお心算です?』『シコンにな。』『ではサン・ドニ街の地所は?』『やはりシコンにじゃ。』『ヴィルパリジスの領地は?』『それもシコンにくれてやろう。』『へえ、じゃみんなシコンのものになるのですかい?』と持前の野太い声で隊長は云った。
 伯父は薄笑いを泛べて言った。『いや、初めからそういう心算でもなかったが、ただお前方三人のうちで、一番賢いものに遺産をみんな譲るように、正式に遺言状を拵えておいたからじゃ。さきゆきの短いこの儂には、なんだかお前方三人のさきゆきが、ありあり判るような気がするのじゃよ。』
 そう云って、ねぐらに嫖客《かも》を連れ込む夜鷹のようなこすからい薄目を使って、じっと老獪な長老にはシコンの方を凝視めされた。爛々たるその眼光の炎が、羊飼を灼いたかと思うと、その瞬間からシコンは頭も耳も何もかも忽ち晴れ晴れといたして、さながら婚礼の翌る日の花嫁御のように、世事を解して来たのである。
 代訴人と隊長には、伯父の言葉がまるで福音書の謎の予言のようにしか思えなかったが、挨拶もそこそこにしてその場を切上げて行った。途轍もない伯父の意嚮を計りかねて、すっかり二人は困惑の態であった。『シコンの奴をどう思うね?』と盗鶴は悪猿に云った。『畜生、しゃつ、俺はイェリュザレム街に待ち伏せして、素っ首を地面に叩き落してくれる!
 さぞ後生大事に手前の首を拾い上げることだろうぜ。』と語気も荒く隊長は言い放った。『はっはっは、兄貴のばらしかたじゃ、すぐと尻が割れて、コシュグリユの仕業に違いないと感附かれるにきまってる。――俺だったら彼奴を御馳走に招いて、鱈腹くらわせてから、御殿で流行っている遊戯だといって、袋に入って、誰が一ばん早く走れるか競走しようと、奴さんをうまく袋のなかに縫いくるめて、泳げや泳げとばかり、セーヌ河に叩き込んでやる。……』『なかなか趣向がかってるな。』『なあに、細工は流々さ。彼奴を悪魔の手に引渡して、遺産は二人で山分けという寸法はどうだい。』と代訴人は云った。『いいとも。俺達二人は一心同体だ。お前は絹のように、やんわりと運ぶが、俺は鋼のように強引にやるんだ。剣だって決して罠には後れはとらんぞ。なあ弟。』と剣客は腕を撫して言った。『もちろんだ、仲好く共同しなくっちゃ……したが彼奴を片附けるに、さしあたりどうするかだ。剣で行くか罠でやるかだが……』『なにを大袈裟な。――まるで王様をやっつけるみたいに云う……たかが薄野呂の羊飼風情を眠らせるに、えらく業々しい。――よし、こうしよう。どちらでも先に彼奴をやっつけた方が、遺産から二万フラン多く頂戴することにしよう。俺は誓って彼奴に言いきかしてやる。「首を拾えよ」とな。』『じゃ俺はシコンに「泳げや泳げ」と罵ってみせるよ。』そう代訴人は言って、胴着の綻びのように高笑いをした。そして二人は袂を分って、隊長は愛妾のところへ、代訴人は情婦である餝《かざり》職の女房の許へと、それぞれ晩餐をしたために行った。
 聞いて喫驚したのは、誰あろうシコンである。――天主堂でお祈りの最中ささやきあう時のような低い声音で、二人の従兄は寺町をぶらぶら行きながら密談したのであったが、なんと当のシコンの耳に、その怖ろしい己が殺人計画が、筒抜けに聞えて来たのである。声が上って来たのか、それとも耳が下って行ったのかと、シコンはひどく訝んだ。『長老様、お聞きになりやしたか?』『う、うん。炉で粗朶がはぜている音じゃな。』『ほ、ほう。地獄耳だの悪魔だのって、わしにはさっぱり縁がねえが、おらの守り神のサン・ミカエル様の御冥加でもあろうかい。免に角その仰せどおりに従いますべえ。』『そうじゃ、シコン、しっかりいたせよ。水にはまったり、首を切られたりせぬように、くれぐれも用心いたしたがよいぞ。どうやら荒れ模様じゃな。街の破落戸《ごろつき》に輪をかけた性悪ものが、どこぞその辺に沢山とおるからのう。』と長老には呟かれた。
 意外な伯父の言葉に、シコンは驚いて思わず顔を見たが、例の通りの快活な顔つきと、生々した眼と、弓のような足をした伯父の所体には、常日頃と変った様子はすこしも見えなかった。しかし差迫ったいのちの危険を、何とかシコンは善処せねばならず、長老の傍でぽかんとしたり、爪を切ってやったりは、何時でも出来ると考えて、悦楽のクライマックスに向って小走りに急ぐ女人のように、彼は急ぎ足で町へ出て行った。
 往々にして羊飼たちに閃くことのある天来の卜見に就いて、何の臆断もなし得なかった二人の従兄は、常々シコンを阿呆《うつけ》扱いにしていたので、憚るところなく彼の前で、幾度かおのれらが私行上の秘密を洩らしたことがあった。それで或晩のこと、長老の御機嫌を取結ぼうとして盗鶴は伯父に向って、餝屋の金銀細工師の女房をものにして、王者の豊額を飾るにふさわしいほど、金銀を鏤め、鏤刻を彫んだ、由緒深い一対の角細工を、燦然と莫迦亭主の額際に、寝取られ男の看板として取りつけてやった経緯《いきさつ》を、面白可笑しく話したことがあった。相手の女房というのは、裾貧乏の蓮葉女で、いたって密会度胸がよく、亭主の跫音が階段でしても、なおも平気で抱きついているし、莓を啖うように好きなものが好きで、いつも浮気沙汰しかあたまにはなく、溌剌とした跳ねっ返りやで、香水のように粋筋で、心咎めのせぬ貞女さながらに快活そのものであった。ずっと良人を凄腕で操って来たので、人の好い亭主は、まるで己が喉仏よろしく、女房殿を大事にしておった。それにもうここ五年も、天晴れ世帯のやりくりや、邪恋の道行を巧みに捌いて来ていたので、世間からは堅い御新造と云われ、良人からも信用を博して、家の鍵も財布もなにもかも、預かるほどの声望を持ったじゃじゃ馬になっていた。『それで何時その優しい笛をしらべるのだね?』と長老は代訴人に訊ねた。『毎晩ですよ。夜通し泊りこみのことさえあります。』『へえ、どうやってだい?』と驚いて長老には訊ねられた。『納戸に大きな衣裳長持がありまして、そこへ入り込むのです。お人好しの亭主は、毎晩仲間の羅紗屋の主婦さんのところへ張りに出掛けて、飯を御馳走になって来るのですが、帰ってくると早々に女房のやつは、頭痛がするとかなんとか云って、亭主を一人で寝かせて、長持のおいてある納戸へ、頭痛なおしにいそいそとやって来るという寸法です。翌朝、餝屋が仕事場に入った隙に、こっちはこっそり納戸からずらかるのですが、家の入口が橋の方と通りの方からと二つあるので、亭主のいない方から、訴訟事件の用で来たとつくろって、何時でも勝手に入り込めるのです。なに、その訴訟といったって、うまく仲に入って操っていますから、金輪際おわりっこありません。まるで間男としてのお手当金を頂いているみたいです。なにしろ裁判ときた日には、馬を厩舎に飼っておくのも同じで、いろいろと細かい無駄銭がかかって来るのを、そいつをのこらず亭主莫迦が、払っていてくれるのですよ。総じて寝取られ亭主と言えば、ヴィーナスの天然庭園を、共に手を貸し耕やかし、鋤き、灌ぎ、植え附けしてくれる間男を、みな有難がっているものですが、御多分に洩れずあの二本棒も、私に非常に感謝して、私がいなくては何一つ出来ない有様です。……』
 代訴人のこうした遣り口が、ありありとシコンの記憶に浮んだ。身に迫る危難の闇から、きらめいた一道の光芒に接して、シコンはにわかに明敏となり、わが身を護る本能から、たちどころに慧智が湧いて出たのである。どんな動物にも、きめられた生命の苧玉《おだま》を完うするだけの才覚は、ひとしく備わっているものである。
 シコンは急ぎ足でカランドル街に行き、羅紗屋の主婦《かみ》さんと差向いちゅうの餝職に逢おうとした。戸を叩いて、小さな鉄格子の間から、お上の御用でこっそり来た者だとシコンは佯わって入り、ちょうど食卓に就いていた陽気な餝職を、羅紗屋の一隅に招いて、これにいきなり告げた。『お宅で知り合いの男が間男をして、あなたを嬲っているとしたら、両手両足を縛されて引渡されたそいつを、川の中へ投げこんでやる気はありませんか?』『勿論のことだ。――したがそんな法螺を吹いて、この俺を担ぐ気なら、うんと痛い目をみるが承知か?』『結構ですとも。あたしはあなたの味方だから申すのですよ。あなたがここで羅紗屋のお主婦さんと楽しい差向いの隙に、お宅ではあの三百代言の鶴公と、いつもお上さんが、乳繰り合っているんですぜ。早く帰って細工場の鞴《ふいご》を御覧なさい、火事ぼうぼうでさあ。あなたのお帰りと同時に、あのここな丹田の煤払いの不埒者は、早速に衣裳長持に、どろんをきめこむ寸法になっているのです。どうです、ひとつ私がその長持を買い取ることにしようじゃありませんか。――車を持って橋の上で、万事あなたのお指図を、お待ちしていますぜ。』
 餝職はマントや帽子を手に取るや、羅紗屋に挨拶もせず、目の色かえてそこを飛び出して、毒を呑んだ鼠が巣に走り帰るように、まっしぐらに家に帰って、割れるように戸を叩き、つかつかと入って、いきなり二階に馳け上ると、二人前の御馳走が座に並べられ、隣りで長持の締まる音が聞え、何くわぬさまで不義の部屋から女房が戻って来た。『おい、どうして二人前ならべたんだ!』と彼は妻に叫んだ。『なに仰有ってるの。あたしとあなたの分じゃありませんか。』『嘘も好い加減にしろ。俺達は三人の筈だ。』『あら。羅紗屋さんも御一緒なの?』とわるびれもせず女房は言ってのけて、階段の方を振り返った。『いや、俺は長持の中においでの御仁のことを云っているんだ!』『まあ、長持ってどの長持?
 あなた気は確かなの?
 どこにそんな長持があるの?
 長持の中にひとを入れるだなんて!
 あたしがそんなことをする女と、思っていらっしゃるの?
 いつから人間の長持なんて出来たの?
 長持と人をごっちゃにするなんて、あんたったら、どうかしていらっしゃるんじゃない?
 相伴のお相手といったって、羅紗屋のコルネイユさんしか、あたし存じませんし、長持といったって、うちのおんぼろ着物を入れとく長持しか、他にないじゃありませんか?』『うん、だがなあ、お前がうちの代訴人の奴に跨られている、お前の長持に彼奴が隠れている、そう云ってわざわざこの俺に、告口に来た性悪《しょうわる》がいたんでなあ――』『まあ、このあたしがですって?
 あんな横車押しの三百代言となんか、胸糞わるくって堪らないじゃないの。――』『いや、解った、解った。お前が貞節そのもののことは、俺だって、ちゃんと承知している。あんなぼろ長持のことで、可愛いお前と口喧嘩しても、今更始まらないじゃないか。――見たばかりで気色の悪いあの長持を、ここへおいとくのもいまいましいから、早速にそのおせっかいな家具屋の野郎に、綺麗さっぱり売り払うことにしよう。そのかわりには、子供さえ忍び込めぬような小綺麗な長持を、二つ買うことにした。そうすればこれからは、お前の貞淑なのをやっかんで、告口したり、けちをつけたりした野郎も、ぐうの音も出まいさ。』『まあ嬉しい!
 あたしだって、あんな長持に、なんの未練なんかあるものですか。それにちょうど幸い、着物もみんな洗濯に出してあって、いまのところ何も入っていませんわ。明日の朝早くあの悪戯長持を、運び出させることにしましょう。ねえ、それよりか御飯を召上りません?』『沢山だ!』と亭主は答えた。『あの長持を片附けぬうちは、ろくろく飯も咽喉に通らん位だよ。』『まあ、長持を外に運び出すより、あなたの頭から追い出す方が、余計に手間がかかりそうね。』『なんだって?
 よし、――おうい!』と餝職は大声で鍛冶屋や徒弟たちを呼び集めた。『みんなやって来い!』
 忽ちに徒弟たちが集まって来た。長持を運び出せと親方は手短かに命じたので、恋の家具は俄かに納戸から運び出されたが、なかに忍んだ代訴人は、いきなり足が宙に浮いたために、普段あまり覚えもないことゆえ、ちょっと身体がよろめいて、バタリ音を立てた。『さあさあ、早くして。――あれ、何の音でもありゃあしないよ。台木がちょっと揺らいだだけさ。』と女房は口早に徒弟たちに言った。『いや、お前、あれは棹《シュヴィル》がぶつかったのだよ。』
 そう言って餝職は四の五の言わせず長持を階段からすべり下させながら、『おい、車の支度はどうだ!』と叫んだ。
 シコンは口笛を吹きながら騾馬を引っ張って来ていた。徒弟たちは力を協せて、荷車の上に代言箱を担ぎ上げた。『ひい、ひい、ひい。』と代訴人は悲鳴をあげた。『親方、長持が口を利いてますぜ。』と徒弟の一人が言った。『篦棒め、どこの言葉でだ?』と餝職は言いながら、徒弟の二つの泣きどころのあいだあたりを、したたか足で蹴飛ばしたが、そこが硝子細工でなかったことは、まこと不幸中の幸いであった。長持がどこの言葉を喋ったのか、石段の上に倒れたので、徒弟には究めつづける余裕もなかった。
 シコンは餝職と一緒に、川端に大荷物を運び出したが、物言う長持がいくら泣こうと喚こうと頓着なく、いくつか大石を長持に結びつけ、セーヌ河めがけてどんぶりこ、餝職は投げ込んだ。家鴨が水くぐりをするように、長持が沈み出した時、「泳げや泳げ……」とシコンはあらわな嘲りの口調で叫んだ。
 それからシコンは河岸通りを伝って、ノートル・ダム寺院の傍らのポール・サン・ランドリ街に行き、とある立派な家の門を手荒く叩いて、『おい、開けてくれ!
 国王の御用だ!』と喚いた。それを聞いて門口に馳せつけて来た老人は、当時名代の高利貸、ヴェルソリに他ならなかった。『何の御用で?』と彼は訊ねた。『今晩お宅へ押入りが這入る気配があるので、よく用心するよう、奉行所から注意に参ったのです。勿論、お上としても、ぬかりなく警吏たちの手配はしておきますが、曲者というのが、いつぞや貴老に偸盗を働いたあの兇暴な傴僂《あくざる》で、ひとの生命《いのち》なんか屁とも思わぬ奴ですから、くれぐれも邸の内外は厳しくお堅めになっていて下さい。』
 そう云ってシコンは、踵を廻らしてマルムウゼ街の方へ走り去った。コシュグリュ隊長がラ・パクレットを相手に、晩酌をきこしめしている場に、赴こうと思ってである。
 ラ・パクレットというのは、数ある娼婦のなかでも飛切りの上玉で、同じ朋輩の蔭口では、当代きっての凄腕の白首だそうで、生々したその眼は、匕首のように人を刺し、艶笑たっぷりの彼女の物腰に接しては、天国じゅうが春情《さかり》を萌そうし、取得といったら、横紙破りのところしかない厚顔無恥なしたたか女だった。
 マルムウゼ街に行く途中、シコンは相手の女の家を知らぬことと、うまくその家を探し当てても、恋の鳩どもが翼交して寝てしまったあとかも知れないという懸念から、ひどく気掛りだったが、上天の御使の有難いお導きか、万事シコンの思う壺にはまった。というのはマルムウゼ街に入ってみると、窓々に沢山明りが見えていて、寝帽子を冠ったあたまが、それぞれ戸外に突き出ていた。娼婦や女中や女房や亭主や娘子など、いずれも起きぬけのところらしく、松明の明りで刑場に牽かれてゆく盗人を眺めてでもいるように、顔を向きあわしていた。まさかり槍を片手に持って、慌てて戸口に顔を出した男に、シコンは聞いた。『もし旦那、なんの騒ぎで?』『なあに、なんでもありませんや。アルマニヤック党の手兵が町に押寄せて来たのかと思ったら、あれは悪猿がパクレットを引叩いているのでさあ。』とお人好しは答えた。『どこで騒いでいるんです?』『あすこに見えるあの家ですよ。標柱の上部に蚊母鳥が美しく彫ってある家でさあ。あれ、あの叫びは下男や下女どもですよ。』
 なるほど「人殺し!」「助けて!」「誰か来てくれ!」「大変だ!」というような叫びが聞えたかと思うと、家のなかで烈しい打擲の音がし、悪猿の太い声音《こわね》で、「この地獄め、くたばってしまえ!」「まだ泣きやがるのか、こいつ!」「なに、金が欲しいと、へん、これでもくらえだ!」などという悪態とともに、「あーん、あんあん、人殺し、いたい、助けて!
 死ぬよう!」というラ・パクレットの呻き声が、しばし聞えていたが、やがて剣の音がちゃりんとして、ついで妖婦の華車な身体が倒れる鈍い物音がして、それから深い深い沈黙が続いた。――あちこちの燈火も次々に消え、下女や下男や客人たちも、どやどや各自の部屋に戻り始めた。シコンは折よくそれらの人たちにまぎれて、屋敷に入り込んで二階に上ってみると、酒壜は壊れ、壁掛は裂かれ、床にはナプキンや皿小鉢が散乱していて、弥次馬どももみな立竦んで、一歩も近寄ろうとはしない。一念凝った男のように勇敢なシコンは、パクレットの立派な寝室の扉を押し破って入ると、女は髪はざんばらになり、胸許もあらわに、血に塗れた絨毯の上に、ぐったり倒れていた。その傍らに悪猿が茫然として、最前からの讃歌の続きを、どう唱えつづけたものやらと、術なさそうに見えたが、低い声音で、『おい、可愛いの。死んだ真似なんぞ止せよ。こっちへ来い。仲直りしたいんだろう。この悪性女め、おい、死んでるのか、生きてるのか、血みどろの眺めなんて、偶にはちょっとおつだぜ。よし抱いて寝て可愛がってつかわそう。』
 そう言いながらコシュグリュは、女を抱き上げて、寝床に抛り出したが、まるで首吊りの屍骸の如く、硬ばってどさりと落ちたので、ギョッとして、いちはやく高飛びの肚をきめたが、なおも図々しく立去る前に、『おお、可哀想なパクレットさまよだ。お前のようなやさしい色女を、どうしてこの俺の手にかけられようか。――とはいうもののお陀仏か。可愛らしい乳房が、だらりとそんなに下るとこなんて、ついぞ生前はお目にかかれなかったな。まるで頭陀袋のなかの金貨みたいだぜ。』
 その言葉に、パクレットは薄く片目を開けて、首をそっと伸ばして、白いむっちりした己が胸許を眺めた。と、いきなり起き上って、隊長の頬にピシャリと平手打ちをくらわせて、ピンピン生き返ったところを見せた。『死んだ仏の悪口を叩くなんて、覚えてらっしゃい!』と微笑しながら云った。『あんたったら、まあなぜ、殺されはぐるような目に遭ったんだね?』とシコンは訊ねた。『なぜ<傍点>もこう<傍点>もありゃしない。明日は執達吏が来て、ここの家のものをのこらず差押えようという矢先に、この人ったら持ってるものは気位ばかりの一文なしときてるの。それであたしがいい鴨を掴えて、うまく金を絞り、このお手詰りを切り抜けようと言ったら、このひと滅茶苦茶に怒り出したのよ。』『おい、パクレット、好い加減にしろ!』『へえ、それんばかりのことで、おっぱじまったんですかい。』とシコンは云った。この時初めて隊長は、シコンの存在に気づいた。『コシュグリュさん。あたしは豪勢な金蔓を握って来たんですがね。……』とシコンは言った。『へえ、で、それはどこにあるんだ?』隊長は喫驚して訊ねた。『ちょっくら耳をおかしなすって、内緒話で。……いいですかい、三万エキュばかりの金が、梨の木の下で、夜分ひとの来るのを待っているとしたら、誰だって勿体ながって拾うでしょうが?』『おい、シコン、俺をからかいに来たんだったら、犬のように叩っ殺すがいいか。――したが、この俺様の為に三万エキュの金を拝ましてくれるというなら、川ぶちで三人ほど素町人を手にかけるような荒仕事であろうと、喜んで俺はお礼に貴様の好きなところを舐め廻ってやるぜ。』『なんの女っ子ひとり殺すがものはありませんや。まあ聞いて下せえ。伯父さんの家のすぐ近くの|中の島《シテ》に住んでいる高利貸のところの女中と、わしはかねて好い仲なんでして、へ、へ、へ、で、ちょうど昨晩のこと、歯が痛んで堪らないもんで彼女は、天窗《てんまど》に顔を出して風に吹かれていたところが、その高利貸の先生が天使さましか御存じあるめえと、屋敷の梨の木の根元に、千両箱を埋めているところを、見るともなしに見てしまったもので、恋の口説の合の手に、あっしにべらべら喋ったんでがす。なんでも慥かな筋の話だと、今朝方高利貸は田舎の方へ、旅立って行ったそうな。で、物は相談です、私にもたんまり分け前をくれるんなら、そこの塀に攀じ登れるよう、この肩を踏台にお貸し申そうじゃありませんか。梨の木は塀のすぐ傍ですから、造作なく飛び移れるっていう寸法でさあ。どうです、これでもわしを馬鹿で間抜けだと仰有れますかい?』『なるほど、でかしたぞシコン、お前なかなかの利口者だ。いや、天晴れな男前だ。今後もしお前に、眠らせたい奴でもあったら、何時でも俺にそう言って来てくれ。よしんば俺の友だちであろうと、きっとそいつをばらして進ぜるから。なあ、シコン、お前は俺にとって従兄どころじゃない。兄弟だ、兄弟分以上だ!
 さあ、パクレット、――(悪猿はラ・パクレットに向って)早く御馳走の支度をやり直せ。血なぞさっさと拭いてしまえ。お前の血は俺のもの。いましがたの百倍もの血(腎水)を、いざといえばこの俺の身体から償って返してやらあ。一番いい精血を引き出すさ。俺らの怖《おじ》け鳥を猛《たけ》らせようぜ。ほら、スカートがまくれてるぞ。おい、笑えよ、笑ってみせるんだ!
 いいか、腕によりをかけておいしいシチウをつくるんだぞ!
 さっきしかけた食前の晩祷に、またかかるんだから。なあ、明日になったら、お前を女王様よか豪勢にしてやるぜ。何はさて措いても、ここな従兄どんに大散財せにゃならんのだ。その代り明日という日には、しこたまぽんぽへお金が転がり込んでくるからな。さあ、いざや攻めなん、ハム公をだ!』
「|主が爾曹と共にあらんことを《ドミニス・ヴォビスコム》」と司祭が唱える暇もないくらいのうちに、この愛鳩の巣は、いましがた笑いから泪に移ったように、たちまち今度は、泪から笑いへと早変りしてしまった。淫佚の嵐が猛り狂っているこうした淫猥な屋形うちでは、色恋にはえてして抜身がつきものであるが、何分にも高襟の上臈方とは別天地のこととて、とんと御納得にも参りますまい。
 コシュグリュ隊長は授業を終った生徒百人ほどの陽気さで、さかんにシコンに酒を振舞ったので、田舎者流に遠慮なくきこしめした羊飼は、したたか酔った風を装い、くだくだと迷弁を弄し始めた。――いえば、明日になったら巴里を買い取ろうだの、十万エキュばかり王様に貸してやるだの、黄金のなかで黄金《うんち》を垂れようだのと、あじゃらな法螺を吹き立てたので、悪猿はとんだ内緒事でも、素破抜かれてはと危ぶみ、且つはシコンの頭がはぐれだしたものと考え屋外に誘い出した。――いよいよ山分けという時には、シコンの土手ッ腹に風穴を開けて、こんなに鱈腹とシュレーヌの豪酒を腹中におさめ得たのは、どこぞに海綿でも入っているせいではないか、調べてやろうとの殊勝な魂胆もあった。二人は冥茫その極に達した神学上の論議に、口角泡を飛ばせながら、高利貸が金を埋めた庭の塀際まで、忍び足で辿りついた。
 コシュグリュはシコンの幅広の肩を足場にして、城砦攻略はお手の物の武弁よろしく、ひらり梨の木に飛び移ったが、かねて待ち伏せていたヴェルソリが、隊長の頸筋に三太刀ほど続けざまにしたたか浴びせかけたので、悪猿の首は宙にと飛んだが、「|首を拾えよ<傍点>」と叫んだシコンの晴れやかな声音を、空中で耳にしたのに違いはあるまい。
 こうして寛厚なシコンは、日頃の善根の功徳を受けたのであったが、長老の屋敷に急ぎ戻るのが賢明と思って、サン゠ピエール・オ・ブー街に勇み足で帰り、従兄弟という言葉はどんな意味か、もう知る必要もなく、生れたての赤ん坊のように、すぐすやすやと寝入ってしまった。――神のお恵みで遺産もここに、秩序立って単一化したからである。
 翌朝、羊飼の常として、シコンは日と共に起き出し、伯父の部屋に行って、白い痰を吐いたか、咳が出たか、熟睡出来たかと、お伺いを立てようとすると、――長老はノートル・ダムの最高守護神であるサン・モーリスの朝祷の鐘の音を聞かれ、今日はその祭日なので、例の信心深いところから、寺院に勤行に行き、司教会員たちと一緒に、巴里大司教の許へ朝の御斎《おとき》をよばれに廻ったと、老女中のビュイレットがシコンに言うので、『こんな寒い朝っぱらからお出掛けになったりして、風邪を引くか、僂麻質斯に罹るかほかはねえのに、なんだって酔興に出て行かっしゃったか。早くおっ死にたいのかしらん。戻って来て温まれるよう、お部屋にどんどん火を起しておこう。』
 そう呟いてシコンは、長老のいつもの居間に入ってみると、驚いたことに、伯父がもうちゃんとそこに端坐していた。『おや、あのビュイレットの気違い婆め、とんだ嘘を吐かしやがる。――こんな時刻に内陣の僧座で厳修をなさるほど、無鉄砲な伯父さんじゃないと思っていましただよ。』
 しかし長老は一言も返事をしなかった。およそ世の碩老が霊感によって、超自然界の精霊と、時おり神変不可思議の交媒を心内で行う通力を有していることは、内に慧敏を秘めたシコンも、冥想家の慣いとして、さすがに弁えていたので、伯父の霊怪な沈想を尊重いたして、その傍らをそっと離れて、交感の終るのをしばし恭しく待っているうち、ふと長老の足許に眼をやると、スリッパーを突き通すほどの勢いで足の爪が長く伸びているので、よくよく見てみると、足の肉が真赤で、ズボン下も赤く染まるくらい、布地を越して燄々としているので、「おや、死んでいるのかな?」とシコンは思った。
 と、ちょうどその時、部屋の戸が開いて、鼻を凍らかした当の伯父が、またひとり勤行から戻って来たので、シコンは思わず叫んだ。『おや、伯父さん……こりゃ妙だ!
 いまのいままで火の傍に坐っていたと思ったら、……もう戸口から戻って来るなんて、どうもはあ、訳がわかんねえなあ。伯父さんがこの世に二人あるわけはなしと……』『なんだ、シコン、同時に二たところにおられたら、随分ひとも重宝だろうと、儂はずっと前には望んだこともあるが、人間業じゃかなわんことさ。あんまり話がうますぎる。――お前なにか見間違えしたのだろう。わしはここに一人しかおらんよ。』
 そう言われて、シコンは椅子の方を振り向くと、もうそこには伯父の影もかたちもないので、全くの話、驚いて傍へ近寄ってみると、床の上に僅かばかりの灰がちんまり残っていて、そこから硫黄の匂いが強く彼の鼻を衝いた。『ああ、悪魔がわしを助けてくれたのだ!
 御恩になった悪魔のために、神様にお祈りを唱えて上げよう。』とシコンは息勢《いきせい
》張って言った。
 そしてシコンは長老に、悪魔が、或いはもしかするとやさしい神様が、性悪の従兄たちをまんまと片附ける手助けをしてくれた顛末を、ありのままに物語った。伯父は物のよく分った方だったし、それに悪魔の好いところも、時おりは認めていただけに、シコンの話に感服して、ともどもに喜んでくれた。かつまたこの高僧は、善のなかにも悪があるように、悪のなかにも善があることを、かねて気づいていたので、未来や来世のことなぞ、そう気にせぬがよろしいとまで、放言めされたこともあったくらいである。ただしこの由々しい邪説に対しては、幾多の宗教会議が催され、糾弾を受けたとのことではあるが。――
 さてシコン家が巨万の富を擅にするようになった経緯は以上の通りで、最近、シコン家が先祖代々の財貨の一部を投じて、サン・ミカエル橋の構築に寄進いたしたが、その橋に悪魔が天使の足下に麗々しい顔をして彫られてある因縁は、正史にも記されたこの奇譚を、実に記念してなのである。

悪魔の後嗣
 L’HÉRITIERDUDIABLE
 アルマニヤック党云々とあるから、この物語は時代を十四世紀末、乃至は十五世紀初頭と考うべきであろう。場所は巴里である。悪魔が実在視されているのは「コント・ドロラティク」のなかでは本篇一つで、あとは「妖魔伝」でも「婬魔伝」でも、悪魔は非実在として描かれている。篇中出て来るヴェルソリは実在人物である。なお姦夫を箪笥長持に入れて川に投げ込むという趣向は、各国各時代の物語にあり、ファブリオや東洋のコントにもある。姦夫として坊主が川に投げ込まれる話がとりわけ多い。

読書ざんまいよせい(053)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(05)

     第五章 社會主義の効果

〇說て此に至らば、一團の疑惑は雲の如く、油然として直ちに衆人の心頭を衝て起る者あらん、何ぞや。
〇日く、古來人間の氣力奮揚し、智能練磨し、人格向上することを得る所以は、實に生存の競爭あるが爲めに非ずや。若し萬人衣食の慮る可きなく、富貴の進取すべきなく、賢愚强弱皆な平等の生活に安んぜざる可らずと爲さば、何物か又吾人の競爭を鼓舞せんや。競爭なきの社會には卽ち勤勉なけん、勤勉なきの社會には、卽ち活動進步なけん、活動進步なきの社會は、卽ち停滯、堕落、腐敗あるのみ。社會主義實行の効果は、唯だ如此きに止まらざる乎と。
〇獨り庸衆の、這個の杞憂を抱けるのみならず、碩學スペンサーの如きすら亦日く、『社會主義の制度は總て奴隸制度也』と。ベンジヤミン・キツドも亦大著『ソシアル・エヴオルーシヨン』中に論じて謂らく『個人の生存競爭は、啻に社會あって以來のみならず、實に生物あって以來、常に進步の源たる者也、而も社會主義の目的は全く之を禁絕するに在り』と。而して今の地主資本家に阿媚して自ら利する者あらんとするの徒、亦此種の言說を誇張し、以て社會主義の大勢に抗する唯一の武器と為すもの ゝ如し。
〇夫れ社會主義の為す所にして、果して個人の自由を奪ひ社會の進步を休せしむる彼等の言の如くならん乎、其唾棄すべきや論なし。然れども是れ誤謬也、謬誤にあらずんぱ卽ち讒誣《ざんぶ》也。
〇思へ所謂生存競爭が社會進化の大動機たるは、豈に彼等の言を待て後ち知らんや。而も古來社會の組織が漸次其狀態を異にするに至るや、之を刺擊し活動せしむる所以の競爭其物も從つて其性質方法を異にせざることを得ず。腕力の競爭が智術の競爭となれるを見よ、個人の競爭が團體・の競爭となれるを見よ、武器の競爭が辯說の競爭となれるを見よ、掠奪の競爭が貿易の競爭となれるを見よ、侵略の競爭が外交の競爭となれるを見よ、生存競爭の性質方法が、常に社會の進化に伴ふて進化せるの迹を見る可らずや。
〇而して見よ、現時の經濟自由競爭が殖產的革命の前後に於て、世界商工の發達に與って大に力ありしことは、予も亦之を疑はず、然れども此等競爭を必耍とせし時代は旣に過ぎ去れり。今や自由競爭は果して何事を意味すとする乎、唯だ少數階級の暴橫に非ずや、多數人類の痛苦に非ずや、貧富の懸隔に非ずや、不斷の恐慌に非ずや、財界の無政府に非ずや。是れ實に社會の進化に益なきのみならず、却って其堕落を長ずる者に非ずや、如此にして吾人は猶ほ共保存を希ふの理由ある乎。
〇太初蠻野の時に於てや、暴力の鬪爭は社會進化の爲めに共唯一の動機たりき、而も今日に於ては直ちに一個の罪悪に非ずや、若し競爭は進步に必耍なるが故に、暴力も之を禁ずるを得ずと言はヾ、誰か其無法を笑はざらんや。今の自由競爭を以て必要となすの愚は實に之に類せずや。
〇且つや眞個の競爭を試む、必ずや先づ競爭者をして平等の地位に立たしめざる可らず、其出發點を同じくせしめざる可らず。而も今の競爭や如何、一は生れながらにして富貴也、衣食足り敎育足り、加ふるに父祖の讓與せる地位と信用と資產とを以てす、他は貧賤の子也、凍餒《とうだい》窮苦の中に長じ、敎育なく資產なく、地位なく信用なし、有る所は唯だ赤條々の五尺軀のみ。而して此兩者を直ちに競爭場裡に投じて長短を較せしむ。而して其勝敗の決を見て喝采して日く、是優勝劣敗也と、是れ豈に殘酷なる虐待に非ずや、何ぞ競爭たるに在らんや。
〇然り今の自由競爭や、決して眞個公平の競爭に非ざる也、今の禍福や決して勤惰の應報に非ざる也、今の成敗や決して智愚の結果に非ざる也。運命のみ、偶然のみ、富籤を引くと一般のみ。
〇否な所謂自由競爭の不公なるのみならず、此等不公の競爭すらも、今や殆ど之を試むるの餘地なきに至らんとす。見よ、世界產業の大部は旣に偶然を僥倖せる資本家の獨占となれるに非ずや、世界土地の大部は、旣に運命の恩籠ある大地主の兼併に歸せるに非ずや、而して資本を有せざる者及び土地を有せざる者は、唯だ彼等の奴隸たるの外なきに至れるに非ずや。然り自由競爭の名は美也、而も事實に於て經濟的競爭は竟に其迹を絶たずんば已まず。豈に特に社會主義の之を廢絕することを待たんや。
〇於是乎生存競爭の性質方法は、更に一段の進化を經ざることを得ず。社會主義は實に這個進化の理法を信じて、社會全體をして此理法に從はしめんと欲す。然り現時卑陋の競爭を變じて高尙の競爭たらしめんと欲す、不公の競爭を變じて正義の競爭たらしめんと欲す。換言すれば卽ち衣食の競爭を去て、智德の競爭を現ぜんと欲する也。
〇試みに思へ、人生の進步向上にして、單に激烈なる衣食の競爭の結果なりとせん乎、古來高材逸足の士は必ず社會最下府の窮民中に出づべきの理也。而も事實は之に反す、人物が多く富貴の家に生ぜざると同時に、極貧者の中に出づること亦甚だ稀なるに非ずや。他なし富貴の階級や、常に侫娼阿諛《ねいびあゆ》の爲めに圍繞せられて、志驕り氣餒ゑ、徒らに快樂の奴となり、窮乏の民や終生衣食の爲めに遑々として、唯だ飢凍に免る、に急なれば也。
〇然り高尙なる品性と偉大の事業とは、決して社會貧富の兩極端に在らずして、常に中間の一階級より生ずる者也。彼れ夫れ資財ありと雖も未だ彼等を厲敗せしむるに足らず、勤勞を要すと雖も、未だ彼等を困倦《こんけん》せしむるに至らず、猶ほ其智能を磨くの餘裕有り、心氣を奮ふの機會多ければ也。見よ封建の時に於て武士の一階級が其品性の尤も高尙に、氣カの尤も旺盛に、道義の能く維持せられたる所以の者は、實に彼等が衣食の爲めに其心を勞するなくして、一に名譽、 道德、眞理、技能の爲めに勤勉競爭するの餘裕機會を有せしが爲めに非ずや。若し彼等にして初めより衣食のために競爭せざる可らざらん乎、直ちに當時の『素町人根性』に隨落し去らんのみ、豈に所謂『日本武士道』の光榮を擔ふことを得んや。
〇基督は富人を嚴責するに、其天國に入り難きを以てし、貧しき者は幸福なりと日へり。然れども知らざる可らザ、當時の猶太の貧民は、漁農を務め、エ獎を勵み、以て獨立の生を營めるの中等民族にして、決して今日多數の賃銀的奴隸と同視すべきに非ざることを。而して社會を擧げて是等中等民族と為さんとするは、是れ社會主義の目的とする所に非ずや。
〇爰に人あり、雇主の叱陀を恐るゝが爲めに非ず、財貨の報酬を望むに非ず、唯だ工作を愛するが爲めに建築に從事すとせよ、唯だ神來に乘じて其大筆を揮洒《こんしや》すとせよ。彼等の藝術は如何に其眞を得、善を得、美なるを得べきぞや。其他幽奧なる哲理の探討や、精緻なる科學の硏究や、如此にして始めて大に其光修を放つべきに非ずや。
〇更に一面より見る、現時社會の陵落と罪惡の大半は實に衣食の匮乏に因す、金錢の競爭に因す。家庭の平和も之が爲めに害せられ、婦人の節操も之が爲めに汚され、士人の名讐も之が爲めに損せられ、而して一國一社會の風敎、道德之が爲めに壞敗せらる。見よ現時我國監獄の囚徒七萬人、而して其罪狀の七割は實に財貨に關する者也といふに非ずや。古人言ひ得て佳し、『金が敵の世の中』なりと。若し世に金銭の競爭なかりせば、社會人心は如何に純潔なる可りしぞ、少くも今の罪惡は其大半を掃蕩す可きに非ずや。而して能く吾人の爲めに、金銭てふ怨敵を滅絶し、衣食競爭の蠻域を脫せしむる者は社會主義に非ずや。ウィリアム・モリスは日く『人が財貨の爲めに心を勞するなきに至るも、技費 萬有、戀愛等は、人生に與ふるに趣味と活動とを以てす可し』と。是等の趣味と活動は、吾人の爲めに更に正義高尙なる自由競爭を開始して、以て社會の進化を促進するを得ん也。
〇言ふこと勿れ、衣食の慮る可きなくんば、人は勤勉することなけんと。人の勤勉を促す者、豈に唯だ財貨のみならんや、人間の性情は未だ如此く汚下ならざる也。見よ彼の深山大海の探險や、學術上の發明や、文學美術の大作や、共他各々好む所に從ひ適する所に向って其技能を試むるに當つてや、心中獨り自ら愉悅に堪へざるもの無くんばあらず。况んや之に加ふるに多大の名譽光榮の酬ゆるありとせば誰か欣然として共勤勞に服せざる者らんや。少年の學生が孜々として學ぶ者は、決して衣食の爲めにするに非ざる也、兵士の奮躍して死に趨くは、決して衣食の爲めにするに非ざる也。
〇現時勞働者の大抵勤勞を厭ふて、動もすれば安逸を貪るの狀あるは、予も亦之を認む、然れども是れ豈に彼等の罪ならんや。夫れ演劇を觀、角觝《かくてい》を樂む者と雖も、其長きに及べば卽ち倦怠を感ず。况んや悪衣惡食にして、一日十數時間の勤勞に服す、以て少壯より老衰に至る、何の希望なく、何の變化なく、何の娛樂なし。而して其事業や必しも共好む所に非ざる也、唯だ衣食の爲めに驅らるゝのみ。而して彼等が勤勞の功果や、共大部は卽ち他人の爲めに掠奪せられて彼等は僅に其生命を支ふるに過ぎざるに非ずや。之を如何ぞ疲勞厭倦せざることを得んや。然り今の勞働者が衣食の爲めに驅らるゝや、牛馬の如し、彼等の心身は旣に共鞭笞に堪へざるに至れり。彼等が懶惰を以て其樂園と爲すに至れる者、一に現時社會組織の弊害之を致せるのみ。
〇夫れ人は其勤勞の長きに堪へざるが如く、亦逸豫の長きに堪へず。試みに今日の勞働者に向つて、汝の衣食は給せらるべし、汝是より勤勞を要せずと言はヾ、彼等は初め喜んで其情眠を貪らん。而も如此き者數日ならしめよ、十數日ならしめよ、數月ならしめよ、彼等は漸く其徒然無為に飽きて、必ずや多少の事業を求むるに至るや明らか也。
〇故に社會主義制度の下に處して、衣食あり、休息あり、娛樂あり、而して後ち其好む所、適する所に從って、一日三四時乃至四五時、其强健の心身を勞して社會に奉ずるが如きは、却って是
れ一種の滿足あらんぱあらず。苟くも人心ある者誰か敢て避躱《ひたい》せんや。『勞働の神聖』てふ語は、於是て初めて意義あることを得ん也。
〇若し夫れ社會主義を以て個人の自由を沒却すといふに至っては、妄之より甚しきは莫し。予は先づ此言を為すの人に向って反問せん。現時果して所謂個人の自由なる者ありやと。
〇宗敎の自由は之れ有らん、政治の自由は之れ有らん、而も宗敎の自由や、政治の自由や、凍餒《とうだい》の人に在ては、一個の空名に過ぎざるに非ずや。所詮經濟の自由は總ての自由の要件也、衣食の自由は總ての自由の樞軸也、而して今果して之れ有る乎。
〇米國勞働者同盟第十三囘大會に於けるヘンリー・ロイドの演說の一節は、答へ得て痛切也、日く『米國獨立の宣言や、昨日は自治(セルフ・ガバーンメント)を意味せりき、今日は卽ち自業(セルフ・エンブロイメント)を意味す。眞個の自治は卽ち自業ならざる可らず。……而も今や勞働者が其爲す可き所を爲し得ず、其耍する所を與へられざるは、滔々皆な然らざるなし。勞働者は勞働の八時間ならんことを欲す、而も彼等は十時間、十四時間、十八時間の勞働に服せざる可らず。彼等は其子女を學校に選らんと欲す、而も却て之を工場に送らざる可らず。彼等は其妻の家庭を治めんことを欲す。而も却て之を機器車輪の下に投ぜざるを得ず。彼等は病で靜養を欲するの時、猶ほ勞働せざることを得ず、勞働を欲するの時却て解雇の爲めに失業せざることを得ず。彼等は職業を乞ふて得ざる也、彼等は公平の分配を得ざる也。彼等は他人の私慾若くば野望の爲めに、彼等自身の、彼等の妻の、彼等の子女の、四肢體軀、健康、生命すらも犧牲に供せざることを得ず』と。豈に獨り工場の勞働者のみならんや、今の世に處して生產機關を有せざる者は、其生活の不安にして苦痛なる、皆な然らざるなし、而も彼等は呼で日く自由競爭也、自由契約也と。是れ强制の競爭のみ、是れ壓抑の契約のみ、何の自由か之れ有らん。
〇社會主義の主張する所は、實に這個の强制を位せしめんとするに在り、這個の庶抑を免れしめんとするに在り。一八九一年エルフルト大會に於ける獨逸社會民主黨の宣言書の一節は日く『這個社會的革命は、特に勞働者の解放《エマンシペーシヨン》のみならず、實に現時社會制度の下に苦惱せる人類全體の解放を意味す』と。思へ社會主義一たび實行せられて、天下の雇主の爲めに驅使せらるゝの被雇者なく、權威に席抑せらるゝの學者なく、金錢に束縛さる、の天才なく、財貨の爲めに結婚するの婦人なく、貧窮の爲めに就學せざるの兒童なきに至らば、個人的品性の向上せられ、其技能の修練せられ、其自由の伸張せらる、は果して如何ぞや。
〇ミルは日く『共產主義に於ける檢束は、多數人類に取て、現時の狀態に比して、明かに自由なる者あらん』と。彼の所謂共産主義は卽ち今の社會主義を意味する者也。
〇然り宗敎革命は吾人の爲めに信仰の桎梏《しつこく》を撤したりき、佛國革命は吾人の爲めに政治の束縛を免れしめき。而して更に吾人の爲めに衣食の桎梏、 經濟の束縛を脫せしむる者は、果して何の革命ぞや。エンゲルは卽ち社會主義を稱して日く、『是れ人間が必要《ネセンシチー》の王國《キングドム》より一躍、自由の王國に上進する者也』と。
〇夫れ唯だ『自由の王國』也。是を以て社會主義は國家の保護干渉に賴る者に非ざる也。少數階級の慈善恩惠に待つ者に非ざる也。其國家や人類全體の國家也、其政治や人類全體の政治也。社會主義は一面に於て實に民主主義《デモクラシー》たる也、自治の制たる也。
〇今の國家や唯だ資本を代表す、唯だ土地を代表す、唯だ武器を代表す。今の國家は唯だ之を所有せる地主、資本家、貴族、軍人の利益の爲めに存するのみ。人類全僚の平和、進步、幸福の爲めに存するに非ざる也。若し國家の職分をして如此きに止まらしめば、社會主義は實に現時の所謂『國家』の權力を減殺するを以て、其第一着の事業と為さざる可らず。然り封建の時に於ては人類、人類を支配したりき、今の經濟側度の下に於ては、財貨、人類を支配せり、社會主義の社會に在ては、實に人類をして財貨を支配せしめんと要す、人類全體をして萬物の主たらしめんと要す。豈に奴隸の制ならんや、豈に個人を沒却する者ならんや。否人生は此如にして初めて其眞價を發揚す可きに非ずや。
〇社會主義は、現時國家の權力を承認せざるのみならず、更に極力軍備と戰爭とを排斥す。夫れ軍備と戰爭とは、今の所謂『國家』が資本家制度を支持する所以の堅城鐡壁とする所にして、多數人類は之が爲めに多大の犧牲を誅求《ちうきう》せらる。今や世界の諸强國は軍備の爲めに、實に二百七十億弗の國債を起し、而して單に之が利息のみにして、常に三百萬人以上の勞働を要すといふに非ずや。加之幾十萬の壮丁は常に兵役に服し、殺人の抜を習ふて無用の勞苦を曾めざる可らず。獨逸の如き、壯丁の多數は皆な兵士として徴集せられ、田野に礬する者は、半白の老人若くば婦女のみなりといふ。嗚呼是れ何等の悲慘ぞや。況んや一朝戰爭の破裂に會ふや、幾億の財帑を糜《ついや》し、幾千の人命を損して、國家社會の瘡痍永く癒ることを得ず、贏《あま》す所は唯だ少數軍人の功名と、投機師の利益のみ。人類の災厄罪過豈に之に過ぐる者あらんや。
〇若し世界萬邦、地主資本家の階級存するなく、貿易市場の競爭なく、財富の生産饒多にして、其分配公平なるを得、人々各其生を樂しむに至らば、誰が爲めにか軍備を擴張し、誰が爲めにか戰爭を為すの要あらんや。是等悲慘なる災厄罪過は爲めに一掃せられて、四海兄弟の理想は於是乎始めて實現せらる、を得可き也。社會主義は一面に於て民主主義たると同時に、他面に於て偉大なる世界平和の主義を意味す。
〇故に予は玆に再言す。社會主義を以て競爭を廢止する者となすこと勿れ、社會主義は衣食の競爭を廢止す、而も是れ更に高尙なる智德の競爭を開始せしわんが爲めのみ。勤勉活動を沮礙《そがい》すと云ふこと勿れ、社會主義の除去せんとするは、勤勉活動にあらずして人生の苦惱悲慘のみ。個人を沒却すといふこと勿れ、社會主義は却って萬人の爲めに經濟の桂梏を脫却して、十分に其個性を發展せしめんと欲するに非ずや。奴隷制度なりと云ふこと勿れ、社會主義の國家は階級的國家に非ずして、平等の社會也、 專制的國家に非ずして博愛の社會也、人民全體の協同の組織を為して、以て地方より國家に及び、以て國家より世界に及び、四海平和の惠福を享受せんとする者に非ずや。
〇果して能く如此しとせぱ、誰か又社會主義的制度の下に在て、人間品性の向上、道德の作興、學藝の發達、社會の進步が今日に比して更に幾曆倍なるを疑ふ者ぞ。
   議事者。 身在事外。 宜悉利害之情。
   任事者。 身居事中。 當忘利害之慮。
[編者注:典拠は、菜根譚 前集百七十四項 読み下し、事(こと)を議(ぎ)する者(もの)は、身(み)を事の外(そと)に在(あ)りて、宜(よろ)しく利害(りがい)の情(じょう)を悉(つく)すべし。事に任(にん)ずる者は、身を事の中に居(あ)りて、当(まさ)に利害の慮(おもんぱかり)りを忘(わす)るべし。(物事は始まるまでは多面的に考え付くし、いざ実行する段になれば、あれこれ考えずにひたすら行動しなさい。)]

中井正一「土曜日」巻頭言(08)

◎人間の最後への勝利への信頼が必要である ー九三六年十一月五日

 水がすき間があれば常に低いところに降りるように、自然は噓をついたことはない。
 人間はこの噓のない自然の現象に副って、みずからを処してゆ.くほかはないのである。そして、自然と闘い、人間みずからの生活を合理化してゆくこと、それが生きてゆくということである。生活みずからにも人間は噓はつけないのである。噓をついたところで、足下から、それははげてゆくのである。
 何故なら自然と人間との戦いは切実であって、噓を許さないし、噓をつけば人間は直ぐみずからを傷つけずにいないのである。
 噓はすぐ傷となってあらわれる。
 小さい傷なら、噓は噓をもって覆える。しかし、そのことによつて傷はそのロをより大きく開く。
 覆うべくもない傷口となって万人の前に横たわるのである。
 噓に対して闘うものは、言葉でなくして、最後は生活の事実である。
 万人の生活があらゆる噓を噓として示し、生活みずからの矛盾として現われた場合、真実はたとい何人の言葉をも、雄弁をも借りなかったとしても、みずから万人のものとなるのである。
 そのとき、人間はまともに自然に向かう戦いに参加することができるのである。そして、実に数百万年を勝ってきた人間の勝利の戦列に加わることができるのである。
 人間のなした過失が二千年つづいたといって、嘘を二千年いわれつづけたといって、地球を支えるアトラスのように、すべてを支えてきた人間たちは希望を失いはしない。
 人間の祖先の親しむべき人たちは数万年をどしやぶりの雨の中に、数十万年を氷河の中にみずからの生活を守りつづけてきたのである。そしてそれを正しく守りつづけたからこそ、ここに存在したのである。
 今ここに人間がいることは、希望を失い、自棄に堕ちるには余りにも切実であり、真実への闘いの結果なのである。
 結晶がその噓のない秩序を宇宙の前に誇るように、人間はその秩序を宇宙の前に築きあげつつあるのである。

編者注】
 嘘・虚偽が、特に「政治」や「ビジネス」の世界で、まかり通る世の中なれど、長いスパンでみると、「真実」が優ると信じる他ないのだろう。「噓に対して闘うものは、言葉でなくして、最後は生活の事実である。万人の生活があらゆる噓を噓として示し、生活みずからの矛盾として現われた場合、真実はたとい何人の言葉をも、雄弁をも借りなかったとしても、みずから万人のものとなるのである。」
 先日、医療生協の地域でのまとめ役だった、S さんが亡くなった。嘘のない人柄は誰からも好かれていた。十年以上まえになるだろうか、母の日を前に、カーネーションのギフト券を、「お母さんへのプレゼントに使いよし。」と進呈したことがあった。彼は、そのままその券を、母親に手渡したそうだ。「花を買ってから、それを渡すもんや!」と思ったが、彼らしい率直さの現れだったかもしれない。最晩年は、幾たびかは、意にそぐわないことも多かったと推測するが 彼の誠実な人生を思い、心から悼む。

 図は、「土曜日」の3度目の表紙。

中井正一「土曜日」巻頭言(07)

◎集団は新たな言葉の姿を求めている ー九三六年十月二十日

 人間が四つの足から二本で立ち上ることを覚えるには数万年を要したのである。
 人間が言葉を覚えるにもまた数万年の歴史が絶えざる努力を要したのである。
「言う言葉」から「書く言葉」をもつようになるにも人問はどんなに苦労をしたことか。
 かくして、人間は、生きることを合理化し、動物としては、この宇宙的星辰の中に、唯一の、星の秩序を読み取ることのできる存在として生きつづけてきたのである。
 この存在の中に、存在のみずからの働きの中に、合理的なものを見出すことのできること、みずからの生活を合理化できること、これが、この数千万年を辿りきた人間の誇りである。
 人間が滅びることが、敢えて誇りとなるほどの、地球上の不思議な事実である。
 このことが「文化」ということなのである。人類は地殻の上において孤独であるのみではない。この無限である時間と、空間の上において、孤独である。
 この獲きたった合理的な営みを、わずかな人間たちの暴力の中に、争いの中に、破波に堕すには余りにも歩みきたった生活は苦しかったはずである。
 常に新しい文化を、新しいみずからの生活の合理を発見してゆくこと、これが生きているということにほかならない。
 言葉が、「書く言葉」から「印刷する言葉」を発見したとき、人々はそのもつ効果に驚きはしたが、それをみずからのものとしたとはいえない。
 その発見は、数百万人の人間が、数百万人の人間と、ともに話し合い、唄い合うことができることの発見であった。
 しかし、人々は、話し合いはしなかった。一般の新聞も今は一方的な説教と、売り出し的な叫びをあげるばかりで、人々の耳でもロでもない「真空管の言葉」もまたそうである。ますますそうである。
 今人々は集団において、建啞的である。
 この『土曜日』は、今新しく、すべての読者が執筆者となることで、先ず数千人の人々の耳となり、数千人の人々の口となることで新たな言葉の姿を求めている。
 数千の人々が数千の人々と話し合うことのできる、新たな話し声を発見しつつある。人間の発見しなければならないのは、機械と装置ではない。人間の新たな秩序への行動である。
 この『土曜日』の数千の人々の話し声は、やがて数万人の、数百万人の、数千万人の、お互いの話し声となることがどうしてないといえよう。何故ならわれわれは、集団的な言葉を獲つつある聾啞者であったからである。

編者より】
 〚土曜日』の多彩な執筆陣に、小説家加賀耿二がいた。治安維持法で検挙され、保釈された加賀(石川県)出身の小説家と言えば?(戦後、彼は日本共産党の代議士となって活躍する。)図は、1936年7月4日・創刊号に載った彼の小説である。

数千の人々が数千の人々と話し合うことのできる、新たな話し声を発見しつつある。(が、)人間の発見しなければならないのは、機械と装置ではない。人間の新たな秩序への行動である。

 昨今の、AI や SNS だけで容易に扇動される、世情を見ていると、戦前の話とは到底思われない。

図の二次使用は著作権もあるのでご遠慮ください。

本職こぼれはなし(016)

◎ネルソン「小児科学」新版購入

「溶連菌感染」の総説を調べたくて、”Nelson Textbook of Pediatrics 22th Edition” を少々値が張ったが、Kindle 版で購入した。紙の本で持っていたのが、19th Edition だから、だいぶ改訂されているようだ。
以前の版では、「まえがき」が格調高かったのを覚えている。

 Children are the world’s most important resource. Pediatrics is the sole discipline concerned with all aspects of the well-being of infants, children, and adolescents, including their health; their physical, mental, and psychologic growth and development; and their opportunity to achieve full potential as adults. Pediatricians must be concerned not only with particular organ systems and biologic processes, but also with environmental and social influences, which have a major impact on the physical, emotional, and mental health and social well-being of children and their families.

その訳文

  子供たちは世界で最も重要な資源です。小児科学は、乳幼児、児童、および青少年の健康、身体的、精神的、心理的な成長と発達、そして成人として潜在能力を最大限に発揮する機会など、彼らの幸福のあらゆる側面を扱う唯一の学問分野です。小児科医は、特定の器官系や生物学的プロセスだけでなく、子供とその家族の身体的、情緒的、精神的な健康や社会的な幸福に大きな影響を与える環境や社会的な影響にも配慮しなければなりません。

冒頭の “Children are the world’s most important resource. ” が特に印象的だった。19版が、2011年発行とあるから、あれから、13年経過したんだ!

長くなるが、今回の 22版の序言はこうだ。

 Since the late 19th century, pediatrics has been the only discipline dedicated to all aspects of the care and well-being of infants, children, and adolescents, including their health— their physical, mental, social, and psychologic growth and development— and their ability to achieve full potential as adults. The importance of scientific inquiry and research discovery in pediatrics and related subspecialties was cemented by the creation of the National Institute for Child Health and Development (NICHD) in 1962. As the earliest pediatricians focused on social and environmental issues that affected health (e.g., housing, sanitation, and poverty), so too are today’s pediatricians (e.g., racism, poverty, and other socioenvironmental influences). In 1959 the United Nations (UN) issued the Declaration of the Rights of the Child, articulating the universal presumption that children have fundamental needs and rights. However, the United States is the only UN member that has not yet ratified these rights. The pediatrician’s purpose is to advance the well-being of children, and thus pediatricians must be concerned with specific organ systems, genetics, and biologic processes and also with environmental, psychosocial, cultural, and political influences, all of which affect the health and well-being of children and their families. Pediatricians must be advocates for the individual child, their families, and communities because children cannot advocate wholly for themselves. Pediatricians must serve as advocates of all children irrespective of culture, religion, gender/ gender identity, sexual orientation, race or ethnicity, ability, place of birth, or geographic boundaries. The more politically, economically, or socially disenfranchised a population is, the greater the need for advocacy for its children and for those who support children. Youth are often the most vulnerable persons in society, and thus their needs require special attention. As boundaries between nations blur through advances in media, transportation, technology, communication, and economics, a global, rather than a national or local, perspective for the field of pediatrics becomes both a reality and a necessity. The interconnectedness of health issues across the world has achieved widespread recognition in the wake of new and emerging illnesses, such as COVID-19, Zika, Ebola, and severe acute respiratory syndrome (SARS), as well as familiar and persistent illnesses, such as malaria, tuberculosis, HIV/ AIDS, and vaccine-preventable illness. Additionally, health issues transcend communicable disease and are influenced by global events, such as war, ethnic wars, mass shootings, bioterrorism, the burning of the Amazon rainforest, and the growing severity of wildfires, storms, drought, and hurricanes brought about by climate change to very specific events, such as the earthquake in Haiti in 2010; the displacement of families during the Syrian refugee crisis in 2016– 2018; the White supremacist attack on a mosque in Christchurch, New Zealand, livestreamed in 2019; and George Floyd’s and Breonna Taylor’s murders in 2020.

その訳文

 19世紀後半以来、小児科学は、乳児、子供、および思春期の若者たちの健康(身体的、精神的、社会的、心理的な成長と発達)や、成人になっても潜在能力を最大限に発揮する能力など、そのケアと幸福のあらゆる側面を専門とする唯一の学問分野です。小児科学および関連するサブスペシャリティにおける科学的探究と研究の発見の重要性は、1962年に国立小児保健発達研究所(NICHD)が設立されたことで確固たるものとなりました。初期の小児科医が健康に影響を与える社会問題や環境問題(例えば、住宅、衛生、貧困)に注目していたように、今日の小児科医も(例えば、人種差別、貧困、その他の社会環境の影響)に注目しています。1959年、国連(UN)は「児童の権利に関する宣言」を発表し、子どもには基本的なニーズと権利があるという普遍的な前提を明確にしました。しかし、米国はこれらの権利を批准していない唯一の国連加盟国です。小児科医の目的は、子どもの幸福を促進することであり、そのため小児科医は特定の器官系、遺伝、生物学的プロセス、および環境、心理社会的、文化的、政治的影響に配慮しなければなりません。これらはすべて、子どもとその家族の健康と幸福に影響を与えます。小児科医は、個々の子ども、その家族、そして地域社会の代弁者とならなければなりません。なぜなら、子どもたちは自分自身を完全に代弁することができないからです。小児科医は、文化、宗教、性別/性自認、性的指向、人種や民族、能力、出生地、地理的境界に関わらず、すべての子どもたちの代弁者とならなければなりません。政治的、経済的、社会的に権利を奪われた人々が多いほど、その子どもたちや子どもたちを支援する人々に対する代弁の必要性は高まります。若者は社会で最も弱い立場にあることが多く、そのニーズには特別な注意が必要です。メディア、交通、テクノロジー、コミュニケーション、経済の発展により国家間の境界が曖昧になるにつれ、小児科の分野では、国家や地域単位ではなくグローバルな視点が現実のものとなり、必要不可欠なものとなっている。世界中で相互に影響し合う健康問題は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)、ジカ熱、エボラ出血熱、重症急性呼吸器症候群(SARS)などの新興感染症や、マラリア、結核、HIV/エイズ、ワクチンで予防可能な感染症といったよく知られた持続的な感染症の流行により、広く認識されるようになりました。さらに、健康問題は伝染病の枠を超え、戦争、民族紛争、大量銃乱射事件、バイオテロ、アマゾンの熱帯雨林の焼失、気候変動による山火事、暴風雨、干ばつ、ハリケーンの深刻化といった世界的な出来事や、2010年のハイチ地震 、2016年から2018年のシリア難民危機による家族の離散、2019年にライブ配信されたニュージーランド・クライストチャーチでの白人至上主義者によるモスク襲撃事件、そして2020年のジョージ・フロイド氏とブリーオナ・テイラー氏の殺害事件など、非常に特定の出来事をもたらしました。

 この13年間、残念なことに。子どもを取り巻く環境は、よりシビアに、より複雑化している。序文に述べられている事柄も、より長文にならざるを得ないだろう。序文には記載がないが、枚挙をいとわずに言うならば、今日《こんにち》、ウクライナやガザでの子どもをはじめとする犠牲もその例であるだろう。それに、国連の「児童の権利に関する宣言」をアメリカが国連加盟国で唯一批准していないとの部分は、著者らの静かな怒りを感じる。ともあれ、老後の楽しみの一つとして、翻訳ソフトの力も借りながら、少しづつ読み進めることにしよう。

 「Pediatricianでつくづくよかったと思うのは、少し大げさかな?」とは、以前書いた。

読書ざんまいよせい(025)

◎正岡子規スケッチ帖(004)

①同日 茄子《なす》
②七月二十二日晴 天津桃
③七月二十三日雨 甜瓜《てんか》[マクワウリ]一ツ梨二ツ
④[下村為山の画]

第三部から

子規氏の絵 下村為山

 自分が子規氏を知つたのは、子規氏が一高の寄宿舎である常磐舎に居た時であつた。常磐舎の監督をして居たのは、自分の親戚にあたる鳴雪〔内藤鳴雪〕氏で、鳴雪氏の家と常磐舎とは廊下一つでつながつてゐたので、時々嗚雪氏の所へ遊びに行く内、いつか常磐舎へも次第に出入するやうになり、子規とも相知るに至つたのであつた。その当時、子規氏は好く故人の俳句を写してゐたやうに憶えてゐる。
 その後私が本郷の湯島に下宿してゐた頃、子規は二三度訪ねて来てくれたが、何をその時話し合つたか忘れてしまつた。私は子規氏が「日本新聞」に入つた時代には郷里に帰つてゐた。が、日本新聞の別動隊といふべき「小日本」を出した時、子規氏は私に手紙を寄せて、今度新聞に俳句欄を作るやうになり、挿絵を入れたいと思つてゐるが、君一つ書いてはくれぬだろうかと相談されたことがあつた。当時の私は今のやうに日本画はやらず、専ら洋画をかいてゐたのであつたが、一々画材|迄《まで》指図されては困ると言つて、それに応ぜず、断りを言ひ送つた。で、挿絵は不折〔中村不折〕氏の方へ廻ることになつた。

 私が再度郷国から上京した時には、子規氏は、最早《もはや》病人であつた。私は常に御気の毒だと思つてゐたので、度々出かけて余り病人を疲労させてはと思ひ、却《かえ》つて見舞にも出かけずにゐた。唯だ句会には欠かさず出かけて、そこで子規氏に会つてゐた。子規氏は、病中にも拘《かかわ》らず好く短冊をかいては私にくれられた。その短尺は今も家に取つてある。

 恐らく誰にも話されなかつたことだらうと思ふが、或る時、子規氏は私に向つて、体が丈夫なら画家になつて見たく思ふよと言はれたことがあつたが、子規氏は却々《なかなか》絵が上手で、絵画の天分は性来的にもつてゐられた人のやうであつた。寝て居て、枕頭にある花や果物|杯《など》を水彩で写生してゐたが、その絵は誰に習つた訳ではないのに、自ら一家の風格を具《そな》へてゐた。言はば子供の自由画式のものだが併し簡略な筆致の中に却々好いものを表現してゐる。子規氏の絵について思ひ出したが、つい先日、私の郷里の人から、子規氏が幼年の折、(十二三歳時分)誰のものか分らぬが、或る画手本を写したものを送つて、私にその画帳に何か記してほしいと言つて寄越したことがあつた。その子規氏の写した画手本といふものは余程《よほど》好く考へて作られたもので、人物、風景、魚貝類の一々を、何人にも描けるやう、運筆の順序を一格々々平仮名文字で説明し、それを三十一文字の歌に作り成して、歌の通りに筆を運ぶと、自然画が描けるやうになつてゐたが、凡そ三四十枚ばかりあつて、赤紫の二色位で色取りが施してあつた。小冊子ではあるが、子規氏は実に根気好く、且つ忠実にそれを写してゐた。さうして表紙の裏に「正岡|升《のぼる》写す、十二歳」と記してあつた。私は此《こ》の画帳を見た時、子規氏が幼少時代より美術的に天分を有してゐたのを知つて、後年病中で私に画家になつて見たいと言はれたことの、謂《いわ》れなき気紛れ心からでなかつたのをしみじみと感じたのであつたが、恐らく子規氏は、画家として立たれても、亦《また》驚くべき才能を発揮せられたらうと私は思つてゐる。子規氏の幼年時代の絵、並《ならび》に病中略画に見てもその豊かなる才分は十分に窺知《きち》し得らるる所で、氏の多方面的才能には、驚かざるを得ない。
〔「日本及日本人」第百六十号(正岡子規号)昭和三年〕

編者注】寒川鼠骨の文章二篇は、2025年1月に、著作権が消失するので、時期が来れば、改めて投稿する。

読書ざんまいよせい(021)

◎トロツキー・青野季吉訳「自己暴露」

第一章 ヤノウカ(続き)

 この地方では、冬は平和な時であつた。たゞ鍛冶場と製粉場とが實際に動いてゐる許りだつた。燃料として、私達は、召使が途中にばら撒きながら腕いつぱいに抱へ込んで來る麥藁を燃した。ばら撒いたものは、彼等が後で集めて掃除した。この麥藁をストーブの中へ詰込んで、それの燃上るのを見守つてゐるのは愉快だつた。何時だつたかグレゴリイ伯父さんが、私と妹と許りが、靑い木炭素の煙でいつぱいになつた食堂にゐるのを見つけ出したことがあつた。私はぐる/\室內を廻つてゐて、自分が何處にゐるのかも分らなかつた、そして伯父さんの大聲で呼息も絕え絕えで倒れた。私達は冬になると、殊に父が留守になつて、凡ての仕事が母の手でなされてゐる時には、よく私達許りで家の中にゐたものだ。薄闇の中で妹と私は竝んでソファーに坐り、固く抱合ひ、眼を見張つて動くことを恐がつたものだ。
 大きな靴をのろ/\と動かしながら、大きなカラーのついた馬鹿々々しく大きな上衣に包まれ、大きな帽子を被つた巨人が、寒い外から暗い食堂へ這入つて來ることがあつた。彼の手は大きな手套の中へ突込まれてゐた。大きな氷柱《つらら》が彼の頤髭からぶら下つてゐて、彼の大きな聲はごおん/\と闇の中に響いた。『今晚は。』だが私達はソファーの隅でひしとかじりつき合つて、返事をすることも恐かつた。さうするとその怪物はマツチをすつて、隅に小さくなつてゐる私達を覗き込むのだ。見ると臣人は私達の隣の人であつたのだつた。時によると食堂の中での寂しさが、とても耐えられないものになつて來ることがあつた。さうすると私は寒いのをかまはず、外廊下に飛び出して、前の扉を開き、、閾の上に橫つてゐる大きな石の上に上つて、闇に向つて『マシュカ! マシュカ! 食堂へお出よ!と再三再四金切聲で叫ぶのであつた。マシュカは料理場とか、女中部屋とかその他の所にゐて、自分の仕事で忙しかつたのだ。遂々最後に母が、多分製粉所から歸つて來たのだらう、ランプを點し、サモワルを運んで來るのだつた。
 私達は、夜は私達が眠り込むまで食堂に坐つてゐる習慣だつた。人々は鍵を取りに來たり返しに來たり、種々なことの手筈をきめたり、明日の仕事の計畫をしたりするために、食堂を這入つたり出たりした。そこで私の妹のオリヤと姉のリザ、部屋女中と私自身は、いつも大人の生活に從屬し、彼等によつて指導させられてゐるのだか,こんどは私達自身の生活を展開した。時には大人の中の誰かの偶然の言葉が、私逹に何にか特別の記憶を呼起した。
 そこで私が妹に目をしかめると、彼女は低い聲でくす/\と笑つた。さうすると大人達は上の空で彼女の方を見る。私はも一度目をしかめた、すると彼女は油布の下で笑を殺さうとして、頭をテーブルにぶつゝけた。これは私にも傳染し、時にはまた十三歲と云ふ貫祿をもつて大人と子供との中にさ迷つてゐた姉にまで傅染した。私達の笑ひが制禦し得られないものになつて來ると、テーブルの下へ滑り落ちて、大人の足の間を這廻り、おつかなびつくりもので、保姆の部屋である次の室に飛込まねはならなかつた。再び食堂へとつて返すと、それがも一度始つた。私の指は笑ひのためにコップを持つことが出來ない程ぐにや/\になつた。私の頭、私の唇、手、足、私の身體の何處でもが笑ひ震へた。『まあ、どうしたと云ふのだい、お前達は。』と母が訊ねるのだつた。生活の二つのサークルである年長者と幼年者が、一寸の間接觸する。大人は彼等の目を怪げんさうにして子供達を眺める、それは時には馴れ馴れしいものであるが、多くは精いつばいいら/\してゐるのだ。すると不意に湧上つた私達の笑ひはどつと爆發する。オーリヤの頭は再びテーブルの下に這入り、私はソファーの上に身を投出し、リーザは上唇を嚙み、そして部屋女中は扉の外へ逃出すのである。
 すると大人達は『もうお寢みよ。』と叫ぶ。
 然し私達は寢床へは行かない。私達は互ひに顏を見合はせるのを恐れて隅の方へ隱れる。私の妹は床の中へ運んで行かれることがあつたが、私はいつもソファーの上で眠り込むのだ。誰か了私を腕の中へ抱上げて、つれて行つてくれたこともあつた。さうすると私は半分眠つたまゝ、私が犬に迫つかけられてゐたところや、蛇が私の前でのた打つてゐたところや、盜賊が私を森の中へ連れて行つてゐたやうな夢を見て、大きな聲を擧げてわめいたものだ。子供の夢魔は大人の國樂の邪魔をした。寢床へ行く途中では、私はもう溫和しかつた。彼等は私を軟かく叩いてキツスをしてくれた。だから私は笑ひから眠りに、夢魔から正氣に、そして溫かい寢室の羽根の床の中で再び眠りに落ちたものだ。
 冬は一年の中の家庭時代である。母や父が滅多に家を開けない日が來る。兄や姉がクリスマスで學校から歸つて來る。日曜日には綺麗に頭を洗ひ、顏を剃つて、櫛と𨦇とをもつたイヴン・ワシリエヴヰツチが、まづ最初に父の頭を刈り、それからサアシヤの頭を、その次に私の頭を刈つた。
『カブール式に毛が刈れるかね。イヴン・ワシリエヴヰツチ?』とサアシヤが訊ねる。皆がサアシヤを見る。すると彼はエリザヴエートグラードで、以前に床屋が彼の毛を、美しいカブール式に刈つたが、次の日に彼は學生監から嚴格な譴責を與へられた、と說明する。
 散髮が終つて後、私は晝食の席に坐る。父とイヴン・ワシリエヴヰツチとはテーブルの兩端の时掛椅子に、子供達は安樂椅子に、そして母はその向ふ側に座つた。イヴン・ワシリエヴヰツチは彼が結婚するまで私達と一緖に食事をしてゐたのだ。冬は、私達はゆつくりと食事をし、その後でも坐つて話をした。イ・ワン・ワシリエヴヰツチは煙草を吸つて巧妙な煙の輪を吹いた。また時々サアシヤやリーザが聲高く本讀みをすることもあつた。父はストーヴの凹みの所で居眠りをした。私達は、たまには宵のうちに、お婆拔きをやつたが、そのために仰山な騷ぎと笑ひが起り、そして時には小競合まで始まつた。私達は、少しも注意しないでやつてゐる父を詐すのが一番愉快だと思ひ、そして父が失敗すると笑つた。その代り母は上手にやつた、そして興奮して來て、母を詐さうとしてゐはしないかと銳く兄に注意をしてゐた。
 最も近い郵便局は、ヤノウカから二十三キロメートルもあり、鐵道までは三十五キロメートル以上もあつた。そこから官廳や商店や市の中心には更に遠く、そして澤山の出來事のある世界には遙かにずつと遠かつたのだ。ヤノウカの生活は、農場での勞苦のリズムによつて、完全に調整されてゐた。何事も起らず、世界市場に於ける穀物の値段の他には何もなかつた。その頃私達は田舍で雜誌ー册、新聞一枚見たことがなかつた。それを見たのは、ずつと後になつて私が高等學校の生徒になつてからのことである。たゞ手紙だけは特別の場合に受取ることがあつた。時には近所の人がボブリネツツで私達宛の手紙を發見することがあり、それを彼のポケットに入れたまゝ、一週閒も二週閒も持つて步くことがあつた。手紙が一寸した出來事なら、電報は大事件だつた。電報と云ふものは針金を傳つて來るものだと或人が私に說明した。けれども私は、大人が馬に乘つて電報を持つて來るのを見た、その電報には父が二ルウブル五十コペツク拂はされた。電報は手紙のやうな紙片だつた。それには言葉が鉛筆で書いてあつた。風が針金をつたはつて手紙を吹きつけるのだらうか? 私はそれが電氣の力で來るのだと敎へられた。それはなほ惡るかつた。アルバム伯父さんは一度熱心に私のために說明してくれた。『電流が針金を渡つて來て、紙片《リボン》の上に印をつけるのだよ。私の云つたことを繰返してごらん。』私はくり返した。『電流が針金の上を來て、紙片に印をつけるのだ。』
『どうだい、解つたかい?』
『うん、解つたよ、だがだれがどうして手紙になるのだらう?」と私はボブリネツツから來た電報賴頼信紙のことを考へながら訊ねた。
『手紙は別に來るんだよ。』と伯父さんは答へた。私は一寸當惑したがすぐ訊ねた。『ぢや何故手紙が馬に乘つた人に屆けられるのに、なぜ電流の必要があるのだらう?』だがこゝで伯父さんは我慢の緖を切らしてしまつた。『うん、手紙は別だよ、俺はお前に逐報のことを說明して遣らうとしたのだ、だのに、お前は手紙のことを言出すのだ』と怒鳴つた。だもんだから問題は不可解のまゝで殘つたのだ。
 ボブリネツツから來た婦人のポウリナ・ペトロヴナは私達の家に宿つてゐた。彼女は長い耳環と、額に捲毛をもつてゐた。後で母が彼女をボブリネツツへ送つて行つたので,私も彼女達と一緖に行つた。私達が十一ベルストと印した標柱を通り越した時に電柱の列が現れて、その針金が唸つてゐた。
『電報はどうして來るの?』と私は母に訊ねた。
『ポウリナ・ペトロヴナに訊いてごらんよ。』と母は當惑して答へた。『あの方が說明して下さるでせう』
 ポウリナ・ペトロヴナは說明した。
『その紙片の印は字の代りなのですよ。電信技師がそれを紙に書きつけ、その紙が馬に乘つた人によつて配られるのです。』私はそれでやつと解つた。
『だが電流は誰も番してゐないのに、どうして行くのでせう?』私は針金を見ながら訊ねた。
『電流は針金の中を行くのですよ、その針金は小さな管のやうに出來てゐて、電流はその中を走るのです。』とポウリナ・ペトロヴナは答へた。
 私はそれも理解した。そしてすつと後になつてやつと得心した。凡そ四年後に私の物理の先生が云つてくれた電磁氣流動體は、私には遙かに譯のわからない理論的な說明だと思つた。

読書ざんまいよせい(019)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(005)

 新米の知事が属僚に向って演説をした。商人を集めて演説をした。女学校の卒業式で、教育の真義について演説をした。新聞の代表者に演説をした。ユダヤ人を集めて、「ユダヤ人よ、余が諸君の参集を求めたのは……。」一と月たち二た月たつが仕事の方は何一つしない。また商人を集めて演説。またユダヤ人を呼んで、「ユダヤ人よ、余が諸君の参集を求めたのは……。」みんな飽々してしまった。とうとう彼は官房の長官に言う、「いや君、こいつは俺の手に合わんよ。辞職しちまおう!」

 田舎の神学校生徒が、ラテン語の糞勉強をする。半時間ごとに女中部屋へ駈け込んで、眼を細くして女中たちをつついたり抓《つね》ったりする。女中たちはキャッキャッと笑う。それからまた本に向う。彼はこれを「気分爽快法」と名づけている。

 知事夫人が、例の役人を招んでチョコレートを一杯御馳走した。この声の細い男は、彼女の崇拝者だ。(胸にぶら下げた肖像)。彼はそれから一週間というもの幸福な気分を味う。彼は小金を蓄めていて、無利子でそれを貸していた。――「貴女にはお貸し出来ませんな。貴女のお婿さんがカルタで擦ってしまうでしょう。いや、それだけは御免を蒙ります。」知事の娘というのは、いつか毛皮頸巻《ボア》をして劇場のボックスに納まっていた女だが、その夫がカルタに負けて官金を使い込んだのだ。鯡《にしん》でヴォトカをやるのに慣れて、ついぞチョコレートというものを飲んだことのない役人は、チョコレートのお蔭で胸が悪くなる。知事夫人の顔に浮んでいる表情、「私、可愛らしいでしょう。」身仕舞いに大そうな金をかけて、それを見せびらかす機会――夜会の開催を、いつも待ち焦れている夫人だった。

 妻君を連れて巴里へ行くのは、サモヴァル持参でトゥーラ*へ行くのと同じさ。
*欧露の都会。サモヴァルなどの金属手工業で有名。

 インテリの地主一家の治療に招かれて、毎日その邸に通った。お金で払うのは工合が悪いので、その家では亭主へ服を一着贈ってよこして、彼女を大いに無念がらせた。長々とお茶を飲んでいる夫を見ると、彼女は癇癪が起きて来るのだった。夫と一緒に暮すうち、彼女はやつれて器量が落ちて、意地の悪い女になる。地団太を踏んで、夫をどなりつける、「あたしを離縁してお呉れ、この碌でなし!」夫が憎くてならなかった。彼女が働いて、謝礼は夫が受取るのである。彼女は県会の医員だから、謝礼を受ける訳には行かないのだ。知合いの人達が亭主の人物を見抜いて呉れず、やっぱり思想のしっかりした男だと思っているのが、彼女は忌々しかった。

 青年が文学界にはいって来ないというのは、その最も優れた分子が今日では鉄道や工場や産業機関で働いているからである。青年は悉く工業界に身を投じてしまった。それで今や工業の進歩はめざましいものがある。

 女がブルジョア風を吹かす家庭には、山師やぺてん師やのらくら者が育ち易い。

 教授の見解。――大切なのはシェークスピヤではなく、これに加えられる註釈なり。

 来るべきジェネレーションをして幸福を達せしめよ。だが彼等は、彼等の父祖が何のために生き、何のために苦しんだかを自問せねばならぬ。

 愛も友情も尊敬も、何物かに対する共通の憎悪ほどには人間を団結せしめない。

 十二月十三日。工場の女主人に会った。これは一家の母であり、富裕なロシヤ婦人だが、ついぞロシヤで紫丁香花《ライラック》を見たことがないという。

 手紙の一節。――「外国にいるロシヤ人は、間諜かさもなければ馬鹿者だ。」隣の男は恋の傷手を癒しにフロレンスへ行く。だが遠くなるほど益々恋しくなるものだ。

 ヤルタ*。美貌の青年が四十女に好かれる。彼の方は一向に気がなく、彼女を避けている。彼女はさんざ思い悩んだ挙句、腹立ちまぎれに彼についての飛んだ醜聞を言い触らす。
*クリミヤ半島にある避暑地。

 ペトルーシャの母親は、婆さんになった今でも眼を暈《くま》どっていた。

 悪徳――それは人間が背負って生れた袋である。

 Bは大真面目で、自分はロシヤのモーパッサンだと言う。Sも同じ。

 ユダヤ人の姓。――Chepchik《プロチョール》*.
*小さな頭巾。

 魚が逆立ちしたような令嬢。口は木の洞みたいで、つい一銭入れて見たくなる。

 外国にいるロシヤ人。――男はロシヤを熱烈に愛する。女の方はじきにロシヤを忘れて一向に愛さない。

 薬剤士Protior*.
*「眼を擦《こす》った」というほどの意。

 RosaliaOssipovnaAromat《ロザーリア オシポヴナー アロマート》*.
*「花咲く小薔薇」と「芳香」を組合せた女の姓名。

 物を頼むには、金持よりは貧乏人の方が頼みいい。

 で彼女は春をひさぐことになって、今ではベッドの上で寝る身分だった。零落した叔母さんの方は、そのベッドの足もとに小さな毛氈を敷いて臥せって、嫖客《おきゃく》がベルを鳴らすと跳ね起きるのだった。お客が帰るとき、彼女は嬌羞を浮べて、科《しな》を作って言うのだった。
「女中にも思召しを頂かしてよ。」
 そして時おり十五銭玉をせしめた。

 モンテ・カルロの娼婦たち、いかにも娼婦らしいその物腰。棕櫚も娼婦みたいな感じ。よく肥った牝鶏も娼婦みたいな感じ。……

 独活《うど》の大木。ペテルブルグの産婆養成所を出て助医の資格をとったNは、思想《かんがえ》のしっかりした娘である。それが教師Xに恋した。つまり彼もやはり思想《かんがえ》のしっかりした男で、日ごろ彼女の大いに愛読している小説ごのみの刻苦精励の人だと思ったのである。そのうち次第に、彼が酒喰いののらくら者で、お人好しの薄野呂だということが分って来た。学校を首になると、彼は女房の稼ぎを当てにして居候暮しをやりだした。まるで肉腫《サルコマ》みたいな余計者で、彼女を搾り尽すのだった。或るとき彼女は、インテリの地主一家の治療に招かれて、毎日その邸に通った。お金で払うのは工合が悪いので、その家では亭主へ服を一着贈ってよこして、彼女を大いに無念がらせた。長々とお茶を飲んでいる夫を見ると、彼女は癇癪が起きて来るのだった。夫と一緒に暮すうち、彼女はやつれて器量が落ちて、意地の悪い女になる。地団太を踏んで、夫をどなりつける、「あたしを離縁してお呉れ、この碌でなし!」夫が憎くてならなかった。彼女が働いて、謝礼は夫が受取るのである。彼女は県会の医員だから、謝礼を受ける訳には行かないのだ。知合いの人達が亭主の人物を見抜いて呉れず、やっぱり思想《かんがえ》のしっかりした男だと思っているのが、彼女は忌々しかった。

 若い男が百万マーク蓄めて、その上に寝てピストル自殺をした。

「その女」……「僕は二十《はたち》のとき結婚して以来、生涯ヴォトカ一杯飲んだことも、煙草一本喫ったこともありません。」そういう彼が他に女をこしらえると、世間の人は反って彼を愛しはじめ、今までよりも信用するようになった。街を歩いても、皆が今までより愛想よく親切になったのに彼は気づくのだった――罪を犯したばかりに。

 結婚するのは、二人ともほかに身の振り方がないからである。

 国民の力と救いは、懸ってそのインテリゲンツィヤにある。誠実に思想し、感受し、しかも勤労に堪えるインテリゲンツィヤに。

 口髭なき男子は、口髭ある婦人に同じ。

 優しい言葉で相手を征服できぬような人は、いかつい言葉でも征服はできない。

 一人の賢者に対して千人の愚者があり、一の至言に対して千の愚言がある。この千が一を圧倒する。都市や村落の進歩が遅々としている所以である。大多数、つまり大衆は、常に愚かで常に圧倒的である。賢者は宜しく、大衆を教化しこれを己れの水準にまで高めるなどという希望を抛棄すべきだ。寧ろ物質力に助けを求める方がよい。鉄道、電信、電話を建設するがよい。そうすれば彼は勝利を得、生活を推し進め得るだろう。

 本来の意味での立派な人間は、確乎として保守主義的な乃至は自由主義的な信念を抱く人々の間にのみ見出されるだろう。いわゆる穏健派に至っては、賞与や年金や勲章や昇給に著しく心を惹かれがちである。

 ――あなたの叔父さんは何で亡くなったのです?
 ――医者の処方はボトキン氏下剤*を十五滴となっていたのに、十六滴のんだのでね。
*極めて無害な緩下剤。

 大学の文科を出たての青年が郷里の町へ帰って来る。そして教会の理事に選挙される。彼は神を信じているわけでもないが、勤行《おつとめ》には几帳面に出て、教会や礼拝堂の前を通るときは十字を切る。そうすることが民衆にとって必要であり、ロシヤの救いはそれに懸っていると考えたからである。やがて郡会の議長に選ばれ、名誉治安判事に選ばれ、勲章を貰い、たくさんの賞牌を受けた。――さていつの間にか四十五の年も過ぎたとき、彼ははっとして、自分がこれまでずっと身振狂言をやって来たこと、道化人形の真似をして来たことを悟った。だが既に生活を変えるには晩かった。或る夜の夢に、突然まるで銃声のような声がひびいた――「君は何をしている?」彼は汗びっしょりになって撥ね起きた。

読書ざんまいよせい(005)

◎蒼ざめたる馬(002)
ロープシン作、青野季吉訳

第一編

「……一匹の蒼ざめたる馬を見たり、之に乗る者の名は死と云ふ……」……黙示錄六ノ八、
「兄弟を憎む者は暗に居り、暗に行きて其往くところを知らず、その目を暗に曇らさるればなり」……約翰第一書二ノ十一、

  三月六日。

 私は昨夜 N に着いた。このまへ見た時と同じだ。 食堂の上には十字架が閃き、橇はバリ/\する雪の上を辷つてキィ/\音を立てる。 朝は霜深く 窓硝子には氷の華が出来て僧院の鐘は聖餐を告げてる。私はこの町を愛する。私はこゝで生れたのだ。
 私は英國皇帝の赤い印章とランスダウン卿の署名のある旅行免狀を有つてゐる。この旅行免狀は、私―英國臣民、ジョージ・オブラインエン―が土其古及び露西亜に旅行することを証明してゐる。 私は露西亞官憲からは、「観光客」として録されてゐる。
 この旅館は私を退屈させる。 青銅の大廣間廻りも、金ピカの鏡も、絨緞も、知りぬいてゐる。 私の部屋にはボロボロの安樂椅子があり、窓掛けは埃だらけだ。 私は三キログラムのダイナマイトを机下に置いてある。 それは外國から携へて来たのだ。ダイナマイトが藥種屋の店先へ行つたやうな匂ひがする。夜、私は頭痛がした。
 私は今、散歩に出掛けてゐる。並樹道は暗く、淡雪が降つてゐる。 遠い所で大時計が鳴る。全く私ひとりだ。私の前には、町と懶惰な住民の安らかな生活が横たはつてゐる。 私の心の中で、 箴言が響く。
「而して、われ汝に暁の星を與へん。」*

[編集者注〕
*ヨハネ黙示録2-28

  三月八日

 エルナは青い眼と重そうに編んだ髪を有つてゐる。彼女は私にすがり着いて哀願した。
「些とはわたしを愛して?」
 五六個月前には、彼女は女王のやうに身を委せて、私からは何物も求めず、 何の望みも持つてゐなかつた。今は、乞食のやうに君に愛を希ひ求める。 私は雪で蔽はれた廣庭を窻ごに眺めながら、彼女に言つた。
「真つ白な雪だねえ」
 彼女は首垂れて返事をしなかつた。
 私はまた言つた。
「昨日街へ出て、モツト綺麗な雪を見たよ。全く薔薇色だつた。そして、赤楊樹の影が靑かつたよ」
 私は彼女の眼の中に讀んだ。
「何故わたしも一しよに連れてつて下さらなかつたの?」
「ね」私は再び始めた。「おまへは露西亞の田舎へ入つたことがあるかね?」 
 彼女は答へた。「いいえ」
「そうか。春先になつて、野原には下萌えがして、森の中には待雪草が持つやうになつても、山峡にはまだ雪があるんだ。そりや妙だよ。白い雪に白い花だ。見たことがある?無い?珍らしい光景だつてことは想像が付くだらう?」
 彼はささやいた。「いいえ」
 そして私は、エレーナのことを考へてゐた。

  三月九日

 知事は衛兵と刑事の二重の警護の下に、昔からの家に住んでゐる。
 私達は五人の小さい仲間だ。フエドルとヴアニアとハインリヒとは橇屋に化けてゐる。彼等は 知事の動靜をうかゞつて私に知らせる。 エルナな藥品には手慣れてゐる。彼女は爆弾を製へる。
 私は室内に坐つて町の圖取りを調べてみる。私達の仕事をする道路の圖引きする。 私の彼の生活や日々の習慣を建て直して見る。思考の中で、私は彼の家の招待會に出席する。 私は彼と相携へて門の後の花園を散歩する。夜、彼に隠れて、彼が床に入る時に、彼と一緒にお歸りをする。
 今日、私は彼を瞥見した。私は通りで彼を待ち受けて、長い間凍てた人選を行つたりきたりしてみた。暗くなつて、寒さが烈しかつた。私はもう望を棄てやうとしてゐた時不意に、隅つこにゐた巡査監督が手袋を振つた。巡査共が緊張し、刑事が諸方へ走つた。死のやうな沈黙が街路に滿ち渡つた。
 一臺の馬車が疾走し去つた。馬は黒かつた。馭者は赤髯であつた。戸の曲つた把手、黄い輪止めが私の目に止つた。馬車の後に一臺の橇がぴつたり喰付いてゐた。
 目の前を余り迅く行き過ぎたので、彼の顔を見当てることが出来なかつた。彼も私を認めなかつた。彼によつては私は街路の一部分に過ぎなかつた。私は静かに踊りかけた。幸福に感じた。

  三月十日。

 彼のことを考へる時に、私は嫌悪又は忿怒を意識し無い。同時に、彼に対して何等のも感じ無い。一個人としては彼は私と無関係だ。然し私は彼の死ぬこ欲する。力は下らないものを打壊さんとする。私は言葉に信頼し無い。私は、私自身が奴隷であることを欲しないし、他の誰かが奴隷であることも欲しない。
 何故殺してはならないか?人殺しが何故に、成場合には是認され、他の場合又は非認される 人々は理由を見出す、然し私は、何故人は殺すことをしてはならぬかを知ら無い。これこれの名に於いて殺すことが正しいと考へられ、他の何かの名に於いて殺すことが誤つてゐるとは何故であるか、私は了解が出来ない。
 私は始めてに行つた時のことを記憶してゐる。刈り取られた畑は赤く、到るところに蜘蛛の巣がかかゝつて、森は靜かであつた。私は雨に叩かれた路の傍の森の端に立つてゐた。赤緑樹は、囁きを立て、黄葉が舞つてゐた。私は待つてゐた。 突然、草の中に掻きすやうな動きが起つた。小さい灰色の塊のやうな野兎が、茂みから飛出して來て、用心深く後足で蹲踞んだ。彼は邊はりを見廻した。私は震えなから銃を上げた。遠い森の中に反響が起り、青い煙が赤緑樹の中にボーと登つた。血で濡れた黑ずんだ草の上にいた野は悶え苦しみ、赤兒のやうに鼻を鳴して欷歔《すゝりな》いた。私は可哀そうに思つた。 二發目を放つた。悲鳴が止んだ。
 家に還へると私は、彼が存在してゐなかつたかのやうに、また彼からその最も大切なもの―生命―を奪つたことがなかつたかのやうに、彼のことはすつかり忘れて仕舞つた。そして 私は、私の享樂のために彼を殺したといふ事が、私にどんな感情も起さないのに、彼の悲む呼びを聞いた時に苦しく感じたのは何故であるかと、自ら訊いた。

  三月十三日

 エレーナは結婚してこに住んでゐる―彼女について私の知つてるのはそれだけだ。毎朝、 閑散な時に、私は彼女の家を見る爲めに並樹路を彷徨く。白い絨毛のやうに柔かだ。雪が足の下で音を立てる。 時計の鈍い音を聞く。十時だ。ベンチに腰を下して、氣長に時を數へる。私は自らいふ。
「昨日は彼女にはなかつたが、今日は食べるだらう」
 一年前に私は始めて彼女を見た。その春、私はNを還りがゝつて、朝大公園へ行つた。大地は濕つて、高い樹と細いボブラは、通りを詰めた沈默の中に、ほんやり立つてゐた。小鳥さへ啼かなかつた。たゞ小川の低いさやきがあつただけだつた。太陽がぶつぶつと流れる水の上に 輝いてゐた。君はその昔に聞入つてゐた。私が眼を上けた時に反對の側に一人の女を見た。彼女は私に氣が付かなかつた。私は、私が同じものに耳を傾けてゐたのだといふことを知つた。 その女はエレーナであつた。

  三月十四日

 私は私の室に坐つてゐる。上の部屋で誰かピヤノを弾いてゐる。かすかに聞くことが出来る。 足は柔かい絨氈の中に消えてゐる。
 私は革命家の不安な生活とその寂しさに慣れてゐる。私は私の未來のことを考へない、また知り度くも無い。私は過去を忘れやうとする。私は家もない、名も無い、家族も無い。 私は自分にいふ。
  黒い大きな眠りが
  私の生命の上に落つ、
  眠れ すべての望、
  眠れ すべての欲、
 希望は決して死な無い。何の希望?「曉の星」を得ることか?私はよく知つてゐる。私は昨日殺した、今日も殺そうと思ふ、明日も殺すことを續けて行くであらう。「而してして第三の天使は、河の上、泉の上に、その場を注き出し、それらは血となれり。」*汝は水で血を消すことは出來ない。火でそれを焼き盡すことは出來ない。墓に行くすべての道は血であらう。
  私はもう何もしない。
  私は記憶を減する
  美いことも悪いことも
  おゝ、哀れな歴史!
 キリストの復活を信じ、ラザロの復活を信する者は幸だ。社會主義を信じ、地上に来る可き天國を信ずる者は幸だ。こんな古臭い話は私には馬鹿々々しいだけだ。分配される十五エーカーの土地は私を誘惑し無い。私は自身に云つた、奴隷であることを欲しないと。 これが私の自由か?實際みぢめな自由だ!何故私はそれを追つてゐるのか?何の名に於いて、私は殺す爲めに出て行くのか?たゞ血の、一層多くの血の爲めにか?
  私は赤子だ
  白い片手は
  墓穴の洞に、
  沈默…沈默…**
 戸にノックがある。 エルナに違ひない。

[編集者注〕
*ヨハネ黙示録16-4
**ヴェルレーヌ「叡智」
フランス語原文は
Un grand sommeil noir
Tombe sur ma vie
Dormez, tout espoir,
Dormez, tout envie.

Je ne vois plus rien,
Je perds la mémoire
Du mal et du bien,
O, la triste historie !

Je suis un berceau,
Qu’une main bakance
Au crex d’un caveau
Silence, silence…

注記】本文および訳文の著作権は消失している。