読書ざんまいよせい(021)

◎トロツキー・青野季吉訳「自己暴露」

第一章 ヤノウカ(続き)

 この地方では、冬は平和な時であつた。たゞ鍛冶場と製粉場とが實際に動いてゐる許りだつた。燃料として、私達は、召使が途中にばら撒きながら腕いつぱいに抱へ込んで來る麥藁を燃した。ばら撒いたものは、彼等が後で集めて掃除した。この麥藁をストーブの中へ詰込んで、それの燃上るのを見守つてゐるのは愉快だつた。何時だつたかグレゴリイ伯父さんが、私と妹と許りが、靑い木炭素の煙でいつぱいになつた食堂にゐるのを見つけ出したことがあつた。私はぐる/\室內を廻つてゐて、自分が何處にゐるのかも分らなかつた、そして伯父さんの大聲で呼息も絕え絕えで倒れた。私達は冬になると、殊に父が留守になつて、凡ての仕事が母の手でなされてゐる時には、よく私達許りで家の中にゐたものだ。薄闇の中で妹と私は竝んでソファーに坐り、固く抱合ひ、眼を見張つて動くことを恐がつたものだ。
 大きな靴をのろ/\と動かしながら、大きなカラーのついた馬鹿々々しく大きな上衣に包まれ、大きな帽子を被つた巨人が、寒い外から暗い食堂へ這入つて來ることがあつた。彼の手は大きな手套の中へ突込まれてゐた。大きな氷柱《つらら》が彼の頤髭からぶら下つてゐて、彼の大きな聲はごおん/\と闇の中に響いた。『今晚は。』だが私達はソファーの隅でひしとかじりつき合つて、返事をすることも恐かつた。さうするとその怪物はマツチをすつて、隅に小さくなつてゐる私達を覗き込むのだ。見ると臣人は私達の隣の人であつたのだつた。時によると食堂の中での寂しさが、とても耐えられないものになつて來ることがあつた。さうすると私は寒いのをかまはず、外廊下に飛び出して、前の扉を開き、、閾の上に橫つてゐる大きな石の上に上つて、闇に向つて『マシュカ! マシュカ! 食堂へお出よ!と再三再四金切聲で叫ぶのであつた。マシュカは料理場とか、女中部屋とかその他の所にゐて、自分の仕事で忙しかつたのだ。遂々最後に母が、多分製粉所から歸つて來たのだらう、ランプを點し、サモワルを運んで來るのだつた。
 私達は、夜は私達が眠り込むまで食堂に坐つてゐる習慣だつた。人々は鍵を取りに來たり返しに來たり、種々なことの手筈をきめたり、明日の仕事の計畫をしたりするために、食堂を這入つたり出たりした。そこで私の妹のオリヤと姉のリザ、部屋女中と私自身は、いつも大人の生活に從屬し、彼等によつて指導させられてゐるのだか,こんどは私達自身の生活を展開した。時には大人の中の誰かの偶然の言葉が、私逹に何にか特別の記憶を呼起した。
 そこで私が妹に目をしかめると、彼女は低い聲でくす/\と笑つた。さうすると大人達は上の空で彼女の方を見る。私はも一度目をしかめた、すると彼女は油布の下で笑を殺さうとして、頭をテーブルにぶつゝけた。これは私にも傳染し、時にはまた十三歲と云ふ貫祿をもつて大人と子供との中にさ迷つてゐた姉にまで傅染した。私達の笑ひが制禦し得られないものになつて來ると、テーブルの下へ滑り落ちて、大人の足の間を這廻り、おつかなびつくりもので、保姆の部屋である次の室に飛込まねはならなかつた。再び食堂へとつて返すと、それがも一度始つた。私の指は笑ひのためにコップを持つことが出來ない程ぐにや/\になつた。私の頭、私の唇、手、足、私の身體の何處でもが笑ひ震へた。『まあ、どうしたと云ふのだい、お前達は。』と母が訊ねるのだつた。生活の二つのサークルである年長者と幼年者が、一寸の間接觸する。大人は彼等の目を怪げんさうにして子供達を眺める、それは時には馴れ馴れしいものであるが、多くは精いつばいいら/\してゐるのだ。すると不意に湧上つた私達の笑ひはどつと爆發する。オーリヤの頭は再びテーブルの下に這入り、私はソファーの上に身を投出し、リーザは上唇を嚙み、そして部屋女中は扉の外へ逃出すのである。
 すると大人達は『もうお寢みよ。』と叫ぶ。
 然し私達は寢床へは行かない。私達は互ひに顏を見合はせるのを恐れて隅の方へ隱れる。私の妹は床の中へ運んで行かれることがあつたが、私はいつもソファーの上で眠り込むのだ。誰か了私を腕の中へ抱上げて、つれて行つてくれたこともあつた。さうすると私は半分眠つたまゝ、私が犬に迫つかけられてゐたところや、蛇が私の前でのた打つてゐたところや、盜賊が私を森の中へ連れて行つてゐたやうな夢を見て、大きな聲を擧げてわめいたものだ。子供の夢魔は大人の國樂の邪魔をした。寢床へ行く途中では、私はもう溫和しかつた。彼等は私を軟かく叩いてキツスをしてくれた。だから私は笑ひから眠りに、夢魔から正氣に、そして溫かい寢室の羽根の床の中で再び眠りに落ちたものだ。
 冬は一年の中の家庭時代である。母や父が滅多に家を開けない日が來る。兄や姉がクリスマスで學校から歸つて來る。日曜日には綺麗に頭を洗ひ、顏を剃つて、櫛と𨦇とをもつたイヴン・ワシリエヴヰツチが、まづ最初に父の頭を刈り、それからサアシヤの頭を、その次に私の頭を刈つた。
『カブール式に毛が刈れるかね。イヴン・ワシリエヴヰツチ?』とサアシヤが訊ねる。皆がサアシヤを見る。すると彼はエリザヴエートグラードで、以前に床屋が彼の毛を、美しいカブール式に刈つたが、次の日に彼は學生監から嚴格な譴責を與へられた、と說明する。
 散髮が終つて後、私は晝食の席に坐る。父とイヴン・ワシリエヴヰツチとはテーブルの兩端の时掛椅子に、子供達は安樂椅子に、そして母はその向ふ側に座つた。イヴン・ワシリエヴヰツチは彼が結婚するまで私達と一緖に食事をしてゐたのだ。冬は、私達はゆつくりと食事をし、その後でも坐つて話をした。イ・ワン・ワシリエヴヰツチは煙草を吸つて巧妙な煙の輪を吹いた。また時々サアシヤやリーザが聲高く本讀みをすることもあつた。父はストーヴの凹みの所で居眠りをした。私達は、たまには宵のうちに、お婆拔きをやつたが、そのために仰山な騷ぎと笑ひが起り、そして時には小競合まで始まつた。私達は、少しも注意しないでやつてゐる父を詐すのが一番愉快だと思ひ、そして父が失敗すると笑つた。その代り母は上手にやつた、そして興奮して來て、母を詐さうとしてゐはしないかと銳く兄に注意をしてゐた。
 最も近い郵便局は、ヤノウカから二十三キロメートルもあり、鐵道までは三十五キロメートル以上もあつた。そこから官廳や商店や市の中心には更に遠く、そして澤山の出來事のある世界には遙かにずつと遠かつたのだ。ヤノウカの生活は、農場での勞苦のリズムによつて、完全に調整されてゐた。何事も起らず、世界市場に於ける穀物の値段の他には何もなかつた。その頃私達は田舍で雜誌ー册、新聞一枚見たことがなかつた。それを見たのは、ずつと後になつて私が高等學校の生徒になつてからのことである。たゞ手紙だけは特別の場合に受取ることがあつた。時には近所の人がボブリネツツで私達宛の手紙を發見することがあり、それを彼のポケットに入れたまゝ、一週閒も二週閒も持つて步くことがあつた。手紙が一寸した出來事なら、電報は大事件だつた。電報と云ふものは針金を傳つて來るものだと或人が私に說明した。けれども私は、大人が馬に乘つて電報を持つて來るのを見た、その電報には父が二ルウブル五十コペツク拂はされた。電報は手紙のやうな紙片だつた。それには言葉が鉛筆で書いてあつた。風が針金をつたはつて手紙を吹きつけるのだらうか? 私はそれが電氣の力で來るのだと敎へられた。それはなほ惡るかつた。アルバム伯父さんは一度熱心に私のために說明してくれた。『電流が針金を渡つて來て、紙片《リボン》の上に印をつけるのだよ。私の云つたことを繰返してごらん。』私はくり返した。『電流が針金の上を來て、紙片に印をつけるのだ。』
『どうだい、解つたかい?』
『うん、解つたよ、だがだれがどうして手紙になるのだらう?」と私はボブリネツツから來た電報賴頼信紙のことを考へながら訊ねた。
『手紙は別に來るんだよ。』と伯父さんは答へた。私は一寸當惑したがすぐ訊ねた。『ぢや何故手紙が馬に乘つた人に屆けられるのに、なぜ電流の必要があるのだらう?』だがこゝで伯父さんは我慢の緖を切らしてしまつた。『うん、手紙は別だよ、俺はお前に逐報のことを說明して遣らうとしたのだ、だのに、お前は手紙のことを言出すのだ』と怒鳴つた。だもんだから問題は不可解のまゝで殘つたのだ。
 ボブリネツツから來た婦人のポウリナ・ペトロヴナは私達の家に宿つてゐた。彼女は長い耳環と、額に捲毛をもつてゐた。後で母が彼女をボブリネツツへ送つて行つたので,私も彼女達と一緖に行つた。私達が十一ベルストと印した標柱を通り越した時に電柱の列が現れて、その針金が唸つてゐた。
『電報はどうして來るの?』と私は母に訊ねた。
『ポウリナ・ペトロヴナに訊いてごらんよ。』と母は當惑して答へた。『あの方が說明して下さるでせう』
 ポウリナ・ペトロヴナは說明した。
『その紙片の印は字の代りなのですよ。電信技師がそれを紙に書きつけ、その紙が馬に乘つた人によつて配られるのです。』私はそれでやつと解つた。
『だが電流は誰も番してゐないのに、どうして行くのでせう?』私は針金を見ながら訊ねた。
『電流は針金の中を行くのですよ、その針金は小さな管のやうに出來てゐて、電流はその中を走るのです。』とポウリナ・ペトロヴナは答へた。
 私はそれも理解した。そしてすつと後になつてやつと得心した。凡そ四年後に私の物理の先生が云つてくれた電磁氣流動體は、私には遙かに譯のわからない理論的な說明だと思つた。

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