読書ざんまいよせい(022)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(006)

 悪には抗しえないが、善には抗しうる。

 彼は坊主のように権門に媚びる。

 死人に恥辱はない。だがひどい悪臭を放つ。

 敷布の代りに汚ないテーブル掛。

 ユダヤ人Perchik.*
*小っぽけな胡椒。

 俗物が会話のなかで――「そのほか何《なん》が<傍点>ら何《なん》まで。」

 大ていの富豪は図々しくって自惚れの強いものだが、その富をまるで罪のように背負っている。もしも貴婦人や将軍が慈善の催しに彼の寄附を求めず、貧しい学生も乞食もいなかったら、彼は定めし憂鬱と孤独を感じることだろう。もし乞食がストライキを起して、一さい彼の施しを求めぬことに申し合わせたら、彼は自分から出掛けて来るに違いない。

 夫が友人たちをクリミヤの別荘へ招待する。あとで妻は、夫には黙って勘定書をそのお客さんたちに出して、間代と食事代を受けとる。

 ボターポフは兄と親交を結んで、それが妹への恋のもとになる。妻と離別をする。やがて息子が、兎小屋のプランを送って来る。

 ――僕はうちの畠に豌豆《えんどう》と燕麦を蒔いたよ。
 ――つまらんことをしたものだ。Trifolium(苜蓿《うまごやし》)を蒔けばよかったのに。
 ――豚を飼いはじめたのさ。
 ――つまらん。有利でない。仔馬を飼った方がいい。

 友情に厚い少女が、非常に美しい動機から、困ってもいない親友Xのために寄附金を募って歩いた。 何故こうも屡〻コンスタンチノープルの犬*のことを書くのだろう。
*コンスタンチノープルは野良犬の多いことで有名。

 病気。――あの男は水療法《みずりょうほう》に罹ってね。

 知人の家へ行くと、ちょうど夜食の最中で、お客が大勢いる。とても賑かだ。隣り合う婦人連と世間話をしたり、葡萄酒を飲んだりで私は愉快だ。とてもいい気分。突然Nが検事みたいな荘重な顔付で立ち上って、私のための乾杯の辞をやる――「言葉の魔術師よ、理想の影が朦朧と消えゆく現代に残された理想よ……願わくは聡明にして久遠なるものを種播《たねま》かれんことを……。」私は、それまですっぽりと頭巾をかぶっていたのに、その頭巾を取られて、銃の先で狙われるような気がした。スピーチが済むと、杯を打ち合わせて、それから沈黙。座は白けてしまった。「さあ、貴方が何か仰しゃる番よ」と隣席の婦人が言う。だが何を言えばいいのか。私はその男に酒瓶でも投げつけてやりたかった。で、胸の底に沈渣《おり》が溜っているような気持で寝床につく。「見給え、見給え、諸君。この席には何という馬鹿者がいるのだ!」

 小間使が寝床を直すたびに、スリッパを寝台の下のずっと壁際へ投げ込んで置く。肥っちょの主人が到頭かっとして、小間使を追出そうとする。ところがこれは、肥満症を癒すためスリッパを成るべく奥の方へ投げて置くように、医者が彼女に命じたものと判明した。

 あるクラブで、会員一同が不機嫌だったばかりに、さる立派な男を落選させた。そして彼の将来を台無しにしてしまった。

 大きな工場。若い工場主が皆を「お前」呼ばわりして、学士号のある部下たちに暴言を吐く。ドイツ人の庭男だけが勇敢にも憤慨した。――「お前《めえ》何を言うだ、この金袋め!」

 Trachtenbauer《トラフテンバウエル》という苗字の、ちっぽけな豆みたいな生徒。

 新聞で大人物の死を知ると、そのたびに喪服を着る男。

 劇場で。ある紳士が、前にいるレディの帽子が邪魔になるので、脱いで下さいと頼む。不平の呟き、腹立たしさ、歎願。とうとう白状に及ぶ、「奥さん、私が作者なんですよ!」――その返事、「あたし別に構いませんわ。」(作者は人目を忍んでこっそり劇場に来ている)

 賢く振舞うには、賢いだけでは足りない。(ドストエーフスキイ)

 AとBが賭をする。Aはその賭でカツレツを十二皿きれいに平らげる。Bは賭金を払わないのみか、カツレツの代まで払わない。

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