木下杢太郎「百花譜百選」より(014)

◎41 われもこう 吾亦紅

二分一 昭和癸未秋九月廿六 写于軽井沢旅舎
〔日記〕九月廿六日 日
晴。午前植物写生二種。〔…〕旅舎にかへり、夜半一時まで植物写生十数種。

Wikipedia ワレモコウ

【付】随筆集「荒庭の観察者」から「海国の葬礼」
 昨夕此地に来ました。
 Meiner Mutter Tod hat mich hierher abgeholt.【編集者注 原文ドイツ語、日本語訳:母の死が私を立ち直らせてくれた。】
 汽車中で藤村《とうそん》(1)さんの「家」を読み続けましたが、同じ日に汽車の窓から買って読んだ貴君の藤島(2)さんの絵の批評に思いあたる事が多くて自らほほ笑まずには居られませんでした。今度頼まれてあの「家」の紹介をしなければならぬ事になって居て困って居る。
 そんな事ゆえ白樺の展覧会(3)を見る機会を失ったのを残念に思って居ます。
 で到頭また「海」と話をするようになりました。「酒」や「女」の代わりに、ぼくには矢張《やはり》海という奴が切っても切れぬ縁なのでした。
 そうしてぼくはまたぼくで「海」のそばの一つの家の中へはいって行った。然し家も海も、もっと直接な人の生活も、人情も、悲哀も──ぼくには一度「芸術」と云う註解者がはいらねば心を動かす事が出来ないようになった。──という事を今つくづくと感じて居るところです。(12.Nov.11)

 一種のHofmannsthal(4)情調がまだどこかに残って居る。強い冬の斜日が柔い青石の壁にあたって、梅の古木の下には、磯蕗《いそぶき》の花がまっ黄色に光っている。海に近い町のある「家」の坪庭。
 裏の井戸のそば、蔵の廂《ひさし》の下、そこに一群の料理人があつまって赤い人参、牛旁《ごぼう》、里芋、それから蓮根、うす青い鑵詰の蕗などの皮を剝いでいる。そして小さい刺の指先に入ったのを事々しく話し立てています。一つの人生。
 「もう鶏がとまる時かな」と空の方を見あげながらまぶしい目をしている人がある。
 ぼくには、夫々《それぞれ》の小さい「歴史」というものが、ああ手まねをして、生々と「現在」で物語っているように見える。みんな少年時代や、一種の狂飇《きょうひょう》時代やそれから子供が出来たこと……などを知っている人々ですから。
 そしてまた畠の方へ出ると、仕切られた花壇の菊が萎れたままに並び……すると「海」を暗指する汽笛の音が、ぼおっと、おおどかに聞えるのです。
 店に集って居る人は「海」に親しい関係のものばかりでした。ですから蔵の前の人の、どう云う庖丁がよく切れるかなどと云う話とは違って、此には東京へ船をやる時の風の話、また帆の話、居眠って蒸気を陸《おか》へ乗し上げた、その癖よく熟れていた船長の話などです。
 それから何時となく三十年前の話が出て、漂着して来たギヤマン(5)の徳利を珍らしがったり、またそれに、三|分《ぶ》の値を附けたある天竺屋(凡《すべ》て売価の高いという事からのあざ名)の事、千両で頼んだ亜米利加《アメリカ》の機関手の話。
 一体くさやの干物はどうして作るか御存知ですか。あれは塩の少い大島で塩の倹約をする為めに、幾度も幾度も漬けたあとへまた漬けたのが始まりだ相です。また錨《いかり》はならし円に二貫目だそうです。
 彼等の多くは「海」に尋《つい》では「東京の河岸」に親しいのです。是等の人々から東京の河の生活、その情調の語られるのを聞くのは、心で思う人をほめられる時のような心持を味わしめる。

 今窓から見ると夕鳥が遠く紫灰色《しかいしょく》の山の方へと沈んでゆく。夕やけの空なのです。ぼくは昔からこういう時には屹度《きっと》出た情操の、もう明かに思い浮ばれぬのを見て、内と外との生活がうまく足並を合わせてくれねばならんと思ったのです。いつ迄もいつ迄も過ぎし日の情懐の輓歌《ひきうた》ばかりを歌っても居られますまい。
 伊豆の、形の小さい、そしてばかに甘い蜜柑でぼくの手はひどく鋭くにおって居ます。この香いも(貴君には想像だが)之から海国の初冬の情趣を想像して下さい。(13.Nov.11)

 夕方海岸に出ると、桐の花のような紫色に淀んだ水平線上の空に、遠くゆく船の帆が見えます。暖国の十一月の空気はこの上なく心地よいものと感ぜられました。
 幾たびか人に伝えようとして、いつでも作意の為めに害われた海の美貌、夕波のかすかな微笑……それが直ぐに心を古風にします。センチメンタルに。哀れっぽく。
 ぼくはそっと昔の唄を歌って見ました。すると女──酒などからかけ離れた生活をして居るぼくにも、その第一属性としての一条の情操を芽ましめるのです。それから特殊の生活(ルパナール(6)などの)、特殊の時代への回想から来る第二属の情調を伴うのです。
 静かに歌われる一節のメロディの中に海、波、船、遠里の灯などが溶ろけてゆく様に思われます。
 ぼくはそれから温泉へいっても、尚小さい声で歌い続けました。
 家に帰ると柩《ひつぎ》の傍で僧侶が経を誦して居た。そして香のにおい、かすけき灯に光る水晶の数珠《じゅず》、細く立つ煙などが見られた。
 店先では近所の人々がまだ大話をしています。また切株から吹く新芽を想像させる子供達が騒いでいます。また酒のかおり。
 こう云う人間らしさ。人情味などが、きょうつくづくと身にしみて感ぜられました。(13.Nov.11)

 田舎の「家」の生活は此上もなく装飾的です。もう四十、五十、六十のそれぞれ家を持った人々が──中には一生海と争った人も居ます。いくたびか事業を始め幾度か失敗し、また始めつつある人も居ます。危うく情海の波瀾を逃れて後顧的の半生を暮《おく》っている人も居ます──二十人近く莚《むしろ》の上に陣取って、丸く切った白紙に鋏《はさみ》を入れ、また金銀の紙を花弁に切り、それを丸い竹に巻いて、糸目で皺をつくり、牡丹の花、蓮の花またその葉、その蕚《うてな》を拵《こしら》えて居るのを見ると、何と云いましょうか、一種可憐の情に似た心持が油然と湧き出すのを感ずるのです。
 天井から二つの巻いた莚を弔《つる》し、その上に半成の牡丹花の茎が挿されるのです。そういう光景の間に手を動かす人々は実際の自然が永い月日の間に彫《きざ》み込んだいろいろの相貌の持主であると云うことを想像して下さい。──
 少時の中休みの間に土地の名物の蜜柑が配られる。人々の手の指があの濃い緑色にそまると、そこここが一体に鋭い酸い香の海とかわるのです。
 「海」──「葬礼の準備」──「銀紙の蛇」──そを罩《こ》むる雰囲気として「南国の黄なる木の実」──こういう蕪村の俳句のような連想は、実際その光景を見ない貴君にも、原物の味の幾分を彷彿せしむることが出来るでしょう。(14.Nov.11)
      (一九一一年二六歳)

1[藤村]島崎藤村(作家・詩人、一八七二─一九四三)。
2[藤島]藤島武二(洋画家、一八六七─一九四三)。
3[白樺の展覧会]雑誌「白樺」が主催した美術展。
4[Hofmannsthal]フーゴ・フォン・ホフマンスタール。オーストリアの新ロマン主義の作家・詩人(一八七四─一九二九)。
5[ギヤマン]ガラス。
6[ルパナール]娼館。

正岡子規スケッチ帖(010)

◎正岡子規「草花帖」

此《この》帖は不折子《ふせつし》*よりあづ(預)かりたりと思ふ 併《しか》し此頃《このごろ》の病苦にては人の書画帖などへ物書くべき勇気更になし 因《よ》つて此帖をもらひ受くる者なり 若《も》し自分のものとして之に写生するときは快《かい》極《きわまり》りなし 又其《その》写生帖を毎朝毎晚手に取りて開き見ること(ヿ)何よりの楽《たのし》みなり 不折子欧州より帰り来るとも余の病眛より此唯一の楽み(即《すなわ》ち此写生帖)を奪ひ去ること(ヿ)なからんを望む
   明治三十五年八月一日
        病子規
           泣いて言ふ
写生は総《すべ》て枕に頭つけたままやる者と思 へ
写生は多くモルヒネを飲みて後やる者と思へ
*中村不折(一八六六—一九四三)。洋画家、書家。

正岡子規スケッチ帖(009)

◎「菓物帖」末尾の俳句

青梅をかきはじめなり菓物帖
南瓜《かぼちゃ》より茄子《なす》むつかしき写生|哉《かな》
病間《びょうかん》や桃食ひながら李《すもも》画《か》く
画がくべき夏のくだ物何々ぞ
画き終へて昼寝も出来ぬ疲れかな

追加】右図は、下村為山の画(無署名)

参考】岩波文庫「正岡子規スケッチ帖」

読書ざんまいよせい(046)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(015)
付き]「犬を連れた奥さん」への短い感想

 双璧のもう一つの傑作「犬を連れた奥さん」は、最初、「狆《ちん》を連れた奥さん」とのタイトルだったそうだ。一言で言えば「不倫」がテーマである。物語そのものは。「犬を連れた奥さん」(青空文庫)をご覧いただく他ないが、印象に残ったシーンを一つ。彼女と別れてから、ある劇場で偶然再会する。その時の彼女の言葉、「Здравствуйте(ズドラーストヴィチェ) こんにちわ」に、当方は、とんと縁がないし、ありたいとも思わないが、しびれるほど感激した。

手帖(続き)

 窓ごしに、舁《かつ》がれてゆく亡者を見ながら、「お前は死んで、お墓へ運ばれて行く。ところで俺は、朝飯をやりに行くとするか。」

 チェック人 Vshichka《フシーチカ》.

 四十歳の男が二十二の女を娶った。彼女は最近の作家のものしか読まず、緑色のリボンをかけて、黄色い枕に埋《うず》まって寝る。自分の趣味に自信たっぷりで、自分の意見をまるで法律のように述べたてる。美人で、馬鹿じゃなく、おとなしい女だが、彼は離婚する。

 喉がかわく時には大海をも一飲みにする気でいる――これが信仰。いざ飲むとなるとせいぜいコップに二杯だ――これが科学。

 笑劇につかう人名。――Filjdekosov《フィルデコーソフ》.Popryguniev《ポプルイグーニエフ》*.
*「瓦斯糸」、「お跳ね」(男性)の意。

 以前には、主義主張あり、世の尊敬をかち得ることを好む立派な人物は、将軍や僧侶になったものだ。ところが今日では、作家や教授になる。……

 歴史によって神聖化されないものなんか、一つだってありはしない。

 Zevulia《ゼヴリーア》*夫人。
*Zev(あくび)から作る。

 いい子供でも泣く顔は見っともない。同様に、下手な詩の中に、作者の人間としてのよさを発見することがある。

 もし女にちやほやされたいなら、すべからく奇人であれ。夏でも冬でもフェルトの長靴を穿いている男を私は知っているが、その男は女に騒がれた。

 ヤルタに着いて見たら、どこもここも満員だった。イタリヤ・ホテルへ行って見たが、ひと部屋も明いていない。「僕の三十五号室は?」「ふさがっております。」何とかいう奥さんである。「御婦人と御同室ではいけますまいか。あちら様は一こう構わないと仰しゃいますが」とホテルの人が言う。そこでその部屋に落ちつく。会話。夕暮。韃靼人のガイドがはいって来る。私は耳も頭もがんがんして来る。私は椅子にかけたなりで、何にも見えず何にも聞こえない。……

 令嬢がぐちをこぼす。――「兄さんったら可哀相にサラリイがとても少ないのよ。――たった七千なんですって!」

 彼女がいう、「今じゃもう、一つことしか眼につかないわ。あんたの口の大きいこと! 大きな口! 何てまあ大きな口!」

 馬は有害無益な動物です。馬のために余計な地面まで耕します。馬は人間に筋肉労働の習慣を失くさせます。それのみか屡々贅沢品にもなります。馬は人間を惰弱にします。将来は馬なんぞ一匹もいなくなるがいいです!

 N君は声楽家である。誰に会っても口を利かない、喉はすっかりくるんである――声を大事にするのである。ところが誰一人ついぞ彼が歌うのを聞いた人はない。

 何事についても断乎として、「それが一体何になります! 何にもならんですよ!」

 夏でも冬でもフェルトの長靴を穿いている。それをこう説明する。――「頭が軽くなるんです。熱のため血が足の方へ下りますからね――考えがはっきりしますよ。」

 婦人が冗談にフョードル・イヴァーノヴィチと呼ばれる。

 笑劇。――Nが結婚の用意に、広告に出ていた軟膏を頭の禿に擦りこんだ。すると意外千万、頭に豚の剛毛が生えて来た。
 ――御主人は何をしておられますか?
 ――蓖麻子《ヒマシ》油《ゆ》をいただいてますわ。

 お嬢さんの手紙。――「すると私たちの家、堪らないほどあなたのお宅と近くなるわ。」

 Nはずっと前からZに恋している。ZはXに嫁ぐ。結婚後二年ほどしてZはNを訪れる。彼女は泣いて、何か話がある様子だ。てっきり夫の不平を言い出すのだとNは思って待ち構える。ところがZは、Kを恋していることを打ち明けに来たのだった。

 Nはモスクヴァの有名な弁護士。ZはNと同郷のタガンログ生れ。彼はモスクヴァに出て来ると、この名士に会いに行く。彼は大喜びで迎えられる。しかし彼は、その昔Nと一緒に通った中学を思い出し、Nの制服姿を思い出し、羨望のために心が平らかでない。そして、なあんだ住居《アパート》だって大して上等じゃないし、Nという人間にしてもお喋りで感服できんな、などと考える。やがて彼は、自分の抱いた羨望の念と自分の品性の下劣さのためすっかり白けた気持になって、Nの家を辞去する。自分がこれほど下劣な人間だろうとは、彼はその時まで夢にも思わなかった。

 戯曲の題――『蝙蝠』。

 老人に出来ないことは悉く、禁止されるか又は危険視されるのだ。

 彼はひどく老い込んでから、若い女と結婚した。すると彼女はみるみる衰えて、彼とともに弱って行った。

 一生涯、資本主義だの何百万だのと書いていた。そのくせ金のあった例しはなかった。

 奥さんが美男のお巡りさんに恋した。

 Nは非常に腕のいい、得がたいほどの仕立屋だった。ところが色んな詰らぬことのために害《そこ》なわれて、すっかり駄目になってしまった。ポケットの無い外套を作ったり、とても高い襟を付けたりした。

 笑劇。――荷物運送兼火災保険会社の代理人。

 上演できる脚本なら誰にだって書ける。

 田舎の領地。冬。病気のNが家に引籠っている。ある晩、何の前触れもなしに停車場から、Zという見知らぬ若い少女が橇を乗りつける。彼女は自己紹介をして、Nの看病にやって来たのだと述べる。Nは当惑する。薄気味が悪くなって断る。するとZは、とにかく今晩は泊めて貰いますという。一日たち二日たつが、彼女は出て行かない。彼女はとても我慢のならぬ性格の持主で、折角の閑居をめちゃめちゃにしてしまう。

 レストランの特別室。金持のZがナプキンを頸玉に結んで、鱘魚《ちょうざめ》をフォークでつつきながら呟く、「この世の名残に一口やるか。」――それがずっと以前から毎日のことである。

 ストリンドベリイや一般に文学に関するL・L・トルストイ*の考え方は、ルフマーノヴァ女史**にそっくりだ。
*リョフ・トルストイの息子。
**三流所の女流作家。

 デドロフ*は談たまたま副知事や知事のことに及ぶと、『ロシヤ文学百人集』に収められた『副知事の来着』を持ち出しなどして、浪漫主義者になってしまう。
*三流所の小説家。

 戯曲『生活の豆』。

 馬医者A、種馬階級の出身。

 ――うちのお父さんはスタニスラフ二等勲章*までみんな持ってましたわ。
*その下にはスタニスラフ三等勲章しかない。

 Konculijatsyja《コンスリャツイヤ》*.
*Konculitatsyja《コンスリタツイヤ》(立会診断)の言い誤り。「領事」に似て来る。

 陽《ひ》は輝いているけれど、私の胸のなかは暗い。

 S町でZという弁護士と知合いになった。美しきニカといった型の男である。……子供が沢山いるが、どの子に対しても教え導くような態度で接して、柔和で優しく、決して荒い言葉を使わない。間もなく私は、彼にはもう一つ別の家庭のあることを知った。やがて彼は娘の結婚式に私を招んで呉れた。彼はお祈りをして、ひれ伏さんばかりに頭を垂れてこう言う、「私にはまだ宗教心が残っているのです。私は信者なんです。」彼のいる席で教育問題や婦人問題が話題になると、彼は何の話か分りませんといった風な無邪気な顔をする。法廷で弁論をする時には哀願するような顔になる。

 ――お母さん、お客様の所へ出ないで頂戴な。あんまり肥ってらっしゃるんですもの。

 恋愛ですと? 恋をしたですと? とんと覚えがありませんわい! 私《わし》は八等官ですて。

 まだ母親の胎《はら》から出て来ない嬰児のように物を知らぬ男。

 Nのスパイ熱は、子供の時からよぼよぼ爺さんになるまで変らなかった。

 ――賢い言葉を使うことだな、万事はそれに尽きるですよ。――哲学……赤道……といった工合にね(戯曲に使うこと)。

 星たちはもうとっくの昔に消えてしまった。しかし俗衆には相変らず光って見える。

 学者になるかならない内から、もう名声を望むようになった。

 後見役《プロンプター》をしていた男が、厭気がさしてやめた。それから十五年ほど劇場へ足踏みもしなかった。やがて芝居見物に行って、感動のあまり涙を流し、侘しい気持になった。家に帰って、芝居は如何でしたかと妻君に訊かれると、彼はこう答えた、「虫が好かんね!」

 小間使のナージャが、油虫・南京虫の駆除夫に恋した。

 或る五等官が死んだ後で、彼が一ルーブルの日当で劇場の犬の声色方に傭われていたことが分った。貧乏だったのだ。

 君はちゃんとした、身装《みなり》の立派な子供たちを持たなくちゃならぬ。君の子供達もやはり立派な住居《すまい》と子供たちを持たなくちゃならぬ。そのまた子供たちも、やはり子供たちと立派な住居を持たなくちゃならぬ。一たい何のためにだって? ――誰が知るもんか。

 Perkaturin《ペルトトウーリン》.

 彼は毎日わざと嘔気をつける。――健康のためにいいという親友の忠告にしたがって。

 さる官吏が風変りな生活をはじめた。別荘にひどく高い煙突をつけ、緑色のズボンをはき、青いチョッキを着込み、犬の毛を染め、真夜中に正餐をとる。一週間すると降参してしまった。 成功は早くもこの男をぺろりと一舐めした。

 「Nは金に困ってるよ。」「何だって? 聞えなかったよ。」「Nが金に困ってるって言ったんだよ。」「一体そりゃ何のことかね? 僕にゃ分らないなあ。第一NってどのNだい?」「Zを妻君にしているあのNさ。」「成程、それがどうしたね?」「あの男を援助してやらなくちゃなるまいって言うんだよ。」「え? あの男って誰のことかね? なぜ援助してやるんだね? そりゃまたどういう意味かね?」等々。

 旅館の主人が差出した勘定書の中に、「南京虫十五銭」という項目。その説明。

 屋根を打つ雨の音を聴きながら、おまけに自分の家には厄介な退屈な人間はいないのだと意識しながら、家に引籠って居るのは何という愉しさだろう。

 Nはいつも、ヴォトカを五杯もひっかけた後ですら、必ずヴァレリアン・ドロップス(興奮剤)を嚥む。

 彼は女中と事実上の夫婦になっている。彼女はおそるおそる、彼を「殿様」とあがめる。

 私はある田荘を借りて避暑した。持主は大そう肥った老婦人だった。彼女は離れに住んで、私は母家に住んでいた。彼女は夫に死別し、子供達にも皆死なれて、一人ぽっちで、ひどく肥満していた。領地は借金の始末に売りに出ていて、備えつけの家具調度の類は古めかしい、趣きの深いものだった。彼女はしょっちゅう、自分に宛てられた亡夫や息子の古手紙を読んでいた。それでいて彼女は楽天家だった。私の家の者が病気になると、彼女は微笑みながら「ねえ貴方、神様のお助けがありますわよ」と慰めるのだった。

 NとZとは女学校の仲好しで、二人とも十七八の年頃である。不意にNは、Zが彼女の父親N氏のために身重になったことを知る。

 牧師チャマが参られた。……チン聖《チェイ》な。……神よ、チュク福《ブク》あれ。……

 女権拡張についてのお談義のなんと空疎な響きを立てることよ!

 もしも犬が名文を書いたら、彼等は犬をさえ認め兼ねない。

 喀血。――なあに膿腫《おでき》が破れたのさ。……何でもないさ、まあもう一杯やんなさい。

 インテリゲンツィヤは無用の長物だ。何故というに、お茶をがぶがぶ飲んで、やたらに喋り立てて、部屋じゅう濛々たる煙草の煙、林立する空瓶……。

 まだ娘の頃にユダヤ人の医者と駈落をして、女の児を生んだ。今では自分の過去が厭わしい、赤毛の娘が厭わしい。しかし父親は相変らず彼女も娘も愛していて、丸々と肥ったきれいな顔をして窓の下を歩いている。

 楊枝を使って、またそれを楊枝入れに差した。

 夫婦ともよく眠れないので、つい話に身がはいってしまった。文芸が衰えたという話から、雑誌を出したらさぞよかろうという話になる。二人ともこの思いつきに夢中になった。やがて横になって、暫く言葉がとだえた。「ボボルィキンに書いて貰うかね?」と彼が訊いた。「無論ですわ、書いて貰いなさいよ。」朝の五時に彼は車庫へ勤めに出る。彼女は雪の中を門まで送って行って、彼の出たあとを閉める。「ええと、ポターペンコにも書いて貰うかね?」と、木戸の外から彼が訊く。

 アレクセイは父親が貴族に列せられたと知ると、さっそく署名をアレクシイに改めた。

 教師曰く、「『人畜の犠牲を伴える列車の顛覆』というのはいけません。『その結果として人畜の犠牲を生じたる列車の顛覆』としなくてはいけません。」……「参集したる客に基づき」……

 戯曲の題『金色の雨』。

 われわれ無常の人間の物差しは一つとして、非有や人間以外のものを測る用には立たぬ。 愛国者曰く、「ですがね、わがロシヤのマカロニはイタリヤのより上等ですよ! 論より証拠ですて! いつぞやニースで鱘魚《ちょうざめ》料理を出された時にゃ、思わず泣きたくなったですよ!」そしてこの愛国者は、自分が胃の腑だけの愛国者であることに気がつかなかった。

 不平家曰く、「一たい七面鳥は食べ物でしょうか? 一たい筋子《イクラ》は食べ物でしょうか?」

 大そう聡明な、学問のあるお嬢さん。彼女が海水浴をしているとき、その狭い骨盤や、痩せ細った貧弱な腿を見て、彼は彼女が嫌いになった。

 時計。錠前屋のエゴールの時計は、まるでわざとのように意地悪く遅れたり進んだりする。いま十二時を指したかと思うと忽ち八時を指す。中に悪魔でも棲んでいそうな意地の悪さである。錠前屋は原因をつかもうと思って、あるとき時計を聖水に漬けて見た。……

 昔の小説の主人公(ペチョーリン、オネーギン)は二十歳だった。だが今日では三十から三十五歳よりも若い主人公は使えない。やがて女主人公の方もそうなるだろう。

 Nの父親は有名な人だった。彼も立派な人間なのだが、何をやっても皆がこう言う、「相当だね、だがお父さんにはまだまだ。」或るとき彼は芸術の夕べに出演して朗読をやった。ほかの連中はみんな好評だったが、彼だけはこう言われた、「相当だね、だがお父さんにはまだまだ。」家に帰って床に就くと、彼は父親の肖像を睨みつけて拳骨を振り廻した。

 われわれは子孫を幸福にするため生活の改善に腐心する。しかし子孫は相変らずこう言うに違いない、「昔は今よりよかったなあ。今の暮らしは昔より悪くなったよ。」

 わが座右銘。――私はなんにも要らない。

 今日では、きちんとした勤勉な人が自分や自分の仕事を批判的な眼で眺めると、世間からやれ愚痴っぽい男だとか、のらくら者だとか、厭世家だとか言われる。ところがぶらぶらしているいかさま師が仕事をしなけりゃならんと叫ぶと、世間の人は喝采する。

 女が男の真似をして破壊をすると、人々はこれを自然と見、よく理解する。女が男の真似をして創造を企てたり試みたりすると、人々はこれを不自然と見、怪しからんと言う。

 僕は結婚すると婆さんになりました。

読書ざんまいよせい(045)

◎トロツキー・青野季吉訳「自己暴露」

第二章 私達の鄰人と私の最初の學校(続き)

 獨逸の移往者達は離れたー集團をなしてゐた。彼等の中には實際に富裕な人もゐた。彼等は他の者達よりはずつと强固な基礎をもつてゐた。彼等の家族關係は緊密であつて、彼等の息子は稀に都會へ敎育に出されてゐたが、娘達は慣習的に野良で働いてゐた。彼等の家は煉瓦で建てられ、綠や赤に塗つた鐵の屋根をもつてゐた。馬は賤けがよく、彼等の馬具は丈夫であつた。彼等のばねのある二輪馬車は『ドイツ馬車』と呼ばれた。獨逸人の中で私達の所に最も近い鄰人はイヷン・イヷノヴヰツチ・ドルンで、素足に粗末な靴をはき、日に燒けて毛の伸びた顏と灰色の髮をもつた、肥つた、活氣のある男であつた。彼はいつも、蹄が大地に雷のやうに響く黑い種馬に引かせた、立派なピカ/\塗立てた馬車を乘廻してゐた。そこにはかうしたドルン型が何人もゐたのだ。
 彼等の上に、羊王であり、草土帶の『カン二ツトヴエルスタン』でおるフアルツ・フアインの像が聲へ立つてゐた。
 この地方を馬車で走つてゐると、人は羊の大群の中を通り拔けるであらう。『この羊は誰のですか』と誰かゞ訊ねる。『フアルツ・フアインのだ。』君は途中で乾草を析んだ馬車に出會ふ。あの乾草は誰のだらう。『フアルツ・フアインのだ。』毛皮のピッミツトが柢で飛ばしてゐる。あれはフアルツ・フアインの支配人だ。駱駝の一群が突然咆え出して諸君を驚かす。駱駝をもつてゐるのはフアルツ・フアインだけだ。ファルツ・ファインはアメリカから種馬を、スヰスから牡牛を輸入した。
 當時フアインでなしに單にフアルツと呼ばれたこの一族の創始者は、オルデンブルグ侯爵の領地の羊飼であつた。オルデンブルグは緬羊飼育のために莫大な金を政府から下げ渡された。この侯爵はおよそ百萬からの借財を造つたが、何んにもしなかつた。フアルツはその所冇物を買つて、侯爵としてではなく、羊飼として管理した。彼の羊群は彼の牧場や彼の仕事と同樣に增大した。彼の娘はフアインと呼ばれた羊の飼育者と結婚した。かくて二人の牧場の王家は今日の如く合體した。フアルツ・フアインの名は、動いてゐるー萬の羊の足音の如く、無數の羊の聲の鳴聲の如く、長い牧羊杖を肩にした草原の羊飼者の呼笛の如く、澤山の牧羊犬の叫聲の如く響き渡つた。この草原そのものが、炎熱の夏にも、酷寒の冬にも、この名前を呼吸しのだ。
 私の生涯の最初の五ケ年は旣に過去つた。私は經驗を加へて行つた。人生は發明に滿溢れてゐる。そして殆ど分らない程の小さな一角においても、恰かも世界的舞臺において見るやうに勤勉に、その發明の組合せをつくり出してゐる。出來事は私の前に次から次へと輻輳する。
 或勞働少女が野良で蛇に咬まれて伴れて來られた。その少女は悲しさうに泣いてゐる。彼等は彼女の腫れた足を膝の上でしつかりと繃帶し、それを酸敗したミルクの桶の中に浸した。少女は病院へ入れられるためにボブリネツツへつれ去られた。彼女はそこから歸つて再び働く。彼女の咬まれた足は汚くよごれてずた/\になつた長靴下を穿いてゐる。だから勞働者達は、彼女を『貴婦人』としか呼ばないであらう。
 野性の豚が、自分に食物をくれてゐた男の額や、肩や、腕を咬んだ。それは豚の全群を改良するためにもつて來られた、稀らしい、巨大な野性の豚であつた。嚙まれた男は死ぬる程驚かされて、子供のやうに唤めいてゐた。彼もまた病院へ伴れて行かれた。
 二人の若い勞働者が、殼物の束を積んだ馬車の道に立つて、互に投熊手を投合つてゐた。私はその有樣に見とれてゐた。彼等の中の一人が投熊手をもつて呻きながら側らに倒れた。
 これらの凡ては或るひと夏の閒に起つたことである。そして夏と云へば、何にも事件が起らないで終つたことはない。
 或秋の夜のこと、水車場の木造の上家の全體が池の中へ滑り込んだ。栈はずつと以前から腐つてゐて、板の壁は暴風のために帆のやうに奪ひ去られてゐた。動力や、磨石や、粗目挽臼や、風袋分離器が、廢墟中に嚴然と立つてゐる。板の下から無數の水車小舍鼠が、時々飛出して來る。
 私はよく水を運ぶ人について、こつそりとモルモツト狩りに野良へ行つた。誰かゞ早すぎもせず晚すぎもしない正確さで、穴の中へ水を注ぎ、棒切れを手に持つて、その出口に艷のない濡れた毛をした鼠に似た鼻が出て來るのを待つた。年取つたモルモツトは、自分のお臀で穴をふさいで永い閒抵抗した。然し二杯目のバケツの水は奴等を降參せしめて、自ら死に飛出して來た。一人がこの死んだ動物の足を切つて、それを紐に通した——ゼムストフオ*はモルモツト一匹についてーコベツクで買つたのだ。役所では尻尾を見せろと云ふのが常だつたので、賢い奴が一匹の動物の皮で、十二の尻尾を作ることを發明した。そこでゼムストフオでは今度は、足を見せろと云ふやうになつたのだ。私はぶ濡れになつて、埃をいつぱいかぶつて歸つた。家ではかうした冒險は少しも襃められなかつた。彼等は私を食堂の長椅子の上に坐らせて、盲目エディブスとアンティゴーネの話を引合ひに出した。
 *地方管區の行政を擔任する、選擧による農村組織脸でおる。—英記者

 或日母と私とが最寄りの町のボブリネツツから橇に乘つて歸つてゐた。雪に目を眩まされ、橇に搖られて、私は居睡りしてゐた。橇が曲り角で顚覆して、私は俯向きに投り出された。毛布と秣が私を窒息させようとした。私は母の心配して叫ぶ聲を聞いたが、それに答をすることが出來なかつた。新しく雇つた、大きな、頭髮の赤い、若者の馭者が、毛布を引張り上げて、私を見つけ出した。私達は再び座席に歸つて歸路を急いだ。然し私は、惡寒が背骨の所を上つたり下つたりすると云つて、訴へ始めた。『惡寒?』毛の赤い馭者は、顏を私へ向けて、しつかりした白い齒を見せながら訊ねた。私は彼の口元を見詰めながら答へた。『さう、お前は惡寒を知つてるの?』馭者は笑つた。『何んでもありませんよ。』それからもう一言『もうすぐ着きますから。』と云つて、淺い粟毛の馬を驅立てた。
 翌晚のこと、その馭者が栗毛の馬と一緖に消失せてしまつた。所有地は大騷ぎになつた。兄の指揮する一隊が忽ち編成せられた。彼はムツツに鞍を置いて、泥棒をひどいめに合せてやると誓つた。『まづ奴を捕へなくちやいけないぞ。』と父は陰鬱さうに注意した。二日振りに一隊は歸つて來た。兄は馬泥棒の捕へられなかつたことを霧にかこつけた。白い館の色男の愉快な男ーーそれが馬泥棒だ!
 私は熱に侵されて轉げ廻つた。自分の腕や足や頭が邪魔になつた。それらは腫上つて壁や天井に壓しつけられるやうだつた。そしてそれは內部から跳出すのであるからこの障害から逃れようがなかつた。私の體は燃えるやうで、喉が刺すやうに痛んだ。母が私を覗き込んで、その次に父が覗いた。彼等は心配さうに目交せして、喉に膏藥を貼ることにした。『私はリヨヴァがヂフテリアにかゝつたのではないかと心配するんですが?』と母が云つた。
『ヂフテリアだつたら、もう疾つくに吊臺に乘せられてゐますよ。』とイヴン・ワシリエヴヰツチが答へた。
 私は漠然と、妹のロゾチカがさうであつたやうに、死を意味する吊臺に橫つてゐるところを考えへて見た。然し私は彼等が私のことを話してゐるのだとは、信することが出來なかつた。だから彼等の話を落ちついて聞いてゐた。最後に私をポブリネツツに伴れて行くことに話が定まつた。私の母は熱心な正敎徒であつたわけではないのだが、安息日に町へ行かうとはしなかつた。イヴン・ワシリエヴヰツチが私を伴れて行つた。私達は元私の家の召使であつて、ボブリツツで結婚してゐる小さなタチヤナの家に泊まつた。彼女には子供がなかつた。だから傳染の危險がなかつた。醫師のサチユノウスキイは私の喉を調べ、體溫を計り、お定りのやうに、まだ早過ぎてよく分りませんねと確言した。タチヤナは私にビール壜をくれたが、その壜の中には小さな棒切れや、板切れで造つた、立派な小さい敎會が出來てゐた。私の足や腕は、私を困らすことを止めた。私は恢復した。これは何時頃起つたことだらう? 私の生涯の新しい時代の始まるより餘り以前ではなかつた。
 その新時代はかうして來たのだ。自惚屋で子供達の敎育を幾週閒も放つて置いたアブラム叔父さんが、氣嫌のいゝ時に私を呼びつけて『行き詰らないやうに、速座に今年は何年であるか云つて御覽』と訊ねた。『えゝ知らない?  一八八五年ぢやないか!何回もくり返して覺えておいで、も一度訊くから。』私はこの質問の意味を理解することが出來なかつた。『さう、一八八五年です。』と從兄弟のだんまり屋のオルガは云つた。『そしてその次ぎは一八八六年です。』私はこれが信ぜられなかつた。時閒に名前のあることが承認されるならば、それならーハハ五年は、永久に、卽ち非常に長く長く、家の礎石の大きな石のやうに、水車小舍のやうに、或ひは現實の私自身のやうに、存在する筈である。オルガの妹のベテイヤは誰を信じていゝか知らなかつた。私達三人はみんな、新しい年が來ると云ふ思想に故障を感じた。恰度誰かゞ、扉を開けて、色々な聲が高く響いてゐる、眞暗な、空つぽの都屋の中へ伴れて行かれた時の樣に。最後に私が降參しなければならなかつた。誰でもがオルガに贊成する。だから一八八五年は私の意識の中に於て最初に名前をつけられた年になつたのだ。それは、私の形體のない、前史的な、渾沌たる時代に終末を吿げしめた。いまから後は私は年代を知つてゐる。その時私は六歲であつた。それは凶作、恐慌の年であり、ロシアに於ける竝初の大きな勞働者の騷亂の年であつた。然し乍ら、私を强く刺戟したこの年の名前は不可解なものであつた。私は承知が出來ないで、時と數との隱れたる關係を推測しようと努力した。一連の年月が經過した。それは初めはゆつくりと、それから段々と急速になつた。然し一八八五年はそれらの年次の巾に恰も年長者の如く、ー門の首領の如くに聳え立つてゐた。それは時代を標示した。
 これに續く事件が起つた。私は或時私の家の荷馬車の馭車臺に登つて、私の父を待つてゐる閒に、手綱を引張つた。若い馬は飛出して、家や、納屋や、庭やを飛越へ、路のない貯良を橫切つてデムボウスキイの所有地に向つて突進した。背後には叫び聲が起り、行く手には濠があつた。馬は猛り狂つた。殆ど馬車を顚覆させようとした。濠のごく尖端にある歪みで、馬はそこに根が生えたやうに突立つた。私の背後からは馭者が走つて來、その後には二三人の勞働者と、私の父とが續いた。私の母は泣聲を立てゝゐるし、姉は手を握り締めてゐた。母は私が彼女の方へ飛んで行つてるにも拘らず、金切り聲を立てゝゐた。父が死人のやうに蒼ざめて、私に無茶苦茶な平打ちを喰はせたことも書いて置くべきであらう。甚だあり得べからさることのやうに見えるが、私は叱られたことさへなかつたのだ。
 私が父と一緖に、エリザヴエートグラードへの小旅行をやつたのも同じ年であつたに相違ない。私達は夜明けに出發してゆつくりと步いた。ポブリネツツで馬に水飼ひした。私建は夜に入つてヴシイヴアヤ*に到着した。私達は品を保つてそれをシユヴイヴアヤと呼んでゐた。私達はその邊の郊外に盜賊が出ることを聞かされたので、そこで日の出を待つた。後年世界のどの一つの都も、パリも、ニユー・ヨークも、舖道や、綠色の屋根や、バルコ二ーや、商店や巡査や、赤い輕氣球やをもつたエリザヴエートグラードが當時私に與へたやうなそんな印象を與へはしなかつた。數時間の間私の目は大きく見開らかれ、私は文明の相貌に氣を奪はれた。
*ロシア語で、これは「不潔」を意昧する。ー—英譯者
 一年の後私は學課を始めた。或て大急ぎで顏を洗つた後で————ヤノウカでは人々はいつも大急ぎで顏を洗ふのだ————私は新しい日と、何よりもお茶に牛乳とバターケーキのついた朝食とに目を,やりながら、食堂に這入つて行つた。私は母が、瘠せた、和やかに笑つてゐる卑屈さうな男の見知らぬ人と一緖にゐるのに氣がついた。母とその見知らぬ人とは、私が彼等の會話の主人公であつたことを明かにするかのやうに、私を眺めた。
『握手をしなさいリヨヴア。お前の先生に御目にかゝるのだよ。』と母が云つた。私は多少恐れながらも、いくらかの興味を以つて先生を眺めた。その先生は私に、どの先生でもその兩親の前では未來の生徒にするやうに、溫和かに挨拶をした。母は私の行くまへに事務的手筈を立派に終つてゐた。それ故、先生は居留地の彼の學校で、私にロシア語で數學と、ヘブリユウ原語で舊譯聖書とを敎へるために、澤山の金と、澤山の麥粉の袋とを取つたのである。けれども母は少しもさうしたことを爲し終ひてゐなかつたものだから、敎授の範圍などはむしろ漠然としたまゝであつた。私は自分の茶にミルクを入れて、ちび/\と啜りながら、私の運命に於ける今後の變化を味ふやうな氣がした。
 その次の日曜日に父は私をその殖民地に伴れて行つて、ラシエル叔母さんと一緖に住はせた。と同時に私達は彼女の所へ、小麥粉や、大麥の粉や、稗や、蕎麥の入つた遮產物の荷物を持つて行つた。
 グロモクレイからヤノウカへの距離は四ヴエルストであつた。居留地を貫通して狹い谷が走つてゐた。その一方はユダヤ人の居留地であり、他の側は獨逸人の居剧地であつた。この二つの部分は極端な對蹠をなして對立してゐた。獨逸人區は、家竝は淸楚で、一部分は瓦で屋根を弄き、一部分は蘆で葺いてあり、馬は大さく、牛は艷々してゐた。ユダヤ人區では、小舍は荒廢してをり、屋根はすたすたに破れ、家畜は瘦せこけてゐた。
 私の最初の學校が、ごくわづかな印象をしか殘さないのは不思議なことだ。私が股初にロシア語のアルハベツトを書きつけた石の黑板。ペンを握つてゐる先生の瘦せた人差指、みんなで一緖にやつた聖書の音讀、物を盜んだ二三人の少年の刑罰、——凡て漠然とした斷片であり、霧のやうにきれ/”\であつて、一個の生きた繪ではないのだ。恐らく例外は、背が高くて、押出しのいゝ、先生の細君であつた。彼女は始終思ひがけなく私達の學校生活に仲閒入してゐた。或時授業中に彼女は夫に、新しい麥粉に特種の臭ひのあることをこぼしに來た。そして先生が彼女の手のひと握りの麥粉に尖つた鼻をもつて行つた時、彼女はそれを先生の顏に投げつけた。それが彼女の冗談の槪念であつたのだ。少年少女達は笑つた。たゞ先生だけは下を向いてゐた。私は、麥粉まみれになつた顏で、敎埸の眞中に立つてゐる彼を氣の毒に思つた。
 私は人のいゝラシエル叔母さんと共にゐながら、彼女のことは少しも氣に留めないで暮してゐた。母屋の同じ庭に面してアブラム叔父さんが君臨してゐた。彼は、甥や姪を全然公平に待遇した。時々彼は私だけを選り出して、招待し、私に髓のある骨を御馳走して、そしてつけ加へた。『俺《わし》はこの骨のために、お前から十ルウブルは取らないよ。』
 私の叔父さんの家は、殆どこの居留地の入口にあつた。向ひ側の端には脊の高い、陰鬱な、瘦せたユダヤ人が往んでゐた。彼は馬泥棒だといふ評判があり、、<ママ>餘り香しくない商ひをしてゐた。彼には娘があつたーー彼女にも亦如何はしい風評があつた。この馬泥棒の所から遠くない所に帽子屋が住んでゐて、ミシンの上でちく/\やつてゐた。——燃えるやうな赤い髭のある若いユダヤ人だ。この帽子屋の細君はよく、アブラム叔父さんの家にいつもゐた居留地の監督官の前へ來て、馬泥棒の娘が彼女の夫を盜まうとしてゐると云つて不平を竝べてゐた。だが監督官は一向加勢する樣子もなかつた。或日私は學校から歸りに、群衆が町の中で若い女、馬泥棒の娘を曳きずつてゐるのを見た。群衆は罵り叫び、そして彼女に唾を吐きかけた。この聖書にあるやうな情景は、永久に私の記憶の中に刻み込まれた。數年後、アブラム叔父さんはまた當時のこの婦人と結婚した。その時には彼女の父は居植地の法規によつて、共同社會の好ましからぬ人物として、シベリアに流刑に處せられてゐた。
 私の元の保姆のマーシヤは、アブラム叔父さんの家の召使であつた。私はたび/\臺所にゐる彼女の所へ走つて行つた。彼女は私とヤノウカとの關係の象徵であつた。マーシヤの所には、時々むしろ耐えられないやうな訪問者が來た。さうすると私は寧丁に送り出された。或犬觀のいゝ朝のこと、居留地の他の子供達と共に、私はマーシヤが赤ん坊を生んだことを知つた。私達は大變な興味をもつて、祕密さうにさゝやき合つた。數日後私の母がヤノウカからやつて來た。そして臺所へマーシヤとその幼兒とを見舞に行つた。私は母の背後からこつそりついて行つた。マーシャは目の上まで垂下がる頭巾をかぶつてゐた。廣いベンチの上に瘦せた幼兒が橫つてゐた。私の母はマーシャに目をやり、それから小兒を眺めた。そしてその次に何んにも云はないで、口惜しさうに頭を振つた。マ—シャは下を見詰めたまゝ默りこくつてゐた。それから母は幼兒の方を見て口を開いた。『御覽、この兒は自分の小さい手を、大人のやうに頰の下に當てゝゐるぢやないか?』
『お前はその子が不惘ではないかい。』と私の母が訊ねた。
『い、え、彼は大變親切なのです。』とマーシャは橫着さうに答へた。
『それは噓だ、お前はかはいさうだ。』と私の母は宥るやうな調子で答へ返した。一週閒の後、この瘦せた幼兒は、彼がこの世に生れて來た時と同じやうに、神祕的に死んでしまつた。
 私は屢々學校を休んで私の村へ歸つた。そして時には殆ど一週閒もそこに停まつてゐた。私はユダヤ語を話さないものだから、學校友達の閒には親しい友人がなかつた。學校の授業期閒はほんの數ケ月しか緻かなかつた。この事實は、この時代の私の追憶が貧弱であることを說明するであらう。而かもシユファーーそれがグロモクレイ學校の先生の名であつた——は私に讀書と習字とを敎へた。この兩者は私のその後の生活の役に立つた。だから、私は私の最初の先生を感謝の心をもつて記憶してゐる。
 私はブリントの紙で勉强することを始めた。私は詩を筆寫した。私は自分で詩を書きさへした。後には私の從兄弟のセーニャZと一緖に雜誌を始めた。而かもなほこの新しい道は困難であつた。私はそれにそゝのかされて、やつと筆記の技術を會得した。或時、私は獨りで食堂にゐた閒に、私は、商店や、料理場で聞いた言葉で、私の家族からは聞いたことのない特別な言葉を、印刷字體に書下し始めた。私は、私の爲すべきでないことを行つてゐるのだと承知してゐたけれども、その言葉は、禁ぜられてゐるので、猶更ら私を引きつけた。私はこの小さな紙片とマツチの空箱に入れて、納屋の背後に埋めて隱して置かうと決心した。姉がその部屋の中へ這入つて來た時は、私がその表を完成するにはまだ/\遠い頃で私は夢中になつてゐた。私はその紙を摑んだ。母が姉の後から這入つて來た。彼女達は、私に書いたものを見せろと要求した。恥かしさに眞赤になつて、私はその紙を褥椅子《ふとん》の背後に投込んだ。姉はそれを取らうとしたが、私はヒステリツクに叫んだ。『私が自分で取るから。』私は褥椅子の下に這込み、その紙を切れ切れに引き裂いた。私の失望と、淚とには止め度がなかつた。
 ー八八六年のクリスマス週閒のことであつたに相違ないが、と云ふのは、私は旣に、私達が或夜茶を飮んでゐた時に、食堂の中へ假面舞踏者達の一群が雪崩れ込んで來たことを、その時どうを書き記したがいゝか知つてゐたからである。私は驚いて大急ぎで、褥椅子の上へ飛上つた。私は靜かにして素人劇『ツアー・マキシミリアン』を貪るやうに開いた。初めて夢幻的世界が私を包み、その世界は演藝的な實在性のあるものに轉形された。私は、その主役がもと兵士であつた、勞働著のブロコールによつて演じられたことを聞いた時には、驚きあきれた。その翌日、私は夕食後、鉛筆と紙とをもつて召使部屋に行き、ツアー・マキシミリアンに彼の獨白を、私に口授するやうにと懇願した。ブロコールは餘り氣がなかつたらしいが、私は彼にまとひつき、請求し、要求し、懇願して、彼をうるさがらせた。最後に私は、自分で窓の側に坐り場所をこしらへて、傷のついた窓の閾を使ひテーブル代りにして、ツアー・マキシミリアンの詩のやうな言葉を寫し始めた。やつと五分位經つた時に、私の父が入口の所へ來て、窓の側の光景を眺めて、嚴かに云つた。『リヨヴァ、お前の部屋へ御歸り。』私は諦められないで、褥椅子の上で午後の問中泣き通した。
 私は弱々しい調子の詩を綴つた。それは恐らく、言葉に對する私の愛は示してゐたであらうが、詩の發展上に於ては、確かに何等の豫示をもなされなかつた。姉は私の詩のことを知つてゐた、彼女を通じて母がそれを知り、母を通じて父が知つてゐた。彼等は、私の詩をお客さんの前で聲高に朗讀しないかと云つた。それはとても苦しいことだつた。私は承知しなかつた。彼等は、私に最初は溫和しく、次ぎにはいら/\し、最後には嚇しつけて、催促した。時には、私は逃出した。けれども私の目上の人達は、どうすれば自分逹の望みが達せられるかを知つてゐた。私は胸をどき/\させながら、眼に淚を溜めて、他から剽竊した行ひと、とつちんかんな韻律を恥かしがりながら、自分の詩を朗讀した。
 それはそれとして、私は智慧の木の實を知つた。生活は單に日每、いや、一時閒一時閒の中にすら廣がつて行つた。食堂の破れた褥椅子から、絲は他の世界に伸びて行つた。讀書が私の生活に新紀元を開いたのだ。

読書ざんまいよせい(044)

◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳

【編者より】
 またもや、大層な長文痛みいる。本文に《》が使われてる故、ルビの内容は[]で已む無くされた。

王の愛妾

 今は昔、巴里両替橋の鍛冶場に居住するさる宝石師の娘に、飛切りの別嬪がおって、そのあでやかさは巴里じゅうにも鳴り響いておった。さるに依り恋の仕組のいつもごとを以て、言い寄る殿方も数知れず、妻に娶るべく莫大な金品を醵出しようとまでする篤志家も現われ、父御はすっかり有卦に入って恵比須顔でおられたとか。
 その隣人の一人に最高法院の弁護士がおったが、世間様にお喋りを売ったお蔭で、犬に蚤めがいるように沢山と地所を買い込み、たまたま見染めた隣りの娘に、結婚事をおっぱめようとして、件の父親に立派な家屋を進呈して、うんと言わせようと計られた。ひげむじゃらのこの三百代言が猿面をしていようが、下顎に歯が僅かしかなく、それもみなぐらぐらしていようが、一向に父親はお構いなく、また育ちが育ちで、――いったい裁判所で、羊皮紙や判例集や真黒な訴訟書類などの、堆肥くずの残骸の蔭に起居する司法畑の連中は、みんな嫌な臭いを身に沁みこませているものだが、――そうしたむさい悪臭を婿どんが放とうが、些かも嗅いでみることもせず、二つ返事で娘をやることを合点してしまわれた。小町娘は未来の婿どんを見るや否や、《まあ神様、お助けを。あたし真平御免だわ。》と、真向から反対めされた。しかし家屋敷がすっかりお気に召していた父親は、《それは儂の知ったことか。結構人の良人を其方に選んでとらせたのだ。あとはお前から気に入られるようにするのが、あいつの才覚というものじゃ。お前はただ跋を合わせればいいのだ。》
『そんなものでしょうか。いいわ、お父さんの言附に従う前に、あの人にうんと将来を思い知らせてやるから。』
 その晩、夕食後に弁護士が、彼女に燃えるような彼の訴訟事実を申し立てて、いかにぞっこんあつあつであるかを陳述いたし、生涯彼女に大御馳走を予約し出した時、彼女はあっさりとこう言った。『父はあなたに妾の身体を売りました。それを貴方が受けるなら妾は不仕鱈女になってお目にかけます。妾はあなたに身を許すくらいなら、行きすがりの人にこの身を任せた方がいいですわ。終世渝らぬまことを誓うのとは反対に、渝らぬまおとこ沙汰を、あたしはあなたに誓います。あなたかあたしか、どっちかの死ぬまでずっと。』
 そう云ってまだおっぺされたことのない娘っ子がみんなするように、彼女もまた泣きじゃくり出した。知った後では、阿魔っ子は決して眼では泣かぬものである。人の好い弁護士は彼女のこの変手古な仕打を、からかいかおびき寄せの手と考えた。そういえば娘っ子は相手の情炎をさらに煽って、その愛溺に乗じ、寡婦財産設定や未亡人先取権獲得や、其他くさぐさの妻の権利を、泰山の安きにおこうとして、斯様な手立てをお用いめさることが屡々である。で、弁護士も老獪なだけに、ちっともそれらを真に受けず、愁歎の美女を嗤ってこう訊ねただけだった。『祝言はいつにしよう?』『明日でも結構よ。早ければ早いほど、好き勝手に色男がもて、選び放題に色恋のできる快楽生活を送れるわけですもの。』
 童児の鳥黐にかかった河原ひわのように、恋の虜となったこの恋やみの弁護士は、早速に家に戻って嫁取り支度に取掛り、思いをただ彼女の方にばかり馳し、裁判所であたふたと婚姻手続を済ませ、司教代理判事の許で結婚の特免状を購い、彼の引受けたこれまでの訴訟事のなかで、ついぞ示したこともないようなあっぱれ迅速さで、手早く事を運んだのであった。
 ちょうどこの時分、御遠征さきから戻られた国王には、宮廷じゅうが例の小町娘の噂で、持切りなのを御覧になられた。誰それどのの提供した一千エキュの金を、彼女が蹴ったとか、何がしどのに肱鉄をくらわせたとか、はては誰にも靡こうとせぬ操正しいこの堅気娘と、たった一日でも楽しい思いが出来たら、後生の一部を割いても惜しゅうないという意気込みの貴公子がたを、みんな彼女は袖にしたなどという評判を、王にはお耳にせられ、こうした獲物がりにはかねて目のない御尊貴方のこととて、早速に町へお忍びであらせられ、鍛冶屋敷に赴いて宝石師の許にお立寄りになって、その心の想い人の為に若干の宝石を購い、且つはその店の一番貴重な宝石を、お取引あそばそうとなされた。が、王にはなみの宝石がお気に召さなかった。或は言うならば、なみの宝石が王の御趣味には合わなんだ。それで店の主人が、隠し金庫の中を掻き探し、巨きな白ダイヤをお目にかけようとして、金庫に鼻を突込んでいる隙に、王様には小町娘にこう申された。『そなたは宝石を売る柄ではなくて、受ける方がいっそ適していよう。この店の指環[はめもの]のうち、儂にその一つを選べとなら、余人も惚れ、この儂にも気に叶う一品を、もう疾うに選出ずみじゃ。儂は永久にその臣下か下僕となろう。フランス王国を捧げても、そのあたいを払い切ることはかなわぬと見たぞ。』『陛下、明日妾は祝言事をいたさねばなりません。けれどもし妾に、陛下のお腰にしておいでの短剣を、一振り頂戴出来ますならば、誓ってわらわの花を守護し、「シーザーのものはシーザーへ」の福音書の訓え通り、その花を陛下の為に、取って置くといたしましょう。』
 即座に王は短剣を御下賜あそばされた。彼女の雄々しい言葉から、王は御食慾を爾今うしなわれるまで御恋慕遊ばされ、イロンデル街の御別邸に、この新規な愛妾を囲おうと思召されながら、立去られたのであった。
 さて弁護士は結婚でおのれを縛ろうと急ぎ、鐘の音と音楽の流れるなかを花嫁を祭壇に導き、お客を下痢させるほどの盛大な酒盛を開いたが、恋敵たちの無念の思いは、そも如何ばかりであったろう。その晩、舞踏もおひらきになってから美しい花嫁御のやすんでいる筈の翠帳紅閨に婿殿は赴いた。したが相手はもう麗しい花嫁どころの騒ぎでなく、いえば訴訟ずきの小悪魔、いかりたった妖魔であった。花嫁は安楽椅子に陣取ったきりで、婿どんの床に入ろうともせず、炉の前でその忿怒や前のものを焙っているばかり。喫驚いたした花婿は、花嫁御寮の前で膝を七重に折って、初太刀とっての心楽しい打物わざに、彼女を招聘いたしたが、フンともこれに彼女は答えなかった。ひどく彼に高いものについた彼処を、ちょっと眺めるためペチコートをまくろうとして、骨も挫けよとばかりピシャリとなぐられた。しかも花嫁は頑強に口を噤んだきりだった。このお茶番はしかしかえって弁護士のお気に召した。そこで、みなさん御存じのあのことを以て、この場のけりをつけたいと思った彼は、本気でこのお茶番に乗り出し、根性わるの嫁が君から、さかんな反撃を蒙ったが、組みついたり押しつけたり、ひっ繰り返したり、くんずほぐれつのその結果は、彼女の袖を片っ方ちぎり、スカートを綻ばせたりしてのち、すべらした彼の手は、あわや愛くるしい狙いの的に達しかけた折、あまりといえば不軌蔑しろなこの異図に、柳眉を逆立てた彼女はすっくとその場に立上って、王の短剣をやおら引抜き、『あたしから何が欲しいんです!』と叫んだ。『何もかも欲しいんだ。』『不承不承にからだを提供《おつとめ》するのは、売女同然の仕打です。妾の素女点が武装されてないと思ったら、大間違いですよ。さあ、これは王様から賜わった短剣です。妾に近づくようなことをなされば、これで殺してしまいますよ。』
 そう言って彼女は、弁護士の方に眼を配りながら、消炭を取上げ、床の上に線を引いてこう附け加えた。『これから内側は王様の御領分ですから入らないで下さい。もし越境などしたら、お命は頂戴してよ。』
 打物を執ってといっても、短剣でなんぞ色恋をする積りはなかったので、花婿はすっかりしょげてしまわれた。しかしむごい彼女の宣告を聞いている間、仰山の金を費して敗訴となった弁護士の彼は、彼女のスカートの破れ目から白いむっちりしたあでやかな太腿のけなるい一部や、ローブの綻びを塞いでいる輝かしい主婦むきの裏地や、其他の隠しどころをまじまじと眺めて、ちょっとでもそれが味わえたら、死んでもよいとまで思い込み、《死のうがどうしようが!》と叫んで猛然と王領のなかに殺到いたした。
 その勢いの凄じさといったら、どすんと彼女も寝床の上に押し倒されたくらいだったが、しかし気を鎮めて花嫁は、健気にもこれに応戦し、手足をばたつかせて逆らったので、突貫花婿にせいぜい出来たことは、金色の毛皮に手を触れ得たことだけだった。それも背中の脂肉を、短剣でいささか切り取られた奮戦の賜物とはいえ、それくらいの手傷で、王の持物のなかへ突入できたとすれば、彼にとってそう大して高いものでもなかった。この僅かな勝利に酔った彼は、《この綺麗なからだ、この愛の驚異を、おのが物にせねば生きる甲斐がない。どうか俺を殺してくれ!》と叫んで、またもや王の禁猟地へ肉弾攻撃にと移った。王様のことがあたまにある花嫁は、こうした花婿の偉大なる恋情にも、べつに感動もせずに重々しげに云った。『そんなにしつこく妾を追い廻すのでしたら、あなたを殺すかわりに、あたしは自分を殺します。』
 そう言った眼差のたけだけしさに、弁護士はあっけらかんとして、べったりそこに腰をおとし、今宵の不首尾を打歎いてその夜を送った。世間の相愛の男女にとっては、楽しくもめでたい初夜を、彼は悲嘆と哀願と号叫と約束――何でも浪費してよい、黄金の茶碗で食べさす、領地や城館を購って、町娘から一廉の立派な上臈にする、八方いたらぬなき親切を尽す云々――のお世辞文句の裡にその一夜をあかし、仕舞にはもし妻が、愛の誉れの出会の槍を、良人に一回だけ折ることを許すならば、すっぱりと妻から離れて、その望む通りに、この生命を棄てても苦しゅうはないとまで申した。
 しかし相変らず頑なな彼女は、朝方になって死ぬことなら許すと云い、彼女が与え得る果報は、ただそのことのみと申した。『妾が先日申したことは、金輪際本当です。ただあの折の約束とは違って、王様にこの身を任せるつもりですわ。ですから先に威したように、行きずり人や人足や車挽きなどには、許しませんから有難く思って頂戴。』
 暁方になるや、彼女はスカートをつけ、婚礼衣裳をまた着て、望まざる花婿が依頼人の許に、しょうこと無しの用事で出掛けるのを、根気よく待った。そして弁護士が外出するや、大急ぎで彼女は王様を探しに町へ出た。が、弩[おおゆみ]の射程ほども行かぬうち、館のまわりを王の言附で見張っていた侍従に呼びとめられた。まだ貞操に南京錠をかけていた花嫁に、侍従はいきなりこう云った。『そこ許は国王を探しておられるのではありませんか?』『そうですわ。』『じゃ安心して私に何でも打明けて下さい。これからは互に助け合い、庇い合おうじゃありませんか。』とこの機敏な廷臣は肝煎り顔で、王の人となりや、王の心の掴み方や、今日は熱中し明日は冷却するそのむら気なことや、なにやかやを語り聞かせてくれた。金もふんだんに貰え、待遇も此上なしだが、ただ王を尻の下に敷くことを忘れぬようにとも、彼女に忠告してくれた。道々そんなためになる訓えをさかんにしてくれたので、イロンデル街のお屋敷に――ここは後にデタンプ夫人のお館になった――着いた時は、彼女はもうすっかり一廉の淫奔女[それしあ]に、教育されてしまっていた。
 花嫁の姿が家に見えぬもので、可哀想な良人は、犬に吠え立てられた鹿のように泣き悲しんで、それからというもの、めっきり陰鬱な男になってしまわれた。コンポステル寺で本尊のサン・ジャックさまが讃仰される数ほども、彼は同僚から嘲りや恥じしめを受け、あれこれ悲観してすっかり憔悴し乾からびてしまったので、却って仲間うちの同情を惹くくらいになった。これら髯むじゃらの状師どもは、三百代言的根性から詭弁を弄して、こう判定いたした。すなわち弁護士どのは御内儀から、騎馬槍試合を拒まれておったゆえ、決してまだ寝取られ亭主とは申されぬ。また間男が国王以外の仁であったら、結婚解消に就いて訴訟を提起出来るに残念な次第だなどと抜かした。けれど弁護士は死ぬほど彼女にぞっこん惚れ込んでいたので、何時かは彼女を自分のものにしようというあてなし頼みから、王様に預けっぱなしにしておき、あとで一晩でも一緒に巫山の夢を結べたら、終生の長っ恥も物の数ではないとまで考えめされていた。なんと深くも愛したものでは御座らぬか。それなのに、かかる偉大なる恋愛を、嘲弄めさる殿方衆が世に多いとは、嗟乎!
 かくて彼は相変らず彼女のことしか念頭になく、おのが訴訟や依頼人やちょろまかしごとや何やかやを、すっかり等閑に附してしまっていた。落し物を探し歩く吝嗇漢のような恰好で、彼は裁判所に出入し、うなだれ、放心し、気遣わしげで、遂にはある日なんど、弁護士連中がよく用を足す壁に向って、小便をしている積りで、評定官の法服に小便を引掛けてしまったことさえあった。
 その間、彼の御内室は朝に晩に国王の御寵愛をかたじけなくし、また王様にも彼女に飽満あらせられたためしがおりなかった。それほど彼女は恋の道にかけて、縦横にあじな特技を発揮し、恋の火を燃やすのも消すのも巧みな、豪の手だれとなっておったのである。今日は王様を邪慳にあしらうかと思えば、明日は猫っ可愛がりに可愛がるという風で、変幻自在に手立てを尽し、深閨の座が賑やかで、粋で艶っぽく、陽気でさかしく、達者で、色の諸わけを皆式わきまえ、他の女子衆には到底出来ぬような、いびり方やじゃらつき方まで心得ておられた。
 ブリドレ殿と申す仁は、トゥレーヌにあるブリドレの領地を彼女に捧げたが、恋の情を掛けて貰えぬ恨みから、自裁して果てられた。艶なる槍一突きのために、かく領地をも捧げて惜しまぬといったトゥレーヌの昔の伊達衆は、もう向後はござりゃまおすまい。さればこの殿の死は彼女をいたく悲しませた。それに懺悔聴聞僧も、この落命を彼女の咎目に帰したので、身は王の愛妾にありながらも、爾今はおのが魂を救済のため、領地もどんどん受領して、こっそり快楽を八方に頒とうと、内心誓った次第である。かくてこの時以来、町の尊信を彼女にあつめさせたあの大身代を、築き始めることと相成り、それと共に多くの縉紳を破滅から救ったが、なにせよその琵琶の調子を合わせることが巧く、またぬけぬけしい嘘が上手でもあったので、王様には臣下の者に福祉を授けるのに、彼女の力が大いに与っておったとは、ちっとも御存じにならなかった。いたくそのお気に召した彼女は、天井板を床板と、王に信じ込ませることもいと容易に出来たと申すのは、イロンデル街の下屋敷におられる時間の大部分を、王様にはもっぱら横臥の姿勢をお執りになっていたため、板のお見分けも覚束なくなってしまわれた故であった。王はたえず嵌物をあそばし、かの美しいしろものを擦り減らせるかどうかとお試みになったが、擦り切れたのは結局御自分で、後に好漢ついに色の病で果て給うたのである。それにまた彼女は心して宮廷でも一番に貫禄のある美貌な公達にしか肌身を許さず、従ってその御眷顧は、奇蹟のように稀れだったに拘らず、岡焼連中や競争相手は、一万エキュ出せば、しがない一介の貴族でも王者の快楽をほしいままに出来ると、蔭口いたしておったが、これはまったく跡方もない赤嘘であることは、いよいよ王と別れるという際、このことで王のお咎めを蒙った折り、彼女は王に傲然とこう答えた言辞に徴しても明らかであろう。『そんな出鱈目をわが君に申した奴を、あたしは唾棄します、呪います、三万遍も憎みます。あたしとの肉炙りに、三万エキュ以上出さぬようなしみったれなんか、ついぞ相手にしたことはございませんもの。』
 すっかり震怒あそばされていたが、王にはこの返事を聞かれて御微笑を禁じ得なかった。そして世間の徒口[あだぐち]を鎮めるため、一ケ月近くもなおお手許にとめおかれた。到頭デタンプ夫人が競争相手の彼女を失脚させ、代って出頭第一の寵姫とも女御ともなられたのであるが、その失脚ぶりがまた羨しい限りと申そうか、お婿さんとして若い殿御をあてがわれ、その殿御もまた彼女に添って至極幸福を味わられた。というのは、あまり事を知らなさすぎて、罪作りとなっているような冷たい女人衆に、転売のできるくらい彼女にはぎょうに恋情と情火が豊かだったからである。
 閑話休題[あだしことはさておき]、ある日のこと、王の愛妾は、飾紐やレースや小沓や襟飾などの恋の軍需品をもとめに、輿に乗って町に出られた。その形艶なことといい、綺羅を飾ったよそおいといい、彼女を見たもの誰もが、天国が眼前にひらけたのを見るような思いをいたした。別して若い坊主どもにはそうだった。ところがトラオワールの十字路の近くで、彼女は良人の弁護士にはたと出逢ってしまった。輿の外にその美しい片足を出し、ぶらぶら揺すっていた彼女は、蝮蛇でも見たように、慌てて顔をひっこめた。婚姻の宗主権を軽蔑して、亭主を辱しめつつ傲然と通り過ぎる御内儀が多いこの世に、なんと殊勝な志ではおりないか。『どうなさいました?』と尊崇やみがたく彼女に同伴していたド・ランノワ殿には訊ねられた。『なんでもないの。』と彼女は低い声で答えた。『あそこを通るのは、妾の良人ですが、可哀想に随分変ったこと。むかしは猿に似てましたが、今はジオブそっくり。』
 哀れにも弁護士は、大口あけたままそこに立竦んでいた。熱愛の妻とその華車な足を目にして、心の張り裂けるのを覚えたあまりである。
 聞いてランノワ殿は、大宮人の嘲弄口調でこう弁護士に言った。『あの方の良人というのに、お通り[パッセ]<*注1>を邪魔するって法があるかい?』
 この洒落を聞いて彼女は大笑いをした。が、人の好い良人は、勇ましく荊妻を手にかける代りに、彼のあたまや心臓や肝玉や何やかやを断ち割る、その笑い声を聞くと、そのまま泣き出し、王の愛妾を見ながら、因果骨に活を入れようとしていた傍らの年寄の町人の上に、危く倒れかかった。蕾の時に我が物とした美しい花が、今は匂やかに咲きみちたのを見て、その白いむっちりした肌色、妖女のようなあじまやかな肢体に接し、一段と恋煩いを覚え、言葉では到底につくせぬほど、首ったけになってしまわれた。そうした恋慕地獄を知ろうとならば、べっかんこする情婦に、先ずは狂おしい恋をしての上でなければ、何とも思案に落ち申さずだが、それにしても当時の彼ほどの溺れ方は、たぐい稀れと申さねばなるまい。いのちでも財産でも名誉でも何でも、たった一度、肉と肉であえたら、すっかり犠牲にしてもいいし、その愛の大御馳走には彼の臓腑も腰も、置き去りにして参ろうと、堅く誓ったほどだったからで、その晩は夜もすがら、『おお、そうだ。必ず彼女をものにしてみせる。神様、私は彼女の亭主ではございませんか。なんたる不愍な身の上でしょう。』など云いながら額を叩き、かつかつ座にいたたまれぬうつけなていたらくであった。
 さてこの世の中には偶然というものが幅を利かしておる。それを料簡の狭い連中は、超自然の遭遇だなんどと申し、信じようとはめさらぬが、しかし高遠な想像力をお持ちの仁は、まこととして真をおかれている。何故ならそう易々とは偶然を案出することがかなわぬからだ。で、左様な訳で弁護士が彼の愛の空頼みに望みをかけて、重苦しい徹夜に耽ったちょうどその翌日のこと偶然が彼に訪れたのである。即ち彼の依頼人のひとりで、常々王の御前に伺候していたさる知名の廷臣が、朝方、弁護士の許に参って、一万二千エキュほど即座に用立てる周旋をして貰えぬかと頼みに来た。この髯むじゃらの猫はそれに答えて、そんな大金は造作なく街角にころがっている代物ではござらぬと申し、担保や利子の保証が要るばかりか、腕組して一万二千エキュの金をぽんぽに擁しているほどの人は、この広い巴里にもたんとはいる筈がないから、それを見附けることが先ずは難事だなどと、屁理窟屋の言うような文句を並べた。『閣下、あなたさまは慳貪[けんどん]きわまる債権者をお持ちのようですな?』『そうなんだ。なにしろ相手は王の愛妾の一物ときている。が、このことは内緒だ。今夜二万エキュと俺のブリの地所を提供して、その味を試みるという寸法になっているのだから。』
 聞いて弁護士は蒼くなった。弁護士の泣きどころに触れたように延臣は思ったが、凱旋したばかりとて、王の愛妾に良人があることなぞ、彼は一向に知らなかった。『顔色がお悪いようじゃが……』『ちょっと熱があるんでごあす。で、あなたさまが契約したり金を渡したりのお相手は、しんじつ王様のあれでございますか。』『そうだよ。』『誰が取持ちに入るんです?
 それとも直々のお取引で?』『いや、そんな細かいとりきめやなんかは、小間使がやっている。これがまた凄い腕達者で芥子よりぴりっとしている女だ。王の目を掠めての夜の周旋ごとで、たんまり甘い汁を吸っているらしい。』『私の友人の高利貸[ロンバード]なら、或いは御用立ていたすかも知れません。したが血を黄金に変ずるという大錬金術師そこのけの逸物の代価を、小間使がここに来て受取らぬ限り、何とも出来ぬし、また一万二千エキュも鐚銭一文の値打もないというわけですな、フーン。』『そうなんだ。小間使に処方[アキット]<*注2>を書かせれば、占めたものなんだが。』
 と笑いながら延臣は答えた。
 小間使を寄越すようにと廷臣に頼んだので、案の定、金を受取りに、弁護士の処へ小間使はやって参った。晩祷に行く尼さんの行列のように、ずらりテーブルの上に、並べられたぴかぴかした金貨の美しさ輝かしさ気高さ頼もしさ若々しさと申したら、けだし無類千万。おそらく折檻最中の驢馬でさえ、にこりといたすに違いあるまい。が、弁護士は何も驢馬に見せつける為に、拡げた訳ではおりなかった。金の山を見た小間使はぺろぺろ唇をなめ、黄金に対して拝み文句を仰山に並べ立てた。折もよしと弁護士は彼女の耳の中に金臭芬々たる次の言葉を吹き込んだ。『これはお前さんにやるよ。』『まあ、あたしこんなにお代を頂いたことありませんが……』『おっと、と、お前の上に載せろというんじゃないよ。』そう云ってちょっと彼女を引寄せて続けた。『俺の名前をあの殿から聞かなかったかい?
 なに、知らぬ!
 そうか。何を隠そうお前がいまつかえているあの王様の堕落させたマダムの本当の良人は、この俺様なんだ。この金をあれに届けたら、またここへ戻って来てくれ。きっとお前の好みにもあうような条件で、お前にやる分の同額の金は、ちゃんと耳を揃えておくから。』
 初め不審を起した小間使は、気が鎮まると同時に、弁護士に触れずに一万二千エキュ稼げるというのは、どうした訳かと知りたがって、すぐと間違いなく戻って来た。『さあ此処に一万二千エキュある。この金で領地も買えれば、男も女も買えるし、尠くも坊主三人ぐらいの良心は買収出来よう。だからこの金でお前の心も身体も上腹も何もかも、こっちのものに出来る寸法だ。で、俺はお前を信頼する。《与える者に与えよ。》の弁護士道の建前からだ。だからすぐこれからあの廷臣の処へ行って、今晩お楽しみの予定のところ、俄かに王様が夜分お成り遊ばされることになったから、今晩だけは他へ行って、その方の埒は明けるようにと、申して来てくれ、すれば俺にあの幸運児や国王の代理が勤められる訳だ。』『まあ、どうやってですの?』『俺はお前を買収したんだ。お前もお前の細工も、俺には頤使出来る筈なんだ。俺の女房と楽しめる手筈をつけるのは、お前にすればこの金を見る瞬き二つぐらいの造作もないことだろう。だがそうしたからとて、お前は決して神様に対し、罪を犯したことにはならないんだぜ。司祭の前でちゃんと式を挙げ、手と手を握りあった夫婦を結ばすことは、いったい敬虔な信心わざじゃなかろうか。』『わかりました。どうぞお出で下さい。夕食後明りを消して、真暗にしておきますから、たんと御堪能あそばせ。但し一言も口を利いてはいけませんよ。幸いあのお方は歓喜の絶頂には、口を利かずに叫ぶばかりですし、物腰でだけ用を弁ずる習いです。根が極めて内気なたちですから、宮廷の上臈衆のように、いやらしいことばをあの最中に弄することを、何よりもお嫌いあそばしているのです。』『おお、そうか。占め占め。じゃこの金はお前のものだ。もし俺が当然この拙者に属しているあの逸物を、ペテンにかけてでもこっちのものに出来たら、お前にこの倍の金は改めてくれてやろう。』
 そこで時刻や入口や合図など、すべての打合せを済ませ、小間使は驢馬に金を積んで、しっかり宰領して戻って行った。寡婦や孤児や其他から、僅かずつ弁護士が搾って貯めた金も、万物が――もともとそこから出て来たわれわれの生命さえも、――溶かされてしまうあの小さな坩堝の中へ、運ばれて行ったわけだった。
 さて弁護士は髯を剃ったり、香料を帯びたり、最上のシャツを着たり、息の臭くならぬように、玉葱を食べるのを控えたり、精力のつく物を食べ込んだり、髪に鏝をあてたり、裁判所の下卑助が、伊達な貴公子に身をやつそうとするいろいろな秘術と芸当を尽し、若い瀟洒な紳士を気取り、軽快闊達なところを見せようと、なんとかその醜い御面相を隠すべく心を挫いたが、所詮すべては無駄であった。何処までも三百代言の匂いが、ついて廻ったからである。美しいのと好きなので有名なポルチョンの洗濯小町が、ある日曜日、色男の一人に逢おうとおめかしして御秘蔵を洗い、薬指を御存じのところへ、ちょっと滑らせて嗅いでみて、《あら、いやだ。まだ臭いわ。青い川水で滌いでみよう。》と浅瀬でいきなり鄙育ちの貝母をごしごしやったような才覚は、この弁護士にはとんとなかったのである。べたべたとありとある化粧品を塗りたくったので、彼は世にも醜悪なつらになったが、自分では世界一の色男気取りでいた。
 さて手短かに申し上げるといたそう。寒気は麻の輪が首吊りの頸を締めるように肌を引締めたが、彼は軽装して家を出て、大急ぎでイロンデル街にはせつけ、かなりの時間待ちぼけを食い、さては愚弄せられたかと思いついた頃、漸く真夜中になったもので、小間使が門を開けに来てくれた。弁護士は得々として王のお館へすべり込んだ。愛妾が休む寝床の傍らの忍び戸棚へ、小間使は弁護士を大事に閉じこめたが、その隙間から弁護士は、愛妾の美しいあらわなくまぐまを残りなく拝むことが出来た。ちょうど彼女は炉の前でお召換の最中で、何もかも透いて見える戦闘着に着換えつつあったからである。小間使と二人きりと思ってか、衣裳をつけながら、女子衆が申すなるあの埒もない事どもを彼女は口走っていた。『今夜のあたし、一万エキュぐらいの値打がなくって?
 それにブリのお城がつくのだけれど頃合のお値段じゃないかしら?』
 そう言いながら、稜堡のようにかたい二つの白い前哨を、彼女は軽く手で持ち上げてみせた。それは猛烈に攻撃されてもぐんにゃりいたさなかった代物ゆえ、今後幾多の強襲をも優に凌げるかに見えた。『あたしの肩だけだって、王国一つぐらいの値打はあるでしょう。王様だってこれに及ぶものは作れませんもの。けれど本当の話、あたしもこの稼業がそろそろいやになったわ。何時も骨折れるばっかりで、快楽なんかちっともありゃしない。』
 小間使はにこりとしたので、愛妾はさらに申した。『お前に代って貰いたいくらい。』
 小間使はさらに高く笑ってこう答えた。『黙って。あの人がいます。』『あの人って?』『御亭主さんです。』『どっちの?』『本当の。』『しッ、静かに。』
 そこで小間使は一伍一什[いちぶしじゅう]を打明けた。愛妾の御愛顧をつなぎたいのと、一万二千エキュが欲しかったからである。『じゃ折角だからお金だけのことはしてやりましょう。けれどうんと凍えさせてやるがいいわ。あんな奴になんか触れられたら、肌のこの輝きも消え、妾までとんでもない醜い御面相になってしまう。だから妾の代りにお前が寝床に入って、お前の分の一万二千エキュを稼ぐがいいよ。彼奴には妾に計略がばれるといけないからと云って、明日の朝は早く帰ってお貰い。夜明けのちょっと前、妾は入替りに、彼奴の傍に行くことにするから。』
 可哀想に良人は寒さでぶるぶる慄え、歯をガタガタいわせていた。小間使はシーツを探す口実で、忍び戸棚のところへ行って彼に言った。『もうじき暖かい思いが出来ますよ。マダムは今夜ははり切っておめかしをしていますから、さだめし結構なお相伴にあずかれるでしょう。けれど声を立てずに猛威を揮って下さいね。さもないと妾の身の破滅になりますから。』
 到頭お人好しがすっかり凍え上った頃あい、やっと明りが消され紅閨のなかで、小間使はマダムに、殿方がお出でになっていますと囁き、そう云って自分が寝床に就き、マダムは小間使のふりをして出て行ってしまった。冷たい隠れ場から出た弁護士は、暖かいシーツの中に、得たり賢しともぐり込んで、『おお、なんて極楽じゃろう』と呟いた。
 その通り小間使は、彼にまったくのところ十万エキュ以上のものを施しめされた。弁護士は王室の濫費と、町家のけちな支出との相違を、とっくり堪能をいたした。小間使はスリッパーのように笑いながら、その役割を上首尾に果してのけ、やさしい叫び声や、身の捩りや、藁の上の鯉のような跳躍や、痙攣的なとび上りで、弁護士をさかんに饗応して、言葉の代りにはア、アアで済ませた。彼女の数重なる要求に、弁護士も逐一これに充分なる回答に及んで、遂にはからっぽのポケットのようになって睡り込んでしまわれたが、終る前にこのあじな恋の一夜の記念物を手土産にしたいと思って、彼女の一跳躍に乗じて、毛を引抜いた。してそれはどこの毛か、吾儕はその場に居合せたのではないゆえ存ぜぬが、彼はこれを王の愛妾の生温かい貞操の貴重なる証拠品として、手の中にしっかと握りしめたのである。
 朝方、鶏も啼き出したので、愛妾は良人の傍らに忍び込んで、睡った振りをいたした。小間使はやって来て、この果報者の額を軽く叩きながら耳許に囁いた。『お時間ですよ。早く股引をはいてお帰りなさい。夜が明けましたから。』
 おのが宝物を残して立去るのを、ひどく悲しんだ弁護士は、消え失せた彼の幸福の源を見ようとした。と、証拠物件の検真の手続にと及んだ彼は、喫驚して言った。『おや、見たのは慥に金色だったが、これは黒いぞ。』『どうしたんです、数が足りないと、マダムが気附くじゃありませんか。』『うん、だが一寸見て御覧。』『まあ、何でも弁えていられる筈のあなたが、御存じないのですか。摘まれたものはすべて萎びて色が変るのは習いじゃありませんか。』とさげすむように云って、彼を追い出し、後で小間使と愛妾は大笑いをいたした。
 この話は世間一般の評判となって、フェロンというこの哀れな弁護士は、おのが女房をものに出来なかった唯一人というわけで、とうとう口惜し死を遂げた。この一件から別嬪フェロニエルと、呼ばれるにいたったこの愛妾は、王と別れてのち、ブザンソワ伯爵という若い縉紳と結婚いたしたが、晩年よくこの佳話を人に語り聞かせて、三百代言の匂いを嗅がずに済んだと、笑いながら申しておったとか。
 夫婦の軛をつけられるのをいやがる妻女には、あまり執着せぬがよろしいという、これはその訓え草である。

<注>
(1)「パッセ」には「経験する」「殺す」の意味もあって、ここでは三重の洒落になっている。(一)本文通り。(二)……良人なのに女房の味を知らぬ奴があるか。(三)……不義した妻を生かしておく法があるか。
(2)「アキット」には錬金術の「処方」という意味と、「領収証」という意味と二つあり、ここではその両方に掛けて洒落ている。

解説
王の愛妾 LAMYEDUROY

 王とは「禁欲王」(Ⅱ)のフランソワ一世である。王がデタンプ公妃(一五〇八―一五八〇)と情交を重ねたのは一五二六年以降であるから、丁度その頃の物語であろう。愛妾フェロニエルは実在人物で、一五四〇年頃逝去しているが、レオナルド・ダ・ヴィンチの筆と誤り伝えられている彼女の肖像画が、今なおルーヴルにある。王に寝取られた弁護士がわざと花柳病に罹って、妻を通じて国王に感染させ、宝算を縮め参らせたという説もある。王が悪疾で御他界になったことは「金鉄の友」に見える。 この小説は種々の好色咄から材料を仰いだ模様で、例えば姦通宣言のくだりはブラントーム「艶婦伝」にあり、床に線を引く話は「新百話」の第二十三話、違う女性と添寝の話は「エプタメロン」、それが下婢だったという話は「デカメロン」の第四日第八話といった工合である。なお篇中のポルチョンの洗濯小町の娘は「当意即妙」「あなめど綺譚」(Ⅲ)に再出している。

編者注】「エプタメロン」の作者は、アンリ四世の祖母に当たるマルグリット・ド・ナヴァール 。「後退りの記(010)」でも言及した。

読書ざんまいよせい(043)

◎蒼ざめたる馬(007)
ロープシン作、青野季吉訳

 アルベール・カミュは、コロナ禍の最中で讀んだ「ペスト」と「蒼ざめたる馬」に題材をとった戲曲「正義の人びと」くらいしか知らなかった。今回、岩波新書で、彼の生涯や作品の紹介を讀んで、少し興味を持った。その中で、「正義の人びと」に触れたところから、部分引用。

 戯曲は、一九〇五年のロシア第一次革命のさなか、セルゲイ大公暗殺を実行したロシアのテロリストたちを扱っている。
 一九〇五年のロシアに、自分の時代について語るのに等価の倫理を見出したのである。冷戦のさなかに、政治とモラル、正義と自由、目的と手段の問題に、抒情性と古典性を兼ね備えた演劇による答えを提示することが彼の狙いであった。「心優しき殺人者たち」ではテロの状況が忠実に再現されているが、『正義の人びと』では、いくつかのロシアを想起させる特徴を消し、歴史的モデルに自分自身の体験の記憶を注ぎ込んで、時代を超えた普遍性をもたせようとした。

 『正義の人びと』では、カミュは『誤解』のような古典劇の様式に戻り、舞台として極度に切り詰められた隠れ家の枠組みを作った。外界から切り離された登場人物たちは、つねに閉所空間にいる。大公暗殺とカリャーエフの処刑という二つの事件は、古典劇の規範に従って、舞台の外で起こる。こうした過去の美学的手法を用いて、彼はテロリズムというきわめて今日的な主題に挑んだのだ。

 セルゲイ大公殺害の任務を引き受けたカリャーエフは、同志のドーラに向かって自分の信念を語る。「だれも二度と殺人を犯さない世界を建設するために、ぼくたちは殺すのだ。大地がついには潔白な人びとで満ちあふれるためにこそ、ぼくたちは犯罪者となることを受け入れるのだ」。本来は相反するものである殺人と潔白が、ここでは関係づけられる。ロシアの民衆の潔白を実現するためにこそ、テロリストたちはみずから殺人者であることを受け入れる。しかし、『戒厳令』のディエゴはすでに、独裁者ペストのやり方は殺人をなくすと称して殺人を犯すことだと批判していた。民衆の潔白のために殺人を犯すテロリスト自身は、果たして潔白なのだろうか。この困難な問題をめぐって戯曲は展開される。
 潔白のためには殺人も必要であることを覚悟していたカリャーエフであるが、大公の馬車に子どもたちが同乗していることを知ったとき、爆弾を投げるのをためらう。ここから、カミュが創造した虚構の人物であるステパンと、カリャーエフの論戦が始まる。ステパンは、革命を実現するためにはどんな手段も許されるのであり、そこに「限界はない」と主張するが、それに対してカリャーエフはこう言う。「君のことばの裏には、やはり専制政治が顔をのぞかせている」。この「専制政治」は、『正義の人びと』執筆時の冷戦時代には左翼全体主義の巨大な国家の姿をとってあらわれていた。
 ステパンも正義を主張するが、正義の上にさらに潔白を要求する点において、カリャーエフはステパンとは異なる。「人間は正義だけで生きているのではない」、人間に必要なのは「正義と潔白」だと彼は言う。自分の身の潔白を守るため、カリャーエフは大公の甥と姪の命を助ける。そしてテロの犠牲者から奪うことになる命に対して自分の命を代償として差し出すことを覚悟する。それは、殺人が引き起こすニヒリズムに陥らないためにカミュが提示することができた唯一の解決法なのである。
 『正義の人びと』のドーラも同様に愛の権利を主張するが、彼女はロシアの圧政と闘う革命家であり、同志カリャーエフを愛しながらも、正義への愛を優先することを義務と考える。
 第三幕において、カミュの戯曲のなかでもっとも悲痛な愛の場面が二人のテロリストのあいだで展開される。ドーラはカリャーエフに、鎖につながれた人民の悲惨を忘れて自分を愛してくれるか、とたずねる。…人間たちはもはや愛するすべを知らない」。カリャーエフは、正義の集団的情熱に身を捧げている。しかし、愛を求めるドーラは、絶望的にこう問いかける。

「でも、だめね、あたしたちには永遠の冬なんだから。あたしたちは、この世界の人間じゃない、正義に生きてる人間なのよ。夏の暑さなんか、あたしたちには縁がないのよ。ああ!憐れな正義の人びとだわ!
 『結婚』で謳歌された夏は、この「永遠の冬」からはあまりにも遠い。ドーラにとっては、死こそが、カリャーエフとふたたび結ばれる唯一の避難所なのだ。幕切れ直前に、彼女の最後のせりふが痛切に響きわたる。「ヤネク!寒い夜に、そして同じ絞首刑で!これで何もかもずっと楽になるわ」。
 この作品は正義についての思想劇であると同時に、カミュにとってはまれな愛のドラマでもある。…『正義の人びと』では、…女優と劇作家の不可能な情熱恋愛が、政治的イデオロギーの議論の背後に忍び込んで、この戯曲の方向を定めたのだ。困難な愛の叫びが、反抗的抒情性とともに高まり、作品のあちこちから聞こえてくる。」

 今は、こんな学生時代と同様な命を賭けた「情熱」は持ち得ないが、カミュの出自たるアルジェ植民地の体験を持ち続けた彼の生きざまだけは伝わってきた。
 カミュの戯曲「正義の人びと」の典拠の一つになったのが、ロープシン「蒼ざめたる馬」であるが、こちらは、登場人物はすべて架空名となっている。また、ロシア的抒情か?、カミュは「政治的な緊張」に主体を置いているのに対して、いささかメロドラマ調が辛気臭くなっている。このあたりは、ザヴィンコフとカミュの気質の違いか、強いて言えば、ロシアとフランスの国民性が現れているのかもしれない。

四月十三日。

 エルナは私に云つた。
「あなたに合ふばつかりに生きてゐるやうに思へてよ。わたしあなたを夢に見ましたわ。わたしのお禱りはみんなあなたの爲めよ。」
「エルナ、お前は仕事を忘れてゐる。」
「わたしは一緖に死にましやうね.。…..ほんとにわたし、あなたとかうして居ると、小娘のやうな、赤ん坊のやうな氣がします。…..わたしはあなたに差上けるものは何んにも無いの······わわたしの愛だけ。受けて下さいね……」
 そして彼女は泣き出した。
「泣くな、エルナ。」
「わたしは嬉しくつて泣いてるのよ。······でもモウ止みましたわ。それ、泣かないでしやうね。わたしあなたにお話しゝ度いことがあるの。ハインリヒが……」
「彼がどうしたって!」
「まあ、そんな冷淡になさらないでね······ハインリヒが昨日わたしに、わたしを愛してるって、 言ったの。」
「え?」
「でもわたしはあの人を愛さなくつてよ。お存じでしやう。 わたしの愛するのはあなたけなのどう?嫉妬《やけ》て?どう?」彼女は私の耳にさゝやいた。
「嫉妬《やけ》る?馬鹿々々しい!」
「嫉妬《や》いちやいけなくつてよ。わたしあの人のことなんかちつとも思つてやしませんから。でも あの人はほんとうに可哀相。わたしそりお氣の毒に思ふの。しかしあの人の言ぶことをかな けりあならないとは思はないの。何だかあなたに裏切りでもするやうに思ったんですもの……」 「僕を裏切るつて!しかし、エルナ。」
「わたしはあなたをそんなに深く愛してるんです。それでもあの人はまた可哀相でならないの。わたしはあの人にお友達になりますつて云ひましたわ。お氣にかゝつて?」
「そんなことはないさ。エルナ。 僕は氣にしやしない。嫉妬もしない。」
 彼女は目を落した。惱んでゐた。
「あ、あなたはたどもうおかまひ無しなのねえ。」
「エルナ」と私は云った。「ある女達は、忠實な人の妻であったり、熱烈な戀人であったり、誠の深い友達であつたりする。しかし彼等は、優れたタイプの女ー生れながらの女王である女ーと較べものにはならんよ。 そう云ふ優れた女は、誰にも彼女の心を與へやしない。彼女の愛は、選ばれた一人に與へるすばらしい賜物なんだ。」
 エルナはオド/”\した眼をして聽いてゐた。それから彼女は云つた。
「あなたはまったくわたしを愛してるやしないのねえ。」
 私は接吻で彼女に答へた。彼女は私の頭を押付けて、囁いた。
「一緖に死にましやうね、え?」
「多分、そうだらう。」
  彼女は私の腕の中で眠りに落ちた。

四月十五日。

 ハインリヒの馬車に乘って出掛けた。
「どんな氣持だね?」私は彼に聞いた。
 彼は頭を振つた。
「あんまりいお役目ちやないね。」と彼は云つた。雨の中を、一日中で、馬車を驅るなんて。」
「全くだ。」と私は彼に云つた。それも、戀《こひ》に落ちてる時は、よけい不愉快だ。」
「何を知つてるんだい?」彼は素早《すばや》く私の方へ振返つた。
「何を知ってるつて?何にも知らない。知り度くもないさ。
「君は何でも嬉戲《ちやうだん》にしてしまふ。 ショーヂ。」
「そんな事ないよ。」
 私達は公園を通つた。キラ/\する雫《しづく》が、溢れた枝から、私達へふりかゝつた。芝生にはところ/”\に淺、<ママ>い綠の新しい草があつた。
「ジョーヂ!」
「え?」
「ジョーヂ。 爆發物の準備には、偶然の出來事が起る危險はないかね?」
「勿論、あるよ。偶然な出來事は、折々、起るよ。」
「すると、エルナは燒死んで仕舞ふね?」
「あるだらう。」
「ジョーヂ!」
「何?」
「何故、あの女にその仕事を委せておくんだ!」
「彼女《あれ》は黑人《くらうと》だ。」
「あ、あの女が!」
「そうだ。」
「誰かほかの人に能きないのか?」
「え?」
「出來ないこともなからう。しかし君はなぜそんなに氣にするんだい?」
「氣にしやあしない。たと知りたいんだ。」
 歸り路に、彼はまた私の方へ向いた。
「ジョーヂ。」と彼は云つた。
「もうぢきやる〈「やる」に傍點〉か?」
「うむ。」
「何時《いつ》?」
「二三週閒の中に。」
「誰かつれて來て、エルナの代りをさせることは、どうしても出來んか?」
「どうしても出來ん。」
 彼は靑い服の中で戰慄《おのの》いた。しかし何にも云はなかつた。
「誰かほかの人に能きないのか?」
「え?」
「出來ないこともなからう。しかし君はなぜそんなに氣にするんだい?」
「氣にしやあしない。たと知りたいんだ。」
 歸り路に、彼はまた私の方へ向いた。
「ジョーヂ。」と彼は云つた。
「もうぢきやる〈「やる」に傍點〉か?」
「うむ。」
「何時《いつ》?」
「二三週閒の中に。」
「誰かつれて來て、エルナの代りをさせることは、どうしても出來んか?」
「どうしても出來ん。」
 彼は靑い服の中で戰慄《おのの》いた。しかし何にも云はなかつた。
「いゝ日だ。ハインリヒ。くよ/\するな。 はしやげよ!」
「僕はいゝ氣持なんだ。」
「取立て誰かの事を氣にするな。そうするともつと幸福《しあはせ》になるよ。きっと。」
「分つとる。君が云はなくつてもいいよ。 さよなら。」
 彼は靜かに馬車を願って行つた。こんどは私が、長い閒、彼を見送つてゐた。

四月十六日

 私は自問する。私はまだエレーナを愛してゐるか?たゞ一つの影を、彼女に對する以前の愛を、 愛してゐるのではないか?ヴァニアの言つた事は正しいのではないか、私は誰も愛しない、愛す ることが出來ないのだと云ふことが?が、何故人は愛さなければならんのだ、要するに。
 ハインリヒはエルナを愛してゐる。 一生、 彼女だけを愛して行くだろう。しかし彼の愛は、 彼を幸福にはしない。私の愛は全く歡びなのに、彼のは反對に、彼を悲慘《みじめ》なものにする。
 私はまた退屈な旅館の、退屈な私の部屋に坐つてゐる。多數の人々が、私と同じ屋根の下に生きてる。私は彼等とアカの他人だ。私はこの町の石壁の中で、アカの他人だ。私は、何處でも、アカの他人だ。エルナは、自身のことは何にも考へないで、彼女の全存在を私に與へてゐる。が、私は彼女のことを氣にかけない。彼女の愛に報ゆるー何で?友情で?もしくは恐らく、友情と云ふ僞りの口實で?エレーナのことを思つてゐて、エルナに接吻する、何と云ふ馬鹿なことだ、 それでも、私のしてゐることは、それだ。しかし要するに、それが何だ!