読書ざんまいよせい(026)

◎トロツキー・青野季吉訳「自己暴露」

 私の父母は彼等の過勞な生活を、時に多少不和ではあつたが、槪して甚だ幸福に送つた。私の母は百姓を手の荒れてゐる故を以つて、見下げるやうな都會人の家から來てゐたのであつた。然し私の父は、若い時には男らしい、精力的な顏をした立派な人であつた。彼は後年彼をしてヤノウカを買收し得せしめたのと同じ手段で、二人が一緖になることに成功したのだ。都會から伴れて來られて、寂しい草土地方の眞中へ投出されたこの若い婦人は、最初彼女自身を農場生活の苛酷な狀態に適應させることの困難なのを發見した。然し遂に彼女は自らを完全に適應させることに成功した。そして一度その中に這入るや、彼女は四十五年の閒、遂にその仕事を放棄しなかつたのである。この結婚によつて生れた八人の子供の中四人が生き殘つた。私は出生順に云へば五番目である。四人の子供は幼いうちにヂフテリアと猩紅熱とで死んだ。死は生殘てゐる者の生と同じに、構ひつけられなかつた。土地、家畜、家鷄、製粉所等、私の兩親の時代に作つたものは、今では何一つ私達に殘つてはゐなかつた。農繁期は隔年に成功した。そして農場勞働の餘波は、家庭內の親和を一掃した。私達の家では殊に最初の頃は|やさしさ<傍点>と云ふものが皆無であつた。然し私の父と母との閒には强固な同志意識が存在した。
 父は、母が製粉所の埃で眞白になつて閾を跨ぐと、すぐ叫んだ。『お母さんに椅子を持つて行くんだよ。』
『マアシャ、早くサモワルをお焚き。』と母はまだ家に着かないうちに云ひつけた。『お前の御主人は間もなく野良から歸つて來るのぢやないか。』二人とも、肉體の疲勞が極限に達すると、その結果がどうなるかを知つてゐたのである。
 父は知識に於ても人物に於ても明かに母に勝つてゐた。彼は思慮深く、控へめで如才なかつた。彼は物事に對しても人間に對しても、竝々ならぬいゝ眼をもつてゐた。私の父母は、特に私達の幼少時代には餘り買物をしなかつた。彼等は二人とも、如何にしてー錢づゝを貯蓄すべきかを知つてゐたのだ。父は、彼の圍つた反物、帽子、靴、馬又は機械に決して失敗したことがなくいつも金目を生かした。『俺は金が嫌いだ』と彼は嘗てずつと後になつて、金が欲しさうに見えることを辯解するやうに私に話したことがある『然し一文もない時には多少好きさ、金が必要なのにないと云ふことは惡いことさ。』彼はウクライナ語の勝つたロシア語とウクライナ語の混合した無茶苦茶な言葉を使つた。彼は人々をその動作や、顏付きや、習慣で判斷した。それでいつも正確に判斷してゐた。
『私は、あんた方くらゐの學生さんは嫌ひだよ。』父は.時々私達の御客さんに向つて、かう云ふことがあつた。『白狀しなさい、あんた方自身でも、そんな學生が馬鹿だつてことを考へませんか?』私達は私達の友人のために氣を惡くした。だが胸の中では父の方が正しいことを知つてゐた。父は一度人の家を訪問すると、速座にその家庭の現狀を正確に云ひ當てた。
 母は澤山の子供を產み、過度の勞働をしたので病氣になつて、カルコフまで醫者の診察を受けに行つたことがあつた。さうした旅行は大事件だつたので、そのために色々な支度が調へられた。母はお錢や、バターの壺や、美味いビスケットの罐や、鷄のフライや等々を與へられて段々良くなつて行つた。が彼女の前途には澤山の支出が必要だつた。ー囘の診察に三ルウブルかゝつた。私の兩親は、科學の恩惠に對する彼等の尊敬を、彼等が餘りに高い金を拂ひ過ぎた後悔を、また彼等にとつては聽いたこともない額の金を支拂ふことの出來た彼等の誇りを、手眞似や表情をもつて、お互ひにもお客にも話して聽かせた。私達は母の歸りを首を長くして待つた。母はヤノウカの私の家の食堂では、信じられないやうな立派に見える新しい着物を着て歸つて來た。
 私達がまだ幼かつた頃、父は母よりも私達に物靜かで溫厚であつた。母は時々何んの理由もないのに私達に腹を立てゝ、彼女の疲勞や煩悶を何にか家內の過失にことよせた。私達はいつも父に庇護を求める方が母に求めるよりも有利であることを發見した。然し年を經るに從つて父は嚴格になつて行つた。この原因は、彼の生活の困難、彼の仕事が增へたゝめの心配、殊に『八十年代』の農業不況時代から來た事情と、彼の子供達によつて與へられた失望とにあつたのだ。
 母は、ヤノウカが草土地方の凡ゆる隅々から吹きよせて來る吹雪に蔽はれ、雪が窓の高さにまで積る頃の永い冬の閒を、讀書をすることが好きであつた。母は彼女の足を前の椅子に乘つけて、食堂の三角椅子に坐つてゐるか、或ひは日脚の早い冬の薄明りが落ちかゝつた時には、彼女は小さな凍つた窓の側にある父の肘掛椅子に移つて、ボブリネツツの圖書館から持つて來た古い小說を、勞働に荒れた指で辿りながら音讀した。彼女は特に長い文章に行き當ると、行き詰つて口籠つた。時には子供の中の誰かの說明で、彼女は、彼女の讀んでゐた小說について、全く新しい光が與へられることがあつた。然し彼女は忍耐强く、倦むことを知らずに讀書を續けた。そして靜かな冬の日に、私達は、彼女の單調なひそ/\ 聲を、向ふの廣閒から聞いたものだつた。
 父は私の著書の表題の字だけでも讀めるやうになりたいと云ふので、可成りの老人にかゝはらず、單語の綴りを勉强してゐた。私は一九一〇年に女をつれてベルリンへ勇んで行つたが、その時父は私の獨逸社會民主々義に關する著書を忍耐强く理解しようと試みてゐる。十月革命は私の父を非常に幸運な人として發見した。母はー九一〇年に死んだが、父はソヴイエツ卜の支配を見るまで生きてゐたのだ。南部地方では特種の憤激をもつてかき亂され、政府の連續的變更が行はれた內亂の絕頂に當つて、七十歲になつた老人が、オデツサに避難所を求めるべく、數百哩を步かされたのである。赤軍は彼が金持ちであると云ふので迫害したし、白軍は彼が私の父であると云ふので虐待した。南部地方がソヴイエツトの軍隊によつて、白軍から奪還された後で、彼はモスコウへ歸ることが出來た。彼は革命で彼の全財產を失つた。一年以上もの間、彼はモスコウ附近の小さな國立製粉所に働いてゐた。當時食物代表委員であつたチユヴルパは、彼と胸襟を開いて農業上の問題を語り合ふことを樂しみにしてゐた。父は一九二ニ年の春、恰度私が第四囘コムミユニスト・インタナシヨナル會議で、私の報吿書を朗讀してゐた恰度その時に、チブスで死んでしまつた。

 ヤノウカに於て非常に大切な實際上最も肝要な場所は、イヷン・ワシリエヴヰツチ・グリエーベンの働いてゐた鍛冶場であつた。彼はそこへ二十歲の時、恰度私が生れた年に來たのであつた。私達は彼に丁寧に『あなた』と云つてゐたにも拘らず、彼は凡ての子供に、可成り大きい子供にまで 『お前』と云つて話しかけた。彼が從軍のための屆出をする時には、私の父は彼と一緖に行つた。彼等は誰だかに贈賄して、グリエーベンはヤノウカに止つた。このイヷン・ワシリエヴヰツチは立派な男で、才能もあつた。彼は赤黑い口髭を生やし、頤鬚をフランス風に刈つてゐた。彼の技術上の知識は該博であつた。彼はエンヂンを造り變へ、ボイラーを修繕し、木や金のボールを作り、眞^の軸承を鑄造し、馬車をこしらへ、時計を繕ひ、ピアノを調節し、家具を造り付け、タイヤのない自轉車を造ることが出來た。私が初等科と第一級との閒にゐた年に、自轉車に乘ることを覺えたのは、彼の造つた自轉車によつてゞあつた。近鄰の獨逸の移住者達は、彼のところへ播種機や結束機を修膳しに持つて來た。また脫穀機や蒸汽エンヂンを買ひに伴れて行くために、彼を招待した。人々は父には農業に關する助言を求めに、イヷン・ワシリエヴヰツチの所へは機械についての相談をしにやつて來た。機械場には助手と弟子とが雇ひ込まれた。種々な意味で私はその弟子の生徒であつた。或時私は螺旋止めの溝を切ることを許されて、機械場で螺旋廻《ねじまは》しを廻したことがあつた。私はかうした仕事は直ちにその直接の結果が解るので好きだつた。私は或時塗料の原料を圓い滑つこい石の上で挽かうとしたが、すぐ疲れてしまつた。そして再三再四もうお終ひに近いかどうかを訊ねた。イヷン・ワシリエヴヰツチは指で混合物を攪廻しながら頭を振つた、そこで私はその石を弟子の一人に渡してしまつた。
 イヷン・ワシリエヴヰツチは、時々、仕事椅子の背後の隅にある箱の上に、道具をもつたまゝ坐つてゐた。彼は煙草を啣へて遠くを眺めながら、大分何かを考へてゐるか、何事かを思ひ出さうとしてゐるか、或ひは單に何事も考へないで休んでゐるかした。そんな時に私も彼の側に坐つて、彼の深い赤鳶色のロ髭を私の指に卷いたり、職人として失敗する事のない彼の手を檢査したりした。彼の皮膚は臼石《うすいし》を刻む時に出來た小さな黑子《ほくろ》でいつばいだつた。彼の指は木の根のやうにがつしりしてゐたが固くはなかつた。そしてそれらは先が廣がつてゐたが、非常にしなやかで、彼の拇指はアーチ型をなして後ろへそり返つてゐた。指は一本々々意識的で自由に動いた。然しそれが一緖になつて效果的な勞働同盟を形造つてゐた。私はまだ非常に幼なかつたのだけれども、旣にその手は他の手のやうにハンマーやペンチを持つた手でないことを感じた。深い疵痕が彼の左手の拇指に丸くついてゐた。イヷン・ワシリエヴヰツチは、私の誕生日に、手斧で殆どそれを切落したのであつた。それは殆ど皮一枚になつてぶら下つた。その時父はたま/\若い技手が彼の手を枝の上に載せて、彼の拇指全體を切斷しようとしてゐるところを見付けた。『待つた待つた』と父が叫んだ。『君の指はまた伸びるよ』『あなたは、これがまた伸びると思ひますか?』G技手はさう云ひながら、手斧を側へ置いたのであつた。その後拇指は伸びて、他の指のやうにぐんと後ろへそり返らないだけで再びよく動いてゐた。
 一度イヷン・ワシリエヴヰツチは、古いベルダン銃で、短距離銃を造つて、彼の射手として手練を試みた。皆が交互に、數步離れた所から引金を引いて蠟燭を消すことを試みた。誰も成功した者はなかつた。父が恰度通りかゝつた。そして鐵砲を肩に當てた時に、彼の手は震へて銃が安定しなかつた然し彼は最初のー發で蠟燭を消した。彼は何事に對してもいゝ眼をもつてゐた、そしてイヷン・ワシリエヴヰツチはそれを知つてゐた。父は他の勞働者を叱つたり、その仕事の失敗を見つけたりしたが二人の間では決して爭ふことはなかつた。

読書ざんまいよせい(024)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(007)


編者注】対ウクライナ侵略戦争の激戦地、マリウポリは、チェーホフの生誕地、タガンロフのすぐ隣地だとわかる。一刻も早く、戦争状態が止むことを切に望む。

 吃り吃り馬鹿げたことを喋る男と、毎日食卓を共にするのは堪らない。

 まるまると肥った、いかにも美味そうな女を見て。――こりゃあ女じゃない、満月だ!

 御面相から判じると、胴着の下にどうやら鰓でもついていそうな女。

 笑劇のために。――Kapiton《カピトーン》 Ivanych《イヴアーヌイチ》 Chirij《チリイ》*.
*腫物の意。

 税額査定員と内国消費税吏が、訊かれもしないのに自分の地位を弁明して言う――「面白い仕事ですよ。やることは山ほどあるし、何しろ生きた仕事ですからね。」

 彼女は二十のころZを恋していたが、二十四のときNに嫁いだ。恋愛ではなく、見込みをつけての結婚だった。つまりNを善良で聡明で考えのしっかりした男と思ったのである。N夫婦の仲は円満で、羨望の的になる。まったく彼等の生活は坦々と順調に流れて行く。彼女は満足で、恋愛の話が出ると、夫婦生活に必要なのは恋愛でも情熱でもなく、親しみなつく心だという意見をはく。ところが、不図した拍子に心の琴線が奏ではじめて、胸のなかのあらゆる思いが、春の氷のように一時にひらいた。彼女はZのことや、彼への自分の恋を思い出した。そして、自分の生活はほろびてしまった、もう取返しはつかない、自分は不仕合せな女だと、身も世もあらず思い悶えた。それもやがて忘れた。一年の後、また同じ発作に襲われる。新年を迎えて、「新しい御幸福を」と人に言われたとき、本当に新しい幸福が欲しくなった。

 Zが医者のところへ行く。医者は診察して心臓が悪いという。Zは急に生活法を一変して、強心剤《ストロファンチン》を用い、病気の話ばかりする。で、町じゅうの人が彼の心臓の悪いことを知ってしまう。かかりつけの医者たちもやはり、心臓が悪いと言う。彼は結婚もせず、素人芝居にも出ず、酒も断ち、息をころしてそっと歩く。十一年たってモスクヴァへ出て、大学の先生に見て貰う。その先生は心臓はまったく健全だという。Zは喜ぶ。が、早寝と静かな歩調に慣れてしまった今では正常の生活に戻ることは出来ない。それに病気の話をしないと今では退屈でならない。医者たちを怨むだけで、ほかにどうしようもなかった。

 女は芸術に魅せられるのではない。芸術の取巻き連の立てる騒音に魅せられるのだ。

 劇評家Nは女優Xの情人である。彼女の祝儀興行。脚本も駄作なら演技も拙劣だが、Nはいやでも褒めなければならぬ。彼は手短かに書く、「脚本も花形女優もともに大成功。委細は明日。」最後の二語を書いて彼はほっと息をついた。翌日Xのところへ行く。女は扉をあけ、キスと抱擁を許してから、意地わるな顔をしていう、「委細は明日!」

 Zがキスロヴォックか何処かの温泉場で、二十二歳の娘と一夜の縁をむすんだ。貧しい実意のある娘なので可哀相になって、約束の金のほかに二十五ルーブルを用箪笥の上に置いて、善根を施したあとのいい気持でその家を出た。そのうちにまた行って見ると、例の二十五ルーブルで買い込んだ贅沢な灰皿と毛皮帽子が目についた。娘はというと、またしても腹をすかして、こけた頬をしている。

 Nは地所を抵当に貴族銀行から四分の利息で金を借りる。その金を、やはり地所を抵当に一割二分の利息を取って貸す。

 貴族だと? やっぱり醜悪な形体と、肉体的不浄と、痰と、歯の抜けた老年と、嫌悪すべき死と――町人女も同じことさ。

 Nは記念撮影のときは必ず一同よりも前に立ち、祝辞には一ばん上に署名し、記念式ではイの一番に演説をする。「ほう、スープですな! ほう、揚菓子ですな!」と、しょっちゅう驚いてばかりいる。

 Zは来客が多いのに閉口した。そこでフランス女を傭い入れた。月給を出して、妾という触込みで住み込ませたのである。これが婦人連に衝動を与えて――誰も来なくなった。

 Zは葬儀屋の松明《たいまつ》担ぎをしている。理想主義者である。『葬儀屋で』。

 NとZとは温順しい、心の濃やかな親友同士だったが、連れだって人中へ出ると、すぐもうお互いに毒口を利きはじめる。――きまりが悪いのである。

 愚痴。――うちの息子のステパンは身体が弱いので、わざわざクリミヤの学校へ入れてやりました。するとあの子は葡萄の蔓《つる》でぶたれて、そのためお尻のへんに葡萄虫《フィロクセラ》が附きました。今じゃお医者様も手のつけようがありませんの。

 ミーチャとカーチャはお父さんから、石切場で岩山を爆発する話を聞いた。そこで怒り虫のお祖父さんを爆発して見たくなって、お父さんの書斎から火薬を一|露封度《フント》もち出した。それを壜一ぱいに詰め込んで、導火索《ひなわ》を引いて、昼寝をしているお祖父さんの肱掛椅子の下に装置した。ところが軍楽隊が通ったので、この計画は辛くも実行を妨げられた。

 眠りは玄妙不可思議なる自然の神秘にして、人間の凡ゆる力を心身ともに一新せしむ。(僧正ポルフィーリイ・ウスペンスキイ『わが生涯の書』)

 ある奥さんが、自分は人並外れた特別な体質の持主で、したがってその病気も特別なもので、とても普通の薬では間に合わないと思っている。自分の息子も世間なみの子ではないから、特別な育て方をしてやらなければならぬと思う。世間のしきたりを認めない訳ではないが、それは一般の人が守るべきもので、彼女にだけは当て嵌らないと考えている。自分だけは例外的な条件のもとに生きているからである。息子が大きくなったので、彼女は何か特別な嫁を捜してあるく。まわりの者が迷惑する。息子は出来損いだった。

 憐れむべき多難の芸術よ!「奥さん、ほら天童《ケルビム》を担いで来ましたよ!」(教会の旗*)。
*旗には天童の像がついている。それを洒落れて言った。

 自分が幽霊だと思って気が狂った人。夜更けになると歩き廻る。

 ラヴローフ型のセンチメンタルな男が、甘い感動にひたりながら、こんなことを頼む、「ブリャンスクの叔母さんに手紙をやって下さい。とても可愛い人ですよ……」

 納屋はいやな臭いがする。十年前に草刈人夫が寝泊りして以来、この臭いがついた。

 士官が診察して貰いに来る。お金が盆の上に載っている。患者がその盆から二十五ルーブル取って、それで払いをしたのを、医者は鏡の中でちゃんと見ている。

 ロシヤは官立の国だ。

 Zは陳腐なことばかり言う。「若熊のような敏捷さで。」また、「人の痛い所を。」……

 貯金局。そこに出ている役人は非常にいい男だが、貯金局を軽蔑して無用の長物だと思っている。――そのくせやっぱり勤めている。

 急進的な婦人。夜なかに十字を切る。内々《ないない》は色んな偏見で一ぱいで、人しれず迷信家である。幸福になるには夜なかに黒猫を煮るがいいと聞く。猫を盗んで、夜なかに煮ようと試みる。

 出版者の創業二十五年祝賀会。感涙、演説――「文芸基金として金十ルーブルを義捐つかまつり、その利子を貧苦に悩む作家に授与いたそうと存じます。但し授与規定の作成のため、特別委員会を指命致したく存じます。」

 彼はルパーシカ一枚で押通して、上衣を着ている人間を軽蔑した。そんな国粋主義は、ズボンで甘酒を製るのも同じだ。

 まるで患者が温浴をしたあとの牛乳で製ったようなアイスクリーム。

 見事な建築用材の森があった。林務官が任命された。――すると二年後には森はもうない。蚕の蛾が発生して。

 X曰く、「クヴァス*をやったら腹の中がコレラみたいな騒ぎを起しちまって。」
*ライ麦製の無色飲料。

 一作ずつ切り離して見ると光っているが、全体として見ると頼りない作家がある。一作一作には何の特異さもないが、全体として見ると頼もしく光っている作家もある。

 Nが女優の家の呼鈴を押す。おろおろして、動悸が打って、とうとう怖気づいて逃げだす。女中が開けて見ると誰もいない。彼はまたやって来て呼鈴を押す――が、やっぱり上り込む決心がつかない。挙句のはてに門番が出て来て彼をどやしつけた。

 おとなしい物静かな女教師が、内証で生徒をぶつ、体刑の利き目を信じていたから。

 N曰く、「犬ばかりじゃなく、馬までが吠えました。」

 Nが嫁を貰う。母親と妹は彼の妻に無数の欠点を見出して、とんだ嫁を貰ったと嘆く。三年か五年してやっと、彼女も自分たちの同類だと納得がゆく。

読書ざんまいよせい(023)

◎正岡子規スケッチ帖(003)

①七月二日曇 山形ノ桜ノ実
②七月十日雨 昨日来モルヒネノ利《き》キスギタル気味ニテ昼夜|昏々《こんこん》夢ノ如ク幻ノ如シ 食欲少シモ 無シ 今朝|睡起《ねおき》漸《ようや》ク回復ス 午餐《ごさん》ヲ食シ了《おわ》ツテ巴旦杏《はたんきょう》〔スモモ〕ヲ喫ス 快言フペカラズ
③七月十四日小雨 桃二顆
④七月十六日曇 夏蜜柑又|夏橙《なつだいだい》

岩波文庫には、第二部、第三部として、当時の新聞論調や諸家の批評が載っている。このうち、版権が消失している分から、収録する。

第二部 子規の絵画観

「明治二十九年の俳句界」より

(四)

 印象の明瞭なる句を作らんと欲せば高尚なる理想と茫漠たる大観とを避け、成るべく客観中の小景を取りて材料となさざるべからざること既に之《これ》を言へり。印象の明瞭といふ事は美の一分子なれども一句の美を判定するは印象の明不明のみを以《もっ》てすべからざること勿論なり。印象の不明なる句の中に幽玄深遠なる者もあり。印象の明瞭なる句の中に浅薄無味なる者もあり。即《すなわ》ち印象不明なるがために却《かえ》って善く印象明瞭なるがために却って悪しき者さへあるなり。然《しか》れども碧梧桐《へきごどう》の特色は多く印象明瞭なる処《ところ》に在り且《か》つ其《その》好むところ亦印象明瞭なる一方に傾くを以て吾人が此《ここ》に論ずるところも亦此一点に在り。
 印象明瞭といふことは絵画の長所なり。俳句をして印象明瞭ならしめんとするは成るべくたけ絵画的ならしむることなり。内容に限りある俳句は到底複雑精緻なる絵画を学ぶ能《あた》はざるを以て簡単明快なる絵画を学ばざるべからず。絵画にー枝の花、一羽の鳥、数顆の菓物、婦人半身の像あるが如き碧梧桐の俳句と相似たる者なり。此の如き絵画、此の如き俳句は写生写実に偏して殆《ほとん》ど意匠なる者なし。精密帮言にへば意匠無き絵画、意匠無き俳句はあるべからざる筈《はず》にてー枝の梅も数顆の梨も其形状の上に於て配置の上に於て多少の撰択と取捨とを要すること勿論なれども他の理想の多き者に比して殆ど意匠無しといふて可なるべし。此意匠無き絵両俳句が美術文学の上に幾何《いくばく》の価値を有するかといふは一疑問に属す。
 理想に偏する人は此の無意匠の著作を嫌ふて浅薄無味|蠟《ろう》を嚙《か》むが如しと為す。普通一般の人も亦之を見て何等の興味をも感せず。而《しか》して此柿の絵両を見て多少の感を起す者は絵画の技術に経験ある者と些《いささか》の智識も無き田舎の爺様婆様の徒を多しとす。(俳句は専門家の感を起すこと同様なれども、爺婆を感ぜしむること能はず。蓋《けだ》し俳句は文字といふ符号を用うるを以て全く無教育無知識の若を絵両の如く直覚的に感ぜしむる能はざるなり)爺婆の感ずる所は「ああ美しい」と感じ「本とうの物のやうだーと感ずるのみにして専門家の複雑なる感情を起す者と同じからずといへども「本とうの物のやうだ」と感ずる一点に至りては両者密も異なることなく、専門家の第一要点として見る者亦実に此処《ここ》に在り。是れ専門家は技術の熟練に感ずる者にして多くは自家の経験より出づ。之を排斥する者には二説あり。日く 一花ー烏の簡単なる事物は尋常にして無味を免れず、同じく写生なりとも今少し珍しき事物、複雑なる事物を写すべしと。日く写生は天然を写すなり。然れども吾人の美術家に望む所は天然よりも史に美なる者を写すに在り。美術家は高尚なる理想を写し出ださざるべからずと。
 第一説は簡単と複雑との美の比較にして(此説を極論すれぱ第二説となるべし)説者は複雑を以て簡単よりも美多きものと為すなり。此小に就きては曽《かつ》て屬々《しばしば》論ぜし所あるを以てここに詳論せずといへども、要するに吾人は此説を否定し、複雑なる者の美、必ずしも簡単なる者よりも多からずといふなり。即ち簡単なる器にして複雑なる者より善きもあり、又複雑なる者にして簡単なる者より悪きもあるなり。例へばー株の牡丹を画く者必ずしもー園の牡丹を画く者に劣らず、石版摺《せきはんずり》の楠公《なんこう》父子訣別の図は必ずしも抱一《ほういつ》[酒井抱一〕上人の一花草の図に勝《まさ》らざるなり。
 説者日く子の言必ずしも偽ならず、然れども大体に於て複雑なる者は簡単に勝ると。吾《われ》問ふて日く大体とは如何《いか》なる意ぞ。説者答ふる能はず。少題《しょうけい》〔しばらくの間〕口を開いて日く、簡単にも美なる者あり。然れども簡単にして最も美なる者と複雑にして域も美なる者とを比較せば、簡単なる者は必ず複雑なる者に劣るべしと。吾日く是れ殆ど比較すべからざる事なり。美術の価値は比校的の者なれば自ら見たる画の外《ほか》に最上の美なる者を想像すべからず、縦《よ》し想像し得たりとも其が最上の画なりや否やを知るべからず。一歩を譲りて子の実験中の画に就きて之を言ふも子が複雑の方を可とするに反して、簡単の方を可とする者もあらん。画の価値が評者によりて多少の相違あること致方《いたしかた》も無きことにて固《もと》より之を判定すべき法律も無ければ、各自の標準を以て判定するより外なけれども、吾は複雑を以て簡単に勝るとするの説には賛せざるなり。さりながら簡単を以て複雑に勝るとも主張するに非ず。吾は簡単の美と複雑の美と各特色ありて必ずしも優劣を判する能はずとするなり。只《ただ》製作の上に於て簡単なる者は変化少く複雑なる者は変化多し。従って多数の意匠を得ることは複雑なる若简単なる者に勝れり。是れ数に於て見易き道理にして吾も之あるを認む。然れどもこれは美の区域の広狭にして美の程度の高低に非《あらざ》るなり。

(五)

 第二説は純粋の写生といふ事を非難するなり。絵両にして純枠のゆ牛たる以上は画家の意匠の上に殆ど見る可き者なく貴ぶべきなしといヘども、写生の技術にして巧ならば其技術の上だけにても人を喜ばしむる筈なり。説者若《も》し写生の技術を斥けて、开《そ》は写真師の撮影術に巧拙あると一般普通の技術として見るべきも美術として見るべきに非ずと言はばそれ迄《まで》なり。されども撫子《なでしこ》の花を両いて撫子に似たらば実際の撫子を見て起すだけの感は画を見ても起る筈なり。説者若しそれをも擯斥《ひんせき》して、画にして此の如きものならんに実物を見て足れり、画を見るに及ばずといはば、これもそれ迄なり。
 此種の人多くは画家に向って極めてむつかしき注文を為す人にして共むつかしき注文に合はざる普通の絵画を以て無用とするなり。其の注文必ずしも悪《あし》きに非ず。或は其注文には最も高尚純潔なる観念を含むことさへあれば画家は此の注文にも応じて製作せざるべからず。しかはあれど画家の翺翔馳駆《こうしょうちく》すべき区域は此むつかしき注文が命令する程の狭隘《きょうあい》なる者に非ず。人間が感じ得べき美の種類も或る理想家が感ずる如き特種の者に限られざるなり。
 今ここに一本二本の野花を巧《たくみ》に画きたる者ありと仮定せよ。吾は之を見て美を感ずべし。少くも天然の実物を見て起すだけの感を起すべし。否《いな》実物を見るよりも更に美なる感を起すことさへ少からず。是れ其形状配置の巧なるにも囚《よ》るべけれど又周囲に不愉快る感を起すべき者無きにも因るべし。即ち絵画の材料として美なる者のみを摘み来りしに因るなり。縦《よ》し一歩を退いて此等の実物以上の感無しとするも絵画は厳冬の候に当りて盛夏の事物を見せ得べく、一室の中に在りて山野の光景をも見せ得べし。曽て見たる者をにても再び見せしむるも絵画の力なり、未だ見ざる所を実に見るが如く明瞭に見せしむる絵両の力なり。写生の一点より論ずるも絵画にして幾多の変化せる.天然の美を容易に眼前に現出するの功あらば猶《なお》美術として存ず<ママ>べきにあらずや。況《いわ》んや純粋の写生にも猶ほ多少の取捨選択あるをや。
 然るに或る理想家が全く之を排して無用の者と為すは其実《そのじつ》、天然美の模写を以て無力と為すのみにあらずして犬然物|其物《そのもの》の美を感ぜざる者多に居る。一草一木の画を見て何等の感を起さぬ人は多く実物の一草一木を見て感を起らぬ人なリ。此種の人の美と感ずるは多く天然にあらずして人間に在り。天然的に見たる人間にあらずして人情的に見たる人間に在り。即ち人間の美は大然の美よりも多しといふに在り。吾の説は之を否定して人間の美必ずしも天然の美より多からずといふなり。或は忠孝を以て美の極致と為し或は恋愛を以て美の極致と為す器あれども吾は必ずしもしか思はず。非情の草木、無心の山河亦た時に之に劣らぬ美を感ぜしむるなり”此の説は略々《ほぼ》前の簡単複雑の説と同一致なる者なれば復《ま》たここに言はず。天然は多く簡単にして人情は多く複雑なりとの一語を言ふを以て足れりとすべし。
 以上主として絵画に就きて論じたれども俳句に於けるも同じ事なり。吾人は此等の点に於て絵画を論ずるも俳句を論ずるも共他の文学美術も同一ならざるべからずと信ずるなり。世人或は文学を重んじて絵両を軽んずる者あり。或は理想を絵両に要求せずして文学にのみ要求する人あり。吾人は此等の謬見《びゅうけん》を破らんがために、且つ印象の点に於て其極端を現さんがために特に絵画を論じたり。絵両を詳論したるは即ち俳句を詳論したるなり。
〔「日本新聞」明治三十年一月六日、一月七日付]

参考】
・復本一郎編「正岡子規スケッチ帖」(岩波文庫)
・国立国会図書館デジタルコレクション「正岡子規 果物帖」

読書ざんまいよせい(022)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(006)

 悪には抗しえないが、善には抗しうる。

 彼は坊主のように権門に媚びる。

 死人に恥辱はない。だがひどい悪臭を放つ。

 敷布の代りに汚ないテーブル掛。

 ユダヤ人Perchik.*
*小っぽけな胡椒。

 俗物が会話のなかで――「そのほか何《なん》が<傍点>ら何《なん》まで。」

 大ていの富豪は図々しくって自惚れの強いものだが、その富をまるで罪のように背負っている。もしも貴婦人や将軍が慈善の催しに彼の寄附を求めず、貧しい学生も乞食もいなかったら、彼は定めし憂鬱と孤独を感じることだろう。もし乞食がストライキを起して、一さい彼の施しを求めぬことに申し合わせたら、彼は自分から出掛けて来るに違いない。

 夫が友人たちをクリミヤの別荘へ招待する。あとで妻は、夫には黙って勘定書をそのお客さんたちに出して、間代と食事代を受けとる。

 ボターポフは兄と親交を結んで、それが妹への恋のもとになる。妻と離別をする。やがて息子が、兎小屋のプランを送って来る。

 ――僕はうちの畠に豌豆《えんどう》と燕麦を蒔いたよ。
 ――つまらんことをしたものだ。Trifolium(苜蓿《うまごやし》)を蒔けばよかったのに。
 ――豚を飼いはじめたのさ。
 ――つまらん。有利でない。仔馬を飼った方がいい。

 友情に厚い少女が、非常に美しい動機から、困ってもいない親友Xのために寄附金を募って歩いた。 何故こうも屡〻コンスタンチノープルの犬*のことを書くのだろう。
*コンスタンチノープルは野良犬の多いことで有名。

 病気。――あの男は水療法《みずりょうほう》に罹ってね。

 知人の家へ行くと、ちょうど夜食の最中で、お客が大勢いる。とても賑かだ。隣り合う婦人連と世間話をしたり、葡萄酒を飲んだりで私は愉快だ。とてもいい気分。突然Nが検事みたいな荘重な顔付で立ち上って、私のための乾杯の辞をやる――「言葉の魔術師よ、理想の影が朦朧と消えゆく現代に残された理想よ……願わくは聡明にして久遠なるものを種播《たねま》かれんことを……。」私は、それまですっぽりと頭巾をかぶっていたのに、その頭巾を取られて、銃の先で狙われるような気がした。スピーチが済むと、杯を打ち合わせて、それから沈黙。座は白けてしまった。「さあ、貴方が何か仰しゃる番よ」と隣席の婦人が言う。だが何を言えばいいのか。私はその男に酒瓶でも投げつけてやりたかった。で、胸の底に沈渣《おり》が溜っているような気持で寝床につく。「見給え、見給え、諸君。この席には何という馬鹿者がいるのだ!」

 小間使が寝床を直すたびに、スリッパを寝台の下のずっと壁際へ投げ込んで置く。肥っちょの主人が到頭かっとして、小間使を追出そうとする。ところがこれは、肥満症を癒すためスリッパを成るべく奥の方へ投げて置くように、医者が彼女に命じたものと判明した。

 あるクラブで、会員一同が不機嫌だったばかりに、さる立派な男を落選させた。そして彼の将来を台無しにしてしまった。

 大きな工場。若い工場主が皆を「お前」呼ばわりして、学士号のある部下たちに暴言を吐く。ドイツ人の庭男だけが勇敢にも憤慨した。――「お前《めえ》何を言うだ、この金袋め!」

 Trachtenbauer《トラフテンバウエル》という苗字の、ちっぽけな豆みたいな生徒。

 新聞で大人物の死を知ると、そのたびに喪服を着る男。

 劇場で。ある紳士が、前にいるレディの帽子が邪魔になるので、脱いで下さいと頼む。不平の呟き、腹立たしさ、歎願。とうとう白状に及ぶ、「奥さん、私が作者なんですよ!」――その返事、「あたし別に構いませんわ。」(作者は人目を忍んでこっそり劇場に来ている)

 賢く振舞うには、賢いだけでは足りない。(ドストエーフスキイ)

 AとBが賭をする。Aはその賭でカツレツを十二皿きれいに平らげる。Bは賭金を払わないのみか、カツレツの代まで払わない。

読書ざんまいよせい(020)

◎蒼ざめたる馬(005)
ロープシン作、青野季吉訳

◎蒼ざめたる馬(004)
ロープシン作、青野季吉訳

 四月六日

 復活祭の前週間は過ぎた。今日、楽しいは鳴り響いてゐる。復活祭の日曜日だ。夜は、投び 満ちた行列、キリストの讃美の中に、過ぎた。街々は朝から澤山の人出がして、林檎一つ落ちる 余地もない。頭に白いハンカチーフを巻いた百姓女、兵隊、襤褸を着た食、制服の學生 彼等はみんな接吻したり、 向日葵の種を噛んだり、お僥舎《しやべ》りをしたり、笑ったり、無駄口をたさいたりしてゐる。赤い復活祭の卵や、しやうが<傍点>餅が路傍で賣られ、色のついた風船がリボンにつながれてゐる。群衆は、巣の中の密蜂のやうに、ブンブン鳴りざめいてゐる。
 少年時代に私達は、四旬齋《レント》の六週間のあひだ聖晩餐の仕度をした。 丸一週間斷食をして、式の日にも、晩餐の儀禮のすむまでどんな食べ物に觸れなかつた。それから五週間目《パツシヨンウイク》が来た。 ……おゝ、私達の跪拝の狂熱、會堂に展けられた救世主の御慕への熱情的な密着! 「主よ、われらが罪を赦させ玉へ。」復活祭の朝々は、天國のやうな感じを與へた。蠟燭の輝き、蠟の匂ひ、僧侶の雪白な法服、金色の龕があつた。・・・・・興奮で息が詰りそうであつた。キリストはすぐ甦り玉ふか?
 私達は清められた復活祭のバンの一片を持つてすぐ家に歸らうか?
 家では、すべてがお祭りの仕度になつてゐた。復活祭の全週間はお祭り日であつた。
「お占ひなされ、旦那さま。」一人の小娘が私の手に封じ物を押し入れた。
 小娘は裸足で襤褸を着てゐる。お祭りらしい様子は何にもない。 彼女から買った灰色の紙に、次のやうな豫言がある。
「悪運に追廻さるとも、希望を棄つる勿れ、失望に道をゆづる勿れ。汝は大いなる困難に打克ち、運命をして汝にその車輪を向けしむるならん。汝の企は、汝の思ひしよりも更に一層大いな る、全き成功を以つて飾らるゝならん。」
 そうだ、私にとって、これは佳い復活祭の卵ではないか?

 四月七日

 ヴァニアは他の人達と一緒に、馭者立場に暮してゐる。彼は腰掛の上に彼等と喰付いて眠る。彼は共同釜で食つてゐる。 自分で馬の手入れをして、馬車の掃除をする。 彼は馬車を驅って、終日、街中で費す。彼はこぼ<傍点>さない。彼の仕事にすつかり満足してゐる。
今日、彼は新しい着物を着て居り、頭髪は鮮やかに油をぬられて、長靴は氣持よく鳴る。
 彼は私に云つた。
「遂に復活祭が来た。それは善い・・・・・・キリストは甦った。眞實だよ、ジヨーヂ。」
「うむ、何が善いことだい?」
「あゝ、君は・・・・・・君は悦びを持つてゐない。君は、萬象を在りのまゝに受取らないんだ」
「君はそうか?」
「僕?そりあ全く別だ。しかし僕は君が気の毒だよ、ジヨーヂ。」
「気の毒だ?」
「そうだ・・・・・・君は誰をも愛さい。 君自身をさへ愛さないんだ。・・・・・・僕等の立場《たちば》に。一人の馭者がゐる、チツホンと云ふんだ。色の黒い髪の巻き下つた百姓なんだ。彼は悪魔のやうに意地惡だ。以前には大變な物持ちだつたんだが、大火ですつかり持つてたものを無くしたんだ。人が憎くんで彼の家へ放火したんだ。彼はそれが忘れられないで、誰でも、どんなものでも、呪つてゐる。彼は、神も、學生も、商人も、小供さへも、呪つてるんだ。 彼は彼等をすつかり嫌つてるんだ。『彼奴等は犬畜生だ。彼奴等は誰も彼も。』と彼は云ふんだ。『彼奴等はキリスト教徒の 血をすゝつてるんだ。そして神は、天から彼奴等を見下して、それを観て楽しんでゐるんだ。』・・・・・・或日、僕が茶店を出て立場へ歸つて来ると、チツホンが立場の真中に突立つてゐた。脚を廣く 開いて立ち上つて、袖を巻くし上げてゐた。大いに手綱を握つて、馬の眼を激しく打つてゐるんだ。生命《いのち》の氣《け》もない可哀想な馬は、拳固を外そうとして頭をふるのに、彼は續けかけ續けかけ眼を亂打するんだ。『骸骨奴!』 彼は皺枯れ聲で努鳴った。『獣奴!思ひ知らしてやるぞ』『チツホン 何故可哀相なものを打つんだ!』私は彼に問ふた。『默れボロ野郎!』彼はさう答へて、益々怒つて馬を打つんだ。。
 ヴアニアは砂糖の小さい一塊りを嚙んで、茶を綴って、續けた。
「怒るなよ、ジヨーヂ、笑ふな。僕の考へてることを知ってるかね?僕等は、僕等はみんな、貧しい心なんだ。僕が生活を驅つて行く力は何だ?憎惡だ、たゞ憎惡だけだ。僕等は愛さない、愛すと云ふことはどんなことか、僕等は知らない。僕等は戰ふ。僕等は殺す。 僕等は焼く。そして僕等もまた絞め殺され、縊られ、焼かれるのだ。何者の名に於いて、それが爲されるのか?聞かせてくれい。。
私は肩をゆすつた。
「ハインリヒに聞け、ヴアニア。」
「あゝ、ハインリヒ!彼は人々を自由にして、彼等のすべてに食物を與へることを信じてゐる。 しかしそれはマルタの役目なんだ。マリアお役目は何だ?人が自由の爲めに死なんとする。いや 自由の爲めばかりぢやない、一滴の涙の爲めにも死なんとする、それは僕は十分了解する。僕も、地に奴隷なく、飢ゆる者の無いことを、神に禱る。しかしそれで事がすむんぢやないよ、ジヨーヂ。現在、人々の生活が非眞理の上に建てられてあることを、僕等は知ってる。眞理はいつたい何處に在るのか?話せるなら話して呉れ。」
「眞理とは何か?君の言ふのはさうか?」
「そうだ、真理とは何か?ねえ君 『我の生れ、我の此世に来れるは、眞理の證《あかし》を爲さんが爲めなり。眞理に在る凡ての者は、我聲を聞く』さ。」
「ヴァニア、キリストは、汝殺すこと勿れ、と云つたよ。」
「知ってる。しかし血のことはまだ云ふな。何か他のことを話して呉れ。歐羅巴は世界に二つの言葉を與へて、それを苦痛で封じ込んだ。第一が自由だ、第二が社會主義だ。しかし僕等は世界にどういふ言葉を與へたか?自由の名において、多くの血が流された。が、誰が自由を信ずるか?が、君は實際、社會主義が地上の天國だと信ずるか?愛の名において、愛の爲めに、誰が火刑柱に上つたか?人々が自由になり、子供が食に飢えず、母が泣き悲しまないだけでは充分ではないと、僕等のうちの誰かこれまで敢《あ》えて言つたか?それよりもつと以上に、彼等がお互に相愛する必要が、大いなる必要があるんだ。神は彼等共に在り、彼等の心の中に在らねばならんのだ。それだのに、その神と愛を、彼等は忘れてゐる。しかしマルタは眞理の分でしかない。あとの半分はマリアだ。僕等のマリアは何處に居るか?一つの大きな道の爲めに、今や戰はれてゐる、僕は强くそれに信頼する。それは百姓の道だ。凡てのキリスト教徒の道だ、實にそれは、キリストの道なんだ。それは神の爲めに、愛の爲めに、戦はれてゐるんだ。人々は釋放たれ、食を與えられ、愛の生命は彼等のものとなるだろう。僕もまた、吾々は神の民だといふことを、信ずる。愛が吹き込まれ、キリストがその中につてゐるのだ。僕等の言葉は、復活の言葉だ、主よ、甦れ!……僕等の信仰は小さい、僕は小供のやうに弱い。それだから僕等は劍を執《と》るんだ。僕等が劍を振廻すのは、力がある爲ぢやない。僕等の弱さと僕等の恐怖とからなんだ。しかしながら明日来る者を待て。彼は純なる者だ。彼等は劍を要しない。彼等は强い。が、彼等の來る前に、僕等は死ぬだらう。そして僕等の小供のその孫が神を愛するであらう。彼等は神のうちに生き、キリストを讃美するであらう。新しい世界が彼等に啓らけ、彼等はその中に、僕等が現在見ることの出来ないものを、見出すてあらう。……そして、おゝ、ヂヨーヂ!今日は復活祭の日曜日だ。キリストは甦つた!せめて今日一日だけで僕等の傷《きず》を忘れやう。そしてお互に眼を打合ふことを止《よ》そう……」
 彼は、新しい考が突然思ひ浮んだやうに、寧ろ不意に止《や》めた。
「どうしたんだ、ヴァニア?何か云はうとしてるたんぢやないか?」
「君に云ふがねぇ。鎖を斷ち切ることは不可能だ。僕には他の途はないんで、全く何にも。僕は殺しに行く、しかし僕は福音を信する、キリストを讃へる。おゝ、苦痛だ!」
 居酒屋は、お祭りを祝つた酒醉ひの喧騒で滿たされてゐた。ヴアニアは卓子掛の上に頭を低く垂れかけて待つてゐた。私は何をすることが出来たか・・・手綱《たづな》で彼の眼を打つことか?

・写真は、「集合写真の断片。ボログダでの若きサヴィンコフ(Wikipedia より)
・著者・訳者とも著作権は消失している。

読書ざんまいよせい(019)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(005)

 新米の知事が属僚に向って演説をした。商人を集めて演説をした。女学校の卒業式で、教育の真義について演説をした。新聞の代表者に演説をした。ユダヤ人を集めて、「ユダヤ人よ、余が諸君の参集を求めたのは……。」一と月たち二た月たつが仕事の方は何一つしない。また商人を集めて演説。またユダヤ人を呼んで、「ユダヤ人よ、余が諸君の参集を求めたのは……。」みんな飽々してしまった。とうとう彼は官房の長官に言う、「いや君、こいつは俺の手に合わんよ。辞職しちまおう!」

 田舎の神学校生徒が、ラテン語の糞勉強をする。半時間ごとに女中部屋へ駈け込んで、眼を細くして女中たちをつついたり抓《つね》ったりする。女中たちはキャッキャッと笑う。それからまた本に向う。彼はこれを「気分爽快法」と名づけている。

 知事夫人が、例の役人を招んでチョコレートを一杯御馳走した。この声の細い男は、彼女の崇拝者だ。(胸にぶら下げた肖像)。彼はそれから一週間というもの幸福な気分を味う。彼は小金を蓄めていて、無利子でそれを貸していた。――「貴女にはお貸し出来ませんな。貴女のお婿さんがカルタで擦ってしまうでしょう。いや、それだけは御免を蒙ります。」知事の娘というのは、いつか毛皮頸巻《ボア》をして劇場のボックスに納まっていた女だが、その夫がカルタに負けて官金を使い込んだのだ。鯡《にしん》でヴォトカをやるのに慣れて、ついぞチョコレートというものを飲んだことのない役人は、チョコレートのお蔭で胸が悪くなる。知事夫人の顔に浮んでいる表情、「私、可愛らしいでしょう。」身仕舞いに大そうな金をかけて、それを見せびらかす機会――夜会の開催を、いつも待ち焦れている夫人だった。

 妻君を連れて巴里へ行くのは、サモヴァル持参でトゥーラ*へ行くのと同じさ。
*欧露の都会。サモヴァルなどの金属手工業で有名。

 インテリの地主一家の治療に招かれて、毎日その邸に通った。お金で払うのは工合が悪いので、その家では亭主へ服を一着贈ってよこして、彼女を大いに無念がらせた。長々とお茶を飲んでいる夫を見ると、彼女は癇癪が起きて来るのだった。夫と一緒に暮すうち、彼女はやつれて器量が落ちて、意地の悪い女になる。地団太を踏んで、夫をどなりつける、「あたしを離縁してお呉れ、この碌でなし!」夫が憎くてならなかった。彼女が働いて、謝礼は夫が受取るのである。彼女は県会の医員だから、謝礼を受ける訳には行かないのだ。知合いの人達が亭主の人物を見抜いて呉れず、やっぱり思想のしっかりした男だと思っているのが、彼女は忌々しかった。

 青年が文学界にはいって来ないというのは、その最も優れた分子が今日では鉄道や工場や産業機関で働いているからである。青年は悉く工業界に身を投じてしまった。それで今や工業の進歩はめざましいものがある。

 女がブルジョア風を吹かす家庭には、山師やぺてん師やのらくら者が育ち易い。

 教授の見解。――大切なのはシェークスピヤではなく、これに加えられる註釈なり。

 来るべきジェネレーションをして幸福を達せしめよ。だが彼等は、彼等の父祖が何のために生き、何のために苦しんだかを自問せねばならぬ。

 愛も友情も尊敬も、何物かに対する共通の憎悪ほどには人間を団結せしめない。

 十二月十三日。工場の女主人に会った。これは一家の母であり、富裕なロシヤ婦人だが、ついぞロシヤで紫丁香花《ライラック》を見たことがないという。

 手紙の一節。――「外国にいるロシヤ人は、間諜かさもなければ馬鹿者だ。」隣の男は恋の傷手を癒しにフロレンスへ行く。だが遠くなるほど益々恋しくなるものだ。

 ヤルタ*。美貌の青年が四十女に好かれる。彼の方は一向に気がなく、彼女を避けている。彼女はさんざ思い悩んだ挙句、腹立ちまぎれに彼についての飛んだ醜聞を言い触らす。
*クリミヤ半島にある避暑地。

 ペトルーシャの母親は、婆さんになった今でも眼を暈《くま》どっていた。

 悪徳――それは人間が背負って生れた袋である。

 Bは大真面目で、自分はロシヤのモーパッサンだと言う。Sも同じ。

 ユダヤ人の姓。――Chepchik《プロチョール》*.
*小さな頭巾。

 魚が逆立ちしたような令嬢。口は木の洞みたいで、つい一銭入れて見たくなる。

 外国にいるロシヤ人。――男はロシヤを熱烈に愛する。女の方はじきにロシヤを忘れて一向に愛さない。

 薬剤士Protior*.
*「眼を擦《こす》った」というほどの意。

 RosaliaOssipovnaAromat《ロザーリア オシポヴナー アロマート》*.
*「花咲く小薔薇」と「芳香」を組合せた女の姓名。

 物を頼むには、金持よりは貧乏人の方が頼みいい。

 で彼女は春をひさぐことになって、今ではベッドの上で寝る身分だった。零落した叔母さんの方は、そのベッドの足もとに小さな毛氈を敷いて臥せって、嫖客《おきゃく》がベルを鳴らすと跳ね起きるのだった。お客が帰るとき、彼女は嬌羞を浮べて、科《しな》を作って言うのだった。
「女中にも思召しを頂かしてよ。」
 そして時おり十五銭玉をせしめた。

 モンテ・カルロの娼婦たち、いかにも娼婦らしいその物腰。棕櫚も娼婦みたいな感じ。よく肥った牝鶏も娼婦みたいな感じ。……

 独活《うど》の大木。ペテルブルグの産婆養成所を出て助医の資格をとったNは、思想《かんがえ》のしっかりした娘である。それが教師Xに恋した。つまり彼もやはり思想《かんがえ》のしっかりした男で、日ごろ彼女の大いに愛読している小説ごのみの刻苦精励の人だと思ったのである。そのうち次第に、彼が酒喰いののらくら者で、お人好しの薄野呂だということが分って来た。学校を首になると、彼は女房の稼ぎを当てにして居候暮しをやりだした。まるで肉腫《サルコマ》みたいな余計者で、彼女を搾り尽すのだった。或るとき彼女は、インテリの地主一家の治療に招かれて、毎日その邸に通った。お金で払うのは工合が悪いので、その家では亭主へ服を一着贈ってよこして、彼女を大いに無念がらせた。長々とお茶を飲んでいる夫を見ると、彼女は癇癪が起きて来るのだった。夫と一緒に暮すうち、彼女はやつれて器量が落ちて、意地の悪い女になる。地団太を踏んで、夫をどなりつける、「あたしを離縁してお呉れ、この碌でなし!」夫が憎くてならなかった。彼女が働いて、謝礼は夫が受取るのである。彼女は県会の医員だから、謝礼を受ける訳には行かないのだ。知合いの人達が亭主の人物を見抜いて呉れず、やっぱり思想《かんがえ》のしっかりした男だと思っているのが、彼女は忌々しかった。

 若い男が百万マーク蓄めて、その上に寝てピストル自殺をした。

「その女」……「僕は二十《はたち》のとき結婚して以来、生涯ヴォトカ一杯飲んだことも、煙草一本喫ったこともありません。」そういう彼が他に女をこしらえると、世間の人は反って彼を愛しはじめ、今までよりも信用するようになった。街を歩いても、皆が今までより愛想よく親切になったのに彼は気づくのだった――罪を犯したばかりに。

 結婚するのは、二人ともほかに身の振り方がないからである。

 国民の力と救いは、懸ってそのインテリゲンツィヤにある。誠実に思想し、感受し、しかも勤労に堪えるインテリゲンツィヤに。

 口髭なき男子は、口髭ある婦人に同じ。

 優しい言葉で相手を征服できぬような人は、いかつい言葉でも征服はできない。

 一人の賢者に対して千人の愚者があり、一の至言に対して千の愚言がある。この千が一を圧倒する。都市や村落の進歩が遅々としている所以である。大多数、つまり大衆は、常に愚かで常に圧倒的である。賢者は宜しく、大衆を教化しこれを己れの水準にまで高めるなどという希望を抛棄すべきだ。寧ろ物質力に助けを求める方がよい。鉄道、電信、電話を建設するがよい。そうすれば彼は勝利を得、生活を推し進め得るだろう。

 本来の意味での立派な人間は、確乎として保守主義的な乃至は自由主義的な信念を抱く人々の間にのみ見出されるだろう。いわゆる穏健派に至っては、賞与や年金や勲章や昇給に著しく心を惹かれがちである。

 ――あなたの叔父さんは何で亡くなったのです?
 ――医者の処方はボトキン氏下剤*を十五滴となっていたのに、十六滴のんだのでね。
*極めて無害な緩下剤。

 大学の文科を出たての青年が郷里の町へ帰って来る。そして教会の理事に選挙される。彼は神を信じているわけでもないが、勤行《おつとめ》には几帳面に出て、教会や礼拝堂の前を通るときは十字を切る。そうすることが民衆にとって必要であり、ロシヤの救いはそれに懸っていると考えたからである。やがて郡会の議長に選ばれ、名誉治安判事に選ばれ、勲章を貰い、たくさんの賞牌を受けた。――さていつの間にか四十五の年も過ぎたとき、彼ははっとして、自分がこれまでずっと身振狂言をやって来たこと、道化人形の真似をして来たことを悟った。だが既に生活を変えるには晩かった。或る夜の夢に、突然まるで銃声のような声がひびいた――「君は何をしている?」彼は汗びっしょりになって撥ね起きた。

読書ざんまいよせい(018)

◎正岡子規スケッチ帖(002)

初|南瓜《かぼちゃ》
六月二十八日雨

青空文庫・夏目漱石「子規の畫」より
図は、漱石に寄せた子規の絵 東京都足立区綾瀬美術館HPより

子規の文は、
「コレハ萎ミカケタ処ト思ヒタマヘ
画ガマヅイノハ病人ダカラト思ヒタマヘ
嘘ダト思ハバ肘ツイテカイテ見玉ヘ」

短歌は「あづま菊いけて置きけり火の国に住みける君の帰りくるかね」
参考】「正岡子規スケッチ帖」(復本一郎編)岩波文庫

読書ざんまいよせい(017)

◎正岡子規スケッチ帖(001)

 「正岡子規スケッチ帖」を購入、木下杢太郎とは違った趣きもあり、眺めていて飽きない。余力があれば、少しづつ紹介する。
 図は、岩波文庫表紙以外は、「国会図書館デジタルコレクション」から、転載した。また岩波文庫での注釈は、一切省略した。

— ここから —
これは蘇山人《ろさんじん》が支那に赴くとき持ち来《きた》りて何か書けと言ひて残し置きし帖なり 其《その》後蘇山人逝きて此《ここ》帖に主なし 乃《すなわ》ち取りて病牀いたづらが(書)きの用に供す 名づけて菓物帖といふ 中に為山《いざん》子の筆に成れる者二枚あるは初めより画《か》きありし也
  明治三十五年七月十六日  病子規

青梅 明治三十五年 六月二十七日雨

参考】「正岡子規スケッチ帖」(復本一郎編)岩波文庫

読書ざんまいよせい(016)

◎バルザック・小西茂也訳「ゴリオ爺さん」(002)

長文です!

 生々しい苦惱と、とかくは空ろな喜びとに溢れたこの谷底は、それこそ恐ろしいまでに動搖を呈してゐたので、幾分なりとも長續きのする感動を、そこに惹き起こさうがためには、何か途方もないやうなものをでも、持ち出さなければならないだろう。しかも、そこには惡德と美德とがよりかたまつて、由々しいどえらいものとなつた苦惱が、あちらこちらに轉がつている。それに接したら利己心も射倖心も、佇立してそぞろ憐れを催さずにはゐられまい。だがそうした際に覺える感銘とても、かぐはしい果實のように、たちまち食らいつくされてしまうのである。文明の車は、かのジャッゲルナットの山車*と同じで、よしんば餘人のようにやすやすとは轢き碎きがたい心をその轍にかけるにしても、車輪の回轉速度をやや緩めたと思ふまもあらばこそ、たちまちにもそんなものは壓し潰し去つて、勝ちほこつた步みをなほも續けてゆくのである。
*〔印度クリシュナ神像を載せる車。往時迷信者は喜んで身をその轍の下に投じ極樂往生を遂げたといふ。〕
 讀者諸君もこの車と同じように、きつと振舞われることだろう。諸君はこの本をその白い手にとつて、「こいつ面白さうだぞ」と呟きながら、ふくよかな肱掛椅子に深々と身を沈められる。そしてゴリオぢいさんの人知れぬ不運話を讀み終えてから、お手前の無感動は棚にあげ、ひとへに作者をけしからぬものにして、やれ誇張にすぎるの、詩的空想に墮してゐるなどと、おとがめ立てになりながら、夕食の卓に向はれて健啖ぶりを示されることだらう。ああ! だがしかと心得おかれたい。このドラマは作りごとでもなければ、お話でもないのである。オール・イズ・トルーだ。してその正眞正銘さといつたら、誰でもが各自の家のなか、おそらくはまたその心の奧深くに、このドラマの要素を認めることが出來るに違ひはないくらゐなのだ。
 さて、この下宿館につかわれている建物は、ヴォーケル夫人の持家である。ヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りの下手、ちやうど界隈の地形がラルバレート街のほうへ、馬匹もめつたに上り下りせぬほどの急な險しい傾斜をなして、落ちかかろうとしているあたりにある。こうした地勢のおかげで、ヴァル・ド・グラースの圓屋根《ドーム》とパンテオンのそれとの間におしつめられたこれら町々には、あたり一帶に靜寂がみなぎつているのだが、この二つの記念建造物から投ぜられる黃ばんだ色調のため、まわりの雰圍氣もさま變つて、圓屋根の放ついかめしい色合いは、界隈一帶をいかにも陰氣くさいものにしてゐる。そこいらの舖石も乾き上り、溝には泥も水もなく、塀にそつて雜草が生い繁つている。どんな呑氣な人閒でも、ここらを通りかかれば皆と同じようにやつぱり氣が滅入りこんでしまうだろう。馬車の音でさえここでは一つの事件となる。どの家も暗くじめじめとして、庭塀は牢獄を思はせる。ひょつこりと迷ひこんできたパリ人が、ここらあたりで見かけるものといつたら、賄つきの下宿屋か學校か病院、貧窮か倦怠、死に瀕した老殘の姿か、苦役を强ひられる華やかなるべき靑春のさまなどであらう。パリのどこの界隈でもこれほど陰慘で、そして敢て言うならば、これほど人に知られないところはないだろう。わけてもこのヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りは、この物語をはめこむブロンズの額緣としては、何よりふさはしい唯一のものである。しかもこの物語たるや、どんなにくすんだ色合いや沈重な思索で、著者が讀者の頭を準備しておいても、けつして過ぎるということはあるまい。それはちょうど地下墓所《カタコム》のなかに旅人が降りて行くとき、一段ごとに日の光が薄れ、案內者の歌聲が次第に洞にひびいてゆくのと同じである。まつたくこれはぴつたりとした比喩だと思ふ。空洞の頭蓋骨と、ひからびきつた心と、さてどちらが見て怖ろしいか、誰にそれが決められよう?
 この下宿屋の正面閒口は小庭に面し、建物はちやうどヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りと直角をなしているので、奧行はすつかり消されてしまつている。正面閒口に添つて、ちやうど建物と小庭との間に、小砂利を敷いた、幅一間あまりの水盤狀の空地があり、その前方の砂を敷いた小徑の兩傍には、天竺葵や夾竹桃や石榴などが植わつた、靑や白の大きな陶器鉢が竝べてある。この小徑に通じている中型の門には、一枚の看板が揭げてあり、それには「メゾン・ヴォーケル」、そしてその下のほうには「男女其他御下宿」と麗々しく書かれてあつた。
 甲高い呼鈴がとりつけられた格子門のあいだから、小さな舗道の突き当り、ちょうど通りに面した突き当りの壁の上に、界隈の画家の筆になる、緑の大理石まがいのアーチ門を、昼間ならのぞき見ることができるだろう。絵筆でごままかしていかにも神龕《ずし》みたいにしてあるその下に、キューピッドの像が立っている。もっとも像の塗料も剥げちょろけになっているが、それを見て象徴趣味を好む手合いは、そこから程遠からぬところで治療されているパリ社交病〔パリ社交病はそこからほど近いサン・ジャック新町にあったカピュサン病院(ミディ病院)で治癒されていた〕の神話をでも、きっとそこに読みとることだろう。像の台座の下にある、なかば消えかけた次のような碑銘は、一七七七年パリに帰ったヴォルテールにたいして示された熱誠のほどを披瀝《ひれき》し、この装飾物の由緒ある年代を偲ばせている。

 人なべて知れ、汝の主《あるじ》はキューピッドぞ
 彼は主なり、かつて主なりき、なお主たるべし

 夜になると格子門は完全な門に置き替えられた。正面間口と同じ長さを幅にしている小庭は、通りの庭塀と隣家の仕切塀とに囲まれていた。常春藤《きづた》のマントが隣家には一面に垂れかかっておおいつくし、パリの町なかだけに、それは絵のような効果をあげて、道行く人々の眼を惹いていた。どの塀も樹檣《じゅしょう》となった果樹や葡萄樹でおおわれ、その埃りっぽいひょろひょろした果実の実り具合はヴォーケル夫人の年々の懸念の種であり、下宿人相手の好個の話題となっていた。庭の両塀に添って、狭い小径が菩提樹《チュール》の木立にと通じてくる。コンフラン家の生まれながらヴォーケル夫人は、下宿人たちの再三の文法上的注意にもかかわらず、頑としてチュイユとそれを発音して止まなかった。左右の両小径の間に、円錐形に仕立てられた果樹の寄り添った朝鮮|蘇《あざみ》の方形花壇があって、その周囲はすかんぽ、ちしゃ、ぱせりなどで縁取られていた。菩提樹の木立の下には、緑色の円テーブル、腰掛がそのまわりにはおかれてあった。土用の候になると、コーヒー代ぐらいには事欠かぬ程度の客人たちが、卵もかえりそうな炎暑のさなかを、ここまでコーヒーを啜《すす》りに出張《でば》って来る。
 正面建物は四階建てで、その上に屋根裏部屋がある。総体粗石づくりで黄色く塗りつぶされているが、パリのほとんどすべての家屋敷が、不名誉の凶相をかく呈しているというのも、もっぱらかかる黄色塗りのせいである。小さなガラスのはまった五つの開き窓が、正面の各階にはあって、それぞれにブラインドが取り付けられてあるが、それが思い思いの揚げ方をしているので、いっせいに並ばずに妙にちぐはぐである。建物の側面には各階に窓が二つずつ、一階のそれには金網張りの鉄格子が、飾りとしてついている。建物の裏手には、およそ三間幅ほどの中庭があり、豚、鶏、兎などが、仲よくそこに暮らしている。突き当りには薪をしまう物置小屋があって、物置と調理場の窓の間には肉類を入れる容器が吊してあり、その下を流し場の脂ぎった汚水が流れてゆく。この中庭にはヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りに面した狭い小門がついていて、悪臭は真平御免とばかり炊事女は、この汚水溜にざぶざぶと水を注いで、家うちの汚物を門から外へと掃き落してしまっている。
 もちろん、一階は下宿営業用にあてられていて、そのとっつきの部屋は、通りに面した二つの窓から採光し、ガラス張りのドアで出入りするようになっている。このサロンにすぐ続いた食堂は、階段口で調理場から隔てられている。階段は蝋引きの着色タイルと木とでできている。艶のあるのとないのとで、互い違いの縞模様に織られた粗毛織の肱掛椅子や腰掛が、ずらり備えつけられたこのサロンほど、見る目にもの悲しい眺めはまたとないであろう。中央には灰白のサント・アンヌ大理石をはった丸テーブルがあり、その上には今日到るところに見受けられる白磁のコーヒーセットの、金の網目模様もなかば消えかかったやつが、飾りとしておかれてある。床張りの粗悪なこの部屋は、肱の高さぐらいまで、腰羽目が張られている。残りの壁の部分には、テレマークの主要場面を描いた、ワニス塗りの壁紙が貼ってあり、その古典的人物にはいずれも彩色が施してある。鉄網を張った窓と窓との間の鏡板には、ユリシーズの息子のためにカリプソが催した饗宴の図が、下宿人たちの展覧に供されている。四十年来この絵は、若い下宿人たちの冗談の種になって来た。懐《ふとこ》ろが淋しいのでやむなく忍んでいる下宿の飯を自嘲して、いつまでもこんな境遇に甘んじている身ではないと、思い上っていたからである。石の暖炉の焚き口がいつも綺麗なのは、よっぽどの特別な場合でもなければ、火がたかれぬことを現わしていた。暖炉棚には丸笠をかぶせた古ぼけた造花が、二つの花瓶に仰山に挿してあり、その近くにはいとも悪趣味な青大理石の置時計が飾りとしてでんと据えおかれていた。
 このサロンの発散する匂いといったら、およそ言葉では言い表わしようがないが、強いて言ったら、「下宿屋の匂い」とでも評すべきものだろう。むっとしてかびくさく、腐った脂肉のような悪臭、ひやっとし、鼻にしめっぽく、衣服にまで浸み込むていの匂い、食べ終ったあとの部屋の匂い、調理場、食器室、遍路宿泊寺の匂い。老若下宿人めいめいからの、「その独特な」カタル性の発散気が放つ、嘔吐を催すようなこうした臭気の成分を、検定する方法でももし発見されたなら、おそらくかかる匂いをも描破することを得よう。だがなんと、こんな平俗ないとわしさを覚えるサロンではあったが、これでもお隣の食堂にくらべたら、まだしも貴婦人方の紅閨《こうけい》のように、優雅で香り高いものとも申せることが、おわかりになられよう。
 その食堂たるや、すっかり羽目板づくりになっている。もとは何かの色で塗られてあったのであろうが、今はもうさだかではない。その地色の上を、塵垢が層をなして、奇怪な模様を描いている。壁わきのねばつくような食器戸棚の上には、切子の曇りガラスの水差し、波紋形のついた錫《すず》のお盆、青い縁とりをしたトゥールネ焼の厚手の磁器皿の一かさねなどがのっていた。片隅にある箱には、番号のついた仕切りがついていて、汚れたり、葡萄酒のしみがついたりした下宿人たちのナプキンが、そこにはしまわれている。よそだったらどこでもお払い箱の、ぶっこわしてもぶっこわれぬ家具類が、ここには陣取っていて、まるで養老院における文明の敗残者たちといった恰好で控えている。部屋には雨が降るとカプシン僧の人形が、顔を出してくる晴雨計があり、食欲も失わさせられるような俗悪な版画が、金線の入った漆塗りの木框にあちこちおさまり、銅の象嵌をした鼈甲《べっこう》型の掛時計、緑色のタイルの陶器製ストーブ、埃と油とが一緒についたアルガン式のケンケ洋灯。それにまた、細長い食卓の上の蝋引のテーブルクロスといったら、すっかり脂がしみついていたので、外から飯だけ食いにくる悪戯好きの病院助手だったら、外科用のメスでのように指をつかって、自分の名をそこに、書きとめることもできたであろう。それからまたびっこな椅子、スパルト繊維でできたみじめったらしい小さなわらマット、こいつはいつも巻きが戻ってしまっていたが、ついぞその姿を消したことがない。それに穴があき、蝶番《ちょうつがい》ははずれ、木も黒こげになった見る影もない足|炬燵《ごたつ》。これらの家具調度がどんなにおいぼれて、ひびだらけで、腐りはて、ぐらぐらにむしばまれ、片輪で片目でよぼよぼで、気息えんえんたるありさまであるか、それを逐一説明するには、およそ事詳しい描写が必要となるのであるが、それではあまりにもこの物語の興趣が殺《そ》がれ、せっかちな読者諸君はご容赦になってはくださるまい。
 磨りへったためか、それとも色塗りしたためか、床の赤いタイルはくぼみだらけである。そんなわけでここに君臨しているのは、詩情のない貧窮といってよい。鬱積した、擦り切れきった貧窮である。まだ泥にこそまみれてはいないが、しみだらけの貧窮である。穴もつづれもない貧窮ながらに、いまにも腐ってしまいそうなそれである。
 この食堂がもっともその光彩を放つのは、午前七時ごろ、ヴォーケル夫人の飼猫がご主人より先に現われて、食器戸棚の上に跳びあがり、小皿でそれぞれ蓋をしたお碗のなかの牛乳を嗅ぎまわって、ごろごろ朝方の咽喉ならしをする一時であろう。まもなくお女将《かみ》も姿を現わす。きざったらしくかぶったツル織の布帽の下からは、入毛の付髷《かもじ》がゆがんではみ出ている。しわだらけにすぼまったスリッパを、足に引きずってだ。老けた小肥りの顔の中央には、おうむのくちばしのような鼻が出張っている。小さなぽっちゃりした手、教会にしげしげ通う信心家のようにでっぷりとした物腰恰幅、充溢しきって波を打っている胴着、そういったすべては、打算心がうずくまり、わざわいが泄ってきているこの部屋と、ぴったり調和をかもし出していた。ヴォーケル夫人は、生暖かいむっとする部屋の悪臭を吸っても、いっこうに胸も悪くせられないもようだった。秋の初霜のようなお女将の冷ややかな顔立ち、しわの寄った眼もと、踊子の作り笑いから、手形割引業者の苦い渋面にまでもかわるその表情具合、いってみれば夫人の人体《にんてい》のすべてが、この下宿屋を解明しつくしていること、下宿がお女将の人柄を含有しているがごとくにであった。そういえば徒刑場も看守なしにはすまされない。そのどちらかを抜きにしたら、そのものの想像はできないだろうからだ。背の低いこの青ぶくれの夫人は、こうした生活環境の所産だったのだ。ちょうどチフスが病院の発散空気の結果であるように。毛編みの下袴《したばき》が、上着のお古でつくったスカートからはみ出し、ひびいった布地のほころびから、綿がのぞき出しているといったそのあんばいは、よくこのサロンや食堂や小庭を、端的に表現するものであり、それは料理場をも予告し、あわせて下宿人たちをも予覚せしめている。されば夫人がその姿を見せてはじめて、この場の光景もここにその全きを得るわけである。
 正面建物は四階建てで、その上に屋根裏部屋がある。総体粗石づくりで黄色く塗りつぶされているが、パリのほとんどすべての家屋敷が、不名誉の凶相をかく呈しているというのも、もっぱらかかる黄色塗りのせいである。小さなガラスのはまった五つの開き窓が、正面の各階にはあって、それぞれにブラインドが取り付けられてあるが、それが思い思いの揚げ方をしているので、いっせいに並ばずに妙にちぐはぐである。建物の側面には各階に窓が二つずつ、一階のそれには金網張りの鉄格子が、飾りとしてついている。建物の裏手には、およそ三間幅ほどの中庭があり、豚、鶏、兎などが、仲よくそこに暮らしている。突き当りには薪をしまう物置小屋があって、物置と調理場の窓の間には肉類を入れる容器が吊してあり、その下を流し場の脂ぎった汚水が流れてゆく。この中庭にはヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りに面した狭い小門がついていて、悪臭は真平御免とばかり炊事女は、この汚水溜にざぶざぶと水を注いで、家うちの汚物を門から外へと掃き落してしまっている。
 もちろん、一階は下宿営業用にあてられていて、そのとっつきの部屋は、通りに面した二つの窓から採光し、ガラス張りのドアで出入りするようになっている。このサロンにすぐ続いた食堂は、階段口で調理場から隔てられている。階段は蝋引きの着色タイルと木とでできている。艶のあるのとないのとで、互い違いの縞模様に織られた粗毛織の肱掛椅子や腰掛が、ずらり備えつけられたこのサロンほど、見る目にもの悲しい眺めはまたとないであろう。中央には灰白のサント・アンヌ大理石をはった丸テーブルがあり、その上には今日到るところに見受けられる白磁のコーヒーセットの、金の網目模様もなかば消えかかったやつが、飾りとしておかれてある。床張りの粗悪なこの部屋は、肱の高さぐらいまで、腰羽目が張られている。残りの壁の部分には、テレマークの主要場面を描いた、ワニス塗りの壁紙が貼ってあり、その古典的人物にはいずれも彩色が施してある。鉄網を張った窓と窓との間の鏡板には、ユリシーズの息子のためにカリプソが催した饗宴の図が、下宿人たちの展覧に供されている。四十年来この絵は、若い下宿人たちの冗談の種になって来た。懐《ふとこ》ろが淋しいのでやむなく忍んでいる下宿の飯を自嘲して、いつまでもこんな境遇に甘んじている身ではないと、思い上っていたからである。石の暖炉の焚き口がいつも綺麗なのは、よっぽどの特別な場合でもなければ、火がたかれぬことを現わしていた。暖炉棚には丸笠をかぶせた古ぼけた造花が、二つの花瓶に仰山に挿してあり、その近くにはいとも悪趣味な青大理石の置時計が飾りとしてでんと据えおかれていた。
 このサロンの発散する匂いといったら、およそ言葉では言い表わしようがないが、強いて言ったら、「下宿屋の匂い」とでも評すべきものだろう。むっとしてかびくさく、腐った脂肉のような悪臭、ひやっとし、鼻にしめっぽく、衣服にまで浸み込むていの匂い、食べ終ったあとの部屋の匂い、調理場、食器室、遍路宿泊寺の匂い。老若下宿人めいめいからの、「その独特な」カタル性の発散気が放つ、嘔吐を催すようなこうした臭気の成分を、検定する方法でももし発見されたなら、おそらくかかる匂いをも描破することを得よう。だがなんと、こんな平俗ないとわしさを覚えるサロンではあったが、これでもお隣の食堂にくらべたら、まだしも貴婦人方の紅閨《こうけい》のように、優雅で香り高いものとも申せることが、おわかりになられよう。
 その食堂たるや、すっかり羽目板づくりになっている。もとは何かの色で塗られてあったのであろうが、今はもうさだかではない。その地色の上を、塵垢が層をなして、奇怪な模様を描いている。壁わきのねばつくような食器戸棚の上には、切子の曇りガラスの水差し、波紋形のついた錫《すず》のお盆、青い縁とりをしたトゥールネ焼の厚手の磁器皿の一かさねなどがのっていた。片隅にある箱には、番号のついた仕切りがついていて、汚れたり、葡萄酒のしみがついたりした下宿人たちのナプキンが、そこにはしまわれている。よそだったらどこでもお払い箱の、ぶっこわしてもぶっこわれぬ家具類が、ここには陣取っていて、まるで養老院における文明の敗残者たちといった恰好で控えている。部屋には雨が降るとカプシン僧の人形が、顔を出してくる晴雨計があり、食欲も失わさせられるような俗悪な版画が、金線の入った漆塗りの木框にあちこちおさまり、銅の象嵌をした鼈甲《べっこう》型の掛時計、緑色のタイルの陶器製ストーブ、埃と油とが一緒についたアルガン式のケンケ洋灯。それにまた、細長い食卓の上の蝋引のテーブルクロスといったら、すっかり脂がしみついていたので、外から飯だけ食いにくる悪戯好きの病院助手だったら、外科用のメスでのように指をつかって、自分の名をそこに、書きとめることもできたであろう。それからまたびっこな椅子、スパルト繊維でできたみじめったらしい小さなわらマット、こいつはいつも巻きが戻ってしまっていたが、ついぞその姿を消したことがない。それに穴があき、蝶番《ちょうつがい》ははずれ、木も黒こげになった見る影もない足|炬燵《ごたつ》。これらの家具調度がどんなにおいぼれて、ひびだらけで、腐りはて、ぐらぐらにむしばまれ、片輪で片目でよぼよぼで、気息えんえんたるありさまであるか、それを逐一説明するには、およそ事詳しい描写が必要となるのであるが、それではあまりにもこの物語の興趣が殺《そ》がれ、せっかちな読者諸君はご容赦になってはくださるまい。
 磨りへったためか、それとも色塗りしたためか、床の赤いタイルはくぼみだらけである。そんなわけでここに君臨しているのは、詩情のない貧窮といってよい。鬱積した、擦り切れきった貧窮である。まだ泥にこそまみれてはいないが、しみだらけの貧窮である。穴もつづれもない貧窮ながらに、いまにも腐ってしまいそうなそれである。
 この食堂がもっともその光彩を放つのは、午前七時ごろ、ヴォーケル夫人の飼猫がご主人より先に現われて、食器戸棚の上に跳びあがり、小皿でそれぞれ蓋をしたお碗のなかの牛乳を嗅ぎまわって、ごろごろ朝方の咽喉ならしをする一時であろう。まもなくお女将《かみ》も姿を現わす。きざったらしくかぶったツル織の布帽の下からは、入毛の付髷《かもじ》がゆがんではみ出ている。しわだらけにすぼまったスリッパを、足に引きずってだ。老けた小肥りの顔の中央には、おうむのくちばしのような鼻が出張っている。小さなぽっちゃりした手、教会にしげしげ通う信心家のようにでっぷりとした物腰恰幅、充溢しきって波を打っている胴着、そういったすべては、打算心がうずくまり、わざわいが泄ってきているこの部屋と、ぴったり調和をかもし出していた。ヴォーケル夫人は、生暖かいむっとする部屋の悪臭を吸っても、いっこうに胸も悪くせられないもようだった。秋の初霜のようなお女将の冷ややかな顔立ち、しわの寄った眼もと、踊子の作り笑いから、手形割引業者の苦い渋面にまでもかわるその表情具合、いってみれば夫人の人体《にんてい》のすべてが、この下宿屋を解明しつくしていること、下宿がお女将の人柄を含有しているがごとくにであった。そういえば徒刑場も看守なしにはすまされない。そのどちらかを抜きにしたら、そのものの想像はできないだろうからだ。背の低いこの青ぶくれの夫人は、こうした生活環境の所産だったのだ。ちょうどチフスが病院の発散空気の結果であるように。毛編みの下袴《したばき》が、上着のお古でつくったスカートからはみ出し、ひびいった布地のほころびから、綿がのぞき出しているといったそのあんばいは、よくこのサロンや食堂や小庭を、端的に表現するものであり、それは料理場をも予告し、あわせて下宿人たちをも予覚せしめている。されば夫人がその姿を見せてはじめて、この場の光景もここにその全きを得るわけである。
 五十そこそこぐらいのヴォーケル夫人は、「よもの苦労をなめつくした女」のすべてに似たところがあった。ガラスのような眼玉をし、もっとよけいに玉代を払わせようとむきになる、遣手《やりて》婆さんの生《き》一本さがそこにはほの見えていた。しかも自分の運命をやわらげるためなら、どんなことだってやりかねぬ気象の女だった。もしも陰謀人のジョルジュなりピシュグリュ〔ジョルジュ・カドゥダルはブルターニュの王党派首領で、ナポレオン暗殺を企てて一八〇四年逮捕されて斬首。ピシュグリュ将軍もその連累者として同じ運命をたどった。『暗黒事件』参照〕なりが、いまだにお上に売り込めるものなら、すかさずやってのけたであろう。にもかかわらず、下宿人たちは、「根はいい女なのだが」とお女将のことを言っている。自分たちと同じようにお女将が泣きごとを言ったり、しゃくりあげたりするのを聞いて、めぐり合せの悪い人とばかり、思いこんでいたからである。亭主のヴォーケルとは、なにをしていた男だったのだろう? 亡夫のことをお女将は、ついぞ人に語り聞かせたためしがない。どうして亭主は破産したのだろう? 「不仕合せ続きでしてね」と、お女将はそれに答えていた。亭主は彼女にさんざんに苦労をかけ、その死後に遺したものといったら、泣くための眼と、住むためのこの家屋敷と、他人のどんな不幸にも同情するせきはない権利とをだけだった。なぜなら苦しめるったけの苦しみを、みんな自分は嘗めたのだからというのが、このお女将の通り文句であったから。
 女主人の小刻みな足どりを聞きつけて、でぶっちょの料理女シルヴィは、あわてて寄宿人たちの朝飯の仕度にとりかかった。外から食事をしにくる客は、概して夕飯の折だけで、これは月ぎめ三十フランの割りになっていた。
 この物語のはじまった当時、下宿人は総勢七人だった。二階にはこの家で最上の二組の部屋があり、その小さいほうにはヴォーケル夫人が住み、もう一つをフランス共和国政府陸軍出納支払官未亡人たるクーチュール夫人が占めていた。母親代りになって同夫人は、ヴィクトリーヌ・タイユフェルというごくうら若い娘と一緒に暮していた。この二婦人の下宿代は千八百フランに上った。三階の二部屋もふさがっていて、一方はポワレという老人、もう一方は四十がらみで黒いかつらをつけ、頬ひげも染めたヴォートランと名乗る、もとは商人だったとかいう男が住んでいた。四階は四つの部屋から成り、その二つが貸されていた。マドモワゼル・ミショノーという老嬢と、以前はそうめんやマカロニやうどんなどの製麺業者で、ゴリオ爺さんとみんなから呼ばれて甘んじている老人とが、それぞれそこに住んでいた。ほかの二部屋は渡り鳥も同様な連中、ゴリオ爺さんやミショノー嬢と同じく、賄費と間代をあわせて、月に四十五フランしか払えぬような貧乏学生にと用意されてあった。ヴォーケル夫人は書生を置くことをあまり喜ばず、他に適当なのがない場合にだけ、迎え入れていた。書生はパンを食べすぎるからである。
 ちょうどその頃、この二部屋の一つを、アングレーム近傍から法律の勉強にと、パリに上って来た一青年が借りていた。家族が多いので年に千二百フランの仕送りをするためには、彼の一家もそうとうな窮乏を忍ばねばならなかった。ウージェーヌ・ド・ラスティニャックというのが、その青年の名だったが、自分の逆境に発奮して、勉学へと志を立てた立身青年の一人で、双肩にかかった両親よりの嘱望のほどを年若くして彼は知り、学問のご利益をはやくも考え合せて、他日の立身栄達にそなえて、その学業の指針を社会将来の趨勢にあらかじめ順応させて、衆に先んじて社会を搾取してやろうという、年少気鋭の一人であった。
 好奇の念に燃えた彼の観察と、パリのサロンに入り込みおおせた巧みなその手腕とがなかったら、この物語もこれほど真実味のある色調で、彩りつくすことはできなかったであろう。まさしくこれ彼の鋭敏なる頭脳の働きと、慄然たる状況の秘密を看破しようとした、その願望に帰すべきものである。しかもこの状況たるや、それを作り出した人たちからも、またそれを忍従している者からも、ひた隠しに隠されているところのものであったが。
 四階の真上には洗濯物を吊して乾かす小室と、二つの屋根裏部屋とがあって、そこに下男のクリストフと、でぶっちょの炊事婦シルヴィとが寝泊りしていた。これら七人の下宿人のほかに、ヴォーケル夫人は法科や医科の学生たち、年にならして八名ばかりと、また近所に住み、夕御飯だけの契約の二三人の常連とをとっていた。だから夕飯時には、食堂に十八人ばかり集って来たが、二十人ぐらいまでは優に収容ができそうに見えた。しかし朝は七人の下宿人しか現われなかったので、朝飯のあいだのそのつどい具合といったら、家族たち内輪の食事時の観をば呈していた。それぞれに上靴のまま降りて来て、外から食事に来る連中の風采や態度、前夜の出来事などについて、ざっくばらんな意見が交され、水入らずの親しさでみんなは語りあっていた。これら七人の下宿人はヴォーケル夫人の駄々っ子たちだった。夫人はそれぞれの下宿料の額によって、その心尽しなり敬意なりを、さながら天文学者よろしくの精確さで測って、わかち与えておったのである。
 偶然の巡りあわせから、ここに同宿することになった七人も、それと同じような斟酌《しんしゃく》をはたらかせていた。三階の下宿人二人は、月に七十二フランしか払っていない。クーチュール夫人だけはべつとして、こんな安い下宿料は、ラ・ブールブ慈善産院とサルペトリエール女性救護院とのあいだにある、サン・マルセル通りでもなければ、とうていに見られない相場で、多少なりと目立つ不幸の重荷の下に、これら下宿人はおしひしがれている連中に違いないことを、前知らせするものである。そんなわけでこの家の内部が、むき出しにしている荒涼たる光景は、その常連たる住人たちの、いちように損じた着衣のなかにも、繰り返されていた。男たちのつけている長上着は、怪しげな色にあせ、都雅な巷《ちまた》なら道ばたの隅に転がっているような靴を、それぞれにはいて、シャツは擦り切れ、下着はお化けとなっていた。女たちのローブも、これまた流行おくれの染直しや色あせもので、古いレースは繕《つくろ》いだらけ、手袋も使い古して垢光りし、襟飾りは万年褐色、肩掛けといったら総体がほぐれかかっていた。服のほうはこんなふうとしても、それをつけているからだのほうは、大部分ががっしりとした骨組で、人生の嵐に耐えきった体躯をし、顔つきは硬く冷たく、通用停止をくったエキュ銀貨のそれのように、微塵も艶っ気が見られなかった、萎《しぼ》んだ口許ながら、がつがつした歯が武張《でば》っていた。幕のおりたドラマか、あるいは現に演ぜられつつあるドラマが、これら下宿人からは予覚させられた。もっともそれは華やかな脚光を浴び、彩られた書割《かきわり》のあいだで演ぜられるドラマではなく、生ける無言のドラマ、心をあつく掻き乱し、血を凍らせるようなドラマ、いつ果てるとてもない持続のドラマである。