読書ざんまいよせい(046)

◎トロツキー・青野季吉訳「自己暴露」


       第三章 オデツサ・私の家庭と學校

 一ハ八八年になって、私の生活に大事件が起り始めた。私は勉强するために、オデツサへ送られたのである。この事件は、かう云ふ風にして起つたのだ。母の甥であるモイセイ・フィリッポヴヰッチ・シュベンツェルと云ふ二十八歲許りの男が、ひと夏を私達の村で過したことがあった。彼は一寸した政治上の罪科のために、高等學校を卒業してゐながら、大學に這入ることを禁せられてゐる、立派な知識人であつた。彼はいさゝか新聞記者的であり、いさゝか政治家的であった。彼は肺結核を征服するために、この田舍へやつて來たのであった。モー二ヤ――彼はさう呼ばれた――はその才能と、立派な品性の故をもつて、彼の母親や澤山の姉妹達の誇りであつたのだ。私達の家庭も、彼に對するこの尊敬を承嗣いだ。凡べての人々が彼の到着を豫想して喜んだ。私もひそかにこの感情の一郡を分擔した。モーニヤが食堂に這入って來た時、私は『育兒室』—I小さな隅つこの室――と呼ばれた室の入口まで來てゐて、それから前へ進んで行くだけの元氣がなかつた。と云ふのは、私の靴に大きな口を開けた穴が二つもあつたからだ。これは決して貧乏のためではなかった――當時私達の家庭は旣に工面がよかった――が、田舍者の無頓着と、過重の勞働と、私達の家庭の生活標準の低いことに原因したのである。
『ヤア、坊や、おいでよ。』とモイセイ・フイリポヴヰツチが云った。
『いらっしやい。』と少年は答へたが、居る場所からは動かなかつた。彼等はお客さんに、何故私が動かないかを、意地惡さうに笑ひながら說明した。彼はいそ/\と、閾の向ふ側から私を抱上げて、心
からの抱擁をしてくれて、私の困惑を救つてくれた。
 晩餐會ではモーニヤが注目の焦點であった。母は腕に縒をかけた料理で彼をもてなし、喰べ物が美味かつたかどうか、そして彼のその中で好きな料理は何んであつたかを訊ねた。夜になって、獸群が小舍の中へ追込まれた後、モー二ヤが私に云った。『こっちへお出で、新しい牛乳を飮まうぢやないか、コップを二つ三つ持ってお出で……だが坊や、コツプを持つ時には、外側から持つもので、指を中へ入れて持つものぢやないんだよ。』
 私はモー二ヤから私の知らなかった色ななことを學んだ。例へばコッブの持ち方だとか、洗ひ方、或言葉の發音の仕方、それから、牛から取りたての牛乳が何故蓄へるのに好いか等を。彼は所有地を散步し、書きものをし、九柱戲《ニネピン》をして遊び、私が大學|豫科《ヂムナジウム》の一年に這入る準備のために、私に數學とロシア語の文法を敎へた。彼は私を狂喜せしめると同時に、不安にした。彼の中に生活に於ける非常に嚴正なる訓練の要素――都市文明の要素を感得された。
 モー二ヤは彼の田舍の親近者達に優しかった。彼は冗談口をきゝ、時には柔かいテナーで低く唄つでゐた。時によると彼は何んだか陰爵らしく見えた。そして食事のテーブルに着いても、默然と坐つて、瞑想に耽ってゐた。彼はよく心配さうな目付きになって、何にか心配なことでもあるのではないかと訊ねられた。彼の答は簡單で廻避的であつた。たゞ私達の村に於ける彼の滯在が、終りに近づいたゞけのことである。だから、私は彼の陰欝な時の原因を漠然と推測し初めた。モー二ヤは村の野蠻な狀態か、それとも何んかの不正のために、惱亂されたのであった。それは彼の伯父や伯母が特に頑固な主人であったからではなかつた。――それは如何なる事情の下に於ても云ひ得ないことである。勞働者や農民に關する一般的關係の性質は、決して他の所有地より劣惡ではなかつた。と云って、非常に良くもなかつたが――そしてこれは、それが壓制的であることを意味してゐた。或時牧場人夫が馬を餘り遲くまで放つて置きすぎたと云ふので、監督が彼を長い笞で打った時、モー二ヤは眞蒼になって舌打ちをしながら『何んて恥知らずだ。』と云つた。だから私もそれが恥知らずなことだと考へた。私は同じやうに感じたとしても、彼がさう云つた表現をしなければ、さうと知らなかったのだ――私は自分の思ひ通りに物事を考へる傾向をもつてゐたのだ。然るに如何なる出來事に於ても、彼は私にそのやうな考へ方をするやうに敎へ込んだ。そしてこれ許りは、一生の間、感謝の意をこめて十分私の中に滲込んでゐる。

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