読書ざんまいよせい(047)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(01)
3月から、「大逆事件」について、学び始めました。それに関連して、神戸での事件関係者に関する講座にも通っています。幸徳秋水の主要著作も、現代語訳もむくめて電子化されたテキストも多々ありますが、案外、フリーテキストされていない作品も目に付きます。そのなかから、「社会主義神髄」をテキスト化してみました。また、章の最後に、漢詩ないし漢文の引用での締めくくりがあるので、できるだけその典拠も書いてみたいと思っています。

“Let the ruling classes trem-
ble at a Communistic revolu-
tion. The proletarians have
nothing to lose but their chains.
They have a world to win.
Working men of all countries
unite !”
【編者注】「支配階級をして共産主義革命の前に戰慄せしめよ。プロレタリヤは、自分の鎖よりほかに失ふべき何ものももたない。そして彼らは、獲得すべき全世界をもつてゐる。
 萬國のプロレタリヤ團結せよ!」
(幸徳秋水・堺利彦訳「共産党宣言」末尾より・青空文庫

自 序

『社會主義とは何ぞ』是れ我が國人の競ふて知らんと欲する所なるに似たり、而して又實に知らざる可らざる所に屬す。予は我國に於ける社會主義者の一人として、之れを知らしむるの責任あるを感ずるが故に、此の書を作れり。
近時社會主義に關する著譯の公行する者、大抵非社會主我者の手に成り往々獨斷に流れ正鵠を失す、其然らざるも或は僅に其一部を論じ、或は單に一方面を描くに過ぎず。而して浩瀚の者は却つて
煩冗はんじやう
に過ぎ、短簡なる者、 亦要領を得難きの憾み有り。是を以て予は本書に於て、勉めて枝葉を去り、細節に拘せず、一見明白に其大綱を了會し耍義に誘徹せしめんことを期せり。世間未だ社會主義の何たろを知らざるの士之に依て、所謂『烏眼觀バーヅアイ・ヴユー』を做すことを得ぱ、幸ひ甚し。蓋し著述の推きは徒に紙吸を多からしむるに在らずして、冥に次序の體を得せしむるに在り、材料を豐にするに在らずして繁簡の中を得せしむるに在り。本書固より闘々の小册なりと雖も、而も稿を代ふること十數囘、時を費す半年の久しきに及びて遂に意に滿つる能はず、慚悦何ぞ堪へん。但だ予の不才之な奈何ともするなくして、而して江湖の社會主義を知らんとする者、益々急なるを見て、忍んで剞劂きけつに付するを爲せり。故に本書說く所に關し、反對の意見若くば疑間を以て質さるゝの人あらば、予は喜んで更に之が答辯說明の責に任ずべし。
本書執筆の際、參照に資せしは、
  MARX, K & ENGELS, F. Manifesto of the Communist Party.
  MARX, K, Capital: A Critical Analysis of Capitalist Production.
  ENGELS, F. Socialism, Utopian and Scientific.
  KIRKUP, T. An Inquiry into Socialism.
  ELY, R. Socialism and Social Reform.
  BLISS, W. A Handbook of Socialism.
  MORRIS, W. & BAX, E. B. Socialism : its Growth and Outcome.
  BLISS, W. The Encyclopedia of Social Reforms.
等の數種也。初學少年の爲めに特に之を言ふ。
    明治三十六年六月
                著 者

      第一章 緖  論

〇クロムウエルと言ふこと勿れ、ワシントンと言ふこと勿れ、ロベスピエールと言ふこと勿かれ、若し予に質すに古今最大の革命家を以てする者あらば、予は實にゼームス・ワット其人を推さずんばあらず。彼れ夫れーたび其精緻の頭腦を鼓して、造化の祕機を捉來し、之を人間の眼前に展開するや、世界萬邦物質的生活の狀態は、俄然として爲めに一變を致せるに非ずや。嗚呼彼所謂殖產的革命の功果や眞に偉なる哉。
〇蓋し今の紡績や、織布や、鑄鐵や、印刷や、共他百般工技の器、鐵道や、汽船や、 其他白般交通の具、之を望めば恰も魅應の如く、之に就けぱ恰も山撤の如く然り。而して此等の機器の常に自在に胴使せられ、無礙に運轉せらるるもの、唯だ慧々然たる蒸氣ー吹の力に由れることを思ふ、其術何ぞ爾く巧にして其能何ぞ爾く大なるや。若し十八世紀中葉の人類を地下に起して以て今日を觀せしめば、應に呀然として駭絕驚倒すべきや必せり。況んや之に次ぐに定氣發明の奇と其應用の妙、刻々に新なるを以てするに至って、人智の窮極する所、眞に測る可らざる者有り、予は萬物の靈長の語、於是て始めて驗有るを覺ふ。
〇然れども此等機器の發明及び共改善に由て打成せる、所綱殖焼的革命の貴尙すべき所以の功果は、獨り英技の巧且つ妙なるに在らずして、實に共殖產の饒多に、其交換の利便なるに在らざる可かず。
〇蓋し近時生產カ發達の程度及比率は、其產業の種類の異なるに從って差あるが故に詳密精確の統計を得難しと雖も、而も機械が人力に代れるが爲めに、槪して著大の增加を來せるや論なし。敎授イリーは日く、或種の產業は爲めに十倍せり、或種の產業は爲めに二十倍せり、更紗の生産の如きは、優に百倍し、書籍版行の如きは優に千倍せりと。ロバート・オーエンは早く前世紀の初に於て公言して日く、五十年前六十萬人の勞働を要せるの財富は、今や僅に二千五百人の力を以て生產し得べしと。而して爾後今日に至る迄百年間、更に幾層の進步ありしや、疑ふ可らず。某學士は亦日く、近時の器械は一家五口の戶々に供するに、各々昔時六十人の奴隸の生產せしと同額の資財を以てするを得べしと。由处觀之これによつてこれをみるに、最近百餘年間に於て、世界の生産力が少くも平均十數倍の增加を為せるは、何人も之を斷言するに躊躇せじ。
〇而して是等僥多の財富が、世界各地に運輸され交換さるゝや、亦其自在と敏活とを極む。蜘網の如き鐵道航路は、以て坤輿こんよを縮小すること幾千里、神經系統の如き電線は、以て萬邦を束ねてー體と為す。濠洲に屠れる羊肉は直に英人の食膳に上る可く、米國にて作れる棉花は遍く亜細亜人の體軀を纏ふ。緩急の相依り、有無の相通ずる、有史以來實に今日より盛なるは莫し。
〇嗚呼是れ實に所謂近世文明の特質也、美華也、光蟬也。吾人生れて這個しゃこ文明の民たるを得て、是等空前の偉觀壯觀を仰ぐ者、竊かに自ら慶し、且つ誇るに足る有るに似たり。
〇然れども、吾人は近世文明の民たるに於て、眞に自ら慶す可き乎、眞に自ら誇る可き乎。否、是れ疑問也、然り大疑問也。
〇試みに一考せよ、近時機器の助けあるが爲めに、吾人生産の力が十借、百倍、時としては千借せることは、卽ち之れ有り。然らぱ則ち世界多數の勞働者は、殖産的革命の以前に比して、大に其勞働の時と量とを減じ得可きの理也。而も事實は之に反す、彼等は依然として永く十二一時間乃至十四五時間苛酷の勞働に服せざる可らざるは何ぞや。奇なる哉。
〇又一考せよ、近時千百借せる饒多の財富は、運輸交通の機關の助けあるが爲めに、世界の一隅より一隅に至る迄、自在敏活に分配貿易せらるゝことは、亦眞に之れ有り。然らば則ち世界多數の人類は、衣食大に餘り有りて、洋々太平を謳歌し得可きの理也。而も事實は之に反す、彼のロ糟糠だにも飽かずして、父母は飢凍し、兄弟妻子離散する者、日に益々多きを加ふるは何ぞや、奇なる哉。
〇人力の必要は省減せり、而も勞働の必要は減少せざる也。財富の生産は堪加せり、而も人類の衣食は増加せざる也。旣に勞働の苛酷に堪へず、更に衣食の匱乏に苦しむ。故を以て學校の設くる多くして、人は敎育を受くるの自由を有せざる也、交通の機關便にして、人は旅行の自由を有せざる也、醫治の術進步して、人は療養の自由を有せざる也、多數政治の制ありて、人は参政の自由を有せざる也、文藝美術發達して人は娛樂の自由を有せざる也。而して所謂近世文明の特質や、美華や、光輝や、如此にして多數人類の幸福、平和、進步に於て、果して幾何の價値有りとする乎。
〇言ふこと勿れ人は麵麴のみにして生きずと。衣食なくして何の自由あることを得る耶、何の進步あることを得る耶、何の道德あることを得る耶、何の學藝あることを得る叫。晋敬仲云へる有リ、倉廩實而知禮節さうりんみちてしかしてれいせつをしると、所詮人生の第一義は卽ち衣食問題也。而も近世文明の民たる多數人類は、實に衣食の匱泛の爲めに遑々たるに非ずや。
〇言ふこと勿れ、勞働は衣食を生ずと。見よ彼の勞働せる人の子を、彼や生れて八九歲の幼時より共老衰病死に至る迄、營々として牛馬の如く驅られ、兀々ごつ/\として蟻蜂の如く勞す、節儉にして勤勉なる、凡そ彼等に過ぐるは莫し。而して租稅滯納の爲めに公賣の處分に遭ふ者、年々數萬を以て算せらるゝ也。而して彼の衣食常に餘りある者は、常に勞働するの人に非ずして、却て徒手逸樂遊悟の人に非ずや。
〇然れども其勞働の痛苦や、猶ほ可也、若し夫れ勞働す可き地位職業すら之を求めて寛に得ること能はざるに至ては、人生の慘事實に之より甚しきは莫し。彼や壯健の體軀を有す、彼や明敏の頭腦を有す、彼や有爲の技能を有す、而して其カ能く衣食の生產に任じて餘り有る者にして、唯だ其職業を得ざるが爲めに、終生窮途に泣き溝壑こうがく滾轉こんてんする者、 世間果して幾萬人ぞ。
〇好し高利に衣食せよ、株券に衣食せよ、地代に衣笈せよ、租稅に衣食せよ、今の所謂文明社會に處して然る能はざる者は、則ち長時間の勞働也、苦痛也、窮乏也、無職業也、俄死也。觥死に甘んぜずんば、則ち男子は强窃盜たり、女子は醜業婦たらんのみ、墮落あるのみ、罪悪あるのみ。
〇然り今の文明や、一面に於て燦爛たる美華と光輝とを發すると同時に、一面に於て暗黑なる窮乏と罪惡とを有す。燦爛の天に翺翔かうしやうする者は千萬人中僅に一人のみ、暗黒の域に滾轉する者は世界人類の大多數也。是れ豈に吾人人類の自ら誇るに足る者ならん哉。
〇烏呼世界人類の苦痛や飢凍や、日は一日より急に、月は一月より激也、人類の多數は唯だ其生活の自由と衣食の平等とを求むるが爲めに、一切の平和、幸福、進步を犧牲に供せずんば已まざらんとす。人生なる者は竟に如此き者耶、 如此くならざる可らざる耶、 耶蘇の所謂祖先の罪耶、浮屠ふとの所謂娑婆の常耶。咄々豈に是れ眞理トルースならんや、正義ヂヤスチースならんや、人道匕ユーマニチーならんや。
〇嗚呼彼の偉大なる殖產的革命の功果は、竟に人道、正義、眞理に合す可らざる乎。所謂近世文明の世界は、遂に人道、正義、眞理を現す可らざる乎。是れ個の問題や二十世紀の陌頭はくとうに立てるスヒンクスの謎語也。之を解決する者は生きん、否らずんば死せん、世界人類の運命は懸けて此一謎語に在り。
〇誰か能く之を解決する者ぞ、宗敎乎、否、敎育乎、否、法律乎、重備乎、否、否、否。
〇夫れ宗敎や以て未來の樂園を想像せしむ、未だ吾人の爲めに現在の苦痛を除き去らざる也。敎育や以て多大の智識を與ふ、未だ吾人の爲めに一日の衣食を産出せざる也。法律や能く人を責罰す、人を樂ましむるの具に非ざる也。応備や能く人を屠殺す、人を活かしむるの器に非ざる也。嗚呼、噫、誰か能く之を解決する者ぞ。
以貨財害子孫。不必操戈入室。
以學術殺後世。有如按劎伏兵。
【編者注】漢文の典拠不明、「貨財を以って子孫を害す。必らずしも戈を操り室に入る要なし。學術を以って後世を殺す、剣を按ずるの伏兵あるがごとし。」と読み下しできるだろう。『金銭の力で孫子まで害をすのに、部屋に入る必要はない、弁論で後世まで抹殺するのは剣をもった伏兵がいるようだ。』くらいの意味だろう。ご教示を待つ。)

読書ざんまいよせい(046)

◎トロツキー・青野季吉訳「自己暴露」


       第三章 オデツサ・私の家庭と學校

 一ハ八八年になって、私の生活に大事件が起り始めた。私は勉强するために、オデツサへ送られたのである。この事件は、かう云ふ風にして起つたのだ。母の甥であるモイセイ・フィリッポヴヰッチ・シュベンツェルと云ふ二十八歲許りの男が、ひと夏を私達の村で過したことがあった。彼は一寸した政治上の罪科のために、高等學校を卒業してゐながら、大學に這入ることを禁せられてゐる、立派な知識人であつた。彼はいさゝか新聞記者的であり、いさゝか政治家的であった。彼は肺結核を征服するために、この田舍へやつて來たのであった。モー二ヤ――彼はさう呼ばれた――はその才能と、立派な品性の故をもつて、彼の母親や澤山の姉妹達の誇りであつたのだ。私達の家庭も、彼に對するこの尊敬を承嗣いだ。凡べての人々が彼の到着を豫想して喜んだ。私もひそかにこの感情の一郡を分擔した。モーニヤが食堂に這入って來た時、私は『育兒室』—I小さな隅つこの室――と呼ばれた室の入口まで來てゐて、それから前へ進んで行くだけの元氣がなかつた。と云ふのは、私の靴に大きな口を開けた穴が二つもあつたからだ。これは決して貧乏のためではなかった――當時私達の家庭は旣に工面がよかった――が、田舍者の無頓着と、過重の勞働と、私達の家庭の生活標準の低いことに原因したのである。
『ヤア、坊や、おいでよ。』とモイセイ・フイリポヴヰツチが云った。
『いらっしやい。』と少年は答へたが、居る場所からは動かなかつた。彼等はお客さんに、何故私が動かないかを、意地惡さうに笑ひながら說明した。彼はいそ/\と、閾の向ふ側から私を抱上げて、心
からの抱擁をしてくれて、私の困惑を救つてくれた。
 晩餐會ではモーニヤが注目の焦點であった。母は腕に縒をかけた料理で彼をもてなし、喰べ物が美味かつたかどうか、そして彼のその中で好きな料理は何んであつたかを訊ねた。夜になって、獸群が小舍の中へ追込まれた後、モー二ヤが私に云った。『こっちへお出で、新しい牛乳を飮まうぢやないか、コップを二つ三つ持ってお出で……だが坊や、コツプを持つ時には、外側から持つもので、指を中へ入れて持つものぢやないんだよ。』
 私はモー二ヤから私の知らなかった色ななことを學んだ。例へばコッブの持ち方だとか、洗ひ方、或言葉の發音の仕方、それから、牛から取りたての牛乳が何故蓄へるのに好いか等を。彼は所有地を散步し、書きものをし、九柱戲ニネピンをして遊び、私が大學豫科ヂムナジウムの一年に這入る準備のために、私に數學とロシア語の文法を敎へた。彼は私を狂喜せしめると同時に、不安にした。彼の中に生活に於ける非常に嚴正なる訓練の要素――都市文明の要素を感得された。
 モー二ヤは彼の田舍の親近者達に優しかった。彼は冗談口をきゝ、時には柔かいテナーで低く唄つでゐた。時によると彼は何んだか陰爵らしく見えた。そして食事のテーブルに着いても、默然と坐つて、瞑想に耽ってゐた。彼はよく心配さうな目付きになって、何にか心配なことでもあるのではないかと訊ねられた。彼の答は簡單で廻避的であつた。たゞ私達の村に於ける彼の滯在が、終りに近づいたゞけのことである。だから、私は彼の陰欝な時の原因を漠然と推測し初めた。モー二ヤは村の野蠻な狀態か、それとも何んかの不正のために、惱亂されたのであった。それは彼の伯父や伯母が特に頑固な主人であったからではなかつた。――それは如何なる事情の下に於ても云ひ得ないことである。勞働者や農民に關する一般的關係の性質は、決して他の所有地より劣惡ではなかつた。と云って、非常に良くもなかつたが――そしてこれは、それが壓制的であることを意味してゐた。或時牧場人夫が馬を餘り遲くまで放つて置きすぎたと云ふので、監督が彼を長い笞で打った時、モー二ヤは眞蒼になって舌打ちをしながら『何んて恥知らずだ。』と云つた。だから私もそれが恥知らずなことだと考へた。私は同じやうに感じたとしても、彼がさう云つた表現をしなければ、さうと知らなかったのだ――私は自分の思ひ通りに物事を考へる傾向をもつてゐたのだ。然るに如何なる出來事に於ても、彼は私にそのやうな考へ方をするやうに敎へ込んだ。そしてこれ許りは、一生の間、感謝の意をこめて十分私の中に滲込んでゐる。
 シュペンツェルは、州立ユダヤ人女學校の校長と結婚しようとしてゐた。ヤノウカには彼女を知つてゐる者は一人もなかつた。然し誰でも彼は學校の校長さんで、しかもモーニャの花嫁なんだから、人竝優れた人だらうと考へてゐた。私がオデッサへ送られることに決つたのは、その次の年の春であつた。私はシュペンツェルと一緖の家に住んで、大學豫科へ通つた。其處で植民地0仕立屋はどうにか私に合ふ着物を作つた。大きなトランクは、バタの這入つた容器や、ジャムやその他、町の親戚の贈物にする、色々のものゝ這入つた壺でいつぼいになつた。吿別は永くかゝつた。私はうんと泣いた。母もさうだつたし、姉もさうだつた。そして生れて始めて、私に取つてヤノウカの一切が、如何に懷かしいものであるかを感じた。私達は草原を横切つて停車場へ馬車を走らせた。そして私達は本通りへ出るまで泣續けた。
 ノービイ・ブツグから二コライエフまで私達は汽車に乘つて、そこから汽船に乘換へた。サイレンは私の脊骨を震はせた。それは新しい生活に呼びかけるやうに響いた。私達はまだブツグ河にゐたので、海はずつと先にあつた。私の前途には實に澤山のものがあつた。埠頭があり、馭者がをり、ポクロウスキイ竝木通りがあり、大きな古い建物があり、そこには女學校があつて、その校長が泊つてゐた。私は凡ゆる角度から調査をした。第一に若い女の人が、それから婆さん――彼女の母がゐて額と兩方の頰に接吻をしてくれた。モイセイ・フィリッポヴヰツチはヤノウカのことや、そこにゐる人々のことや、良く知ってゐる牛のことまでも訊ねながら、いつもの調子で冗談を云った。いま私にとつて、牛は、こんなにすぐつた人々の中で、彼等と話をすることを妨げる不都合な動物だ、と思はれた。私の部屋も餘り大きすぎはしなかった。私は食堂ではカーテンの後ろの席が割當てられた。そして、私の擧校生活の最初の四年間が過されたのは、こゝであつたのだ。

南総里見八犬伝(004)

南總里見八犬傳卷之二 第三回
東都 曲亭主人 編次
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景連信時暗かげつらのぶときあん義實よしさねこば
氏元貞行厄うぢもとさだゆきやく館山たてやましたが

卻說安西三郞大夫景連かくてあんざいざぶらうたいふかげつらは、近習きんじゆのものゝつぐるをきゝて、結城ゆふき落人里見義實おちうどさとみよしさね主從三人しゆうじゆうみたり水行ふなぢより、こゝにきたれることおもむきおほかたはすいしながら、後難こうなんはかりかたければ、すみやかには回答いらへせず、麻呂信時まろのりぷときを見かへりて、「如此々々しかしかことになん。なにかと思ひ給ふやらん」、ととふを信時きゝあへず、「里見は名ある源氏げんじなれども、こゝにはえんよしみもなし。無二むに持氏もちうぢがたなれば、結城氏朝ゆふきのうぢとも荷擔かたらはれ、籠城三年ろうぜうみとせに及ぶものから、京鐮倉きやうかまくらてきうけては、いのちかねてなきものと、思ふべき事なるに、落城らくぜうの日におよぴて、親のうたるゝをも見かへらず、阿容々々おめおめにげかくれ、こゝらわたりへ流浪さそらひたる、とるよしもなき白徒しれものに、なでふ對面たいめんし給ふべき。とく追退おひしりぞけ給ひね」、と爪彈つまはじきをして說諭ときさとせば、景連しばらかうべかたむけ、「それがしもさは思へども、もちふべきよしなきにあらず。彼等かれら三年みとせ籠城して、たゝかひにはなれたるもの也。義實としなほわかしといふとも、數萬すまん敵軍てきぐん殺脫きりぬけずは、いかにしてこゝまでべき。召入よぴいれて對面し、その剛臆ごうおくを試みて、使ふべきものならば、定包さだかねを討一方うついつほうの、大將たいせうを得たりとせんまた使ふべきものならずは、追退おひしりぞくるまでもなし。立地たちところ刺殺さしころして、のちわざはひはらひなん。このはいかに」、と密語さゝやけば、信時しば〳〵うち點頭うなつき、「微妙いみじくはかり給ひにけり。それがしも對面すべきに、准備ようゐし給へ」、といそがせば、景連にはか老黨ろうどうよぴよして、箇樣々々かやうかやう說示ときしめし、武藝力量兼備ぶげいりきりやうかねそなはつたる、壯士等ますらをらはかりことつたへさせ、只管ひたすらにいそがしたつれば、信時も又、したる、家臣等かしんらよびのぼして、そのことのこゝろを得させ、あるじ景連もろともに、客房きやくのまにぞいでたりける。そのこと爲體ていたらく、をさ〳〵り、をかゞやかして、安西が家臣廿人、麻呂が從者ともひと十餘人、みないかめしき打扮いでたちして、二帶ふたかはながれつゝ、飾立かざりたてたる數張すちやう弓弦ゆつるは、かべゑがけ瀑布たきごとく、かけわたしたる鎗薙刀やりなぎなたは、春の外山とやまかすみに似たり。ほそどのにはまくたれて、身甲はらまきしたる力士りきし、十人あまり、「すは」といはゞ走りいで、かの主從しゆうしゆう生拘いけとらんとて、おの〳〵手獵索てぐすひきてをり。
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中井正一「土曜日」巻頭言(12)

◎野にすみれが自由に咲くときである      ー九三七年三月五日

 一日一日、野も山も、草も本も、その装おいを変えている。
 何人がこれを止めうるか。止めえようもない静かなカが、物の秩序の中にみずからを押し進めている。
 星の移りに驚きの眼を睜り、四季の変りに怖れを抱いた原始人の畏敬は、物の秩序の動かすベ からざる厳しさに端的に向かった心持ちである。
 人間は、生きるという大きな不思議を、この物の秩序の中に読み取ろうとしたのである。物の秩序の上に、生きる秩序を築こうとしたのである。自分の秩序を、あるいは謬り、その謬りをはずみとして、新しい真実の中に、みずからを押しあげ、試み、切り展いてゆく新たな行動としての秩序を創造しているのである。一本の堇が星よりも強いのは、それが野に生えてくる秩序をみずからで創っているからである。
 それが生きていることの誇りであり、尊厳である。
 しかし、人間は今、人間の秩序を放棄している。
 弾丸の弾道の秩序の精密な研究は、人間の智力の究めたところである。しかし、その弾丸の落ちてゆく目的地は、砕け去る相手は、人間と、人間が永く築いた、人間の秩序である。すべての秩序が何物かの奴隸となっている。花に対して、星に対して、弾道の秩序に対してさえも、恥しいのは人間である。
 ロマン・ローランは、ー九一四年、十二月四日、フランスに書き送った。「私はもはやフランスの知識階級を誇りとしない。思想界の指導者たちがいたるところで衆愚に降伏していったあの信ずべからざるほどの弱さは、彼らが背骨を有しないものであることを十分に証明した。……」
 そして、彼らを弱くする、魂に抱く、イドラを粉砕するものは誰か?
 ローランは答える「野に生ゆる自由の菫」であると。
 日本に生くる幾人の人が、今、この春の光の中に生まれ出ずる自由な菫に、恥じずにいられるだろうか。

南総里見八犬伝(003)

南総里見八犬伝巻一第二回
東都 曲亭主人 編次
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落葉岡おちばがおか朴平ぼくへい無垢三むくざう光弘みつひろ近習きんじゆとたゝかふ」「山下定かね」「那古ノ七郎」「杣木ノぼく平」「洲さきのむく蔵」「天津ノ兵内」

一箭いつせんとばして侠者白馬けうしやはくばあやまつ
兩郡りやうぐんうばふて賊臣朱門ぞくしんしゆもんよる

安房あはもと總國ふさのくに南邊みなみのはてなり。上代あがれるよには上下かみしも分別わいだめなし。のちにわかちて、上總下總かつさしもふきなつけらる。土地擴漠ひろくしてくは多し。蠶飼こかひ便たよりあるをもて、ふさみつぎとしたりしかば、その國をもふさといひけり。かくてふさ南邊みなみのはてに、居民鮮をるたみすくなかりしかば、南海道阿波國なんかいどうあはのくはなる、民をこゝへうつし給ひて、やがて安房あばとぞよばせ給ひぬ。日本書紀景行紀やまとふみけいこうきに、所云淡いはゆるあは水門みなとこれ也。
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南総里見八犬伝(002)

南總里見八犬傳卷之一第一回
東都 曲亭主人 編次
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義実よしさね三浦みうら白龍はくりうる」「里見よしさね」「杉倉木曽之介氏元」「堀内蔵人貞行」

季基すゑもとをしえのこしてせつ
白龍はくりうくもさしばさみてみなみおもむ

京都きやうと將軍せうぐん鐮倉かまくら副將ふくせう武威ぶゐおとろへて偏執へんしうし、世は戰國せんこくとなりしころなん東海とうかいほとりさけて、土地とちひらき、基業もとゐおこし、子孫十世しそんじゅっせに及ぶまで、房總あわかづさ國主こくしゆたる、里見治部さとみぢぶの大夫たいふ義實朝臣よしざねあそんの、事蹟じせきをつら〳〵かんがふるに、淸和せいわ皇別みすゑ源氏げんじ嫡流ちやくりう鎭守府ちんじゆふ將軍せうぐん八幡太郞はちまんたろう義家朝臣よしいへあそん十一世じういつせ里見さとみ治部ぢぶの少輔せういう源季基みなもとのすゑもとぬしの嫡男ちやくなん也。時に鐮倉の持氏卿もちうぢけう自立じりう志頻こゝろざししきりにして、執權憲實しつけんのりさねいさめを用ひず、忽地たちまち嫡庶ちやくしよをわすれて、室町將軍むろまちせうぐん義敎公よしのりこうと、確執くわくしつに及びしかば、京軍きやうぐんにはかによせきたりて、憲實に力をあはし、かつ戰ひ且進かつすゝんで、持氏父子ふしを、鐮倉なる、報國寺ほうこくじ押籠おしこめつゝ、詰腹つめはらきらせけり。これはこれ、後花園天皇ごはなぞのてんわう永享ゑいきやう十一年、二月十日のことになん。かくて持氏の嫡男義成よしなりは、父とゝもに自害じがいして、かばねを鐮倉にとゞむといへども、二男じなん春王はるわう三男さんなん安王やすわうとまうせし公達きんだちは、からく敵軍のかこみのがれて、下總しもふさおち給ふを、結城氏朝迎ゆふきのうぢともむかへとりて、主君しゆくんあほたてまつり、京都の武命ぶめいに從はず、管領くわんれい淸方持朝きよかたもちとも)の大軍たいぐんをもものゝかすとせず。されば義によつて死をだもせざる、里見季基さとみすゑもとはじめとして、およそ持氏恩顧おんこ武士ぶしまねかざれどもはせあつまりて、結城ゆふきしろを守りしかば、大軍にかこまれながら、一たびも不覺ふかくを取らず、永享十一年の春のころより、嘉吉元年かきつぐわんねんの四月まで、籠城三年ろうぜうみとせに及ぶものから、ほかたすけの兵つわものなければ、かて矢種やだね竭果つきはてつ、「今ははやのがるゝみちなし。たゞもろともに死ねや」とて、結城の一族いちぞく、里見のしゆうじゆう城戶推きどおしひらきて血戰けつせんし、込入こみいる敵をうちなびけて、衆皆みなみな討死うちしにするほどに、その城つひおちいりて、兩公達ふたりのきんだち生拘いけどられ、美濃みの垂井たるゐにてがいせらる。にいふ結城合戰ゆふきかつせんとはこれ也。
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南総里見八犬伝(001)

 しばらく更新が滞っていたが、テキスト中心の記事ゆえ、著作権の切れた著作のアップをボツボツ再開…今更、「勧善懲悪」の「八犬伝」ではあるまいにと思ったが、HTML の ruby タグに興味を持ち、テキスト処理での正規表現からの《》→ ruby タグへの変換とエディタでの実装がまあまあうまくいったので…全百八十回、いつまでかかるのやら…焦らずに…

 南総里見八犬伝のテキストとして、「ふみくら」氏のサイトがある。残念ながら、第30回までであり、HTML 版はコードが、Shift-JIS である。そこで、「序文」類を、UNICODE に変換し、掲載する。
 また 本文の第2回目以降は、今を去る20年前(校正:2005年3月25日とある)に、「ちまえの館」さんが、アップされたものを、基本的に底本とし、随時岩波文庫版(新字表記)および、国立国会図書館アーカイブを参考とした。図は,多くは岩波文庫版から掲載した。
 底本などの漢字を旧字体に統一した。
 ルビは、ruby タグを用いた。
〳〵:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)、濁点付きの二倍の踊り字は「〴〵」とした。
 UNICODE 表にない漢字は、ネコのおやつサイト(南総里見八犬伝翻刻)の文字データを利用した。

 あらためて、「ふみくら」さん、「ちまえの館」さん、「ネコのおやつ」さんのご尽力に敬意を表す。

 以上、各回ごとの注記は基本的には省略する。


『南總里見八犬傳』第一回より「序文」など

【外題】
里見八犬傳 肇輯 巻一

【見返】
曲亭主人藁本\南總里見八犬士傳\柳川重信像\山青堂

【序】書き下し
八犬士傳序[噪野風秋]
初め里見氏の安房に興るや、徳誼以て衆を率ゐ、英略以て堅を摧く。二總を平呑して、之れを十世に傳へ、八州を威服して、良めて百將の冠たり。是の時に當て、勇臣八人有り。各犬を以て姓と爲す。因て之を八犬士と稱す。其れ賢虞舜の八元に如ずと雖ども、忠魂義膽、宜しく楠家の八臣と年を同して談ずべきなり。惜い哉筆に載する者當時に希し。唯だ坊間の軍記及び槇氏が『字考』、僅かに其姓名を識るに足る。今に至て其の顛末を見る由し無し。予嘗て之を憾む。敢て残珪を攻めんと欲す。是より常に舊記を畋獵して已まず。然ども猶考据有ること無し。一日低迷して寝を思ふ。䁿聴の際だ、客南總より來る有り。語次八犬士の事實に及ぶ。其の説軍記傳所の者と同からず。之を敲けば則ち曰く、「曾て里老の口碑に出たり。敢て請ふ主人之を識せ」予が曰「諾、吾れ將に異聞を廣ん」と。客喜て而して退く。予之を柴門の下りに送る。臥狗有り。門傍に在り。予忙として其の尾を踏めば、苦聲倏ち足下に發る。愕然として覺め來れば、則ち南柯の一夢なり。頭を回して四下を覽れば。茅茨客無く。柴門に狗吠無し。言コヽニ〳〵客談を思へば、夢寐と雖ども捨つべからず。且に之を録せんとす。既にして忘失半ばに過ぐ。之を何奈すること莫し。竊かに唐山の故事を取りて。撮合して以て之を綴る。源禮部が龍を辨ずるが如きは。王丹麓が『龍經』に根つく。靈鴿書を瀧城に傳るが如きは。張九齢の飛奴に擬す。伏姫八房に嫁するが如きは。高辛氏其の女を以て槃瓠に妻すに傚へり。其の他毛擧に遑あらず。數月にして五巻を草す。僅に其の濫觴を述て。未だ八士の列傳を創せず。然と雖ども書肆豪奪して諸を梨棗に登す。刻成て又其の書名を乞ふ。予漫然として敢て辭せず。即ち『八犬士傳』を以て之に命す。
文化十一年甲戌秋九月十九日。筆を著作堂下の紫鴛池に洗ぐ。
   簑笠陳人觧撰
  [曲亭馬琴著作堂之印][乾坤一草亭]
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