◎ テネシー・ウィリアムズ「欲望という名の電車」
入院中には、もっぱら FM 放送のドラマを、退屈まぎれに聴いていた。音声のみのインプットも、想像力を掻き立てられそれなりに楽しいものである。その中で、ある劇団の売れない役者が、「欲望という名の電車」(A Streetcar Named Desire)のセリフを朗読する一場面があった。「欲望…」は、昔読み、エリア・カザン監督、マーロン・ブランド出演の映画も観たことを思い出した。退院後、早速、再読したが、なかなかの芝居である。
「欲望という名の電車」は、アメリカ合衆国の劇作家テネシー・ウィリアムズによる英語の戯曲です。この作品は、アメリカ南部の没落した名家の娘ブランチ・デュボアの精神的な破滅を描いています。」
ブランチとスタンリーの葛藤は、下降と上昇する二つの「階級」のそれ、チェーホフ「桜の園」のラネ―スカや夫人とロパーヒンを彷彿させる。しかも、両作者とも、前者に自己を重ね「惜別」のシンパシーを抱いている共通点もある。
このシリーズでは、取り上げた芝居での印象的なセリフを書き出すことにしよう。
ブランチ
私、強い女にはなれなかったの、ひとり立ちできるような女には。強い人間になれないとき――弱い人間は強い人間の好意にすがって生きていかなければならないのよ、ステラ。そのためには人の心を誘うなにかが必要になる――弱い蝶々のように、あの羽のようなやさしい色あいと輝きを身につけ――ちよつとした――一時的な魔法を使わなければならなくなる、それもただ――一夜の雨露をしのぐために!だからなのよ、私が近ごろ——–あんまりほめられるような生きかたをしてなかったというのは。私は庇護を求めて駆けずりまわったわ、雨もりのする屋根から屋根へ――だって嵐だったんだもの——ひどい嵐、そして私はそのまっただなかにいただれ一人見てくれようともしないわ——男たちは——私たちの存在を認めてさえくれないわ、私たちに下心を抱いてなければ。そして、だれかに存在を認めてもらわなければならないわ、だれかの庇護を得ようとすれば。だから弱い人間はどうしても――ほのかな輝きをもたなければならないの――裸電球にかぶせる――色提灯のようなでも私、こわい――とってもこわいの、いま。いったいいつまで、それでうまくやつていけるかと思うと。やさしいだけではだめ。やさしい上に、 魅力がなければ。それなのに私は――私はもう色あせていくばかり!
すでに日は落ちて夕闇が迫っている。
小田島雄志訳・第一幕第五場
項目タイトルは、All the world’s a stage.(Shakespear “As You Like It”)から。画像は、映画「欲望という名の電車」から。

