◎モリエール・辰野隆訳「孤客(ミザントロープ)」
モリエールの「笑い」は一筋縄ではいかない。ことに、後年の作品ではそうだ。「ミザントロープ(人間嫌い)」の青年アルセストが、やや世間ずれした女性セリメエヌに恋してしまう。それも、数ある恋敵と競ってである。こんな人物設定で、劇は進行する。
辰野隆は、それなりの理由があったのだろう、タイトルを「孤客」としたが、一般的な名称「人間ぎらい」のほうが、しっくり来るのも否めない。ただし辰野隆訳文は、名訳と思われる。Amazon の、Kindle 本にいくつかあるうち、セリフを大阪弁にモディファイしたものがあったが、どうも中途半端だったので、前半のセリフは、「大阪弁変換」の助けも借りながら、辰野隆訳を変えてみた。後半は、辰野隆訳の部分引用である。
アルセスト:いいや、隅から隅までや。ワイはあらゆる人間を憎むんや。ある者は不善にして有害せやさかい憎んだる。ある者は不善の徒にえゝ顔しくさって、いやしくも君子たる者が彼らに対して抱かねばならぬ強い憎悪を持たへんから憎むねん。現にワイのお白州の相手やけど、はっきりしとるあの悪党に対する世間の度すぎた弱腰は、なんぼのものじゃい。なんぼ猫を被っても、彼奴はしたたかやし、そんげなことはわかりきってま。どこへ行かはっても、彼奴のこんじょは知れ渡っとるで。あの眼つきや猫撫で声は素人はんしかききめがないんや。いてもうたろかなと思うがな、あの下司下郎がどんなきたない手使こうて世間にのさばり出しよったか、そいでもってブイブイいわすはぶりはそこらじゅうで怒らしやがって、徳の持ったはる君子はんを辱しめとるかは世間はんが承知や。あっちいってもこっちいってもや、悪口言うても、誰一人かて、あいつの悪徳をえろう褒めはるもんはおまへんで!。そやけど、ぺてん師と呼ぼうが、ばけもんと呼ぼうが、恥知らずの悪もんと呼ぼうが、誰も彼も賛成で、異議を唱える者もありゃしまへんで。それにもかかわらずや、あいつのやることはじぇんぶ、どないなときでも歓迎されて、世間の奴らは彼奴に手をさしのべたり、ええ顔を観せたりして、彼奴はいたるところで人に取り入っとるんや。ほんで、どんな官位でもあいつと競争したら無二の君子さえしてやられるわ。いまいましいがな!悪徳に対してこれほど世間がわるう言えへんのに、ワイはごっつう傷つけられたか知れへんで。ちょいちょいワイはむらむらとなって、そやからどっかえろう離れた沙漠の中にでも逃げたろ、そいで持って人間交際を断ち切ろうと思うねん。
アルセスト:
ところがねえ!そんなことができるでしょうか? この愛情を制えきれるものだろうか? いかに憎もうと焦っても、この心が即座に言うことをきくでしょうか?
(エリアントとフィラントに)意気地のない恋愛というものはごらんのとおりです。あなた方二人には僕の弱味はお目にかけたが、正直なところ、まだまだこれどころではないのです。この弱味がどん底までゆくのをお目にかけるでしょうし、我々を賢人呼ばわりするのがそもそも誤りで、誰の心の裡にも常にいくぶんかの人間がいるということも、お目にかけるでしょう。
(セリメエヌに)実は、僕は貴女の邪の行ないを忘れたいと思う。心の中では、その悪事のいろいろな現われ方を釈明して、時代の弱点に染んだ若気の過ちという名目でそれを庇うことにしましょう。その代りに、あらゆる人間を捨てる僕の企図に賛成して頂いて、僕が暮したいと思う沙漠の中に、時を移さず、一緒に行く決心をして下さい。それでこそ、僅かに罪の手紙があらゆる人に犯したところを贖い得るし、君子が眉をひそめるような噂が立った後でも、なお貴女を愛し得ると思うのです。
さて、二人の恋の結末は、いかがなものになろうか?通常の喜劇ならハッピーエンドで終わるのが常識だが…
ジャン・ジャック・ルソーに「演劇について――ダランベールへの手紙――」という論説がある。この中で、「人間ぎらい」について、まとまった批評があるが、次々回にでも紹介したい。

