南総里見八犬伝(019)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十八回
東都 曲亭主人 編次
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ふて紀二郎きじらう糠助ぬかすけ屋棟やねいどむ」「犬塚番作」「しの」「ぬか助」

簸川原ひのかはら紀二郞きじらういのちおと
村長宅むらおさやしき與四郞疵よしらうきずかうふ

 應仁おふにんは二年にして、文明ぶんめいと改元せらる。文明二年、信乃しの十一歲、母なくなりて三年みとせ以來このかた、父につかへてます〳〵孝なり。さらぬだに番作ばんさくは、行步ぎやうぶ不自由なるものゝ、はやく鰥夫やもをとなりしより、年々とし〳〵に氣力おとろへ、齡五十よはひいそぢ滿みたずして、齒はぬけかうべ白くなりつ、病煩やみわづらふ日の多かるに、なほ手習子等てらこら集合つどへては、いとかしがましとて手本をとらせず。「さはれ年來としころ衆人もろひとの、扶助たすけによりて親子三人みたりうへこゝへずありけるに、その子孫こうまごをしえずして、たゞわが餘命をむさぼらば、人はたこれをよしといはんや。かゝればさとに利をのこして、彼等が恩義にむくはんには」、とかねてより思ひしかば、やまひひまあるをりをりに、水旱すいかん准備てあて荒年くわうねん夫食ぶしき、すべて農家日用の事をのみのべしるして、是を一卷ひとまきとし、里老等さとのおきならに贈りしかば、みなこれを見て嘆賞し、「犬塚生いぬつかうぢ手迹美事しゆせきみごとに、武藝ぶけいをよくすと思ひしに、農業蠶養こがひのうへまでも、人のしらざる所を得たり。この書は不益ふゑきたまものなり。寫し傳へて祕藏ひざうせよ。まこと可惜士あたらさむらひを、埋木もれきにすることよ」、といはざるものはなかりけり。

 さる程に蟇六ひきろくは、くだんの事を傳へきゝて、ねたき事いふべうもあらず、はやくそのしよけみせんとて、乞求こひもとむることしば〳〵なれ共、里老等さとのおきならはこれをいださず、「けふは某乙なにがしが寫してをり、寫しはつるをまたせ給へ」、といはるゝにすべもなく、日をて人をつかはせば、「先より先へ枝貸またがしして、ある所しれず」といふ。蟇六ます〳〵腹たてゝ、「よし〳〵その書見ずもありなん。一村ひとむらおさうけ給はる程のものが、さばかりの事しらざらんや。番作はわかきより、田畝でんほうち浮浪ふらうすれども、蛭兒ひるこに劣る腰ぬけなれば、鍬鞆くわがらとりし事なくて、耕作の利をなでふしるべき。かたはらいたき事也」、とことばきわめそしりしかば、里人等さとひとらはその口を憎みて、つひにかの書を見せざりけり。すべて蟇六龜篠かめさゝは、親族他人の差別なく、のうねたむのやまひあり、愛惜あいじやくふかく心ひがみて、とにかく人をそしれども、もとよりおのれに見識なければ、ひと眞似まねをする事もおほかり。

うらみをかへして蟇六ひきろくものをねぎらふ」「庄官ひき六」「かめさゝ」「小ものがく蔵」

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第十八回)

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