南總里見八犬傳第二輯卷之四第十八回
東都 曲亭主人 編次
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牝を追ふて紀二郎糠助が屋棟に挑む」「犬塚番作」「しの」「ぬか助」
簸川原に紀二郞命を隕す
村長宅に與四郞疵を被る
應仁は二年にして、文明と改元せらる。文明二年、信乃十一歲、母なくなりて三年以來、父に事てます〳〵孝なり。さらぬだに番作は、行步不自由なるものゝ、はやく鰥夫となりしより、年々に氣力衰へ、齡五十に滿ずして、齒は脫、頭白くなりつ、病煩ふ日の多かるに、なほ手習子等を集合ては、いと囂しとて手本をとらせず。「さはれ年來衆人の、扶助によりて親子三人、餓ず凍ずありけるに、その子孫に敎ずして、只わが餘命を貪らば、人はたこれをよしといはんや。かゝれば鄕に利を遺して、彼等が恩義に報んには」、と豫てより思ひしかば、病の間あるをり折に、水旱の准備、荒年の夫食、すべて農家日用の事をのみ述しるして、是を一卷とし、里老等に贈りしかば、僉これを見て嘆賞し、「犬塚生は手迹美事に、武藝をよくすと思ひしに、農業蠶養のうへまでも、人のしらざる所を得たり。この書は不益の賜なり。寫し傳へて祕藏せよ。寔に可惜士を、埋木にすることよ」、といはざるものはなかりけり。
さる程に蟇六は、件の事を傳へ聞て、妬き事いふべうもあらず、はやくその書を閱せんとて、乞求ることしば〳〵なれ共、里老等はこれを出さず、「けふは某乙が寫してをり、寫し果るをまたせ給へ」、といはるゝにすべもなく、日を歷て人を遺せば、「先より先へ枝貸して、ある所しれず」といふ。蟇六ます〳〵腹たてゝ、「よし〳〵その書見ずもありなん。一村の長うけ給はる程のものが、さばかりの事しらざらんや。番作はわかきより、田畝の中に浮浪すれども、蛭兒に劣る腰ぬけなれば、鍬鞆とりし事なくて、耕作の利をなでふしるべき。傍いたき事也」、と辭を極て訾しかば、里人等はその口を憎みて、卒にかの書を見せざりけり。すべて蟇六龜篠は、親族他人の差別なく、能を妬むの病あり、愛惜ふかく心僻て、とにかく人を譏れども、素より己に見識なければ、人眞似をする事もおほかり。
怨をかへして蟇六小ものを勞ふ」「庄官ひき六」「かめさゝ」「小ものがく蔵」


