本職こぼればなし(011)

先日、冬至の日に、スーパーマーケット前で出会った、母と兄弟3人連れ、買い物の中に、かぼちゃと柚子が入っていた。6才くらいの兄がママに
― 今日は、おふろにかぼちゃ浮かべるンか?
かぼちゃ湯も一案だが、とすると、おかずは、柚子の「たいたん」になるのかな?

年の瀬も押しつまると、診療中の子どもと自然とお正月の話題になる。
― Gちゃんと、センセはお友だちになろうか?
― うん。
― お友だちやったら、困っている時、助け合わな、いかんやろ!そんで、ちょっと相談やがな、お正月に「お」のつくもん、もらうやろ!
― お年玉や!
― そしたら、センセがお金のーて、お昼ご飯も食べられへんで、おなかペコペコの時、助けてや!お金貸してや!スマホに電話するわ!
― ………
かくして、わがチャイルドビジネスは、来年へ持ち越されるのであった。

読書ざんまいよせい(001)

別に、「新しもの好き」ではないが、新シリーズとして、今まで読んだり読みかけの書籍を「断捨離」するつもりで、感想、注釈、抜き書きでも何でもいいが、記録に留めておくことにする。
◎実験医学序説
クロード•ベルナール著 三浦岱栄訳 岩波文庫

以下は、第2回 近代医学と実験—-クロード・ベルナール『実験医学研究序説』を読む—-からの、抜き書きが多分に占める。
奥付けをみると、昭和45年1月とあるので、学生時代に一度、研修医だった頃に二度目に読んだ時は、特に学生時代は、色んな意味で「挫折感」を味わっていたので、本書のベルナールの精緻な論理展開に、「医学」の未来に大いに希望を持ったものだ。特に、「デテルミニスム(le determinisme)=決定論」という命題と小気味良い論調には、大いに感服した。従来の医学の「神秘」的な傾向への反駁もに、小気味良い。(残念ながら現代でも「トンデモ医学」は、ネットなどでも後を絶たない。当方の理解の域をでないが、一言で言えば、「Aという原因からBという結果が出現するという因果律があるとすれば、それを証明するのは実験(E)しかない」に尽きよう。そこには、第一原因として「神の手」とか神秘的なものはなにもない。生命現象の複雑さも、A→B という因果律が、無数に連関的に絡み合ったものだ。くりかえすが、従来の魔術的な「医学」との決別が明言されていた。
しかし、今読み返してみれば、もちろん、その実証主義的な精神に感心はするが、少々厄介な問題も内包する著作とも感じる。

「実験生理学は実験医学の本来の基礎となるのであるが、患者の観察を禁じるわけでもなく、またその大切なことを軽んじるものでもない。それどころか生理学の知識は、単に疾病を説明するために必要欠くことができないのみでなく、良い臨床的観察をするためにも必要なのである。」

とベルナールは書くが、まず、「医学」の発展のおかげで言ってよいのか難しいところだが、現在において、われわれ臨床家は、ほぼエンドユーザーの立場であり、本格的な臨床実験に関与する余地はぼない、と言ってよい。せいぜい、患者の観察をするのが関の山である。テレビのコマーシャルを見て購買意欲を狩りたたれる消費者とあまり、変わりがない。その媒体が製薬会社のプロパーであったり、見栄えの良いパンフレットに置き換っただけの話である。

「我々は 観察家という名称を、自らは変化させることなく、したがって自然が彼に示すままに蒐集した現象の研究に、単純または複雑な探究方法を応用する人に対して与える。 実験家という名称は、自然現象を変化させたり、何らかの目的をもってそれらを変え、自然が彼に提供しなかったような環境や条件において自然現象を出現させるために、単純または複雑な探究方法を応用する人に対して与える。」

「 生物においても、無生物におけると同様に、すべての現象の存在条件は絶対的に決定されているということを実験学の公理として、まず承認しなければならない。換言すれば、ある現象の条件が一旦知られ、また実現されるならば、その後この現象は実験家の意のままにつねに必然的に作り出されなければならない。この命題を否定するならば、それは取りも直さず科学自身を否定することになるだろう。」

とは、なり得ないのである。
更に重大なのは、著作の第2篇くらいから、論調の変化が見られるが、

「我々が自然現象の確定的基礎的条件を認識するに至るには、ただ一つの道しかない。即ち 実験的分析によってである。」

「内科医は病人について毎日治療的実験を行い、外科医もまた被手術者について毎日生体解剖を実行している。したがって人間についてもたしかに実験することができるといわねばならぬ。」
「我々は人の生命を救うとか病気をなおすとか、その他その人の利益となる場合には、何時でも人間について実験を行う義務があり、したがってまた権利もある。内科及び外科における道徳の原理は、たとえその結果が如何に科学にとって有益であろうと、即ち他人の健康のために有益であろうと、その人にとっては害にのみなるような実験を、決して人間において実行しないということである。しかしながらそれを受ける患者の利益になるようにという見地に立ってつねに実験したり、或いは手術をしたりしつつ、同時にこれを科学のために利用することは少しも差し支えない。実際またこのようにすることは当然である。」

A→Bを証明するのは、実験(E)であるが、ではそのEを準備計画するのは、人である限り、その倫理性を担保するにはどうするか?ある意味、ベルナールは、ナチスや731部隊の蛮行を見ずに済んだのは幸せだったかもしれない。ベルナールの原則―「患者の利益」的な原則提起は案外難しい。そしてなによりも、実験(E)という手段は容易に目的化されるものである。それを避けるために、様々な倫理規定が提唱されてきたので、また改めて考えてみたいと、この著作で触発された。折しも、しんぶん「赤旗」・「歴史の証言に学ぶ」では、日本軍が散布したペスト菌の記事が掲載されていた。(記事の部分のみ抜粋)
ベルナールは、最後は、ややパセティックに自らの方法論を総括して語る。若いころ劇作家を志したとあるから、この著作にもその余燼が残っているのかもしれない。

「これらの体系(従来の「神秘的」医学の下に従属する科学は、それによって自己の豊穣性を失い、かつまた人類のあらゆる進歩の本質的条件である精神の独立と自由を失うからである。」

豊穣性を持ち、精神の独立と自由を保つ医学の道に憧れるのは、今も変わらぬつもりである。
ちなみに、岩波文庫の解説によれば、彼の連れ合いは、「ソクラテスの妻」状態であったらしいのは、妻までは、「デテルミニスム」では、説明しがたく、極めて人間的なエピソードである。
参考】
大阪大学医学部講義—-クロード・ベルナール『実験医学研究序説』を読む—-
・クロード・ベルナール 三浦岱栄訳『実験医学序説』、岩波文庫

本職こぼればなし(010)

病児保育室「まつぼっくり」にて
先週から発熱が続いていたT君、採血し、白血球の数値が高かったので、ペニシリン系の抗生物質を処方した。その後、1日で解熱、元気になって、今日は念のために、病児保育室利用。検査では、A群連鎖球菌、アデノウィルスの簡易検査では陰性だったが、舌が軽くいちご舌だったので、溶連菌感染だったのかな?検査の感度の問題で、今後は、A群β溶血連鎖球菌核酸検出を、8月から保険適用なので、導入しようと思う。
同じく、微妙に続いているが元気な 3才児のS君、先日は、片足でたって、なにやら「◆◇☓△◯!」と号令をかける。今更、王貞治の一本足打法でもあるまいに、と思ったが、後から考えると、かけ声は「フラミンゴ」だと思いついた。そこで今日はカメラの前でポーズ、「フラミンゴ!」(写真)

本職こぼれはなし(009)

新型コロナ感染症も、世間の耳目から外れ、関心が薄まってきた昨今、当診療所も建物外の「プレハブ外来」も先週から中止としているが、まだコロナに罹る方も後を絶たず、しばらくは警戒が解けないようだ。そんな矢先、朝外来が開く前に、一通の「問い合わせメール」が飛び込んできた。発熱と呼吸困難がある高齢者、診療所だけでは急患対応ができないので、ただちに救急車を呼ぶようにアドバイスした。搬送先の病院では、コロナPCRが陽性、合併症として初期の肺炎があったようだ。家族の方も、発熱、当診では、同じくコロナPCRは陽性だった。まだ薄氷を踏む思いは続きそうで、気が抜けない感はあるが、3年以上続く「戒厳令」も解く頃だとも思い、気分一新の意味で、診療所の玄関を思い切り整理した。余分な文具やパンフレットを置く机、検温器を移転や撤去し、絵画などで装飾、手始めに亡母の刺繍を掲示してみた。柿が題材なので、すこし季節外れかもしれないが、また別の画なども玄関のポイントとして飾ってみようと思う。

今回は、診療所ホームページのお問い合わせ画面 が役だったが、24時間診療所開設はリソース的に無理なので、今後もお問い合わせ画面 をご活用願いたい。

木下杢太郎「百花譜百選」より(001)

木下杢太郎という文芸家がいた。本名は、太田正雄、東大医学部皮膚科の教授、太田母斑の命名者として知られる。( Wikipedia 木下杢太郎)その彼が、生を終える直前に描いた、植物のスケッチ帳が遺されている。岩波文庫では「新編 百花譜百選」として刊行されている。ここでは、なるべく描かれた月日を合わせながら、順次紹介し、その植物の項を、Wikipedia などを使ってリンクしておく。また、当方のコメントも含む場合もある。ちなみに、彼の死後七十年以上、経過しているので、版権は消失している。
52 志茂つけ(しもつけ) 下野
昭和十八年十二月五日 此枝採之于植物園

自らの病魔にあがらいながら、戦争の敗色が濃くなってきた 1943年、これらの植物を見た時、彼の心境は如何ばかりだったであろうか?今は知る由もない。

参考】
Wikipedia シモツケ
・木下杢太郎画/前川誠郎編「新編 百花譜百選」(岩波文庫)

本職こぼれはなし(007)

◎Frailty thy name is woman !

デイケアへ通所するIさん、送迎の車から降りても、どこか足元が覚束ない。しばらく診ていないので、「フレイル」が進行したのかなと思いきや、ズボンのゴムが緩んでいた。「Iさん、デイケア」でちゃんと直してもらいや」
「フレイル」という言葉、シェイクスピアの時代からあったようだ。悲劇「ハムレット」で王子ハムレットの母が父王の死後、義理の弟と再婚していたのに憤り、「弱きもの、汝の名は女なり!(Frailty thy name is woman !)と出てくる。Frailty は、「脆い」と訳す方が適切だろう、としんぶん赤旗日曜版 2023年12月3日づけの連載記事「松岡和子のとっておきシェイクスピア」で指摘する。実は、ハムレットの元本は三種類あり、一番古い版でも掲載されているので、一種の慣用句、格言めいたものなのであろう。
「もろきもの、おまえの名は女!(Frailty thy name is woman !)」が現代でも通用するかは、当方の関知するところではない。

フレイルとは、「65歳からの健康づくりのキーワードは「フレイル」(神戸市HP)
「医学用語である「frailty(フレイルティー)」の日本語訳で、病気ではないけれど、年齢とともに、筋力や心身の活力が低下し、介護が必要になりやすい、健康と要介護の間の虚弱な状態のことです。」

図は、しんぶん赤旗日曜版記事より、加工して添付する。