①八月二日
日日草《ニチニチサウ》
②八月三日
瞿麦《くばく》 なでしこ
花売リノ爺ハ之《これ》ヲ
とこなつトイㇷ
正岡子規スケッチ帖(012)
①
八月二日朝
射干《しゃが》 ヒアフギ[ひおうぎ]
②
熊坂といふ謡ききて
いと面白かりければ
ぬす人の昼も出る
てふ夏野|哉《かな》
みしか夜や
金商人《こかねあきんど》の
高いびき
夏草や
吉次《きちじ》を
ねらふ
小ぬす人
正岡子規スケッチ帖(011)
◎正岡子規「草花帖」
明治三十五年八月一日
秋海棠《しゅうかいどう》 シウカイダウ
同日
金蓮花《きんれんか》
ノウゼンハレン
NASTURTUM
桃牛兒科(ゲンノショーゴ科)
Geraniaceae
参考】
・Wikipedia 秋海棠
・Wikipedia 金蓮花
正岡子規スケッチ帖(010)
◎正岡子規「草花帖」
此《この》帖は不折子《ふせつし》*よりあづ(預)かりたりと思ふ 併《しか》し此頃《このごろ》の病苦にては人の書画帖などへ物書くべき勇気更になし 因《よ》つて此帖をもらひ受くる者なり 若《も》し自分のものとして之に写生するときは快《かい》極《きわまり》りなし 又其《その》写生帖を毎朝毎晚手に取りて開き見ること(ヿ)何よりの楽《たのし》みなり 不折子欧州より帰り来るとも余の病眛より此唯一の楽み(即《すなわ》ち此写生帖)を奪ひ去ること(ヿ)なからんを望む
明治三十五年八月一日
病子規
泣いて言ふ
写生は総《すべ》て枕に頭つけたままやる者と思 へ
写生は多くモルヒネを飲みて後やる者と思へ
*中村不折(一八六六—一九四三)。洋画家、書家。
正岡子規スケッチ帖(009)
◎「菓物帖」末尾の俳句
青梅をかきはじめなり菓物帖
南瓜《かぼちゃ》より茄子《なす》むつかしき写生|哉《かな》
病間《びょうかん》や桃食ひながら李《すもも》画《か》く
画がくべき夏のくだ物何々ぞ
画き終へて昼寝も出来ぬ疲れかな
追加】右図は、下村為山の画(無署名)
参考】岩波文庫「正岡子規スケッチ帖」
正岡子規スケッチ帖(008)
① 七月三十一日晴 バナナ
② 八月一日晴 玉蜀黍 タウモロコシ タウキビ
参考】岩波文庫「正岡子規スケッチ帖」
正岡子規スケッチ帖(007)
①七月二十八日曇 枝豆 アゼ豆トモイㇷ 碧梧桐《へきごどう》と話シナガラ画《か》ク
②七月二十九日曇 古くるみ 古そらまめ
正岡子規スケッチ帖(006)
編者注】タイトルを変更して…
七月二十六日曇 李《すもも》 此《この》李ハ不折《ふせつ》留守宅ヨリ贈ラル 其《その》庭園中ノモノナリ
七月二十七日曇 越瓜 シロウリ 胡瓜 キウリ
参考】岩波文庫「正岡子規スケッチ帖」