正岡子規スケッチ帖(010)

◎正岡子規「草花帖」

此《この》帖は不折子《ふせつし》*よりあづ(預)かりたりと思ふ 併《しか》し此頃《このごろ》の病苦にては人の書画帖などへ物書くべき勇気更になし 因《よ》つて此帖をもらひ受くる者なり 若《も》し自分のものとして之に写生するときは快《かい》極《きわまり》りなし 又其《その》写生帖を毎朝毎晚手に取りて開き見ること(ヿ)何よりの楽《たのし》みなり 不折子欧州より帰り来るとも余の病眛より此唯一の楽み(即《すなわ》ち此写生帖)を奪ひ去ること(ヿ)なからんを望む
   明治三十五年八月一日
        病子規
           泣いて言ふ
写生は総《すべ》て枕に頭つけたままやる者と思 へ
写生は多くモルヒネを飲みて後やる者と思へ
*中村不折(一八六六—一九四三)。洋画家、書家。

正岡子規スケッチ帖(009)

◎「菓物帖」末尾の俳句

青梅をかきはじめなり菓物帖
南瓜《かぼちゃ》より茄子《なす》むつかしき写生|哉《かな》
病間《びょうかん》や桃食ひながら李《すもも》画《か》く
画がくべき夏のくだ物何々ぞ
画き終へて昼寝も出来ぬ疲れかな

追加】右図は、下村為山の画(無署名)

参考】岩波文庫「正岡子規スケッチ帖」

正岡子規スケッチ帖(006)

編者注】タイトルを変更して…

七月二十六日曇 李《すもも》 此《この》李ハ不折《ふせつ》留守宅ヨリ贈ラル 其《その》庭園中ノモノナリ
七月二十七日曇 越瓜 シロウリ 胡瓜 キウリ

参考】岩波文庫「正岡子規スケッチ帖」