◎成島柳北と大沼沈山(付 崔敏童)
ともに、以前紹介した詩人。日本史のなかでは、歴史の流れの断絶は、明治維新と太平洋戦争前後の二回が大きく目立つが、その「明治維新」を境目に、おのおの違ったスタンスではあるが、「二世」の生涯を送ったという点では共通しているが、そのスタンスには大きな違いがある。「二世」の代表としては、福沢諭吉が挙げられようが、彼の後半生のアジア諸国蔑視には、日本国内の反封建制への痛切な批判を帳消しにして余りあるものがあり、とうてい「二世」を生ききったとは自慢できない。また、成島柳北もせいぜい1.5世を生きた程度で、潜在的には持っていたとも思われるが、明治の世に対する内在的な論評は多くはない。せいぜい、明治24年まで生きた大沼枕山の新東京を詩ったのに、後ろ向きであるが、それでも核心をついた文明批評が見られる。
まず、柳北の詩から
戊辰五月所得雜詩 戊辰《つちのえたつ》五月、得《う》る所の雑詩
如今何處說功名 如今《じょこん》 何処《いずこ》にか 功名《こうめい》を説《と》かん
天地若眠人若酲 天地 眠れるが若《ごと》く 人 酲《よえ》るが若し
綠酒紅裙花月雪 緑酒 紅裙《こうくん》 花月雪《かげつせつ》
風流幸未負先生 風流 幸《さいわ》いに未《いま》だ先生に負《そむ》かず
【簡単な語釈と訳】
戊辰:まさに戊辰戦争の年、明治元年五月 如今以下:いま時どこで功績や名誉を説くことができようか 緑酒:高価な酒 紅裙:きれいどころ 花月雪:韻の関係で、白居易「殷協律に寄せる」「雪月花の時、最も君を懐《おも》う」から 先生:自分自身を指す
戊辰戦争のカオスのさなか、彼の軸足は、「柳橋新誌」などを著した幕臣時代、それも遊興の時にあったようだ。明治に入っては、在野のジャーナリストを目指したが、志は中途のままで、世を去った。
つぎに、大沼沈山
新歲雜題 新歳雑題《しんさいざつだい》(四首のうち一首)
仕到大夫賢所願 仕えて大夫に到るは賢の願う所
守愚飜擬碩人寬 愚を守って翻《かえ》って擬《なぞら》う 碩人《せきじん》の寛なるに
今朝五十知天命 今朝《こんちょう》 五十 天命を知る
福在淸閒不在官 福は清閒《せいかん》に在《あ》って 官に在らず
【簡単な語釈と訳】
慶応三(ー八六七)年正月の作。前掲の柳北の詩より一年前だが、政権交代期の緊迫した状況は、ほぼ同様である。碩人:大徳ある人、詩経・衛風から 五十:論語「五十にして天命を知る 清閒:職務を離れて暇であること
第二首に「十千 酒を沽《こ》うて 貧を辞することなかれ」(貧乏だからといって、美酒を買うのをためらってはいけない)は、次の「唐詩選」の詩を踏まえる・
宴城東荘(崔敏童)
一年始めて有り 一年の春
百歳曽て無し 百歳の人
能く花前に向かって 幾回か酔う
十千 酒を沽うて 貧を辞する莫れ
この詩は、今年の年賀状に引用した。
沈山の明治になってからの詩。
東京詞 東京詞(うち二首)
一
天子遷都布寵華 天子 都を遷《うつ》して 寵華《ちょうか》を布《し》く
東京児女美如花 東京《とうけい》の児女 美なること花の如し
須知鴨水輸鷗渡 須《すべか》ベからく知るべし 鴨水《おうすい》の鷗渡《おうと》に輸《しゅ》するを
多少簪紳不顧家 多少の簪紳《ろうしん》 家を顧《かえ》りみず
【簡単な語釈と訳】寵華:恩寵をいうが、高官が花街出入り自由という皮肉が込められている 美なること花の如し:美女を言う常套句、李白「越中覧古」「宮女《きゅうじょ》花のごとく春殿に満つ」 鴨水:京都の鴨川 鷗渡:隅田川、「伊勢物語」に縁る 簪紳:身分の高い人、新政府の高官たちが花街に出入り自由になって家庭をかえりみない
二
双馬駕車載鉅公 双馬《そうば》 車に駕《つ》け 鉅公《きょこう》を載《の》す
大都片刻往来通 大都 片刻《へんこく》にして往来通ず
無由潘岳望塵拝 由《よし》無し 潘岳《はんがく》 塵《ちり》を望んで拝《はい》するに
星電突過一瞬中 星電《せいでん》突過《とっか》す ー瞬の中《うち》
【簡単な語釈と訳】双馬駕車:江戸時代、日本には「馬車」なる乗り物はなかった 鉅公:高位の人 潘岳:中国・晋の人、眉目秀麗で才知あったが、人格はもう一つで、地位高き人には、車の塵が見えなくなるまで拝んでいたという。星電突過一瞬中:でも相手は電光石火のように一瞬にして通り過ぎるのみ
沈山は「守旧派」ながら、明治の現実には皮肉ぽい目を向けている。その気質は、親戚筋にあたる永井荷風へと受け継がれているのだろう。
【参考】
江戸詩人選集第十巻「成島柳北 大沼沈山」(岩波書店)