日本人と漢詩(142)

◎私と陸游(付 杜牧)

 季節は少し進み、初冬の題材だが…

 Youtube だけではなく、今回は、AI にピンインや語釈を委ねてみた。感想はなかなかに優秀だ、が、ピンインの声調が一部間違っていた外に、詩の「鑑賞」の面で、平板というかあまり奥深いところまでは言及しない(できない)ようだ。

Chūdōng zá tí liù shǒu zhī yī Nán Sòng Lù Yóu
初 冬 杂 题 六 首 之 一  南 宋・陆 游

Xūnyè wénzhāng yì yǐ lán mùnián bùzú shì kàn shān
勲 业 文 章 意 已 阑 暮 年 不 足 是 看 山
Jiāngnán sì sì lóu kān yǐ  ān dé shēn rú Dù Mù xián
江 南 寺 寺 楼 堪 倚 安 得 身 如 杜 牧 闲

ピンイン音読

©ondoku3.com による

 陸游と杜牧とは、気質も詩趣も相当違うのだが、意外の組み合わせである。陸游は先人の句をうまく取り入れ、懐の深さを示す、それが面白い。典拠になった、杜牧の詩を示せば、「南朝四百八十寺」もその候補ではあるが…

Niàn xī qí yī WǎnTáng   Dù Mù
念 昔 遊   其 一   晩 唐 ・ 杜 牧
Shízài piāorán shéngjiǎn wài zūnqián zìxiàn zì wéichóu
十 载 飘 然 縄 検 外 罇 前 自 献 自 为 酬
Qiūshān chūnyǔ xián yínchù yǐbiàn jiāngnán sìsì lóu
秋 山 春 雨 闲 吟 処 倚 遍 江 南 寺 寺 楼

AI による訳文
十年ものあいだ、私は世のきまりにしばられず気ままに生きてきた。
酒席では自分で酒をすすめ、自分でそれにこたえて飲む。
秋の山や春の雨の中で、のんびり詩を吟じながら、
江南の寺々の楼に寄りかかるようにして、あちこち歩き尽くした。

ピンイン音読

©ondoku3.com による

Chūdōng zá tí liù shǒu zhī èr Nán Sòng Lù Yóu
初 冬 杂 题 六 首 之 二  南 宋・陆 游

Mò xián fēngyǔ zuò xīn hán  yīshù qīngfēng yǐ bàn dān
莫 嫌 风 雨 作 新 寒 一 树 青 枫 已 半 丹
Shēn zài Fàn Kuān túhuà lǐ  xiǎo lóu xī jiǎo shèng píng lán
身 在 范 寛 図 画 里 小 楼 西 角 剩 凭 阑

Chūdōng zá tí liù shǒu zhī sān Nán Sòng Lù Yóu
初 冬 杂 题 六 首 之 三  南 宋・陆 游

Fēng hèng yún dī yǔjiǎo xiá  yīzhī róu lǔ mù yī yá
风 横 云 低 雨 脚 斜 一 枝 柔 橹 暮 咿 唖
Hūnhūn zuì wò zhī héchǔ  tuīqǐ chuánpéng hū dào jiā
昏 昏 酔 卧 知 何 処 推 起 船 篷 忽 到 家

Chūdōng zá tí liù shǒu zhī sì Nán Sòng Lù Yóu
初 冬 杂 题 六 首 之 四  南 宋・陆 游

Wǔdǒu ān néng jiě zuì chéng  mèngténg shuìyǎn qiè chuāng míng
五 斗 安 能 解 酔 酲 梦 腾 睡 眼 怯 窓 明
Cèxūn làiyǒu chūnyá zài  wòtīng shāntóng zhuǎn wèishēng
策 勲 頼 有 春 芽 在 卧 聴 山 童 転 磑 声

Chūdōng zá tí liù shǒu zhī wǔ Nán Sòng Lù Yóu
初 冬 杂 题 六 首 之 五  南 宋・陆 游

Huāng jiāo hán yǔ wǎn qīqī  sì bì chuān tuí xuán bǔ ní
荒 郊 寒 雨 晩 凄 凄 四 壁 穿 頽 旋 补 泥
Wù wǒ yuán xū gè ānwěn  zì shān niúwū zhī jīqī
物 我 元 须 各 安 稳 自 苫 牛 屋 织 鶏 栖

Chūdōng zá tí liù shǒu zhī liù Nán Sòng Lù Yóu
初 冬 杂 题 六 首 之 六  南 宋・陆 游

Fēngyǔ shēng háo rù mèngzhōng  bùzhī shēnshì jì gū péng
风 雨 声 豪 入 梦 中 不 知 身 世 寄 孤 蓬
Hú qiú zhān mào rú lóngmǎ  Tiānhàn xīnán Xiǎoyì dōng
狐 裘 毡 帽 如 龙 马 天 汉 西 南 小 益 东

日本人と漢詩(141)

◎私と陸游

Jiǔyuè huìrì zuò sì shǒu zhī yī  Nán Sòng Lù Fàngwēng
九 月 晦 日 作 四 首 之 一 南 宋・陆 放 翁

Júzhī qīngdǎo bùchéng cóng  tóngyè diāolíng yǐ bànkōng.
菊 枝 倾 倒 不 成 丛 桐 叶 凋 零 已 半 空
Zì shì lǎolái duō gǎnkǎi  bù yīng xiāosè wèi qiūfēng
自 是 老 来 多 感 慨 不 応 萧 瑟 为 秋 风

Chūdōng zá tí liù shǒu zhī èr Nán Sòng Lù Yóu
初 冬 雑 题 六 首 之 二 南 宋・陆 游

Mò xián fēngyǔ zuò xīn hán  yīshù qīngfēng yǐ bàn dān.
莫 嫌 风 雨 作 新 寒 一 树 青 枫 已 半 丹
Shēn zài Fàn Kuān túhuà lǐ  xiǎo lóu xī jiǎo shèng píng lán
身 在 范 寛 図 画 里 小 楼 西 角 剩 凭 阑

Chūdōng zátí liù shǒu zhī wǔ   Nán Sòng Lù Yóu
初 冬 雑 题 六 首 之 五 南 宋・陆 游

Huāng jiāo hán yǔ wǎn qīqī  sì bì chuān tuí xuán bǔ ní
荒 郊 寒 雨 晩 凄 凄 四 壁 穿 頽 旋 补 泥
Wù wǒ yuán xū gè ānwěn  zì shān niúwū zhī jīqī
物 我 元 须 各 安 稳 自 苫 牛 屋 织 鶏 栖

Chūdōng zá tí liù shǒu zhī liù  Nán Sòng Lù Yóu
初 冬 雑 题 六 首 之 六 南 宋・陆 游

Fēngyǔ shēng háo rù mèngzhōng  bùzhī shēnshì jì gū péng
风 雨 声 豪 入 梦 中 不 知 身 世 寄 孤 蓬
Hú qiú zhān mào rú lóngmǎ  Tiānhàn xīnán Xiǎoyì dōng
狐 裘 毡 帽 如 龙 马 天 汉 西 南 小 益 东

Sù fēngqiáo Nán Sòng Lù Yóu
宿 枫 桥   南 宋・陆 游

Qīnián bú dào fēngqiáosì kèzhěn yīrán bàn yèzhōng
七 年 不 到 枫 桥 寺 客 枕 依 然 半 夜 钟
Fēngyuè wèi xū qīng gǎnkǎi bāshān cǐ qù shàng qiānchóng

风 月 未 须 軽 感 慨 巴 山 此 去 尚 千 重

○楓橋に宿りて 『陸放翁鑑賞』から 河上肇訳
七年(ななとせ)ぶりに来てみれば
まくらにかよふ楓橋のむかしながらの寺の鐘
鐘のひびきの悽(かな)しくも そそぐ泪はをしめかし
身は蜀に入る客にして 巴山はとほし千里の北

【感想】唐・張継の「月落ち烏鳴いて…」の七絶を踏まえ、しかも自らの身の上に重ねて詠っている。河上肇の訳も、もう一つ河上の心情を重ねるようで、名訳である。

Chāi tóu fèng Nán Sòng Lù Fàngwēng
釵 頭 鳳  南 宋・陆 放 翁

Hóngsū shǒu huángténg jiǔ  mǎnchéng chūnsè gōngqiáng liǔ
红 酥 手 黄 縢 酒 满 城 春 色 宫 墙 柳
Dōngfēng è  huanqíng báo  yī huái chóu xù
东 风 恶 欢 情 薄 一 怀 愁 绪
Jǐnián lìsuǒ Cuò cuò cuò
几 年 离 索 错 错 错
Chūn rú jiù rén kōng shòu  lèihén hóngjiāo tòu
春 如 旧 人 空 痩 涙 痕 红 鲛 透
Táohuā luò xián chígé  shānméng suī zài  jǐ shū nán tuō  Mò mò mò
桃 花 落 闲 池 阁 山 盟 虽 在 锦 书 难 托 莫 莫 莫


・陸游・釵頭鳳・詩詞世界

【感想】陸游・若き頃のトラウマ―娶った若妻との不条理な別れ―が、いつまでも尾を引いている。「错 错 错」(間違っていた!)との心の中の響きが繰り返しているのが、痛ましい!

日本人と漢詩(140)

◎ 私とテレサ・テン、蘇軾、李煜、辛棄疾、范仲淹
Dàn yuàn rén cháng jiǔ Běi Sòng Sūshì
但 愿 人 长 久   北 宋 ・ 苏 轼

Míngyuè jǐshí yǒu bǎjiǔ wèn qīngtiān  bùzhī tiānshàng gōngqué  jīnxī shì hé nián  bùzhī tiānshàng gōngqué  jīnxī shì hé nián
明 月 几 时 有 把 酒 问 青 天 不 知 天 上 宫 阙 今 夕 是 何 年

wǒ yù chéng fēng guī qù  wéikǒng qióng lóu yùyǔ gāo chù bùshēng hán qǐwǔ nòng qīng yǐng hé sì zài rénjiān
我 欲 乘 风 归 去 唯 恐 琼 楼 玉 宇 高 处 不 胜 寒 起 舞 弄 清 影 何 似 在 人 间

Zhuǎn zhū gé dī yǐ hù zhào wúmián  bù yīng yǒu hènhé shì cháng xiàng bié shíyuán
转 朱 阁 低 绮 户 照 无 眠 不 应 有 恨 何 事 长 向 别 时 圆
Rén yǒu bēihuān líhé  yuè yǒu yīnqíng yuánquē
人 有 悲 欢 离 合 月 有 阴 晴 圆 缺
Cǐshì gǔ nán quán  dàn yuàn rén zhǎngjiǔ  qiānlǐ gòng chánjuān
此 事 古 难 全 但 愿 人 长 久 千 里 共 婵 娟

邓 丽 君(Dèng Lìjūn Teresa Teng)

Yúměirén Nántáng Lǐ Yù
虞 美 人 南 唐・李 煜

Chūnhuā qiūyuè hé shí liǎo  Wǎngshì zhī duōshǎo
春 花 秋 月 何 时 了 往 事 知 多 少
Xiǎolóu zuóyè yòu dōng fēng  Gùguó bùkān huíshǒu yuèmíng zhōng
小 楼 昨 夜 又 东 风 故 国 不 堪 回 首 月 明 中
Diāolán yùqì yīng yóuzài  Zhǐ shì zhūyán gǎi
雕 栏 玉 砌 应 犹 在 只 是 朱 颜 改
Wènjūn néngyǒu jǐ duōchóu  Qià shì yīiāng chūnshuǐ xiàng dōngliú
问 君 能 有 几 多 愁 恰 似 一 江 春 水 向 东 流

邓 丽 君(Dèng Lìjūn Teresa Teng)

Chǒunúér Shū bóshān dàozhōngbì NánSòng XīnQìjí
丑 奴 儿 · 书 博 山 道 中 壁   南 宋・辛 弃 疾

Shǎonián bù shí chóu zī wèi Ài shàng cénglóu Ài shàng cénglóu Wèi fù xīncí qiáng shuōchóu
少 年 不 识 愁 滋 味 爱 上 层 楼 爱 上 层 楼 为 赋 新 词 强 说 愁
Èrjīn bùshí jìn chóu zīwèi Yù shuō huánxiū yù shuō huánxiū Què dào tiānliáng hǎogè qiū
而 今 识 尽 愁 滋 味 欲 说 还 休 欲 说 还 休 却 道 天 凉 好 个 秋

邓 丽 君(Dèng Lìjūn Teresa Teng)

Sūmùzhē Bìyúntiān BěiSòng Fàn Zhòngyān
苏 幕 遮 · 碧 云 天   北 宋   范 仲 淹

Bì yún tiān Huáng yè dì Qiūsè lián bō Bōshàng hányān cuì
碧 云 天 黄 叶 地 秋 色 连 波 波 上 寒 烟 翠
Shān yìng xié yángtiān jiēshuǐ Fāngcǎo wú qíng Gèng zài xié yáng wài
山 映 斜 阳 天 接 水 芳 草 无 情 更 在 斜 阳 外
àn xiāng hún Zhuī lǚ sī Yèyè chú fēi Hǎomèng liúrén shuì
黯 乡 魂  追 旅 思 夜 夜 除 非 好 梦 留 人 睡
Míngyuè lóu gāo xiū dúyǐ Jiǔ rù chóucháng Zuà zuò xiāngsī lèi
明 月 楼 高 休 独 倚  酒 入 愁 肠 化 作 相 思 泪

邓 丽 君(Dèng Lìjūn Teresa Teng)

Chánghuán  Dèng Lìjūn (Teresa Teng)
偿 还 邓 丽 君(Teresa Teng)

カタカナで…

チェン モ ダ ズイ チュン  ハイ リウ ジョア レイ ヘン  ジョア ブ シ イェン ジー ホン フェン  カー イェン シ ダ シャン ヘン
ポ スイ ダ シン リン  リウ シー ラ ドゥオ シャオ ダ チン  ミー ブ ダ ホァン イェン  
チャン ハイ ダ ジエ コウ  ウオ ブ ホイ チュイ ダン ジェン

*アイ ダ シン ル リュ チョン  ジー ノン ゴウ ニー ウオ リァン ゴォ レン  ブ カー ノン シ ウオ ドゥ パイ ホァイ  イエ ブ カー ノン サン レン ハン
ニー カー イー チュイ ジャオ シン ダ リェン チン  イエ カー イー ブ リウ イー ディエン イン シュン  ダン ブ ヤオ ヨン チャン ハイ ズオ ジエ コウ  ザイ ラン ウオ シャン シン *

アイ クー ダ イェン ジン  ラン レイ シュイ ラン ホン  ヤオ ドゥオ シャオ スイ ユエ シー グァン  ツァイ イー ワン ジョア ドゥァン チン
ツイ ルオ ダ シン チン  ハイ リウ ジョア ニー ダ シャン ヘン  ミー ブ ダ ホァン イェン  チャン ハイ ダ ジエ コウ
ウオ ゼン モ ノン シァン シン  アイ ダ シン ル リュ チョン  ウオ ツォン ジン ダー イン ニー チェン イン
ジョア ジー ノン シュオ ウオ タイ ドゥオ チン  ブ ガン マイ ユェン ニー ウー チン  ウオ ツォン ジン ナイ シン ティン ニー ビァオ ミン  イエ イー ジン リァン ジエ ニー ダ クー ジョン
チン ブ ヤオ ヨン チャン ハイ ズオ ジエ コウ  シャン ラ ウオ ズー ズン

デイケアの、卡拉OK(kǎlā OK)で披露しようかしら(笑)

K君のこと

 先日、K君を偲ぶ会があったので、次のような挨拶をした。(固有名詞は、伏せておく。)

 ここに列席の方々よりも長く、K君との大学卒業後の半世紀近くのかかわりを5分間で話せと言うのは、どだい無理な話で、予定では、まる1日かかるか、大幅に詰めて、3時間くらいかかることを、まずご容赦くださいね。だめ、早く引っ込めと言われるなら、最低2つのことに絞って話させていただきます。
 第一には、研修医時代が終わりかけたある日、K君から、今度診療所に全面的に赴任するという話がありました。それを聞いた時、驚天動地の思いを抱いたことを今も覚えています。考えてもごらんなさい。医師という職業は、いい意味でも悪い意味でも「エリート」の地位にあります。それは私たちの病院といえども例外ではありません。大学では、助手からはじまって、講師→助教授→教授と登り詰めるのが、目標でした。市中病院でも、診療科長→院長というラインも同様です。診療所は、パート的に出向しても、そこに居続けることは、リタイアされた医師がかろうじてかかわる場でありました。若くしてオルタナティブな未来を選択され、自分にはとうていできない志を高く持たれたことに感服しました。そして、この決断は、次に控えられるO先生や、不肖わたくしにも道筋を示していただいた先駆者でした。
 第二には、それにもまして感心したのは、別に誰彼を非難しているわけではありませんが、リタイア後に診療所で役割を持った医師は、とかく自己流の診療スタイルに陥りがちです。しかし、K君はそこと一線を画しました。私の医学部時代の先輩と共同で「P-MAN」という慢性疾患プログラムがPC上での開発に深く関わりました。その中では、医学的に根拠のある真実を、理論的、統計学的にあきらかにされました。K君の雑誌投稿の論文をいくつかを読みましたが、その中で、興味あることにぶつかりました。高齢者のADL(日常運動労作)を低下させる大きな要因はなにか?解りますか?正解者には、今日の昼飯をおごります(笑)。この設問はヒントを兼ねていますが、そうです、食事の貧困さ、極論すればそもそも食事が摂れないことです。その後は、医学的なエビデンスとして、当法人では、配食サービスを充実させる大きなきっかけになりました。
 最後に、コロナ禍のある日、発生が疑われるので。緊急でコロナウィルスの PCR 検査を夜中までかかり、行ったことがあります。おかげで、蔓延は最小限度にくいとめましたが、あとでK君から「第一線の医療機関」らしいと称賛の言葉をいただきました。他には、だれも他には褒めてくれなかったに関わらずに、です。(笑)正直、嬉しかったです。この時ほど、K君と同じ方向を向いていたことに喜びを感じたことはありません。

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 月並みにいえば、故人の残したものを受け継ぎ、がんばろうというところですが、私には、もうそんな気力も時間もないかもしれません。ここにおられる皆さんへの、K君を代弁しての気持ちをくんでいただくことをお願いしてメッセージを終わります。最後の最後に、K君の主治医であったI先生のご著書(武川甲州 ”インビジブルライン 見えない線を超えて心は開かれる” (Amazon )を紹介します。どうぞ読んでください。ご清聴ありがとうございました。

 写真は、 I 先生のご著書の表紙とコロナウィルス(CA19-9)PCR 法の結果を示すディスプレイ。

日本人と漢詩(139)

◎ 私とテレサ・テン、詩経、古詩

Shījìng Guó fēng Zhōu nán Táoyāo
『诗 経』 国 风 ・ 周 南 桃 夭

Táo zhī yāoyāo zhuózhuó qí huá  Zhīzǐ yú guī yí qí shìjiā
桃 之 夭 夭 灼 灼 其 华 之 子 于 归 宜 其 室 家
Táo zhī yāoyāo yǒufén qí shí  Zhīzǐ yú guī yí qí jiāshì
桃 之 夭 夭 有 蕡 其 実 之 子 于 归 宜 其 家 室
Táo zhī yāoyāo qíyè zhēnzhēn Zhīzǐ yú guī yí qí jiārén
桃 之 夭 夭 其 叶 蓁 蓁 之 子 于 归 宜 其 家 人

Youtube 参照

Shījìng Guófēng Qínfēng Jiānjiā
『诗 経』 国 风・秦 风 蒹 葭
Jiānjiā cāngcāng báilù wèi shuāng  suǒwèi yīrén zài shuǐ yīfāng
蒹 葭 苍 苍 白 露 为 霜 所 谓 伊 人 在 水 一 方
Jiānjiā qīqī báilù wèi xī  suǒwèi yīrén zài shuǐ zhī méi
蒹 葭 萋 萋 白 露 未 晞 所 谓 伊 人 在 水 之 湄
Sùhuí cóng zhī dào zǔ qiě jī sù yóu cóng zhī wǎn zài shuǐzhōng chí
溯 洄 从 之 道 阻 且 跻 溯 游 从 之 宛 在 水 中 坻
Jiānjiā cǎicǎi báilù wèi yǐ suǒwèi yīrén zài shuǐ zhī sì
蒹 葭 采 采 白 露 未 已 所 谓 伊 人 在 水 之 涘
Sù huí cóng zhī dào zǔ qiě yòu sù yóu cóng zhī wǎn zài shuǐ zhōng zhǐ
溯 洄 从 之 道 阻 且 右 溯 游 从 之 宛 在 水 中 沚

Zài shuǐ yīfāng Dèng Lìjūn
在 水一 方 邓 丽 君(Teresa Teng)

上記、Youtube
語釈などは、愛の物語―詩経の新解釈を参考のこと

Gǔshī shíjiǔ shǒu zhī shíwǔ
古 诗 十 九 首 之 十 五

Shēngnián bùmǎn bǎi  cháng huái qiānsuì yōu  Zhòu duǎn kǔ yè cháng  hébù bǐng zhú yóu
生 年 不 满 百 常 懐 千 歳 忧 昼 短 苦 夜 长 何 不 秉 烛 游
Wéi lè dāng jí shí  hé néng dài láizī Yúzhě āixī fèi  dàn wéi hòushì chī
为 楽 当 及 时 何 能 待 来 兹 愚 者 哀 惜 费 但 为 后 世 嗤
Xiānrén Wángzǐ Qiáo nán kě yǔ děng qī
仙 人 王 子 乔 难 可 与 等 期

Youtube はまなかひとしさん 参照のこと

Gǔ shī Shíjiǔ shǒu zhī yī
古 诗 十 九 首 之 一

Xíngxíng chóng xíngxíng yǔ jūn shēng biélí  Xiāngqù wàn yú lǐ gè zài tiān yī yá
行 行 重 行 行 与 君 生 别 离 相 去 万 余 里 各 在 天 一 涯
Dàolù zǔ qiě cháng, huìmiàn ān kězhī  Hú mǎ yī běifēng Yuè niǎo cháo nán zhī
道 路 阻 且 长 会 面 安 可 知 胡 马 依 北 风 越 鸟 巣 南 枝
Xiāngqù rì yǐ yuan yī dài rì yǐ huǎn  Fúyún bì bái rì yóuzǐ bùgù fǎn
相 去 日 已 远 衣 带 日 已 缓 浮 云 蔽 白 日 游 子 不 顾 反
Sī jūn lìng rén lǎo suì yuè hū yǐ wǎn  Qì juān wù fù dào nǔlì jiā cān fàn
思 君 令 人 老 歳 月 忽 已 晩 弃 捐 勿 复 道 努 力 加 餐 饭

Youtube はまなかひとしさん 参照のこと

Gǔ shī shí jiǔ shǒu zhī shí sì
古 诗 十 九 首 之 十 四

Qù zhě rì yǐ shū  shēng zhě rì yǐ qīn  Chū guōmén zhíshì  dàn jiàn qiū yǔ fén
去 者 日 以 疎 生 者 日 以 亲 出 郭 门 直 视 但 见 丘 与 坟
Gǔ mù lí wéi tián  sōngbǎi cuī wéi xīn  Báiyáng duō bēi fēng  xiāoxiāo chóu shārén
古 墓 犂 为 田 松 柏 摧 为 薪 白 杨 多 悲 风 萧 萧 愁 杀 人
Sī huán gù lǐlǘ  yù guī dào wú yīn
思 还 故 里 闾 欲 帰 道 无 因

Youtube はまなかひとしさん 参照のこと

日本人と漢詩(138)

◎ 私と陶淵明

私の最も好みの一人、五柳先生の詩からいくつかを取り上げてみた。

Záshī shí‘èr shǒu zhī yī  Dōng jìn Táo Yuānmíng
雑 诗 十 二 首 之 一  东 晋・陶 渊 明
Rénshēng wú gēndì piāorú mò shàng chén.
人 生 无 根 蔕 飘 如 陌 上 尘
Fēnsàn zhú fēng zhuǎn cǐyǐ fēi cháng shēn.
分 散 逐 风 転 此 已 非 常 身
Luòdì wéi xiōng dì hébì gǔ ròu qīn
落 地 为 兄 弟  何 必 骨 肉 亲
Dé huān dāng zuò lè dǒujiǔ jù bǐ lín.
得 歓 当 作 楽 斗 酒 聚 比 隣
Shèngnián bù chóng lái yī rì nán zài chén
盛 年 不 重 来 一 日 难 再 晨
Jíshí dāng miǎnlì suì yuè bù dài rén
及 时 当 勉 励 歳 月 不 待 人

訓読、語釈、ピンイン読みは、はまなかひとしさんの Youtube コーナーを参考のこと

Záshī èr shǒu qí yī Dōngjìn Táo Yuānmíng
雑 诗 二 首(其 一) 东晋・陶 渊 明
Jiélú zài rén jìng,  érwú chē mǎ xuān
结 庐 在 人 境 而 无 车 马 喧
Wènjūn hé néng ěr xīnyuǎn dì zì piān
问 君 何 能 尔 心 远 地 自 偏
Cǎijú dōng lí xià  yōurán wàng Nánshān
采 菊 东 篱 下 悠 然 望 南 山
Shānqì rì xī jiā  fēiniǎo xiāng yǔ huán
山 気 日 夕 佳 飞 鸟 相 与 还
Cǐhuán yǒu zhēn yì  yùbiàn yǐ wàng yán
此 还 有 真 意 欲 弁 已 忘 言

訓読、語釈、ピンイン読みは、はまなかひとしさんの Youtube コーナーを参考のこと

【私見】

菊を采る 東籬とうりの下もと 悠然として南山を見る

は、「菊を摘んで取ったら、南山が見えた」というニュアンスではなく、「菊をそっと押しのけると南山が現れた」と解釈したほうが情緒深く感じられる。

Záshī èr shǒu zhī èr qī Dōngjìn Táo Yuānmíng
雑 诗 二 首 之 二 ( 饮 酒 二 十 首 之 七 )  东 晋 ・ 陶 渊 明
Qiū jú yǒu jiā sè yìllù duō qí yīng
秋 菊 有 佳 色 裛 露 掇 其 英
Fàncǐ wàng yōu wù yuàn wǒ dá shì qíng
泛 此 忘 忧 物 远 我 达 世 情
Yīshāng suī dú jìn bēijìn hú zì qīng
一 觞 虽 独 进 盃 尽 壶 自 倾
Rìrù qún dòng xī guīniǎo cù qū lín míng
日 入 群 动 息 帰 鸟 趋 林 鸣
Xiàoào dōng xuān xià liáofù dé cǐ shēng
啸 傲 东 轩 下 聊 复 得 此 生

訓読、語釈は、はまなかひとしさんの Youtube コーナーを参考のこと

Dú shānhǎijīng  Dōngjìn Táo Yuānmíng
読 山 海 経  东 晋 ・陶 渊 明
Mèngxià cǎo mù zhǎng ràowū shù fú shū.
孟 夏 草 木 长 绕 屋 树 扶 疏 
Zhòngniǎo xīn yǒu tuō wúyì ài wú lú
众 鸟 欣 有 托 吾 亦 爱 吾 庐 
Jìgēng yì yǐ zhòng qiěhuán dú wǒ shū.
既 耕 亦 已 种 且 还 読 我 书 
Qióngxiàng gé shēn zhé  pōhuí gù rén chē
穷 巷 隔 深 辙 颇 回 故 人 车 
Huānyán zhuó chūn jiǔ zhāiwǒ yuán zhōng shū
歓 言 酌 春 酒 摘 我 园 中 蔬 
Wēiyǔ cóng dōng lái hǎofēng yǔ zhī jù
微 雨 従 东 来 好 风 与 之 倶   
Fànlǎn Zhōu wáng zhuàn liúguān Shānhǎi tú
泛 覧 周 王 伝 流 観 山 海 図
Fǔyǎng zhōng yǔ zhòu bùlè fù hé rú
俯 仰 终 宇 宙 不 楽 复 何 如

訓読、語釈、ピンイン読みは、はまなかひとしさんの Youtube コーナーを参考のこと。

図は、「泉聲悠韻」から。

読書ざんまいよせい(098)

◎ 巌窟王【補足1】

Wikipedia と、黒岩涙香訳「巌窟王」から、合成した。

エドモン・ダンテスと協力者
エドモン・ダンテス / モンテ・クリスト伯爵 (Edmond Dantès / le Comte de Monte Cristo)
モレル商会の一等航海士。20歳前にしてファラオン号の船長への昇格が約束され、恋人メルセデスとの結婚も間近と幸福の絶頂にあった。しかし彼を疎ましく思う者たちの策謀により、無実の罪でシャトー・ディフの土牢に収監され、14年もの獄中生活を強いられる。またその間に父親は他界、婚約者も奪われるという憂き目に遭ってしまう。獄中でファリア神父に出逢ったことで自身が陥れられたという真実を悟り、仇敵への復讐を決意する。同時に神父の知識を受け継ぎ、さらには莫大な財宝の在り処も教えられる。
やがて神父が息を引き取ると、彼の遺体と入れ替わって脱獄に成功する。脱獄後に神父から授かったモンテクリスト島の財宝を見つけ出し莫大な富を手に入れると、自身が陥れられた経緯の調査、自身を救済しようとしてくれた人への恩返しを経て、9年後、イタリアの貴族「モンテ・クリスト伯爵」としてパリの社交界へと現れ、仇敵との再会を果たす。そして、かねてより計画していた復讐を実行していく。
作中で数多くの別名・偽名で呼ばれており、以下のような名前がある。
エドモン・ダンテス – 本名
34号 – シャトー・ディフでの囚人番号。
マルタ – 脱獄後に拾われた密輸船の船員から呼ばれた名。マルタ生まれと称したことから。
ウィルモア卿 – 財宝入手後に自分の船を買った際、別途入手した身分証明書に書かれていたイギリス人の名前。後にモンテ・クリスト伯爵と3回決闘した敵対者と称する。
ジャコモ・ブゾーニ司祭 – 獄死した(と偽った)ダンテスの最後を看取ったイタリア人の司祭。モンテ・クリスト伯爵の友人。
トムソン&フレンチ商会の番頭 – イタリアの商社に勤めるイギリス人。モレル商会の債権を買い集めて最大出資者になった。
船乗りシンドバッド – 破産しかけたモレル家を救済した時に名乗った名。後に、密輸業者や山賊たちから一目置かれるモンテ・クリスト島の大富豪としても名乗る。
モンテ・クリスト伯爵

黒岩涙香訳「巌窟王」上巻
團友太郎(エドモン・ダンテス)
數竒の運命とたゝかひぬく本篇の主人公。後の巖窟島伯爵(モンテ・クリスト伯)。
巖窟島いはやじま伯爵(モンテ・クリスト伯)
  本名 團友太郎(エドモン・ダンテス)數竒の運命とたゝかいぬく本篇の主人公。

読書ざんまいよせい(097)

巖窟王(下 その10)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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Youtube 【原作朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 114「ペッピーノ」
Youtube 【原作朗読】最終回・モンテ・クリスト伯(巌窟王) 117「十月五日」

巖窟王 : 二六五 斷末魔・一

蛭峰が突つんのめる樣に歩み寄つた其戸口の番人さへも呆氣に取られて居る、彼は戸を開けて好いか開けぬが好いかをさへ知らぬ、けれど蛭峰を遮る勇氣は無い、遽あわてゝ戸を開いた、蛭峰は出で去ツた。

後で裁判所の混雜は一方ならぬ、今まで魔睡した樣に成つて居た傍聽一同、初めに徐々に、次は急に、最後は海嘯つなみの推寄せる程の勢で、目が覺めた、眞に意外な、恐ろしい裁判で有ツた、イヤ裁判には成らずに止んだ、けれど此樣な事を見た事が無い、口々に驚きや訝かりや樣々の事を語り合ひ初めた、鼎かなへの湧く景状ありさまである、流石の判事一同及び裁判長までも蛭峰の去つて暫しの間は、唯だ顏を見合せて、唖の状であツた、けれど遂に氣が附いて裁判長は宣言した「今日の裁判は之で延期と致し、次囘の開廷期へ讓ります、其間に必ず豫審の調べ直しと爲り、爾して裁判官の人を替へ更に裁判するに至るでせう」吾々は最早斯樣な裁判は取扱ひ得ぬとの意を含んで居るのだ、裁判長が是れほど迄に云ふは前後に殆ど類が無い、陪席判事も陪審員も、無言で有るけれど、再び斯樣な恐ろしい裁判に關與たづさはり得ぬとの事は同感らしい。

傍聽人の言つて居る事柄などは千状萬態で茲に一々記す事は出來ぬけれど「被告辨太郎は何うなるのだらう」と云ひ「蛭峰の舊惡には驚いた」と云ひ「親が子を論告して、反對に子より舊惡を訐あばかれるとは全く天のする業わざだ」など云ふのは多かツた、併し大抵の人が辨太郎は眞逆に死刑には成らぬだらう、情状を酌量して終身刑に處せられるだらうと云つた可なり法律に通じた人も無論爾さと云つて居た。

其れは扨さて置き、戸を開いて出た蛭峰の状は見ものである、彼は帽子を冠る事さへ知らぬは勿論の事、其身が足で歩して居るか頭で歩して居るかをも辯ぜぬ容子である、夢遊病の患者が歩む樣にフラ〳〵と歩み石廊に出て走つた、茲には入後れた傍聽人や、他の裁判の室へ出入りする人などが蟻集ぎしふして居る、此人々は、一人中から出て來る者の有る度に取圍んで中の容子を爭ひ聞くので、直に蛭峰の周圍まはりへ馳寄つた、けれど一目蛭峰の顏を見て飛び退のいた。

實に蛭峰の顏は誰とて飛び退のかぬ事の出來ぬほど物凄い、筋と云ふ筋には悉く血が漲みなぎつて隆起して居る、血走つた眼まなこの光り、引痙ひきつつた頬の蹙ゆがみ、怒れる虎よりも恐ろしい、誰が此前に立つことが出來やう、全く蛭峰は無人の境地を行く如く群衆の中を通り裁判所の出口まで出た、幸茲に居合せたのが彼の馬車である、彼は誰の馬車とも見分けずに之に乘つた、馭者は問ふた「お歸りですか」蛭峰は返辭をせぬ、返辭の無いのは歸るのだらうと馭者は氣を利かせて家の方へ馬車を向けた、全く蛭峰の身には、今裁判所の中で力の盡きた反動が出て來た、死人の樣に見えて居た彼の顏は火の樣になツた、震へて居た齒の根は切齒はぎしりする樣に堅く結ばれた、手は手の掌ひらへ爪の立つ程に握り詰めた、爾して腦髓も電光の如く忙しく動き初めた、けれど腦髓が動けば動くほど益々逃れる道の無い其身の末運が合點が行くのだ、此後を何うして好いか思案が浮ばぬ、彼は考へて又考へた、何うしても思案の無い苦しさに又叫んだ「考へるだけ無益だ、無益だ、本統に、神の手で罰せられたもの、何としたとて逃れる事が出來る者か」

叫びつゝ狼が檻の中を見廻す如く馬車の中を見廻したが膝の脇なる蓐しとねの上に一本の扇子の有るのが目に留まツた、是は今朝彼の妻が自分で乘つて用逹ようたしに出る積りで外の品と共に入れたのをツイ取殘して置いたのだ、此小さい一物が大なる動機である。

初め彼、心も無く之を取上げたが、手に置いて見直すと共に、忽ち妻の事を思ひ出した、彼は不意に痛みを受けた樣に叫喚した、吁あゝ彼は家を出る時其妻に何と云ツた、家の恥辱を雪ぐ爲め毒藥を以て自殺せよと命じた、退引のつぴきの成らぬ樣に鐡案を宣告した、今は何うである、妻に此樣な宣告をする資格が有るだらうか、妻が家名を汚さぬうちに自分が家名を汚したのだ、妻の汚し方よりも幾倍重い、其れも事實を云へば今の妻を迎へぬ先に汚して居たのだ、今は唯だ其事を露見したと云ふに過ぎぬ、此樣な身を以て妻に家名を汚すなとは何うして云つた、妻を死なせるならば自分が先に死なねば成らぬ妻には毒害せねば死刑臺に上されるぞとの意を繰返し〳〵言つて威おどして、アヽ死刑臺は自分の方が當然に上る可きである、此樣な者の妻となつたればこそ所天をつとの心中に潛んで居る極惡が妻の身に感染したのだ、此樣な者の妻となつて、誰だとて惡人と成らずに居られる者か、鬼の妻に鬼神と云ふは是である「アヽ何うしても妻を死なせては成らぬ、斯うなれば最う破れかぶれだ、妻を引連れ世界の果へまで出奔しやう」惡人の後悔は善人の後悔とは違ふ、善人は後悔して善に還り、惡人は惡を遺して逃れるのだ、惡を遂げるとは此事である、彼は全く其氣に成つた、何でも妻と逃れる外は無いとは云へ妻は猶だ活て居るだらうか、先刻鐡案を宣告して家を出てより未だ二時間とは經ぬ、毒を呑んで死ぬるにしても後に殘る兒供の手當や、其外にも用意が有らう、急いで歸れば未だ死なぬ所へ行く見込は有る。

斯う思ふと共に、彼は突然 首かうべを馬車の窓の外に出し、馭者に令した「早く家へ、早く、早く」

頓やがて家には着いた、飛ぶ樣に内へ入り妻の室に馳せ附けた生憎戸に錠が卸りて居る、アヽ遲かツたかと彼は胸を突かれる樣に感じた、けれど叩いて見ると、中で何だか物音がする、有難や猶だ活て居るのかと思ひ「開けろ、開けろ」眞に聲を限りである、けれど開けぬ、彼は全身の重さを以て幾度も戸に突當り、漸くに戸を破り得た、爾して轉がる如くに中に入れば妻は室の隅に立て居る、けれど最う遲過ぎた、今までは未練な心で死にも得せずに居たけれど所天をつとの戸を叩く荒々しい音を聞き愈々逃れぬ時が來たと知り、戸の破れると同時に最後の毒藥を仰ぎ呑んだ、立て居たのは是から倒れんとする所で有ツたのだ、「オヽ」と叫んで蛭峰が近づくと同時に呑み乾て空になツた硝子瓶が力の無い手から落ちた。
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読書ざんまいよせい(096)

巖窟王(下 その9)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 100「幻影」

巖窟王 : 二四六 華子・一

嚴しく辨太郎を取調べて巖窟島伯爵の身の祕密を看破せんとは流石に蛭峰大檢事である、茲へ目を付けたのは多年の職掌から得た烱眼と云ふ可きであらう。

併し段倉男爵夫人は何うあツても此取調べを延ばして貰ひ度い、我娘夕蝉が更に然る可き所天をつとを定めぬうちに辨太郎の噂が益々世に立つ樣で有つては、娘が生涯身を定め損ふのみか母たる自分の名譽に迄も少からず影響すると思ひつめてゐる、其れは勿論無理も無い所であらう。

夫人は此心を以て猶も及ぶだけ説いた、けれど蛭峰が承知せぬので、果は腹立てゝ聲も荒く「貴方は職務の爲め、何うしても罪人を取調べねば成らぬ事柄が有りませう、内の罪人は捨て置いても外の罪人は調べると仰有るのですか」と叫んだ、是れは確に蛭峰の家に怪しい死人のみ引續くに蛭峰が職掌ながら其原因を調べず打棄て置くのを指した者である、既に世間で密々ひそ〳〵噂して居る所なんだ、蛭峰は曾かつて赤らんだ事の有るまいと思はれる顏を火の樣にして面目無げに俯向うつむいて了ツたが、稍やゝあツて辨解の樣に「イヤ夫人、世間で私の家の不幸に對し樣々の噂の有る事は知らぬでは有りません、今は貴方まで其噂にかぶれ、其樣な事を仰有るは誠に私の遺憾とする所では有りますが、既に證據の上ツて居る罪人と、未だ誰とも目指す事の出來ぬ事件とは、事譯が違ひます、私の家の不幸とても明かに誰の所爲と認める事が出來るなら、私は決して容赦は致しません、蛭峰の一身は一身で無く法律の道具ですから、丁度辨太郎を嚴重に取調べる如く我家の者をも嚴重に調べます、けれど夫人、此家の事は唯だ世人の疑ひに止まツて何等の取留める所も無いのです」殆ど自分で自分の穴を掘る樣な言葉では有るまいか、夫人「イヽエ私は逹たつて御自分の内をお調べ成さいと云ふのでは無いのです、御自分の内を延ばして置く樣に小侯爵イヤ辨太郎とやらの件をも延ばして下さいと云ふのです」蛭峰「サア其れが出來ぬのです」夫人は何と云ふも甲斐無きを悟り、殆ど席を蹴る程の劍幕で立去ツた、是で辨太郎の裁判も遠くは無いと云ふ事に極ツて了ツた。

* * * * *

其は扨置さておき、此樣にまで云はれる蛭峰の家は實際何うだらう、生死の境に推寄せてゐた華子は何うなツたゞらう。

今の猶華子は生死の間に徘徊さまよふてゐる、夜の無く晝と無く、唯だ昏々と病床に眠つてゐるが眞に眠つてゐるかと見れば醒てゐる、醒てゐるかと見れば眠つてゐる、是れが斯る病人の常なんだ、斯うなると絶えず當人の目の前には樣々の幻影が現はれる、或は父が來るかと見れば或時は戀しい森江大尉が我顏を差覗いてゐる樣に見え、時によると飛んでも無い巖窟島伯爵が何か藥を注で呉れる樣な事も見える、何れ丈が眞事まことで有つて何れ丈が幻であるか、其は當人にも分らぬ。

イヤ此日朝頃から聊か其區別がつき掛けて來た、其れだけ病が好い方に向いたのだ、午後に成ると又 一入ひとしほ其區別が明かになり、夕方に及んで醒めて居るのだと合點し、「アヽ斯こんなに心まで弱くなつた」と呟いて笑を浮かべ爾して笑のまゝ眠つて了ツた、眠るのが何よりの藥である、夜の十二時頃に及び再び目の醒めるまでも猶ほ其笑が殘ツて居たのは眞に百藥にも優るほどの好い眠で有つたのだらう、目の醒め方も今までに無いほど穩かに、先づ唇を動かし次に手を動かし、最後に身體を動かして目を開いたが、其まゝ四邊あたりを見廻して「アヽ最う病は無く成ツた、夢か知らぬが、昨夜も目を覺したとき咽喉が渇いて、枕元に在つた赤い水藥を呑んで、急に身體の爽かに成る樣な心持がした、今夜も彼の通り渇いて居る、屹きつと彼のお藥で此樣に快よくなるのだわ」云ひつゝ枕元の臺に手を差延べると、怪しや襖の影から、黒い服を着けた人の姿が現はれ、臺の上の盃こつぷを取り、中の藥を水鉢に移し更に赤い色の水を注いで出した、華子は未だ深く思案する事は出來ぬ、其まゝ受取つて之を呑むと又總身が健々すが〳〵しく、目の覺めた上に又目の覺めた氣持に成つた、世に云ふ甘露の味とは此樣な者でも有らうか、爾して更に、今其藥を注いで呉れた人の顏を見ると怪まずには居られぬ「オヤ猶だ夢を見て居るのだらうか」其人は柔かな聲で「夢では有りません、華子さん、今夜で丁度四宵の間、私が此通り、寢ずに潛んで、貴女を見張つて居たのです、最う貴女は助かります」華子「誰に頼まれて」其人「ハイ森江大尉の爲めに」華子「大尉の爲に――私の爲に、何故」其人「私は森江をも貴女をも我子の樣に思ふのです、私を父とお思ひ成さい、少しも心配は有りませんから」言葉が更に怪しくも無く、一々華子の胸の中に解けて入る樣に感ずるは猶だ心に多少の幻が殘つて居る爲でも有らうか華子「父と思つて好いのですか」其人「父と思つて私の言葉に從へば病も治り、心配が無くなります」華子「本統ですか巖窟島伯爵」
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読書ざんまいよせい(095)

巖窟王(下 その8)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 87「決闘」

巖窟王 : 二二〇 死の前夜・一

巖窟島伯爵ほどの大決心を以て大計畫を運んで來た人が、其計畫が最早九分九厘まで漕附けた今と爲つて、自分の命を捨ると云ふ心に成れる者だらうか、けれど伯爵は命を捨てねば成らぬ破滅に立至ツたのだ。

實に伯爵の煩悶は見るも憐れである、暗い靜かな書齋の中に、獨り地團駄踏む如くに悶もがいて居る、幾等悶いても外に道は無い、決鬪の相手野西武之助の命を許すには自分が空砲を放つて武之助に殺される一方である、我が命を武之助に代へねば成らぬ、嗚呼彼が如き、爲す事も無き一少年の命が、天地の大任務を負ふと信ずる我が一命に代へられやうか、否、否、否、と云つた所で代る外は無い、彼に殺される外は無い[、]是れが確に自分の此口で露子夫人に約束した言葉の意味である。

頓やがて伯爵は、深い〳〵絶望の爲に悶もがく力も無くなツた、室の一方に在る長椅子へ尻餠を搗つく樣に身を凭もたらせた、爾して空しく溜息を吐ついた、斯うなると又も樣々の感慨が胸に集まるのみである、今が今まで此身に天の祐たすけと神の許しとが籠つてゐて、何の樣な難い事も總て我が意の如く成る者と信じ實際人間業とは思はれぬほどの大業を遂げて來たのに、今と爲つて天意神心は何故に此身を見捨て、斯くも詰らぬ故障に躓かせるのだらう、天の祐たすけ、神の許しと此身の信じたのが間違ひだらうか、矢張り此世は神も無く慈悲も無い罪惡 跋扈ばつこの世界だらうか、若し其れならば誰が此身を泥阜でいふの土牢から出る事の出來る樣に仕向けて呉れたのだらう、何が爲に此身をモンテ、クリストの島に着かせ、限り無い寶たからの持主とは仕たのだらう、天の意を行ふ爲で無くば此寶は何の爲に將はた何の道に使ふ可き者だらう、イヤイヤ、天の意は明かである、確に此身へ天の裁判が托されたのだ、人間の惡を懲して善を勸めよと命ぜられたのだ、けれど此身の其神意天命を遂げ果せる丈けの力無く詰らぬ愛の爲め情の爲めに心を動かし、踏む可き道を自分から踏損じた爲めに、神は罰として此身から其祐助を取上げて、今茲に、此身を死るより外は無い此破滅に立到らせたのだ、斯う思へば最早仕方が無い、唯此天罰に服し、天助神祐を空しくした此 活地いくぢの無い一命を天に返す一方である、其れにしても唯だ悔しいのは、何故此身の心の底に情と云ふ樣な弱い心が潛んで居たのだらう、何故に昔の愛にイヤ愛では無い、愛は既に忘れたのである、忘れたかれど昔愛した女の情願の爲にツイ動かされる樣な情無い弱味が有つたのだらう、其れを知らずに、此身此心をば、全く天に代るに耐へる迄に練固め鍛へ果せた者と信じて居たのが此身の愚鈍おぞましさであツた。

其れから其れと憾みは盡きぬ、其うちに又もフト思ひ出したのは、露子夫人が餘り易々と此身の言葉を承け引いた容子の怪しさである、此身が死ぬると云ふが否や夫人は直に打喜び、殆ど其れなら死ねと云はん許りの景状ありさまで立去つたのだ、幾等母の情で我子の助けられるのが嬉しいとて、人が其爲に死ぬると云ふのを、好い事の樣に思ひ、何の辛さも感ぜずに人を我子の身代りに立たされる者だらうか、お露と云ふた其昔は決して其樣な、邪慳な卑怯な魂性こんじやうでは無かツた、確に人間の中の神であるかと思はれるほど慈悲深い所に有る心根であツた、如何に其後、人の妻と爲り人の母と爲り、心も持方が違ツたにしても、此身を自分の子の代りに死なせるのを當然の事の樣に思ふとは餘りである、餘りな事で事實とは思はれぬ、勿論人の爲に身を犧牲いけにえにすると云ふは善事には違ひ無いが善事でも度を過ぎれば罪惡と爲る事が有る、此身が是だけの大計畫を抱へて居ながら、其れを捨て人の身代りに立つとは、却て罪惡と云ふ者では無からうか、其罪惡を此身に強ふる露子夫人のする事は更に重い罪惡では無からうか、豈よもや夫人が罪惡を知つて喜ぶ筈も無からうにと、全く見込みの無い爲にまで見込を附けて、何か我爲に都合の能き道理は出て來ぬかと求むるは、死ぬる人の未練と云ふ者で、何事をも辨わきまへた伯爵の如きすらも猶ほ免れぬ所と見える、未練、今と爲つて幾等繰返したとて何の甲斐が有らう、けれど此未練は又一つの考へを搜し出した、アヽ分ツた、露子夫人は決鬪の間際に成り、此身と武之助の間に割つて入り、其身が雙方の彈丸たまを受けて死ぬるか、爾無くば決鬪を止めて了ふ積りで有らう、爾だ其れに違ひ無いと、思ひ初めると同時に、伯爵の心には微かすかに一道の希望が浮き出る樣に思はれたが、又忽ち消えて了ツた、エヽ、其樣な事をせられては、此身の折角の決心が宛まるで狂言じみて了ふ、可いけぬ、可けぬ、巖窟島伯爵とも云はれる者が、相手の母の止めぬ來るを見込んで決鬪に負る約束をしたと有つては、物笑ひの種と云ふ者、此身は辛い思ひで身を犧牲にする考へを定めたのに、其れが却て物笑ひとは自分の名に泥を塗るのだ、其れよりは、爾うだ、若しも其樣な事が有れば其場で手早く自殺するが好い、自殺して切せめては名前だけでも汚れぬ樣にせねば成らぬ。

漸く茲に思ひは極ツた、其れにしては其次第と其決心の能く分る樣に我が遺言へ特別に書入れて置かねば成らぬ。死んだ後で人が見れば、成るほど斯うも辛い決心をしたのかと、縱よしや感心はして呉れぬ迄も我を物笑ひの種とはせぬだらうと、獨り呟いて身を起し、机に向つて紙筆を取上げたが此時又も室の外で、女の絹摺の音かと思はれる微かすかな物音が有ツた、けれど早や二時を過て人の入り來る筈は無い、伯爵は少しも物音に氣が附かなかつた。
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