読書ざんまいよせい(047)

◎バルザック「農民」


 バルザックのほぼ「遺稿」となった長編小説、解説にもあるように、一言でいえば、バルザック版「桜の園」(チェーホフ怍)。とすれば、立ち位置は、そうとう、ずれるが、ラネーフスカヤ夫人は、モンコルネ将軍夫人に比されよう。
 エンゲルス曰く「彼の大作は、よき社会の避けられぬ没落に対する悲歌《エレジー》である。
 バルザックがある意味モデルとしたイギリスに遅れて、「資本の本源的蓄積」がフランスにおいて完了しようししていた時期、社会は、旧貴族、農民、新興ブルジョアジーの三階級にわかれての「階級闘争」だった。そのなかで、従来の農村小説にあるような牧歌的田園風景の記述は脇におかれている。登場する農民も、ごく少数の「肯定的な聖人」を除き、どちらかと言えば、バルザックらしい脂らぎった人物が生彩を放つ。
 ある一節で
「今日ある縣で重罪犯人の首が落ちるのに、一方その隣県ではそれと全然同一の罪、否、しばしは一層恐ろしい罪を犯してゐながら犯人の首が繫がっていることがあるといふ事実を、いかなる哲学者があへて否認しようとするだろう。人は生活において平等を欲する。しかも法律や死罪においては不平等が支配しているのである。……」
 現在においても、冤罪事件が痕を絶たないのを示唆しているようだ。

図は、岩波文庫「農民からの挿絵と架空の村「エーゲの荘園周辺地図」

 蛇足になるが、
ルカーチ「バルザックとフランス・リアリズム」にて曰く(「史的唯物論すぎる」のの評判はあるが、傾聴に値する、なかなか良質な解説ではある。)
 「バルザックは晩年の彼の最も注目すべきこの長篇小説において、貴族の大農地が没落してゆく悲劇を書こうとした。彼は一系列の作品群によって、抬頭する資本主義によるフランス貴族文化の解体を描いているが、この作品はそれらの結びとして書き起された。実際それはこの系列の終結となっている。というのはここにおいて、貴族階級の滅亡の直接の経済的諸原因が書き現わされているからである。これよりも前に、バルザックはパリや、或は辺鄙な地方都市における貴族階級の没落の姿を描いた。ここでは彼はわれわれを経済的戦場そのもの、すなわち貴族の大農地と農民階級とが対峙する戦場へと連れてゆくのである。
 バルザックはこの書を彼の決定的な作品の一つとみた。彼は言う、「私が書こうと決心した作品のうち最も重要なもので、私は八年間、何度これを放棄し、何度また改めて取り上げたか分りません…」。けれどもバ ルザックは、このように並外れて念の入った準備をしたにもかかわらず、又このように徹底的に腹案をねったにもかかわらず、実際は彼が意図したものとは全く正反対のものを描いてしまった。すなわち彼は分割農地の悲劇を書いてしまったのである。だが、腹案とでき上ったものとの間のこの矛盾、思想家、政治家バルザックと『人間喜劇』の作者との間のこの矛盾の中にこそ、彼の世界史的偉大さは存する。」

あらすじは、
「主軸となる筋立ては1820年代前半に置かれ、エーグという美しい領地が舞台となっている。エーグは架空の土地であるが、ブルゴーニュ地方に位置するとされる。モンコルネ将軍(伯爵)によってここが買収された。裏帳簿によって横領を続けていた管理人ゴーベルタンは以前の地主ラゲール嬢の死後、自らこの土地を入手しようと考えていたので目論見がはずれたのであった。モンコルネ夫人は愛人であるジャーナリストのエミール・ブロンデをこの地に招き、ブロンデは爽快な滞在の様子を同業者である友人ナタンに伝える。
ところが、一見朗らかな田園にしか見えないこの土地は、実は地元の農民によって日常的に収奪されていることが明らかになる。モンコルネ伯爵は地所の管理を厳格化するため、依然として使い込みを続けていた管理人のゴーベルタンを追放するが、ゴーベルタンやその仲間のブルジョワたちが農民に反乱をけしかけ、騒擾はやまない。農民たちの不法行為はさらにエスカレートし、忠実な番人のミショーを殺害するに至る。憎悪に満ち狡猾な不屈の敵陣に悩まされ続けた伯爵は、自分の側が敗北したことを悟り、元値割れで土地を手放す。十数年後、伯爵は死去し、富裕な未亡人となった夫人は当時絶望の淵にあったブロンデの妻となる。
ブロンデはその後知事に任命され、夫妻は工ーグの地に立ち寄るが、そこでは土地の極度の分割化が進み、往時の美しさは失われていた。」
名古屋大学学術機関リポジトリ バルザック『農民』 から

本職こぼれはなし(018)

 故中村哲さんのドキュメンタリー映画とペシャワール会の中山博喜さんの講演を拝視聴した。案内ビラから→

 「百の診療所より一本の用水路を」映画のキャッチフレーズに若干の違和感を持ったことは事実であるが、実際映画を観て、その真実がよく解った。現地の人たちの疾患の成り立ちが、もっと根源的な(それには人為的な戦火による環境破壊も大きな原因であるが…)、ものを立て直さない限り解決しないのだろう。その上に立って、診療所を!という意味なのだろう。
 医者というものは、誰しも「人の役に立ちたい」との懐いを多少なりともあると思う。でも、現実は、そううまくはいかない。中村医師は、自らの次男の死など乗り越えて現実に立ち向かった。そうした姿は、当方にとって遠い、遠い目標であるが、目標にあることには間違いないのかもしれない。
 そんなことを考え、少し気が重くなり、会場を後にした。

中井正一「土曜日」巻頭言(01)

 10年以上前に、中井正一の「土曜日」巻頭言の数編をアップしたことがありましたが、サーバーのHDD不調のため、今では閲覧できません。そこで改めて、「土曜日」復刻版から、OCR で復元できたものを、土曜日毎に掲載してゆきます。とりあえずは、Facebook にかろうじて残っていた、創刊号(1936年7月4日)巻頭言から…(この項は新字新かなです。)
 中井正一の経歴などは、Wikipedia 中井正一 を参照してください。また、青空文庫にも、彼の作品があります。

◎花は鉄路の盛り土の上にも咲く

 しぶく波頭と高い日の下に、一杯の自分の力を感じた冒険者の様に、かって人々は生きた事があった。今は冷いベトンの地下室で、単調なエンジンの音を聴きながら、黙々と与えられた部署に、終日を暮す生活が人々の生活となって来た。
 営みが巨大な機構の中に組入られて、それが何だか人間から離れて来た様である。明日への希望は失われ、本当の智慧が傷つけられまじめな夢がきえてしまった。しかし、人々はそれでよいとは誰も思っていないのである。何かが欠けていることは知っている。
 しかし、何が欠けているさだかには判っていないのである。人々が歪められた営みから解放された時間、我々が憩う瞬間、何を望み、何を知り、何を夢みてよいかさえも忘れられんとしているのである。それは自分に一等親しい自分の面影が想出せない淋しさである。
 美しいせせらぎ、可愛いい花、小さなめだかが走っている小川の上を覆うて、灰色の鉄道の線路が一直線に横切った時、ラスキンは凡ての人間の過去の親しいものが斜めに断切られてしまったかのように戦慄したのである。しかしテニソンはそのとき、芸術は自然の如く、その花をもって、鉄道の盛土を覆い得ると答えたのである。
 この鉄路の上に咲く花は、千鈞の力を必要としたのではない。日々の絶間なき必要を守ったのである。我我の生きて此処に今居ることをしっかり手離さないこと、その批判を放棄しないことに於いて、始めて、凡ての灰色の路線を、花をもって埋めることが出来るのである。
 『土曜日』は人々が自分達の中に何が失われているかを想出す午後であり、まじめな夢が瞼に描かれ、本当の智慧がお互に語合われ、明日のスケジュールが計画される夕である。はばかるところなき涙が涙ぐまれ、隔てなき微笑みが微笑まるる夜である。 土曜日

昭和十一年(1936年)七月四日(創刊号)

木下杢太郎「百花譜百選」より(014)

◎41 われもこう 吾亦紅

二分一 昭和癸未秋九月廿六 写于軽井沢旅舎
〔日記〕九月廿六日 日
晴。午前植物写生二種。〔…〕旅舎にかへり、夜半一時まで植物写生十数種。

Wikipedia ワレモコウ

【付】随筆集「荒庭の観察者」から「海国の葬礼」
 昨夕此地に来ました。
 Meiner Mutter Tod hat mich hierher abgeholt.【編集者注 原文ドイツ語、日本語訳:母の死が私を立ち直らせてくれた。】
 汽車中で藤村《とうそん》(1)さんの「家」を読み続けましたが、同じ日に汽車の窓から買って読んだ貴君の藤島(2)さんの絵の批評に思いあたる事が多くて自らほほ笑まずには居られませんでした。今度頼まれてあの「家」の紹介をしなければならぬ事になって居て困って居る。
 そんな事ゆえ白樺の展覧会(3)を見る機会を失ったのを残念に思って居ます。
 で到頭また「海」と話をするようになりました。「酒」や「女」の代わりに、ぼくには矢張《やはり》海という奴が切っても切れぬ縁なのでした。
 そうしてぼくはまたぼくで「海」のそばの一つの家の中へはいって行った。然し家も海も、もっと直接な人の生活も、人情も、悲哀も──ぼくには一度「芸術」と云う註解者がはいらねば心を動かす事が出来ないようになった。──という事を今つくづくと感じて居るところです。(12.Nov.11)

 一種のHofmannsthal(4)情調がまだどこかに残って居る。強い冬の斜日が柔い青石の壁にあたって、梅の古木の下には、磯蕗《いそぶき》の花がまっ黄色に光っている。海に近い町のある「家」の坪庭。
 裏の井戸のそば、蔵の廂《ひさし》の下、そこに一群の料理人があつまって赤い人参、牛旁《ごぼう》、里芋、それから蓮根、うす青い鑵詰の蕗などの皮を剝いでいる。そして小さい刺の指先に入ったのを事々しく話し立てています。一つの人生。
 「もう鶏がとまる時かな」と空の方を見あげながらまぶしい目をしている人がある。
 ぼくには、夫々《それぞれ》の小さい「歴史」というものが、ああ手まねをして、生々と「現在」で物語っているように見える。みんな少年時代や、一種の狂飇《きょうひょう》時代やそれから子供が出来たこと……などを知っている人々ですから。
 そしてまた畠の方へ出ると、仕切られた花壇の菊が萎れたままに並び……すると「海」を暗指する汽笛の音が、ぼおっと、おおどかに聞えるのです。
 店に集って居る人は「海」に親しい関係のものばかりでした。ですから蔵の前の人の、どう云う庖丁がよく切れるかなどと云う話とは違って、此には東京へ船をやる時の風の話、また帆の話、居眠って蒸気を陸《おか》へ乗し上げた、その癖よく熟れていた船長の話などです。
 それから何時となく三十年前の話が出て、漂着して来たギヤマン(5)の徳利を珍らしがったり、またそれに、三|分《ぶ》の値を附けたある天竺屋(凡《すべ》て売価の高いという事からのあざ名)の事、千両で頼んだ亜米利加《アメリカ》の機関手の話。
 一体くさやの干物はどうして作るか御存知ですか。あれは塩の少い大島で塩の倹約をする為めに、幾度も幾度も漬けたあとへまた漬けたのが始まりだ相です。また錨《いかり》はならし円に二貫目だそうです。
 彼等の多くは「海」に尋《つい》では「東京の河岸」に親しいのです。是等の人々から東京の河の生活、その情調の語られるのを聞くのは、心で思う人をほめられる時のような心持を味わしめる。

 今窓から見ると夕鳥が遠く紫灰色《しかいしょく》の山の方へと沈んでゆく。夕やけの空なのです。ぼくは昔からこういう時には屹度《きっと》出た情操の、もう明かに思い浮ばれぬのを見て、内と外との生活がうまく足並を合わせてくれねばならんと思ったのです。いつ迄もいつ迄も過ぎし日の情懐の輓歌《ひきうた》ばかりを歌っても居られますまい。
 伊豆の、形の小さい、そしてばかに甘い蜜柑でぼくの手はひどく鋭くにおって居ます。この香いも(貴君には想像だが)之から海国の初冬の情趣を想像して下さい。(13.Nov.11)

 夕方海岸に出ると、桐の花のような紫色に淀んだ水平線上の空に、遠くゆく船の帆が見えます。暖国の十一月の空気はこの上なく心地よいものと感ぜられました。
 幾たびか人に伝えようとして、いつでも作意の為めに害われた海の美貌、夕波のかすかな微笑……それが直ぐに心を古風にします。センチメンタルに。哀れっぽく。
 ぼくはそっと昔の唄を歌って見ました。すると女──酒などからかけ離れた生活をして居るぼくにも、その第一属性としての一条の情操を芽ましめるのです。それから特殊の生活(ルパナール(6)などの)、特殊の時代への回想から来る第二属の情調を伴うのです。
 静かに歌われる一節のメロディの中に海、波、船、遠里の灯などが溶ろけてゆく様に思われます。
 ぼくはそれから温泉へいっても、尚小さい声で歌い続けました。
 家に帰ると柩《ひつぎ》の傍で僧侶が経を誦して居た。そして香のにおい、かすけき灯に光る水晶の数珠《じゅず》、細く立つ煙などが見られた。
 店先では近所の人々がまだ大話をしています。また切株から吹く新芽を想像させる子供達が騒いでいます。また酒のかおり。
 こう云う人間らしさ。人情味などが、きょうつくづくと身にしみて感ぜられました。(13.Nov.11)

 田舎の「家」の生活は此上もなく装飾的です。もう四十、五十、六十のそれぞれ家を持った人々が──中には一生海と争った人も居ます。いくたびか事業を始め幾度か失敗し、また始めつつある人も居ます。危うく情海の波瀾を逃れて後顧的の半生を暮《おく》っている人も居ます──二十人近く莚《むしろ》の上に陣取って、丸く切った白紙に鋏《はさみ》を入れ、また金銀の紙を花弁に切り、それを丸い竹に巻いて、糸目で皺をつくり、牡丹の花、蓮の花またその葉、その蕚《うてな》を拵《こしら》えて居るのを見ると、何と云いましょうか、一種可憐の情に似た心持が油然と湧き出すのを感ずるのです。
 天井から二つの巻いた莚を弔《つる》し、その上に半成の牡丹花の茎が挿されるのです。そういう光景の間に手を動かす人々は実際の自然が永い月日の間に彫《きざ》み込んだいろいろの相貌の持主であると云うことを想像して下さい。──
 少時の中休みの間に土地の名物の蜜柑が配られる。人々の手の指があの濃い緑色にそまると、そこここが一体に鋭い酸い香の海とかわるのです。
 「海」──「葬礼の準備」──「銀紙の蛇」──そを罩《こ》むる雰囲気として「南国の黄なる木の実」──こういう蕪村の俳句のような連想は、実際その光景を見ない貴君にも、原物の味の幾分を彷彿せしむることが出来るでしょう。(14.Nov.11)
      (一九一一年二六歳)

1[藤村]島崎藤村(作家・詩人、一八七二─一九四三)。
2[藤島]藤島武二(洋画家、一八六七─一九四三)。
3[白樺の展覧会]雑誌「白樺」が主催した美術展。
4[Hofmannsthal]フーゴ・フォン・ホフマンスタール。オーストリアの新ロマン主義の作家・詩人(一八七四─一九二九)。
5[ギヤマン]ガラス。
6[ルパナール]娼館。

正岡子規スケッチ帖(010)

◎正岡子規「草花帖」

此《この》帖は不折子《ふせつし》*よりあづ(預)かりたりと思ふ 併《しか》し此頃《このごろ》の病苦にては人の書画帖などへ物書くべき勇気更になし 因《よ》つて此帖をもらひ受くる者なり 若《も》し自分のものとして之に写生するときは快《かい》極《きわまり》りなし 又其《その》写生帖を毎朝毎晚手に取りて開き見ること(ヿ)何よりの楽《たのし》みなり 不折子欧州より帰り来るとも余の病眛より此唯一の楽み(即《すなわ》ち此写生帖)を奪ひ去ること(ヿ)なからんを望む
   明治三十五年八月一日
        病子規
           泣いて言ふ
写生は総《すべ》て枕に頭つけたままやる者と思 へ
写生は多くモルヒネを飲みて後やる者と思へ
*中村不折(一八六六—一九四三)。洋画家、書家。

正岡子規スケッチ帖(009)

◎「菓物帖」末尾の俳句

青梅をかきはじめなり菓物帖
南瓜《かぼちゃ》より茄子《なす》むつかしき写生|哉《かな》
病間《びょうかん》や桃食ひながら李《すもも》画《か》く
画がくべき夏のくだ物何々ぞ
画き終へて昼寝も出来ぬ疲れかな

追加】右図は、下村為山の画(無署名)

参考】岩波文庫「正岡子規スケッチ帖」

読書ざんまいよせい(046)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(015)
付き]「犬を連れた奥さん」への短い感想

 双璧のもう一つの傑作「犬を連れた奥さん」は、最初、「狆《ちん》を連れた奥さん」とのタイトルだったそうだ。一言で言えば「不倫」がテーマである。物語そのものは。「犬を連れた奥さん」(青空文庫)をご覧いただく他ないが、印象に残ったシーンを一つ。彼女と別れてから、ある劇場で偶然再会する。その時の彼女の言葉、「Здравствуйте(ズドラーストヴィチェ) こんにちわ」に、当方は、とんと縁がないし、ありたいとも思わないが、しびれるほど感激した。

手帖(続き)

 窓ごしに、舁《かつ》がれてゆく亡者を見ながら、「お前は死んで、お墓へ運ばれて行く。ところで俺は、朝飯をやりに行くとするか。」

 チェック人 Vshichka《フシーチカ》.

 四十歳の男が二十二の女を娶った。彼女は最近の作家のものしか読まず、緑色のリボンをかけて、黄色い枕に埋《うず》まって寝る。自分の趣味に自信たっぷりで、自分の意見をまるで法律のように述べたてる。美人で、馬鹿じゃなく、おとなしい女だが、彼は離婚する。

 喉がかわく時には大海をも一飲みにする気でいる――これが信仰。いざ飲むとなるとせいぜいコップに二杯だ――これが科学。

 笑劇につかう人名。――Filjdekosov《フィルデコーソフ》.Popryguniev《ポプルイグーニエフ》*.
*「瓦斯糸」、「お跳ね」(男性)の意。

 以前には、主義主張あり、世の尊敬をかち得ることを好む立派な人物は、将軍や僧侶になったものだ。ところが今日では、作家や教授になる。……

 歴史によって神聖化されないものなんか、一つだってありはしない。

 Zevulia《ゼヴリーア》*夫人。
*Zev(あくび)から作る。

 いい子供でも泣く顔は見っともない。同様に、下手な詩の中に、作者の人間としてのよさを発見することがある。

 もし女にちやほやされたいなら、すべからく奇人であれ。夏でも冬でもフェルトの長靴を穿いている男を私は知っているが、その男は女に騒がれた。

 ヤルタに着いて見たら、どこもここも満員だった。イタリヤ・ホテルへ行って見たが、ひと部屋も明いていない。「僕の三十五号室は?」「ふさがっております。」何とかいう奥さんである。「御婦人と御同室ではいけますまいか。あちら様は一こう構わないと仰しゃいますが」とホテルの人が言う。そこでその部屋に落ちつく。会話。夕暮。韃靼人のガイドがはいって来る。私は耳も頭もがんがんして来る。私は椅子にかけたなりで、何にも見えず何にも聞こえない。……

 令嬢がぐちをこぼす。――「兄さんったら可哀相にサラリイがとても少ないのよ。――たった七千なんですって!」

 彼女がいう、「今じゃもう、一つことしか眼につかないわ。あんたの口の大きいこと! 大きな口! 何てまあ大きな口!」

 馬は有害無益な動物です。馬のために余計な地面まで耕します。馬は人間に筋肉労働の習慣を失くさせます。それのみか屡々贅沢品にもなります。馬は人間を惰弱にします。将来は馬なんぞ一匹もいなくなるがいいです!

 N君は声楽家である。誰に会っても口を利かない、喉はすっかりくるんである――声を大事にするのである。ところが誰一人ついぞ彼が歌うのを聞いた人はない。

 何事についても断乎として、「それが一体何になります! 何にもならんですよ!」

 夏でも冬でもフェルトの長靴を穿いている。それをこう説明する。――「頭が軽くなるんです。熱のため血が足の方へ下りますからね――考えがはっきりしますよ。」

 婦人が冗談にフョードル・イヴァーノヴィチと呼ばれる。

 笑劇。――Nが結婚の用意に、広告に出ていた軟膏を頭の禿に擦りこんだ。すると意外千万、頭に豚の剛毛が生えて来た。
 ――御主人は何をしておられますか?
 ――蓖麻子《ヒマシ》油《ゆ》をいただいてますわ。

 お嬢さんの手紙。――「すると私たちの家、堪らないほどあなたのお宅と近くなるわ。」

 Nはずっと前からZに恋している。ZはXに嫁ぐ。結婚後二年ほどしてZはNを訪れる。彼女は泣いて、何か話がある様子だ。てっきり夫の不平を言い出すのだとNは思って待ち構える。ところがZは、Kを恋していることを打ち明けに来たのだった。

 Nはモスクヴァの有名な弁護士。ZはNと同郷のタガンログ生れ。彼はモスクヴァに出て来ると、この名士に会いに行く。彼は大喜びで迎えられる。しかし彼は、その昔Nと一緒に通った中学を思い出し、Nの制服姿を思い出し、羨望のために心が平らかでない。そして、なあんだ住居《アパート》だって大して上等じゃないし、Nという人間にしてもお喋りで感服できんな、などと考える。やがて彼は、自分の抱いた羨望の念と自分の品性の下劣さのためすっかり白けた気持になって、Nの家を辞去する。自分がこれほど下劣な人間だろうとは、彼はその時まで夢にも思わなかった。

 戯曲の題――『蝙蝠』。

 老人に出来ないことは悉く、禁止されるか又は危険視されるのだ。

 彼はひどく老い込んでから、若い女と結婚した。すると彼女はみるみる衰えて、彼とともに弱って行った。

 一生涯、資本主義だの何百万だのと書いていた。そのくせ金のあった例しはなかった。

 奥さんが美男のお巡りさんに恋した。

 Nは非常に腕のいい、得がたいほどの仕立屋だった。ところが色んな詰らぬことのために害《そこ》なわれて、すっかり駄目になってしまった。ポケットの無い外套を作ったり、とても高い襟を付けたりした。

 笑劇。――荷物運送兼火災保険会社の代理人。

 上演できる脚本なら誰にだって書ける。

 田舎の領地。冬。病気のNが家に引籠っている。ある晩、何の前触れもなしに停車場から、Zという見知らぬ若い少女が橇を乗りつける。彼女は自己紹介をして、Nの看病にやって来たのだと述べる。Nは当惑する。薄気味が悪くなって断る。するとZは、とにかく今晩は泊めて貰いますという。一日たち二日たつが、彼女は出て行かない。彼女はとても我慢のならぬ性格の持主で、折角の閑居をめちゃめちゃにしてしまう。

 レストランの特別室。金持のZがナプキンを頸玉に結んで、鱘魚《ちょうざめ》をフォークでつつきながら呟く、「この世の名残に一口やるか。」――それがずっと以前から毎日のことである。

 ストリンドベリイや一般に文学に関するL・L・トルストイ*の考え方は、ルフマーノヴァ女史**にそっくりだ。
*リョフ・トルストイの息子。
**三流所の女流作家。

 デドロフ*は談たまたま副知事や知事のことに及ぶと、『ロシヤ文学百人集』に収められた『副知事の来着』を持ち出しなどして、浪漫主義者になってしまう。
*三流所の小説家。

 戯曲『生活の豆』。

 馬医者A、種馬階級の出身。

 ――うちのお父さんはスタニスラフ二等勲章*までみんな持ってましたわ。
*その下にはスタニスラフ三等勲章しかない。

 Konculijatsyja《コンスリャツイヤ》*.
*Konculitatsyja《コンスリタツイヤ》(立会診断)の言い誤り。「領事」に似て来る。

 陽《ひ》は輝いているけれど、私の胸のなかは暗い。

 S町でZという弁護士と知合いになった。美しきニカといった型の男である。……子供が沢山いるが、どの子に対しても教え導くような態度で接して、柔和で優しく、決して荒い言葉を使わない。間もなく私は、彼にはもう一つ別の家庭のあることを知った。やがて彼は娘の結婚式に私を招んで呉れた。彼はお祈りをして、ひれ伏さんばかりに頭を垂れてこう言う、「私にはまだ宗教心が残っているのです。私は信者なんです。」彼のいる席で教育問題や婦人問題が話題になると、彼は何の話か分りませんといった風な無邪気な顔をする。法廷で弁論をする時には哀願するような顔になる。

 ――お母さん、お客様の所へ出ないで頂戴な。あんまり肥ってらっしゃるんですもの。

 恋愛ですと? 恋をしたですと? とんと覚えがありませんわい! 私《わし》は八等官ですて。

 まだ母親の胎《はら》から出て来ない嬰児のように物を知らぬ男。

 Nのスパイ熱は、子供の時からよぼよぼ爺さんになるまで変らなかった。

 ――賢い言葉を使うことだな、万事はそれに尽きるですよ。――哲学……赤道……といった工合にね(戯曲に使うこと)。

 星たちはもうとっくの昔に消えてしまった。しかし俗衆には相変らず光って見える。

 学者になるかならない内から、もう名声を望むようになった。

 後見役《プロンプター》をしていた男が、厭気がさしてやめた。それから十五年ほど劇場へ足踏みもしなかった。やがて芝居見物に行って、感動のあまり涙を流し、侘しい気持になった。家に帰って、芝居は如何でしたかと妻君に訊かれると、彼はこう答えた、「虫が好かんね!」

 小間使のナージャが、油虫・南京虫の駆除夫に恋した。

 或る五等官が死んだ後で、彼が一ルーブルの日当で劇場の犬の声色方に傭われていたことが分った。貧乏だったのだ。

 君はちゃんとした、身装《みなり》の立派な子供たちを持たなくちゃならぬ。君の子供達もやはり立派な住居《すまい》と子供たちを持たなくちゃならぬ。そのまた子供たちも、やはり子供たちと立派な住居を持たなくちゃならぬ。一たい何のためにだって? ――誰が知るもんか。

 Perkaturin《ペルトトウーリン》.

 彼は毎日わざと嘔気をつける。――健康のためにいいという親友の忠告にしたがって。

 さる官吏が風変りな生活をはじめた。別荘にひどく高い煙突をつけ、緑色のズボンをはき、青いチョッキを着込み、犬の毛を染め、真夜中に正餐をとる。一週間すると降参してしまった。 成功は早くもこの男をぺろりと一舐めした。

 「Nは金に困ってるよ。」「何だって? 聞えなかったよ。」「Nが金に困ってるって言ったんだよ。」「一体そりゃ何のことかね? 僕にゃ分らないなあ。第一NってどのNだい?」「Zを妻君にしているあのNさ。」「成程、それがどうしたね?」「あの男を援助してやらなくちゃなるまいって言うんだよ。」「え? あの男って誰のことかね? なぜ援助してやるんだね? そりゃまたどういう意味かね?」等々。

 旅館の主人が差出した勘定書の中に、「南京虫十五銭」という項目。その説明。

 屋根を打つ雨の音を聴きながら、おまけに自分の家には厄介な退屈な人間はいないのだと意識しながら、家に引籠って居るのは何という愉しさだろう。

 Nはいつも、ヴォトカを五杯もひっかけた後ですら、必ずヴァレリアン・ドロップス(興奮剤)を嚥む。

 彼は女中と事実上の夫婦になっている。彼女はおそるおそる、彼を「殿様」とあがめる。

 私はある田荘を借りて避暑した。持主は大そう肥った老婦人だった。彼女は離れに住んで、私は母家に住んでいた。彼女は夫に死別し、子供達にも皆死なれて、一人ぽっちで、ひどく肥満していた。領地は借金の始末に売りに出ていて、備えつけの家具調度の類は古めかしい、趣きの深いものだった。彼女はしょっちゅう、自分に宛てられた亡夫や息子の古手紙を読んでいた。それでいて彼女は楽天家だった。私の家の者が病気になると、彼女は微笑みながら「ねえ貴方、神様のお助けがありますわよ」と慰めるのだった。

 NとZとは女学校の仲好しで、二人とも十七八の年頃である。不意にNは、Zが彼女の父親N氏のために身重になったことを知る。

 牧師チャマが参られた。……チン聖《チェイ》な。……神よ、チュク福《ブク》あれ。……

 女権拡張についてのお談義のなんと空疎な響きを立てることよ!

 もしも犬が名文を書いたら、彼等は犬をさえ認め兼ねない。

 喀血。――なあに膿腫《おでき》が破れたのさ。……何でもないさ、まあもう一杯やんなさい。

 インテリゲンツィヤは無用の長物だ。何故というに、お茶をがぶがぶ飲んで、やたらに喋り立てて、部屋じゅう濛々たる煙草の煙、林立する空瓶……。

 まだ娘の頃にユダヤ人の医者と駈落をして、女の児を生んだ。今では自分の過去が厭わしい、赤毛の娘が厭わしい。しかし父親は相変らず彼女も娘も愛していて、丸々と肥ったきれいな顔をして窓の下を歩いている。

 楊枝を使って、またそれを楊枝入れに差した。

 夫婦ともよく眠れないので、つい話に身がはいってしまった。文芸が衰えたという話から、雑誌を出したらさぞよかろうという話になる。二人ともこの思いつきに夢中になった。やがて横になって、暫く言葉がとだえた。「ボボルィキンに書いて貰うかね?」と彼が訊いた。「無論ですわ、書いて貰いなさいよ。」朝の五時に彼は車庫へ勤めに出る。彼女は雪の中を門まで送って行って、彼の出たあとを閉める。「ええと、ポターペンコにも書いて貰うかね?」と、木戸の外から彼が訊く。

 アレクセイは父親が貴族に列せられたと知ると、さっそく署名をアレクシイに改めた。

 教師曰く、「『人畜の犠牲を伴える列車の顛覆』というのはいけません。『その結果として人畜の犠牲を生じたる列車の顛覆』としなくてはいけません。」……「参集したる客に基づき」……

 戯曲の題『金色の雨』。

 われわれ無常の人間の物差しは一つとして、非有や人間以外のものを測る用には立たぬ。 愛国者曰く、「ですがね、わがロシヤのマカロニはイタリヤのより上等ですよ! 論より証拠ですて! いつぞやニースで鱘魚《ちょうざめ》料理を出された時にゃ、思わず泣きたくなったですよ!」そしてこの愛国者は、自分が胃の腑だけの愛国者であることに気がつかなかった。

 不平家曰く、「一たい七面鳥は食べ物でしょうか? 一たい筋子《イクラ》は食べ物でしょうか?」

 大そう聡明な、学問のあるお嬢さん。彼女が海水浴をしているとき、その狭い骨盤や、痩せ細った貧弱な腿を見て、彼は彼女が嫌いになった。

 時計。錠前屋のエゴールの時計は、まるでわざとのように意地悪く遅れたり進んだりする。いま十二時を指したかと思うと忽ち八時を指す。中に悪魔でも棲んでいそうな意地の悪さである。錠前屋は原因をつかもうと思って、あるとき時計を聖水に漬けて見た。……

 昔の小説の主人公(ペチョーリン、オネーギン)は二十歳だった。だが今日では三十から三十五歳よりも若い主人公は使えない。やがて女主人公の方もそうなるだろう。

 Nの父親は有名な人だった。彼も立派な人間なのだが、何をやっても皆がこう言う、「相当だね、だがお父さんにはまだまだ。」或るとき彼は芸術の夕べに出演して朗読をやった。ほかの連中はみんな好評だったが、彼だけはこう言われた、「相当だね、だがお父さんにはまだまだ。」家に帰って床に就くと、彼は父親の肖像を睨みつけて拳骨を振り廻した。

 われわれは子孫を幸福にするため生活の改善に腐心する。しかし子孫は相変らずこう言うに違いない、「昔は今よりよかったなあ。今の暮らしは昔より悪くなったよ。」

 わが座右銘。――私はなんにも要らない。

 今日では、きちんとした勤勉な人が自分や自分の仕事を批判的な眼で眺めると、世間からやれ愚痴っぽい男だとか、のらくら者だとか、厭世家だとか言われる。ところがぶらぶらしているいかさま師が仕事をしなけりゃならんと叫ぶと、世間の人は喝采する。

 女が男の真似をして破壊をすると、人々はこれを自然と見、よく理解する。女が男の真似をして創造を企てたり試みたりすると、人々はこれを不自然と見、怪しからんと言う。

 僕は結婚すると婆さんになりました。