日本人と漢詩(140)

◎ 私とテレサ・テン、蘇軾、李煜、辛棄疾、范仲淹

Dàn yuàn rén cháng/zhǎng jiǔ Běi Sòng Sūshì
但 愿 人 长 久   北 宋 ・ 苏 轼

Míngyuè jǐshí yǒu bǎjiǔ wèn qīngtiān  bùzhī tiānshàng gōngqué  jīnxī shì hé nián  bùzhī tiānshàng gōngqué  jīnxī shì hé nián
明 月 几 时 有 把 酒 问 青 天 不 知 天 上 宫 阙 今 夕 是 何 年

wǒ yù chéng fēng guī qù  wéikǒng qióng lóu yùyǔ gāo chù bùshēng hán qǐwǔ nòng qīng yǐng hé sì zài rénjiān
我 欲 乘 风 归 去 唯 恐 琼 楼 玉 宇 高 处 不 胜 寒 起 舞 弄 清 影 何 似 在 人 间

zhuǎn zhū gé dī yǐ hù zhào wúmián  bù yīng yǒu hèn hé shì chǎng xiàng bié shí yuan bù yīng yǒu hèn hé shì chǎng xiàng bié shí yuán
转 朱 阁 低 绮 户 照 无 眠 不 应 有 恨 何 事 长 向 别 时 圆
rén yǒu bēihuānlíhé yuè yǒu yīn qíng yuán quē cǐ shì gǔ nán quán
邓 丽 君(Dèng Lìjūn Teresa Teng)

Yúměirén Nántáng Lǐ Yù
虞 美 人 南 唐・李 煜

Chūnhuā qiūyuè hé shí le  Wǎngshì zhī duōshǎo
春 花 秋 月 何 时 了 往 事 知 多 少
Xiǎolóu zuóyè yòu dōng fēng  Gùguó bùkān huíshǒu yuèmíng zhōng
小 楼 昨 夜 又 东 风 故 国 不 堪 回 首 月 明 中
Diāolán yùqì yīng yóuzài  Zhǐ shì zhūyán gǎi
雕 栏 玉 砌 应 犹 在 只 是 朱 颜 改
Wènjūn néngyǒu jǐ duōchóu  Qià shì yīiāng chūnshuǐ xiàng dōngliú
问 君 能 有 几 多 愁 恰 似 一 江 春 水 向 东 流

邓 丽 君(Dèng Lìjūn Teresa Teng)

Chǒunúér Shū bóshān dàozhōngbì NánSòng XīnQìjí
丑 奴 儿 · 书 博 山 道 中 壁   南 宋・辛 弃 疾

Shǎonián bù shí chóu zī wèi Ài shàng cénglóu Ài shàng cénglóu Wèi fù xīncí qiáng shuōchóu
少 年 不 识 愁 滋 味 爱 上 层 楼 爱 上 层 楼 为 赋 新 词 强 说 愁
Èrjīn bùshí jìn chóu zīwèi Yù shuō huánxiū yù shuō huánxiū Què dào tiānliáng hǎogè qiū
而 今 识 尽 愁 滋 味 欲 说 还 休 欲 说 还 休 却 道 天 凉 好 个 秋

邓 丽 君(Dèng Lìjūn Teresa Teng)

Sūmùzhē Bìyúntiān BěiSòng Fàn Zhòngyān
苏 幕 遮 · 碧 云 天   北 宋   范 仲 淹

Bì yún tiān Huáng yè dì Qiūsè lián bō Bōshàng hányān cuì
碧 云 天 黄 叶 地 秋 色 连 波 波 上 寒 烟 翠
Shān yìng xié yángtiān jiēshuǐ Fāngcǎo wú qíng Gèng zài xié yáng wài
山 映 斜 阳 天 接 水 芳 草 无 情 更 在 斜 阳 外
àn xiāng hún Zhuī lǚ sī Yèyè chú fēi Hǎomèng liúrén shuì
黯 乡 魂  追 旅 思 夜 夜 除 非 好 梦 留 人 睡
Míngyuè lóu gāo xiū dúyǐ Jiǔ rù chóucháng Zuà zuò xiāngsī lèi
明 月 楼 高 休 独 倚  酒 入 愁 肠 化 作 相 思 泪

邓 丽 君(Dèng Lìjūn Teresa Teng)

Chánghuán  Dèng Lìjūn (Teresa Teng)
偿 还 邓 丽 君(Teresa Teng)

カタカナで…

チェン モー デ ズゥイ チュン   ホワン リウ ジュオ レイ ヘン   ジョーァ ブゥ シー イエン ジー ホーン フェン   コーァ イエン シー デ シャーン ヘン
ポー スゥイ デ シン リーン   リウ シー リヤオ ドゥオ シャオ デ チーン   ミー ブゥ デ ホワーン イエン  
チャーン ホワン デ ジエ コウ   ウォ ブゥ ホゥイ チュイ ダーン ジェン
* アイ デ シン ルゥ ルゥィ チュヨン   ジー ヌオン ゴウ ニー ウォ リヤーン ゴーァ ゥレン   ブゥ コーァ ヌオン シー ウォ ドゥ パイ ホワイ   イエ ブゥ コーァ ヌオン サン ゥレン シーン
ニー コーァ イー チュイ ジャオ シン デ リエン チーン   イエ コーァ イー ブゥ リウ イー ディエン イン シュイン   ダン ブゥ ヤオ ヨーン チャーン ホワン ズゥオ ジエ コウ   ザイ ゥラーン ウォ シャーン シン *
アイ クゥ デ イエン ジーン   ゥラーン レイ シュウイ ゥラン ホーン   ヤオ ドゥオ シャオ スゥイ ユエ シー グワーン   ツァイ イー ワーン ジョーァ ドワン チーン
ツゥイ ゥルオ デ シン チーン   ホワン リウ ジュオ ニー デ シャーン ヘン   ミー ブゥ デ ホワーン イエン   チャーン ホワン デ ジエ コウ
ウォ ゼン me ヌオン シアーン シン   アイ デ シン ルゥ ルゥィ チュヨン   ウォ ズオン ジーン ダー イーン ニー チエン イン
ジョーァ ジー ヌオン シュオ ウォ タイ ドゥオ チーン   ブゥ ガン マイ ユエン ニー ウー チーン   ウォ ズオン ジーン ナイ シン ティーン ニー ビヤオ ミーン   イエ イー ジーン リヤーン ジエ ニー デ クゥ ジョーン
チーン ブゥ ヤオ ヨーン チャーン ホワン ズゥオ ジエ コウ   シャーン リヤオ ウォ ズー ズゥン

デイケアの、卡拉OK(kǎlā OK)で披露しようかしら(笑)

K君のこと

 先日、K君を偲ぶ会があったので、次のような挨拶をした。(固有名詞は、伏せておく。)

 ここに列席の方々よりも長く、K君との大学卒業後の半世紀近くのかかわりを5分間で話せと言うのは、どだい無理な話で、予定では、まる1日かかるか、大幅に詰めて、3時間くらいかかることを、まずご容赦くださいね。だめ、早く引っ込めと言われるなら、最低2つのことに絞って話させていただきます。
 第一には、研修医時代が終わりかけたある日、K君から、今度診療所に全面的に赴任するという話がありました。それを聞いた時、驚天動地の思いを抱いたことを今も覚えています。考えてもごらんなさい。医師という職業は、いい意味でも悪い意味でも「エリート」の地位にあります。それは私たちの病院といえども例外ではありません。大学では、助手からはじまって、講師→助教授→教授と登り詰めるのが、目標でした。市中病院でも、診療科長→院長というラインも同様です。診療所は、パート的に出向しても、そこに居続けることは、リタイアされた医師がかろうじてかかわる場でありました。若くしてオルタナティブな未来を選択され、自分にはとうていできない志を高く持たれたことに感服しました。そして、この決断は、次に控えられるO先生や、不肖わたくしにも道筋を示していただいた先駆者でした。
 第二には、それにもまして感心したのは、別に誰彼を非難しているわけではありませんが、リタイア後に診療所で役割を持った医師は、とかく自己流の診療スタイルに陥りがちです。しかし、K君はそこと一線を画しました。私の医学部時代の先輩と共同で「P-MAN」という慢性疾患プログラムがPC上での開発に深く関わりました。その中では、医学的に根拠のある真実を、理論的、統計学的にあきらかにされました。K君の雑誌投稿の論文をいくつかを読みましたが、その中で、興味あることにぶつかりました。高齢者のADL(日常運動労作)を低下させる大きな要因はなにか?解りますか?正解者には、今日の昼飯をおごります(笑)。この設問はヒントを兼ねていますが、そうです、食事の貧困さ、極論すればそもそも食事が摂れないことです。その後は、医学的なエビデンスとして、当法人では、配食サービスを充実させる大きなきっかけになりました。
 最後に、コロナ禍のある日、発生が疑われるので。緊急でコロナウィルスの PCR 検査を夜中までかかり、行ったことがあります。おかげで、蔓延は最小限度にくいとめましたが、あとでK君から「第一線の医療機関」らしいと称賛の言葉をいただきました。他には、だれも他には褒めてくれなかったに関わらずに、です。(笑)正直、嬉しかったです。この時ほど、K君と同じ方向を向いていたことに喜びを感じたことはありません。

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 月並みにいえば、故人の残したものを受け継ぎ、がんばろうというところですが、私には、もうそんな気力も時間もないかもしれません。ここにおられる皆さんへの、K君を代弁しての気持ちをくんでいただくことをお願いしてメッセージを終わります。最後の最後に、K君の主治医であったI先生のご著書(武川甲州 ”インビジブルライン 見えない線を超えて心は開かれる” (Amazon )を紹介します。どうぞ読んでください。ご清聴ありがとうございました。

 写真は、 I 先生のご著書の表紙とコロナウィルス(CA19-9)PCR 法の結果を示すディスプレイ。

日本人と漢詩(139)

◎ 私とテレサ・テン、詩経、古詩

Shījìng Guó fēng Zhōu nán Táoyāo
『诗 経』 国 风 ・ 周 南 桃 夭

Táo zhī yāoyāo zhuózhuó qí huá  Zhīzǐ yú guī yí qí shìjiā
桃 之 夭 夭 灼 灼 其 华 之 子 于 归 宜 其 室 家
Táo zhī yāoyāo yǒufén qí shí  Zhīzǐ yú guī yí qí jiāshì
桃 之 夭 夭 有 蕡 其 実 之 子 于 归 宜 其 家 室
Táo zhī yāoyāo qíyè zhēnzhēn Zhīzǐ yú guī yí qí jiārén
桃 之 夭 夭 其 叶 蓁 蓁 之 子 于 归 宜 其 家 人

Youtube 参照

Shījìng Guófēng Qínfēng Jiānjiā
『诗 経』 国 风・秦 风 蒹 葭
Jiānjiā cāngcāng báilù wèi shuāng  suǒwèi yīrén zài shuǐ yīfāng
蒹 葭 苍 苍 白 露 为 霜 所 谓 伊 人 在 水 一 方
Jiānjiā qīqī báilù wèi xī  suǒwèi yīrén zài shuǐ zhī méi
蒹 葭 萋 萋 白 露 未 晞 所 谓 伊 人 在 水 之 湄
Sùhuí cóng zhī dào zǔ qiě jī sù yóu cóng zhī wǎn zài shuǐzhōng chí
溯 洄 从 之 道 阻 且 跻 溯 游 从 之 宛 在 水 中 坻
Jiānjiā cǎicǎi báilù wèi yǐ suǒwèi yīrén zài shuǐ zhī sì
蒹 葭 采 采 白 露 未 已 所 谓 伊 人 在 水 之 涘
Sù huí cóng zhī dào zǔ qiě yòu sù yóu cóng zhī wǎn zài shuǐ zhōng zhǐ
溯 洄 从 之 道 阻 且 右 溯 游 从 之 宛 在 水 中 沚

Zài shuǐ yīfāng Dèng Lìjūn
在 水一 方 邓 丽 君(Teresa Teng)

上記、Youtube
語釈などは、愛の物語―詩経の新解釈を参考のこと

Gǔshī shíjiǔ shǒu zhī shíwǔ
古 诗 十 九 首 之 十 五

Shēngnián bùmǎn bǎi  cháng huái qiānsuì yōu  Zhòu duǎn kǔ yè cháng  hébù bǐng zhú yóu
生 年 不 满 百 常 懐 千 歳 忧 昼 短 苦 夜 长 何 不 秉 烛 游
Wéi lè dāng jí shí  hé néng dài láizī Yúzhě āixī fèi  dàn wéi hòushì chī
为 楽 当 及 时 何 能 待 来 兹 愚 者 哀 惜 费 但 为 后 世 嗤
Xiānrén Wángzǐ Qiáo nán kě yǔ děng qī
仙 人 王 子 乔 难 可 与 等 期

Youtube はまなかひとしさん 参照のこと

Gǔ shī Shíjiǔ shǒu zhī yī
古 诗 十 九 首 之 一

Xíngxíng chóng xíngxíng yǔ jūn shēng biélí  Xiāngqù wàn yú lǐ gè zài tiān yī yá
行 行 重 行 行 与 君 生 别 离 相 去 万 余 里 各 在 天 一 涯
Dàolù zǔ qiě cháng, huìmiàn ān kězhī  Hú mǎ yī běifēng Yuè niǎo cháo nán zhī
道 路 阻 且 长 会 面 安 可 知 胡 马 依 北 风 越 鸟 巣 南 枝
Xiāngqù rì yǐ yuan yī dài rì yǐ huǎn  Fúyún bì bái rì yóuzǐ bùgù fǎn
相 去 日 已 远 衣 带 日 已 缓 浮 云 蔽 白 日 游 子 不 顾 反
Sī jūn lìng rén lǎo suì yuè hū yǐ wǎn  Qì juān wù fù dào nǔlì jiā cān fàn
思 君 令 人 老 歳 月 忽 已 晩 弃 捐 勿 复 道 努 力 加 餐 饭

Youtube はまなかひとしさん 参照のこと

Gǔ shī shí jiǔ shǒu zhī shí sì
古 诗 十 九 首 之 十 四

Qù zhě rì yǐ shū  shēng zhě rì yǐ qīn  Chū guōmén zhíshì  dàn jiàn qiū yǔ fén
去 者 日 以 疎 生 者 日 以 亲 出 郭 门 直 视 但 见 丘 与 坟
Gǔ mù lí wéi tián  sōngbǎi cuī wéi xīn  Báiyáng duō bēi fēng  xiāoxiāo chóu shārén
古 墓 犂 为 田 松 柏 摧 为 薪 白 杨 多 悲 风 萧 萧 愁 杀 人
Sī huán gù lǐlǘ  yù guī dào wú yīn
思 还 故 里 闾 欲 帰 道 无 因

Youtube はまなかひとしさん 参照のこと

日本人と漢詩(138)

◎ 私と陶淵明

私の最も好みの一人、五柳先生の詩からいくつかを取り上げてみた。

Záshī shí‘èr shǒu zhī yī  Dōng jìn Táo Yuānmíng
雑 诗 十 二 首 之 一  东 晋・陶 渊 明
Rénshēng wú gēndì piāorú mò shàng chén.
人 生 无 根 蔕 飘 如 陌 上 尘
Fēnsàn zhú fēng zhuǎn cǐyǐ fēi cháng shēn.
分 散 逐 风 転 此 已 非 常 身
Luòdì wéi xiōng dì hébì gǔ ròu qīn
落 地 为 兄 弟  何 必 骨 肉 亲
Dé huān dāng zuò lè dǒujiǔ jù bǐ lín.
得 歓 当 作 楽 斗 酒 聚 比 隣
Shèngnián bù chóng lái yī rì nán zài chén
盛 年 不 重 来 一 日 难 再 晨
Jíshí dāng miǎnlì suì yuè bù dài rén
及 时 当 勉 励 歳 月 不 待 人

訓読、語釈、ピンイン読みは、はまなかひとしさんの Youtube コーナーを参考のこと

Záshī èr shǒu qí yī Dōngjìn Táo Yuānmíng
雑 诗 二 首(其 一) 东晋・陶 渊 明
Jiélú zài rén jìng,  érwú chē mǎ xuān
结 庐 在 人 境 而 无 车 马 喧
Wènjūn hé néng ěr xīnyuǎn dì zì piān
问 君 何 能 尔 心 远 地 自 偏
Cǎijú dōng lí xià  yōurán wàng Nánshān
采 菊 东 篱 下 悠 然 望 南 山
Shānqì rì xī jiā  fēiniǎo xiāng yǔ huán
山 気 日 夕 佳 飞 鸟 相 与 还
Cǐhuán yǒu zhēn yì  yùbiàn yǐ wàng yán
此 还 有 真 意 欲 弁 已 忘 言

訓読、語釈、ピンイン読みは、はまなかひとしさんの Youtube コーナーを参考のこと

【私見】

菊を采る 東籬とうりもと 悠然として南山を見る

は、「菊を摘んで取ったら、南山が見えた」というニュアンスではなく、「菊をそっと押しのけると南山が現れた」と解釈したほうが情緒深く感じられる。

Záshī èr shǒu zhī èr qī Dōngjìn Táo Yuānmíng
雑 诗 二 首 之 二 ( 饮 酒 二 十 首 之 七 )  东 晋 ・ 陶 渊 明
Qiū jú yǒu jiā sè yìllù duō qí yīng
秋 菊 有 佳 色 裛 露 掇 其 英
Fàncǐ wàng yōu wù yuàn wǒ dá shì qíng
泛 此 忘 忧 物 远 我 达 世 情
Yīshāng suī dú jìn bēijìn hú zì qīng
一 觞 虽 独 进 盃 尽 壶 自 倾
Rìrù qún dòng xī guīniǎo cù qū lín míng
日 入 群 动 息 帰 鸟 趋 林 鸣
Xiàoào dōng xuān xià liáofù dé cǐ shēng
啸 傲 东 轩 下 聊 复 得 此 生

訓読、語釈は、はまなかひとしさんの Youtube コーナーを参考のこと

Dú shānhǎijīng  Dōngjìn Táo Yuānmíng
読 山 海 経  东 晋 ・陶 渊 明
Mèngxià cǎo mù zhǎng ràowū shù fú shū.
孟 夏 草 木 长 绕 屋 树 扶 疏 
Zhòngniǎo xīn yǒu tuō wúyì ài wú lú
众 鸟 欣 有 托 吾 亦 爱 吾 庐 
Jìgēng yì yǐ zhòng qiěhuán dú wǒ shū.
既 耕 亦 已 种 且 还 読 我 书 
Qióngxiàng gé shēn zhé  pōhuí gù rén chē
穷 巷 隔 深 辙 颇 回 故 人 车 
Huānyán zhuó chūn jiǔ zhāiwǒ yuán zhōng shū
歓 言 酌 春 酒 摘 我 园 中 蔬 
Wēiyǔ cóng dōng lái hǎofēng yǔ zhī jù
微 雨 従 东 来 好 风 与 之 倶   
Fànlǎn Zhōu wáng zhuàn liúguān Shānhǎi tú
泛 覧 周 王 伝 流 観 山 海 図
Fǔyǎng zhōng yǔ zhòu bùlè fù hé rú
俯 仰 终 宇 宙 不 楽 复 何 如

訓読、語釈、ピンイン読みは、はまなかひとしさんの Youtube コーナーを参考のこと。

図は、「泉聲悠韻」から。

読書ざんまいよせい(098)

◎ 巌窟王【補足1】

Wikipedia と、黒岩涙香訳「巌窟王」から、合成した。

エドモン・ダンテスと協力者
エドモン・ダンテス / モンテ・クリスト伯爵 (Edmond Dantès / le Comte de Monte Cristo)
モレル商会の一等航海士。20歳前にしてファラオン号の船長への昇格が約束され、恋人メルセデスとの結婚も間近と幸福の絶頂にあった。しかし彼を疎ましく思う者たちの策謀により、無実の罪でシャトー・ディフの土牢に収監され、14年もの獄中生活を強いられる。またその間に父親は他界、婚約者も奪われるという憂き目に遭ってしまう。獄中でファリア神父に出逢ったことで自身が陥れられたという真実を悟り、仇敵への復讐を決意する。同時に神父の知識を受け継ぎ、さらには莫大な財宝の在り処も教えられる。
やがて神父が息を引き取ると、彼の遺体と入れ替わって脱獄に成功する。脱獄後に神父から授かったモンテクリスト島の財宝を見つけ出し莫大な富を手に入れると、自身が陥れられた経緯の調査、自身を救済しようとしてくれた人への恩返しを経て、9年後、イタリアの貴族「モンテ・クリスト伯爵」としてパリの社交界へと現れ、仇敵との再会を果たす。そして、かねてより計画していた復讐を実行していく。
作中で数多くの別名・偽名で呼ばれており、以下のような名前がある。
エドモン・ダンテス – 本名
34号 – シャトー・ディフでの囚人番号。
マルタ – 脱獄後に拾われた密輸船の船員から呼ばれた名。マルタ生まれと称したことから。
ウィルモア卿 – 財宝入手後に自分の船を買った際、別途入手した身分証明書に書かれていたイギリス人の名前。後にモンテ・クリスト伯爵と3回決闘した敵対者と称する。
ジャコモ・ブゾーニ司祭 – 獄死した(と偽った)ダンテスの最後を看取ったイタリア人の司祭。モンテ・クリスト伯爵の友人。
トムソン&フレンチ商会の番頭 – イタリアの商社に勤めるイギリス人。モレル商会の債権を買い集めて最大出資者になった。
船乗りシンドバッド – 破産しかけたモレル家を救済した時に名乗った名。後に、密輸業者や山賊たちから一目置かれるモンテ・クリスト島の大富豪としても名乗る。
モンテ・クリスト伯爵

黒岩涙香訳「巌窟王」上巻
團友太郎(エドモン・ダンテス)
數竒の運命とたゝかひぬく本篇の主人公。後の巖窟島伯爵(モンテ・クリスト伯)。
巖窟島いはやじま伯爵(モンテ・クリスト伯)
  本名 團友太郎(エドモン・ダンテス)數竒の運命とたゝかいぬく本篇の主人公。

読書ざんまいよせい(097)

巖窟王(下 その10)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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Youtube 【原作朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 114「ペッピーノ」
Youtube 【原作朗読】最終回・モンテ・クリスト伯(巌窟王) 117「十月五日」

巖窟王 : 二六五 斷末魔・一

蛭峰がつんのめる樣に歩み寄つた其戸口の番人さへも呆氣に取られて居る、彼は戸を開けて好いか開けぬが好いかをさへ知らぬ、けれど蛭峰を遮る勇氣は無い、あわてゝ戸を開いた、蛭峰は出で去ツた。

後で裁判所の混雜は一方ならぬ、今まで魔睡した樣に成つて居た傍聽一同、初めに徐々に、次は急に、最後は海嘯つなみの推寄せる程の勢で、目が覺めた、眞に意外な、恐ろしい裁判で有ツた、イヤ裁判には成らずに止んだ、けれど此樣な事を見た事が無い、口々に驚きや訝かりや樣々の事を語り合ひ初めた、かなへの湧く景状ありさまである、流石の判事一同及び裁判長までも蛭峰の去つて暫しの間は、唯だ顏を見合せて、唖の状であツた、けれど遂に氣が附いて裁判長は宣言した「今日の裁判は之で延期と致し、次囘の開廷期へ讓ります、其間に必ず豫審の調べ直しと爲り、爾して裁判官の人を替へ更に裁判するに至るでせう」吾々は最早斯樣な裁判は取扱ひ得ぬとの意を含んで居るのだ、裁判長が是れほど迄に云ふは前後に殆ど類が無い、陪席判事も陪審員も、無言で有るけれど、再び斯樣な恐ろしい裁判に關與たづさはり得ぬとの事は同感らしい。

傍聽人の言つて居る事柄などは千状萬態で茲に一々記す事は出來ぬけれど「被告辨太郎は何うなるのだらう」と云ひ「蛭峰の舊惡には驚いた」と云ひ「親が子を論告して、反對に子より舊惡をあばかれるとは全く天のするわざだ」など云ふのは多かツた、併し大抵の人が辨太郎は眞逆に死刑には成らぬだらう、情状を酌量して終身刑に處せられるだらうと云つた可なり法律に通じた人も無論爾さと云つて居た。

其れはて置き、戸を開いて出た蛭峰の状は見ものである、彼は帽子を冠る事さへ知らぬは勿論の事、其身が足で歩して居るか頭で歩して居るかをも辯ぜぬ容子である、夢遊病の患者が歩む樣にフラ〳〵と歩み石廊に出て走つた、茲には入後れた傍聽人や、他の裁判の室へ出入りする人などが蟻集ぎしふして居る、此人々は、一人中から出て來る者の有る度に取圍んで中の容子を爭ひ聞くので、直に蛭峰の周圍まはりへ馳寄つた、けれど一目蛭峰の顏を見て飛び退いた。

實に蛭峰の顏は誰とて飛び退かぬ事の出來ぬほど物凄い、筋と云ふ筋には悉く血がみなぎつて隆起して居る、血走つたまなこの光り、引痙ひきつつた頬のゆがみ、怒れる虎よりも恐ろしい、誰が此前に立つことが出來やう、全く蛭峰は無人の境地を行く如く群衆の中を通り裁判所の出口まで出た、幸茲に居合せたのが彼の馬車である、彼は誰の馬車とも見分けずに之に乘つた、馭者は問ふた「お歸りですか」蛭峰は返辭をせぬ、返辭の無いのは歸るのだらうと馭者は氣を利かせて家の方へ馬車を向けた、全く蛭峰の身には、今裁判所の中で力の盡きた反動が出て來た、死人の樣に見えて居た彼の顏は火の樣になツた、震へて居た齒の根は切齒はぎしりする樣に堅く結ばれた、手は手のひらへ爪の立つ程に握り詰めた、爾して腦髓も電光の如く忙しく動き初めた、けれど腦髓が動けば動くほど益々逃れる道の無い其身の末運が合點が行くのだ、此後を何うして好いか思案が浮ばぬ、彼は考へて又考へた、何うしても思案の無い苦しさに又叫んだ「考へるだけ無益だ、無益だ、本統に、神の手で罰せられたもの、何としたとて逃れる事が出來る者か」

叫びつゝ狼が檻の中を見廻す如く馬車の中を見廻したが膝の脇なるしとねの上に一本の扇子の有るのが目に留まツた、是は今朝彼の妻が自分で乘つて用逹ようたしに出る積りで外の品と共に入れたのをツイ取殘して置いたのだ、此小さい一物が大なる動機である。

初め彼、心も無く之を取上げたが、手に置いて見直すと共に、忽ち妻の事を思ひ出した、彼は不意に痛みを受けた樣に叫喚した、あゝ彼は家を出る時其妻に何と云ツた、家の恥辱を雪ぐ爲め毒藥を以て自殺せよと命じた、退引のつぴきの成らぬ樣に鐡案を宣告した、今は何うである、妻に此樣な宣告をする資格が有るだらうか、妻が家名を汚さぬうちに自分が家名を汚したのだ、妻の汚し方よりも幾倍重い、其れも事實を云へば今の妻を迎へぬ先に汚して居たのだ、今は唯だ其事を露見したと云ふに過ぎぬ、此樣な身を以て妻に家名を汚すなとは何うして云つた、妻を死なせるならば自分が先に死なねば成らぬ妻には毒害せねば死刑臺に上されるぞとの意を繰返し〳〵言つておどして、アヽ死刑臺は自分の方が當然に上る可きである、此樣な者の妻となつたればこそ所天をつとの心中に潛んで居る極惡が妻の身に感染したのだ、此樣な者の妻となつて、誰だとて惡人と成らずに居られる者か、鬼の妻に鬼神と云ふは是である「アヽ何うしても妻を死なせては成らぬ、斯うなれば最う破れかぶれだ、妻を引連れ世界の果へまで出奔しやう」惡人の後悔は善人の後悔とは違ふ、善人は後悔して善に還り、惡人は惡を遺して逃れるのだ、惡を遂げるとは此事である、彼は全く其氣に成つた、何でも妻と逃れる外は無いとは云へ妻は猶だ活て居るだらうか、先刻鐡案を宣告して家を出てより未だ二時間とは經ぬ、毒を呑んで死ぬるにしても後に殘る兒供の手當や、其外にも用意が有らう、急いで歸れば未だ死なぬ所へ行く見込は有る。

斯う思ふと共に、彼は突然 かうべを馬車の窓の外に出し、馭者に令した「早く家へ、早く、早く」

やがて家には着いた、飛ぶ樣に内へ入り妻の室に馳せ附けた生憎戸に錠が卸りて居る、アヽ遲かツたかと彼は胸を突かれる樣に感じた、けれど叩いて見ると、中で何だか物音がする、有難や猶だ活て居るのかと思ひ「開けろ、開けろ」眞に聲を限りである、けれど開けぬ、彼は全身の重さを以て幾度も戸に突當り、漸くに戸を破り得た、爾して轉がる如くに中に入れば妻は室の隅に立て居る、けれど最う遲過ぎた、今までは未練な心で死にも得せずに居たけれど所天をつとの戸を叩く荒々しい音を聞き愈々逃れぬ時が來たと知り、戸の破れると同時に最後の毒藥を仰ぎ呑んだ、立て居たのは是から倒れんとする所で有ツたのだ、「オヽ」と叫んで蛭峰が近づくと同時に呑み乾て空になツた硝子瓶が力の無い手から落ちた。
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読書ざんまいよせい(096)

巖窟王(下 その9)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 100「幻影」

巖窟王 : 二四六 華子・一

嚴しく辨太郎を取調べて巖窟島伯爵の身の祕密を看破せんとは流石に蛭峰大檢事である、茲へ目を付けたのは多年の職掌から得た烱眼と云ふ可きであらう。

併し段倉男爵夫人は何うあツても此取調べを延ばして貰ひ度い、我娘夕蝉が更に然る可き所天をつとを定めぬうちに辨太郎の噂が益々世に立つ樣で有つては、娘が生涯身を定め損ふのみか母たる自分の名譽に迄も少からず影響すると思ひつめてゐる、其れは勿論無理も無い所であらう。

夫人は此心を以て猶も及ぶだけ説いた、けれど蛭峰が承知せぬので、果は腹立てゝ聲も荒く「貴方は職務の爲め、何うしても罪人を取調べねば成らぬ事柄が有りませう、内の罪人は捨て置いても外の罪人は調べると仰有るのですか」と叫んだ、是れは確に蛭峰の家に怪しい死人のみ引續くに蛭峰が職掌ながら其原因を調べず打棄て置くのを指した者である、既に世間で密々ひそ〳〵噂して居る所なんだ、蛭峰はかつて赤らんだ事の有るまいと思はれる顏を火の樣にして面目無げに俯うつむいて了ツたが、やゝあツて辨解の樣に「イヤ夫人、世間で私の家の不幸に對し樣々の噂の有る事は知らぬでは有りません、今は貴方まで其噂にかぶれ、其樣な事を仰有るは誠に私の遺憾とする所では有りますが、既に證據の上ツて居る罪人と、未だ誰とも目指す事の出來ぬ事件とは、事譯が違ひます、私の家の不幸とても明かに誰の所爲と認める事が出來るなら、私は決して容赦は致しません、蛭峰の一身は一身で無く法律の道具ですから、丁度辨太郎を嚴重に取調べる如く我家の者をも嚴重に調べます、けれど夫人、此家の事は唯だ世人の疑ひに止まツて何等の取留める所も無いのです」殆ど自分で自分の穴を掘る樣な言葉では有るまいか、夫人「イヽエ私はたつて御自分の内をお調べ成さいと云ふのでは無いのです、御自分の内を延ばして置く樣に小侯爵イヤ辨太郎とやらの件をも延ばして下さいと云ふのです」蛭峰「サア其れが出來ぬのです」夫人は何と云ふも甲斐無きを悟り、殆ど席を蹴る程の劍幕で立去ツた、是で辨太郎の裁判も遠くは無いと云ふ事に極ツて了ツた。

* * * * *

其は扨置さておき、此樣にまで云はれる蛭峰の家は實際何うだらう、生死の境に推寄せてゐた華子は何うなツたゞらう。

今の猶華子は生死の間に徘徊さまよふてゐる、夜の無く晝と無く、唯だ昏々と病床に眠つてゐるが眞に眠つてゐるかと見れば醒てゐる、醒てゐるかと見れば眠つてゐる、是れが斯る病人の常なんだ、斯うなると絶えず當人の目の前には樣々の幻影が現はれる、或は父が來るかと見れば或時は戀しい森江大尉が我顏を差覗いてゐる樣に見え、時によると飛んでも無い巖窟島伯爵が何か藥を注で呉れる樣な事も見える、何れ丈が眞事まことで有つて何れ丈が幻であるか、其は當人にも分らぬ。

イヤ此日朝頃から聊か其區別がつき掛けて來た、其れだけ病が好い方に向いたのだ、午後に成ると又 一ひとしほ其區別が明かになり、夕方に及んで醒めて居るのだと合點し、「アヽんなに心まで弱くなつた」と呟いて笑を浮かべ爾して笑のまゝ眠つて了ツた、眠るのが何よりの藥である、夜の十二時頃に及び再び目の醒めるまでも猶ほ其笑が殘ツて居たのは眞に百藥にも優るほどの好い眠で有つたのだらう、目の醒め方も今までに無いほど穩かに、先づ唇を動かし次に手を動かし、最後に身體を動かして目を開いたが、其まゝ四邊あたりを見廻して「アヽ最う病は無く成ツた、夢か知らぬが、昨夜も目を覺したとき咽喉が渇いて、枕元に在つた赤い水藥を呑んで、急に身體の爽かに成る樣な心持がした、今夜も彼の通り渇いて居る、きつと彼のお藥で此樣にくなるのだわ」云ひつゝ枕元の臺に手を差延べると、怪しや襖の影から、黒い服を着けた人の姿が現はれ、臺の上のこつぷを取り、中の藥を水鉢に移し更に赤い色の水を注いで出した、華子は未だ深く思案する事は出來ぬ、其まゝ受取つて之を呑むと又總身が健々すが〳〵しく、目の覺めた上に又目の覺めた氣持に成つた、世に云ふ甘露の味とは此樣な者でも有らうか、爾して更に、今其藥を注いで呉れた人の顏を見ると怪まずには居られぬ「オヤ猶だ夢を見て居るのだらうか」其人は柔かな聲で「夢では有りません、華子さん、今夜で丁度四宵の間、私が此通り、寢ずに潛んで、貴女を見張つて居たのです、最う貴女は助かります」華子「誰に頼まれて」其人「ハイ森江大尉の爲めに」華子「大尉の爲に――私の爲に、何故」其人「私は森江をも貴女をも我子の樣に思ふのです、私を父とお思ひ成さい、少しも心配は有りませんから」言葉が更に怪しくも無く、一々華子の胸の中に解けて入る樣に感ずるは猶だ心に多少の幻が殘つて居る爲でも有らうか華子「父と思つて好いのですか」其人「父と思つて私の言葉に從へば病も治り、心配が無くなります」華子「本統ですか巖窟島伯爵」
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読書ざんまいよせい(095)

巖窟王(下 その8)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 87「決闘」

巖窟王 : 二二〇 死の前夜・一

巖窟島伯爵ほどの大決心を以て大計畫を運んで來た人が、其計畫が最早九分九厘まで漕附けた今と爲つて、自分の命を捨ると云ふ心に成れる者だらうか、けれど伯爵は命を捨てねば成らぬ破滅に立至ツたのだ。

實に伯爵の煩悶は見るも憐れである、暗い靜かな書齋の中に、獨り地團駄踏む如くにもがいて居る、幾等悶いても外に道は無い、決鬪の相手野西武之助の命を許すには自分が空砲を放つて武之助に殺される一方である、我が命を武之助に代へねば成らぬ、嗚呼彼が如き、爲す事も無き一少年の命が、天地の大任務を負ふと信ずる我が一命に代へられやうか、否、否、否、と云つた所で代る外は無い、彼に殺される外は無い[、]是れが確に自分の此口で露子夫人に約束した言葉の意味である。

やがて伯爵は、深い〳〵絶望の爲にもがく力も無くなツた、室の一方に在る長椅子へ尻餠をく樣に身をもたらせた、爾して空しく溜息をいた、斯うなると又も樣々の感慨が胸に集まるのみである、今が今まで此身に天のたすけと神の許しとが籠つてゐて、何の樣な難い事も總て我が意の如く成る者と信じ實際人間業とは思はれぬほどの大業を遂げて來たのに、今と爲つて天意神心は何故に此身を見捨て、斯くも詰らぬ故障に躓かせるのだらう、天のたすけ、神の許しと此身の信じたのが間違ひだらうか、矢張り此世は神も無く慈悲も無い罪惡 跋扈ばつこの世界だらうか、若し其れならば誰が此身を泥阜でいふの土牢から出る事の出來る樣に仕向けて呉れたのだらう、何が爲に此身をモンテ、クリストの島に着かせ、限り無いたからの持主とは仕たのだらう、天の意を行ふ爲で無くば此寶は何の爲にた何の道に使ふ可き者だらう、イヤイヤ、天の意は明かである、確に此身へ天の裁判が托されたのだ、人間の惡を懲して善を勸めよと命ぜられたのだ、けれど此身の其神意天命を遂げ果せる丈けの力無く詰らぬ愛の爲め情の爲めに心を動かし、踏む可き道を自分から踏損じた爲めに、神は罰として此身から其祐助を取上げて、今茲に、此身を死るより外は無い此破滅に立到らせたのだ、斯う思へば最早仕方が無い、唯此天罰に服し、天助神祐を空しくした此 活地いくぢの無い一命を天に返す一方である、其れにしても唯だ悔しいのは、何故此身の心の底に情と云ふ樣な弱い心が潛んで居たのだらう、何故に昔の愛にイヤ愛では無い、愛は既に忘れたのである、忘れたかれど昔愛した女の情願の爲にツイ動かされる樣な情無い弱味が有つたのだらう、其れを知らずに、此身此心をば、全く天に代るに耐へる迄に練固め鍛へ果せた者と信じて居たのが此身の愚鈍おぞましさであツた。

其れから其れと憾みは盡きぬ、其うちに又もフト思ひ出したのは、露子夫人が餘り易々と此身の言葉を承け引いた容子の怪しさである、此身が死ぬると云ふが否や夫人は直に打喜び、殆ど其れなら死ねと云はん許りの景状ありさまで立去つたのだ、幾等母の情で我子の助けられるのが嬉しいとて、人が其爲に死ぬると云ふのを、好い事の樣に思ひ、何の辛さも感ぜずに人を我子の身代りに立たされる者だらうか、お露と云ふた其昔は決して其樣な、邪慳な卑怯な魂性こんじやうでは無かツた、確に人間の中の神であるかと思はれるほど慈悲深い所に有る心根であツた、如何に其後、人の妻と爲り人の母と爲り、心も持方が違ツたにしても、此身を自分の子の代りに死なせるのを當然の事の樣に思ふとは餘りである、餘りな事で事實とは思はれぬ、勿論人の爲に身を犧牲いけにえにすると云ふは善事には違ひ無いが善事でも度を過ぎれば罪惡と爲る事が有る、此身が是だけの大計畫を抱へて居ながら、其れを捨て人の身代りに立つとは、却て罪惡と云ふ者では無からうか、其罪惡を此身に強ふる露子夫人のする事は更に重い罪惡では無からうか、もや夫人が罪惡を知つて喜ぶ筈も無からうにと、全く見込みの無い爲にまで見込を附けて、何か我爲に都合の能き道理は出て來ぬかと求むるは、死ぬる人の未練と云ふ者で、何事をもわきまへた伯爵の如きすらも猶ほ免れぬ所と見える、未練、今と爲つて幾等繰返したとて何の甲斐が有らう、けれど此未練は又一つの考へを搜し出した、アヽ分ツた、露子夫人は決鬪の間際に成り、此身と武之助の間に割つて入り、其身が雙方の彈丸たまを受けて死ぬるか、爾無くば決鬪を止めて了ふ積りで有らう、爾だ其れに違ひ無いと、思ひ初めると同時に、伯爵の心にはかすかに一道の希望が浮き出る樣に思はれたが、又忽ち消えて了ツた、エヽ、其樣な事をせられては、此身の折角の決心がまるで狂言じみて了ふ、けぬ、可けぬ、巖窟島伯爵とも云はれる者が、相手の母の止めぬ來るを見込んで決鬪に負る約束をしたと有つては、物笑ひの種と云ふ者、此身は辛い思ひで身を犧牲にする考へを定めたのに、其れが却て物笑ひとは自分の名に泥を塗るのだ、其れよりは、爾うだ、若しも其樣な事が有れば其場で手早く自殺するが好い、自殺してせめては名前だけでも汚れぬ樣にせねば成らぬ。

漸く茲に思ひは極ツた、其れにしては其次第と其決心の能く分る樣に我が遺言へ特別に書入れて置かねば成らぬ。死んだ後で人が見れば、成るほど斯うも辛い決心をしたのかと、しや感心はして呉れぬ迄も我を物笑ひの種とはせぬだらうと、獨り呟いて身を起し、机に向つて紙筆を取上げたが此時又も室の外で、女の絹摺の音かと思はれるかすかな物音が有ツた、けれど早や二時を過て人の入り來る筈は無い、伯爵は少しも物音に氣が附かなかつた。
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読書ざんまいよせい(094)

巖窟王(下 その7)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯

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Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 79「レモネード」

巖窟王 : 二〇八 彼の仕業

ノルマンデーから急ぎ歸ツて、伯爵と右左に分れた野西武之助は、直ぐ其足で新聞記者猛田猛の許をふた、訪ふて猛の出て來るを待つ間さへももどかしい、自分の父野西子爵が再び賣國奴と疑はれるに到つた迄は猛の手紙で知つて居るけれど、其後が何う成つたか、一刻も早く聞知り度い、其れも新聞紙を買つて讀めば分るけれど、新聞紙を讀むのが恐ろしい、又忌々しい、慈悲も無く情も知らず唯だ事實の有り儘を冷酷に報道する新聞記者の筆から我父の舊惡を知らされるのは子として實に忍び難い所である。

彼は應接のに在つて殆ど地團太を踏まぬ許りである、全體何者が斯も執念深く我父我一家を傷けやうと企むだらう、父に賣國の振舞が有つた事はさきに猛がヤミナ迄出張して調て來た所で分ツては居るけれど、其罪惡を十年餘の今と爲つてあばき立てるとは實に憎むにも餘りある憎さである、父に愛想の盡きたことは無論だけれど、其れが爲に此敵を許して置く事は出來ぬ、此敵 假令たとひ社會の何の樣な隅に隱れて居やうとも必ず探し出して目に物を見せて呉れねば成らぬと、獨り悔しさの數々を心の中に呼起しては自分の肝へ刻み附る樣に繰返して居た、其處へ漸く猛田猛は出て來た。

彼は氣の毒さに堪へぬ状で、容易には口を開かなんだが、切に武之助より促されて遂に委員會の一部始終を語り初めた、勿論一たび口を開く以上は少しも隱し又は飾る可きで無い、彼が新聞記者として委員の人々や其議長などから聞集めた所を事細に話し出したので、彼の委員會の景状ありさまが手に取る如く武之助に分ツた、我父野西子爵が何の樣にして自ら辯護し、何の樣にして鞆繪姫の現はれ出たのに對し、又何の樣に言葉窮して何の樣に會場から逃出したか、父の一擧一動から委員の其時其時の顏色まで悉く目に見える樣に感じた。

聞終つて彼は悔し涙の雨の如く降り來るを制し得ぬ「猛田さん、猛田さん、最う私は何處へ行つても賣國奴の息子です、廣い此巴里に、猶ほ私を友人と思ツて呉れる者は、貴方や出部嶺でぶれいや心の廣い巖窟島伯爵の外に幾人も有りますまい、し有ツたとて何の顏さげて巴里の市中を徘徊しませう、私は直ぐに此國を去り世界の果てへ身を埋めて了ひます、ですが其前に此敵を探し出して仇をかへさねば成りません、仇を復すと云つても決鬪する外は無く、若し其決鬪で殺さるれば其れ迄ゆゑ外國へ隱れに行く面倒も無くて濟みます、若し勝てば幾分の恨も消ゆると云ふ者、何うか貴方は私の心を察し、此敵の分る樣にして下さい、全體何者が私の父の事を新聞紙に出したのでせう、貴方の手紙にはヤミナ州から澤山の證據書類を持つた人が故々わざ〳〵出て來て各新聞社を廻ツたと有りましたけれど、必ず此巴里に住んで居る人の中に、張本人が有りませう、最初に貴方の新聞紙へ唯だ彿國の士官次郎と云ふ短いアノ記事を出させたなどは決してヤミナから來た人では有りません、此人が即ち今度の記事をも出る樣に仕組んだ事は、考へる迄も無く分つて居ますから、即ち此人が誰で有るか、少しでも貴方に心當りが有れば、何うか私へお知らせ下さい、眞に一生のお願ひとは此事です」

他事も無い願ひに猛田は默然として考へたが「イヤ少しも心當りは無いのです、けれど外ならぬ貴方ゆゑ、私は自分の聊か異樣に感じた事實だけを申ますが、イヤ之を責任の有る言葉の樣に思はれては困りますよ、單に貴方の參考の一つに供して下さい」武之助は熱心に「ハイ決して貴方に責任を持たせる樣な事は仕ません、何の樣な事實です、何の樣な」猛「イヤ事實と云ふには足りませんが、實は先日私がヤミナへ行つた時、同地の有名な銀行者に就て聞きました、其箇條はヤミナ城の沒落に次第と、爾して其事件は何か彿國の士官で次郎と云ふ者が關係が有るだらうかと云ふ二點でしたが、之を聞いて銀行者は眉を顰め、實に妙な事が有る者だ、先逹ても巴里かれ其れと同じ事の問ひ合せを受けたと云ひました」武之助「エヽ、貴方より猶ほ前に巴里から其事を問ひ合せた者が有ると云ふのですか、其者こそ――」猛「ハイ私も其者こそは新聞紙の出所に多少關係の有る人だらうと思ひ、其れは誰だと聞きました」武之助「聞いたら誰でした」猛「イヤ聞いて聊か案外な思ひをしました、巴里の取引銀行の頭取段倉男爵だと答へました」

武之助は殆ど飛び上ツて「イヤ段倉男爵、其れは決して案外では有りません、彼です彼です、彼の仕業です、第一彼は夕蝉孃を皮春小侯爵へ縁付ける爲に私との縁を切る必要が有つたのです、ナニ私の方は此方こちらから縁を切る樣に仕向けた程ゆゑ、向ふで何も其樣な面倒な手數を取るには及びませんけれど、唯だ私の父は熱心に此縁談を實行する決心で有りましたから、段倉男が父に對して破談の口實を作る可き必要が有つたのです、爾です其れで益々分りました、先日父が段倉へ催促に行きました所、彼は異樣に答へ、何だか父の名譽が遠からず地に落つるかの樣に云ふた相です、是れは父から聞きました、爾して其翌日か翌翌日に次郎の賣國奴と云ふ事が貴方の紙上に出たのです、是で見ると其時から既に段倉氏は新聞にの記事の出る事を知つて居たのです、彼が自分で記事の種を出したので無くば何で前以て其樣な事を知つて居ませう」

殆ど星を指す程に明白には聞えるけれど眞逆まさかに巴里第一の銀行家とも云はるゝ者が、爾う陰險な手段を取らうとも思はれぬ、猛「御尤もの樣にも聞えますが、單に貴方と夕蝉孃の縁談を破る爲ならば餘り狂言が大き過ぎるでは有りませんか、其に今では其縁談も破れて居ますから、しや第一囘の記事は彼から出たとしても此度の第二囘の記事は」武之助「サア其邊は少しも私には合點が行きませんけれど、兎に角彼は昔から私の父と、名譽と財産とで競爭して來たのです、財産の方では彼が勝つたでせうけれど名譽の方では父の方が勝ちましたから、彼は決して父の名譽を傷つけるに躊躇せぬ男です、何でも彼が此事件に關係が有るに違ひ無いのです、爾無くば何でヤミナ銀行へ其樣な事を問合せますか、何が何でも私の敵は段倉です、是れから直に彼の許へ行き、私は詰問します、其結果に從つては無論決鬪です、何うか貴方も私と同行して下さい、其れが出來ずば貴方も最う私の敵に組した者と見る外は有りません」殆ど氣も顛倒したかと思はるゝ状である、此樣な事に成りはせぬかと思つたればこそ猛は前以て責任を負はぬよしを斷ツたのである、併し斯う成ツては今更引くにも引かれぬ「致し方が有りません、同道して私がヤミナの銀行で聞いたと云ふ事だけは證言しませう」武之助は殆ど血眼で茲を出た、爾して猛田猛の手を引立て引立て、段倉の家を指して急いだ。
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読書ざんまいよせい(093)

巖窟王(下 その6)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯


Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 77「ハイデ」

巖窟王 : 一九九 一册の始末書

法師の囁いた此人の姓、此人の名に、毛太郎次は、忽ち何も彼も思ひ出した、是が驚かずに居られやうか、無實の罪にとくの昔死んだとのみ思ふた其人が、イヤ死んだとより外思ふ道の無い其人が柳田卿と爲り暮内法師と爲つて今は我が目の前に居る、眞に神のわざ、神の業としても猶ほ合點の行かぬ程である、彼は力盡きて最う聲も出ぬ程の咽喉で叫んだ「エヽ貴方が彼の、次郎や段倉に密告せられて行方も知れぬ事に成ツた――」法師「爾よ、爾して今は巖窟島伯爵と云はれるのだ」巖窟島伯爵と聞いて彼の驚きが又加はツた「世界一の大金持、爾です、爾です、巖窟島伯爵と云ふ貴方の姿は、幾度いくたびも見て知つて居ます、成るほど其面影が、昔の彼――に違ひが無い、アヽ神の業、神の業、此樣な神の力を信ぜずに今が今まで道ならぬ事ばかりして居たのは恐ろしい、恐ろしい」全く彼は死際に神の力を信ずる事が出來た、法師は言葉を柔げて「神の證據を合點する事が出來たなら幸だ、遲くは無いから罪の亡ぶる樣神に祈つて、心易く往生を遂げよ、己も汝の爲めに祈つて遣る」と云ひ眞に法師が死際の人の爲めに神の救ひを求める樣に祈りを捧げた、毛太郎次は幾度いくたびも口の中で「彼の友太郎が――あの暮内法師――不思議だ――恐ろしい」など唱へて絶命した。

是より約半時の後、醫師も來た、大檢事蛭峰も來た、けれど唯死骸の傍に暮内法師が殊勝氣に祈つて居るのを見るのみで何の活劇の跡をも認め得なんだ、但し蛭峰大檢事は職掌柄として、法師に種々の事を問ふた、法師は之に答へた、自分が今夜巖窟島伯爵の留守へ來て、其書齋に入つて、徹夜して古い教書を調べて居る所へ此者が忍び込んだ故、不心得を悟して追返した所、此塀を下る所へ他の曲者が待伏して居て御覽の通り此者を殺したのだと、爾して打明けられるだけの事は打明けて最後に毛太郎次の彼の口供こうきようを出して示した、蛭峰は受取ツて開き讀み「アヽ毛太郎次確二十年前 馬港まるせーゆに在職した頃聞いた事の在る名前だ」と云ひ更に辨太郎の名をも讀んでハテな「此樣な脱走囚なら外にも惡事が有らうから直に捕へる事が出來やう」とは呟いたけれど、此辨太郎が目下皮春小侯爵と云つて段倉家に出入りして居る貴公子とは思ひ寄る筈が無かツた、殊に父母不明と故々わざ〳〵書いて有る、其分らぬ父母が誰であるらうと云ふ事などは微塵も心に浮ばなんだ。

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是より凡そ一週日の間は、巴里到る處に此曲者の事が噂に上ツた、何しろ巖窟島伯爵の一擧一動は悉く新聞紙に報ぜらるゝ程の状だから、伯爵の家に入つた曲者と云ひ、曲者が又曲者に殺されると云ふ椿事は國家の大問題か何ぞの樣に言囃された、中には尋常たゞの窃盜では無く巖窟島伯爵を暗殺する爲に忍び込んだ刺客だけれど、伯爵が其夜偶然にオーチウルの別莊で泊つたのは伯爵の幸運祝す可しだなどと、死んだ曲者から直接に聞取ツたかの如く書いた新聞紙も有ツた、從ツては伯爵の許へ追從 かた〴〵見舞に來る人も多く、其中の段倉男爵などは、矢張り蛭峰と同じく昔 馬まるせーゆに同じ名の惡人が有つたなどと二三の人に明言した、けれど其惡人が、或る仕事の時には自分と相棒も同樣であツたなどの事は胴忘どうわすれしたと見えおくびにも出さなんだ。

毛太郎次の噂に連れて、第二の曲者辨太郎が何者かと云ふ事も仲々噂がさかんで有ツた、取分けて蛭峰大檢事は、此辨太郎を捕へて糺問きうもんせば或は自分の調べて居る巖窟島伯爵の本性が分る緒口いとぐちに成りはせぬかとの念を浮かべ、今まで熱心に調べて居た古い書類の詮索は二の次に廻し、一意の辨太郎の捕縛に力を集めた、之が爲に凡そ巴里中の窃盜や前科者は、大抵嫌疑を以て捕へられ、爾して現場審問を施す爲に一々巖窟島伯爵の邸へ連れて來られて綿密に蛭峰大檢事から尋問せられた、獨り巖窟島伯爵のみは何故に大檢事が斯うまで熱心であるかを察し、人知れず頬笑んで居た。

* * * * * * *

かはつて、さても小侯爵皮春永太郎に自分の許嫁夕蝉孃を讓つてホツと安心した野西武之助は一つ叶へば又一つとやら、自分の父野西子爵が新聞の記事でヤミナ事件の賣國奴とのゝしられ其記者猛田猛に決鬪を言込んで以來、約束の三週間の猶豫をもどかしく思ひ、只管ひたすらに指を折つて其の期限の盡くるを待つて居たが、待つ身には長くとも三週間は終に盡きて、廿二日目の日とは成つた、今日こそは猛田猛に紙上で謝罪せしむるかた介添人を差向くるか二つに一つの定まる日なれと早朝に起きて衣服も莊重にし、猛の監督する新聞社へ又も行つた、猛は何とやら氣の無い顏で出迎へたが、來意は勿論分ツて居るから、直に自分の方から口を開き「イヤ今日は私からお返辭に參上する積りでした」武之助は皆まで聞かず「其返事は事實無根として紙上に取消を掲ぐるに在るのですか、其れとも決鬪の武噐を通知する爲ですか」猛「イヤ前者でも後者でも有りません」武之助「取消でも無く決鬪でも無いとすれば、アヽ分ツた又も口先で瞞過ごまかすお積りですね」猛「イヤ其れでも有りません」武「では――」猛「先づお返辭する前に、私が猶豫の三週日を何の樣に費したかを申し上げます」云ひつゝ旅行劵や所々の關所の通過檢印を出して示し「私は事實取調の爲に、自分で希臘のヤミナ州まで出張して來たのです、餘り責任の重い譯ですから」ヤミナ州まで出張したとは成程責任を重んじた仕方である、表面無責任の樣に見る新聞社も實は斯まで責任を盡す者かと、武之助は聊か意外に思ひ、多少は猛田猛に對し尊敬の念を深くした。

猛は語を繼ぎヤミナ州へ行くのに一週間掛りました、之より早く行かれません、彼の地へ着いて檢疫の爲め四日間遮斷せられました、爾して滯在取調の日數が三日、歸り途が又一週間、都合で廿一日掛つて昨夜歸り着いたのです」武之助「實地を取調べていよ〳〵無根と分ツたでせう」猛は氣の毒に堪へぬと云ふ状である「イヤ野西さん、私は實に此結果を貴方へ打明けるに忍びません、私を友人と思ふなら貴方は何にも言はずに私を助けて下さい」實に異樣な言分である、武「出來ません」猛は暫し無言と爲り、深く考へた上「アヽ止むを得ん、野西さん、私の取調の結果は此書類に明瞭です」と云ひ一册の始末書を卓子てーぶるの上を擴げた、中には何の樣な事を書いてある。
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