読書ざんまいよせい(095)

巖窟王(下 その8)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 87「決闘」

巖窟王 : 二二〇 死の前夜・一

巖窟島伯爵ほどの大決心を以て大計畫を運んで來た人が、其計畫が最早九分九厘まで漕附けた今と爲つて、自分の命を捨ると云ふ心に成れる者だらうか、けれど伯爵は命を捨てねば成らぬ破滅に立至ツたのだ。

實に伯爵の煩悶は見るも憐れである、暗い靜かな書齋の中に、獨り地團駄踏む如くにもがいて居る、幾等悶いても外に道は無い、決鬪の相手野西武之助の命を許すには自分が空砲を放つて武之助に殺される一方である、我が命を武之助に代へねば成らぬ、嗚呼彼が如き、爲す事も無き一少年の命が、天地の大任務を負ふと信ずる我が一命に代へられやうか、否、否、否、と云つた所で代る外は無い、彼に殺される外は無い[、]是れが確に自分の此口で露子夫人に約束した言葉の意味である。

やがて伯爵は、深い〳〵絶望の爲にもがく力も無くなツた、室の一方に在る長椅子へ尻餠をく樣に身をもたらせた、爾して空しく溜息をいた、斯うなると又も樣々の感慨が胸に集まるのみである、今が今まで此身に天のたすけと神の許しとが籠つてゐて、何の樣な難い事も總て我が意の如く成る者と信じ實際人間業とは思はれぬほどの大業を遂げて來たのに、今と爲つて天意神心は何故に此身を見捨て、斯くも詰らぬ故障に躓かせるのだらう、天のたすけ、神の許しと此身の信じたのが間違ひだらうか、矢張り此世は神も無く慈悲も無い罪惡 跋扈ばつこの世界だらうか、若し其れならば誰が此身を泥阜でいふの土牢から出る事の出來る樣に仕向けて呉れたのだらう、何が爲に此身をモンテ、クリストの島に着かせ、限り無いたからの持主とは仕たのだらう、天の意を行ふ爲で無くば此寶は何の爲にた何の道に使ふ可き者だらう、イヤイヤ、天の意は明かである、確に此身へ天の裁判が托されたのだ、人間の惡を懲して善を勸めよと命ぜられたのだ、けれど此身の其神意天命を遂げ果せる丈けの力無く詰らぬ愛の爲め情の爲めに心を動かし、踏む可き道を自分から踏損じた爲めに、神は罰として此身から其祐助を取上げて、今茲に、此身を死るより外は無い此破滅に立到らせたのだ、斯う思へば最早仕方が無い、唯此天罰に服し、天助神祐を空しくした此 活地いくぢの無い一命を天に返す一方である、其れにしても唯だ悔しいのは、何故此身の心の底に情と云ふ樣な弱い心が潛んで居たのだらう、何故に昔の愛にイヤ愛では無い、愛は既に忘れたのである、忘れたかれど昔愛した女の情願の爲にツイ動かされる樣な情無い弱味が有つたのだらう、其れを知らずに、此身此心をば、全く天に代るに耐へる迄に練固め鍛へ果せた者と信じて居たのが此身の愚鈍おぞましさであツた。

其れから其れと憾みは盡きぬ、其うちに又もフト思ひ出したのは、露子夫人が餘り易々と此身の言葉を承け引いた容子の怪しさである、此身が死ぬると云ふが否や夫人は直に打喜び、殆ど其れなら死ねと云はん許りの景状ありさまで立去つたのだ、幾等母の情で我子の助けられるのが嬉しいとて、人が其爲に死ぬると云ふのを、好い事の樣に思ひ、何の辛さも感ぜずに人を我子の身代りに立たされる者だらうか、お露と云ふた其昔は決して其樣な、邪慳な卑怯な魂性こんじやうでは無かツた、確に人間の中の神であるかと思はれるほど慈悲深い所に有る心根であツた、如何に其後、人の妻と爲り人の母と爲り、心も持方が違ツたにしても、此身を自分の子の代りに死なせるのを當然の事の樣に思ふとは餘りである、餘りな事で事實とは思はれぬ、勿論人の爲に身を犧牲いけにえにすると云ふは善事には違ひ無いが善事でも度を過ぎれば罪惡と爲る事が有る、此身が是だけの大計畫を抱へて居ながら、其れを捨て人の身代りに立つとは、却て罪惡と云ふ者では無からうか、其罪惡を此身に強ふる露子夫人のする事は更に重い罪惡では無からうか、もや夫人が罪惡を知つて喜ぶ筈も無からうにと、全く見込みの無い爲にまで見込を附けて、何か我爲に都合の能き道理は出て來ぬかと求むるは、死ぬる人の未練と云ふ者で、何事をもわきまへた伯爵の如きすらも猶ほ免れぬ所と見える、未練、今と爲つて幾等繰返したとて何の甲斐が有らう、けれど此未練は又一つの考へを搜し出した、アヽ分ツた、露子夫人は決鬪の間際に成り、此身と武之助の間に割つて入り、其身が雙方の彈丸たまを受けて死ぬるか、爾無くば決鬪を止めて了ふ積りで有らう、爾だ其れに違ひ無いと、思ひ初めると同時に、伯爵の心にはかすかに一道の希望が浮き出る樣に思はれたが、又忽ち消えて了ツた、エヽ、其樣な事をせられては、此身の折角の決心がまるで狂言じみて了ふ、けぬ、可けぬ、巖窟島伯爵とも云はれる者が、相手の母の止めぬ來るを見込んで決鬪に負る約束をしたと有つては、物笑ひの種と云ふ者、此身は辛い思ひで身を犧牲にする考へを定めたのに、其れが却て物笑ひとは自分の名に泥を塗るのだ、其れよりは、爾うだ、若しも其樣な事が有れば其場で手早く自殺するが好い、自殺してせめては名前だけでも汚れぬ樣にせねば成らぬ。

漸く茲に思ひは極ツた、其れにしては其次第と其決心の能く分る樣に我が遺言へ特別に書入れて置かねば成らぬ。死んだ後で人が見れば、成るほど斯うも辛い決心をしたのかと、しや感心はして呉れぬ迄も我を物笑ひの種とはせぬだらうと、獨り呟いて身を起し、机に向つて紙筆を取上げたが此時又も室の外で、女の絹摺の音かと思はれるかすかな物音が有ツた、けれど早や二時を過て人の入り來る筈は無い、伯爵は少しも物音に氣が附かなかつた。
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読書ざんまいよせい(094)

巖窟王(下 その7)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯

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Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 79「レモネード」

巖窟王 : 二〇八 彼の仕業

ノルマンデーから急ぎ歸ツて、伯爵と右左に分れた野西武之助は、直ぐ其足で新聞記者猛田猛の許をふた、訪ふて猛の出て來るを待つ間さへももどかしい、自分の父野西子爵が再び賣國奴と疑はれるに到つた迄は猛の手紙で知つて居るけれど、其後が何う成つたか、一刻も早く聞知り度い、其れも新聞紙を買つて讀めば分るけれど、新聞紙を讀むのが恐ろしい、又忌々しい、慈悲も無く情も知らず唯だ事實の有り儘を冷酷に報道する新聞記者の筆から我父の舊惡を知らされるのは子として實に忍び難い所である。

彼は應接のに在つて殆ど地團太を踏まぬ許りである、全體何者が斯も執念深く我父我一家を傷けやうと企むだらう、父に賣國の振舞が有つた事はさきに猛がヤミナ迄出張して調て來た所で分ツては居るけれど、其罪惡を十年餘の今と爲つてあばき立てるとは實に憎むにも餘りある憎さである、父に愛想の盡きたことは無論だけれど、其れが爲に此敵を許して置く事は出來ぬ、此敵 假令たとひ社會の何の樣な隅に隱れて居やうとも必ず探し出して目に物を見せて呉れねば成らぬと、獨り悔しさの數々を心の中に呼起しては自分の肝へ刻み附る樣に繰返して居た、其處へ漸く猛田猛は出て來た。

彼は氣の毒さに堪へぬ状で、容易には口を開かなんだが、切に武之助より促されて遂に委員會の一部始終を語り初めた、勿論一たび口を開く以上は少しも隱し又は飾る可きで無い、彼が新聞記者として委員の人々や其議長などから聞集めた所を事細に話し出したので、彼の委員會の景状ありさまが手に取る如く武之助に分ツた、我父野西子爵が何の樣にして自ら辯護し、何の樣にして鞆繪姫の現はれ出たのに對し、又何の樣に言葉窮して何の樣に會場から逃出したか、父の一擧一動から委員の其時其時の顏色まで悉く目に見える樣に感じた。

聞終つて彼は悔し涙の雨の如く降り來るを制し得ぬ「猛田さん、猛田さん、最う私は何處へ行つても賣國奴の息子です、廣い此巴里に、猶ほ私を友人と思ツて呉れる者は、貴方や出部嶺でぶれいや心の廣い巖窟島伯爵の外に幾人も有りますまい、し有ツたとて何の顏さげて巴里の市中を徘徊しませう、私は直ぐに此國を去り世界の果てへ身を埋めて了ひます、ですが其前に此敵を探し出して仇をかへさねば成りません、仇を復すと云つても決鬪する外は無く、若し其決鬪で殺さるれば其れ迄ゆゑ外國へ隱れに行く面倒も無くて濟みます、若し勝てば幾分の恨も消ゆると云ふ者、何うか貴方は私の心を察し、此敵の分る樣にして下さい、全體何者が私の父の事を新聞紙に出したのでせう、貴方の手紙にはヤミナ州から澤山の證據書類を持つた人が故々わざ〳〵出て來て各新聞社を廻ツたと有りましたけれど、必ず此巴里に住んで居る人の中に、張本人が有りませう、最初に貴方の新聞紙へ唯だ彿國の士官次郎と云ふ短いアノ記事を出させたなどは決してヤミナから來た人では有りません、此人が即ち今度の記事をも出る樣に仕組んだ事は、考へる迄も無く分つて居ますから、即ち此人が誰で有るか、少しでも貴方に心當りが有れば、何うか私へお知らせ下さい、眞に一生のお願ひとは此事です」

他事も無い願ひに猛田は默然として考へたが「イヤ少しも心當りは無いのです、けれど外ならぬ貴方ゆゑ、私は自分の聊か異樣に感じた事實だけを申ますが、イヤ之を責任の有る言葉の樣に思はれては困りますよ、單に貴方の參考の一つに供して下さい」武之助は熱心に「ハイ決して貴方に責任を持たせる樣な事は仕ません、何の樣な事實です、何の樣な」猛「イヤ事實と云ふには足りませんが、實は先日私がヤミナへ行つた時、同地の有名な銀行者に就て聞きました、其箇條はヤミナ城の沒落に次第と、爾して其事件は何か彿國の士官で次郎と云ふ者が關係が有るだらうかと云ふ二點でしたが、之を聞いて銀行者は眉を顰め、實に妙な事が有る者だ、先逹ても巴里かれ其れと同じ事の問ひ合せを受けたと云ひました」武之助「エヽ、貴方より猶ほ前に巴里から其事を問ひ合せた者が有ると云ふのですか、其者こそ――」猛「ハイ私も其者こそは新聞紙の出所に多少關係の有る人だらうと思ひ、其れは誰だと聞きました」武之助「聞いたら誰でした」猛「イヤ聞いて聊か案外な思ひをしました、巴里の取引銀行の頭取段倉男爵だと答へました」

武之助は殆ど飛び上ツて「イヤ段倉男爵、其れは決して案外では有りません、彼です彼です、彼の仕業です、第一彼は夕蝉孃を皮春小侯爵へ縁付ける爲に私との縁を切る必要が有つたのです、ナニ私の方は此方こちらから縁を切る樣に仕向けた程ゆゑ、向ふで何も其樣な面倒な手數を取るには及びませんけれど、唯だ私の父は熱心に此縁談を實行する決心で有りましたから、段倉男が父に對して破談の口實を作る可き必要が有つたのです、爾です其れで益々分りました、先日父が段倉へ催促に行きました所、彼は異樣に答へ、何だか父の名譽が遠からず地に落つるかの樣に云ふた相です、是れは父から聞きました、爾して其翌日か翌翌日に次郎の賣國奴と云ふ事が貴方の紙上に出たのです、是で見ると其時から既に段倉氏は新聞にの記事の出る事を知つて居たのです、彼が自分で記事の種を出したので無くば何で前以て其樣な事を知つて居ませう」

殆ど星を指す程に明白には聞えるけれど眞逆まさかに巴里第一の銀行家とも云はるゝ者が、爾う陰險な手段を取らうとも思はれぬ、猛「御尤もの樣にも聞えますが、單に貴方と夕蝉孃の縁談を破る爲ならば餘り狂言が大き過ぎるでは有りませんか、其に今では其縁談も破れて居ますから、しや第一囘の記事は彼から出たとしても此度の第二囘の記事は」武之助「サア其邊は少しも私には合點が行きませんけれど、兎に角彼は昔から私の父と、名譽と財産とで競爭して來たのです、財産の方では彼が勝つたでせうけれど名譽の方では父の方が勝ちましたから、彼は決して父の名譽を傷つけるに躊躇せぬ男です、何でも彼が此事件に關係が有るに違ひ無いのです、爾無くば何でヤミナ銀行へ其樣な事を問合せますか、何が何でも私の敵は段倉です、是れから直に彼の許へ行き、私は詰問します、其結果に從つては無論決鬪です、何うか貴方も私と同行して下さい、其れが出來ずば貴方も最う私の敵に組した者と見る外は有りません」殆ど氣も顛倒したかと思はるゝ状である、此樣な事に成りはせぬかと思つたればこそ猛は前以て責任を負はぬよしを斷ツたのである、併し斯う成ツては今更引くにも引かれぬ「致し方が有りません、同道して私がヤミナの銀行で聞いたと云ふ事だけは證言しませう」武之助は殆ど血眼で茲を出た、爾して猛田猛の手を引立て引立て、段倉の家を指して急いだ。
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読書ざんまいよせい(093)

巖窟王(下 その6)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯


Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 77「ハイデ」

巖窟王 : 一九九 一册の始末書

法師の囁いた此人の姓、此人の名に、毛太郎次は、忽ち何も彼も思ひ出した、是が驚かずに居られやうか、無實の罪にとくの昔死んだとのみ思ふた其人が、イヤ死んだとより外思ふ道の無い其人が柳田卿と爲り暮内法師と爲つて今は我が目の前に居る、眞に神のわざ、神の業としても猶ほ合點の行かぬ程である、彼は力盡きて最う聲も出ぬ程の咽喉で叫んだ「エヽ貴方が彼の、次郎や段倉に密告せられて行方も知れぬ事に成ツた――」法師「爾よ、爾して今は巖窟島伯爵と云はれるのだ」巖窟島伯爵と聞いて彼の驚きが又加はツた「世界一の大金持、爾です、爾です、巖窟島伯爵と云ふ貴方の姿は、幾度いくたびも見て知つて居ます、成るほど其面影が、昔の彼――に違ひが無い、アヽ神の業、神の業、此樣な神の力を信ぜずに今が今まで道ならぬ事ばかりして居たのは恐ろしい、恐ろしい」全く彼は死際に神の力を信ずる事が出來た、法師は言葉を柔げて「神の證據を合點する事が出來たなら幸だ、遲くは無いから罪の亡ぶる樣神に祈つて、心易く往生を遂げよ、己も汝の爲めに祈つて遣る」と云ひ眞に法師が死際の人の爲めに神の救ひを求める樣に祈りを捧げた、毛太郎次は幾度いくたびも口の中で「彼の友太郎が――あの暮内法師――不思議だ――恐ろしい」など唱へて絶命した。

是より約半時の後、醫師も來た、大檢事蛭峰も來た、けれど唯死骸の傍に暮内法師が殊勝氣に祈つて居るのを見るのみで何の活劇の跡をも認め得なんだ、但し蛭峰大檢事は職掌柄として、法師に種々の事を問ふた、法師は之に答へた、自分が今夜巖窟島伯爵の留守へ來て、其書齋に入つて、徹夜して古い教書を調べて居る所へ此者が忍び込んだ故、不心得を悟して追返した所、此塀を下る所へ他の曲者が待伏して居て御覽の通り此者を殺したのだと、爾して打明けられるだけの事は打明けて最後に毛太郎次の彼の口供こうきようを出して示した、蛭峰は受取ツて開き讀み「アヽ毛太郎次確二十年前 馬港まるせーゆに在職した頃聞いた事の在る名前だ」と云ひ更に辨太郎の名をも讀んでハテな「此樣な脱走囚なら外にも惡事が有らうから直に捕へる事が出來やう」とは呟いたけれど、此辨太郎が目下皮春小侯爵と云つて段倉家に出入りして居る貴公子とは思ひ寄る筈が無かツた、殊に父母不明と故々わざ〳〵書いて有る、其分らぬ父母が誰であるらうと云ふ事などは微塵も心に浮ばなんだ。

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是より凡そ一週日の間は、巴里到る處に此曲者の事が噂に上ツた、何しろ巖窟島伯爵の一擧一動は悉く新聞紙に報ぜらるゝ程の状だから、伯爵の家に入つた曲者と云ひ、曲者が又曲者に殺されると云ふ椿事は國家の大問題か何ぞの樣に言囃された、中には尋常たゞの窃盜では無く巖窟島伯爵を暗殺する爲に忍び込んだ刺客だけれど、伯爵が其夜偶然にオーチウルの別莊で泊つたのは伯爵の幸運祝す可しだなどと、死んだ曲者から直接に聞取ツたかの如く書いた新聞紙も有ツた、從ツては伯爵の許へ追從 かた〴〵見舞に來る人も多く、其中の段倉男爵などは、矢張り蛭峰と同じく昔 馬まるせーゆに同じ名の惡人が有つたなどと二三の人に明言した、けれど其惡人が、或る仕事の時には自分と相棒も同樣であツたなどの事は胴忘どうわすれしたと見えおくびにも出さなんだ。

毛太郎次の噂に連れて、第二の曲者辨太郎が何者かと云ふ事も仲々噂がさかんで有ツた、取分けて蛭峰大檢事は、此辨太郎を捕へて糺問きうもんせば或は自分の調べて居る巖窟島伯爵の本性が分る緒口いとぐちに成りはせぬかとの念を浮かべ、今まで熱心に調べて居た古い書類の詮索は二の次に廻し、一意の辨太郎の捕縛に力を集めた、之が爲に凡そ巴里中の窃盜や前科者は、大抵嫌疑を以て捕へられ、爾して現場審問を施す爲に一々巖窟島伯爵の邸へ連れて來られて綿密に蛭峰大檢事から尋問せられた、獨り巖窟島伯爵のみは何故に大檢事が斯うまで熱心であるかを察し、人知れず頬笑んで居た。

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かはつて、さても小侯爵皮春永太郎に自分の許嫁夕蝉孃を讓つてホツと安心した野西武之助は一つ叶へば又一つとやら、自分の父野西子爵が新聞の記事でヤミナ事件の賣國奴とのゝしられ其記者猛田猛に決鬪を言込んで以來、約束の三週間の猶豫をもどかしく思ひ、只管ひたすらに指を折つて其の期限の盡くるを待つて居たが、待つ身には長くとも三週間は終に盡きて、廿二日目の日とは成つた、今日こそは猛田猛に紙上で謝罪せしむるかた介添人を差向くるか二つに一つの定まる日なれと早朝に起きて衣服も莊重にし、猛の監督する新聞社へ又も行つた、猛は何とやら氣の無い顏で出迎へたが、來意は勿論分ツて居るから、直に自分の方から口を開き「イヤ今日は私からお返辭に參上する積りでした」武之助は皆まで聞かず「其返事は事實無根として紙上に取消を掲ぐるに在るのですか、其れとも決鬪の武噐を通知する爲ですか」猛「イヤ前者でも後者でも有りません」武之助「取消でも無く決鬪でも無いとすれば、アヽ分ツた又も口先で瞞過ごまかすお積りですね」猛「イヤ其れでも有りません」武「では――」猛「先づお返辭する前に、私が猶豫の三週日を何の樣に費したかを申し上げます」云ひつゝ旅行劵や所々の關所の通過檢印を出して示し「私は事實取調の爲に、自分で希臘のヤミナ州まで出張して來たのです、餘り責任の重い譯ですから」ヤミナ州まで出張したとは成程責任を重んじた仕方である、表面無責任の樣に見る新聞社も實は斯まで責任を盡す者かと、武之助は聊か意外に思ひ、多少は猛田猛に對し尊敬の念を深くした。

猛は語を繼ぎヤミナ州へ行くのに一週間掛りました、之より早く行かれません、彼の地へ着いて檢疫の爲め四日間遮斷せられました、爾して滯在取調の日數が三日、歸り途が又一週間、都合で廿一日掛つて昨夜歸り着いたのです」武之助「實地を取調べていよ〳〵無根と分ツたでせう」猛は氣の毒に堪へぬと云ふ状である「イヤ野西さん、私は實に此結果を貴方へ打明けるに忍びません、私を友人と思ふなら貴方は何にも言はずに私を助けて下さい」實に異樣な言分である、武「出來ません」猛は暫し無言と爲り、深く考へた上「アヽ止むを得ん、野西さん、私の取調の結果は此書類に明瞭です」と云ひ一册の始末書を卓子てーぶるの上を擴げた、中には何の樣な事を書いてある。
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読書ざんまいよせい(092)

巖窟王(下 その5)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯

Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 76「若きカヴァルカンティの出世」

巖窟王 : 一九三 其實、本統の父

小侯爵皮春永太郎には好運が向いて居たと見える、彼が縁談の話の緒口いとぐちを切ると段倉の方では其緒口をらへて引出す樣に迎へた、スラスラと事も無く話が進んだ。

永太郎は云ふた「斯樣な大事な相談に巖窟島伯爵が贊成して下さらぬのが誠に殘念で、定めし貴方の方でも私の言葉丈では不安心にお思ひでせう、けれど伯爵は野西家に對する義理合で何うも私の方へ加擔する譯に行かぬと仰有います」段倉は其事情を充分察して居る容子で、而も嘲笑ふた、「ナニ伯爵は野西が賣國奴と云ふ事を未だ御存じ無いから彼へ義理立するのです、今に野西の舊惡がもつと能く分ツて來れば必ず伯爵は彼に義理立したのを後悔なされますよ」段倉の眼中には唯だ皮春家の身代が有る許りだ、此身代と自分の娘とを結び附けるには誰が贊成して呉れずとも構はぬのだ、永太郎は充分其邊の心意氣を見て取つて、開いた段倉の口へ牡丹餠ぼたもちを投込む樣に「でも伯爵は私が妻を持つと云ふ事には贊成です、私の母折葉姫の遺産を二百萬圓だけ誰だか伯爵の知人しりびとが預かツて監督して居ます相で、私が婚禮すると同時に是だけは私へ呉れると云ひます」段倉「其れは伯爵の知人が預ツて居るのでは無く多分伯爵自身が預かツて居るのでせう」永太郎も實は爾思ふて居る、けれどわざと兒供らしく「イヽエ伯爵は確に自分の知人だと云ひました、其上に又私の父へ勸告し、差當り五百萬圓の財産を分け與へる樣にするから其財産に年々十五萬の利子を産ませる樣にして其れで夫婦の經濟を支へよと云はれました、貴方は銀行家だから此邊の事情は御存じでせうが、二口併せて七百萬圓から十五萬圓の歳入を得る事は出來ませうねえ」段倉「其れは私の手腕で年に廿萬圓の利子は容易に産ませて上げます」三朱に足らぬ利子だもの、抛つて置いたとて産まれて來るのだ、手腕も何も要る者では無い、永太郎は安心の風を示し「其れでやつと重荷が卸りた樣な氣が仕ます、では直に、婚禮が濟むと同時に七百萬圓は貴方へ預ける事に致しませう」

立派な家筋と爵位の上に七百萬圓の身許金まで供へて、其れで銀行家から縁談を斷られるなら世は逆樣さかさまに成るのだ、幸にして此場合には世が逆さかさまに成らずに濟んだ、平たく云へば縁談が纒ツた、永太郎は段倉の承諾を得た上で夕蝉姫の承諾も得た、爾して點燈時ひともしの後に及んで笑崩れた顏で此家を辭し去ツた、玄關まで送つて出た段倉の顏も劣らぬほど笑崩れて居た、後の事は兎も角も是だけの所は先づ目出度いと云はねば成らぬ。

けれど永太郎が宿へ歸つて見ると、彼の顏から其笑をむしり取る樣な事が出來て居た、其れは卓子てーぶるの上に横はツて彼の歸りを待つて居る一通の手紙で有る、差出人が彼の毛太郎次である事は筆跡で分ツて居る、其文句は「親しき辨太郎よ、御身の前途が益々目出度く喜ばしき事は、御身自ら知れるだけ餘も知れり、餘は段倉男爵の他人に非ず、今若男爵の許へ餘が舊交を言ひ立てゝ顏を出さば、御身は餘り有難く思はぬならん、御身若し餘が段倉男爵の耳へ、御身の本名を細語さゝやくことを止め度く思ふならば直に餘が宿に來れ」とある、何たる邪慳な書き方だらう、けれど仕方が無い、之に從ふ一方である、永太郎は悔しげに拳を固め此手紙を二度三度叩き伏せた、爾して餘り人目に立たぬ着物に着替へて又宿を出た、指て行く先はモンタン街の靜かな下宿屋である。

此下宿屋に毛太郎次は、公債證書の利子で暮す有福な商人の隱居と云ふ積りで、月々永太郎から貰ふ事に成つて居る口留の手當錢で日を暮して居る、彼は先づ不機嫌な永太郎の顏を見て「今日はほゞ縁談が旨く行つた筈だのに何で陰氣な顏をするのだ、コレ辯や、夕蝉孃が何と云つた、其話でもして、手前の身の上をのみ心配して居る此親切なおやぢに安心させて呉れ」早や此樣な事をまで知つて居るとすれば、此惡人絶間も無く此身の擧動を見張つて居るに違ひ無いと永太郎は荒肝あらぎもを拔かれて了つた、爾して腹立しげに「何でお前は、私の身の上などを心配するのだ、心配せられて迷惑だよ」仲々是くらゐの叱りに驚く相手では無い「ア爾う怒るなよ、お前がつまづけばおれも倒れる樣な者だから、丁度親が子を思ふ樣に心配するのさ、爾よ、心配すればこそおれは先逹てお前に逢つて以來、色々とお前の身の上を考へ、お前の行く所へは大抵見え隱れに護衞して行く樣にして居るが――」永太郎「ナニが護衞だ、止めて呉れ、止めて呉れ、お前の樣な者が附纒ふて居ると分れば大事の仕事が皆潰れて了ふのだよ」毛太郎次「爾で無い、其れが爲にお前の氣の附かぬ事までおれが氣が附いてチヤンと考へて居る、お前アノ巖窟島伯爵を何と思ふ」永太郎「大きにお世話だ」毛太郎次「おれは樣々に考へたが、の人が其實お前の本統に父では有るまいかと思ふ」是には永太郎の氣が移つた、此頃自分の疑ひ初めた所と一つである「エ、エ、何でお前は其樣に思ふのか」と我れ知らず其 かうべを突出した。
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読書ざんまいよせい(091)

巖窟王(下 その4)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯


Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 72「サン=メラン夫人」

巖窟王 : 一八〇 未熟な男で無い

全身不具の老英雄野々内參上に果して何の樣な竒略があるか、其は「蛭峰家(七)」以下の記事と共に暫く後に讓り、話頭は段倉家に移る。

* * * * * * *

世に手堅い樣で其實極めて危いのは銀行の身代である、少し評判が宣くなれば、世の人先を爭ふて取引を開く爲め、世間の金が集まつて來る状にもなれど、其代り一朝宣からぬ評判でも立てられて、少し信用が傾く日には、直に預け金を取付けに來る人が門前に市を爲し、同業者の取引や融通も忽ち止まりて、昨日まで全國の財權を一手に握るかと見えし者が今日は早や戸を閉ぢて身代限りの間際まで推寄せるためしも、隨分今まであつた事だ、其れと此れとは事 かはれど、さても段倉銀行の頭取男爵段倉喜平次は、先頃電報の間違ひのため西班公債で一夜に四百圓の損をした上巨額の貸越と爲て居るマンフレダイ銀行の支拂停止に遭ひ是にも百萬以上の損失は逃れ難く見える場合とは爲り、今まで絶えて損と云ふ事に出會でつくはした覺えの無い身だけに、内心甚く落膽して我が妻にまで其損失の幾分を割附けんとさへあせつて居たが、幸に是だけの事では未だ信用が傾くと云ふ程には成らず、多少の取付けには逢つたけれど、上部うはべだけは平然と澄ます事が出來て居た所、日頃の運の神が彼を見捨てたのか、彼の野西家の夜會の翌日又フロレンス商會が破産したと云ふ知らせを受けた、此商會は段倉が伊國鐵道の企業の爲に、見込を立てゝ餘ほどの資本を注込んであつたのだから、其損失は殆ど前の二口の損失を合せたよりも多い程である、そもそも此商會を破産させたのは誰の仕業しわざか知らぬけれど伊いたりやの大株主が何か意見の違ひの爲に手を引いて其株劵が暴落した爲めとの事で如何とも仕方が無い、幾等段倉銀行が盛大でも斯う一ひとつきと經ぬ間に引續いて彼れ此れ一千萬からの損失を受けては信用に關せぬと云ふ保證は出來ぬ、既に巴里の同業者中には其れと無く段倉銀行に對して手をめた向も有り、又手をめねば成るまいとて密々相談する者も出來たとやら噂される程にも至ツた。

頭取たる身に取つては、何れほどか辛い事だらう、彼段倉は晝頃から自分の居間に閉籠り、帳面を開いては嘆息し、嘆息しては又帳面を繰返しなどして居たが、最早や氣も盡きたと見え、かうべを擧げて暫く前額ひたひに手を當てた、此時は午後の六時頃で、妻の居間には親しい來客が有ると見え、先ほどから談笑の聲も起り、時々は音樂のさへ聞えて居た、唯だ段倉の煩悶した耳へのみは入らなんだが、何うした拍子かフト彼は聞附けた、爾して其方に振向いて「何だなア、騷々しい、實に――所をつとの心配も知らずに、面白さうに」と呟いたが忽ち思ひ直し「イヤの音樂は、妻で無い、娘だ、アヽ娘夕蝉が小侯爵と合奏して居るのだ」とて直に顏のおもてを柔げた「旨い、旨い、此向きではの小侯爵が愈々近日の中縁談を言込んで來る、フム小侯爵皮春永太郎か、姓名も何と無く貴族的だ、父の歳入が一年五十萬圓と云ふのだから、其身代は二千萬圓からの身代だ、己などならナニ千萬圓以下の金を以ても五十萬圓の歳入を得る事は容易だけれど、金儲けを知らぬ伊國いたりやの貴族だから財産總體を皆働かせると云ふ事は出來ず、其れに古金を集て地の底へ埋て置いたり、珠玉を倉に仕舞つて置のを誇たり不生産的な事ばかりして喜んで居るのだから事に依ると五千萬からの身代かも知れぬ、之を縁組が出來れば、ナニ幾等でも見捨た譯では無いな、夕蝉と野西武之助との縁談を急がずに置いて好い事をした、彼等兩人は幼い頃からの許嫁とは云へ、何も其後改めて武之助の父次郎が愈々婚禮させると言ひ込んで來た譯では無し、今斷つて破談にするのは譯も無い事だ、爾々其破談の口實は先日巖窟島伯爵の言葉から思ひ付いて希臘のヤミナ銀行へ問合せて置いた、其返事が來さへすれば必ず次郎の舊惡がイヤ新惡が分るから其れを利用すれば好い、何事も旨く運ぶワ」漸く思ひ直して破顏一笑する所へ、書記が手紙を以て來た、見ればヤミナ銀行から出たものである。

「來た、來た」と段倉は書記の退く姿を見送りつゝ嬉しげに呟き、直に封を切つて讀下したが、仲々長い手紙である、けれど彼は呼吸いきをも繼がずに讀終ツた、餘ほど彼に取つて都合の好い事を書いてあると見え、彼は其笑を顏中に推廣げ「驚いたなア、次郎奴此樣な惡事をして居やがる、是では希臘で大身代を作ツて歸つた筈だ、ヤミナ城を敵の土耳古とるこ國王へ賣渡して、イヤ是くらゐの惡事は仕兼ぬ奴だよ、其上に城主の妻、城主の娘まで」と言ひ掛けて猶ほ終らぬ所へ「ヤア段倉さん今日は令夫人をお尋ねに來ましたが、ついでに貴方へお知らせ申す事が有ますよ」言ひつゝ入つて來たのは巖窟島伯爵である。

段倉はあわてゝ手紙を推隱し、懷かしげに迎へた伯爵「フロレンス商會が破産しました」段倉は我財政上の弱點を人に悟られる樣な未熟な男では無い、何の利害をも感ぜぬていで「爾ですか」と輕く答へた伯爵「でも貴方は大株主では有りませんか」段倉「ナニわづか數百萬圓ですよ」とは伯爵の口調を學び得た者と見える、伯爵「イヤ貴方が爾う輕く觀て居れば私も安心ですよ、若し御心配でも有れば多少は御用立やうかと思ひました、ドレ是から夫人の御機嫌を伺ツて來ませう」と何氣無く伯爵は奧の間を指して立ツた、段倉は又 あわてゝ引止め、小聲になツて「ですが伯爵、何うか奧に居る皮春侯爵へは此破産事件を話さぬ樣に願ひます」とは咄嗟の間にも仲々用意が綿密である、伯爵は含首うなづいたまゝ奧へ行ツた、直に其後へ野西次郎と其息子武之助が入ツて來た、來る時には來るものだ、斯と見て段倉は、さては縁談の爲では無いか無いかと、破談の口實を持ちながらも、先を越され相な心配にギクリとした。
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読書ざんまいよせい(090)

巖窟王(下 その3)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯

巖窟王 : 一六一 濃い覆面の一婦人

夫段倉が伯爵を尋ねんとて家を出た後、果して妻張子は蛭峰をはん爲に家を出た。

雙方ともに此物語の大なる波瀾を捲き起す紀元とはなツた。

但し伯爵との面會は表面極めて平穩無事で有ツた。唯だ其平穩無事の中に、一つの黒點が籠つて居る、他日天一面に擴がる陰惡な雲とは爲ツたのだ、先づ夫の方より記して行かう。

段倉は伯爵家の接見室で十四五分待たされた[、]其中に外から、法師姿の老人が入ツて來て、段倉に默禮したまゝズツと奧へ通ツて了ツた、ては餘ほど伯爵と懇親な老僧と見える、此樣な客が有つて若し話が長ければ又出直して來やうと聊か考へ込む所へ「イヤ來客の爲に大にお待たせ申しました」と機嫌能く伯爵は出て來た[、] 段倉「ハイ御來客の有る事は唯だ今茲を通られた老僧でも分つて居ます」伯爵はと輕く「アヽれですか、れは何に、暮内法師とて伊國いたりやでは有名な方ですけれど、多年別懇の仲ですから幾等待たせても構ひません」とは云ふけれど、自ら言葉の中に長居は迷惑との意味が見える、段倉は其れと察し「イヤ私は事務家ですから極手取早く申しますが、昨夜お目に掛つた皮春侯爵の巴里滯在の眞の目的はいづれに在るのでせう」と前置も無く問出した、伯爵はわざと賤しむ樣に「息子を交際社會へ出し、嫁を得させたいと云ふので、私へも頼むなどと云はれましたけれど、何しろ吝嗇とも云ふ可き程の儉約家ですから、私は先づ嫁を搜すよりは金を使ふ事を稽古せよと云ひました、金さへ使へば隨分嫁の候補者も出來ませうけれど、爾無くば -- 」段倉は短兵急に「イヤ貴方は爾お思ひでせうが、私の如き實業家は却つて其儉約な所を見込むのです、金を使はぬのがの方の値打だと思ひます」伯爵「爾う仰有ると何だか貴方が嫁の候補でも持つて居る樣に思はれますが」段倉「其通りです、實は私はの方の氣質に感じましたから」金力に感じましたとは云はぬ「娘夕蝉を小侯爵の妻としては何うかと思ひ、既に妻とも相談して其贊成をも得て居るのです」伯爵は打笑ツて「成る程貴方は手取早い、其れで無くば、第一流の實業家には成れぬ筈です」襃める樣に云ひ、やがて又眉をひそめ「イヤ段倉さん、其れはお止めなさい、貴方の樣な華美はでは方と、の陰氣な侯爵とは肌の合ふ筈が有りません、親類に成つて長く附き合へば必ず喧嘩する事になります」伯爵は斯う妨げる方が却て益々段倉の熱心を増す事を見拔いて居る、段倉「イヤ肌の合はぬは私の心の持ち樣に在る事ですから、其點は御安心の上、成る可く侯爵父子の心の動く樣に貴方の御加勢を願ひ度いのですよ」伯爵「其れは出來ません、今云ふ通り私は此縁組を贊成し無いのですから、ハイ贊成の出來ぬ理由が二個ふたつ有ります」段倉「二個ふたつとは」伯爵「第一は今云ふ通り貴方と侯爵とは未だ懇意が淺い、從つて他日深く知合ば喧嘩する恐れが有る」段倉「其理由は理由に成ません」伯爵「第二には夕蝉孃と野西次郎の息子武之助との間に縁談が始まつて居ると聞ます、野西父子も私の友人ですから」段倉「成る程野西父子に對しても贊成が出來ぬ、此理由は分りました、併し伯爵、武之助と夕蝉とは當人同志が互に厭がツて居るのです」伯爵「其れにしても同じ事です」段倉「のみならず、私は野西次郎が先年希臘へ援軍に行き非常な大金を作つて歸國した事に就て聊か疑ひが有ります、貴方は始終希臘から伊國いたりやの邊にお住ひ成さツた容子ですから、多少其邊の事を聞込では有りますまいか、イイエ、是は私の外にも薄々怪しんで若しや彼野西は何か不義の金でも得たでは有るまいかなどと其頃噂した人も有りました、果して其樣な事ならば私は不義で出世した金持と縁者と成る事は好みません」不義を憎む樣な言葉が段倉の口から出るとは眞に口は調法である、勿論伯爵は野西次郎の大金を得た次第を能く知つて居る、實は之を知るが爲に曾て莫大の辛苦を費したのだ、けれど爾は云はぬ「イヤ私は能く知りませんが、ヤミナ州に在るヤミナ銀行へ問合せば分りませう、何でもの頃ヤミナ銀行が軍用金を取扱ツて居ましたから」唯だ此ヤミナ銀行へ問合せと云ふ一語が、穩やな青天に一點現はれる雲の種とも云ふ可き者であツた、一點の雲の種が、他日何の樣に廣がツて、何の樣な風雷を引起すかは誰とても豫想が出來ぬ。

併し段倉は此言葉を聞いて喜んだ、皮春侯爵との縁組に付き伯爵の贊成を得ぬのは殘念だけれど、若しやヤミナ銀行へ問合せて野西との縁談を破る口實でも得れば其殘念は埋合はすには足るのだ、彼は猶ほ一言二言話した上、全く手取早くヤミナ銀行へ問合せの手紙を出す爲に伯爵に分れを告げて去つた。

* * * * * * *

是れとほゞ同じ刻限である、濃い覆面に顏を隱した一婦人が司法省に出頭し、官房の戸を叩いた、取次の男は兼て長官の命でも含んで待つて居たかの樣に「貴方は蛭峰大檢事へ、裁判上の參考になる材料をお告げ申す爲めに來た方ですか」と問ひ、夫人が點首うなづくが否や、直に戸を開いて内に入れた。
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南総里見八犬伝(025)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十四回
東都 曲亭主人 編次
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岩波文庫「南総里見八犬伝」(二)から
【挿絵説明】「苦肉くにくはかりこと蟇六ひきろく神宮河かにはかはぼつす」「左母二郞」「土太郞」「ひき六」「信乃」

軍木媒ぬるでなかたちして莊官せうくわん
蟇六僞ひきろくいつはりて神宮かにはすなとり

 卻說かくて陣代簸上宮六ぢんだいひかみきうろくは、さきに莊官蟇六が女兒濱路むすめはまぢ眷憐みそめてより、戀々れん〳〵慾火禁よくくわとゞめかたくて、さめてもてもわすられず、「媒妁なかたちもがな」、と思ふ氣色けしきの、そゞろあらはれたりければ、こび勢利せいりむねとする、そが屬役軍木五倍二したつかさぬるでごばいじかたへに人なき折を見て、宮六にいふやう、「人思ひあれば色に出づ。色にいづれば人もしるなり。某屬者それがしちかころ尊公そんこう氣色けしきによりて、既にその意を察したり。そはかならず蟇六が女むすめなる、濱路とやらんが事なるべし。槐門貴族くわいもんきぞくひめうへならば、及びかたき事もあるべし。尊公そんこう配下の一莊官いつせうくわん、そが女兒むすめのうへならば、なでふこゝろを勞し給ふにおよばん。もしめとり給はんとならば、某媒妁それがしなかたち仕らん。一たびことを傳へなば、蟇六よろこびて承引うけひくべし。尊意如何そんゐいかに」、と密語さゝやけば、宮六莞然につことうちゑみて、「まこと和殿わとの察知さつちの如し。さばれ濱路は、蟇六が一女ひとりむすめなり。且壻かつむこがねもありと聞けば、たやすくは承引うけひくべからず。われこのゆゑに思へ共、思ひかねつゝ思はずに、和殿に怪しめられし也」、といへば五倍二小膝こひざを進め、「それは尊公遠慮にすぎたり。蟇六は配下の莊官、たふさんともおこさんとも、公のこゝろひとつにあらん。しからばむこがねありといふとも、忽地たちまちへんかいして、こだみの婚緣こんえんを結ぶべし。かれもし遲々ちゝして迷ひを取らば、これ自滅を招くなり。それがしこれらの利害によりて、說かばかならず從はん。こゝろやすく思ひたまへ」、と誇㒵ほこりかうけがふにぞ、宮六なゝめならずよろこびて、次の日種々くさ〳〵聘物おくりものを、七八人奴隸しもべかゝして、軍木五倍二を媒妁なかたちとし、ひそか蟇六ひきろくが宿所につかはしけり。

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日本人と漢詩(137)

◎ 蘇軾「後赤壁の賦」

Hòu chìbìfù  Běi Sòng Sū Shì
后 赤 壁 赋 北 宋 苏 轼

Shìsuì shíyuè zhī wàng bù zì xuětáng jiāngguī yú língāo
是 岁 十 月 之 望 步 自 雪 堂 将 归 于 临 皋
Èrkè cóngyú guò huángní zhī bǎn
二 客 从 予 过 黄 泥 之 坂
Shuānglù jì jiàng mùyè jìn tuō rényǐng zài dìyǎng jiàn míng yuè gù ér lè zhī xínggē xiāngdá
霜 露 既 降 木 叶 尽 脱 人影在地, 仰见 明月 , 顾 而乐之 , 行歌相答 。
Yǐ ér tàn yuē yǒukè wújiǔ yǒujiǔ wúyáo yuèbái fēngqīng rúcǐ liángyè hé
已 而 叹 曰 “有 客 无 酒 有 酒 无 肴 月 白 风 清 如 此 良 夜 何!”
Kè yuē jīn zhě bó mù jǔwǎng dé yú jù kǒu xì lín zhuàng rú sōng jiāng zhī lú
客 曰: “ 今者薄暮 , 举 网 得 鱼 , 巨 口 细 鳞,状 如 松 江 之 鲈。
Gùān suǒde jiǔ hū guī ér móu zhūfù
顾 安 所 得 酒 乎? ” 归 而 谋 诸 妇。
Fù yuē wǒ yǒudǒu jiǔ cángzhī jiǔ yǐ yǐdài zǐ bùshí zhī xū
妇 曰 : “我 有 斗 酒, 藏 之 久 矣, 以 待 子 不 时 之 需。
Yú shì xié jiǔ yǔ yú fù yóu yú chì bì zhī xià
”于 是 携 酒 与 鱼, 复 游 于 赤 壁 之 下。
Jiāngliú yǒushēng duànàn qiānchǐ
江 流 有 声, 断 岸千 尺;
Shān gāo yuè xiǎo shuǐ luò shí chū
山 高 月 小, 水 落 石 出。
Céng rìyuè zhī jǐ hé ér jiāngshān bùkě fù shíyǐ
曾 日 月 之 几 何, 而 江 山 不 可 复 识 矣。
Yú nǎi shèyī ér shàng lǚ chán yán pī méng róng jù hǔbào dēng qiúlóng
予 乃 摄 衣 而 上, 履 巉 岩, 披 蒙 茸, 踞 虎 豹, 登 虬 龙,
pān qī hú zhī wēi cháo fǔ píng yí zhī yōu gōng
攀 栖 鹘 之 危 巢, 俯 冯 夷 之 幽 宫。
Gài èrkè bùnéng cóng yān
盖 二 客 不 能 焉 从。
Huà rán cháng xiào cǎomù zhèndòng shānmíng gǔyìng fēngqǐ shuǐyǒng
划 然 长 啸, 草 木 震 动, 山 鸣 谷 应, 风 起 水 涌。
Yú yì qiǎorán ér bēi sùrán ér kǒng lǐn hū qí bùkě liú yě
予 亦 悄 然 而 悲, 肃 然 而 恐, 凛 乎 其 不 可 留 也。
Fǎn ér dēng zhōu fàng hū zhōngliú tīng qísuǒ zhǐ ér xiū yān
反 而 登 舟, 放 乎 中 流, 听 其 所 止 而 休 焉。
Shí yè jiāng bàn sìgù jìliáo
时 夜 将 半, 四 顾 寂 寥。
Shì yǒu gū hè héng jiāng dōng lái
适 有 孤 鹤, 横 江 东 来。
Chì rú chēlún xuáncháng gǎoyī jiá rán cháng míng lüè yú zhōu ér xī yě
翅 如 车 轮, 玄 裳 缟 衣, 戛 然 长 鸣, 掠 予 舟 而 西 也。

Xūyú kèqù yú yì jiùshuì
须 臾 客 去 , 予 亦 就 睡。
Mèng yīdàoshì yǔyī piánxiān guò língāo zhī xià yī yú ér yányuē chìbì zhī yóulè hū
梦 一 道 士, 羽 衣 蹁 跹, 过 临 皋 之 下, 揖 予 而 言 曰: “赤 壁 之 游 乐 乎 ?”
Wèn qí xìngmíng fǔ ér bù dá
问 其 姓 名, 俯 而 不 答。
Wūhū yī xī wǒ zhī zhī yǐ
“呜 呼! 噫 嘻! 我 知 之 矣。
Chóuxī zhī yè fēimíng ér guò wǒ zhě fēi zǐ yě yé
畴 昔 之 夜, 飞 鸣 而 过 我 者,非 子 也 邪?”
Dàoshì gùxiào yú yì jīngwù
道 士 顾 笑, 予 亦 惊 寤。
Kāihù shì zhī bù jiàn qíchù
开 户 视 之, 不 见 其 处。

訓読、解説は、
古代文化研究所:第2室 蘇軾:後赤壁賦(一) 後赤壁賦(二) 後赤壁賦(三) を参考のこと。

 「後赤壁の賦」は、「前」から三ヶ月ほどたった、旧暦十月、季節も過ぎ、情景も大きく変わっている。また、「前」は対話する客は一人、今回は二人となっている。「後」は「前」に比して、三分の二くらいだが、妻が酒と魚など、日頃から準備するところなど写実てきな描写がある一方、赤壁を登攀しようとしたり(私は、到底実際に行ったとは思えない)鶴を仙人に見立てたり、フィクション的な要素もあり、とても興味深く読むことができる。

南総里見八犬伝(024)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十三回
東都 曲亭主人 編次

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【挿絵説明】「糠助ぬかすけ懺悔さんげ物語ものかたり窮客きうするたびゝと稚兒をさなこいだきてなげんとす」
岩波文庫「南総里見八犬伝」(二)から

犬塚いぬつか義遺託ぎゐたくうけひ
網乾あぼし謾歌曲そゞろにかきよく

 犬塚信乃戍孝いぬつかしのもりたかは、伯母夫大塚蟇六をばむこおほつかひきろくいへ移居うつりすまひしより、嫌忌けんきうちに日をわたり、年を送れば、里人さとひとなどには、親しくも物いはず。たゞ彼百姓糠助かのひやくせうぬかすけのみ、舊馴染ふるきなじみと、伯母も許して、信乃がゆゑに疑はず。その性愚直さがぐちよくなればなり。げにこの老人おきなは、信乃が爲に、言葉敵ことばかたきになるものならねど、おろかなる隨僞まゝいつはらず、よろづに實意まごゝろあるものなれば、信乃はその木ぼくとつの、じんにちかきを愛しつゝ、その門邊かどべよぎる日は、たちながら安否あんひを問ひ、はじめにかはらず交參まじらひけり。かゝりし程に、糠助が女房にようばうは、去歲こぞの秋身まかりつ。長き病著いたつきなりけるに、きはめ寒家まづしきくらしにあなれば、はて藥價くすりのしろ續かず。このとき信乃は糠助に、圓金一兩こばんいちりやう贈與おくりあたへて、藥料やくりやうたすけにしたり。しかれども、蟇六龜篠等ひきろくかめさゝらはこれをしらず。されば信乃が今にして、これらの貯祿たくはへあるよしは、父番作ばんさくのこせる也。番作貧まづしかりしかど、身まかりしのちに見れば、鎧櫃よろひびつの底に、圓金こばん十兩あり。「このかね三ッが一ッもて、わがほうむりの事にみてよ。そのひそかに腰につけて、身の爲また友の爲に、肝要かんえうの事あらば、用ひよ」、と書遺かきのこしたり。亦是後またこれのちのちまでを、おもひはかりし親の恩、いたゞかねも湯とわかん、淚と共に袖にかくして、龜篠等にはこれをつげず、「貯祿たくはへありや」、ととはれしとき、そのかね三兩をいだして、棺槨墓碑くわんくわくぼひの料としつ。又父の三十五日をひけるに、また一兩を伯母に遞與わたして、法筵酒食はうえんしゆしよくの料とせり。蟇六も龜篠も、これらの金にはをりて、「なほ有りや」、ととひしとき、「これのみ也」とこたへしかば、「さならん」、と思ひつゝ、そののちとはざりけり。「かくてこの七八年、伯母夫婦と同居すなれば、彼番作田かのばんさくたは名のみにて、わが爲にはえならず。われには舊衣ふるきをのみせて、不自由ならずといふ事なけれど、美味美服をねがはざれば、親の遣財いざいを減らすことなし。しかれどもかの糠助は、わが犬、與四郞よしらうが事につきて、うれひともにせし日もありけり。その艱難かんなんを救はずは、我只彼われたゞかれそむく也」、とこゝろひとつに思ひとりて、ひそかに金をおくりしかば、糠助夫婦は、感淚かんるいとゞめあへず、只管ひたすら信乃を伏拜ふしおがみて、その信義を賞嘆し、藥劑くすりもとめて用ひしかども、定業じやうごうなればにや、その妻はなくなりにき。
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読書ざんまいよせい(089)

巖窟王(下 その2)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯

写真は、モンテ・クリスト島(Wikipedia から)

巖窟王 : 一五一 愈よ土曜日

愈々土曜日の夕、晩餐會の時は來た、場所は樣々の因縁の有る吹上小路廿八番邸、嗚呼此會を眞に巖窟島伯爵の大仕事の序開じよびらきとすれば、何の樣に始まツて何の樣に終るのだらう。

昔ドアンチン公爵は國王 路易るい十四世の目障りになると云ふが爲に一夜の中に大木の林を切平げ芝生の庭に造り替へて了ツたとの話がある、古來土木の工事で是れほど早く行つた仕事は無い、併し伯爵が此廿八番邸に手入を加へた早さも殆ど其れに匹敵する、門口かどぐちから玄關から庭木から室室の造作まで唯だ三日許りの間に悉く取替て誰が見ても今までの廿八番邸とは認め得ぬ程にした、書齋も出來た、盆栽室も出來た、球突場たまつきばも出來た、凡そ贅澤な紳士の別莊として一點の非難を加へる事が無い、併し唯だ二ヶ所だけ少しも手を着けぬ所がある。其れは昔H・N男爵夫人と云ふ素性の知れぬ未亡人が寢ねまとして居た一室から裏庭へ降りる階段までの總體と、蛭峰の手で私生兒を埋めたと云ふ裏庭の其の部分とである、イヤ實は此二ヶ所へも手を着けた、着けたけれども少し變更を加へぬのだ、昔 戸帳とばりの掛ツて居た所へ、其通りの戸帳とばりを掛け、昔芝草の茂ツて居た所へ其通りの芝草を植るなど、若し昔此 寢間ねまと此庭とを知つて居た人が今此の所へ來たならば、其頃の事を思ひ出さずには居られぬ樣に拵へたのだ。

ついでに記して置くが、此等の仕事一切を任せられて監督したのは家扶かふの春田路良助である、彼れは伯爵から渡された明細の差圖書を以て三日前に茲へ來た、其れだから此前々日に侯爵皮春博人と小侯爵皮春永太郎とがエリシー街の伯爵の本邸で父子の對面を遂げた時も彼れは伯爵の許に居なんだ、今以て彼の父子の事は知らぬ、のみならず顏さへも見た事が無いのだ、其れから此別邸へ來て以來、伯爵の差圖書と首ツ引をする樣にして綿密に監督し、到々豫定の時間通りに豫定の仕事を仕上げて其の他晩餐に就ての一切の準備をも調へ了ツて爾して伯爵のお出を待つて居た。

午後の五時半に伯爵は茲へ來た、爾して彼を從へて一切の設備を見廻ツた、實に彼れが伯爵に對するは犬が飼主に對するよりは猶ほ忠順である、伯爵の見廻る間、若しや茲が惡いとか彼所かしこ不可いけぬとか小言を云はれはせぬかと眞に戰々兢々の状であツた、やがて總體を見終ツて伯爵が「アヽ能く出來た」と下した一語に彼れは初めて重荷を取卸された樣に、ホツト安心の息をいた。

六時近くなると玄關に荒々しい馬の足音が聞えた、伯爵は直に出迎へて見ると來客の一人森江大尉である、大尉は打解けた言葉で「伯爵、先日貴方に戴いた此馬は天下の逸物ですよ、今來る道で、一時間に六哩を走ると云ふ段倉男爵夫婦の馬車を追拔き、續いて官房長出部嶺の馬をも拔きました、出部嶺は總理大臣が急使に用ふると云ふ名馬を借てゐますけれど此馬の樣な輕足は出ないのです」と滿面に嬉しさを湛へて居る、そもそも此馬に就ても一場の竒談がある、餘事ながら是もついでゆゑに茲に記して置くが、此時より一週間ほど前に催された競馬倶樂部の秋期競爭に誰の持馬とも知れぬ馬が出た、番組には「鬼小僧」と云ふ名が附いて居たけれど、何處の牧場で産し、何の樣な快速力を持つて居るか巴里中の博勞にさへ一人も知る者が無い、見物は勿論審判者までも怪しんで居るうち、愈々出場と爲ると、十六七の男裝した女では無いかと疑はれる華奢な騎手が之に乘り、名高い駿馬のみの一列を追拔いて、金牌を初めとして、當日第一等の名譽ある大賞品を占斷した、滿場の驚きは云ふ迄も無かツたが、見物の中に一人、最も尊敬せられる某貴婦人が居て、深く贔屓の心をおこされ特に「鬼小僧」の騎手に逢ひ度いと所望された、けれど騎手は馬と共に掻消す如く姿を隱し、更に尋ねるよしも無かツた、所が其夜、其貴婦人がやしきへ歸られて見ると、彼の馬の得た金牌が、呈上品として其許に屆いて居た、實に合點の行かぬ爾して面白い事柄なので、其後此話が上流社會の一の佳話かわとして口から口に傳はツた、けれど翌日になると大抵の人が此事を目下名高い巖窟島伯爵の好謔いたづらだらうと言囃す事になつた、伯爵で無くて誰が此樣な名馬を持ち得た賞牌を惜氣も無く人に與へなどするものか、殊に一人、確に伯爵の仕業しわざと見破り得た者がある、其れは外でも無い彼の野西武之助なのだ、彼れは初めて鬼小僧の名を聞いた時、忽ち羅馬の山賊を思ひおこし伯爵の馬と氣附き、爾して更に華奢な騎手のりての顏を見て其身が戒食節かあにばるの終後の夜に美人と思ふて馬車に同乘し、胸のあたりへ短銃ぴすとるを差し附けられた其の少年である事を知つたのだ、此の一條の事件の爲にも伯爵の名が高く爲つたは勿論であるが更に本統の事を云へば此の武之助の推量さへも未だ事實を盡しては居ぬ、實は巖窟島伯爵が自分の大仕事の運動の爲に駿足の馬を幾頭も要するので兼て鬼小僧へ馬の周旋を命じて有る、即ち此馬も彼が伯爵へ遣ひ物として寄越したのだが、丁度競馬の前日に此の巴里へ着いた爲め、彼れは幸ひに其の駿足な事を事實の上に證明して伯爵のお目に留まらせて樣と思ひ、假りに「鬼小僧」と名を附けて競馬に出したのだ、伯爵自身は其時までも知らなんだのだ、併し此樣にして得たものを喜んで我物としては鬼小僧の出過ぎた振舞を奬勵する樣にも當るから、金牌は此馬の勝利を喜ばれた貴婦人に贈り、馬は兼て駿足の得難いことを嘆じて居る森江大尉に遣つて了ツた。

其れは扨置さておき、森江の嬉しげに云ふ言葉を聞き伯爵は、「フム其れでは出部嶺や、段倉夫妻も程無く來ますね、シタガ蛭峰氏には遭ひませんでしたか」と問返した。
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