人生は台詞、全てこの世は舞台(008)

◎ 福田善之「真田風雲録」

 芝居の舞台は、関ヶ原から、大坂冬・夏の陣。芝居が書かれたのは、1962年、時に日本は、「安保闘争」を経て、その「挫折」がかまびすしく言われた時代。この二つの時代を「パラレルワールド」として照応するように作られている。
 芝居は、ミュージカル仕立て、真田十勇士の行進曲「真田隊マーチ」(福田善之作詞、林光作曲)が、芝居を引っ張るように流れてゆく。

〽わッわッわ ずんぱぱッ
織田信長のうたいけり
人間わずか五十年
夢まぼろしのごとくなり
かどうだか 知つちやいないけど
やりてえことをやりてえなわッ
てンで カッコよく 死にてえな ぱッ
んぱ んぱ んぱ ずんぱぱッ

〽わッわッわッ ずんぱぱッ
異国のひじりのたまいぬ
見よや野の百合ゆり空の鳥
明日あしたは明日の風が
かどうだか 知っちやいないけど
生きてる気分になりてえな わッ
てンで イキがって 生きてえな ぱッ
んぱ んぱ んぱ ずんぱぱッ


Youtube での音声動画

 他人の心を読み取る事のできる猿飛佐助は、他の個性あふれる真田十勇士の一人として、活躍するが…

佐助 殿様、私に見えるのは文字じゃない、ことばじゃない。眼を凝らせばやっと見えるなにかぶわぶわと形の定まらないもの、その暗い色あいとひずみの具合調だけなんですよ……その読みかたは、自分の心からおしはかるしかないんですよ、結局。
幸村 はあ。
佐助 私は読み切れない心を探しているんですよ、待ちくらしてんです。その照りかえしでだらしない私の心にぽつりと一つ、判断のつかない黒点が生まれ、それがじわじわひろがる……それが私を変える、お日さまの方に向けてくれる、とくら、つまり社会化する――ってんですか?(照れて)ヘヘ、えヘヘありませんか、そういうものが、このたかぶった城のなかに…ねえだろうな、やっぱり。

佐助 (いつのまにかちやんと坐っていた)はい。……そうですね、まず道犬。あの男には感心する、おもて裏がない。私や殿様とのさまとは大ちがい。(笑って)……本当に味方をいわば純粋に団結させ、そのことによって力が増し味方がふえてくることを信じています。つまり、やがてかならず形勢は逆転し勝利は頭上にかがやくと……ただ、キメ手をもっていない。結局は、条件闘争とうそうにおちつかざるを得ないと思ってはいるんです……だいぶ殿様に当たりましたけど、あれも誠実だからで。
幸村 (笑って)しかし、いい気持ちのもんじゃないぞ、敵よばわりは。
佐助 はげしい言葉というものはさ、いっているうちに、自分で自分の言葉に刺激されて、ついついどんどん誇張しちやうもんでしょ。つまり敵を利する行為こういだ、敵と同じだ、敵だ――とついなって行くとね、いいすぎたと思ってもカッときてるから歯止めがきかない、で、ありがちなことは、そこでかえって、いやこいつほんとに敵かもしれない、徳川の手先、いや間者かも――なんてほんとに思っちゃう。思いこんじやう。言葉のあやまりを心が正当化しちゃうんです……行勒のまちがいを心は一般に認めたがりません。そこで心がまちかいにふみこんでしまう。道犬さん、話のはじめは殿とののこと敵だなんて思っていなかった、が終わりごろは半分ぐらいそう思うにいたりました。人がいいんです。(ほほえんで)そんな単純なものではない、というでしょうな、本人に聞かせたら。しかし.、 単純さは美徳なんです。
幸村 佐助、もちろん読めてるだろうが、おれはやはりいまいらいらしてるんだ。’
佐助 ええ。
幸村 やっぱりおれは不愉快ふゆかいだよ、不愉快になれることはいいことだ,しあわせだと思う……いまのおれはお前かなんてもみんなわかってしまうからおこることもできないお前が、やっぱり不愉快なんだ……お前も、(となにやらいいかけると)
佐助 ああ!そこで、不幸なやつだな、なんていわないこと……(幸村、突然とつぜん佐助になぐりかかる、佐助 、消えた)いいでしょあたしや役に立つんだから役に立つことだけで人につながることを殿は認めてくれる人だから、 私はつながってんだから……

お霧 (笑って)好きな人が行けば。
千姫  あら。(コロコロ笑う)
お霧  私ねえ……、その人の行くところへ行くのよ、どこでも、結局……だから自由じゃないのよね、でも自由だから困るの、つらいのよ。いったい自由ってなんなのよ。もうずいぶん長くずうつと、その人のことだけ思ってるの、あたし子どものときから、十二のときから。もう十四年。
千姫(愉しげにハミングしていた。大坂ことばで)やあ、ものすごいわあ。
お霧 せやろものすごいうそ、ちょっとおっきくいったのそんなことできるもんじやないわよ人間て、その人のことだけなんて。ううん、ほかの人は知らない、あたしは……だからその人はあたしがきらい。
千姫 あほくさ、でもだいたいはいちばん好きなんでしょうその人が……ならいいじやないね……うちのおつきの人たちかて、よういうてるわ、てもさめても夢うつつ、一生忘れられへん……で、すぐ忘れちゃうわよ……絶対の愛なんて……絶対とか純粋じゅんすいとかって、要するに記憶力の問題じゃない?都合の悪いことは忘れちゃう人が、つまり純粋なのよ、ね。だからあたしも秀頼さまに純粋、ヘヘ。
お霧 男って絶対をほしがるじやないのさ。
千姫 黙ってりやいいのよ。そういうもんよ。
お霧 (急にうつむいて口を押さえる)
千姫 どうしたの?お霧さん……(わかって)赤ちゃん?

天守閣の屋根の上に佐助がねころがっていたのがこのときわかる。

 結論めく書くと、この芝居には、二つのポイントがあるような気がする。一つは、幸村は決して「かっこよく」死ななかった。死ななかったこそ、「英雄」とならなかったのだし、第二、第三の幸村が出現する余地があるのだ。二つ目は、「男」の意地や理屈で動いていた世の中が、お霧こと霧隠才蔵(実は女性だった!)と千姫との会話に見られるように、別の地平が、わずかでもかいまみられたことだ。千姫は、実にあっけらかんとしているのが、「救い」で小気味良く感じられる。
 芝居は芝居、現実の歴史を「オルタナティブ」に変えるものではないが、少なくとも、その可能性を提示することが、「芝居」の醍醐味のひとつであろう。人生の些末時にも、こうしたことが生かされるかもしれない、また、大きく言えば、現実の政治の世界にも、「オルタナティブ」な道筋を提案し、しかも、それを現実化しようと努力している政治勢力に、一票を託するのも、この芝居上演から半世紀以上経った今、「効用」の一つであろう。

日本人と漢詩(129)

◎ 私と杜甫
 「長恨歌」(Cháng hèn gē) は、次回に回すこととして、ここでは、杜甫の「兵車行(Bīng chē xíng)」を採り上げることにした。


Bīng chē xíng Táng Dù fǔ
兵 車 行   唐 ・ 杜 甫
Chē lìn lìn Mǎ xiāo xiāo Xíng rén gōng jiàn gè zài yāo
車 轔 轔   馬 蕭 蕭   行 人 弓 箭 各 在 腰
Yé niáng qī zǐ zǒu xiāng sòng Chén āi bú jiàn xián yáng qiáo
耶 娘 妻 子 走 相 送   塵 埃 不 見 咸 陽 橋
Qiān yī dùn zú lán dào kū Kū shēng zhí shàng gān yún xiāo
牽 衣 頓 足 攔 道 哭   哭 聲 直 上 干 雲 霄
Dào páng guò zhě wèn xíng rén Xíng rén dàn yún diǎn xíng píng
道 旁 過 者 問 行 人   行 人 但 云 點 行 頻
Huò cóng shí wǔ běi fáng hé Biàn zhì sì shí xī yíng tián
或 從 十 五 北 防 河   便 至 四 十 西 營 田
Qù shí lǐ zhèng yú guǒ tóu Guī lái tóu bái huán shù biān
去 時 里 正 與 裹 頭   歸 來 頭 白 還 戍 邊
Biān tíng liú xuè chéng hán shuǐ Wǔ huáng kāi biān yì wèi yǐ
邊 庭 流 血 成 海 水   武 皇 開 邊 意 未 已
Jūn bù wén hàn jiā shān dōng èr bǎi zhōu Qiān cūn wàn luò shēng jīng qǐ
君 不 聞 漢 家 山 東 二 百 州   千 村 萬 落 生 荊 杞
Zòng yǒu jiàn fù bǎ jǔ lí Hé shēng lǒng mǔ wú dōng xī
縱 有 健 婦 把 鋤 犁   禾 生 隴 畝 無 東 西
Kuàng fù qín bīng nài kǔ zhàn  Bèi qū bú yì quǎn yú jī
況 復 秦 兵 耐 苦 戰   被 驅 不 異 犬 與 鷄
Zhǎng zhě suī yǒu wèn   Yì fū gǎn shēn hèn
長 者 雖 有 問   役 夫 敢 申 恨
Qiě rú jīn nián dōng   Wèi xiū guān xī zú
且 如 今 年 冬  未 休 關 西 卒
Xiàn guān jí suǒ zū   Zū shuì cóng hé chū
縣 官 急 索 租  租 稅 從 何 出
Xìn zhī shēng nán è  Fǎn shì shēng nǚ hǎo
信 知 生 男 惡   反 是 生 女 好
Shēng nǚ yóu dé jià bǐ lín Shēng nán mái mò suí bǎi cǎo
生 女 猶 得 嫁 比 鄰   生 男 埋 沒 隨 百 草
Jūn bú jiàn Qīng hǎi tóu Gǔ lái bái gǔ wú rén shōu
君 不 見   靑 海 頭   古 來 白 骨 無 人 收
Xīn guǐ fán yuān jiù guǐ kū Tiān yīn yǔ shī shēng jiū jiū
新 鬼 煩 冤 舊 鬼 哭   天 陰 雨 濕 聲 啾 啾

 詩の訓読、語釈、訳文は、 Wikibooksを参照のこと。

 この解説では、語釈や訳文のみならず、詩の訴える真情や社会的な意義について、存分な紹介である。付け加えることはほぼないが、ここでは詩のやや形式的な作り方など触れてみたい。
 三言、三言の「序曲」に続いて、七言の「叙事」的な歌いだしがあり、「邊流血成海水 武皇開邊意已」(Biān tíng liú xuè chéng hǎi shuǐ Wǔ huáng kāi biān yì wèi yǐ)(辺境での流血はおびただしく、まるで海の水のようだったが武帝の辺境への意欲は止まることがない。)とときの皇帝・玄宗への名指しはしないが、直截的な表現まで至る。続いて、「君不聞」(Jūn bù wén)とやや突き放し、五言で、農村の悲惨な現状に書き及び、白居易の「長恨歌」にも出てきた、「信知生男惡 反是生女好」(Xìn zhī shēng nán è Fǎn shì shēng nǚ hǎo)まで行き着き、投げかけるように「君不見 靑海頭 」(Jūn bú jiàn Qīng hǎi tóu)の転換を経て、最後の「決め文句」まで持ってゆくという、緊密な構造であろう。更に、「聲啾啾」(shēng jiū jiū)の畳韻を置くところが心憎い。なぜなら、最初に詩を起こす「車轔轔 馬蕭蕭」(Chē lìn lìn Mǎ xiāo xiāo)とで見事な対比になっている。その頃の戦車や馬、ひいては風という自然現象が、もう物言えぬ身になってしまった兵士に変わり、切々と哀情を訴えているのであろう。
 こう言えば身も蓋もないが、いつの世も、民衆を顧みず、己の野心・野望に駆られた為政者には事欠かないのは残念であるが、然るべき日に悔いなき選択をしたいものである。

日本人と漢詩(128)

◎ 私、高村薫と劉長卿

・「日本の小説家高村薫にハードボイルド調の小説「李歐」というのがあります。杜甫を始め、数人の中国詩人が引用されています。ハードボイルドと漢詩という組み合わせが意外であり、また面白くも感じました。劉長卿という詩人を知ったのはこの小説からです。」以前、中国・成都への空路で読み、このブログでも取り上げました。小説に引用されているのは、第一首目。この詩、「唐詩選」にはありますが、「唐詩三百首」には収録されていません。
・「」部分の DeePLによる翻訳(DeePL翻译)
「日本小说家高村薰曾创作过一部硬汉派风格的小说《李欧》。书中引用了杜甫等数位中国诗人的诗句。硬汉派与汉诗的结合令人意外,却也别有趣味。我正是通过这部小说才认识了刘长卿这位诗人。」

Chóng sòng péi láng zhōng biǎn jí zhōu Táng Liú cháng qīng
重 送 裴 郞 中 貶 吉 州   唐 ・ 劉 長 卿
Yuán tí kè sǎn mù jiāng tóu
猿 啼 客 散 暮 江 頭
Rén zì shāng xīn shuǐ zì liú
人 自 傷 心 水 自 流
Tóng zuò zhú chén jūn gèng yuǎn
同 作 逐 臣 君 更 遠
Qīng shān wàn lǐ yī gū zhōu
靑 山 萬 里 一 孤 舟
訓読と訳・解説は、「詩詞世界」を参考のこと。

Qiū rì dēng wú gōng tai shàng sì yuǎn tiào Táng Liú cháng qīng
秋 日 登 呉 公 臺 上 寺 遠 眺   唐 ・ 劉 長 卿
Gǔ tai yáo luò hòu Qiū rù wàng xiǎng xīn
古 臺 搖 落 後 秋 入 望 郷 心
Yě sì lái rén shǎo   Yún fēng gé shuǐ shēn
野 寺 來 人 少   雲 峰 隔 水 深
Xī yáng yī jiù lěi   Hán qìng mǎn kōng lín
夕 陽 依 舊 壘   寒 磬 滿 空 林
Chóu chàng nán cháo shì   Cháng jiāng dú zhì jīn
惆 悵 南 朝 事    長 江 獨 至 今
訓読と訳・解説は、「日本文学と趣味の漢詩」を参考のこと。

Sòng lǐ zhōng chéng zhī xiāng zhōu Táng liú cháng qīng
送 李 中 丞 之 襄 州   唐 ・ 劉 長 卿
Liú luò zhēng nán jiàng    Céng qū shí wàn shī
流 落 征 南 將     曾 驅 十 萬 師
Bà guī wú jiù yè     Lǎo qù liàn míng shí
罷 歸 無 舊 業     老 去 戀 明 時
Dú lì sān biān jìng    Qīng shēng yī jiàn zhī
獨 立 三 邊 靜     輕 生 一 劍 知
Máng máng hàn jiāng shàng   Rì mù yù hé zhī
茫 茫 漢 江 上      日 暮 欲 何 之

訓読と訳・解説は、「詩詞世界」を参考のこと。

 劉長卿は、あまりにも率直でズバズバ物言いをするので、官僚としては、立身出世はままならない生涯であったようだ。でも、詩の叙情性は一流である。

 次回は、いよいよ白居易(Bái jū yì)の「長恨歌」(Cháng hèn gē)に取り掛かるとしよう。

人生は台詞、全てこの世は舞台(007)

◎ 宮本研「日本人民共和国」
まずは、題字…
«この敗北で斃れたのは、革命ではなかった。斃れたのは、革命以前の亡霊であり、それまで断ち切れずにいたさまざまの、人物や幻想や観念や計画であった。»—マルクス『フランスにおける階級闘争』

 歴史に、「もし」(if)という過程はあり得ない。しかし、その都度々々にときに垣間見せる、オルタナティブパスウェイ(別の道筋)を想像し、芝居などに現実化することができる。それも過去の局面により、濃淡が出てくるような時代がある気がする。その一時期が、1945年の敗戦後、幾ばくも経っていない時代の特質であろう。
 時代背景は、1946年夏から1947年春にかけて、敗戦直後の、2.1ゼネストをめぐる労働組合の事務所が主な舞台である。まず劇冒頭から、当時の権力関係を如実に反映し、時の占領軍(GHQ)のエージェンシーの役割を担った、黒田が登場する。労働組合の中に、「協力者」を物色するためだ。

第一幕

<一九四六年――夏>
機関銃の音が、眠っている記憶をよびおこすように、遠くからひびいてくる。
紗幕の向うに矢田部がうずくまっている。

(黒田)あれから一年。……ちょうどひとまわりして、また夏がやって来たな。お前はまだ、そこにそうやってうずくまっている。矢田部、もういいじゃないか。
そこにそうしているのはもういい。……お前はもう、第六航空軍三十三戦隊の兵長じゃない。……戦争は終ったんだ。戦争だけじゃない。戦争を終らせまいとするおれたちの努力もまた終ったんだ。

舞台の下手に、黒田の姿。

黒田 ……歩きはじめてはどうなんだ。どっちの方向だろうと、おれはもう、命令もしなければ制止もせぬ。おれはもう、お前の上官でもなければ同志でもない。……立てよ。矢田部。歩き出すんだ。おれたちの、お見事な誤算でしかなかった努力が終って一年。……動いてみろ、矢田部。でなければ、お前がおれたちから離れていった意味なんかない……

 矢田部は、かっての兵隊当時の部下、どうやら「戦争遂行工作」に加担させたらしい。その矢田部は、やがて、労働組合活動の中心人物となってゆく。やがて、その運動の最大の高揚期、1947年2月1日を期する、2.1ゼネストの遂行が大きな課題となる。

矢田部 日本は負ける、負けた方がいいなんてふざけたことを考えてた野郎がいて、しかし、結局こうして、その連中のいう通りになっちまったなんて、本当をいうと、今だって歯ぎしりだ。…そしたら、キャップがいうんだ。……社会ってな……世界っていったつけかな…一度出来上ったら、ハンダでくっつけたみてえに百年千年動かねえもんじゃねえ。いくらだって変るし、変えられる。事と次第によっちゃ、土台からやりかえることだって出来る。おれたち、それをやってるんだっていうんだがね。
文 そうよ。
矢田部 そういわれても、まだ、合点がいくわけじゃねえけど、 ……しかし、パリ・コンミュ—ン、あいつはいいな。
文 パリ ・コンミュ—ン。
矢田部 フランスは戦争に負けた。けど、責任をとらなくちゃいけねえのは戦争おっばじめたやつなんで、鉄砲もたされパンパンやった兵隊じゃねえ。捕虜になっちまったボナバル卜の野郎はそっちにくれてやる。おれたちはおれたちのフランスをつくる。……パリ・コンミュ—ン。
文 労働者がっくった、世界で初めての労働者の政府。
矢田部 軍隊と警察を廃止して労働者が武装した。……裁判官や検事の賃金を労働者と同等に切り下げ、工場のリストをつくって労働者に引き渡した。……共和制の自治政府。
文 パリ・コンミューン。
矢田部 パリ・コンミューン。

 ゼネスト直前になり、GHQ のスト中止命令が出る。その時も矢田部は、独自の活動で、大勢の動向に抗しようとするが…
 終幕近くで、GHQ の「手先」黒田が登場する。この芝居を見事に芝居たらしめるような、この「枠組み」は、時の権力関係を象徴したようでもある。

矢田部 (冷ややかに)……何しに来た。
黒田 お前に、お別れをいおうと思ってな。
矢田部 ……
黒田 おれは昨夜ここにやって来た。……なぜだと思う?
矢田部 おれは、引き受けてなんかいない。何も頼まれてなんかいない。
黑田 しかし、お前はおれに頼まれたとおりのことをやった。しかも、組織にたてついてまでもだ。…….昨夜、おれはこの部屋に来た。……もう一度聞くが、何のためだと思う?
矢田部 ……
黒田 おれの頼みを聞いてくれるかどうかを見届けにじゃない。おれは、お前にゼネストをやめさせようと思って来たんだ。
矢田部 (思わず黒田を見る)
黑田 アメリカさんは、本当はゼネストに突入してもらいたかったんだ。……禁止命令は出した。しかし、どこか一つ位向う見ずのところが出て来るだろう。そしたら、それを口実に全体を叩く。そして、終戦からこっち、ブレーキの利きにくくなった左翼を一挙に撃滅する。……分ってるだろうが、やつらはもう、左翼の友軍じゃない。……お前はそのワナにかかろうとした。おれはお前に、それを教えてやろうと思った。しかし、お前はやった。
矢田部……
黒田 お前はやっとお前の戦争に勝ったようだな。ゼネス卜は負けた。しかし、そんなことはどうだっていい。お前たちはアメリカさんに中止命令というド口をはかせたんだからな。その上、お前は自分にも勝った。これから先、お前がどんな道を歩くのかは知らん。しかし、お前はもう、成功も失敗も、人のせいではなくて、自分の責任として引きうけてやっていけるだろう。……おれは駄目だ。生きてる世界がだんだん狭くなって来た。これでいい。だから、お前とはこれでさよならだ。お前はよくやった。……元気でやれ。……もう、ここにも来ない。
(中略)
党員1 矢田部君。……うまくいえないんだけど、このままでは、もう駄目かも知れないね、党。

党員1、静かに出て行く。

 矢田部さん…あたし、行くわ。

矢田部、答えない。
文、出て行く。
歌声が急に高くなる!矢田部、はじかれたように立ってドアをうしろ手に閉める。……その視線の方向に、一枚だけ残ったスローガンが垂れている。

 今から考えると蛇足のようであるが、この場面で、観劇していた「前衛党員」は、怒って軒並みに席を立ったようだ。心情的に分からぬわけではないが、その後の党の推移もまた象徴している気がしてならない。
 繰り返しになるが、歴史に「if」はありえないし、やり直しも効かない。でも、「オルタナティブ・パスウェイ」(もう一つの道)を提示する力が、芝居にはあることを、いつまでも信じたい。

人生は台詞、全てこの世は舞台(006)

◎ ハロルド・ピンター「温室」(喜志哲雄訳)


 戦後すぐには、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を嚆矢として、「不条理演劇」が流行った。今から考えると、その定義は、そんなに簡単ではない。私見だが、主に三つの方向に分化していったように思われる。一つは、本家ベケットのように、自己の「不条理性」を表したもの、二つは、イオネスコに代表される、この世界そのものが「不条理」だと強調するもの、三つ目は、ともに「不条理」な自己と世界の関わりをひっくるめて描くものと仮に分類しておく。そして、最後のものは、その傾向として、「政治」的になりやすい。ハロルド・ピンターの初期作品であるが、「温室」もその一つで、後に彼はそのテーマを深化させてゆく。
 収容と病院を兼ねた施設と言えば、全体主義的な抑圧体制の格好の舞台である。どこか、チェーホフの「六号室」を彷彿させる雰囲気である。それどころか「温室」(The Hothouse)というタイトルは、反語的に響き、かえって不気味に聞こえる。また、(もと)トップの主人公の姓が「ルート」が、 Root(根)なら、余計に状況的である。

   

しかし、私は時々思うんだ、もっとてきぱき改革をやってもよかったんじやないかと。ものごとってのは変るもんだ、つまるところ。変るに決ってるってこと、変ればそれでいいというんじやないが、変るに決ってるんだ。

   短い間。

それにしても、時々思うんだ、もう少し改革をやっててもよかったんじやないかーー時間があったら。何でもかでも変えるとか根本的に変えるとかというんじゃない。それは必要ない。しかし、たとえばこの番号制だ。連中を名前で呼んだ方がずっと簡単じやないか。そうすれば、混乱が生じることもない。つまるところ、連中は犯罪者ではない。ただ助けを必要とする人間であるというだけだ、そこで私達はその助けを、ああしてみたりこうしてみたり、精一杯智恵を働かせて、精一杯頭を使って、何とか与えようとする、連中が信頼の念を恢復するように、そう、自己に対する信頼の念、他者に対する信頼の念、それから……世間に対する信頼の念を。いいかね。つまるところ、連中は一人残らず本省のお墨つきを貰ってやって来たんだ。どこにでもいる馬の……その……:ああ……骨じゃない。

   彼は言葉を切って考えこむ。

時々思うんだ、連中は面白くないんじゃないかな……少しばかり……年中、番号で呼ばれるのは。ここへ来て二、三年たっと、忘れてしまうやつも出て来る人じやないか、父親がつけてくれた名前を。それとも、母親か。

   

この施設の目的の一つは、一人残らず連中に自信をつけさせるところにある、そう、その自信がつけば、いつの日か、「私の名はガビンズ」と、たとえばそう言えるようになるわけだ。簡単には行かない、簡単には行かないよ、それは、しかし、いつもいつも五二四四号と呼ばれてたんじや、一層むずかしくなる、そうだろう?私たちは連中の名前を忘れ、連中は自分たちの名前を忘れる。時々思うんだがね、これが正しいやり方なんだろうか。(彼は机に向って坐る)

 ト書きに(間)と間を指定するのも、実に効果的に思える。
 こうした心底を持ち、意図的にか、偶然にか、トップを任されたルートは、収容者の謎の死や女性をめぐる妊娠事件や、自らの女性への思いなど、様々な「事件」に直面し、最後は、収容者もろとも「粛清」される。その最後のメリークリスマスの「温和」な所内放送は、なぜか空虚に、またアイロニカルな響きを感じるのは、私だけだろうか?

人生は台詞、全てこの世は舞台(005)

◎ イプセン 原千代海訳「ヘッダ・ガーブレル」

 劇作家だった宮本研氏(1926-1988)は、概ね次のようなことを言っている。
「芝居の幕は、いわば舞台装置(主に室内)の「第四の幕」である。特にイプセン以降の近代リアリズム演劇において成立した。いわば、「のぞき見」できる芸術である、そこには、おのずから前提ができあがる。観客は、のぞき見していることがばれないように、客席を暗くして、俳優ものぞき見られないが如く、独白など観客との接点を断つ。こうした約束事が近代劇にはあるのだ。」
 この芝居も、定石とおりに、書き割り内部の長い描写から始まる。
 ヒロインのヘッダ・ガーブレルは、一言で言えば、実に嫌な女性である。ヘッダとその夫と、その学問上および大学の地位を巡ってのライバル、かってはヘッダとまんざらでもなかった男性の三人を巡って劇は展開してゆく。ライバルが泥酔のあげく、夫を凌ぐほどの著書の原稿を紛失してしまう。その原稿を手に入れたヘッダは、ライバルの想い人への嫉妬からか、暖炉で原稿を償却してしまう。失意のあまり、ライバルは自殺してしまうが、使った拳銃は、ヘッダの所有物だった。それを知悉する判事は、ヘッダに脅迫まがいに言い寄ってゆく。万事休すのヘッダが取った行動は?
 先に「嫌な女性」と記したが、尊敬する父親も含めて、夫、そのライバル、判事など、世間の男性の俗物性の「生贄」とされたのだろう。
 チェーホフの「かもめ」のテーマとも重なるような気がふとした。
 セリフの引用は、第三幕の最後、ヘッダが、原稿を焼くシーン。

ヘッダ  あっ、ちょっと、形見の品を持っていっていただかなくちゃ!

ヘッダは書き物机へ行き、引き出しを開けて,ビストルのケ—スを取り出す。それから、このうちの一丁を手に、レェ—ヴボルクのほうへ戻ってくる。

レェ—ヴボルク  (ヘッダを見て)それは!そいつを持っていけ、っていうんですか?
ヘッダ  (ゆっくりうなずいて)覚えていらっしゃるでしょう? 一度はあなたを狙ったことがあるのよ。
レェ—ヴボルク あのとき、いっそ、やってくれたらよかったんだ。
ヘッダ  はい !今度は、自分て使うのね。
レェーヴボルク (胸のポケットにビストルを突っ込み)ありがとう!
ヘッダ 立派によ、エイレルト・レェ—ヴ・ボルク! 約束してちょうだい!
レェーヴボルク じゃ、さようなら、ヘッダ・ガ—ブレル。

工イレルト、ホールのドアから去る。
ヘッダはし,はらくの間、ドアのところで耳をすます。それから、書き物机のほうへ行き、原稿の包みを取り出す。包みの中をちょっとのぞき、はみ出している紙片を二、三引き出して、それに見入る。それから、包みを全部かかえ、ストーブのそばの肱掛け椅子に行き、腰をおろす。しばらくして、スト—ブのロを開け、包みを開く。

ヘッダ (一折りの原稿を火に投げ込み、自分に言い聞かせるように、ささやく)さあ、あんたの子供を焼いてやる、テア!あんたの縮れっ毛も一緒にね!(さらに二、三帖の原稿を投げ込み)あんたの子供で、エイレルトの子供をね。(残りを投げ込み)焼いてやる、――焼いてやる、あんたの子供を。

南総里見八犬伝(018)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十七回
東都 曲亭主人 編次
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「思ひくまの人はなか〳〵なきものをあはれに犬のぬしをしりぬる」「犬塚しの」「龜笹」「はま路」

妬忌ときたくましうして蟇六螟蛉ひきろくひとのこをやしなふ
孝心こうしんかたうして信乃曝布しのたきはらひ

 卻說犬塚番作かくていぬつかばんさくは、年來としごろの志願稍遂やゝとげて、男子既をのこゞすで出生しゆつせうし、母も子もいとすくよかに、產室撤うぶやおさむるころにぞなりぬ。「さてちごの名をなにとかよばん」、と女房手束にようばうたつかかたらへば、手束はしばら沈吟うちあんじ、「よに子育こそだてのなきものは、男兒をのこゞなればとし、の子には男名をとこなつけて、やしなひたつればつゝがなしとて、如此しかする人もまれにははべり。我夫婦わがふうふさちなくて、男兒三人擧をのこゞみたりまうけしかど、みな殤子みづこにてなくなりたるに、このたびも又男兒をのこゞなれば、一しほ心よはくなりて、想像おもひやりのみせられはべり。この子が十五にならんころまで、女子をなごにしてはぐゝまば、つゝがあらじと思ひ侍り。その心してなつけ給へ」、といへば番作うちほゝみ、「死生めいあり、名のとがならんや。ものいみ多き僻事ひがこと、いとうけがたき筋なれども、おん身が心やりにもならば、に從ふもわろきにあらず。古語に長きをしのといふ。和名妙わめうせう長竿ちやうかんを、しのめとよませし、則是すなはちこれなり。今も穗の長きすゝきを、しのすゝきといふぞかし。しげきすゝきとするは非ならん。わが子の命長かれ、とことほぎのこゝろもて、その名を信乃しのよぶべき。昔われ美濃路みのぢにて、不思議におん身と名吿なのりあひ、信濃路しなのぢにして夫婦となりぬ。しのとしなのとその聲近し。越鳥ゑつちやう南枝なんしすくひ、胡馬こば北風ほくふういばふといへり。たれかそのはじめを忘れん。わが子もし發迹なりいでて、受領じゆれふする事さへあらば、信濃の守護しゆごにもなれかし、と亦祝またことほぎのこゝろにかなへり。この名は甚麼いかに」、とまめたちて、とへ手束たつかきゝあへず、「そはいとめでたき名にはべり。富人とむひと五十日百日いかもゝか、と產室うぶややしなひのよろこびに、さけもり遊ぶ日も多かり。せめてこの子が名ひらきに、かまどの神に神酒獻みきたてまつり、手習子てらこ綿わた弟子をしえこに、ものくはせ給はずや」、といふに番作うち點頭うなづき、「われもかくこそ思ふなれ。とく〳〵」といそがせば、手束はちか媼等うばらやとひて、赤小豆飯あづきいひ芝雜魚しばざこしるなますといそがしく、目つらをつかみ料理して、里の總角等あげまきら召聚會よびつどへもりならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳にくわうぜんはしとりあぐる髻鬟等うなゐらが、顏は隱るゝ親碗おやわんに、子の久後ゆくすゑことぶきの饗應もてなしにみなあきたりて、ひざにこぼれし粒飯つぶいひを、ひらひもあへず、身を起し、よろこびをのべかへるもあり、人より先に草屨わらくつを、穿はか穿はかせじ、とかしましく、𥉉あはて〚目+條〛てかへるも多かりけり。
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南総里見八犬伝(017)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十六回
東都 曲亭主人 編次
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山院さんいん宿しゆくして番作ばんさく手束たつかうたがふ」「菴主蚊牛」「たつか」「大塚番作」

白刃はくじんもと鸞鳳良緣らんほうりやうえんむす
天女てんによやしろ夫妻一子ふさいいつしいの

 卻說大塚番作かくておほつかばんさくは、淺痍あさでなれども一晝夜いちちうやあまたみちを來にければ、疲勞つかれとともにそのきず痛みて、通宵よもすがらいもねられず、まくらにかよふ松の聲、溪澗たにかはの音さわがしく、ぬるとはなしに目睡まどろみけん、紙門隔ふすまこしにうちかたらふ、聲するに驚覺おどろきさめ、枕をそばたて熟聽つら〳〵きけば、およつけたる男の聲也。「されば菴主あんしゆはかへりけん。渠何事かれなにことをいふにかあらん」、と耳をすまして聞く程に、忽地女子たちまちをなこ泣聲なきこゑして、「そはきゝわきなし、むじんなり。衆生濟度しゆぜうさいどは佛のをしえ、よしそれまでにおよばずとも、心をけが破戒はかいの罪、法ころもはぢやいばもて、ころさんとはなさけなし」、といふはまさしく宿貸やどかして、われをとゞめし女をなこなり。「原來菴主さてはあんしゆは破戒の惡僧あくそうかはよ少女をとめを妻にして、彼奴かやつゑば旅人りよじんをとゞめ、ひそかに殺して物をとる、山賊さんぞくきわまれり。たま〳〵君父くんふうらみかへし、恥をきよめ、危難をのがれて、こゝまで來つるに阿容々々おめ〳〵と、われ山賊の手にしなんや。さきにすれば人をせいす。こなたよりうついでみなころしにすべけれ」、と思ひさだめてちつとさわがず、ひそかおきて帶引締ひきしめ、刀を腰に、かゝぐりかゝぐり、紙門ふすまのほとりへしのびよりて、開闔たてつけ間準ひずみより、ことやう闕窺かいまみるに、その年四十あまりの惡僧、手に一挺いつてう菜刀なかたなをふりあげて、女子をなこむかひておどしつすかしつ、いふことさだかに聞えね共、われをうたんず面魂つらたましひ女子をなこはこれをとゞめあへず、かみふりみだしてよゝとなく。害心既に顯然げんぜんたる、爲體ていたらくに番作は、いさゝかも疑はず、紙門ふすまちやうひらきて、庖湢くりやのかたへ跳出おどりいで、「山賊われを殺さん。われまづなんぢを殺すべし」、とのゝしりあへずとびかゝれば、惡僧おはきにうち驚き、もつたるやいばひらめかして、きらんとするこぶしの下を、くゞぬけつゝ足をとばして、腰眼ゐのめのあたりをはたる。蹴られて前へひよろ〳〵と、五六步いつあしむあし走りいだして、やうやくに踏駐ふみとゞまり、ふりかへつてつきかくるを、右へ流し、左へ、すべらし、數回あまたゝびかけ、なやまして、疲勞つかるゝ處をつけ入りて、つひやいはをうち落せば、惡僧いよ〳〵こゝろあはてて、にげんとすれば、番作は、莱刀なかたな手ばやくとりあげて、「賊僧天罰思ひしれ」、とのゝしる聲ともろともに、あびせかけたる刃の電光いなつま脊條せすぢをふかくつんざいたり。灸所きうしよ痛痍いたでに、霎時しばし得堪えたへず、惡僧は「あつ」と叫びて、たふるゝ胸膈むなさき、とゞめの刀尖きつさきさしつらぬきて引拔ひきぬく莱刀、血をふりたらして、刃をぬぐひ、𥉉あはて〚目+條〛まどひにげも得ず、伏沈ふししづみたる女子をなこむかひて、まなこいからし聲をふりたて、「なんぢ甲夜よひいひめぐみて、一碗いちわんの恩あるに似たり。又賊僧がかへり來て、われを殺さんとするをとゞめし、こは側隱そくいんの心なれども、この賊僧が妻となりて、これまでいくその人を殺せし、これまたしるべからず。さればのがれぬ天のせめすみやか首伏はくでうして、やいばうけよ。いかにぞや」、ととはれてはつかかうべあげ、「その疑ひは情由わけしらぬ、おん身が心のまよひにこそ。わらははもとよりるものならず」、といはせもあへず冷笑あざわらひ、「淺くもことを左右によせて、時を移して小賊等こぬすびとらが、かへるをまちてをとこのために、うらみかへさんと思ふなんぢ胸中きやうちう、われかばかりの倆伎たくみのらんや。つげずはこれもていはせん」、と打晃うちひらめか菜刀なかたなの光と共にとび退しりぞき、「やよまち給へ、いふことあり」、といへ共ゆるさいかり刀尖きつさき何處いづこまでもと夤緣つけまはす、刃頭はさきたてもなよ竹の、雪にをれなん風情ふぜいにて、右手めてのばし、左手ゆんでつき片膝立かたひざたてて身をらし、うしろざまに迯遶にげめぐるを、番作はなほのがさじ、とうてばひらき、拂へば沈み、たゝんとすればいだゞきの上にひらめく氷のやいばのがれかた手をふところへ、さし入るゝひまもなく、きら*んと進む目前まなさきへ、とりいだす一通つきつけて、「これ見て疑ひはらし給へ。きゝわきなや」、と兩の手に、引延ひきのばしたる命毛いのちげの、ふでに示せしその身の素姓すせう、番作とくすかし見て、思はず刃をとり直し、「こゝろ得かたき書狀しよでう名印ないん梵妻賊婦ぼんさいぞくふ艷書欤ゑんじよか、と思ふには似ず勇士の遺書かきおき。やうこそあらめ、その情由わけ語れ」、と身をひらかし、刃を席薦たゝみ突立つきたてて、膝折敷ひざをりしき目守まもりてをり。
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南総里見八犬伝(016)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十五回
東都 曲亭主人 編次
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うらみむくひて番作ばんさく君父くんふ首級くびをかくす」「大塚番作」「にしごり頓二」「牡蛎崎小二郎」

金蓮寺きんれんじ番作讐ばんさくあた
拈華庵ねんげあん手束客たつかたびゝととゞ

前卷既に說訖ときをはる、伏姬富山ふせひめとやまりにしころは、十六さいのときにして、長祿元年ちやうろくぐわんねんの秋なるべし。又金碗入道かなまりにうどうヽ大坊ちゆだいぼうは、嘉吉元年かきつぐわんねんの秋、父孝吉ちゝたかよしが自殺せしとき、既に五歲になりければ、長祿二年富山にて、伏姬自殺のうれひかゝり、にはか出家入道しゆつけにうどうして、雲水うんすいまかしつゝ、斗藪行脚とそうあんぎや首途かどいでせし、このとき廿二歲になりぬ。伏姬は年はつかに、十七にて身まかりたまへば、ヽ大坊はかの姬より、その年才とし五ッの兄なりけり。かくて長祿は三年にして、寬正くわんせうにあらたまり、又六年にして、文正ぶんせうと改元せらる。さはれ元年のみにして、又應仁おふにんと改めらる。これもはづかに二年にして、文明ぶんめいと改元ありけり。應仁の內亂治りて、戎馬じうばひつめあとはらひ、名のみなりけるはなみやこは、もと春邊はるべたちかへり、稍長閑やゝのどやかになりぬるも、このころの事なれば、(文明五年春三月、宗全病そうぜんやみみまかり。五月に至りて勝元も亦病またやみみまかりにき。こゝにおいてそのの合戰、征せずしてやみにけり。これを應仁の兵亂ひやうらんといふ)この年號のみ長久とこしなへに、十八年まで續きけり。こゝに年序ねんじよかゞなふれば、伏姬の事ありて、ヽ大が行脚あんぎや啓行かしまたちせし、前卷長祿二年より、今文明の季年すゑいたりて、無慮すべて二十餘年に及べり。このあはひ犬塚信乃いめづかしのが、未生みせう已前いぜんの事をのぶ。この卷亦復またまた嘉吉におこりて、文明のころに至れり。

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日本人と漢詩(127)

◎ 李白と私

まずは、七言絶句から…

Huáng hè lóu sòng mèng hào rán zhī guǎng líng Táng Lǐ bái
黄 鶴 樓 送 孟 浩 然 之 廣 陵   唐 ・ 李 白
Gù rén xī cí huáng hè lóu
故 人 西 辭 黄 鶴 樓
Yān huā sān yuè xià yáng zhōu
煙 花 三 月 下 揚 州
Gū fān yuǎn yǐng bì kōng jìn
孤 帆 遠 影 碧 空 盡
Wéi jiàn cháng jiāng tiān jì liú
惟 見 長 江 天 際 流

読み下しと語釈は、 Wikibooks 参照のこと

Zǎo fā bái dì chéng Xià jiāng líng Táng Lǐ bái
早 發 白 帝 城 ( 下 江 陵 ) 唐 ・ 李 白
Zhāo cí bái dì cǎi yún jiān
朝 辭 白 帝 彩 雲 間
Qiān lǐ jiāng líng yī rì huán
千 里 江 陵 一 日 還
Liǎng àn yuán shēng tí bú zhù
兩 岸 猿 聲 啼 不 住
Qīng zhōu yǐ guò wàn chóng shān
輕 舟 已 過 萬 重 山

読み下しと語釈は、 Wikipedia 参照のこと

続いて、五言古詩…

Xià zhōng nán shān guò hú sī shān rén sù zhì jiǔ Táng Lǐ bái
下 終 南 山 過 斛 斯 山 人 宿 置 酒   唐 ・ 李 白
Mù cóng bì shān xià        Shān yuè suí rén guī
暮 從 碧 山 下            山 月 隨 人 歸
Què gù suǒ lái jìng        Cāng cāng héng cuì wēi
卻 顧 所 來 徑            蒼 蒼 橫 翠 微
Xiāng xié jí tián jiā         Tóng zhì kāi jīng fēi
相 攜 及 田 家          童 稚 開 荊 扉
Lǜ zhú rù yōu jìng         Qīng luó fú xíng yī
綠 竹 入 幽 徑          青 蘿 拂 行 衣
Huān yán dé suǒ qì        Měi jiǔ liáo gòng huī
歡 言 得 所 憩          美 酒 聊 共 揮
Cháng gē yín sōng fēng  Qǔ jjìn hé xīng xī
長 歌 吟 松 風          曲 盡 河 星 稀
Wǒ zuì jūn fù lè   Táo rán gòng wàng jī
我 醉 君 復 樂          陶 然 共 忘 機

読み下しと語釈は、 Uni 参照のこと

Yuè xià dú zhuó sì shǒu qí yī Táng Lǐ bái
月 下 獨 酌   四 首   其 一   唐 ・ 李 白
Huā jiān yī kǔn jiǔ      Dú zhuó wú xiāng qīn
花 閒 一 壼 酒            獨 酌 無 相 親
Jǔ bēi yāo míng yuè       Duì yǐng chéng sān rén
擧 杯 邀 明 月            對 影 成 三 人
Yuè jì bù jiě yìn                   Yǐng tú suí wǒ shēn
月 既 不 解 飮            影 徒 隨 我 身
Zàn bàn yuè jiāng yǐng   Xíng lè xū jí chūn
暫 伴 月 將 影            行 樂 須 及 春
Wǒ gē yuè pái huái         Wǒ wǔ yǐng líng luàn
我 歌 月 徘 徊            我 舞 影 零 亂
Xǐng shí tóng jiao huān  Zuì hòu gè fēn sàn
醒 時 同 交 歡             醉 後 各 分 散
Yǒng jié wú qíng yóu      Xiāng qī miǎo yún
永 結 無 情 遊            相 期 邈 雲 漢

読み下しと語釈は、 厂碧山 参照のこと

Chūn sī Táng Lǐ bái
春 思   唐 ・ 李 白
Yàn cǎo rú bì sī         Qín sāng dī lǜ zhī
燕 草 如 碧 絲            秦 桑 低 綠 枝
Dāng jūn huái guī rì        Shì qiè duàn cháng shí
當 君 懷 歸 日            是 妾 斷 腸 時
Chūn fēng bù xiāng shí  Hé shì rù luo wéi
春 風 不 相 識            何 事 入 羅 幃

読み下しと語釈は、 詩詞世界 参照のこと

 李白は「詩仙」とも言われ、ともすれば「浮き世離れ」した詩趣が持ち味のようだが、彼の現実世界の捉え方は、三層構造になっていたようだ。「俗世間」「女性や友人関係」「自己の内面世界」の三つであるが、それに安住することなく、互いに行き来することに特徴がある。その意味で、その意味で、トータルとして「世界内存在」といえば大げさになるが、「生存する」そのままの形でのとしての彼の本質があるように思われ、彼が意外と身近に感じられる。こんな話を、ピンインを習いながら講師と話しをした。深いなあ(笑)。