読書ざんまいよせい(075)

◎滝沢馬琴・内田魯庵抄訳南総里見八犬伝(003)

南總里見八犬傳 第三 古那屋の卷
瀧澤(曲亭)馬琴・內田魯庵抄譯
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 古那屋文五兵衞

 こゝに行德ぎやうとく入江橋いりえばし橋詰はしづめに古那屋といふ旅籠屋はたごやがあつた。主人の文五兵衞といふは先年つま先立さきだたれた今年ことし五十五六の男鰥をとこやもめであつた。信乃しのの鄕里の幼馴染をさななじみの糠助(第二輯參照)が國を追はれて母親の無い孩兒みどりごを脊負ひて旅につかれつゝ、詮方せんかた盡きて入水の覺悟をしたのはこの入江橋の上、(第三輯卷二參照)で、通りがかりの犬飼見兵衞いぬかひけんぺゑに助けられ、方金はうきん二顆を惠まれて足手纏あしでまとひの子を引取つて貰つたのを見兵衞と知合しりあひの緣で預かつたのは古那屋こなやであった。女房が產をしたばかりて、乳があまってゐたので同じ乳房を含ませたが、このアワヤ父と共に餓ゑるか水に溺れようとした孩兒みどりごのちの芳流閣の勇士犬飼見八であつた。
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南総里見八犬伝(014)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十三回
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯だいにしゆう巻之二

【本文】
南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯(だいにしゆう巻之二
東都 曲亭主人編次


妙經めうきやう功徳くどく煩惱ぼんなう雲霧うんむひらく」「金まり大すけ」「玉つさ」「神変大菩薩」

尺素ふみのこし因果いんぐわみづからうつたふ
雲霧うんむはらつ妖孽あやしみはじめてやむ

 伏姬ふせひめは思ひかけなく、奇しきわらべ說諭ときさとされて、無明むめう眠覺ねむりさめながら、夢かとぞおもふあととめぬ、人の言葉のあやしきに、なほ疑ひははれなき、淚の雨に敷妙しきたへの、そでは物かははらわたを、しぼるばかりにむせかへり、なげしづませ給ひけり。しかはあれども心操こゝろばえ、人なみ〳〵にたちまさる、日來雄ひころをしき姬うへなれば、うちさわぐ胸をおししづめ、顏にかゝれる黑髮くろかみを、かきあげて目をぬぐひ、「うたてやな前世さきつよに、造りし罪は秤成はかりなす、おもさかろさはしらねども、つひにこの身にむくて、かくまで物を思はする、人のうらみのしうねさよ。遮莫さもあらばあれ親のうへに、かゝるたゝりおひにき、ときゝてはのちのそののちの世まで、捺落ならくの底に沈むとも、くやしと思ふべうもあらず。たゞはづかしく悲しきは、親の爲、又人の爲に、きたなき心もたなくに、なにたねなる畜生ちくせうの、その氣をうけやつの子を、身に宿やどしなばいかにせん。そもこの山に入りにし日より、つるの林のしげきをわき、わしたかねの高きをあふぐ、一念不退讀經いちねんふたいどきやうほかは、よに他事あだしごとなきものから、佛もこゝに救ひ給はず、神さへ助け給はずて、有身みこもれる事じつならば、よしや臥房ふしどを共にせずとも、それいひとか證据あかしはなし。わがうへのみかは親のはぢこゝのつの世をかゆるとも、つひきよむる時しあらで、只畜生たゞちくせうの妻といはれん。いきての恥辱、死してのうらみ、たとふるに物あるべしや。かうとは兎の毛の末におく、つゆばかりだもしらずして、さきに瀧田にをりしとき、犬を殺してもろともに、得死えしなざるこそくやしけれ。しすべきをりはありながら、しにおくれしも業因欤ごういんか。されば善巧方便ぜんこうほうべんとて、ときおかせ給ふなる、佛のふみにもありがたき、因果いんぐわといふもあまりあり。よしやこの子のうまるゝゆゑに、親同胞おやはらからさちありて、家のさかえをませばとて、こよなき恥にやはかえん。悲しきかな」、と聲たてて、かたへの人にものいふごとく、思ひこつてはなか〳〵に、さかしき心も亂れつゝ、忍ぶにたへ繁薄しのすゝき尾花をばなが下にふし給ふ。

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人生は台詞、全てこの世は舞台(004)

◎モリエール・辰野隆訳「孤客(ミザントロープ)」

 モリエールの「笑い」は一筋縄ではいかない。ことに、後年の作品ではそうだ。「ミザントロープ(人間嫌い)」の青年アルセストが、やや世間ずれした女性セリメエヌに恋してしまう。それも、数ある恋敵と競ってである。こんな人物設定で、劇は進行する。
 辰野隆は、それなりの理由があったのだろう、タイトルを「孤客」としたが、一般的な名称「人間ぎらい」のほうが、しっくり来るのも否めない。ただし辰野隆訳文は、名訳と思われる。Amazon の、Kindle 本にいくつかあるうち、セリフを大阪弁にモディファイしたものがあったが、どうも中途半端だったので、前半のセリフは、「大阪弁変換」の助けも借りながら、辰野隆訳を変えてみた。後半は、辰野隆訳の部分引用である。

アルセスト:いいや、隅から隅までや。ワイはあらゆる人間を憎むんや。ある者は不善にして有害せやさかい憎んだる。ある者は不善の徒にえゝ顔しくさって、いやしくも君子たる者が彼らに対して抱かねばならぬ強い憎悪を持たへんから憎むねん。現にワイのお白州の相手やけど、はっきりしとるあの悪党に対する世間の度すぎた弱腰は、なんぼのものじゃい。なんぼ猫を被っても、彼奴はしたたかやし、そんげなことはわかりきってま。どこへ行かはっても、彼奴のこんじょは知れ渡っとるで。あの眼つきや猫撫で声は素人はんしかききめがないんや。いてもうたろかなと思うがな、あの下司下郎がどんなきたない手使こうて世間にのさばり出しよったか、そいでもってブイブイいわすはぶりはそこらじゅうで怒らしやがって、徳の持ったはる君子はんを辱しめとるかは世間はんが承知や。あっちいってもこっちいってもや、悪口言うても、誰一人かて、あいつの悪徳をえろう褒めはるもんはおまへんで!。そやけど、ぺてん師と呼ぼうが、ばけもんと呼ぼうが、恥知らずの悪もんと呼ぼうが、誰も彼も賛成で、異議を唱える者もありゃしまへんで。それにもかかわらずや、あいつのやることはじぇんぶ、どないなときでも歓迎されて、世間の奴らは彼奴に手をさしのべたり、ええ顔を観せたりして、彼奴はいたるところで人に取り入っとるんや。ほんで、どんな官位でもあいつと競争したら無二の君子さえしてやられるわ。いまいましいがな!悪徳に対してこれほど世間がわるう言えへんのに、ワイはごっつう傷つけられたか知れへんで。ちょいちょいワイはむらむらとなって、そやからどっかえろう離れた沙漠の中にでも逃げたろ、そいで持って人間交際を断ち切ろうと思うねん。

アルセスト:
 ところがねえ!そんなことができるでしょうか? この愛情を制えきれるものだろうか? いかに憎もうとあせっても、この心が即座に言うことをきくでしょうか?
 (エリアントとフィラントに)意気地のない恋愛というものはごらんのとおりです。あなた方二人には僕の弱味はお目にかけたが、正直なところ、まだまだこれどころではないのです。この弱味がどん底までゆくのをお目にかけるでしょうし、我々を賢人呼ばわりするのがそもそも誤りで、誰の心のうちにも常にいくぶんかの人間がいるということも、お目にかけるでしょう。
 (セリメエヌに)実は、僕は貴女のよこしまの行ないを忘れたいと思う。心の中では、その悪事のいろいろな現われ方を釈明して、時代の弱点にんだ若気の過ちという名目でそれを庇うことにしましょう。その代りに、あらゆる人間を捨てる僕の企図くわだてに賛成して頂いて、僕が暮したいと思う沙漠の中に、時を移さず、一緒に行く決心をして下さい。それでこそ、僅かに罪の手紙があらゆる人に犯したところをうぐない得るし、君子が眉をひそめるような噂が立った後でも、なお貴女を愛し得ると思うのです。

 さて、二人の恋の結末は、いかがなものになろうか?通常の喜劇ならハッピーエンドで終わるのが常識だが…
 ジャン・ジャック・ルソーに「演劇について――ダランベールへの手紙――」という論説がある。この中で、「人間ぎらい」について、まとまった批評があるが、次々回にでも紹介したい。

人生は台詞、全てこの世は舞台(003)

◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「マクベス」(01) 第一幕


* 登場人物
* 第一幕 第一場
* 第一幕 第二場
* 第一幕 第三場
* 第一幕 第四場
* 第一幕 第五場
* 第一幕 第六場
* 第一幕 第七場
* 第ニ幕 第一場
* 第ニ幕 第二場
* 第ニ幕 第三場
* 第ニ幕 第四場
* 第三幕 第一場
* 第三幕 第二場
* 第三幕 第三場
* 第三幕 第四場
* 第三幕 第五場
* 第三幕 第六場
* 第四幕 第一場
* 第四幕 第二場
* 第四幕 第三場
* 第五幕 第一場
* 第五幕 第二場
* 第五幕 第三場
* 第五幕 第四場
* 第五幕 第五場
* 第五幕 第六場
* 第五幕 第七場
* 第五幕 第八場

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登場人物

* ダンカン、スコットランドの王。
* マルコム、其王子。
* ドナルベイン、其王子。
* マクベス(王の從兄弟)、王軍の將。
* バンクヲー、王軍の將。
* マクダッフ、スコットランドの貴族。
* レノックス、スコットランドの貴族。
* ロッス、スコットランドの貴族。
* メンチース、スコットランドの貴族。
* アンガス、スコットランドの貴族。
* ケイスネス、スコットランドの貴族。
* フリーアンス、バンクヲーの一子。
* シーワード、ノーサムバランド伯、英軍の將。
* 少シーワード、其息。
* シートン、マクベスに仕ふる一士官。
* 少年、マクダッフの子。
* イギリス王の侍醫。
* スコットランド王の侍醫。
* 一武官。
* 一門衞。
* 一老人。
* マクベス夫人。
* マクダッフ夫人。
* 一侍女、マクベス夫人に仕ふる女。

* ヘカチー(或ひはヘケート)、女魔神。
* 三妖巫。
* 幻像。

貴族、紳士、士官、兵士、刺客、侍者役及び使者役。

場所

スコットランド及びイングランド。

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マクベス:第一幕 第一場
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第一幕

第一場 荒れ地。

雷鳴電光。三人の妖巫ヰッチ

妖の一
 いつ又三人が一しょにならう、鳴る時か、光る時か、降る時かに?
妖の二
 騷動ごたくさんだ時分に、勝敗かちまけの決った時分に。
妖の三
 そいつァ日沒ひのいり前だらうよ。
妖の一
 場處は何處で?
妖の二
 いつもの荒れ地で。
妖の三
 彼處あそこでマクベスを待ちうけやう。

此時、あちこちで此妖巫ヰッチらの使役する魔物の鳴く聲が聞える。

妖の一
 今往くよ、灰毛猫グレーモルキン
妖の二
 ひきが呼んでるよ。
妖の三
 あいよ、今直ぐ。

三人が手を取合って、踊りながら歌ふ。

三人

清美きれい醜穢きたない
醜穢きたない清美きれい
狹霧やきたない空氣ン中を翔ばう。

三人ともに入る。
(惡魔の使徒である妖巫ヰッチらは、常に人間の災禍わざはひの下るのを希望してゐるから、 其自然觀は人間のそれとは逆である。人間の善、美、清淨、愉快、便利とするものは、彼等の惡、 醜、汚穢、不愉快、不便利とするものであり、而して其反對が彼等の善、美、清淨、愉快、便利なのである。 天候とても同斷。晴朗は彼等の忌む所、陰鬱な瘴烟や、毒霧が彼等の得意の舞臺なのである。 風雨、雷電を喜ぶのも同じ理由。以上は當時の民間信仰にもとづいた説。)

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読書ざんまいよせい、改め、人生は台詞、全てこの世は舞台(002)

◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「リア王」(07) 第五幕

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リヤ王:第五幕 第一場
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第五幕

第一場 ドーワ゛ーに近きブリテン軍の陣營。

鼓手、旗手をひきゐてエドマンド、リーガン、士官ら、兵士ら出る。

エドマ
 (士官に)公爵のところへ往って、承知うけたまはってまゐれ、先般の御案通りであるか、 又は其後何等かの理由で方針を變へられたかどうかを。自分自身でしたことを非難して、 始終變へてばかりをられる。確定したところを承知うけたまはって參れ。

命を受けて一士官入る。

リガン
 姉上の家來は、何か(途中で)間違ひが生じたのに相違ない。
エドマ
 さうかも知れません。
リガン
 (うちとけて)エドマンドさん、 貴下あなたはわたしが貴下あなたに對して好意を有ってることはごぞんじでせう。 おっしゃいよ……眞實ほんたうの事を……事實そのまゝでなくては不可いけませんよ。…… 貴下あなたはわたしの姉を愛していらっしゃるの?
エドマ
 さ、姉上として、愛してゐます。
リガン
 兄上でなくっては入られない處へお入りなすったことはなくって?
エドマ
 とんでもない事をおっしゃる。
リガン
 わたしは心配でなりません、貴下あなたほとん夫婦めをとと呼んでよいほどに、 姉と同心一體ぢゃァないかと思って。
エドマ
 決してそんなことはありません。
リガン
 わたしは決してそんな眞似を姉にさせてはおきません。貴下あなた、姉とは親しんで下さいますな。
エドマ
 大丈夫です。……(奧を見て)お姉上とおつれあひの公爵!

鼓手、旗手をひきゐてオルバニー、ゴナリル、及び兵士ら出る。

ゴナリ
 (二人の樣子を目早く見て、傍白)妹めに、あの人との仲を邪魔されるくらゐなら、 今度のいくさに負けたはうがよい。
オルバ
 リーガンどの、めでたうお目にかゝりまする。……(エドマンドに)うけたまはれば、 王は我が苛政に憤激せる不平黨に擁せられて、其女むすめコーディーリャ方へおもむかれたとの事だ。 正義と信ずるに至らんうちは、勇斷を致しかねるのが吾等の性質もちまへですが、此度このたびの事は、 フランス王が、王を助くるのを本意とはせずして、敢て我が國を侵掠しようと企てるのであるから、 棄て置かれません。王及び其黨與に至っては、正當な且つ重大な理由があって干戈を動かされたのであるから、 これに刄向かふことは……
エドマ
 (冷笑して)いや、實に公明正大なお考へです。
リガン
 そんな事ァ如何どうでもいゝぢゃありませんか?
ゴナリ
 只協力して敵を防げばいゝのですよ。内部うちはの、個人に關することは當面の問題ぢゃありません。
オルバ
 では、老功の者を輯めて、會戰の手續きを定めませう。
エドマ
 すぐさま御陣所へ參りませう。
リガン
 姉上、いらっしゃいませんか?
ゴナリ
 いゝえ。
リガン
 いらっしゃったはうが都合がようございますから、どうぞ一しょにいらっしゃって。
ゴナリ
 (傍白)おほう、其謎は解ってますよ。……參りますよ。

一同が入らうとする時、假裝したエドガーが出る。最もおくれて入らうとするオルバニーに對って

エドガ
 かやうな賤しい者にもお目を賜はりまするならば、一言申し上げたいことがございます。

オルバニーは、立止まって、先きに立ってゐる人々に

オルバ
 ぢき追ひ附きますよ。……

皆々入る。オルバニーとエドガーだけが殘る。

申せ。
エドガ
 御開戰以前に、此書面を御覽下さい。若し御勝利でございましたら、 喇叭を以て此書を持參しましたてまへをお呼び出し下されたい。 見るかげもないてまへでございますが、書中にちかひおきましたる事程は、 見事に劍を以て證明して御覽に入れまする。萬一にも御敗軍となりますれば、此世に關する御能事は終り、 隨って陰謀たくみごとも止みまする。御幸運に渡らせられまするやう!
オルバ
 此書を讀み了るまで待ってをれ。
エドガ
 それは相叶ひません。其時刻となりましたら、傳令使に命じてお呼び立て下されませ、 すれば再びお目にかゝりまする。
オルバ
 では、きげんやう。書面は讀みおくであらう。

エドガー入る。
エドマンドが出る。

エドマ
 敵は迫りましたぞ。備へをお立てなされ。勤勉な斥候の此報告で、敵軍の兵力其他確實な事が分ります。 (書面を渡す。)お急ぎを願ひます。
オルバ
 勇んで出陣しませう。

とオルバニー入る。

エドマ
 (皮肉な笑ひを浮べて)姉にも妹にも夫婦約束をしておいたので、互ひに危み疑ってゐる、 一度さゝれた者がまむしをあやぶむやうに。どッちを取ったものか?兩方ながらか? かた~か?どちらも止すか?兩方を生しておきゃ、どちらも此方こツちものにゃならん。 未亡ごけのはうを取りゃァ姉のゴナリルが憤激して狂人のやうになる。かと言って、 所天ていしゆが生きてゐて見れば、此方こツちの手もまづしと。まづ、ともかくも、 戰爭中はあの男の助けを利用することにして、戰ひが濟んだら、夫を邪魔物にしてゐるあの女に工夫させて、 手早く押方附けることにしよう。あの男は、リヤやコーディーリャに慈悲を施さうとしてゐるが、…… 戰爭が濟んで、あいつらが捕虜となった曉にゃァ……赦免なんぞさせるこッちゃない。 おれの今の境遇は礪行れいかうが肝腎だ、ぐづ~考へてゐべきぢゃァない。

エドマンド入る。

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南総里見八犬伝(013)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十二回
東都 曲亭主人 編
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草花さうくわをたづねて伏姫ふせひめ神童かんわらはにあふ」「伏姫」

富山とやまほら畜生菩提心ちくせうぼだいしんおこ
流水ながれさかのぼり神童未來果じんどうみらいくわ

 濁世煩惱色欲界ぢよくせぼんなうしきよくかいたれ五塵ごぢん火宅くわたくのがれん。祇園精舍ぎおんせうしやかねこゑは、諸行无常しよぎやうむじゃうひゞきあれども、あくまで色を好むものは、後朝きぬぎぬの別れををしむがゆゑに、たゞこれをしもあたとし憎にくめり。沙羅雙樹さらそうじゆの花の色は、盛者必衰しやうじゃひつすいことわりをあらはせども、いたづらめづるものは、風雨ふううすぎなんことをねたむがゆゑに、ひとへ延年ゑんねんの春をちぎれり。くわんずれば夢の世、觀ぜざるもまた夢の世に、いづれまぼろしならざりける。思ひうちにあるものは、龍華りうげ三會さんゑふといへども、凡夫出離ぼんぶしゆつり直路ちよくろをしらず。さめて復またさとるものは、虎穴龍潭こけつりうたんりといへども、瑜伽成就ゆかじやうじゆの快けらく多かり。かくまでに世を思ひすてて、富山とやまの奧にふたとせの、春とし秋を送るかな。
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読書ざんまいよせい(074)

◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「リア王」(06) 第四幕


リヤ王:第四幕 第一場
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第四幕

第一場 荒野ヒース

やはりベドラムの狂人乞食に假裝したまゝでエドガーが出る。

エドガ
 斯うして、輕蔑さげすまれてるのを知ってゐるのはまだましだ、 始終口先きで欺されて、さげすまれてゐるよりは。運命に見棄てられて、一等惡い、沈みき切った境遇にゐるてィのは、 早晩浮き上る望みこそあれ、なンにも恐ろしいことはない。およそ情けないのは、 此上もない善い境遇からの變轉だ。悲哀かなしみ極ればよろこび來る。 して見りゃァ、此そっけない、空な風めも、今の我が身にゃ良い友逹だ。おのしに吹き飛されて、 こんな最惡の境遇に墮ちたものゝ、何一つおのしの世話にならんのだから、氣樂だ。……や、だれか來た!

グロースターが、一老人に手を引かれて、出る。

お父さんぢゃないか、見すぼらしい姿で、手を引かれて?……おゝ、人生よ、人生よ、人生よ! 思ひがけない轉變に遭ふて世を厭ふ心を起せばこそだが、でなきゃ、誰れも甘んじちゃァ老衰すまいわい。
老人
 おゝ、お殿さま、手前は御先代さま以來このかた、八年間、御配下に住んでをりましたのです。
グロー
 ってくれ、あッちへってくれ、どうか歸ってくれ。助けてくれても、 わしの爲にはなンにもならん。そちの難儀になるわ。
老人
 でも、お行手がお分りになりますまい。
グロー
 行手とてもない。それゆゑ目は要らん。目の見えた時分には折々蹉躓けつまづいた。 生中なまなか有れば油斷の種ぢゃ、無いはうが得ぢゃ。……おゝ、憫然ふびんなエドガー、 欺かれた父が怒りの餌食となったエドガーよ、息のうちにもう一度そなたの身に觸れることが出來たなら、 亡うしたまなこを取戻したともいはうに!
老人
 (エドガーに)おい~!だれぢゃ、そこにゐるのは?
エドガ
 (傍白)おゝ、神よ!「今が一等惡い境遇だ」なんぞとは容易に言へるもんぢゃァない。 前よりも境遇が惡くなった。
老人
 ありゃ狂人乞食のトムめぢゃ。
エドガ
 (傍白)もっと惡い目に遭ふかも知れない。「こりゃ一等惡い境遇だ」と口で言ひ得る間は、 まだ~一等わるいのぢゃァない。
老人
 (エドガーに)やい、おのしは何處へ往く?
グロー
 乞食か?
老人
 乞食で狂人なのでござります。
グロー
 幾らか正氣でなうては乞食は出來ん筈ぢゃ。此間の暴風雨あらしの晩に、ちょうどそんな奴に逢ふた。 それを見てわしは、人間をば蟲螻むしけらぢゃと思ふた。其時倅せがれの事が念頭に浮んだ。 なれども、其折には、心がまだけてをらなんだれど、其後そののちいろ~と聞き及んだ。 あゝ、あのあぶ蜻蛉とんぼ惡戲少年いたづらこぞうが扱ふやうに、吾々人間をば神さまが扱はっしゃる。 神はお慰み半分に人間をお殺しなさる。
エドガ
 (傍白)如何どうして如是こんな事になったのだらう?あゝ、辛や~、悲しい最中に阿呆の眞似をせねばならんとは! 自分にも氣の毒、他人にも氣の毒だ。……旦那さん、ごきげんよう!
グロー
 裸體すはだかの奴か?
老人
 さやうでござります。。
グロー
 なりゃ、おのしはもう歸ってくれ。若し尚ほわしの爲に一里か二里ドーワ゛ー街道を後追ふて來てくれる深切があるなら、 其裸蟲はだかむしに、何か著る物をば持って來て遣ってくれ、わしは此奴を手引に頼まうと思ふから。
老人
 あゝ、貴下あなたさま、此奴は狂人でござります。
グロー
 それが惡世の然らしむる所ぢゃ、狂人が盲者の手を引く。吩咐いひつけた通りにせい。 それがいやならば勝手にするがよい。とにかく、歸ってくれ。
老人
 手元にござりまするいツち良い著る物を持って來てやりませう。 手前の身は如何どうなりませうとかまひませぬ。

老人入る。

グロー
 やい、裸體はだかの男。
エドガ
 トムは寒うござります。……(傍白)もう假裝ごまかし切れなくなった。
グロー
 これ、こゝへ來い。
エドガ
 (傍白)でも假裝ごまかさんければならん。……(グロースターに)貴下あんたのお目から、あゝ、血が出ます。
グロー
 おのしはドーワ゛ーへ往くみちを知ってをるか?
エドガ
 階段も、大木戸も、馬道めだうも、人道も、みんな知っとります。 惡魔がおどかしゃァがったんで、トムの智慧は悉皆みんななくなッちまった。 用心さっしゃい、お歴々の息子さん、惡魔にとッつかれんやうに! あはれなトムには、惡魔が五頭ひきまで一しょに取ッ附きをりました。 淫亂はオービヂカット、その次ぎは唖の魔王ホッビヂダンス、盜賊どろぼう根性はマフー、 人殺しはモードー、變妙來な面附つらつきをする癖はフリッバーヂビット。 其奴そいつ其後そののち腰元衆や女中衆に取ッ附きました。 だから、旦那、御用心なさいまし!
グロー
 こりゃ此財布を取れ、天の處罰を受けた爲に、あらゆる他の苦痛を怨む心もなうなった奴。 俺の不幸がおのしの幸福になるわい。あゝ、神々よ、常に斯樣かやうにお扱ひ下されい! 世の富有ゆたかな、暖衣飽食の徒輩ともがら……天の定法を侮り、 其身に感ぜぬゆゑに貧困の困苦を見ようともせざる徒輩ともがらをして、 すみやかに天の力を感ぜしめたまへ。さすれば、分配によって過剩おほすぎるのを滅して、 各人こと~゛く物足ることにならう。……(エドガーに)ドーワ゛ーを存じてをるか?
エドガ
 知っとります。
グロー
 彼處あそこ絶壁きりぎしがある、 岩で取限とりしきられた海の中央まんなかへ高く聳え覗き込むやうになってゐる絶壁きりぎしがある。 つい、あの縁際ふちぎはまで案内してくれ、 すれば、予の身邊みのまはりにある有價かねめの物をおのしにとらして、 今の不幸ふしあはせを救ふて遣る。あそこから先きは、案内は要らん。
エドガ
 手を借さっしゃい。トムが案内するから。

二人とも入る。
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日本人と漢詩(126)

◎ 私と森鴎外と魚玄機と薛濤

 以前、森鴎外の「魚玄機」 や佐藤春夫の「車塵集」 に絡めてなど、唐の女流詩人・魚玄機と薛濤について何首か紹介した。(日本人と漢詩(047) (048) (052) (055)
 今回は、魚玄機と薛濤の詩を数首をピンイン読みで、再収録。

Fù dé jiāng biān liǔ  Táng Yú xuán jī
賦 得 江 邊 柳  唐・魚玄機
Cuì sè lián huāng àn
翠 色 連 荒 岸
Yān zī rù yuǎn lóu
煙 姿 入 遠 樓
Yǐng pù qiū shuǐ miàn
影 鋪 秋 水 面
Huā luò diào rén tóu
花 落 釣 人 頭
Gēn lǎo zāng yú kū
根 老 藏 魚 窟
Zhī dī jì kè zhōu
枝 低 繋 客 舟
Xiāo xiāo fēng yǔ yè
瀟 瀟 風 雨 夜
Jīng mèng fù tiān chóu
驚 夢 復 添 愁

語釈、訳は、​漢文委員会を参照。

Mài cán mǔ dān Táng Yú xuán jī
賣 殘 牡 丹   唐 ・ 魚 玄 機
Lín fēng xīng/xìng tàn luò huā pín
臨 風 興 嘆 落 花 頻
Fāng yì qián xiāo yòu yī chūn
芳 意 潜 消 又 一 春
Yīng wéi/wèi sì gāo rén bú/bù wèn
応 為 価 高 人 不 問
Què yuán xiāng shèn dié nán qīn
却 縁 香 甚 蝶 難 親
Hóng yīng zhī chēng shēng gōng lǐ
紅 英 只 称 生 宮 里
Cuì yè nà kān rǎn lù chén
翠 葉 那 堪 染 路 塵
Lí zhì yí gēn shàng lín yuàn
及 至 移 根 上 林 苑
Wáng sūn fāng hèn mǎi wú yīn
王 孫 方 恨 買 無 因

語釈、訳は、​玉臺新詠 全十巻 訳注解説を参照。

Chūn wàng cí qí yī Táng Xuē tāo
春 望 詞 其 一   唐 ・ 薛 濤
Huā kāi bù tóng shǎng
花 開 不 同 賞
Huā luò bù tóng bēi
花 落 不 同 悲
Yù wèn xiāng sī chǔ
欲 問 相 思 處
Huā kāi huā luò shí
花 開 花 落 時

語釈、訳は、cogito の部屋を参照。

Chūn wàng cí qí èr Táng Xuē tāo
其 二
Lǎn cǎo jié tóng xīn
攬 草 結 同 心
Jiāng yǐ yí zhī yīn
將 以 遺 知 音
Chūn chóu zhèng duàn jué
春 愁 正 斷 絶
Chūn niǎo fù āi yín
春 鳥 復 哀 吟

語釈、訳は、Web 漢文体系を参照。

Chūn wàng cí qí sì Táng Xuē tāo
春 望 詞 其 四 唐 ・ 薛 濤  
Nà kān huā mǎn zhī
那 堪 花 滿 枝
Fān zuò liǎng xiāng sī
翻 作 兩 相 思
Yù zhù chuí zhāo jìng
玉 筯 垂 朝 鏡
Chūn fēng zhī bù zhī
春 風 知 不 知

語釈、訳は、玉臺新詠 全十巻 訳注解説を参照。

 ピンインに男女の使い方があるわけないが、どの詩も響きに色気を感じるのは私だけかもしれない。

人生は台詞、全てこの世は舞台(001)

◎ テネシー・ウィリアムズ「欲望という名の電車」

 入院中には、もっぱら FM 放送のドラマを、退屈まぎれに聴いていた。音声のみのインプットも、想像力を掻き立てられそれなりに楽しいものである。その中で、ある劇団の売れない役者が、「欲望という名の電車」(A Streetcar Named Desire)のセリフを朗読する一場面があった。「欲望…」は、昔読み、エリア・カザン監督、マーロン・ブランド出演の映画も観たことを思い出した。退院後、早速、再読したが、なかなかの芝居である。

「欲望という名の電車」は、アメリカ合衆国の劇作家テネシー・ウィリアムズによる英語の戯曲です。この作品は、アメリカ南部の没落した名家の娘ブランチ・デュボアの精神的な破滅を描いています。」

AI による回答)

 ブランチとスタンリーの葛藤は、下降と上昇する二つの「階級」のそれ、チェーホフ「桜の園」のラネ―スカや夫人とロパーヒンを彷彿させる。しかも、両作者とも、前者に自己を重ね「惜別」のシンパシーを抱いている共通点もある。
 このシリーズでは、取り上げた芝居での印象的なセリフを書き出すことにしよう。

ブランチ

 私、強い女にはなれなかったの、ひとり立ちできるような女には。強い人間になれないとき――弱い人間は強い人間の好意にすがって生きていかなければならないのよ、ステラ。そのためには人の心を誘うなにかが必要になる――弱い蝶々のように、あの羽のようなやさしい色あいと輝きを身につけ――ちよつとした――一時的な魔法を使わなければならなくなる、それもただ――一夜の雨露をしのぐために!だからなのよ、私が近ごろ——–あんまりほめられるような生きかたをしてなかったというのは。私は庇護を求めて駆けずりまわったわ、雨もりのする屋根から屋根へ――だって嵐だったんだもの——ひどい嵐、そして私はそのまっただなかにいただれ一人見てくれようともしないわ——男たちは——私たちの存在を認めてさえくれないわ、私たちに下心を抱いてなければ。そして、だれかに存在を認めてもらわなければならないわ、だれかの庇護を得ようとすれば。だから弱い人間はどうしても――ほのかな輝きをもたなければならないの――裸電球にかぶせる――色提灯のようなでも私、こわい――とってもこわいの、いま。いったいいつまで、それでうまくやつていけるかと思うと。やさしいだけではだめ。やさしい上に、 魅力がなければ。それなのに私は――私はもう色あせていくばかり!

  すでに日は落ちて夕闇が迫っている。

小田島雄志訳・第一幕第五場

 項目タイトルは、All the world’s a stage.(Shakespear “As You Like It”)から。画像は、映画「欲望という名の電車」から。

読書ざんまいよせい(073)

◎ 三枝博音「日本の唯物論者」(013)

〚編者注 以下の底本は、科学の古典文献の電子図書館「科学図書館」の古典文献の電子図書館「科学図書館」から〛

付録・唯物論史

    まえがき

 唯物論はひとつの世界観であるが、この世界観はつねに敵をもっていた思想であった。このことをまず知っておくことが必要である。どんな世界観思想だってもちろん反対論をともなわないものはない。その思想がはっきりしていればいるだけ、反対論がともなうのは当然のことである。しかし、単なる反対者でなくて必ず敵をもつということは、唯物論思想の特質であり、この思想の運命である。
 唯物論史は周知のように古代ギリシアのレウキポスやデモクリトスからはじめられるが、すでにこれらの思想家たちからが、敵としてはとりあつかわれなかったにしろ、プラトンやアリストテレスからよく言われず、少くとも世界観のうえで味方とは考えられていなかったことは、アリストテレスの書いているものからしても、明らかである。ヨーロッパでは唯物論の思想を人々のうちに滲透させた人としてルクレティウスはすぐれた思想家であるが、ほぼ二〇〇〇年もの長いあいだ彼の著述(『ものの本性について』)が避けられていたようであるのも、じつは宗教の信仰にたよる人々や眼に見えぬイデーのみ貴ぼうとした観念論者たちのなかに、黙っている小さな無数の敵がいたのだとおもう。近世になると唯物論の敵の例は多い。敵が多いだけでなく、判然と必ず敵を呼び出す思想として、唯物論は出てきているのである。
 誰もコペルニクスやガリレオを唯物論者だとレッテルを貼りはしないが、しかし何としても聖書のなかの造物者としての神を否定してしまった点では、これらの自然科学者たちは近世の唯物論的世界観への道をひらいた第一人者だといわねばならない。コペルニクスやガリレオが不倶戴天の敵を宗教裁判所を代表とする信仰者たちのなかに呼びおこしたのは、じつに近世の自然科学的世界観のなかにある無神論的唯物論だったのでなくてはならない。一八世紀のフランスの唯物論者たち、ラマルク、エルヴェシウス、ジャン・メリエなどとなると、生涯敵をもちつづけたのであった。一九世紀から二〇世紀のマルクス、エンゲルス、レーニンとつぎつぎあげてくれば、もう唯物論はつねに敵があることによってひとつの体系ある思想組織となった世界観であったことがあきらかである。さて私たちは今やそのような唯物論的世界観の支持者を「近代日本をつくった人々」のなかに置いて考察しようとしているのである。
 「近代日本」とはいったい何だろう。それはいうまでもなく、近代的性格をそなえるようになった時代の日本のことでなくてはならない。近代的性格とは、人間が自分自身を見出し(ルネサンス)、神を否定し(一八世紀)、産業の仕方を機械化し(一九世紀)、世界観を自然科学的思想のうえに築いてしまった時代(二〇世紀)がもっている性格のことでなくてはならない。してみると、近代日本とは、かつて「神国」と呼ばれ通してきた日本が右のような近代化を実現するに至った日本のことだということになる。日本は近代化という至難のことをとにかく一世紀たらずの間になしとげたのである。日本がかように近代化されてしまったことが、日本人の生活を幸福にしたと無条件にいえるかどうか、それについてはいろいろな意見があることでもあろう。しかし上述の意見で日本が近代化していることは、どうしようもない事実である。
 民族国家の近代化の困難は、日本だけではない。ソヴィエトも中国もそれぞれこの困難を背負った。そしてその困難さにはそれぞれ特徴があった。日本の場合、そのむつかしさの特徴はどういう点にあったのであろうか。
 いずれは近代化とは生活の合理化ということで言いかえられるものである。合理化において日本人はどういう特質を示したか。日本人は生活の合理化を個々の人間のうちの知恵において処理したが、その知識の客観的な組織(科学および科学的技術)において処理しなかった。このことへの着眼は日本文化を理解するにとって大切な鍵であると私はおもう。もし、日本人が前者をすら欠いでいたら、今日日本は世界の最劣等の民族国家であったろう。
 生活の合理化が正規にすすんだ例は西欧の諸国であるが、そこでは組織だった産業が先頭に、技術と科学がこれにつき、純粋な科学がこれにともない、哲学はこれらの全線に併行した。これをぜんたい的にいうと、客観的組織化が特徴だった。日本に欠けていたものはこれだった。
 つまり、サイエンスとテクノロジーとが欠けていたことである。学問と実践の両方において組織性がなかったこの国において、もっとも困難なるものは以上いったような意味での組織的な客観的な世界観の欠如である。
 日本の唯吻論はこうした世界観の弱さのなかに形成されねばならぬものだった。荒野の地に花が咲こうとしたが、この花はつねに摘みとられようとされた花だったわけだ。私たちは福沢諭吉のような近代的思想家によってこの荒れた土地がややいっぱん的に耕地化されていったことはみとめるが、唯物論の播種とまではいかなかった。むしろ日本人の生活の合理化をもっとも具体的に尖鋭に押しすすめようとした森有礼のような思想家によって、唯物論はようやく根を下しはじめたといいたい。あとでのべるように、森には合理化を鮮明に強力に押し出した啓蒙家の面があったから。
 日本の近代化をそれぞれの文化部門でひきうけた思想家実践家たちのなかで、唯物論者たちはどういう課題をどういうように解いていったか。この問題に若干の考察を加えることが、この論文の狙いである。さて、そうしたとき唯物論者とはどの範囲までの合理的な近代的思想家を指すのであるか。このことをヨーロッパにおいてその実例のもっとも判然とみられるような型に分けて考えることをしないで、日本の近代化の実情についてその型をいちおうさだめて、叙述してみたいとおもう。
 生活の合理化へと日本人の思想を導いた人々を唯物論への道を準備した人たちとして、これを啓蒙家または哲学思想家のなかから見出すことがまず最初に試みられる。これらの人々は当然明治の初期または中期に属する。第二に、合理化の思想をとくに具体的に鮮明に押しすすめた人々を唯物論への道を拓いた人たちとして、政治家または専門の学者のなかから見出すことがなされる。この型の人々も、どちらかというと明治時代に属する。第三は、唯物論という世界観をとくに意識しこれを志向した思想家ではないという点では、第一第二と共通する。しかし、第三では、唯物論思想をすでに意識していて、これと併行して別箇の世界観をもってとおした人々について考察する。第四では、唯物論という世界観を日本人の間に実現させようと努力した人々を、考察する。第五には更に、唯物論の一九世紀後半、二〇世紀の前半における発展の実情からみて、歴史的唯物論という新観念のもとで新しい世界観を樹立しようとした人々を評論してみることである私は右のように五つの型をつくってみて、これでこの人物評論を主とする近代日本の唯物論小史をまとめてみたいとおもう。その五つはA・B・C・D・Eに分けることにしたい。なお読者が私の『日本の唯物論者』を参照されることを望みたい。
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