日本人と漢詩(115)

◎中井竹山、履軒と木村蒹葭堂

 先日、大阪大学石橋キャンパスに、「懐徳堂開基300年展」を観てきた。興味深い点も多かったが、中でも、常設展示室における、中井履軒の人体解剖図であった。どことなく図式的な感じはするが「解体新書(ターヘル・アナトミア)」の一年前の図であるという。
 中井履軒は、懐徳堂第四代学主・中井竹山の弟。竹山、履軒は、実学的傾向を持っていたらしく、このあたり、大坂文化が、武家主導から町人が担い手になってゆく時代のエートスを体現した人物と言えよう。その後、懐徳堂は、異色の町人思想家、富永仲基や山片蟠桃らを輩出することになるが、それは別の話題である。
 竹山は、もちろん、木村蒹葭堂と交流があったが、なかなか面倒見のある人物であった。そのころ、まだ、貧学生であった頼山陽の父・頼春水の婚礼の仲人を勤めたらしい。その時の詩と推測される華燭引」三首。

そのー、
戶外初更迓綵輿 戸外ノ初更、綵輿ヲ迓《厶カ》へ
靑衣左右笑相扶 青衣左右、笑ツテ相ヒ扶《タス》ク。
雲屛暗處人如蟻 雲屛暗キ処、人、蟻ノ如ク、
細語新孃認得無 細語ノ新嬢、認メ得ルヤ無キヤ

中村真一郎の語釈「青衣は婢女、雲屛は雲を描いた屛風。花嫁は恥かしがって、薄暗い明りの下で、小声で囁いているので、居るのかいないのか判らない。」

その二、
絮帽深深掩玉顏 絮帽深々、玉顔ヲ掩《オホ》ヒ、
素裝宛似雪梅姿 素装、宛モ似ル、雪梅ノ姿。
蕭郞登席對無語 蕭郎、席二登リテ、対《ムカ》ヒテ語ナク、
侍女高擎仙島盤 侍女、高ク擎《カカ》グ、仙島盤

中村真一郎の語釈「花嫁は角隠しを深々とかぶって顔がほとんど見えないし、武骨な花婿も照れて、席に坐ったままひと言も口をきかない。そうして三三九度の盃がはじまる。」

その三、
畫燭雲屛夜未央 画燭、雲屛、夜イマダ央《ナカ》パナラズ、
再兒瞪坐引新嬢 侍児瞻坐シテ新嬢ヲ引ク。
傳酒翩翩雙峽蝶 酒ヲ伝フ、翩翩タル双峽蝶、
對越默默兩鴛鴛 筵二対シテ黙々タリ、両鴛焉

中村真一郎の語釈「披露宴の席上で花嫁花婿は黙って、周囲の花やいだ空気のなかに坐っている。貧しいながらも、大坂の街の結婚の宴の賑わいである。その中で恐らく見合いで一緒になったろう新婚の若い男女は、ただ黙然と夢見心地。」

 この、花も恥らう花嫁が、のちに、その息子を溺愛し、ノイローゼにさせてしまう、頼梅颸に変貌するとは、この時の、中井竹山は知るよしもないだろう。

参考】
・中村真一郎「木村蒹葭堂のサロン」(新潮社)
・大阪大学「懐徳堂って知ってはる」展覧会パンフ

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