今の御時世だから(37)


ほくせつ医療生協機関紙での木村久夫さんの話の続き(2015年9月号)・前号に対しての当方の感想も掲載されていた。
「お便りコーナー」テキスト
 8月号「ほくせつの歴史散歩」で取り上げられた木村久夫さんは私の豊中高校 (当時は中学)の先輩にあたります。一時は、金沢第四高等学校志望とありま すから、実現していたら二重の意味で先輩です。
 昨年、東京新聞などで「きけわだつみのこえ」に収録分以外にもう一通別の遺書があったと報じられました。そこにはさらに鋭い当時の軍部批判 が書かれていました。
「彼(軍人)が常々大言壮語して止まなかった忠義、犠牲的精神、其の他の美学 麗句も、身に装ふ着物以外の何者でもなく、終戦に依り着物を取り除かれた彼等の肌は実に耐え得ないものであった。此の軍人を代表するものとして東條前首 相があ る。更に彼の 終戦に於て自殺(未遂)は何たる事か。無責任なる事甚だ しい。之が日本軍人の凡てであるのだ。」
 歴史に仮定が許されるはずはありません。でもその歴史的事実を起こした原因の深い洞察と、現在の私たちに課せられた課題に真剣に向き合うこ とが木村久夫さんが遺したものだと思えてなりません。「戦争法案」の帰趨が危惧される昨今、もう一度そのことを噛みしめてみたいと思います。