木下杢太郎「百花譜百選」より(001)

木下杢太郎という文芸家がいた。本名は、太田正雄、東大医学部皮膚科の教授、太田母斑の命名者として知られる。( Wikipedia 木下杢太郎)その彼が、生を終える直前に描いた、植物のスケッチ帳が遺されている。岩波文庫では「新編 百花譜百選」として刊行されている。ここでは、なるべく描かれた月日を合わせながら、順次紹介し、その植物の項を、Wikipedia などを使ってリンクしておく。また、当方のコメントも含む場合もある。ちなみに、彼の死後七十年以上、経過しているので、版権は消失している。
52 志茂つけ(しもつけ) 下野
昭和十八年十二月五日 此枝採之于植物園

自らの病魔にあがらいながら、戦争の敗色が濃くなってきた 1943年、これらの植物を見た時、彼の心境は如何ばかりだったであろうか?今は知る由もない。

参考】
Wikipedia シモツケ
・木下杢太郎画/前川誠郎編「新編 百花譜百選」(岩波文庫)

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