南総里見八犬伝(021)

南總里見八犬傳第二輯卷之五第二十回
東都 曲亭主人 編次
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一雙いつそう玉兒義ぎよくじぎむす
三尺さんしやく童子どうじこゝろさしのぶ

七歳しちさい小児せうに客路たびぢはゝうしなふ」「犬川衞二が妻」「荘之助」

 信乃しのは庭に人ありて、呼禁よびとゞむるその聲を、聞くといへどもちつと擬議ぎきせず、はやつきたてん、とやいばあぐるに、筋縮すぢつま腕癱麻かひなしびれて、死をすみやかにすることかなはず。「こはくちをし」、といくたびか、しなん〳〵、とするほどに、眞先まつさきに進むものは、是則これすなはち別人ならず、さきにも來つる糠助ぬかすけなり。「吐あなや」とばかり、騷ぐものから、白刃しらはにやおそれけん、うしろのかたへ立遶たちめぐりて、矢庭やにはに信乃を抱禁いだきとむれば、前なるは蟇六龜篠ひきろくかめさゝ、左右よりかひなとりて、いさゝかうごかせず、「まづこのやいばはなてよ」、といへども信乃は手をゆるめず、「おんおもてみしれども、名吿なのりもあはざる伯母君御夫婦、なにとして來ませしぞや」、といはれて龜篠酸鼻なみだぐみ、「心つよき親に似て、そなたもさはいふにやあらん。黃童わらはべなれどもさかしげ也。みづからよくわきまへ給へ。わらははもとより女子をなこの身として、おとゝが所帶をうばへるにあらず。父もおとゝ討死うちしにせし、と風の便りに聞えしころ、せめては親のあとたてん、と思ふばかりに蟇六どのを、むことりつゝさいはひに、庄園せうゑんを給はりて、村長むらおささへになり登りし、夫にとがはなきぞとよ。しかるにおとゝ存命ながらへて、故鄕こけうにかへれど、足蹙あしなへたり。つとめたへざる身を見かへらで、吾儕わなみ夫婦をいといたう、憎みてぜつせし事は、おのが心のひがみにこそ。强顏つれなおとゝと思へども、腐欄くさりてもおよびはきられず。此度こだみ御敎書破卻みきやうしよはきやく越度おちど、いかで親子をすくはん、と心を盡す甲斐かひもなく、番作ははや自殺して、そなたも共にと、衝箚つきつめしは、をさなこゝろに似げなき短慮。しぬるに及ばず。この末を、且聞まづきゝてよ」、といさむれば、蟇六瞼ひきろくまぶたをしばたゝき、「番作が生いきのうちに、わが本來の赤心まこゝろを、しらせざりしは殘念也。せめてその子を養ひとりて、女兒濱路むすめはまぢめあはせなば、先祖の血絡ちすぢ斷絕せず、世にも人にも憎にくまれし、わが身はうしろやすかりなん。やをれ信乃よく聞けかし。御敎書の事、大かたならぬ、越度をちど也とはいひながら、原畜生もとちくせう所爲わざにして、犬はさら也そのぬしたる、番作が命をおとせば、一切つや〳〵後難あるべからず。たとひその子どもらに、おんとがめありといふとも、われまたよろしく申ときなん。さきに糠助が走り來て、|如此々しか〳〵つげしかば、もとより義絕の親族たりとも、自殺のへんきゝながら、なほ讐敵あたかたきの思ひをせんや、と來て見たればこそはからずも、汝が必死をとゞめたれ。はやくやいばをおさめよ」、と言葉をつくせば、糠ぬかすけ共侶もろともいさめけり。
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日本人と漢詩(130)

◎ 私と白居易


Cháng hèn gē qí yī Táng Bái jū yì
長 恨 歌(其一)       唐 ・ 白 居 易
 何回かに分けて、「長恨歌」のピンイン読みを掲載する。
 長恨歌の訓読、語釈、訳文は、Wikipedia が最適だと思われるので、リンク先を参照のこと。
1 )
Hàn huáng zhòng sè sī qīng guó Yù yǔ duō nián qiú bù dé
漢 皇 重 色 思 傾 國   御 宇 多 年 求 不 得
Yáng jiā yǒu nǚ chū zhǎng chéng Yǎng zài shēn guī rén wèi shí
楊 家 有 女 初 長 成   養 在 深 閨 人 未 識
Tiān shēng lì zhì zì qì Yī zhāo xuǎn zài jūn wáng cè
天 生 麗 質 難 自 棄   一 朝 選 在 君 王 側
Huí tóu yī xiào bǎi mèi shēng Liù gōng fěn dài wú yán sè
回 頭 一 笑 百 媚 生   六 宮 粉 黛 無 顏 色
2 )
Chūn hán cì yù huá qìng chí Wēn quán shuǐ huá xǐ níng zhī
春 寒 賜 浴 華 淸 池   溫 泉 水 滑 洗 凝 脂
Shì ér fú qǐ jiāo wú lì Shǐ shì xīn chéng ēn zé shí
侍 兒 扶 起 嬌 無 力   始 是 新 承 恩 澤 時
Yún bìn huā yán jīn bù yáo Fú róng zhàng nuǎn dù chūn xiāo
雲 鬢 花 顏 金 步 搖   芙 蓉 帳 暖 度 春 宵
Chūn xiāo kǔ duǎn rì gāo qǐ Cóng cǐ jūn wáng bù zǎo cháo
春 宵 苦 短 日 高 起   從 此 君 王 不 早 朝
3 )
Chéng huan shì yàn wú jiān xiá Chūn cóng chūn yóu yè zhuān yè
承 歡 侍 宴 無 閒 暇   春 從 春 遊 夜 專 夜
Hòu gōng jiā lì sān qiān rén Sān qiān chǒng ài zài yī shēn
後 宮 佳 麗 三 千 人   三 千 寵 愛 在 一 身
Jīn wū zhuāng chéng jiāo shì yè Yù lóu yàn bà zuì hé chūn
金 屋 粧 成 嬌 侍 夜   玉 樓 宴 罷 醉 和 春
Zǐ mèi dì xiōng jiē liè shì Kě lián guāng cǎi shēng mén hù
姊 妹 弟 兄 皆 列 士   可 憐 光 彩 生 門 戶
Suì lìng tiān xià fù mǔ xīn Bú zhòng shēng nán zhòng shēng nǚ
遂 令 天 下 父 母 心   不 重 生 男 重 生 女

 後日紹介するが、楊貴妃一族や、安禄山の直後を詠った杜甫の、「麗人行」「哀江頭」や「哀王孫」の、ルポルタージュ、ないしジャーナリスティックな作風と違い、こちらは、兵乱から百年近く時を隔てているので、一篇の「物語」=「ロマン」となっている。だが、考えてみれば、白居易が、楊貴妃と同時代であっても、杜甫の詠んだ一連の作品は作れないだろう。二人の、大きな気質の違いなのだろう。興味深いところである。
 付け加えると、杜甫の「兵車行」の「信知生男惡 反是生女好」( Xìn zhī shēng nán è  Fǎn shì shēng nǚ hǎo)をそのまま典拠にしているところなど、杜甫からも大きな影響をうけたのだろう。

(続く)…

「長恨歌」のピンイン読みは、Youtube 参照のこと。

南総里見八犬伝(020)

南總里見八犬傳第二輯卷之五第十九回
東都 曲亭主人 編次
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龜篠奸計糠助かめさゝかんけいぬかすけすか
番作遠謀孤兒ばんさくゑんぼうみなしごたく


番作ばんさく遺訓いくんしてよるその村雨むらさめ太刀たちゆづる」「しの」「犬塚番作」「帶雨南离楚知春北入燕」「つるき大刀さやかに出る月のまへに/雲きれて行むら雨の空 玄同」

 卻說莊客糠助かくてひやくせうぬかすけは、なまじい信乃しのたすけて、犬を蟇六ひきろく背門せどに追入れ、計りし事は齟齬くひちがひて、犬を失ふのみならず、咎餘とばしりわが身に係らん、と思へばはやくにげかへりて、妻孥やから緣由ことのよしつげ、「もし庄官せうくわんより人來てとはば、らずと答へよ」、といひあへず、奧まりたる處に隱れて、衣引被きぬひきかつぎふして見つ、おきても心安からで、「いかに〳〵」と思ふ程に、果して蟇六ひきろくが小こもの來て、「糠助ぬかすけぬし宿所にありや。我內政わがうちがたよばせ給ふに、とく〳〵」といそがすを、しばしは「在らず」とあざむく物から、使つかひくしの齒をく如く、ふたゝたびに及びしかば、今はのがるゝ路もなし。「さはれ內うちがたよりとかいへば、そのことならじ」、と思へども、思ひかねつゝいでかぬるを、女房にいさめられ、小厮使こものづかひ引立ひきたてられて、やむことを得ず使とゝもに、蟇六が宿所へゆきけり。

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南総里見八犬伝(019)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十八回
東都 曲亭主人 編次
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ふて紀二郎きじらう糠助ぬかすけ屋棟やねいどむ」「犬塚番作」「しの」「ぬか助」

簸川原ひのかはら紀二郞きじらういのちおと
村長宅むらおさやしき與四郞疵よしらうきずかうふ

 應仁おふにんは二年にして、文明ぶんめいと改元せらる。文明二年、信乃しの十一歲、母なくなりて三年みとせ以來このかた、父につかへてます〳〵孝なり。さらぬだに番作ばんさくは、行步ぎやうぶ不自由なるものゝ、はやく鰥夫やもをとなりしより、年々とし〳〵に氣力おとろへ、齡五十よはひいそぢ滿みたずして、齒はぬけかうべ白くなりつ、病煩やみわづらふ日の多かるに、なほ手習子等てらこら集合つどへては、いとかしがましとて手本をとらせず。「さはれ年來としころ衆人もろひとの、扶助たすけによりて親子三人みたりうへこゝへずありけるに、その子孫こうまごをしえずして、たゞわが餘命をむさぼらば、人はたこれをよしといはんや。かゝればさとに利をのこして、彼等が恩義にむくはんには」、とかねてより思ひしかば、やまひひまあるをりをりに、水旱すいかん准備てあて荒年くわうねん夫食ぶしき、すべて農家日用の事をのみのべしるして、是を一卷ひとまきとし、里老等さとのおきならに贈りしかば、みなこれを見て嘆賞し、「犬塚生いぬつかうぢ手迹美事しゆせきみごとに、武藝ぶけいをよくすと思ひしに、農業蠶養こがひのうへまでも、人のしらざる所を得たり。この書は不益ふゑきたまものなり。寫し傳へて祕藏ひざうせよ。まこと可惜士あたらさむらひを、埋木もれきにすることよ」、といはざるものはなかりけり。
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人生は台詞、全てこの世は舞台(008)

◎ 福田善之「真田風雲録」

 芝居の舞台は、関ヶ原から、大坂冬・夏の陣。芝居が書かれたのは、1962年、時に日本は、「安保闘争」を経て、その「挫折」がかまびすしく言われた時代。この二つの時代を「パラレルワールド」として照応するように作られている。
 芝居は、ミュージカル仕立て、真田十勇士の行進曲「真田隊マーチ」(福田善之作詞、林光作曲)が、芝居を引っ張るように流れてゆく。

〽わッわッわ ずんぱぱッ
織田信長のうたいけり
人間わずか五十年
夢まぼろしのごとくなり
かどうだか 知つちやいないけど
やりてえことをやりてえな わッ
てンで カッコよく 死にてえな ぱッ
んぱ んぱ んぱ ずんぱぱッ

〽わッわッわッ ずんぱぱッ
異国のひじりのたまいぬ
見よや野の百合ゆり空の鳥
明日あしたは明日の風が
かどうだか 知っちやいないけど
生きてる気分になりてえな わッ
てンで イキがって 生きてえな ぱッ
んぱ んぱ んぱ ずんぱぱッ


Youtube での音声動画

 他人の心を読み取る事のできる猿飛佐助は、他の個性あふれる真田十勇士の一人として、活躍するが…

佐助 殿様、私に見えるのは文字じゃない、ことばじゃない。眼を凝らせばやっと見えるなにかぶわぶわと形の定まらないもの、その暗い色あいとひずみの具合調だけなんですよ……その読みかたは、自分の心からおしはかるしかないんですよ、結局。
幸村 はあ。
佐助 私は読み切れない心を探しているんですよ、待ちくらしてんです。その照りかえしでだらしない私の心にぽつりと一つ、判断のつかない黒点が生まれ、それがじわじわひろがる……それが私を変える、お日さまの方に向けてくれる、とくら、つまり社会化する――ってんですか?(照れて)ヘヘ、えヘヘありませんか、そういうものが、このたかぶった城のなかに…ねえだろうな、やっぱり。

佐助 (いつのまにかちやんと坐っていた)はい。……そうですね、まず道犬。あの男には感心する、おもて裏がない。私や殿様とのさまとは大ちがい。(笑って)……本当に味方をいわば純粋に団結させ、そのことによって力が増し味方がふえてくることを信じています。つまり、やがてかならず形勢は逆転し勝利は頭上にかがやくと……ただ、キメ手をもっていない。結局は、条件闘争とうそうにおちつかざるを得ないと思ってはいるんです……だいぶ殿様に当たりましたけど、あれも誠実だからで。
幸村 (笑って)しかし、いい気持ちのもんじゃないぞ、敵よばわりは。
佐助 はげしい言葉というものはさ、いっているうちに、自分で自分の言葉に刺激されて、ついついどんどん誇張しちやうもんでしょ。つまり敵を利する行為こういだ、敵と同じだ、敵だ――とついなって行くとね、いいすぎたと思ってもカッときてるから歯止めがきかない、で、ありがちなことは、そこでかえって、いやこいつほんとに敵かもしれない、徳川の手先、いや間者かも――なんてほんとに思っちゃう。思いこんじやう。言葉のあやまりを心が正当化しちゃうんです……行勒のまちがいを心は一般に認めたがりません。そこで心がまちかいにふみこんでしまう。道犬さん、話のはじめは殿とののこと敵だなんて思っていなかった、が終わりごろは半分ぐらいそう思うにいたりました。人がいいんです。(ほほえんで)そんな単純なものではない、というでしょうな、本人に聞かせたら。しかし.、 単純さは美徳なんです。
幸村 佐助、もちろん読めてるだろうが、おれはやはりいまいらいらしてるんだ。’
佐助 ええ。
幸村 やっぱりおれは不愉快ふゆかいだよ、不愉快になれることはいいことだ,しあわせだと思う……いまのおれはお前かなんてもみんなわかってしまうからおこることもできないお前が、やっぱり不愉快なんだ……お前も、(となにやらいいかけると)
佐助 ああ!そこで、不幸なやつだな、なんていわないこと……(幸村、突然とつぜん佐助になぐりかかる、佐助 、消えた)いいでしょあたしや役に立つんだから役に立つことだけで人につながることを殿は認めてくれる人だから、 私はつながってんだから……

お霧 (笑って)好きな人が行けば。
千姫  あら。(コロコロ笑う)
お霧  私ねえ……、その人の行くところへ行くのよ、どこでも、結局……だから自由じゃないのよね、でも自由だから困るの、つらいのよ。いったい自由ってなんなのよ。もうずいぶん長くずうつと、その人のことだけ思ってるの、あたし子どものときから、十二のときから。もう十四年。
千姫(愉しげにハミングしていた。大坂ことばで)やあ、ものすごいわあ。
お霧 せやろものすごいうそ、ちょっとおっきくいったのそんなことできるもんじやないわよ人間て、その人のことだけなんて。ううん、ほかの人は知らない、あたしは……だからその人はあたしがきらい。
千姫 あほくさ、でもだいたいはいちばん好きなんでしょうその人が……ならいいじやないね……うちのおつきの人たちかて、よういうてるわ、てもさめても夢うつつ、一生忘れられへん……で、すぐ忘れちゃうわよ……絶対の愛なんて……絶対とか純粋じゅんすいとかって、要するに記憶力の問題じゃない?都合の悪いことは忘れちゃう人が、つまり純粋なのよ、ね。だからあたしも秀頼さまに純粋、ヘヘ。
お霧 男って絶対をほしがるじやないのさ。
千姫 黙ってりやいいのよ。そういうもんよ。
お霧 (急にうつむいて口を押さえる)
千姫 どうしたの?お霧さん……(わかって)赤ちゃん?

天守閣の屋根の上に佐助がねころがっていたのがこのときわかる。

 結論めく書くと、この芝居には、二つのポイントがあるような気がする。一つは、幸村は決して「かっこよく」死ななかった。死ななかったこそ、「英雄」とならなかったのだし、第二、第三の幸村が出現する余地があるのだ。二つ目は、「男」の意地や理屈で動いていた世の中が、お霧こと霧隠才蔵(実は女性だった!)と千姫との会話に見られるように、別の地平が、わずかでもかいまみられたことだ。千姫は、実にあっけらかんとしているのが、「救い」で小気味良く感じられる。
 芝居は芝居、現実の歴史を「オルタナティブ」に変えるものではないが、少なくとも、その可能性を提示することが、「芝居」の醍醐味のひとつであろう。人生の些末時にも、こうしたことが生かされるかもしれない、また、大きく言えば、現実の政治の世界にも、「オルタナティブ」な道筋を提案し、しかも、それを現実化しようと努力している政治勢力に、一票を託するのも、この芝居上演から半世紀以上経った今、「効用」の一つであろう。

日本人と漢詩(129)

◎ 私と杜甫
 「長恨歌」(Cháng hèn gē) は、次回に回すこととして、ここでは、杜甫の「兵車行(Bīng chē xíng)」を採り上げることにした。


Bīng chē xíng Táng Dù fǔ
兵 車 行   唐 ・ 杜 甫
Chē lìn lìn Mǎ xiāo xiāo Xíng rén gōng jiàn gè zài yāo
車 轔 轔   馬 蕭 蕭   行 人 弓 箭 各 在 腰
Yé niáng qī zǐ zǒu xiāng sòng Chén āi bú jiàn xián yáng qiáo
耶 娘 妻 子 走 相 送   塵 埃 不 見 咸 陽 橋
Qiān yī dùn zú lán dào kū Kū shēng zhí shàng gān yún xiāo
牽 衣 頓 足 攔 道 哭   哭 聲 直 上 干 雲 霄
Dào páng guò zhě wèn xíng rén Xíng rén dàn yún diǎn xíng píng
道 旁 過 者 問 行 人   行 人 但 云 點 行 頻
Huò cóng shí wǔ běi fáng hé Biàn zhì sì shí xī yíng tián
或 從 十 五 北 防 河   便 至 四 十 西 營 田
Qù shí lǐ zhèng yú guǒ tóu Guī lái tóu bái huán shù biān
去 時 里 正 與 裹 頭   歸 來 頭 白 還 戍 邊
Biān tíng liú xuè chéng hán shuǐ Wǔ huáng kāi biān yì wèi yǐ
邊 庭 流 血 成 海 水   武 皇 開 邊 意 未 已
Jūn bù wén hàn jiā shān dōng èr bǎi zhōu Qiān cūn wàn luò shēng jīng qǐ
君 不 聞 漢 家 山 東 二 百 州   千 村 萬 落 生 荊 杞
Zòng yǒu jiàn fù bǎ jǔ lí Hé shēng lǒng mǔ wú dōng xī
縱 有 健 婦 把 鋤 犁   禾 生 隴 畝 無 東 西
Kuàng fù qín bīng nài kǔ zhàn  Bèi qū bú yì quǎn yú jī
況 復 秦 兵 耐 苦 戰   被 驅 不 異 犬 與 鷄
Zhǎng zhě suī yǒu wèn   Yì fū gǎn shēn hèn
長 者 雖 有 問   役 夫 敢 申 恨
Qiě rú jīn nián dōng   Wèi xiū guān xī zú
且 如 今 年 冬  未 休 關 西 卒
Xiàn guān jí suǒ zū   Zū shuì cóng hé chū
縣 官 急 索 租  租 稅 從 何 出
Xìn zhī shēng nán è  Fǎn shì shēng nǚ hǎo
信 知 生 男 惡   反 是 生 女 好
Shēng nǚ yóu dé jià bǐ lín Shēng nán mái mò suí bǎi cǎo
生 女 猶 得 嫁 比 鄰   生 男 埋 沒 隨 百 草
Jūn bú jiàn Qīng hǎi tóu Gǔ lái bái gǔ wú rén shōu
君 不 見   靑 海 頭   古 來 白 骨 無 人 收
Xīn guǐ fán yuān jiù guǐ kū Tiān yīn yǔ shī shēng jiū jiū
新 鬼 煩 冤 舊 鬼 哭   天 陰 雨 濕 聲 啾 啾

 詩の訓読、語釈、訳文は、 Wikibooksを参照のこと。

 この解説では、語釈や訳文のみならず、詩の訴える真情や社会的な意義について、存分な紹介である。付け加えることはほぼないが、ここでは詩のやや形式的な作り方など触れてみたい。
 三言、三言の「序曲」に続いて、七言の「叙事」的な歌いだしがあり、「邊流血成海水 武皇開邊意已」(Biān tíng liú xuè chéng hǎi shuǐ Wǔ huáng kāi biān yì wèi yǐ)(辺境での流血はおびただしく、まるで海の水のようだったが武帝の辺境への意欲は止まることがない。)とときの皇帝・玄宗への名指しはしないが、直截的な表現まで至る。続いて、「君不聞」(Jūn bù wén)とやや突き放し、五言で、農村の悲惨な現状に書き及び、白居易の「長恨歌」にも出てきた、「信知生男惡 反是生女好」(Xìn zhī shēng nán è Fǎn shì shēng nǚ hǎo)まで行き着き、投げかけるように「君不見 靑海頭 」(Jūn bú jiàn Qīng hǎi tóu)の転換を経て、最後の「決め文句」まで持ってゆくという、緊密な構造であろう。更に、「聲啾啾」(shēng jiū jiū)の畳韻を置くところが心憎い。なぜなら、最初に詩を起こす「車轔轔 馬蕭蕭」(Chē lìn lìn Mǎ xiāo xiāo)とで見事な対比になっている。その頃の戦車や馬、ひいては風という自然現象が、もう物言えぬ身になってしまった兵士に変わり、切々と哀情を訴えているのであろう。
 こう言えば身も蓋もないが、いつの世も、民衆を顧みず、己の野心・野望に駆られた為政者には事欠かないのは残念であるが、然るべき日に悔いなき選択をしたいものである。