南総里見八犬伝(013)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十二回
東都 曲亭主人 編
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草花さうくわをたづねて伏姫ふせひめ神童かんわらはにあふ」「伏姫」

富山とやまほら畜生菩提心ちくせうぼだいしんおこ
流水ながれさかのぼり神童未來果じんどうみらいくわ

 濁世煩惱色欲界ぢよくせぼんなうしきよくかいたれ五塵ごぢん火宅くわたくのがれん。祇園精舍ぎおんせうしやかねこゑは、諸行无常しよぎやうむじゃうひゞきあれども、あくまで色を好むものは、後朝きぬぎぬの別れををしむがゆゑに、たゞこれをしもあたとし憎にくめり。沙羅雙樹さらそうじゆの花の色は、盛者必衰しやうじゃひつすいことわりをあらはせども、いたづらめづるものは、風雨ふううすぎなんことをねたむがゆゑに、ひとへ延年ゑんねんの春をちぎれり。くわんずれば夢の世、觀ぜざるもまた夢の世に、いづれまぼろしならざりける。思ひうちにあるものは、龍華りうげ三會さんゑふといへども、凡夫出離ぼんぶしゆつり直路ちよくろをしらず。さめて復またさとるものは、虎穴龍潭こけつりうたんりといへども、瑜伽成就ゆかじやうじゆの快けらく多かり。かくまでに世を思ひすてて、富山とやまの奧にふたとせの、春とし秋を送るかな。

 さて里見治部大輔義實さとみぢぶのたいふよしさねのおん息女伏姬むすめふせひめは、親のため、又國の爲に、ことまこと黎民たみくさに、失はせじと身をすてて、八房やつふさの犬にともなはれ、山道やまぢさし入日成いりひなす、隱れしのちは人とはず。岸の埴生はにふと山川の、狹山さやまほら眞菅敷ますげしき臥房ふしど定めつ冬籠ふゆごもり、春去來さりくれば朝鳥あさとりの、友呼ぶ頃は八重霞やへかすみ高峯たかねの花を見つゝおもふ、彌生やよひは里のひな遊び、垂髮少女うなひをとめ水鴨成みかもなす二人雙居ふたりならびゐ今朝けさむ、名もなつかしき母子草はゝこぐさ誰搗たがかちそめしかの日の、もちひにあらぬ菱形ひしかたの、尻掛石しりかけいしはだふれて、やゝ暖き苔衣こけごろもぬぎかえねども、夏の夜の、袂涼たもとすゞしき松風に、くしけづらして夕立ゆふだちの、雨に洗ふてかみの、おどろもと鳴蟲なくむしの、秋としなれば色々に、谷のもみぢ葉織映ばおりはえし、にしきとこ假染かりそめの、宿としらでや鹿しかぞ鳴く、水澤みさは時雨霽間しぐれはれまなき、はては其そこともしら雪に、岩がね枕角まくらかどとれて、眞木まき正木まさきも花ぞさく、四時しじ眺望ながめはありながら、わびしくれば鹿自物しゝじもの膝折布ひざをりしきたゝず、のちの爲とばかりに、經文讀誦書寫きやうもんどくじゆしよしやこう日數ひかず積ればうき事も、うきなれつゝしとせず、浮世うきよの事はきゝしらぬ、鳥の音獸ねけものの聲さへに、一念希求いちねんけくの友となる、心操こゝろばえこそ殊勝しゆせうなれ。

 これより先八房さきやつふさは、伏姬ふせひめのして、この山に入りしとき、廣き流水ながれおびにしたる、山峽やまのかひほらありけり。石門せきもんおのづからのみもてれるごとく、松柏西北せうはくいぬゐそびえかきをなせり。この洞南面ほらみなみおもてにして、そのうち亦闇またくらからず。犬はこゝにとゞまりて、前足をりふしにければ、姬うへはその意をさとりて、しづかにをりたちて見給ふに、昔もすみたる人やありけん、うちには斷離ちぎれたる圓坐わらふたと、燒捨たきすてたる灰、はつかに殘れり。「世をすてつ、世にすてられて、この山に、山ごもりしつるもの、わが身ひとつにあらざりき」、とひとりごちて進み入り、そがまゝしめ給へば、犬は姬のかたへにをり。瀧田たきだたちいづるとき、法華經八軸ほくゑきやうはちゞくと、料紙硯れうしすゞりは身を放さず、此處までも持來もてき給へば、この月下げつか讀經どきやうして、おぼつかなくもあかし給ふ。彼感得かのかんとくせし水晶すいせう珠數ずゞは、かけて今なほえりにあり。たのむ所は神佛かみほとけ擁護おうごのみ。「人の言語ことばを大かたならず、きゝわきつらんと思へども、もしこの畜生ちくせうわれをすかして、深山みやまの奧へともなひ來つる、さらずとも、情欲の、不覺そゞろおこることあらば、つひにはじめの誓ひを忘れん。婬心たはけきこゝろさしはさみて、わが身に近づくことあらば、しゆうあざむくの罪かれにあり。たゞかたなさしころさん」、と思ひつめてはうち騷ぐ胸をしづめひそやかに、護身刀まもりがたなの袋のひもを、解捨ときすて右手めて引著ひきつけて、又讀經どきやうしてをはします。その氣色けしきをやしりたりけん、八房は近くもよらず、只惚々たゞほれ〴〵と姬の顏を、ふして見つ、又おきて見つ、舌をはきよだれを流し、あるひは毛をねぶり、はなねぶ只喘たゞあへぐことしきり也。かくまもりつめてあかしつ。そのあした八房は、とくおきて谷にくだり、木果このみ蕨根わらびのねとりて、ついばみもて來て、姬君にぞまゐらする。恁地かくのごとくすること、一ひとひおこたらず、けふとくらし、あすあかして、百日あまりる程に、八房はいつとなく、讀經の聲に耳をかたふけ、心をすませるものゝごとく、また姬うへをみかへらず。伏姬思ひ給ふやう、「彼關寺かのせきでら牛佛うしほとけは、のせ榮花物語ゑいくわものかたりみねの月の卷に在り。いはんや又犬の梵音ぼんおんよろこべる事、古き草紙さうしあまた見ゆめり。佛の慈悲は、穢土穢物ゑどゑもつを嫌ひ給はず。されば天飛あまとぶ鳥、地を走るけだもの草葉くさばすだく蟲、江河わたつみ鱗介うろくずまで、悉皆成佛しつかいじやうぶつせざることなし。今この犬が欲を忘れて、讀經の聲を聽くをたのしみ、如々入歸によ〳〵につきの友となる事、皆おんきやう威力ゐりきによれり。倂穉しかしながらおさなき時に、吾儕わなみのすくせを示させ給ひし、役行者えんのぎやうじや冥助めうぢよにこそ」、と最忝いとかたじけなく思ひとりて、いよ〳〵讀經どきやうおこたり給はず、あしたにはかの珠數ずゞをおしもみて、はるか洲崎すさきかたに祈念し、又あるときは、父母ちゝはゝのおんために、きやう偈文げもん謄寫かきうつして、前なる山川におし流し、春は花を手折たをりて、佛に手向たむけ奉り、秋はる月にうそふきて、そゞろ西天にしのそらこふめり。されば山果膝さんくわひざおち朝三ちやうさんしよく秋風しうふうき、柴火爐さいくわろ宿きえのこりて、夜薄やはくころも寒氣かんきを防ぐ。仄步しよくほけはしけれども、わらび首陽しゆように折るのうらみなく、岩窓がんそうむめ遲けれども、とつぎ胡語こごを學ぶのかなしみなし。姬はおん年二十としはたち滿みたず、容顏固やうがんもとよりたまあざむく、巫山ふさん神女しんによが雲となりし、夢の面影をとゞめ、小野小町をのゝこまちが花にたぐへし、歌の風情ふぜいを殘せり。金屋きんおくうち雞障けいせうもとに、やしなはれ給ひし日は、さらにもいはず、今山居やまこもり久しうなりて、衣裳いせうあかつき破れたれども、肌膚はだへ殘雪のこんのゆきよりしろく、雲鬟梳くろきかみつくしけづるによしなけれども、綠鬢春花みどりのびんつらはるのはなよりかふばし。細腰ほそきこしいよ〳〵やせて、風にたへざる柳のごとく、玉指たまのゆびます〳〵ほそりて、かきなやめたけのこに似たり。その素性すぜうをいふときは、安房あは國主こくしゆ里見氏さとみうぢ嫡女ちやくぢよたり。心操こゝろばえあげつろへば、橫佩よこはぎのおん息女むすめ中將姬ちうぜうひめにもはづることなし。草書はしりかき又讀書またふみよむことは、おん父のさえうけて、おのづから理義りぎ怜悧さかしく、刺縫ぬひはり管絃いとたけは、母君はゝぎみの手にならはせられて、その調しらべいとたへ也。かくまでめでたき未通女をとめにてましますに、いかなれば月下翁むすぶのかみねたまれて、非類ひるいの八房にともなはれ、よに淺ましくなりゆき給へる。なほ精細つまびらかに、寫しいださんとするに、筆しぶり心いためり。當時の光景想像ありさまおもひやるべし。

 さる程にその年はくれて、岸の小草漸萌出をくさやゝもえいで、谷の樹芽このめみどりをますころ有一日伏姬あるひふせひめは、すゞりに水をそゝがんとて、いで石滂しみづむすび給ふに、橫走よこはしりせし止水たまりみづに、うつるわが影を見給へば、そのかたちは人にして、かうべまさしく犬なりけり。思ひかけねばたへぬばかりに、「吐嗟あなや」と叫びてはしり退きつ、又たちよりて見給ふに、その影われに異なることなし。「こはわが心のまよひなりけん。可惜膽あたらきもつぶしにけり」、と思ひかへして、佛の名號みなとなへつゝ、この日は經文きやうもん書寫しよしやし給ふに、胸膈むねのあたりくるほしくて、つぐの日も心地例こゝちつねならず。このころよりして又月水つきのさわりたえて見ることなし。月日やうやくかさなるまゝに、腹はりたへがたし。「こは脹滿ちやうまんなどいふものにやあらん。とく死ねかし」、と思ひ給ふに、さもなくて、春は暮れ、夏すぎて、いとゞ悲しき秋にぞなりぬ。「かゞなふれば、去年こぞのこの月、瀧田たきたたちいでたりき。身の病著いたつきに思ひくらべて、只痛いたましきは母うへなり。なきつゝ送りおくられし、おん面影のみ目にそひて、忘れんとするに忘られず。母うへも如此しかぞをはしますらん。かへらぬことをかへす〴〵も、思ひつゞけ思ひ細りて、やみわづらひ給はずや。家尊かぞの君、家弟義成いろとよしなり、いとなつかしく思ふのみ。おなじ國、おなじこふりありながら、里遠離とほざか山鷄やまとりの、雌雄めをにはあらぬ親同胞おやはらから峯上隔をのへへだてて影をだに、見るよしもなき哀別離苦あいべつりく强面つれなきものは、蜻蛉かぎろひの、命にこそ」、と思ふ事、胸にあまりつ、もも傳ふ、岩にひたひをおしあてて、一聲ひとこゑよゝと泣給ふ。しばらくして目をぬぐひ、「あやまてり、愚癡ぐちなりき。棄恩入無爲報恩者ぎおんにうむゐほうおんしや、とほとけとかせ給ふなる。恩愛別離のかなしみも、不二要門ふじえうもん意樂ゐげうかえんや。かうなる事はみな親のおん爲なるになつかし、と思ひ奉るは罪ふかゝり。三世さんせ諸佛しよぶつゆるさせ給へ。八房は求食あさりかねてや、さきいでていまだかへらず。かれわがために食をもとめて、ざるときはかへり來ず。吾儕亦御佛わなみまたみほとけに、つかふるこゝろおこたらんや。つゆにはそぼつころながら、深山みやまは草の花もまれなり。たづね手向たむけ奉らん」、とひとりごちつゝやうやくに、いとおもやかなる身を起し、流水ながれにそふて綜麻形そまかたの、しげきがもとの菊の花、手折たをらんとてぞ、二三町、裳濡ものすそぬらして進み給ふ。

 浩處かゝるところいぬゐなる、重山やへやま根方ねかたに當りて、ふえ音幽ねかすかに聞えけり。伏姬耳をそはだてて、「あやしやこの山には、樵夫きこりらず、山兒やまがつすまひせず。わがこの處へ來つる日より、きのふまでもけふまでも、人にあふことなかりしに、思ひがけなく笛のの、こなたをさしきこゆるは、草刈くさかるものゝ迷ひ入りしか。さらずは魔魅山鬼まみやまずみ障礙せうげして、わが道心どうしんを試すにやあらんずらん。とてもかくてもすてたる身なり。何はゞかりて迯隱にげかくるべき。まづそのやうを見ばや」とて、そなたにむきて立給ふ。笛はます〳〵吹澄ふきすまして、あはひちかくなるまゝに、と見れば一ひとり蒭童くさかりわらべ、その年は十二三なるべし、腰にはかまふぐせさしくらには兩箇ふたつかごかけ、手に一管いちくわんの苗をり、黑きことひしりかけて、林間このまいでてあゆませ來つ、伏姬を尻目しりめかけて、なほ草笛くさふえをとゞめず、牛を流水ながれ逐入おひいれて、わたさんとする程に、伏姬心いそがはしく、「こや〳〵」、とよびかへし、「そなたはいづれの里の子ぞ。人迹絕じんせさたえたるこの深山路みやまぢへ、ひとり來るだもこゝろ得がたきに、路になれたるものゝ如し。吾儕わなみをしるや」、と問給へば、童子は莞尒につことうち笑みて、しづかに笛をえりさし、「われでふみしらざらん。おん身みかへつてわれをらず。人のうへわがうへを、今つまびらかつげまうさずは、たれまたおん身がために、このうたがひとくものあるべき。そもそもこの山は、樵夫獦夫きこりかりひといへばさら也、旅ゆくものもまれこゆれど、おん父君義實朝臣ちゝぎみよしさねあそん、おん身が人に見られんことを、はぢかゞやかしく思食おぼしめし、去こぞよりしてこの山へ、人の入ることをゆるし給はず。こゝをもて人迹絕じんせきたえたり。しかはあれどもおん母君は、たゞなつかしく思食おぼしめし、姬の安否あんひへかしとて、專女乳母等おさめめのとら*いくたびか、密使しのびつかひたてられたれども、はじめ蜑崎あまさき十郞が、殿とのおふせうけたまはり、しのびておん身を送りしとき、この山川におぼれて死せり。これにおそれて後々のち〳〵まで、わたすものなきゆゑに、密使しのびつかひはいたづらに、あなたの岸よりかへるのみ、おん身の安否をしるによしなし。これまた天なり時也。さてわがうへをつげまうさん。われは只牛馬たゞぎうばの爲に、くさかるものに候はず。わが師はこの山のふもとにをり、又あるときは洲崎すさきにあり。その壽幾百歲じゆいくひやくさいなるをしらず。常には人の疾病やまひ療治りやうぢし、又賣卜ばいぼくして生活なりはひとし給へり。もし藥劑くすりさづくるときは、死を救ひ、じゆたもたしめ、萬病せずといふことなし。又めどきとるときは、未然みぜんを察し、既往きわうつまびらかにす。百事あたらずといふことなし。けふはわれ師のめいうけて、藥を採らん爲にきたれり。まことにこの山は、人の往還わうくわん禁斷なれども、程遠からずもとのごとく、山掙やまかせぎを許さるべし。わが師これをしるゆゑに、藥をとらし給ふ」といふ。伏姬きゝて嘆息し、「現二親げにふたおやのおん慈悲ばかり、月日と共にてらさぬくまなし。身をけがされずいさぎよく、かくてをるとも知召しろしめさねば、如此計しかはからはせ給ひけん。さればとて、わが身ひとつのゆゑをもて、蜑崎輝武あまさきてるたけ溺死できしさせ、樵夫草雄きこりさちを生活なりはひ便著たつきうしなはするのみならず、旅ゆくものゝ足さへに、とゞむるは罪ふかゝり。許させたまへ」、といひかけて、うち酸鼻なみだくみ給ひけり。

 しばらくして又童子にむかひ、「そなたは名毉めいゐつかふるといへば、人の疾病やまひることも、さぞおとなびてあらんずらん。今試みにとふべき事あり。吾儕わなみこの春のころより、たえ月水つきのさわりを見ず、胸くるほしくわづらはしく、月々つき〴〵に身はおもくなりぬ。こはなにといふ病症ならん」、ととはせ給へばうち微笑ほゝえみ、「婦人經行閉塞けいこうとゞこふりて、後一兩月のちいちりやうげつ惡心むねわるくしてきものを好む。にこれを惡阻つはりといふ。三四个月かつきにして、その腹既に大きく、五个ごかつきにしてその子やゝ動くことあり。婦人おの〳〵これをしれり。これらは醫に問ふまでもなし。おん身は既に懷妊くわいにんして、五六个月かつきに及び給へり。なにの疑ひあるべき」、といふを伏姬きゝあへず、「ませたることをいふものかな。吾儕わなみ良人つまはなきぞかし。去歲こぞのこの月この山に、入りにし日より人を見ず。一念稱名讀經いちねんせうめうどきやうほかは、他事あだしことなきものを、なにによりて有身みごもるべき。あな鳴呼をかしや」、とたへかねて、思はず「ほゝ」と笑ひ給へば、童子はうち見て冷笑あざわらひ、「なでふおん身にをとこなからん。既に親より許されたる、八房はこれなにものぞ」、となじれば姬はかたちを改め、「そなたはたゞそのはじめしりて、そののちの事しらざるよ。云云かにかくゆゑありて、二親ふたおや得禁えとゞめ給はず、よに淺ましく家犬かひいぬと、共に深山みやまに月日を送れど、おんきやう擁護おふごによりて、さいはひに身をけがされず、かれまたおん經を、聽くことをのみよろこべり。縱證据たとひあかしはなしといふとも、わが身は淸くいさぎよく、神こそしらせ給はんに、なぞや非類の八房ゆゑに、身おもくなりしなんどゝは、きくもうとまし、けがらはし。よしなきわらべに物いひかけて、くやしかりき」、と腹立はらたてて、うち淚ぐみ給ふになん、童子はます〳〵うち笑ひ、「われはよくるところあり、又精細つまびらかにしるよしあり。おん身こそその一をしりて、いまだその二をしらざるなり。さらばまどひをときまゐらせん。夫物類相感それぶつるいさうかん玄妙たへなるは、只凡智たゞほんちをもて測るべからず。たとひば火をとるものは、石とかね也。しかれども檜樹ひのきのごときは、友木ともき相倚あいよるをもて、またそのうちより火をいだせり。又はとふん、年を經て、つむことあまたなれば、火もえいづ。これらはまこと理外りぐわいの理なり。物は陰陽相感いんようさうかんせざれば、たえて子をうなことなし。但草木たゞさうもくは非情にして、松竹まつたけ雌雄めをの名あり。さはれ交媾まじはるものにあらず、これらもまたよくを結べり。加以これのみならずつる千歲せんざいにしてまじはらず、相見てよくはらむことあり。かゝるゆゑに、秋士しうしめとらずして、神遊たましひかよひ、春女しゆんぢよとつがずして懷孕はらめり。きかずや唐山楚王もろこしそわうきさきは、常にくろかねの柱にることをよろこびて、つひ鐵丸てつのまろがせうみしかば、干將莫邪かんせうばくやつるぎに作れり。我邦わがくに近江あふみなる賤婦しづのめは、人に癪聚しやくじゆおさすることを歡びて、つひかひなうみしかば、手孕村てはらみむらの名をのこせり。皆是みなこれ物類相感さうかんして致すところ、たゞ目前の理をもておすべからず。おん身が懷胎くわいたいし給ふも、このたぐひなるものを、なに疑ひの侍るべき。おん身はまことおかされ給はず、八房やつふさまた今は欲なし。しかれども、おん身既にかれに許して、このやまなかともなはれ、かれも亦おん身をて、こゝろにおのがつまとおもへり。かれはおん身をめづゆゑに、そのきやうを聽くことを歡び、おん身はかれ歸依きえする所、われに等しきをもてあはれみ給ふ。この情すでに相あひかんず。相倚あひよることなしといふとも、なぞ身おもくならざるべき。われつら〳〵さうするに、胎內たいないなるは八子やつごならん。しかはあれども、感ずるところじつならず。虛々相偶きよきよあいあふなるゆゑに、その子全くかたち作らず。かたち作らずしてこゝに生れ、生れてのちに又生れん。是宿因これしゆくいんの致す所、善果ぜんくわなるる所也。いんとはなんぞや。たとひば八房が前身さきのよは、その性僻さがひがめる婦人也。かれはおん父|義實朝臣よしさねあそんを、うらむることあるをもて、冤魂一隻ゑんこんいつひきの犬となりて、おん身親子をはづかしむ。是則これすなはち宿因なり。くわとはなんぞや。八房既におん身をて、つひにおん身を犯すことなく、法華經讀誦はけきやうどくじゆ功德くどくによりて、やうやくにその夙怨うらみはらし、共に菩提心ぼだいしんおこすが爲に、今このやつの子をのこせり。やつすなはち八房のやつかたとり、又法華經のまきかずなり。それ萬卒ばんそつはいとやすく、一將いつせうたやすく得がたし。もし後々のち〳〵に至らんに、その子おの〳〵智勇にひいで、忠信節操、里見さとみたすけて、八州はつしうにかゞやかさば、みなこれおん身がたまものなり。だれかその母をつたなしとせん。是則善果これすなはちぜんくわ也。抑禍福そもそもくわふくは、あざなへなはの如し。何人なにひとか今のわざはひを見て、のちさいはひなるよしをしるべき。世の嘲哢あざけり好憎こうぞうより起り、物の汚穢けがれは、潔白けつはくより成る。しからば誹誘そしりいとふに足らず、恥辱もたゞよく忍ぶべし。隱れたるより、あらはれたるなし。こもれるものはかならずいづ。これもまた自然のみ。犬は懷胎くわいたい六十日、人は懷胎十月とつき也。人畜にんちくそのしなありといへども、あはしてこゝにおすときは、おん身が懷胎六个月ろくかつき、この月にしてその子產れん。その產るゝ時はからずして、親とをとこにあひ給はん。これより已前いぜん未來みらい未果みくわ也。あまりにことつばらにせば、天機をもらすのおそれあり。わがのちに又人ありて、その子のうへをしることあるべし。今はしもこれまでなり。秋の日影の短きに、ながものがたり嗚呼をこなりき。さぞなわが師のまち給はんに、はやまからん」、といひかけて、牛のはなつらひきかへし、山川へさとれて、わたすと見れば玉かつら、影は狹霧さぎり立寵たちこめられて、往方ゆくへもしらずなりにけり。

里見八犬傳第二輯卷之一終

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第十二回)

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