南総里見八犬伝(013)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十二回
東都 曲亭主人 編
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「草花さうくわをたづねて伏姫ふせひめ神童かんわらはにあふ」「伏姫」

富山とやまの洞ほらに畜生菩提心ちくせうぼだいしんを發おこす
流水ながれに泝さかのぼりて神童未來果じんどうみらいくわを說とく

 濁世煩惱色欲界ぢよくせぼんなうしきよくかい、誰たれか五塵ごぢんの火宅くわたくを脫のがれん。祇園精舍ぎおんせうしやの鐘かねの聲こゑは、諸行无常しよぎやうむじゃうの響ひゞきあれども、飽あくまで色を好むものは、後朝きぬぎぬの別れを惜をしむが故ゆゑに、只たゞこれをしも讐あたとし憎にくめり。沙羅雙樹さらそうじゆの花の色は、盛者必衰しやうじゃひつすいの理ことわりを顯あらはせども、徒いたづらに香かを愛めづるものは、風雨ふううの過すぎなんことを妬ねたむが故ゆゑに、偏ひとへに延年ゑんねんの春を契ちぎれり。觀くわんずれば夢の世、觀ぜざるも亦また夢の世に、孰いづれか幻まぼろしならざりける。思ひ內うちにあるものは、龍華りうげの三會さんゑに値あふといへども、凡夫出離ぼんぶしゆつりの直路ちよくろをしらず。覺さめて復悟またさとるものは、虎穴龍潭こけつりうたんに在ありといへども、瑜伽成就ゆかじやうじゆの快樂けらく多かり。斯かくまでに世を思ひ捨すてて、富山とやまの奧に二ふたとせの、春とし秋を送るかな。

 扠さても里見治部大輔義實さとみぢぶのたいふよしさねのおん息女伏姬むすめふせひめは、親の爲ため、又國の爲に、言ことの信まことを黎民たみくさに、失はせじと身を捨すてて、八房やつふさの犬に伴ともなはれ、山道やまぢを指さして入日成いりひなす、隱れし後のちは人訪とはず。岸の埴生はにふと山川の、狹山さやまの洞ほらに眞菅敷ますげしき、臥房ふしど定めつ冬籠ふゆごもり、春去來さりくれば朝鳥あさとりの、友呼ぶ頃は八重霞やへかすみ、高峯たかねの花を見つゝおもふ、彌生やよひは里の雛ひな遊び、垂髮少女うなひをとめが水鴨成みかもなす、二人雙居ふたりならびゐ今朝けさぞ摘つむ、名もなつかしき母子草はゝこぐさ、誰搗たがかちそめし三みかの日の、餠もちひにあらぬ菱形ひしかたの、尻掛石しりかけいしも膚はだふれて、稍やゝ暖き苔衣こけごろも、脫ぬぎかえねども、夏の夜の、袂涼たもとすゞしき松風に、梳くしけづらして夕立ゆふだちの、雨に洗ふて乾ほす髮かみの、蓬おどろが下もとに鳴蟲なくむしの、秋としなれば色々に、谷のもみぢ葉織映ばおりはえし、錦にしきの床とこも假染かりそめの、宿としらでや鹿しかぞ鳴く、水澤みさはの時雨霽間しぐれはれまなき、果はては其處そこともしら雪に、岩がね枕角まくらかどとれて、眞木まきも正木まさきも花ぞさく、四時しじの眺望ながめはありながら、わびしく處をれば鹿自物しゝじもの、膝折布ひざをりしきて外とに立たゝず、後のちの世よの爲とばかりに、經文讀誦書寫きやうもんどくじゆしよしやの功こう、日數ひかず積ればうき事も、憂うきに馴なれつゝ憂うしとせず、浮世うきよの事は聞きゝしらぬ、鳥の音獸ねけものの聲さへに、一念希求いちねんけくの友となる、心操こゝろばえこそ殊勝しゆせうなれ。

 是これより先八房さきやつふさは、伏姬ふせひめを脊せに乘のして、この山に入りしとき、廣き流水ながれを帶おびにしたる、山峽やまのかひに洞ほらありけり。石門せきもんおのづから鑿のみもて彫ゑれるごとく、松柏西北せうはくいぬゐに聳そびえて牆かきをなせり。この洞南面ほらみなみおもてにして、その裡うちも亦闇またくらからず。犬はこゝに住とゞまりて、前足折をりて伏ふしにければ、姬うへはその意を曉さとりて、徐しづかにをり立たちて見給ふに、昔も住すみたる人やありけん、裡うちには斷離ちぎれたる圓坐わらふたと、燒捨たきすてたる灰、はつかに殘れり。「世を拾すてつ、世に捨すてられて、この山に、山ごもりしつるもの、わが身ひとつにあらざりき」、とひとりごちて進み入り、そが儘まゝに坐ざを占しめ給へば、犬は姬の傍かたへにをり。瀧田たきだの館たちを出いづるとき、法華經八軸ほくゑきやうはちゞくと、料紙硯れうしすゞりは身を放さず、此處までも持來もてき給へば、この夜よは月下げつかに讀經どきやうして、おぼつかなくも明あかし給ふ。彼感得かのかんとくせし水晶すいせうの珠數ずゞは、掛かけて今なほ襟えりにあり。憑たのむ所は神佛かみほとけの擁護おうごのみ。「人の言語ことばを大かたならず、聞きゝわきつらんと思へども、もしこの畜生ちくせうわれを賺すかして、深山みやまの奧へ伴ともなひ來つる欤か、さらずとも、情欲の、不覺そゞろに發おこることあらば、遂つひにはじめの誓ひを忘れん。婬心たはけきこゝろを挾さしはさみて、わが身に近づくことあらば、主しゆうを欺あざむくの罪渠かれにあり。只たゞ一ト刀かたなに刺さし殺ころさん」、と思ひ決つめてはうち騷ぐ胸を鎭しづめて潛ひそやかに、護身刀まもりがたなの袋の緖ひもを、解捨ときすてて右手めてへ引著ひきつけて、又讀經どきやうしてをはします。その氣色けしきをや知しりたりけん、八房は近くも得えよらず、只惚々たゞほれ〴〵と姬の顏を、臥ふして見つ、又起おきて見つ、舌を吐はき、涎よだれを流し、或あるひは毛を舐ねぶり、鼻はなを舐ねぶり只喘たゞあへぐこと頻しきり也。かくまもりつめて明あかしつ。その旦あした八房は、とく起おきて谷に下くだり、木果このみ蕨根わらびのねを采とりて、銜ついばみもて來て、姬君にぞまゐらする。恁地かくのごとくすること、一日ひとひも懈おこたらず、けふと暮くらし、翌あすと明あかして、百日あまり經ふる程に、八房はいつとなく、讀經の聲に耳を傾かたふけ、心を澄すませるものゝごとく、復また姬うへを眷みかへらず。伏姬思ひ給ふやう、「彼關寺かのせきでらの牛佛うしほとけは、載のせて榮花物語ゑいくわものかたり、峯みねの月の卷に在り。いはんや又犬の梵音ぼんおんを歡よろこべる事、古き草紙さうしに形あまた見ゆめり。佛の慈悲は、穢土穢物ゑどゑもつを嫌ひ給はず。されば天飛あまとぶ鳥、地を走る獸けだもの、草葉くさばに聚すだく蟲、江河わたつみの鱗介うろくずまで、悉皆成佛しつかいじやうぶつせざることなし。今この犬が欲を忘れて、讀經の聲を聽くを樂たのしみ、如々入歸によ〳〵につきの友となる事、皆おん經きやうの威力ゐりきによれり。倂穉しかしながらおさなき時に、吾儕わなみのすくせを示させ給ひし、役行者えんのぎやうじやの冥助めうぢよにこそ」、と最忝いとかたじけなく思ひとりて、いよ〳〵讀經どきやうを怠おこたり給はず、旦あしたにはかの珠數ずゞをおし揉もみて、遙はるかに洲崎すさきの方かたに祈念し、又あるときは、父母ちゝはゝのおん爲ために、經きやうの偈文げもんを謄寫かきうつして、前なる山川におし流し、春は花を手折たをりて、佛に手向たむけ奉り、秋は入いる月に嘯うそふきて、坐そゞろに西天にしのそらを戀こふめり。されば山果膝さんくわひざに落おちて朝三ちやうさんの食しよく、秋風しうふうに飽あき、柴火爐さいくわろに宿きえのこりて、夜薄やはくの衣ころも、寒氣かんきを防ぐ。仄步しよくほ山嶮けはしけれども、蕨わらびを首陽しゆように折るの怨うらみなく、岩窓がんそうに梅むめ遲けれども、嫁とつぎて胡語こごを學ぶの悲かなしみなし。姬はおん年二十としはたちに滿みたず、容顏固やうがんもとより玉たまを欺あざむく、巫山ふさんの神女しんによが雲となりし、夢の面影を留とゞめ、小野小町をのゝこまちが花に比たぐへし、歌の風情ふぜいを殘せり。金屋きんおくの內うち、雞障けいせうの下もとに、養やしなはれ給ひし日は、更さらにもいはず、今山居やまこもり久しうなりて、衣裳いせうは垢あかつき破れたれども、肌膚はだへは殘雪のこんのゆきより皓しろく、雲鬟梳くろきかみつくしけづるに由よしなけれども、綠鬢春花みどりのびんつらはるのはなより芳かふばし。細腰ほそきこしいよ〳〵瘦やせて、風に堪たへざる柳のごとく、玉指たまのゆびます〳〵細ほそりて、笆かきに惱なやめる笋たけのこに似たり。その素性すぜうをいふときは、安房あはの國主こくしゆ、里見氏さとみうぢの嫡女ちやくぢよたり。心操こゝろばえを論あげつろへば、橫佩よこはぎのおん息女むすめ、中將姬ちうぜうひめにも愧はづることなし。草書はしりかき、又讀書またふみよむことは、おん父の才さえを稟うけて、おのづから理義りぎに怜悧さかしく、刺縫ぬひはり又管絃いとたけは、母君はゝぎみの手に習ならはせられて、その調しらべいと妙たへ也。かくまで愛めでたき未通女をとめにてましますに、いかなれば月下翁むすぶのかみに妬ねたまれて、非類ひるいの八房に伴ともなはれ、よに淺ましくなりゆき給へる。なほ精細つまびらかに、寫し出いださんとするに、筆澁しぶり心痛いためり。當時の光景想像ありさまおもひやるべし。

 さる程にその年は暮くれて、岸の小草漸萌出をくさやゝもえいで、谷の樹芽このめも翠みどりをます比ころ、有一日伏姬あるひふせひめは、硯すゞりに水を滴そゝがんとて、出いでて石滂しみづを掬むすび給ふに、橫走よこはしりせし止水たまりみづに、うつるわが影を見給へば、その體かたちは人にして、頭かうべは正まさしく犬なりけり。思ひかけねば堪たへぬばかりに、「吐嗟あなや」と叫びてはしり退のきつ、又立たちよりて見給ふに、その影われに異なることなし。「こはわが心の惑まよひなりけん。可惜膽あたらきもつぶしにけり」、と思ひかへして、佛の名號みなを唱となへつゝ、この日は經文きやうもんを書寫しよしやし給ふに、胸膈むねのあたりくるほしくて、次つぐの日も心地例こゝちつねならず。この比ころよりして又月水つきのさわりを絕たえて見ることなし。月日やうやく累かさなるまゝに、腹張はりて堪たへがたし。「こは脹滿ちやうまんなどいふものにやあらん。とく死ねかし」、と思ひ給ふに、さもなくて、春は暮れ、夏過すぎて、いとゞ悲しき秋にぞなりぬ。「僂かゞなふれば、去年こぞのこの月、瀧田たきたの館たちを出いでたりき。身の病著いたつきに思ひくらべて、只痛いたましきは母うへなり。泣なきつゝ送りおくられし、おん面影のみ目に添そひて、忘れんとするに忘られず。母うへも如此しかぞをはしますらん。かへらぬことをかへす〴〵も、思ひつゞけ思ひ細りて、病やみわづらひ給はずや。家尊かぞの君、家弟義成いろとよしなり、いとなつかしく思ふのみ。おなじ國、おなじ郡こふりに在ありながら、里遠離とほざかる山鷄やまとりの、雌雄めをにはあらぬ親同胞おやはらから、峯上隔をのへへだてて影をだに、見るよしもなき哀別離苦あいべつりく、强面つれなきものは、蜻蛉かぎろひの、命にこそ」、と思ふ事、胸にあまりつ、百もも傳ふ、岩に額ひたひをおし當あてて、一聲ひとこゑよゝと泣給ふ。且しばらくして目を拭ぬぐひ、「噫あ、愆あやまてり、愚癡ぐちなりき。棄恩入無爲報恩者ぎおんにうむゐほうおんしや、と佛ほとけは說とかせ給ふなる。恩愛別離のかなしみも、不二要門ふじえうもんの意樂ゐげうに換かえんや。かうなる事はみな親のおん爲なるになつかし、と思ひ奉るは罪ふかゝり。三世さんせの諸佛しよぶつゆるさせ給へ。八房は求食あさりかねてや、嚮さきに出いでていまだかへらず。渠かれわが爲ために食を求もとめて、獲えざるときはかへり來ず。吾儕亦御佛わなみまたみほとけに、仕つかふるこゝろ怠おこたらんや。露つゆにはそぼつ比ころながら、深山みやまは草の花も稀まれなり。索たづねて手向たむけ奉らん」、とひとりごちつゝやうやくに、いと重おもやかなる身を起し、流水ながれにそふて綜麻形そまかたの、林しげきがもとの菊の花、手折たをらんとてぞ、二三町、裳濡ものすそぬらして進み給ふ。

 浩處かゝるところに乾いぬゐなる、重山やへやまの根方ねかたに當りて、笛ふえの音幽ねかすかに聞えけり。伏姬耳を側そはだてて、「あやしやこの山には、樵夫きこりも入いらず、山兒やまがつも住すまひせず。わがこの處へ來つる日より、きのふまでもけふ迄までも、人にあふことなかりしに、思ひがけなく笛の音ねの、こなたを指さして聞きこゆるは、草刈くさかるものゝ迷ひ入りしか。さらずは魔魅山鬼まみやまずみが障礙せうげして、わが道心どうしんを試すにやあらんずらん。とてもかくても捨すてたる身なり。何はゞかりて迯隱にげかくるべき。且まづそのやうを見ばや」とて、そなたに向むきて立給ふ。笛はます〳〵吹澄ふきすまして、間あはひちかくなるまゝに、と見れば一個ひとりの蒭童くさかりわらべ、その年は十二三なるべし、腰には鐮かまと鑱ふぐせを插さし、鞍くらには兩箇ふたつの籠かごを掛かけ、手に一管いちくわんの苗を拿とり、黑き犢ことひに尻しりを懸かけて、林間このまを出いでてあゆませ來つ、伏姬を尻目しりめに懸かけて、なほ草笛くさふえの音ねをとゞめず、牛を流水ながれに逐入おひいれて、涉わたさんとする程に、伏姬心忙いそがはしく、「こや〳〵」、と呼よびかへし、「そなたはいづれの里の子ぞ。人迹絕じんせさたえたるこの深山路みやまぢへ、ひとり來るだもこゝろ得がたきに、路に熟なれたるものゝ如し。吾儕わなみをしるや」、と問給へば、童子は莞尒につことうち笑みて、しづかに笛を襟えりに插さし、「われ何なでふ認みしらざらん。おん身還みかへつてわれを識しらず。人のうへ我わがうへを、今詳つまびらかに吿つげまうさずは、誰たれか亦またおん身がために、この疑うたがひを解とくものあるべき。抑そもそもこの山は、樵夫獦夫きこりかりひといへばさら也、旅ゆくものも稀まれに越こゆれど、おん父君義實朝臣ちゝぎみよしさねあそん、おん身が人に見られんことを、恥はぢかゞやかしく思食おぼしめし、去年こぞよりしてこの山へ、人の入ることを許ゆるし給はず。こゝをもて人迹絕じんせきたえたり。しかはあれどもおん母君は、只たゞなつかしく思食おぼしめし、姬の安否あんひを訪とへかしとて、專女乳母等おさめめのとら*いく遍たびか、密使しのびつかひに立たてられたれども、はじめ蜑崎あまさき十郞が、殿とのの仰おふせを承うけたまはり、しのびておん身を送りしとき、この山川に溺おぼれて死せり。これにおそれて後々のち〳〵まで、涉わたすものなき故ゆゑに、密使しのびつかひはいたづらに、あなたの岸よりかへるのみ、おん身の安否をしるに由よしなし。是これも亦また天なり時也。さてわがうへを吿つげまうさん。われは只牛馬たゞぎうばの爲に、芟くさかるものに候はず。わが師はこの山の麓ふもとにをり、又あるときは洲崎すさきにあり。その壽幾百歲じゆいくひやくさいなるをしらず。常には人の疾病やまひを療治りやうぢし、又賣卜ばいぼくして生活なりはひとし給へり。もし藥劑くすりを投さづくるときは、死を救ひ、壽じゆを保たもたしめ、萬病治ぢせずといふことなし。又蓍めどきを釆とるときは、未然みぜんを察し、既往きわうを審つまびらかにす。百事中あたらずといふことなし。けふはわれ師の命めいを稟うけて、藥を採らん爲に來きたれり。寔まことにこの山は、人の往還わうくわん禁斷なれども、程遠からず舊もとのごとく、山掙やまかせぎを許さるべし。わが師これをしるゆゑに、藥を採とらし給ふ」といふ。伏姬聞きゝて嘆息し、「現二親げにふたおやのおん慈悲ばかり、月日と共に照てらさぬ隈くまなし。身を穢けがされず潔いさぎよく、かくてをるとも知召しろしめさねば、如此計しかはからはせ給ひけん。さればとて、わが身ひとつの故ゆゑをもて、蜑崎輝武あまさきてるたけに溺死できしさせ、樵夫草雄きこりさちをに生活なりはひの便著たつきを喪うしなはするのみならず、旅ゆくものゝ足さへに、駐とゞむるは罪ふかゝり。許させたまへ」、といひかけて、うち酸鼻なみだくみ給ひけり。

 且しばらくして又童子に對むかひ、「そなたは名毉めいゐに仕つかふるといへば、人の疾病やまひを診みることも、さぞおとなびてあらんずらん。今試みに問とふべき事あり。吾儕わなみこの春の比ころより、絕たえて月水つきのさわりを見ず、胸くるほしく煩わづらはしく、月々つき〴〵に身はおもくなりぬ。こは何なにといふ病症ならん」、と問とはせ給へばうち微笑ほゝえみ、「婦人經行閉塞けいこうとゞこふりて、後一兩月のちいちりやうげつ、惡心むねわるくして酸すきものを好む。俗よにこれを惡阻つはりといふ。三四个月かつきにして、その腹既に大きく、五个月ごかつきにしてその子稍やゝ動くことあり。婦人おの〳〵これをしれり。これらは醫に問ふまでもなし。おん身は既に懷妊くわいにんして、五六个月かつきに及び給へり。何なにの疑ひあるべき」、といふを伏姬聞きゝあへず、「ませたることをいふものかな。吾儕わなみに良人つまはなきぞかし。去歲こぞのこの月この山に、入りにし日より人を見ず。一念稱名讀經いちねんせうめうどきやうの外ほかは、他事あだしことなきものを、何なにによりて有身みごもるべき。あな鳴呼をかしや」、と堪たへかねて、思はず「ほゝ」と笑ひ給へば、童子はうち見て冷笑あざわらひ、「なでふおん身に夫をとこなからん。既に親より許されたる、八房はこれ何なにものぞ」、と詰なじれば姬は貌かたちを改め、「そなたは只たゞその初はじめを知しりて、その後のちの事しらざるよ。云云かにかくの故ゆゑありて、二親ふたおやも得禁えとゞめ給はず、よに淺ましく家犬かひいぬと、共に深山みやまに月日を送れど、おん經きやうの擁護おふごによりて、幸さいはひに身を穢けがされず、渠かれも亦またおん經を、聽くことをのみ歡よろこべり。縱證据たとひあかしはなしといふとも、わが身は淸く潔いさぎよく、神こそしらせ給はんに、なぞや非類の八房ゆゑに、身おもくなりしなんどゝは、聞きくもうとまし、穢けがらはし。よしなき童わらべに物いひかけて、悔くやしかりき」、と腹立はらたてて、うち淚ぐみ給ふになん、童子はます〳〵うち笑ひ、「われはよく診みるところあり、又精細つまびらかにしるよしあり。おん身こそその一を知しりて、いまだその二をしらざるなり。さらば惑まどひを釋ときまゐらせん。夫物類相感それぶつるいさうかんの玄妙たへなるは、只凡智たゞほんちをもて測るべからず。譬たとひば火をとるものは、石と金かね也。しかれども檜樹ひのきのごときは、友木ともきの相倚あいよるをもて、亦またその中うちより火を出いだせり。又鳩はとの糞ふん、年を經て、積つむこと夥あまたなれば、火もえ出いづ。これらは寔まことに理外りぐわいの理なり。物は陰陽相感いんようさうかんせざれば、絕たえて子を生うなことなし。但草木たゞさうもくは非情にして、松竹まつたけに雌雄めをの名あり。さはれ交媾まじはるものにあらず、これらも亦またよく子みを結べり。加以これのみならず、鶴つるは千歲せんざいにして尾まじはらず、相見てよく孕はらむことあり。かゝる故ゆゑに、秋士しうしは娶めとらずして、神遊たましひかよひ、春女しゆんぢよは嫁とつがずして懷孕はらめり。聞きかずや唐山楚王もろこしそわうの妃きさきは、常に鐵くろかねの柱に倚よることを歡よろこびて、遂つひに鐵丸てつのまろがせを產うみしかば、干將莫邪かんせうばくや劒つるぎに作れり。我邦わがくに近江あふみなる賤婦しづのめは、人に癪聚しやくじゆを押おさすることを歡びて、竟つひに腕かひなを產うみしかば、手孕村てはらみむらの名を遺のこせり。皆是みなこれ物類相感さうかんして致すところ、只たゞ目前の理をもて推おすべからず。おん身が懷胎くわいたいし給ふも、この類たぐひなるものを、何なに疑ひの侍るべき。おん身は眞まことに犯おかされ給はず、八房やつふさも亦また今は欲なし。しかれども、おん身既に渠かれに許して、この山やま中なかに伴ともなはれ、渠かれも亦おん身を獲えて、こゝろにおのが妻つまとおもへり。渠かれはおん身を愛めづる故ゆゑに、その經きやうを聽くことを歡び、おん身は渠かれが歸依きえする所、われに等しきをもて憐あはれみ給ふ。この情既すでに相感あひかんず。相倚あひよることなしといふとも、なぞ身おもくならざるべき。われつら〳〵相さうするに、胎內たいないなるは八子やつごならん。しかはあれども、感ずるところ實じつならず。虛々相偶きよきよあいあふて生なるゆゑに、その子全く體かたち作らず。かたち作らずしてこゝに生れ、生れて後のちに又生れん。是宿因これしゆくいんの致す所、善果ぜんくわの成なるる所也。因いんとは何なんぞや。譬たとひば八房が前身さきのよは、その性僻さがひがめる婦人也。渠かれはおん父|義實朝臣よしさねあそんを、怨うらむることあるをもて、冤魂一隻ゑんこんいつひきの犬となりて、おん身親子を辱はづかしむ。是則これすなはち宿因なり。果くわとは何なんぞや。八房既におん身を獲えて、遂つひにおん身を犯すことなく、法華經讀誦はけきやうどくじゆの功德くどくによりて、やうやくにその夙怨うらみを散はらし、共に菩提心ぼだいしんを發おこすが爲に、今この八やつの子を遺のこせり。八やつは則すなはち八房の八やつを象かたとり、又法華經の卷まきの數かずなり。夫それ萬卒ばんそつはいと得えやすく、一將いつせうは輙たやすく得がたし。もし後々のち〳〵に至らんに、その子おの〳〵智勇に秀ひいで、忠信節操、里見さとみを佐たすけて、威ゐを八州はつしうにかゞやかさば、みな是これおん身が賜たまものなり。誰だれかその母を拙つたなしとせん。是則善果これすなはちぜんくわ也。抑禍福そもそもくわふくは、糾あざなへる纏なはの如し。何人なにひとか今の禍わざはひを見て、後のちの福さいはひなるよしをしるべき。世の嘲哢あざけりは好憎こうぞうより起り、物の汚穢けがれは、潔白けつはくより成る。しからば誹誘そしりも厭いとふに足らず、恥辱も只たゞよく忍ぶべし。隱れたるより、顯あらはれたるなし。蟄こもれるものはかならず出いづ。これも亦また自然のみ。犬は懷胎くわいたい六十日、人は懷胎十月とつき也。人畜にんちくその差しなありといへども、合あはしてこゝに推おすときは、おん身が懷胎六个月ろくかつき、この月にしてその子產れん。その產るゝ時はからずして、親と夫をとこにあひ給はん。是これより已前いぜんは未來みらい未果みくわ也。あまりに言ことを詳つばらにせば、天機を漏もらすのおそれあり。わが後のちに又人ありて、その子のうへをしることあるべし。今はしも是これまでなり。秋の日影の短きに、長ながものがたり嗚呼をこなりき。さぞなわが師のまち給はんに、はやまからん」、といひかけて、牛の鼻はなつら牽ひきかへし、山川へさと逐おひ入いれて、涉わたすと見れば玉かつら、影は狹霧さぎりに立寵たちこめられて、往方ゆくへもしらずなりにけり。

里見八犬傳第二輯卷之一終

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第十二回)

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