◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「リア王」(07) 第五幕
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リヤ王:第五幕 第一場
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第五幕
第一場 ドーワ゛ーに近きブリテン軍の陣營。
鼓手、旗手をひきゐてエドマンド、リーガン、士官ら、兵士ら出る。
エドマ
(士官に)公爵の許へ往って、承知ってまゐれ、先般の御案通りであるか、 又は其後何等かの理由で方針を變へられたかどうかを。自分自身でしたことを非難して、 始終變へてばかりをられる。確定したところを承知って參れ。
命を受けて一士官入る。
リガン
姉上の家來は、何か(途中で)間違ひが生じたのに相違ない。
エドマ
さうかも知れません。
リガン
(うちとけて)エドマンドさん、 貴下はわたしが貴下に對して好意を有ってることはごぞんじでせう。 おっしゃいよ……眞實の事を……事實そのまゝでなくては不可ませんよ。…… 貴下はわたしの姉を愛していらっしゃるの?
エドマ
さ、姉上として、愛してゐます。
リガン
兄上でなくっては入られない處へお入りなすったことはなくって?
エドマ
とんでもない事をおっしゃる。
リガン
わたしは心配でなりません、貴下は殆ど夫婦と呼んでよいほどに、 姉と同心一體ぢゃァないかと思って。
エドマ
決してそんなことはありません。
リガン
わたしは決してそんな眞似を姉にさせてはおきません。貴下、姉とは親しんで下さいますな。
エドマ
大丈夫です。……(奧を見て)お姉上とおつれあひの公爵!
鼓手、旗手をひきゐてオルバニー、ゴナリル、及び兵士ら出る。
ゴナリ
(二人の樣子を目早く見て、傍白)妹めに、あの人との仲を邪魔されるくらゐなら、 今度の軍に負けたはうがよい。
オルバ
リーガンどの、めでたうお目にかゝりまする。……(エドマンドに)うけたまはれば、 王は我が苛政に憤激せる不平黨に擁せられて、其女コーディーリャ方へ赴かれたとの事だ。 正義と信ずるに至らんうちは、勇斷を致しかねるのが吾等の性質ですが、此度の事は、 フランス王が、王を助くるのを本意とはせずして、敢て我が國を侵掠しようと企てるのであるから、 棄て置かれません。王及び其黨與に至っては、正當な且つ重大な理由があって干戈を動かされたのであるから、 これに刄向かふことは……
エドマ
(冷笑して)いや、實に公明正大なお考へです。
リガン
そんな事ァ如何でもいゝぢゃありませんか?
ゴナリ
只協力して敵を防げばいゝのですよ。内部の、個人に關することは當面の問題ぢゃありません。
オルバ
では、老功の者を輯めて、會戰の手續きを定めませう。
エドマ
すぐさま御陣所へ參りませう。
リガン
姉上、いらっしゃいませんか?
ゴナリ
いゝえ。
リガン
いらっしゃったはうが都合がようございますから、どうぞ一しょにいらっしゃって。
ゴナリ
(傍白)おほう、其謎は解ってますよ。……參りますよ。
一同が入らうとする時、假裝したエドガーが出る。最もおくれて入らうとするオルバニーに對って
エドガ
かやうな賤しい者にもお目を賜はりまするならば、一言申し上げたいことがございます。
オルバニーは、立止まって、先きに立ってゐる人々に
オルバ
ぢき追ひ附きますよ。……
皆々入る。オルバニーとエドガーだけが殘る。
申せ。
エドガ
御開戰以前に、此書面を御覽下さい。若し御勝利でございましたら、 喇叭を以て此書を持參しました私をお呼び出し下されたい。 見るかげもない私でございますが、書中に誓ひおきましたる事程は、 見事に劍を以て證明して御覽に入れまする。萬一にも御敗軍となりますれば、此世に關する御能事は終り、 隨って陰謀も止みまする。御幸運に渡らせられまするやう!
オルバ
此書を讀み了るまで待ってをれ。
エドガ
それは相叶ひません。其時刻となりましたら、傳令使に命じてお呼び立て下されませ、 すれば再びお目にかゝりまする。
オルバ
では、きげんやう。書面は讀みおくであらう。
エドガー入る。
エドマンドが出る。
エドマ
敵は迫りましたぞ。備へをお立てなされ。勤勉な斥候の此報告で、敵軍の兵力其他確實な事が分ります。 (書面を渡す。)お急ぎを願ひます。
オルバ
勇んで出陣しませう。
とオルバニー入る。
エドマ
(皮肉な笑ひを浮べて)姉にも妹にも夫婦約束をしておいたので、互ひに危み疑ってゐる、 一度さゝれた者が蝮をあやぶむやうに。どッちを取ったものか?兩方ながらか? かた~か?どちらも止すか?兩方を生しておきゃ、どちらも此方の有にゃならん。 未亡人のはうを取りゃァ姉のゴナリルが憤激して狂人のやうになる。かと言って、 所天が生きてゐて見れば、此方の手もまづしと。まづ、ともかくも、 戰爭中はあの男の助けを利用することにして、戰ひが濟んだら、夫を邪魔物にしてゐるあの女に工夫させて、 手早く押方附けることにしよう。あの男は、リヤやコーディーリャに慈悲を施さうとしてゐるが、…… 戰爭が濟んで、あいつらが捕虜となった曉にゃァ……赦免なんぞさせるこッちゃない。 おれの今の境遇は礪行が肝腎だ、ぐづ~考へてゐべきぢゃァない。
エドマンド入る。
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リヤ王:第五幕 第二場
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第五幕
第二場 兩軍の間の平野。
奧で警鐘鼓を亂打する。鼓手、旗手をひきゐてリヤ、コーディーリャ、兵士らが出て、 舞臺を渡って入る。
エドガーとグロースターが出る。
エドガ
お父さん、こゝの此木の蔭を深切な宿にして、正しいはうが勝つやうにと祷って ござらっしゃい。今に吉い左右を持って戻って來ます。
グロー
御機嫌よう往ってござれ!
エドガー入る。
奧で警鐘鼓を亂打する。エドガー又出る。
エドガ
お老爺さん、逃げた~。手をお貸しなさい。あッちへ~! リヤ王がお負けなされて、王もおむすめ御も捕虜におなんなすった。手をお貸しなさい。さァ~。
グロー
予ァ動かん。此儘立腐れに死なれさうなものぢゃ。
エドガ
え、また不良い料簡を起しなされますか?人間は死ぬも生れるも自分勝手にはならん筈です。 何事も覺悟が第一。さァ、おいでなさい。
グロー
なるほど、それも道理ぢゃ。
二人とも入る。
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リヤ王:第五幕 第三場
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第五幕
第三場 ドーワ゛ーに近きブリテン軍の陣營。
凱旋の體にて、鼓手、旗手をひきゐてエドマンドが出る。 あとに續いて、リヤとコーディーリャが捕虜となって出る。
部將、兵士ら大勢。
エドマ
役人共は捕虜を引ッ立てろ。彼等を處分すべき上官の意嚮の知られるまでは、よく番をしろ。
コーデ
志望正しうして最惡の運命に遭遇うたはわたしたちが最初ではない。 かさね~゛不幸なお父さま、あなたの事を思ふので、我も意地も挫けます、わたしばかりなら、 輕薄な運命の苦い顏をも、見事に睨み返してやるのですが。お姉えさんたちに逢はうとは思し召しませんか?
リヤ
否々々々々。さァ~、牢へ往かう、牢へ。二人ッきりで籠の中の鳥のやうに歌を唄はう。 そなたが祝福してくれとわしに頼む時には、わしが膝を突いて、恕してくれとそなたに頼まう。 さうして日を送って、祈祷をしたり、歌を唄ふたり、昔話をしたり、あの金燦爛の蝶々めを笑ふたり、 憫然な奴輩が來て宮中の噂をするのを聞いては、其相手になって、 誰れは勝つの、誰れは負けるの、誰れは盛えるの、誰れは衰へるのと、神さまの斥候でゝあるやうに、 世の成行の祕密をも預言せう。さうして四方壁の牢屋の中で長生をして、 月の光りで滿干する頭領連の黨派爭ひや其衰滅の跡をも見よう。
エドマ
彼等を引ッ立てろ。
リヤ
コーディーリャよ、此樣な犧牲に對しては、神樣自身で薫物を投入れて下されう。 え、俺ァおのしを捉へてをるか?二人を引分けうとする奴は、天火でも持って來ねばなるまい、 狐を獵り出すやうに。涙を拭きゃれ、涙を。あんな奴輩に泣かされるもんかい。 こちとらが泣く前に、あいつらは肉も皮膚も黴毒で腐りをらう。 あいつらの飢死しをるのを必定先きへ見ようわい。さァ、來やれ。
リヤとコーディーリャは引ッ立てられて入る。
エドマ
部將、こゝへ來い。こら。此書面を持って、彼等の後を追って牢へ往け。 お前の爲に、一歩昇進の道を開いておいた。此書中に命じてある通りに實行すりゃ、出世が出來るぞ、立派に。 人間は時勢に從はなくちゃァいかん。女々しいのは武士にゃァ似合はん。 此重大な用向は是非の議論を容さんから、奉ずりゃ可し、奉じないなら、立身の途は別に求めろ。
部將
謹んで奉じます。
エドマ
早くしろ。しおほせたら、幸福を得たと思ふがいゝ。いゝか?直ぐだぞ。書中通りに取計らへ。
部將
荷車を牽いたり飼葉を喰ったりは出來ませんが、人間のする爲事ならば致します。
部將入る。
喇叭。オルバニー、ゴナリル、リーガン、一部將及び兵士ら出る。
オルバ
(エドマンドに)勇敢な血統をお示しなされた今日の働き、運命の神に愛されて、 當の敵リヤ王父子を捕虜となされたはお手柄でした。此上は、あの人々の身分と吾々の安寧とを雙方平等に考へ合されて、 御處分なさるやう望みまする。
エドマ
自分は、あのみじめな老王は、當分然るべき處に幽閉して、きッと守らせておくのが當然だらうと考へました。 高齡のゆゑに、一種の魔力がありまするのに、王號がある。かた~゛、愚民の心を引附け、 吾々が募集し命令してをる者の鎗尖を吾々へさしむけさする虞れがあります。 妃をも王と共に送りました。理由は同一です。明日なり、其後なり、裁判廷をお開きになりゃ、すぐに呼び出します。 今は誰れも、彼れも、血と汗に塗れてゐます。友を失ってゐない者は一人もありません。 正義の戰爭でも、害を蒙ることの甚しい者には、少くも其當座は呪はれるのが定りです。 コーディーリャ父子のことは他日に讓りませう。
オルバ
(儼然なって、口吻を改めて)失禮だが、自分は君を、今度の戰役では、配下だと考へてゐる、 同僚とは見做してをりませんぞ。
リガン
(急に横合から)それは自分の待遇次第に因ることです。 先づ自分の意志をお問合せあってこそ當然と存じます、それほど斷言なさいます前に。 エドマンドどのは私共の部下の兵を統率ゐたしをられます上に、 自分から全權を委託されてをられます。それほど自分と密接な關係を有ってをられます以上、 あんたと同列なのです。
ゴナリ
(目に角立てゝ、これも横合から)あんまりお逆上でない。お前さんのお庇を蒙らんでも、 エドマンドどのは其位ゐの資格はあります、御自分自身の徳で。
リガン
いゝえ、わたしの附與した權利で、最上位とも同輩になるのです。
ゴナリ
あんたの御所天になったっても、それ以上にゃァなれないのね。
リガン
嘲弄の積りが預言になることもありますよ。
ゴナリ
おい~!そんな預言をさせる目は斜視ですよ。
リガン
(傲然として)貴下、今は氣持がわるいから言ひませんけれど、でなきゃ存分申すことがあるんです。 ……(エドマンドに對って)將軍、わたし、貴下に、部下の兵も、捕虜も、世襲權も悉くお渡し爲ます。 世間の人々を證人にして、こゝに私は貴下を殿御と定め、主君と崇めまする。
ゴナリ
見事、つれそへる積りかい?
オルバ
(ゴナリルに)それを止めることは貴女の御好意では出來ませんよ。
エドマ
(オルバニーに)貴下にだって出來まい。
オルバ
默れ!……止めて見せる。
リガン
(エドマンドに)陣太鼓を鳴らさせて、貴下の權利を確定なさい。
オルバ
待て、暫く。……其仔細は……(エドマンドに對って)エドマンド、大叛逆の罪で捕縛するぞ。 其方と共に(ゴナリルに指さして)此金燦爛の蛇をも。……(リーガンに對って) 妹御よ、折角のお求めだが、貴女のお求めは、妻の權利の故に異議を申し立てます、 妻は此卿と婚約を結んでゐますから、夫たる自分が貴女の結婚宣言に反對します。 再縁がお望みなら、手前へお申し込みなさい。妻は約束濟です。
ゴナリ
(輕蔑の口吻で)ま、お茶番!
オルバ
グロースター、汝は幸ひに武裝してゐる。喇叭を吹かせい。決鬪して、汝の種々の、 惡むべき、明白な叛罪を證明する者が出て參る筈だ、が、若し參らんやうなら、 さ、予が約束する。(と手袋を地に抛って)予は聖餐を味ふに先き立ち、汝は、 今予が宣告した通りの惡人であることを、劍を以て汝の心臟に證明しよう。
この以前からリーガンは腹痛に苦しみ思入れ、こなし。此時、痛みが甚しくなったる體。
リガン
くるしや!おゝ、くるしや!
先刻からリーガンの樣子を尻目にかけてゐたゴナリル
ゴナリ
(傍白)さうなくッちゃァ妙藥もあてにならない。
此途端、エドマンドも手袋を地上に抛って
エドマ
さ、これが自分の約束だ。俺を叛逆人なんぞと呼ぶ奴ァ何者だか知らんが、大虚言者だ。 喇叭を吹いて呼び出せ。出て來りゃ、そいつでも、どいつでも、敵手にして、 きッと黒白を分けて見せる。
オルバ
おい~!傳令使!おい~!
オルバ
自分一個の力を頼むがいゝ。汝の部下は、何れも予の名義で徴募した兵なのだから、 予が名義で暇を遣はしてしまった。
リーガン苦痛に堪へかねる體。
リーガン
おゝ、くるしや~!
オルバ
急病と見える。……予の天幕へ伴れてゆけ。……
リーガン大勢に介抱されて入る。
傳令使が出る。
傳令使、こゝへ來い。……(部將に)喇叭を吹かせい。……(傳令使に)これを讀みあげい。
部將
喇叭手、吹けッ!
喇叭を吹く。
傳令
(讀む。)此軍隊中にて、血統若しくは身分高き者にして、 グロースターの假の伯爵エドモンドに對して其甚しき叛逆人たることを申し貫かんとする者は、 喇叭の第三響を合圖に出頭すべし。エドマンドどのは勇敢に自衞せらる。
エドマ
吹けッ!
第一の喇叭鳴り渡る。
傳令
もう一囘。
第二の喇叭鳴り渡る。
傳令
もう一囘。
第三の喇叭鳴り渡る。
奧で、それに答ふる喇叭が鳴り渡る。
とエドガーが喇叭手を先きに立てゝ、甲冑に身を堅めて出る。 兜の眉廂が深くおろしてあるので顏が見えない。
オルバ
(傳令に)喇叭の呼び出しに應じた主意をたずねい。
傳令
お手前は何者ですか?姓名は?身分は?何の故に只今の呼び出しに應じめされたのです?
エドガ
手前は、腹黒き者の爲に咬み取られ、螟蛉くはれ、今では姓も名も無き身となってをります。 けれども、(本來を申せば)こゝで戰はうと望んで參りました其敵手と同格の者でございます。
オルバ
其相手とは?
エドガ
グロースターの伯爵エドマンドと呼んだなら、返答される仁は何處にをられる?
エドマ
すなはち、こゝに。彼れに用とは何だ?
エドガ
先づ劍をお拔きなさい、若し手前のいふことが、氣に障ったら、劍で正邪を決するために。 手前の劍はこゝにある。(劍を拔いて高く捧げて)御覽ならい、これは武士としての手前の名譽の、 誓約の、又職掌の特權であります。自分は主張する……汝が如何に力強く、位高く、齡若く、 又、戰ひに勝って好運旭日の如くなりとも、また如何程に勇敢なりとも、それらに關らず…… 汝を、神に對し、父、兄に對して不信不義、 こゝにいらせられる公爵どのの對しては奸計をもくとんだ叛逆人、 頭の頂から足の爪先きの塵、埃に至るまでも蝦蟆のやうに斑に、 穢なく、けがらはしい叛逆人だと主張する。それに對して、かりにも否といふなら、 此劍と此腕と此勇氣とを以て汝の心臟の最底に、 きッと大虚言者だといふ證據を刻み附けてくれる。
エドマ
道理をいやァ、先づ、其方の姓名を名宣らせるのが當然だが、外面が立派で勇ましいし、 只今申したことにも賤しからぬ育ちの證據が見えるから、武士道の規則ぢゃァ立派に拒絶してもいゝのだが、 わざとそれを擯斥して、敵手になってやる。やい、叛逆云々の罪名は、 悉く汝の頭へ抛げ戻すぞ。汝こそ惡魔も忌み憎む程の虚言、雜言を申す奴だ! かう罵っても尚ほ我が言葉が汝の心臟に徹しないなら、此劍で以て、貫いて、 とこしなへに汝が胸底に留めてくれる。……喇叭を吹け!
警鐘鼓を打鳴らす。二人鬪ふ。とゞエドマンドが手を負って倒れる。
オルバ
助けい!助けい!
ゴナリ
グロースターさん、こりゃ謀計です。武士道の法からいふと、 名の知れない敵と決鬪をなさるにゃ及ばなかったのです。あんたは負けたのぢゃァない、 騙されたのです、あざむかれたのです。
オルバ
お默りなさい。お默りなさらんと、此書面で默らせますぞ。(懷中から前の場にて受取った密書を取出す。)……
エドガーが倒れたエドマンドを又斬らうとする。オルバニーがそれをとめて
お待ちなさい。……(ゴナリルに)言語道斷の大惡人!さ、おのが罪惡を讀め。……
と密書をゴナリルへさいつける。それをゴナリルが引ッ奪って裂かうとする。
いや裂くまい。おぼえがあると見えるな。
ゴナリ
おぼえがあったら如何です?法律はわたしの手に在る、お前の手にゃァ無い。 だれがわたしを糾問し得ます?
ゴナリル席を蹶立てゝ入る。
オルバ
ても、さても、呆れ果てた!おゝ!(エドガーに)お前は此書面を知ってゐるか?
エドガ
知ってることをばお問ねなさるな。
オルバ
後を追って往け。半狂亂になってゐる。取抑へい。
エドマ
譴責された條々は悉皆犯したに相違ない。のみならず、まだ外にも犯した罪があるが、 いづれ其中に分るだらう。それも、俺も、最早過ぎ去ッちまった。……それはさうと、 運よく俺を打取った汝は何者だ?身分のある者なら、罪を赦してやる。
エドガ
互ひに好意を交換しよう。エドマンド、俺は血統においては、お前に勝るとも劣らん者だ。 もし勝るとすりゃ、お前の罪が一段重くなる。(と兜を脱いで、面を現はしつゝ) エドガーだ、お前の父の本妻腹の。あゝ、神は公平だ、 愉快な淫逸の果に自業自得の苦痛をおさせなさる。 お前を暗い處で生ませた事が父上の目に應報した。
エドマ
成程、さうだ。その通りだ。因果車が一巡りして、俺が此有樣だ。
此時、オルバニーは進んでエドガーの手を取って
オルバ
高貴な素姓とは、最初から其擧動に見えてゐた。斯う抱擁して好意を表はすべきである。 わしは君にも、君の御親父にも、常に好意を懷いてゐた。若しそれが僞りであったら、 悲哀來って此心を裂け。
エドガ
その御厚志はよッく存じをります。
オルバ
今まで何處に身をかくしてをられた?どうして御親父の不幸が解りました?
エドガ
始終介抱しをりまして。簡短かにお話しませう。さうして話し了ったら、おゝ、 直ぐにも此心臟が裂けッちまへばいゝ!……行く先き先きに附き纒ふ殘酷な追手を避ける爲に ……あゝ、命は惜しいものです……ふと思ひついて、犬も輕蔑むやうな襤褸を著て、 狂人に身をやつし、其姿で、父が寶石をなくした指輪のやうな無慚な眼をして參るのに廻りあひ、 手引となり、その爲に乞食もすれば、父が自殺をしようとするのをも救けました。其間、曾ぞ…… おゝ、今思へば、ぬかりでした!……先刻甲冑を著ました時まで、半時ほど前までは、 名宣り合ひもしませなんだが、勝つだらうとは存じながら、大丈夫とも預期しかねて、 父に祝福を乞ふと同時に、共に歩いてゐた間の一さいを語りました。すると、惱み疲れてゐた父の心は、 あゝ、激しい悲しみと激しい喜びの突然の衝突を支へかねて、莞爾笑ったまゝ、 破裂してしまひました。
エドマ
今の話が、わたしの心を感動させた。好い結果が生じさうだ。其後を話して下さい、まだ何かありさうだから。
オルバ
まだ外に其以上の不幸な話があるにもせよ、それは先づさしひかへておいて下さい。 今の話で、わしの心は殆ど摧けさうだ。
エドガ
悲哀を嫌ふ人逹には、只今の話が段落とも思へませうが、 多過ぎる悲哀を彌が上にも大きくし、 極端の上に更に又頂點を附け加へる今一つの悲しい事があるのです。…… 私が聲をあげて泣いてゐますと、そこへ來た一人の男が私のあさましい姿を見て、 初めは恐れて避けようとしましたが、私と知ると、手をひろげて此頸を抱き、 天をも突裂きさうな聲で泣きわめき、父の死骸に身を投げかけての物語。 リヤ王と當人の身の上に關する前代未聞の悲慘な話。其話をするうちに、其男もまた、 餘りの悲歎に逆上せて、あはや魂の緒が切れさうになりました。其途端に、二度までも聞えた喇叭、 で、據ろなく、其男を、氣を失って倒れたまゝで、そこに殘して參りました。
オルバ
其男は誰れでした?
エドガ
ケントどのです、御追放となったケントどのです。姿をやつして、 つれなかったリヤ王に附き隨ひ、奴隸でもせぬやうな御奉公をせられたのでありました。
此時、一紳士が血の著いた短劍を持って出る。
紳士
大變でございます!大變でございます!
エドガ
えッ、大變とは?
オルバ
早くいへ!
エドガ
どうしたのです其血だらけの短劍は?
紳士
温か~と血烟が立ってをります! 今お胸から拔き取ったばかりでございます。……おゝ、お亡くなりなされました!
オルバ
え、だれが?早くいへ!
紳士
奧方が、奧方さまが!奧がたがお妹御を毒害なされました。 と御自身お懺悔にございます。
エドマ
雙方とも夫婦約束をしておいた。かうなりゃ三人一しょに結婚だ。
エドマ
(向うを見て)や、ケントどのが!
オルバ
生死にかまはず、死骸をこゝへ持って參れ。……
紳士入る。
天の此審判に對して、吾々一同怖れをのゝくちは雖も、 彼等を憫れまうといふ心は起らん。……
ケントがよろめきつゝ出る。
おゝ、これが彼の仁か?……時が時だから御免なさい。禮儀を略しますぞ。
ケント
王であり主君である御方に、永のお暇乞ひを申したさに參りました。 こゝにはおいでなさいませんか?
オルバ
大切な事を忘れてゐた!やい、エドマンド、王は何處にをられる? それから、コーディーリャは何處に?
此時、侍者らがゴナリルとリーガンの死骸を持って出る。
ケント、あれを御覽なさい!
ケント
はれやれ!こりゃァまァ、どうしたのです?
エドマ
でもエドマンドは可愛がられてゐたのだ。彼女はおれの爲に彼女を毒害した、 さうして自殺したのだ。
オルバ
その通り。……死骸の面をかくせ。
エドマ
只一言いひ殘す息が欲しい。おれの本性ぢゃァないけれど、少々善事を行って死なう。 ……(オルバニーに)早く使ひを、城内へ早く!リヤとコーディーリャを殺せといふ命令書を遣っておいた。 早く使ひを、時後れにならんうちに!
オルバ
それ!走って~!
エドガ
だれの許へ參るのです?……だれに吩咐けたのだ?何か取消す證左をくれ。
エドマ
よう附かれた。此劍を持ってって、部將へ。
オルバ
急いで、命懸けで!
これにて、エドガーがエドマンドから劍を受けとって、走って入る。
エドマ
あんたの奧さんと俺が命令けたんだ。コーディーリャを牢の中で絞め殺して、 絶望のあまりに自殺したらしく見せる筈であった。
オルバ
おゝ、神々、何卒無事でありますやう!……彼れを暫くあちらへ。
侍者らがエドマンドを擔いで入る。
此時、リヤが半狂亂の體で死んだコーディーリャを兩手で掻き抱きつゝ、よろめき出る。 エドガー、部將、其他がついて出る。リヤは死骸を地上へおろすと、その傍に跪いて
リヤ
吠えをれやい~~!おゝ、おのれ、石の塊め!おれに汝らの舌があり目があるなら、 天の穹窿が摧けッちまふほどにも睨んでくれうに、わめいくれうに! とう~死んでしまうた!死んでるか、生きてるかゞ分らいでか?土のやうになってしまうてをる! 鏡を借せ、鏡を。息が少しでも此鏡を翳らすか、汚すかすりゃ、はて、きッとまだ生きとるんぢゃ!
ケント
これが約束の此世の終局か?
エドガ
または彼の怖ろしい其日の面影か?
オルバ
落ちよ、一切を滅却せよ。
此間にリヤは鳥の羽をコーディーリャの死骸の脣頭にかざして、息の有る無しを檢しようとする事あり。
リヤ
此羽がいごく!生きてをる!若し生きてゐてくれゝば、おれの今までの艱難辛苦も悉く償はれる。
ケント
(王の前に跪いて)おゝ、御主君!
リヤ
えィ、あっちへ~!
エドガ
もし、ケントどのでございますぞ、あなたの大忠臣の。
リヤ
えィ、おのれ~!人殺しめ、謀叛人めら、おのれ!もう少しで救けることが出來たものを! あゝ、もう駄目になってしまうた!……コーディーリャよ、コーディーリャよ! 待ってくれ、ま、少し!や!何ぢゃ、何というた?……彼女の聲は柔和で、やさしうて、 低うて!女には其上もないこと。……そなたを絞め殺しをった奴隸めは、おれが直ぐに殺したぞよ。
部將
全くでございます。王が奴隸をお殺しなすったのです。
リヤ
え、殺したらうが?……おれも、昔は、 鋭利な偃月劍を揮って奴等を子兎のやうに跳ね廻らすることが出來た。 もう齡を取って、こんな苦勞の爲に、駄目になってしまうた。 ……(ケントを見て)其方はだれぢゃ?目がよう見えん。今に分らうと思ふが。
ケント
若しも運命の神が愛しもし惡みもしたと高言する二人(の人間)があるなら、 それをお互ひに見あうてゐるのでございませう。
リヤ
どうも目が見えん。……其方はケントぢゃないか?
ケント
はい、その、御家來のケントでございます。御家來のケイヤスめは何處にをりますか?
リヤ
あいつは好い奴ぢゃ,實に好い奴ぢゃ。撲りをる、しかも直ぐに撲りをるわい。 彼奴は死んでしまうた。
ケント
いや、死には致しません。私がそのケイヤスでございます。……
リヤ
(不審さうに)今に考へて見よう。
ケント
御零落のはじめから、御艱難の其間、始終お供をしてをりまして……
リヤ
よう來てくれたな。
ケント
いや、誰れ一人、ようは來ませぬわい。何一つ樂しいことの無い、暗い、おそろしい此光景。 姉姫たちは御自滅なされました、御絶望の餘りお亡くなりなされました。
リヤ
いかさま、さうだらうて。
オルバ
辧別なしに物を言ってをられる。今、名宣り合はうとしても駄目です。
エドガ
全く無用でございます。
部將が出る。
部將
エドマンドどのはなくなられました。
オルバ
此際には、それは些事だ、(皆々に對って)貴族たち、身方の人逹、予の存じ寄りを承知せられたい。 此大不幸に對しては、能ふ限りの慰藉を試みることにいたさう。又、此老殿下が存生せられる限り、 予は此國の全權を殿下にお引渡し申さうと思ふ。……また……
エドガーとケントに對って
あんたゝちは、本來の諸權利に外に、今度の偉大な功勞によって、 當然收得せらるべき種々の領地や爵位をお受けなさるやうに。 尚ほ身方の人々は、何れも其功に相當した賞與を、敵は又それ~゛其應報を味ふことであらう。
此うち、リヤ王の容態が一變する。ふとそれを見て
おゝ、あれを、あれを!
リヤ
阿呆めは絞め殺されてしまうた!もう~~~~死んでしまうた! 犬や馬や鼠でも命は有ってをるに、何で和女は全然命がなうなってしまうたぞ? もう和女は歸って來ん、もう決して歸って來ん、決して~~~!…… どうぞ此釦を外してくれ。ありがたう。これを御覽か?あれ、あれの顏を……あれ……あの脣を ……あれを……あれを!……
王息絶える。
エドガ
おゝ、氣絶なさる。……御前さま~!
ケント
心よ、裂けよ、裂けてくれい!
エドガ
もし~、お顏をおあげなされませ。
エドガーが王を抱き起さうとする。
ケント
亡き魂をお苦しめ申さんがよい。去させ申したがよい! 此酷薄な浮世の拷問臺に、此上長くお掛け申しておかうとする者をばお怨みなさらう。
エドガ
全くおなくなりなされました。
ケント
今まで待ちこたへてゐたのが不思議です、いはゞ、命を盜んでいらせられたのです。
オルバ
死骸をあちらへ運べ。……さしあたってのすべき事は一同での哀悼です。…… (ケントとエドガーに)わしの親友とも思ふあんたゝち兩人は、此國の政治にたづさはって、 此重傷を負ふた國を扶けて下さい。
ケント
私は、すぐ出立せねばならん長旅を控へてをります。主君がお召なされますから、否とは申されません。
エドガ
不幸な時勢の壓迫には據ろなく從はねばなりません、當座の感じは言はうとも、 當然のことは言はれません。あゝ、一等齡を取ったお人が一等難儀をなされた。齡の若い我々は、 決してこれほどの難儀もすまいし、又、これほどの長生もすまい。
皆々入る。葬儀行進曲。
リヤ王(完)

