南総里見八犬伝(018)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十七回
東都 曲亭主人 編次
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「思ひくまの人はなか〳〵なきものをあはれに犬のぬしをしりぬる」「犬塚しの」「龜笹」「はま路」

妬忌ときたくましうして蟇六螟蛉ひきろくひとのこをやしなふ
孝心こうしんかたうして信乃曝布しのたきはらひ

 卻說犬塚番作かくていぬつかばんさくは、年來としごろの志願稍遂やゝとげて、男子既をのこゞすで出生しゆつせうし、母も子もいとすくよかに、產室撤うぶやおさむるころにぞなりぬ。「さてちごの名をなにとかよばん」、と女房手束にようばうたつかかたらへば、手束はしばら沈吟うちあんじ、「よに子育こそだてのなきものは、男兒をのこゞなればとし、の子には男名をとこなつけて、やしなひたつればつゝがなしとて、如此しかする人もまれにははべり。我夫婦わがふうふさちなくて、男兒三人擧をのこゞみたりまうけしかど、みな殤子みづこにてなくなりたるに、このたびも又男兒をのこゞなれば、一しほ心よはくなりて、想像おもひやりのみせられはべり。この子が十五にならんころまで、女子をなごにしてはぐゝまば、つゝがあらじと思ひ侍り。その心してなつけ給へ」、といへば番作うちほゝみ、「死生めいあり、名のとがならんや。ものいみ多き僻事ひがこと、いとうけがたき筋なれども、おん身が心やりにもならば、に從ふもわろきにあらず。古語に長きをしのといふ。和名妙わめうせう長竿ちやうかんを、しのめとよませし、則是すなはちこれなり。今も穗の長きすゝきを、しのすゝきといふぞかし。しげきすゝきとするは非ならん。わが子の命長かれ、とことほぎのこゝろもて、その名を信乃しのよぶべき。昔われ美濃路みのぢにて、不思議におん身と名吿なのりあひ、信濃路しなのぢにして夫婦となりぬ。しのとしなのとその聲近し。越鳥ゑつちやう南枝なんしすくひ、胡馬こば北風ほくふういばふといへり。たれかそのはじめを忘れん。わが子もし發迹なりいでて、受領じゆれふする事さへあらば、信濃の守護しゆごにもなれかし、と亦祝またことほぎのこゝろにかなへり。この名は甚麼いかに」、とまめたちて、とへ手束たつかきゝあへず、「そはいとめでたき名にはべり。富人とむひと五十日百日いかもゝか、と產室うぶややしなひのよろこびに、さけもり遊ぶ日も多かり。せめてこの子が名ひらきに、かまどの神に神酒獻みきたてまつり、手習子てらこ綿わた弟子をしえこに、ものくはせ給はずや」、といふに番作うち點頭うなづき、「われもかくこそ思ふなれ。とく〳〵」といそがせば、手束はちか媼等うばらやとひて、赤小豆飯あづきいひ芝雜魚しばざこしるなますといそがしく、目つらをつかみ料理して、里の總角等あげまきら召聚會よびつどへもりならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳にくわうぜんはしとりあぐる髻鬟等うなゐらが、顏は隱るゝ親碗おやわんに、子の久後ゆくすゑことぶきの饗應もてなしにみなあきたりて、ひざにこぼれし粒飯つぶいひを、ひらひもあへず、身を起し、よろこびをのべかへるもあり、人より先に草屨わらくつを、穿はか穿はかせじ、とかしましく、𥉉あはて〚目+條〛てかへるも多かりけり。

 これより手束は信乃が衣裳いせうを、女服をんなきぬにせざるもなく、三四才みつよつころに及びて、髫髮いたゞきかみおくほどにもなれば櫛插くしさゝせ、掻頭かんさしさゝせて、「信乃よ〳〵」、とびしかば、しらざるものはこのちごを、女のならんと思ひけり。されば蟇六龜篠ひきろくかめさゝは、この爲體ていたらくを見聞くごとに、掌拍ななそこうち冷笑あざわらひ、「およそ人の親たるもの、男兒をのこゞまうくるを、面目めんぼくとせざるはなし。しかるに武士の浪人らうにんが、の子を願ふはいかにぞや。結城合戰ゆふきかつせん逃後にげおくれ、脊疵受せきずうけしにいたくりて、いくさといふもの夢にも見せじ、と思ふてかくまで戲氣たはけつく。思ひしにます白徒しれもの也」、とさかしらだちてそしれども、合鎚囃あひつちはやすものはなく、なか〳〵里人等さとひとらは、信乃を愛して物をとらせ、迭代かたみかはりいだきとりて、その母の手を助けしかば、蟇六ひきろく夫婦はいとゞしく、ねたきことかぎりなし。又うらやましく思へども、淫婦いんふ石女うまずめ多しといふ、鄙ことわざ得漏えもれずして、龜篠かめさゝ四十にあまるまで、子どもひとりもなかりしかば、夫婦しきり商量だんかふして、只管ひたすら養女をもとむるに、そが媒妁なかだちするものありて、「煉馬ねりまの家臣(武藏の煉馬うじは豐としま左衞門が一族たり。煉馬ねりまの平左衝門といひしはこれ也)某甲なにがしといふものの女兒むすめ今茲ことしはつか二才ふたつになるあり。こはその親のいむとかいふ、四十二の二なれば、生涯不通の約束にて、永樂錢ゑいらくせん貫文くわんもんもたらし、家系宜すぢめよろしきかたもあらば、養女につかはすべしといへり。くだんは生れ得て、目鼻だち愛らしく、痘瘡もがさもこの春のころ、いとかろやかにしはてにければ、まこときずなき玉になん。とばかりならで去こぞの春、正月むつきのはじめに生れしかば、年つよとかいふ二才兒ふたつこ也。かゝれば乳母めのとなしといふとも、はぐゝみかたきことはあらじ。養ひ給へ」、とすゝむれば、蟇六龜篠は笑片向えみかたまけて、共に小膝こひざの進むをおぼえず、聞果きゝはてて目をみあはし、「あま鹽燒しほやくからき世に、子のもたらしとて永樂錢、七貫文は些少すけなきにあらず。目今和殿たゞいまわどのがものかたりいつはりなきものならば、もとより望む所なり。とくこしらへて見給へ」、と夫婦齊一應ひとしくいらへしかば、くだんの男はこゝろ得果えはてて、いそがはしくいでてゆきつ。

 かくて五六日を經る程に、その縡竟ことつひとゝのひしかば、媒妁なかだちの男して、その子の親と蟇六と、證文あかしふみをとりかはし、かの七貫文もろ共に、を大塚へ贈りにければ、龜篠やがていだきとりて、まづその顏をうち視熟ながめ、又およびよりあとうらまで、なくをもかまはず引伸ひきのばし、うちかへしつゝとくと見て、辴然かや〳〵とうち笑ひ、「三十二相そろひしとは、何處いづこをさしていふにやしらねど、まことにこの子は掘出物ほりだしものなり。これ見給へ」、とさしよすれば、蟇六いよ〳〵たのもしくて、「よき子ぞ、泣勿なくな。物とらせん」、とたもと右手めてをさし入れて、とりいだ果子くわしの花もみぢ、ならぬ親としらぬ子も、有繋さすが口には孝行にて、朝四暮三ちやうしぼさん猿鑣さるくつわかけたるごとくなきみけり。現頑げにかたくななるものは、その偏執へんしうの心もて、わが物とだに名をつくれば、かたはらいたく愛におぼれて、ひとそしりをしるよしなきに、まして蟇六龜篠は、ねたしと思ふ番作夫婦が、はなをひしがんとのみ思ひしかば、くだんの養女を濱路はまぢと名つけて、ぶんすぎたる綺羅きらを飾らせ、是處ここ遊山ゆさん彼處かしこ物詣ものまうでとて、下女げぢよいだかせ、小厮こものに先をおはせつゝ、四十老女おんな龜篠かめさゝさへ、鐮倉樣かまくらやうきぬかさねて、月のうちにはいくたびとなく、いであるきに日をついやし、ぜについやして、あざけりを思はず。加以それのみならでわが女兒むすめの、髮置紐解かみおきひもときとかいふ年には、身丈たけ十倍の美服をせて、すこやかなるをとこの肩にのぼし、城堭うぢかみまうで假托かこつけに、彼此人をちこちひと弄賣みせひらかすに、よに阿諛へつらひの言葉たくみに、かれほむるものあれば、家裹いへつとあめ惜氣をしけもなく、みなその人におくりしかば、まことに甘き親といふめり。かくて濱路が生育隨おひたつまゝに、やゝ東西をしるころより、絲竹いとたけわざに師をえらみて、あしたよりゆふべまで、うちはやし、舞躍まひおどらして、たえ四鄰しりんはゞからず、よろづあだに養ひたつるに、生得うまれえたる容止かほばせの、人なみなみにたちまされば、とびの子にたかありとて、女兒むすめほむ陰言かげことを、聞く二親ふたおやはほゝえみて、われをあざけるよしをさとらず、「位高く、とみさかえて、世に威德いきほひあるむこならで、えこそはらじ」、と誇りけり。
 案下某生再說それはさておき、犬塚番作が一いつし信乃は、はや九才こゝのつになりしかば、骨逞ほねたくましく膂力ちからあり。現尋常げによのつねなる人の子が、年十一二になるものより、身の丈一岌たけひとかさ高かるに、なほ女服被をんなきぬきせられて、雀小弓すゞめこゆみ紙鳶いかのぼり印地打竹馬いんぢうちたけうまなンど、よろづの遊びもあら〳〵しきまで、おのづから武藝ぶげいを好めば、番作ます〳〵鍾せうあいして、あしたには、里の總角あげまきとゝもに、手習てならひさせ、ゆふべには儒書じゆしよ軍記の句讀くとうさづけ、又あるときは試みに、劒術拳法けんじゆつやわらをしゆるに、もとより好む道なれば、そのわざの進む事、親すらしばしばしたふるひて、すゑたのもしく思ひけり。

 父はかくても母手束たつかは、わが子のいとも怜悧さかしきに、おのづからなる孝心の、擧動たちふるまひあらはれて、親さへ人の稱譽ほむるまでに、ふみの道、武のたしなみ、年にはませてそのかなへば、もし短命にあらずや、とかれを思ひこれを思ふに、とにかく心安からねば、をつといさめ、子をとゞめ、「習ひ學ぶはわろきにあらねど、こと大かたにせよ」といふ。さはれ信乃が心ざま、よの童子どうしとはうらうへにて、母の目影めかげしのびても、竹刀ちくたうを手にとらざる日もなく、馬にさへのりならはん、と思ふ心のつきたれども、田舍ゐなか小荷駄こにだのみにして、借馬しやくばなどいふものはあらず。しかるに信乃がうまるゝころ、母親手束がたきかはなる、岩屋詣いはやまうでのかへるさに、て來つるいぬの子は、信乃とゝもに大きくなりて、今茲ことしは既に十才なり。このいめそびらすみより黑く、腹と四足しそくは雪より白くて、馬に所云驓いはゆるよつしろなれば、その名をやがて四白よしろとも、又與四よしらうともぶ程に、年來としごろ信乃によくなれて、打掛うちたゝかれてもいかることなく、手につきその意に隨ふにぞ、信乃はくだんの與四郞に、索靮なはたづなをかけてうち乘れば、いぬしゆうのこゝろを得て、足掻あがきを早めて幾返いくかへりかす。誰敎たれをしえねどもその騎座のりくらたづなさばきの御法ぎよほうかなふを、見るもの思はずたゝずみて、わざと姿の似げなきに、腹をかゝえて笑ふもあり、又この童子が爲體ていたらく平人たゞものにはあらじとて、賞嘆するも多かりけり。現玉人げにぎよくじんにあらざれば、碔夫ぶふ眞玉まだまとをしることなし。信乃が打扮いでたちにて、武勇たけくいさめわざのみすなれば、里の總角等あげまきらゆびさあざみて、「陰嚢ふぐりなし」とぞはやしたる。かくても信乃は物とも思はず、「彼奴等かやつらは土民の子なり。あそかたきになるものならぬに、論は無益むやく」、とわれからさけて、一たびも爭はず。しかはあれども「わが身ひとり、よのわらべらとはことにして、めきたるきめをのみ、せらるゝはいかにぞや」、とよにいぶかしく思ふものから、事にまぎれて親には問はず、襁褓むつきのうちより肌膚はだにつけ、被馴きなれ女服をんなきぬなれば、はづ氣色けしきはなかりけり。

 さる程に、今茲ことし秋のころよりして、手束たつか心地例こゝちつねならず、やまひとこふししより、鍼灸藥餌しんきうやくじしるしなく、冬のはじめにいたりては、日に〳〵よわるばかりなれば、番作ばんさくはいとゞしく、まゆうちひらくよしもなく、とて安くは目睡まどろまず。信乃は又あさな〳〵醫師許往還くすしがりゆきゝしつ、湯液くすりをすゝめ、腰をさすり、四表八表よもやまの物かたりして、母の徒然つれ〴〵なぐさむるに、思はず淚目にみちて、やるかたなきを見る母は、胸ふたがりて泣㒵なきかほを、隱すよしなく鳩尾みづおちを、なでつかえまぎらかす。親子かたみに思ふ事、いはねどしるき孝行慈愛、こゝろぞ想像おもひやられたる。

 かくてその詰旦あけのあさ、信乃は葉劑くすりとりにとて、いそしくいでてゆきしのち、番作は妻の枕方まくらべにて、小鍋こなべかゆの鹽加減して、なかば開きしあふぎの風に、火を起させて居たりしかば、手束ははつかにまくらもたげ、「常にはあらぬわが良人つまの、火打水汲ひたきみづくみしどけなく、竈働かまどはたらきし給ふこと、心苦しき限りに侍り。加之十しかのみならずとをにも足らぬ、信乃が頃日大人このごろおとなしく、親につかへての目あはせず、かくまでにたのもしき、良人つまとわが子の介抱かいほうを、うけてもつひにゆく道の、わかれと思ひはべるかし。そも〳〵わらはが此度こだみ病著いたつき、ゆゑありぬべきことになん。もとより信乃は祈子まうしこにて、云云しか〳〵奇瑞きずいあり。かくてまうけしひとり子なれども、年にませたる智はたけて、親はづかしきものに侍れは、殤子みづこでなくせし兄等にこりて、もし短命にあらずやと思ひしはきのふけふならず。彼が定業脫じやうごうのがれかたくて、生育おひたゝぬものならば、母が命をかえさせ給へ、とたきかはなる岩屋殿いはやとの、神に佛に年來としころよこり、願望竟ねぎことつひむなしからで、信乃は襁褓むつきうちよりして、蚘氣むしけもあらず風ひかず、かろ疱瘡もがさの神送り、侲子わらべやく病果しはてても、男兒をのこゞには怪我ありといふ、七才なゝつ巓踰とほげこえさせて、今茲ことしわらはが身まからば、わが子の久後ゆくすゑ念願成就、かはる命は惜からで、悲しきは只死別たゞしにわかれ。ひとりはかく垂乳女たらちめの、母はなくとも爹々てゝごだに、よにましまさば光もて、なに暗からず生育おひたちなん。ひさしくもをらぬ娑婆しやばと思へば、可惜財あたらたからついやして、湯藥くすりたベんは無益むやくに侍り。うちすてておき給ひね」、といひあへず淚さしくみて、呼吸細いきのをほそ覺期かくごこともろきはそで露霜つゆしもに、よわりはてたる秋のてふ片羽捥かたはもがるゝ思ひなる、番作しば〳〵嘆息し、「ことなることを聞くものかな。わが子の命にかはらんとて、かはらるゝものならば、世に子をうしなふ親はあらじ。さるまよひよりやみもすれ。よしなく物を思はんより、藥をのみかゆをもすゝりて、氣長けながく保養し給へ」、とことわり盡してさとしけり。

 冬の日なれば短くて、はやのころになりしかど、生平つねにもあらで信乃はかへらず。「渠路草かれみちくさくふものにあらず。いかにしつらん」、と子を思ふ親の心はおちつかず、番作は外面とのかたへ、いでて見んとて障子せうじを開けば、思ひがけなく緣頬えんかはに、藥劑くすりのかよひはこはあり。「こはいぶかし」とひもときて、ふたかいとれば藥劑くすりもあり。さもこそ」、と片頬かたほみつゝ、くだんはこたづさへて、いそがはしく裡面うちり、「手束たつかよ、藥劑くすり彼處かしこにあり。いつの程にか信乃はかへりて、氣鬱きうつはらしにいでにけん。まことわらべこゝろぞかし。おん身が病著いたつきはじめより、おのが事にはかりそめにも、たつこともなかりしに、いかばかりおもしろき、もの見かけてかへりたる、よしをもつげず又いでたり」、といふに手束はやゝおちゐて、「たま〳〵の事なるに、かならずしかり給ひそ。かへるに程ははべらじ」、といひつゝもその顏見ねば、片心かたこゝろにぞかゝりける。

 かくてはや、ひつじのあゆみすぎにけん、晷斜ひかげなゝめになるころまで、まてども〳〵信乃は還らず。「よしやあそびほれたりとも、うへなばきやうつ<べきに、物をもはで何處いづこにをる。こゝろ得かたき事也」、と父すらいへば母はなほ、重きまくらをいくたびか、あげ瞻望ながむ外面とのかたに、板金剛いたこんごうの音すれは、それかとそ思ふ、だまされて、浪速なにはの浦にかるといふ、人のあしさへうらみけり。つまかこてば番作も、たつて見て見、まち不樂わびて、思はずも嘆息し、「わが足、むかしのごとくならば、只一走たゞひとはしりに走はしりめぐりて、かならずたづねかへらんに、日景ひかげ短き小六月ころくぐわち夕陽ゆふひつゝつゑすがりて、何地いづちまでゆかるべき。さりとてくれなばいよ〳〵便びんなし。菅菰すがもまでも」、と一刀ひとこしを、さし竹杖たけつゑつきこゝろみ、はや外面とのかたいでんとす。

 浩處かゝるところに、番作が背門せど前面むかひなる莊客ひやくせうに、糠助ぬかすけよばるゝもの、右手めて一條ひとすぢ釣竿つりさをと、一箇ひとつ魚籠びくたづさへて、左手ゆんでに信乃を扶掖たすけひき、いそがはしく詣來まうきつゝ、今外面とのかたいでんとする、番作とおもてをあはして、呵々かや〳〵とうち笑ひ、「犬塚氏欤いぬつかうぢか其處そこにゐませり。秋のかせぎもしはてたる、骨休めにとわれとわが、一日のいとまを給はり、けふは未明まだきにうかれいでで、神谷川かにはがは雜魚ざこ釣暮つりくらし、たきかはをかへり來れば、こゝなる息子むすこ不動ふどうの瀧に、水垢離執みづこりとりて、身は冷徹ひえとほり、息もたゆべき形勢ありさまを、見つけし時は膽潰きもつぶれて、周章あはてふため引出ひきいだし、そがまゝばうてゆきつ、藁火わらびあたゝめ、藥をのませ、法師們共侶はふしばらもろともに、いたはること半晌許はんときばかり、はじめてわれにかへりしかば、湯飯䝼ゆつけもらふてはら〚月+度〛をこやさせ、緣ことのもとたづぬれば、母の大病平愈へいゆ祈祷きとうに、水垢離みづこりをとりしといふ。とをにも足らぬわらべには、儔稀たぐひまれなる大孝行だいこうこう法師們はふしばらも感心せられて、もとめざれども當病平愈たうびやうへいゆの、神符洗米ごふうせんまいを給はりぬ。くだんの瀧は寺へ遠くて、わがほかに人しらざりき。まことあやうき事なりし。かくまでさかしき子也、親なり、佛神ぶつしん見はなち給はんや。母御はゝご本復はんぶく疑ひなし。いざ子たからをうけとり給へ。くれかゝればはや退まかる也。やむひとによくこゝろ得てよ。えうあらば脊病門せどくちから、竹螺鳴たけほらならしてよび給へ。和子わこよ、あすはあそびによ。この魚炙うをあぶりてはませんに」、とおのがいふ幸いひほこり、人の挨拶聞果あいさつきゝはてず、裡面うちにも入らでかへりけり。「さては」、とばかり番作は、わが子の肩をつゑかえ陟框あがりかまち足引あしひき山道踰やまぢこえたるこゝちして、そがまゝ奧へしらすれば、手束たつかことおもむきを、洩聞もれきくからに病苦を忘れて、わが子をほとり近くはべらし、「信乃よくものをこゝろ得よ。孝行つくすも程あるもの也。身をあやぶめて怪我けがあらば、親のなげきはいかなるべき。かくては孝が不孝ぞかし。親いとをしと思ふ子の爲には、祈らでも神は守り給はん。あやう所行わざをし給ふな」、とさとせば信乃は酸鼻なみだぐみ、「のたまふ所こゝろ得侍えはべり。今朝醫師許けさくすしがり赴きて、藥劑くすり給はりてかへりしをり家尊かぞ家母いろはの物かたり、信乃が命の長かれ、と勿體もつたいなくもわが母は、命をにゑ神明かみ〳〵へ、祈らせ給ひししるしにや、長き病著いたつきふし給ふ、とのたまはせしを竊聞たちきゝて、かなしきこと限り侍らず。淚に濡るゝ片袖かたそでを、泣聲なきこゑたてじと噬締かみしめて、緣頬えんがはについゐたりしが、親の願望驗ねぎごとしるしあらば、わがねぎごともしるしありなん。いかでこの身をにゑにして、母の命にかはらんと、思ひさだめつ、もてかへりし、藥劑くすり其處そこおきて、年來母御としごろはゝごの信じ給ふ、瀧の川に走りゆき、岩屋いはやの神に思ふ事、くり返したる瀧の絲、心强くも身をうたし、一トたびは死侍しにはベりけん、そのゝちの事しらず侍り。さてあるべきにゆくりなく、糠助男ぬかすけをとこさまたげせられて、いきかへるは願望ねぎごとを、神はうけさせ給はぬにや。いとくちをしく、かなしく侍り」、といひかけて目をおしぬぐへば、手束たつかはよゝと泣沈なきしづみ、「よに子をもたぬ親はなけれど、けふ死するともわが身ばかり、さちあるものはなきぞとよ。八九才やつこゝのつをさなこゝろに、さかしや親にかはらん、と祈るまこと神明かみ〳〵の、受給へばこそ瀧壷たきつぼの、水屑みくずとならでかへりけめ。かくまでに命運つよき、わが子のうへを見るからに、久後ゆくすゑさへにたのもしく、よろこばしさに淚のみ、はふれおちてとゞめがたし。母がおん身にかはらんとて、祈りしはまよひなり。しるしあるべき事ならぬに、かへす〳〵もよしもなき、ぐわんたてなし給ひそ」、と淚のひまさとしけり。

 番作はなにともいはず、つく〴〵ときゝて、形を改め、「信乃よ、あはれわが子なり。その至孝しいこうにあらざりせば、慈母のまよひをとくよしあらんや。周公金縢しうこうきんとうしよの如きは、神にいはふ成王せいわうやまひにかはらん、とねがひ給へり。もしくは當時の寓言欤ぐうげんか亦是至誠至感またこれしせいしかんの德のみ。さはれ物の命數めいすうは、人のよくする所にあらず。もしはたしてこれをよくせば、忠臣孝子がかはらずして、たれ君父くんふを病床にうしなふべき。さはれそのかはらん、と願ふものは、まことの至れる所なり。つひ感應かんおふありといふとも、命數めいすうましかたからん。なんぢ幼弱にしてその才智、たいじんにますことあり。既に道理をしるべきものか*ことよく小耳こみゝにとゞめよ」、と說示ときしめことついでに、祖父匠作おほぢせうさくが忠死の形勢ありさま結城落城ゆふきらくぜうのち春王安王兩公達しゆんわうやすわうりやうきんだちの、最期さいご爲體ていたらくものかたり、又母手束たつかが一いつしいのりて、瀧の川のやしろよりかへるさに、神女しんによまのあたりに拜み奉り、授け給ふたまをえとらで、與四郞よしろういぬの名也)をかへりしより、いく程もなく有身みこもりて、信乃が生れしことさへに、そのとゝもに說明ときあけす、言葉にちゆうをくだしていふやう、「吉事きちじには禎祥よきさがあり、凶事けうじには妖孽あやしみあり。かならず手束がはらむべき、時至りしかば奇特きどくを見たり。さはれ神女は辨才天欤べんざいてんか、又山媛やまひめなどいふものか、ある狐狢きつねうじな所爲欤わざか。そのよしをしらずして、なんぢを神の授け給ふ、とわれも思ひ、人にもつげなば、愚人ぐにんの夢物語に似て、世の胡慮ものわらひにならんのみ。たゞ智あり勇ある子を、はらむべきさが也けり、とこゝろに祕して母さへに、口をとゞめてけふまでは、さてぞ汝につげざりし。これらも理義をわきまへよ」、と叮嚀ねんころ敎諭をしえさとせば、信乃は小耳こみゝ側立そばだてて、きくことごとに感激し、手束も霎時しばし病苦を忘れて、興あることに思ひけり。

 當下そのとき信乃は思ふやう、「わが母神女しんによの授け給ふ、玉をえとらで、いぬをのみ、たづさへかへり給ひし故欤ゆゑか吾儕わなみつゝがなけれども、母御はゝご生平つねに持病多くて、つひ危窮きゝうに及び給へり。しからんには彼玉かのたまを、再びこゝに索獲たづねえば、本復ほんふくし給ふこともありなん。ともかくもしてその玉を、得まほし」とのみ思ひしかば、更に佛神ぶつじん祈請きせうして、のぞみをこゝにかくれども、見し事もなき玉の再びいづべきよしもなく、母のやまひは日にまして、十日あまりを經る程に、けふを限りと思ひけん、手束はこまやかに遺言いげんしつ、應仁おふにん二年十月下旬、享年きやうねんこゝに四十三才、その朝霜あさしも共侶もろともに、ねふるが如く生氣絕いきたえけり。番作がなげきはさら也、信乃は地にふし、天にあくがれ、紅淚袖こうるいそではふれつゝ、哽咽むせかヘ轉輾ふしまろび、聲をえたゝずなきしかば、ちか黨集ともがらあつまりて、あるは信乃をいさはげまし、あるは番作に力をあはして、のちの事を相謀あひはかり、つぐの日の黃昏たそがれに、つひひつぎ擡出もたげいだして、番作が母のつかかたへにぞはうむりける。

 この日も信乃は衣裳いせうかえず、綿わたをもて面頬おもてを包み、すべて打扮いでたちして、母のひつぎを送りしかば、見るもの笑ひを忍びあへず、ゆきしよりかへるまで、ゆびさ密語さゝやかざるものなし。信乃はこの好景ありさまに、「日來ひころはとまれかくもあれ、人のうれひをたのしげに、われをあざけ白徒しれものかな」、と思へども色にもいださず、母の中陰果ちういんはてのち、はじめて父に云云しか〳〵と、送葬そうそうの日の事をつげ、「抑吾儕そもそもわなみ男子をのこなるに、などての子にせらるゝやらん。吾儕わなみがうへはいとふに足らず。親さへにそしらるゝは、くちをしき事に侍り。そのゆゑあらばしらまほし。しらせ給へ」、と生平つねにはあらで、怒氣どきふくみとひしかば、番作はうち笑ひ、「そをいきどほる事やはある。さらばまづそのよしをしらせん。なんぢには兄三人みたりあり。襁褓むつきうちにみなしゝたり。かくて汝をまうけしかば、母は『この子も育たずに、うせもやすべき、心もとなし。ならはし〚此/十〛にしたがひて、女のにしてはぐゝまば、つゝがあらじ』、と婦人の愚癡も、まとひをとくべき證迹あかしざれば、われもその意にまかしつゝ、すなはち信乃と名つけしは、如此々々しか〳〵の義を取れり。かくは婦人の忌諱ききうけたる、僻事ひがことに似たれども、心なくて許さんや。むかしも今も男兒をのこゞは、十五歲までたぐへて、額髮ひたひかみ剃落そりおとさず、たもと長ききぬて、紅裏こううらさへに許されしは、たぐへし證据あかし也。又櫛笄くしかんさし婦女ふぢよのみならで、あるかんむりとむるため、ある帽子ぼうししりたかくせん爲、むかしは男子をのこさしたる也。しかるをいとみにくしとて、これを笑ふはしらずして、𢖛しゆくこつとが揮沌氏こんとんしを、そこなひたるまどひにおなじ。人いつまでか幼稚をさなかるべき。汝もその年二八に至らば、まさに一いつこ男子なんしなるべし。これを笑ふは知らざるなり。かれいかるはその智足らず。うちすてておきね」といふ、只一言たゞひとことさとされて、信乃は忽地たちまち疑ひとけ、これに就彼つきかれにつけて、なき母親のいつくしみ、かくまでにありける、と思へばかなしくしたはしく、泣顏なきがほかくして退しりぞきぬ。

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第十七回)

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