南総里見八犬伝(018)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十七回
東都 曲亭主人 編次
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「思ひくまの人はなか〳〵なきものをあはれに犬のぬしをしりぬる」「犬塚しの」「龜笹」「はま路」

妬忌ときたくましうして蟇六螟蛉ひきろくひとのこをやしなふ
孝心こうしんかたうして信乃曝布しのたきはらひ

 卻說犬塚番作かくていぬつかばんさくは、年來としごろの志願稍遂やゝとげて、男子既をのこゞすで出生しゆつせうし、母も子もいとすくよかに、產室撤うぶやおさむるころにぞなりぬ。「さてちごの名をなにとかよばん」、と女房手束にようばうたつかかたらへば、手束はしばら沈吟うちあんじ、「よに子育こそだてのなきものは、男兒をのこゞなればとし、の子には男名をとこなつけて、やしなひたつればつゝがなしとて、如此しかする人もまれにははべり。我夫婦わがふうふさちなくて、男兒三人擧をのこゞみたりまうけしかど、みな殤子みづこにてなくなりたるに、このたびも又男兒をのこゞなれば、一しほ心よはくなりて、想像おもひやりのみせられはべり。この子が十五にならんころまで、女子をなごにしてはぐゝまば、つゝがあらじと思ひ侍り。その心してなつけ給へ」、といへば番作うちほゝみ、「死生めいあり、名のとがならんや。ものいみ多き僻事ひがこと、いとうけがたき筋なれども、おん身が心やりにもならば、に從ふもわろきにあらず。古語に長きをしのといふ。和名妙わめうせう長竿ちやうかんを、しのめとよませし、則是すなはちこれなり。今も穗の長きすゝきを、しのすゝきといふぞかし。しげきすゝきとするは非ならん。わが子の命長かれ、とことほぎのこゝろもて、その名を信乃しのよぶべき。昔われ美濃路みのぢにて、不思議におん身と名吿なのりあひ、信濃路しなのぢにして夫婦となりぬ。しのとしなのとその聲近し。越鳥ゑつちやう南枝なんしすくひ、胡馬こば北風ほくふういばふといへり。たれかそのはじめを忘れん。わが子もし發迹なりいでて、受領じゆれふする事さへあらば、信濃の守護しゆごにもなれかし、と亦祝またことほぎのこゝろにかなへり。この名は甚麼いかに」、とまめたちて、とへ手束たつかきゝあへず、「そはいとめでたき名にはべり。富人とむひと五十日百日いかもゝか、と產室うぶややしなひのよろこびに、さけもり遊ぶ日も多かり。せめてこの子が名ひらきに、かまどの神に神酒獻みきたてまつり、手習子てらこ綿わた弟子をしえこに、ものくはせ給はずや」、といふに番作うち點頭うなづき、「われもかくこそ思ふなれ。とく〳〵」といそがせば、手束はちか媼等うばらやとひて、赤小豆飯あづきいひ芝雜魚しばざこしるなますといそがしく、目つらをつかみ料理して、里の總角等あげまきら召聚會よびつどへもりならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳にくわうぜんはしとりあぐる髻鬟等うなゐらが、顏は隱るゝ親碗おやわんに、子の久後ゆくすゑことぶきの饗應もてなしにみなあきたりて、ひざにこぼれし粒飯つぶいひを、ひらひもあへず、身を起し、よろこびをのべかへるもあり、人より先に草屨わらくつを、穿はか穿はかせじ、とかしましく、𥉉あはて〚目+條〛てかへるも多かりけり。

 これより手束は信乃が衣裳いせうを、女服をんなきぬにせざるもなく、三四才みつよつころに及びて、髫髮いたゞきかみおくほどにもなれば櫛插くしさゝせ、掻頭かんさしさゝせて、「信乃よ〳〵」、とびしかば、しらざるものはこのちごを、女のならんと思ひけり。されば蟇六龜篠ひきろくかめさゝは、この爲體ていたらくを見聞くごとに、掌拍ななそこうち冷笑あざわらひ、「およそ人の親たるもの、男兒をのこゞまうくるを、面目めんぼくとせざるはなし。しかるに武士の浪人らうにんが、の子を願ふはいかにぞや。結城合戰ゆふきかつせん逃後にげおくれ、脊疵受せきずうけしにいたくりて、いくさといふもの夢にも見せじ、と思ふてかくまで戲氣たはけつく。思ひしにます白徒しれもの也」、とさかしらだちてそしれども、合鎚囃あひつちはやすものはなく、なか〳〵里人等さとひとらは、信乃を愛して物をとらせ、迭代かたみかはりいだきとりて、その母の手を助けしかば、蟇六ひきろく夫婦はいとゞしく、ねたきことかぎりなし。又うらやましく思へども、淫婦いんふ石女うまずめ多しといふ、鄙ことわざ得漏えもれずして、龜篠かめさゝ四十にあまるまで、子どもひとりもなかりしかば、夫婦しきり商量だんかふして、只管ひたすら養女をもとむるに、そが媒妁なかだちするものありて、「煉馬ねりまの家臣(武藏の煉馬うじは豐としま左衞門が一族たり。煉馬ねりまの平左衝門といひしはこれ也)某甲なにがしといふものの女兒むすめ今茲ことしはつか二才ふたつになるあり。こはその親のいむとかいふ、四十二の二なれば、生涯不通の約束にて、永樂錢ゑいらくせん貫文くわんもんもたらし、家系宜すぢめよろしきかたもあらば、養女につかはすべしといへり。くだんは生れ得て、目鼻だち愛らしく、痘瘡もがさもこの春のころ、いとかろやかにしはてにければ、まこときずなき玉になん。とばかりならで去こぞの春、正月むつきのはじめに生れしかば、年つよとかいふ二才兒ふたつこ也。かゝれば乳母めのとなしといふとも、はぐゝみかたきことはあらじ。養ひ給へ」、とすゝむれば、蟇六龜篠は笑片向えみかたまけて、共に小膝こひざの進むをおぼえず、聞果きゝはてて目をみあはし、「あま鹽燒しほやくからき世に、子のもたらしとて永樂錢、七貫文は些少すけなきにあらず。目今和殿たゞいまわどのがものかたりいつはりなきものならば、もとより望む所なり。とくこしらへて見給へ」、と夫婦齊一應ひとしくいらへしかば、くだんの男はこゝろ得果えはてて、いそがはしくいでてゆきつ。

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第十七回)

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