読書ざんまいよせい(040)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(013)

 松田道雄先生は、「文芸読本 チェーホフ・桜の園』」で書いている。

 私はチェーホフが好きです。その理由を書くことは鑑賞の一部になるかと思います。およそ自由な市民がものを読んでたのしむという場合、そのたのしみが最大であるのは、好きな人間の書いたものを読むときです。
 嫌いな人間の書いたものは読まないというのは、自由な市民の誇るべき特権です。
 人間と作品とをつねに結びつける市民の素朴な鑑賞法は、市民の生活自身のなかで養成された生活の知慧の一部分というべきものでしょう。信用できない生き方をしている人間のつくるものは信用できるためしがないということを日々思い知らされているからです。
 作家の生活を自分の生活のなかでうけとめるということで市民は好きな作家と嫌いな作家をよりわけるのです。…

 では、松田大先輩の顰《ひそみ》に倣《なら》って、「文芸読本」中の、福田恆存、小林秀雄、中村雄二郎各氏の文章は読まないでおこう(笑)。

 閑話休題、チェーホフの比較的長い中編小説に「三年」(1895年発表)という比較的知られていない作品がある。発表当時もあまり評判は芳しくなかったが、読んでみると味わいのある良品である。
 商人の父(暴力的なのは、チェーホフの実父の面影があるという。)と病気の姉を持つ、ラープチェフは、ユーリアに恋心を抱き、だしぬけにプロポーズする。この間、彼女の忘れた傘がちょっとした小道具である。最初は彼女は躊躇するが、彼と所帯を持つ。子どもの死もあり、心はだんだん離れていったが、また、古い傘を見たユーリアは、ラープチェフの元に帰ってゆく。この間、「三年」の月日だった。小説の最後のラープチェフの思い。
『もう少し生きのびて、それを見ることにしよう。』
が印象的である。そして他のチェーホフの作品の多くが、男女の生きて、亡くなってを問わず別れを描くが、ともかくにも元の鞘に収まるのも珍しく感じる。

 実は、「チェーホフの手帖」は、1890年、彼の一大転機となったサハリン(樺太)行の翌年、1881年、編集者スヴォーリンが同行したヨーロッパ旅行の記述から現存する。しかもその合間には、「三年」のプロットが書き込まれているので、構想から発表までの年月をとって「三年」と名付けたのかと勝手な想像をしてみている。
 手帖の最初に

一ページ
このノートはA・P・チェーホフの所有である。
ペテルブルグ、M《エム》・イタリヤンスカヤ、ーハ番地、スヴォーリン方。
二ページ

2 イワンにはソフィヤが気に入らない、リンゴ臭いから。

6ウイ—ン着。Stadt Frankfurut〔チェーホフが止まったホテルの名〕。
寒い。

三ページ

2 くイワンは女性を敬わない、なぜなら気短かで、女性をありのままに見るからだ。>女性のことを書くなら、いやでも恋のことを書かねばならぬ。
3 く一般の福祉に奉仕しようという願望は、必ず魂の要求であり、個人的幸福の条件でなければならない。もしその願望がそこから起るのではなくて、理論的な、あるいはその他の配慮から起るなら、それはまやかしである。>
以上、池田健太郎訳

 前置きが長くなったが…

 毎日、昼飯が済むと良人は、坊主になってしまうぞと言って妻を威かす。妻は泣く。

 Mordokhvostov《モルドフヴォーストフ》*君。
*鼻面と尻尾。

 夫婦が十八年も一緒に暮らして喧嘩ばかりしている。とうとう夫は、ほかに女が出来たと根も葉もない打明け話を妻に聞かせて、夫婦わかれになる。夫は非常に満足だ。町じゅうの人は憤慨している。

 何の役にも立たぬもの、忘れられた面白くもない写真の貼ってあるアルバムが、隅っこの椅子の上に載っている。もう二十年もそうして転がっているが、誰ひとり思いきって棄てる気になれない。

 四十年前のこと、Xという稀に見る非常に立派な人間が五人の人の命を救った次第を、Nが話して聞かせる。一同がその話を至極冷淡に聴いているのが、このXの功績がもう忘れられて一向に人々の興味を惹かないのが、Nには不思議でならない。

 一同は極上のキャヴィヤにがつがつとかぶりついて、瞬く間に平らげてしまった。

 荘重な演説の最中に小さな息子に向って、「ズボン《まえ》のボタンをおかけ。」

 あなたがその人間に、彼がどんな体たらくなのかを見せてやるとき、はじめて彼は向上するのです。

 鳩羽色の御面相。

 ある地主が、鳩やカナリヤや鶏の羽色を変えて見ようと、胡椒の実や、マンガン酸加里や、そのほか色んな愚にもつかぬ餌を与える。――これが彼の唯一の仕事で、客の顔さえ見ればその自慢ばなしをする。

 有名な声楽家を傭って、結婚式の席上で使徒行伝を誦ませる。彼は誦み上げて、見事な出来栄えだったが、お金(二千)は払って貰えなかった。

 笑劇。――わたしの知人のKrivomordyj《クリヴォモルディ》(顔まがり)君は、名前こそ変てこですが、ちゃんとした男です。Krivonogij《クリヴォノーギイ》(足まがり)でもKrivorukij《クリヴォルーキイ》(手まがり)でもなくって、実に「顔まがり《クリヴォモルディ》」っていうんですが、ちゃんと結婚して、奥さんに可愛がられていましたっけ。

 Nは毎日牛乳を飲んでいた。そのたびにコップへ蠅を入れて、従僕を呼んで詰問するのだった、「これは何ちゅうことか?」まるで人身御供みたいな顔をして。これをしないでは一日も生きて居られなかった。

 陰気な女だ、蒸風呂の臭いがする。

 Nが妻の不貞を嗅ぎつけた。彼は憤慨する、煩悶する。けれど逡巡決せず、胸におさめて黙っている。彼は何も言わずに、とど相手のZからお金を借り入れる。そして相変らず自分は潔白だと思っている。

 弓形パンで飲むお茶を切上げるときには、私は「食いたくない!」と言う。ところが読みかけた詩や小説を中途で投出すときには、「これじゃない、これじゃない!」と言う。

 公証人が高利で金を貸す。遺産は残らずモスクヴァ大学へ寄附いたしますんで、とそんな弁解をしながら。

 その寺男はなんと自由主義者だった。曰く、「今じゃ私達の仲間が、まさかと思うような割目から、ぞろぞろ這い出して来まさあ。」

 地主のNは、モロカン教を奉ずる隣村の地主一家としょっちゅう喧嘩をして、訴訟沙汰をもちあげたり、悪罵を放ったり、呪ったりしている。ところが、やがて彼等がよそへ移住して行ってしまうと、彼は空虚を感じて、みるみる老い衰えて行く。

 Mordukhanov《モルドゥカーノフ》君。

 N夫婦の家に妻君の弟が引取られている。若いくせにめそめそした男で、人の物を盗んだり、嘘をついたり、狂言自殺を図ったりする。N夫婦は途方に暮れる。へたに家を追出して自殺をされちゃ堪らないし、またいくら追出したくっても、どんな風にやったらいいのか分らない。彼が手形偽造の罪で収監される。N夫婦は自分達が悪かったのだと思って、涙に暮れる、懊悩する。悲嘆のあまり妻が死ぬと、夫も間もなくその後を追った。そこで財産はすっかり弟の物になったが、彼は放蕩に使い果たして、またもや懲役に行った。

 仮にだよ、僕が嫁に行くとしたら、まあ二日もすれば逃げ出しちまうだろうよ。ところが女というやつは、すぐさま夫の家に居ついちまうんだ。まるでその家で生まれたような工合にね。

 いよいよ君も九等官(Tituliarnyj《チトウリヤルヌイ》 Sovetnik《ソヴエトニク》*)になったね。だが一たい誰に忠告しようと言うんだね? 誰ひとり君の忠告なんか聴く奴がないように願いたいもんだ。
*Sovetnikは顧問乃至忠告者の意。

 トルジョーク*。町会が開かれる。議題は、町の資産増加の件。……決議に曰く、ローマ法王にトルジョークへ移転方を招請すること。すなわち法王の居市と奠《さだ》めること。
*モスクヴァ西北の小工業都市。

 へぼ詩人の歌にこんな句があった。――彼は蝗のごとく逢引に飛びゆけり。

参考】
・チェーホフ全集10 中央公論社
・チェーホフ全集14 中央公論社
・文芸読本「チェーホフ」 河出書房新社
・ 沼野充義「チェーホフ 七分の絶望と三分の希望」講談社

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