読書ざんまいよせい(041)

◎バルザック・小西茂也「風流滑稽譚」第1篇

【編者より】
大層な長文痛みいる。本文に《》が使われてる故、ルビの内容は〔〕で已む無くされた。ルビ区切りには、従来通り|を使用いたした。

仮初の咎

   ブリュアン老人嫁取りのこと

 ロワール川に臨むロシュ・コルボン・レ・ヴウヴレイのお城を竣工めされたブリュアン殿と申すは、若かりし頃はいたって荒々しい武弁でござった。幼にして早くも娘っ子の尻を追い廻し、金銭は湯水の如くに遣い、鬼神を凌ぐほどのあらけない振舞が多かったが、父親ロシュ・コルボンどのの逝去以来、当主に直られてこのかたは、日毎しどもない美遊に耽り、びらしゃら自堕落な歓楽に身を持ち崩しておられた。が、何はさてお銭には嚔をさせ、下帯には咳をさせ、酒樽には鼻血を出させ、地所は空堀に、遊女は総揚げに、といった御乱行が祟って、遂にはまっとうな方々からも義絶を受け、交遊相手は債鬼と獄道者よりほかなくなってしまわれたが、その高利貸とても、抵当としてロシュ・コルボンの封土権しか残っておらぬのを見て、――もともとこのRupes Carbonis(燃える岩)、すなわちロシュ・コルボンは国王の直轄所領地であったが、――隔心を生じて栗の毬よりとげとげしく相成った。されば自暴自棄からブリュアンどのは縦横無尽に暴れ廻って、人の鎖骨をへし挫いたり、詰まらぬことで誰にでも喧嘩を吹っかけたり、とんと始末におえなくなったので、隣りに住んでおった口達者のマルムウチェの和尚は、《御辺がしかく正道を踏み行わるるは、あっぱれ藩侯の分として、至極尤もの儀ながら、いっそ神の栄光のため、聖地エルサレムに大便をいたす憎きマホメットの外道どもを、征伐に御渡海遊ばされたら、猶一段と天晴れでは御座るまいか。さる上は金銀財宝と免罪符を、しこたま抱えて、この故郷へなり、乃至は悉皆のさむらい衆の嘗ての生国たる天国の故里へなりと、凱旋めされること必定でがな御座ろう。》と仔細顔にて告げたので、尤もなる分別に感じ入ったるブリュアンは、隣人知己の歓喜の下に、僧院で出陣の身支度をば整え、和尚の祝福を受けて故郷を後にいたしたのであった。
 爾来ブリュアンはアジアやアフリカの多くの町々を劫掠に及び、御用心とも云わずに邪教徒どもを薙ぎ倒し、サラセン人やギリシャ人やイギリス人その他の生皮を剥ぎ、敵味方もわきまえず、何処の国の傭兵かも見境いなしに、ぎょうに梟勇を振り廻されたのは、じたい詮索ごとが生れつきの大嫌いで、糾問は殺したあとの後廻しという、いと堅実な了簡深い資性があったからである。天帝の御意や国王の思召や、また己れの意にも叶った荒仕事を、かく励むうちブリュアンは、よき信徒であり、忠義な侍であるという名声を天下にあげて、海の彼方の国々で、散々に面白可笑しい月日を送られた。貧しい女に一文めぐむより、阿魔っ子に小判一枚とらせる方を、殿は好まれ、それもなるべく数すくなの美しい阿魔っ子に仁慈を垂れ、数多い醜い老婆などは避けるようにしておったのは、さすがにトゥレーヌ人の血を受けただけあって、転んでも只は起きぬ律儀まったい性分からと見えた。
 さるほどにブリュアンもトルコ女や聖骨や聖地などから、数々の恵沢に満喫してやや心倦んだものか、金銀財宝を山の如くに積んで、十字の軍から凱旋して参ったが、通例だれでも出陣の折のふくらんだ財布を、凱旋には軽くして、癩病ばかり重々しげに負って戻って来るのと逆だったもので、ヴウヴレイの里の人も、ひどく喫驚いたした趣きでごある。
 チュニスより戻るや、ブリュアンは国王フィリップから伯爵に叙せられ、トゥレーヌ及びポワトゥの奉行職にと取立てられた。有徳な殿には、天性すぐられた上に、若き日の無分別の天への償いとして、エグリニョルの教域に、カルム・デシオの天主堂を建立までいたされたので、近郷近在からも愛され敬われ、もっぱら教会と天主の御恩寵のうちに、安心立命の日々を送っておられた。この在りし日の放埒な若衆、無鉄砲な壮漢も、髪が薄くなるに従い図外れた道楽気も失せて、今は極めて古文真宝なる好々爺となり、涜神の言辞を面前で耳にでもせぬ限りは、滅多に怒られたこともなかった。若年血気の折に余人に代って、かかる雑言を吐き尽した覚えがあるので、堪忍しきれぬためである。さしもまた喧嘩好きだったのが、絶えて人と争わなくなられた。奉行なのですぐと相手が譲ってくれたからである。けっく今はかなわぬ望みとてないまま、頭のぎりぎりから爪先まで、いちえんなどやかに落着いてしまわれたが、小悪魔だとて同じ境遇にありつけば、やはりそうなろうではないか。
 殿の居城はスペインの胴着のように、ぎざぎざした縫い目で裁たれたシルエットを、岡の上に聳やかし、ロワール川にその姿をば水鏡しておったが、広間には見事な綴れ錦の壁掛を張りめぐらし、サラセン渡りの家什調度が、室内を狭しとばかり飾り立てられ、トゥールの市民はもとより、サン・マルタンの大司教や役僧たちの目をも奪った。サン・マルタン寺院には、純金で縁飾りした旗印一旒を、信心のしるしとして寄進つかまつった。お城の周囲には肥沃な田畑、風車場、喬林など打続いて、くさぐさの収穫物が上納せられたので、あたりでも屈指の分限者と目され、いざ鎌倉といえば、手勢一千騎を具して国王の御馬前に馳せ参ずるを辞さぬ豪の者と謳われておった。
 齢も傾いてからは、絞り首に精励な下役が、咎人の貧しい百姓などを引立てて来る毎に、奉行ブリュアンは莞爾として、《ブレディフ、宥してやれ。儂が海外で無分別に命をあやめた罪滅しとしよう。》と申されたが、敢然として罪人を樫の木に引吊したり、絞首台にぶらんこ吊りさせることも屡々とあったるは、偏に正邪を糺し、古来の慣行を領内に失わざらんがためと見えた。されば領民の従順謹直なること、昨日尼寺に入ったばかりの新発意もただならず、それに夜盗追剥どもの所行が兇悪の理は、御自分の経験で十分に御存じだったもので、呪わしいこれら猛獣どもに対しては、寸毫も容赦めされず良民の保護にと当られたので、領民いずれも枕を高く出来た次第でごある。奉行にはまた信心の篤いことも格別で、祈祷であれ、酒事であれ、万事が万事はやばやと片附けられる性分でござったので、裁判沙汰もトルコ式に捌き、敗訴人には軽口を云って慰め、食事など共にして、なにがさて力づけて進ぜることも度々とあった。生きる妨げをすれば罰は十分と申し、絞り首の罪人の亡骸も、信心衆と同じ聖土に埋葬を許し、猶太人に対してさえ、よくせき彼等が暴利や高利で身を肥さぬ限りは、きつい糾明に及ぶこともなく、奴等こそ有難い多額納税者じゃと申して、蜂が蜜を掻き込むように、普段は彼等にせっせと分捕勝手に任しておいて、宗門や国王や領内の、乃至は己が身の、利益得分を計る時のほかは、ついぞその蜜を奪ったこともおりなかった。
 かかる寛仁なる振舞から、ブリュアンは老若貴賤すべての愛着と畏敬を蒐めるにいたった。お白洲から微笑を湛えて戻る殿に、これも寄る年波のマルムウチェの和尚が、《さっても殿がそのように笑ませられるは、必定、吊し首がでけるによってじゃな。》とちょがらかすこともあったし、ロシュ・コルボンからトゥールへ馬上豊かに罷る雄姿を見て、サン・サンフォリアン新町の乙女などは、《今日はお裁きの日じゃ。ブリュアン老殿様が、あれお通りになる。》と、東方から引いて戻った逞しい白馬に跨った奉行の偉容を仰いで、とんと怖じ恐れる様子もなかったし、橋の上で少年達も石弾きの手を止めて、《お奉行様、御機嫌よろしゅう!》と叫ぶと、《おお、よい子じゃ。鞭を喰うまでは、せっせと遊んだがよいぞ。》と、戯れるのに対し、《おっと承知の介、お奉行様。》といった情景が常に領内には見られた。かく殿のお蔭で、領内も泰平に、盗賊も跡を絶ち、ロワール川大洪水の年も、冬季ただの二十二名の兇漢が、絞り首の大往生をとげたに止まり、その他に一名シャトオヌフの村で焚刑された猶太人があったが、これは聖パンを盗んだ科とも、またありあまる裕福にまかせて、それを買い取った罪とも云われておる。
 ちょうど翌年、乾草聖人祭の頃のこと、――トゥレーヌでは、サン・ジャン聖人刈取祭とこれを云っているが、――エジプト人やボヘミア人なんどの流浪の掻払いどもがさすらって参って、サン・マルタン寺院から聖宝を盗み、剰え場所もあろうに、聖母マリア様の御座のところへ、老耄犬ほどの年恰好の、仲間の賤しいモール生れの軽業の美少女を、丸裸のまま置去りにして逃げた。これぞ町びとの揺ぎなき信仰に対する、侮蔑嘲弄のしるしとも申すべく、さっても図ないかかる涜神の贖罪といたして、早速にくだんのモール娘を、草市が立つサン・マルタン広場に引き出して、噴水のほとりで生きながら火炙りの刑に処そうと、検察当局も法門もずんと裁断いたしたるところ、ブリュアン奉行はこれに首を振って、明快に陳じ申されるには、《これはいかなこと、件のアフリカ娘の魂を、まことの宗門に帰依せしめてこそ、奇特にもなり、また上天の思召にも相叶うものとそれがしは存ずる。と申すは一朝、悪魔が女体に潜んで業を張るに於ては、断決どおりに薪を山と積もうと、悪魔を焚殺することは能わぬではござらぬか。》と、不承されたので、げに寺法にも適い、慈悲福音の御教えにも添うた順義ある言として、大司教もこれに同心めされたが、町の上臈衆はじめ貴紳の面々には、《それでは見事な儀式もお流れじゃ。牢屋のなかで目を泣きはらし、縛られた山羊さながらに喚き叫んでおる、あのモール娘の所存に任せるとなれば、鴉のように長命をば望んで、ちょろり改宗してしまうで御座ろう。》と、高声で不合点したので、奉行は、《いや、異邦の娘が心底から改宗いたすとならば、一段と雅致ある儀式を、それがし執行するといたそう。躬が親しく洗礼の代父を勤め、諸事万端、盛大に挙式いたしてもよいが、生憎とまだ稚児〔コクバン〕衆(チョンガー)のそれがしゆえ、どこぞの息女に代母の役を頼まば、なおと神意にも叶うことと存ずる。》と申された。チョンガーとはトゥレーヌの土地言葉で、まだ嫁取りも済まぬか、或は童貞と見做されている若衆を、女房持ちや鰥夫から区別いたす際の言葉じゃが、総じてチョンガーと申せば夫婦ぐらしで埃臭くなった殿方より、気も軽く浮々してござるから、そんじょうそれと名はつけずとも、娘子衆ならば、ちょろくこれを見立てるすべを心得ていよう。
 モールの娘は、火刑の積木と、洗礼の聖水と、どちらを選ぶべきかをうじうじするまでもなく、エジプト産の邪宗門として焚き殺されるより、切支丹にころんで生きながらえる方を、もとより好んだので、一瞬にいのちを燃やす代りに、一生涯心臓を燃やす身とは相成った。というのは信仰心に躓きのないようにと、シャルドンヌレに近い尼寺にこもって、不犯の誓を立てることに定まったからじゃ。さて洗礼の儀式は大司教のお館にて挙げられた。トゥレーヌの衆ほど、舞や踊や飲み食いに熱中して、大盤振舞や無礼講に、羽目を外す連中は、ついぞ全世界にその比を見ないほどで、救世主の栄光を祝して、早速にトゥールの町の貴顕淑女はここを先途と踊り狂われた。老奉行職が代母の役に選んだは、後のアゼエ・ル・ブリュレ、当時のアゼエ・ル・リデルの領主の御息女で、父領主は十字軍に加わって、アクルという遠い遥かな町で、サラセン人の捕虜となり、生憎と押出しが立派すぎたため、莫大もない身代金を要求せられておった。アゼエの奥方はその金子調達のため、強慾な金貸に領地まで抵当に入れ、一文なしに身をはたいて殿の帰りを待ち侘びつつ、町の陋屋に起臥しておられたが、坐る敷物はなくとも気位だけはシバの女王よりも高く、主人の襤褸切れを護る忠犬のように、頼もしずくなところがごあった。斯様な窮乏のどん底に陥ったアゼエの奥方を見るに忍びず、奉行は救済の一助として、エジプト娘の代母になることを、アゼエの息女に体よく頼みこんで、金品贈与の口実を得られた。さて奉行にはサイプラスの町で劫掠いたした重い金鎖を所蔵しておったのを、贈物として臈たけた代母の頸に掛けようと、殊勝にも考えついたが百年目、図らずもそれと一緒に、己が封土も白髪も金銀も軍馬も、総ざらい掛けてしまう結果とは相成った。と申すはトゥールの上臈衆に交って、アゼエのブランシュ姫が孔雀の舞をみやびやかに踊る妙な姿を、一目見るに及んで首ったけ、ふならふならと入れ揚げてしまわれたからである。
 モールの娘もこれが娑婆見納めの日というので、芸尽しに綱渡り、軽業、曲芸、輪舞、跳躍と、あらゆる妙技を出しきって、座の衆目を奪ったが、ブランシュ姫の舞いざまの清艶都雅に比しては遥かに及ばず、ずんと一籌を輸したとは世間の取沙汰でござった。玉敷の床板にも恥じらう踝をした芳紀十七の姫御前が、年が年ゆえあどけなげに、踊り興ずるそのさまは、さながら初の一節を奏でそめる蝉の風情と申そうか、眺めるブリュアンはけなるい老いの煩悩に取憑かれてしまわれた。まことそれは猛々しい脳溢血的な弱味さかんな修羅燃やしで、積む白髪の雪に恋の炎も消え尽す頭部は別として、足の底から頸筋のあたりまで、奉行の身体は燃え焦げたのである。その機に及んで初めて己が居城に足らぬのは、奥方ばかりということに奉行は気附き、実際以上の淋しさをば覚えられた。なにがさてお城に奥方のないは、釣鐘のない撞木と同じという訳で、奉行がこの世に望むものがあったとしたら、奥方を迎えるという一事のほかにはなく、もしもアゼエの奥方が兎や角、返事を渋ったなら、自分にはこの世からあの世に移るばかりしかないと、立ち所に嫁取りの儀を切望いたされた。しかしこの洗礼祭の騒ぎの間は奉行も並々ならぬ恋の痛手を痛感することも僅かだったし、ましてや頭の毛を薄くしたおのが八十路の不祥に思い及ぶことも尠く、うら若い代母の容姿が、あまりにはっきりと眼の底に灼きついたので、おのが霞まなこのことも打忘れてしまわれた。それにまたブランシュ姫も御母堂の下知のまま奉行を下にもおかず目差しや身振りで款待いたされたが、代父の年が年ゆえ昵懇に及んでも何の仔細もないと、思い定めたからでもあろうか。春の朝のように目ざめているトゥレーヌの悉皆の娘っ子とはうって変って、生来初心でおぼこなブランシュ姫は、されば手に接吻することを老人に先ずは許した。――それからしてちょっと下の頸っこ、いや、ずんと窪っこのところに。と、こう申したるは祭から一週間後、この二人の婚礼を司った大司教猊下でごあるが、嫁取りも立派だったが、さっても花嫁御寮ときたら、更に立派でござりや申した。
 ここなブランシュ姫はまこと類いなく華奢で優雅であられたが、なかでもそのおぼこ振りと申したら、古来その例しも聞かぬほどのかいもくの野暮娘で、色恋の道も心得ねばその仔細も手段もわきまえず、人は臥床の内で何もせぬものと思い、赤子は縮緬甘藍の中から出るものと合点めされていた。そがい母者人が何一つ知らせずにこの懐ろ娘を育て上げたからで、スープを歯のあわいから何として吸うたものやら、弁えさせないで大きくしたほどの丹精の甲斐には、清い華やかな純な乙女が花咲いて、天国へ飛翔する翼を欠いた天使そっくりと申したらよろしかろう。
 泣き沈んだ母御前の賤居を後にいたして、サン・ガチアン大聖堂にしつらえられた晴れの祝儀の庭に、ブランシュ姫が赴こうと立出でて、セルリの街筋に敷きつらねられた錦の毛氈を渡るそのあでやかな姿に、目の放楽をいたそうと、近郷近在からこぞって物見にと老若男女が集まって参られたが、トゥレーヌの土を、こうまで可愛げな足が踏んだことはないとか、こうまで涼しい碧い眸が空を仰いだこともおりないとか、こうまで見事な敷物や花吹雪が街を飾った祝言もないとか、いやはやもっぱらの取沙汰でごあった。町の娘子衆や郊外のサン・マルタンや、シャトオヌフの当世娘たちは、めでたく伯爵夫人の玉の輿を釣ってのけたブランシュ姫の丈長の鹿子色の編髪を羨まぬとてはなかったが、それとともに、いやそれ以上に、姫の金糸の衣裳、海彼の宝玉、白ダイヤ、或は奉行に身を永遠に結びつけた縁〔えにし〕の糸とも知らずに、姫が無心にまさぐっておった黄金の鎖を、所望すること切なるものがござった。
 この花嫁と並んで立った老奉行の有卦に入ったるその浮かれ振りと申したら、皺や眼差や仕草の悉くから諸果報がこぼれ出んばかりで、老いの腰を鎌ほどに伸して、花嫁の傍に倚り添ったるさまは、晴れの調練にまかり出る野武士よろしくで、手を脇腹にあてがっておったは、はや歓喜に喘ぎ困〔こう〕じ過ぎたためでごあろう。妙なる祝鐘の音や、眼も綾な練り行列や、華麗を尽した盛儀のさまは、《大司教直々の御婚儀》と後世に語り伝えられたほどで、モール娘の雨霰も結構、老奉行の洪水も結構、改宗の洗礼の大溢れも結構と、町の娘子衆は自分等もあやかりたくて願うたが、もとよりエジプトにもボヘミアにも程遠いトゥレーヌの里のことゆえ、こうしたお目出度もその後はついぞ起ったためしとておりなかった。
 祝儀が済んでのちアゼエの奥方は、奉行から莫大な金子を賜わったので、早速にアクルへ下ってその金で良人の身を買い戻そうと、息女のことは呉々も花婿どのに頼んで、万端の準備を整えくれた奉行の麾下や組頭や士卒を供といたして、その日のうちに出立せられた。ずっと後になって、アゼエの領主ともども奥方には戻って参られたが、癩を患っていた良人を、伝染の危険をも顧みずに甲斐甲斐しく看護いたして、全治せしめたその献身ぶりこそは、いたく世上の歎称をば受けられた。
 さて婚儀もとどこおりなく済み、三日にわたった披露の宴も賀客の大満悦裡に果てて、ブリュアン殿は供廻りも美々しく新婦をおのが居城にと伴って、マルムウチェ和尚がお祓いをした新床へ、世の常の良人の形儀に従って厳かに案内いたし、ロシュ・コルボンの領主にふさわしい緑の金襴金糸を張りめぐらせた大きな閨房にて床入りの式を行われた。身体じゅう香水を浴びたブリュアン老人が、新婦の傍らに添臥し、いざ肉と肉になると、やおら新郎は新婦の額ぎわに先ず以て接吻し、次いで花嫁の金鎖の環の止金の胸に触れるあたり、白いふくよかな乳房の上に接吻をいたした。……が、これをもって、それなりけりの終りとは相成った。
 階下の広間では、なおもはずむ舞の手拍手、華燭の祝歌、陽気な戯事、それらを耳にしながらも老武弁の伊達者には、己れを信ずること篤きあまりに、余の儀に及ぶことを控えて愛のしこなしは沙汰止みにといたしたのでごある。嘉例にしたがって、金の杯に浄めた床入りの酒が、傍らにおかれてあったのを目口かわきの新郎はぐっとあおって気力をつけめされたが、腹うちこそその薬力で暖ったものの、だらりとした下紐の中心は、むなしく何の験気もおりなかった。しかし新婦は新郎のかかる叛逆不逞を、いささかも訝る模様もなかった。心底からのいや堅気な未通女で、婚儀に就いて心得ておったことは、僅かに懐ろ娘の眼にありありと見えるもの、――衣裳だとか、酒盛だとか、馬匹だとか、奥方になり女主人となること、伯爵夫人として領地を統べること、遊行や下知をほしいままにすることだけと合点なされているだけで、とんとうんつくな子供も同じこと、褥のあたりに垂れた金の総や瓔珞を爪繰り、おのが初花を埋むべき廟所とも知らずに、ただその壮麗さに驚嘆の眼を瞠っておったのであった。おのが罪科に気づくに、遅過ぎた気味のある不念な奉行は、それでもなお後日に儚ない望みをかけ、今宵がほどは仕業の補いを、言葉をもって埒明けんずと心構えられた。したが後日に期すといっても、妻に振舞おうと彼が大事にしている当の代物は、くやしや毎日、少しがほどずつ虧耗してゆくをなんとしょう。そこで奉行は新妻に四方八方〔よもやま〕話を仕掛けてもてなされた。衣裳櫃はおろか、蔵や長持の鍵まで、悉皆|奥方〔おく〕に預ける話、屋敷田畠の宰領を一任して、一切の口出しを慎しむ話、――つまりトゥレーヌ人の言い草に従えば、麺麭の片きれを相手の頸に掛けてやる話を、仔細らしくしだしたのであった。聞いて花嫁は乾草の山に踏み込んだ若い軍馬さながら満悦して、三国一の気前よい殿御と奉行をあがめ奉り、褥の上に身を起して婉然とし、われこそ爾今は天下晴れての夜毎のあるじと、緑錦の臥床を今更のように眺めて、一段となまめいた面持で床上を撫でさすられた。花嫁が次第にかく美色を呈してもやついて参るのを見た老獪な殿には、乙女子にこそ余り接せられなかったが、好きものの女人を常に手玉にとられた幾多のむかしの御体験からして、羽根蒲団の上では女人がいかにしどもなく牝猿になるものかを、身に沁みて御存じだったもので、昔なら辞退尻込みどころでない例の女子のすなる手玩びやあじゃらなキッスといった、濡事のけなるいたわれ遊びのからくみを、こっちに仕掛けられて、法王の御入滅のようないまの己れが身の冷灰を見破られることを心配いたし、われと果報を忌み怖れるもののように、新床の片端にと身をしざって、仮粧ばんだ新妻に向って申された。
『のう、そなたももはや奉行が奥方じゃ。まこと大名の御内室じゃて。』
『まだで御座りましょう。』
『はて聞えぬことじゃ。なんでおみが家刀自でないぞ。』ひどくうろたえて奉行は申した。
『されば子を生みまいらせぬほどは、嫡室とは申されますまい。』
『なんと道すがら牧場を見つろうが。』老翁は話題を転じた。『いかにも。』
『されば、あれもわこぜがものじゃ。』
『はあ嬉しや。されば蝶を捕まいて随分と遊び申そう。』と笑いながら答えた。
『さてこそ聞き分けのよい。途中、森も見つろうがの。』
『はあ、あの森は殿と御一緒でなくば淋しゅう御座りましょう。お伴い下さりませ。したがラ・ポヌウズが心を籠めて、われらが為にと醸しおかれた床入の御酒〔みき〕を、少しわらわにも賜わりませ。』
『これはいかなこと。あれを飲うだなら体内に炎を発するわ。』
『さればこそ所望いたすのじゃ。妾は一刻も早う子を生みまいらしょうと存ずれば、それに験のあると聞き及ぶかの飲料を下さりませ。』とさも怨めしげに申されたが、この言葉に姫が頭の先から足の裏まで、おぼこ娘のことを察知めされた奉行には、『そのことならば先ず以て、天主の御意がのうては叶い申さぬ。且つは女体の刈入れ時にならねば、能わぬことじゃて。』
『妾〔み〕が刈入れ時は何時でござりましょう!』嫣然としてブランシュは訊ねた。
『造化の神の思召す時じゃ。』と強い笑いを作って申した。
『してそれは、どのように仕るもので御座る?』
『されば神秘の学、錬金の業、危険極まる隠事であるわ。』
『さてこそ躬がしのびごとを憂えて、母者人には、いたく打泣かれたのも尤もじゃ。したがベルト・ド・プリュイリが嫁入りの手柄話に鼻高々と申したは、これほど易い業も天下に御座りやないとじゃが……』と夢みる面持で新婦は云った。
『それは年によりけりじゃ。』と老城主は答えた。
『時にわごりょは儂が厩舎で、トゥレーヌにその名も高い白駒を見たか喃。』
『あい。天晴れ温和な駒にて御座りまする。』
『さればあれもそなたに進ずるほどに、気が向く儘に乗り廻すがよいぞ。』
『噂に違わぬ親切な殿、有難う御座やりまおす。』
『なおその上に、余の大膳職、礼拝堂番、主計役、主馬頭、料理方、代官なんどを始めとして、呼名をゴオチェと云う躬が旗持の若小姓モンソロオ殿に、麾下の侍、武士、足軽、軍馬を引具せしめて、わぬしの膝下に跪坐させようぞ。万一そなたの下知に怱々従わなんだ者あれば、立ちどころに絞り首じゃ。』
『してかの神秘錬金の術と申されたを、今ここで行うわけには参らぬかや?』
『なかなか。まず余の儀に立ちこえて肝要なは、そなたも儂も、天主の御恩寵に屹度適うた身に相成ることじゃ。さなくば罪業沢山の悪しき子を生むを以て、重く寺法にも禁ぜられておるわい。世に済度も叶わぬ無道の者夥しいは、何れも両親が魂の清らに澄む折を待たず、無分別にも子孫に邪念を伝えたからなのじゃ。美しき有徳な子は無垢な父母のみが生む定めなれば、新床にお祓いをなすのもそが為じゃ。さるに依りマルムウチェの和尚もこの床に魔除けをいたしたる筈。時に其方は教会の掟に背いた覚えはござないか。』
『されば弥撒の前に罪障悉皆赦免の御沙汰を拝しましたれば、其後は何一つの罪咎もつゆ覚え御座りませぬ。』と口早やにブランシュは申した。『おもとほどの天晴れな者を北の方にいたして、儂は双びもない果報者じゃて。したが躬は邪宗門のごと、はや涜神の振舞を犯しおったわ。』と狡い奉行は思い出したように叫ばれた。『まあ、何故にて御座りまする?』
『されば舞が一向に果てず、わごぜと水入らずに一室に引籠って、かく接吻をなすの期が、かいしき参らぬによって、先刻はつい神を呪い申したわ。』
 そう申して慇懃に姫の手をとり、接吻を雨霰として、空言睦言かきまぜてさまざまに述べ立てられたので、姫はすっかり悦に入り満足気であったが、昼の踊やさまざまの儀式に疲れを覚えたものか、《明日こそはさような呪いを発せずと床に籠れるよう、妾が十分こころしまする。》と言いつつ夢路にこそは入りめされた。残された老人は新妻の白い美しさに、げしゅう心奪われ、優しい姫の心根に接してその恋心も弥募ったが、この天真爛漫さを保たせる術を心得るのは、何故に牛が反芻するかを説き明らめるのと同じ難渋ごとと考えて、少からずに困却いたした。前途にさらに何の光明とてなかったが、無心にすやすやと寝入っているブランシュの妙なる麗質をしげしげと見るにつけ、翁の胸中の焔は燃え上って、飽く迄この恋の寵珠を守り防がんずと、堅く心に決心めされた。老いの目に涙を浮かべつつ彼は姫の美しい金髪や、可愛らしい瞼や、赤い爽かな口許に、眼の覚めぬようそっと接吻をいたした。……そしてそれが彼の享有のすべてでごあった。してそれはブランシュの心に通うことのない沈黙の快楽であっただけに、うわずった彼の心は一段と燃え燻ぶるばかりで、落葉した老路の雪を、いたく嘆いた憐れなこの老奉行は、歯の落ち尽した時分に胡桃をお授けになられた神様のお戯れに、しんぞじゅつない思いをいたされたのであった。

   妻の素女点と奉行たたかうのこと

 結婚したての初めが程は、若妻の珍重すべきあどけなさに乗じて、奉行は御大層な魂胆ばなしをつどつどとならべ、或は公事繁多を名目に、妻を孤閨の臥房に残し、或は野山の遊行に妻の心を紛わすべく、ヴウヴレイの荘園の葡萄摘みなどに誘い、遂には飛拍子もない嘘八百を構えて、妻の懐柔に努めたりいたした。
 即ち或時はこう申された。――太守たる以上、百姓下民とは自ずと別の仕儀がある。されば伯爵の胤を身籠ろうとならば、天文占星の泰斗が演繹したしかじかの星宿合朔の宵を措いては他にない云々。又或時は、子をなすわざごとはずんと大仕事ゆえ、祭日には身を慎しまねばならぬと申し、祭日物日を潔斎して守ること、業支障なしに天国の門に入らんとする御仁の精進ぶりの如く、また或時は万一両親に神の恩寵がおりていぬ場合、サント・クレールの日に孕んだ子は盲目となり、サン・ジュヌウの日は痛風、サン・エニヤンの日は白癬、サン・ロックの日はペストを患う云々。さらに説くには、二月に生れた子は寒がりや、三月のは暴れん坊、四月子は碌でなし、たのもしずくなは五月生れなどとあっけもないことを云々。されば詮ずる処、奉行の望みめされるのは五体満足、しかも二色の毛を持った怪顛な赤ん坊で、その上あらゆる小蒼蠅い条件を完備しておらねばならぬというさっても無理な註文でごあった。また或時はこうも申した。――総じて子宝を妻に授くることは、殿方ひとりの意一つに存する良人の権利なれば、妻女たるもの、貞節な家刀自たらんとならば、つとめて亭主の意に同心せねばなるまじい云々。とうとう最後には、アゼエの奥方の帰国を待って、産所の介抱を受けねば叶うまじいとまで言い逃れめされた。
 そうした訳で、奉行が妻の切願に辟易たるのは、世故にたけたるお年寄ゆえ、或はそれ相応の了簡あってのことならんと、終いには若妻も推断いたして、爾後はぞんのほかに承順して、ほしい子宝のことなぞ、心の奥での他、絶えて考えめされなかった。――と申すは、常始終そのこと許り考え続けたという謂いじゃが、いったい女子衆はあたまに一つの粋興を起したとなると、快楽のあとを追う婬姒売女にも等しい所行に及んでも、決して自覚めされぬ御性分でごある。
 或晩のこと、重い罪科でその朝、処刑された若衆を、奉行が憐んだことからたまたま話が移って、普段は猫が水を忌むように奉行が避けておった子供の話題に触れ、両親の仮初ならぬ咎を、まさしく身に負った報いと、奉行がこれを評したのを聞いてブランシュは申した。
『よしや、万一、殿が天主の赦罪も受けぬ先に、わらわを身籠らせたとしましても、妾は躾けよう育てて、天晴れ殿の御子として恥かしゅうのう成人いたさせまする。』
 こころまめしいその言葉に、奉行は妻が生温かきファンテジアに五体をさいなまれおることを看取めされて、今こそ妻の素女点〔しょじょせい〕と一戦を交えて、一打ちに打取って首級を挙ぐるか、または雁字搦みに押えつけるか、さなくば素直に鎮めて消散せしめるか、ここが大事の瀬戸際、一期の浮沈と心得て、『なんじゃ、わごぜは母になりたいと申すか。然らば先ず奥方の作法を心得ねばならぬが、武張ったこの館の家刀自たる修業が、そもそも肝要じゃて……』
『はてさて、天晴れ大名の奥方となり、世嗣の子を胎に宿そうとならば、女子の武芸百般をわきまえねばなりませぬか。心得ました。精一杯に習練いたしまする。』
 世嗣を儲けたい直心〔ひだごころ〕からブランシュは、かの白馬に鞭をあげ、濠を越え谿をわたり、ひたがけりに野山を馳駆して鹿狩に身を鍛え、または鷹狩を催し、可愛い拳にとまらせた鷹を、大空高く舞上らせて打興ずるなぞ、ことは奉行の思いの壺に嵌まったと相見えたが、かような練武に出精するに伴い、比丘尼や坊主のような欲望を覚え、狩から戻って歯滓を落す時なぞ、食放題に食べていやが上にも精力を補強し、一朝の産時に備えめされた。また途上に見る鶺鴒のまぐわいの古譚や、射伏せられた禽獣のつれあいの哀慕に接しては、頬を染めつつ、天然錬金術の秘法にあこがれ、懐胎の思慕を萌すこと切且つ急なるものがあって、好戦〔くみうち〕欲は和らぐどころか、子供ほしやの欲望は、いやが上にも募り擽られ、旺々勃々と末広がるのであった。
 されば山野の駆走に依って、妻の謀叛気な素女点〔はるごころ〕をそらせようとした奉行の調略も、ここにあだとなり果て、ブランシュの血管のなかをかけめぐる奇体〔けったい〕な懐春の情は、一段とこの誘掖に依って肥え太りし、騎士に昇進した扈従のように、槍試合や組打を挑まんとの鼻息は、益々烈しいものとなり終った。この様を見て奉行は始めて、方途を誤ったことを悟りめさり、肉あぶりの炮烙に載ったら、熱くないところなぞない理を沁々と痛感いたされたが、疲れさせればいよいよ鎌首をもたげて、元気づいてくる、このずんと肥え太ったおぼこ気を、どう政道すべきかに、とんと奉行は窮したのでごあった。斯様な合戦から一方は敗北を喫して、瘤をつくるのが世間一般の仕儀ではあったが、神様の御加護により己が存命中は、額の角瘤をつけられずに済むようにとは、なにより奉行の切なる悲願であった。それにまた溌剌とした若妻が、ひたすら生の歓喜を趁う狩猟行のしりえから、馬飾りの重さに苦渋の汗をしぼりつつ、息絶え絶えとお供めさるは、一方、落馬の惧れもさることながら、老奉行にとってはしんぞ何よりの苦行でごあった。さるをまた、夜は夜とてブランシュは、踊の所望をいたすこと屡々で、モール娘に見習った跳びはね踊りに打興ずる折なぞは、奉行も手をかさねばならず、炎の舞に耽る時には、燃える松明を親しく捧げねばならず、介添役たる殿はたださえ重い装束に鎧われたのみか、踊の後見に右往左往という難行に、とんと全身の精根もすり尽すかと見えた。もとより奥方がわれと徒然を慰むる手立ての雅遊逸楽であれば、その一番が果つる毎に、奉行は己れが坐骨神経痛、膿瘍、リウマチスもよそに、やんやとしただるいお世辞や御愛想の一言を申して、強い笑いを作らねば座は済まなかった。それほど奉行は若妻に首ったけだったゆえ、神旗であろうとなんと、彼女の所望とあらば、即刻に探しに赴いたに違いはござるまい。
 したが或日のこと、奥方の精力旺盛さと太刀打するには、あまりにも己れの腰骨が軟弱なのを、奉行は遂に観念に及んで、とうとう妻の素女点どのに兜を脱ぎ、このうえはブランシュの浄い宗教心と節操の念に、幾分かの頼みをかけて、その余は運次第に委そうとの決心をいたした。とはいうものの相変らず片眼はあけて、両の眼でおちおち眠ったこともなかったのは、神様が鷓鴣をお造りになったは、炙串にさされて焼かれる為と同じく、処女膜をお造りになったのは、何時の日にか破られるためという邪念が、奉行の心を去らなかったからである。
 蝸牛がのそのそ漫歩しだした季候の、雨に煙ったとある朝のこと、夢想に相応しいメランコリックな時候のせいか、ブランシュは室内の愛椅子の上で、うらうら夢み心地であった。いったい椅子の羽根蒲団と、暫時の間その上に腰を卸した乙女子の身のぬくもりとの間に、輻射される微妙な温かみほど、体現的な越仙佚亜〔えっせんす〕を烈しく醞し出すものはなく、またどんな淫薬媚薬の調合を以てしても、これほど心に滲み透り、身を刺し貫き、五臓六腑をたぎらかし、遍身をつんざくものはござない。さればそれと知らずにブランシュは、あたまを燃焼させ、五臓五体を咬むところの素女点に、けもなくその折り悩まされておったのであった。
 ブランシュの物倦げな面持を見て、尠からず心痛めされた奉行は、ぎょうに夫婦愛的な色の道に基くところの妻の底心を、何とかして退治てくれようと、
『なんでそのように打案ずるぞ。』と訊ねた。
『恥かしゅうて。』
『何者がそもじを恥かしめたと申す?』
『さればわらわに子がなく、殿に世嗣も欠けたれば、一人前の奥方とは申されぬゆえ、慚愧の念に堪えぬのじゃ。世上近隣のさまを見渡いても、後嗣のない奥方とては一人も御座ない。わらわが嫁入りしたは子を生まんがため、殿にはまた子を授けんがためと心得たに、トゥレーヌの殿方、奥方ことごとく大の子福者で、わんさとあるに引きかえ、わが殿ひとり子が無うて、やがては世の笑いものともなり、家名の程も心許なく、封土の行末も案ぜられるに依ってじゃ。子はわれらが自然〔じねん〕の伴侶〔ともがら〕ゆえ、女子にとって愛子〔まなこ〕の襁褓あて、脱ぎ着せ、抱きあやし、おどしすかし、揺りねかし、眼ざませ、寝せつけ、添乳などに勝る喜びは御座ない。せめてわらわに半人なりと子があったれば、世上の奥方のすなる頬ずり、おむつくるみ、おべべの着せ脱がせ、膝ぐるま、あばばばなどして、日がな一日、楽しもうものをのう。』
『したが子を産みつつ死ぬる女子もあるわ。それにそなたはまだ骨細にて、蕾も固いなれば、母となる途を他に求めてはどうじゃ。』――いきぜいはっての妻の言葉に、うっかり口を滑らせて慌てて奉行は、『それそれ、他でもない。出来合いを貰うことじゃ。それならば腹を痛めずに済もうぞ。』
『腹を痛めいで、なんでおのれが子と呼ばりょうぞ。お寺の説教にもイエス様は聖母の子袋に宿った種と申せば、わが胎内より出ずるのでのうてはきつう嫌〔いや〕じゃ。』
『さすれば神に申し子をいたせ。エグリニョルのマリア様に、調儀を頼うだがよい。九日九夜の満願の後に身籠った奥方も、世上に多くあることじゃて。そなたも一定、外れはあるまい。』
 そこでその日のうちにブランシュは、エグリニョルの聖母寺へ参籠いたすことと相成った。ブランシュその日のいでたちは、白馬に打乗り、金糸の縁取りに真紅の袖のついた緑の天鵞絨の衣裳の胸ぐりも深く、宝石で飾られた高頭巾、あいくるしい小沓、竿のようにほっそりした胴廻りをくっきり示す金の帯など、さながら女王様にもまごう豪勢な着飾り方で、しかもその衣裳万端は産後のお礼詣りの日に、聖母マリア様へ寄進の志とやら聞えた。また先駆にはモンソロオ殿が、熊鷹より炯々たる眼光で、馬上豊かに手勢を引具して、警固人払いの役を相勤めた。
 マルムウチェ近くで、八月の暑気に睡気を催した奉行が、居睡りつつ鞍上に揺られゆくさまは、牛の頭に載せた王冠そっくりと相見えた。斯くこむさい年寄りの翁が、あでやかでうるわしい上臈衆の傍らに、倚り添っているのを眺めて、木蔭にかがんで水甕の水を飲んでいた田舎娘が、落穂拾いの貧しい歯抜けの婆に、あの上臈は死神を水葬礼に連れ行くのじゃろうかと訊ねると、『どうしてどうして、あれはポワトゥ・トゥレーヌ兼領の奉行ロシュ・コルボンの奥方が、授かり子の願掛けに参るところだで。』と老婆は答えた。
 度を失った蠅のように、田舎娘は大口で笑いながら、行列の先頭を切っている颯爽たるモンソロオ殿を指さして言った。『あの先駆を勤める仁に縋ればよいに。すれば御蝋燭も御祈誓もけっくはぶけるではないか。』
『さればそのことじゃ。エグリニョルの聖母寺には、見目よき色坊主もおらぬに、なんで御座らっしゃるのやら。マルムウチェの釣鐘堂なら、たんと逞しい精力御坊が御座るべいから、ちょっくらその蔭に滞在めされば、大願成就は疑いなしじゃろうに。』
 というところへ、のそのそ起き上った織匠の女が、『なんの坊主なんか糞くらえじゃ、モンソロオ殿こそ奥方の心を開くに、もってこいのあつあつの色男だで。あの馬上のひらいた腰ぶりを見ても知れようが。』
 その言葉に一同は声をあわせて笑い立てた。モンソロオ殿は憎き雑言の見せしめに、街道の菩提樹にこの三人を引吊そうといきまかれたが、ブランシュは、急いでこれを引止めて、『吊し上げるは後刻にしやれ。まだ申し足りぬ趣に見ゆれば、戻りにまた聞こうずる。』
 とて面を赧らめた風情に、モンソロオ殿もさながら恋の神秘な了解〔りょうげ〕を、御主たる女人の裡に打込まずんばやまぬ勢いで、じいと奥方を見つめられたが、この時はや百姓女の雑言に依って、世心づけられたブランシュは、処女脱皮的なあの方の悟りを、とうに開きだしておったが、まこと素女点は燧艾もただならず、燃え立たせるには、ほんの一言で足りると相見えた。
 されば今は老い朽ちた良人と、件〔くだん〕の色男モンソロオとの間にある色身の著しい差異は、奥方の眼に映らずには済まなかった。モンソロオ殿は、二十三の齢を苦にもせず、九柱戯の柱よろしく真直に鞍上に突立ち、暁鐘の初鳴りのように目ざましいその男振りたるに引換え、奉行はしきりに馬眠りをする。騎士のこの颯爽たる勇ましさに比し、翁の身にはその影かたちだにない。まことモンソロオ殿こそ夜の被衣〔かずき〕以上に、世の浮気娘どもが寝床で愛用めさるのも、なにせよさようなきびきびした殿御には蚤の心配がないだけでも尤も至極な訳合で、当世娘のそうした嗜好をあしざまに云う者も世間にはあるが、しかし寝よう寝ざまは各人の好き勝手ゆえ、咎め立ては御無用千万。
 ブランシュはあれこれと考え出し、考えれば考える程、腑に落ちて参るので、トゥールの橋にさしかかった頃は、恋とは何かつゆ知らぬながらも、娘っ子が惚れるように、モンソロオを秘かに熱愛し、人の持物〔もの〕、男子の最上のたからを物羨みしだした物持の女となられてしもうた。最初の垂涎と最後の欲望との間、なにもかも一面に焔となり、ずんと恋煩いに陥ったブランシュは、一跳びに惨めなどん底へと、まっかいさまに突き落された。これはまたいかな微妙なエッセンスを、眼差に依って注入せられた所為か、とんと合点は参らなんだが、現にブランシュの総身の血管、心臓の各|襞〔ひだ〕、肢体の神経、毛髪の根、筋肉組織の発汗点、脳の各葉、表皮の各孔、臓腑の螺回、上腹の管、其他ありとあるところに烈しい腐蝕作用がとみに覚えられて、五体たちまちに脹れ、熱っぽく、くすぐったく、さては毒気を帯び、掻きむしられ、突張りだし、暴れ出すといったそのさまは、千もの針の籠を体内でぶちまけたと同じい騒ぎでごあった。色娘の嗜欲、しかもぴんぴんしたあじゃらな欲望が、ブランシュの眼を掻き乱したために、年寄の良人なぞはもう目に入らず、和尚の福々しい頤のように、豊かな自然の恩沢に浴した若いモンソロオ殿しか、ブランシュの眼中にはなくなったのであった。
 トゥールの町に入ると群集がざわめき出したので、漸くに奉行は目をさまし、お供も賑わしく、エグリニョルの聖母寺にと繰り込んだ。この寺は、霊験いやちこな処という意味で、ラ・グレイニュールとむかしは呼ばれておった。神様やマリア様に子授けの願掛けをする会堂へブランシュは向われ、風習通りひとりでそこへ入られたので、奉行や従者や物見の群集は、鉄格子のそとに犇めいた。申し子や授かり子の相談にあずかり祈祷を司る僧侶に、ブランシュはまず以て訊ねた。
『石女〔うまずめ〕は世に沢山とあるもので御座るか。』
『なんの、嘆くがものはない。子授けは教会の弗箱でござる。』
『わが奉行殿のような翁とつれそう若い奥方は、世上にあまたござろうか。』
『されば稀有のことでござる。』
『稀有のことにもせよ、子宝を授かってござるか。』
『まこと授からぬものとてはおりない。』と笑いを含んで答えた。『しからば、もそっと年をめされぬ連合いを良人〔たく〕にした方々は如何じゃ。』
『その分は時たまに授かる者もあるげじゃ。』
『されば奉行のような連合いを持ってこそ、確実に子が授かれるわけじゃな。』
『いかにも。』
『してその次第を説き聞かせられい。』
 僧侶は厳粛に答えた。
『さればさ、子の授く授からぬは、かの齢以前は、天の御子の御旨にのみ依るものじゃ。したがかの齢以後は、もっぱら人の子で埒の明くものでござる。』
 この時代は沙門の善智識こそ、あらゆる智慧才覚の元締であったことは、隠れもない事実ではあるが、この一言からしても、正にそれが御想察めされよう。さてブランシュは子授けの願掛けをいたしたが、その礼物の夥しさは黄金二千エキュにもあたる綺羅衣裳からも、推し量られい。
 帰り途、ブランシュがひどくはしゃいで、鞍上を躍りつ跳ねつしてゆくさまに、奉行は訊ね申した。
『何とてそう嬉しげなのじゃ。』
『されば人の子で埒の明くことと、かの僧が申するゆえ、わらわに子の授かることは必定疑いなしじゃ。モンソロオ殿に埒を明けさしょうと存ずる。』
 奉行は坊主を叩っ殺しに取って返そうと思われたが、出家殺生は冥罰の程も怖ろしいゆえ、大司教の才覚をかりて、巧みな返報を行おうずると心に期し、ロシュ・コルボンの城甍が見えそめる前に、モンソロオ殿に郷国に帰って退隠いたすようにと申しつけられた。奉行の早々の手口を存じておったモンソロオは、一も二もなくその言附けに従われた。モンソロオの後釜には、ロシュ・コルボンの支藩であるジャランジュの殿の子息で、ルネという漸く十四になる少年を据えられた。楯持になる年頃まで、小姓として仕立てておった童である。また侍大将には、むかし一緒にパレスチナや其他で、暴れ廻った片輪の老人を任用して、先ずはこれにて寝取られ男になる気遣いもなく、綱でからまった騾馬のように、じたばたする謀叛気な妻の素女点も、この分なら肚帯、手綱、轡がけで、とって押えたにも等しいと、ブリュアン老人はちゃっと安堵の吐息をついたのであった。

   仮初の咎に過ぎざること

 ルネがロシュ・コルボンのお城に勤仕したさてその初の日曜日のこと、ブランシュは良人を残して狩にと出た。カルノオの近くの森に達した時、必要以上に娘を押し伏しているかに見える坊主を目にしたので、馬に鞭をあてて続く家の子に《者共まいれ。何であの娘を見殺しにはするぞ。》と下知して一散に走り寄られたが、忽に奥方には馬首を返してしまわれた。坊主の持物の扱いざまを目にした奥方には、俄かに狩も沙汰止みといたされ、思い深げに帰城の途にと就かれた。ブランシュの世心の薄暗い燈室もここにやっとひらかれて、ぱっと一条の光明が投ぜられ、万事が万事明らかとなり申し、教会の掛絵や、吟行詩人の寓話や小唄、鳥禽のいとなみなどのもじゃくじゃまでが、成程と大きく彼女にはうなずけたのである。忽然としてブランシュにはあらゆる言葉で――物言わぬ鯉の言葉にしてからが――あらわされた愛の甘美な秘密を合点めされた。されば斯様な知識を娘っ子から隠そうとするは、そがいうつけな沙汰ではある。……で、ブランシュは早々と床に就くや奉行につんふんと申した。
『殿にはわらわを欺かれたな。カルノオの出家が娘に振舞ったようなわざを、何故にわらわに行われぬのじゃ。』
 ブリュアン老人は変事を感づき、大厄日が遂にやって参ったと観念いたして、常人ならば下腹に下ろうとする燃える思いを、ぐっと双眼に引上げて、焼きつく思いでブランシュを眺めつつ、物静かに答えめされた。
『嗚呼、思えば御身を奥と迎えし際、躬には体力より恋慕の念の方がいっち強かったのじゃ。さればそちの慈悲の心と婦徳の念に、儂はなによりも信頼を繋いだ。老いの身の悲しさは、心の臓のほかには力の宿る場処の皆無なことじゃ。その口惜しさ悲しさに、儂は死に急ぎをいたしおるゆえ、ほどのう御身も自由な身となり申そう。じゃによって儂がこの世をおさらばする迄、どうぞ待ってはたもらぬか。躬はそなたの嫡々の御主で、下知をいたすも苦しからぬ身じゃが、御身の宰相とも下僕とも欣んでなろうほどに、どうかこの願い一つは聞いてたも。躬が白髪の誉れは、傷つけずに済まさせてはくれまいか。……古来大名がその妻妾を手討にいたすも、かかる折のためしが多いとやら聞き及ぶが……』
『すりゃ、わらわを御成敗にとの御所存か?』
『なんの、なんの。躬は御身を溺愛しすぎるほどじゃもの。嗟乎、そなたはわが老いらくの花、躬が魂の喜びじゃ。そちこそ最愛のわが娘、其許の姿は儂が眼玉〔まなこ〕の力づけじゃ。そなたの為とならば、儂はなんでも堪え忍ぼう。悲しみであれ、喜びであろうとじゃ。……躬は悉皆のものにつき、そなたの申し条を聴き届けつかわそう。ただその代りには、そなたを富貴な国上臈に引上げたこの憐れなブリュアンを、もそっといじめずにおいてくりゃれ。躬が他界の後は、そなたは素晴しい後室となれるのじゃ。すればめぐる果報に喪の悲しみも償われようぞ。』
 ひからびた眼にもなお一滴の泪が宿って、松毬色の顔を生暖かく伝わり、ブランシュの手の甲にとそれが落ちた。身を塚穴に埋めてまで、彼女の御意に適おうとする年老いた良人の、大いなる愛のしるしを見て感動いたしたブランシュは、笑いながらに、『ああいや、お泣きめさるな。仰せの如くに待ち申しましょうぞ。』
 それを聞くより奉行は妻の手に接吻し、軽い鳩ぽっぽ式の愛撫を用いてブランシュを慰めながら、感極まった声音で、『おお、ブランシュ。そなたの眠っておる間、いかに儂はこう御身をあちこち掻撫でいつくしんだことぞ。』そう言ってこの老猿は、骨ばかりの諸手で妻をあやなしつつ、『まこと心の臓を以てする他には、いつくしむ術とて知らぬ身なれば、わが名誉を引掻こうずる猫の眼を覚ましてはと、いかい苦労であったるわ。』
『わらわには何の刺戟も覚えませぬゆえ、目覚めておる間も、さようあやなされて苦しゅうは御座りませぬ。』
 そうブランシュは言ってのけたので、憐れな翁は枕辺の懐剣を取上げて妻に渡し、昂奮したせぐるし声で、
『いざ躬をこれで殺してたもれ。さなくばいささかなりと躬を愛しているごと、儂に信じ込ましてたもれ。』
 その剣幕にびっくりしてブランシュは、
『いかにも承知つかまつった。かまえて殿を愛すべく大いにつとめましょうぞ。』
 かような次第でこの若い素女点は、とうとう老いた良人を組み伏せ、すっかり居敷の下に敷いてしまわれた。鋤の入らぬ未墾のヴィーナスの美しい園の名に於て、ブランシュは女人特有の底意地を以て、それからというもの良人の翁を粉挽きの騾馬のように、右へ左へ追い遣って、《のうブリュアン殿、これをしてたもれ。ブリュアン殿、あれをしてたもれ。さあブリュアン殿、ブリュアン殿。》と甘えつづけられたので、若妻の悪意地による以上に、その寛厚さゆえに、老奉行はいたく老いの身の苦患を味わわされた。
 すなわち妻から無理難題を持ちかけられて、悩乱させられたばかりか、妻の眉一筋の動きが、奉行を周章狼狽の右往左往に陥れ、ブランシュの御機嫌斜めの折には、白洲の席に出ても狂乱奉行には上の空で、何の罪咎にも絞り首じゃと裁いてのけた。これが余人であったなら、色娘の素女点との戦いに、蠅の如くに奉行は御落命いたしたことだろうが、生来錆止〔さびどめ〕ならぬくろがね鍛えであったれば、なかなか容易にはくたばりめされなかった。とある晩のこと、例によって駄々をこねはじめた奥方に、館は上を下への大騒動で、人畜ともに困憊萎頓の極にと達したが、われわれ人間どもを御辛抱遊ばされているほど、気長にわたらせられる神様でも、かかるブランシュの我儘ぶりには、さだめし堪忍袋の緒を切られるだろうと思われるほどで、しかし漸くに鎮まって床に就きながら、ブランシュは奉行に向ってこう申された。
『のう殿、わらわの五体を咬んだり唆ったりするファンテジアが、下腹からこみ上げまいって心臓にと達し、あろうことかあたま一面を炎にして、曲事〔まがごと〕にと妾を誘ってかなわぬのじゃ。さらにかのカルノオの坊主の持物も、躬が夜毎の夢に現われ来おってならぬのじゃ。』
『まさしくそれこそ悪魔の誘惑じゃ。煩悩解脱の術を心得たは、沙門尼僧の他には御座らぬゆえ、そなたも救わりょう志ならば、われらが隣人マルムウチェ和向の許に参って懺悔をなすがよい。かの阿闍梨ならばそちによき助言を授けて、浄き正道へと導きくれるであろう。』
『されば明日にも参りましょうず。』
 夜が明けるや早速にブランシュは、行いいや高き衆僧の屯ろなす、くだんの寺に馬をば乗り入れられた。花をあざむく上臈の姿に一山の所化ことごとく讃歎いたして、その夜の咎もただならぬ有様とは聞いたが、先ずは欣喜雀躍と出迎えて、和尚の許へと案内つかまつった。ひそまった奥庭の清々しい拱廊の下、巌の近くに和尚は座をば構えておったが、白髪なぞ常日頃から物の数とも思わぬくらい、慣れきっていた奥方も、重々しい聖人の所体に接し、思わず畏敬の念に打たれて立止ってしまわれた。『奥方にはようこそ御座った。したが臨命終のこの老耄に、わことの若さで何をがな求めに参られましたぞ。』
 恭しく会釈をしてブランシュは答えた。『御僧の有難い訓戒を伺いに参って御座りまする。何卒この不柔順な門徒をお導き下されませ。御許のような尊い懺悔僧を得ますれば、大安心にてござりまする。』
 かねてブリュアンと気脈を通じていた和尚は、さりげなくこれに答えた。『愚僧が百載の霜をかくは白頭に戴いておらなんだなら、御辺の懺悔を聴く分ではござらぬが、先ずは語られるがよい。天国へ召されんとの御志なら、儂が導きをいたそうほどに。』
 そこで奥方は胸の裡なる邪念妄想を吐露いたして、細かな罪障ことごとくを浄拭してのち、懺悔の結びにこう申された。『何を隠しましょう。わらわは子を授かりたい欲望に責め立てられぬ日とて御座りませぬが、これは禍事でおじゃるかいの。』
『決してさようなことはない。』
『なれど路傍の嫗の申し条では、わがつまは自然の定めにて、もはや女人とのまぐわいをなすよしも御座ないとのこと。』
『なれば御辺も行いすまして、埒もないそのたぐいの考えは慎しまれたがよい。』
『したが得分〔もうけ〕も快楽〔けらく〕も得るのでなければ、なにしてもつゆ聊かも罪咎はないと、ジャランジュの奥方が申されるを聞き申した。』
『いや、必ず快楽が伴うものじゃ。それに子を得分とは以ての他じゃ。耳をかっぽじいてよくお聞きめされ。総じて宗門の掟に叶うた婚礼によらずに身ごもる業は、常に神に対しては致命の咎であり、世間に対しても罪過無双で御座る。されば婚姻の聖典に背いた女人は、あの世に於て大いなる責苦を受け、鋭い爪のある怖ろしい化物にわしづかみになり、この世で道ならぬ煩悩の炎をもやした罰に、紅蓮地獄にと突き落されるのじゃ。』
 そう言われてブランシュは耳を掻いたが、ややしばし考えこんでからまた、
『ではマリア様は如何遊ばしたのじゃ。』
『はて、それは神秘じゃわい。』
『神秘とは何でおじゃる。』
『総じて言い説き難いもの、何の穿鑿にも及ばずに信ずべきもの、これを即ち神秘と申す。』
『わらわも神秘をつかってはどうじゃ。』
『これはいかなこと。古来ただの一度、しかも神の御子の場合と限られてござるわ。』
『さあれば所詮わらわのさだめは、此儘死ぬるか、又はすこやかな分別を持ちながら、ただ一筋にあたま狂うか、二つに一つの危難の庭じゃ。のう、のう、聴かせられい。この日頃は身内に何物か頻りにうごめき、ほてり蒸して、もはやわれとわが正体もなければ、わきまえもござない。男恋しやの一念から、恥ものう墻を飛びこえ野山をかけめぐって、いずこまでももとめゆきたい心地じゃ。カルノオの坊主をさしも修羅燃やさせおったものの実体を見んためには、この五体悉くをばらばらにしても厭い申さぬ。躬が魂や身体を責め燻ぶるこの荒れ狂いの間というもの、もう神もなければ悪魔もなく、良人もない。地団駄は踏む。狂奔はする。甕を割り壺を砕き鳥舎〔とや〕を破り、農具を蹴り、家財調度を投げ、何もかも見境いなく壊す。その狼藉ぶりは一々に懺悔しきれぬくらいじゃ。躬の乱行を白状いたすだけでも、はやこう口中に羨望の涎が流れ出て、神のお呪いになる例のことが、わらわをむずむずさせて堪り申さぬ。いっそ正真の物狂いになりたいくらいじゃ。すれば操の観念なぞのうて気はいかく楽じゃに。嗟乎、わらわの身裡に外方滅法もない愛執の念をお授けになられた神様が、わらわを地獄に堕さんと計るなぞとは、まこと聞えぬことではおじゃるまいか。』
 こうした言葉に今度は和尚が耳を掻き出した。素女点の髄から泌み出た愁嘆、慧智、諍論、分別に、二の句がつげなかったからである。『されど神様は人間を万物の霊長として創られ、天国を努力して、達すべきものとせられてござる。ために人間に理性をお授けになられ、煩悩の嵐の海を乗り切って、進む舵ともお定めに相成ったのじゃ。且つはまた、あたまの邪念の切換えを計る手立てとしては、断食苦行その他様々な解脱知見もごあるわ。されば手に負えぬ餓鬼よろしく有頂天に跳ね廻る代りには、御辺もマリア様を祈り、堅い床に起き臥しめされて、内証の手廻しにあたまをつかい、無為の閑居をば避けるがよいわさ。』
『したがわらわは教会に詣る折節にも、僧も須弥壇も眼には入らいで、赤子のイエス様のみ眼にとまって、あのことばかり唆かされてならぬのじゃ。はてさて、こうもあたまに一つ事ばかり浮び、分別も何も無くなるというは、ひっきょう恋の黐竿にからまれた所為かいのう。』
『されば御辺のような無意識の立場に陥ったのが、リドワール聖女の場合じゃて。厳しい暑さの折、薄物を着て、足を大の字にしてぐっすり聖女が寝込んでおられると、胡乱な若者が忍び寄ってこっそり素意を達して赤子を仕込まれたのじゃが、もとよりそんなけしからぬ仕業はつゆ知らぬ身じゃ。巾着の膨れるは由々しい病のせいと思っておったゆえ、お産の時には大騒ぎじゃった。したが断頭台上の露と消えたその若者の証言通り、聖女にはことの際に何の身じろぎもせなんだし、また犯されてもつゆいささかの快楽も覚えなんだゆえ、仮初の咎の贖いをして事は済んで御座るとやら。』と和尚はうっかり口をすべらせた。『さあれば妾も負けずに身じろぎだけは致すまい。』
 そうやさしく言って奥方は、いそいそとくだんの寺を辞去せられ、内心で自分もいかにかして仮初の咎を犯そうと考え、おのずからなる微笑をば洩らされたのであった。
 お寺から戻るとお城の中庭で、ルネが馬術の老師匠の指導で乗馬の調練をしておったが、馬の動きにつれ身をくねり、ゆすり、あがり、さがりし、股立高く乗り廻し乗り戻す風情の凜々しさ、愛くるしさ、けなげさ、かぐわしさは凡そ喩うるに言葉もないくらいで、心ならずも犯されて自決した節婦の亀鑑リュクレチア女王じゃとて、あだし心が萌したであろう。『嗟乎、せめてあの小姓が十五にでもなっておったら、彼を傍らにしてぐっすりと睡り込もうものをのう。』とブランシュは考えた。
 それからというもの、寵童ルネが年まだきにも拘らず、ブランシュは食事やお八つの間じゅう、この童の緑の黒髪、雪の柔膚、物腰の優雅、生の炎と澄んだ温かさを湛えた彼の眼眸など、凝と見詰め出したが、相手はなにしろ子供なので、すぐと伏眼になってしもうた。
 さてある宵の炉端の偶坐〔むかいい〕に、妻が物案じ顔で椅子にいるのを見て、何の心配があるのかと奉行には訊ねられた。『殿のかく埒もなく潰れ崩ゆたる今日びのていたらくを見るにつけ、はやばやの色合戦が初陣のほどが、思い偲ばれてなり申さぬ。』
 恋の想い出を訊ねられた時、なべての老人がするような会心のしたり顔で、奉行は大きくうなずかれながら、『うむ、儂は十三歳六ケ月にして母の腰元を姙ませたこともある。その他……』
 それ以上聴く必要はもうブランシュになかった。小姓ルネにもはや十二分備わっているに違いないと合点したので、急に心も晴々とし、翁にふざけかかったりして、粉まぶしにされるお菓子のように、奥方はその暗黙の欲望のなかを、転々ところげ廻って行ったのでごある。

   首尾よく身ごもりのこと

 小姓の春情をおよずけて目覚まそうとの調略に、ブランシュは長いこと心を砕くまでもなく、いかな強突張りでも必ずや陥るに違いない自然の陥穽を、やがて案出いたすことが出来た。という仔細は次の通りじゃ。暑い日盛りの刻限、サラセン式に午睡をとられるのは、奉行が聖地より凱旋以来、ついぞ怠ったことのない習慣でござったが、その間ブランシュは孤りで庭に出たり、乃至はこまごました刺繍や編物などの女わざに耽ったり、また大抵の場合は館うちにいて、洗濯火熨斗あての指図をしたり、気の向く儘に、部屋部屋を巡り歩いたりされていた。この静かな時刻を小姓ルネの薫育の時にあて、誦経や密祷を行わせようと奥方には分別めされたのである。さてその翌日の昼下り、ロシュ・コルボンの丘をきらきらと灼く真昼の太陽に、奉行は無性に睡気を催され、妻の素女点のいたずらで煩わされ、いびられ、責め立てられる怖れも、ちょっと沙汰止みなのをこれ幸いと、御老体は華胥の国にと遊ばれたが、その隙にブランシュは、良人の藩侯大椅子にちょこなんとあがり込んで、巣におさまった燕のように、見えと座なりをとりつくろって、眠る赤子の式に小賢しい頸を腕に靠して、深々とまた身を埋められた。腰高の大椅子だったが、偶然の垣間見〔パースペクティヴ〕に物を云わせる積りだったので、すこしも高過ぎる嫌いはなかった。あれこれと準備をしながら、好きそうな眼を奥方にはパッチリと睜いて、老蚤の一跳びほどの距りをおいて、足下に跪坐する小姓のひそかに覚えるささやかな放楽、喉ならし、ぬすみ目、恍惚ぶり、うじうじなどを予想めされて、はやもう北叟笑んだり悦に入ったりされておられた。小姓の魂も生命も、今はもうブランシュのほしいままな玩びものであったので、ルネの跪くべきビロードの小褥をほどよく前に出して、よしんば石で出来た上人様であろうと、奥方の白い沓下に被われた華車な足の美しさ、申分なさを、ためつすがめつ眺めるうち、裳裾の雲波の蜿々たるが儘に、その眼差を遥か奥深く移さざるを得ないような居場所に作られたので、いかな英雄豪傑と雖も進んで兜を脱ぐような陥穽に、孱弱な小姓が陥るのも、また無理からぬところと見えた。ブランシュはおのが身体の置き場を吟味して、向いたり向き直ったり、かがんだりのぞきあげたりして、罠に手もなくルネがころりと引掛りそうな穿鑿を工夫いたしてから、衛士部屋にいる筈のルネをやさしく呼ばわれた。小姓はすぐとはせつけて参り、扉の錦の帷〔とばり〕のあいだから、鳶色の頭をのぞかして何御用と訊ね申した。恭しげに赤いフランテンの小頭巾を手にしておったが、笑窪のある爽やかなその頬の赤さに較べれば、さすがの緋頭巾も色褪せて見えたほどでごあった。近う参れと奥方には低く申されたが、小姓にすっかり悩殺されておっただけに、奥方の声もはやもう喘んでおった。
 まったくのところルネの眼ほど輝いている宝玉もなければ、彼の肌膚ほど白い犢革もなく、その姿ほど優雅な容儀の女人もおりない。そればかりか、欲望を真近にしただけに、ひとしおブランシュにはルネがお誂向きに思われ、愛の楽しいあじまやかさは、溌剌たる若さ、赫々たる真昼日、あたりの沈黙、その他何もかもから、より一段と輝きを増したることは、容易に御推もじに相成られよう。
 経机の上に開いてあった一巻を押しやり、奥方は小姓に申された。『聖母マリア様の連祷を誦んでたもれ。師の君の訓えをよく学ばれたかどうか、判じて進ぜようほどに。』
 瑠璃黄金を鏤めた極彩の祈祷書をルネが手にいたした時、奥方はさらに笑いながら訊ねられた。
『マリア様をお綺麗とは思わぬかや?』
『なれど絵姿にすぎませぬ。』そうおずおずと答えて、奥方の雅びな姿をちらり振り仰いだ。『さあ、読んでたもれ。』
 そこでルネはかの妙なる神秘の連祷を熱心に誦し出したが、ブランシュの「おら・ぷろ・のびす」(我等の為に祈れ)と和せられる声音は、山野の角笛の音のように次第次第に幽けくなって行って、やがて小姓が「あわれ神秘の薔薇の花」のくだりを、一際高く誦しだした頃には、奥方は耳にはしかと聞きながら、応えはただ微かな吐息を以てせられるばかりでごあった。そこでルネは奥方が睡ったものと心得て、心ゆくままにしげしげとその姿をむさぼり眺めて、愛の祈祷の他は絶えて唱えようともいたさなかった。思わぬ果報から彼の心の臓は咽喉元までも飛び跳った。一対の可愛い素女点と童心とが、かく燃えくらべを始めたのも無理からぬところで、その様を見んか、二つ一緒にでもしたら大ごとになると用心もされよう。
 ルネは美しい愛の実をたんまりとちろちろ目で楽しみながら、心の内では数々の享楽法を思い描き、口に涎するうち、無我恍惚の境に入って、思わず祈祷書を取落し、陣痛の場面に行きあわした坊主のようにどぎまぎいたしたが、奥方はびっくりともなさらず、ぐっすり寝込んでいることを、それで確かめ得た結果と相成った。おぞい奥方には祈祷書よりほかのものが落ちるのを心構えしていた折りからとて、よしんばもっと大きな危難に瀕しようとも、眼をあける気遣いはおりなかった。子を孕みたいという欲望より邪悪なものはないことが、ここからしてもお解りになれよう。波斯〔ペルシャ〕青の可愛い半長靴を、ちんまり穿いた奥方の足を、ルネは今度はまじまじと眺め出した。ブランシュは、奉行の腰高椅子に身を高く構えていたので、足は脚台の上に珍妙な具合に派手に載せられてあった。ほっそりして、やんわりと反り、指二つほどの幅、尾まで含めた籬雀ぐらいの長さで、先端が小さくなっておったが、まことにそれは甘美で無垢で、泥棒が絞首縄に値するように接吻に値し、妖精のようにじゃれずきの足で、首天使も下界へ落ちそうな艶っぽい足、前知らせ沢山の足、滅法に気を唆る足だったが、神の栄あるわざを下界に於ても不朽に伝えるべく、すっかりこれと同じい二つの新規な足をつくりたい欲望を、人に起させるに充分な足恰好であった。口説〔くどき〕上手のこの足から、靴を脱がせたいような欲望にかられ、それをしようと、青春の炎を悉く点じた焔々たる眼を、この歓喜の足から奥方の睡顔まで、鐘の舌のように、すばやくあちこちルネは眼移しをして、その寝息を窺い、彼女の呼吸を同じく呑んだが、さてこっそり接吻をいたすのに、奥方のあざやかな紅唇にしようか、それとも物言う足にしようか、どちらが妙適かとはたと迷った様子であった。結局、遂に尊敬の念、或いは不安の怖れから、いや、きっと愛の激情のあまりからであろう、足の方を選んで、敢然たる度胸のない乙女っ子のように、あわただしくブランシュの足に接吻いたした。そしてすぐまた本を取り上げ、頬の紅潮がなおと赧むのを覚えつつ、今しがたの楽しい思いにわくわくしながら、盲人のように、《ジャヌワ・ケリ、天国の門》と彼は叫んだ。ブランシュは小姓が足から膝へ、そこからさらに天国へと到るものと心頼みしておったので、ついぞ目をば覚まさなかった。だから他にこれという悪戯〔わるさ〕もなしに連祷が済んだのを見て、ひどく彼女が残念がったのもまた尤もであろう。しかしルネは初日にしては果報まけするくらいの大収穫と考え、慈善箱をくすねたこそ泥より、この大胆な接吻で、遥かに富み且つ豊かになったような気で、得々として部屋をば出て行った。
 小姓に朝祷のマニフィカを誦させたなら、もっと長くかかって細工もたっぷり出来ようかと、ひとりになってブランシュは思案した。そこでその翌日は、足をもそっと持ち上げて、風にもあたらせぬくせに何時も爽かな――トゥレーヌでは「あなかしこ〔パルフエイ〕」とこれをば云っているが、――例の美しい鼻を拝ませようと工夫めされた。皆様お察しにたがわず、ルネの方でも欲望に燃え立ち、前日の想像であつあつになって、風流密祷書の誦経の時間が来るのをもどかしげに待っておったので、呼ばれるや否や連祷の策謀は再開され、案の定また奥方は熟睡にと陥られた。今度はルネは美しい脚部を軽く手で触り、膝がすべっこいか、其他のところが繻子かどうかを、たしかめるなど思い切って敢行いたしてみたが、見まじきものを見てひどく怖気づき、欲望を制して、簡単な礼拝と粗略な愛撫の他は、敢えて何も冒そうとはいたさなかった。ただ見事なこの外面にそっと接吻をして、彼は堅く鯱張ってしもうた。魂の感覚と肉体の叡智でそれと感じたブランシュは動くまいと必死に努めながらも、遂には堪え切れずに、《嗟乎、ルネ、眠っているからもっと大丈夫よ。》と思わず叫んでしまわれた。
 その言葉を由々しい非難の声ととってびっくりしたルネは本も仕業も何もかも打棄てて、逃げ出してしまったので、奥方は連祷に次のお祈り文句を附加いたしたほどだった。《ああ、マリア様、子供つくりは何てむずかしいことなのでしょう!》
 食事の時、殿や奥方に給仕しながら、ルネは背中に汗びっしょりであったが、古今東西の女人が、嘗て投げたこともないようなひどく色っぽい娼婦的流眄を、奥方から送られて喫驚いたした。その秋波の妙やかさ、たけだけしさは、一躍してこの童を驍勇の士に変じさせたほどで、その結果、早速にその晩奉行が、いつもより遅く公事の席に残っているのを見計い、奥方の在処をたずね、ちょうど睡っておられるのを幸いに、巫山の夢を結ばせて進ぜた。さしも煩悩の炎でいたく悩ましおったものを、奥方から見事とりのけて進ぜ、たっぷりと子種を授け申したが、その盛り沢山さは余分に二人分もの子種が優にあったくらいで、ために当世奥方もついには堪え切れずに、小姓の首にすがりつき、ぐっと引寄せて《ああ、ルネ、お蔭で目がさめたわよ。》と叫ばれるにいたった。
 まったくどんな睡りでも、これには逆らえっこがあるまい。例のリドワール聖女はおそらく握りこぶしで眠っておったに違いないと、二人の見解全く相一致したくらいであった。この立合の結果、何の神秘も別になく、世の亭主のお手伝い根性というお目出度い性分と相俟って、寝取られ男にふさわしい雅致ある羽毛が、知らぬは亭主ばかりなりで、それとはつゆ知らぬお人好しのブリュアンのあたまに、飾られることとなったのである。
 この美の祭典以来、ブランシュは大欣びでフランス式昼寝に耽られたが、その間ブリュアン殿はサラセン式昼寝を遊ばされておった。奥方はこの愛の昼寝によって、一人の小姓の溌剌たる青春が、数人の老奉行のいじくりに較べて、いかに味がよいかを御体験なされたので、夜になっても、シーツの片隅に身を避けて、むさくおぞましい良人から、なるべく身を離れようと算段するのであった。かくて昼間の空寝入や誦経に精を出したお蔭で、ブランシュはその愛くるしい胎内に、年来の宿願であった子種が花咲いてゆくのを感ずるようになったが、しかもその頃は、作られたものより、作りかたの方を、はるかに彼女は好むようにあいなっておった。
 ルネの方でもまた祈祷書のみでなく、奥方の眼のうちをも読むすべに練達して、ブランシュの所望とあれば、火中に身を投ずるをも辞さぬ心意気と相成った。尠くも百度以上も甘美な連祷を二人はたっぷり心ゆくまま行ううちに、奥方には次第にルネの魂や後生のことが、心懸りとなって参った。ある雨の朝のこと、あたまから足裏まで純真無垢な両わらべのように、二人で鬼ごっこなぞしておった時、何時も掴まる方に廻っていたブランシュがルネに申した。
『のうルネ、妾は寝入っておったゆえ仮初の咎を犯したに過ぎぬが、そちは致命〔モルタル〕の咎を犯したのじゃぞえ。』
『したが奥方様、これが咎目と仰せられるならば、あまたの世の咎人どもを、神様はいずくへ押し込める御所存で御座りましょうか。』
 この言葉にブランシュは吹き出し、ルネの額際に接吻してこう申した。『おきやれ、性悪〔しょうわる〕め、肝要なは天国へ行ってからのことじゃ。そなたが生々世々わらわと共におろうとならば、天国へ参ってのさきの思案もせずばならぬわ。』
『しかし私にはここが天国に御座りまする。』
『いや、そうではない。そなたは神を畏れぬか。躬の愛するものを、そなたは毛頭気にかけぬとは意地悪者じゃ。妾の愛するもの、すなわち、そなたじゃ。そちは妾が身ごもったを知らぬかや。やがては妾の鼻ほどに、包み隠しのかなわぬことじゃ。その節、和尚は何と申すか。殿はどうお云いやるか。お怒りのあまり、そちを成敗なさるやらも計られぬ。妾の考えはこうじゃ。そなたはマルムウチェの和尚の許に参って、今迄の罪を懺悔し、奉行に対し如何なる手段を執るべきか、相談して参られたがよい。』
『仰せ御尤もながら、われらの快楽の秘密を明したなら、二人の仲は裂かれましょうぞ。』とこざかしくルネは言った。
『所詮、致し方もあるまい。来世のそちの果報が、躬には何よりも大切なのじゃ。』
『奥方にはたって参れとお命じあるか。』
『いかにも。』ただし消え入るような声音であった。『すれば参りましょう。なれど別れのお祈りを誦したいと存じまするゆえ、いま一度お睡りの程を。』
 かくて優しい両人は相共に別れの連祷を誦したが、卯月の恋の散りやすいさだめを、かたみに観念したげに見えた。その翌日、奥方が言附けの趣き畏んで、己れが身より奥方の憂悶を救おうずと、ルネ・ド・ジャランジュはマルムウチェの僧院へと出で立った。

   恋の贖罪哀喪に終るのこと

 小姓が、甘美なしかし罪障にみちた連祷の段々を告解に及んだ時、マルムウチェの和尚は大喝一番、
『はてさて其方は主人を裏切る不忠叛逆の極道者じゃわい。されば承れ、不届な侍童め、其方が身は未来永劫、地獄の猛火に焼かりょうぞ。夢幻泡影の世のためしも違却し、束の間の快楽のため、浄土と永久におさらばとなったを知らいでか。度し難い奴じゃ、この世にあるうち、汝の業障の贖いを早速にせん限り、あの世で無間奈落の底に久遠に突き落さりょうぞ。』
 なにさまトゥレーヌの地で大いなる権力を揮っておった自性清浄の座主であられたので、数々の談義、教誨、訓蒙、法語と、千もの雄渾な弁舌を吐いて、若者の胆を奪ったるさまは、悪魔が乙女を誑かそうとて、六週間にわたって綿々とまくしたてるにも似て、生来純真な熱情家のルネをすっかり承服せしめてしまった。且つは和尚も邪道に入りかけたこの若者を、久遠に清く有徳の士たらしめようと思案して、先ず往きて殿の前に身をひれ伏し、不行跡の段々を白状に及び、万一その懺悔ののち身を助かることを得たなら、時を移さず十字の軍に加わり、すぐと聖地に渡って、指定期間の十五年が間、邪教徒どもと戦って参れと命ぜられた。
『僅か十五年で、かほどの快楽の帳消しが能うとは摩訶不思議、たとえ千年の償いでも及び難いあの結構さを和尚様には御存じないのか。』とルネは息せき切って申した。
『神様はしかく寛仁であらせられるのじゃ。さあ、心して行いて、ふたたび咎を犯すまいぞ。儂の条件にかなわば、其方の罪障は消滅したも同じじゃ。』
 可哀想にルネはすっかり悔悟の泪にくれて、ロシュ・コルボンのお城に戻り、先ずは奉行にお目通りを願った。庭先で、大理石の巨きな腰掛にいて、奉行は具足、兜、手甲などの物具〔もののぐ〕研ぎを指図あそばし、日にきらきら輝く美しいこれら武具を見て、過ぎにし昔、エルサレムでの数々の遊興逸楽、手玉にとった女子衆などの想い出に、陶然たる面持であった。折りしもあれルネが矢庭に目前に平伏いたしたので、奉行は喫驚して如何なる次第かと訊ねられた。『殿、先ずお人払いを。』とルネは申した。
 近侍の者が退出いたしてから、ルネは奥方のお休み中を劫略に及び、昔語りの聖女のように、まさしく身籠らせるに到った次第を述べ、懺悔聴聞僧の下知によって、かくは殿の成敗の庭に罷り出た旨を懺悔まおした。そして悉皆の禍の因たる涼やかな眼を伏せて、何の怖じる気色もなく、畏まってひれ伏し、両手をつき素首さしのべ、一切を神に任せて、殿の成敗をば待った。奉行はこれ以上蒼白くなれぬくらい蒼白となり、川水に晒し立ての白布さながらに白く見えたが、怒りに舌の根も引き攣ってしまわれた。はや脈管に人っ子を生す精力もない老翁ながらも、人っ子を殺すには余りある暴力を、かっとなった一瞬にあらわされ、毛深な右手に重い鉄棍をむずと引掴んで、九柱戯の円盤さながら宙にかるがると振り廻して、ルネの蒼ざめた額めがけて発止と振り下そうとせられた。主人に対する軽からぬ己が罪科を悟り、今生来世かけての恋の罪障も、これにてはや悉皆消滅と観念の首をさし伸べていたルネは、平然と身動きもいたさなかった。
 その美しい若さ、かぐわしい罪独得の色香に、さしも頑なな奉行の心根にも、慈悲の影がさしたのであろうか、遠くにいた犬に、えいとばかり鉄棍を投げつけてぐしゃりと潰し、奉行はかく罵られた。
『ああ、ここな不届者め。貴様の不義の椅子の木材となった樫を、植えくさった奴の阿母の腰骨なんぞ、未来永劫、千万の爪で引掻かれるがよい。汝を生みつけた両親の身も同断じゃ。行って悪魔の古巣へうせおろう。躬が面前、躬が居城、躬が所領から一刻も早く立退いてしまえ。さもなくば貴様を遅火〔とろび〕の刑にかけて、一時〔いっとき〕に二十度も貴様の色女を呪い出すような仕儀にしてくりょうぞ。』
 呪いの言葉だけは若返りを見せた老奉行の、散々の罵倒文句のドレミファを聞いて、小姓は何もかも打棄てて賢くも姿を消すにいたったが、腹に据えかねた奉行は瞋恚のあまり、じたばた足で庭うちをかけめぐり、通りすがりの一切に罵り文句を浴びせ、撲つやら蹴るやら、はては下僕が手から、犬の餌を盛った大碗を三つまで叩き落す始末で、とんと我を忘れて見えたさまは、小間物屋が櫛を売ったからとて殺しかねぬほどのありやこりやの物狂いぶりでござった。と、ルネと再会出来ぬこともつゆ知らず、その帰りを待ち侘びて、マルムウチェへ通ずる道の方を眺めておった非処女のブランシュの姿を、庭前の一角に奉行は認めて、
『嗟乎。奥よ。悪魔の赤い三尖叉にかけて申すが、小姓が這入りこんでも目のさめぬほど大きな穴竅を、御身が持合せおったと信ずるほど、儂は阿呆で頓間じゃと、そなたは心得おったのか。ああら口惜しや、残念無念。』
『殿、わらわもくしくは覚えたなれど、殿の御伝授も御座らなんだゆえ、夢じゃとばかり心得申したのじゃ。』と一件が暴露に及んだことを奥方には観念めされて申された。
 そう申して莞爾とほほえんだ気色は、神の大いなる震怒さえ解けんばかりの風情で、されば奉行の赫怒も日にあたった泡雪と融けて、『鬼っ子は鬼に浚わりょうぞ。されば誓言しょう。』
『ああいや、その誓言はなりませぬ。よしんば殿の赤子でのうても、躬のものなことは実正じゃ。いつぞやの夜、わらわから出でたるものは、何にてもあれ、愛する旨を、お誓い遊ばしたでは御座りませぬか。』
 そう云って尤もらしい道理づけや、甘い言葉や、愚痴不平や、喧嘩仕掛や、泣き落しなど、女人|十八番〔おはこ〕の弁舌手だれ智慧才覚を弄して、ブランシュはその場を糊塗せられたのであった。言ってみれば、これで領地は国王の手に戻らなくて済むだの、これほど罪穢れもなく女体の鋳型に投ぜられた子供はないだの、ああだの、こうだのと、あまたの言辞を用いてまくし立てられたので、人柄のよい寝取られ翁も、やや心鎮まったその折を見計らって、ぬかりなく奥方には訊ねられた。
『してかの小姓は何処にじゃ。』
『されば悪魔の許へ参りおったわ。』
『なんと、成敗めされたか。』
 そう云って奥方は真蒼となってよろめいた。
 老いの日の果報のすべてが、かく頽れふらめくのを目にして、奉行には事の次第もなにも解らなくなってしまわれた。おのが身の後生を投げうってでも、奥方にルネを会わせたく存じ、即刻連れ戻すよう殿は下知なされた。しかしルネは身の成敗を怖れて、国遠へ急遽退散つかまつり、和尚への誓約通りに蛮夷の地へ渡海いたしたあとでござった。
 ルネに課せられた贖罪の委細を、和尚から聞き知ったブランシュは、深い憂愁に陥って、《わらわへの恋のため、危難のもなかに身を投ぜられたあの薄倖のお方は、今ごろどこに御座るやら。》と呟かれることも時折だったとか。
 欲しいものが充てがわれるまで、母親にねだり通して止まぬ子供と同じく、ブランシュは絶えずルネのことを尋ねせがんだ。今は前非を悔いた奉行も、かかる怨みつらみを慰め、若妻を仕合せにいたそうと、ただ一つのことは除いて、百方手をつくしてブランシュを慰撫いたしたが、しかしルネのあの甘美な心づくしに代り得るものは、何一つとしてなかったのでごある。
 そのうち、望みに望んだ子供を産む日が、ブランシュについにやって参った。結構人の寝取られ亭主にとっては、あまりお目出度くもおりなかった。というのは美しい愛の果実たる赤ん坊の顔に、父親生写しのさまが、ありありと偲ばれたからである。ブランシュもいたく心慰みを覚え、あの晴れやかな快活さと、花咲く乙女ごころを、僅かながらもまた取戻すことが出来、ひいては奉行の晩年もあかるいものとなった。老翁も赤子の這い廻りを見たり、おのれや妻に赤子が声をあわせて笑うさまに接したりするうち、目に入れても痛くないほどになってしまって、遂にはおのれを父御と信じ込めぬような不所存者に対しては、烈しく腹立するまでにあいなった。
 それに奥方と小姓の不義の醜聞は、お城から外には洩れなかったので、ブリュアン殿にはさてはまだ子を生〔な〕す力が御座ったと、トゥレーヌ国じゅう取沙汰せられた。もちろんブランシュの操守に対し後指一本さすものもなく、それに女人生得の分別と、婦教の精華とに依って、後嗣の出世にまつわる仮初の咎を秘し隠す必要を、奥方には認識してもおられた。それで飽くまで貞淑をよそおい、謹直に身を持したので、あっぱれ貞女として国じゅうに謳われた。
 かかる所行を続けるうち、良人の善良さが彼女の心にもしみじみと通じたので、心中ルネに捧げたあたり、頤より下の部分のほかは、老翁が献ずる老いらくの花のお返しとして奉行に授けとらせ、寝取られ亭主をやさしくあやなす御内儀の流儀を用いて、奉行をさまざまに賺し慰め楽しませたので、すっかり好い気持になられた奉行は、死ぬのがとんと嫌になり、安楽椅子にのうのうとおさまり、長生きすればするほど、人生に愛着しだしたが、とうとうある夕方のこと、《はあ、やれ、奥よ。儂にはもうそなたの顔が見えぬわ。はてさて夜になったのか知らん》と云った儘、何処へ行くのかも知らずに大往生を遂げられたが、まこと実体〔じったい〕な正義の士にふさわしい死にざまと申すべく、これというのも、聖地での数々の偉勲の仏果でがな御座ろう。
 ブランシュは、父を喪った子供のように烈しく愁嘆して、盛大な葬儀を執行し、心から悼喪に服した。それからの奥方は鬱々と日を送って、再婚の楽の音にも耳をかそうとはせられなかったので、心の良人があり、待望の未来が彼女にあることを、つゆ知らぬお歴々方の称讃をなおのこと博した。しかし実際はその時間の大部分、彼女は現行上の、また精神上の寡婦でもあった。というのは十字軍に加わったルネからは何一つ音沙汰もなく、遂に死んだものと彼女は思い諦め、夜の夢に遠国で手負いの彼が、断末魔のさまをみて、涙もしとどの眼覚めをすることが度々あったからである。こうしてブランシュは幸福の僅か一日の思い出に生きて、十四年の歳月を閲した。
 或日のこと、トゥレーヌの奥方衆をお城に招いて、食後の閑談に耽っている折しも、子が父にこれ以上似られぬくらいに似つくし、ブリュアン殿に似たは姓名ばかりという十三歳半の若殿が、母親にも劣らない愛くるしい一本気な調子で、汗ぐっしょりと息を喘ませ、子供の例にまげず、道すがらのものを引っ繰り返しつつ、上気した顔で馳せ戻り、母御の膝に飛びついて、折節の談話を遮って申すには《のうのう母上、聴かせられい。中庭で出会った巡礼から、いたく抱きつかれて御座る。》
 それを聞くや、若殿の大事な年頃のお守役をつとめる近侍の方に、ブランシュは向き直り、『こはいかなこと。たとえ世に無双の聖者じゃとて、見知らぬ者の手に吾子を渡すまじい由、しかと申しつけてある筈、即刻そちには暇をとらす……』
 と柳眉を逆立てられたので、畏れ平伏した守役の老人は、『したが彼の者は満面滂沱として、若殿にきつく接吻いたしたのみで御座れば、なかなか害心はおじゃるまい。』
『なに、泣いておじゃったと。さればこの子の父御じゃわい。』
 そう云いざま奥方は坐っていた椅子の上に、がっくり頭を投じてしまわれた。その椅子こそくしくも仮初の咎をむかし犯したかの腰高椅子ではあった。
 ブランシュの謎めいた一言に、並いる奥方衆はいたく不審がられたので、初めがほどは奥方の息の絶えたのに、気づくものとておりなかった。奥方の急逝が、始めの誓いを堅く守って、二度と会おうともせずに、ルネが立去って行ったための痛恨のあまりの死か、それともルネが戻ったので、マルムウチェの和尚に禁断された二人の恋も、許されるという期待の念からの喜び死にか、誰ひとりとして知るものもなかった。此処に哀喪深く漂ったと申すは、奥方の野辺送りのさまを見たルネが気を落して、やがて、マルムウチェで剃髪せられたことである。この寺は当時の名をマイムウチェ、つまりマイウス・モナステリウム(最大の僧院)という意味じゃが、その名の通りフランスでも最も壮麗な僧院でござった。

訳者による【解説】
仮初の咎 LEPÉCHÉVÉNIEL

 この小説は力作の一つで、後半を書くのに三ケ月も費したといわれ、バルザックもこれを「ナイーヴテのダイヤモンド」と自評している。アンドレ・モーロワもお城の描写あたりを激賞しているが、ロシュ・コルボンはトゥールの北東七粁、ロワール沿岸にある。ブリュアンの出征した第三次十字軍は一一九〇年だから、この物語は十三世紀初頭と見るべきであろう。なおモールの軽業娘は「妖魔伝」(Ⅱ)の主人公として再出する。
 老人の嫁取り話は、「デカメロン」第二日第十話、「新百話」第八十六話、ラ・フォンテーヌの「老人暦」などからヒントを得たもので、また眠った振りして上臈が小姓に犯させる原話はヴェルヴィルの「立身の途」第二巻にあり、本篇の前半にはまたラブレエ調が著しい。いったい好色譚にこれほどパセチックな哀愁を帯びさせたものは他に類例が見当らない。「コント・ドロラティク」の近代性のなによりの証左であろう。

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