日本人と漢詩(113)

◎木村蒹葭堂と宇野明霞


 前回までの「脱線」を修正し、「木村蒹葭堂のサロン」に沿って、取り上げられた漢詩人を紹介してゆく。木村蒹葭堂を取り巻く人達は、その豊富さを誇る。重複しているのを厭わずに言うと、第一に、小説、漢詩、俳句、絵画などを得意とした、文人のグループ。第二に、その周辺にいた、コレクター、第三に、懐徳堂をはじめとする儒学者、さらには、第四に、名前も知られない市井の人々。また、師弟関係の「系統樹」をたどると、その頃の日本、部分的には、世界と繋がっていたと言えるのではまいか。
 まず、蒹葭堂と直接の師弟関係はないが、漢詩人の結社「混沌詩社」の指導者、片山北海の師匠筋にあたる、主には儒学者たる宇野明霞から。
 中村真一郎は、「明霞は詩才に乏しい」と断言するが、それでも数首、彼の詩を引く。このあたり、中村の守備範囲の広さがうかがえる。比較的佳作とする詩から、三首ほど。

咏秋海棠
海棠秋睡熟 含露倚籬根
曉風吹不覺 初日滿前園
(海棠、秋、睡り熟シ、露ヲ含ミテ、籬根二倚《ヨ》ル。暁風吹キテ覚エズ、初日、前園二満ツ)
「朝起きてみると、前庭のシュウカイドウのピンクの花が、朝日に照らされて咲いている。」のような意味か?

偶作
靜窓驚遠梦 忽爾還千里
也知客夜中 幾處鄕心起
(静窓、遠夢二驚キ、忽爾トシテ千里還ル。マタ知ル、客夜ノウチ、幾処、郷心起ルヲ)
「これなどは、天才的とは言えないが、小さな成功を見せていて、好意が持てる。」と中村は書く。

謝ー壑禪師見贈庭花
竹院春深少往還 庭花折贈市塵間
數枝紅白看無厭 也得浮生幾日閑
(竹院、春深ク、往還少ク、庭花、折り贈ラル、市塵ノ間。数枝ノ紅白、看ルニ厭フナク、マタ得ル、浮生、幾日ノ閑)

必ずしも、順風満帆でなかった、己の人生もようやく落ち着いたところに落ち着いたという感慨であろうか?

図は、宇野明霞の七絶の筆跡、繊細なタッチで、どこか物悲しく感じる。

“日本人と漢詩(113)” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です