南総里見八犬伝(023)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十二回
東都 曲亭主人 編次
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濱路竊はまぢひそかに親族しんぞくを悼いたむ
糠助病ぬかすけやみて其子そのこを思おもふ

【挿絵説明】「豐嶋としまの一族いちぞく管領家くわんれいけの三將さんせうと池袋いけふくろに戰たゝかふ」「煉馬平左衞門倍盛」「植杉刑部」「千葉ノ介より胤」
岩波文庫「南総里見八犬伝」(二)より

 再說大塚蟇六さてもおほつかひきろくは、信乃しのを迎むかへとりてより、女房にようばう龜篠共侶かめさゝもろともに、いと愛々あい〳〵しく管待もてなすものから、只外聞たゞぐわいぶんを飾るのみ、こゝろに刃やいばを磨とぐ事多かり。そをいかにぞと尋たづぬれば、蟇六既に里人等さとひとらを欺あざむきて、番作田ばんさくたを橫領わうれうし、これはしも信乃が爲に、一毫いちがうも用ひざれども、いまだ村雨むらさめの大刀たちを得えとらず。「これを手に入れて後のち、彼少年かのせうねんを結果おしかたつけん。さるときは寶刀みたちによりて、わが身いよ〳〵發跡なりいづべく、又濱路には佳壻招よきむことりて、わが身ます〳〵老樂おいらくなるべし。しかはあれども、顧おもふに信乃が面魂つらたましひ、凡庸よのつねの童わらべならぬに、早はやりて事を爲損しそんぜば、毛を吹ふきて疵きずを求め、果はては原價もとねにしかたからん。只眞成たゞまめやかに款待もてなして、由斷ゆだんさするにますことなし」、と腹裡はらのうちに深念しあんしつ、龜篠にのみ機密を吿つげて、斯謀かうはかるにぞありける。かゝれば信乃が危あやうきこと、石の下に生成うみなす雞卵たまご、薪たきゝに巢籠すこもる雛禽ひなとりに異ことならねども、親の先見遺訓せんけんいくんあり、加くはうるに才器勇悍さいきゆうかん、牛若うしわかをも欺あざむくべく、正行まさつらにも劣おとらざる、稀有けうの少年なりければ、その情ぜうをよく知りて、片晌かたときも心を放ゆるさず、舊宅もとのいへにありし日より、伯母をばの宿所に移りし日より、件くだんの寶刀みたちは腰に離さず、坐をるときは傍かたへにとり措おき、臥ふすときは枕まくらによせて、護まもる事等閑なほざりならねば、偸兒ぬすひとの隙ひまあることなし。主客しゆかくの勢いきほひかくの如くにして、一トとせあまり送りつゝ、奸智かんちに長たけたる蟇六なれども、「憖なまじいに手をかけて、見咎みとがめられなば年來としごろ日ごろ、心盡こゝろつくしも泡あはと消きえて、わがうへならん」、と危あやぶ*む程に、偸ぬすむこゝろの稍懈やゝおこたりて、今茲ことし又思ふやう、「村雨むらさめの大刀たち、手に落いるとも、信乃が安穩あんおんでこゝにをらば、それを管領家くわんれいけへ進まゐらするに由よしなし。よしや彼寶刀かのみたち、今わが有ものにならずとも、主ぬしも物もこゝにあり。わが物にあらずとも、わが家いへにあるなれば、終つひにはわが有ものとなるべし。只管ひたすらこゝろ早はやればこそ、その謀施はかりことほどこしかたく、よろづ不便ふべんにして、なか〳〵に危あやうし。女兒むすめ濱路は尙稚なほをさなきに、今よりして十年待とゝせまつとも、そのことの遲きにあらず。遠く謀はかれば長く利あり。短慮たんりよは功をなしかたし」、と漸やうやくに思ひかへしつ、龜篠かめさゝにも、そのこゝろを得させて、且しばらく盜ぬすむの手を藏おさめ、只たゞをり〳〵額藏がくざうに、信乃が意中ゐちうを撈さぐらすれども、これ將はた便りを得たるにもあらず。されば亦また、額藏は、件くだんの事を、主夫婦あるじふうふに問とはるゝ每ごとに、陽うヘには信乃を譏そしれども、害になるべき事をばいはず、その問とはれし事、答こたへしよしを、竊ひそかに吿つげざることのなければ、信乃はます〳〵由斷ゆだんせず、これも陽うへには伯母をばを慕ひて、小厮こものにひとしく使つかはれけり。
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読書ざんまいよせい(079)

南總里見八犬伝 第四 荒芽山の巻
滝澤(曲亭)馬琴・内田魯庵抄訳(004)
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図は、里見八犬伝の内 義僕額蔵(「文化遺産オンライン」サイトから)

一 庚申塚の亂闘

 犬塚犬飼犬田の三犬士が市川から六里の舟路を宮戸川へ遡つて神宮かには河原へ着き、この川中で寶刀を摺換へられた徃時を語り合ひながら行くと、

『大塚の荘官許しやうくわんとこの若檀那!』

 と呼留められた。見ると河原で綱舟貸しを渡世とする矠平やすへいといふ老人で、

『荘官許しやうくわんとこでも飛んだ事でござつた。この騷動の最中。ドコへござらしやつた?』

『市川へ五六日遊びに行つて今戻つたところだが、變つた大事でも有つたかい?』

『そんなら何にも知んなさらねエか。變つた事にも何も大變な大騷動が持ち上りやした。まア俺わしの小屋へござらつしやい!』

 と、それから三人を自分の家へ連れて行き、信乃が旅立ちした翌る晩、蟇六夫婦が陣代簸上宮六ひがみきゆうろく属役軍木ぬるで五倍二に斬殺された事、濱路が左母二郎に誘拐されて圓塚山で殺され、追跡者の破落戸ならずものの三太郎も左母二郎も亦何者かに殺された事、大塚では宮六五倍二が蟇六夫婦を殺して立退たちのかうとしたところへ丁度額藏が歸つて来て、即時に宮六を一刀に斬棄てゝ仇を報じて自訴して出たのを、逃出した卑怯者の五倍二や宮六の弟の社平は鷺を烏と言瞞いいくるめた抗告をして額藏を主殺しと誣しゐひ、己れらは殺害の最中偶然行合はした側杖の災難だと偽證してマンマと額藏に殺人を塗りつけ、新陣代と腹を合はして忠義の額藏を近々處刑するといふ顛末を逐一物語つた。

 且陣代屋敷は圓塚山の殺傷をも額藏に背負はして餘類が有らうといふ見込で、こゝらあたりまでも捕吏を廻らしてあるから各〻方、別して犬塚氏は用心して大塚近くには立寄り給ふ勿なと、矠平やすへいは更に言足いひたして、幸ひ上州に由縁ゆかりの老婆があれば、些ちと遠方ではあるが手紙を附けるから暫らく山家に忍ばれては如何にと慇ねんごに慫慂すゝめた。

 信乃を初め三人は他事無き矠平の親切を身に浸しみて深く喜び、追ては好意に縋ることもあらうが、兎も角も大塚の容子を探り旁〻、先祖の墓参もしたいからと、矠平が頻りに危ぶんで留めるを數度あまたたび謝しつゝ暇乞ひして別れた。暫らくは三人とも思ひも掛けない意外の凶變に人事の測るべからざるを痛感し、有餘る愛を胸に湛へて無言であつた、取別けて信乃は平生快からざる間とは云へ肉親の伯母ではあり、濱路は兎角に伯母夫婦に距てられたとは云へ互に心で許し合つた言號いひなづけである、十數年来同じ屋根の下に起臥おきふししたものゝ非業の横死を耳にして目めを閉つぶつて聞かざる擬まねしてはゐられなかつた。伯母夫婦は多年積悪の報つた自業自得で是非もなく、濱路の薄命は不便ふびんの極みであるが前世の宿業として斷念あきらめられない事も無い。たゞ額藏の不慮の災殃わざはひは總角あげまきからの友達ではあり、前世の宿縁ある義兄弟ではあるし、強慾無慈悲の伯父伯母をも一飯の恩を徳として即時に仇を報じてくれた義理もある。義に勇んで暴言汚吏を懲こらしたのが賊名を被きせられて刑架に上せられようとするを何でふ袖手傍觀しつしゆばうくわんしてゐられよう。

『犬飼氏、犬田氏』と信乃は声を潛めて二人に向ひ、

『それがしは踏留ふみとゞまつて額藏を拯すくはうと思ふ。貴公きこうらは一先づ行徳へ歸り給へ。』

『犬塚氏、足下そこは妙な分け距てをし給ふナ。』とニ人は満然むつとして声を揃へ、

『マダ對面こそしないが、額藏は足下そこの為めにも義兄弟なら我々にも亦義兄弟。足下そこ一人にんの手で拯はずとも我々兩人も力ちからを仮かさう。』と云つた。

 こゝで三人心を合はせて額藏を拯ひ出さうと相談したが、萬事の支度をする為めドコかに足溜あしだまりを定きめねばならなかつた。犬塚は市川を立つ時から歸るツモリは無かつたので、陣代屋敷のお尋ね者となつてるを聞いては猶更大塚へは踏込めなかつた。豫かねてから目星を附けて置いたは、信乃が生れてからの守本尊まもりほんぞんと仰いだ瀧の川の辨才天の祠ほこらで、先づ寺へ行って住持に會ひ、首尾よく祈願を名として岩窟いはやの祠ほこらの参籠の許諾ゆるしを得たので、こゝを根城ねじろとして三人代る〳〵に――信乃は面おもてを看識みしられてるから夜陰に――大塚の里に行つては其處此處そここゝで風聞を探つた。正しく矠平やすへいの話の通りで、里人さとびとは平生ひごろ快こゝろよからざる蟇六夫婦の非命を小氣味よく思つてゐるが、五倍ニ社平らの卑劣をも憎んで額藏の不連を氣の毒がつてゐた。が、新陣代の丁田よぼろた町之進まちのしんも宮六に劣らぬ佞奸邪智の小人で、同氣相求める五倍二社平らと心を併あはしてるから迂闊うつかり額藏を辯護かばひ立てする蔭言かげごとでも耳に入つたら、飛とんだ連累まきぞへをく喰はないものでも無いと里人は皆恐れてゐた。傷ましいのは、毎日身の毛の戰立よだつ拷問に掛けられてるさうで、服罪してもしなくても遠からぬうち處刑しおきになるといふ風説であつた。

 愈〻七月二日には磔刑はりつけになると聞込んだのはそれから間もなくで、三士は刑場へ亂入して額藏を救ひ出す用意に掛つた。其の前夜、三人打連れて住持を庫裡に尋ね、愈〻今晩は満願成就であるから明日あすは早朝出發すると暇乞ひして参籠中の食料と布施物を寄進した。其晩はユツクリ熟睡して、朝になると草鞋脚半わらぢきやはんの身軽な扮装いでたちで、豫て準備よういした王子權現へ奉納の弓矢と竹槍を各自めい〳〵脇狭んで白々しら〳〵明あけに庚申塚の刑場を指して出發した。
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南総里見八犬伝(021)

南總里見八犬傳第二輯卷之五第二十回
東都 曲亭主人 編次
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一雙いつそうの玉兒義ぎよくじぎを結むすぶ
三尺さんしやくの童子どうじ志こゝろさしを演のぶ

「七歳しちさいの小児せうに客路たびぢに母はゝを喪うしなふ」「犬川衞二が妻」「荘之助」

 信乃しのは庭に人ありて、呼禁よびとゞむるその聲を、聞くといへども些ちつとも擬議ぎきせず、はや刺つきたてん、と刃やいばを擧あぐるに、筋縮すぢつまり腕癱麻かひなしびれて、死を速すみやかにすることかなはず。「こは朽くちをし」、といく遍たびか、死しなん〳〵、とするほどに、眞先まつさきに進むものは、是則これすなはち別人ならず、嚮さきにも來つる糠助ぬかすけなり。「吐嗟あなや」とばかり、騷ぐものから、白刃しらはにやおそれけん、後うしろのかたへ立遶たちめぐりて、矢庭やにはに信乃を抱禁いだきとむれば、前なるは蟇六龜篠ひきろくかめさゝ、左右より腕かひなを攬とりて、聊いさゝかも動うごかせず、「且まづこの刃やいばを放はなてよ」、といへども信乃は手を緩ゆるめず、「おん面おもては認みしれども、名吿なのりもあはざる伯母君御夫婦、何なにとして來ませしぞや」、といはれて龜篠酸鼻なみだぐみ、「心つよき親に似て、そなたもさはいふにやあらん。黃童わらはべなれどもさかしげ也。みづからよく辨わきまへ給へ。わらはは素もとより女子をなこの身として、弟おとゝが所帶を奪うばへるにあらず。父も弟おとゝも討死うちしにせし、と風の便りに聞えしころ、切せめては親の蹟あとを立たてん、と思ふばかりに蟇六どのを、壻むこに招とりつゝ幸さいはひに、庄園せうゑんを給はりて、村長むらおささへになり登りし、夫に科とがはなきぞとよ。尒しかるに弟おとゝは存命ながらへて、故鄕こけうにかへれど、足蹙あしなへたり。職つとめに堪たへざる身を見かへらで、吾儕わなみ夫婦をいといたう、憎みて義ぎ絕ぜつせし事は、おのが心の僻ひがみにこそ。强顏つれなき弟おとゝと思へども、腐欄くさりても指およびはきられず。此度こだみ御敎書破卻みきやうしよはきやくの越度おちど、いかで親子を救すくはん、と心を盡す甲斐かひもなく、番作ははや自殺して、そなたも共にと、衝箚つきつめしは、稚をさなこゝろに似げなき短慮。死しぬるに及ばず。この末を、且聞まづきゝてよ」、と諫いさむれば、蟇六瞼ひきろくまぶたをしばたゝき、「番作が生前いきのうちに、わが本來の赤心まこゝろを、しらせざりしは殘念也。切せめてその子を養ひとりて、女兒濱路むすめはまぢを妻めあはせなば、先祖の血絡ちすぢ斷絕せず、世にも人にも憎にくまれし、わが身は後うしろやすかりなん。やをれ信乃よく聞けかし。御敎書の事、大かたならぬ、越度をちど也とはいひながら、原畜生もとちくせうの所爲わざにして、犬はさら也そのぬしたる、番作が命を隕おとせば、一切つや〳〵後難あるべからず。縱たとひその子どもらに、おん咎とがめありといふとも、われ亦またよろしく申ときなん。嚮さきに糠助が走り來て、|如此々々しか〳〵と吿つげしかば、固もとより義絕の親族たりとも、自殺の變へんを聞きゝながら、なほ讐敵あたかたきの思ひをせんや、と來て見たればこそはからずも、汝が必死を禁とゞめたれ。はやく刃やいばをおさめよ」、と言葉を竭つくせば、糠助ぬかすけも共侶もろともに諫いさめけり。
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南総里見八犬伝(020)

南總里見八犬傳第二輯卷之五第十九回
東都 曲亭主人 編次
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龜篠奸計糠助かめさゝかんけいぬかすけを賺すかす
番作遠謀孤兒ばんさくゑんぼうみなしごを托たくす


「番作ばんさく遺訓いくんして夜よるその子こに村雨むらさめの太刀たちを授ゆづる」「しの」「犬塚番作」「帶雨南离楚知春北入燕」「つるき大刀さやかに出る月のまへに/雲きれて行むら雨の空 玄同」

 卻說莊客糠助かくてひやくせうぬかすけは、憖なまじいに信乃しのを副たすけて、犬を蟇六ひきろくが背門せどに追入れ、計りし事は齟齬くひちがひて、犬を失ふのみならず、咎餘とばしりわが身に係らん欤か、と思へばはやく逃にげかへりて、妻孥やからに緣由ことのよしを吿つげ、「もし庄官せうくわんより人來て問とはば、在あらずと答へよ」、といひあへず、奧まりたる處に隱れて、衣引被きぬひきかつぎて臥ふして見つ、起おきても心安からで、「いかに〳〵」と思ふ程に、果して蟇六ひきろくが小厮こもの來て、「糠助ぬかすけぬし宿所にありや。我內政わがうちがたの呼よばせ給ふに、とく〳〵」といそがすを、しばしは「在らず」と欺あざむく物から、使つかひは櫛くしの齒を挽ひく如く、再ふたゝび三みたびに及びしかば、今は脫のがるゝ路もなし。「さはれ內政うちがたよりとかいへば、そのことならじ」、と思へども、思ひかねつゝ出いでかぬるを、女房に諫いさめられ、小厮使こものづかひに引立ひきたてられて、已やむことを得ず使とゝもに、蟇六が宿所へゆきけり。

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南総里見八犬伝(018)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十七回
東都 曲亭主人 編次
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「思ひくまの人はなか〳〵なきものをあはれに犬のぬしをしりぬる」「犬塚しの」「龜笹」「はま路」

妬忌ときを逞たくましうして蟇六螟蛉ひきろくひとのこをやしなふ
孝心こうしんを固かたうして信乃曝布しのたきに禊はらひす

 卻說犬塚番作かくていぬつかばんさくは、年來としごろの志願稍遂やゝとげて、男子既をのこゞすでに出生しゆつせうし、母も子もいとすくよかに、產室撤うぶやおさむるころにぞなりぬ。「さて兒ちごの名を何なにとか呼よばん」、と女房手束にようばうたつかに譚かたらへば、手束は且しばらく沈吟うちあんじ、「よに子育こそだてのなきものは、男兒をのこゞなれば女めの子ことし、女めの子には男名をとこなつけて、やしなひ育たつれば恙つゝがなしとて、如此しかする人も稀まれには侍はべり。我夫婦わがふうふに幸さちなくて、男兒三人擧をのこゞみたりまうけしかど、みな殤子みづこにてなくなりたるに、この度たびも又男兒をのこゞなれば、一トしほ心よはくなりて、想像おもひやりのみせられはべり。この子が十五にならん比ころまで、女子をなごにして孚はぐゝまば、恙つゝがあらじと思ひ侍り。その心して名なつけ給へ」、といへば番作うちほゝ笑えみ、「死生命めいあり、名の咎とがならんや。齋ものいみ多き俗よの僻事ひがこと、いと信うけがたき筋なれども、おん身が心やりにもならば、俗よに從ふもわろきにあらず。古語に長きをしのといふ。和名妙わめうせうに長竿ちやうかんを、しのめと訓よませし、則是すなはちこれなり。今も穗の長き芒すゝきを、しのすゝきといふぞかし。繁しげきすゝきとするは非ならん。わが子の命長かれ、と祝ことほぎのこゝろもて、その名を信乃しのと喚よぶべき欤か。昔われ美濃路みのぢにて、不思議におん身と名吿なのりあひ、信濃路しなのぢにして夫婦となりぬ。しのとしなのとその聲近し。越鳥ゑつちやうは南枝なんしに巢すくひ、胡馬こばは北風ほくふうに嘶いばふといへり。孰たれかその原はじめを忘れん。わが子もし發迹なりいでて、受領じゆれふする事さへあらば、信濃の守護しゆごにもなれかし、と亦祝またことほぎのこゝろに稱かなへり。この名は甚麼いかに」、と實まめたちて、問とへば手束たつかは聞きゝあへず、「そはいとめでたき名にはべり。富人とむひとは五十日百日いかもゝか、と產室うぶややしなひの賀よろこびに、酒さけもり遊ぶ日も多かり。せめてこの子が名ひらきに、竈かまどの神に神酒獻みきたてまつり、手習子てらこと綿わたの弟子をしえこに、もの食くはせ給はずや」、といふに番作うち點頭うなづき、「われもかくこそ思ふなれ。とく〳〵」といそがせば、手束は鄰ちかき媼等うばらを傭やとひて、赤小豆飯あづきいひに芝雜魚しばざこの羹しるよ膾なますといそがしく、目つらを掴つかみ料理して、里の總角等あげまきらを召聚會よびつどへ、盛もりならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳にくわうぜん、箸はしとりあぐる髻鬟等うなゐらが、顏は隱るゝ親碗おやわんに、子の久後ゆくすゑを壽ことぶきの饗應もてなしにみな嗛あきたりて、膝ひざにこぼれし粒飯つぶいひを、拾ひらひもあへず、身を起し、歡よろこびを述のべて還かへるもあり、人より先に草屨わらくつを、穿はかん穿はかせじ、と囂かしましく、𥉉あはて〚目+條〛てかへるも多かりけり。
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南総里見八犬伝(017)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十六回
東都 曲亭主人 編次
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「山院さんいんに宿しゆくして番作ばんさく手束たつかを疑うたがふ」「菴主蚊牛」「たつか」「大塚番作」

白刃はくじんの下もとに鸞鳳良緣らんほうりやうえんを結むすぶ
天女てんによの廟やしろに夫妻一子ふさいいつしを祈いのる

 卻說大塚番作かくておほつかばんさくは、淺痍あさでなれども一晝夜いちちうや、夥あまたの程みちを來にければ、疲勞つかれとともにその痍きず痛みて、通宵よもすがらいもねられず、枕まくらにかよふ松の聲、溪澗たにかはの音さわがしく、ぬるとはなしに目睡まどろみけん、紙門隔ふすまこしにうち譚かたらふ、聲するに驚覺おどろきさめ、枕を欹そばたてて熟聽つら〳〵きけば、老およつけたる男の聲也。「されば菴主あんしゆはかへりけん。渠何事かれなにことをいふにかあらん」、と耳を澄すまして聞く程に、忽地女子たちまちをなこの泣聲なきこゑして、「そは聞きゝわきなし、むじんなり。衆生濟度しゆぜうさいどは佛のをしえ、よしそれまでに及およばずとも、心を穢けがす破戒はかいの罪、法衣ころもに愧はぢず刃やいばもて、殺ころさんとは情なさけなし」、といふは正まさしく宿貸やどかして、吾われをとゞめし女子をなこなり。「原來菴主さてはあんしゆは破戒の惡僧あくそう、妍かはよき少女をとめを妻にして、彼奴かやつを餌ゑばに旅人りよじんをとゞめ、竊ひそかに殺して物をとる、山賊さんぞくに究きわまれり。たま〳〵君父くんふの怨うらみを復かへし、恥を雪きよめ、危難を脫のがれて、こゝまで來つるに阿容々々おめ〳〵と、われ山賊の手に死しなんや。先さきにすれば人を征せいす。こなたより擊うつて出いで、鏖みなころしにすべけれ」、と思ひ決さだめて些ちつとも騷さわがず、竊ひそかに起おきて帶引締ひきしめ、刀を腰に、かゝぐりかゝぐり、紙門ふすまのほとりへ潛しのびよりて、開闔たてつけの間準ひずみより、縡ことの容やうを闕窺かいまみるに、その年四十あまりの惡僧、手に一挺いつてうの菜刀なかたなをふり揚あげて、女子をなこに對むかひて威おどしつ賺すかしつ、いふこと定さだかに聞えね共、われを擊うたんず面魂つらたましひ、女子をなこはこれを禁とゞめあへず、髮かみふり紊みだしてよゝと泣なく。害心既に顯然げんぜんたる、爲體ていたらくに番作は、聊いさゝかも疑はず、紙門ふすまを丁ちやうと蹴けひらきて、庖湢くりやのかたへ跳出おどりいで、「山賊われを殺さん欤か。われまづ汝なんぢを殺すべし」、と罵のゝしりあへず飛とびかゝれば、惡僧大おはきにうち驚き、拿もつたる刃やいばを閃ひらめかして、斬きらんとする拳こぶしの下を、潛くゞり脫ぬけつゝ足を飛とばして、腰眼ゐのめのあたりを磤はたと蹴ける。蹴られて前へひよろ〳〵と、五六步いつあしむあし走り出いだして、やうやくに踏駐ふみとゞまり、ふりかへつて突つきかくるを、右へ流し、左へ、辷すべらし、數回あまたゝびかけ、惱なやまして、疲勞つかるゝ處をつけ入りて、竟つひに刃やいはをうち落せば、惡僧いよ〳〵こゝろ慌あはてて、迯にげんとすれば、番作は、莱刀なかたな手ばやくとり揚あげて、「賊僧天罰思ひしれ」、と罵のゝしる聲ともろ共ともに、あびせかけたる刃の電光いなつま、脊條せすぢをふかく劈つんざいたり。灸所きうしよの痛痍いたでに、霎時しばしも得堪えたへず、惡僧は「苦あつ」と叫びて、仆たふるゝ胸膈むなさき、とゞめの刀尖きつさき、刺さしつらぬきて引拔ひきぬく莱刀、血を揮ふりたらして、刃を拭ぬぐひ、𥉉あはて〚目+條〛惑まどひて迯にげも得ず、伏沈ふししづみたる女子をなこに對むかひて、眼まなこを瞪いからし聲をふり立たて、「汝なんぢは甲夜よひに飯いひを惠めぐみて、一碗いちわんの恩あるに似たり。又賊僧がかへり來て、われを殺さんとするを禁とゞめし、こは側隱そくいんの心なれども、この賊僧が妻となりて、是これまでいくその人を殺せし、是これも亦またしるべからず。されば脫のがれぬ天の誅せめ、速すみやかに首伏はくでうして、刃やいばを受うけよ。いかにぞや」、と問とはれて僅はつかに頭かうべを擧あげ、「その疑ひは情由わけしらぬ、おん身が心の惑まよひにこそ。わらはは固もとより然さるものならず」、といはせもあへず冷笑あざわらひ、「淺くも言ことを左右によせて、時を移して小賊等こぬすびとらが、かへるをまちて夫をとこのために、怨うらみを復かへさんと思ふ汝なんぢが胸中きやうちう、われかばかりの倆伎たくみに乘のらんや。吿つげずはこれもていはせん」、と打晃うちひらめかす菜刀なかたなの光と共に飛とび退しりぞき、「やよ俟まち給へ、いふことあり」、といへ共聽ゆるさぬ怒いかりの刀尖きつさき、何處いづこまでもと夤緣つけまはす、刃頭はさきに盾たてもなよ竹の、雪に折をれなん風情ふぜいにて、右手めてを伸のばし、左手ゆんでを衝つき、片膝立かたひざたてて身を反そらし、後うしろざまに迯遶にげめぐるを、番作はなほ逃のがさじ、と擊うてばひらき、拂へば沈み、立たゝんとすれば頂いだゞきの上に閃ひらめく氷の刃やいば、脫のがれかた手を懷ふところへ、さし入るゝ間ひまもなく、斬きら*んと進む目前まなさきへ、とり出いだす一通つきつけて、「これ見て疑ひ散はらし給へ。聞きゝわきなや」、と兩の手に、引延ひきのばしたる命毛いのちげの、筆ふでに示せしその身の素姓すせう、番作得とくと透すかし見て、思はず刃をとり直し、「こゝろ得かたき書狀しよでうの名印ないん。梵妻賊婦ぼんさいぞくふが艷書欤ゑんじよか、と思ふには似ず勇士の遺書かきおき。やうこそあらめ、その情由わけ語れ」、と身をひらかし、刃を席薦たゝみに突立つきたてて、膝折敷ひざをりしきて目守まもりてをり。
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南総里見八犬伝(016)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十五回
東都 曲亭主人 編次
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「怨うらみを報むくひて番作ばんさく君父くんふの首級くびをかくす」「大塚番作」「にしごり頓二」「牡蛎崎小二郎」

金蓮寺きんれんじに番作讐ばんさくあたを擊うつ
拈華庵ねんげあんに手束客たつかたびゝとを留とゞむ

前卷既に說訖ときをはる、伏姬富山ふせひめとやまへ入いりにし比ころは、十六歲さいのときにして、長祿元年ちやうろくぐわんねんの秋なるべし。又金碗入道かなまりにうどうヽ大坊ちゆだいぼうは、嘉吉元年かきつぐわんねんの秋、父孝吉ちゝたかよしが自殺せしとき、既に五歲になりければ、長祿二年富山にて、伏姬自殺の憂うれひに係かゝり、猛にはかに出家入道しゆつけにうどうして、躬みを雲水うんすいに任まかしつゝ、斗藪行脚とそうあんぎやの首途かどいでせし、このとき廿二歲になりぬ。伏姬は年はつかに、十七にて身まかりたまへば、ヽ大坊はかの姬より、その年才とし五ッの兄なりけり。かくて長祿は三年にして、寬正くわんせうにあらたまり、又六年にして、文正ぶんせうと改元せらる。さはれ元年のみにして、又應仁おふにんと改めらる。これも僅はづかに二年にして、文明ぶんめいと改元ありけり。應仁の內亂治りて、戎馬じうばの蹄ひつめ、址あとを掃はらひ、名のみなりける華はなの洛みやこは、舊もとの春邊はるべに立たちかへり、稍長閑やゝのどやかになりぬるも、この比ころの事なれば、(文明五年春三月、宗全病そうぜんやみて卒みまかり。五月に至りて勝元も亦病またやみて卒みまかりにき。こゝにおいてその徒との合戰、征せずして寢やみにけり。是これを應仁の兵亂ひやうらんといふ)この年號のみ長久とこしなへに、十八年まで續きけり。こゝに年序ねんじよを僂かゞなふれば、伏姬の事ありて、ヽ大が行脚あんぎやの啓行かしまたちせし、前卷長祿二年より、今文明の季年すゑに至いたりて、無慮すべて二十餘年に及べり。この間あはひに犬塚信乃いめづかしのが、未生みせう已前いぜんの事を述のぶ。この卷亦復またまた嘉吉に起おこりて、文明の比ころに至れり。

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南総里見八犬伝(015)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十四回
東都 曲亭主人 編次
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「使女つかひめの急訟はやうち夜よる水みづを渉わたす」「堀内貞行」

轎のりものを飛とばして使女溪澗つかひめたにかはを涉わたす
錫しやくを鳴ならしてヽ大記總ちゆだいずゞたまを索たづぬ

 かたはらに侍りたる、貞行等さだゆきらは伏姬ふせひめの自殺を禁とゞめあへなくも、插頭かざしの花を散ちらせしごとく、遺感いかんやるかたなかりけり。そが中なかに孝德たかのりは、男子をのこにもます姬君ひめきみの末期まつごの一句に激はげまされて、身を措おくところなかりけん、亡骸なきからのほとりにおちたる、血刀ちかたなを手はやく取て、ふたゝび腹を切らんとす。そのとき義實よしさね聲をふり立たて、「やをれ大輔狼狽だいすけうろたへたる欤か。その身に大罪だいざいありながら、君命くんめいを俟またずして、自害せんとは奇怪きくわいなり。伏姬一旦甦生そせいしたれば、罪つみ一等いつとうを宥なだむるとも、この山に入るものは、頭かうベを刎はねんと掟おきてしものを、法度はつとを枉まげておのがまに〳〵、腹切ることを聽ゆるさんや。觀念せよ」、と進みよりて、刃やいばを引提ひきさげ立給へば、「願ふところ」、と孝德は、居ゐなほりて合掌がつせうし、項うなぢを延のばす程もなく、上に晃きらめく刃の稻妻いなつま、丁ちやうと打うつたる大刀風たちかぜに、思ひかけなく孝德が髻弗もとゞりふつと載捨きりすて給へば、「是これは」、と見かへる罪人つみひとも、諫いさめかねたる貞行も、驚き思ふ仁君じんくんの、恩義にいとゞ畏かしこまる。義實は氷なす、刃やいばをやをら𩋡さやに納おさめて、泛たゝえる淚をふり拂ひ、「見よや藏人くらんど、わが手つから、罪人つみひとを刑罰せり。法度はつとは君の制する所、君又これを破るといふ、古人こじんの金言宜きんげんむべなるかな。われもし民ともろ共ともに、けふこの山に登りなば、大輔だいすけに咎とがなかるべし。頭かうべに代かえたる髻もとゞりは、渠かれが亡父ぼうふへ寸志なり。渠かれが穉をさなき時よりして、名を大輔と喚做よびなせしは、大國輔佐たいこくほさの臣たれ、とその久後ゆくすゑを祝しゆくせしに、わが官職つかさもやうやく進みて、治部大輔ぢぶのたいふと大輔だいすけと、その國訓よみこゑは異ことなれ共、文字もんじはかはらぬ主從同名しゆう〴〵どうめい、かゝる故ゆゑにや主しゆうのうへに、あるべき崇たゝりを身に受うけけん、可惜あたらしき壯佼わかうどが、よに埋木うもれきとならん事、かへす〳〵も不便ふびん也。親八郞は大功あり。大輔も忠なきにあらず。その親といひ、その子といひ、勳功くんこうあれども賞を獲えず、その死に臨み、その罪に、陷るに及びては、主尙しゆうすら救ふによしなき事、わが子にまして哀傷あいしやうの淚はこゝに禁とゞめかたし。やよ大輔よ、孝德よ。わが此このこゝろをよくも知らば、亡親なきおやの爲、姬ひめが爲に、命いのちをたもち、身を愛し、佛ほとけにつかへ苦行くぎやうして、高僧知識の名を揚あげよ。こゝろ得たりや」、と叮嚀ねんころに、諭さとし給へば孝德たかのりは、辱かたじけなさにはふり落おつる、淚に哽むせび地に伏ふして、應いらへかねつゝ聲を咽のむ。理ことわりなれば貞行は、鼻はなうちかみて進み出いで、「今にはじめぬ君の仁心じんしん、姬うへの御最期ごさいごには、喞かごとがましき事もなく、家臣のうへをかくまでに、聞えさせ給ふ事、大輔和殿わとのが身にとりては、一郡いちぐんの守護、萬貫まんぐわんの、祿ろくにもまして滿足ならん」、といはれてやうやく頭かうべを擡もたげ、「某寔それがしまことに不肖ふせうなれども、如是畜生によぜちくせうだも菩提ぼだいに入いれり。今より日本廻國につほんくわいこくして、灵山灵社れいさんれいしやを巡禮し、伏姬君ふせひめきみの後世ごせを弔とふらひ、わが君御父子ごふしの武運を祈らん。姬うへの落命も、又某それがしが祝髮しゆくはつも、みな八房の犬ゆゑなれば、犬といふ字を二ッに釐さき、犬にも及ばぬ大輔が、大の一字をそがまゝに、ヽ大ちゆだいと法名仕ほうめうつかまつらん」、と申上れば義實朝臣よしさねあそん、「遖あはれいしくも申シたり。件くだんの犬は全身みのうちに、黑白八こくびやくやつの斑毛ぶちあれば、八房と名つけしが、今さら思へば八房の、二字は則一戶八方すなはちひとりのしかばねはつはうに至るの義なり。加旃しかのみならず伏姬が自殺の今果いまはに痍口きずくちより、一道の白氣はくきたな引びき、仁義八行じんぎはつこうの文字顯もんじあらはれたる、百八の珠閃たまひらめき沖のぼり、文字もじなき珠は地に墮おちて、その餘の八やつは光明ひかりをはなち、八方へ散亂さんらんして、遂つひに跡なくなりし事、其所以そのゆゑなくはあるベからず。後々のちのちに至りなば、思ひあはする事もやあらん。菩提ぼだいの首途かどでの餞別はなむけには、只たゞこの珠數ずゞにますものあらじ。努祕藏ゆめひさうせよ入道にうどう」、と諭さとして軈やがて賜たびければ、孝德は手に受うけて、再三ふたゝびみたびうち戴いたゞき、「こは有ありかたき君の賜たまもの、今より諸國を編歷へんれきして、飛去とびさりたる八やつの珠たまの落おちたる所を索たづねもとめ、はじめのごとく繋つなぎとめんに、一百八いつひやくはちの數かずに滿みたずは、又當國たうごくへ立たちかへりて、見參げんざんに入いり候はじ。年を歷ふるとも音耗おとづれなくは、旅たびより行たびに野ざらしの、骸からは餓うへたる犬の腹を、肥こやしにけりと思召おぼしめされよ。是これぞ寔まことに今生こんぜうのおん別わかれに候べし」、と思ひ切きつてぞ申ける。
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読書ざんまいよせい(075)

◎滝沢馬琴・内田魯庵抄訳南総里見八犬伝(003)

南總里見八犬傳 第三 古那屋の卷
瀧澤(曲亭)馬琴・內田魯庵抄譯
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一 古那屋文五兵衞

 こゝに行德ぎやうとくの入江橋いりえばしの橋詰はしづめに古那屋といふ旅籠屋はたごやがあつた。主人の文五兵衞といふは先年妻つまに先立さきだたれた今年ことし五十五六の男鰥をとこやもめであつた。信乃しのの鄕里の幼馴染をさななじみの糠助(第二輯參照)が國を追はれて母親の無い孩兒みどりごを脊負ひて旅に勞つかれつゝ、詮方せんかた盡きて入水の覺悟をしたのはこの入江橋の上、(第三輯卷二參照)で、通りがかりの犬飼見兵衞いぬかひけんぺゑに助けられ、方金はうきん二顆を惠まれて足手纏あしでまとひの子を引取つて貰つたのを見兵衞と知合しりあひの緣で預かつたのは古那屋こなやであった。女房が產をしたばかりて、乳が剩あまってゐたので同じ乳房を含ませたが、このアワヤ父と共に餓ゑるか水に溺れようとした孩兒みどりごが後のちの芳流閣の勇士犬飼見八であつた。
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南総里見八犬伝(014)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十三回
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯だいにしゆう巻之二

【本文】
南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯(だいにしゆう巻之二
東都 曲亭主人編次


「妙經めうきやうの功徳くどく煩惱ぼんなうの雲霧うんむを披ひらく」「金まり大すけ」「玉つさ」「神変大菩薩」

尺素ふみを遺のこして因果いんぐわみづから訟うつたふ
雲霧うんむを拂はらつて妖孽あやしみはじめて休やむ

 伏姬ふせひめは思ひかけなく、奇しき童わらべに說諭ときさとされて、無明むめうの眠覺ねむりさめながら、夢かとぞおもふ跡あととめぬ、人の言葉のあやしきに、なほ疑ひははれ間まなき、淚の雨に敷妙しきたへの、袖そでは物かは腸はらわたを、絞しぼるばかりに哽むせかへり、歎なげき沈しづませ給ひけり。しかはあれども心操こゝろばえ、人なみ〳〵に立たちまさる、日來雄ひころを々ゝしき姬うへなれば、うち騷さわぐ胸をおし鎭しづめ、顏にかゝれる黑髮くろかみを、掻かきあげて目を拭ぬぐひ、「うたてやな前世さきつよに、造りし罪は秤成はかりなす、おもさ輕かろさはしらねども、遂つひにこの身に報むくひ來きて、かくまで物を思はする、人のうらみのしうねさよ。遮莫さもあらばあれ親のうへに、かゝる崇たゝりを負おひにき、と聞きゝては後のちのその後のちの世まで、捺落ならくの底に沈むとも、悔くやしと思ふべうもあらず。只たゞはづかしく悲しきは、親の爲、又人の爲に、蓬きたなき心もたなくに、何なにを種たねなる畜生ちくせうの、その氣を受うけて八やつの子を、身に宿やどしなばいかにせん。そもこの山に入りにし日より、鶴つるの林のしげきをわき、鷲わしの嶺たかねの高きを仰あふぐ、一念不退讀經いちねんふたいどきやうの外ほかは、よに他事あだしごとなきものから、佛もこゝに救ひ給はず、神さへ助け給はずて、有身みこもれる事實じつならば、よしや臥房ふしどを共にせずとも、それいひ解とかん證据あかしはなし。わがうへのみかは親の恥はぢ、九こゝのつの世を換かゆるとも、竟つひに雪きよむる時しあらで、只畜生たゞちくせうの妻といはれん。生いきての恥辱、死してのうらみ、喩たとふるに物あるべしや。斯かうとは兎の毛の末におく、露つゆばかりだもしらずして、曩さきに瀧田にをりしとき、犬を殺してもろともに、得死えしなざるこそ悔くやしけれ。死しすべき折をりはありながら、死しにおくれしも業因欤ごういんか。されば善巧方便ぜんこうほうべんとて、說ときおかせ給ふなる、佛の書ふみにも有ありがたき、因果いんぐわといふもあまりあり。よしやこの子の生うまるゝ故ゆゑに、親同胞おやはらからに幸さちありて、家の榮さかえをませばとて、こよなき恥にやはかえん。悲しきかな」、と聲立たてて、傍かたへの人にものいふごとく、思ひ凝こつてはなか〳〵に、賢さかしき心も亂れつゝ、忍ぶに堪たへぬ繁薄しのすゝき、尾花をばなが下にふし給ふ。

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