南総里見八犬伝(010)

南總里見八犬傳卷之五第九回
東都 曲亭主人 編次
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戲言けげんしんじて八房やつふさ敵將てきせう首級しゆきうたてまつる」「里見よしさね」「杉倉氏元」「里見よし成」「伏姫」「八ふさ」

盟誓ちかひやぶり景連兩城かげつらりやうぜうかこ
戲言けげんうけ八房首級やつふさしゆきうたてまつ

 卻說安西景連かくてあんさいかげつらは、義實よしさねの使者なりける、金碗大輔かなまりだいすけあざむとゞめて、しのびしのびに軍兵ぐんびやうてわけしつ、にはかに里見の兩城りやうぜうへ、犇々ひし〳〵推寄おしよせたり。その一ひとそなへは二千餘騎、景連みづからこれをて、瀧田たきたの城の四門しもんかこみ、晝夜ちうやをわかずこれをむ。またその一隊ひとそなへは一千餘騎、蕪戶訥平等かぶととつへいらを大將にて、堀內貞行ほりうちさだゆきこもりたる、東條とうでふの城をかこませ、「兩城一時いちじ攻潰せめつぶさん」、といやがうへにぞ攻登せめのぼる。そのこと爲體ていたらく稻麻とうまの風にそよごとく、勢ひをさ〳〵破竹はちくに似たり。このとき里見の兩城りやうぜうは、兵粮甚乏ひやうろうはなはだともしきに、民荒年たみくわうねんえきつかれて、催促に從はず、只呆たゞあきれたるのみなれ共、恩義の爲にいのちかろんじ、寄手よせてものゝかすともせざる、勇士猛卒ゆうしもうそつなきにあらねば、をさ〳〵防戰ふせぎたゝかふものから、主客しゆかくの勢ひことにして、はや兵粮につきしかば、しよくせざる事七日に及べり。士卒はほと〳〵たへかねて、夜な〳〵、へいこえ潛出しのびいで射殺いころされたる敵の死骸しがいの、腰兵粮こしひやうろう撈取さぐりとりて、はつかうへみつるもあり、あるは馬を殺し、死人の肉をくらふもあり。義實よしさねいたくこれをうれひて、杉倉木曾介氏元等すぎくらきそのすけうぢもとら、もろ〳〵の士卒しそつ聚合つどへ、さてのたまふやう、「景連は表裏ひやうり武士ぶしちかひを破り義にたがふ、奸詐かんそは今さらいふにしも及ばねど、さのみおそるゝ敵にはあらず。かれ兩郡のひとて、わが兩城を攻擊せめうてば、われも二郡のひとをもて、かれが二郡のひとに備ふ。よしや十二分に勝得かちえずとも、午角ごかくいくさはしつべきに、わが德らで五穀登ごゝくみのらず、內に倉廩空さうりんむなしうして、ほかにはあたの大軍あり。甲乙こうおついまだわかたずして、ちから既にきわまれり。縱百樊噲たとひひやくはんくわいありといふとも、うへては敵をうつによしなし。たゞ義實が心ひとつ、身ひとつのゆゑをもて、この城中にありとある、士卒を殺すに忍びがたし。今宵衆皆烏夜こよひみな〳〵やみまかして、西の城戶きとより走り去れ。からくも命をまつたうせん。その時しろに火をかけて、まづはや妻子さいし刺殺さしころし、義實は死すべきなり。二郞太郞じろたらうもとくおちよ。そのてだて箇樣々々かやう〳〵」、と精細つばらかに示し給へば、衆皆みな〳〵これをきゝあへず、「御諚ごじやうでは候へども、その祿ろくうけ妻子やからを養ひ、なんのぞみ筍且かりそめにも、まぬかるゝことはえうせず。只顯身たゞうつせみの息の內に、寄手よせての陣へ夜擊ようちして、名ある敵とさしちがへ、君恩くんおん泉下せんかほうぜん。この餘の事はつゆばかりも、ねがはしからず候」、とことばひとしく回答いらへまうすを、義實はなほ叮嚀ねんごろに、說諭とききとし給へども、承引うけひく氣色けしきなかりけり。

 このとき義實のおん子、二郞太郞義成じろたらうよしなりは、十六歲になり給ひつ。父の仁愛じんあい、士卒の忠信、よにありかたきこととのみ、うちきゝてをはせしが、言果ことはつべうもあらざれば、父の氣色をうかゞひて、「弱冠じやくくわんそれがしが、異見いけんを申上るにあらねど、天の時は地の利にしかず、地の利は人のくわにしかず。城中既に兵粮竭ひやうろうつきて、士卒飢渴きかつせまれ共、のがれ去らんと思ふものなく、しかしながら死をきわめしは、德により、恩をおもふ、是只これたゞそのくわの致す所。人のさがは善なれば、よしや寄手よせて軍兵ぐんびやうなりとも、善惡邪正ぜんあくじやせうはしりつらん。又兵粮ひやうろうつきたれども、每日ひごとけふりをたてさせ給へば、敵かくまでとは思ひかけず、短兵急たんへいきう攻擊せめうたざるは、父の武勇におそるゝゆゑ也。このふたつをもてはかるときは、大音だいおんなるものをえらみて、城樓やぐらにのぼし、寄手よせてむかひ、景連が非道の行狀おこなひ盟誓ちかひを破り、恩をあたとし、不義のいくさを起したる、その罪をせめさせ給はゞ、士卒忽地慙愧たちまちざんぎして、政戰せめたゝかふのこゝろうせなん。そのとき城よりうついで只一揉たゞひともみ突崩つきくづさば、かたずといふことあるべからず。この議はいかゞ候はん」、と言爽ことさはやかのべ給へば、衆皆只管感佩みな〳〵ひたすらかんはいして、「しかるべし」、とまうすにぞ、義實はこゝろみに、その聲高きものをいだして、景連が不義をかぞへ、その罪をせめさせ給ふに、日來ひごろは聲よくたつものも、うへてはたえて息つゞかず、城樓やぐらは高く堀は廣し。腹の筋のよれるまで、口を張りつらあかうし、心ばかりはのゝしれども、敵の陣へは聲屆かず、はては淚にかきくれて、からせきをせくのみなれば、勞してその功なかりけり。

 さる程に義實は、なまじいのがさらざる、士卒を救ふよしもがな、となほ肺肝はいかんくだき給へど、たやすく敵を退しりぞくる、はかりことを得給はず。こりては其處そこに至らじとて、つゑひきそのいで徜徉そゞろあるきし給へば、年來としころ愛させ給ふなる、八房やつふさの犬はしゆうを見て、尾をふりつゝ來にけれど、久しくうへたることなれば、踉々ひよろ〳〵として足さだまらず、肉おちて、骨高く、まなこおちいり、鼻かはけり。義實これをみそなはして、右手めてをもてそのかうべなで、「嗚呼汝あゝなんぢうへたる。士卒の飢渴きかつすくはん、と思ふこゝろにいとまなければ、汝が事を忘れたり。賢愚けんぐそのしなありといへども、人は則萬すなはちばんもつの、れいたるをもてみな智惠ちゑあり。をしえに從ひ、法度はつとを守り、禮讓恩義れいじやうおんぎを知るものなれば、欲をとゞめ、ぜうたへうへて死するも天命時運てんめいじうん、とおもはゞ思ひあきらめなん。只畜生たゞちくせうにはその智惠なし。をしえうけず、法度はつとをしらず、禮讓恩義をわきまへず、欲をとヾむるよしもなし。只そのしゆうの養ひに、一期いちごを送るものなれば、うへうへたるゆゑしらず、食をもとめてます〳〵こぶ。これも又不便ふびんなり。現畜生げにちくせう恥辱はぢしらず、いとおろかなるものなれども、人にますことなきにあらず。たとひば犬のしゆうを忘れず、はなをもてよくものを辯ずる、これらは人のしかざる所、せいすぐるゝ所也。されば古歌こかにも、

思ひぐまの、人はなか〳〵、なきものを、あはれに犬の、ぬしをしりぬる。

慈鎭和尙ぢゝんおせうゑいとかおぼゆ。今こゝろみなんぢとはん。十年とゝせの恩をよくしるや。もしその恩を知ることあらば、寄手よせての陣へしのび入て、敵將安西景連を、啖殺くひころさばわが城中の、士卒の必死を救ふに至らん。かゝればその功第一なり。いかにこの事よくせんや」、とうちほゝえみつゝ問給へば、八房はしゆうかほを、つく〴〵とうち向上みあげて、よくそのこゝろを得たるが如し。義實いよ〳〵不便ふびんにおぼして、又かうペなでそびらなで、「汝つとめて功をたてよ。しからば魚肉にあかすべし」、とのたまへば、背向そがひになりて、推辭いなめるごとく見えしかば、義實はたはふれに、問給ふこと又しば〳〵、「しからばつかささづけある領地れうち宛行あてわこなは。官職領地ものぞましからずば、わが女壻むこにして伏姬ふせひめを、めあはせん」、と問給ふ。このときにこそ八房は、尾を振り、かうべもたげつゝ、またゝきもせずしゆうの顏を、熟視まもりてわゝとほえしかば、義實「ほゝ」とうち笑ひ、「げに伏姬はに等しく、汝を愛するものなれば、得まほしとこそ思ふらめ。縡成ことなるときは女壻むこにせん」、とのたまはすれば、八房は、前足をりて拜する如く、啼聲なくこゑ悲しく聞えにければ、義實は興盡きやうつきて、「あながまや、あなゆゝ々し。よしなき戲言たはことわれながら、そゞろなりし」、とひとりごちて、やがて奧にぞ入り給ふ。

 かくてそのは大將も、士卒もこの世の名殘なごりぞ、と思ひさだめし事なれば、義實は宵のは、しばら後堂おくにをはしまして、夫人五十子おくかたいさらこ息女そくぢよ伏姬、嫡男義成ちやくなんよしなりをはじめまゐらせ、老黨ろうだうには氏元等を、ほとり近く召聚合めしつどへて、おんさかづきたまはりつ。さはれ長柄ながゑ銚子さしなべのみ、酒一滴もなかりしかば、水をもてこれにかえさかなには枝つきの、果子このみ少々いだされたり。それも大かたむしばみて、生平つねには下司げすもたうべじ、と思ふ物だに時にとりては、いとかたしけく、いとめでたし。席上殊せきせうことしめやかにて、只四表八表たゞよもやまの物かたり、あるは又しかたを、うちかたらはせ給ひつゝ、最期さいごのよしは一言ひとことも、仰出おふせいださるゝことはなけれど、死をきわめたる主從しゆう〴〵は、なか〳〵にいさみあり。かくるときにも武士ものゝふの、妻とて子とて黑髮くろかみの、ながきわかれをしみあへず、にこそなかね、に住む蟲の、われからころもうらとけて、るゝは袖のとがならぬ、こゝろうち推量おしはかる、女房達にようぼうたちはもろ共に、淚の泉せぎとめかねて、おなじなげきに沈みけり。「現理げにことわり」、と氏元等は、思はず齊一嗟嘆ひとしくさたんして、かたみに目と目をあはすれば、七日己來一粒このかたいちりうも、しよくせぬわれも人もまたまなこくぼみ、頬骨立ほうほねいでまだ死なねども土となる、顏色焦悴枯槁がんしよくおとろへやせがれたり。「今宵十日の月いりて、うついでん」、とかねてより、軍令をうけたまはる、雜兵等ざふひやうらも、思ひ〳〵に、是首彼首こゝかしこあつまりて、酒とたゝへみかはす、水にもうつる星の影、よろひそでにおくしもも、やがてきえなん身はうしや、丑三比うしみつころになりにけり。「時刻はよし」、と義實父子ふしは、手はやく鎧授よろひなげかけ給へば、五十子伏姬、かしつき老女專女ろうぢよおさめがもろ共に、手に〳〵とりてまゐらする、大刀たち長刀なぎなたのさやかなる、風がもて來る遠寺ゑんじ鐘聲せうせい諸行無常しよぎやうむじやうと音すなり。

義實よしさねいかつ八房やつふさおはんとす」「伏姫」「八ッ房」「里見よしさね」

援引事實 むかし高辛氏のとき。犬戎けんじゆう之寇こうり。みかど侵暴オカシアルヽヲうれひて。征伐すれどもたず。すなはあめが下に訪ひモトメテ犬戎けんじゆう將呉將軍をモノらば。黄金千鎰せんいつ邑萬ゆうまん家をたまはん。又妻めあはすに少女をもつてせんとなり。畜狗ちくくり。毛五彩ごさい。名つけて槃瓠はんこふ。令を下す後。槃瓠俄頃にはかに一頭をくわえ闕下けっかとまる。群臣あやしみこれれは。すなはち呉將軍が首なりみかどおおいよろこびたまふ。オモヘラク。槃瓠はこれめあはすにむすめもつてすべからず。又封爵ほうしやくし。議してこれむくひんとほつす。しかれどもいませんする所を知らず。むすめ聞て以為オモヘラク。皇帝れいを下してしんたがふべからずと。よりいかんとふ。帝やむことを得ず。むすめもつて槃瓠にめあはす。槃瓠むすめを得て。おふて南山なる石室の中に走り入れり。險絶けんぜつにして人跡じんせき至らず。三年をて。六男六女をめり。槃瓠よりみずかつまワカル。好色の衣服。製裁みなありその母後に状をもつて帝にもうす。ここおいて諸子を迎へたまふに。衣装蘭斑らんはん。言語侏離しゆりなり。好て山壑さんがくに入る。平曠へいこうたのしまず。帝その意にしたがひて。たまふに名山廣澤こうたくもつてす。そのシソン滋蔓じまんせり。ごうして蛮ばんいふ。いま長沙武陵のエビスこれなり。』又北狗國は。人身じんしんにして狗首くしゆ。長毛にしてころもせず。その妻はみな人なり。男を生めばいぬり。女を生めばひととなると云ふ。五代史に見えたり。
【原文】援引事實 昔高辛氏。有犬戎之寇。帝患其侵暴。而征伐不克。乃訪募天下。有能得犬戎之將呉將軍者。賜黄金千鎰。邑萬家。又妻以少女。有畜狗。其毛五彩。名曰槃瓠。下令之後。槃瓠俄頃銜一頭泊闕下。群臣怪而診之。乃呉將軍首也。帝大喜。且謂。槃瓠不可妻之以女。又無封爵之道。議欲報之。而未知所宣。女聞以為。皇帝下令不可違信。因請行。帝不得已。以女妻槃瓠。槃瓠得女。負而走入南山石室中。險絶人跡不至。経三年。生六男六女。槃瓠因自决妻。好色衣服。製裁皆有尾。其母後以状白帝。於是迎諸子。衣装蘭斑。言語侏離。好入山壑。不樂平曠。帝順其意。賜以名山廣澤。其後滋蔓。號曰蛮夷。今長沙武陵蛮是也』又北狗國。人身狗首。長毛不衣。其妻皆人。生男為狗。生女為人云。見五代史。

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