南総里見八犬伝(010)

南總里見八犬傳卷之五第九回
東都 曲亭主人 編次
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戲言けげんしんじて八房やつふさ敵將てきせう首級しゆきうたてまつる」「里見よしさね」「杉倉氏元」「里見よし成」「伏姫」「八ふさ」

盟誓ちかひやぶり景連兩城かげつらりやうぜうかこ
戲言けげんうけ八房首級やつふさしゆきうたてまつ

 卻說安西景連かくてあんさいかげつらは、義實よしさねの使者なりける、金碗大輔かなまりだいすけあざむとゞめて、しのびしのびに軍兵ぐんびやうてわけしつ、にはかに里見の兩城りやうぜうへ、犇々ひし〳〵推寄おしよせたり。その一ひとそなへは二千餘騎、景連みづからこれをて、瀧田たきたの城の四門しもんかこみ、晝夜ちうやをわかずこれをむ。またその一隊ひとそなへは一千餘騎、蕪戶訥平等かぶととつへいらを大將にて、堀內貞行ほりうちさだゆきこもりたる、東條とうでふの城をかこませ、「兩城一時いちじ攻潰せめつぶさん」、といやがうへにぞ攻登せめのぼる。そのこと爲體ていたらく稻麻とうまの風にそよごとく、勢ひをさ〳〵破竹はちくに似たり。このとき里見の兩城りやうぜうは、兵粮甚乏ひやうろうはなはだともしきに、民荒年たみくわうねんえきつかれて、催促に從はず、只呆たゞあきれたるのみなれ共、恩義の爲にいのちかろんじ、寄手よせてものゝかすともせざる、勇士猛卒ゆうしもうそつなきにあらねば、をさ〳〵防戰ふせぎたゝかふものから、主客しゆかくの勢ひことにして、はや兵粮につきしかば、しよくせざる事七日に及べり。士卒はほと〳〵たへかねて、夜な〳〵、へいこえ潛出しのびいで射殺いころされたる敵の死骸しがいの、腰兵粮こしひやうろう撈取さぐりとりて、はつかうへみつるもあり、あるは馬を殺し、死人の肉をくらふもあり。義實よしさねいたくこれをうれひて、杉倉木曾介氏元等すぎくらきそのすけうぢもとら、もろ〳〵の士卒しそつ聚合つどへ、さてのたまふやう、「景連は表裏ひやうり武士ぶしちかひを破り義にたがふ、奸詐かんそは今さらいふにしも及ばねど、さのみおそるゝ敵にはあらず。かれ兩郡のひとて、わが兩城を攻擊せめうてば、われも二郡のひとをもて、かれが二郡のひとに備ふ。よしや十二分に勝得かちえずとも、午角ごかくいくさはしつべきに、わが德らで五穀登ごゝくみのらず、內に倉廩空さうりんむなしうして、ほかにはあたの大軍あり。甲乙こうおついまだわかたずして、ちから既にきわまれり。縱百樊噲たとひひやくはんくわいありといふとも、うへては敵をうつによしなし。たゞ義實が心ひとつ、身ひとつのゆゑをもて、この城中にありとある、士卒を殺すに忍びがたし。今宵衆皆烏夜こよひみな〳〵やみまかして、西の城戶きとより走り去れ。からくも命をまつたうせん。その時しろに火をかけて、まづはや妻子さいし刺殺さしころし、義實は死すべきなり。二郞太郞じろたらうもとくおちよ。そのてだて箇樣々々かやう〳〵」、と精細つばらかに示し給へば、衆皆みな〳〵これをきゝあへず、「御諚ごじやうでは候へども、その祿ろくうけ妻子やからを養ひ、なんのぞみ筍且かりそめにも、まぬかるゝことはえうせず。只顯身たゞうつせみの息の內に、寄手よせての陣へ夜擊ようちして、名ある敵とさしちがへ、君恩くんおん泉下せんかほうぜん。この餘の事はつゆばかりも、ねがはしからず候」、とことばひとしく回答いらへまうすを、義實はなほ叮嚀ねんごろに、說諭とききとし給へども、承引うけひく氣色けしきなかりけり。

 このとき義實のおん子、二郞太郞義成じろたらうよしなりは、十六歲になり給ひつ。父の仁愛じんあい、士卒の忠信、よにありかたきこととのみ、うちきゝてをはせしが、言果ことはつべうもあらざれば、父の氣色をうかゞひて、「弱冠じやくくわんそれがしが、異見いけんを申上るにあらねど、天の時は地の利にしかず、地の利は人のくわにしかず。城中既に兵粮竭ひやうろうつきて、士卒飢渴きかつせまれ共、のがれ去らんと思ふものなく、しかしながら死をきわめしは、德により、恩をおもふ、是只これたゞそのくわの致す所。人のさがは善なれば、よしや寄手よせて軍兵ぐんびやうなりとも、善惡邪正ぜんあくじやせうはしりつらん。又兵粮ひやうろうつきたれども、每日ひごとけふりをたてさせ給へば、敵かくまでとは思ひかけず、短兵急たんへいきう攻擊せめうたざるは、父の武勇におそるゝゆゑ也。このふたつをもてはかるときは、大音だいおんなるものをえらみて、城樓やぐらにのぼし、寄手よせてむかひ、景連が非道の行狀おこなひ盟誓ちかひを破り、恩をあたとし、不義のいくさを起したる、その罪をせめさせ給はゞ、士卒忽地慙愧たちまちざんぎして、政戰せめたゝかふのこゝろうせなん。そのとき城よりうついで只一揉たゞひともみ突崩つきくづさば、かたずといふことあるべからず。この議はいかゞ候はん」、と言爽ことさはやかのべ給へば、衆皆只管感佩みな〳〵ひたすらかんはいして、「しかるべし」、とまうすにぞ、義實はこゝろみに、その聲高きものをいだして、景連が不義をかぞへ、その罪をせめさせ給ふに、日來ひごろは聲よくたつものも、うへてはたえて息つゞかず、城樓やぐらは高く堀は廣し。腹の筋のよれるまで、口を張りつらあかうし、心ばかりはのゝしれども、敵の陣へは聲屆かず、はては淚にかきくれて、からせきをせくのみなれば、勞してその功なかりけり。

 さる程に義實は、なまじいのがさらざる、士卒を救ふよしもがな、となほ肺肝はいかんくだき給へど、たやすく敵を退しりぞくる、はかりことを得給はず。こりては其處そこに至らじとて、つゑひきそのいで徜徉そゞろあるきし給へば、年來としころ愛させ給ふなる、八房やつふさの犬はしゆうを見て、尾をふりつゝ來にけれど、久しくうへたることなれば、踉々ひよろ〳〵として足さだまらず、肉おちて、骨高く、まなこおちいり、鼻かはけり。義實これをみそなはして、右手めてをもてそのかうべなで、「嗚呼汝あゝなんぢうへたる。士卒の飢渴きかつすくはん、と思ふこゝろにいとまなければ、汝が事を忘れたり。賢愚けんぐそのしなありといへども、人は則萬すなはちばんもつの、れいたるをもてみな智惠ちゑあり。をしえに從ひ、法度はつとを守り、禮讓恩義れいじやうおんぎを知るものなれば、欲をとゞめ、ぜうたへうへて死するも天命時運てんめいじうん、とおもはゞ思ひあきらめなん。只畜生たゞちくせうにはその智惠なし。をしえうけず、法度はつとをしらず、禮讓恩義をわきまへず、欲をとヾむるよしもなし。只そのしゆうの養ひに、一期いちごを送るものなれば、うへうへたるゆゑしらず、食をもとめてます〳〵こぶ。これも又不便ふびんなり。現畜生げにちくせう恥辱はぢしらず、いとおろかなるものなれども、人にますことなきにあらず。たとひば犬のしゆうを忘れず、はなをもてよくものを辯ずる、これらは人のしかざる所、せいすぐるゝ所也。されば古歌こかにも、

思ひぐまの、人はなか〳〵、なきものを、あはれに犬の、ぬしをしりぬる。

慈鎭和尙ぢゝんおせうゑいとかおぼゆ。今こゝろみなんぢとはん。十年とゝせの恩をよくしるや。もしその恩を知ることあらば、寄手よせての陣へしのび入て、敵將安西景連を、啖殺くひころさばわが城中の、士卒の必死を救ふに至らん。かゝればその功第一なり。いかにこの事よくせんや」、とうちほゝえみつゝ問給へば、八房はしゆうかほを、つく〴〵とうち向上みあげて、よくそのこゝろを得たるが如し。義實いよ〳〵不便ふびんにおぼして、又かうペなでそびらなで、「汝つとめて功をたてよ。しからば魚肉にあかすべし」、とのたまへば、背向そがひになりて、推辭いなめるごとく見えしかば、義實はたはふれに、問給ふこと又しば〳〵、「しからばつかささづけある領地れうち宛行あてわこなは。官職領地ものぞましからずば、わが女壻むこにして伏姬ふせひめを、めあはせん」、と問給ふ。このときにこそ八房は、尾を振り、かうべもたげつゝ、またゝきもせずしゆうの顏を、熟視まもりてわゝとほえしかば、義實「ほゝ」とうち笑ひ、「げに伏姬はに等しく、汝を愛するものなれば、得まほしとこそ思ふらめ。縡成ことなるときは女壻むこにせん」、とのたまはすれば、八房は、前足をりて拜する如く、啼聲なくこゑ悲しく聞えにければ、義實は興盡きやうつきて、「あながまや、あなゆゝ々し。よしなき戲言たはことわれながら、そゞろなりし」、とひとりごちて、やがて奧にぞ入り給ふ。

 かくてそのは大將も、士卒もこの世の名殘なごりぞ、と思ひさだめし事なれば、義實は宵のは、しばら後堂おくにをはしまして、夫人五十子おくかたいさらこ息女そくぢよ伏姬、嫡男義成ちやくなんよしなりをはじめまゐらせ、老黨ろうだうには氏元等を、ほとり近く召聚合めしつどへて、おんさかづきたまはりつ。さはれ長柄ながゑ銚子さしなべのみ、酒一滴もなかりしかば、水をもてこれにかえさかなには枝つきの、果子このみ少々いだされたり。それも大かたむしばみて、生平つねには下司げすもたうべじ、と思ふ物だに時にとりては、いとかたしけく、いとめでたし。席上殊せきせうことしめやかにて、只四表八表たゞよもやまの物かたり、あるは又しかたを、うちかたらはせ給ひつゝ、最期さいごのよしは一言ひとことも、仰出おふせいださるゝことはなけれど、死をきわめたる主從しゆう〴〵は、なか〳〵にいさみあり。かくるときにも武士ものゝふの、妻とて子とて黑髮くろかみの、ながきわかれをしみあへず、にこそなかね、に住む蟲の、われからころもうらとけて、るゝは袖のとがならぬ、こゝろうち推量おしはかる、女房達にようぼうたちはもろ共に、淚の泉せぎとめかねて、おなじなげきに沈みけり。「現理げにことわり」、と氏元等は、思はず齊一嗟嘆ひとしくさたんして、かたみに目と目をあはすれば、七日己來一粒このかたいちりうも、しよくせぬわれも人もまたまなこくぼみ、頬骨立ほうほねいでまだ死なねども土となる、顏色焦悴枯槁がんしよくおとろへやせがれたり。「今宵十日の月いりて、うついでん」、とかねてより、軍令をうけたまはる、雜兵等ざふひやうらも、思ひ〳〵に、是首彼首こゝかしこあつまりて、酒とたゝへみかはす、水にもうつる星の影、よろひそでにおくしもも、やがてきえなん身はうしや、丑三比うしみつころになりにけり。「時刻はよし」、と義實父子ふしは、手はやく鎧授よろひなげかけ給へば、五十子伏姬、かしつき老女專女ろうぢよおさめがもろ共に、手に〳〵とりてまゐらする、大刀たち長刀なぎなたのさやかなる、風がもて來る遠寺ゑんじ鐘聲せうせい諸行無常しよぎやうむじやうと音すなり。

義實よしさねいかつ八房やつふさおはんとす」「伏姫」「八ッ房」「里見よしさね」

援引事實 むかし高辛氏のとき。犬戎けんじゆう之寇こうり。みかど侵暴オカシアルヽヲうれひて。征伐すれどもたず。すなはあめが下に訪ひモトメテ犬戎けんじゆう將呉將軍をモノらば。黄金千鎰せんいつ邑萬ゆうまん家をたまはん。又妻めあはすに少女をもつてせんとなり。畜狗ちくくり。毛五彩ごさい。名つけて槃瓠はんこふ。令を下す後。槃瓠俄頃にはかに一頭をくわえ闕下けっかとまる。群臣あやしみこれれは。すなはち呉將軍が首なりみかどおおいよろこびたまふ。オモヘラク。槃瓠はこれめあはすにむすめもつてすべからず。又封爵ほうしやくし。議してこれむくひんとほつす。しかれどもいませんする所を知らず。むすめ聞て以為オモヘラク。皇帝れいを下してしんたがふべからずと。よりいかんとふ。帝やむことを得ず。むすめもつて槃瓠にめあはす。槃瓠むすめを得て。おふて南山なる石室の中に走り入れり。險絶けんぜつにして人跡じんせき至らず。三年をて。六男六女をめり。槃瓠よりみずかつまワカル。好色の衣服。製裁みなありその母後に状をもつて帝にもうす。ここおいて諸子を迎へたまふに。衣装蘭斑らんはん。言語侏離しゆりなり。好て山壑さんがくに入る。平曠へいこうたのしまず。帝その意にしたがひて。たまふに名山廣澤こうたくもつてす。そのシソン滋蔓じまんせり。ごうして蛮ばんいふ。いま長沙武陵のエビスこれなり。』又北狗國は。人身じんしんにして狗首くしゆ。長毛にしてころもせず。その妻はみな人なり。男を生めばいぬり。女を生めばひととなると云ふ。五代史に見えたり。
【原文】援引事實 昔高辛氏。有犬戎之寇。帝患其侵暴。而征伐不克。乃訪募天下。有能得犬戎之將呉將軍者。賜黄金千鎰。邑萬家。又妻以少女。有畜狗。其毛五彩。名曰槃瓠。下令之後。槃瓠俄頃銜一頭泊闕下。群臣怪而診之。乃呉將軍首也。帝大喜。且謂。槃瓠不可妻之以女。又無封爵之道。議欲報之。而未知所宣。女聞以為。皇帝下令不可違信。因請行。帝不得已。以女妻槃瓠。槃瓠得女。負而走入南山石室中。險絶人跡不至。経三年。生六男六女。槃瓠因自决妻。好色衣服。製裁皆有尾。其母後以状白帝。於是迎諸子。衣装蘭斑。言語侏離。好入山壑。不樂平曠。帝順其意。賜以名山廣澤。其後滋蔓。號曰蛮夷。今長沙武陵蛮是也』又北狗國。人身狗首。長毛不衣。其妻皆人。生男為狗。生女為人云。見五代史。

 浩處かゝるところ外面とのかたに、犬のなく聲してければ、義實耳をそはたてゝ、「あれはまさしく八房やつふさ也。ことなる聲ぞ、皆きかずや。いでて見よかし」、とのたまへば、「うけたまはりつ」、といらへあへず、兩三人衝りやうさんにんつたちて、緣頬えんかはより指燭しそくあげ、「八房々々」、とよびかけて、と見かう見れば、あやしきかな、|生々なまなましき人のかうべを、緣端えんばなにうちのせて、八房は踏石ふみいしに、前足かけてつく〳〵、とくだんかうペを守りてをり。「こは〳〵いかに」、とばかりに、るもの劇惑あはてまどひつゝ、もとの處に走り入り、「かゝることこそ候へ」、と忽卒あからさま報知奉つげたてまつれば、主從男女聞しゆう〴〵なんによきゝあへず、驚きあやしまざるものなし。そが中に氏元は、彼輩かのともからを見かへりて、「うへては人の亡骸なきからを、くらふも犬のならひ也。是見これみよかしに、もて來たる、かうべみしれるものならずや。御達ごたち五十子いさらこ伏姬ふせひめをいふ]もこゝにましますに、とく追遣おひやらひ給ひね」、といへば再びたゝんとする、そのものどもを義實は、「こや〳〵」、とよびとゞめ、「犬はをるともさまたげなし。彼もしいたくうへたるまゝに、躬方みかた死骸しがいそこなひなば、そがまゝにはさしおきがたし。われみづからいゆきて見ん」、といひかけてはや立給へば、氏元等はいふもさら也、男房女房散動渡なんばうにようばうどよめきわたりて、あるしよくとりて先にたちあるしゆうしりにつきて、みなもろ共に、緣頬狹えんかはせまし、とくだんくびを見る程に、義實は眉根まゆねをよせ、「木曾介きそのすけなにとか見たる。鮮血ちしほまみれてさだかならねど、こは景連かげつらに似たるかし。洗ふて見よ」、とおふすれば、氏元も亦訝またいぶかりながら、淨手鉢てふづはちのほとりへよせて、柄𣏐ひさくに水を汲みかけて、くびまみるゝ血をいくたびか、洗流々々あらひながし〳〵て、主從更にこれを見れば、果して敵將景連が首級しゆきうに疑ふべうもあらず。「分明ふんめうなり」、とのたまへば、みな疑ひはとけながら、まだそのゆゑをしるよしなけれど、人は及ばぬ軍功に、只管ひたすら犬をうらやみけり。

 當下義實嵯嘆そのときよしさねさたんして、「かう奇怪なる事を見る、前象後兆せんせうこうちゃうなきにあらず。今こそ思ひあはするなれ。みなわが爲に蜻蛉かげろひの、命をすてん、と思ひさだめし、士卒をいかですくはん、と思へ共思ひかね、なぐさめかねてわが身ひとつ、さきにはそのいでたる折、この八房がいといたう、うへたるを又見るに得堪えたへず、かれを思ひ、これあはれみ、『なんぢもし寄手よせての陣へ、忍び入りて景連を、くらひ殺して城中ぜうちうなる、數百すひやくの士卒を救ふに至らば、日每ひごとに魚肉にあかせん』、といへどもよろこ氣色けしきなし。『さらずは所領しよれう宛行あてわこなは重職おもきつかささづけ』、といへども歡ぶ氣色なし。『さらずは生平つねに汝を愛する、伏姬ふせひめを取らせん』、といひつるときに八房は、よろこばしげなる氣色けしきにて、尾をふりつゝほえたる聲、常にはあらでいとゆゝ々し。『戲言けげんなり共思ひより、いでずといふことなきものを、そゞろなりし』、とひとりごちて、そが侭後堂まゝおくに人を聚合つどへ最期さいごの軍議にいとまなくて、その事ははや忘れたるに、犬はなかなかいはれし事を、忘れねばこそ狛劍こまつるぎ、わが虛言そらごと實事まこととして、寄手よせての陣へしのるとも、二三千の大將たる、景連をたやすく殺して、その首級しゆきうもたらすこと、不思議といふもあまりあり。奇なり〳〵」、と八房を、さし招き呼び近つけ、只管賞嘆ひたすらせうたんし給へば、氏元等は又さらに、駭然がいぜんとして舌を卷き、「畜生にして人にます、功ある事もみな君が、仁心德義によるもの倂神明佛陀しかしながらしんめいぶつたの、冥助めうぢよにこそ」、と稱贊せうさんす。

 かゝりし程に斥候ものみつわもの庭門にはくちより走り來つ、「敵に異變の事あるにはかに亂れ騷ぎ候。すみやかうち給はゞ、勝利疑ひあるべからず」、とまうすを義實きゝあへず、「さもありなん。時な移しそ。うついでよ」、といそがしたてて、諸隊もろてげぢを傳へさせ、大將みづから寄手よせての陣を、おそはんとし給へば、冠者義成くわんじやよしなりすゝみいで、「景連既に死したれば、たとひ寄手は大軍なりとも、追拂おひはらはんこといとやすかり。るをわが大人佻々うしかろかろしく、いでさせ給ふは物體もつたいなし。たゞ義成に氏元を、さしそえられて事ことたりなん。許させ給へ」、とこひまうして、庭門にはくちより走りいでひきもて參らす瘦馬やせうまに、身をおどらせてうちのり給へば、氏元は士卒をはげまし、「如此如此しか〳〵の事ありて、はや景連をうちとりぬ。おくるゝものは犬におとらん。いでよ、進め」、とよばはりて、三百餘騎を二隊ふたてにわかち、義成は前門おほてより、氏元は後門からめてより、城戶きどさつと推おしひらかせて、亂れ騷ぐ寄手よせての陣へ、驀地まつしくらついる。勢ひ日來ひごろに百倍して、當るべうもあらざれば、敵軍ます〳〵辟易へきゑきして、逃亡にげうするものなかばすぎず、みなはや降參したりしかば、鬱悒いぶせかりつる人の心も、その夜もやがてあけにけり。かくて義成氏元は、山のごとく積貯つみたくはへたる、寄手よせて兵粮ひやうろう殘りなく、城中へとり入れて、則縡すなはちことおもむきを、義實に報知つげ奉れば、降參せしものどもを、悉釋ことごとくときゆるして、氏元にあづけ給ひつ、今朝よりまことけふりたてて、籠城せし兵等つわものらに、白粥しらかゆを給はるに、一碗いちわんほかゆるし給はず。久しくうへしよくあけば、忽地たちまち命をおとゆゑ也。加以彼兵粮これのみならずかのひやうろうなかばちらし、城外なる民に賜ふて、をさ〳〵飢渴きかつすくひ給へば、はいうけてこれをわかち、鼓腹こふくしていのちのぶ。そのこと爲體ていたらく轍魚てつぎょの水を獲たる如し。

 かゝりし程に、東條とうでふの城をせめよとてむけられたる、安西景連が老黨ろうだう蕪戶訥平等かぶととつへいらは、十重廿重とへはたへに圍みつゝ、晝夜をわかず攻擊せめうてども、くだんの城は瀧田にまして、なほ半月はんげつ貯祿たくはへあり。貞行は敵を拂ふて、瀧田の後詰ごつめをせんとのみ、はじめより心にかけて、雨の、風のゆふべには、敵陣へ夜討ようちすること、再三ふたゝびみたびに及びにけれども、躬方みかたせいくらぶれば、寄手よせては大軍なるをもて、かつといへども烈風の、ちりを拂ふが如きに至らず、敵は新隊あらてを入れかえて、弱る氣色けしきはなかりけり。

 かくてある日の事なりき。景連は果敢はかなくうたれて、瀧田の圍み、とみとけ御曹司おんぞうし義成に、杉倉氏元をそえられて、大軍當處たうしよ援來たすけくるよし、たれいふとはなく風聞ふうぶんす。城兵しろのつわものはこれをきゝて、勇氣日來ひごろに百倍し、寄手よせて兵等つわものらこれきゝて、劇騷あはてさわぐこと大かたならず。はじめのほど訥平は、きけどもきかぬおもゝちして、士卒をのゝしはげますものから、きのふにけふはいやまして、風聞ます〳〵かまびすし。「現虛言げにそらごとにはあらざるべし」、と思へばいよ〳〵怖こわげづきて、軍兵等ぐんびやうらにはしめしあはせず、訥平は身親みちかきもの、兩三人を從へて、烏夜やみまぎれておちうせたり。天明よあけて寄手の軍兵ぐんびやうは、大將逐電ちくてんせしよしを、やうやくに知てければ、衆皆呆みな〳〵あきまどひつゝ、「生大將なまだいせうの憎さよ」、とうちはらたつのみ、せんすべなければ、諸軍齊一しよぐんひとしく評議して、城中へ使者をつかはし、皆阿容々々おめ〳〵と降參す。貞行は「これらのよしを、瀧田殿たきたとのへまうせ」とて、騎馬きばの使者をまゐらせつ。その使者と瀧田より、勝軍かちいくさ吿來つげきつる、兵士つわものらにゆきあへり。かくて諚使じやうしは、東條へ來着らいちやくして、景連が命をおとせし、ことのおもむきつげしらせ、又御曹司おんぞうし(義成)を大將にて、杉倉氏すぎくらうぢもとたすけとし、不日ふじつに出陣のよしをつげ、これは當地の敵を拂ふて、たての兩城をせめん爲也といふ。貞行はつゝしんで、君命をうけ給はり、かさねて使者をまゐらせて、勝軍かちいくさし奉り、御曹司おんぞうしの出陣を、今か〳〵とまつ程に、かねて義實の德を慕ふ、安房朝夷あはあさひな士庶良賤ししよりやうせん、景連ほろびぬと聞くとやがて、たての兩城へとりかけて、その守將を攻滅せめほろぼし、蕪戶訥平等が首級しゆきうもたして、おもだちたるもの十人、東條へ來つる日に、義成氏元着陣ちやくぢんして、貞行等もろ共に、ことおもむき書寫かきしたゝめ、瀧田の城へ注進ちうしんして、くだんの首級をたてまつれば、義實は、安房朝夷のものどもをめさせ給ひて、物夥被あまたかつけさせ、御曹司と氏元等に、御敎書みきやうしよを給はりて、館の兩城を守らし給ふ。

 かくてぞ四郡一个國しぐんいつかこく、義實管領かんれうし給へば、威德いきほひ朝日の昇るごとく、德澤めぐみ時雨あめうるほすごとく、奸民かんみん走去はしりさり、善人は時を得たり。これよりして夜戶よるとさゝず、又おちたるをひらふものなし。久後ゆくすゑいざしら濱に、波風たゝずなりしかば、鄰國りんこくの武士いへばさら也、持氏もううぢ末子ばつし成氏朝臣なりうぢあそん鐮倉かまくらたちかへりて、はや年來としころになりしかば、このとき瀧田へしよを贈りて、一國いつこく平均の功業こうぎゃうを稱贊し、室町將軍むろまちせうぐんへ聞えあげて、則里見義實すなはちさとみよしさねを、安房あは國主こくしゆにまうしなし、剩治部少輔あまさへぢぶのせうゆうに、せらるゝよし聞えしかば、義實歡喜雀躍くわんきじやくできして、京鐮倉へ使者をまゐらせ、土產種々獻とさんくさくさたてまつる。(持氏の季子すゑのこを、成氏といふ。いぬる嘉吉三年許に、長尾昌賢執ながをまさかたとりなして、鐮倉へ迎へ入れ、管領くわんれいになしまゐらせて、はや十餘年をにけれども、ゆゑありて成氏は、鐮倉にることかなはず、康永の年間ころ下總なる、こがへ移住し給ひけり。こゝに年ねんじよかゞなふれば、この年の事ならん。成氏の事九代記に見えたり。この下に話なし)

 斯歡かうよろこぶべくことほぐべき、事のみうちも續くものから、義實はとにかくに、こゝろにかゝるはそのはじめ、「安西あんざいかてへ」とて、彼處かしこへ使者につかはしたる、金碗大輔かなまりだいすけが事也かし。「かれは年なほわかけれども、阿容々々おめ〳〵と手をつかねて、敵にとりことなるものならず。あざむかれてうたれしか。又そのせいの多少を計らず、なまじい寄手よせてさゝへて、可惜あたら命をおとせしか。さらずはきのふけふまでも、かへり參らぬ事はあらじ。われ不憶ゆくりなく土地をひらき、こゝに富貴ふうきうくる事は、彼が親のたすけによれり。かゝればその臨終りんしうに、その子を長狹ながさ郡司ぐんじとし、東條とうでふの城主にせん、といひつる事をいまだ果さず。加以これのみならずわがこゝろに、許せし事さへありけるものを、うたてやかれ亡骸なきからだも、見るよしなきは遺憾のこりをし。かり、草を刈拂かりはらひても、そが存亡をしらせよ」とて、かねて八方へ人をいだし、さき〳〵までもふれしらして、くまなくたづねさせ給へど、往方ゆくゑたえてしれざりけり。

 さる程に義實は、老黨士卒ろうだうしそつ勳功くんこうを、ひとり〳〵に攷正かむがへたゞして、所領を增し、つかさを進め、大方おほかたならず勸賞けんせうを、おこなはせたまふ事のはじめに、八房やつふさの犬をもて、第一の功と定め、朝暮あさゆふしよく起臥おきぶしふすま、美を盡さずといふことなく、これが爲に犬養いぬかひつかさおき奴隸夥册しもべあまたかしつけて、いづるときは先をおはせ、るときはうちまもらせ、寵愛耳目ちゃうあいじもくおどろかせども、八房はかうべたれ、尾をふせて、くらはず、ねむらず、いぬる宵敵將景連よてきせうかげつら首級しゆきうをもて緣頬えんかはの、ほとりにまゐりたちも去らず、主君のいでさせ給ふを見れば、祿端えんはなに前足を、かけつゝ尾をふり鼻を鳴らし、こひもとむる事あるが如し。しかれども義實は、そのこゝろを得給はず、手づから魚肉餠ぎよにくもちひなンどを、折をしきにすえてたびにけれども、八房は見もかへらず、なほもとむる事しきり也。箇樣かやうの事たびかさなれば、義實はおはかたに、犬のこゝろを推量おしはかりて、「もしこれにもや」、とおぼせしかば、忽地たちまち愛を失ひて、端近はしちかくはいで給はず。犬養等いぬかひらして八房を、遠くひきもて去らせ給へど、やゝもすれば哮狂たけりくるひて、犬養等が手に從はず。はてくさり引斷離ひきちぎりて、とゞむる人をくらたふし、彼緣頬かのえんがわより跳登おどりのぼりて、奧まりたる處々ところ〳〵彼此をちこちとなく奔走ほんさうす。しかれどもこれを追ふ、犬養等ははゞかりの關の戶あれば、手をあげて、「あれよあれよ」、と叫ぶのみ、男子をのこの手にだにまかせぬ犬が、哮狂たけりくるふ事にしあれば、侍女們をんなばら一㠔ひとなだれに、おそれまどひつ立騷ぎ、彼首かしこへ走れば、是首ここにげ、此こなたで追へば、彼かなたへ走る。犬もろ共に人も狂ひて、障子蒸襖せうじむしふすま推倒おしたふし、叫びよばゝり、おもはずに、伏姬のをはします、後堂おくざしきへ追入れたり。

 このとき姬は間人とぎもなく、書案ふつくゑひぢをもたして、まくら草紙さうし御覽ごらんずるに、翁丸おきなまろといふ犬が、敕勘ちよくかんかふむりて、すてられしことおもむき、又ゆるされてかへり參りし爲體ていたらくを、いとめでたくぞかきたりける、淸少納言せいせうなごんさえうらやみ、「昔はかゝる事こそあれ」、とひとりごちつゝその段を、繰返し給ふ折、侍女們をんなばらが叫ぶ聲して、背後うしろへ走り來るものあり。そのときごととぶがごとく、とこたてたる筑紫琴つくしことを、橫ざまにたふしかけて、もすその上へはたすを、「吐嗟あはや」とばかり見かへり給へば、是則これすなはち八房也。その面魂生平つらたましひつねならず。「こはやまひつきたるならん。あなうたてや」、と書案ふづくゑを、掻遣かいやたゝまくし給ふに、犬のふすとき前足を、長きたもと突入つきいられて、進退こと不便ふべんなり。十年畜育とゝせかひたてて、大きなることことひに等しく、ちからつよかる老犬おほいぬが、おしになりたる事なれば、われから後方あとべひきすえられて、しきりに人をよばせ給へば、專女おさめ小扈從ここせうわらはいらへもあへず走來はしりきつ、この爲體ていたらくにいよゝます〳〵、うち驚くのみ近つき得ず、引提來ひさげきたれるはゝきもて、席薦たゝみとうちたゝき、「」といひつゝおそる〳〵、追遣おひやらんとすれば、八房は、まなこいからし、きばあらはし、うなれる形勢凄ありさますさまじければ、侍女們をんなばらはゝきすてて、逡巡あとしさりせぬものもなし。

 浩處かゝるところ義實よしさねほ、ことはやしらせ給ひけん、短鎗引提てやりひさげて來給ひつ、戶口とくちたちておそれまどふ、童等わらはらしか退しぞけて、いそがはしく進み入り、「やをれ畜生ちくせう、とくいでよ、いでよ〳〵」、と引提ひさげたる、短鎗てやり石衝いしつきさしのべて、追ひいださんとし給へども、八房はちつとも動かず、きつ向上みあげきばを張り、ます〳〵たける聲すさまじく、かみもかゝらん形勢ありきまなり。義實は勃然ぼつぜんと、いかりにたへず聲をふりたて、「理も非もしらぬ畜生に、ものいふは無益むやくに似たれど、愛するしゆうをばしりつらん。しらずは思ひしらせん」、と敦圉いきまきあへず、やりとり直して突殺つきころさんとし給へば、伏姬ふせひめは身をたてに、「やよまち給へ家尊大人かぞのうしたときおん身をいかなれば、牛打童うしうつわらべひとしうして、畜生の非をとがめ、おん手をくだし給ふ事、物體もつないなくははベらずや。いさゝか思ふよしも侍れば、まげてゆるさせ給ひね」、といひかけて目をぬぐひ給へば、義實はつきかけたる、短鎗てやりひきわきはさみ、「ことなる姬が諫言かんげんかな。いふよしあらばとく〳〵」、といそがし給へば、はふりおつる、淚をとゞめ、かたちを改め、「いとはゞかりあることに侍れど、今も昔も、やまとからも、かしこき君の政事まつりこと、功あればかならず賞あり、罪あれば必罰かならずばつあり。もし功ありて賞おこなはれず、罪ありてとがめなくは、その國ほろび侍りなん。たとひばこの犬の如き、功はべれども賞おこなはれず、罪なうして罰をかうむる。不便ふびんにはおぼさずや」、といふを義實きゝあへず、「おん身が異見甚いけんはなはだたがへり。剛敵頓ごうてきとみほろびしより、犬の爲につかさおき、食には珍饍美味ちんぜんびみを與へ、しとね錦綉綾羅きんしうれうらを賜ふ。かくてもその賞なしといふや」、となじり給へば、かうべもたげ、「綸言汗りんげんあせの如しとは、いでてかへさぬたとへに侍らん。又君くんし一言いちごん駟馬よつのうまも及びかたし、と聖經ひじりのふみにありとなん、ものほんにもひきて侍る。悲しきかな父うへは、景連を討滅うちほろぼして、士卒のうへすくはん爲、この八房をむこがねに、わらはを許し給ふにあらずや。假令たとひそのこと苟且かりそめのおんたはふれにましますとも、一たび約束し給ひては、いでてかへらず、馬も及ばず。かゝれば犬がこひまうす、恩賞おんせうは君が隨意まにまに、許させ給ふ所に侍り。かれ大功をなすに及びて、たちまちに約をへんじ、かふるに山海うみやま美味うまきを賜ひ、又錦綉あやにしき衣衾ふすまを給ふて、事足ことたりなんとせらるゝこと、もし人ならばくちをしく、うらめしく思ひ奉らん。畜生にして人にます、大功あるも、又その賞に、わらはを許させ給ひしも、皆前世みなさきつよ業報ごうほうと、思ひさだめつ、國の爲、のちの世の爲、すてさせ給ふ、子をいきながら畜生道ちくせうどうへ、ともなはせても政道せいとうに、僞りのなきよしを、民にしらして、安らけく、ゆたけく治め給はずは、ちかひを破り約にそむきし、かの景連となにをもて、ことなりて人申さんや。いと淺はかなるをうなの、はなの先なる智惠ちゑの海も、にごらねばこそなか〳〵に、深きなげきはこのゆゑと、心くみみてけふよりは、恩愛おんあいふたつの義をたちて、わが身のいとま給はれかし。子として親にすてよとひ、異類ゐるいに從ふ少女子をとめこは、大千世界だいせんせかいたづねても、わらはがほかはべらじ」、とかき口說くどき給ふ袖の上に、おちてたばしるつゆの玉、こゝへのみ來る秋なるべし。

 義實は默然もくねんと、きくことごと嘆息さたんして、引提ひさげやり戞哩からりすて、「嗚乎悞あゝあやまてり、あやまちぬ。法度はつとかみの制する所、かみまづ犯して、しも犯す、是大亂これたいらん基本もといなり。われ實に八房に、姬を給ふの心なし。なしといへども云云しか〳〵と、いひつることはかれわが、口よりいでて耳に入る。藺相如りんせうぢよゆうをもて、夜光珠やくわうのたまはとりかへすとも、返しかたきは口のとが現禍げにわざはひかどす、犬はわが身のあたなりき。こゝにつら〳〵こしかたを、おもへば前象ぜんせうなきにあらず。この子が幼稚をさなかりし時、立願りうぐわんの爲しのびやかに、洲崎すさき石室ほらへ參らせし、そのみちに老人あり、伏姬を見てさし招き、『この穉兒をさなこが多病なる、となく日となくむつかる事、みな惡灵あくれうたゝりによる。これを委細つばら說明ときあかせば、天機てんきもらすのおそれあり。伏姬といふ名によりて、みづからさとらば、さとりなん。まかり歸りてこれらのよしを、主君にまうせ』、といひしとぞ。しかるに姬は嘉吉かきつ二年、夏月伏日なつふくにちに誕生せり。三伏さんぶくの義をとりて、伏姬となつけたる、この名につきてはんせよとは、いかなるゆゑぞ、ととさまかうさま、思へども思ひ當らず、彼曹公かのそうこうが三十里を、なほ遲しとして、冷笑あざみわらひし、楊用修ようようしゆが才ある人、こゝにもあらばとはばや、とまつに久しき年を經て、けふゆくりなくし得たり。伏姬のふくの字は、人にして犬に從ふ。この殃厄まがつみのあるべき事、襁褓むつきうちよりさだまる所名詮自性めうせんじせうといひつべし。かくまで執念深しうねたゝりなす、れうたれとはしらねども、試みにすときは、定包さだかねつまなりける、玉梓たまつさなどにやあらんずらん。彼淫婦かのたをやめしゆうそこなひ、又忠良ちうりやう追失おひうしなへる、隱慝いんどくの聞えあり。しかれども一トたびは、命助たすけんといひて、ゆるさゞりける、われにあたなすことかなはねばや、子に憂事うきことの限りを見せて、非理のうらみかへすになん。さはこの犬は母うせて、たぬきそだてしものと聞く。狸の異名ゐめう野猫やびやうといひ、又玉面ぎよくめん喚做よびなせし、その玉面を和訓わくんとなへば、是則これすなはちたまつら也。玉つさと玉つらと、訓讀よみこゑ近きもしきに、心こゝろえつかでさかしげに、狸といふ字は里に從ひ、犬に從ふよしあれば、里見の犬になるさが也、と思ひとりつゝ畜狎かひならし、寵愛ちやうあいせしこそくやしけれ。現天道げにてんどうみつるをかくおきな敎誨けうかい當れるかな。今にして百遍悔もゝたびくひ千遍悔ちたびくふ共その甲斐かひなし。畜生の爲、子をすてて、恥辱はぢのこさば、國あまた、討從うちしたがへて長久とことはに、百世富貴もゝよふうきうくるとも、なにたのしく思ふべき。面目めんぼくなし」、と理にさとき、心の限り說盡ときつくし、慚愧ざんぎ後悔し給へば、かたへはべ侍女們をんなばらなぐさめかねつ、なか〳〵に、はじめのこわさかき流す、淚は瀧のいとせめて、皆もろ共になきにけり。

 なきたてられて伏姬は、苦しきつかえなでおろし、「使つかはるゝものだにも、たへなげきにしづむなる。まいてや親のこゝろを、推量おしはかりてはわれからに、なさぬ不孝も罪重し。さりながら、一旦鬼畜きちくともなはれ、御諚ごでういつはりなきよしを、つひに果さば玉刻たまきはる、命はかねてなきもの、と思ひさだめはべるなる。よにうけかたき人の身を、うけて生れて成長ひとゝなる、親の遺體かたみをまざ〳〵と、畜生にやはけがさるべき。こゝろやすく思召おぼしめせ」、といひかけてはやはなじろむ、顏をおほふてふし給へば、義實頻よしざねしきりにうち點頭うなつき、「あはれめでたくいはれたり。遠く異ゐほうかむがふれば、高辛氏こうしんし槃瓠はんこが事、よくわが今のうれひに似たり。又干寶かんほう搜神記そうじんきに、大古たいこのとき大人たいじんあり。遠征とほくいくさして、ひさしく歸らず。妻は世をはやうして、たゞひとりのあり。年はや二八と聞えたり。又その家に牡馬をうまあり。かくての子は旦暮あけくれに、親したはしく思ふのあまり、くだんの馬にうちむかひ、『なんぢもし父うへを、のせ奉りて歸り來ば、わが身をまかすべし』といふ。これをうけてや彼馬かのうまは、はづなたちてをらずなりぬ。扠日來經さてひころふるまゝに、果して馬は父を乘せて、かへるとやがていなゝきて、乞こひもとむることあるが如し。父あやしみて女兒むすめとへば、如此々々しか〳〵の事ありと答ふ。うちもおくべき事ならずとて、父はひそかに馬を殺し、皮をはがしてのきかけたり。當下女兒そのときむすめ馬皮ばひを見て、『畜生にして人に求媾たはけし、むくひはいかに早からずや。皮になりてもなほ吾儕わなみを、めとるやいかに』、とのゝしれば、その皮撲地はたおちかゝりて、女をしか推包おしつゝみ、吹上ふきあぐる風とゝもに、中天なかぞらひらめのぼり、つぐの日庭のくはに、その亡なきからかけたりき。そのしかばねより蟲せうぜり、是蠶これかひこ也といふ。こはうけがたき事なれ共、唐山もろこしには魏晉ふるくより、いひもて傳へし小說也。彼苟かれいやしくも事をおほせて、約にそむけるのみならず、これを殺すは人にして、こゝろけものに劣れるもの也。われも一時いちじいかりまかして、また八房を殺しなば、彼搜神記かのそうしんきのせられたる、大古たいこの人に等しかりなん。とは思へども折のわろくて、義成氏元等には、たての城を守れとて、いぬるころより彼處かしこつかはし、又貞行は長狹ながさなる、東條の城にあり。これらのほか內々うち〳〵の事を相譚かたらふべうもあらず。よくわろくも心ひとつに、今はや思ひさだめたり。やをれ八房、はじめわれたはふれに、おほせし事も縡成ことなりて、勳績いさをし高ければ、伏姬をあたふるなり。しばら退まかてこれをまて。とく〳〵いでよ」、といそがし給へば、八房はつく〳〵と、しゆう氣色けしきを見とりてや、やうやくに身を起し、身ぶるひしつゝ外面とのかたへ、いとしづやかにいでてゆく。

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