南總里見八犬傳卷之五第九回
東都 曲亭主人 編次
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「戲言を信じて八房敵將の首級を献る」「里見よしさね」「杉倉氏元」「里見よし成」「伏姫」「八ふさ」
盟誓を破て景連兩城を圍む
戲言を信て八房首級を獻る
卻說安西景連は、義實の使者なりける、金碗大輔を欺き留めて、しのびしのびに軍兵を部しつ、俄に里見の兩城へ、犇々と推寄たり。その一隊は二千餘騎、景連みづからこれを將て、瀧田の城の四門を圍み、晝夜をわかずこれを改む。又その一隊は一千餘騎、蕪戶訥平等を大將にて、堀內貞行が籠たる、東條の城を圍せ、「兩城一時に攻潰さん」、といやがうへにぞ攻登る。その縡の爲體、稻麻の風に戰ぐ如く、勢ひをさ〳〵破竹に似たり。このとき里見の兩城は、兵粮甚乏しきに、民荒年の役に勞れて、催促に從はず、只呆れたるのみなれ共、恩義の爲に命を輕じ、寄手を屑ともせざる、勇士猛卒なきにあらねば、をさ〳〵防戰ふものから、主客の勢ひ異にして、はや兵粮に竭しかば、食せざる事七日に及べり。士卒はほと〳〵堪かねて、夜な〳〵、塀を踰て潛出、射殺されたる敵の死骸の、腰兵粮を撈取て、僅に餓に充るもあり、或は馬を殺し、死人の肉を食ふもあり。義實いたくこれを患ひて、杉倉木曾介氏元等、もろ〳〵の士卒を聚合、さて宣ふやう、「景連は表裏の武士、盟を破り義に違ふ、奸詐は今さらいふにしも及ばねど、さのみおそるゝ敵にはあらず。彼兩郡の衆を將て、わが兩城を攻擊ば、われも二郡の衆をもて、彼が二郡の衆に備ふ。よしや十二分に勝得ずとも、午角の軍はしつべきに、わが德足らで五穀登らず、內に倉廩空して、外には仇の大軍あり。甲乙いまだわかたずして、ちから既に究れり。縱百樊噲ありといふとも、餓ては敵を擊によしなし。只義實が心ひとつ、身ひとつの故をもて、この城中にありとある、士卒を殺すに忍びがたし。今宵衆皆烏夜に乘して、西の城戶より走り去れ。辛くも命を全せん。その時城に火を放て、且はや妻子を刺殺し、義實は死すべきなり。二郞太郞もとく落よ。その術は箇樣々々」、と精細に示し給へば、衆皆これを聞あへず、「御諚では候へども、その祿を受て妻子を養ひ、難に臨て筍且にも、脫るゝことは要せず。只顯身の息の內に、寄手の陣へ夜擊して、名ある敵と刺ちがへ、君恩を泉下に報ぜん。この餘の事は露ばかりも、願しからず候」、と辭ひとしく回答まうすを、義實はなほ叮嚀に、說諭し給へども、承引氣色なかりけり。
このとき義實のおん子、二郞太郞義成は、十六歲になり給ひつ。父の仁愛、士卒の忠信、よに有かたきこととのみ、うち聞てをはせしが、言果べうもあらざれば、父の氣色を窺ひて、「弱冠の某が、異見を申上るにあらねど、天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず。城中既に兵粮竭て、士卒飢渴に逼れ共、脫れ去らんと思ふものなく、倂死を究めしは、德により、恩をおもふ、是只その和の致す所欤。人の性は善なれば、よしや寄手の軍兵なりとも、善惡邪正はしりつらん。又兵粮に竭たれども、每日に煙をたてさせ給へば、敵かくまでとは思ひかけず、短兵急に攻擊ざるは、父の武勇におそるゝ故也。このふたつをもて計るときは、大音なるものを擇て、城樓にのぼし、寄手に對ひ、景連が非道の行狀、盟誓を破り、恩を仇とし、不義の軍を起したる、その罪を責させ給はゞ、士卒忽地慙愧して、政戰ふのこゝろ失なん。そのとき城より擊て出、只一揉に突崩さば、勝ずといふことあるべからず。この議はいかゞ候はん」、と言爽に演給へば、衆皆只管感佩して、「しかるべし」、とまうすにぞ、義實は試に、その聲高きものを出して、景連が不義を數へ、その罪を責させ給ふに、日來は聲よくたつものも、餓ては絕て息つゞかず、城樓は高く堀は廣し。腹の筋のよれるまで、口を張り面を赤うし、心ばかりは罵れども、敵の陣へは聲屆かず、果は淚にかきくれて、から咳をせくのみなれば、勞してその功なかりけり。
さる程に義實は、憖に脫れ去ざる、士卒を救ふよしもがな、となほ肺肝を摧給へど、輙く敵を退る、謀を得給はず。凝ては其處に至らじとて、杖を曳、園に出、徜徉し給へば、年來愛させ給ふなる、八房の犬は主を見て、尾を振つゝ來にけれど、久しく餓たることなれば、踉々として足定らず、肉脫て、骨高く、眼おちいり、鼻乾り。義實これを臠して、右手をもてその頭を拊、「嗚呼汝も餓たる欤。士卒の飢渴を救ん、と思ふこゝろにいとまなければ、汝が事を忘れたり。賢愚その差ありといへども、人は則萬物の、灵たるをもてみな智惠あり。敎に從ひ、法度を守り、禮讓恩義を知るものなれば、欲を禁め、情に堪、餓て死するも天命時運、とおもはゞ思ひ諦めなん。只畜生にはその智惠なし。敎を受ず、法度をしらず、禮讓恩義を辨ず、欲を禁るよしもなし。只その主の養ひに、一期を送るものなれば、餓て餓たる故を得しらず、食を求てます〳〵媚。これも又不便なり。現畜生は恥辱を得しらず、いと愚なるものなれども、人にますことなきにあらず。譬ば犬の主を忘れず、鼻をもてよくものを辯ずる、これらは人の及ざる所、性の勝るゝ所也。されば古歌にも、
思ひぐまの、人はなか〳〵、なきものを、あはれに犬の、ぬしをしりぬる。
慈鎭和尙の詠とかおぼゆ。今試に汝に問ん。十年の恩をよくしるや。もしその恩を知ることあらば、寄手の陣へしのび入て、敵將安西景連を、啖殺さばわが城中の、士卒の必死を救ふに至らん。かゝればその功第一なり。いかにこの事よくせんや」、とうちほゝ笑つゝ問給へば、八房は主の㒵を、つく〴〵とうち向上て、よくそのこゝろを得たるが如し。義實いよ〳〵不便におぼして、又頭を摩、背を拊、「汝勉て功をたてよ。しからば魚肉に飽すべし」、と宣へば、背向になりて、推辭るごとく見えしかば、義實は戲れに、問給ふこと又しば〳〵、「しからば職を授ん欤、或は領地を宛行ん欤。官職領地も望しからずば、わが女壻にして伏姬を、妻せん欤」、と問給ふ。此ときにこそ八房は、尾を振り、頭を擡つゝ、瞬もせず主の顏を、熟視てわゝと吠しかば、義實「ほゝ」とうち笑ひ、「現伏姬は豫に等しく、汝を愛するものなれば、得まほしとこそ思ふらめ。縡成るときは女壻にせん」、と宣すれば、八房は、前足屈て拜する如く、啼聲悲しく聞えにければ、義實は興盡て、「あな咻や、あな忌々し。よしなき戲言われながら、慢なりし」、とひとりごちて、軈て奧にぞ入り給ふ。
かくてその夜は大將も、士卒もこの世の名殘ぞ、と思ひ決めし事なれば、義實は宵の間は、且く後堂にをはしまして、夫人五十子、息女伏姬、嫡男義成をはじめまゐらせ、老黨には氏元等を、ほとり近く召聚合て、おん盃を賜りつ。さはれ長柄の銚子のみ、酒一滴もなかりしかば、水をもてこれに代、肴には枝つきの、果子少々出されたり。それも大かた蝕みて、生平には下司もたうべじ、と思ふ物だに時にとりては、いと忝く、いと愛たし。席上殊に蕭やかにて、只四表八表の物かたり、或は又來しかたを、うち譚せ給ひつゝ、最期のよしは一言も、仰出さるゝことはなけれど、死を究めたる主從は、なか〳〵に勇みあり。かくるときにも武士の、妻とて子とて黑髮の、ながき別を惜あへず、音にこそなかね、藻に住む蟲の、われから衣うら解て、濡るゝは袖の咎ならぬ、御心の中推量る、女房達はもろ共に、淚の泉堰とめかねて、おなじ歎きに沈みけり。「現理り」、と氏元等は、思はず齊一嗟嘆して、迭に目と目をあはすれば、七日己來一粒も、食せぬわれも人も亦、眼は凹み、頬骨立、尙死なねども土となる、顏色焦悴枯槁たり。「今宵十日の月沒て、擊て出ん」、と豫より、軍令を承る、雜兵等も、思ひ〳〵に、是首彼首に集りて、酒と稱て酌みかはす、水にもうつる星の影、鎧の袖におく霜も、やがて消なん身はうしや、丑三比になりにけり。「時刻はよし」、と義實父子は、手はやく鎧授かけ給へば、五十子伏姬、傅の老女專女がもろ共に、手に〳〵取てまゐらする、大刀長刀のさやかなる、風がもて來る遠寺の鐘聲、諸行無常と音すなり。
「義實怒て八房を追んとす」「伏姫」「八ッ房」「里見よしさね」
援引事實 昔高辛氏のとき。犬戎之寇有り。帝其の侵暴を患て。征伐すれども克たず。乃ち天が下に訪ひ募。能く犬戎之將呉將軍を得る者有らば。黄金千鎰。邑萬家を賜ん。又妻すに少女を以せんとなり。畜狗有り。其の毛五彩。名つけて槃瓠と曰ふ。令を下す之後。槃瓠俄頃に一頭を銜て闕下に泊る。群臣怪て之を診れは。乃ち呉將軍が首也。帝大に喜玉ふ。且つ謂。槃瓠は之に妻すに女を以すべからず。又封爵之道無し。議して之に報んと欲す。而れども未だ宣する所を知らず。女聞て以為。皇帝令を下して信に違ふべからずと。因て行んと請ふ。帝已ことを得ず。女以て槃瓠に妻はす。槃瓠女を得て。負て南山なる石室の中に走り入れり。險絶にして人跡至らず。三年を経て。六男六女を生めり。槃瓠因て自ら妻に决。好色の衣服。製裁皆尾有。其母後に状を以帝に白す。是に於諸子を迎へ玉ふに。衣装蘭斑。言語侏離なり。好て山壑に入る。平曠を樂ず。帝其意に順て。賜に名山廣澤を以す。其の後滋蔓せり。號して蛮夷と曰ふ。今長沙武陵の蛮是也。』又北狗國は。人身にして狗首。長毛にして衣せず。其妻は皆人なり。男を生めば狗と為り。女を生めば人と為となると云ふ。五代史に見えたり。
【原文】援引事實 昔高辛氏。有犬戎之寇。帝患其侵暴。而征伐不克。乃訪募天下。有能得犬戎之將呉將軍者。賜黄金千鎰。邑萬家。又妻以少女。有畜狗。其毛五彩。名曰槃瓠。下令之後。槃瓠俄頃銜一頭泊闕下。群臣怪而診之。乃呉將軍首也。帝大喜。且謂。槃瓠不可妻之以女。又無封爵之道。議欲報之。而未知所宣。女聞以為。皇帝下令不可違信。因請行。帝不得已。以女妻槃瓠。槃瓠得女。負而走入南山石室中。險絶人跡不至。経三年。生六男六女。槃瓠因自决妻。好色衣服。製裁皆有尾。其母後以状白帝。於是迎諸子。衣装蘭斑。言語侏離。好入山壑。不樂平曠。帝順其意。賜以名山廣澤。其後滋蔓。號曰蛮夷。今長沙武陵蛮是也』又北狗國。人身狗首。長毛不衣。其妻皆人。生男為狗。生女為人云。見五代史。
浩處に外面に、犬のなく聲してければ、義實耳を側てゝ、「彼はまさしく八房也。異なる聲ぞ、皆聞ずや。出て見よかし」、と宣へば、「承りつ」、と應あへず、兩三人衝と立て、緣頬より指燭を抗、「八房々々」、と喚かけて、と見かう見れば、あやしきかな、|生々しき人の首を、緣端にうち載て、八房は踏石に、前足かけてつく〳〵、と件の首を守りてをり。「こは〳〵いかに」、とばかりに、觀るもの劇惑ひつゝ、舊の處に走り入り、「かゝることこそ候へ」、と忽卒に報知奉れば、主從男女聞あへず、驚きあやしまざるものなし。そが中に氏元は、彼輩を見かへりて、「餓ては人の亡骸を、食ふも犬のならひ也。是見よかしに、もて來たる、首は認れるものならずや。御達[五十子・伏姬をいふ]もこゝにましますに、とく追遣ひ給ひね」、といへば再びたゝんとする、そのものどもを義實は、「こや〳〵」、と呼とゞめ、「犬はをるとも妨なし。彼もしいたく餓たる隨に、躬方の死骸を傷ひなば、そが侭にはさしおきがたし。われみづからいゆきて見ん」、といひかけてはや立給へば、氏元等はいふもさら也、男房女房散動渡りて、或は燭を秉て先に立、或は主の後につきて、僉もろ共に、緣頬狹し、と件の頸を見る程に、義實は眉根をよせ、「木曾介は何とか見たる。鮮血に塗れて定かならねど、こは景連に似たるかし。洗ふて見よ」、と仰れば、氏元も亦訝りながら、淨手鉢のほとりへよせて、柄𣏐に水を汲みかけて、頸に塗るゝ血をいく遍か、洗流々々て、主從更にこれを見れば、果して敵將景連が首級に疑ふべうもあらず。「分明なり」、と宣へば、僉疑ひは解ながら、まだその故をしるよしなけれど、人は及ばぬ軍功に、只管犬を羨けり。
當下義實嵯嘆して、「斯奇怪なる事を見る、前象後兆なきにあらず。今こそ思ひあはするなれ。僉わが爲に蜻蛉の、命を捨ん、と思ひ決めし、士卒をいかで救ん、と思へ共思ひかね、慰かねてわが身ひとつ、嚮には園へ出たる折、この八房がいといたう、餓たるを又見るに得堪ず、彼を思ひ、此を憐み、『汝もし寄手の陣へ、忍び入りて景連を、啖ひ殺して城中なる、數百の士卒を救ふに至らば、日每に魚肉に飽せん』、といへども歡ぶ氣色なし。『さらずは所領を宛行ん欤、重職を授ん欤』、といへども歡ぶ氣色なし。『さらずは生平に汝を愛する、伏姬を取らせん欤』、といひつるときに八房は、歡しげなる氣色にて、尾をふりつゝ吠たる聲、常にはあらでいと忌々し。『戲言なり共思ひより、出ずといふことなきものを、慢なりし』、とひとりごちて、そが侭後堂に人を聚合、最期の軍議に暇なくて、その事ははや忘れたるに、犬は卻いはれし事を、忘れねばこそ狛劍、わが虛言を實事として、寄手の陣へ潛び入るとも、二三千騎の大將たる、景連を輒く殺して、その首級を齎すこと、不思議といふもあまりあり。奇なり〳〵」、と八房を、さし招き呼び近つけ、只管賞嘆し給へば、氏元等は又さらに、駭然として舌を卷き、「畜生にして人にます、功ある事もみな君が、仁心德義によるもの欤。倂神明佛陀の、冥助にこそ」、と稱贊す。
かゝりし程に斥候の兵、庭門より走り來つ、「敵に異變の事ある欤、猛に亂れ騷ぎ候。速に擊給はゞ、勝利疑ひあるべからず」、とまうすを義實聞あへず、「さもありなん。時な移しそ。擊て出よ」、といそがし立て、諸隊に令を傳へさせ、大將みづから寄手の陣を、襲んとし給へば、冠者義成すゝみ出、「景連既に死したれば、縱寄手は大軍なりとも、追拂んこといと易かり。然るをわが大人佻々しく、出させ給ふは物體なし。只義成に氏元を、さし副られて事足なん。許させ給へ」、と請まうして、庭門より走り出、牽もて參らす瘦馬に、身を跳らせてうち跨給へば、氏元は士卒を激し、「如此如此の事ありて、はや景連を擊とりぬ。後るゝものは犬に劣ん。出よ、進め」、と呼はりて、三百餘騎を二隊にわかち、義成は前門より、氏元は後門より、城戶を颯と推開せて、亂れ騷ぐ寄手の陣へ、驀地に突て入る。勢ひ日來に百倍して、當るべうもあらざれば、敵軍ます〳〵辟易して、逃亡るもの半に過ず、みなはや降參したりしかば、鬱悒かりつる人の心も、その夜もやがて明にけり。かくて義成氏元は、山のごとく積貯たる、寄手の兵粮殘りなく、城中へとり入れて、則縡の趣を、義實に報知奉れば、降參せしものどもを、悉釋ゆるして、氏元に領給ひつ、今朝より實に煙を立て、籠城せし兵等に、白粥を給はるに、一碗の外ゆるし給はず。久しく餓て食に飽ば、忽地命を隕す故也。加以彼兵粮の半を散し、城外なる民に賜ふて、をさ〳〵飢渴を救給へば、拜し受てこれを頒ち、鼓腹して命を延。その縡の爲體、轍魚の水を獲たる如し。
かゝりし程に、東條の城を攻よとて向られたる、安西景連が老黨、蕪戶訥平等は、十重廿重に圍みつゝ、晝夜をわかず攻擊ども、件の城は瀧田にまして、なほ半月の貯祿あり。貞行は敵を拂ふて、瀧田の後詰をせんとのみ、はじめより心にかけて、雨の夜、風の夕には、敵陣へ夜討すること、再三たびに及びにけれども、躬方の勢に此れば、寄手は大軍なるをもて、捷といへども烈風の、塵を拂ふが如きに至らず、敵は新隊を入れかえて、弱る氣色はなかりけり。
かくてある日の事なりき。景連は果敢なく擊れて、瀧田の圍み、頓に釋、御曹司義成に、杉倉氏元を副られて、大軍當處へ援來るよし、誰いふとはなく風聞す。城兵はこれを聞て、勇氣日來に百倍し、寄手の兵等は是を聞て、劇騷ぐこと大かたならず。はじめの程訥平は、聞ども聞ぬおもゝちして、士卒を罵り激すものから、きのふにけふはいやまして、風聞ます〳〵咻し。「現虛言にはあらざるべし」、と思へばいよ〳〵怖氣づきて、軍兵等には示あはせず、訥平は身親きもの、兩三人を從へて、烏夜に紛れて落うせたり。天明て寄手の軍兵は、大將逐電せしよしを、やうやくに知てければ、衆皆呆れ惑ひつゝ、「生大將の憎さよ」、とうち腹たつのみ、せんすべなければ、諸軍齊一評議して、城中へ使者を遣し、皆阿容々々と降參す。貞行は「これらのよしを、瀧田殿へまうせ」とて、騎馬の使者をまゐらせつ。その使者と瀧田より、勝軍を吿來つる、兵士にゆきあへり。かくて諚使は、東條へ來着して、景連が命を隕せし、ことの趣を吿しらせ、又御曹司(義成)を大將にて、杉倉氏元を副とし、不日に出陣のよしを吿、これは當地の敵を拂ふて、館の兩城を攻ん爲也といふ。貞行は謹で、君命をうけ給はり、再て使者をまゐらせて、勝軍を賀し奉り、御曹司の出陣を、今か〳〵とまつ程に、豫て義實の德を慕ふ、安房朝夷の士庶良賤、景連亡びぬと聞くとやがて、館の兩城へとりかけて、その守將を攻滅し、蕪戶訥平等が首級を齎して、老だちたるもの數十人、東條へ來つる日に、義成氏元着陣して、貞行等もろ共に、縡の趣を書寫め、瀧田の城へ注進して、件の首級を獻れば、義實は、安房朝夷のものどもを召せ給ひて、物夥被させ、御曹司と氏元等に、御敎書を給はりて、館の兩城を守らし給ふ。
かくてぞ四郡一个國、義實管領し給へば、威德朝日の昇るごとく、德澤は時雨の潤すごとく、奸民は走去り、善人は時を得たり。是よりして夜戶を鎖ず、又遺たるを拾ふものなし。久後は卒しら濱に、波風立ずなりしかば、鄰國の武士いへばさら也、持氏の末子、成氏朝臣、鐮倉へ立かへりて、はや年來になりしかば、このとき瀧田へ書を贈りて、一國平均の功業を稱贊し、室町將軍へ聞えあげて、則里見義實を、安房の國主にまうしなし、剩治部少輔に、補せらるゝよし聞えしかば、義實歡喜雀躍して、京鐮倉へ使者を進らせ、土產種々獻る。(持氏の季子を、成氏といふ。いぬる嘉吉三年許に、長尾昌賢執なして、鐮倉へ迎へ入れ、管領になしまゐらせて、はや十餘年を經にけれども、故ありて成氏は、鐮倉に居ることかなはず、康永の年間下總なる、我へ移住し給ひけり。こゝに年序を僂れば、この年の事ならん欤。成氏の事九代記に見えたり。この下に話なし)
斯歡ぶべく祝ぐべき、事のみうちも續くものから、義實はとにかくに、こゝろにかゝるはそのはじめ、「安西に糧を乞へ」とて、彼處へ使者に遣したる、金碗大輔が事也かし。「渠は年なほわかけれども、阿容々々と手を束て、敵に擒となるものならず。欺れて擊れしか。又その勢の多少を計らず、憖に寄手を支て、可惜命を隕せしか。さらずは昨けふまでも、かへり參らぬ事はあらじ。われ不憶土地を聞き、こゝに富貴を受る事は、彼が親の資によれり。かゝればその臨終に、その子を長狹の郡司とし、東條の城主にせん、といひつる事をいまだ果さず。加以わがこゝろに、許せし事さへありけるものを、うたてや渠が亡骸だも、見るよしなきは遺憾し。樹を伐、草を刈拂ひても、そが存亡をしらせよ」とて、豫て八方へ人を出し、さき〳〵までも徇しらして、隈なく索させ給へど、往方は絕てしれざりけり。
さる程に義實は、老黨士卒の勳功を、ひとり〳〵に攷正して、所領を增し、職を進め、大方ならず勸賞を、行はせたまふ事のはじめに、八房の犬をもて、第一の功と定め、朝暮の食、起臥の衾、美を盡さずといふことなく、これが爲に犬養の職を置、奴隸夥册けて、出るときは先を追せ、入るときはうち護らせ、寵愛耳目を驚せども、八房は頭を低、尾をふせて、食はず、睡らず、いぬる宵敵將景連が首級をもて來し緣頬の、ほとりに參て立も去らず、主君の出させ給ふを見れば、祿端に前足を、懸つゝ尾をふり鼻を鳴らし、乞もとむる事あるが如し。しかれども義實は、そのこゝろを得給はず、手づから魚肉餠なンどを、折敷にすえて賜にけれども、八房は見もかへらず、なほ求る事頻り也。箇樣の事度かさなれば、義實は大かたに、犬のこゝろを推量りて、「もしこれにもや」、とおぼせしかば、忽地愛を失ひて、端近くは出給はず。犬養等して八房を、遠く牽もて去らせ給へど、動すれば哮狂ひて、犬養等が手に從はず。果は縧を引斷離て、禁る人を啖ひ倒し、彼緣頬より跳登りて、奧まりたる處々、彼此となく奔走す。しかれどもこれを追ふ、犬養等は憚の關の戶あれば、手を抗て、「あれよあれよ」、と叫ぶのみ、男子の手にだに乘せぬ犬が、哮狂ふ事にしあれば、侍女們は一㠔に、おそれ惑ひつ立騷ぎ、彼首へ走れば、是首へ迯、此方で追へば、彼方へ走る。犬もろ共に人も狂ひて、障子蒸襖を推倒し、叫び喚り、おもはずに、伏姬のをはします、後堂へ追入れたり。
このとき姬は間人もなく、書案に肘をもたして、枕の草紙を御覽ずるに、翁丸といふ犬が、敕勘を蒙りて、拾られし縡の趣、又ゆるされてかへり參りし爲體を、いと愛たくぞ書たりける、淸少納言が才を羨み、「昔はかゝる事こそあれ」、とひとりごちつゝその段を、繰返し給ふ折、侍女們が叫ぶ聲して、背後へ走り來るものあり。その疾ごと飛がごとく、牀に立たる筑紫琴を、橫ざまに倒しかけて、裳の上へ磤と臥すを、「吐嗟」とばかり見かへり給へば、是則八房也。その面魂生平ならず。「こは病つきたるならん。あなうたてや」、と書案を、掻遣り立まくし給ふに、犬の臥とき前足を、長き袂に突入られて、進退特に不便なり。現に十年畜育て、大きなること犢に等しく、ちから剛かる老犬が、壓になりたる事なれば、われから後方に引すえられて、頻に人を呼せ給へば、專女、小扈從、女の童、應もあへず走來つ、この爲體にいよゝます〳〵、うち驚くのみ近つき得ず、引提來れる箒もて、席薦を鼕々とうち敲き、「叱々」といひつゝおそる〳〵、追遣んとすれば、八房は、眼を瞪らし、牙を見はし、號れる形勢凄じければ、侍女們は箒を捨て、逡巡せぬものもなし。
浩處に義實ほ、縡はやしらせ給ひけん、短鎗引提て來給ひつ、戶口に立ておそれ惑ふ、女の童等を叱り退けて、遽しく進み入り、「やをれ畜生、とく出よ、出よ〳〵」、と引提たる、短鎗の石衝さし延て、追ひ出さんとし給へども、八房は些も動かず、佶と向上て牙を張り、ます〳〵哮る聲凄じく、噛もかゝらん形勢なり。義實は勃然と、怒りに堪ず聲をふり立、「理も非も得しらぬ畜生に、ものいふは無益に似たれど、愛する主をばしりつらん。しらずは思ひしらせん」、と敦圉あへず、鎗とり直して突殺んとし給へば、伏姬は身を盾に、「やよ待給へ家尊大人。貴きおん身をいかなれば、牛打童に等うして、畜生の非を否め、おん手を下し給ふ事、物體なくは侍らずや。聊思ふよしも侍れば、枉てゆるさせ給ひね」、といひかけて目を拭給へば、義實は突かけたる、短鎗を引て挾み、「異なる姬が諫言かな。いふよしあらばとく〳〵」、といそがし給へば、はふり落る、淚を禁め、貌を改め、「いと憚あることに侍れど、今も昔も、和も漢も、かしこき君の政事、功あれば必賞あり、罪あれば必罰あり。もし功ありて賞行れず、罪ありて咎なくは、その國亡び侍りなん。譬ばこの犬の如き、功侍れども賞行れず、罪なうして罰を蒙る。不便にはおぼさずや」、といふを義實聞あへず、「おん身が異見甚たがへり。剛敵頓に滅しより、犬の爲に職を置、食には珍饍美味を與へ、姻に錦綉綾羅を賜ふ。かくてもその賞なしといふや」、と詰り給へば、頭を擡、「綸言汗の如しとは、出てかへさぬ喩に侍らん。又君子の一言は駟馬も及びかたし、と聖經にありとなん、物の本にも引て侍る。悲しきかな父うへは、景連を討滅して、士卒の餓を救ん爲、この八房を壻がねに、わらはを許し給ふにあらずや。假令そのこと苟且のおん戲れにましますとも、一トたび約束し給ひては、出てかへらず、馬も及ばず。かゝれば犬が乞まうす、恩賞は君が隨意、許させ給ふ所に侍り。渠大功をなすに及びて、輒に約を變じ、代るに山海の美味を賜ひ、又錦綉の衣衾を給ふて、事足なんとせらるゝこと、もし人ならば朽をしく、恨しく思ひ奉らん。畜生にして人にます、大功あるも、又その賞に、わらはを許させ給ひしも、皆前世の業報と、思ひ決めつ、國の爲、彼の世の爲、棄させ給ふ、子を生ながら畜生道へ、侶せても政道に、僞りのなきよしを、民にしらして、安らけく、豐けく治め給はずは、盟を破り約に叛きし、彼景連と何をもて、異なりて人申さんや。いと淺はかなるをうな子の、鼻の先なる智惠の海も、濁らねばこそなか〳〵に、深き歎きはこのゆゑと、心くみみてけふよりは、恩愛ふたつの義を斷て、わが身の暇給はれかし。子として親に棄よと乞ひ、異類に從ふ少女子は、大千世界を索ても、わらはが外は侍らじ」、とかき口說給ふ袖の上に、落てたばしる露の玉、こゝへのみ來る秋なるべし。
義實は默然と、聞こと每に嘆息して、引提し鎗を戞哩と捨、「嗚乎悞り、あやまちぬ。法度は上の制する所、上まづ犯して、下犯す、是大亂の基本なり。われ實に八房に、姬を給ふの心なし。なしといへども云云と、いひつることは彼と我、口より出て耳に入る。藺相如が勇をもて、夜光珠はとりかへすとも、返しかたきは口の過、現禍の門に臥す、犬はわが身の仇なりき。こゝにつら〳〵來かたを、おもへば前象なきにあらず。この子が幼稚かりし時、立願の爲潛やかに、洲崎の石室へ參らせし、その途に老人あり、伏姬を見てさし招き、『この穉兒が多病なる、夜となく日となくむつかる事、みな惡灵の崇による。これを委細に說明せば、天機を漏すのおそれあり。伏姬といふ名によりて、みづから曉らば、曉も得なん。まかり歸りてこれらのよしを、主君にまうせ』、といひしとぞ。しかるに姬は嘉吉二年、夏月伏日に誕生せり。因て三伏の義をとりて、伏姬と名けたる、この名につきて判せよとは、いかなる故ぞ、ととさまかうさま、思へども思ひ當らず、彼曹公が三十里を、なほ遲しとして、冷笑ひし、楊用修が才ある人、こゝにもあらば問ばや、と待に久しき年を經て、けふゆくりなく解し得たり。伏姬の伏の字は、人にして犬に從ふ。この殃厄のあるべき事、襁褓の中より定る所欤。名詮自性といひつべし。斯まで執念深く崇なす、灵を誰とはしらねども、試みに推すときは、定包が妻なりける、玉梓などにやあらんずらん。彼淫婦は主を傷ひ、又忠良を追失へる、隱慝の聞えあり。しかれども一トたびは、命助んといひて、赦さゞりける、われに寇なすことかなはねばや、子に憂事の限りを見せて、非理の怨を復すになん。さはこの犬は母うせて、狸が育しものと聞く。狸の異名を野猫といひ、又玉面と喚做せし、その玉面を和訓に唱ば、是則たまつら也。玉つさと玉つらと、訓讀近きも忌々しきに、心得つかで賢しげに、狸といふ字は里に從ひ、犬に從ふよしあれば、里見の犬になる祥也、と思ひとりつゝ畜狎し、寵愛せしこそ悔しけれ。現天道は盈るを缺。翁が敎誨當れるかな。今にして百遍悔、千遍悔共その甲斐なし。畜生の爲、子を棄て、恥辱を遺さば、國あまた、討從へて長久に、百世富貴を受るとも、何か樂く思ふべき。面目なし」、と理にさとき、心の限り說盡し、慚愧後悔し給へば、側に果る侍女們、慰かねつ、なか〳〵に、はじめの怖さかき流す、淚は瀧のいと逼て、皆もろ共に泣にけり。
淚たてられて伏姬は、苦しき痞を拊おろし、「使るゝものだにも、堪ぬ欺きに淪むなる。況や親の御こゝろを、推量てはわれからに、なさぬ不孝も罪重し。さりながら、一旦鬼畜に伴れ、御諚に僞りなきよしを、竟に果さば玉刻る、命はかねてなきもの、と思ひ決て侍るなる。よに受かたき人の身を、受て生れて成長る、親の遺體をまざ〳〵と、畜生にやは穢さるべき。御こゝろやすく思召せ」、といひかけてはや赧む、顏を掩ふて俯給へば、義實頻にうち點頭、「遖めでたくいはれたり。遠く異邦を考れば、高辛氏の槃瓠が事、よくわが今の患に似たり。又干寶が搜神記に、大古のとき大人あり。遠征して、久く歸らず。妻は世をはやうして、只ひとりの女の子あり。年はや二八と聞えたり。又その家に牡馬あり。かくて女の子は旦暮に、親慕しく思ふのあまり、件の馬にうち對ひ、『汝もし父うへを、乘奉りて歸り來ば、わが身をまかすべし』といふ。これを信てや彼馬は、絆を斷てをらずなりぬ。扠日來經るまゝに、果して馬は父を乘せて、還るとやがて嘶て、乞求ることあるが如し。父怪みて女兒に問ば、如此々々の事ありと答ふ。うちもおくべき事ならずとて、父は竊に馬を殺し、皮を剥して簷に掛たり。當下女兒は馬皮を見て、『畜生にして人に求媾し、報はいかに早からずや。皮になりてもなほ吾儕を、娶るやいかに』、と罵れば、その皮撲地と落かゝりて、女を楚と推包み、颯と吹上る風とゝもに、中天に閃き登り、次の日庭の桑の樹に、その亡骸を掛たりき。その屍より蟲生ぜり、是蠶也といふ。こは信がたき事なれ共、唐山には魏晉より、いひもて傳へし小說也。彼苟も事を命せて、約に背るのみならず、これを殺すは人にして、こゝろ獸に劣れるもの也。われも一時の怒に乘して、亦八房を殺しなば、彼搜神記に載られたる、大古の人に等しかりなん。とは思へども折のわろくて、義成氏元等には、館の城を守れとて、いぬる比より彼處へ遣し、又貞行は長狹なる、東條の城にあり。これらの外は內々の事を相譚べうもあらず。好も歹も心ひとつに、今はや思ひ決めたり。やをれ八房、はじめわれ戲れに、命せし事も縡成りて、汝が勳績高ければ、伏姬を與るなり。且く退出てこれを俟。とく〳〵出よ」、といそがし給へば、八房はつく〳〵と、主の氣色を見とりてや、やうやくに身を起し、身ぶるひしつゝ外面へ、いと徐やかに出てゆく。


