南總里見八犬傳卷之五第九回
東都 曲亭主人 編次
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「戲言を信じて八房敵將の首級を献る」「里見よしさね」「杉倉氏元」「里見よし成」「伏姫」「八ふさ」
盟誓を破て景連兩城を圍む
戲言を信て八房首級を獻る
卻說安西景連は、義實の使者なりける、金碗大輔を欺き留めて、しのびしのびに軍兵を部しつ、俄に里見の兩城へ、犇々と推寄たり。その一隊は二千餘騎、景連みづからこれを將て、瀧田の城の四門を圍み、晝夜をわかずこれを改む。又その一隊は一千餘騎、蕪戶訥平等を大將にて、堀內貞行が籠たる、東條の城を圍せ、「兩城一時に攻潰さん」、といやがうへにぞ攻登る。その縡の爲體、稻麻の風に戰ぐ如く、勢ひをさ〳〵破竹に似たり。このとき里見の兩城は、兵粮甚乏しきに、民荒年の役に勞れて、催促に從はず、只呆れたるのみなれ共、恩義の爲に命を輕じ、寄手を屑ともせざる、勇士猛卒なきにあらねば、をさ〳〵防戰ふものから、主客の勢ひ異にして、はや兵粮に竭しかば、食せざる事七日に及べり。士卒はほと〳〵堪かねて、夜な〳〵、塀を踰て潛出、射殺されたる敵の死骸の、腰兵粮を撈取て、僅に餓に充るもあり、或は馬を殺し、死人の肉を食ふもあり。義實いたくこれを患ひて、杉倉木曾介氏元等、もろ〳〵の士卒を聚合、さて宣ふやう、「景連は表裏の武士、盟を破り義に違ふ、奸詐は今さらいふにしも及ばねど、さのみおそるゝ敵にはあらず。彼兩郡の衆を將て、わが兩城を攻擊ば、われも二郡の衆をもて、彼が二郡の衆に備ふ。よしや十二分に勝得ずとも、午角の軍はしつべきに、わが德足らで五穀登らず、內に倉廩空して、外には仇の大軍あり。甲乙いまだわかたずして、ちから既に究れり。縱百樊噲ありといふとも、餓ては敵を擊によしなし。只義實が心ひとつ、身ひとつの故をもて、この城中にありとある、士卒を殺すに忍びがたし。今宵衆皆烏夜に乘して、西の城戶より走り去れ。辛くも命を全せん。その時城に火を放て、且はや妻子を刺殺し、義實は死すべきなり。二郞太郞もとく落よ。その術は箇樣々々」、と精細に示し給へば、衆皆これを聞あへず、「御諚では候へども、その祿を受て妻子を養ひ、難に臨て筍且にも、脫るゝことは要せず。只顯身の息の內に、寄手の陣へ夜擊して、名ある敵と刺ちがへ、君恩を泉下に報ぜん。この餘の事は露ばかりも、願しからず候」、と辭ひとしく回答まうすを、義實はなほ叮嚀に、說諭し給へども、承引氣色なかりけり。
このとき義實のおん子、二郞太郞義成は、十六歲になり給ひつ。父の仁愛、士卒の忠信、よに有かたきこととのみ、うち聞てをはせしが、言果べうもあらざれば、父の氣色を窺ひて、「弱冠の某が、異見を申上るにあらねど、天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず。城中既に兵粮竭て、士卒飢渴に逼れ共、脫れ去らんと思ふものなく、倂死を究めしは、德により、恩をおもふ、是只その和の致す所欤。人の性は善なれば、よしや寄手の軍兵なりとも、善惡邪正はしりつらん。又兵粮に竭たれども、每日に煙をたてさせ給へば、敵かくまでとは思ひかけず、短兵急に攻擊ざるは、父の武勇におそるゝ故也。このふたつをもて計るときは、大音なるものを擇て、城樓にのぼし、寄手に對ひ、景連が非道の行狀、盟誓を破り、恩を仇とし、不義の軍を起したる、その罪を責させ給はゞ、士卒忽地慙愧して、政戰ふのこゝろ失なん。そのとき城より擊て出、只一揉に突崩さば、勝ずといふことあるべからず。この議はいかゞ候はん」、と言爽に演給へば、衆皆只管感佩して、「しかるべし」、とまうすにぞ、義實は試に、その聲高きものを出して、景連が不義を數へ、その罪を責させ給ふに、日來は聲よくたつものも、餓ては絕て息つゞかず、城樓は高く堀は廣し。腹の筋のよれるまで、口を張り面を赤うし、心ばかりは罵れども、敵の陣へは聲屆かず、果は淚にかきくれて、から咳をせくのみなれば、勞してその功なかりけり。
さる程に義實は、憖に脫れ去ざる、士卒を救ふよしもがな、となほ肺肝を摧給へど、輙く敵を退る、謀を得給はず。凝ては其處に至らじとて、杖を曳、園に出、徜徉し給へば、年來愛させ給ふなる、八房の犬は主を見て、尾を振つゝ來にけれど、久しく餓たることなれば、踉々として足定らず、肉脫て、骨高く、眼おちいり、鼻乾り。義實これを臠して、右手をもてその頭を拊、「嗚呼汝も餓たる欤。士卒の飢渴を救ん、と思ふこゝろにいとまなければ、汝が事を忘れたり。賢愚その差ありといへども、人は則萬物の、灵たるをもてみな智惠あり。敎に從ひ、法度を守り、禮讓恩義を知るものなれば、欲を禁め、情に堪、餓て死するも天命時運、とおもはゞ思ひ諦めなん。只畜生にはその智惠なし。敎を受ず、法度をしらず、禮讓恩義を辨ず、欲を禁るよしもなし。只その主の養ひに、一期を送るものなれば、餓て餓たる故を得しらず、食を求てます〳〵媚。これも又不便なり。現畜生は恥辱を得しらず、いと愚なるものなれども、人にますことなきにあらず。譬ば犬の主を忘れず、鼻をもてよくものを辯ずる、これらは人の及ざる所、性の勝るゝ所也。されば古歌にも、
思ひぐまの、人はなか〳〵、なきものを、あはれに犬の、ぬしをしりぬる。
慈鎭和尙の詠とかおぼゆ。今試に汝に問ん。十年の恩をよくしるや。もしその恩を知ることあらば、寄手の陣へしのび入て、敵將安西景連を、啖殺さばわが城中の、士卒の必死を救ふに至らん。かゝればその功第一なり。いかにこの事よくせんや」、とうちほゝ笑つゝ問給へば、八房は主の㒵を、つく〴〵とうち向上て、よくそのこゝろを得たるが如し。義實いよ〳〵不便におぼして、又頭を摩、背を拊、「汝勉て功をたてよ。しからば魚肉に飽すべし」、と宣へば、背向になりて、推辭るごとく見えしかば、義實は戲れに、問給ふこと又しば〳〵、「しからば職を授ん欤、或は領地を宛行ん欤。官職領地も望しからずば、わが女壻にして伏姬を、妻せん欤」、と問給ふ。此ときにこそ八房は、尾を振り、頭を擡つゝ、瞬もせず主の顏を、熟視てわゝと吠しかば、義實「ほゝ」とうち笑ひ、「現伏姬は豫に等しく、汝を愛するものなれば、得まほしとこそ思ふらめ。縡成るときは女壻にせん」、と宣すれば、八房は、前足屈て拜する如く、啼聲悲しく聞えにければ、義實は興盡て、「あな咻や、あな忌々し。よしなき戲言われながら、慢なりし」、とひとりごちて、軈て奧にぞ入り給ふ。
かくてその夜は大將も、士卒もこの世の名殘ぞ、と思ひ決めし事なれば、義實は宵の間は、且く後堂にをはしまして、夫人五十子、息女伏姬、嫡男義成をはじめまゐらせ、老黨には氏元等を、ほとり近く召聚合て、おん盃を賜りつ。さはれ長柄の銚子のみ、酒一滴もなかりしかば、水をもてこれに代、肴には枝つきの、果子少々出されたり。それも大かた蝕みて、生平には下司もたうべじ、と思ふ物だに時にとりては、いと忝く、いと愛たし。席上殊に蕭やかにて、只四表八表の物かたり、或は又來しかたを、うち譚せ給ひつゝ、最期のよしは一言も、仰出さるゝことはなけれど、死を究めたる主從は、なか〳〵に勇みあり。かくるときにも武士の、妻とて子とて黑髮の、ながき別を惜あへず、音にこそなかね、藻に住む蟲の、われから衣うら解て、濡るゝは袖の咎ならぬ、御心の中推量る、女房達はもろ共に、淚の泉堰とめかねて、おなじ歎きに沈みけり。「現理り」、と氏元等は、思はず齊一嗟嘆して、迭に目と目をあはすれば、七日己來一粒も、食せぬわれも人も亦、眼は凹み、頬骨立、尙死なねども土となる、顏色焦悴枯槁たり。「今宵十日の月沒て、擊て出ん」、と豫より、軍令を承る、雜兵等も、思ひ〳〵に、是首彼首に集りて、酒と稱て酌みかはす、水にもうつる星の影、鎧の袖におく霜も、やがて消なん身はうしや、丑三比になりにけり。「時刻はよし」、と義實父子は、手はやく鎧授かけ給へば、五十子伏姬、傅の老女專女がもろ共に、手に〳〵取てまゐらする、大刀長刀のさやかなる、風がもて來る遠寺の鐘聲、諸行無常と音すなり。
「義實怒て八房を追んとす」「伏姫」「八ッ房」「里見よしさね」
援引事實 昔高辛氏のとき。犬戎之寇有り。帝其の侵暴を患て。征伐すれども克たず。乃ち天が下に訪ひ募。能く犬戎之將呉將軍を得る者有らば。黄金千鎰。邑萬家を賜ん。又妻すに少女を以せんとなり。畜狗有り。其の毛五彩。名つけて槃瓠と曰ふ。令を下す之後。槃瓠俄頃に一頭を銜て闕下に泊る。群臣怪て之を診れは。乃ち呉將軍が首也。帝大に喜玉ふ。且つ謂。槃瓠は之に妻すに女を以すべからず。又封爵之道無し。議して之に報んと欲す。而れども未だ宣する所を知らず。女聞て以為。皇帝令を下して信に違ふべからずと。因て行んと請ふ。帝已ことを得ず。女以て槃瓠に妻はす。槃瓠女を得て。負て南山なる石室の中に走り入れり。險絶にして人跡至らず。三年を経て。六男六女を生めり。槃瓠因て自ら妻に决。好色の衣服。製裁皆尾有。其母後に状を以帝に白す。是に於諸子を迎へ玉ふに。衣装蘭斑。言語侏離なり。好て山壑に入る。平曠を樂ず。帝其意に順て。賜に名山廣澤を以す。其の後滋蔓せり。號して蛮夷と曰ふ。今長沙武陵の蛮是也。』又北狗國は。人身にして狗首。長毛にして衣せず。其妻は皆人なり。男を生めば狗と為り。女を生めば人と為となると云ふ。五代史に見えたり。
【原文】援引事實 昔高辛氏。有犬戎之寇。帝患其侵暴。而征伐不克。乃訪募天下。有能得犬戎之將呉將軍者。賜黄金千鎰。邑萬家。又妻以少女。有畜狗。其毛五彩。名曰槃瓠。下令之後。槃瓠俄頃銜一頭泊闕下。群臣怪而診之。乃呉將軍首也。帝大喜。且謂。槃瓠不可妻之以女。又無封爵之道。議欲報之。而未知所宣。女聞以為。皇帝下令不可違信。因請行。帝不得已。以女妻槃瓠。槃瓠得女。負而走入南山石室中。險絶人跡不至。経三年。生六男六女。槃瓠因自决妻。好色衣服。製裁皆有尾。其母後以状白帝。於是迎諸子。衣装蘭斑。言語侏離。好入山壑。不樂平曠。帝順其意。賜以名山廣澤。其後滋蔓。號曰蛮夷。今長沙武陵蛮是也』又北狗國。人身狗首。長毛不衣。其妻皆人。生男為狗。生女為人云。見五代史。


