南総里見八犬伝(010)

南總里見八犬傳卷之五第九回
東都 曲亭主人 編次
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「戲言けげんを信しんじて八房やつふさ敵將てきせうの首級しゆきうを献たてまつる」「里見よしさね」「杉倉氏元」「里見よし成」「伏姫」「八ふさ」

盟誓ちかひを破やぶりて景連兩城かげつらりやうぜうを圍かこむ
戲言けげんを信うけて八房首級やつふさしゆきうを獻たてまつる

 卻說安西景連かくてあんさいかげつらは、義實よしさねの使者なりける、金碗大輔かなまりだいすけを欺あざむき留とゞめて、しのびしのびに軍兵ぐんびやうを部てわけしつ、俄にはかに里見の兩城りやうぜうへ、犇々ひし〳〵と推寄おしよせたり。その一隊ひとそなへは二千餘騎、景連みづからこれを將いて、瀧田たきたの城の四門しもんを圍かこみ、晝夜ちうやをわかずこれを改せむ。又またその一隊ひとそなへは一千餘騎、蕪戶訥平等かぶととつへいらを大將にて、堀內貞行ほりうちさだゆきが籠こもりたる、東條とうでふの城を圍かこませ、「兩城一時いちじに攻潰せめつぶさん」、といやがうへにぞ攻登せめのぼる。その縡ことの爲體ていたらく、稻麻とうまの風に戰そよぐ如ごとく、勢ひをさ〳〵破竹はちくに似たり。このとき里見の兩城りやうぜうは、兵粮甚乏ひやうろうはなはだともしきに、民荒年たみくわうねんの役えきに勞つかれて、催促に從はず、只呆たゞあきれたるのみなれ共、恩義の爲に命いのちを輕かろんじ、寄手よせてを屑ものゝかすともせざる、勇士猛卒ゆうしもうそつなきにあらねば、をさ〳〵防戰ふせぎたゝかふものから、主客しゆかくの勢ひ異ことにして、はや兵粮に竭つきしかば、食しよくせざる事七日に及べり。士卒はほと〳〵堪たへかねて、夜な〳〵、塀へいを踰こえて潛出しのびいで、射殺いころされたる敵の死骸しがいの、腰兵粮こしひやうろうを撈取さぐりとりて、僅はつかに餓うへに充みつるもあり、或あるは馬を殺し、死人の肉を食くらふもあり。義實よしさねいたくこれを患うれひて、杉倉木曾介氏元等すぎくらきそのすけうぢもとら、もろ〳〵の士卒しそつを聚合つどへ、さて宣のたまふやう、「景連は表裏ひやうりの武士ぶし、盟ちかひを破り義に違たがふ、奸詐かんそは今さらいふにしも及ばねど、さのみおそるゝ敵にはあらず。彼かれ兩郡の衆ひとを將いて、わが兩城を攻擊せめうてば、われも二郡の衆ひとをもて、彼かれが二郡の衆ひとに備ふ。よしや十二分に勝得かちえずとも、午角ごかくの軍いくさはしつべきに、わが德足たらで五穀登ごゝくみのらず、內に倉廩空さうりんむなしうして、外ほかには仇あたの大軍あり。甲乙こうおついまだわかたずして、ちから既に究きわまれり。縱百樊噲たとひひやくはんくわいありといふとも、餓うへては敵を擊うつによしなし。只たゞ義實が心ひとつ、身ひとつの故ゆゑをもて、この城中にありとある、士卒を殺すに忍びがたし。今宵衆皆烏夜こよひみな〳〵やみに乘まかして、西の城戶きとより走り去れ。辛からくも命を全まつたうせん。その時城しろに火を放かけて、且まづはや妻子さいしを刺殺さしころし、義實は死すべきなり。二郞太郞じろたらうもとく落おちよ。その術てだては箇樣々々かやう〳〵」、と精細つばらかに示し給へば、衆皆みな〳〵これを聞きゝあへず、「御諚ごじやうでは候へども、その祿ろくを受うけて妻子やからを養ひ、難なんに臨のぞみて筍且かりそめにも、脫まぬかるゝことは要えうせず。只顯身たゞうつせみの息の內に、寄手よせての陣へ夜擊ようちして、名ある敵と刺さしちがへ、君恩くんおんを泉下せんかに報ほうぜん。この餘の事は露つゆばかりも、願ねがはしからず候」、と辭ことばひとしく回答いらへまうすを、義實はなほ叮嚀ねんごろに、說諭とききとし給へども、承引うけひく氣色けしきなかりけり。

 このとき義實のおん子、二郞太郞義成じろたらうよしなりは、十六歲になり給ひつ。父の仁愛じんあい、士卒の忠信、よに有ありかたきこととのみ、うち聞きゝてをはせしが、言果ことはつべうもあらざれば、父の氣色を窺うかゞひて、「弱冠じやくくわんの某それがしが、異見いけんを申上るにあらねど、天の時は地の利にしかず、地の利は人の和くわにしかず。城中既に兵粮竭ひやうろうつきて、士卒飢渴きかつに逼せまれ共、脫のがれ去らんと思ふものなく、倂しかしながら死を究きわめしは、德により、恩をおもふ、是只これたゞその和くわの致す所欤か。人の性さがは善なれば、よしや寄手よせての軍兵ぐんびやうなりとも、善惡邪正ぜんあくじやせうはしりつらん。又兵粮ひやうろうに竭つきたれども、每日ひごとに煙けふりをたてさせ給へば、敵かくまでとは思ひかけず、短兵急たんへいきうに攻擊せめうたざるは、父の武勇におそるゝ故ゆゑ也。このふたつをもて計はかるときは、大音だいおんなるものを擇えらみて、城樓やぐらにのぼし、寄手よせてに對むかひ、景連が非道の行狀おこなひ、盟誓ちかひを破り、恩を仇あたとし、不義の軍いくさを起したる、その罪を責せめさせ給はゞ、士卒忽地慙愧たちまちざんぎして、政戰せめたゝかふのこゝろ失うせなん。そのとき城より擊うつて出いで、只一揉たゞひともみに突崩つきくづさば、勝かたずといふことあるべからず。この議はいかゞ候はん」、と言爽ことさはやかに演のべ給へば、衆皆只管感佩みな〳〵ひたすらかんはいして、「しかるべし」、とまうすにぞ、義實は試こゝろみに、その聲高きものを出いだして、景連が不義を數かぞへ、その罪を責せめさせ給ふに、日來ひごろは聲よくたつものも、餓うへては絕たえて息つゞかず、城樓やぐらは高く堀は廣し。腹の筋のよれるまで、口を張り面つらを赤あかうし、心ばかりは罵のゝしれども、敵の陣へは聲屆かず、果はては淚にかきくれて、から咳せきをせくのみなれば、勞してその功なかりけり。

 さる程に義實は、憖なまじいに脫のがれ去さらざる、士卒を救ふよしもがな、となほ肺肝はいかんを摧くだき給へど、輙たやすく敵を退しりぞくる、謀はかりことを得給はず。凝こりては其處そこに至らじとて、杖つゑを曳ひき、園そのに出いで、徜徉そゞろあるきし給へば、年來としころ愛させ給ふなる、八房やつふさの犬は主しゆうを見て、尾を振ふりつゝ來にけれど、久しく餓うへたることなれば、踉々ひよろ〳〵として足定さだまらず、肉脫おちて、骨高く、眼まなこおちいり、鼻乾かはけり。義實これを臠みそなはして、右手めてをもてその頭かうべを拊なで、「嗚呼汝あゝなんぢも餓うへたる欤か。士卒の飢渴きかつを救すくはん、と思ふこゝろにいとまなければ、汝が事を忘れたり。賢愚けんぐその差しなありといへども、人は則萬すなはちばん物もつの、灵れいたるをもてみな智惠ちゑあり。敎をしえに從ひ、法度はつとを守り、禮讓恩義れいじやうおんぎを知るものなれば、欲を禁とゞめ、情ぜうに堪たへ、餓うへて死するも天命時運てんめいじうん、とおもはゞ思ひ諦あきらめなん。只畜生たゞちくせうにはその智惠なし。敎をしえを受うけず、法度はつとをしらず、禮讓恩義を辨わきまへず、欲を禁とヾむるよしもなし。只その主しゆうの養ひに、一期いちごを送るものなれば、餓うへて餓うへたる故ゆゑを得えしらず、食を求もとめてます〳〵媚こぶ。これも又不便ふびんなり。現畜生げにちくせうは恥辱はぢを得えしらず、いと愚おろかなるものなれども、人にますことなきにあらず。譬たとひば犬の主しゆうを忘れず、鼻はなをもてよくものを辯ずる、これらは人の及しかざる所、性せいの勝すぐるゝ所也。されば古歌こかにも、

思ひぐまの、人はなか〳〵、なきものを、あはれに犬の、ぬしをしりぬる。

慈鎭和尙ぢゝんおせうの詠ゑいとかおぼゆ。今試こゝろみに汝なんぢに問とはん。十年とゝせの恩をよくしるや。もしその恩を知ることあらば、寄手よせての陣へしのび入て、敵將安西景連を、啖殺くひころさばわが城中の、士卒の必死を救ふに至らん。かゝればその功第一なり。いかにこの事よくせんや」、とうちほゝ笑えみつゝ問給へば、八房は主しゆうの㒵かほを、つく〴〵とうち向上みあげて、よくそのこゝろを得たるが如し。義實いよ〳〵不便ふびんにおぼして、又頭かうペを摩なで、背そびらを拊なで、「汝勉つとめて功をたてよ。しからば魚肉に飽あかすべし」、と宣のたまへば、背向そがひになりて、推辭いなめるごとく見えしかば、義實は戲たはふれに、問給ふこと又しば〳〵、「しからば職つかさを授さづけん欤か、或あるは領地れうちを宛行あてわこなはん欤か。官職領地も望のぞましからずば、わが女壻むこにして伏姬ふせひめを、妻めあはせん欤か」、と問給ふ。此このときにこそ八房は、尾を振り、頭かうべを擡もたげつゝ、瞬またゝきもせず主しゆうの顏を、熟視まもりてわゝと吠ほえしかば、義實「ほゝ」とうち笑ひ、「現げに伏姬は豫よに等しく、汝を愛するものなれば、得まほしとこそ思ふらめ。縡成ことなるときは女壻むこにせん」、と宣のたまはすれば、八房は、前足屈をりて拜する如く、啼聲なくこゑ悲しく聞えにければ、義實は興盡きやうつきて、「あな咻がまや、あな忌ゆゝ々し。よしなき戲言たはことわれながら、慢そゞろなりし」、とひとりごちて、軈やがて奧にぞ入り給ふ。

 かくてその夜よは大將も、士卒もこの世の名殘なごりぞ、と思ひ決さだめし事なれば、義實は宵の間まは、且しばらく後堂おくにをはしまして、夫人五十子おくかたいさらこ、息女そくぢよ伏姬、嫡男義成ちやくなんよしなりをはじめまゐらせ、老黨ろうだうには氏元等を、ほとり近く召聚合めしつどへて、おん盃さかづきを賜たまはりつ。さはれ長柄ながゑの銚子さしなべのみ、酒一滴もなかりしかば、水をもてこれに代かえ、肴さかなには枝つきの、果子このみ少々出いだされたり。それも大かた蝕むしばみて、生平つねには下司げすもたうべじ、と思ふ物だに時にとりては、いと忝かたしけく、いと愛めでたし。席上殊せきせうことに蕭しめやかにて、只四表八表たゞよもやまの物かたり、或あるは又來こしかたを、うち譚かたらはせ給ひつゝ、最期さいごのよしは一言ひとことも、仰出おふせいださるゝことはなけれど、死を究きわめたる主從しゆう〴〵は、なか〳〵に勇いさみあり。かくるときにも武士ものゝふの、妻とて子とて黑髮くろかみの、ながき別わかれを惜をしみあへず、音ねにこそなかね、藻もに住む蟲の、われから衣ころもうら解とけて、濡ぬるゝは袖の咎とがならぬ、御み心こゝろの中うち推量おしはかる、女房達にようぼうたちはもろ共に、淚の泉堰せぎとめかねて、おなじ歎なげきに沈みけり。「現理げにことわり」、と氏元等は、思はず齊一嗟嘆ひとしくさたんして、迭かたみに目と目をあはすれば、七日己來一粒このかたいちりうも、食しよくせぬわれも人も亦また、眼まなこは凹くぼみ、頬骨立ほうほねいで、尙まだ死なねども土となる、顏色焦悴枯槁がんしよくおとろへやせがれたり。「今宵十日の月沒いりて、擊うつて出いでん」、と豫かねてより、軍令を承うけたまはる、雜兵等ざふひやうらも、思ひ〳〵に、是首彼首こゝかしこに集あつまりて、酒と稱たゝへて酌くみかはす、水にもうつる星の影、鎧よろひの袖そでにおく霜しもも、やがて消きえなん身はうしや、丑三比うしみつころになりにけり。「時刻はよし」、と義實父子ふしは、手はやく鎧授よろひなげかけ給へば、五十子伏姬、傅かしつきの老女專女ろうぢよおさめがもろ共に、手に〳〵取とりてまゐらする、大刀たち長刀なぎなたのさやかなる、風がもて來る遠寺ゑんじの鐘聲せうせい、諸行無常しよぎやうむじやうと音すなり。

「義實よしさね怒いかつて八房やつふさを追おはんとす」「伏姫」「八ッ房」「里見よしさね」

援引事實 昔むかし高辛氏のとき。犬戎けんじゆう之寇こう有あり。帝みかど其その侵暴オカシアルヽヲを患うれひて。征伐すれども克かたず。乃すなはち天あめが下に訪ひ募モトメテ。能よく犬戎けんじゆう之の將呉將軍を得える者モノ有あらば。黄金千鎰せんいつ。邑萬ゆうまん家を賜たまはん。又妻めあはすに少女を以もつてせんとなり。畜狗ちくく有あり。其その毛五彩ごさい。名つけて槃瓠はんこと曰いふ。令を下す之の後。槃瓠俄頃にはかに一頭を銜くわえて闕下けっかに泊とまる。群臣怪あやしみて之これを診みれは。乃すなはち呉將軍が首也なり。帝みかど大おおいに喜よろこび玉たまふ。且かつ謂オモヘラク。槃瓠は之これに妻めあはすに女むすめを以もつてすべからず。又封爵ほうしやく之の道無なし。議して之これに報むくひんと欲ほつす。而しかれども未いまだ宣せんする所を知らず。女むすめ聞て以為オモヘラク。皇帝令れいを下して信しんに違たがふべからずと。因よりて行いかんと請こふ。帝已やむことを得ず。女むすめ以もつて槃瓠に妻めあはす。槃瓠女むすめを得て。負おふて南山なる石室の中に走り入れり。險絶けんぜつにして人跡じんせき至らず。三年を経へて。六男六女を生うめり。槃瓠因よりて自みずから妻つまに决ワカル。好色の衣服。製裁皆みな尾有あり。其その母後に状を以もつて帝に白もうす。是ここに於おいて諸子を迎へ玉たまふに。衣装蘭斑らんはん。言語侏離しゆりなり。好て山壑さんがくに入る。平曠へいこうを樂たのしまず。帝其その意に順したがひて。賜たまふに名山廣澤こうたくを以もつてす。其そのの後シソン滋蔓じまんせり。號ごうして蛮夷ばんいと曰いふ。今いま長沙武陵の蛮エビス是これ也なり。』又北狗國は。人身じんしんにして狗首くしゆ。長毛にして衣ころもせず。其その妻は皆みな人なり。男を生めば狗いぬと為なり。女を生めば人ひとと為なとなると云ふ。五代史に見えたり。
【原文】援引事實 昔高辛氏。有犬戎之寇。帝患其侵暴。而征伐不克。乃訪募天下。有能得犬戎之將呉將軍者。賜黄金千鎰。邑萬家。又妻以少女。有畜狗。其毛五彩。名曰槃瓠。下令之後。槃瓠俄頃銜一頭泊闕下。群臣怪而診之。乃呉將軍首也。帝大喜。且謂。槃瓠不可妻之以女。又無封爵之道。議欲報之。而未知所宣。女聞以為。皇帝下令不可違信。因請行。帝不得已。以女妻槃瓠。槃瓠得女。負而走入南山石室中。險絶人跡不至。経三年。生六男六女。槃瓠因自决妻。好色衣服。製裁皆有尾。其母後以状白帝。於是迎諸子。衣装蘭斑。言語侏離。好入山壑。不樂平曠。帝順其意。賜以名山廣澤。其後滋蔓。號曰蛮夷。今長沙武陵蛮是也』又北狗國。人身狗首。長毛不衣。其妻皆人。生男為狗。生女為人云。見五代史。

 浩處かゝるところに外面とのかたに、犬のなく聲してければ、義實耳を側そはたてゝ、「彼あれはまさしく八房やつふさ也。異ことなる聲ぞ、皆聞きかずや。出いでて見よかし」、と宣のたまへば、「承うけたまはりつ」、と應いらへあへず、兩三人衝りやうさんにんつと立たちて、緣頬えんかはより指燭しそくを抗あげ、「八房々々」、と喚よびかけて、と見かう見れば、あやしきかな、|生々なまなましき人の首かうべを、緣端えんばなにうち載のせて、八房は踏石ふみいしに、前足かけてつく〳〵、と件くだんの首かうペを守りてをり。「こは〳〵いかに」、とばかりに、觀みるもの劇惑あはてまどひつゝ、舊もとの處に走り入り、「かゝることこそ候へ」、と忽卒あからさまに報知奉つげたてまつれば、主從男女聞しゆう〴〵なんによきゝあへず、驚きあやしまざるものなし。そが中に氏元は、彼輩かのともからを見かへりて、「餓うへては人の亡骸なきからを、食くらふも犬のならひ也。是見これみよかしに、もて來たる、首かうべは認みしれるものならずや。御達ごたち[五十子いさらこ・伏姬ふせひめをいふ]もこゝにましますに、とく追遣おひやらひ給ひね」、といへば再びたゝんとする、そのものどもを義實は、「こや〳〵」、と呼よびとゞめ、「犬はをるとも妨さまたげなし。彼もしいたく餓うへたる隨まゝに、躬方みかたの死骸しがいを傷そこなひなば、そが侭まゝにはさしおきがたし。われみづからいゆきて見ん」、といひかけてはや立給へば、氏元等はいふもさら也、男房女房散動渡なんばうにようばうどよめきわたりて、或あるは燭しよくを秉とりて先に立たち、或あるは主しゆうの後しりにつきて、僉みなもろ共に、緣頬狹えんかはせまし、と件くだんの頸くびを見る程に、義實は眉根まゆねをよせ、「木曾介きそのすけは何なにとか見たる。鮮血ちしほに塗まみれて定さだかならねど、こは景連かげつらに似たるかし。洗ふて見よ」、と仰おふすれば、氏元も亦訝またいぶかりながら、淨手鉢てふづはちのほとりへよせて、柄𣏐ひさくに水を汲みかけて、頸くびに塗まみるゝ血をいく遍たびか、洗流々々あらひながし〳〵て、主從更にこれを見れば、果して敵將景連が首級しゆきうに疑ふべうもあらず。「分明ふんめうなり」、と宣のたまへば、僉みな疑ひは解とけながら、まだその故ゆゑをしるよしなけれど、人は及ばぬ軍功に、只管ひたすら犬を羨うらやみけり。

 當下義實嵯嘆そのときよしさねさたんして、「斯かう奇怪なる事を見る、前象後兆せんせうこうちゃうなきにあらず。今こそ思ひあはするなれ。僉みなわが爲に蜻蛉かげろひの、命を捨すてん、と思ひ決さだめし、士卒をいかで救すくはん、と思へ共思ひかね、慰なぐさめかねてわが身ひとつ、嚮さきには園そのへ出いでたる折、この八房がいといたう、餓うへたるを又見るに得堪えたへず、彼かれを思ひ、此これを憐あはれみ、『汝なんぢもし寄手よせての陣へ、忍び入りて景連を、啖くらひ殺して城中ぜうちうなる、數百すひやくの士卒を救ふに至らば、日每ひごとに魚肉に飽あかせん』、といへども歡よろこぶ氣色けしきなし。『さらずは所領しよれうを宛行あてわこなはん欤か、重職おもきつかさを授さづけん欤か』、といへども歡ぶ氣色なし。『さらずは生平つねに汝を愛する、伏姬ふせひめを取らせん欤か』、といひつるときに八房は、歡よろこばしげなる氣色けしきにて、尾をふりつゝ吠ほえたる聲、常にはあらでいと忌ゆゝ々し。『戲言けげんなり共思ひより、出いでずといふことなきものを、慢そゞろなりし』、とひとりごちて、そが侭後堂まゝおくに人を聚合つどへ、最期さいごの軍議に暇いとまなくて、その事ははや忘れたるに、犬は卻なかなかいはれし事を、忘れねばこそ狛劍こまつるぎ、わが虛言そらごとを實事まこととして、寄手よせての陣へ潛しのび入いるとも、二三千騎ぎの大將たる、景連を輒たやすく殺して、その首級しゆきうを齎もたらすこと、不思議といふもあまりあり。奇なり〳〵」、と八房を、さし招き呼び近つけ、只管賞嘆ひたすらせうたんし給へば、氏元等は又さらに、駭然がいぜんとして舌を卷き、「畜生にして人にます、功ある事もみな君が、仁心德義によるもの欤か。倂神明佛陀しかしながらしんめいぶつたの、冥助めうぢよにこそ」、と稱贊せうさんす。

 かゝりし程に斥候ものみの兵つわもの、庭門にはくちより走り來つ、「敵に異變の事ある欤か、猛にはかに亂れ騷ぎ候。速すみやかに擊うち給はゞ、勝利疑ひあるべからず」、とまうすを義實聞きゝあへず、「さもありなん。時な移しそ。擊うつて出いでよ」、といそがし立たてて、諸隊もろてに令げぢを傳へさせ、大將みづから寄手よせての陣を、襲おそはんとし給へば、冠者義成くわんじやよしなりすゝみ出いで、「景連既に死したれば、縱たとひ寄手は大軍なりとも、追拂おひはらはんこといと易やすかり。然さるをわが大人佻々うしかろかろしく、出いでさせ給ふは物體もつたいなし。只たゞ義成に氏元を、さし副そえられて事足ことたりなん。許させ給へ」、と請こひまうして、庭門にはくちより走り出いで、牽ひきもて參らす瘦馬やせうまに、身を跳おどらせてうち跨のり給へば、氏元は士卒を激はげまし、「如此如此しか〳〵の事ありて、はや景連を擊うちとりぬ。後おくるゝものは犬に劣おとらん。出いでよ、進め」、と呼よばはりて、三百餘騎を二隊ふたてにわかち、義成は前門おほてより、氏元は後門からめてより、城戶きどを颯さつと推開おしひらかせて、亂れ騷ぐ寄手よせての陣へ、驀地まつしくらに突ついて入いる。勢ひ日來ひごろに百倍して、當るべうもあらざれば、敵軍ます〳〵辟易へきゑきして、逃亡にげうするもの半なかばに過すぎず、みなはや降參したりしかば、鬱悒いぶせかりつる人の心も、その夜もやがて明あけにけり。かくて義成氏元は、山のごとく積貯つみたくはへたる、寄手よせての兵粮ひやうろう殘りなく、城中へとり入れて、則縡すなはちことの趣おもむきを、義實に報知つげ奉れば、降參せしものどもを、悉釋ことごとくときゆるして、氏元に領あづけ給ひつ、今朝より實まことに煙けふりを立たてて、籠城せし兵等つわものらに、白粥しらかゆを給はるに、一碗いちわんの外ほかゆるし給はず。久しく餓うへて食しよくに飽あけば、忽地たちまち命を隕おとす故ゆゑ也。加以彼兵粮これのみならずかのひやうろうの半なかばを散ちらし、城外なる民に賜ふて、をさ〳〵飢渴きかつを救すくひ給へば、拜はいし受うけてこれを頒わかち、鼓腹こふくして命いのちを延のぶ。その縡ことの爲體ていたらく、轍魚てつぎょの水を獲たる如し。

 かゝりし程に、東條とうでふの城を攻せめよとて向むけられたる、安西景連が老黨ろうだう、蕪戶訥平等かぶととつへいらは、十重廿重とへはたへに圍みつゝ、晝夜をわかず攻擊せめうてども、件くだんの城は瀧田にまして、なほ半月はんげつの貯祿たくはへあり。貞行は敵を拂ふて、瀧田の後詰ごつめをせんとのみ、はじめより心にかけて、雨の夜よ、風の夕ゆふべには、敵陣へ夜討ようちすること、再三ふたゝびみたびに及びにけれども、躬方みかたの勢せいに此くらぶれば、寄手よせては大軍なるをもて、捷かつといへども烈風の、塵ちりを拂ふが如きに至らず、敵は新隊あらてを入れかえて、弱る氣色けしきはなかりけり。

 かくてある日の事なりき。景連は果敢はかなく擊うたれて、瀧田の圍み、頓とみに釋とけ、御曹司おんぞうし義成に、杉倉氏元を副そえられて、大軍當處たうしよへ援來たすけくるよし、誰たれいふとはなく風聞ふうぶんす。城兵しろのつわものはこれを聞きゝて、勇氣日來ひごろに百倍し、寄手よせての兵等つわものらは是これを聞きゝて、劇騷あはてさわぐこと大かたならず。はじめの程ほど訥平は、聞きけども聞きかぬおもゝちして、士卒を罵のゝしり激はげますものから、きのふにけふはいやまして、風聞ます〳〵咻かまびすし。「現虛言げにそらごとにはあらざるべし」、と思へばいよ〳〵怖氣こわげづきて、軍兵等ぐんびやうらには示しめしあはせず、訥平は身親みちかきもの、兩三人を從へて、烏夜やみに紛まぎれて落おちうせたり。天明よあけて寄手の軍兵ぐんびやうは、大將逐電ちくてんせしよしを、やうやくに知てければ、衆皆呆みな〳〵あきれ惑まどひつゝ、「生大將なまだいせうの憎さよ」、とうち腹はらたつのみ、せんすべなければ、諸軍齊一しよぐんひとしく評議して、城中へ使者を遣つかはし、皆阿容々々おめ〳〵と降參す。貞行は「これらのよしを、瀧田殿たきたとのへまうせ」とて、騎馬きばの使者をまゐらせつ。その使者と瀧田より、勝軍かちいくさを吿來つげきつる、兵士つわものらにゆきあへり。かくて諚使じやうしは、東條へ來着らいちやくして、景連が命を隕おとせし、ことの趣おもむきを吿つげしらせ、又御曹司おんぞうし(義成)を大將にて、杉倉氏元すぎくらうぢもとを副たすけとし、不日ふじつに出陣のよしを吿つげ、これは當地の敵を拂ふて、館たての兩城を攻せめん爲也といふ。貞行は謹つゝしんで、君命をうけ給はり、再かさねて使者をまゐらせて、勝軍かちいくさを賀がし奉り、御曹司おんぞうしの出陣を、今か〳〵とまつ程に、豫かねて義實の德を慕ふ、安房朝夷あはあさひなの士庶良賤ししよりやうせん、景連亡ほろびぬと聞くとやがて、館たての兩城へとりかけて、その守將を攻滅せめほろぼし、蕪戶訥平等が首級しゆきうを齎もたして、老おもだちたるもの數す十人、東條へ來つる日に、義成氏元着陣ちやくぢんして、貞行等もろ共に、縡ことの趣おもむきを書寫かきしたゝめ、瀧田の城へ注進ちうしんして、件くだんの首級を獻たてまつれば、義實は、安房朝夷のものどもを召めさせ給ひて、物夥被あまたかつけさせ、御曹司と氏元等に、御敎書みきやうしよを給はりて、館の兩城を守らし給ふ。

 かくてぞ四郡一个國しぐんいつかこく、義實管領かんれうし給へば、威德いきほひ朝日の昇るごとく、德澤めぐみは時雨あめの潤うるほすごとく、奸民かんみんは走去はしりさり、善人は時を得たり。是これよりして夜戶よるとを鎖さゝず、又遺おちたるを拾ひらふものなし。久後ゆくすゑは卒いざしら濱に、波風立たゝずなりしかば、鄰國りんこくの武士いへばさら也、持氏もううぢの末子ばつし、成氏朝臣なりうぢあそん、鐮倉かまくらへ立たちかへりて、はや年來としころになりしかば、このとき瀧田へ書しよを贈りて、一國いつこく平均の功業こうぎゃうを稱贊し、室町將軍むろまちせうぐんへ聞えあげて、則里見義實すなはちさとみよしさねを、安房あはの國主こくしゆにまうしなし、剩治部少輔あまさへぢぶのせうゆうに、補ふせらるゝよし聞えしかば、義實歡喜雀躍くわんきじやくできして、京鐮倉へ使者を進まゐらせ、土產種々獻とさんくさくさたてまつる。(持氏の季子すゑのこを、成氏といふ。いぬる嘉吉三年許に、長尾昌賢執ながをまさかたとりなして、鐮倉へ迎へ入れ、管領くわんれいになしまゐらせて、はや十餘年を經へにけれども、故ゆゑありて成氏は、鐮倉に居をることかなはず、康永の年間ころ下總なる、我こがへ移住し給ひけり。こゝに年序ねんじよを僂かゞなふれば、この年の事ならん欤か。成氏の事九代記に見えたり。この下に話なし)

 斯歡かうよろこぶべく祝ことほぐべき、事のみうちも續くものから、義實はとにかくに、こゝろにかゝるはそのはじめ、「安西あんざいに糧かてを乞こへ」とて、彼處かしこへ使者に遣つかはしたる、金碗大輔かなまりだいすけが事也かし。「渠かれは年なほわかけれども、阿容々々おめ〳〵と手を束つかねて、敵に擒とりことなるものならず。欺あざむかれて擊うたれしか。又その勢せいの多少を計らず、憖なまじいに寄手よせてを支さゝへて、可惜あたら命を隕おとせしか。さらずは昨きのふけふまでも、かへり參らぬ事はあらじ。われ不憶ゆくりなく土地を聞ひらき、こゝに富貴ふうきを受うくる事は、彼が親の資たすけによれり。かゝればその臨終りんしうに、その子を長狹ながさの郡司ぐんじとし、東條とうでふの城主にせん、といひつる事をいまだ果さず。加以これのみならずわがこゝろに、許せし事さへありけるものを、うたてや渠かれが亡骸なきからだも、見るよしなきは遺憾のこりをし。樹きを伐かり、草を刈拂かりはらひても、そが存亡をしらせよ」とて、豫かねて八方へ人を出いだし、さき〳〵までも徇ふれしらして、隈くまなく索たづねさせ給へど、往方ゆくゑは絕たえてしれざりけり。

 さる程に義實は、老黨士卒ろうだうしそつの勳功くんこうを、ひとり〳〵に攷正かむがへたゞして、所領を增し、職つかさを進め、大方おほかたならず勸賞けんせうを、行おこなはせたまふ事のはじめに、八房やつふさの犬をもて、第一の功と定め、朝暮あさゆふの食しよく、起臥おきぶしの衾ふすま、美を盡さずといふことなく、これが爲に犬養いぬかひの職つかさを置おき、奴隸夥册しもべあまたかしつけて、出いづるときは先を追おはせ、入いるときはうち護まもらせ、寵愛耳目ちゃうあいじもくを驚おどろかせども、八房は頭かうべを低たれ、尾をふせて、食くらはず、睡ねむらず、いぬる宵敵將景連よてきせうかげつらが首級しゆきうをもて來きし緣頬えんかはの、ほとりに參まゐりて立たちも去らず、主君の出いでさせ給ふを見れば、祿端えんはなに前足を、懸かけつゝ尾をふり鼻を鳴らし、乞こひもとむる事あるが如し。しかれども義實は、そのこゝろを得給はず、手づから魚肉餠ぎよにくもちひなンどを、折敷をしきにすえて賜たびにけれども、八房は見もかへらず、なほ求もとむる事頻しきり也。箇樣かやうの事度たびかさなれば、義實は大おはかたに、犬のこゝろを推量おしはかりて、「もしこれにもや」、とおぼせしかば、忽地たちまち愛を失ひて、端近はしちかくは出いで給はず。犬養等いぬかひらして八房を、遠く牽ひきもて去らせ給へど、動やゝもすれば哮狂たけりくるひて、犬養等が手に從はず。果はては縧くさりを引斷離ひきちぎりて、禁とゞむる人を啖くらひ倒たふし、彼緣頬かのえんがわより跳登おどりのぼりて、奧まりたる處々ところ〳〵、彼此をちこちとなく奔走ほんさうす。しかれどもこれを追ふ、犬養等は憚はゞかりの關の戶あれば、手を抗あげて、「あれよあれよ」、と叫ぶのみ、男子をのこの手にだに乘まかせぬ犬が、哮狂たけりくるふ事にしあれば、侍女們をんなばらは一㠔ひとなだれに、おそれ惑まどひつ立騷ぎ、彼首かしこへ走れば、是首ここへ迯にげ、此方こなたで追へば、彼方かなたへ走る。犬もろ共に人も狂ひて、障子蒸襖せうじむしふすまを推倒おしたふし、叫び喚よばゝり、おもはずに、伏姬のをはします、後堂おくざしきへ追入れたり。

 このとき姬は間人とぎもなく、書案ふつくゑに肘ひぢをもたして、枕まくらの草紙さうしを御覽ごらんずるに、翁丸おきなまろといふ犬が、敕勘ちよくかんを蒙かふむりて、拾すてられし縡ことの趣おもむき、又ゆるされてかへり參りし爲體ていたらくを、いと愛めでたくぞ書かきたりける、淸少納言せいせうなごんが才さえを羨うらやみ、「昔はかゝる事こそあれ」、とひとりごちつゝその段を、繰返し給ふ折、侍女們をんなばらが叫ぶ聲して、背後うしろへ走り來るものあり。その疾ときごと飛とぶがごとく、牀とこに立たてたる筑紫琴つくしことを、橫ざまに倒たふしかけて、裳もすその上へ磤はたと臥ふすを、「吐嗟あはや」とばかり見かへり給へば、是則これすなはち八房也。その面魂生平つらたましひつねならず。「こは病やまひつきたるならん。あなうたてや」、と書案ふづくゑを、掻遣かいやり立たゝまくし給ふに、犬の臥ふすとき前足を、長き袂たもとに突入つきいられて、進退特ことに不便ふべんなり。現げに十年畜育とゝせかひたてて、大きなること犢ことひに等しく、ちから剛つよかる老犬おほいぬが、壓おしになりたる事なれば、われから後方あとべに引ひきすえられて、頻しきりに人を呼よばせ給へば、專女おさめ、小扈從ここせう、女めの童わらは、應いらへもあへず走來はしりきつ、この爲體ていたらくにいよゝます〳〵、うち驚くのみ近つき得ず、引提來ひさげきたれる箒はゝきもて、席薦たゝみを鼕と々ととうち敲たゝき、「叱し々し」といひつゝおそる〳〵、追遣おひやらんとすれば、八房は、眼まなこを瞪いからし、牙きばを見あらはし、號うなれる形勢凄ありさますさまじければ、侍女們をんなばらは箒はゝきを捨すてて、逡巡あとしさりせぬものもなし。

 浩處かゝるところに義實よしさねほ、縡ことはやしらせ給ひけん、短鎗引提てやりひさげて來給ひつ、戶口とくちに立たちておそれ惑まどふ、女めの童等わらはらを叱しかり退しぞけて、遽いそがはしく進み入り、「やをれ畜生ちくせう、とく出いでよ、出いでよ〳〵」、と引提ひさげたる、短鎗てやりの石衝いしつきさし延のべて、追ひ出いださんとし給へども、八房は些ちつとも動かず、佶きつと向上みあげて牙きばを張り、ます〳〵哮たける聲凄すさまじく、噛かみもかゝらん形勢ありきまなり。義實は勃然ぼつぜんと、怒いかりに堪たへず聲をふり立たて、「理も非も得えしらぬ畜生に、ものいふは無益むやくに似たれど、愛する主しゆうをばしりつらん。しらずは思ひしらせん」、と敦圉いきまきあへず、鎗やりとり直して突殺つきころさんとし給へば、伏姬ふせひめは身を盾たてに、「やよ待まち給へ家尊大人かぞのうし。貴たときおん身をいかなれば、牛打童うしうつわらべに等ひとしうして、畜生の非を否とがめ、おん手を下くだし給ふ事、物體もつないなくは侍はベらずや。聊いさゝか思ふよしも侍れば、枉まげてゆるさせ給ひね」、といひかけて目を拭ぬぐひ給へば、義實は突つきかけたる、短鎗てやりを引ひきて挾わきはさみ、「異ことなる姬が諫言かんげんかな。いふよしあらばとく〳〵」、といそがし給へば、はふり落おつる、淚を禁とゞめ、貌かたちを改め、「いと憚はゞかりあることに侍れど、今も昔も、和やまとも漢からも、かしこき君の政事まつりこと、功あれば必かならず賞あり、罪あれば必罰かならずばつあり。もし功ありて賞行おこなはれず、罪ありて咎とがめなくは、その國亡ほろび侍りなん。譬たとひばこの犬の如き、功侍はべれども賞行おこなはれず、罪なうして罰を蒙かうむる。不便ふびんにはおぼさずや」、といふを義實聞きゝあへず、「おん身が異見甚いけんはなはだたがへり。剛敵頓ごうてきとみに滅ほろびしより、犬の爲に職つかさを置おき、食には珍饍美味ちんぜんびみを與へ、姻しとねに錦綉綾羅きんしうれうらを賜ふ。かくてもその賞なしといふや」、と詰なじり給へば、頭かうべを擡もたげ、「綸言汗りんげんあせの如しとは、出いでてかへさぬ喩たとへに侍らん。又君子くんしの一言いちごんは駟馬よつのうまも及びかたし、と聖經ひじりのふみにありとなん、物ものの本ほんにも引ひきて侍る。悲しきかな父うへは、景連を討滅うちほろぼして、士卒の餓うへを救すくはん爲、この八房を壻むこがねに、わらはを許し給ふにあらずや。假令たとひそのこと苟且かりそめのおん戲たはふれにましますとも、一トたび約束し給ひては、出いでてかへらず、馬も及ばず。かゝれば犬が乞こひまうす、恩賞おんせうは君が隨意まにまに、許させ給ふ所に侍り。渠かれ大功をなすに及びて、輒たちまちに約を變へんじ、代かふるに山海うみやまの美味うまきを賜ひ、又錦綉あやにしきの衣衾ふすまを給ふて、事足ことたりなんとせらるゝこと、もし人ならば朽くちをしく、恨うらめしく思ひ奉らん。畜生にして人にます、大功あるも、又その賞に、わらはを許させ給ひしも、皆前世みなさきつよの業報ごうほうと、思ひ決さだめつ、國の爲、彼のちの世の爲、棄すてさせ給ふ、子を生いきながら畜生道ちくせうどうへ、侶ともなはせても政道せいとうに、僞りのなきよしを、民にしらして、安らけく、豐ゆたけく治め給はずは、盟ちかひを破り約に叛そむきし、彼かの景連と何なにをもて、異ことなりて人申さんや。いと淺はかなるをうな子ごの、鼻はなの先なる智惠ちゑの海も、濁にごらねばこそなか〳〵に、深き歎なげきはこのゆゑと、心くみみてけふよりは、恩愛おんあいふたつの義を斷たちて、わが身の暇いとま給はれかし。子として親に棄すてよと乞こひ、異類ゐるいに從ふ少女子をとめこは、大千世界だいせんせかいを索たづねても、わらはが外ほかは侍はべらじ」、とかき口說くどき給ふ袖の上に、落おちてたばしる露つゆの玉、こゝへのみ來る秋なるべし。

 義實は默然もくねんと、聞きくこと每ごとに嘆息さたんして、引提ひさげし鎗やりを戞哩からりと捨すて、「嗚乎悞あゝあやまてり、あやまちぬ。法度はつとは上かみの制する所、上かみまづ犯して、下しも犯す、是大亂これたいらんの基本もといなり。われ實に八房に、姬を給ふの心なし。なしといへども云云しか〳〵と、いひつることは彼かれと我わが、口より出いでて耳に入る。藺相如りんせうぢよが勇ゆうをもて、夜光珠やくわうのたまはとりかへすとも、返しかたきは口の過とが、現禍げにわざはひの門かどに臥ふす、犬はわが身の仇あたなりき。こゝにつら〳〵來こしかたを、おもへば前象ぜんせうなきにあらず。この子が幼稚をさなかりし時、立願りうぐわんの爲潛しのびやかに、洲崎すさきの石室ほらへ參らせし、その途みちに老人あり、伏姬を見てさし招き、『この穉兒をさなこが多病なる、夜よとなく日となくむつかる事、みな惡灵あくれうの崇たゝりによる。これを委細つばらに說明ときあかせば、天機てんきを漏もらすのおそれあり。伏姬といふ名によりて、みづから曉さとらば、曉さとりも得えなん。まかり歸りてこれらのよしを、主君にまうせ』、といひしとぞ。しかるに姬は嘉吉かきつ二年、夏月伏日なつふくにちに誕生せり。因よて三伏さんぶくの義をとりて、伏姬と名なつけたる、この名につきて判はんせよとは、いかなる故ゆゑぞ、ととさまかうさま、思へども思ひ當らず、彼曹公かのそうこうが三十里を、なほ遲しとして、冷笑あざみわらひし、楊用修ようようしゆが才ある人、こゝにもあらば問とはばや、と待まつに久しき年を經て、けふゆくりなく解げし得たり。伏姬の伏ふくの字は、人にして犬に從ふ。この殃厄まがつみのあるべき事、襁褓むつきの中うちより定さだまる所欤か。名詮自性めうせんじせうといひつべし。斯かくまで執念深しうねく崇たゝりなす、灵れうを誰たれとはしらねども、試みに推おすときは、定包さだかねが妻つまなりける、玉梓たまつさなどにやあらんずらん。彼淫婦かのたをやめは主しゆうを傷そこなひ、又忠良ちうりやうを追失おひうしなへる、隱慝いんどくの聞えあり。しかれども一トたびは、命助たすけんといひて、赦ゆるさゞりける、われに寇あたなすことかなはねばや、子に憂事うきことの限りを見せて、非理の怨うらみを復かへすになん。さはこの犬は母うせて、狸たぬきが育そだてしものと聞く。狸の異名ゐめうを野猫やびやうといひ、又玉面ぎよくめんと喚做よびなせし、その玉面を和訓わくんに唱となへば、是則これすなはちたまつら也。玉つさと玉つらと、訓讀よみこゑ近きも忌ゆ々ゆしきに、心得こゝろえつかで賢さかしげに、狸といふ字は里に從ひ、犬に從ふよしあれば、里見の犬になる祥さが也、と思ひとりつゝ畜狎かひならし、寵愛ちやうあいせしこそ悔くやしけれ。現天道げにてんどうは盈みつるを缺かく。翁おきなが敎誨けうかい當れるかな。今にして百遍悔もゝたびくひ、千遍悔ちたびくふ共その甲斐かひなし。畜生の爲、子を棄すてて、恥辱はぢを遺のこさば、國あまた、討從うちしたがへて長久とことはに、百世富貴もゝよふうきを受うくるとも、何なにか樂たのしく思ふべき。面目めんぼくなし」、と理にさとき、心の限り說盡ときつくし、慚愧ざんぎ後悔し給へば、側かたへに果はべる侍女們をんなばら、慰なぐさめかねつ、なか〳〵に、はじめの怖こわさかき流す、淚は瀧のいと逼せめて、皆もろ共に泣なきにけり。

 淚なきたてられて伏姬は、苦しき痞つかえを拊なでおろし、「使つかはるゝものだにも、堪たへぬ欺なげきに淪しづむなる。況まいてや親の御みこゝろを、推量おしはかりてはわれからに、なさぬ不孝も罪重し。さりながら、一旦鬼畜きちくに伴ともなはれ、御諚ごでうに僞いつはりなきよしを、竟つひに果さば玉刻たまきはる、命はかねてなきもの、と思ひ決さだめて侍はべるなる。よに受うけかたき人の身を、受うけて生れて成長ひとゝなる、親の遺體かたみをまざ〳〵と、畜生にやは穢けがさるべき。御みこゝろやすく思召おぼしめせ」、といひかけてはや赧はなじろむ、顏を掩おほふて俯ふし給へば、義實頻よしざねしきりにうち點頭うなつき、「遖あはれめでたくいはれたり。遠く異邦ゐほうを考かむがふれば、高辛氏こうしんしの槃瓠はんこが事、よくわが今の患うれひに似たり。又干寶かんほうが搜神記そうじんきに、大古たいこのとき大人たいじんあり。遠征とほくいくさして、久ひさしく歸らず。妻は世をはやうして、只たゞひとりの女めの子こあり。年はや二八と聞えたり。又その家に牡馬をうまあり。かくて女めの子は旦暮あけくれに、親慕したはしく思ふのあまり、件くだんの馬にうち對むかひ、『汝なんぢもし父うへを、乘のせ奉りて歸り來ば、わが身をまかすべし』といふ。これを信うけてや彼馬かのうまは、絆はづなを斷たちてをらずなりぬ。扠日來經さてひころふるまゝに、果して馬は父を乘せて、還かへるとやがて嘶いなゝきて、乞求こひもとむることあるが如し。父怪あやしみて女兒むすめに問とへば、如此々々しか〳〵の事ありと答ふ。うちもおくべき事ならずとて、父は竊ひそかに馬を殺し、皮を剥はがして簷のきに掛かけたり。當下女兒そのときむすめは馬皮ばひを見て、『畜生にして人に求媾たはけし、報むくひはいかに早からずや。皮になりてもなほ吾儕わなみを、娶めとるやいかに』、と罵のゝしれば、その皮撲地はたと落おちかゝりて、女を楚しかと推包おしつゝみ、颯さと吹上ふきあぐる風とゝもに、中天なかぞらに閃ひらめき登のぼり、次つぐの日庭の桑くはの樹きに、その亡骸なきからを掛かけたりき。その屍しかばねより蟲生せうぜり、是蠶これかひこ也といふ。こは信うけがたき事なれ共、唐山もろこしには魏晉ふるくより、いひもて傳へし小說也。彼苟かれいやしくも事を命おほせて、約に背そむけるのみならず、これを殺すは人にして、こゝろ獸けものに劣れるもの也。われも一時いちじの怒いかりに乘まかして、亦また八房を殺しなば、彼搜神記かのそうしんきに載のせられたる、大古たいこの人に等しかりなん。とは思へども折のわろくて、義成氏元等には、館たての城を守れとて、いぬる比ころより彼處かしこへ遣つかはし、又貞行は長狹ながさなる、東條の城にあり。これらの外ほかは內々うち〳〵の事を相譚かたらふべうもあらず。好よくも歹わろくも心ひとつに、今はや思ひ決さだめたり。やをれ八房、はじめわれ戲たはふれに、命おほせし事も縡成ことなりて、汝なが勳績いさをし高ければ、伏姬を與あたふるなり。且しばらく退まか出でてこれを俟まて。とく〳〵出いでよ」、といそがし給へば、八房はつく〳〵と、主しゆうの氣色けしきを見とりてや、やうやくに身を起し、身ぶるひしつゝ外面とのかたへ、いと徐しづやかに出いでてゆく。

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