◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「リア王」(05) 第三幕
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リヤ王:第三幕 第一場
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第三幕
第一場 荒野。
雷電、風雨。闇夜。ケントと一紳士とが左右より出る。
ケント
誰れだ、此ひどいあらしに?
紳士
此天氣同樣、心が亂脈になってゐる者です。
ケント
あんたですか?王はどこにおいでゝです?
紳士
荒れ狂ふ雨や風と鬪っておいでゝす。風に對って、地球を海ン中へ吹き込んでしまへだの、 でなきゃ、天地を一變させるか、滅亡させるために、卷き返る海を大陸まで吹き上げッちまへだのとおっしゃって、 あの白い頭髮をば掻き毟ったり何かなさると、怒りたける烈風が暗雲のそれを攫って、 玩弄にします。つまり、王は人體の小天地で、 激しく相鬪ってゐる大天地の雨風をばないがしろにしようとしていらせられるのです。 乳の盡きた熊さへも潛み、獅子や飢ゑた狼さへも出歩き得ない如是晩に、帽子もめさんで、 走りまはって、まるで棄鉢になっておいでなさるのです。
ケント
だれかお傍にゐますか?
紳士
阿呆がゐるばかりです。やつは例の通り洒落のめして、それで以て斷腸のお苦しみを打消さうと力めてゐます。
ケント
私は貴下を善く知ってをますから、見込んで、一大事を御委託申したい。 上手に隱してゐなさるから、表面にはまだ見えないが、 オルバニーどのとコーンヲールどのとは怖ろしく仲がわるい。又、二人とも、 其忠義めかす家臣の中にゃァ、内々フランス王の間者となって、 見たことや聞いたことを細大となく彼方へ通信してゐる者があります、…… 運星のお庇で高い位に在る人たちにゃァ、兎角さういふ臣下が附いて廻るものです。…… そこで、兩公爵の口論の事から、陰謀の事から、老王に對する虐待乃至それらの根本と見做すべきあらゆる祕密までが、 とうに通信されてゐるさうです。いや、とにかく、フランス王が此内訌に乘じて攻め寄せるといふことは、事實です。 吾々の油斷を機として、既に主立った港々に上陸し、今にも軍旗を飜さうとしてゐるのです。 そこで、あんたへのお頼みはです。もし私を信じて、急いでドーヴァーまで行って、 王が何樣な不倫な取扱ひにお逢ひなされ、お氣が狂ふほどのお悲しみといふことを正しく報道して下されたなら、 必ず厚く其勞力を感謝されるお人にお逢ひなさるでありませう。私は氏も育ちも紳士です、 傳聞り及んだことがあって、あんたに此役目をお頼みします。
紳士
尚ほ篤とうけたまはりました上で。
ケント
いや、それは無用です。自分は表面に見えるよりも以上の者だといふ證據に、此財布を、 これを披いて、中の金子をお使ひなさい。 もしコーディーリャさまにお逢ひなされたら……必ずお逢ひなさるでせうから……此指輪を御覽に入れて下さい、 すれば、私が何者かといふことは其際、お話なさるでありませう。……
あらし烈しくなる。
えィ、此あらしは!王をお搜し申して來よう。
紳士
お手を。(手を振合ふ)何か外に申し殘されたい事は?
ケント
ほんの一言、併し今まで申したよりも大切な事。といふのは、王をお見附け申したなら…… あんたは其方へ、わたしは此方へ往かう……眞先に見附けた者が大きな聲で呼ぶことにしませう。
二人とも入る。
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リヤ王:第三幕 第二場
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第三幕
第二場 荒野の他の一部。
尚ほ雷電、風雨。狂憤したリヤが怒號しつゝ出る。阿呆が只一人從いてゐる。
リヤ
吹けい、風よ、汝が頬を破れ!(風の音。)荒れ廻れ!(風の音。)吹きをれやい!(大雨。) 汝、瀧津瀬よ、龍卷よ、吹け水を、風見車を溺らし、(電光。)尖り塔の頂を水浸しにしてしまふまでも! 汝、思想の如く疾く走る硫黄の火よ、 槲を突裂く雷火の前驅の光よ、 わが白頭を燒き焦がせ!(雷鳴る。)おゝ、汝、天地を震動する霹靂よ、此圓い、 厚い地球を眞平に打碎いてくれい!あらゆる造化の鑄型を碎け、 恩知らずを造るありとあらゆる物の種子を打潰してくれい!
あらします~烈しくなる。阿呆は寒いので、ぶる~顫へながら
阿呆
おゝ、小父たん、乾いてる邸の中の聖水のはうが、 此戸外の雨水よりはましだよ。小父たん、お歸りよ。 女兒さんにお祝福をしてお貰ひよ。 聰明者も、阿呆も、斯ういふ晩にゃァ悲慘だ。
リヤ
思ふ存分に吹け!(又電光。)吐け火を!(又大雨。)噴け水を! 雨も風も雷も電光も俺の女兒ではない。 汝等が如何に俺を苦しめをっても不孝不仁ぢゃとはいはぬわい。 汝等には王國を遣りもせねば、子と呼んだこともない。 汝等は俺に仕へる義務はないんぢゃ。勝手に怖ろしいことをしをれ。 俺は汝等の奴隸も同然の、見すぼらしい、弱い、見さげられた、 衰へ果てた老人ぢゃわい。さうはいふものゝ、汝等は、天の使はしめとしては、卑屈ぢゃ、 あの邪曲な二人の女兒共に合體して、此齡を取った白髮頭へ天の軍を向けるとは。 おゝ、おゝ!卑劣ぢゃわい!
あらし尚ほ激しく荒れる。
阿呆
頭を容れるだけの家の有る人は、立派な兜を有ってゐるのだ。
(節をつけて)頭の容處もまだ無いうちに、
股巾著を造らうとすれば
頭もお的も半風子だらけ。
乞食の婚禮は皆それぢゃ。
心と指とをつい取違へ、
足の指をば石のやうにすれば、
肉刺が痛うて眠られんで、
夜がな夜ッぴて泣き明かす。
何故ッて、鏡の前で變妙來な面をしない美人なんて在るもんぢゃないからなァ。
リヤ
いや~、堪忍の模範とならう。何もいふまい……何も。
尚ほ雷雨。
ケント出る。
ケント
誰れだ?
阿呆
寶冠と股巾著、といふのは、聰明者と阿呆のこッた。
ケント
やれ、まァ、こゝにお在なさいましたか?夜を好む動物でも如是晩は好みません。 此荒れに恐れて、暗をうろつく奴輩さへ、洞穴から出掛けません。 物心おぼえましてから、こんな激しい電光、こんな怖ろしい雷鳴、こんな酷い雨や風は、 曾ぞ聞いたこともございません。人間の體ぢゃ、迚もこんな苦しみや恐れにゃ堪へられません。
はげしい雷電。
リヤ
わが頭上に斯くも怖ろしい荒び廻る神々をして、其目ざす敵を見出さしめよ。恐れよ、汝、 幸ひに今日までは法網をまぬかれたれども、人の知らぬ大罪を犯したことのある惡漢よ、慄ひ戰け。 隱れよ、汝、人殺しの記憶のある奴。汝、僞誓の罪ある奴。汝、邪淫を犯しながら、 表に貞操を粧ふ奴。身の寸裂れるほどに戰慄せい、汝、うま~と人目を昏ます、 謀って人を陷れをった惡魔め、戰慄せい。ありとあらゆる隱匿よ、 汝の包み藏してをることを打開いて、此怖ろしい招喚に對して慈悲を願へ、慈悲を。 俺は、罪を犯したといふよりは、罪を犯されてをるものぢゃわい。
ケント
やれ、まァ、お帽子もめさないで?御前さま、すぐ彼處に石小屋がございます。 此あらしをお凌ぎなさるだけのことは彼處でも出來ませう。そこで暫く休んでいらせられませ。 其間に、わたくしが、あの酷薄な、石小屋とは言へ、石よりも酷薄な…… つい只今も、あなたの事を尋ねましたら、てんで入らせませなんだ……あの酷薄な家へ參って、 無理にも深切を盡させますから。
リヤ
氣が狂ひさいになった。……(阿呆に)こりゃ、小僧。どうした、小僧?寒いか?おれも寒いわい。 ……(ケントに)その藁床といふのは何處にある?……困窮といふものは不思議な法力を有ってゐて、 どのやうな穢らしいものをも貴いものになし得る。……さァ、その石小屋とやらへ。……やい、阿呆よ、 俺ァ何だかおのしが憫然でならんわい。
よろ~と倒れかゝるので、ケントと阿呆が介抱する。
阿呆
(節をつけて)小ちゃい~智慧しか無い身は、
めでたからうが、雨風吹こが、
運に機嫌を任さにゃならぬ、
雨が毎日降らうとも、雨が。
リヤ
其通りぢゃ。……さァ~、其小屋とやらへ案内せい。
リヤがケントに案内されて一方へ入る。
阿呆
淫亂な女だって貞女になりさうな結構な晩だ。(觀客に對って)引ッ退む前に、預言を仕りませう。
僧侶が行爲よりも言葉を先きにするやうになれば、
釀酒屋が水で麹を茶々にするやうになれば、
貴族たちが裁縫師を教へるやうになれば、 賤婦の旦那は無事、邪宗信者ばかりが燒かれるやうになれば、
訴訟の判決は悉皆正しいといふやうになれば、
借金する侍もなく、貧乏な武士もないやうになれば、
惡口といふものが舌に上らなくなれば、
巾著切が雑沓へ來なくなれば、
高利貸が野原で金を算へるやうになれば、
伎夫や淫賣が教會堂を建てるやうになれば、……
はて、然る時には、此大英の王領が大騷動と相成りませう。
其時こそは、誰れが存へてゐて、それを見るか知らんが、
不思議千萬の時節と相成ります、……
(物體ぶって)歩くには必ず脚を使ひます。
此預言はマーリンどんがする筈です。私は彼男よりも前代の者ですからね。
矛盾を極めた駄洒落ゐ竝べながら、惡身をしてふざけつゝ阿呆入る。
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リヤ王:第三幕 第三場
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第三幕
第三場 グロースター居城内の一室。
グロースターと共にエドマンドが出る。
グロー
あゝ、あゝ、エドマンド、わしは斯ういふ不孝な所行は好かん。 王をおいたはり申したさに、許可を乞はうとしたところ、公爵夫婦は、壓制にも、 我が邸を專領して、若し王の爲に辯解したり、歎願したり、 乃至如何樣にでも助けいたはらうとしたならば、永久に勘氣を命ずるぞといふ宣告ぢゃ。
エドマ
何て亂暴な、無法な!
グロー
さァ~。何もいふまい。……兩公爵が不和となられた上に、 まだそれよりも惡い事が起りかゝってゐる。俺は今夜一通の書面を受取ったが、 それを口外するのは危險ぢゃ。その書面は、俺の居間に、錠をおろしてしうまうておいた。 王が受けられた此侮辱は、今に、みッちり返報される時が來よう、 もう既に一部の軍勢が上陸したんぢゃ。俺は王のお身方をせねばならん。 これから王をお搜し申して、内々でお助け申さう。そなたは公爵と話をしてゐてくれい、 俺の擧動を勘づかれんために。もし何處へ往ったと問はれたら、氣分が惡うて寢たと言へ。 これが爲に一命を失ふとも……さう申し渡されてゐのぢゃが……久しい御君主の王は、 是非ともお助け申さねばならん。エドマンドよ、いろんな竒怪な事が起りかかってゐるわい。 よいか?ぬかるまいぞよ。
グロースター入る。
エドマ
禁制の忠義三昧を、今に公爵が勘附くに相違ない、又、其手紙のことも。 こいつァ好い勳功になるらしいわい。親父の失するその一切の財産が、 俺の有になる。老年が倒れると、青年が頭を持ち上げる。
エドマンド入る。
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リヤ王:第三幕 第四場
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第三幕
第四場 荒野。石小屋の前。
尚ほ雷雨。ケントがリヤを案内して出る。阿呆も從いて出る。
ケント
こゝでございます。御前さま、お入りなされませ。野原の夜のあらしにゃ、迚も人間の身體は堪へられません。
リヤ
うッちゃっとけ。
ケント
御前さま、こゝへお入りなされませ。
リヤ
おのれ、おれの心を裂かうとしをるか?
ケント
寧そ私の心が引裂きたうございます。……まァ~、お入りなされませ。
リヤ
おのしは、此大あらしに肌膚を襲はれる位ゐの事を偉いことのやうに思ひをるか? おのしには然うもあらうが、大きな苦痛に取ッ附かれてをる場合には、 小さい苦痛なぞは感じないわい。荒熊を怖がるは人情ぢゃが、行手に鳴り渡る海があれば、 熊の口に立ち對ふのが習ひぢゃ。心が安樂な時には身體が孱弱いが、 胸に大あらしが荒れてをる時分には、感じるは心の苦悶ばかりぢゃ、 外には何の感じもないわい。……子として親の恩を思はんとは!口へ食物を運ぶ手をば、 其口が噛み切るやうなものぢゃ。……が、屹と今に罰してくれう。いゝや、もう泣きゃせんわい。
雨がはげしく降って來る。
こんな晩に閉め出すとは!降れ~。なに、これしきに。……このやうな晩に?おゝ、リーガン、ゴナリル! 汝等の齡を取った、慈愛ぶかい父を、惜氣もなく、有ッたけを與れてやったものを…… おゝ、そんな風に考へると氣が狂ふ。さう思ふのは止めう。もう~そんなことは思ふまい!
ケント
御前さま、ま、こゝへお入りなされませ。
リヤ
どうぞ、まァ、おのし入って休んでくれ。此あらしが無からうものなら、もっと~胸苦しからうに、 此あらしが紛らかしてくれる。……が、俺も入らう。……(阿呆に)入れ、小僧。先きへ入れ。…… あゝ、住む家も無い貧乏人ども……(阿呆に)いゝや、おのし入れ。俺は祈祷をして、それから眠よう。……
阿呆が先きに石小屋の中へ入る。あらしは尚ほつゞく。
あゝ、世上の著る物もない憫れな貧乏人ども、今、何處にゐるにせい、こんな酷い暴風雨に遭ふて、 頭を容れるだけの家もなく、飢ゑて脇腹は骨立ち、著る物は寸裂れ開いて、肌膚も露はな ……如何して汝等はかういふ氣候を凌ぐぞ?おゝ、今日が日まで其點に心が附かなんだわい! ……驕奢に耽ける徒輩よ、悟りをれ。世の不幸な者共に同感し得るために、 雨風に身を曝し、おのれの有り餘るものを貧乏人共へ撒き與へて、天道の是なることを世人に知らせい。
エドガ
(石小屋の中で、しゃがれた聲で)一尋半だい、一尋半だい!あはれなトムでござい!
阿呆があわてゝ小屋から逃げて出る。いかにも物おぢをしたといふ體である。
阿呆
小父たん~、入っちゃ不可い、化物がゐる、化物が。助けてくれ、助けてくれ!
ぶる~ふるへてゐる阿呆をケントが庇って
ケント
こッちへ來な。(小屋に對って)誰れだ、そこにゐるのは?
ケント
やい、其藁の中で唸ってゐる汝は何だ?出て來い!
尚ほ雷雨。狂人に假粧してゐるエドガーが、腰だけに古ゲットを卷き、殆ど裸體で、 棒を持って出る。
エドガ
あッちへ去け!あゝ、惡魔めが尾いて來をる!風が吹きます茨の中を。ふむ! 寢床へ入って暖たまれ。
リヤ
(エドガーをつく~゛眺めて)何もかも女兒共へ遣ッちまったか汝は? それでそんなになったか?
エドガ
誰れが何をくれるぞい憫れなトムに?トムをば惡魔めが、 火の中や焔の中や渡や渦卷や澤や沼ン中を引ッ張り廻しゃァがって、 枕の下へ庖刀を容れといたり、床几に首縊繩を載せといたり、 鬻の中へ殺鼠藥を入れたり、高慢な心を起させて、 四インチしかない橋の上を鳶色のよた~馬で渡らせたり、それ、惡黨が來たといって、 自分の影法師と走りッくらをさせたりしやァがる。……
あらしつゞく。
こなたの五つの智慧をお守り下されませい!トムは寒うござります。おゝ、どで、どで、どで。 神さま、お守りなされませい、こなたには旋風が當らんやう、星にも魔物にも祟られんやうに! あはれなトムに施物を遣って下さい、惡魔めが窘めまする。そら、今おれが取捉へてくれる。 そら、其所だ。そら、また、そら。
棒を持ってあちこちを叩き廻る。尚ほ風雨。
リヤ
え、女兒共の所爲で、かういふ窮境に陷ったか? 汝は何も殘しておくことが出來なんだか?何もかも與れてしまうたか?
阿呆
さうぢゃないよ、ケットだけ保存いたわな、あれが無かったら傍の者が赧い顏をせにゃならんわ。
リヤ
人間の不埒を罰するために、此空中に漂ふありとあらゆる疫毒よ、 汝の女兒共の素頭の上に降りかゝれ!
ケント
彼れには女兒はございません。
リヤ
默れ、虚言者!不孝な女兒でもなければ、 人間がこんなあさましい有樣になる筈がないわい。
此前からエドガーは荊棘などで以てわれとわが腕や股を刺すことある。 (ベドラムといふ狂人を收容しておく處から出る物貰ひは、 常にさういふ爲草をして世人に憫れみを求めたのであった。) リヤはつく~゛その振舞ひを見てゐて
あんな風におのが肉體を酷く扱ふのは、子に棄てられた父親の定習なのか? 正當な懲罰ぢゃわい!塘鵝娘を生んだのは、此肉ぢゃによって。
エドガ
ピリコクがピリコク山に棲止った。 アロー、アロー、ロー、ロー!
阿呆
どいつも、こいつも、如是寒い晩にゃ、阿呆か狂人になッちまはァ。
エドガ
惡魔の御用心々々!親逹の言ふことを善う聽かっしゃい、約束を正直に守らっしゃい、誓言をすまいぞ、 主のある女を犯すまいぞ、常綺羅道樂をすまいぞよ。トムは寒うござります。
リヤ
おのしは元は何ぢゃ?
エドガ
お侍よ。へん、ゐばり返ってゐたもんだ。先づ、前髮は縮れさせる、帽子にゃ手袋を附ける、 奧樣の御内意次第、折々暗いこともする。誓言は口から出任せ、それを又、天道さまの前で、 おほッぴらに破ってのける。寢る前にゃァ女を引ッ掛けることを考へ、起きりゃァそれを實行する。 酒は大好き、博奕は好物、女と來ちゃァトルコ陣人そこのけ、輕薄で、早耳で、殘忍で、 懶惰なことァ豕、狡猾なことァ狐狼のやうに大喰ひ、狂ひ出すと犬、 手荒いことァ獅子。なァ、靴音や絹ずれに現を拔かして、女ッ子に甘く見られなさんな。 賣淫屋へは足を、腰卷へは手を、證文へは筆を入れないやうにして、 屹と惡魔を追ッ拂ひな。風が吹きます荊棘の中を! 絶えず吹きます寒風が。スワム、マム、ノンニー、と言やァがらァ。 小僧やい、ドーフィンやい。セッサ!歩かせろい。
あらしが尚ほつゞく。
リヤ
墓へ入ったはうがましぢゃ汝は、其裸體を如是激しい雨風に曝すよりは。 あゝ、人間は斯くの如きものに外ならんか?ようあの男を見い。汝は、蟲にも絹も借りず、 獸に皮も借りず、羊に毛も借りず、猫に麝香をも借りてをらん。 やッ?こゝに外面を飾っり拵へてゐるものが三人居るわ。 汝は有りのまゝぢゃ。著飾らん人間は、汝のやうな見すぼらしい、赤裸々の、 二本足の動物たるに過ぎんのぢゃ!とッちまへ~、此借物を!さァ~、此釦をはづしてくれ。
王が被服を引裂くやうにして脱ぎ棄てようとするを阿呆が止めて
阿呆
小父たん、まァ、お止しよ。今夜は泳ぐには不可い晩だよ。 ……廣い野原へ小ぽけな火ぢゃァ多淫老爺の心臟と來てゐる、火花が些少、 外は身體中冷え切ってゐらァ。(一方を指して)御覽よ、あそこへ火が歩いて來た。
遠方にグロースターの携へて來る把火が見える。
エドガ
ありゃフリバチヂベットだ。宵の鐘が鳴ると歩き出して、一番鷄が啼くと去ってしまふ。 底翳にするも、斜視にするも、兎脣にするも彼奴だ。 白小麥を黴させるのも蚯蚓を殺すのも彼奴だ。
(節をつけて)ウィゾールドのお上人さまが、
三度お山でお出逢ひなさる、
夢魔と九頭の其使はしめ、
待てと一聲、
以後訓誡めて、
去ろ、魔法使ひ、去ろ、やんれ!
ケント
(王に)もし、どうなされました?
グロースター把火を持ちて出る。
リヤ
誰れぢゃ彼れは?
ケント
どなたです?お前がたの名前は?
グロースターが把火をさしかざすので、顏を見られてはならぬと、 エドガーは急に横を向いたり、俯向いたりして
エドガ
あはれなトムでござい、トムは雨蛙や蝦蟆や蝌斗や壁虎を食ふ、 螈をも食ふ。惡魔めが荒れると、トムは狂人のやうになって、生菜の代りに牛糞を食って、 老鼠や死んだ犬を嚥下にする、溜り水の青藻を飮む、 十軒屋から十軒屋へ追ひたてられ、足枷を掛けられる、酷い目に逢はされる、牢へ入れられる。 背中にゃ三枚、シャツは六枚、馬にも騎れば劍もさげ……
(節をつけて)されども七年このかたは、
鼷鼠や小鼠が
トムの檀那のお食料。
おれにゃ憑物が附いてるぞ、用心しろ。叱々、スモルキンめ!叱々、どう惡魔め!
グロー
はれ、やれ、こんな輩共の外に、お侶はないのでござりますか?
エドガ
黒闇の王さんはお歴々だよ。モドーとおっしゃるんだ、マヒューともいはァ。
グロー
御前、血を分けた者までが、近時はあさましい振舞ひを致します、 生んだ親さへも憎う思ひまする程に。
エドガ
(顏をそむけて)トムは寒うござります。
グロー
私と一しょにあちらへ入らせられませい。忠義を存じますれば、 お令孃のがたの酷い御命令に順うてはをられません。門を閉ぢて、 あなたさまを此夜の大あらしに曝け出しておけといふ嚴命でござりますが、私はそれに關はず、 あなたをお搜し申して、火や飮食物の在る處へ、御案内しようとて參りました。
リヤ
いや、先づ、此哲學者と一問答しよう。……(エドガーに)雷鳴の原因は何ぢゃ?
ケント
御前さま、あの方のおっしゃる通りになさいまし、家の在るところへいらっしゃいまし。
リヤ
予は此博學なシーブス人と一言まじへたい。……(エドガーに)お前さんは如何いふことを專門になさる?
エドガ
惡魔の先を越して、南京蟲を殺すんで。
リヤ
お前さんに、内々で、一言たづねたいことがある。
ケント
(グロースターに)もう一度お勸め申してごらんなさいまし。お氣が狂ひかけたやうでございます。
グロー
狂ふが無理ない。
あらし尚ほ續く。
現在の女兒たちが殺さうとする。あゝ、あのケント伯爵!きッと斯うなるとあの仁がいうた、 氣の毒な追放の身となったケントが!……(ケントに)王はお氣が狂うたとお前はいふが、 予みづからも殆ど氣が狂うてゐる。予に一人の倅がある、 今は勘當してしまうたが、其奴が予を殺さうとしをった、つい先だって、つい此間。 予は其奴を、世の親々には例の無いほど、可愛がってゐたのぢゃ。 實の事をいふと、其悲嘆の爲に予の心は亂れた。
あらし尚ほ續く。
何といふ晩ぢゃこれは!……(リヤに近づいて)恐れながら……
リヤ
おゝ、失禮ぢゃが……(エドガーに)大先生、貴下にお話がある。
エドガー
(顏をそむけて)トムは寒うござります。
グロー
(エドガーに)やい、汝は其處の石小屋の中へ入れ。暖かにしてゐろ。
リヤ
さァ~、みんな入らう。
と石小屋の中へ入らうとするをケントが止める。
ケント
もし~、こッちへいらっしゃいまし。
リヤ
いや、彼れと一しょなら。……俺はあの先生と一しょにゐたい。
ケント
(グロースターに)お氣に逆はんがようございます。彼奴をお伴れなさいまし。
グロー
(王に)其奴をお伴れなされませ。
ケント
(エドガーに)やい、來い、一しょに來いよ。
リヤ
さァ~、アセンズの先生。
グロー
(皆々に)默って、默って!叱!
エドガー
(節をつけて)暗黒城にぞ著きにける。
轟きわたる其聲は
モゝンがー!モゝンがー!
ブリトン人の血の香がするぞよ。
グロースターが把火を揮り輝らして先きに立つ。と皆々從ひて入る。
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リヤ王:第三幕 第五場
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第三幕
第五場 グロースターの居城。
コーンヲールとエドマンドと出る。エドマンドは其父を裏切って、密書をもコーンヲールに渡さうとするのである。
コーン
此邸を離れる前に、此返報を致してくれう。
エドマ
(悲しさうに)子の道に背いて忠義を盡しましたのですから、どんなにわるく言はれるかと、 幾らか心配になります。
コーン
今となって解った、お前の兄貴があの老人を殺さうとしたのは、必しも惡心ゆゑとばかりはいはれん、多分、 相當な理由があって、老人の方に何か恕しがたい惡いことがあったからであらう。
エドマ
(半獨白のやうに)何て意地のわるい運命だらう、正しい事をしながら悔んでゐなけりゃならんといふのは! (書面をコーンヲールに渡して)これが父の噂しました密書でございます、これによりますと、 父はかね~゛フランス王に内通してをったらしう見えます。……おゝ、天よ、こんな謀叛もなく、 自分で其告訴人となるやうなこともなかったのならなァ!
コーン
夫人の許へ來て下さい。
エドマ
其書中の事が事實でありますりゃ、容易ならんことが身の上に差迫ってをるのでございます。
コーン
其實否は兎も角もだ。襃美には、お前をグロースター伯爵に敍します。 親父の居所を突止めて來なさい、すぐ捕縛の出來るやうに。
エドマ
(傍白)王をいたはってゐる所を見附けでもすりゃ、一段と嫌疑が固くなる道理だ。 ……(コーンヲールに)あくまでも忠義の道を守りまする、忠と孝の鬪ひが何樣に苦しうございませうとも。
コーン
わしはまたお前を信じて、子に於ける父以上の愛を與へるであらう。
二人とも入る。
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リヤ王:第三幕 第六場
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第三幕
第六場 城から程遠からぬ農家の一室。
ケントとグロースターが出る。王、阿呆、エドガーもついて出る。グロースターの案内で、 ともかくも屋蓋のある小屋の中へ入ることを得たのである。
グロー
あの荒野原よりはましぢゃ。有りがたく思ふたがよいて。 何とかしてお安樂にならせらるゝやうに工夫しませう。すぐ戻って來ますわい。
ケント
お智慧の力のありッたけがお癇癪に負けてしまひました。……どうも御苦勞さまでございます!
グロースター急いで入る。
エドガ
(地に耳を押附けて何者をか聽く振をして)フラテレットが俺を呼んで、ニーローが、今、 地獄の湖水で釣をしてゐると言ってら。……(阿呆に)おい、耳無しさん、 祷んな、惡魔に取ッ附かれんやうに。
阿呆
(リヤに)教へとくれ、ねえ、小父たん、狂人は都武士かい?田舎侍かい?
リヤ
王ぢゃ、王ぢゃ!
阿呆
いんにゃ、田舎侍だい。其息子が都武士だよ。 さうだらうぢゃないか、自分を後廻しにして息子を都武士にするのは狂人だからなァ。
リヤ
(憤激して)千萬の惡鬼羅刹に、眞赤に燒けた鐡串を持たせて、彼奴らの喉笛目がけて……
エドガ
あゝ、惡鬼羅刹が來て、俺の背中を噛む。
阿呆
狼を仁慈いと思ったり、馬を強健だと思ったり、 小童の戀や賣女の誓言を眞實にする奴は狂人だ。
リヤ
さうしてくれる。すぐさま召喚してくれう。……
此時、リヤは左右を見廻し、ふとそこに二脚の古床几のあるのを見て、幻覺で、 それをゴナリルとリーガンが裁判廷へ呼び出されてゐるのだち思ひ込む。
リヤ
(エドガーに)さァ、其許は此處にお坐んなさい、最も博學なる裁判官どの。…… (阿呆に)賢明なる其許は此處にお坐んなさい。……さァ、おのれ、牝狐めら!
エドガ
あれ~、あそこに惡魔めが突立って睨んでゐる!奧さん、お前さん目が無いかい、裁判所ぢゃァ?
阿呆
(節をつけて)おぢゃれ、ベッシや、河を越しておぢゃれ。……
船が洩ります、ぢゃによって、妾ゃ往かれぬと、
いふにいはれぬ胸のうち。
エドガ
惡魔めが鶯のやうな聲をして哀れなトムに附き纒ひまする。ホップダンスはトムの下ッ腹で、 白い生の鯡を與ろッてわめきまする。吠えるない、黒惡魔め、 汝に與る食物は無いや。
ケント
(王に)どうなさいました? そんなに呆れて立っていらっしゃいますな。ちッとお横になって、蒲團の上でお休みになりませんか?
リヤ
いや、まづ、吟味せう。……證人ゐ呼びいれい。……(エドガーに)禮服御著用の裁判官どのには、 お席に著かせられい。……(阿呆に)さて、其許、御同僚には、其傍の床几に。 ……(ケントに)其方は委員ぢゃな、其方も其處に。
ケント
公平に扱ひ遣はす。
(節をつけて)眠てか、起きてか?牧羊者どのよ。
ぬしの羊が麥畑荒らす。
ちッちゃい口から一吹きお吹きゃれ、
羊に害なんかありゃすまい。
ニャァウー!その猫は灰色でござい。
リヤ
先づ、あの女めを糾問せい。あれはゴナリルぢゃ。名譽ある方々の面前に於て、誓言の仕りまする、 彼奴めは、現在の父王を足蹴にかけました。
阿呆
奧さん、こゝへいらっしゃい。お前さんはゴナリルさんですか?
リヤ
否といふ筈はない。
阿呆
ですかい、御免なちゃい。俺はまたお前さんを疉床几かと思った。
リヤ
こゝにもう一人をりまする。その捻くれた面附が、如何いふ根性の奴かを宣言してをりまする。 ……や、留めてくれ、それ、其女を!警護の者は居らんか、武噐を、劍を! 此法廷には賄賂が行はれる、賄賂が!やい、不正不義の裁判官、何故あの女を逃しをった?
エドガ
五つのお智慧をお守りなされて!
ケント
あゝ、お氣の毒な!……(リヤに)御忍耐を如何なされました、平生決してなくせんというて、 御自慢なされた其忍耐を如何なされましたぞ?
エドガ
(傍白)お氣の毒で、涙がこぼれて、もう迚も僞裝しきれなくなった。
リヤ
小犬どもまでが、どいうつも、こいつも、ツレーも、ブランチも、すヰートハートも、 悉皆俺に吠ぇ附きゃァがる。
リヤは夥しい犬共に取卷かれたといふ幻覺を起し、怖じ恐れて、 あちこちと逃げ廻る。エドガーはさすがに見かねて
エドガ
此トムが引受けて追ッ拂ってくれる。……こら、あッちへ去せろ、畜生ッ!
(節をつけて)黒でも、白でも、汝等が口で、
咬んだりゃ牙に毒がある。
唐犬、獵犬、雜種犬、
牝でも、牡でも、リム、スパニエル、
ぶッきら尻尾も、捲いたのも、
トムが鳴かさいでおくものか!
そら見ろ、斯うして放り出しゃ、
犬めは半戸を飛んで逃げた。
エドガーは郡犬を逐ふ擬態をして、藁の帽子を向こうへ投げる。
どででででで。セッサ!さァ~、祭へ往かう、市へ、買出し場へ。…… あゝ、トムよ、お前の面桶はもう空虚だよ。
リヤ
では、リーガンめの解剖を願ひませう。彼奴の心には抑如何なるものが生育いたすか、 それが取調べていたゞきたい。あゝいふ酷薄な心が釀し出す原因が、何か特に有るものでござるか? ……(エドガーに)其方を予が百人武士の一人に召抱へる。 たゞ其服制が氣に入らん。其方は、これはパーシャ式ぢゃとでもいふであらうが、更へて貰ひたい。
ケント
御前さま、お横になって、ま、暫くお休みなさいまし。
リヤ
靜かにせい、靜かに。暖簾を引け。さう、さう、なう、朝の間に夕食をすまさう。
阿呆
そんなら、俺ァ晝の間に寢よう。
リヤ横になる。
此時、グロースターが急いで戻って來る。
グロー
(ケントに)こゝへ~。……王は何處においでなさる?
ケント
こゝにいらせられます。が、そッとしておゝきなされませ。お正氣を失っておいでなさいます。
グロー
お前さん、どうか王を抱き起してあげて下さい。お命を取らうといふ計画があることを漏れ聞いた。 舁床を準備して參ったによって、それへお臥し申して、 急いでドーバーまで落ち延びて下さい、あちらへ往けば、歡迎も、保護も得られる。 早う我が君をば抱き起して下さい。もう半時間ぐづついてゐると、王の命も、おぬしの命も、 お助け申さうとする者一同の命も無い。早う抱き起して、抱き起して、予に從ひてござれ、 路用其他を渡す場所へ案内するから。
ケント
(眠ってゐるリヤを見て)疲れ果てた時には眠られる。此一睡であなたの荒びた神經が幾らか和げられるでもあらう。 かういふ便宜がなかったら、到底、療治が屆かんも知れん。……(阿呆に)さァ~、 手を貸して御主君を抱き上げてくれ。お前も後に殘してはゆかれん。
グロー
さァ~、あッちへ~。
ケントとグロースターと二人がかりでリヤ王を抱き上げ、介抱して入る。阿呆もつゞいて入る。 エドガーが只一人殘って
エドガ
目上の人逹が、こちとら同樣の難儀をするのを見ると、身の不幸を、 強ち怨めしいとも思はん。たッた一人で難儀をするのが最ち辛い、 安樂や愉快を後に殘して。が、悲嘆にも伴があり、難儀にも侶がありゃァ、 大概の苦痛が忘れられる。俺の苦痛は今日は輕くなっって堪へいゝ、 俺の苦しみを王もまた苦しんでゐなさると思やァ。王は子の爲、俺は親の爲に!…… トムよ、さ、彼方へ!此騷動の成行を見てゐて、讒言が正しい證據の爲に破られて、 汝が故通りの身分になれる時が來たら、名宣って出ろ。…… どうか、今夜は、此上何事が起らうとも、王がお恙なうおのがれなされるやうに!……かくれろ~。
エドガーも入る。
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リヤ王:第三幕 第七場
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第三幕
第七場 グロースターの居城。
コーンヲール、リーガン、ゴナリル、エドマンド及び從者ら大勢出る。
コーン
(ゴナリルに)急いで早馬でお歸りあって、オルバニーどのへ此書面をお見せなすって下さい。 フランスの軍勢はもう既に上陸したのです。……(從者に)謀叛人のグロースターを搜し出して參れ。
從者のうち一二人入る。
リガン
すぐに絞り首になさい。
ゴナリ
目をゑぐり取ったがよい。
コーン
處分は吾等にお任せなさい。エドマンド、お前さんは姉上に御同伴なさい。謀叛人たるお前の父に對して、 只今嚴罰を下さんとするのを、子として見てゐるのは穩かでない。オルバニー公の許へ參ったら、 大火急に手配りをささるやう勸めて下さい。われらも同時に手配りを致さうから。早飛脚を以て、 迅速に事情を傳へ合ふことにしよう。……(ゴナリルに)姉上、ごきげんよろしう。 ……機嫌よう、グロースターどの。……
オズワルド出る。
どうだ?王は何處においでなさる?
オズワ
グロースターどのがお伴れ出しなされました。お附きの武士たち三十五六人、 必死と王のお行方を搜してをりましたが、大木戸の邊で、王にお目にかゝりまして、 グロースターどのゝ御家來衆二三名と共に、王のお侶をしまして、 ドーワ゛ーの方へ落ちて行きました。ドーワ゛ーには武裝した身方が大勢あると申し觸らしてをります。
コーン
お内方に馬を參らすがいゝ。
ゴナリ
(コーンヲールに)さやうなら、御機嫌よろしう!妹、ごきげんよう!
コーン
エドマンド、きげんよう!……
ゴナリル、エドマンド及びオズワルド入る。
(從者に)謀叛人のグロースターを搜して來い。窃盜同樣に縛りあげて、予の面前へ伴れて參れ。……
從者一兩人入る。
正式の裁判をせんで、死刑に處するのは不當だが、腹の立つ場合には、權力の濫用も是非に及ばん。……
グロースターが二三人の者に引ッ立てられて出る。
や、だれだ?叛賊めか?
リガン
恩知らずの狐老爺め!彼奴ですよ。
コーン
縛り上げろ、其枯乾びた腕を。
從者ら立ちかゝる。
グロー
如何なされまする手前を?お二人とも善うお考へ下さい、貴下がたはお客人でござりますぞ。 非道なことをなされますな。
コーン
えィ、ふんじばれといふに。
大勢が立ちかゝってグロースターを縛る。
リガン
きつく、もっときつく。……おゝ、さもしい、穢い謀叛人めが!
グロー
ても、もぎだうな奧方!謀叛した覺えなぞはござらん。
コーン
その椅子へ縛りつけろ。……奴隸め、今に見をれ!……
大勢にてグロースターを椅子へ縛りつける。とリーガンが立ちよってグロースターの鬚の一部を握んで引拔く。
グロー
神々にも御照覽下され、此鬚を毟り取るとは、餘りといへば、無法な、無慚な!
リガン
こんな眞白な鬚をしてゐながら、謀叛をしをるとは!
グロー
非議非道の奧方、こなたが、此頤から毟り取った其鬚が、一筋一筋生き返ってこなたをば呪はうぞよ。 こなた逹は客、わしは主人ぢゃ、其主人の生面を、 強盜同樣の暴力を以て、此樣に辱しめるとは無法千萬!……如何しようとなさるのぢゃ?
コーン
さ、言へ、汝が最近フランス王から受取った書面といふのは、如何いふ書面だ?
リガン
眞直に白状せい、證據はもうあがってゐる。
コーン
最近上陸した謀叛人共と汝の間に、如何いふ陰謀が成立ってるのか?
リガン
狂人王を誰れの手へ渡した?申せッ。
グロー
謎のやうな書面をば受取りました。けれども、それは、何方へ心を寄するともない者からでござります。 敵方からぢゃござりません。
コーン
たくんだな。
リガン
そら~゛しう。
コーン
王を何處へやった?
グロー
ドーワ゛ーへ。
リガン
何の爲にドーワ゛ーへ?豫てさやうなこと致すに於ては……
コーン
何の爲にドーワ゛ーへ?……先づ、其返答をさせるがいゝ。
グロー
(決心の思入れで、獨白的に)杭に縛りつけられたからは、犬責めにも遭はねばならん。
リガン
何の爲にドーワ゛ーへ遣った?
グロー
されば、お前が、其殘忍な爪で、あのお氣の毒な老王の御兩眼をゑぐり取るのを見るに忍びんからぢゃ。 又、あの猛惡なお前の姉めが、野豬のやうな牙で以て、 神油を塗った王のお身體を貫きをるのを見るに忍びんからぢゃ。 黒闇地獄の暗のやうな小夜中に、 王が其素肌にお受けなされたあのやうな暴雨に遭ふては、大海だっても空に逆卷き、 星の火を消したであらうに、お氣の毒や、王は寧そ手傳ふて雨をお降らしなされた。 よし狼でも、あんな手ひどい晩には、若し門口で唸ってゐたら、 「門番よ、入れてやれ、平生の惡い事を差許して」と言はっしゃらねばならん所ぢゃ。 併し、今に見ようわい、かういふ不埒な子供らに、天罰の下るのを見ようわい。
コーン
何の見させるものか!……やい、其椅子をしっかり持ってろ!……
從者ら立ちかゝってグロースターを椅子に縛りたるまゝ押附へてゐる。 コーンヲールは立ちよって
おのれ、其眼を踏みにじってくれう。
グロースターの一眼をゑぐり取り、地に抛って足で踏みにじる。
グロー
齡を取るまで生きてゐたいと思ふ者は助けてくれい!……おゝ、殘忍な!おゝ、神々!
リガン
かた~だけでは見っともない。そッちの目も。
コーン
おのれ、天罰の下るを見るなぞと吐しをれば……
コーンヲール再びグロースターに立ちかゝる。從者の一人(甲)が見かねて横合から躍り入って支へる。
從の甲
まゝ、お止まりなされませ!私は幼少から御奉公いたしましたが、只今おとゞめ申しますのが、 此上も無い忠義と存じまする。
リガン
何をする、畜生ッ!
と從者の一に立ちかゝって撲つ。
從の甲
(リーガンを睨んで)お前さんに鬚があったら、其分にゃ濟されないのだが。……
コーンヲールが劍を拔きかける。
何をなさるのです?
コーン
うぬ、奴隸の癖に?
コーンヲールが劍を拔いて突きかゝるのを引ッぱづして
從の甲
さういふ氣なら、さァ、お敵手になりませう。腹を立ちゃ容赦はございませんぞ。
と甲も拔き合せて、鬪ふ。皆々驚き騷ぐ。其中にコーンヲールは手を負ふ。 リーガン氣を揉む。
リガン
其劍を、こッちへ。……
他の從者(乙)の劍を引ッ奪って
農奴め、これでも、見事?
從者の甲を其背後から突く。
從の甲
おゝ、やられた!……
從者の甲倒れながら、グロースターに
もし殘ってる目で御覽なさいまし、あなたの當の仇敵に、手傷を負はせてやりました。……おゝ!
從者の甲息絶える。
コーン
汝、もう何も見ることの出來んやうに。……
グロースターの躍りかゝって、又、其一眼をゑぐり取り、地に抛って踏みにじる。
うぬ、穢はしい煮凝汁め!さァ、何處か光るところがあるか?
グロー
眞闇で、眞闇で、何一つ心の慰むものも見えん!我が子のエドマンドは何處にをるぞ? エドマンドよ、有る限りの孝子の情を奮ひ起して、此怖ろしい惡行の復讐をしてくれいやい!
リガン
だまれ、二心の惡黨め!汝が呼び立てる其エドマンドは汝を嫌ひ憎んでゐる。 汝の二心を吾々へ訴へ出たのはエドマンドなのだ。 彼れは汝を憫然に思ふやうな惡人ぢゃないわい。
グロー
おゝ、おろかであったわい!ぢゃァ、エドガーは讒言に遭ふたのぢゃな。神々さま、ゆるして下され、 彼奴を幸福にしてやって下されませ!
リガン
大木戸の外へ此奴を突き出し、ドーワ゛ーへ往きたくば、鼻で嗅ぎ嗅ぎ行けいと言へ。……
一從者がグロースターを引ッ立てゝ入る。此時コーンヲールは手疵の痛みに惱む。
(コーンヲールに)どうなさいました?まァ、其顏の色は?
コーン
手を負った。さ、從ひてお出なさい。……(從者らに)盲目めを叩き出してしまへ。 ……其奴は塵埃溜へ放り込め。……リーガンどの、おそろしく血が出る。 惡い時に創を受けた。腕を借して下さい。
リーガンに介抱されてコーンヲール入る。
從の乙
俺ァ如何な非道な事だッてする氣にならァ、あんな人が平氣で榮えるやうなら。
從の丙
あの女が長生きして、人竝みに往生するやうなら、女は悉皆化物になッちまはァ。
從の乙
グロースターさまのお後を尾ッてって、何處へ往かっしゃらうと、手引にベドラムでも頼んであげよう。 ベドラムめは、ぶらつくが持前の狂人だから、どんな案内でもするだらう。
從の丙
さうさっせい。俺は麻と鷄卵の蛋白とを取って來て、 あの血だらけの顏を如何かしよう。さァ、神さま、あの方を助けてあげて下さい!
左右に別れて入る。

