南総里見八犬伝(005)

南総里見八犬伝巻之二第四回
東都 曲亭主人 編次
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「白箸河しらはしがはに釣つりして義実よしざね義士ぎしにあふ」「里見よしさね」「堀内貞行」「杉倉氏元」\「金碗かなまり孝吉たかよし夜よる里人さとひとをあつむ」「金まり八郎」

小湊こみなとに義實義よしさねぎを聚あつむ
笆內かきのうちに孝吉讐たかよしあたを逐おふ。

 卻說義實主從かくてよしさねしゆうじゆうは、此こゝの池、彼川かしこのかはと、淵ふちをたづね、瀨せに立たちて、途みちより途みちに日を消くらせば、白濱しらはまの旅宿りよしゆくへかへらず、ゆき〳〵て長狹郡ながさのこふり、自箸河しらはしかはに涉獵あさるほどに、はや三日にぞなりにける。日數ひかずもけふを限りと思へば、こゝろ頻しきりに焦燥いらだつのみ、獲えものは殊ことにありながら、小鯽こふなに等しき鯉こひだにも、鈎はりにかゝるは絕たえてなし。千劒振神ちはやふるかみの代よに、彥火々出見尊ひこほほでみのみことこそ、失うせにし鈎はりを索もとめつゝ、海龍宮わたつみに遊び給ひけれ。又浦嶋うらしまの子は堅魚釣かつをつり、鯛釣たひつりかねて七日まで、家にも來こずてあさりけん、例ためしに今も引く絲の、紊みだれ苦しき主從は、思はずも面おもてをあはして、齊一嗟嘆ひとしくさたんしたりけり。

 浩處かゝるところに河下かはしもより、聲こゑ高やかに唄うたひつゝこなたを望さして來るものあり。主從これを見かへれば、最蓬いときたなげなる乞兒かたゐ也。什麼そもいかなる打扮いでたちぞ。ふり亂みだしたる髮かみは、春の末黑すぐろの芒すゝきの如く、掻垂かきたれたる裳ものすそは、秋の浦による海松みるに似たり。手ともいはず、顏ともいはず、あやしき瘡かさのいできたる、人の皮膚はだヘはなきものをや。熟じゆくせる茘枝れいし、裂さけたる柘榴ざくろ、巨ふりたる蟇ひきの脊そびらといふとも、かくまではあらじかし。さても命は惜をしきものかな。世に疎うとまれ、人に嫌きらはれても、得死えしなざりける。うち見ても忌いま々しきに、渠かれは何なにとも思はざるにや、底斜そこなゝめなる面桶めんつうをうち鳴らし、訛だみたる聲して唄うたふを聞けば、

〽里見えて、〳〵、白帆しらほ走らせ風もよし。安房あはの水門みなとによる舩ふねは、浪なみに碎くだけず、潮しほにも朽くちず、人もこそ引け、われもひかなん。

くり返かへしつゝ來る程に、やがて河邊かはべに立たちとゞまり、彼人々かのひとひとの釣するを、つく〴〵とうち見てをり。流るゝ膿血うなぢの臭くさければ、主從しゆうじゆうは鼻を掩おほふて、「とく逝いねかし」、とおもふものから、乞兒かたゐは立たつこと久ひさしうして、近くよりつゝひとり〳〵に、笠かさの內をさし覗のぞき、「あな刀袮とのばらの釣つりざまこそこゝろ得ね。或あるひは鯽ふな、或あるひは蝦えび、鈎はりを呑のむをば皆捨すてて、何なにをか獲えまく思ひ給ふ」、としば〳〵問とはれて氏元は、已やむことを得ず頭かうべを回めぐらし、「否いなわが欲ほりするものは鯉こひ也。他魚あだしうをは好このましからず。無益むやくの殺生せつせうせじと思へば、一ッもとゞめず放せし」、といふを乞兒かたゐは聞きゝあへず、腹を抱かゝえてうち笑ひ、「こゝにて鯉を求もとめ給ふは、佐渡さどにして狐きつねを訊たづね、伊豆大嶋いづのおほしまに馬を問とふより、なほ勞して功なき所爲わざ也。いまだ聞召きこしめされずや。安房一國あはいつこくには鯉を生せうぜず、又甲斐かひにも鯉なしとぞ。是これその風土ふうどによるもの欤か。又一說に、一國十郡いつこくじうぐんならざれば、彼魚かのうをはなきもの也。波巨はきよの冠くわんたるものなればといへり。そのなき物を求め給ふは、實に無益むやくの殺生ならん」、とあざみ傲ほこりつ、掌てを拍うちて、又呵々かやかやとうち笑へば、義實おぼえず竿さをを捨すて、「現巨魚げにこぎよは地中ちゝうに生せうせず、大鵬たいぼうは燕雀えんじゃくの林に遊ばず。われいかなれば世を狹せばみ、天高けれども跼せくゞまり、地は厚あつけれども蹐ぬきあしして、安房一郡の主ぬしにすら容いられず。然さるを喩たとへを龍たつに取り、今いま又鯉に久後ゆくすゑを、思ひよせしは愚癡ぐちなりき。元來もとより鯉はこの地方ところに、なしとしりつゝ釣つりせよ、といひつる人の心の底は、濁江にごりえながら影見えて、ふかき伎倆たくみと今ぞしる。もしこの乞兒かたゐに逢あはざりせば、彼毒計かのどくけいにあてられなん。危あやうかりし」、と今更に、只管驚嘆ひたすらきやうたんし給へば、乞兒かたゐはこれを慰なぐさめて、「さのみ悔くやしく思ひ給ふな。陸奧みちのくにも鯉はなし。彼處かしこは五十四郡ぐんなり。しかれば鯉の生せうすると、生せうせざるとはその國郡くにこふりの、大小によるもの欤かは。かゝれば一國いつこく十郡ぐんに充みたざれば、鯉なしといふものは、牽强附會けんけうふくわいの臆說おくせつならずや。十室とかどの邑むらにも忠信ちうしんあり。譬たとへば里見の御曹司おんぞうし、上毛かみつけに人となりて、一个國いつかこくを知るによしなく、この處に漂泊ひやうはくして、膝ひざを容いるゝの室いへなき如し」、といふに主從しゆうしゆう目を注くはして、乞兒かたゐの顏をうち熟視まもる。

 そが中に義實は、うち聞每きくごとに嘆息たんそくし、「人は形貌かたちによらぬものかな。汝なんぢが辨論乞兒べんろんかたゐに似ず。楚その狂接輿きやうせつよの類たぐひなる欤か、又彼光明皇后かのくわうめうくわうぐうに、垢あかを掻かゝせし權者ごんじやの類たぐひ欤か。固もとより吾われをしるもの欤か。その名を聞きかまほしけれ」、と訝いぶかり給へば、莞然につこと咲えみ、「こゝは人の往還繁ゆきゝしげかり。誘いぎ給へ」とて先に立たてば、主從はなほ訝いぶかりながら、遽いそがはしく竿さををおさめて、後あとに跟つきつゝゆく程に、小松原こまつはらの鄕さと近き、山蔭やまかげに誘引いざなひて、おのが脊そびらにうち被きたる、菰こもを脫ぬぎて塵ちりうち拂ひ、樹下このもとにうち布しきて、義實を居すえまゐらすれば、氏元と貞行は、夏草を折敷をりしきて、主しゆうの左右についゐたり。

 當下乞兒そのときかたゐは逡巡あとしさりして、恭うやうやしく額ぬかを著つき、「いまだ見參げんざんに入いれるものに候はねば、不審いぶかしと思召おぼしめしけん。これは神餘長狹介光弘じんよながさのすけみつひろが家隸いへのこに、金碗八郞孝吉かなまりはちらうたかよしと呼よばれしものゝ、なれる果はてにて候かし。金碗は神餘の一族、歷々れきれきたる武士なれ共、庶子しよしたるをもって家臣となりぬ。しかれども老臣の第一席に候ひしが、某それがしはやく父母ふぼを喪うしなひ、年なほ廿はたちに充みたざれば、その職しよくに堪たへずとて、このときに微祿びろくせられて、僅はつかに近習きんじゆに使つかはれたり。かくて主君の行狀ぎやうでうよからず、色を好み、酒に荒すさみ、側室玉梓そばめたまづさに惑溺わくできして、後堂こうだうの內を出いでず、佞人定包ねいじんさだかねを重用ちやうようして、賞罰せうばつを任まかせしかば、これより家則かそくいたく紊みだれて、神は怒り、人はうらめり。その危あやうきこと鷄卵とりのこを、累かさねたるに異ことならねども、老黨ろうだうは祿ろくの爲に、その非をしりつゝこれを諫いさめず、民はおそれて訴へず。君はみづから法を犯おかして、これを曉さとるによしなければ、某頻それがししきりに面おもてを犯おかして、爭ひ諫いさむれどもそのかひなし。比干ひかんが肝きもを刀尖きつさきに串つらぬき、伍子胥ごししよが眼まなこを東門とうもんに掛かくるまで、しばしば諫いさめて用ひられずは、死しなばや、と思ひ候ひしが、つく〴〵と思ひかへせば、臣として君きみの非をいふ、その罪も又輕かろからず。大厦たいかの覆くつがへらんとするときに、一いち木ぼくいかでかこれを拄さゝえん。身退しりぞくより外ほかなし、と既に深念しあんを決さだめしかば、那古七郞なこのしちらう、天津あまつの兵內ひやうないといふ、兩個ふたりの同僚どうやくにのみ、志こゝろざしを吿つげしらせ、妻子やからなき身の心やすさは、夜よに紛まぎれて逐電ちくでんし、上總かづさへ赴おもむき、下總しもふさへうち越こえ、上野下野かみつけしもつけいへばさら也、陸奧みちのくの盡處はてまでも、旅より旅に日を彌わたる、便著たつきには做得ならひえたる、劍術拳法けんじゆつやわらの師範しはんと呼よばれて、是首ここに半年はんねん、彼首かしこに一季いつき、またぬ月日もたつとしなれば、はや五年いつとせを經ふるまゝに、故主こしゆうの安否あんひ心もとなく、今茲竊ことしひそかに上總かつさまで、還かへりしことは奈麻餘美なまよみの、甲斐かひこそなけれ主家しゆうかの滅亡めつぼう。皆定包さだかねが逆意ぎやくゐに起りて、杣木朴平無垢三等そまきのぼくへいむくざうらが、獵箭さつやに命を隕おとし給ふ、と聞きゝつるときは腸斷離はらわたちぎれ、骨も碎くだくる心持こゝちせり。件くだんの朴平無垢三は、父がときより生育おひたゝせ、年來としごろ使ひし私卒わかだうなりき。彼等もをさ〳〵わが家いへの、劒法けんじゆつを傳受でんじゆしつ、侠氣をとこぎなるものなれば、農家の子には生れても、畊耘たがやしくさきる事を好まず、いつ〳〵までもと思ひけん、某それがしに棄すてられて、又土民どみんにはなりたれども、苛法からきはつとの苦しさに、主しゆうの仇あた、身の讐あたなる、定包を射て殺さん、と思ふ矢坪やつぼをはかられて、うたてき所行わざをしてけり、と推量おしはかれば猶怨なほうらみても、怨倦うらみあかぬは彼逆賊かのぎやくぞく。狙擊ねらひうたんと思へども、面おもては豫かねて見しられたり、近づくべうもあらざれば、晉しんの豫讓よじやうに做ならひつゝ、身に漆うるしして姿を窶やつし、日每ひごとに瀧田を俳徊はいくわいして、閒まなく時なく窺うかゞへ共、露つゆばかりも便りを得ず、怪しむ人のなきにあらねば、且しばらく彼處かしこを遠離とほざかりて、この處へ來る程に、よに隱れなき巷ちまたの風聞ふうぶん、里見冠者義實さとみのくわんじやよしさねぬし、結城ゆふきの屯たむろを脫のがれ來て、麻呂安西まろあんさいをたのみ給へど、彼かの人々は能のうを忌いみ、才さえを媢ねたみてこれを用ひず、剩言あまつさへことを設まうけて、殺さんと計はかれるよし、不思議に耳に入るといへ共、君に吿つげなん因よすがはあらず。一トたび御名みなを聞きゝしより、只嬰兒たゞみどりこが垂乳母たらちめを、慕したふ心持こゝちはするものから、そは何處いづこにとうちつけに、人に問とふべきことならねば、胸のみ苦し。しかはあれど、いかでめぐりもあはんとて、彼此をちこちとなく呻吟さまよひつゝ、けふはこゝにとしら箸はしの、河邊かはべに來くれば釣する刀祢とのばら、他鄕たけうの人とおぼしきに、人表骨相平人にんひやうこつがらたゞひとならず。親しく見えても禮儀れいぎに稱かなふ、その爲體ていたらくは主從しゆうしゆう也。これぞ正まさしく彼君かのきみならん、と推量おしはかれども白地いさゝめに、いひよるよしも渚漕なぎさこぐ、蜑あまが舟歌ふなうたに擬なぞらへて、事情ことのこゝろを述のべたりし。何なにとか聞きかせ給ひけん。里見えて〳〵とは、里見の君を得て歡よろこぶ、民の心を表ひやうしたり。白帆しらほ走らせ風もよしとは、白帆しらほは源家げんけの旗はたをいふ。こゝに義兵ぎへいを揚あげ給はゞ、威風いふうに靡なびかぬ民草たみくさなし、といへるこゝろを隱したり。安房の水門みなとへよる舩ふねは、浪なみに碎けず、潮しほにも朽くちず、人もこそひけ、われもひくとは、荀子しゆんじに所云いはゆる君は舩ふね也。君今漂泊いまひやうはくし給ひて、麻呂安西等らに忌嫌いみきらはれ、難義なんぎにおよび給へども、國人くにうとなべて贔屓ひきたてまつれば、竟つひにおん身に恙つゝがなく、瀧田たきた、館山たてやま、平館ひらたてなる、剛敵ごうてきを、うち平たひらげ給はん、と祝しゆくしてかくは諷うたへる也。今義ぎに仗よりて籏はたを揚あげ、猛にはかに瀧田へ推寄おしよせて、定包さだかねが罪をかぞへ、短兵急たんへいきうに攻せめ給はゞ、一擧いつきよして城を落おとさん。彼賊既かのぞくすでに誅伏ちうふくして、平郡長狹へぐりながさを取とり給はゞ、麻呂安西等は討うたずも倒たふれん。先さきにするときは人を制し、後おくるゝときは征せいせらる。とく〳〵思ひたち給へ。彼城かのしろは如此々々しかしか也、箇樣々々かやうかやう」、と地理要害えうがいを、手にとるごとく述のべしかば、氏元も貞行も、よに憑たのもしき心持こゝちして、頻しきりに耳を側そばだてたり。

 かゝりけれども義實は、その議に從ふ氣色けしきなく、「いはるゝ所われには過すぎたり。謀はかりごとよしといふとも、寡くわをもて衆しゆうに敵しがたし。況いはんやわれは浮浪人ふらうにんなり。何を因よすがに躬方みかたを集あつめん。今只たゞ主從三四人ン、瀧田の城を改せめんとせば、蟷蜋いぼじりむしが斧たつきを楊あげて、車くるまにむかふに異ならず。及およびがたし」、と辭いろひ給へば、金碗かなまり八郞小膝こひざをすゝめ、「いふがひなく見え給ふものかな。大約二郡おほよそにぐんの民百姓たみひやくせう、彼逆賊かのぎやくぞくに虐しへたげられ、怨骨髓うらみこつずいに徹とほるといへども、權けんに壓おされ、威ゐにおそれて、且しばらく渠かれに從ふのみ。人として義によること、草木くさきの日影ひかげに向ふがごとし。君今こゝに孤獨こどくを辭ぢせず、神餘じんよが爲に逆を討うち、民の土炭とたんを救すくはんとて、一トたび籏はたを揚あげ給はゞ、蟻ありの蜜あまきに聚つどふが如く、響ひゞきの物に應するごとく、皆歡よろこんで走集はせあつまり、仁義じんぎの軍いくさに命を擲なげうち、生いきながら定包が宍しゝむらを啖くらはん、と願ねがはざるもの候はんや。孝吉物たかよしものの數かずならねども、計略はかりことをめぐらして、衆人もろひとを集合つどへんこと、掌たなそこをかへすより易やすかり。計略はかりことは箇樣々々かやうかやう」、と閒まちかく寄よりて密語さゝやけば、義實は「有理げにも」と應いらへて、はつかに點頭うなつき給ふにぞ、側かたへに聞きける氏元等は、「奇なり。奇なり」、と感嘆たんせうして、又さらに孝吉を、とさまかうさまうち熟視まもり、「惜をしいかな金碗どの、忠義ちうぎの爲とはいひながら、皮膚はだへは瘡かさに包つゝまれて、つや〳〵人の面影おもかげなし。さでは躬方みかたを集あつむるに、しる人ありとも、名吿なのるとも、それとは思ひかけざるべし。もしその瘡かさの頓とみに愈いゆる、良藥りやうやくなくは不便ふべんの事也。藥劑くすりもがな」、と慰なぐさむれば、孝吉聞きゝて袖そでを掻揚かきあげ、「故主こしゆうの爲には身もをしからず。遂つひに廢人かたはとなりぬとも、彼逆賊かのぎやくぞくを滅ほろぼさば、望のぞみは既に足たりなんものを。わが爲による軍兵ぐんひやうならねば、面影おもかげは變かはるとも、露ばかりも妨さまたげなし。必懸念かならずけねんし給ふな」、といひつゝ腕かひなをかき附なづれば、義實且しばらく沈吟うちあんじ、「志はさもありなん。さりとて愈いゆる瘡かさならば、愈いやすにますことあるべからず。漆うるしは蟹かにを忌いむもの也。されば漆を掻かく家にて、もし蟹かにを烹にることあれば、漆ながれてよらずとなん。よりて思ふに、今その瘡かさは、漆の毒に觸ふれたるのみ、內より發いできしものならぬに、蟹かにをもてその毒を解とかば、立地たちどころに愈いえもやせん。用ひて見よ」、と宣のたまへば、孝吉その智に感佩かんはいして、遂つひに又是これを推辭いなまず。「この浦曲うらわには蟹かに多かり。いかで試こゝろみ候はん」、とことうけまうす折をりもよし、蜑あまの子どもが頭かうべのうへに、魚藍ふごを載のせつゝ來にければ、貞行氏元遽いそがはしく、「こや〳〵」と呼よびとゞめ、「何なにぞ」と問とへば蟹かに也けり。「あな愛めでたし」、と笑えみながら、遣のこりなく買かひとるに、その數かず三十あまりあり。義實はこれを見て、「箇樣かやうにせよ」、と敎をしえ給へば、孝吉はこゝろ得果えはてて、その半なかばは生いきながら、甲こうを碎きて全身みうちにぬりつ。そが閒ひまに貞行等らは、腰なる燧ひうちをうち鳴らし、松の枯枝かれえを折燒をりたきて、殘れる蟹かにを炙あぶりつゝ、甲を放はなち、足を去さりて、孝吉に與あたふるを、ひとつも殘さず腹ふくせしかば、さしも今まで臭くさかりし、膿血うなぢは乾かはき、瘡痂かさふたは、只掻たゞかく隨まゝに脫落こぼれおちて、大かたならず愈いえにけり。現揭焉げにいちじるき藥の效驗こうげん、神佛孤忠しんぶつこちうを憐あはれみて、かゝる奇特きどくを示すに似たり。「奇き也〳〵」、と氏元は、貞行もろ共縱たてに見つ、橫にながめて嘆賞たんせうし、「あれ見給へ」、と指ゆびさせば、孝吉は馬蹄迹うまざくりの、溜水たまりみづを鏡かゞみにして、わが面影おもかげをつく〴〵と、見つゝ感淚かんるいを禁とゞめあへず、「皮膚はだへはつゞける處もなく、掻亂かきみだせし瘡かさは、今立地たちところに愈いえたる事、文武ぶんぶの道に長たけ給ふ、良將りやうせうの賜たまものなり。名醫めいゐは國を醫ゐするとかや。某それがしが身ひとつは、屑ものゝかずにも候はず。亂れし國をうち治おさめ、民の苦艱かんくを救ひ給はゞ、眞まことにこよなき仁術じんじゆつならん。此このところは麻呂安西が、采地れうぶんに候はねば、よしや限れる日を過すぐす共、彼等もせんすべなからん欤か。さりとて猶豫ゆうよすべきにあらず。嚮さきに密語さゝやきまうせしごとく、はやく彼處かしこへ赴おもむき給へ」、と叮嚀ねんころに勸すゝめつゝ、蓬おどろの髮を掻かきあげて、髻短もとゞりみじかに引結ぶ、腰には繩なはの帶おびながら、隱してもてる匕首あひくちを、さして往方ゆくへは小湊こみなとの、浦曲うらわ迥はるかに誘引いざなひぬ。
さる程に、金碗八郞孝吉かなまりはちらうたかよしは、里見主從に鄕導みちしるベして、小湊こみなとへ赴おもむけば、夏の日ながらはや暮くれて、廿日はつかあまりの月はまだ、待まつとしなれば出いでやらず、只誕生寺たゞたんぜうじの鐘かねの聲、僂かゞなふれば亥ゐの時なり。さてもこの小湊なる、高光山こうくわうさん誕生寺は、敢川村あへかはむらのうちにあり。日蓮上人出生にちれんせうにんしゆつせうの地なるをもて、日家上人開基につかせうにんかいきして、一宇いちうの精舍せうしやを建立こんりうし、誕生寺と名なづけたり。かくてぞ良賎渴仰りやうせんがつこうし、僉みなこの檀那だんなとなりしかば、法門長久はうもんとこしなへに繁昌はんぜうす。俗よにいふ上總かつさの七里法華しちりほつけ、安房七浦あはなゝうらの經宗きゃうしうとて、大かた題目宗だいもくしうなれども、就中長狹郡なかについてながさのこふりは、祖師そし誕生の地なればにや、筍且かりそめにも他宗たしうをまじへず、偏固へんこの信者多かりける。

 されば金碗孝吉は、豫かねて計はかりしことなれば、且里人等まづさとひとらを衆つどへんとて、誕生寺のほとりなる、竹叢たかむらに火を放かけたり。させる燃草もえくさならねども、野干玉ぬばたまのくらき夜よなれば、火氣忽地くわきたちまちに天そらに衝のぼりて、梢こすゑの宿鳥立騷ねとりたちさわぎ、法師ばらは撞木しゆもくを早めて、鐘を撞つくことしきりなり。かゝりし程に彼此をちこちなる、里人等は驚き覺さめて、門かどの戶推開瞻仰とおしあけあふぎみて、「すはわが寺に事こそあれ。起おきよ、出いでよ、と罵のゝしりつゝ、里人は棒ぼうを引提ひきさげ、莊客ひやくせうは農具を携たづさへ、漁夫舟人れうしふなおさ、祢子ねこも釋氏しやくしも、おの〳〵先を爭ふて、喘々あへぎあへぎ走り來つ、と見れば寺は恙つゝがなく、其處そこを去ること兩三りやうさん町、人もかよはぬ竹薮たかやぶのみ、果敢はかなくも燒やけたるなり。夜よは靜しづかにして風吹かず、里遠とほうして小舍こいへもなければ、人僉みな走り聚つどひし比ころ、火は大かたに鎭しづまりて、鐘も音せずなりしかば、衆人もろひと更さらに呆あきれ惑まどひて、鉢卷はちまきにせし手拭てのごひを、解ときつゝ汗あせをとるもあり、「これはいかなる白徒しれものか、うたてき所行わざをしたるぞや。野火のびのすさりてうつりし欤か。斯かうとはしらず可惜宵あたらよを、人も我われも起おこされて、迩ちかきは十町、遐とほきは三四里り、飛ぶがごとくに走り來て、減へらせしうへに立腹たつばらの、やるかたなきをいかにせん」、「さりとてさせる事なきは、歡よろこぶべき筋すぢならずや」、といはれて咄どっと笑ふもあり、しうねく罵のゝしるものも皆、集合つどひし優まゝに憩いこひてをり。

 當下そのとき金碗孝吉は、燒殘やけのこりたる薮蔭やぶかげより、咳しはぶきしつゝ立出たちいづれば、衆皆齊一みなみなひとしくこれを見て、「人か、鬼か」、とばかりに、且かつ驚き且かつ呆れて、「あれよ〳〵」、といふ程に、孝吉は手を抗あげて、「衆人もろひとあやしむことなかれ。われは甲夜よひより此このところに、伱達なんたちをまつもの也」、と喩さとせば更にと見かう見て、「原來正さてはまさなき所行わざをして、俺們われわれを迷まよはせし、白物しれものは彼奴かやつ也。打うてよ。括くゝれよ」、と鬩ひしめくを、騷がず軈やがて進み寄より、「緣由ことのよしを吿つげざれば、しか思はるべきことながら、故ゆゑなくこゝに火を揚あげて、伱達なんたちを集合つどへんや。名吿なのりをせん」、と推鎭おししづめ、「その國亂れて忠臣ちうしんあらはれ、その家艱なやみて孝子出づ。志こゝろざすことあればこそ、かくは浮世うきよに隱笠かくれがさ、みのざま窶やつれ果はてたれば、それとは思ひかけぬなるべし。われは舊もとの國主こくしゆに任つかへし、金碗かなまり八郞孝吉なり。曩さきには君を諫いさめかねて、心ならずも身退しりぞき、旅宿たびねに年を經たれども、舊恩きうおんいかでか忘わするべき。逆臣定包さだかねを擊うたん爲、潛しのびて故鄕こけうに立たちかへり、名を變かえ、姿を窶やつしつゝ、をさ〳〵隙ひまを𫁖ねらへども、人衆おほければ天に捷かつ、讐あたは三里の城に居ゐて、萬人まんにんの從類じゆうるいあり。豫讓よじやうが劒つるぎを橋下きやうかに磨とぎ、又あるときは忠光たゞみつが、眼まなこを魚鱗ぎよりんに覆おほへどもかひなし。さりとて平館ひらたて、館山たてやまなる、麻呂安西は心蓬きたなく、逆に與くみして恥はぢとせず。古主こしゆうに舊交きうこうありといふとも、これらに機密きみつを吿つげがたし。形あぢきなき世を憤いきどほり、墓はかなきこの身を恨うらむるのみ。愸なまじいに現身うつせみの、息いきの內こそ術すべなけれ、死しての後のちに灵れうになりて、遂つひに怨うらみを復かへさんには、腹はらを切らん、と思ふ折、里見冠者義實さとみのくわんしやよしさねぬし、結城ゆふきの寄手よせてを殺脫きりぬけて、白濱しらはまに漂泊ひやうはくし、安西等を賴み給ふに、彼等は忌いみてしばしも留とゞめず、箇樣々々かやうかやうに言ことを設まうけて、殺さんとせしかども、縡こといまだその期ごに至らず。われはからずも白箸しらはしの、河畔かはべに行ゆきあひ奉り、忽卒あからさまに物いひかけて、竊ひそかに試み奉るに、彼君かのきみ年なほわかしといへども、言語應對仁げんぎよおうたいじんあり義ぎあり、實に文武の良將也。大約結城おほよそゆふきに籠こもりし武士、或あるひは擊うたれ生拘いけどられ、恙つゝがなきは稀まれなるに、主從しゆうしゆう不思議に虎口こゝうを脫のがれて、こゝに漂泊し給ふこと、わが身ひとつの幸さちならず、彼かの逆賊定包に、年來としごろいたく虐しへたげられ、しのび〳〵にうち欺なげく、伱達なんたちが福さいはひならずや。はやく彼君かのきみに從ひまゐらせ、定包を滅ほろぼさずは、是則賊民これすなはちぞくみん也。一國なべて餘殃よわうを受うけん。國の爲に逆を討うち、義に仗よるものは良民りやうみん也。ながく土炭とたんを脫まぬかれて、子孫必餘慶かならずよけいを受うけん。今このことを吿つげんとするに、言ことは必洩易かならずもれやすし。ひとり〳〵にいふよしなければ、已やむことを得ず火を揚あげて、この篁たかむらへ集會つどへたり。こは苟且かりそめのことならず」、と叮嚀ねんごろに說示ときしめせば、僉歡みなよろこびてもろ手を拍うち、「こよなく窶やつれ給ひしかば、面影を認みしれるものも、金碗どのとは思ひかけず、よしなきことをいひつるかな。不禮はゆるさせ給へかし。素もとより智もなく才さえもなく、蟲に等ひとしき俺們われわれなれども、誰たれか國主こくしゆの舊恩を忘るべき。誰たれか定包さだかねをうらめしく思はざらん。憎しと思へどちから及ばず、勢ひ當あたりがたければ、月日つきひはこゝを照てらさずや、とうち欺なげきて候ひし。しかるに里見の君の事、誰たれとはなしに風聲ふうぶんす。素姓すせうを問とへば源家げんけの嫡流ちやくりう、世に又罕まれなる良將也、と聞きゝつる日より慕したはしく、おの〳〵足を翹つまたてて、渴望かつぼうせざるものもなし。夏の日よりも苛酷いらひどき、ゑせ大領たいれうに病やみ萎しぼむ、民草たみくさを憐あはれみて、こゝに軍いくさを起し給はゞ、誠まことに國の大幸たいこうなり。孰たれか命を惜をしむべき。冀こひねがはくは金碗どの、これらのよしを申給へ」、と辭ことばひとしく應いらへしかば、孝吉後あとべ方を見かへりて、「其處そこにて聞きかせ給ひけん。はや縡成ことなりて候」、と呼內おとなひまうせば義實は、氏元貞行を將いて薮蔭やぶかげより、徐々しづしづと進み出いでて、衆人もろひとにうち對むかひ、「われこそ里見義實なれ。亂みだれたる世は殊更ことさらに、弓箭ゆみやとる身のならひとて、修羅鬪場しゆらとうぢやうに奔走ほんさうし、矢傷ししやうの鳥となるものから、惡木あくぼくの蔭かげには憩いこはず。さりとて民たみの父母ふぼたるべき、その德絕たえてなしといへども、人倘もしわれを捨すてじとならば、われ亦またその議によらざらんや。譬たとへば千里せんりの駿馬ときうまも、その足なければ走りがたく、萬里ばんりに羽はを振のす、大鵬たいぼうも、翼つばさなければ飛とぶことかなはず。われは孤獨の落武者おちむしやなれ共、今衆人もろひとの佐たすけを得たり。遂つひになすことなからずやは。さはれ瀧田は剛敵ごうてきなり。馬物具ものゝぐ整とゝのはず、兵粮ひやうらうの貯たくはへなくは、佻々かろかろしく進みかたし。こはいかにして可かならん」、と問とはれて衆皆面みなみなおもてをあはし、「現げにしかなり」、とばかりに、霎時回答しばしいらへはせざりけり。そが中なかに、村長むらおさとおぼしくて、老おいたるもの兩三人、班むれをはなれてすゝみ出いで、「寔まことに御諚ごぢゃうで候へば、聊愚按いさゝかぐあんを申スなり。凡長狹およそながさ一郡は、定包が股肱こゝうの老黨ろうたう、萎毛酷六しへたげこくろくがあづかりにて、東條とうでふに在城ざいせうせり。こゝを去ること遠からず。且縡まづことの手あはせに、酷六を擊うち給はゞ、物具兵粮ものゝぐひやうらういへばさら也、一郡忽地たちまちおん手に入りなん。かくて瀧田を攻せめ給はゞ、進退しんたい自由に候はずや」、と言委細ことつばらかに吿つげまうせば、義實感嘆かんたん大かたならず、頻しきりに左右を見かへりて、「おの〳〵あれを聞きゝたるか。野夫やぶにも功者こうのものありとは、この叟等おきならをいふべきなり。奇きを出いだし、敵をはかるは、神速すみやかなるにますものなし。今宵直こよひすぐさま推懸おしかけて、彼處かしこに備そなへなきを擊うたん。箇樣々々かやうかやうにせよかし」、と謀はかりことを示しめし給へば、孝吉等はこゝろを得て、氏元貞行もろ共に、聚合つどひし村民たみを數かぞふれば、一百五十餘人いつひやくごじうよにんあり。迺すなはちこれを三隊みてにわけて、謀はかりことを傳つたふれば、僉歡みなよろこびて令げぢを承うけ、手に物なきは篁たかむらなる、巨竹おほたけを伐きりとりて、竹槍たけやりとして挾わきはさむ。その一隊ひとては四十餘人、堀內貞行これを將いて、假に金碗孝吉かなまりたかよしを縛いましめつゝ、先陣に進すゝみけり。これ則すなはち義實の、計略はかりことによればなり。後陣ごぢんは則すなはち五十人、杉倉氏元大將たいせうたり。中軍ちうぐんは六十人、義實みづから將せうとして、二隊ふたては間徑こみちより遶めぐり出いで、城の正門おほてのほとりにて、一隊ひとてにならん、といそがしたり。
さる程に、東條には、定包さだかねが目代もくだいなる、萎毛酷六郞元賴しへたげこくろくらうもとより、「小湊こみなとの火を鎭しづめよ」とて、甲夜よひには夥兵くみこを出いだせしが、火ははや減きえつ、里遠き、野火のびなるよしを傳聞つたへきゝて、夥兵くみこは途みちよりかへりつゝ、再寐またねの夢を結ぶ程に、曉あけがたちかくなりにけり。浩處かゝるところに人夥ひとあまた、正門おほての城戶きどを敲たゝくにぞ、門卒かどもるつわものは駭おどろかされて、「誰たそ」と問とへば、小湊なる、敢川あへかはの村長等むらおさらが、盜賊ぬすびとを捕へしとて、牽立ひきたてて來つる也。緣故ことのもとを尋たづぬれば、「さン候甲夜よひの閒まに、誕生寺たんぜうじの竹薮たかやぶなる、野火のびを滅けさんとする程に、癖者くせものを捕とらへたり。力量早技面魂りきりやうはやわざつらたましひ、凡庸よのつねのものにあらず。軈やがて出處しゆつしよを責問せめとへば、只罵たゞのゝしりて實じつを得吐えはかず。しる人ありてまうすやう、渠かれは舊もとの國主こくしゆに仕つかへし、金碗八郞孝吉といふものなり。古主こしゆうの讐あたを復かへさんとて、姿を窶やつし、名を變かえて、月ごろ瀧田を徘徊はいくわいせし、縡分明ことふんみやうに顯あらはれたり。こは輕かろからざる罪人つみひとなるに、もし過失あやまちして走はしらせなば、後難遁こうなんのがるべうもあらず。よりて曉あくるをまたずして、大勢たいぜいして將いて參りぬ。これらのよしを申シ給へ」、と聲高やかに訴うったへけり。そのとき門卒かどもるつわものは、窓推開おしひらき、つら〳〵見て、「よくこそしたれ。霎時等しばしまて、まうして入れん」、と應いらへあへず、戶を引立ひきたてて走り去さり、此彼これかれにや吿つげたりけん、且しばらくして瓦落々々ぐわらぐわらと、閂くわんぬきの音戞がらめかして、角門くゞりもんを推おしひらき、「皆とく入れ」、と呼入よびいるれば、縛いましめられたる態ふりをして、先に進みし孝吉は、索なはをはらりと揮解ふりほどき、左方ゆんでに立たつたる兵士つわものが、刀の鞆つかに手を掛かけて、引拔奪ひきぬきうばふて磤はたと砍きる、刃やいばの光もろ共に、頭かうべは飛とんで地に落おちたり。思ひかけなき事なれば、「こは狼藉らうぜきや」、とばかりに、慌忙あはてふためく兵士つわものを追立おつたて進む貞行は、孝吉等に力を勠あはして、薙倒なぎたふし、砍拂きりはらひ、無人鄕ひとなきさとに入いるごとく、はや二にの城戶きどへ攻せめつけたり。そが閒まに莊客們ひやくせうばらは、大門だいもんを推おしひらき、鬨ときを咄どつと揚あげしかば、氏元と一隊ひとてになりて、溝端ほりばたちかく寄よせたりける、義實これを聞きゝあへず、「時分じぶんは今ぞ、圖づをぬかすな。すゝめ進め」、と令げぢし給へば、衆人何もろひとなにかは勇いさまざらん。軈やがて合あはする鬨ときの聲、勢潮いきほひうしほの涌わくごとく、驀地まつしくらに走入はせいりて、一二の城戶きどをうち破り、「狗黨くたうの萎毛しへたげ、とく出いでよ。里見冠者さとみのくわんしや義實ぬし、この地に歷遊れきゆうし給ひしを、衆人推もろひとおして主君と仰あふぎぬ。されば逆賊定包さだかねをうち滅ほろぼし、國の汚穢けがれを掃はらひ給ふ、仁義の軍いくさに誰たれか敵せん。そのゆくところ、過よぎるところ、老弱簟食壷醤ろうにやくたんしこせうして、これを迎奉むかへたてまつり、只今縡ことの手あはせに、まづこの城を獻たてまつりぬ。先非せんひを悔くやしく思はんものは、降參こうさんして頸くびを續つげ。惑まどひをとらば玉石ぎよくせきと、もろ共に碎けなん。出いでよ〳〵」、と喚よびかけて、縱橫無㝵じゆうわうむげに捲立まくりたつれば、城兵ぜうひやうます〳〵辟易へきゑきして、防ぎ戰たゝかはんとするものなく、冑かぶとを脫弓箭ぬぎゆみやを棄すて、僉みな拜伏して命を乞こひぬ。


「笆内かきのうちに孝吉たかよし酷六こくろくを撃うつ」「金まり大輔」「しへた毛こく六」

 かくて里見義實は、刃やいばに衅ちぬらずして、東條の城を乘取のつとり、賊將萎毛酷六ぞくせうしへたけこくろくを索たづね給ふに、「渠かれははや落亡おちうせて、その往方ゆくへをしらず」といふ。義實聞きゝて眉根まゆねをよせ、「彼かのもの漸愧後悔ざんぎこうくわいし、志こゝろざしを改あらためて、けふよりわれに從はゞ、われ舊惡きうあくを咎とがめんや。然さるを無明むめうの醉醒えひさめず、いちはやく逃亡にげうせし事、固もとより惜をしむに足らねども、直たゞに瀧田へ遁にげかへりて、定包に吿つげんには、安西麻呂等に諜てうじ合せて、時日じじつを移さず推おしよせ來つべし。われ今新あらたに城を獲えて、二三百の士卒あれ共、半なかばは降參しつるものなり。主客しゆかくの勢いきほひ甲乙あり。謀合期はかりことがつこせずして、三方さんほうに敵を受うけなば、何をもてこれに當らん。誠まことに諱ゆ々ゆしき大事だいじにあらずや。酷六既に走るとも、いまだ遠くはゆくべからず。氏元貞行二隊にてにわかれて、疾追留とくおひとめよ」、と令げぢし給へば、「うけ給はりぬ」、と應いらへあへず、はやうち出いでんとする折から、金碗八郞孝吉は、何處いづこへか走去はせさりけん、軍兵ぐんひやう十人ンあまりを將いて、忽然こつぜんとかへり來つ、大將義實にまうすやう、「けふの働き彼此かれこれと、優劣まさりおとりは候はねど、某それがしはこの城の案內をよくしりぬ。されば衆軍しゆぐんに先たちて、三の城戶きどをうち毀こぼち、賊將萎毛酷六を、生拘いけとらんとてあさりにけれど、絕たえてその所在ありかをしらず。顧おもふに城の西北いぬゐには、一條ひとすぢの活路ぬけみちあり、前面むかひは檜山ひのきやまにして、右のかたは樹立こだちふかく、左は崖高きりぎしたかうして、下は千尋ちひろの谷川也。城中一ぜうちういちの要害えうがいにて、人にしらさぬ祕所ひしよなれば、笆かきの內うちと名づけたり。彼奴かやつはこゝより遁にげつらん、と推量おしはかりて候へば、こゝろ利きゝたる軍兵ぐんひやうを駈催かりもよほし、岨そはを傳ひ、蔓かつらにとり著つき、捷徑ちかみちよりうち出いでて、前面むかひを佶きつと見わたせば、女房にようばう子どもを箯はんだに乘のしたる、主從しゆうしゆうすべて八九人、東南たつみを投さして走るものあり。熟視つくつくみれば酷六なり。這奴しやつもはじめは神餘じんよの老黨ろうだう、われには遙立はるかたちまさりて、主君しゆくんのおぼえ大かたならず、その祿をもて身を肥こやし、眷屬妻孥うからやからを養ひながら、忠義の爲には得死えしなずして、逆賊に媚諛こびへつらひ、東條に在城して、飽あくまで民を虐しへたげたる、天罰竟つひに逭まぬかれず、落城のけふに及びて、迯にぐるとも脫にがさんや。『金碗八郞こゝにあり、かへせ戾せ』、と呼よびかけて、透閒すきまもなく追蒐おつかくれば、轎夫かごかきどもはこれに脅おびえて、走跌はしりつまつき轉輾ふしまろび、箯はんだを撲地はたとうち墮おとせば、女房子どもは『吐嗟あなや』と叫びて、千尋ちひろの谷へ滾落まろびおち、株くひぜに打うたれ、石に碎かれ、骨も遺のこさず死しんでけり。萎毛は眼前まのあたり、妻子やからの橫死わうしを救ふにすべなく、鉾杖衝ほこつゑつきて岸邊に立在たゞずみ、こなたを佶きつと見かへりて、脫のがれがたくやおもひけん、主從七人ン魚鱗ぎよりんに備そなへて、追來おひくる我われをまつ程に、躬方みかたは鶴翼くわくよくに連つらなつて、鷙鳥しちやうの燕雀ことりを擊うつごとく、旋風つむぢの沙石いさごを卷まくごとく、吐どつと㗲おめいて突崩つきくづす。地方ところは名に負ふ節處せつしよ也。天よは明あけながら雲ふかき、岨山蔭そはやまかげの樹下闇こしたやみ、進むも退のくも一騎打いつきうち、互たがひに識しつたるどちなれば、鎧よろひの抽を潛脫くゞりぬけて、先を爭ふ躬方みかたの英氣ゑいきに、遁足憑にげあしつきたる雜兵等ざふひやうらは、霎時拄しばしさゝえて散散ちりちりに、走るを追蒐追詰おつかけおひつめて、殘りなく生拘いけどりつ、竟つひに賊將萎毛しへたげを、擊うちとりて候」、と辭ことばせわしく演說ゑんぜつして、件くだんの俘いけどりを引居ひきすえさせ、酷六が頸くびもろ共に、實檢じつけんに入れしかば、義實思はず嘆息し、「夫兵それへいは凶器けうきなり。德衰おとろへて、武を講こうし、澤たく足らざれば、威ゐをもて制す。こは已やむことを得ざるのみ。城を攻せめ、地を爭ふも、民を救すくはん爲なれば、われ樂たのしみて人を殺さず。さは定包さだかねに從ふもの、みな惡人にはあるべからず。或あるは一旦の害をおそれ、或あるは時と勢いきほひに、志こゝろざしを移すもの、十にして八九なるべし。この故ゆゑに非を悔くひて、躬方みかたにまゐるものとしいへば、やがて命を助たすくるのみかは、用もちひざることなきものを、什麼そもいかなれば萎毛が、從卒じゆうそつは生抅いけどられ、彼身かのみは卻頭かへつてかうべを喪うしなひ、剩あまつさへ妻と子は、石堰水いはせくみづともろ共に、皮肉ひにく碎けて死しにたりけん。こは時と勢いきほひに、志を移されて、逆に從ふのみならず、必かならず天の赦ゆるさざる、兇惡けうあくのものなるべし。よしや惡には從ふとも、みづから惡をなすべからず。努愼ゆめつゝしめ」、と說諭ときさとし、金碗が牽ひきもて來きたせし、俘いけとりを釋放ときゆるさせ、「凡新およそあらたにまゐれるものは、軍功ぐんこうの多少たせうによりて、後日ごにちに恩賞おんせうあるべし」、と正首まめやかに仰おふせしかば、僉感淚みなかんるいを禁とゞめあへず、「とても捨すつベき命なりせば、はじめよりこの君に從したがはざることよ」とて、漸愧後悔ざんぎこうくわい今更に、身の置おくところをしらざりける。

 かくて里見義實は、刃やいばに衅ちぬらずして、東條の城を乘取のつとり、賊將萎毛酷六ぞくせうしへたけこくろくを索たづね給ふに、「渠かれははや落亡おちうせて、その往方ゆくへをしらず」といふ。義實聞きゝて眉根まゆねをよせ、「彼かのもの漸愧後悔ざんぎこうくわいし、志こゝろざしを改あらためて、けふよりわれに從はゞ、われ舊惡きうあくを咎とがめんや。然さるを無明むめうの醉醒えひさめず、いちはやく逃亡にげうせし事、固もとより惜をしむに足らねども、直たゞに瀧田へ遁にげかへりて、定包に吿つげんには、安西麻呂等に諜てうじ合せて、時日じじつを移さず推おしよせ來つべし。われ今新あらたに城を獲えて、二三百の士卒あれ共、半なかばは降參しつるものなり。主客しゆかくの勢いきほひ甲乙あり。謀合期はかりことがつこせずして、三方さんほうに敵を受うけなば、何をもてこれに當らん。誠まことに諱ゆ々ゆしき大事だいじにあらずや。酷六既に走るとも、いまだ遠くはゆくべからず。氏元貞行二隊にてにわかれて、疾追留とくおひとめよ」、と令げぢし給へば、「うけ給はりぬ」、と應いらへあへず、はやうち出いでんとする折から、金碗八郞孝吉は、何處いづこへか走去はせさりけん、軍兵ぐんひやう十人ンあまりを將いて、忽然こつぜんとかへり來つ、大將義實にまうすやう、「けふの働き彼此かれこれと、優劣まさりおとりは候はねど、某それがしはこの城の案內をよくしりぬ。されば衆軍しゆぐんに先たちて、三の城戶きどをうち毀こぼち、賊將萎毛酷六を、生拘いけとらんとてあさりにけれど、絕たえてその所在ありかをしらず。顧おもふに城の西北いぬゐには、一條ひとすぢの活路ぬけみちあり、前面むかひは檜山ひのきやまにして、右のかたは樹立こだちふかく、左は崖高きりぎしたかうして、下は千尋ちひろの谷川也。城中一ぜうちういちの要害えうがいにて、人にしらさぬ祕所ひしよなれば、笆かきの內うちと名づけたり。彼奴かやつはこゝより遁にげつらん、と推量おしはかりて候へば、こゝろ利きゝたる軍兵ぐんひやうを駈催かりもよほし、岨そはを傳ひ、蔓かつらにとり著つき、捷徑ちかみちよりうち出いでて、前面むかひを佶きつと見わたせば、女房にようばう子どもを箯はんだに乘のしたる、主從しゆうしゆうすべて八九人、東南たつみを投さして走るものあり。熟視つくつくみれば酷六なり。這奴しやつもはじめは神餘じんよの老黨ろうだう、われには遙立はるかたちまさりて、主君しゆくんのおぼえ大かたならず、その祿をもて身を肥こやし、眷屬妻孥うからやからを養ひながら、忠義の爲には得死えしなずして、逆賊に媚諛こびへつらひ、東條に在城して、飽あくまで民を虐しへたげたる、天罰竟つひに逭まぬかれず、落城のけふに及びて、迯にぐるとも脫にがさんや。『金碗八郞こゝにあり、かへせ戾せ』、と呼よびかけて、透閒すきまもなく追蒐おつかくれば、轎夫かごかきどもはこれに脅おびえて、走跌はしりつまつき轉輾ふしまろび、箯はんだを撲地はたとうち墮おとせば、女房子どもは『吐嗟あなや』と叫びて、千尋ちひろの谷へ滾落まろびおち、株くひぜに打うたれ、石に碎かれ、骨も遺のこさず死しんでけり。萎毛は眼前まのあたり、妻子やからの橫死わうしを救ふにすべなく、鉾杖衝ほこつゑつきて岸邊に立在たゞずみ、こなたを佶きつと見かへりて、脫のがれがたくやおもひけん、主從七人ン魚鱗ぎよりんに備そなへて、追來おひくる我われをまつ程に、躬方みかたは鶴翼くわくよくに連つらなつて、鷙鳥しちやうの燕雀ことりを擊うつごとく、旋風つむぢの沙石いさごを卷まくごとく、吐どつと㗲おめいて突崩つきくづす。地方ところは名に負ふ節處せつしよ也。天よは明あけながら雲ふかき、岨山蔭そはやまかげの樹下闇こしたやみ、進むも退のくも一騎打いつきうち、互たがひに識しつたるどちなれば、鎧よろひの抽を潛脫くゞりぬけて、先を爭ふ躬方みかたの英氣ゑいきに、遁足憑にげあしつきたる雜兵等ざふひやうらは、霎時拄しばしさゝえて散散ちりちりに、走るを追蒐追詰おつかけおひつめて、殘りなく生拘いけどりつ、竟つひに賊將萎毛しへたげを、擊うちとりて候」、と辭ことばせわしく演說ゑんぜつして、件くだんの俘いけどりを引居ひきすえさせ、酷六が頸くびもろ共に、實檢じつけんに入れしかば、義實思はず嘆息し、「夫兵それへいは凶器けうきなり。德衰おとろへて、武を講こうし、澤たく足らざれば、威ゐをもて制す。こは已やむことを得ざるのみ。城を攻せめ、地を爭ふも、民を救すくはん爲なれば、われ樂たのしみて人を殺さず。さは定包さだかねに從ふもの、みな惡人にはあるべからず。或あるは一旦の害をおそれ、或あるは時と勢いきほひに、志こゝろざしを移すもの、十にして八九なるべし。この故ゆゑに非を悔くひて、躬方みかたにまゐるものとしいへば、やがて命を助たすくるのみかは、用もちひざることなきものを、什麼そもいかなれば萎毛が、從卒じゆうそつは生抅いけどられ、彼身かのみは卻頭かへつてかうべを喪うしなひ、剩あまつさへ妻と子は、石堰水いはせくみづともろ共に、皮肉ひにく碎けて死しにたりけん。こは時と勢いきほひに、志を移されて、逆に從ふのみならず、必かならず天の赦ゆるさざる、兇惡けうあくのものなるべし。よしや惡には從ふとも、みづから惡をなすべからず。努愼ゆめつゝしめ」、と說諭ときさとし、金碗が牽ひきもて來きたせし、俘いけとりを釋放ときゆるさせ、「凡新およそあらたにまゐれるものは、軍功ぐんこうの多少たせうによりて、後日ごにちに恩賞おんせうあるべし」、と正首まめやかに仰おふせしかば、僉感淚みなかんるいを禁とゞめあへず、「とても捨すつベき命なりせば、はじめよりこの君に從したがはざることよ」とて、漸愧後悔ざんぎこうくわい今更に、身の置おくところをしらざりける。

 かくて又義實は、孝吉等に宣のたまふやう、「酷六こくろく瀧田へ逃にげかへらば、定包さだかね火急くわきうによせ來つべし、と思へば心安からざりしに、孝吉がけふの働き、わが胸中きやうちうをしるに似たり。城兵ぜうひやう散落さんらくせずといふとも、翌あすよりして三日が程には、必彼此かならずをちこちへ聞えなん。しからば麻呂と安西は、冐そねみて定包を佐たすくるなるべし。先にすれば人を制し、後おくるゝときは制せいせらる。この曛昏ゆふぐれにうち發たちて、通宵よすがら走りて平郡へぐりに入いらば、敵の膽きもを冷ひやさん欤か。初度しよどの合戰躬方みかたに利あらば、麻呂安西等は聞怕きゝをぢして、絕たえて頭かうべを出いだすべからず。そはとまれかくもあれ、まづ勸賞けんせうを沙汰さたせん」とて、金碗八郞孝吉かなまりはちろうたかよしを、第一番と定さだめさせ、莊園夥賜しようゑんあまたたびけれども、「故もとより思ふよしあり」とて、固辭かたくいろひてこれを受うけず。第二番には小湊こみなとにて、「東條とうでふを取給へ」、と申シすゝめし叟おきなども、三人ンを召出めしいだして、その名を問とはせ給ひしかば、「三平四治郞仁摠さんへいしじらうにさう」と答ふ。義實聞きゝきてうち微笑ほゝえみ、「こはいと愛めでたき名也かし。三平さんへいとは、山下、麻呂、安西の三雄さんゆうを平たいらくる、前象もとつさがといふべき欤か。四治しじは四郡しぐんを治おさめん祥さが也。二總にさうは則上總下總すなはちかづさしもふさ、後のちかならずわが掌てに入いらん欤か。かゝればその名をひとつに合あはして、おの〳〵三四さんし十二个村かむらに、今又二增倍にさうばいすれば、三十六所しよの長おさたるべし」とて、御敎書みぎやうしよを賜たびにければ、皆萬歲ばんせいと唱となへつゝ、歡よろこびいさみて退出まかでけり。第三番は氏元貞行、この餘泛々はんはんの輩ともがらは、錄するに遑いとまあらず。或あるひは秩祿ちつろくを宛行あておこなはれ、或あるひは牽出物ひきでものを賜たまはれば、おの〳〵齊一拜舞ひとしくはいぶしつ、賞重せうおもうして、罸輕ばつかろし。死せるものも更に生いく。活いける物は榮さかえたり。江えに還かへる車轍わだちの魚うを、雪の中なる常盤木ときはき。君が齡よはひはさゞれ石の、巖いはほとなるまで竭つきせじな」、と今樣いまやうを合奏うたひつれて、壽ことぶき興けうじ奉りぬ。
さる程に義實は、法度はつとを寬ゆるうして、民を安撫なで、軍令を正たゞしうして、士卒を勵はげまし給ひしかば、招かざれどもまゐるもの、數す百人ンに及びけり。これらは過半くわはんとゞめ置おきて、杉倉氏元すぎくらうぢもととゝもに城を守らせ、僅はつかに二百餘騎を將いて、孝吉を先陣せんぢんとし、貞行を後陣ごぢんとして、平郡へぐりへ進發しんぱつし給へば、氏元はこれを諫いさめて、「斯かくては無下むげにおん勢寡せいすくなし。この城にこそ二三百の士卒あらば足たりなん」、と頻しきりに密語さゝやき申せしかば、義實頭かうべをうち掉ふりて、「否この城はわが巢也。もしこゝを破られなば、何處いづこへか還かへるべき。合戰は必かならずしも、勢せいの多少によるにもあらず。我われに利あらば二百騎が、千騎二千騎にもなりぬべし。わがうへには懸念けねんせで、伱なんぢはよく城を守れ。なほいふべき事こそあれ。麻呂安西等には和睦わぼくせよ。必かならずこれと爭ふべからず。瀧田の敵兵よせ來きたらば、力を竭つくして防ぎ戰へ。かならず出いでて追ふべからず。これ安全の良策りやうさく也。努々懈ゆめゆめおこたるべからず」、と叮嚀ねんごろに說諭ときさとし、さて先陣せんぢんをいそがして、軈やがて出陣し給ひけり。

 果はたせるかな里見の一軍、その夜よ、前原浦まへはらうらと濱荻はまおぎなる、堺橋さかひばしを渡す折をり、義實の德を慕ひ、風ふうを望のそみて歸降きごうする、野武士鄕士のぶしごうさむらひなンど、百騎二百騎うちつれ立たちて、こゝにて追著おひつき奉り、軍勢千騎になりしかば、後々のちのちまでもこの橋を、千騎橋せんきはしと唱となへたり。加旃しかのみならずこの處ところは、むかし源賴朝卿みなもとのよりともけう、當國たうこくへ推渡おしわたり、上總かづさへ赴き給ふとき、この川のほとりにて、後陣ごぢんを待またせ給ひしとて、待崎まつさきと字あざなせる、側かたへに白旗しらはたの神祠やしろあり。義實則すなはち馬より下をりて、征箭そや二條ふたすぢを奉納ほうなうし、且しばらく祈念し給へば、眞夜中なるに白鳩二隻しらはとには、社頭の松の梢こすゑより、はた〳〵と軒翥はたゝきして、平郡へぐりのかたへ飛去とびさりぬ。これを見る諸軍兵しよぐんびやう、「合戰勝利疑うたがひなし」とて、勇いさまざるものなかりけり。

南総里見八犬伝巻之二終

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